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たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

脳脊髄液減少症と診断されて

2008年03月14日 | 脳脊髄液減少症

熱海から帰って一週間が経ちました。

気のせいかなんだか身体の感覚が変わったように思います。
どこがどのように変化したのか、はうまく表現できないのですが
それが改善に向かっている変化なのか
悪化しているのか……
判然としないのですが
明らかに構造的変化が起こったのは確かです。

この入院での成果。

脳脊髄液減少症」との診断を頂けた事です。
診断書に、この七文字がスキップしてました。
長年の体調不良の原因が、やっと解明されたのです。

食欲不振、悪心、異部不快感、倦怠感、無気力感、聴覚過敏、
手足のしびれ、身体の振戦、嗅覚異常、頻尿、頭痛、視力低下……
現れては消えていく不定愁訴の謎の真犯人を
ついに医学的に突き止められました。

体調不良に「脳脊髄液」が絡んでいたなんて、
誰も分かりっこありませんよ。

内科も整形外科も眼科も婦人科も歯科も普通の脳外科も
神経内科も耳鼻咽喉科も精神科も診療内科も皮膚科も

「異常なし」
「気のせい」
「ストレス」

と診断するしかなかったのも無理はなかったのです。
恨んでいません。
すべて「脳脊髄液減少症」に至るために
必要なステップだったのです。

私は、この病態を診断するための最高レベルの設備と、
最高のスタッフが揃った病院で診察が受けられました。
健康保険がきかない、この負担の大きな検査を受けられたこと事態

非常に恵まれています。感謝です

漏れが見当たらず、ブラッドパッチ適用にはならなかったけれど
S医師の診断を信頼します。

もう漏れは止まっているんです。
つまり、私の身体は、一年半の間、
私を無理やり動けないように、ベッドに縛り付け、
一生懸命、壊れた箇所を地道に修復していたのです。

自然治癒力はちゃんと働いていたのです。

硬膜やくも膜の修復には、恐ろしく時間がかかるのでしょう。

これからは、髄液を如何に増やしていくか
髄液が減少した事で、ぐちゃぐちゃになった
身体の配線を元にもどし、
脳にあるべき位置を覚えさせるかが治療の課題となります。
当面の対症療法は「生食パッチ」で、
生理食塩水を脊髄に注入する事で、
脳の中の液体の容積を一時的に増やし、脳に正常な位置を記憶させる…

これまた気が遠くなりそうなほど「気長」な作業ですね。

今日、こちらの地方は久々の雨です
きっちり、調子悪いです。
紆余曲折ありすぎる、この病気。

いつまでお付合いすればいいんだか……


そして…検査結果

2008年03月06日 | 脳脊髄液減少症
ついに結果が出ました。

残念です。
あんなにサポーターの皆様に応援して頂いたのに……
しくしく

漏れてなかったんです…

ショッ~~ク!!!!

めそめそ

RI画像はど素人の私が見ても、枝葉がなくシンプルできれいです。(涙)
ミエロにも漏れが見当たらなかったようです。
膀胱の残留量も正常の範囲内だとか。

つまりグレーゾーンですらなかったのです。

この状態でのブラッドパッチは
「副作用の方が心配だから、しない方がいいでしょう」
と。
(BPしない残りの1割に入りました(涙))

S医師の説明によると
私の今の身体は
長い期間をかけて、髄液が減少してきている状態。
じわじわと、長期間にわたり体調が悪化してきたのは、それが原因です。
その状態で、腰椎穿刺をしたものだから、髄液がドバっと漏れて、地獄に落ちた…。

でもその後、一年以上もの安静で開いていた穴は、自然にふさがった。
が、髄液は増えていかないものだから、症状が消えない。

つまり
今、私はBPを何度か行い、穴はふさがったけれど、症状が全く改善されない、という…

え~~!
それって脳脊髄液減少症の上級者レベルじゃん。
という状態だったのです。
そこで
S医師のご提案は
自家血の代わりに生理食塩水を注入する「生食パッチ」という方法です。
これだけで改善される方も中にはいるらしい。

何らかの原因で髄液が増えず、脳が下垂しているので、一度人工的に髄液を正常な量にする事で、脳に良い位置を学習させるらしいです。
この方法もBPと同様、やってみなければ分かりません。

で、受けてみました。
なんとなく
髄液増えてるかも~!

