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cuminseed

ちょっとだけスパイシー

雲南省旅行記(15)

2006-09-09 | 雲南省旅行記
ホテルの方に向かって歩き出したが、途中で寄り道したい所があった。
歩いて来た道で、『盲人按摩』の看板を見たような気がしたからだ。
妻はそんな看板、見た記憶が無い。
でも中国では、これぐらいの都市になるとあるはずだという。
5分ほど歩くと、先ほど歩いて来た歩道の、反対側のビルの2階に
盲人按摩と書かれた窓ガラスを見つけた。
ビルの裏手にある階段を上ると、
表札に『盲人按摩』と書かれたドアがあった。

私の身体は脳出血の後遺症の為に右方麻痺と言って、
右半身の自由が利かなくなっている。
去年の中国旅行の時、上海で初めて『按摩』をしてもらった。
かなりの痛みをともなうが、麻痺側の筋肉がほぐれ、
終わった後は身体が楽になる
特に盲人按摩が凄く効く(様な気がするだけかも?)
壷をしっかりとつかむと言うか、感が良いと言うのか、
私には気持ちが良い。なによりも安い!
日本でのマッサージや按摩は、金額が高すぎて出来ないので、
機会があれば按摩をするようにしている。

中に入ると1時間30元(500円ほど)と書いてある。
受付には年配の女性と、若い女性がふたりいた。
私は全身按摩。妻が足裏マッサージを頼んだ。
奥の薄暗く、按摩用のベットを5つ並べた部屋に案内された。
年配の女性に連れられて、男性がふたり入ってきた。
30歳ほどに見える男性が、私の方の全身按摩だ。
我慢しても大きなうめき声が出てしまうぐらい、
気持ちよく(?)力を入れて按摩をしてもらった。
妻の方は50歳ぐらいと思われる男性に足裏マッサージをしてもらっている。
日本から来たとか、NPOの活動をしているとか話をしているみたいだ。
話が弾んでいるのか、部屋にもう一人の男性が入ってきた。
この店の店長である。
名前を『呉 海峰』と言い、西双版納盲人按摩中心主任だそうである。
(中国では視覚障害者と盲人と少し分けているようである。)
詳しくは解からないが、西双版納での盲人組織と盲人按摩組合の
代表でいちばん偉い人のようだ。
妻に足裏マッサージをしている50歳ぐらいの男性が、
「20年ほど前に、彼と私とがここで按摩を始めました。
 最初は上手くいかず、苦労の連続でした・・・」
と、話を始めた。
障害者が生きていくのは大変で、苦労が付きまとうのは
どこの国や世界でも同じである。
呉さんが、
「家が近くにあるので、按摩が終わったら、お茶を飲みに行きましょう」
と言い出した。
強引なお誘いである。
呉さんは年配の女性と腕を組み、私たち夫婦は後を付いていった。
すぐ近くにある雑居ビルの3階から上が彼の家のようだ。
衣料品店やゲームセンターの裏手の階段を上がって3階にまで行き、
そこからは、鍵の着いたドアの向こうに、彼の家専用の階段が作られていた。
床がタイル張りのすごく綺麗な家だ。
玄関から入ってすぐ、左手の部屋では、マージャンをしていた。
何世代もの人が住む大家族なのだろう。
小学校の先生をしている奥さんに出迎えられた
ここで年配の女性は店があるからと引き返し、
奥さんに案内されてさらに上の4階のリビングに連れられた。
家具や調度品も立派で、片付いた綺麗な部屋である。
「お茶を入れますからね」
本格的なプーアル茶(普耶茶)の入れ方である。
プーアル茶専用のお賽銭箱のような四角い木の台があった。
お茶をこぼしても、下に落ちるようになっていて、
お茶が溜まると、中に引き出しが付いていて、簡単に捨てるようになっている。
細部に龍の彫り物があり、凄く高そうである。
 プーアル茶は時間が経てば経つほど風味と味わいを増し、
まろやかなお茶になると言う。
 ポットから急須に熱いお湯を注ぎ最初に注いだ湯はすぐに捨てた。
二回目のお湯から飲むそうだ。
これを「洗茶」と言い、洗茶は茶葉を目覚めさせるためと、
ごみやホコリを洗い流す為だそうだ。
良いお茶は何杯でも飲めるそうである。

