テレキャス&ストラトの部屋

RolandのGT-001とzoomMS-50GでDAW制作を楽しんでいるよ

ツーバスでドコドコ大会うりやぁ~

2017年09月14日 | 日記
今回もドラムの音比較なのだ

真面目に打ち込みを勉強すれば、その後のギターライフが楽しくなるのだ




音源の前半はBR-80の内蔵ドラムの音なのだ

パターンを並べるだけなので誰でも簡単に簡易作曲が始められる

デメリットは任意のパターンの組み立てが出来ない点なのだ

自由度が低いのだ

既存のリズムパターンで満足できる人にはよいマシンなのだ



実際のろころ、ドラムの打ち込みは面倒臭い

加えてそれなりのスキルも必要になる


巷の素人ギター弾きはそこまでドラムのフレーズや音色に拘っていない


後半は生ドラムで任意のパターンを組み立ててみた

慣れれば簡単な作業なのだ


頭に浮かんだグルーブを打ち込めるようになれば相当に楽しい

ピースごとにチューニングも変更できる

皮をダルダルにしたルーズな音も簡単なのだ

ドラムキットを変更するだけでもかなり音色が変わるのだ


ドラム音源は必ず自分の好みの音が見つかる

見つからなければ作れば良いのだ



ギターはジミヘン風のバッキングを意識してみた

雰囲気は出ていると思うが・・

如何だろうか?


『ドラム音比較2』




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生まれた時の気持ちを思い出すのだ

2017年09月14日 | 日記
最近、思う事があるのだ

『ギターの上達には何が必要なんだろう?』

何も考えないでギターを向き合っている人の方が多いような気がする

どうでも良いような事だが・・大事な事だと思う


私は『初心』だと思っているのだ

生まれた時のような純真な心が大事だと思う



ギターを始めた頃のことを思い出していただきたい

指の痛みなど苦痛もあったと思うが・・・

それを上回るほどの『楽しみ』に満ちあふれていたと思うのだ


個人差はあると思うが・・

日々成長していく自分を感じていたと思う


何も出来ない状態からのスタートだけに成果が分かり易い・・

そんな時期でもあるのだ


私がギターを始めた頃にはパソコンもスマホもなかった

それ故に外部の情報は皆無だった

今ならば挫折していたような気がする

「世間って上手い人がこんなにいるんだ・・」

「ここまで弾けるようになるのにどのくらいかかるの?」

まぁ、そんな感じなのだ


”他人など関係ない・・”

という人がいるが・・・


ギターに関しては間違った考えだと思う


そんな人はいつまで弾いていても上手くはならない

常に上手いプレイヤーを意識することが必要なのだ


ギターも長年弾いていると『停滞』してくるのだ


”伸び悩み・・”

という言い方も出来ると思う


上手くなる人と上手くならない人との『分かれ道』なのだ

中高年のダイエットと同様にそこから先が大事になってくる


”微増の進歩をいかに感じるか?”


発想が貧困な人はただ只管に単調な練習を繰り返す・・

これでは飽きてしまうのだ


いかに自分自身を楽しませ、盛り上げるか?

その辺りに知恵を絞れる人は伸びるのだ


”ギターを楽しく弾き続ける・・・”

という事が大事なのだ


ダラダラと弾き続けることは誰でも出来るのだ

中学生だったギター小僧も気がつけばアラフィフのおじさんになっているという・・


時が流れるのは想像以上に早いものなのだ

ギター弾きとして『おじさん期』を迎えることは悪いことだと思わない


おじさんだからこそ出来ることもあるのだ

おじさん流の楽しみ方もできると思う


中学生の頃には重いギターと機材を自転車で運んでいたような気がする

スタジオなどもかなりの『贅沢品』だったのだ

当時の物価や小遣いなどを考えると相当に贅沢な遊び方だった

数ヶ月に一回くらいしか利用できなかった記憶が蘇る

懐かしいのだ


当然ながらパソコンもないので音楽ソフトなどもない

とにかく何もない時代なのだ


当時から私は録音していたのだ

ラジカセを二台ならべての『ピンポン録音』を楽しんでいた

一流のプロたちも若い頃にはそんな方法でギターを練習していたという事実を後になって知ったのだ

「俺の発想って間違ってなかったんだ・・」

と少し嬉しくなった事を思い出す


ここ最近の私は進化を退化を感じている


何故だか音楽やブログに対するやる気が以前にも増して倍増しているのだ

理由は不明なのだ

更年期だろうか?