ちょっと脳の動きがイイ感じです。
これが風船効果というのでしょうか。
脳や頭蓋骨の動きが明らかに違っています。
(でも又すぐ戻ってしまいました(泣))

思うに。
「漏れがないのに、症状だけがある」
という状態は、結構やっかいです。
漏れがあれば、塞げば改善が望めますが、
漏れがなくて、髄液だけが減少してしまっている……。

またまた予想外の展開です。
全く、先が読めない病と私のシナリオ。
もうすっかりブラパチ娘になりきっていたのに。
さて、この現実をどのように受け入れていけばいいのかしら……

ただ今、入院中…

2008年03月05日 | 脳脊髄液減少症
熱海からおこんばんは。
入院生活も二日目になりました。
今のところ結構、快適です。
待ち時間もなく、さまざまな検査が、サクサク受けられるのは、実に便利です。
熱海でのスタンダードプランは
◆1日目
血液検査・尿検査・レントゲン・サーモグラフィ・MRミエロ
◆二日目
RI検査・脳MRI(造影剤)
◆3日目
検査結果・ブラッドパッチ
という感じです。
RI検査以外は外来でも可能らしいのですが、
やはり入院にてトータルで受けるのが便利だし理想でしょう。
脳MRI画像も、造影剤を注入してから撮影までのタイミングや角度など、は病態によってかなり異なるようです。

脳脊髄液減少症の診断のため、的確な画像を撮るためには、この病態を良く知る専門医の元で行うのが無駄がなくてベストです。

さてさて

初めての「RI検査」。
私は腰椎穿刺によって、地獄に落ちました。
それ以来、普通の日常を失いました。
RI検査には、腰椎穿刺が漏れなくついてきます。

正直言って

こえぇ~~
びびるぅ~

おかげで、今のところ症状の悪化はないようです。
針の跡が少し疼きますが、たいした事はありません。
二日酔いには「迎え酒」。腰椎穿刺による悪化には「迎え穿刺」
な~んてアホな。

すべては明日の検査結果待ちとなりました。
看護師のおねえさんの話によると、
RI検査を受けた人の9割はブラッドパッチを受けるとか。
それはそうでしょうね。
リスクや費用面の負担が大きいRI検査を受ける事自体、相当切羽詰まった状態なわけで。

「漏れなし」と言われてもそう簡単に引き下がる訳にはいきませんね。

後は神の声を待つ事にいたします。

入院前のつぶやき

2008年02月29日 | 脳脊髄液減少症

初めてのBP入院まであと数日と迫ってきました。
ようやくここまで、たどり着けました。
やっと病気の核心に迫る検査が受けられます。

本当に長かったなぁ~

何度もめげそうになったし。負けそうにもなったし、
生と死の間でさ迷っていた事もあるけれど

生きていてよかったぁ と、

つくづく心の底から思う事が出来ます。
今の心境…不思議と不安はありません。
すべてをS先生と自分の持っている運に託し流れに乗るだけです。

BPで改善される人70%
改善されないか悪化する人30%。

私がどちらに入るのか、はやってみないと分かりません。
現時点では絶対70の仲間に入るはず!と思い込んでいるけれど、
でも、もしも、もしも後者になったとしても、
静かに受け入れようと思います。
治療が長引けば、長引くほどそのぶん

敬愛するS先生にお会いするチャンスが増えるもんね~

と考えようと思います。
「運命」には、自分の努力や意識で変えられるものと、
どうしても変えられないもの、とがあります。
病気も予防できるものと、不可抗力なものとがあります。
脳脊髄液減少症は、多分に後者です。
BPだって、運・不運は作用するでしょう。

でも、BP一回で劇的に改善される、のが「幸運」なのかどうか、
は分かりません。
だって私、元気になったら、脳脊髄液減少症患者さんのためにボランティアするつもりだから。
一発で治っちゃったらBPしてもBPしても、なかなか改善されず、
苦しんでいる方々の気持ちに添って差し上げられないかもしれないから。

「夜と霧」の作者フランクルは、収容所から解放された自分が
「強制収容所の心理学について人々の前で講演している、という姿を思い浮かべながら」
過酷なアウシュビッツ生活を耐えたそうです。

私も似たようなことを考えています。
長年の体調不良、ドクターショッピング、ドクハラ、周囲の不理解
病院での悪夢、医師不信、医療への不信・・・・・・。
そしてこの世離れした症状の山々。

今私は、将来、脳脊髄液減少症患者さんの相談役としての
役目をちゃんと果たせるようにと、
この辛い経験を与えられ、学ばせてもらっているのだ・・・・・・。
この試練から逃げたりズルしたりすれば、この資格はもらえない。