お茶は西双版納が発祥の土地だそうだ。
昔、西双版納の近くで、少数民族アイニ族の勇敢な若者が、
人畜に危害を加えていた豹を退治した。
近くの老若男女が集まりお祝いが始まった。
大鍋で豹を煮て食べ、一晩中踊り明かした。
喉が渇いたので、大鍋にお湯を用意していた。
すると風で飛ばされた、たくさんの葉っぱが、
そのお湯の中に飛び込んでしまった。
その湯を飲んだところ、口に苦味と甘味を感じ、
すっきりした香もあり、口の中が大変サッパリした。
これが、お茶の始まりだそうである。

急須に3回目ぐらい、お湯を注いだあたりから、
口全体に 甘味を感じてきた。
5回目ぐらいから、コクの深さとすっきりした爽快な感じがしてきた。
飲んだあとに感じる後味のが良いのである。
 
呉さん夫婦には小学校の女の子もいて、仲がよさそうだ。
盲目の夫がいて、生活が大変だろうと想像がつくが、
そんな事を、まったく感じさせない良い夫婦だ。
この夫婦は漢民族だ。
西双版納の3分の1が漢民族。3分の1がタイ民族
残りが他の少数民族だそうだ。
漢民族は、文化大革命のときに都市からやって来た若者が、
そのまま住み着いた人が多い。
呉さんは、西双版納の盲目(視覚)障害者協会の理事長で、
北京や上海など中国の大都市、それに日本などとも、
交流関係を持ちたいと考えている。
妻や私の参加しているNPO団体は、中国からの障害者を、
幾度も日本に招待した実績があり、興味があったのだろう。

私は別の面で凄く興味があった。
日本では、都市のメインストリートで、
『盲人按摩』と言う、看板があるかどうか? 
最近は「足裏マッサージ」や「フットマサージ」と言った
綺麗なお店がたくさん出来ていて、
良く駅前などで、綺麗な女の子がチラシを配ったりしている。
町の裏通りに、鍼灸やマッサージなどの看板は見かけることはあるが
『盲人按摩』の看板は見たことが無い。
私は、国民性の違いと、行政の違いが大きいのだと考える。
盲目(まったく見えない)障害者は按摩をしなければいけないと、
国が決め付けるのもどうかとは思うが、障害者に対するフォロー体制は、
日本よりしっかりしているのでは?
障害者に対して、隠す・閉じ込める、と言う意識があるため、
差別に発展するのでは? とも考えてしまう。

「日本に来る機会があれば、連絡ください。
出来る限り、力になります」
と挨拶を終え、ホテルに帰ろうとしたら、

「これを持って帰ってください。
お土産物屋には売ってない、地元の人にしか手に入らないお茶です」
と雲南独特の丸く固めたお茶を7枚、竹の葉でくるんだものを出してきた。
今まで、何度もお土産物屋で見ているので、お茶が高価なのは知っている。

「そんな事されたら困ります。結構です」
断ったが、どうしても持って帰って頂かないと困ると・・・
美味しいお茶に、高価なお茶のお土産まで貰い、
土砂降りの雨の中を、タクシーでホテルまで帰った。

ホテルの冷蔵庫から、お昼に買った『マンゴー』を取り出した。
日本から持って来た、ナイフを取り出し、
今日の出来事を思い出しながら、二人で食べだした。
ほのかな香りがし、凄く甘く美味しい『マンゴー』だった。

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雲南省旅行記(14)

2006-09-06 | 雲南省旅行記
明日は、別のガイドに変わるそうだ。
この二日間、少数民族の文化や芸術、生活や風習、そして歴史など、
根本的な所から考えることができた。
心からお礼を言ってホテルで劉さんと、お別れをした。

洪景最後の夜でもあるので、食事を兼ねて市内見学に出かけた。
町中にヤシの木がたくさん植えられ、南国の風情が漂う。
メインストリートには象のレリーフや、日本での狛犬ようなものがある門や、
たくさんの銅像が歩道に飾られていた。
所々に雲が出てきて、小雨が降り出した。
市役所の前には池や公園が作られていて、
たくさんの人が散歩している。
ホテルを出てから1時間ほどになる。
メインストリートから大きな道路沿いに歩いたが、
お土産屋に衣料品、その他の店はたくさん見られるが、
レストランがない。ホテルはたくさん建っていて、
その中にあるのはあるのだが、料金的に好ましくない。
さらに10分ほど歩いていると、ファッションビルのような建物があり、
エレベーターで3階に行くと映画館があって、
若い人たちがたくさんならんでいた。
どうやら、スーパーマンを上映しているらしい。
廊下にはたくさんの映画のポスターがはられ、
中国人の映画好きが感じられる。

