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cuminseed

ちょっとだけスパイシー

雲南省旅行記(20)

2006-09-16 | 雲南省旅行記
洱海公園から車で30分ほど走ると『周城』についた。
まずは昼食の時間だ。
ガイドの楊さんが、
「早く行かないと、良い席がなくなるので急ぎましょう」
と言い、駐車場に車を置き、南側にあるレストランにはいった。
小さな看板があるだけで、中国で良く見たレストランとは雰囲気が違う。
中央に中庭を作り、木や花を植えている。
周囲四方に石で高さ1メートルほどの土台を作り、
その上に2階建ての住居を建てている。
白族独特の建築様式で『四合五天井』と言うそうだ。
私たちの入った所はレストラン向けに入り口側がお土産物屋、
三方と廊下がレストランになっている。
天気も良いので、廊下で中庭を見ながら食事をした
ここでは『砂鍋魚』と言う、鯉に鶏肉・野菜などを
素焼きの鍋に入れる料理が出てきた。
薄味で、素材のうまみが出て美味しい。
しかし、他にも四皿とスープが出され、
半分も食べることが出来なかった。
私は食事中に3箇所も蚊にかまれた。
雲南十八怪の、
「雲南はとにかく蚊が多い」
と言うのを思い出した。

食事が終わり、駐車場を通り過ごし北の方に歩くと、
立派な壁に沿って市場が出ていた。
周城は藍染めの産地で、民族衣装を着た白族のお婆さん達に、
何度も「お土産を買っていきませんか」と声をかけられた。
市場を過ぎると、観光バスがたくさん止まっている道路に出た。
『蝴蝶泉』に着いたようである。
中国ではドラマや映画でかなり有名な観光地らしい。

昔、蒼山のふもとの村に雯姑(ぶんこ)という美しい娘が住んでいた。
猟師の霞朗(かろう)とは仲の良い恋人同士だった。
しかし雯姑が領主の息子に見初められ、連れ去られてしまった。
後を追った霞朗は、努力の末に雯姑をなんとか救い出すことが出来たが、
無底潭(底なしの泉)まで逃げたところで、官兵に取り囲まれてしまった。
逃げ場をなくした雯姑と霞朗は無底潭に身を投げた。
すると突然、雷鳴が轟き嵐になった。
官兵が立ち去ると嵐が止み、泉の中から一対の七色に輝く蝶が現れ、
その後には無数の蝶が次々に飛び出して来たという。
雯姑と霞朗をしのび泉の名前を『蝴蝶泉』にしたという。
入り口を入ると奥の泉まで、木の中を歩く道と、
舗装した電動バス専用の道があった。
私たちは歩かずに、電動バスに乗って蝴蝶泉の手前まで行った。
電動バスを降り少し歩くと、木々の中に透き通った水を蓄えた蝴蝶泉があった。
すぐ横に老木が一本あり、枝葉が泉の上を覆っている。
旧暦4月に花が咲くと、色鮮やかな蝴蝶が群がって、
飛びまわるように見えるらしい。
7月の終わりには花がなかったが、木の枝のいでたちが、
雰囲気をかもし出してくれている。
妻は昔見た映画のことを楊さんと話し合い、上機嫌だ
その手前には蝴蝶泉から流れ出た水が流れ出して小さな川を作っている。
その流れ出た水に触れると、
1回目は瞳が輝く。
2回目がお金持ちになる。
3回目は彼女ができる。
のだそうだ。
私は手を伸ばして触ろうとしたが、足場が悪く近寄ることが出来ない。
水が落ちて小川になった所で3回触った。
「日本には残り福って言葉がある。これだけの人の残った福が、
少しずつでも廻ってきたら、私は大金持ちだ!」
勝手な解釈だが、気分的なものだから、まぁ良いだろう。
少し下った所にも池があり、その向こうは蝶々館というドーム型の屋根をした小
さな建物があったが、蝶は西双版納でも見たので先を急ぐことにした。
電動バスで出口まで行くと、運転手の夏さんが待っていてくれた。
障害者を迎えに行くからと、交渉してくれたらしい。
車に乗り込み、大理古城の方へ向かった。
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雲南省旅行記(19)