人生ひとつも無駄な経験はありません。
すべて味わい、苦悩し、乗り越えたその時に
初めて生き生きと輝きだすはず。

そう思ひこみたい・・・です。

 


熱海での初診

2008年02月22日 | 脳脊髄液減少症

行ってきました
熱海に。
会ってきました
S先生に。

ついにこの日がやって来たのです。

どんなにどんなに待ちわびた事か・・・。
でも
この日は
「希望」と一緒に「絶望」もセット。

早く来てほしいと願う気持ちとは裏腹に
永遠に来てほしくないような、そんな初診日。

私にとって最期の砦の「熱海城」
ここを崩されたら、どうすればいいのか・・・。
ここで「異常なし」「漏れなし」と宣告されたら
行く当てがありません。
完全に医療放浪者になってしまう

うれしいけど恐いよぉ

そしてそして。
ドキドキの初診の時間が~~

案ずるよりも産むがやすし
杞憂でした。


私、立派な「脳脊髄液減少症」だったのです

これで晴れて「チーム髄液漏れ」の一員です。
シ・ア・ワ・セ

S先生の診断根拠はこうです。

十年来の体調不良
腰椎穿刺前のさまざまな症状
そして腰椎穿刺での劇悪化
安静・水分補給でも改善しない
あらゆる検査で異常なし
という診断・病気の経緯

S医師「もうこれだけで、9割方は間違いないでしょうね」

さらにMRI造影画像(1年半前のもの)により
小脳の下垂・硬膜と脳との隙間・髄液の少なさ(それも長年によるもの)

がはっきりと認められるそうです!

このMRI画像は、腰椎穿刺後、
重くてユラユラ揺れ動く、辛い身体を引きずりながら、やっとの思いで撮ったものです。
最初の神経内科の医師の
「異常なし!」という結果に納得できず
這うようにして、数々の病院を巡り、すべての脳外科医に
「低髄はありえない!」と断言され、切り捨てられた画像なのです。

それを初めて

S医師「明らかに異常ありですよ。
この状態でよく耐えてきましたね」

と言ってもらえた・・・・・・
うるっ
ようやく、理解して下さる医師に出会えました。
一年半待った甲斐がありました。

S医師「長い間待たせてしまってごめんなさいね」

うるっうるっ

一年半前、
医師不信・病院不信に陥り
引きこもりになっていた心身が、雪解けのように緩んでいくのが分ります。
全く同じ画像なのに、こうまで診断が真逆になるとは。

S医師「この病態を解ってくれる医者が少ないからね。
このMRI画像だってね。見方が解らないんでしょうね。」

違う違う。見方が解らないんじゃなくて
見ようとする気がないだけなんです!
だって、ほとんどの医者がそうだったんですもん!
患者の様子を見ずに、身体も触らず、話も聞こうとしないのです!

「脳が勝手に揺れ動く」
「頭蓋骨が頚椎にちゃんとくっついてない」
「身体が地震のように揺れ続ける」
「顎関節が日々ずれる」

この世のものとは思えない症状の山々を
訴え続けていたのに、誰も真剣には聞いてくれませんでした。

「そんな症状はありえない。
精神科へ行った方がいいよ。」

と言われ続けてきました。

S医師「昔の教科書しか信じてないんですね。
学会でいくら言ってもね、絶対ない!と猛反発されちゃう・・・。
でもね。実際ブラッドパッチで数多くの患者さんが良くなっているんですよ。
絶対、あると僕は確信してますよ」

ええ、ええ!私も確信します。しますとも。
一年半前、私の病態を解って、治して下さるのは
この先生しかない!と
直感し、耐えて忍んで待ってきたのです。
もう一度、西洋医学を信じて、身をゆだねてみようと思います。

で、いきなりですが、
3月始めに入院することになりました
あまりの展開の早さに正直、面食らっています。

山は動いたのです。

検査は
脳MRI・MRミエロ・RI検査をセットで受け
結果によってブラッドパッチ。
もし漏れが発見されなくてもブラッドパッチは
行なった方がいいでしょう、と言われました。
私もそれに同意見です。

私も晴れて脳脊髄液減少症の皆さんのお仲間になれました。
やっとスタートラインに立てます。
先輩患者の皆様
のくせに古株のようにデカイ顔している私ですが
今後ともよろしくお願いします。

さて、入院の準備準備
何かアドバイスがありましたらお願いします。
パジャマとか、洗面用具などの他に必要なもの
ありますか?
あったら便利だと思われるものありますか?





