テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ありがとう平成!ギターの思い出・。・。・

2019年04月30日 | 楽器
今日で平成が終わるのだ

平成生まれの人はより思い入れも深いような気がする

昨日はテレビなどでも
”GWの渋滞情報”と”平成の振り返り企画”の二本柱だった

ここ最近は当ブログも非常に安定しているのだ
先日も仕事の都合で約1週間ほど更新できなかったにも関わらず
多くの読者にご訪問いただいた
激減することもなく安定していたのだ

超常連読者の方々には心より感謝したい😊 

平成は私のギターライフにとっても最重な時期と重なる
昭和にギターを手にしてギターの楽しさを知った
平成生まれの人は信じ難いと思うが・・
ギターが弾けるだけでモテモテという時代だった

昭和から平成に元号が切り替わる頃に社会人としての生活をスタートさせた
最もギターと遠い関係にあった時期と重なる
新生活の心労からギターなど手にする気にもなれなかった
・・というか楽器を持っていなかった

若い頃(子どもの頃?)に持っていたギターが何故だか消失していたのだ
捨てたのか?友人に譲ったのか?
安ギターながらも相当な本数のギターを持っていた
知り合いに楽器に近いところで働いている人がいたのだ
そんな関係からこの時代にしては容易にギターが手に入ったのだ

おそらくこの頃に存在していたメーカーは全滅していると思う
輸入ギターはアメリカ製だけだった時代
超一流のプロだけがそんな高級ギターを手にしていた
楽器店も一部の大手がガラスケースに入れて陳列していた時代

まぁ、この時期のギターは今となってはあまり価値がないようだ
タマ数も多いのだ
ギターの価値は時代背景とニーズが決める

むしろ、この時期の日本製のメーカーのギターは激レアなのだ
ヴィンテージでもあり
所謂『ビザールギター』にも通じる部分がある

記憶に強く残っているギターが何本かあるのだ
メーカー名は忘れたが・・
レスポールのコピーギターなのだ
何故だか純正のギブソンのハードケースに入っていた
とにかく金属パーツの劣化が激しいギターだった
当時、中学生だった私は研磨剤などで磨いていたのだ

”金属劣化が美しい・・”

と言われる時代が到来するとは夢にも思っていなかった

穴のあいたデニムはゴミ箱行き・・
とにかく、消費の時代だった

行きつけの楽器店でそんな昔話をすることがあるのだ
店員さんは皆私よりも若いのだ
社会的には十分にオジサンだが・・
私から見れば若者に映る

「その時代の弱小メーカーのギターって貴重ですよ」
「実際に残っているギターが少ないですからね・・」

実はこの時期の所有していたベースを友人が持っているのだ
大学に入学した時にベースに興味があるという友人に譲ったのだ
その頃の私はベースの弾き方も知らないし興味も無かったのだ
そもそも宅録というシステムも無かった
当然ながらパソコンも存在しない
ベースを弾けない私が持っている意味がない
その友人は今でも持っているという
「弾いてるの?」
と私が尋ねると首を横に振るのだ
「たま~に触る程度だね」
ゲームやスマホに夢中の彼の息子はベースには無関心らしい
本音としては買い取りたいのだ
今の私ならば、有効に活用できる気がするのだ

安ベースながらも40年近い時を経た材の風合いを感じてみたい
ちょっとだけ弾いてみたい気もする

友人が独身ならば行き来も簡単だが・・
家族持ちの場合にはお宅訪問はかなり難易度が高い
「今度の飲み会にベースを持ってきてくれない?」
も言い出し難い・・
「お前の自宅の近くまで車で行くよ」
も怪しい・・
正直な話、買い戻しは諦めているのだ

何でも捨ててしまう私に対して、
物持ちが良い友人に少し驚いているのだ

生まれ育った文化の違いを感じる
私は親が似たような感じなのだ

やはり影響を受けるようだ
ど~でもいいようなくだらない物を買ってしまう癖も親譲りなのだ
最近はこの病気?も少しだけ治まってきた感がある

必要な物を考えて買えるようになったのだ
必要な物を購入するのは正常なのだ
一方でど~でもいいような不要品をついつい買ってしまう人は注意が必要らしい
「そんなの分かって買ってるんだ~」
というのはさらに重篤な症状だと何かの書籍で読んだことがある