天井から厠(トイレ)の案内が出ていた。
廊下の突き当たりにあったのだが、前に机が置いてあり、
2元と書いた紙の箱を前にして女性が座っている。
「障害者はいくらですか?」
妻が尋ねた。
「障害者は結構ですよ」
障害者に対する対応も感心したが、買い物客や映画を見に来た人にまで
トイレに入るのにお金を取るのは、さすが中国である。
ついでにトイレ番(?)の女性に、食事が出来る所が近くにあるか聞いてみた。
ビルの裏手に数件並んでいると言う。
エスカレーターで1階に下り、ビルの裏に行くと、
ビアホール・お粥・点心・過橋米線・中国風レストラン(?)が並んでいた。
中国風レストランで、炒飯、野菜炒めなどを頼んだ。
チェーン店のようで、高校生くらいの女の子やカップル。
家族連れに、浮いた感じで地元の中年がビールを飲んでいた。
人が飲んでいると飲みたくなるものである。
すぐに漢民族でなくどこかの少数民族と思われる、
まだ10代前半ぐらいのウエイトレスに地ビールを追加注文した。
調理しているのも20歳前後の女性だ。
想像通り凄い量の料理が出てきた。味付けが濃くビールにはちょうど良い。
ビールをもう1本追加しても料金が18元と、凄く安い。
店をでた時には、大粒の雨が降り出していた。
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雲南省旅行記(13)

2006-09-05 | 雲南省旅行記
国家AA級旅游景区 『原始雨林中的克木人』に着いた。

旅行会社の予定では植物園に行くはずだったのだが、
「時間にゆとりがあれば、こちらの方が面白いです。
少し別料金もかかりますが?」
と劉さんが言うので、少しぐらいならお金がかかっても
面白い方が良いに決まっている。
『原始雨林中的克木人』に行くことにした。

原始雨林中的克木人とは、
原始雨林の中に住む、克木民族と言う意味だそうだ。
ここでは、劉さんがガイドをしないで、
現地住民が案内をする。
バスツァーの観光客たちもここでは現地住民のガイドに替わる。
克木人は原始そのままの民族で凶暴の為、危険だからだそうだ。
20人ほどのバスツァーの観光客といっしょにガイドの女性に着いて行った。

この民族は、昔から定住をせず、
ミャンマーと中国とをメコン川を渡りながら暮らしていたのが、
数年前に中国最後、26番目の少数民族にくわえられた。
生活や文化レベルが原始時代のままで、木の葉っぱが主食として暮らしていた。
性格が凶暴で、以前は首狩り族とも呼ばれ、
自分たちの領地に他の部族が入ると殺してしまい、
首を切って頭蓋骨を飾っていた。
私が良いと言った場所以外で勝手に写真を撮ってはいけない。
この中に足を踏み入れるのには、友好の挨拶をしなければいけない。
それは、右手を口に当て『アワワワ・・・』と声を出す。
これをしないと侵略者として襲ってくる・・・

途中までは納得して聞いていたのだが、
最後の方は子供向けのお遊びに聞こえた。

熱帯雨林の中に細い道を作って、
克木人の生活や風習を見て廻る事ができるようにしてある。
「毒のある草や木もあり、触ると皮膚がただれたり火傷をしたりするので
絶対に触らないで下さい」
どうやら、これは本当らしい。

