たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

病名を探して~(11)

2012年12月04日 | 病名を探して…

~救急の処置室にて~

病名を探して~(10)

からなんと3年が経ちました。
なぜ、今、続きを綴るのか。。。
まだ完結していないんですよ。実は。。。

このブログに辿り着いて下さる方の何人かが
「腰椎穿刺、後遺症」だったりするから。。。
何か、ご参考になる事があればなぁ~、と。

腰椎穿刺とは。。。(ルンバール)は、脳脊髄液を採取する検査のこと。
原因不明の意識障害や髄液変化の神経疾患
具体的には、髄膜炎やクモ膜下出血に最重要と言われています。

私は、原因不明な激しい頭痛の検査の為に行われました。
が、、、、、、、
そのために、6年半たった今でも、その激しい後遺症に苦しんでおります。

医師にとっては、「腰椎穿刺」は、正しい医療行為なのですが、
それによって引き起こされる、身体の不調、をしっかり理解している医師は、ごくごく少数です。

脳脊髄液の働きを、全く把握してないからです。
医学書にも、ほとんど記載されていないようです。

ERで脳外科と総合病院に運ばれましたが。
脳外科では、腰椎穿刺の結果「異常なし」。
その数時間後に、この世のものとは思われない、症状(目まい。顔や頭蓋の違和感、不整脈、冷感、冷や汗、身体の揺れ感、頻尿、手足のしびれ。吐き気。。。。。。。)を訴えましたが。
すべて、気のせい、精神異常のせいにされました。

総合病院に運ばれたところは、救急搬送で来た方や、休日救急で来た方がくるところなのですが、
カーテン漉しに、漏れ聞こえてくる会話は。。。
どう考えても、私よりも軽症のように思えました。

だってご家族と普通に会話なさってるし。
ただ、なんだかの「数値」が「異常」だから入院しましょう。みたいな。。。
いいなあ。異常があって。
いいなあ。異常があって。
いいなあ。異常があって。

それに比べて、私は、もう瀕死の状態なのに(自覚症状はね)、
数値に異常がないから、とっとと帰ってくれ、という空気が漂っていました。
夫も、なんだか迷惑そうに。。。不機嫌で。

できればこの症状が、医師に乗り移ればいいのに。。。
どんなに苦しいかわかるでしょうに。。。ほんとにすさまじいよ。
人の中枢神経がぶっ壊れているんだよ。
魂が抜けているかが分かってもらえるでしょうに。。。

結局その病院を追い出され。
タクシーを待つ間。。。
このまま、走ってくる車に飛び込めれば、。。とぼんやり考えていました。
ただ、飛び込まれた方(運転手)は、すごい迷惑だろーなー。

もうそれだけで、それだけで、それだけ、それだけで踏みとどまりました。

その時
自ら死を選ぶ方の、お気持ちがよ~く分かりました。
自分の死後の事なんて思い図る余裕なんてないんですよ。思考がゼロなんです。
以前、生まれたばかりの赤ちゃんを残して、飛び降りた女子アナがいました。
すごくよく分かるんです。
彼女は線維筋痛症だったという事ですが、24時間体中が激しく痛む、しかも薬は効かない。。。
痛みが、心も魂も壊していたのだと思います。


とりあえず、
あの時の、異常な心情を書き残しておきたいと思います
(2006年7月)


病名を探して~(10)

2009年11月23日 | 病名を探して…

~脳脊髄液減少症の起立性頭痛~

いきなりですが~
病名を探してシリーズを再開しようと思います。
なんと2008年2月からですから1年9ヶ月ぶりですね~
熱海受診を機に一旦、仮完結してはみたものの、
まだまだ「病名」にはたどりつけてないところで、中断してしまっていました。

