たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

2007年の終わりに

2007年12月31日 | つれづれに

今年もあと数時間です。

あっという間に過ぎた1年でした。
この「あっという間」という「あっという間」は
おそらく、健康な人が普通に使う

「あっという間だったわねえ」
の「あっという間」とは質が違います。

ホントにホントに「あっという間」なんです。
普通人が使う場合は、
「あっという間に過ぎたような感じ」がする
という意味合いですよね。

私の場合は、そうではなく
あの物議を醸しだしたのDJ・Oさんの「紅白」を
たった数日前に
見たような気がする・・・そのレベルの「あっという間」です。
1月から12月までの細かい記憶が飛んでいるのです。

勿論、一日の大半をベッドの上に横たわり
天井や壁ばかり見て過ごしていたら
時間なんて、あっという間に過ぎていくのかもしれませんが、
あまりに不思議な時間の流れ方です。

この奇妙な時間の流れの中に身をゆだねながら、
一体「時間」ってなんなんだろうと思います。
自分が感じる時間の感覚と他人が感じる時間は
果たして同じものだったのだろうか……。

と。

今は明らかに違う、と思う。
おそらく、「時間」ってそれぞれ人によって使い方が違うように
感覚も質もまったく違っているものだと。

私が今、体感している「時間」は、
ちょっとかっこよく言ってしまうと
「宇宙との対話」しているって感じ。です。
来る日も来る日も、
ベッドの上で、季節感もなく、イベントもなく、なんの変化もなく
自分の身体だけと会話をしていると

時間も空間もすべて超えた「あるもの」と一体化している
っていうか、そんな感覚に近いものを感じます。

時空を超えた場所で生きていると
ものの見え方がまるっきり違ってきます。
今まで、表の色しか見えてなかったのに、
見る角度が変わって裏の色まで見えた、みたいな。

今まで「丸」だとばかり思っていたものが
横から見ると「三角」で、実は三角錐だったんだ~~みたいな。

そんな新たな発見がたくさんある年でした。
今まで、物事の片ッぽしか見てこなかったんだなぁ~~。
と実感しました。
病気になることで、というか
病気にならないと、見えなかったものが見えるようになりました。

そんな2007年でした。
2007年版の手帳は、雪のように真っ白~~~
予定を書き込むこともなかったし
特別に何も起らなかった一年ですが、
よくぞ生き抜いた一年でもあります。
いろんな事がありすぎた一年でもありました。


2008年には熱海の受診も決まっています。
どんな展開が待ち構えているのでしょうか?
ちょっぴり楽しみです。

このブログも半年経ちました。
ここでの出会いも心の支えとなりました。
コメント下さった方々
ほんとにほんとにありがとうございました。
来る年が、皆様にとって少しでも出口の見える
前進のトシになりますよーに


実は今日もあまり体調はよくありません。
顎の締め付け感と身体の揺れ揺れがハンパじゃありません
多分、「寝正月」になることでしょう。

こんな病人にも新たな年は訪れます。
「ニューイヤー休戦」が病気にもあるといいのになぁ~~。


星を動かす少女

2007年12月22日 | 心に残る言葉

「星を動かす少女」 

クリスマスのページェントで
日曜学校の上級生たちは
三人の博士や
牧羊者の群や
マリヤなど
それぞれ人の眼につく役を
ふりあてられたが、
一人の少女は
誰も見ていない舞台の背後にかくれて
星を動かす役があたった。


「お母さん、
私は今夜星を動かすの。
見ていて頂戴ねー」


その夜、堂に満ちた会衆は
ベツレヘムの星を動かしたものが
誰であるか気づかなかったけれど、
彼女の母だけは知っていた。

そこに少女の喜びがあった。

松田明三郎作 福永書店

……………………………………………………………

毎年、聖夜を迎える頃になると
思い出す詩です。

人には、その人だけが果たせる「役割」というものがあります。
華やかな容姿や、きらめく才能で
人々を感動させ脚光を浴びる、「表舞台」側の人もいれば
裏方で、その役割を地道に果たす人もいます。

