たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

病名を探して~(7)

2007年11月28日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(3)~

かなり間があきました。

脳脊髄液を抜かれた日の続きを書きます。


髄液検査から17時間が経っていました。
その間、採取直後の200ccの点滴1本のみ。
水分は一滴も摂取しないのに、頻尿は続いていました。
完全な脱水症状です。

症状は刻一刻と悪化していくのが解りました。
気が狂ったかと思うほどの、身体の中心部から起る気分の悪さ。
喩えようのない、とてつもないダルさに襲われてきて

「死」の影が頭を掠めます。

脳脊髄液採取後の激変。
激しい頭痛、不整脈、頻尿、微熱、身体の振戦、メマイ、顔面違和感…
それらは典型的な「穿刺後低髄液圧症候群」の症状の数々。
百年前から医学の教科書に記載されているはずの、病態です。

あの日、いとも簡単に髄液を抜き取った医師は、
自分の犯した行為の残虐性を、本当に認知していなかったのだろうか……
と今でも思います。
もし本当に本当に知らなかった、としたら
脳外科医としての知識のなさに唖然呆然するばかり、
もし認識した上で放置し、「髄液採取と無関係!」という暴言を吐いたとしたら

殺人未遂に等しいのではなかったのか……。
医師としても人間としても、あるまじき行為です。
目の前で苦しんでいる患者を、冷酷に見捨てたのですから。

もし、この症状が脳外科の範疇ではない、と判断したのであれば
適当な病院を紹介するのが、医師としての最低限の任務でしょう。
それが「医師」としてのあたりまえの仕事だと思っていました。
でも、ただの思い込みだったようです。

救急車の要請は無視されました。
「必要性をまるで感じない。
あなたの状態は緊急事態だとは思わないね。
そんなに呼びたかったら勝手にどーぞ。」

殺人鬼は続けます。

「でも、救急車を呼ぶのは病院を出てからにしてくれ!
困るんだよ。ここに呼ばれちゃ。」

薄く微笑みさえ浮かべて。。。

もうこれ以上、この男と話をする気にはなれませんでした。

(さらにさらに続く)


病者の祈り

2007年11月20日 | 心に残る言葉

「病者の祈り」 

大事をなそうとして 力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと 弱さを授かった


より偉大なことができるように 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱を与えられた


幸せになろうとして 冨を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった


世の人々の賞賛を得ようとして 権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと 弱さを授かった


人生を享楽しようと あらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと 命を授かった


求めたものは一つとして 与えられなかったが
願いは全て聞きとげられた


神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
こころの中の言いあらわせない祈りは
すべてかなえられた


私はあらゆる人生の中で
もっとも祝福されたのだ

神は、私が必要とすることを一番よく知っておられた

………………………………………………………………………

これは、ニューヨーク・リハビリセンター研究所の壁に書かれた一患者の詩。
作者は不明ですが、非常に重い病気を
抱えた患者の詩だろうと言われています。


深いです。とても。

私は特別な宗教をもっていませんが、
神は存在すると思っています。
その姿を見たことも、声を聞いたこともないけれど
それでも神はいると信じます。

奈落の底で溺れかけていた時
細い細~い、蜘蛛の糸のようなものが
上から垂れてきたことがあります。

いかにも頼りなげで、心もとなく
いまにもブチンと千切れそうなのですが
それにしがみついて、すがって今まで生き延びてきました。
その糸が切れそうになると、
新たにまたスルスルと上から糸が降りてくる……。
その繰り返しの日々。

そこに<Something Great>を感じました。


死んだ方がマシ、という辛い症状になんとか耐え
何度も何度も奈落の底に叩きつけながらも
降りてくる糸に必死につかまりながら
今日もこうしていられるのは、
こんな私でも、なんとかして生かそう、としてくれる
偉大な力が働いているから。