やる気はすべての源なのだ

やる気がない人間がギターを抱えてもあっという間に一日が終わってしまう

「今日もスケールの練習で終わっちゃったわ」

「俺って相変らず進歩ね~な アホじゃね?」

こんなおじさんも少なくないと思う


実際、私の周囲のおじさん連中もこんな感じなのだ

斬新な発想やバイタリティを併せ持つようなスーパーマンは皆無なのだ


おじんさんに電気ショックを与えたら何かが変わるだろうか?




残念だが何も変わらない・・


私が良く知るおじさんもここ数年何も変わっていない

進歩が感じられないのだ


人間は歳を重ねるごとに『硬化』していく

それに気付かない人は『降下』していく


人間は年々肉体的に衰えていくのだ

つまりは下手になっていくのだ

「あれ? 去年は弾けたのに何で?」

ということが多々起こるのだ


私が良く知るおじさんのような発想が貧困なタイプはそれを放置する

分析という点にっは至らない

分析しないのだから対策も打てないということになる


行きつけの楽器店でもたま~におじさんと遭遇する

最近のおじさんは以前にも増してイライラしているのだ



家族にも八つ当たりしていると耳にしたことがある



「どうしたの? おじさん、何か悩みがあるの?」

と私から声をかけることもあるのだ


無意味だと感じつつもそこは放置できない

私の優しさなのだ

当ブログの名物キャラだけにギターを弾き続けて欲しいと願うのだ

「伸びね~のよ いくらギター練習しても上手くならね~の」

「っていうか・・むしろ下手になっているのな 何でだろ?」

「基礎練習は毎日欠かさずやってるのな~ 俺、練習の鬼だからよ」

どうもおじさんの発想は古いのだ


実際に私も若かった頃はアホのように単純なスケールを何も考えないで練習していた

そもそも、アホなので練習の方法に疑問を抱かないのだ


誰しもそんな時期を通過するのだ


繰り返しになるが・・

頭一つ抜け出す人は何かが違うのだ


何だろう?

「練習量じゃね?」

という発想が時代遅れなのだ


時代に乗り遅れているのだ

そもそも速弾きをクリアしても誰も褒めてくれない


残念だが・・

そういう時代になってしまったのだ

練習が実を結ばないという・・・


それでも音楽が無くなることはない

ギターの灯が消えることはない


方向性を大きく見失っているおじさんなのだ

「とりあえずギター弾いてるけどよ~楽しくね~の」

「何だか楽しくね~のよ 何でだろ? 疲れだけが残るのよ」

「徒労感っていうか・・ 曲とかもまっったく浮かばね~し」

おじさんは相変らずの愚痴モードなのだ


実は愚痴っている時のおじさんは一番生き生きしているのだ

愚痴を言い、世間を批評している時のおじさんは輝いている


性格が屈折しているおじさんが今更ながら社会貢献活動?などに身を乗り出してみても似合わない


おじさんも陰ながら細々とギターブログを続けているという・・

「せかっく書いてうやってるのによ~ 開店休業なのよ」

「訪問者も良いとこ20人くらいじゃね?多くて50人な」

「俺ってもっと認められても良くね? 一流だぞ~違うか?」

相変らずのおじさん節が炸裂するのだ


興奮したおじさんを誰も止められない

燃え広がる山火事のような感じなのだ


沈静するまで静観するしか方法はないのだ


おじさんは続ける・・

「最近はよ~まったく作曲できね~の」

「イメージとか浮かばね~のよ 何で?」

「イメージがピンピンにならね~のな」


妙な表現だが・・

おじさん節を限りなくリアルに再現しているのだ

ご了承願いたい

「やりたい事は一杯あるのよ」

「イメージが纏まんね~のよ」

「頭の中が乱雑なのな 片付けらんね~の」




「音楽ソフトとか自在に操る奴の頭の中ってどうなってるの?」

「時間とかどんな感じで使ってるのよ? わけが分んね~わ」

「オッサンとかで音楽作ってる奴いるじゃね? 寝てね~んじゃね?」

おじさんは

”同年代の才能あるクリエイター・・”

