リスト:交響詩「前奏曲」
ハンガリー狂詩曲第2番/第4番/第5番
メフィスト・ワルツ
指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
管弦楽:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
CD:ドイツグラモフォン POCG 5053
このCDは、「巨匠カラヤンの名演できく名曲CD30選『カラヤン文庫』」と銘打ったシリーズの中の1枚で、リストの管弦楽曲を集めたものだ。私は、リストの作曲した曲は、ピアノソナタが断トツに好きだが、その次はというと、このCDに収められた交響詩「前奏曲」ということになる。クラシック音楽を聴き始めたときから愛聴しているので、もう何回聴いたか知れない。リストの「前奏曲」は、聴くなら若いときが一番いい。それは、これから広がる人生の船出のときに聴くと、何か心がうきうきとし、自然にやってやるぞという若い力が漲ってくる曲であるからだ。
カラヤンの指揮は、リストが交響詩「前奏曲」で言い表したかったであろう、高揚感であるとか、夢のような表現力を、十全に表現しきっているところは、さすがカラヤンだと言いたくなる。何度も書いてきたが、アンチ・カラヤン派(なんとなくアンチ・ジャイアンツに似ている)という人々がおり、その主張は分らないわけではないが、リストの「前奏曲」のような曲では、例え、アンチカラヤン派でも、その表現力の適切さ、勇壮な構成力、説得力、そして分りやすさについては、認めざるを得ないと思う。カラヤンの偉大さは、ともすると曖昧模糊としたクラシック音楽を、誰にでも分りやすく、丁寧に再構築して聴かせてくれたことだと私は思う。
このCDは交響詩「前奏曲」を聴こうと思って買ったのであるが、3曲のハンガリー狂詩曲が収められあり、これを聴いてみたら、あまりの凄さに唖然とした。私はこのCDを聴く前、リストのハンガリー狂詩曲の印象はというと、何か雑然とした印象しかなく、コンサートでも、本命の曲の合間に演奏されるか、アンコール曲という脇役の曲だと思っていた。だから、これまで積極的には聴こうとは思っていなかった。ところがである。このCDを聴き、従来の考え方が一変した。リストの有名なハンガリー狂詩曲が、カラヤンの手にかかると、脇役どころか、堂々と主役の座を占められる曲へと変貌を遂げるのだ。何という深みがあり、見せ場もあり、何か手に汗握るといったらいいのか、スケールの大きな堂々とした曲だったんだなと、思わず見直した。
このCDはベルリンのイエス・キリスト教会で録音されたものであるが、録音時期が大分違う。「前奏曲」とハンガリー狂詩曲第2番が1967年4月、第4番が1961年2月、第5番が1960年12月、そしてメフィスト・ワルツが1971年9月である。何で録音時期を書いたかというと、この間の10年でカラヤンの演奏スタイルが大きく違っていることが分るからだ。一番若いとき(52歳)に録音したハンガリー舞曲第5番が圧倒的に充実度が高い。何か大交響曲ようにすら聴こえるのだ。それに対して59歳のときに録音したメフィスト・ワルツは、カラヤン節を後ろに引っ込めたような、物分りのいい指揮ぶりとでも言ったらいいのであろうか。これを一般的には円熟の境に達してきたと言うのであろうが、私は若い頃のカラヤンの方ずっと好きだ。それにしても、もうカラヤンは死んでしまったんだと考えたら、生の演奏を聴いた一人として、何か無性に悲しくなってしまった。(蔵 志津久)