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クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ピエール・モントゥーのシベリウス:交響曲第2番

2011-09-13 10:35:20 | 交響曲

シベリウス:交響曲第2番

指揮:ピエール・モントゥー

管弦楽:ロンドン交響楽団

CD:DECCA UCCD‐7071

 フィンランドをはじめノルウェー、スウェーデンなどの北欧諸国に対し、私は憧れに近い気持ちを持ち続けて、これまで生きてきたわけであるが、残念ながら今迄一度も訪れたことがないのである。そうなると余計憧れが強くなり、グリークやシベリウスなどの音楽を聴くたびに、その自然の光景を想像しながら、北欧の作曲家が作曲した名曲を聴き込む、といった日々を過ごしてきたわけである。その代表的な曲が今回のシベリウス:交響曲第2番なのである。全曲を通じて、何と雄大な構想の下に書かれたシンフォニーであることかを、聴くたびに思い知らされる。同じシベリウスの交響詩「フィンランデア」は、愛国心に火を付けるような、ある意味での政治的背景を持った曲であるのに対し、この第2交響曲は、シベリウスも言っているように、愛国心や祖国愛といったものは、作曲した際にはには想定していなかったようである。つまり、この曲は、自然賛歌の曲であり、そんな北欧の自然のように生き生きとした曲想が身上の曲であり、このことが、現在に至るまで、多くのクラシック音楽ファンの心を掴んで離さない理由であろう。地球規模で自然破壊が進む現在、この曲は何か警告を我々に発しているようでもある。

 シベリウスは、フィンランドの国家的な作曲家であり、生涯に7曲の交響曲を作曲した。7つある交響曲の中で、この第2番が一番聴きやすいこともあり、ビギナーからシニアーに至るまで、クラシック音楽リスナーなら誰でも感銘を受けること請け合いの曲である。シベリウスの交響曲は、時代が経つに従い、その内容が難解となる傾向を帯びてくる。そのためこの第2番に感激したからといって、他のシベリウスの交響曲を聴いて、そう簡単に感銘を受けるかというとそう単純なことでもない。シベリウスは、1925年の交響詩「タピオラ」を作曲した以後は、ほとんど作曲から遠ざかり、91歳の長寿をまっとうしている。つまりこの間30年以上もブランクがあるのだ。この辺はロッシーニに似ている。シベリウスは、「トゥオネラの白鳥」「フィンランディア」「ポポヨラの娘」 「タピオラ」などの交響詩に名曲を残しており、これらの交響詩を聴くと、交響曲以上に親しみの沸く作曲家であることを再認識させられる。これらの交響詩には、強烈な郷土愛といったようなものが聴き取れるし、特に北欧の澄んだ空気に直接触れられる思いが聴くたびに伝わってくるのだ。

 このCDで、ロンドン交響楽団の指揮をしてシベリウス:交響曲第2番を演奏しているのがフランス生まれの名指揮者のピエール・モントゥー(1876年―1964年)である。ボストン交響楽団の音楽監督、サンフランシスコ交響楽団音楽監督などを歴任し、最後は熱烈な招聘を受け、ロンドン交響楽団の首席指揮者を務めた。その指揮ぶりは、少しの派手さもないが、魂の入った指揮とでも言ったらいいのであろうか、実に丁寧に曲自体を歌わせ、自然の響きの中にドラマティックな展開が、ごく自然に盛り込まれている、とでも言ったらいいような指揮を聴かせてくれる。このシベリウス:交響曲第2番の演奏でも、通常の指揮者がやるような、如何にも思わせぶりな人工的な曲の構築といったところからはほど遠く、何と詩的で自然の温もりが肌で感じられるような、優美な演奏を聴かせてくれている。それでいて小さくまとまるのではなく、曲が持つ雄大さが特徴である北欧の自然の輝きを、思う存分その指揮から感じ取れるのである。

 曲を聴いてみよう。第1楽章の出だしからして北欧の澄んだ空気に直に触れるような、自然の温もりを感じさせる楽章である。モントゥーの指揮は、あくまでそんな曲の雰囲気の中にリスナーを自然に誘ってくれるかのようだ。第2楽章は、北欧の神秘感がひしひしと伝わってくるような楽章であるが、モントゥーの指揮は、そんな内省的な楽章を、オーケストラから厚みのある響きを存分に引き出し尽くしているかのようだ。ゆっくりとしたテンポの中に、限りなく確信に満ちたような意思力が顔を覗かせており、立体感のある雄大な語り口に圧倒させられる。第3楽章は、スピード感を持ったオーケストラの響きが時折効果的な演出力を発揮する。この辺の語り口のうまさは、モントゥーの独壇場であり、オーケストラが共感を持って演奏していることが手に取るように分る。そして最後のクライマックスへと向かう第4楽章が始まる。この楽章は、あらゆる交響曲の最終楽章と比べてみても、その出来栄えは取り分け突出していると言っても過言なかろう。そんな終楽章を、モントゥーとロンドン交響楽団は,決して表面的に演奏することなく、自然の心の高揚感をもって表現する。そのため、その説得力は凡庸な指揮者の何倍にもなってリスナーの胸にぐさりと突き刺さる。(蔵 志津久)   


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