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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

倫理と道徳

2009-12-14 18:21:01 | 思索
倫理と道徳、これらは用法を間違えると極めて危険な言葉である。下に、倫理と道徳の辞書による意味を示す。

【倫理】人として守り行うべき道。善悪・正邪の判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。(大辞泉)

【道徳】人々が、善悪をわきまえて正しい行為をなすために、守り従わねばならない規範の総体。外面的・物理的強制を伴う法律と異なり、自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く。(大辞林)

大辞泉が倫理の説明として、道徳の二文字を用いているように、倫理と道徳は言葉の意味として密接している。これは大辞林による道徳の意味を見てもわかる。よってここでは、倫理と道徳を共に「倫理」という一つの言葉で表すことにする。

さて、「人として守り行うべき道」「善悪・正邪の判断において規準となるもの」このようなものが普遍的に存在し得るのかどうか。日本においては、戦前の倫理と戦後の倫理は明らかに異なる。また西欧諸国の倫理とアラブ諸国の倫理は明らかに異なる。さらに私の倫理と隣のおばちゃんの倫理が明らかに異なることを私は知っている。このように倫理に普遍性はない。倫理に普遍性がない以上、倫理そのものが存在し得ないことになるが、実際には倫理はそれぞれに存在しているわけで、これは言葉の曖昧さによる矛盾であろう。辞書の示す意味を表し、実際に使用可能かつ正確(安全)な言葉は「倫理観」あるいは「道徳観」である。「-観」が付くことで、倫理も道徳も人それぞれに異なる主観であることが明確になり、集団による統一思想となる危険性は減少する。

倫理と道徳がなぜ危険な言葉であるのかは、大日本帝国、ナチス・ドイツ等の国家主義、民族主義が犯した犯罪や歴史上の多数の宗教犯罪などが証明している。演繹的には、大辞林が説明している「自発的に正しい行為へと促す内面的原理として働く」、これが要点であり重要。自由や平和なども同様であるが、倫理と道徳に比べれば、現時点では危険性は小さい。(自由と平和の名の下にであれば、アメリカを始め地球上のほぼすべての国が犯罪国家であるが、冗長になるので割愛)

とりわけ昨今において、倫理や道徳の文字が記述されている文書等には十分注意すべし。それが、もし文書内に多用され、奨励されていればなおさらである。子供の倫理観や道徳観は、心配せずとも、家庭や集団の中での成長過程において彼らは自然に学んでいく。そもそも倫理や道徳は教え教えられるものではなく(ここが重要!)、自然に「知って」いくものである。その時、彼ら一人一人の倫理観、道徳観が微妙に異なっていれば、その集団や社会は健全であるといえよう。

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2 コメント

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倫理と道徳かぁ~・・・ (kaoaru)
2013-02-20 12:44:36
こういうのもあったのですねぇ~!

「倫理」と「道徳」、一番大きな違いは「曖昧な真中がない」のが道徳ではないでしょうか?

つまり「道徳」は「○」か「×」です。

しかし。「倫理」には「中庸」という、どちらでもないものの定義があります。

だから、「倫理」と「道徳」っていうのは全く別の考え方のもの、という解釈ができます。


おっ、マイコン以外のこと書けたなぁ~!
返信する
なるほど (ホロン)
2013-02-20 21:15:46
「道徳」は○か×という解釈ですね。これもまた真なりかも知れません。しかし何が○で何が×かというとこれがまた難しいんですよねえ。つまり善悪の問題ですね。中庸を取り入れることによって、「倫理」と「道徳」を切り分けてしまう。
斬新ですねえ。(^^)
返信する

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