うっそうとした森の中を歩いていくと、
『アワワワ・・・』 『アワワワ・・・』
と何処からか聞こえてきた。
観光客も
『アワワワ・・・』 『アワワワ・・・』と返事をすると
木の上から克木人が飛び出してきた。
熱帯雨林の自然に加え、住居や沐浴の様子。
主食だったと言う木の葉っぱや木の根っ子の試食。
(口に入れるだけで吐き出した)
若い女性たちからの、歓迎の踊りがあった。
ここでは写真を撮っても良いと言われた。
観光客も踊りに参加する。
人なつっこい10歳代前半の女性たちばかりかも知れない。
自分から近寄ってきて、写真に入ろうとする女の子もいた。
大耳黒牙人といって、女性の大きなイヤリングにお歯黒と言った民族の風習
空中走廊や、火海庁と言う所では火を使ったショーがあった。
松明を口に入れたり燃えている炭の上を歩いたりと、
昨日見たショーと内容がいっしょだ。
終わってから、大きなお皿にお金を入れろと、催促するところも同じだ。
表演庁と言う場所があり、
もうすぐ歌舞のショーがあるという。
若い女性達が、ショーまで時間があるのだろう。
ラジカセでロックを流しながら、踊っていた。
凄く身が軽く上手い。
時間が来て、民族音楽の踊りが始まった。
アップテンポのメロディーを槍や弓を持って踊る。
見ごたえのある踊りだった。
その建物の外側の壁には、昔は人間の頭蓋骨だったが、
今では牛の頭蓋骨になったという壁一面の飾りなど、
たくさんの見せ場があった。
動物を捕獲する罠の展示してある場所近くに、屋根だけの小屋があり、
その中に青いタオル地の服を着た2歳ぐらいの子供がひとりでいた。
手にはチョコレートの入ったビスケットを持っている。
おとうさんらしい上半身裸の人が、罠の弓に矢をつけている。
少し笑える風景だった。
出口に近づいたとき、克木人のガイドが友好の印に、
何か記念になるものが欲しいと言ってきた。
ディバックのポケットに入っていた10円玉と50円玉を上げると、
凄く喜んでいた。
この施設そのものが観光客用の作り物であることは現実で、
少し誇張しているところもあるが、
自然と、つい最近まではこのような生活をしていたのだと言う事実を考えると
興味深く、面白い場所だった。
若い女性たちの、屈託のない笑顔が印象に残っている。
男性たちは、踊りや演技、施設のメンテナンス。
若い女性は歌や踊りなど、少し年配で中国標準語を喋れる人がガイド。
などと少数民族の人達が協力しあって生きているのだと思った。
現代の世の中は、現金収入が無いと生きて行けない。
少数民族で、最近まで現地の言葉しか使わなかった人達は、
このような観光客相手の仕事しか、出来なかったのだろう。

帰りの車の中で、劉さんに
「タイ民族の人達が観光客に自分の家を見せて
お金儲けをしたりするのは、同じタイ民族としてどう思いますか?」
と聞いてみた。
「なんとも思いません。タイ民族は観光客相手の仕事でしか、
収入を得ることが出来ない人達がたくさんいます。
ガイドの仕事も、タイ民族が生きていく為の、
お手伝いをする仕事だと思っています」

明日は、別のガイドに変わるそうだ。
この二日間、少数民族の文化や芸術、生活や風習、そして歴史など、
根本的な所から考えることができた。
心からお礼を言ってホテルで劉さんと、お別れをした。

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雲南省旅行記(12)

2006-09-04 | 雲南省旅行記
翌日のホテル出発は8時30分。
ゆっくりバイキングの朝食を食べることが出来た.
昆明でのバイキングではコーヒーが無かったのに
西双版納では苦いホットコーヒーが付いていた。
それと『過橋米線』と言ってお米から作った麺も出ていた。
雲南省名物の麺で、100年ほど前にベトナム国境に近い蒙自(モンツー)
で生まれたものらしい。

蒙自に住む男が科挙を目指して勉強していた。
毎日、池の真中の建物で勉強していて、妻が橋を渡って料理を運んでいた。
だが彼は勉強に熱中していて、すぐに料理を口にせず、
いつも冷めた料理を食べることになり、そのうち料理を残すようになった。
妻は何とかしようと考え、器に熱いスープを入れて鶏の油をたらしてみた。
するとスープが油の膜に覆われて冷めにくくなった。
このなかに具と麺を入れると、いつでもおいしい米線が食べられるようになった。
そこから、『過橋米線』と呼ばれるようになった。

冷めないようにコンロの上にたっぷりスープの入ったお鍋の横に
大きな器、お皿に山盛りの麺。
そして薄切りの豚肉や鶏肉。ウズラの卵や湯葉、モヤシにキュウリ、
ザーサイにキムチなどたくさんの具が並べてある。
スープのなかにウズラの卵を入れ、次に肉、
野菜、麺と順番に入れると美味しいらしい。

