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シネマ見どころ

映画のおもしろさを広くみなさんに知って頂き、少しでも多くの方々に映画館へ足を運んで頂こうという趣旨で立ち上げました。

「父と僕の終わらない歌」(2025年、日本映画)

2025年07月09日 | 映画の感想・批評
原案はイギリスの実話。2016年にイギリス史上最高齢の新人歌手が誕生。アルツハイマー型認知症を患うテッド・マクダーモットがCDデビューを果たす。テッドの息子が楽しそうに歌唱する父親の姿を動画サイトにアップしたことがきっかけという。

舞台を横須賀に置き換えての本作。
かつてプロ歌手を目指した間宮哲太(寺尾聡)。息子の誕生を機にその夢をあきらめたが、楽器店を営みながら地元のステージで歌声を披露し、町の人気者として活躍してきた。
東京でイラストレーターとして仕事をしている息子の雄太(松坂桃李)が幼馴染の結婚式に出席するために、横須賀に戻ってくるが、迎えに来るはずの父親が道を間違えたのか、現れない。どうにか結婚式には一緒に参列でき、父哲太は自慢の歌を披露することができた。
しかし、哲太はたびたび自宅の場所がわからなくなるなど、家族は不安が高じて、受診を勧め、アルツハイマー型認知症と診断される。
父の病気の進行を食い止めたい家族は、父の愛車(大きなアメ車)のカーステレオにカセットテープを差し込み、父が大好きだった歌を次々とかけ、一緒に熱唱する。その生き生きした姿を息子はスマホで撮影してSNSにアップしていく。楽しそうに歌う父の歌声は瞬く間に人気を博し、ついにはCDデビューの話が持ち上がるが、たまたま息子の手掛けたイラストが広告媒体にのっかり、それとCDデビューの話が重なったことで「ステマ」と揶揄され、父も息子も追い込まれてしまう。
ひたすら陽気だった父の病状は深刻化し、人格が変わったかのように暴力をふるい、妻(松坂慶子)をも混乱させる。実はそこには彼なりの理由があったのだが。「何かを必死で探している!」
家族はただただ戸惑うばかり。施設入所まで考えた息子だったが、「お父さんと最後まで一緒に寄り添いたい」という母の言葉に立ち止まる。
狂ったように探し物をしていた父はようやく目的のものを見つけ出し、息子はもう一度父をステージに立たせたいと準備を進める。果たして、そのステージに父は立てるのか!?

松坂慶子の母親、明るくて本当にチャーミング。どんとこいとどっしり構える姿がとても心強い。衣装もカラフルで可愛くて、こういう歳の重ね方をしたいと、お手本に見ている。
桃李君、今年も映画やドラマで大活躍。テレビドラマ『御上先生』、映画「フロントライン」では官僚役がぴったり。そういえば「新聞記者」でも悩める官僚だったっけ。
本作では、父の認知症に悩みつつも、とことん寄り添う息子の鑑。やわらかい役もよく似合う。
寺尾聡の歌がまたいい。目的はここにあったのよ。エンドロールではチャップリンの「スマイル」の日本語歌詞が字幕で流れる。どうやら監督さん自身の訳詞らしい。ずっと口ずさんでしまう。パンフレットをようやく購入して、記載されていることを期待したが、残念!!!
ライブシーンもよかったが、大きなアメ車の中で親子で歌うシーンが本当に素敵で、英語の歌詞は無理でもメロディーを口ずさみ、身体を揺らしてしまう。

認知症の表現、それぞれ症状のあらわれ方は違うのだが、見境なく行動しているのではなく、きちんと理由があること、その人のルーティーンワークを奪わないことなどなど、対処の仕方も知ることができた。
とはいえ、今後迎える自らの老年期、「認知症になって性格変わって荒れたらどうしよう」とぼやいたら、同級生の友人が『年を取ることは未知との遭遇なので楽しみたい』とコメントをくれる。そうよね、力強いわ。
(アロママ)

監督:小泉徳広
脚本:三嶋龍朗、小泉徳広
撮影:柳田裕男
原案:サイモン・マクダーモット:(「父と僕の終わらない歌」 浅倉卓弥 訳(ハーパーコリンズ・ジャパン))
出演:寺尾聡、松坂慶子、松坂桃李