再開しようと思った。。。その
きっかけは~~~~~フジテレビ

先週水曜日11月18日に放映された番組でした。

フジテレビ(FNN)スーパーニュース

「大家族の母親が、脳脊髄液減少症になり入院!
さて残された家族は?その奮戦ぶりを密着取材。」
みたいな内容です。

番組内では、残念ながら「脳脊髄液減少症」に関する詳しい説明はありませんでした。
が、そのお母さんの激しい頭痛の症状に、過去の思い出にスイッチが入りました。

そのお母さんが、どんなきっかけで発症したか。。。は不明でしたが
いきなり、激しい頭痛に襲われたらしい
その頭痛は。。。彼女いわく
頭から子供が生まれそうな
脳みそをギュッとつかまれたようないやぁ、ビックリした

そして頭を起こすと激しくなる頭痛は、寝ていると楽になる。。。とか。
入院して、点滴&安静臥床で様子見状態でした。
手術という選択肢もあるが(ブラッドパッチの事かな?)、身体的、治療費負担を考えて、まだしていない。

病院内での移動は車椅子ですが、頭は痛くて上げられない・・・


頭を上げると起る頭痛
立位・座位で悪化する頭痛
これは「起立性頭痛」と呼ばれるものです。

実は私も、まったく同じ症状を体験しています。
「髄液採取」から約一日半ほど経った頃に発症しました。
頭を少しでも上げると、
ズキン、ズキン、グワン、グワン、ムギュ~
首から上が、身体から分離しそうな、ものすごい痛みが。。。
片頭痛とも緊張型頭痛とも群発頭痛とも、
いわゆる普通に「頭痛」と言われているのとは、レベルもラベルも違う痛みです。
鎮静剤では効きそうもない。。。悪魔の激痛。

身体の揺れも激しいし、気分はこの世のものとは思えない悪さだし
な~に~これって。
一体、私の体の中で何が起っているの~
それでも生理現象は容赦なく襲ってきます。
トイレに立つ時も、頭を下げて、ソロリソロリ。
まるで、闘牛士の赤い布に向かっていく、ヨボヨボな牛のような格好で。
しか~~っし
横になると、ふわ~っとその頭痛は消えるのです。

何とも不思議な頭痛です
こんな頭痛があったとは。。。
頭を起こすと、激しい頭痛=ずっと寝たきり
もう二度と頭を起こすことが出来なくなるのでは
これって相当ヤバイ病気なのでは
ひょっとして、このまま寝たきりおばさんになる。。。ぶるぶる。。。ひ~

このまま家で寝ていてもダメなんじゃない?
早く病名を確定してもらわなくては。。。
でも、こんな状態では、病院にも行けやしない。
だって、頭を上げるとものすごい頭痛が。
起きている事ができない。。。
誰か~身体を水平にしたまま、ワタシを病院に連れてって~
誰か~イル-ジョンで横になったままのワタシをちゃんとした医師のいる病院に飛ばしてくれ~

救急車は、前々日にお世話になったばっかりだしな~。
しかも脳外科で「髄液」抜かれてからの劇悪化
次に救急で乗りつけた総合病院でも「異常なし」と帰されたんだった。。。
じゃあ一体何科に行けばいいのでしょう。
どこに行けば、この病気を理解してもらえるのでしょう。

でも、この頭痛はタダモノではありません。
今のうちに手を打っておかないと、取り返しがつかない事になりそうな予感


この時、私は、かなりパニック状態。
だって、生命にかかわるような症状が、てんこ盛りなのに
「異常なし」「気のせい」「ストレス」でしょ。と見捨てられたのですから
これで冷静でいられる人がいたら、ぜひお会いしたいものです。

でも、こんな仕打ちを受けたにも関らず
「病院で分らない事はないはず
とまだ西洋医学信仰の信者だった私は、

その時、一番してはいけない「道」を選択してしまったのです。。。

(つづきます)


病名を探して~(9)

2008年02月17日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(5)~



「CTスキャンで異常なしぃ?」
「髄液検査で陰性?」
「脈拍、血圧異常なしぃ?」


「それじゃあ,ウチでやれる事は何もないなぁ~」


……えっ


今なんて…?

