杉山平一先生のご息女、初美さんからお便りをいただきました。
同封されていたプリントです。
編集工房ノア社主、涸沢純平さんの「出版というかけがえのない出会い」(「神奈川大学評論」104号より)。
ここに登場する港野喜代子、清水正一、天野忠、永瀬清子さんは、わたしはお会いしたことはなかったのですが好きな詩人です。
そして足立巻一先生は今さら言うに及ばない、今も尊敬してやまない人です。
「ノア創立十周年展」は三宮のサンパルジュンク堂で催されたのでしたが、その時のことでわたしには恥ずかしい思い出があります。
杉山平一先生には何度もお会いし、お便りも頂き、大きな影響を受けました。
とわたしが言っても、ノアの涸沢さんほどのお付き合いはありません。
この涸沢さんの文章、短い中にも心がこもっているのがわかります。
正に「人は文なり、文体は人なり」。
あ、忘れてはいけない、これも書いておこう。
初美さんのお手紙の中の一節。
《(略)晩年、古い手帳をとり出して、ながめながら。詩のヒントのようなものが書かれていたのでしょうか…。
「やはり外に出ないと詩が書けないなあ」とつぶやいていたのを思い出します。》
初美さん、涸沢さん、引用お許しください。
『コーヒーカップの耳』おもしろうてやがて哀しき喫茶店。
同封されていたプリントです。
編集工房ノア社主、涸沢純平さんの「出版というかけがえのない出会い」(「神奈川大学評論」104号より)。
ここに登場する港野喜代子、清水正一、天野忠、永瀬清子さんは、わたしはお会いしたことはなかったのですが好きな詩人です。
そして足立巻一先生は今さら言うに及ばない、今も尊敬してやまない人です。
「ノア創立十周年展」は三宮のサンパルジュンク堂で催されたのでしたが、その時のことでわたしには恥ずかしい思い出があります。
杉山平一先生には何度もお会いし、お便りも頂き、大きな影響を受けました。
とわたしが言っても、ノアの涸沢さんほどのお付き合いはありません。
この涸沢さんの文章、短い中にも心がこもっているのがわかります。
正に「人は文なり、文体は人なり」。
あ、忘れてはいけない、これも書いておこう。
初美さんのお手紙の中の一節。
《(略)晩年、古い手帳をとり出して、ながめながら。詩のヒントのようなものが書かれていたのでしょうか…。
「やはり外に出ないと詩が書けないなあ」とつぶやいていたのを思い出します。》
初美さん、涸沢さん、引用お許しください。
『コーヒーカップの耳』おもしろうてやがて哀しき喫茶店。