「罪人たち」(2025年 アメリカほか)

2025年07月02日 | 映画の感想・批評
 タイトルは「つみびとたち」と読ませます。原題は聖書に依拠しており、犯罪者ではありません。アメリカ本国でずいぶん評価が高いにもかかわらずノーチェックでした。上映館も少ないので見逃すところでしたが、見てびっくり。吸血鬼マニア必見の秀作でした。
 まずもってこの映画の特長は着想にあると見ます。黒人音楽(ブルース)と吸血鬼伝説を結びつけるなどというアイデアはあまり誰も思いつかないことです。
 1932年10月という時代設定。場所はミシシッピー州北西部のデルタと呼ばれる地帯。アラン・パーカー監督の秀作「ミシシッピー・バーニング」(1988年)を持ち出すまでもなく、人種差別の苛酷なところです。南北戦争後の奴隷解放によっても南部諸州ではジム・クロウ法という人種隔離の法令がまだ効力を有していて、完全に撤廃されるのは1964年というから驚きです。
 冒頭、野原を走って来た車が停まる。その背後には馬車があって馬がつながれている。これだけで時代背景を一気に見せるのです。因みにアメリカで一般に車の普及率が50%を超えるのはまさにこのころで、馬車と併存していたのです。これぞ映画です。
 左頬にかぎ爪で引っかかれたような傷跡のある満身創痍の若者がギターの柄を片手に車から降りて、ぽつんと建つ白い教会の扉を開けると、そこでは会衆を前に子どもたちが聖歌をうたっている。その横に立っていた牧師が若者を見て「息子よ」と叫んで駆け寄るや、「音楽は悪魔を呼び寄せる。金輪際ギターはやめろ!」と声を振り絞るのです。音楽が反道徳とみられていた時代のプロテスタントの倫理観がみごとに出ています。
 そうして、物語は1日前に遡ります。
 地平線の向こうまで果てしなく続く綿花畑で老若男女の黒人たちが裸足で綿を摘む日常が描かれます。シカゴ帰りの双子の黒人が不正な手段で大金を手に入れたのか、製材所あとの大きな建物を購入し、そこで酒場を開いてひともうけする算段です。黒人バンドや歌手を雇ってシカゴばりのクラブにしようというわけです。双子の年少のいとこが冒頭の若者ですが、かれに店でギターを弾かせようと誘います。こうして街でピアノ弾きを雇い料理の具材を調達し、善は急げとばかりにその日の夜にあわただしく開店するのです。
 好事魔多し。そこへ邪悪な者が寄って来る。音楽が悪魔を呼び寄せたのです。あとは、ラストまで一直線の吸血鬼ホラーとなるのです。
 悪魔がクラブに闖入する前に繰り広げられる開店祝賀ムードのお祭り騒ぎがミュージカル風に展開されて、思わず体がスイングしそうです。この音楽シーンも圧巻です。
 新たな吸血鬼映画のレジェンドが誕生したことは喜ばしい限りです。(健)
 
原題;Sinners
監督:ライアン・クーグラー
脚本:ライアン・クーグラー
撮影:オータム・デュラルド・アーカポー
出演:マイケル・B・ジョーダン、マイルズ・ケイトン、デルロイ・リンドー、ウンミ・モサク

「国宝」(2025年 日本映画)

2025年06月25日 | 映画の感想・批評
 1964年の長崎。任侠の世界の子として生まれた喜久雄は暴力団の抗争で父親を亡くす。父の仇を討つために背中に刺青を入れ、対立する組の親分を殺そうとするが失敗。1年後、15歳の時に上方歌舞伎の名門の当主・二代目花井半二郎に引き取られて部屋子となる。喜久雄を慕う春江は自らも背中に刺青を入れて喜久雄の後を追った。半二郎は喜久雄と同い年の息子・俊介を一対の女形として売り出そうと考え、「二人藤娘」を演じさせて大当たりさせた。二人は当代一の女形の万菊の薫陶を受けながら、歌舞伎役者としての人生を順調に歩み出したかに思えた。
 ある日、事故で入院して舞台に出られなくなった半二郎は、妻・幸子の反対にもかかわらず喜久雄を代役にした。俊介は無力感に襲われるが、緊張して手が震える喜久雄のために化粧をしてやった。喜久雄は見事に代役を果たすが、その陰で俊介は逃げるようにして姿をくらます。失踪する俊介に付き添ったのは意外にも喜久雄の恋人・春江であった・・・