熱海からの招待状

2007年12月15日 | 脳脊髄液減少症

ついに、というか
やっと、というか

熱海からの招待状が届きました~~~~~


1年以上待って、待って、待って、待って、待って
ようやく手にした
プラチナチケットです

もし、一等の当たり宝くじ券と交換してほしい、と言われても
絶対にゆずれない、宝物です。
(でもチョットは揺れるかも

封筒の「国際医療福祉大学熱海病院」という文字を見たとき
思わず心が波うちました。
封を切る手が震えていました。
ついに来たんだ。

「平成20年2月日 14時」

A4のペラ1枚の紙には
ごくごくシンプルに、そう記されてあるだけですが、
キラキラと光って見えました。
その時間は、
あの超多忙な篠永先生が、私のために作って下さった
私だけとの約束の時間です。

感激です。
この1年半……。
長かったような、あっという間だったような。
初診までに、1年以上という、途方もない時間を
みなさん、どのような想いで過ごしているのだろうか・・・

待ちきれなくて、他の病院の扉をたたく方
ひたすら、じっと、便りがくるまで耐える方
さまざまな民間療法を試される方
宗教やスピリチュアルな世界に目覚める方
残念ながら心身共に力尽きてしまわれる方……

百人いれば百通りのストーリーがあるでしょう。
百通りのドラマがあります。

熱海は
「脳脊髄液減少症患者たちの聖地」です

(ゆめさんブログで知った、アタミステリー「恋人たちの聖地」のパクリ)

熱海の病院にたどり着くまでには、
多数のドクターショッピングにドクハラ経験、
心療内科や精神科に回されて
身も心も人間関係もぼろぼろになっている方が多いのでは、と思います。

そして、終着駅の「熱海」
同時にここは始発駅でもあります。
やっとスタートラインに立てるのです。

この1年半。
ほぼ引きこもりの生活を余儀なくされてきましたが、
見かたを変えれば、とても濃くて、深い年だったと思います。
世の中に、こんなにも原因不明の病で苦しんでいる方が多いなんて。
こんなにも、現代医学が無力だったなんて。
こんなにも、「初心」を忘れた医師が多いなんて。

この病気にならないと、知らないことばかりでした。
一体、私は今までの人生、何を見て生きてきたんだろう。。。。
「病気を苦に自殺」なんてニュースにも
厚生労働省前で座り込み、の報道にも
ひどく敏感に反応するようになりました。

運良く、「脳脊髄液減少症」という診断を早期にもらえ
早期のブラッドパッチで順調に回復~~~~と
とんとん拍子にことが運んでいたとしたら
こんなにも、深くつきつめて考える事もなかったでしょう。

おそらく、この「待つ時間」は、私にとって必然の時間だった、
と今では思えるようになりました

ところで、
話は熱海受診にもどりますが

病院のサイトによれば、

「初診の患者様は15分再診の患者様は10分
質問事項は数項目にしていただけると助かります。 」

そ、そんなぁ~
1年以上待って、たったの15分なんて~

病気の経緯や症状については、申し込み時に
詳しく書いたのですが、状況は、時間と共に当然変わります。
この1年の経過や、今の症状をお伝えして、
先生のご意見を伺って、これからの治療についてのお話が、
とても15分で済むとは思えません。

初診の時って、
どの程度のお話ができるのでしょうか?
脳脊髄液減少症かどうか、は問診である程度解るのでしょうか?
この時点で入院の日程も決定されるのかしら?

もし熱海でも
「異常なし」「漏れなし」と宣告されたら……、
と考えると、いささかコワイのですが
とりあえず、前を向いていくしかありません。

2007年。
この1年は「待」「耐」「忍」でした。

2008年。
「快」「望」「夢」になればいいなあ。

同病仲間の皆さんと
お散歩とか、デパート巡りとか、温泉旅とか
「あんな苦しい時もあったね」なんて
思い出話ができる日を夢見ています。

 


今日の日経新聞の夕刊(9月25日)

2007年09月25日 | 脳脊髄液減少症

脳脊髄液減少症関連の記事が載っていました。

「診断の基準作り 脳脊髄液減少症」というタイトルです。

記事によると「都内在住の主婦が尻餅をついてから、ひどい頭痛に悩まされるようになった。立っても座っても痛み、新聞の内容が頭に入ってこない。しかし横になるとウソのように頭痛は治まる」

