★ 私のクラシック音楽館 (MCM) ★ 蔵 志津久

クラシック音楽研究者 蔵 志津久によるCD/DVDの名曲・名盤の紹介および最新コンサート情報/新刊書のブログ

◇クラシック音楽CD◇ズービン・メータのストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」「ペトルーシュカ」

2015-12-01 14:33:19 | 管弦楽曲

①ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 

   第1部:大地への讃仰 
         序奏/春のきざしと若い娘たちの踊り/誘拐の遊戯/春のロンド/
         競い合う部族の遊戯/賢者の行進/賢者/大地の踊り
   第2部:いけにえ
         序奏/乙女たちの神秘な集い/選ばれた者の讃美/
         祖先の霊への呼びかけ/祖先の儀式/いけにえの踊り~選ばれた乙女    

②ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ペトルーシュカ」 (1947年版)

   第1場:謝肉祭の市場
          ヴィヴァーチェ/人形使い/ロシアの踊り
   第2場:ペトルーシュカの部屋
   第3場:ムーア人の部屋
          フェローチェ・ストリンジェンド/バレリーナの踊り/ワルツ:バレリーナとムーア人
   第4場:謝肉祭の市場(夕方)
          コン・モート/乳母たちの踊り/熊をつれた農民の踊り/ジプシーたちと行商人の踊り/
          御者たちの踊り/道化師たちの踊り/乱闘(ムーア人とペトルーシュカ)/
          ペトルーシュカの死/ペトルーシュカの亡霊

指揮:ズービン・メータ

管弦楽:ニューヨーク・フィルハーモニック

CD:ソニーミュージック SICC 1938

 このCDは、ズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルによるストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」/バレエ音楽「ペトルーシュカ」を収録したもの。ストラヴィンスキーのバレエ音楽は、「火の鳥」「ペトルーシュカ」そして「春の祭典」の3部作として知られる。ストラヴィンスキーは、まだ無名時代の1909年に管弦組曲「花火」をペテルブルグで初演した。たまたまこれを聴いていたロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフは、その新鮮な音楽に引き付けられ、バレエ音楽の作曲を依頼。そうして完成したのがバレエ音楽「火の鳥」である。1910年に初演され、大成功をおさめ、ストラヴィンスキーは作曲家として名が知られるようになる。この 「火の鳥」は、後期ロマン主義的色彩が濃い作品だが、同時にロシア的、さらには「春の祭典」で楽壇を騒然とさせることになる原始主義音楽を含む内容となっている。バレエ音楽「火の鳥」が初演された1910年に、ストラヴィンスキーは、憐れな人形を題材に取ったピアノと管弦楽のための作品を書き始めていた。たまたま訪ねてきたディアギレフにその一部を聴かせたところ、ディアギレフは、バレエ音楽にすることを強く勧め、その結果、1911年にバレエ音楽「ペトルーシュカ」が完成することになる。そして管弦楽用組曲、ピアノ独奏曲、ピアノ連弾用の編曲も行われた。このバレエ音楽「ペトルーシュカ」は、大変優雅な香りが漂う、楽しい曲に仕上げられており、ストラヴィンスキーの作品の中でも、一際ポピュラーな人気作品として愛好されている。これら2曲のバレエ音楽の作曲の後の1913年に、ストラヴィンスキーは、問題作であるバレエ音楽「春の祭典」を完成させる。同じ年のパリのシャンゼリゼ劇場での初演の時、聴衆は騒然となった。それは、これまで聴いたことのないような、原始主義音楽が鳴り響いたからだ。この1曲の出現だけで、後期ロマン派や印象派の音楽は、終焉したとされる。バレエ音楽「春の祭典」は、それだけ大きなパンチ力を秘めた、音楽史上特筆される作品なのだ。