 3時間に及ぶ上映時間を感じさせない程、次から次へと事件が起こり、変化と意外性に富んだドラマに仕上がっている。時間軸に沿って年代史的にエピソードをまとめ、大河ドラマのように主人公の半生を描いているので観客はストーリーをつかみやすい。化粧する役者の表情やせり上がり舞台で出番を待つ緊張の瞬間等をカメラがとらえていて、絢爛たる歌舞伎界のバックヤード(舞台裏)を見せくれる。実際の歌舞伎の舞台を使って見せ場となる場面(「二人道成寺」「曾根崎心中」「鷺娘」・・・)を撮影しているので、映画全体にリアルで華やかな印象がある。また梨園の名跡の継承問題というデリケートなテーマを扱っているのも興味深い。
 ただ本作品のテーマである血統問題については掘り下げきれなかった感がある。梨園の生まれではない喜久雄は歌舞伎界では主役になれないという悩みを抱いていたが、実際には二代目花井半二郎は自身の代役や後継者(三代目)を喜久雄に決めている。血統よりも才能や実力を優先していることは明らかだ。死ぬ間際に俊介の名を呼んだのは実子だから当然で、二代目は親子の情と役者の実力をはっきりと分けて考えている。
 マスコミが喜久雄の出自をスク―プしたからと言って、三代目半二郎の名跡を奪われるわけではなく、二代目は喜久雄がヤクザの息子であると知っていて後継者にしたのだから、出自によって差別されてはいない。最終的に人間国宝になるのだから、歌舞伎界は血統より才能や実力を重視しているという結論になる。むしろ実力では劣るらしい息子の俊介が三代目になった方が血統と才能の問題をよりクローズアップすることができたのではないか。おそらくその方が現在の歌舞伎界の現状をよりリアルに反映しているのではないかと思う。
 喜久雄は三人の女性と交際しているが、どの女性との関係も深掘りされておらず、消化不良の感が否めない。それに対して深く濃密に描かれているのが俊介との関係だ。本来ライバルであるはずの二人だが、限りなく愛情に近い友情を抱いていて、それが本作品の主要テーマになっている。肉体的な関係はないので同性愛やBLではないが、愛に似た友情によって結ばれているので、フランス映画によく出てくるホモソーシャルな関係と言ってもいいかもしれない。女性関係を掘り下げて描かなかったのは、二人の関係の描写に重点を置きたかったからではないか。
 芸道映画というジャンルがある。溝口健二の「残菊物語」や成瀬巳喜男の「鶴八鶴次郎」、また谷崎潤一郎原作の「春琴抄」のようになんらかの形で芸の精進を主題にしている作品だ。男女の恋愛や師弟愛を背景としながらも、主人公が芸に悩みつつ芸を極めていくところが話の核となっている。「国宝」は芸能の世界を描きながらも、不思議に芸道映画の匂いがしない。喜久雄にしろ俊介にしろ芸の精進でもがき苦しむところがなく、技芸について語る場面もない。あくまでも「国宝」は血統の問題に焦点を当てた友情物語として描かれている。
 三島由紀夫に「女方」という歌舞伎の女形を描いた短編小説がある。主人公の名は万菊といい、モデルは三島が傾倒していた六代目中村歌右衛門だと言われている。おそらく「国宝」の万菊はここからイメージをとっているのではないかと思うが、興味深いのは小説「女方」の中で元禄時代に書かれた「あやめぐさ」という芸談集が取り上げられていることだ。この本の中で女形は舞台だけではなく日常生活でも女性になりきらなければならないと説かれていて、楽屋での弁当の食べ方まで指南している。後世の女形に多大な影響を与えた書だが、要するに女形とは日常が大事ということらしい。
 「国宝」の喜久雄は舞台上では華やかな女形を演じているが、日常生活はやはり「男性」であるように感じる。女性が乱闘しないというわけではないが、少なくとも優れた女形は普段の生活では取っ組み合いの喧嘩はしないと思うのだが、どうだろう・・・しかし最近は名門の女形の嫡流でもDV事件を起こすようだから、女形というものはむずかしい。(KOICHI)

