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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

神仏と萌えキャラ

2009-12-28 23:24:52 | 思索
神仏の像とは一体何だ?

ただの銅板や粘土の塊である像を、人はなぜ崇めたり祈ったりするのか。それらはすべて人の造りしもの。この問いに対し、ある信仰者はこう答えるだろう。神仏の御霊がその像に宿っているのだと。しかしまた、ある信者はこうも答えるだろう。無意味、そこに神仏は居ない。偶像崇拝についての論争は宗教界において延々と続けられている。至極もっともなことだ。

そもそも神仏は観念である。古の画家や彫刻家はその観念を人に似せて形にした。素朴な人たちにとっては、観念を観念として理解するより、(見本となる)形として理解する方がずっとわかりやすいからだ。布教を目的とする時、神像や仏像は大いなる効果を発揮したことだろう。しかしもし今、現代の画家が神仏の像を「萌えキャラ」として描いたとしたら、人々はそれを神体として受け入れるだろうか。

少し前の話だが、「お寺が萌えキャラで大ブレーク」という記事が夕刊フジに掲載された。

「了法寺は先月、同寺の案内看板などに、アキバオタクに人気の歌手兼漫画家、とろ美さんが描くキャラクターを採用。これがネットの掲示板などを通じ一気に広まり、記念撮影目的のオタクファンが連日訪れるようになった。とはいえ、場所柄ワイワイはしゃぎまわることもなく、一様に礼儀正しくお参りして引き上げているという。」
(2009年8月1日17時00分)

写真に見るように、住職は袈裟をまとい鏡のように光沢のある頭の手入れにも余念がない。しかるに順路の案内人は萌えキャラ。数千年に渡り引き継がれた頭と、瞬間に現れたキャラ。別にこのことの是非どうこうをいうわけではない。しかし多くの人が驚くだろうことも疑いない。「らしい」とか「ふさわしい」とか「普遍性」という言葉にどういう役割があるのだろう。

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