2006-09-14 | 雲南省旅行記
ロビーには8時前に行きチェックアウトを済まして待っていた。
妻が民族衣装を着た女性と話をしている。
「もうすぐ8時だ。ガイドの楊さんは遅刻だな」
「これがガイドの楊さんだよ」
女性は服装で雰囲気が変わると言うが、
特に長い髪を、たくさん飾りの付いた白い帽子に入れると
昨日とあまりにも変わりすぎて解からなかった。
予定通り、観光船に乗るため、洱海公園にある港に向かった。
乗船場の建物に着くと、楊さんはチケットを買うのに並ぶから、
ここで待っていてください。もうすぐ、踊りが始まります。
と言って、売り場の方に行った。

しばらくすると20人はいるだろうか?
民族衣装を着た若い女性が出てきた。
スタイルが良く、美人ばかりである。
4人ごとに白を基準としているが違った衣装で、
手には70センチほどのステッキをもち踊りを始めた。
写真1 写真2 写真3 写真4 写真5
途中から民族衣装を着た男性も20人ほど踊りに加わり始めた。
30分ほど踊りや演劇を行い、ショーが終わった。
終わる頃には観光船に乗る人で、込み合っている。
ショーが終わってから、順次に観光船が出航するようだ。
楊さんが近くにやってきて、
「9時20分出航の船に乗ります。建物のベンチで待っていてください」
と言った。あと30分ほどある。
ベンチに座っていると、
「あの人。どこかで見たことがある」
と声をかけた。
なんと20年程前に、北京で障害者関係の仕事をしていた時に知り合った、
聾学校の先生だそうだ。
凄い偶然だ。中国の人口が13億人で、日本から旅行に行った妻と出会うなんて、
しかし、ツァーで来ている先生はすぐに乗船しなければいけない。
すこしだけ話をして別れた。

私たちの乗船時間が来た。
白く他の船より大きく立派である。
1階の船室でひとり20元を出すと、テーブルと椅子にお茶が付いてくる。
3時間ほどの時間なので、甲板で見学して疲れたら休憩の為に頼んだ方が良いと
言うので揚さんにお願いをする。
いよいよ出航だ。
3階の甲板に出て景色を見る
天気が良く、心地よい風が吹いて蒼山の眺めもすばらしい
1階客室は、両端に団体用のソファーがあり、
その中に6人用の丸テーブルが20ほど置いてある。
そして5リットルは入るポットにお茶を入れ、各テーブルに1つ置いてある。
番号の書いた紙コップを各席にひとつずつ置いてあり、
その番号の席が私たちの休憩する場所になっている。

私たち夫婦は、上海から来た母親と子供2人、母親の姉と相席になった。
子供たちは中学生と高校生の姉妹で、昆明の親戚の家に寄ったついでに、
大理の観光に来たそうだ。
甲板に出ていた子供たちが帰って来た。
私たちが日本から来たと分かると、質問攻めにあった。
ふたりとも大のアニメファンで、それも中国のアニメでなく
日本のアニメが好きなのだそうだ。
ドラゴンボールとワンピース、他にも私の知らないアニメまで、
「見たことがありますか?」
「日本でも人気がありますか?」
などと質問してくる。
面白いのは
「日本って、よく地震が起きるのですね。日本の海賊版を見ていたら、
地震速報って画面の上に出ています」
日本語は分からなくても、漢字で意味が分かるのだ。
日本のビデオやDVDは高いので、日本に留学している友達に、
テレビから録画してもらったり、海賊版を廻して見てるそうだ。