監督: 李相日
脚本: 奥寺佐渡子
撮影: ソフィアン・エル・ファニ
出演: 吉沢亮 横浜流星 高畑充希 渡部謙 寺島しのぶ 田中泯

「かくかくしかじか」(2025年 日本映画)

2025年06月18日 | 映画の感想・批評
 漫画家・東村アキコの自伝的漫画「かくかくしかじか」を実写映画化。漫画家を目指す少女と恩師である絵画教室の教師との9年間に渡る軌跡が描かれる。ネット情報によると、原作者の東村アキコは、映画化を断ってきたらしいが、永野芽郁と大泉洋が出演をOKしたとのことで、自ら脚本を手掛け、製作にも名を連ねて、映画化されたようだ。それだけ本作には思い入れが深いということだろう。
 舞台は、宮崎県の田舎町。幼い頃から漫画が大好きな高校生の林明子(永野芽郁)は、持ち前の明るく曲がった部分のない性格に加え、家族にも学校の先生にも、褒めちぎられてマイペースで生活していたが、さすがに受験があるということで、漫画家になる夢を叶えるべく、まずは、美大合格を目指して、地元の絵画教室に通うことにした。元々、それ程、通う気持ちもあまりなく、月謝が安かったから通う程度だった。ただ、そこで出会ったのは、竹刀を振り回す超スパルタ教師の日高(大泉洋)だった。教室内は、生徒達の意見は全く聞かない切り詰めた雰囲気。どんな状況でも、描くことを止めさせない。容赦なく出される課題。ダメ出しの連続。ただ、体調不良を理由にサボったりすると、逆に親身になってくれて、何となく通い続けることになる。
 何だかんだあった後、林は、無事に美大を卒業し、地元宮崎で就職するが、漫画や絵画とは全く関係ない仕事で、怒られてばかり。このままでは自分が中途半端になると思い、少女漫画に投稿し続けると、それが取り上げられ、「漫画」の世界で生きることを決心するが、日高の想い(絵画を描き続けること、いずれは二人で個展を開くこと)とのすれ違いに思い悩むようになる。そんな中、日高から思いもよらない電話が掛かってくる。。。
 今の時代はNG連発の超スパルタ教育だが、教室には不思議と生徒はいる。しかも、老若男女。厳しい指導だが、何か暖かさがあるのだろう。口下手だが、本心は相手のことを真剣に考えている先生。昭和の時代はたくさんあったように思う。日高が常々口にする『描け!』は、自分には、『生きろ!』と言っているように思えた。「生きていれば何か良いことがある」「生きていなければ、何も出来ない」強いメッセージだ。要所に出てくるこの言葉に泣かされた。先生は持っているものすべてを弟子達に伝えたい、受け取ってほしいと思うが、弟子達は、言われている時は違うと思ってしまう。気付くのは、先生が居なくなってからである。林は、日高から電話が掛かってきた時は、日高からとすぐに察していた。今の時代は死語かもしれないが、「以心伝心」なのか。弟子を心配する気持ちに応えきれていない自分へのもどかしさもあるかもしれない。
 金沢大学の講師も、日高とはタイプは違うが、課題採点の際のコメントは良かった。「描いている」=「生きている」を絵画から見抜いていてすごいと思った。
 海岸でのラストシーンも良かった。大きな存在だっただけに、実際に、その場にその人がいなくても、感じられるということはあるだろう。自信が持てる、安心出来るということだろうか。それが、師弟愛、夫婦愛、兄弟愛・・・といったことだろうか。
 ただ、1点気になったのは、絵画教室で、ある生徒にチンパンジーのあだ名を日高の思いつきで付けるシーンは、後味悪かった。続けて、生徒全員でランチする際に、その生徒が、りんごとバナナだけのランチだったので、チンパンジーに引っかけて、皆で大笑いしていたが、本人の気持ちはどうだったのか。本人も笑っていて、笑い飛ばしたいという意味もあったかもしれないが、行き過ぎた感は否めなかった。
 最後に、主演の二人も安定の上手さだったが、林の両親役のMEGUMIと大森南朋もとても良かった。天然キャラの吹っ切れている役で、観ていて気持ち良かった。劇場でも、笑いが起きて、ほのぼのした。公開から日が経っていたが、劇場はほぼ満席。お客さんも老若男女。絵画教室の生徒と同じように感じた。5月7日のブログ「花まんま」に続き、基本を大切にした王道を行く作品だが、泣きたい気分の時は、お薦め。
(kenya)

