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ちょっとだけスパイシー

雲南省旅行記(23)

2006-09-24 | 雲南省旅行記
四方街に行く途中のお土産物屋で、携帯電話のストラップを見つけた。
『ヤク』の角で作ったストラップでウサギにトラ、竜など
たくさんの形をしたものがある。

今晩には昆明に戻り、明日は広州、明後日は日本に帰ってしまう。
日本へのお土産は今日しか買う日が無い。
私たちにとって、お土産のウィンドウショッピングは楽しいのだが、
いざ買うとなると予算や、どうやって持って帰るか、
など難問がたくさんある。
妻が子供多文化共生サポートのボランティアをしているのだが
小学校のクラスみんなにお土産を買ってくると言ってしまったらしい。
それだけでも80個のお土産が必要だ。

ストラップは1個13元(約200円)と書いてあった。
妻とふたりで頑張って値切ってみた。
なんとか10元にまで値切ることに成功した。
80個で240元。日本円で3500円ほどの得をした。

気分良く、四方街に行ったがまだ張さんは来ていない。
確かに約束の時間にはまだ10分ぐらいあって、
とやかく文句を言う必要はないのだが、
サボってガイド仲間とお喋りしていても、
旅行会社からの日給か時間給かは知らないが、
その分は、報酬をもらっているのである。
なぜ、そう思ったかと言うと、四方街の南の方にある喫茶店で、
若い女性が5人でお喋りをしている。中には民族衣装を着ている人もいる。
その中に、張さんも交じっているのが見えている。

「ゆっくり楽しむことが出来ましたか?」

若く綺麗な女性は得である。
一言ぐらい、何か文句を言ってやろうと思ったが、
言葉が出てこなかった。

携帯で、運転手の夏さんを呼んでいるようだ。
四方街の南東にある食堂で昼食を取り、
玉龍雪山に行く予定だと言う。
道路に面した部分はすべてオープンになっている食堂で、
左端の4人用のテーブルに私と妻。
右端のテーブルに張さんと夏さんが座って昼食を食べだした。
私たちのテーブルの出入り口側にも、4人用のテーブルがあり、
若い女性がふたり、食事を食べていた。
彼女たちが楽しそうに食事を食べている途中、
物乞い(乞食)が近寄ってきて、すぐ横に立ち、
じっと料理を黙視している。
彼女たちふたりは、物乞いの類の人には慣れているようで、
話が途切れることなく、無視して料理を食べていた。
物乞いが諦め、私たちのテーブルに近寄り始めたとき、
妻が店員の女性を呼んで
「彼は日本人です。中国の嫌な部分を見せたくないので 追っ払って下さい」
と言った。
女店員は顔色が変わり、奥の厨房にいた店長だろうか、
呼んできて、すぐに物乞いを追い出した。

店の態度から思うに普段から、その物乞いは良く現れるのだろう。
見て見ぬ振りをしていたに違いない。
日本人には、妻の言うとおり、嫌な部分を見られたくないのだろう。
何故か、女性ふたりもそわそわして急に出て行ってしまった。

中央には、木の大きな10人ほどの人が座れる丸テーブルがあった。
私たちが食事を終わりかけたとき、まだ椅子が足らないらしく、
他のテーブルから空いている椅子を持ってくるぐらいの大家族が入ってきた。
張さんがそろそろ出ましょうと言い、に来たとき
妻が後ろに座ったお婆さんに話しかけだした。
20年ほど前に、北京で暮らしていたときに、近所に住んでいた人だと言う。
大理でもそうだったが、日本から旅行に行った妻が、
中国で知人に出会うなんて、偶然が2度も続いたことになる。
偶然には違いないのだが、中国の雲南省旅行者が、
相当の数に及んでいるという事だろう。
そして『文化大革命』の残したものは、何だったのかを考えさせられる。

そのお婆さんは、家族で北京から来た。
下は3つぐらいの女の子から、上はお婆さんまで、
3世代、12人に及ぶ大家族旅行だ。

次の予定があるので、話しもせずに駐車場へ行く。
駐車場の横にある売店で、水を購入し車に乗り込む。
張さんが
「上に行くと寒いので、ダウンのコートをレンタルしますか。
 それに空気が薄く、気分の悪くなる人が多いです。
私も時々、気分が悪くなるときがあります。
酸素ボンベのレンタルもありますがどうしますか?」
寒さの対応は、日本から用意しているのだが、
空気の薄いところに行くとどうなるか、経験が無いので分からない。
昆明の旅行会社で、この旅行のコースを決めるとき、
妻は玉龍雪山の上まで行くのに反対した。
私が脳血管障害の後遺症を持った身体だから、空気の薄いところに行くと、
血液の酸素が少なくなって何らかの症状が出るか、
最悪の場合は、再発や死んでしまう可能性もあると言うのだ。
私は、4,506メートルを経験しないとここまで来た値打ちが無い。
山の天気に関してはガスで、まったく景色が見えないか、
もしくは雨かもしれないが、それはそれでかまわない。
とにかく、4,506メートルの標高を経験したというだけで、
日本で自慢することが出来る。
日本で一番高い富士山の標高が3,776メートル。
それより730メートルも高い所にいくのだ。
妻と、酸素ボンベは必ず持って行く。
上の展望台(4,680メートル)には、
下りで何かあってはいけないので行かない。
気分が悪くなれば、すぐに引き返す。
という、約束で行くことになった。

