たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

美しいひと

2013年12月24日 | 心に残る言葉

今年も、はや、クリスマス。

クリスマスといえば。。。
毎年思い出す、エッセーがあります。
というか、ある「一行」。

向田邦子さんの「マスク」
その短編エッセー集の、ほんの一行。
『霊長類ヒト科動物図鑑』(文春文庫)

向田さんがラジオの台本を書いていたころのこと。(昭和40年頃かな)
締め切りぎりぎりで上がった原稿を自分で印刷所に届けることになります。
(昭和の匂いがします。当時はパソコンはおろか、FAXさえない時代)

その日はちょうど「クリスマス・イブ」
ジングル・ベルが流れる街を、彼女は印刷所の下請け内職でタイプを打つ人を訪ねます。
すると、風邪っ気らしいマスクをした中年女性が無愛想に。
「あんたねえ、帰ったら先生に言って頂戴よ。字がすごく読みにくいのよ。タイプを打つほうの身になって。。。」
Gパンにサンダルをつっかけた彼女をお使いだと思ったらしい。

どうやら、相手は途中で彼女がその先生本人だと気が付いたらしく。
「今お茶を入れるから」と、ガスストーブの上のやかんをチラリと見てお茶の用意をはじめます。
ところが、やかんの把手が熱くて持てない。そこで、彼女はマスクをはずして、それで把手をつかんだ。
カーボンで黒ずんだマスクだったが、向田さんはそれが「嫌ではなかった」。。。
ふたりはその機械油の匂いの中で、黙って薄いお茶をすする。
お互いに白粉気のない顔。「イブには、不似合な身なりだった。」
そして、あの名言が。。。


「聖夜」という言葉を感じたクリスマスは、この時だけである。


この一行が、毎年毎年、この季節になると、ループのように周り、流れ始めるのです。


「聖夜」という言葉を感じたクリスマスか。。。

元気なころは、クリスマスを「聖夜」と感じた事なんかなかったな。
ミッション系の学校だったので、教会で迎えるクリスマスはあったけれど。
それは、「聖夜」と呼べるものじゃなかった。。。
でも、8年前。
「髄液採取」をきっかけに、脳脊髄液減少症を発症し、日常生活を失い
迎えた8回のクリスマス。。。すべてに「聖夜」を想います。

苦しむ人は「美しい」。。。

病名はちがっても、苦しんでいる人は、美しい。悲しむ人は美しい。
様々な闘病ブログと出会い、「人の尊厳」「生きる意味」「魂の求めるもの」。。。
を懸命に模索し、苦しみながらも、今そして未来の患者さんにメッセージを発信していて。
その姿は「美しい」という以外の言葉がみつかりません。

先日も、ある報道番組で、
美しい女性に出会いました。
彼女は、難病のALS=筋萎縮性側索硬化症に苦しんでいます。
10万人に一人という難病です。
「自分でよかった。誰かが罹らなくてはならないのなら、自分でよかった」と言います。

さらに「まだ指が動く」「まだ喋れる」と。
そんな彼女の願いは一つ。「自分に間に合わなくても」少しでも早く進行を遅らせる薬が開発されてほしい!

常に素敵な笑顔を絶やさずに取材にこたえる、
その人は、まさに「聖女」そのものでした。


ALSは、特定疾患に認定された指定難病、
「脳脊髄液減少症」は、未だに多くの医師に認められない病気。。。
という違いはあります、が、
私も、「私でよかった」とも思うし、「自分に間に合わなくても。。。」とも思います。

でも私は決して美しくはない。

時々、神様に文句をいいます。
時々、運命を恨みます。
時々、死ねる病の方を羨みます。
時々、この症状のりうつってしまえ!と、私たち脳脊患者を追い詰める方々に呪いをかけます。
時々、というか笑顔でいられない日も多いです。
時々、というより毎日、「揺れない」体がほしい、と思います。

美しい人になりたいな~。
自分よりも他者を心から想い、寄り添える人になりたいな~。
喜んで苦しみを引き受け、受け入れられ、
すべてに感謝ができる人になりたいな~。

神様。
そんな贅沢なお願いを聞きいれて下さいますか。。。
こんな私でも「祝福」して下さいますか。。。
こんな人間でも救われますか。。。


こよいは「聖夜」です。
世界中の苦しむ方々。哀しむ方々の上に「光」を。
と祈ります。
アーメン†