高校生の頃、好きだった曲は沢山ありますが、「ドナウ川のさざ波」という曲も好きでした。
まだ、西洋の音楽を良く知らない聴き始めの頃ですので、メロディーがはっきりしていて、途中でテンポやメロディーが崩れず、最初から最後まで同じ調子の曲で、口ずさめるような曲が好きでした。
いま、その曲を聞きながらブログの更新を始めたところです。
先日、雀が冬の間に姿が見えなくていたが、群れて戻ってきたという話をしましたが(3月5日)、あれ以来あちこち回遊してまわっているのか、ときどき十羽前後でやってきています。今日は一二羽の放れ雀が来ていました。まだ咲いていない梅の枝に止まっていて、写真を撮るあいだじっとしていてくれていました。やっぱり雀はかわいらしいです。
聞くところによると、雀は里にしか居ないとか。少しは人家のない、たとえば田んぼあたりに居ることはありますが、おおむね田んぼのような所も含めて人が生活している範囲内にいるようです。
そう言われて見れば、本格的な山にはいないような気がしてきました。
堆肥の中に種が混じっていたようで、植木鉢から発芽した菜種が採れました。これはノラボウ菜ではないようです。
町内に、このような遺跡があります。この付近に団地を造成したときに整地をし、遺跡の碑を立てたようです。元は深い林で、そこに遺跡があるなんて想像もできませんでした。もっとも、この土地を所有していた人は、もっこりと土が盛り上がっていたことは知っていたでしょうが。
田んぼのあるところから、ちょっと丘に上がったところに古墳が多少あったようです。古墳は墓ですから、集落の中にはたぶんなくて、集落は少し離れたところにあったのだと思います。田んぼのある所には川が流れています。生活するには水が必要です。水から遠いと運ぶのが大変ですので、水の近くに住んでいたのでしょう。
田んぼを挟んで、両側の10m程度の低い丘には土器やら石器が沢山採れたそうです。土器のあるところは畑が多いので、砕けてしまった土器の破片が今でも沢山散らばって見られます。
そういう物は見つかるのですが、住居跡は見つかりません。たぶん、時代が変わっていくに連れ、壊されて新しい形式の住居ができたり、畑になってしまい、耕作されて平になってしまったのかも知れません。
昔のことは知りたいのですが、なかなかこれ以上の資料となるようなものは残っていないので、いつまで経っても謎のままです。他所の地域で発見されたものを元に推測するほか無いようです。