どちらがエライという事ではなくって
どちらも大事。どちらも必要。

大切なのは、
その人が与えられた役割を
そう以上でもなく、それ以下でもなく
どれだけキチンと果たせているか・・・。

そして、
世界でたった一人だけでいい
見守ってくれる人がいる
認めてくれる人がいる・・・
喜び。

病気病気に明け暮れた今年も、もうクリスマス
辛くない時は一秒もなかったけれど
こんな私でも、メッセージを届けてくれる方がいる
コメントを下さる方々がいます。

皆さんに支えられて、今日もあります。
病の中にあっても、少しでも
平安な聖夜が迎えられますように。

皆様のためにお祈りします。
アーメン


熱海からの招待状

2007年12月15日 | 脳脊髄液減少症

ついに、というか
やっと、というか

熱海からの招待状が届きました~~~~~


1年以上待って、待って、待って、待って、待って
ようやく手にした
プラチナチケットです

もし、一等の当たり宝くじ券と交換してほしい、と言われても
絶対にゆずれない、宝物です。
(でもチョットは揺れるかも

封筒の「国際医療福祉大学熱海病院」という文字を見たとき
思わず心が波うちました。
封を切る手が震えていました。
ついに来たんだ。

「平成20年2月日 14時」

A4のペラ1枚の紙には
ごくごくシンプルに、そう記されてあるだけですが、
キラキラと光って見えました。
その時間は、
あの超多忙な篠永先生が、私のために作って下さった
私だけとの約束の時間です。

感激です。
この1年半……。
長かったような、あっという間だったような。
初診までに、1年以上という、途方もない時間を
みなさん、どのような想いで過ごしているのだろうか・・・

待ちきれなくて、他の病院の扉をたたく方
ひたすら、じっと、便りがくるまで耐える方
さまざまな民間療法を試される方
宗教やスピリチュアルな世界に目覚める方
残念ながら心身共に力尽きてしまわれる方……

百人いれば百通りのストーリーがあるでしょう。
百通りのドラマがあります。

熱海は
「脳脊髄液減少症患者たちの聖地」です

(ゆめさんブログで知った、アタミステリー「恋人たちの聖地」のパクリ)

熱海の病院にたどり着くまでには、
多数のドクターショッピングにドクハラ経験、
心療内科や精神科に回されて
身も心も人間関係もぼろぼろになっている方が多いのでは、と思います。

そして、終着駅の「熱海」
同時にここは始発駅でもあります。
やっとスタートラインに立てるのです。

この1年半。
ほぼ引きこもりの生活を余儀なくされてきましたが、
見かたを変えれば、とても濃くて、深い年だったと思います。
世の中に、こんなにも原因不明の病で苦しんでいる方が多いなんて。
こんなにも、現代医学が無力だったなんて。
こんなにも、「初心」を忘れた医師が多いなんて。

この病気にならないと、知らないことばかりでした。
一体、私は今までの人生、何を見て生きてきたんだろう。。。。
「病気を苦に自殺」なんてニュースにも
厚生労働省前で座り込み、の報道にも
ひどく敏感に反応するようになりました。

運良く、「脳脊髄液減少症」という診断を早期にもらえ
早期のブラッドパッチで順調に回復~~~~と
とんとん拍子にことが運んでいたとしたら
こんなにも、深くつきつめて考える事もなかったでしょう。

おそらく、この「待つ時間」は、私にとって必然の時間だった、
と今では思えるようになりました

ところで、
話は熱海受診にもどりますが

病院のサイトによれば、

「初診の患者様は15分再診の患者様は10分
質問事項は数項目にしていただけると助かります。 」

そ、そんなぁ~
1年以上待って、たったの15分なんて~

病気の経緯や症状については、申し込み時に
詳しく書いたのですが、状況は、時間と共に当然変わります。
この1年の経過や、今の症状をお伝えして、
先生のご意見を伺って、これからの治療についてのお話が、
とても15分で済むとは思えません。

初診の時って、
どの程度のお話ができるのでしょうか?
脳脊髄液減少症かどうか、は問診である程度解るのでしょうか?
この時点で入院の日程も決定されるのかしら?

もし熱海でも
「異常なし」「漏れなし」と宣告されたら……、
と考えると、いささかコワイのですが
とりあえず、前を向いていくしかありません。

2007年。
この1年は「待」「耐」「忍」でした。

2008年。
「快」「望」「夢」になればいいなあ。

同病仲間の皆さんと
お散歩とか、デパート巡りとか、温泉旅とか
「あんな苦しい時もあったね」なんて
思い出話ができる日を夢見ています。

 


「緩和ケア」に思ふ

2007年12月07日 | つれづれに

数日前の朝のワイドショーで
「緩和ケア」を特集していました。

緩和ケアと聞くと、
ガン終末期のケアというイメージが強いのですが
今は初期ガンでも積極的に、痛みを軽減する治療が進んでいるらしい。

おぉ、素晴らしい!

