かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 2(ネパール)

2013年07月20日 | 短歌1首鑑賞

 馬場あき子の外国詠一首鑑賞 2                                
                   【ムスタン】『ゆふがほの家』(2006年刊)P92

                                     
153 眼前にダウラギリ屹(た)つ腰のほどわが小型機は唸りよぎれり

  【レポート】(2009年7月)
 小型機に乗りすすんでいくのだが、そびえている「ダウラギリ」のちょうど「腰のほど」とでもいうあたりにさしかかる。壮大な山容を背景に「小型機は唸りよぎれり」とは、蠅か何か昆虫の生のひたすらさが連想される。小さな生き物をあたたかくみつめ、同時にユーモアを感じたことなど、思い出しておられたかもしれない。いずれにせよ、小さな存在の人間とその営為の所産が八千メートル級にして迫力あるダウラギリの前をよぎっている。
 ダウラギリはⅠ峰からⅣ峰まであり、1900年に日本の仏教学者河口慧海は「泰然として安産せる如く聳えて居る高雪峰は是ぞ、ドーラギリ」と記している。また、イエティー(雪男)の棲む山として日本から探索隊を出すなどしている。(渡部慧子)

 ★「中腹」とかいわず、「腰のほど」といったところがイメージしやすくてよい。(泉可奈)
 ★小型機に昆虫などの連想はないのではなかろうか。聳え立つダウラギリの腰のほどを小型
  機で唸りながら行く心弾み、爽快さを言っているように思われる。(鹿取)

【まとめ】
 この心弾みからするとポカラからジョムソンに初めて飛んだ行きの飛行機だろうか。18人乗りの小型機で、操縦席と客席はカーテンの仕切りだけだが、カーテンは開けてあった。ポカラの町からも見えていたマチャプチャレ6993mを右に見ながらて飛び、まもなくアンナプルナ8091mが右手に見える。山と山のわずかな谷を飛行するので、これらの高峰が手に取るような迫力で迫ってくる。やがて左手にダウラギリ8167mが近づき、いかにもその腰のあたりをかすめて飛ぶのだ。「唸り」の部分も実感がある。
 ちなみにダウラギリはサンスクリット語で「白い山」を意味し、その高さは世界第7位。3日間宿泊した「ジョムソン・マウンテンリゾート」からはカリガンダキ河以外は砂礫の風景の出口に、白い屏風のような偉容を毎日見せていた。(鹿取)