この話は昨年5月に北京や上海に旅行に行ったときに
ガイド兼通訳の姪から聞いた。
蘇州でお昼ご飯を食べようとしたとき、彼女が、
『過橋米線』の看板を見て、急にこれを食べようと言い出した。
彼女は、
「中国の名物料理には、必ずひとつの物語があるのです。
 それを知って食べると、不思議と味が変わってくるのですよ」
と教えてくれた。
初めての中国旅行で、良い人が案内してくれた。彼女にはすごく感謝している。
なんでもない事だが、私の料理に対する思いや想像をふくらませ、
楽しいものにしてくれる。

車に乗って1時間ほどで橄欖壩(ガンランバー)風景区の市場に着いた。
観光バスも10台ほど止まっている。
どうやら観光客用に作られた市場らしい。
雲南省のガイドは市場や特産物の店に観光客を連れて行き、
買うように薦めないといけないのだそうだ。
「ぜったいに買わないといけない事はないですからね」
石林の帰りに寄った『雲南七彩』と違い、
露天の集まりみたいで、趣がある。翡翠やお茶などの高級品もあるが、
西双版納の少数民族の工芸品やヘビ、ワニなどの革製品。
タイ族のブレスレットやネックレスのアクセサリーなど、
安価な、さまざまな物まで置いてある。
それに品物に値札が付いていない売り物が多く、
交渉しだいで安くなるようだ。
いつかは日本へのお土産を買わないといけないので、
荷物にならないようにアクセサリーやキーホルダーなどを購入。
トイレに行って用を足して・・・と思ったが・・・
ここのトイレは凄かった!!!
私も妻も、次までガマンすることにした。

車に乗って30分ほどして道路沿いの果物屋に止まった。
この辺りはフルーツ栽培が盛んで、特にパイナップルが美味しいらしい。
パイナップルやたくさんのフルーツの試食をさせてもらったが、
パイナップルを買っても日本に持って帰ることも出来ないし、
ホテルに帰ってから食べようと「マンゴー」をひとつ買った。
劉さんがパイナップルを二つ買い、妻と私はゴム林の中を通った所に在る
トイレに向かった。綺麗とは言えないが、強烈な臭いは無かった。

そこから10分ほどの所で、タイ族の住居が見学出来るというに着いた。
劉さんが私たちに家を見せてくれると言う人を紹介してくれた。
「帰りにタイ族の民芸品を薦められます。買う必要はありませんが・・・(?)」
と言って車に残った。
タイ族の住居は「竹楼」と呼ばれ、2階建てになっていて、
下の階は物置兼作業場。2階が住まいになっていた。
階段の前で靴を脱ぎ、2階へ上がると窓が小さく、室内は少し暗い感じがした。
応接間の真ん中には低い竹製のテーブルが置いてあり、
その周りには竹製の腰掛けが何脚か置いてあった。
竹楼には、柱に触れるとかならず幸運が来るという言い伝えがあると教えてくれ、
妻とふたりで触ってから低い椅子に座った
地元産のもち米茶が出され、お茶を勧めながら、私たちの質問に答えてくれた。
タイ族の習慣では寝室を他人に見せることは出来ない。
もし見てしまうと、この家の家族の一員となって生活しなければならないとか、
タイ族の家族は数世代が一つの大きな寝室に寝る。
寝室には蚊帳が掛っているが壁などの仕切りはない。
寝室を壁などで仕切るのは家族の温かみに欠ける。
とか劉さんから聞いた、
男性は15歳になると女性の家に行って家事や重労働をし、
18歳になってその女性や家人に認められないと結婚出来ない。
などの話を聞いた。
この家の2階に上がったとき、タバコを吸いながら私たち夫婦を観察している
中年の男性を見た。
今日は火曜日で今は時間も11時。
普通の男性なら仕事をしているはずである。
劉さんも言っていたが、いったん結婚すると
男性は仕事をしなくて良いのである。本当なのだなと思ってしまった。
何杯もお茶を勧められたので、妻に合図をした。
長居して、高価なモノを買わされても困るからだ。
「そろそろお邪魔します」
「もう少しだけ良いでしょうか?」
と言って、低い竹製のテーブルに掛けてあった赤い布を取った。
「やっぱり」
さっきの市場と同じアクセサリーが並んでいた。
これは○○○元。こっちは○○○元。
さっきの市場の3~4倍の値段である。
お茶代と、家の見学代、話を聞かせてくれたお礼代がプラスされている。
いちばん安いブレスレットを買い家から失礼した。
たぶん私たち夫婦の事が気に入らないのだろう。
劉さんたちが待っている駐車場まで一言も喋らず、早足で道案内してくれた。
「日本人はみんなお金持ちではないのだぞ!」