余談だが・・
私は脳科学系の書籍が大好きなのだ
大学でも数年間心理学を学んだ経験があるのだ
この経験が活きているように感じるシーンも多々ある

平成におけるギター的な重要なトピックが幾つかある
ギターを復活させたことも大きいが・・
DAW環境の導入が最も大きいといえる
つまりはパソコンの導入なのだ
パソコンを始めた頃には映像が画像などの加工に夢中だった
音楽を導入するのは二台目のパソコンの後期くらいなのだ
以前にもお話したが・・
DAWソフト導入の背中を押してくれたのは行きつけの楽器店の店員さんなのだ
今となっては笑えるが・・
当時の私には
”勇気ある決断・・”
だった
一曲完成するまでが長かった
パソコンを床に叩きつけたくなったこともあった
基本的に冷静なタイプの私を熱くさせたのも音楽だった
今も別の意味で私の心を熱くさせてくれる

若い人には分からないと思うが・・
中年おじさんになると色々な意味で終わっているのだ
若い人はお父さんや会社の上司などに訊いてみていただきたい
とにかく終わっているのだ

プロペラ機で喩えるならば・・
片側のプロペラの回転数が落ちている状態なのだ
即墜落はしないが・・
快調に飛行を続けられる状態でもない
そんな感じなのだ
集中力も欲求も身体的な能力も劣っているのだ
何と言うか・・
何事においても無気力な状態に陥る
若い頃に楽しいと感じたことに反応しない自分がいる

終わっているのだ

そんな私に自分らしさとやる気を感じさせてくれるのがギターなのだ
人間には少なからず自己顕示欲がある
それを満たしてくれるのが当ブログなのだ

当ブログが無ければ買っていない機材も多いように感じる
正直な話、ギターやベースも上達していない気がする
特に背中を丸めて猛練習した記憶はない
しかしながら、
ブログのネタを作る為に必死になっていた時期があることは否定しない
結果的にそれが楽器の練習になっていた気がする

その影にはいつも読者の皆さんの姿があったのだ
志を同じくして楽器を始めブログを立ち上げた同志も少なくない
新規に参入しては去っていった・・

そんな姿を多々見てきた
要するにモチベーションが維持できないのだ
その理由の一つが訪問者数の少なさにある
「ど~せ俺のブログなんか誰も読んでないだろ?」
読む側も大変だろうが・・
書き手側はその何倍も苦慮しているのだ
ネタを探し、文章を組み立てる
更新頻度を維持する為に無い引き出しを探る日々・・
そんな生活に嫌気がさしてしまうのだ

ちなみに私の場合にはストレスどころではない
ストレス発散になっているのだ
定期的にブログで気持ちを吐き出すことで平静を保っているのだ
時に音であり、文章でもある

ブログ冬の時代・・
と叫ばれる中でいまだにブログを続けている同志が何人かいる
ある意味で達観している感がある
「訪問者なんかあんまり関係ないよ」
「うん、俺のブログは備忘録だから」
色々な事を気にしないならば永遠に続けていけるのだ
人それぞれだと感じる

私は自分が不要だと感じた時点で身を引く覚悟があるのだ
私の中には武士の魂が宿っているのだ
「えっ? 何言ってんの?」
これが昭和魂なのだ

平成生まれの若者に唯一足りない部分でもある
それが良いのか?悪いのか?
結果はすでに出ている
現状の日本の有様を見れば分かる
努力と工夫を出し惜しみした結果が如実に表れている

「結果なんか気にしないよ」
実はギター弾きにもこういうタイプが増えている
ブログの訪問者数もギター練習の成果も期待していない
当然ながら、血が滲むような努力をするはずもない
ただ、日々をダラダラと過ごして時間ばかりが過ぎていく
分岐点にさしかかると躊躇なく楽な道を選ぶ
そんな感じで生きてきた人たちがギター界の隅に溜まっているのだ

アクティブかつクリエイティブな人は別の分野に行ってしまった
言葉は悪いが・・
ど~でもいいような古参のおじさん達が居残ったのだ

ギターを趣味にする素人のおじさんも
生活の糧に楽器を販売するおじさんも同じ

平成という時代で音楽も変わった
楽器演奏よりはダンスが主体になってきた
弾くより踊りたいという若い層が増えてきた
そこにギターは不要なのだ
生ドラムも不要なのだ
プロの現場でもそんな風潮が広がっている
楽器が上手いプレイヤーよりも
『打ち込み』に精通している技術者が求められる

楽器が演奏できなくても打ち込みは出来る
これはかなりのツボなのだ
「俺さ ギター弾けないけど作曲したんだよね」
という夢を具現化してくれる

厳密には突き詰めれば
楽器が弾ける人の方が打ち込みでも才能を発揮する
打ち込みに関しては別の機会にお話したい

そんなこんなで音楽やギターを取り巻く環境も激変したのだ
何でもかんでも値上げの時代だが・・
実はDAWの世界に関しては大幅値下げなのだ
これに気づいているのは古くから愛用している古参層だけなのだ
先日私が購入したcubaseも機能充実&値段据え置きなのだ
技術の進歩と企業努力を感じてしまう
ユーザー獲得の為の苦肉の策なのだろうか?