 このCDで指揮しているのは、インド出身の名指揮者のズービン・メータ(1936年生まれ)である。1954年にウィーン国立音楽大学に留学し、1958年にリヴァプールで行われた指揮者の国際コンクールで優勝して、一躍注目されることになる。1961年モントリオール交響楽団音楽監督、1962年ロサンジェルス・フィルハーモニック音楽監督にそれぞれ就任。さらにミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団名誉指揮者、バイエルン州立歌劇場音楽総監督を務める。その後、1978年~1991年の13シーズンにわたってニューヨーク・フィルの音楽監督を務めた。これは、歴代のニューヨーク・フィル音楽監督の中でも最長の任期記録を打ち立てた。その間、1981年よりイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団の終身音楽監督に就任している。これに加え、これまで5度(1990年、1995年、1998年、2007年、2015年)、ウィーン・フィル新年恒例のニューイヤーコンサートで指揮を行っている。これだけを見れても、如何にズービン・メータの人気が高いかが分かる。初来日は1969年。以後度々日本を訪れ、日本でも多くのファンを持っている。2011年3月、フィレンツェ歌劇場を率いて来日中に、都内で東日本大震災に遭遇。大震災の影響で外国人指揮者の演奏会の多くがキャンセルされる中、ズービン・メータは2011年4月再び来日し、ベートーヴェンの「第九」を指揮し、聴衆の圧倒的支持を得た。このCDは、1960年代に同じ2曲をロサンゼルス・フィルと録音したものに続く2度目の録音で、巨匠まだ40代の時の録音である。

 バレエ音楽「春の祭典」 は、選ばれた乙女が祭壇の前で死ぬまで踊ることによって、春の神の心をやわらげようというストーリーによっている。ストラヴィンスキーの最初のバレエ音楽「火の鳥」で現れた原始主義音楽が、この「春の祭典」において全面的に使われ、このことが楽壇にセンセーションを巻き起こすことになる。ストランヴィンスキーの自伝によると、「火の鳥」の最後の部分を書いているときに、原始宗教教徒の祭典の幻想をみて、「春の祭典」 を書くことを思いついたという。この「春の祭典」を聴くと、原始的な粗野で大胆なリズムが極限まで強調され、それまでのロマン派の音楽や印象派の音楽に慣れ親しんできた聴衆は、その迫力に度肝を抜かれることになる。初演では、この烈しいリズムが演奏されると、多くの聴衆が大声をあげたり、床を踏み鳴らすなど、演奏会場は大混乱に陥ってしまったという。当時の楽壇を揺るがす大論争となったわけでる。その後、1937年にカール・オルフ(1895年―1982年)が原始主義音楽に基づいた「カルミナ・ブラーナ」を発表するなど、ストラヴィンスキーが切り開いた原始主義音楽は楽壇に定着していく。ちなみに、ストラヴィンスキーは、その後の1920年代には新古典主義へと転向し、さらに、1950年代に入るとシェーベルクによって創始された音列技法へ進むことになる。このCDのズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルは、曲の細部まで目の届いた緻密な演奏である一方、力強く、スケールの大きな演奏内容を聴かせる。ストレートに「春の祭典」の真髄が聴き取れ、ジュニアからシニアのリスナーまで、幅広い支持をえる演奏内容だ。色彩感覚に富んだ演奏は特筆もの。

 バレエ音楽「ペトルーシュカ」は、ロシア・バレエ団の主宰者ディアギレフの協力者で、台本作家兼画家であるブノアが、1830年ごろのペテルブルグの謝肉祭を舞台に書いた憐れな人形ペトルーシュカの物語。バレエ第1場は、謝肉祭の市場の雑踏。小屋の幕が上がると、ペトルーシュカ、ムーア人、そしてその他の人形が躍る。第2場は、ペトルーシュカの部屋。見世物師に蹴飛ばされ、部屋に放り込まれたペトルーシュカが悲しみに沈む。第3場は、ムーア人の部屋。ペトルーシュカがムーア人の部屋へ入ってきて喧嘩をする。最後の第4幕は、夕方の謝肉祭の市場の賑わい。ムーア人に追われたペトルーシュカは、ムーア人に切りつけられて死ぬ。やってきた人形使いは、その死体を小屋に引っ張っていく。すると、小屋の上にペトルーシュカの幽霊が現れる。このように全体のストーリーは、陰惨な感じが強いが、ストラヴィンスキーが書いたバレエ音楽「ペトルーシュカ」は、実に爽やかで、あたかもフランス音楽を聴いているかのような錯覚さえ覚える。聴きやすく、馴染みやすい。ストーリー自体が、陰惨なため、音楽は逆に明るいものにしようという意図が感じられる。これは、興行成績を考慮したディアギレフの意向が強く反映したためではなかろうか。ストーリーも悲惨、音楽も悲惨では誰もバレエを見に行こうとはしないだろうから。ここでのズービン・メータ指揮ニューヨーク・フィルは、実に色彩感溢れた演奏思う存分展開する。ズービン・メータは、一切ぶれることなく、真正面から曲に取り組んでいるが、決して硬くならずに“道化師劇”の軽ろやかさが素直に伝わってくる。(蔵 志津久)


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