またメールが届く。
具合が悪くて入院手術していた父親が退院したという
内容のメールだった。
その少し前に「手術が無事に終わって回復も早い」という
内容のメールをもらっていたので
正直、その父親が退院しようとその後の体調がどうであろうと
私には何の興味もない。
彼女にとって、一時は命の危険にさらされていた父親が
順調に回復しているという喜びを報告している、というよりは
一家の大黒柱・・しかも地元にちょっと幅を利かせている父親が
いなくなったら
自分たちの箔が落ちてしまうという危機を脱した安堵の方が
大きいように思えた。
そういう意味の危機を乗り越え、
「ウチはまだまだ安泰だから」という報告のメールのように
思えてしかたがない。
メールの中に、
「父親に食事制限があるから、食事のメニューを毎日考えるのが大変」という
文章があった。
あたかも自分が主婦かのような発言。
前に「家事はほとんど母親任せ」だと私に言ったのを忘れているのだろう。
「私だって家のことをやっている」
「何でも母親任せの半人前ではない」
しかも今回は食事制限のある中でも
毎日せっせと食事のメニューを考えている、
それだけ大変なことを私はやっている、
というアピールなのだ。
そう、彼女からのメールはほとんどがこの「アピール」。
実際のことは彼女にとってはどうでもいいこと。
単に仕事が忙しい、という言葉の裏にも
「自分はそれだけ人から求められている人間なのだ」という
アピールが見え隠れする。
父親が倒れた時も
父親がなんちゃら協会の会長?か何かをやっているらしく、
その協会の人が朝から何人も家に出入りしていて
物々しい雰囲気になっていると言っていた。
この話を旦那にもしたけど、
旦那も「実際、何かの協会の会長かなんかをやっていて
その人がいなくなったからと言ってこの協会がどうなってしまうのかとか
そういうことじゃなくて、
ただ単に協会の会長さんが倒れたという知らせを聞いて
様子を見に来たっていう程度なんだろうね。」と言っていた。
私が「なんかすごく重篤らしいよ」と言ったら
「また大袈裟に言ってるんじゃないの?」と言っていた。
ウチではもう旦那にまでRがどんな人なのか
見抜かれているのだ。
旦那にそう言われる前から、彼女のその「家が物々しい雰囲気に・・」の
件を見た時に既に私は
「またこんなこと言ってるよ」と思っていたけど。
要は父親はすごい人物なのだということを言いたいのだろう。
しかし今や、これは私だけの価値観だが、
例えRの父親が県会議員や市会議員をやっていたとしても
「だから何?」なのだ。
Rの家が地元では少しばかり権力のある家だったとしても
それがなんだという話。
地元を18年前に出て、
もうすっかり他の土地の人になってしまった私にとって
地元で幅を利かせているおじさんがどれだけすごいかなんて価値観は
まったく関係のないこと。
いや、地元にそのまま残っていたとしても関係ないかもしれない。
しかも、Rの父親は県会議員でも市会議員でもなんでもない、
その何とか協会の会長だか、自治会長だかもやったことがある、
という程度のただの田舎のおじさんだ。
それをあたかも地元の名士かのように言うR。
R自身のこともそう。
いくら独身だと言っても
東京の大きな企業で長く正社員で勤めていて
都会で1人暮らしでもしている、というなら
私もまだ「すごいね」と言える。
独身仲間がたくさんいて、時には女子会をし、
時には海外旅行も楽しんでいるというなら
素直に「Rが羨ましいよ」と言うだろう。
しかし彼女は
未だ独身実家暮らしの田舎のスーパーの品出しパートだ。
仕事ではそれだけ神経をすり減らして
心身共にもういっぱいいっぱいなのだろう、
もうここ何年もレジャーらしきことをしたという話も聞いていない。
にも拘らず
「私は仕事柄なんちゃらかんちゃらだから・・」
「仕事の休憩時間くらいしかメールをする暇もないよ」
「今日久しぶりに座ってコーヒーを飲んだ」
「会社では誰もが羨む地位だよ」
と言う。
実際は大したことのないことを
あれこれ脚色しまくって私にメールしてきてるのが見え見えなのだ。
等身大の彼女は、
確かに独身ではあるけれど、
仕事に挫折した私から見たら、
たかがスーパーのパートとはもはや言えない。
スーパーのパートでも何年も同じ職場に勤めるということの
大変さは、挫折した身ながらもわかるからだ。
仕事での地位がそのまま自分の価値かのような考えを持っている彼女は、
完璧に、そして時には自分の実力以上のことも
無理をしてやっているかもしれない。
もう若くない年代で周りだって甘えさせてはくれない。
年下に従わなきゃいけない場面も出てくる。
単に若い独身の女性もいれば、