私がブログを始めた数年前までは弦高や弦の話などを夢中でしている人が多々いた
今はどうだろう?
検索しても上位にヒットすることはない
弦高で検索すると数年前の埃をかぶったようなブログにヒットする
弦はどうだろう?

ネットショップの販売サイトが表示される
もはや、ギターに関しては電子カタログや注文票なのだ
「え~と、俺が好きな弦はあるかな?」
「おっ バーゲンやってるよ~買うか?」
という感じだろうか?

当ブログでも弦についてはあまり触れなくなった
そもそも、書くこともないのだ
エレキもアコギも現状維持なのだ
「弦の滑りが悪くなったから弦交換したよ」
で終わってしまうのだ

当たり前だが・・
読者の皆さんが興味ないネタは深追いしない
一方で反応が良い(興味ある)ネタはさらに深く掘り下げるべきだと考える

この平成という時代において私は読者の皆さんに色々と教えてもらった
ギター弾きとして何を追求すべきなのか?
時代は何を求めているのか?
は意外に重要だと思う

楽器業界のプロ達はギターに背を向けて悲観的なのだ
数字しか見ていないことが覗い知れる
次にこうじる策を練る気などないように感じる
「ギター人口減ってるから・・」
何故減っているのか?については知ろうともしない
考えようともしない

何故スマホが人気なのか?
便利で楽しいからなのだ

つまり、ギターにおいてもそれ相応の魅力があればお客さんは戻ってくると思う
新規のユーザー獲得も非現実的な話ではない気がする

私は楽器の販売を資格制にすれば良いと提案しているのだ
それ相応の給与の確保も必須だと思う
最終的には販売員の士気向上を狙うのだ
カタログスペックをペラペラと語る店員さんは不要の時代が来る
より専門的な知識と技術が求められる時代が到来する
それに備えた準備が必要だと私は考えている

一個人の私がギターを語るといつもギター論や楽器論に至る
「俺だけが幸せなら良くねぇ!?」
という考え方は嫌いなのだ

私に楽しみを与えてくれるギターやギター界と共に歩み成長していきたいと願う
少し臭く感じると思うが・・
これが本音なのだ
平成最後なのだ

臭くでも良い
笑われても良いと思う
あえて熱く語りたい

ギターは終わっていないのだ
ギターの存命は読者である皆さんにかかっているのだ
とりあえず、ギターに興味を持つ部分から始めれば良いと思うのだ
そんな気持ちが購入に繋がればなお良いと思う

私の知り合いに
”ギター買わないぞ!宣言・・?”
をした者がいるのだ
どうやら、手持ちのギターを持て余しているようなのだ
「ギター弾かないなら売っちゃえば?」
と私が言うと怒るのだ
手放すつもりもないという
こういう中途半端な層が私の周囲にも増えている

ここ最近はキラッと光る『金の卵』のようなギター弾きに出会っていない
プロにもいえる
ギター業界や音楽業界を牽引していくような逸材は出現するのだろうか?
気づけば、居残っているのは微妙なおじさんだけなのだ
「ギターってエコじゃねぇ!?」
「金がかからね~趣味だよな」
「とりあえず弦交換してればOKな」
「そんでさ たまに気が向いたら」
「ブログでリポるわけよ どうよ?」
どうもこうもないのだ

これは私の知り合いのおじさんの口癖なのだ
まぁ、こんな感じなのだ

疲弊しきっているのだ
各ユーザーの声はいまのギター界を反映しているように感じられる

スター的な存在が生まれない理由もそこにある

某有名ブランドのギターも日本人相手に付加価値をつけて値段をつり上げていた
利益と売り上げを確保する為なのだ
そんな短絡的な販売戦略も終わりと遂げた
日本のおじさん達が気づいてしまったのだ
色々な事に気づいてしまったのだ

高いギターを買ったところで腕前が上がるわけでもない
安い価格帯のギターが意外に良いことも理由になっている
一部の中古信者?の声に翻弄される人も少なくない
まぁ、本当に近年は色々な変化が訪れた

面白い事に私は何も変わっていない
世間の流れを情報として受け入れるが取り入れた記憶はない
何故だろうか?

