父上のことで苦悩する毎日が続いています。
テレビで癌の話をしていると、つい自分の状況に重ね合わせ…
看病して励ましてる人が、膵臓癌で余命3ヵ月と宣告とか、あり得ない話ではないと
暗澹たる気持ちになったり。
まあ、テレビはテレビ。
先のことを心配したって、何にもならぬ。
父上が退院してきたら、そういうテレビを見せないようにすれば良い。
ただ、怖い夢を見るのは変わらないです。
オヤジの身体だけでなく、病気はワシの、母上の身体も蝕んでいく。月蝕のように。
最近は、あちこち介護用品やら衣類やら、年末の買物に。
ゲームコーナーで、ラブライブ!のフィギュアがクレーンゲームに。
うむ、なかなか良い出来です。いつか買おう。今は、あまりお金に余裕が…
基本的に、キモヲタグッズは換金して、切手収集の足しにしているという。
キモオタグッズは、その作品の人気が無くなったら二束三文だけど、フィラテリーは世界中で
通用するものですから。
某兄貴が描いてくださったセバスチャン…のビキニ姿。
私が先日描いた、ありすお嬢様(と華山るるか)へのアンサー的な。
なかなか素晴らしい肉体のセバス。ワシごときが何か言える立場ではないですが、
目が「生きている」のが凄いです。
身体に鞭打って描いてくださり、ありがとうございますm(_ _)m
父上は結局、来年はじめに人工肛門を閉じる手術があるため、このまま入院して年を越すことに。
ただ、大晦日とか三が日は病院も休みなので、外泊という形で帰宅します。
アクシデントが無ければ良いのですけど。。
とりあえず、精神科、外科、泌尿器科には行かなければ。
精神科は別の医院なので、それだけはワシが連れて行ってあげなければ…うっ…(吐き気
2000年代はじめ頃の切手のファイルを開いてみたら、懐かしい「広告つき葉書」が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/6fe2a942ae48992722a4434c4b8d56ed.jpg)
1981年10月1日発行、宮城県版の「ホテル仙台プラザ」。発行日の風景印つき。
2002年頃(?)に、新宿の切手屋さんで購入したものです。切手屋のお爺さん、まだお元気だろうか。。
これはエコーはがきブームの頃、最も高価な葉書として君臨していました。
1981年当時の、実際に郵便に使われた使用済なら、価値あるんですけどね。
初日印を押しただけのものは、あまり収集価値が無いです。
未使用のものは1989年春、新宿の切手屋さんで清水の舞台から飛び降りるつもりで
買った思い出が。帰りに夕立に遭い、仕方なく駅前に自転車を置いてバスで帰宅。
翌朝、数十分歩いて駅前の自転車を取りにいった思い出も。
元気だったころの思い出は、美しく輝いています。
時間が美化していくのでしょうけれども。
近頃妙に、学生の頃の「おともだち」を思い出すのです。
人生を振り返ると、ワシが結婚できる可能性があったのは大学卒業のときだけ。
就職できていればねぇ…経済力の無い男は、お相手に日本海側に帰られてしまったよ、はっはっは。
でも病気のせいだけにするのは「逃げ」だと思う、今日この頃。
確かに病気ではあった。でも、それを凌駕する努力が足りなかった。
弱かったんです。それを、ちゃんとお相手は見ていた。
人生は非情なこともある…
先日兄に、「今どれだけ頑張っても、オヤジの最期の時を迎えたら、後悔しないということは
絶対にないよ。必ず後悔はするもんだ」と言われて、虚しくもなったのですが。。
何をやっても後悔するのは、人生の掟。
もし結婚していたとしても、後悔はしていたでしょう。
結婚したらパラダイス、という幻想から脱した30代半ばからは、気が楽になりました、はっはっは。
楽しいキモヲタ独身生活。
あれ、心を吹きぬける冷たい風はなんだろう…(´▽`)
テレビで癌の話をしていると、つい自分の状況に重ね合わせ…
看病して励ましてる人が、膵臓癌で余命3ヵ月と宣告とか、あり得ない話ではないと
暗澹たる気持ちになったり。
まあ、テレビはテレビ。
先のことを心配したって、何にもならぬ。
父上が退院してきたら、そういうテレビを見せないようにすれば良い。
ただ、怖い夢を見るのは変わらないです。
オヤジの身体だけでなく、病気はワシの、母上の身体も蝕んでいく。月蝕のように。
最近は、あちこち介護用品やら衣類やら、年末の買物に。
ゲームコーナーで、ラブライブ!のフィギュアがクレーンゲームに。
うむ、なかなか良い出来です。いつか買おう。今は、あまりお金に余裕が…
基本的に、キモヲタグッズは換金して、切手収集の足しにしているという。
キモオタグッズは、その作品の人気が無くなったら二束三文だけど、フィラテリーは世界中で
通用するものですから。
