たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

クリスマスだから・・・再掲

2019年12月24日 | 心に残る言葉
お久しぶりです。
一年ぶりですかね。
 
あまりに久しぶりなので、ブログの入り方も編集の仕方も、もう全然変わっていて
なかなか出来ず、なんというか、なんというか
時代の流れについていけない、というか汗
でも、こんなに化石でも生きています。
なんとか生きています。

不思議です。
こんなにポンコツなのに、生きていて、
まだまだ若くて、お元気な方が、、、って。
哀しくなります。

それでも自分が「生かされている」ということの意味を考えます。
今、どんなに辛くて苦しくても、
「死」はいずれ向こうからやってきます。
これはもう絶対!100パーセント!

だから、友達やパワハラで追い詰められていたとしても
違う風景を見てほしい。

以前、アップした記事ですが。。
苦しんでいる方々に届けばいいな。


「クリスマスだから」


クリスマスだから
かんがえる
たくさんたくさん たくさん
かなしんでいる
ひとの こと
 
それから すこうし
かんがえる
どうしてどうして どうして
かなしい
ことが あるのかな
 
クリスマスだから
かんがえる
かなしんでいる
ひとのこと

阪田寛夫 作

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クリスマスだから考えましょう。
イエス様が、なぜ、この世にお生まれになったのかを。
イエス様は、貧しく、苦しむ方々を救うために、降誕されました。
決して、裕福で、幸せに満ちた方のためじゃありません。
聖書にも、記されています。
「富んでいる者が神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方がもっとやさしい」と。
「この世でなく、天に財を積みなさい」と。
(注:富んだ者とは、お金儲けのみに執着している方々です)
そして、とても難しいことですが
「汝の敵を許し愛しなさい。。。」と
イエス様は、一貫して「愛」を説いてまわりました。
「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。(新約聖書 コリント人への手紙 第一 13章4節~8節)」

ご自分をより美しく、より若くみせるために、外見を磨くのもいいけれど
肝心の「魂」を磨かなかったら、
イエス様が悲しみます。。。
だから
クリスマスだから考えてほしいです。
どうしてどうして どうして
かなしい
ことが あるのかな

もし、今、幸せに満ち溢れている方も
どうか。悲しんでいる方々に想いをよせる事ができますように。
そして。。。
悲しむ方々、苦しむ方々の皆様の上に光が降り注ぎますように
 
アーメン

 


許す

2017年12月24日 | 心に残る言葉
こんばんは。

ご無沙汰しております。
頂いたコメントにもお返しできず、心苦しいです。
体調もありますが、パソコンのご機嫌が悪かったのも一因です。
ようやくログインできました。
もうどなたも見ていらっしゃないかもしれませんが、
この時期ですし、更新しようと思います。

最近、「脳脊髄液減少症」関係のブログが増えてきました。
患者さん本人だけではなく、ご家族(親御さんやパートナー)も目立ちます。
それだけ、この病気が、普通に語られるようになったって事なのでしょう。
「脳脊髄液減少症」は、原因不明な場合も多いのですが、
明らかに外傷から発症する事も少なくないです。
例えば、車での追突、尻餅、整体などでの無理な施術、スポーツでのケガ。。。
そして、私のような医療行為。

理不尽な事故から発症した場合、
そこには「加害者」が存在します。
が、それが故意ではないだけに、
この病気や治療やその後の裁判などを
かなりややこしい事にしています。

子供の患者さん(中・高校生を含む)の場合は、特に悩ましいです。
ちょっとした、遊びの中でのふざけた行為(いじめでななく)や、自転車での接触や
体育の授業や部活での中での事故の場合。
どのように受け入れたらいいのか。
難しいです。
すごく難しいと思います。

親御さんとしたら、あの「事故」以来、我が子が別人のようになってしまった。
あんなに元気で学校大好き、勉強大好き、友達大好きだった子が
ほぼ寝たきりに近い状態に。

学校にも行けない、行けたとしても半日とか、ほぼ保健室で過ごす。
でも「加害者」は、変わらず元気に走り回っているし、
しかも、自分が「加害者」であるという意識もない。
謝罪も一切ない。

許せない!!
 
分かります。そのお気持ち。
日々、激しい体調不良・不定愁訴を訴える子供に寄り添い、
日々、学校からの電話がないかとドキドキし
小学生なら、ただの不登校だと決めつけられてしまったり。
中学生なら、行ける高校があるのだろうか。
高校生なら、これで進級できるのだろうか。
と。

身内ならではの、お悩みは想像を絶するのでしょう。
近くで接しているだけに、辛い反面、ストレスもかなり。

おそらく、気が休まる時間がないのだろう、と思います。
あの事故さえなければ、あの子のいたずらさえなければ。
という黒い想いに囚われ、自分を責めつづけ。
そんな毎日を想像し、胸が痛みます。

「許す」

本当に難しいです。
ご家族の皆さん、ブログには、努めて明るくコミカルに綴っていらっしゃるのですが、
時折、「加害者」に対しての辛い想い、恨みも垣間見える事もあります。
それは、日ごろ封じ込めている、心の中の本音の吐露なのだと思う。
大いにグチやドクは、吐いていいじゃない。
ご自分のブログなのだから。