監督:関和亮
原作:東村アキコ『かくかくしかじか』
脚本:東村アキコ、伊達さん
撮影:矢部弘幸
出演:永野芽郁、大泉洋、見上愛、畑芽育、鈴木仁、神尾楓珠、森愁斗、青柳翔、長井短、津田健次郎、斉藤由貴、有田哲平、MEGUMI、大森南朋

「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」(2025年 日本映画)

2025年06月11日 | 映画の感想・批評
 京都の某女子大学が新入生の募集を停止するというニュースが古都を駆け抜けていった春、関西大学千里山キャンパスを舞台とした本作は公開された。お笑いコンビ・ジャルジャルの福徳秀介が2022年に小説家デビューを果たした恋愛小説が原作である。大学の全面協力のもと、桜の美しい季節に1ヵ月かけて撮影されている。女性の孤独感を描くのに定評のある大九明子監督が、初めて男性を主人公にした作品である。
 思い描いていた大学生活とはほど遠い冴えない毎日を送る小西(萩原利久)。唯一の友人・山根(黒崎煌代)や銭湯のバイト仲間さっちゃん(伊東蒼)とは他愛もないことでふざけあう日々。ある日、授業中に見かけたお団子頭の桜田花(河合優実)に惹かれる。思いきって話しかけてみると気が合い、好みも似ていると分かる。共有出来る感覚に嬉しくなり、町を歩いていると偶然会って離れがたくなり……と若者の恋模様が、そのまっしぐらな感じがうまく表現されている。「毎日楽しいって思いたい。今日の空が一番好きって思いたい」と桜田花が何気なく口にした言葉は、奇しくも半年前に亡くなった大好きな祖母の言葉と同じだった。
 小西は孤独なキャラクターである。しかも多分にナルシスト的なところもある。キャンパス内の人工芝で談笑する学生達を横目に、ひと気のない場所で段ボールをマット代わりに寝ころび、悠然としている。当初、原作者の脚本がボツになったと聞くが、大九明子監督の脚本が花とさっちゃん二人のキャラクターを、より膨らみのある魅力的なものに変えていったと推測する。その最たるものが中盤に見られるさっちゃんの独白シーン。バイト終わりの路上で不意に始まるさっちゃんの長台詞。小西への想いをぶつけるこのシーンは作品全体の要となっている。さっちゃんの本名すら知らない、知ろうともしない小西の無関心さが彼女を深く傷つけていた。
 登場人物各々の喪失感が、水や音の表現でスクリーンに映し出される。テレビのボリューム、銭湯の湯船の中、バイト終わりに鍵を入れるポストの音、水槽に浮かぶクラゲ、鴨川デルタの飛び石……etc.
 小西、花、さっちゃん各々が抱えている喪失感は、まだ乗り越える途中のもので、それを互いに覗き合うことで関係はより分かちがたくなっていくが、物語はそこから思いもかけない展開を見せていく。
 お団子頭の河合優実が魅力的。映画デビュー6年目にして既に風格すらある。スピッツの「初恋クレージー」のイントロが凄すぎると熱弁を奮っていたさっちゃん、伊東蒼の声に引き込まれる。(春雷)

監督・脚本:大九明子
原作:福徳秀介
撮影:中村夏葉
出演:萩原利久、河合優実、伊東蒼、黒崎煌代、安齋肇、浅香航大、松本穂香、古田新太