「さしあたって異常なしだな。まっ点滴でもしといてあげて」


……えっ


緊急事態じゃないの?
緊急オペは?

妄想でした。すべて

こんなにもこんなにも苦しいのに
こんなに身体が揺れて痙攣しているのに
こんなに呼吸が苦しくて心臓がドクンドクンしているのに
こんなに全身が尋常じゃないのに

異常なし……なの?


血液とか血圧とか脈拍とかーそんなんじゃとても測れない。
もっともっと身体の中枢部分がトラブっている感覚なのです。

車でたとえるならば、エンジンがいかれている感じ。
ボディのへこみも傷もなく、一見ピカピカの新車に見えるのに
エンジンが壊れて動かない、という状態。
パソコンでいうなら、マシン自体はきれいだけど
HDにダメージがあり、リセットするしか手がない状態

見た目では、わからない部分のダメージは
器械も人間も同じです。
キチンと調べてみないと解らないのです。
それもしないで、「異常なし」なんて簡単にいわないで!
緊急のアラームブザーが鳴りっぱなしの
私の身体は訴え続けていました。

投薬とか点滴とか、小手先の外科的措置では
とても治るような気がしない。。。。。。

ただ、わかることは
この状態が

私以外の人の目には、「普通」に映っているらしいこと
自分が危機と感じるこれらの症状は検査数値には表せないらしいこと
そして、この場に居合わせる医師にとって、
私は、ただパニックを起こして、精神に異常をきたしている患者
気休めの点滴でもしてほっておけば、そのうち落ちつくだろう。
と思われているらしいこと。


ただならない事態に陥ったのを知りました。

凍りました。

とんでもない世界に紛れ込んだようです。

ここは、日本語はおろか人が使う言葉が通じず
身振り手振りも通じず、心も通わず、
人の苦しみ、生き死ににすら無関心
まるで異次元空間です。

力を振り絞って、殺人鬼の手から逃れて、やっとの想いで
たどりついた、今度こそ助けてくれるはずの「病院」で、
またもや崖から突き落とされたのです。
白衣を着た無表情な人間達の手によって

だんだん生の実感が薄れてきました。

自分と目に見える世界の間が透明なベールのようなもので仕切られ、
自分が存在する実感がまるでなく、
目の前に見える世界が異次元のよう。

自分の意識が身体から抜け出して、
自分の行動を他人事のように、客観的に外から見ているような気がする……
幽体離脱ってこんな感覚なんだろうか。

もう、なんか、すべてが、どーでもいい。
生きているのか死んでいるのか、すべてが希薄に感じられ。
「死」って決して恐いものじゃないんだな~~
生と死の境ってこんなにもあいまいなものなんだな~~。


その時。
それまでチクタクチクタクと
当たり前の日々の時間を、当たり前に刻んでくれていた時計は
止まりました。

代わりに別な時計が動きだしたのです……。

(この項一応、完)


病名を探して~(8)

2008年02月09日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(4)~


熱海の初診日が迫ってきました。
その前に、髄液抜かれた編を完結しなければ・・・

こんなに「更新おさぼり君」しているのに
色々な方からコメントを頂きます。
私とよく似た体験をなさった方がこんなにいらっっしゃるとは。
と正直驚いています。

「腰椎穿刺」により突発性低髄液圧症候群を発症したにも関わらず
患者の気のせいにして放置し、
私のように今もなお、過酷な後遺症に
悶え苦しんでいる人が、たくさんいるかもしれません・・・・・・。
しかも、その症体にすら気がついていない方も。

「腰椎穿刺」に関わる医師だけではなく、あらゆる分野の医療従事者に
知ってほしいです。
低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)の地獄のような症状を
そして、放置プレーにあっている患者の存在を