ただね。
この11年半の闘病生活の中で見えてきたもの。
それは、この世は決して不平等ではない事。
正直者はバカをみない事。
傷つけた側は、いつか自分に返ってくる事。
(逆もまた真です)

宇宙の法則は、一糸乱れる事がありません。
だって太陽は、一度だって西から登ってきた事ありませんし。
人間界でも同じだと思うのです。
罪を犯した人には、それなりの「罰」がいつか下るでしょうし。
被害を受けた方々が、手を下す事はないのですよ。


「許すってことは、心の中にある部屋をひとつ作ること。」

これは、韓流映画「私の頭の中の消しゴム」の中のセリフです。
この映画は、上映当時、涙腺崩壊だの号泣だの。。
言われた映画らしいのだけれど、
ワタシ、そういうの全くなかったのだけど、このフレーズだけは心に残りました。
心の中の部屋を一つ空ける、くらいなら、なんだか出来そうな気がします。
許す事は、難しいかもしれない。

ただ、この聖夜に免じて「恩赦」
何か一つ位、「赦す」事があってもいいのじゃないのかな。
だって、私も、ず~~~っと許されて赦されて
生きて来られてきているのだから。

…われらが、人に赦す如く われらの罪を赦し給え

アーメン
 

サンタクロース

2016年12月24日 | 心に残る言葉

なんだか、とてもご無沙汰してしまって。
この間、心配して下さるコメントやメールを下さった皆様

本当に不義理が続き、ごめんなさい。
でもワタシ、どっこい生きています。
元気です!とは言えないのだけれど、もっともっと苦しみの中にいらっしゃる方々に
1ミリ位は寄り添えるようになったかな~。

脳脊髄液減少症を発症して10年半が経ちました。
それでも、まだまだ「甘いな」とも思う事も増えてきました。

あっそうだ。クリスマスですよね。
恒例のまつわるお話を。

今まで、何度かこのブログでも取り上げてさせて頂いている
星野富弘さんのエッセイです。
『鈴の鳴る道―花の詩画集』  星野富弘(著) 偕成社

この本は、何回も何回も拝読し、ギフトにも使わせてもらったのだけど
何度読んでも、新たな発見があります。
その中でも、すごく大好きな小文があるんです。

『サンタクロース』

『毎年クリスマスになると、私のところにもサンタクロースが来る

から始まる小エッセイ。

「私がまだ何でも信じられる心を持っていた頃のこと」であり、
サンタクロースという人が、プレゼントをくれるらしい。。。
でも星野さんは靴下を持っていない。
するとお父様が竹籠を編んでくださった。

そしてそして。
クリスマスの朝、なんとその籠の中に贈り物が。

干し柿と落花生と焼いたにぎりめし

農家だった星野さん家にとって「干し柿」は、冬の生活を支える収入源。
とても盗み食べができるものでなかったし、
落花生も焼きおにぎりも、彼の大好物だった。

大喜びでさっそくご両親に報告すると、
「ええ!たまげたな~」と。

さらにびっくりする事が。
囲炉裏の灰の上に、落花生の殻が散らばっていたのだ。
そこでお父様がおっしゃる言葉がいかしています。
「サンタクロースがここで一休みして食べていったんかなあ。。あちこち回るんで疲れるんだよ」

あ~~~ほのぼのします。
当時は子供たちの心もすごく澄んで感性も豊かだったのでしょう。
星野さんは現在70歳位なので60年前の話ですね。
今の子供たちは、このサンタさんからの贈り物で、喜ぶのかな。
「日本」はいつから心が貧しくなってしまったんだろう。

以前、マザーテレサが来日した時、
「日本は豊かだけど貧しいわね」と言われたのはあまりにも有名です。

今年の漢字は「金」だったそうです。
オリンピックのメダルもそうですが、
「金」に振り回され、翻弄され、守ることで、どれだけの方々が苦しまれたのか。
生きる上でお金は大切かもしれないけれど、それだけじゃないよね。

例えば1万円で幸せになる方もいるし
一億円でも、もっともっとと、投資や欲にはしる方々もいます。
宝くじもその一つなのかな。
でも実際、億単位で当選された方々は、どうもその後そんなに幸せになっていないような。
人生、そこそこがいいのですよ。

私は、脳脊髄液減少症を発症してから、職や色々なものを失いましたが、
出費もすごく減りました。
美容・服飾・外食・旅行。。失いました。
とりあえずルームウエアとスニーカーと最低限の食料と水があれば生きていけます。
髪の毛は自分で適当に切っています。
お風呂も週に1回は入れれば良いほうで。

多分以前の私を知ってらっしゃる方には思えない生活をしています。
でもね。それでも「豊か」な生活をしているのかな~。
豊かさって、お金や物とは、次元が違うところにあると思うのです。

