たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

父の日

2014年06月13日 | つれづれに

「父の日」が近づいてきました。
父の好きなもの、、、ステーキとお酒とぬかみそ漬け。
今年はどうしようかな。去年は牛トロ肉だったから、お酒かな。
そうだ。お姉ちゃんと相談してみよう。。。

そんな夢をみていたのかもしれない。
目が覚めたら、泣いていました。。。
姉と父、もういないんだった。
三か月前に急死した姉。そして、彼女を追うように父も数日前に旅立ちました。
今年は「父の日」がないのです。

実の父なのに、親の最期なのに。
姉に続いて、今回も、最期の看取りもお通夜も葬儀も、参列できませんでした。
父の場合は、誤嚥性肺炎で病院に入院していたし、時間は残されていたのにかかわらず。
主治医にも「会わせたい人がいたら。。。」と言われていました。
義兄も母も病室に詰めていたようです。
にもかかわらず、行けませんでした。

親の最期に立ち会わないとか「普通じゃないよ!」と友人になじられ、
車で拉致されそうになったけれど。
「この病気、普通じゃないから。。。」。
ただ、座っているだけで、失神しそうになるなんて、分からないよね。

喪服を出して着替えて、お数珠はどこだっけ?。親戚の人たちに会って、色々聞かれて、
え~とそれから、長い読経を聴かされて。。。
それ、相当無理だから。もう考えただけで、あぁもう目まいにくらくら。
お線香あげただけで帰れるわけないし。。。
だって、人とのお別れは「カタチ」じゃないでしょ。本当の本物は「魂」との交わりだから。。。

もう親の葬儀も、子供の冠婚葬祭も、みんな行けないものって。受け入れているんです。
人生ってさ。絶対しなきゃいけない事って、実はそんなにないんですよ。
数年前の義父の葬儀の時から、そんな「悟り」みたいな。そんな心境にもなれてきました。

それは
「明らめる」って事でもあって。諦めるとは違います。

(※明らめる
①物事の事情・理由をあきらかにする。 「創造の神秘を-・めて見なさい/二葉亭四迷」
②心をあかるくする。心を晴らす。 「陸奥(みちのく)の小田なる山に金(くがね)ありと申(もう)したまへれ御心を-・め給ひ/万葉集 4094    
提供元:「大辞林 第三版」)

確かにね。たしかに、この三か月の間に、2人の身内に旅立たれるって。
そうそうあることではないかもしれない。
母にとっては特に。
「娘に先立たれるなんて。。。
と日頃、強気で楽天的な母が、力なくつぶやきました。
だから、父の死も、「もうあれ以上哀しいことはないから。。。」と。明らめていると。

母は、80歳を過ぎています。
太平洋戦争も体験し、両親や兄弟や親戚や親友や、近所の方々を数多く見送ってきました。
それでも、実の娘に先立たれる以上の辛い試練はない。。という。
親より先立つ以上の親不幸はないという。

うんうん。そうだね。とりあえず、私は、父より長生きできた事に感謝したい。
(かなりやばかった時もあったけれど)

これからの目標は、母をちゃんと最期まで看取る事。母より一分でも一秒でも長生きすること。

それが今まで散々、親不幸を重ねてきた、私ができる、最期で最高の「親孝行」なのだろうと思います。