某兄貴が描いてくださったセバスチャン…のビキニ姿。
私が先日描いた、ありすお嬢様(と華山るるか)へのアンサー的な。
なかなか素晴らしい肉体のセバス。ワシごときが何か言える立場ではないですが、
目が「生きている」のが凄いです。
身体に鞭打って描いてくださり、ありがとうございますm(_ _)m
父上は結局、来年はじめに人工肛門を閉じる手術があるため、このまま入院して年を越すことに。
ただ、大晦日とか三が日は病院も休みなので、外泊という形で帰宅します。
アクシデントが無ければ良いのですけど。。
とりあえず、精神科、外科、泌尿器科には行かなければ。
精神科は別の医院なので、それだけはワシが連れて行ってあげなければ…うっ…(吐き気
2000年代はじめ頃の切手のファイルを開いてみたら、懐かしい「広告つき葉書」が。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3b/b5/6fe2a942ae48992722a4434c4b8d56ed.jpg)
1981年10月1日発行、宮城県版の「ホテル仙台プラザ」。発行日の風景印つき。
2002年頃(?)に、新宿の切手屋さんで購入したものです。切手屋のお爺さん、まだお元気だろうか。。
これはエコーはがきブームの頃、最も高価な葉書として君臨していました。
1981年当時の、実際に郵便に使われた使用済なら、価値あるんですけどね。
初日印を押しただけのものは、あまり収集価値が無いです。
未使用のものは1989年春、新宿の切手屋さんで清水の舞台から飛び降りるつもりで
買った思い出が。帰りに夕立に遭い、仕方なく駅前に自転車を置いてバスで帰宅。
翌朝、数十分歩いて駅前の自転車を取りにいった思い出も。
元気だったころの思い出は、美しく輝いています。
時間が美化していくのでしょうけれども。
近頃妙に、学生の頃の「おともだち」を思い出すのです。
人生を振り返ると、ワシが結婚できる可能性があったのは大学卒業のときだけ。
就職できていればねぇ…経済力の無い男は、お相手に日本海側に帰られてしまったよ、はっはっは。
でも病気のせいだけにするのは「逃げ」だと思う、今日この頃。
確かに病気ではあった。でも、それを凌駕する努力が足りなかった。
弱かったんです。それを、ちゃんとお相手は見ていた。
人生は非情なこともある…
先日兄に、「今どれだけ頑張っても、オヤジの最期の時を迎えたら、後悔しないということは
絶対にないよ。必ず後悔はするもんだ」と言われて、虚しくもなったのですが。。
何をやっても後悔するのは、人生の掟。
もし結婚していたとしても、後悔はしていたでしょう。
結婚したらパラダイス、という幻想から脱した30代半ばからは、気が楽になりました、はっはっは。
楽しいキモヲタ独身生活。
あれ、心を吹きぬける冷たい風はなんだろう…(´▽`)
私の家族は27日に退院予定ですがまだ決定ではありません。私は両親と死別したら生きていけない気がします。両親に介護が必要になった際も不安です。二人ともが同時に病に倒れることもあるかもと不安です。
結婚しても良いことばかりとは限りません。家族でも病気に罹ってしまうと愛想を尽かされる場合もあります。他人同士が一緒になるわけですから難しいと思います。
私の両親には私の病気を理解できないようです。だけど自分でも解らないわけです。
お金も無く自由に出かけることも出来ませんが皆さんの記事などを読ませていただくだけで幸せです。
先日売れ残ったキュアソードを買って欲しいと駄目もとで頼んだら買ってもらえました。半額だったのです。うれしくて側に飾っています。不意に悲しくなったりイライラしたときなど癒されます。コール様とエンジェルちゃんは凄く響きました。
PS 小5女児がプリキュアはアニメ(絵空事)だからと言っていたのです。
え、なんか偉そうなことを書いたような…あまり気になさらないでください。うんこ野郎の戯言です。
私も、両親がいなくなったらどうやって生きて行こうかと…
極貧生活が待っているであろうことは想像できますが。ひとりで暮らすというのが、どうも耐えられないかも。。
小学校の同級生とかで、離婚したという話も聞きます。
けっこう皆、苦労しているみたいですよ。いろんな「幸せ」の形があるものだと、最近よく考えます。
まあ、パソコンがあるだけで幸せです。そういうことにしておこう。。。
小5になると、現実的になるんですかねえ。。
子どものいない身だと、お子様の気持ちがなかなかわかりません。
色々とありますね~。
この多様な出来事をカラフルに見るか白黒に見るか、その本人によるイメージ的解釈になるのかもしれませんね。
一つの作業を人生に例えて、その作業が苦痛な人と難なくこなす人と様々な解釈を色で見る事が出来ます。
苦悩は何色?
