たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

ズイエキは一日にして増えず

2008年06月21日 | 脳脊髄液減少症

退院してから早くも3ヶ月が経ちました。

今週、熱海初再診に行ってきました。
この3ヶ月… 律儀に「生食パッチ」すること十回。
効果は実感しています。ただ、極めて不安定です。
回を重ねるごとに右肩上がりに、改善していく…
な~んて甘いものではありません。
体調は折れ線グラフ。
良いと思えば、また下降、下降したかと思えば、また下降…下降…。
で、プチ上昇してはまた下降。

生食パッチで、速効効果を感じられる日ばかりとは限らなくなってきました。

ホントまに、こんなん続けていて治るのかいな…。

一抹の不安がよぎります。
揺れる~揺れる~乙女心

今回のテーマはこの「迷い」

私にとって初めての「熱海再診」です。
与えられる持ち時間は、たったの「十分」。
この貴重な「十分」をいかに使うか。生かしきるか。
ポイントは、質問項目を一つに絞り込むこと
S医師にお聞きしたい事は山ほどありますが、
どうしても一つにしぼれと言われれば、コレしかありません!

「生食パッチと今後、どう付き合っていくか!」

S医師のお答えはいたってシンプルでした。




「信じてお続けなさい」




ははぁ~~
この一言で迷いがふっきれました。

「生食パッチ」は硬膜外に生理食塩水を注入し、
硬膜に圧力をかける事で、脳脊髄液圧を上げる効果をねらうもの。
脳脊髄液圧が上がれば、一時的に髄液が増えた状態になり、
下垂している脳が、ブカ~と浮かび、あるべき位置を思い出す。
「脳」が正常な場所を思い出したらしめたもの。

人の身体は不思議なもので、どんな状態に陥っても、
ちゃんと元にもどろう、とケナゲに働きます。
脳が元にもどろうとすると、髄液もそれに伴って、増えよう増えよう、と頑張る。
それは「自己治癒力」ともいいますが。

つまり「生食パッチ」は、人が持つ治癒力を引き出す、
かなり原始的かつ自然な治療法なのです。
気功師が「気」を流し、治癒力を高めてくれるように。
西洋医学のドクターは「気」の代わりに「生理食塩水」を流し、
治癒力をうながします。
西洋医学の概念だけでは、とても理解できない療法です。
だって、ドクターだって、「生食パッチ」で患者の身体が
どう変化するのか・・・なんてやってみないと分らないんですもの。
治療師が分らない事は、患者にしか分らない……。

ただ脳脊髄液は、そう簡単に増えるものではないらしい。
すご~く時間がかかるそうです。
生食パッチも一時的に楽になるからと、月に何回もしても、意味はないそうです。
それより、気長に、諦めずに、続けることが大事……。

月2回程度のペースで1年は続けた方が、とおっしゃってました。

やっぱり1ヵ年計画なんだぁ~~~

熱海の病院では、外来で2ヶ月に一度しか「生食パッチ」は行っていないとか
それでも、5回6回(つまり1年近く)と、
回を重ねるにつれ、改善されている方が増えているそうです。

つまり、そうなんです。

髄液は、そう簡単に増えるものではないんです。
結果を急ぎすぎてはいけないんです。

気長に「ローマ」が成るのを待つとしませう


人生の優先順位

2008年06月14日 | つれづれに

数日前かなり近しい方が亡くなりました。

本来ならお通夜とお葬式の参列はもちろん、
火葬場までお見送りする位の間柄。
でも私、そのいずれも行く事ができませんでした。

ついに「お葬式」までもが、私の中の優先順位から転落レました。

人生の中の節目である「冠婚葬祭」
「冠」「婚」「祭」は、
2年前、腰椎穿刺を引き金として引きこもりになってから
とっくに番外に落ちてました。
でも「葬」だけは、なにがなんでも、ぶっ倒れても「行かなければならないもの」だ
と思い込んでいました。

でも、その「葬」すらもアッサリはずれました。
もう見栄も体裁も外聞もどーでもいいや。
誰に何を言われようが関係ないや。
葬儀所に行くまでの道中や読経の長さを考えると、
とても無理無理シグナルを身体が発していました。
下手すると棺桶がもう一つ増えるかも
だからやめました。

「ペインクリニックは行けても葬式は行けないのね」
と言われたってコワクないも~ん
今の私の優先順位は
「まず、今この瞬間をいかに乗り越えるか」なのですから~

そう思ったら、気がらく~~になりました。
人生で「なにがなんでもしなくちゃならない事」なんて
そうそうはないんです。
「しなきゃならない」
「守らなきゃならない」
「こうならなきゃならない」
なんて何一つないんだなって。みんな思い込みなんですもんね。

人の苦しみはその「思い込み」に囚われる事で、生まれます。
「思いこみ」から開放された時、人は楽に、自由になれるんです。

アキバの犯人は、自分が負け組だと思い込んでいたようです。
中学生まで優等生だった彼が高校で落ちこぼれ、
そんな自分を受け入れられなかったのでしょう。
でもそれって思いきり「思いこみ」。
自分はずっと優等生であり続けなければならないっていう「思いこみ」。

ほんとは人生ってなんでもアリなんです。
こうならなきゃなんて、何一つないんです。
落ちこぼれ、大いに結構。
とことん落ちたら、そこから這い上がる楽しみがあるじゃない。
お笑い芸人になったら、「ネタ」にできます。
彼女がいなくたって立派に生きていけます。
デートに使うお金も時間も節約できるし、その分自分に投資できるじゃない。
「負け組」のどこが悪いの?
みんながみんな「勝ち組」だったら、世の中どうなっちゃう?
みんながみんなイケ面だったら、「イケ面」くんの価値がなくなります。

人の不幸の多くは人と較べたり競ったりする事からうまれています。
私は、脳脊髄液減少症を患って、それがよく分かるようになりました。
人生の価値基準がガラリと転換しました。
それまで「大事」だと思っていた事が、実は全然大したものじゃなかった…
いかに「外面的」なものにとらわれて左右されて生きていたのか…
いかに人を容姿や学歴や肩書きや年収や性格だけで判断していたのか。
そんなもの「人」をみる上でなんの価値もないのに。

価値観が変わると、
当然、優先順位も変わります。

今は「なんとか生き抜く事が一番」大事
それ以上のものはありません。

私から見ればアキバくんは全然「負け組」なんかじゃありません。
普通に歩けて普通に車を運転できて、ナイフを振り回す元気があるんでしょ。
一日3時間以上起きていられない私から見れば
なんて幸せなんでしょう。
それ以上何が欲しかったの?
その「幸せ」に気づけなかった事が、彼の最大の不幸です。

もし彼が脳脊髄液減少症になっていたとすれば……。
自分に与えられた全ての事に感謝でき、
人と較べない人生を歩めたかもしれないのにな… 。

神様もたまには、人選ミスをなさるようです。