星野さんは。
囲炉裏の殻を見ながら
「白いひげをもそもそ動かしながら、落花生の殻をわって食べているサンタクロースが、
夕べこの場所にいたことに」

さらに胸が高鳴ってくるのだった。

と最後に綴られていらっしゃいます。


今宵はクリスマスイブ。
そのようなワクワクがある日でありますように。
苦しむ人々に光が差しますように
暗闇でもがいていらっしゃる方に光が当たりますように

お祈りします。心から
アーメン


永井隆さんの言葉

2015年08月27日 | 心に残る言葉

久しぶりの更新になりました。
今年の気候は尋常ではありませんでしたね~~。

とりあえず桜の季節はあったものの、その後、のほほんとした「春」はなく
いきなり盛夏って、そんなのあり?
梅雨はしっかり訪れたけれど、その間もその後も「猛暑」だぜ。
初夏も盛夏も晩夏も、みんなすっとばして、「初秋」ですか~~。

この夏、あまりの辛さに、ああ!もうダメかな~と何度も思いました。
でも、朝起きて、生かされている。。。
感謝感謝感謝感謝感謝感謝
こんな日々も、早10年目に突入しました。

ブログになかなか向かえなかったのですが、8月。
避けて通れない問題にぶちあたります。

日本の政府さん。一体何に向かっているのでしょうか?
原発再開?軍事強化?
哀しくて悲しくてたまりません。
病床にあって、これは身体にさらに堪えました。

テレビをほとんど見ない私ですが、ラジオやネットで最低限の情報は入手できます。

戦後70年。
色々なメディアでの報道やドラマやコメントがあるようですが。
ある一人の長崎の若い医師・永井隆さんの魂のメッセージがささりました。
昭和20年8月9日午前11時2分、長崎の原爆で妻を失い、ご自分も原爆症を患い、命を懸けて
まだ幼いお子さん達に書き残した慟哭。。。

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いとし子よ

永井隆(1949年10月)
いとし子よ。

あの日、イクリの実を皿に盛って、母の姿を待ちわびていた誠一よ、カヤノよ。
お母さんはロザリオの鎖ひとつをこの世に留めて、ついにこの世から姿を消してしまった。
そなたたちの寄りすがりたい母を奪い去ったものは何であるか?
原子爆弾。・・・いいえ。それは原子の塊である。そなたの母を殺すために原子が浦上へやって来たわけではない。
そなたたちの母を、あの優しかった母を殺したのは、戦争である。

戦争が長びくうちには、はじめ戦争をやり出したときの名分なんかどこかに消えてしまい、
戦争がすんだころには、勝ったほうも負けたほうも、なんの目的でこんな大騒ぎをしたのかわからぬことさえある。
そうして、生き残った人びとはむごたらしい戦場の跡を眺め、口をそろえて
戦争はもうこりごりだ。これっきり戦争を永久にやめることにしよう!
そう叫んでおきながら、何年かたつうちに、いつしか心が変わり、
なんとなくもやもやと戦争がしたくなってくるのである。
どうして人間は、こうも愚かなものであろうか?

「私たち日本国民は憲法において戦争をしないことに決めた。」

わが子よ!
憲法で決めるだけなら、どんなことでも決められる。憲法はその条文どおり実行しなければならぬから、
日本人としてなかなか難しいところがあるのだ。
どんなに難しくても、これは善い憲法だから、実行せねばならぬ。
自分が実行するだけでなく、これを破ろうとする力を防がねばならぬ。
これこそ、戦争の惨禍に目覚めたほんとうの日本人の声なのだよ。
しかし理屈はなんとでもつき、世論はどちらへでもなびくものである。
日本をめぐる国際情勢次第では、日本人の中から憲法を改めて、戦争放棄の条項を削れ、と叫ぶ声が出な
いとも限らない。
そしてその叫びがいかにも、もっともらしい理屈をつけて、世論を日本再武装に引きつけ
るかもしれない。

もしも日本が再武装するような事態になったら、そのときこそ…誠一(まこと)よ、カヤノよ、
たとい最後の二人となっても、どんな罵りや暴力を受けても、きっぱりと戦争絶対反対を叫び続け、
叫び通しておくれ!

たとい卑怯者とさげすまされ、裏切り者とたたかれても戦争絶対反対の叫びを守っておくれ!
敵が攻め寄せたとき、武器がなかったら、みすみす皆殺しにされてしまうではないか?
という人が多いだろう。しかし、武器を持っている方が果たして生き残るであろうか?
武器を持たぬ無抵抗の者の方が生
き残るであろうか?