幸せは何色?
もしかして、自分の描いた線に自分が好きな色だけを塗った絵より、少しだけ嫌いな色を塗った絵のほうが良い絵が出来る事もあるかも。
思い描くイメージと出来た絵の落差は苦悩します。
しかしここで諦めてもう描くのを止めるか、再びさらなる完成目指して描くか。
くやしい私は描き続けるほうですね。ド下手と罵られても。
陸上をやっていた知人に聞いた話ですが、走るさなかより、倒れて再び走りだす勇気のほうが辛いのだそうです。
皆さん人生に挑んでいるんですね。私も勉強になります。
三十路さんも挑んではるのをみて、父の介護に対する気持ちが引き締まります。
でも、あまり暗黒色にならないように。m(_ _)m
きっと、きっと、美しい色が塗れる日が来ますよ、きっと。
あ、どどめ色のおっさんである私が言っても説得力ないですよね。(^_^;)
ここによく訪れてはるあささんも頑張ってはりますね。
あささんが好だというインチキまこぴうんこ5分絵を描きました、こんな絵で励ましだなんてだめぽデスね。(^_^;)
すみません。↓
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box-l-xokb6d2ih4t7gouqkbf73cqus4-1001&uniqid=238104d7-bfda-459a-9cc5-b6d376251984&viewtype=detail
どんな難事があっても、それでも地球は周り、昼夜が訪れますね。
なにかと忙しい年末、皆様のご健全を祈ります。m(_ _)m
あ、三十路さんはホワイトクリスマスをどぴゅっとおすごしくださいね~。(^^ゞホワイト頑張っちゃう~(こ-.-ら)
こんばんは。
昔のように、有名大学を出て有名企業に就職して、結婚、子どものいる家庭を築くという「幸せ」だけが、「幸せ」ではないと悟った30代でした。
ストレスも、同じ程度でも重いと感じるか軽いと感じるか、みたいです。軽いと感じられるように努力しろと。
思春期に思い描いていた人生と、今の人生は全く異なります。それが「不幸」なのかというと、そうでもなく…人それぞれの「幸福」というのはあるようです。
結婚も、ち○ぽ婚ではないですが(ぉぃ)、諦めることも無いかもしれません。諦めたらもうそこまでだと思いますし。
少しでも、持病を軽くすることがワシの目標です。そうすれば、まだ夢を追いかけることができます。
諦めたら終わり、というのはシャイニー兄貴と同じかもしれません。
自分では「どどめ色の人生」と思っても、他人から見たら青い芝が茂っているように見えるかもしれないですね。
兄貴も決して諦めず、自分なりの「幸せ」を追求してください。
まこぴ、あささん見ていてくれるでしょうか。
いつもお気遣いありがとうございますm(_ _)m
あー、冬至にクリスマスに年末年始…みんな日々に忙殺されて、実感がわかないです。
ホワイトな何かは、わきだしてきますけど(こ^_^;ら)
m(_ _)m