昼からは国家AA級旅景区『原始雨林 中的克木人』
と言う場所に行く予定だ。

その前に途中でお昼ご飯となった。
ここでも劉さんと運転手さんにいっしょにご飯をたべませんか?
とたずねた。
「いいですよ」
素直な返事が返ってきた。
相変わらずの鶏のスープに、牛皮のフライ。
ハーブを効かせた焼き魚に野菜炒め。
ローズマリーの葉のようなものを混ぜて作った卵焼きが出てきた。
「この卵焼きに混ぜている野菜はここでしか食べることが出来ません。
 この辺に生えている雑草で市場には売っていないのですよ」
なかなか美味なのに勿体ないと言うと
「食べたあとが凄く臭いのです。今日は大丈夫でも、
 明日になると口臭がひどくなってしまいます。
 だからみんな嫌って、市場にも売ってないのです」
どんな口臭がするのか解からないので、自分で確かめることにした。
そう言われて見ると、確かに少し臭い気がする。
食べだしてから10分ほどしてから、
店の女の子がお皿いっぱいに切ったパイナップルを持ってきた。
「さっき買ったパイナップルです。ここのフルーツは美味しいですよ。
 私もここに寄ったら、いつも買って帰ります。
 遠慮なく、食べてください」
劉さんの素直な返事の理由が解った。
金色に輝いたパイナップルは、今まで食べたことがないほど、
甘く熟して、美味しかった。

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雲南省旅行記(11)

2006-09-02 | 雲南省旅行記
ホテルから車で5分ぐらいの所に劇場があった。
劉さんは少し用事があると言い、しばらくしてからチケットを持ってきた。
建物の前に広場があり小さなステージなどが作ってあり椅子も用意してある。
「出口の階段を降りた所で9時に待っていてください。迎えに来ます。
8時30分に舞台が終わり、誰でも参加できる踊りがあります。
楽しいですよ。いっしょに参加してくださいね」
と言って、一度家に帰った。

中に入ると、広く立派な劇場だ。
すでに始まっていて、前から12列目の中央より左手通路側の席に座った。
前席の後部に小さなテーブルが作ってあり、水とフルーツが置いてある。
西双版納の歴史背景を取り入れた物語が、
少数民族の歌や踊りで演じられていた。
大きく豪華なセットで、綺麗な民族衣装や舞台衣装を着た人が、
優雅に・又は力強く踊りや歌を披露する。
第5幕に別れ、その都度舞台セットが変わり、
幻想的でファンタジックな舞台だった。
歌や踊りの民族芸術も良いものである。








2時間ほどの舞台が終わった。
建物前の広場に集まって下さいとアナウンスがあった。
舞台を終わった人たちが、民族衣装や舞台衣装を着たまま、
広場で輪になり、踊りだした。
観客の皆さんも、声を出し、いっしょに踊りましょう!!!
とマイクで誘い出した。
最初、見ていた人も少しずつ輪の中に入って踊りだした。
輪も二重から三重、四重、五重と大きくなり、
西双版納の民族特有のメロディに乗って、
たくさんの人たちが声を出し踊りだした。
椅子に座って見ていた私も、たまらなくなり、
輪の中に入って踊りだした。
民族衣装を着た、たくさんの美女や美男に混じって、
民族音楽に身を任せ、声を出して踊った。
幻想的な夜である。

途中で気がついた。
9時だ!
人があふれ返り、待ち合わせの場所まで進むことが出来ない。
人を押しのけ、階段の下までやっと到着した。
もう9時15分である

すでに劉さんが待ち合わせした場所に来ていた。
「ごめんなさい。人が多すぎて・・・」
「良いですよ。私も人が多いのに待ち合わせ場所を
間違ったようです。ホテルに帰りましょう」
劇場の前の道路は、観光バスやホテルの送迎バスで渋滞していた。
10分ほどしてやっとタクシーに乗ることが出来た。
ホテルに帰ってもまだ興奮覚めやまず、
眠れない夜になってしまった。
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