自分より若くても結婚している人もいるだろう、
自分より年をとっていても子供がいて孫までいる人もいるだろう、
そんな中で独身でもちろん子供もいないR。
立場の違いから話だって合わないこともあると思う。
特に彼女は、自分の本音・・特に弱い部分を人に見せたがらない。
表面上は人ともうまくはやっているかもしれないが
親しい人は恐らく一人もいないだろうということは
安易に予想できる。
親とは一緒に生活はしてるが
親だってもう70代。
父親は先日倒れたばかり。
10年経ったらどうなっているかわからない。
そんな状況の中でも何年も同じ職場で仕事をして頑張ってきた、
それだけですごいじゃないか、と。
そう、本当にそれだけですごいことなのだ。
それが私の彼女に対する本音である。
それなのに彼女が自分から「私をすごい人だと認めてください」と言わんばかりに
脚色しすぎた話ばかりをメールで書いてこられれば
私だって嫌気がさす。
素直に「それだけですごいのに」とも言いたくなくなる。
人間てそんなもの。
仕事はしていなくても、家のことは全部やっていて
生活を回している私が彼女には大きく見えるのだろうか、
やたら「自分だって家のことをやっている」というアピールもすごい。
そんなアピールなんかしなくたって、
実際彼女が家のことを何もしてなくたって、
親がまだ元気で毎日親に甘えて親が家のことを全部やってくれて
親の作った食事を毎日食べている、というだけで
私は羨ましいのになぁ、と。
それでも彼女がそこまで私にアピールしてくるのは
それだけ彼女が自分蔑視が激しいということなのだろう。
しかしその劣等感を癒すために私を利用するのはやめてくれと言いたい。
そんな脚色で埋め尽くされた文章をいつもいつも読まされるこちらの身にも
なってほしい。
単純に「会社では誰もが羨む地位だよ」なんて
普通友達に言います?
本当にそうなのかということだって怪しいし、
実際そうだったにしてもそんなこと言うかなぁって。
これって私だけに言ってることなのか・・?
他の人にも言ってるのかなぁ。
恐らくだけど、私が仕事をしていないから
そこが唯一自分に勝てるところだと攻撃しやすかったのではと
考える。
例えば正社員とかで働いている人には
言わないんじゃないかと。
もうね、ホントに困った存在のR。
もうメールも本当はやめたい。
具合が悪くて入院手術していた父親が退院したという
内容のメールだった。
その少し前に「手術が無事に終わって回復も早い」という
内容のメールをもらっていたので
正直、その父親が退院しようとその後の体調がどうであろうと
私には何の興味もない。
彼女にとって、一時は命の危険にさらされていた父親が
順調に回復しているという喜びを報告している、というよりは
一家の大黒柱・・しかも地元にちょっと幅を利かせている父親が
いなくなったら
自分たちの箔が落ちてしまうという危機を脱した安堵の方が
大きいように思えた。
そういう意味の危機を乗り越え、
「ウチはまだまだ安泰だから」という報告のメールのように
思えてしかたがない。
メールの中に、
「父親に食事制限があるから、食事のメニューを毎日考えるのが大変」という
文章があった。
あたかも自分が主婦かのような発言。
前に「家事はほとんど母親任せ」だと私に言ったのを忘れているのだろう。
「私だって家のことをやっている」
「何でも母親任せの半人前ではない」
しかも今回は食事制限のある中でも
毎日せっせと食事のメニューを考えている、
それだけ大変なことを私はやっている、
というアピールなのだ。
そう、彼女からのメールはほとんどがこの「アピール」。
実際のことは彼女にとってはどうでもいいこと。
単に仕事が忙しい、という言葉の裏にも
「自分はそれだけ人から求められている人間なのだ」という
アピールが見え隠れする。
父親が倒れた時も
父親がなんちゃら協会の会長?か何かをやっているらしく、
その協会の人が朝から何人も家に出入りしていて
物々しい雰囲気になっていると言っていた。
この話を旦那にもしたけど、
旦那も「実際、何かの協会の会長かなんかをやっていて
その人がいなくなったからと言ってこの協会がどうなってしまうのかとか
そういうことじゃなくて、
ただ単に協会の会長さんが倒れたという知らせを聞いて
様子を見に来たっていう程度なんだろうね。」と言っていた。
私が「なんかすごく重篤らしいよ」と言ったら
「また大袈裟に言ってるんじゃないの?」と言っていた。
ウチではもう旦那にまでRがどんな人なのか
見抜かれているのだ。
旦那にそう言われる前から、彼女のその「家が物々しい雰囲気に・・」の
件を見た時に既に私は
「またこんなこと言ってるよ」と思っていたけど。