髄液を抜かれた日のこと
随分、間があいてしまいましたので
ちょっとこれまでの、あらすじを。

……………………………………………………………
激しい頭痛のため、救急搬送された脳外科で
CTスキャンの後に脳脊髄液を抜かれました。
それは、くも膜下出血の検査であり、簡単なもの。
リスクの説明はまったくなし。

検査の結果はその場で陰性と判明。
ところが、その数時間後
尋常でない症状にみまわれます。
身体の震え、ふらつき、眩暈、手足の冷感、頻尿、不整脈、激しい動悸
頭痛、吐き気、そして顔の尋常でない違和感・・・・・・。

とてもこの世のものとは思われない症状の山々

ナースや医師に訴えるも
血圧、脈、顔色に異常なし、髄液検査とは無関係
と冷酷につっぱなされ、放置されます。
「この病院にいたら殺される!」
と命の危機を感じ、救急車を要請するのですが・・・・・

……………………………………………………………

もうこの辺から記憶が朦朧としています。
命に危機を感じるほど尋常ではない状態なのに
医師や看護士に
「なにパニくってるの?気のせいだよ」と冷笑され
なんの処置もしてもらえない、なんて
この医療新進国ニッポンで信じられますか?

医師に見捨てられる・・・・・・。という恐怖
命を助けてもらおうと、すがった病院の中で
かえって悪化させられて
しかも、それをあたかも患者のせいのように罵られ
放置される・・・・・・。
もうまるで悪夢を見ているかのようでした。


鬼のような医師の棲む、その脳外科から
這うように抜けだした私は
その足で、家人に頼み消防署に車を乗り付けました。


消防署には救急車があるはず


激しいめまいと動悸で気が遠くなりそうなのに
救急隊員の質問に、なぜかちゃんと答えられる自分がいて
歩こうと思えば、一応ふらつきながらも歩けて
あれれ??
死ぬほど辛いのに、パニック症状なのに
過呼吸にもなっていなくって。

一体なんなのよ。この状態って。

「元気そうに見えるけどなぁ」などと
救急隊員にねちねち言われながらも
なんとか、付近の大きな総合病院に搬送するよう頼みこみました。

もう医師なら誰でもよかったのです。
あの脳外科医は特別なんだ。
あのドクターはトンデモ医師のヘボなんだ。
きっと、普通の医者なら、私の緊急事態を解ってくれるに違いありません。
危機から救ってくれるに違いありません。
ほっ。助かる~~~!

「こりゃ大変だ。すぐオペの準備を!」

この際、手や脚の一本や二本!
内臓の1つや二つ摘出されたっていい!
髪の毛なんか全部剃って剃って!
頭だってカチ割って調べてみてみて!

この異常事態から逃れられるなら
「死」だって恐くない・・・・・・

覚悟を決めました。
今までの人生が細切れにフラッシュバックしてきました。

と。ところが
次の言葉に凍りつきます。


(しつこく続きます)


病名を探して~(7)

2007年11月28日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(3)~

かなり間があきました。

脳脊髄液を抜かれた日の続きを書きます。


髄液検査から17時間が経っていました。
その間、採取直後の200ccの点滴1本のみ。
水分は一滴も摂取しないのに、頻尿は続いていました。
完全な脱水症状です。

症状は刻一刻と悪化していくのが解りました。
気が狂ったかと思うほどの、身体の中心部から起る気分の悪さ。
喩えようのない、とてつもないダルさに襲われてきて

「死」の影が頭を掠めます。

脳脊髄液採取後の激変。
激しい頭痛、不整脈、頻尿、微熱、身体の振戦、メマイ、顔面違和感…
それらは典型的な「穿刺後低髄液圧症候群」の症状の数々。
百年前から医学の教科書に記載されているはずの、病態です。

あの日、いとも簡単に髄液を抜き取った医師は、
自分の犯した行為の残虐性を、本当に認知していなかったのだろうか……
と今でも思います。
もし本当に本当に知らなかった、としたら
脳外科医としての知識のなさに唖然呆然するばかり、
もし認識した上で放置し、「髄液採取と無関係!」という暴言を吐いたとしたら