狼は鋭い牙を持っている。それだから人間に滅ぼされてしまった。ところがハトは、何ひとつ武器を持っていない。
そして今に至るまで人間に愛されて、たくさん残って空を飛んでいる。
愛で身を固め、愛で国を固め、愛で人類が手を握ってこそ、平和で美しい世界が生まれてくるのだよ。


敵も愛しなさい。愛し愛し愛しぬいて、こちらを憎むすきがないほど愛しなさい。愛すれば愛される。
愛されたら、滅ぼされない。愛の世界に敵はない。
敵がなければ戦争も起らないのだよ。

永井隆記念館HP
http://park10.wakwak.com/~cdc/nagasaki/nyokodou/

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ほぼ70年前に残された、このメッセージは
二人のお子さんだけではなく、未来の日本人に残されたものだと思います。
ぜひ、もう一度読み返して頂きたいと思います。
戦争は、勝っても負けても、お互いに大きな傷が残ります。
イラクに派遣された日本の自衛隊員さんが帰国後、心の病を患い、自死された方が少なからずいました。

米軍兵だって、戦地から帰った方々のその後はどうだったのでしょうか?
「はじめに戦争ありき」の法案はどう考えてもおかしいです。
おかしい!おかしい!絶対におかしい!
憎しみ・怒り・嫉みの感情は、ぶつけると自分に返ってきます。
「天につばを吐くと。。。」という聖句。

永井博士がおっしゃるように、本当に弱い者は攻撃されないのです。

世界で唯一の被爆国日本。
「怒りの広島・祈りの長崎」という言葉があるのを最近知りました。


フランダースの犬

2014年12月24日 | 心に残る言葉

「フランダースの犬」といえば、日本のアニメドラマの定番です。
むか~し昔、この番組で涙された方も多いかもしれませんね。

クリスマスイブの夜。。その悲劇は起こります。
(以下、ネタバレもありますので。。。)

当時(1970年代)のアニメといえば、この「世界名作劇場」が、子供たちのお楽しみの時間でした。
ほんの30分でしたが、わくわくした覚えがあります。
ただ、検索したところ、「フランダースの犬」は当時『カルピスこども劇場』と冠されていたようです。(1975年)
最終回の、感動的なシーンは、その後も何回も放映された事もあり、若い世代の方々にも、知名度はあるのかな。
リアルタイムで見た年代は、40代後半から~って感じでしょうか。

で、「フランダースの犬」を知らない方に、簡単にあらすじを。
今回、初めて、原作を読みましたが、文庫本で約60ページほどで、
翻訳は、あの「村岡花子」さん、装丁は「安野光雅」さんです。

主人公は15歳の少年ネロ、そして、愛犬パトラッシュ。
ネロは、2歳で両親を失い、祖父に引き取られ、貧しいながらも、満ちたりた日々を送っていました。

「ネロとパトラシエはこの世に取り残されたよるべない身の上だった。」(原文の冒頭文)


舞台は、19世紀のベルギーのフランダース地方。
ネロは、年老いた祖父とはミルク運搬業で生計を立てていて、いつか画家になることを夢見てました。
アントワープの中央の大聖堂の二つの祭壇画を見たいと、切望していました。
それはアントワープはもとよりベルギーが世界に誇る、17世紀の画家ルーベンスの絵画で、
見るためには高価な観覧料を必要とするため、貧しいネロにはとてもかなわぬ夢。

ネロの唯一の親友は風車小屋の一人娘である12歳の少女アロア。
アロアの父は貧乏なネロのことを快く思わず、
さらにネロ一家の唯一の収入源であるミルク買い取りの仕事を奪った上、
風車小屋の火事の放火犯の濡れ衣も着せられます。
優しかった祖父もクリスマスを数日後に控えた日に亡くなり。
これでもか、というほどの不運が彼をおそいます。
クリスマスの前日に家賃を滞納していた小屋からも追い出されることに。

クリスマス前日は、ネロが魂を込めて描いた絵画コンクールの結果発表日。
優勝すればきっと皆に認めてもらえるようになる!、コンクールに全ての望みを賭けていたのですが。。。
結果は落選。

アニメでは、少しは「救い」があるように描かれていますが、
原作は、かなりシビアで辛いです。

すべてを賭けた、絵画コンクールに落選して、
絶望したネロは、もう生きる希望を失いました。

ただ、彼の希望があったとすれば・・・・・・・・・・・・
餓えと寒さの中、なんとかたどり着いた、教会の大伽藍(だいがらん)に、
親友パトラッシュと抱き合いながら見たルーベンス。
「これが見られたら死んでもいい」とさえ思っていた、ルーベンスの絵が。。。
「十字架からおろされるキリスト」と「十字架にかけられるキリスト」の絵が。。。
偶然な光と共にくっきり浮かびあがって。

「ネロは立ち上がり両手をその方にさしのべた。はげしい歓喜の涙がその青い顔に光った。
「とうとう、見たんだ!」彼は大声で叫んだ。

「おお、神様、もうじゅうぶんでございます!」

クリスマスの朝、天使たちと旅立っていきました。

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「フランダースの犬」は、悲劇のアニメのように思われる方が多いかと思います。
ただ、今回、改めて、原作を読み直してみて。
作者が、描きたかったのは、「お涙ちょうだい」の世界ではなかったように感じました。

「死」によって救われる「魂」がある。。。

ネロも、あともう少し生きていたら、有名画家の元に引き取られたのに。。
アロア(親しい彼女)の家族に受け入れられたのに。。
とか、歯がゆい想いに掻き立てられるのですが。
でも、違うのですよね。きっと。

