西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

「翁千歳三番叟」

2011-05-22 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「翁千歳三番叟」


「石橋」を復元した年(1830・天保元年4月)、
杵屋三郎助は中村座の顔見世で、10代目六左衛門を襲名した。

六左衛門が襲名記念に作ったのが、
河東節の「翁千歳三番叟」を外記節に仕立て直した
外記節「翁千歳三番叟」。

河東節の「翁千歳三番叟」のルーツは能「翁」にある。

その「翁」は、能楽成立以前の呪師猿楽「翁猿楽式三番」という
神事芸能を母体としている。
演じられるのは正月の修正会や二月の修二会など、
国家の隆盛を祈る法会の時などで、
それ以外に軽々しく演じるものではない。

ところが杵屋六三郎が河東節の「翁千歳三番叟」を、
「廓三番叟」などと称して、ふざけのめした曲を作った(1826・文政9年)。

六左衛門はこれを正統の長唄で残しておくべきだと考えた。
これも一種のライバル意識だろう。

完成した「翁千歳三番叟」は40分もあろうかという、
重厚長大、荘厳典雅な仕上がりとなった。
それゆえか、今日ではあまり演奏の機会を得ない曲となっている。

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tea break・海中百景
photo by 和尚
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