殺人未遂に等しいのではなかったのか……。
医師としても人間としても、あるまじき行為です。
目の前で苦しんでいる患者を、冷酷に見捨てたのですから。

もし、この症状が脳外科の範疇ではない、と判断したのであれば
適当な病院を紹介するのが、医師としての最低限の任務でしょう。
それが「医師」としてのあたりまえの仕事だと思っていました。
でも、ただの思い込みだったようです。

救急車の要請は無視されました。
「必要性をまるで感じない。
あなたの状態は緊急事態だとは思わないね。
そんなに呼びたかったら勝手にどーぞ。」

殺人鬼は続けます。

「でも、救急車を呼ぶのは病院を出てからにしてくれ!
困るんだよ。ここに呼ばれちゃ。」

薄く微笑みさえ浮かべて。。。

もうこれ以上、この男と話をする気にはなれませんでした。

(さらにさらに続く)


病名を探して~(6)

2007年10月04日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(2)~

私は幼い時から我慢強い子だと言われてきました。
ころんでも泣かない「イイ子」ちゃん、
なぜか親や周囲の頭にそうすり込まれていて
私はその期待に背かぬよう、
ちょっとした身体の痛みや心の傷や悲しみ、怒りを
素直に「痛いよぉ!」と言えない子供として育ちました。

学生時代、スキーで複雑骨折を負い
固定のために巻かれたギプスをはずす時に
電気ノコギリでギプスだけでなく生身の脚まで切られた時も
じっと堪えていました。
(なんで痛いといわないの?とナースに責められた)

出産の時も、極めて落ち着き、慌てず騒がず。
助産婦さんに
「模範的な産婦さんだわ!」と誉められました。

その我慢強い私が、冷静沈着なはずの私が
今まで「痛い!」と言わなかった私が
生まれて初めて

辛すぎる!
生命の危機だ!
気が狂いそう!

と思いました。そして助けを求めました。
私が助けを求める、という事は
よっぽどのことです。
それを私だけは知っている。
つまり私以外の人は知らないのです。
思い知らされました。

心無いナースの言葉で。

私は,努めて冷静に、今の自分の状況を訴えました。
「身体の全てが異常です。
身体は震えているし、脈も速すぎる、脂汗も出て、ふらつきもすごいです・・・
頭がグアングアンしているんです!」

顔がずれていることは、敢えて言いませんでした。
ひかれるかも・・・・・。
と考えたからです。
体力・気力は限界に近づいてきていましたが
理性だけは、かろうじて残っていました。

「今、先生はいません。朝まで来ません。
大丈夫、ちゃんと喋れているし、脈も飛んでません。
気のせいでしょ?あなた、神経質?」

気のせい?
このすごい症状が気のせい?だって?
そんなわけないじゃない。

せめて点滴を!と哀願しましたが
あっさり断られました。

…………放置です。

髄液採取から8時間が経っていました。

この時、私の身体では、とんでもない事態が起っていたはずです。
腰椎に刺した針は硬膜に穴をあけ。脊髄液がじゃんじゃん漏れていたのです。
ついには脳の中の脊髄液ががくんと減り、小脳が徐々に下垂……。
無数の脳神経や身体中の筋肉が異常に緊張を起こし、
「ありえない」症状の数々が起こっていた、と思われます。

この状態でさらに数時間、放置されました。
お昼近くになってやっと来た医師は、さらに信じられない言葉を吐きました。
「あなたの症状は、脳外科の範疇ではないよ。うちでやれる事はない。
髄液検査とは無関係。」

こいつは人間じゃない!殺人鬼だ!
私は決して気がおかしくなっているわけじゃない。
身体が尋常でないだけなのに…。

もう限界だ!
この病院にいたら殺される!

