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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

消滅する文化

2009-05-08 01:58:01 | 思索
地域固有の風土や文化、伝統や風習といったものは、いずれ消滅しすべてが均一化されるだろう。正に「世界は一つ、人類皆兄弟」である。(TVでこう言ってたお方はあまり好きではないが。)

遠い昔、東京のとある会社で一年ほどアルバイトをしたことがあったが、僕が入社して数ヶ月もすると、僕の席の周囲は関西弁で溢れるようになった。また僕自身にも、言葉の端々に関東弁が現れるようになった。考えてもみよ、今から高々140年前まで、日本人は、ちょんまげをし腰に刀を差していたのだ。それが現在ではどうだ。どこの世界のビジネスマンも皆一様にスーツにネクタイである。この世界の均一化は、著しいメディアの発達(とりわけインターネット)とグローバリズムによって急激に加速している。もしこの先数百年後において、奇跡的に人が生き残っていれば、世界法の元で国は消滅し、みな同じ言語を話し顔形や肌の色まで似通った人々となっていることだろう。これは不可避である未来の結論だ(もし人が生きていればね)。

さて、そして失われていく文化や伝統である。これらを残しておくことに意味があるのだろうか?そもそも文化は時代に適合して生まれたものである。それが時代の変化と共に適合しなくなれば独自で存在する意味はない。もちろん古き時代の良きものを失なうことによる現在という側面もあるだろう。しかし現在に適合しない古き物はモニュメントとして僅かに残るであろうが、実生活ではすべて忘れ去られていくだろう。もし、生きた状態で残す意味があるのであれば教えて欲しい。

あと50年もすれば世界の人々はみな英語で会話していることだろう。このことが最も特徴的であるが、その他の地域、文化もすべて互いに融合し合う。この均一化は少なからぬ良き面を持っている。相互理解が得やすくなるのである。誤解が少なくなれば争い事も少なくなる。

まあ、極論を言ってしまえば「人類補完計画」の発動ととてもよく似ているけどね。

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