これはキリスト教の死生観もあるかとは思うのですが。
苦しいまま長期間、生き延びる事が幸せなのか。
短くても、「生き切る」人生はどうなのか。
「死」をもって永遠なる命を頂ける事もあるのではないか。

今。「脳脊髄液減少症」をはじめ「慢性疲労症候群」「線維筋痛症」
など、原因も治療法も確立せず、難病とも認められてない『難病』
「死んだ方がまし」というほどの症状を抱えた患者さん達にとって、
「死」は大きな救いなのかもしれない。。。

脳脊髄液減少症の患者さんの中には、かなり強力な鎮痛剤さえも効かない方がたくさんいます。
末期がんに投与されるはずの、麻薬の投与でなんとか命をつないでいらっしゃるのです。
それでも、病院では「異常なし」と見捨てられ、家族や周囲の方からも理解されず。
にもかかわらず「死」からも見放され。
その方々にとって、
「死」は、救いかも、と私は思っています。
「死」でしか救われない命もあると思っています。

だからといって、みずからの命を断ち切るのは、ルール違反です。
それは、どんな場合でも許されません。
だって、神様は、その人が背負いない荷物はお与えにはならないから。

少し前、違う病気の方とお話していて、
「完治はないかもね、改善はあるかもしれないけど。
もし完治する時があるとすれば、それは「死ぬ」時よね」って。
思わず笑っちゃいました。
確かにその通りかもしれないね。
もし「死」で、この痛みから救われるのあれば、「死」はそんなに恐れるものではありません。
哀しいものでも、悲惨なものでもありません。
もし、この闘病のゴールに、静謐(せいひつ)な「死」が待っていてくれているのであれば、
私は、その時まで、ネロのように日々を大切に懸命に、すべてに感謝して生き抜きたい。

原作の末尾の文を引用します。

「この世にながらえるよりも二人にとって死の方が情深かった。
愛には報いず、信じる心にはその信念の実現をみせようとしない世界から、
死は忠実な愛をいだいたままの犬と、信じる清い心のままの少年と、
この二つの生命を引き取ったのである」

今宵はクリスマス・イブ
「奇跡」が起こる聖夜でありますように。
アーメン


ラジオの楽しみ

2014年07月03日 | 心に残る言葉

不安定な天気が続いています。
私たち、「脳脊髄液減少症」患者だけでなく、体調を崩されていらっしゃる方も多いでしょう。

私も体調も「絶叫マシン」のように変わります。
ある時は「まあマシ」、ある時は「高飛車」(乗った事ないですけど。。。)の急降下みたいな事にも。

それでも、まあ、何とか生きています。
こんな日々も、普通に生きていたら、なかなか経験できないでしょうし。
こんな状態を、「愉しむ」術(すべ)もある程度会得してきました。

その一つにラジオがあります。
元気な頃は、車に乗った時くらいしか聴かなかったけれど。
この9年。。。私の部屋には、ほぼ毎日、FM放送が流れています。
耳と脳に優しい番組を選んで。
テレビは、必要な時以外は、まったく観なくなりました。

ラジオは面白いです。
画像がない分、イマジネーションを広げてくれるから。

先日、ある番組にゲストで出演していた方の、話に聞き耳を立てていました。
あまりに朴訥で素朴な語り口だったから。
流暢な英語を心地よく、流す他のナビゲーターとは異質なものだったからかもしれないけれど。
なぜか、心に、魂に響いてくるお話でした。。。


高橋博之さん、という方で
「東北食べる通信」の編集長(元・岩手県議員)だそうです。

そのお話の中で、一番、突き刺さった逸話がありました。

ある地方都市の、病院の小児科のエピソード。
小児科医が、次から次へと辞めてしまい、絶滅しそうになったそうです。
地域のママさん達は、「それは困る!!!」と立ち上がり、署名運動を始めます。
何万件か集まり、それを携え行政に陳情に行きますが。。。
一向に、事態は進展しません。

それならば、、、とママさん達が取った行動は。
「なぜ、小児科医が居つかないのか。」と。
その根本的な原因を探っていったところ、
実は自分達の中にあった、との結論にいきつきます。
診療時間外に、ちょっとした怪我や、疾患で、病院に押しかけ、文句だけは言いたい放題。
それが、医師たちを疲弊させていた事に気づいたそうです。
それからの1年間、彼女たちは、時間外診療を劇的に減らす努力をしたら。。。

なんと、小児科医が一人二人ともどって来てくれるようなり5人にまで!!