「救急車を呼んで下さい!」
もう体裁を繕っている余裕はありませんでした。
なんとか、この病院を逃げ出さなくては…。

もうろうとする頭で、何とか助かるスベを探っていました。
人間って不思議です。
どんな苦境にあっても、助かろうという本能が働くのです。
この時、まさに本能だけが機能していたと思います。

この平成の時代に、命を助けてくれるはずの、現代医療の現場が
殺人鬼が棲む「殺人の館」になりえるなんて

この時まで知りませんでした。

(さらにつづく)


 


病名を探して~(5)

2007年09月30日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(1)~

実はその日のこと、靄がかかったようでよく思い出せません。
あまりにショッキングすぎて、記憶装置がフリーズした状態になったのかもしれません。

なぜあの日、あの脳外科に行ったのか。
なぜあの日、髄液検査にうなづいてしまったのか。

その日は朝から体調が悪くぐったりと横になっていました。
頭痛もひどく、脊髄あたりに、地獄の底から這いずってくるような
何ともいえない、いや~な悪寒を感じていました。
普通のひどい頭痛とは明らかに違う、恐ろしい感覚です。

そして夜、救急である脳外科に搬送され
CTスキャンの後、髄液採取を勧められるのです。

「ズイエキ・・・ですか?」
その時私は「脳脊髄液」と「骨髄液」を混同し、恐怖をあらわにしていたのですが
「なーに、すぐ終わりますよ。この液が澄んでいたら
くも膜下出血じゃないって証明されるし安心ですよ。
このまま帰宅しても不安でしょ?
点滴するからお泊りしてもらう事になりますけどね。」
どーみても30歳前と思われる若い医師から、血液検査をするようなお気楽な説明を受けました。

その光景は、今思い出すとなぜか、モノクロの映像です。

髄液採取は意外なほどにあっけなく済みました。
エビのように背中を丸くし、
局部麻酔注射を受けた後に、エイっといとも簡単に
針を刺すのです。

「ホラ大丈夫だね。よかった。よかった。」
結果はその場で知らされました。
注射器の中の液体は見事に澄んでました。

くも膜下出血ではない。ではこの尋常ではない頭痛は一体なんなんだ。
医師は「命に別状はない」頭痛と軽く考えていたようですが
この数日間、安静にしても安静にしても回復しない体調に
普通ではない不安、恐怖がうずまいていました。

身体に異変を感じたのは、髄液採取から5,6時間後の事です。

トイレに立った時に、オソロシイほどふらついたのです。
ふわふわメマイは何年も続いていて慣れているのですが
この時のふらつきは、半端じゃありません。
首と頭蓋が不安定に揺れ動くような感じです。

体調は夜が深まるにつれ、ますます悪化していきました。
動悸・頻尿・手足の冷感・吐き気・身体の振動感・・・・・・。
でもまだこれらの症状は言葉で表現できるし、堪えられる。

何より辛いのが、後頭部から頚椎にかけての
得もいわれないザワザワするような気分の悪さです。

そして、そして
とても、この世のものとは思われない感覚

か、顔と頭のすべてがズレている!

目も鼻も口も耳も
顔のパーツ全てが、あるべきところからずれているのです。
もう気が狂ったとしか思えません。
首から上で、何かとんでもない事が起っている!
自分の身体に一体なにが起きたんだ!

もうパニック状態です。
このまま死ぬのかもしれない。
時々、手足を動かしては「まだ生きている」と確かめ確かめ。

薄れゆく意識の中でナースコールを押しました。


(つづく)


病名を探して~(4)

2007年09月23日 | 病名を探して…

~腰椎穿刺前のドクターショッピング・その2~

私は長い間「ふわふわめまい」に悩まされ、
さまざまな科を渡り歩き、
その都度、今度こそと希望をもって受診してきました。
内科・耳鼻科・眼科・整形外科・婦人科・歯科・脳神経外科・・・・・・