平成最後もダラダラと長いが・・
とにかく語りたい事が溢れているのだ
自分の中でも整理がつかないほどなのだ

最後に整理しておきたい
ギターに関しては今後、材料が不足する
ギター向けの良質な材料の確保が難しくなる
現在でも家具などに用いる材料で一部のパーツを作っている
廉価モデルの話だが・・
追々に上級モデルに波及すると思う

DAWやハード系のエフェクターはこれからも進歩する
値段は不明だが・・確実に進化する予感がする
購入したzoomのマルチでそれを強く実感したのだ
実は先日、GT-1000を試す機会があった
値段はアレだが・・
とんでもなく良い音なのだ
良い音というよりはリアルが増しているのだ
もはや、プロでも聴き分けができないレベルなのだ
その高額な価格設定から購買層が見えてこないが・・
間違いなく世界最高峰なのだ
リーズナブルなマシンにもそんな技術が波及すると思う

弦やピックも地味ながら進歩している
コーティングなどの技術的な部分は頭打ち
特殊な素材を使うことをユーザーは好まない
それに伴い値段が高くなることを歓迎しない
それ故に技術開発が進まない
先日話題になったブライアンメイ御用達のゴールド弦はかなり良い
ルックスだけではなく
かなり良質な音を奏でる
弾き心地も上品なのだ
しかしながら価格が高い

”購入層を選ぶ弦・・”
という特殊な立ち位置なのだ

闇雲に値下げするのもダメだと思う
品質を下げるのは死活問題に発展する
私も過去に某メーカーの弦を愛用していたが品質低下で乗り換えた
ギター好きであり変態だからこそメーカーの意図や怠慢が見えてくる

”仏の顔も三度まで・・”
4回目で今のghs弦に乗り換えた
突出した部分もないが悪い部分もない
可も無く不可も無くも『性能』だと私は考える

音楽の楽しみ方について・・
バンドは古い!
現代は個人の時代

他人に時間を束縛されることを嫌う
如何だろうか?
そんな理由で結婚しない人が増えているそうだ
何でも自由というのも拍子抜けしてしまう
時に縛られ、厳しくされるからこその自由時間という考え方もある

この連休も平素暇な人にとってはあまり実感がない
「俺って基本的に暇じゃねぇ!?」
「特に時間とかに追われてね~よ」
激務に晒されているお父さんにとっては憩いの時間
まぁ、家族サービスの方が辛いと嘆く諸兄も少なくない気がするが・・
仕事の緊張感と比較すれば楽な気がする

古くから宅録はあるが・・
これから先も『1人遊び』が加速すると思う
何でもかんでも1人は寂しいが・・
音楽やギターに限っては仲間は不要だと私は考えている
はっきりいって面倒臭い

ダラダラとおじさんがセッションするのは容易だが・・
おじさんが集まり、
作品をつくるなど夢のまた夢・・・

余談だが・・
昨日、youtubeで若き日の『カシオペア』のライブを観た
時代を超えたハイセンスに感動したのだ
全員が上手い!
特に歌がないフュージョンやジャズ系では楽器が語る
ギターだけが上手くてもダメ

学生時代にバンドを組みたくて友達を寄せ集めたことがある
お金持ちのドラマーとギターの私なのだ
結果は散々だった
ベースが下手なのだ
サブのギターもダメダメなのだ
女子の鍵盤も加えてみたが失敗した
唯一楽譜が読めるピアノ女子なのだ
逃げられたのだ

学園祭のインスタントバンドなど色々なバンドに加入した
他のバンドにサポートして参加したこともあった
気づいたことがある
ゲストは美味しくない
自分がリーダーであるべし!なのだ
リーダーは楽ではない
疲れ果てる
「1人が楽かもね・・」
疲れ果てた私はアコギに転向したのだ
まぁ、色々な出来事があった

ちなみに上記の話は昭和の話なのだ

平成の前半10年以上は『ギターレス』なのだ
後半の20年は『ギター馬鹿』なのだ
まさに天と地の違いなのだ

私の人生は波乱続きなのだ
リアルライフでも天国と地獄を見てきたのだ
当ブログなのでリアルライフに関しては割愛したい

平成は念願の訪問者数2000人超えを達成した年代でもある
初回は本当に興奮した
それ以降は数十回ほど良い思いをさせていただいた
現在は2000人を超えることはないが・・
それで良いと思っているのだ
勢いだけで飛びつくような層はいらない

先週まで行列が出来ていたラーメン店が今週は閑古鳥・・
そんなことが平然と怒る時代なのだ
流行れば廃れるのだ
むしろ、安定しているという部分に魅力と意義を感じる

平成最後に一言・・

「平成ありがとう!」
「読者の皆さんに感謝!!」



本日は時間を見つけて更新予定なのだ
お時間がある方は遊びに来ていただきたい😋 

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