世界がスパコンの速さを競う中、理化学研究所で「世界最低速の計算機」が開発された。そのうえ、単細胞でときどき間違えるのが特長という。まるで私のようだ-と思ったら大正解。人間の脳のように情報を処理する未来の計算機のヒントがその中にあるのだという。 (永井理)
地下の一室。ガラス扉のついた箱の中に、防犯カメラのようなものが下向きに付けられた装置がある。「これが世界最低速の計算機です」と原正彦さん。物質の“揺らぎ”を利用した研究を進める国際連携研究グループのディレクターだ。
■動く粘菌
カメラの真下の台にはボタンほどの大きさの金色の円盤がある。「中心に小さな粘菌を置いて計算をさせています」。実際に計算機を作った青野真士(まさし)研究員は説明する。この円盤がコンピューターチップだという。カメラで粘菌の動きを検知して全体を制御する。
粘菌はアメーバ状の単細胞生物。一、二分の周期で伸び縮みを繰り返しながら、体をどろどろと変形させて移動する。目立たないが野山に普通にいるという。しかし計算ができるとは?
八年前、北海道大の中垣俊之准教授らは粘菌が迷路を解くことを発見した。迷路に粘菌を入れ、入り口と出口に餌を置く。粘菌は迷路全体に広がるが、餌を見つけると、その二点を結ぶ最短経路に沿って縮んで効率よく栄養をとる。この発見で中垣さんは今年のイグノーベル賞に輝いた。
伸び縮みして答えを探す。この計算機もそこは共通だが、何度も伸縮を繰り返すところがポイントだ。
■問題に挑戦
計算機は「巡回セールスマン問題」を解いているところだった。四つの都市ABCDを一度ずつ訪ねて元に戻る場合、どう回れば効率的かを決める問題。都市数が増えると計算量が急増する難問だ。
円盤を詳しく見ると中央に十六本の放射状の溝があり、中心に縮まった粘菌がいる。溝にはA1~A4、B1~B4、C1~C4、D1~D4の番号がついている。例えばB3は「B市を三番目に訪問する」ことを指す。
やがて粘菌が、いろいろな溝に“手”を伸ばし始める。図中央の答えのように最終的に「A4、B3、C2、D1」の溝に手を伸ばすと、DCBAの順に都市を回るという答えを表す。
同じ都市は二度訪問できない。Aの溝を二度選ばないよう、いったんAを選ぶと、ほかのAの溝に自動的に強い光が当たる。粘菌は光を嫌うので残りのAには手を出しにくい。こうしてルールを与えると、一時間ほどで四本の溝に手を伸ばして答えに達する。
普通の計算機はこれで終わるが、この計算機は違う。伸縮を繰り返す性質のため、粘菌は再び手を縮めて答えをご破算にし、別の答えを探し始める。
この問題は正解の逆回りも正解だ。そんな残りの解も探す。途中たまに間違って少し遠い道順を示したり、ごくたまに最悪の遠回りを選ぶこともある。この計算機は「だいたい正しい答え」を見つける能力を持つのだ。
原さんは「サッカーで最適なパスを厳密に計算すると時間がかかる。人間はだいたいよさそうなコースにパスを出し、十回に一回ぐらい得点を得る」と、その能力の重要性を説明する。今の計算機の苦手な分野だ。
粘菌は、体のある部分を縮め、タイミングを合わせて別の部分を膨らませて移動する。「収縮や膨張が伝わる様子は、脳の神経を信号が伝わるパターンそっくり」と青野さん。時間がかかるのが泣きどころだが「粘菌の動きを支配する仕組みが分かれば、もっと速い材料で置き換えられる」と、生物学者や物理学者とも研究を進める。
本物のセールスマンなら「DとBが近ければうまく回れるのに」とボヤくかも-と思ったら、そんな機能も研究中という。粘菌の動きに応じて都市間の距離設定を変え、それぞれの場合に最短順路を決めさせるのだ。
自ら問題を設定して考えられれば、応用は大きく広がり、また一つ人間に近づく。
<記者のつぶやき> 粘菌の揺らぎで計算する。間違うし愚痴もこぼす。二度計算しても同じ答えを出すとは限らない。何とも言い難い魅力がある。
[中日新聞 2008年11月04日]
http://www.chunichi.co.jp/article/technology/science/CK2008110402000183.html
【「単細胞が迷路解く」受賞 イグ・ノーベルで中垣氏ら】
【ケンブリッジ2日共同】ユーモアにあふれた科学研究などに贈られる「イグ・ノーベル賞」の授賞式が2日、米マサチューセッツ州ケンブリッジのハーバード大で開かれ、アメーバのような動きをする単細胞生物「真正粘菌」が迷路の最短距離を導き出すことを発見した研究で、北海道大の中垣俊之准教授ら6人が認識科学賞を共同受賞した。
人間にとっても難しい迷路の探索を、脳も神経もない粘菌ができることを発見した点が評価された。受賞あいさつで、中垣氏が「日本の辞書で単細胞は頭が悪いと書かれているが、単細胞はわれわれが考えてきたよりずっと賢い」と話すと、数百人の観客から拍手と歓声を浴びた。
中垣氏らの研究では、3センチ四方の迷路に粘菌を置くと、最初はすべての道に体を伸ばす形でふさいでしまうが、迷路の入り口と出口に食べ物を置くと、最短距離だけを結ぶようになった。
[共同通信47NEWS 2008年10月03日]
http://www.47news.jp/CN/200810/CN2008100301000200.html
理化学研究所/北海道大学 プレスリリース
■理化学研究所プレスリリース
粘菌が迷路を最短ルートで解く能力があることを世界で初めて発見
http://www.riken.jp/r-world/info/release/press/2000/000926/index.html
世の研究室では、ほんとうにさまざまなことが研究されているんですね。
粘菌‥脳も神経も無いとはいえ、生命の持つ能力の不思議と、この現象を発見した研究グループの探究心に感動しました。
二年連続受賞、っていうのもなんだか嬉しいですね。