が、

ドクターショッピングを続ける間も
症状は自分でも気がつかないほどビミョーに
ジワジワと、でも確実に悪化してきていたのです。

数多くの医師の診察を受けましたが
あらゆる検査で異常がなければ
「あなた神経質ですね。気にしすぎるタイプでしょ。」
と心因性のものと決め付けられます。
ズボラでがさつ、超ノンキは私が「シンケイシツ?はい~~~?」

当時の症状は
・歩くたびに脳が揺れ動くようなふわふわ感(何時の間にか進化してました)
・聴覚過敏(金属音やお皿がぶつかる音が脳に響いて辛い)
・頻尿(水分を摂らないようにしていたのに)
・常に脳がもやもやする感じ
・食欲不振(空腹感はあるのに胃の入口が開かない感じ)
・手足のしびれ感
・後頭部の詰まった感じ、緊張型頭痛

それに加えて
部屋を片付けられない、外出が億劫、
とにかく身体を動かすのが辛いのです。
だるくてだるくて、時間があると、ついつい横になる時間が増えていました。

運動不足の怠け病・・・まさにその状態です。
やる気も気力もあるのに、身体が動かないのです。

あんなに大好きだった友達との会食や飲み会も
その日体調が悪くなったら・・・・・・と考えるとイマイチ積極的にはなれません。
それでも無理して参加しては、食べられない、を繰り返していました。
これって、ひょっとして「ウツ?」
あまりに「自律神経失調症」だとか「仮面うつ」だとか
「神経過敏」だとか多数の医師に言われ続けていると
自分的には絶対ちゃうで~!と思っていても
「ひょっとしてそうなん?」と思い始めてしまうから不思議なものです。
「うつ病」がメディアにも大々的に取り上げられ
市民権を得はじめた頃でした。

そんなある日いつものように日中からごろごろ横になって
大好きな韓国ドラマを見ていたら
いきなり震度4の地震です。
結構大きいです。
TVをNHKに切り替えてニュース速報を待ちましたが
一向にテロップが出ません。
「変なの~~。」とその時はあまり気に留めなかったのです。
が、それが頻繁に起るようになり、
ようやく、それが自分だけに起る「1人地震現象」だと知りました。

身体が地震のように揺れる・・・。
この症状も何人かの医師に訴えましたが答えはみな同じ。
「三半規管のトラブルで実際には揺れていない」

でも私は確信していました。

いや!ほんとに身体が物理的に揺れている!
震源地は脊髄だ!

(この謎は、後に出逢う1人の治療師さんによって
明らかにされました。
この揺れは、脳から尾骨まで続く「硬膜」の異常な緊張によるものだったのです。
西洋医学的には、こんな概念はないかもしれませんが、
揺れてる私自身の感覚は、まさにコレです。かなり近いと思います。)


この頃には、もうドクターショッピングをする体力もなくなり始めていました。
座っているのも辛い、立っていられない、横になっても辛い。
いつか倒れるかも・・・。

「その時」はひたひたと、音もなく静かに近づいてきていました。


病名を探して~(3)

2007年09月21日 | 病名を探して…

~腰椎穿刺前のドクターショッピング・その1~

ふわふわメマイは一時治まったかにみえました。
数ヶ月後、また再発した時も、また大人しくしてればいいさ~~。

めまいを侮っていました。

この時耳鼻科で処方された薬は
・メリスロン
・アデホス
・メチコバール
だったと思います。

今回はなぜか全く効きませんでした

それからドクターショッピングが始まったのです。

内科A院
血液検査・心電図・尿検査・レントゲン・MRI・胃カメラ
すべてに異常がなく
お約束の「自律神経失調症」という診断が下されました。
「ストレスあるんじゃないの?
noveさんはいかにも自立神経弱そうだもんね。
僕は何千人も患者さん見てるからねぇ~、うん、間違いないよ。
今気が重い仕事抱えてるでしょ?みててごらん。それ終わったらケロリと治るから」

(って治らないからきたんですけど・・・・・・)