要は父親はすごい人物なのだということを言いたいのだろう。
しかし今や、これは私だけの価値観だが、
例えRの父親が県会議員や市会議員をやっていたとしても
「だから何?」なのだ。
Rの家が地元では少しばかり権力のある家だったとしても
それがなんだという話。
地元を18年前に出て、
もうすっかり他の土地の人になってしまった私にとって
地元で幅を利かせているおじさんがどれだけすごいかなんて価値観は
まったく関係のないこと。
いや、地元にそのまま残っていたとしても関係ないかもしれない。
しかも、Rの父親は県会議員でも市会議員でもなんでもない、
その何とか協会の会長だか、自治会長だかもやったことがある、
という程度のただの田舎のおじさんだ。
それをあたかも地元の名士かのように言うR。
R自身のこともそう。
いくら独身だと言っても
東京の大きな企業で長く正社員で勤めていて
都会で1人暮らしでもしている、というなら
私もまだ「すごいね」と言える。
独身仲間がたくさんいて、時には女子会をし、
時には海外旅行も楽しんでいるというなら
素直に「Rが羨ましいよ」と言うだろう。
しかし彼女は
未だ独身実家暮らしの田舎のスーパーの品出しパートだ。
仕事ではそれだけ神経をすり減らして
心身共にもういっぱいいっぱいなのだろう、
もうここ何年もレジャーらしきことをしたという話も聞いていない。
にも拘らず
「私は仕事柄なんちゃらかんちゃらだから・・」
「仕事の休憩時間くらいしかメールをする暇もないよ」
「今日久しぶりに座ってコーヒーを飲んだ」
「会社では誰もが羨む地位だよ」
と言う。
実際は大したことのないことを
あれこれ脚色しまくって私にメールしてきてるのが見え見えなのだ。
等身大の彼女は、
確かに独身ではあるけれど、
仕事に挫折した私から見たら、
たかがスーパーのパートとはもはや言えない。
スーパーのパートでも何年も同じ職場に勤めるということの
大変さは、挫折した身ながらもわかるからだ。
仕事での地位がそのまま自分の価値かのような考えを持っている彼女は、
完璧に、そして時には自分の実力以上のことも
無理をしてやっているかもしれない。
もう若くない年代で周りだって甘えさせてはくれない。
年下に従わなきゃいけない場面も出てくる。
単に若い独身の女性もいれば、
自分より若くても結婚している人もいるだろう、
自分より年をとっていても子供がいて孫までいる人もいるだろう、
そんな中で独身でもちろん子供もいないR。
立場の違いから話だって合わないこともあると思う。
特に彼女は、自分の本音・・特に弱い部分を人に見せたがらない。
表面上は人ともうまくはやっているかもしれないが
親しい人は恐らく一人もいないだろうということは
安易に予想できる。
親とは一緒に生活はしてるが
親だってもう70代。
父親は先日倒れたばかり。
10年経ったらどうなっているかわからない。
そんな状況の中でも何年も同じ職場で仕事をして頑張ってきた、
それだけですごいじゃないか、と。
そう、本当にそれだけですごいことなのだ。
それが私の彼女に対する本音である。
それなのに彼女が自分から「私をすごい人だと認めてください」と言わんばかりに
脚色しすぎた話ばかりをメールで書いてこられれば
私だって嫌気がさす。
素直に「それだけですごいのに」とも言いたくなくなる。
人間てそんなもの。
仕事はしていなくても、家のことは全部やっていて
生活を回している私が彼女には大きく見えるのだろうか、
やたら「自分だって家のことをやっている」というアピールもすごい。
そんなアピールなんかしなくたって、
実際彼女が家のことを何もしてなくたって、
親がまだ元気で毎日親に甘えて親が家のことを全部やってくれて
親の作った食事を毎日食べている、というだけで
私は羨ましいのになぁ、と。
それでも彼女がそこまで私にアピールしてくるのは
それだけ彼女が自分蔑視が激しいということなのだろう。
しかしその劣等感を癒すために私を利用するのはやめてくれと言いたい。
そんな脚色で埋め尽くされた文章をいつもいつも読まされるこちらの身にも
なってほしい。
単純に「会社では誰もが羨む地位だよ」なんて
普通友達に言います?
本当にそうなのかということだって怪しいし、
実際そうだったにしてもそんなこと言うかなぁって。
これって私だけに言ってることなのか・・?
他の人にも言ってるのかなぁ。
恐らくだけど、私が仕事をしていないから
そこが唯一自分に勝てるところだと攻撃しやすかったのではと
考える。
例えば正社員とかで働いている人には
言わないんじゃないかと。
もうね、ホントに困った存在のR。
もうメールも本当はやめたい。