楊さんが来て、もうすぐ私たちの『三道茶』の時間だと言う。
お茶と民族舞踊が船の中で見ることが出来る。
2階には小さな劇場が造られていて、交替で観るようになっている。
最初の方は、男女の若い民族衣装を着た人たちが、
船に乗る前に見たのと同じ踊りを踊っていた。
次に白族の結婚式を再現した踊りが始まった。
プロポーズの方法から結婚式、結婚後の様子などだ。
白族の女性は頭にたくさん飾りをつけた帽子をつける。
片側に白い紐の束がつけてあり、
男性が触るとプロポーズの意味になるそうだ。
舞台の花嫁は何故か真っ黒のサングラスをかけ、
小さな鏡を首からぶら下げている。
サングラスは泣いた目を隠す為で、鏡は魔よけらしい。
最初のお茶は、苦い『烤茶』。烤とは「あぶる」の意味で、
茶葉をあぶってからお湯を入れる。
2杯目はクルミや黒砂糖の入った甘い『甜茶』
最後は生姜や山椒が入った『回味茶』
これらを順番に小さな紙コップに入れて持ってくる。

20分のお茶と民族舞踊が終わった。
次は南詔風情島へ立ち寄るらしい。
人工に造られた浜の横船が停泊した。
高台には大きく真っ白な大仏が立っている
楊さんの説明では仏様なのだが、日本の大仏よりはスマートで女性っぽい。
その先にはホテルがあるそうで、港の裏の方に行く通路には、
トンバ文字で書かれた絵(?)がかけられていた。
港の裏にある広場には南詔国時代の有名人だろうか?
が建てられていた。
船に帰る途中で楊さんが、
あのが私の生まれたところです
と指を刺した。
レンガで造られた家が数件見ることが出来る。
自然に恵まれた良い場所だ、と思うのは、
日本で生まれた、私だけだろうか?

30分ほど島を見学して船に戻り、南詔風情島の港を出航した。
たくさんの観光船があり、少しずつ時間をずらして、
同じコースを廻っているようだ。
11時50分に洱海公園の港に帰って来た。
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雲南省旅行記(18)

2006-09-13 | 雲南省旅行記
私たち夫婦の乗った飛行機が大理空港に着陸した。
午後6時10分の到着である。
西双版納とはまったく違い、どこか日本に似た雰囲気である。
蒼山の山波がなだらかに続いている。
空港から見た蒼山は、それほど高い山に見えないが、
最高峰の馬龍峰は四千二十三メートル。
他の峰も三千五百メートル級と高山ばかりである。
大理の町が2千メートルの高さがあり、
それほど高くは感じられないようだ。

空港出口には、楊さんと言い、白(ペー)族の女性が迎えに来ていた。
ティーシャツにGパンを着た、健康そうな女性だ。
運転手は夏さんと言い、小太りの愛想の良い中年男性だ。
空港を出て大理市内に入った。
道幅が広く、整備された町だ。
かつては南詔国・大理国と言う独立国の首都で、雲南の中心地だった、
蒼山のふもとで切り出された石が『大理石』だ。
日本でも『大理石』の名前を知らない人はいないだろう。
もともと蒼山石と呼ばれていたのが、五百年ほど前の明の時代、
北京に天壇が造られたとき、大理からこの蒼山石を大理石の名前で運んだ。
それから、『大理石』の名前で呼ばれるようになったと言う。

劇場か何か、人の集まる施設の2階にあるレストランに案内された。
空港から来る途中で、食事は追加料金を出してもかまわないので、
衛生的に良いレストランに連れて行って欲しいと妻が言ったようだ。
2階がすべてレストランになっていて、混雑していたが、
楊さんが知り合いらしい女性に声をかけ、階段近くにある席を用意してくれた。
スープにご飯、魚料理はテーブルにまで持ってきて、
他にナスビの炒め物やジャガイモを使った料理や漬物などの5品は、
バイキングになっており、高くつまれたお皿とお椀に、
好きなだけ取っても良いようだ。
楊さんに大理の地ビールも注文してもらった。
魚料理は『海水煮海魚』と書いてある。鯉のような魚を、
塩と唐辛子、山椒で味付けした簡単な料理だが、魚が新鮮な為、
凄く美味しい。
洱海で取れた魚を使った料理なのだが、
『海』の字が入っているので、
「大理は太平洋までかなりの距離があるのに」
と、勘違いをしていたようである。