に嫉妬しているのだ


実際の心情は良く分らないが・・

おじさんの言動から私はそんな風に感じているのだ


おじさんの頭の中には漠然とした音楽のイメージはあるように感じる




それを具現化する力とエネルギーが不足しているのだ

おじさんの行動にはムダが多い


エネルギーもベクトルが間違っているのだ

「昨日はよ~ 暇だったから人気のギターブログとか荒しに行ってたのよ」

「調子に乗ってる奴とか嫌いなのよ いい気になりやがってよ~ だろ?」

「訪問者数が多いからって天狗になってるんじゃね? 懲らしめてやったのよ」

ムダな行動なのだ


他人への攻撃を自分を高める為に使うのだ

ムダな検索とムダな悪戯の時間を自己啓発に使うという・・


偉くなった人や成功した人はその術を身体で知っている


おじさんは分っていないようだが・・

ネットのジャッジはおじさんが思うよりも厳しく公平なのだ


そこには優しさや友情、同情などは存在しない

読者は自分にとって有用だと思えるサイトにしか関心がない


当たり前なのだ

世間の人はみな一様に忙しい


歩きスマホは褒められた行動ではないが・・

忙しい現代を象徴しているようでもある


「今日も暇じゃね? やることね~わ テレビでも観る?」

「とりあえず・・ギターの基礎練習じゃね?指が固まるからな」


おじさんは続けるのだ・・

「俺よ~ 『レスポール&ストラトの部屋』ってブログの読者なのな」

「好きじゃね~けど・・ ついついチェックしちゃうのよ 何でだろう?」

「次か次へと音源作るよな~ あいつの頭の中ってどうなっているの?」

行きつけの楽器店でも当ブログは周知なのだ

業界では有名なブログになっているようだ


おじさんも楽器店のお兄さんも私がブログ主であることを知らないのだ

何とも不思議な空間なのだ

なかなか経験できるものではないのだ


背徳感にも似たような印象なのだ

一部の勘が良い店員さんは私の正体?に感づいているようだが・・


おじさんはまったく気付いていない

ブログ主である私の前で当ブログの酷評をしているのだ


おじさんのような変わり者も惹き付けているという事を嬉しく感じているのだ


『おじさんも読んでくれているんだね・・』


私は良い作品や上手い人に出会うと影響されるのだ

プロでも素人さんの動画でも同じなのだ

真似てみたくなる


そんな繰り返しで今日まで来たのだ


一方のおじさんは逆らしい

賑わっているブログなどを見るとやる気がなくなってしまうらしい

「俺も以前は曲とか作ってたのな・・ 遠い昔だけどな」

「でもよ 最近が作る気がしね~の あいつが理由なのよ」

おじさんが言うあいつとは当ブログのことを意味するのだ

「湯水のように作曲とかしやがって・・ネタ切れとかしね~の?」

「途中まで作りかけてた曲とかあったのな・・でも、止めたわ」

「あいつも聴くんじゃね? 聴かれるの嫌だからよ・・聴かせね~のよ」


当ブログがおじさんの作曲活動の障壁になっている事を知ったのだ

おじさんは拗ねて(すねて)しまうのだ



「よ~し 俺も頑張ってあいつを超えてやるわ~」

「俺の実力とギターテクを思い知れ~ うりやぁ~」

「俺は歌で勝負だ~ うりやぁ~ 俺の歌を聴け~」



となれば良いのだが・・



音源は少々お待ちいただきたい



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