ママさん達、素晴らしいですね。

でも、この思考の転換は、どんな場合にも当てはまる、と思うのです。
世の中、思うように行かない事は多いもの。人間関係しかり、仕事や家族。。。
「社会が悪い」「政治が悪い」「上司が。。。」「あの人が。。。」「姑が。。。」
と、意識を外にだけに向けていても、変わらなかったものが、
いや、待てよ。。。
と自分に向けた途端、見えてくるものがあるように思います。

そして、その時、小さくても、「自分も参加する」「変わろう」という想いを持てば、
社会や行政を動かし、人の心さえも変えていく大きな力となるのだと思うのです。

私の患っている「脳脊髄液減少症」も多分、同じ。
状況は全然違うけれど、宇宙の法則って、案外同じだったりするんです。

今、現在、この病気は医学界や行政には認められていません。
一部、保険適用されましたが、現状はまだまだ厳しいものとなっています。
身体が動かず、働けず生活保護を受給されている方も多くいらっしゃいますが、
自費診療は、受けられないのです。弱者に優しくない社会になりつつあります。
これって、どう考えてもおかしいでしょ。

だから、今こそあの「ママさん達」に学びたい。
ひょっとしたら、原因は私達にもあるのかもしれません。
よく分からないけれど、そうかもしれません。
だから、みんなで考えていきたいです。

今、苦しくて辛くて、寝たきりになっていらっしゃる方も、
治療の末、社会に復帰された方も、元気になられた方も、一緒に立ち上がって。
患者さん同志だけで向きあうだけなく、非難しあったり、対立するだけでなく、
同じベクトルで、前を向いて進んで行けば、何かが変わってくるような気がしています。


美しいひと

2013年12月24日 | 心に残る言葉

今年も、はや、クリスマス。

クリスマスといえば。。。
毎年思い出す、エッセーがあります。
というか、ある「一行」。

向田邦子さんの「マスク」
その短編エッセー集の、ほんの一行。
『霊長類ヒト科動物図鑑』(文春文庫)

向田さんがラジオの台本を書いていたころのこと。(昭和40年頃かな)
締め切りぎりぎりで上がった原稿を自分で印刷所に届けることになります。
(昭和の匂いがします。当時はパソコンはおろか、FAXさえない時代)

その日はちょうど「クリスマス・イブ」
ジングル・ベルが流れる街を、彼女は印刷所の下請け内職でタイプを打つ人を訪ねます。
すると、風邪っ気らしいマスクをした中年女性が無愛想に。
「あんたねえ、帰ったら先生に言って頂戴よ。字がすごく読みにくいのよ。タイプを打つほうの身になって。。。」
Gパンにサンダルをつっかけた彼女をお使いだと思ったらしい。

どうやら、相手は途中で彼女がその先生本人だと気が付いたらしく。
「今お茶を入れるから」と、ガスストーブの上のやかんをチラリと見てお茶の用意をはじめます。
ところが、やかんの把手が熱くて持てない。そこで、彼女はマスクをはずして、それで把手をつかんだ。
カーボンで黒ずんだマスクだったが、向田さんはそれが「嫌ではなかった」。。。
ふたりはその機械油の匂いの中で、黙って薄いお茶をすする。
お互いに白粉気のない顔。「イブには、不似合な身なりだった。」
そして、あの名言が。。。


「聖夜」という言葉を感じたクリスマスは、この時だけである。


この一行が、毎年毎年、この季節になると、ループのように周り、流れ始めるのです。


「聖夜」という言葉を感じたクリスマスか。。。

元気なころは、クリスマスを「聖夜」と感じた事なんかなかったな。
ミッション系の学校だったので、教会で迎えるクリスマスはあったけれど。
それは、「聖夜」と呼べるものじゃなかった。。。
でも、8年前。
「髄液採取」をきっかけに、脳脊髄液減少症を発症し、日常生活を失い
迎えた8回のクリスマス。。。すべてに「聖夜」を想います。

苦しむ人は「美しい」。。。

病名はちがっても、苦しんでいる人は、美しい。悲しむ人は美しい。
様々な闘病ブログと出会い、「人の尊厳」「生きる意味」「魂の求めるもの」。。。
を懸命に模索し、苦しみながらも、今そして未来の患者さんにメッセージを発信していて。
その姿は「美しい」という以外の言葉がみつかりません。

先日も、ある報道番組で、
美しい女性に出会いました。
彼女は、難病のALS=筋萎縮性側索硬化症に苦しんでいます。
10万人に一人という難病です。
「自分でよかった。誰かが罹らなくてはならないのなら、自分でよかった」と言います。

さらに「まだ指が動く」「まだ喋れる」と。
そんな彼女の願いは一つ。「自分に間に合わなくても」少しでも早く進行を遅らせる薬が開発されてほしい!

常に素敵な笑顔を絶やさずに取材にこたえる、
その人は、まさに「聖女」そのものでした。


ALSは、特定疾患に認定された指定難病、
「脳脊髄液減少症」は、未だに多くの医師に認められない病気。。。
という違いはあります、が、
私も、「私でよかった」とも思うし、「自分に間に合わなくても。。。」とも思います。

でも私は決して美しくはない。

時々、神様に文句をいいます。
時々、運命を恨みます。
時々、死ねる病の方を羨みます。
時々、この症状のりうつってしまえ!と、私たち脳脊患者を追い詰める方々に呪いをかけます。
時々、というか笑顔でいられない日も多いです。
時々、というより毎日、「揺れない」体がほしい、と思います。

美しい人になりたいな~。
自分よりも他者を心から想い、寄り添える人になりたいな~。
喜んで苦しみを引き受け、受け入れられ、
すべてに感謝ができる人になりたいな~。