食事が終わりホテルにチェックインをする。
明日の朝は洱海を船で観光するのだが、どうせなら、豪華観光船の方が
民族のショーや三道茶があり、早い目に出てチケットを買わないといけないので
8時に出発することにした。
時間は8時。外はまだ明るい。
大理での宿泊は1泊なので市内観光をすることにした。
フロントで近くに有名な観光地があるかを聞いたところ、
歩いて20分ほどのところに公園があると言う。

ふたりでゆっくり歩き出した。
大理に来てから気付いたのだが、車椅子に乗った人や小児麻痺で
杖を突いて歩く障害者を4人ほど見た。
高校生から30歳前ぐらいだと思う。
すべて同年代の友達らしい人と、楽しそうに歩いている。
日本ではあまり見ることの出来ない風景だ。
日本だと障害者同士や、街を歩いていてもほとんどが、保護者やヘルパーだ。
障害児や障害者が、健常者に混じって生活に溶け込んでいる光景だ。
日本では原則として、障害のもつ子どもと障害のない子どもを分けて教育する。
盲・ろう・養護学校に普通の小・中学校での「特殊学級」などで、
「分ける」ことを前提とする原則分離教育の制度に固執している。
国際社会では、障害者の社会への完全参加と平等、違いを尊重しあい、
ともに生きるという理念と実践を
「ノーマライゼーション」「インクルージョン」といい、
この考え方は1980年代にすでに国連で議論され、主流となっている。
国連での障害者権利条約草案では、
「あらゆる段階におけるインクルーシブな教育の確保」
「障害のある人が障害を理由に一般教育制度から排除されないこと」
と書かれている。
教育などと難しい事は解からないが、日常生活で良く聞くことは、
障害者の「健常者の友達が出来ない」
「人間関係がうまく行かない(主にコミュニケーション)」
「人付き合いが苦手」という話だ。
私の場合は生まれてからほぼ40年。健常者として育った為、
今まで出来たことが出来なくなったというコンプレックスと、
障害者と認めたくないという意識があって不安定な時期はあったが、
人間関係や人付き合いが苦手ということはなかった。
自分が住む地域の普通の、通常の学級で、障害のない子どもと「ともに学ぶ」ことが、
学習教育だけでなく、障害児のこれからの人生に取って、
人付き合い・コミュニケーションなど社会教育にも重要なのではないか?
中国の北京では、40年前にはすでにインクルーシブ教育が行われていたそうだ。
さっきの風景が納得出来た。

左手の丘に、大きく丸く輝くミラーボールのような
建物
があり、ライトアップした階段を下ると、まっすぐに大理石で作られた
大きな石像が並び、レストランや噴水など何百メートルも続いている。
市の中央にこのような公園があるなんて、すばらしい町である。
自然に加え、歴史や民族と、大理に麗江が私たち夫婦の目的でもある。
どうやら明日はガイドにも恵まれたようだ。
明日は朝が早いので、ホテルまでタクシーで帰ることにした。

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雲南省旅行記(17)

2006-09-12 | 雲南省旅行記
出発は30分遅れの8時30分になった。
西双版納大橋を渡り『野象谷』へ向かった。
タクシーが最初に寄った所は、『蠎蛇園(蠎=おろち)』
私はいろいろな動物を見るのが好きなのだが、
爬虫類、特にヘビは見ただけで足が止まり、
びっくりして声が出なくなる。
真剣に見学しようという気にならない。
妻も気持ちが悪いと、あまり見ようともしない。
ただ、この日は昨日と違い天気がよく、
雨粒が葉の上に残った熱帯雨林の中は心地よく、
さらに民族衣装を着たガイドや従業員を目にする事ができ、
ふたりを楽しませてくれた。

民族衣装を着た若い女性たちは手にデジカメを持ち、観光客を撮っている。
少し先の竹で作った小さな小屋にパソコンとプリンターが置いてあり、
ここでも1枚20元で売っている。