耐えられない痛みは、人を壊します。
心を破壊します。
身体の苦痛は、健全な思考を停止させます。
身体の痛みは、脳内物質ドーパミンを分泌させなくするそうです。

つまり、痛みを軽減できれば、
ドーパミンが正常になり、やる気も元気も出てくる
という事なんですね。

「モルヒネ」は、末期ガンの鎮痛剤という認識がありましたが
今はまったく違うらしい。

鎮痛剤イコール一時押さえの痛み止め、なんとなくコワイ
というイメージはもう過去のもの。常習性も心配ない。
むしろ、
痛みを緩和することで、生きる意欲が湧いてくる
という大きな利点があるという。

ガンの病気自体の痛みと治療の痛み、辛さで
「死んだ方がマシ!」と生きる希望を失っていた患者たちが
痛みが緩和される事で
病気と前向きに向かい合えるようになっている……。
画面の中の患者さんは、きれいにメークをし、微笑んでいました。
痛みがなくなる事で、免疫力も治癒力もアップしたのでしょう。

身体の痛みがあるかどうか、症状があるかどうか
は本当に大きい、と思います。

身体の痛みは、心をも蝕みます。

私は、長年にわたり、身体の不調を抱えて
なんとか原因を探るために
症状の改善を求めて
ドクターショッピングをしまくってきました。

どこの科でも、最後に言われるのは
「ストレス抱えていますね」という言葉。

そのたびに答えてきました。

「はい!この症状が一番のストレスです!」

毎日毎日、身体の不調を抱えているのは
ほんとーに大きな大きなストレスです。
身体の痛み以外に
ストレスらしいストレスは思い当たる節がないのですから。
原因が身体にあるのは、私が一番よく知っています。

おそらく、身体の苦痛のため
ドーパミンの分泌が乏しくなっていたと思います。

ドーパミンが減るとどうなるか……。

あるサイトにこうあります。

「ドーパミンニューロンは大脳基底核とそれに指令を与える大脳皮質(とくに前頭前野(ぜんとうぜんや)や
帯状回(たいじょうかい)など)に枝を伸ばしてドーパミンを分泌します。
そこでは技能を磨いたり、次第に行動を習慣化したり、
そのような個々の行動をどのような順番に組み合わせて行動を起こすかを企画したり、
戦略を練ったりする働きをしています。
ですから、パーキンソン病のようにドーパミンニューロンが減少してドーパミンが少なくなると、
立ち上がって歩こうと思っても、身体がすくんでしまって、どういう順番に筋肉を動かしていいかわからなくなったり、
身体が震えたり、運動そのものができなくなってきます。
また、物覚えが悪くなったり、忘れっぽくなったり、万事がゆっくりになって反応が鈍くなり、
集中力や注意力も失われ、無力感、無気力になったりします。
また、次第に人と交わるのも嫌になり、社会から離れていきます。」

なんか、これって

脳脊髄液減少症の症状とよく似ている!

実は私も一時、パーキンソン病ではないか、と
疑っていた事があります。
神経内科の医師に一笑にふされましたが、
こうして、読んでみると、共通点は大ありのような気がしてきます。

でも、大きな違いは
脳脊髄液減少症の場合は、症状が軽減されたら
ドーパミンが正常化してくるところでしょう。
でも、これはどの病気にも言える事ですね。きっと。

痛み・苦痛の緩和はこれからの医療には欠かせない分野です。

これまで医師は、病気を治す事だけに目を向けて
患者の痛みにはまるで無関心でした。
治療は痛いものだ。我慢しなさい!
と言い続けてきました。

でも実は痛みそのものが、新たな病気を作っていたのです。

しかし、脳脊髄液減少症の場合
ガンとは違って、あまりに症状が多彩なため
「緩和ケア」はなかなかに難問題です。
頼みのモルヒネすらも効かないという頭痛や全身痛……。

でも私が今抱えている、身体の硬直感やら眩暈感、違和感やら
ハンパじゃない症状が、緩和されれば
どんなにか楽になり、もっともっとポジティブにもなれるでしょう。

ガンだけではなく
脳脊髄液減少症の「緩和ケア」
どなたか研究して頂けないでしょうか……

こうしてブラッドパッチを待っている間も
痛みや辛さや経済苦や周りの不理解で
自ら命を絶っていくと思われる、この病。

せめて、身体の苦痛だけでも緩和されれば、
と祈る日々です。