神様。
そんな贅沢なお願いを聞きいれて下さいますか。。。
こんな私でも「祝福」して下さいますか。。。
こんな人間でも救われますか。。。


こよいは「聖夜」です。
世界中の苦しむ方々。哀しむ方々の上に「光」を。
と祈ります。
アーメン†


五つの誓い

2013年05月11日 | 心に残る言葉

GWも終わり、皐月のさわやかな季節の到来で~~~す
と思いきや、いきなりの「真夏日」。。。タラタラタラ

はふう。身体がついていけません。。。
今日は、梅雨のようなジトジト雨が降っています~

私達、脳脊髄液減少症の患者には、辛い気候です。。。。

そんな中。。。素晴らしい言葉と出会いました。


「五つの誓い」

その方は、スキーの怪我で
「たぶん一生寝たきりか、車椅子の生活になるでしょう」
と言われたそうです。

(腰塚勇人(「命の授業」講演家) 月刊誌『致知』2013年3月号 特集)
「いつも笑顔でいよう いつも感謝をしよう。周りの人々の幸せを願おう」より(p.44~)

首の骨を折る大けがにより、充実した教員生活から一転、
人生の奈落に叩き落された腰塚勇人氏。

一時は自殺まで考えたという。。。
どうやったら死ねるのだろう。。。
身体の動かない身で、できるのは「舌を噛み切る」こと。。。
でも、痛くて途中でやめてしまった。。。

・・・・死ねなかった・・・・・・・・

本当は
生きていたかった。。。
でも生き方がわからなかった。。。。

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泣くだけ泣いた次の朝、目が覚めると
ベッドサイドに飾られていたお見舞いの花がふっと目に入りました。

その時思ったんです。

「せめて花みたいに生きることはできないかな」。

手足は動かないけど、顔は動きます。
だったらできるだけ笑顔でいよう。

口も動くんだから、できる限り「ありがとう」って言おう。

心も使えるんだから、周りの人がきょう一日元気に、
笑顔で過ごせますようにと願おうって。

そう決意したら、いろんなものがどんどん変わっていった。

ドクターとも、看護師さんとも、リハビリの先生とも、
凄く仲良くなって、毎日が楽しくって。

首の神経が全て切れていなかったのも幸いして、
3週間後には奇跡的に車椅子に移ることができた。

事故に遭ったという事実は変わりません。

でも起こったことの見方、捉え方は変えることができるんです。

そして生き方を「常勝」から「常笑」に切り替えて、
いつも笑顔でいよう、いつも感謝をしよう、

周りの人々の幸せを願おうと決意したら、
毎日の小さな幸せに気づけるようになった。

自分がいかに周りの人たちから
助けていただいているかが実感できるようになった。

本当にたくさんの方々に助けていただいて、いまがあるんです。

自分の可能性を信じて夢を実現しようとする時、
それを認めて寄り添ってくれたり、応援してくれたりする人がいます。

あの時から僕はそんな人のことを「ドリー夢メーカー」と呼んでいる。

そして今度は僕がドリー夢メーカーになろうと決意した。

具体的には、この助けてもらった命が喜ぶ生き方をしよう。
それは自分の命に対しても、他人様の命に対してもです。

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それを実践するために立てたのが「五つの誓い」でした。

その五つの誓いとは


口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう

耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう

目は人のよいところを見るために使おう

手足は人を助けるために使おう

心は人の痛みがわかるために使おう




ジーンとしますね。。。
どん底まで堕ちたことがない方には、分からない心境かもしれませんが。。。

実は、私も。。。。。。


強く共感いたしますぅ~
もう一つ、付け加えさせてもらえれば
「脳脊髄液減少症」の実態、症状、悲惨さ、過酷さ。。。
医師会、法曹界、行政に対する理不尽さ。。を伝え続けたい。

そして私も、その「五つの誓い」は、忘れたくない。。。。。。。。。。。。
いくら、今後、元気になっても忘れたくない。忘れちゃいけない。。。

「私」という存在は、自分の為ではなく「人様の為」に生かされている。。。

だから。。。
花のように。野草のように。。。


「クリスマスだから考える」

2012年12月24日 | 心に残る言葉

「クリスマスだから」

クリスマスだから
かんがえる 
たくさんたくさん たくさん
かなしんでいる
ひとの こと
 
それから すこうし
かんがえる
どうしてどうして どうして
かなしい
ことが あるのかな
 
クリスマスだから
かんがえる
かなしんでいる
ひとのこと


阪田寛夫 作


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阪田寛夫さんは、
童謡「サッちゃん」「おなかのへるうた」「ねこ ふんじゃった~ 」
などの作詞者としても知られています。

この詩は、讃美歌としてクリスマスには、キリスト教系幼稚園などで
歌われているようです。(曲:服部公一)

街も、テレビも、もうお祭り騒ぎだけれども
クリスマスだから考えましょう。

病気で苦しんでいる人がいることを。。。
貧困であえいでいる国があることを。。。
戦争で、一瞬も心休まらない人がいることを。。。
そして、
いまだ、東日本大震災から立ち直ってない土地と人がいることを。。。