『蠎蛇園』の次は、『蝴蝶館』蝶の博物館だ。
金網で大きなドームを作り、その中で、2千匹の蝶を飼育している。
中国だけでなく、世界各国から珍しい蝶を集め飼育している。
蝶だけでなく、地面にはたくさんの花や木も植えられている。
人間に慣れているのか、敵意が無いと解かるのか、
近づいても、逃げない。
妻は大喜びでカメラを手に写真を撮っている。
私も一緒になって、写真を撮りだした。

川や池のほとりを歩くと、『百鳥園』に出た。
ここでは、蝶の博物館の何倍もの大きさの金網で作った、
囲いがあり、鳥を飼育している。
その他にも、鳥のショーなどもあり、
運転手や私たち夫婦を楽しませてくれた。

これらを後に、『野象谷』に移動した。
ここは野生の象が住む自然保護区で、
運が良ければ、野生の象を見ることが出来るらしい。
入り口に入ると左手に川があり、飼育係の人が、
4頭の象の身体を洗っていた
まもなくショーが始まると言う。
コの字型に造られた会場で、コンクリートの椅子にすわり
開演まで待つことにした。
ここでは飲み物や軽食が食べられるようになっていて、
民族衣装を着た男女が、席まで運んでくれる。
せっかくここまで来たのだから記念に、焼き鳥を2本頼んだ。
スズメより、ひとまわり大きく、50センチほどの竹串に挟んで焼いている。
毛はキレイに取られているが、頭や手足がついたままで、
グロテスクな様相である。
骨ばかりで身はほとんど無く、頭蓋骨をガブッとかじると、
やわらかく、ぬるっとした食感の脳味噌を味わうことが出来た。

いよいよショーが始まった。
象のダンスやマッサージ、サッカー、
人間30人対象1頭の綱引きなど30分ほどのショーだ。
見物客がお金を出せば、象の背中に乗って写真を撮ってくれる。
見物客がお金を出せば、象にバナナの餌をやることが出来る。
などなど、徹底した金儲け主義だ。
ショーが終わり、入り口近くのレストランに入った。
大きな建物で、バイキングになっていて、ステンレスのお皿と器をとり、
中央に建物を2等分するようにおかれたテーブルの上に、料理が乗っている。
ステンレスのお皿と器の中は水が溜まっていて、
どうみても清潔とは言えない。
ティシュペーパーで綺麗に水を拭き取り、妻が料理を取りに行った。
お皿の上には、ゆで卵と枝豆にピーナッツ、少しの料理しか乗ってない。
「食べるものがない。辛いのや、脂っこいものばかり」
さっき、焼き鳥を食べた所なので、お腹の方は大丈夫だろう。
他に店が無いとは言え、もう少しまともな(日本人が入れるような)
店を選んでほしかった。ふと劉さんの方が良かったとつぶやいてしまう。

