西園寺由利の長唄って何だ!

長唄を知識として楽しんでもらいたい。
軽いエッセイを綴ります。

「石橋」

2011-05-19 | 長唄を作った人たち (c) y.saionji
「石橋」


25才の時に「外記猿」と「傀儡師」で外記節を復活させた
杵屋三郎助(4世)が、今度は外記節の「石橋」を復元した。
大薩摩の家元権を預かる身としては、外記節の再興は悲願でもある。

そもそも「石橋」のルーツは、
中国三大霊場の一、清涼山山頂にかかる石の橋を題材にした
謡曲「石橋」にある。

『橋の幅は約30センチ、苔がびっしりっとはえ、
長さは約9メートル、しかもその形は虹のように湾曲している。

橋の向うは文殊菩薩の浄土とされているが、
いかなる高僧、貴僧といえど、
いまだこの橋を渡った者はいない。

その橋を渡るために、
はるばる日本からやって来た寂昭法師が
橋のふもとで休んでいると、
文殊の使者である獅子が、樵に化身して現れ、
「ちょっと待て」という。
樵は橋の謂れを語り、立ち去る』
という内容だ。

“石橋物”を初めて舞踊化したのは初代瀬川菊之丞。
その一作目、「風流相生獅子」(1734・享保19年・中村座)が
ヒットしたため、その後「妻夫獅子」「枕獅子」「英執着獅子」と、
本来の「石橋」から離れた女形の舞踊地として
定着してしまった。

三郎助はそれを元の形に戻したのだ。


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tea break・海中百景
photo by 和尚
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