まさに起立性頭痛ですね。私もこの不思議な頭痛は腰椎穿刺後に経験しました。
私の場合は不運にもこの頭痛を穿刺と関連づけてくれる医師はゼロ。
ひょっとして、この時点で誰かが感づいてくれていたら
水分摂って安静にしていたのになぁ~~~~、と今でも悔やまれます。

でも「発症後まもなくなら、水分摂って安静で硬膜の穴が 90%の割合でふさがり治る」(by K多村医師)
はどんなもんなんでしょうねえ~~。

記事の彼女は幸運にも N医科大付属病院を受診し、
「脳脊髄液減少症」と診断されています。
K多村医師曰く「スポーツで体をねじった場合や、飛行機に乗った時の気圧変化でも硬膜が傷つくことがある」と。
へぇ~~。飛行機の気圧変化でもねえ。
じゃあ、雨などの低気圧で体調悪化するのは硬膜のねじれ現象なのかなぁ~。

また「今年厚労省の補助金を受けて発足した公的な研究班(K山・山形大部長)はこの10月をめどに脳画像や症状などの大まかな診断基準を定め、症状を三段階前後に分類できるようにする。」とか。
どうやら少しは研究すすんでいるようです。

でもこの新聞記事にある症状は「頭痛」「吐き気」「めまい」「耳鳴り」「全身のだるさ」だけ。「交通事故・転んだ弾みに発症」とあるだけなので
もっと多彩な症状のある人がもしこの記事を読んだとしても自分のことだとは思わんかもな~~~。

ただ、お堅い「日本経済新聞」が取り上げてくれたってことは誉めてあげてもいいかもです。


腰椎穿刺de地獄に堕ちる・・・

2007年07月27日 | 脳脊髄液減少症

知りませんでした。
全然無知でした。
「腰椎穿刺」って言葉さえ知らなかったのです。

ましてやその恐ろしさ、むごさ、残酷さ・・・
腰椎穿刺は「脳脊髄液を採取するために、腰椎と腰椎の間の隙間から細い針を刺す方法のこと」です。
腰椎麻酔や無痛分娩などの際も行われているようです。


しかし


この「腰椎穿刺」はよほどの必要がない場合はするべきではない!

と思います。
だってものすごいんです!
その後遺症たるや、半端じゃありません。
起立性頭痛、吐き気、ふらつき、メマイ、不整脈、頻尿、身体の震え、手足の冷え、悪寒、呼吸困難・・・
これら具体的に現せる症状の他に既製の言葉がないような症状がものすごい。
あえて表すならばまるでこの世のものとは思われない気分の悪さとでもいいましょうか。

首から上が悪霊に乗っ取れたって感じです。

分けが解らないけれどタダ事ではない事態が身体に起っている!
この症状の本当の恐ろしさはこれだけではありません。
自分てきには、ものすごく激しい症状なのに
見た目はちょっと具合が悪い?
程度でしかも、血液検査や尿検査、レントゲンなどのフツーの検査では「異常なし」なのです!

「異常なしなのに、なんでそんなにパニクってんの?」
「あなたは身体じゃなくて心が病気だよ」

・・・・・・なんで、なんで
みんなにはこの、尋常ではない傷が見えないの?
こんなにダラダラ血が流れているのに。
なぜ見えないの?

まるで「不思議の国のアリス」になったよう・・・・・・。
デ シ タ。

まさに地獄絵図です。
悪夢を見つづけているかのようです。
こんなに身体がフワフワするのはそのせい?
ひょっとしてココは幽界?

いつの間に死んだんだろう。
死んでも、こんなに身体が辛いのはなぜ?

わたしは

どんどん精神がおかしくなっていきました。

 


きっかけは・・・腰椎穿刺

2007年07月22日 | 脳脊髄液減少症
きっかけは「腰椎穿刺」でした。

ある日ものすごい頭痛に襲われて
救急で行った脳外科で髄液検査を勧められました。
CTスキャンでははっきりとした影はない、
でも髄液検査をすれば「くも膜下出血」を100%否定する結果が得られる・・・。
腰椎穿刺のリスクは一切説明されませんでした。

これが相当無謀な事であった事は
かなり後になって知りました。

果たして・・・髄液はきれいに澄んでいて
「よかったね」と言われ
安堵したのもつかの間

その数時間後に
世にも恐ろしい経験をする事になるとは。
それから一瞬たりともりラックスできない身体になるとは
思いもしませんでした。

1年経った今でも思い出すのは辛いです。
でももし、同じような思いをした方の
何らかのお役に立つことになるのならば

自分の記録のためにも
残しておこうと思います。