神の意志を強く感じます。

「より偉大なことができるように 健康を求めたのに
より良きことができるようにと 病弱を与えられた」

より良きことができるように……。

病気によって与えられた時間
病気だからこそ果たせた出会い
病気になってこそ持てる感謝の気持ち

より良きことは、
もう起っているのかもしれません。



ゴールの見えないマラソン

2007年11月07日 | つれづれに

腰椎穿刺から1年4ヶ月が経ちました。

熱海からの招待状はまだ来る気配がありません。
診察を待ってかれこれ1年。
病院のホームページで確認しましたが、
どうももうしばらくは無理みたいです。

実は私には、まだ病名がありません。

でも「脳脊髄液減少症」だと思い込んでいます。
いえ「脳脊髄液減少症」であってほしいと思っています。
どこかに髄液漏れが見つかるといいなぁ~と。

今の私の状態ですが

一日の半分以上は安静臥床で過ごしています。
午前中はまだ体調はマシで家事も出来ますが、(といってもごくごくわずか)
午後から夕方にかけてはダウン。夕方にデパスを飲み、
気合いで夕飯作り、風呂洗い、片付けなどをこなします。
昼寝はほとんどしないのに、夜眠れません。完全に睡眠障害です。
入眠剤は命です。飲まないで頑張ると、次の日、寝不足で一日戦死します
薬に頼ってでもちゃんと睡眠はとった方がいいようです。
一日中、身体は揺れています。
揺れ方は毎日びみょーに変わります。
舟に乗っているようだったり、乱気流に巻き込まれた飛行機みたいだったり
地震のようだったり、空飛ぶ絨毯の上に乗っているようだったり……。
遊園地にあるコーヒーカップのソーサー部分に横たわり、めちゃくちゃに振り回されているように感じる時もあります。
まぁ、バリエーションは豊かです
頚椎の上に頭蓋がちゃんと乗っていない感じがします。
おそらく首と頭をつなぐ、靭帯や筋肉がこんがらがっているのでしょう。
とても不安定です。お辞儀をすると頭がコロンと落ちそうになります。
頭蓋が常に歪んでいます。
頭蓋骨を構成する骨のパーツの継ぎ目が、緩んでいる感じがします。
頭蓋はいくつかの骨で、しっかり縫合されているはずなのですが、
それが毎日ゆあ~んゆあ~んと揺れ動いています。
こんな事は「医学的にはありえない!」そうですが、
実際私の頭ではありえています
頭蓋が揺れ動くので、顎関節も毎日、派手にずれてます。
朝起きると、噛み合せが確実にずれてます。
それもだんだんひどくなっているような…
上あごの天井も明らかに徐々に下がってきていて、
物理的に喉もずれているようで、物が飲み込みずらいです。
身体全身の関節がバラバラにはずれる感じがします。
PCの前に座って5分もすると、魔法で石にされたかのように、
身体がガチガチに固まります。


まだまだ、まだまだあるのですが、
とにかく、「この世ばなれ」した症状が多くて参ります。
説明するのに一苦労。
今一番辛いのは、頭蓋の派手な動きです。
頭蓋の真中あたりにある「蝶形骨」の動きが異常みたいです。
毎日顔面に骨があたり、ごんごんと疼きます。

こんなヘンテコリンな症状と向き合う日々は
ゴールの見えないマラソンコースを
とろとろ歩いているようなもんです。

はじめこそ、ゴールを探して探して、小走りに走る気力はありましたが
もう今ではその気力、体力ともに尽き、
立ち止まっては、休み、休み、休み……。

本道から細い道に迷いこみ、
なんとか、正しいルートに戻ろうと必死になり、
めちゃくちゃ歩いているうちに、本格的に迷子になって、
さらに本道から遠ざかっている…そんな感じです。

でも、果たして本当に出口はあるのだろうか……。

ゴールの見えないレースは過酷です。
ゴールの見えるアスリートさんはいいなぁ~
マラソンランナーは42.195km先にゴールがあると信じているから
どんなに辛くても、足が折れそうになっても頑張れるのでしょう。
アルピニストだって、登山の途中、すごく呼吸が苦しくて、死にそうになっても
頂上がある事を知っているから、堪えられる……。

でも、この病気にゴールはあるのでしょうか。
頂上はあるのでしょうか。

私は、今「闘病」しているとは思っていません。
だって、闘う相手が見えないのだから
闘いようがないのです。
がん細胞とか、腫瘍とか、ウィルスとか
目に見えるものが相手なら、闘うすべがあるけれど
あらゆる検査で「異常なし」では
闘いようがありません。

目には見えないけれど、でも絶対どこかに潜んでいて
巧妙に攻撃してきます。
こちらがとっくに白旗あげているのに……。
それなのに、攻撃の手をゆるめてはくれません

毎日毎日、見えない敵と同居して
ゴールの見えないマラソンをしている気分です。

でも、その前に素朴なギモン

私は本当に

脳脊髄液減少症 なのかしら……?


「あたりまえ」じゃない

2007年11月03日 | 心に残る言葉

「あたりまえ」 

あたりまえ
こんなすばらしいことを、
みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを


お父さんがいる
お母さんがいる
手が2本あって、足が2本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか


しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます


食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そしてまた又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと


こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、
それを失くした人たちだけ
 
なぜでしょう
あたりまえ


井村和清著『飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ』 から 1980年 祥伝社

………………………………………………………………………

32歳でガンを患い、そして逝った、医師井村和清さんの言葉です。
TVでも取り上げられたし、当時話題にもなりました。
この本も詩も読んだはずなのに、
すっかり忘れていました。

おそらく、その頃は「あたりまえ」の日常が「あたりまえ」だったから……。
あまりにあたりまえすぎて、あたりまえに感謝する、
なんて、心に一瞬留まったにしても
あっという間にスルーしていったのでしょう。

でも、今。

私にはあたりまえの日常がありません。
あたりまえの日常を失ったから
このフレーズが心にジンジン響きます。

あたりまえを失っている今、
「行きたい所に1人で行ける」
「死の恐怖なしに眠れる」
「疲れるまで歩ける、走れる、働ける」

ことが、どんなに「幸せ」だったかが痛いほど解ります。

幸せって、
宝くじに当たること、とか
競争に勝って一番になること、とか
大きな家を建てること、とか

そんな特別なところにあるわけじゃなくて
何も特別に起らない、
平凡な日常という日々の中にあります。
普通の身体で普通に暮らす毎日が
もうすでに、まぶしいくらいの「幸せ」なんです。

そんなことも知らずに何十年も生きてきました。

そして私の今の夢。
ブログ仲間の「ゆめさん」とコスモス畑を散歩すること。
200メートル先のコンビニまで休憩なしに歩き、買物すること。
1ヶ月に一度、1時間でもいいから、「自分の身体」を意識しないでいられること。
だったりします。

健康な時は、これといった大きな「夢」はなかったけれど
病んでいる今は、星の数ほどあります。
「あたりまえ」だった日常が、
すべて「夢」に変身しています。
身体のQOL(クオリティ・オブ・ライフ)はめちゃくちゃ低下しているけれど
心のQOLは極めて豊かになってます。

「夢」が膨大にある今の「あたりまえじゃない」日常は、
ある意味「幸せ」なのかも。
とふと思ったり。

とはいえ本音は、



アタリマエモドリたぁ~~い~~~~~~~~

なんですけど……ね。