クリスマスだから考えましょう。

イエス様が、なぜ、この世にお生まれになったのかを。
イエス様は、貧しく、苦しむ方々を救うために、降誕されました。
決して、裕福で、幸せに満ちた方のためじゃありません。
聖書にも、記されています。
「富んでいる者が神の国に入るよりは、ラクダが針の穴を通る方がもっとやさしい」と。
「この世でなく、天に財を積みなさい」と。
(注:富んだ者とは、お金儲けのみに執着している方々です)

そして、とても難しいことですが
「汝の敵を許し愛しなさい。。。」と
イエス様は、一貫して「愛」を説いてまわりました。

「愛は寛容であり、愛は情深い。また、ねたむことをしない。愛は高ぶらない、誇らない、
不作法をしない、自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐える。
愛はいつまでも絶えることがない。(新約聖書 コリント人への手紙 第一 13章4節~8節)」


ご自分をより美しく、より若くみせるために、外見を磨くのもいいけれど
肝心の「魂」を磨かなかったら、
イエス様が悲しみます。。。

だから
クリスマスだから考えてほしいです。

どうしてどうして どうして
かなしい
ことが あるのかな


もし、今、幸せに満ち溢れている方も
どうか。悲しんでいる方々に想いをよせる事ができますように。
そして。。。
悲しむ方々、苦しむ方々の皆様の上に光が降り注ぎますように

アーメン


未来授業 ~明日の日本人たちへ~

2012年11月25日 | 心に残る言葉

今日は11月25日。
世は三連休とやらで、紅葉狩りの名所は賑わったのでしょうか。

私は、いつになく「ぐるぐる目まい」に見舞われ。
魔の三連休でございました。。。

そんな中、
FM東京の番組に引き込まれました。
(テレビは見ないので、一日のほとんどをFMラジオを流しています)

未来授業
~明日の日本人たちへ~

その中でも、一番、心に残ったのは。
解剖学者の養老孟司さんのお話でした。

養老氏の本はかなり読んでいるし、実際、講演もお聴きした事があります。
いわゆる、「養老節」のファンなんです。
彼の主張は、どんな場合でもぶれません。

今回の参加者は、全員、大学生。
「未来」への夢を担い、実現してくれるはずの面々です。

彼らは、「未来は変えられる」と信じている。。。
「未来」は自分で選択できる。。。と信じています。

そして「幸せだと感じる時」は。。。
の問いに
「友達や、親や、仲間に支えられている、と感じる事」
「自分の欠点を指摘してくれる友人がいる事」

など、人と人との関することが、ほとんでした。。。

養老氏は、すっぱりそれを斬る。
「幸せ」の中に、なぜ


「花鳥風月」がでてこないのか


人は平気で人を裏切る。
恋愛は、その最たるもの。
政治だってそうでしょ。平気で国民を裏切る。

人や社会を、「幸せ」の中心に据えてしまうのは、非常に危険だ。
なぜならば、「幸せ」を人とのつながりばかりに求めてしまうと、
裏返せば、その関係が崩れた時には、「不幸せ」になってしまう。。。そうでしょ。
(「そうでしょ」というのは養老氏の口癖です(*^_^*))

十数年前、いじめによる自殺が問題。これが原点だと思う。
その子たちは、猫を飼っていなかったのだろうか。。。
鳥は鳴いてなかったのか。。。
その子たちの遺書を読んでいると、深刻な問題が見えてきた。
救いを友達や先生、家族の中だけに探していたような気がする。
もし、少しでも自然との触れ合いがあれば。。。
そこにささやかでも癒しがあれば。。。

養老氏は、小学2年生の時に、終戦を迎えます。
それまでの価値観を180度変換するのを目の当たりになさいました。
人や政治や社会だけを頼りにするのは、非常に危ない、という感覚が無意識に植えつけられた、といいます。


信じられるのは、自然であり、植物であり、風であり。。。そして月。


これは、絶対に、人を裏切りませんよ。

猫や犬だって、虫だって裏切らない。。。そして「死体も」(解剖学者だからね)


養老氏は、他にもいろいろ、若い方々に対するメッセージを発していらっしゃいます。
これは、ぜひ、サイトより聞いてみてくださいな~。


思わず養老氏ご推薦の「方丈記」読みたくなりました~。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、
かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
世の中にある人と、栖(すみか)とまたかくのごとし。

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今日の私。。。明日の私。。。
同じようにみえても。明らかに違います。
人生の中には、様々な、苦楽があるけれど。常に流れています。
そして。今、生きている身体も、住んでいる家も、結局「レンタル品」なんですよね~

そんな感じかな。

「方丈記」の中には、
世の中、世界のすべてがはいっている。。。
洪水、竜巻、大地震、津波。。。。。
人の生き死に。すべてが描かれています。

歴史は繰り返すって事でしょうか。

養老氏曰く
「モダンで普遍的」ってことでしょうか。。。。。。