旅行会社の作ったプランでは西双版納の観光予定はこれで終了である。
タクシーは景洪に向かって走り出した。
残った時間は景洪の市内観光と思っていたら、
タクシーは景洪市内に行かず、途中の空港に行き、
「これでおれの仕事は終わり」
と荷物を下ろし、走り去ってしまった。
時間はまだ、午後2時前。飛行機の出発時間は午後5時30分だ。
景洪空港は、すごく小さな空港で、ロビーに手荷物預かりどころか、
ベンチや椅子さえもないのである。
こんな空港で3時間半も何をしろというのだ。
妻が状態を旅行会社に連絡。
とりあえず、タクシーで市内の大きなホテルに行くことにした。
空港玄関でタクシーに、
「景洪で一番近いホテル」
と言って乗り込んだ。
空港から景洪には車で移動したことがある。
この前とは違う道だ。
ホテルに到着し、タクシー運転手が
「25元」
と言い出した。
わざと遠回りをし、料金も倍以上の金額を言っているのである。
妻が顔を真っ赤にして、抗議。結局5元の支払で済んだ。
ホテルで再度、旅行会社に電話をし、このホテルにいると伝えた。
最初はロビーに二人で座っていたが、最低でも2時間は何もすることが無い。
ロビーの奥に喫茶店があったので、そこで時間をつぶすことにした。
10元で、プーアル茶を頼んだ。
この喫茶店では一人1杯ではなく、ポット1杯分のお茶で
お湯のお代わりが何杯でも良く、何人が飲んでもかまわない。
奥の席では、男性4人がトランプをしている。
平日の昼間から良い男がトランプをして・・・
「劉さんが言ってた、タイ人の男性は結婚したら、
働かなくて良いって、本当なんだな?」
と、納得してしまった。
30分ほどして、ガイド兼運転手がやって来た。
旅行会社から、怒られたようである。
飛行機に乗るのを確認して、ガイドの仕事は終了である。
二人を降ろしてから、タクシーの仕事をしていたそうだ。
市内見学に行こうと言われたが、私たちはもう、
このガイド兼運転手の顔も見たくない。
「帰っても良い。ふたりでゆっくりとお茶でも飲んでる。」
と言うと、
「それでは悪いので、4時にこのホテルに迎えに来ます。
空港までは送らしてもらいます」
最後にくだらない事件はあったが、
西双版納は良いところもたくさんあって、
私たち夫婦を楽しませてくれた。

次の大理を楽しみにしながら、景洪空港を飛び立った。

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雲南省旅行記(16)

2006-09-10 | 雲南省旅行記
7月26日、今日が最後の西双版納。
5時30分発の飛行機で大理に行く予定だ。
劉さんも昨日で終わり、今日は、別のガイドが迎えにくるそうだ。
ホテルでランチバイキングを食べながら妻と話をしていた。
今日が旅行中、最悪の日だとは、まだ解らなかった。

8時にロビーで、ガイドと待ち合わせと旅行会社との約束でしたが、
10分の遅刻で、ガイドの人がホテルに飛び込んできて、
「すみません。遅れました。すぐに出発します」
私たちのスーツケースを持って外に出た。
私たちがどの車か? とあたりを見回したら、
ガイドはロビーから玄関を通り越し、ホテル前に止まっている、
観光バスの荷台にスーツケースを入れようとした。
妻が、
「ちょっと待て! 契約違反だ!」
と大きな声で叫んだ。
どうやら、雲南省省都の昆明で旅行会社と契約したのだが、
西双版納の支店が、勝手にツアーに便乗したようである。
妻が、旅行日程表と契約書を、ガイドに見せ話をしている。
ガイドが携帯で電話しだした。
昆明の旅行会社に確認の電話をしているのだろう。
「私たちはバスですぐ出発します。車とガイドは10分出来ます」
とそっけない表情で私たちに言い残し、バスに乗り込んだ。
バスに乗っている観光客たちが、私たち二人を軽蔑し
迷惑だと言わんばかりの表情で、にらみつけていた。
「私たちのせいじゃあないぞ!」
と言いたかったが、言葉が解からないのと、
バスから降りてきて、殴り合いにでもなったら、
勝つ見込みが無いので、
そっと日本語でうっぷんを晴らすだけにした。
「車1台に、一人のガイドが私たちの契約だ!
ピンはねしようとした旅行会社が悪いんだぞ!
私のせいで、出発が遅れたのとちがうぞ!」

15分ほどしてから、一台のタクシーが私たちの前に止まった。
これが今日の車で、運転手兼ガイドの男性が降りてきて、
ブスっとした顔でスーツケースをトランクに入れた。
「これから野象谷に行きます」
とアクセルを踏みつけた。
「おまえも、急に旅行会社から言われて頭に来てるかもしれないが、
俺も頭に来てるんだぞ!
すでに金は払ってるお客様なのだから、
もっと、親切にしろ!」
と言ったけど、妻は通訳せず、
「よろしく、お願いします」
とだけ、言ったようだ。

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