麗江市内で1本30元の酸素ボンベを2本レンタルし、
いざ『玉龍雪山』に出発!
途中に木で作られた料金所あった。
その前に張さんが、
「これを着ないと怒られる」
と民族衣装を取り出し、上着だけを羽織った。
そう言われてみたら、麗江古城のガイドは、みんな民族衣装を着ていた。
ちょっとムカっと来たが、ガイドたちの着ていた民族衣装はナシ族のもの。
張さんは漢民族なのだ。
どうせなら、民族衣装を着た若くて綺麗な張さんにガイドをして欲しかったが、
どこかで、漢民族のプライドがあってナシ族の民族衣装を着なかったのだろう。

この料金所でも、日本製の障害者手帳が発揮。
半額で通ることが出来た。
実は、落としたり泥棒にあったりしては困るので、
もって行ったのは、障害者手帳のカラーコピーを
プラスチックケースに入れたものである。

左手に『玉龍雪山』を見ながら、広い草原の中を走っていくと、
高いトーテムポールを屋根に作った建物が見えてきた。
ここで、専用バスに乗り換える。
運転手の夏さんとここで別れ、3人でバスに乗り込む。
ここでも日本製障害者手帳のコピーが威力を発揮し、
並んでいる人の横の、従業員用通路を通り、
バスも降りやすいように一番前の席に優先に座らせて頂いた。

細く舗装はされている道を15分ほど乗ると、ロープーウェイ乗り場に着いた。
海抜3356メートルと書いてある。ここから4506メートルの終点まで、
一気にのぼるのだ。全長2968メートル、高低差は1150メートルである。
まず、心と身体の準備の為、トイレに行って用を足し、ロープーウェイ乗り場に行ったら、
すごい数の人が行列を作っている。
張さんが、日本の障害者手帳が使えるか聞いてくると、乗り場受付に行った。
少しして、ニコッと帰ってくる。OKなのだ。
張さんは、最初は私たちふたりで行ってくださいと言っていたのだが、
障害者介護の為に同行しなければいけないそうだ。
並んでいる人の話を聞くと、10時から3時間待っているらしい。
係りの人がやって来て、従業員専用の通路を案内され、
6人用のロープーウェイに、私たち3人と中国人2人が乗り込む。

20分間の空中遊覧の旅。
妻も、同乗した中国人熟年カップルも
うわぁ~~~」「すごぉい~~~」(と言ってたと思う?)
の連発である。
7月は雪が融けてないと聞いていたが、上の方には氷河が残っている。
北半球最南端にある現代海洋氷河(詳しくは知りません)だそうだ。
山頂には、ガスがかかっているが、時おり風に飛ばされ
標高5596メートルの最高峰「扇子峰」が顔をだす。
未だ登頂に成功した人がないそうだ。

終点に到着。レストランや売店を抜け、外に出る。
標高4,506メートル初体験である。
標高4,680メートルまで、登山道が整備され、たくさんの人が歩いている。
妻が私のことを心配し、酸素ボンベの用意をし、
景色に見とれながらも、不安な表情だ。
少し先に4506と書かれた石碑がある。
そこまで歩くことにした。

やはり、身体が普通ではない。
空気が薄いより、麻痺側の手足が急な気圧の変化に順応できず、
歩くのにチカラが入らないように思える。
最悪の状態を考えて、早くも酸素ボンベを使う
やはり山は良い!
妻には悪いが、麗江などのように人間が創作し造ったものもすばらしいが、
自然界が何万年もかけて創り出したものの方に、私は憧れ、魅了される。
自然の前では、人間が造ったものがちっぽけに感じてしまうのだ。

景色を堪能し、写真を撮る。

写真1 写真2 写真3

石碑から20メートルほど行ったところに、
氷河が見やすいように展望台が作ってある。
「せっかくだから二人で写真を撮ろう」
と妻が、レンタルのダウンコートを着たロマンスグレーの男性に
「写真を撮ってください」
とお願いした。
気持ちよくOKしてくれシャッターを押してくれた。
2~3枚写真を撮ってその場を離れようとしたら、
写真を撮ってくれた人と同じダウンコートを着た女性が
「今、写真を撮ってくれたのは、麗江の市長ですよ」

知らなかった!
と言っても麗江の市長の顔など知っているはずもないのだが、
一緒に写真を撮っておけば良かったとか、
名刺を渡せば良かったとか、後で悔やまれる。

麗江市長が撮った写真

1時間ほどの初体験ゾーンを後に、
ロープーウェイで下界に戻ることにした。
私の持っていた酸素ボンベが無くなったのだ。
妻は無事、下界に帰ることが出来て喜んでいるようだった。

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