薬はデパスとレンドルミン

内科B院
朝からだるい、ふわふわめまい、食欲不振という症状で
「仮面うつ病」では~~?と言われ
「トレドミン」という抗うつ剤が処方されました。
効能に「気分が明るくなる」と書いてあってちょっと笑えました。
(別に気分は落ち込んでいないんだけどなぁ~)
でもまぁ、折角なので、と1錠飲んでみたところ、
いきなり動悸がして気分が悪くなりました。
かなりの劇薬なのでした。
この頃は、まだ薬の副作用の恐さを知らず、
出されたものを素直にハイハイと飲んでいたのです。
オソロシイです。

婦人科
ホルモンが足りないのかもという事で
「ホルモン補充療法」を。
効果はほとんど感じられず、3ヶ月で中止。
その後、漢方薬を処方してもらったのですが
いずれも効きませんでした。
ここは「漢方も処方!」をアピールする人気のある婦人科なのですが

漢方と言っても、ただ「ツムラ」のアンチョコ本を見ながら
「え~~っと、めまいに効くのは何番かしら~~?」
と当てずっぽうで処方するだけなのですね。
漢方薬の知識はほとんどない、とみました。

まぁ西洋医学の医師のレベルはそんなものなのでしょうね。

いずれにしても、3週間ごとに、色々な漢方薬を処方され全滅でした。
さらに婦人科の範疇ではない、と切り捨てられ、耳鼻科受診を勧められられました。

が~~~ん。
耳鼻科がダメだからここに来たのに・・・・・・。

また振り出しに戻りました。

ドクターショッピングはまだまだ続きます。









 


病名を探して~(2)

2007年09月15日 | 病名を探して…

~腰椎穿刺前の症状~

私は腰痛穿刺で、世にも恐ろしい症状が出て、地獄に堕ちました。

が、しかし。

冷静になってよく思い出してみると
腰痛穿刺に到った経緯があったのです。
穿刺後のインパクトがあまりに大きかったもので
ついうっかりしていました。

そういえば私はずっと体調不良で悩んでいました。
おそらく十数年・・・・・・。もっとかもしれません。

突然あらわれる不定愁訴のような症状は
なんともいえない「ダルさ」「倦怠感」「食欲不振」でした。
テレビで食品が出てくるだけでも、もう気分が悪くなっていました。
これが一ヶ月ほど続き,体重はがくんと減りました。

だるいけれども、日常生活はなんとかこなせる程度のQOLです。
仕事も辛いけれどできない事はありません。
内科ではおそらく「風邪でしょう」と言われ、抗生剤ほか
吐き気止めなど処方されましたが、あまり効き目はなかったようです。
ただ、数ヶ月後にはいつしか治まってくれたので
「単なる疲れだろう」と軽く考えていました。

ただ、今から思うとこれもその後の体調悪化の一つのシグナルだったかもしれません。

このような体調不良は時折おこり
いきなり食事が食べられなくなる、という状態に陥りました。
折角みんなで食事に行っても、ほとんど食べられない事も。
胃カメラでは、軽い胃炎という診断です。
「気のせい」「ストレス」「考えすぎ」とも言われましたが、
楽しいはずのランチ会や飲み会がストレスなのかい?
ふと医師の言葉に疑問を感じた瞬間です。

そしてその数年後。
朝起きるとなんだか様子が変です。
家中の床がまるで「雲」のようにふわふわしているのです。
一瞬、夢の中なのか、と思いました。

気分は悪くはありません。
ただ、歩くとふわふわするのです。
こんなの初めての経験です。
早速PCで検索した結果「浮動性めまい」なるものらしい。
朝一番でふわふわ歩きながら耳鼻科を受診。
内耳の具合がよくないと、言われめまい止めの薬を処方されました。

この時、この薬が効いたのか、症状が軽かったのか
2,3日の安静で改善しました。

ただ、このめまいはこれから長いつきあいとなる
「病名のない病気」のプロローグとなるのでした。