たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

五つの誓い

2013年05月11日 | 心に残る言葉

GWも終わり、皐月のさわやかな季節の到来で~~~す
と思いきや、いきなりの「真夏日」。。。タラタラタラ

はふう。身体がついていけません。。。
今日は、梅雨のようなジトジト雨が降っています~

私達、脳脊髄液減少症の患者には、辛い気候です。。。。

そんな中。。。素晴らしい言葉と出会いました。


「五つの誓い」

その方は、スキーの怪我で
「たぶん一生寝たきりか、車椅子の生活になるでしょう」
と言われたそうです。

(腰塚勇人(「命の授業」講演家) 月刊誌『致知』2013年3月号 特集)
「いつも笑顔でいよう いつも感謝をしよう。周りの人々の幸せを願おう」より(p.44~)

首の骨を折る大けがにより、充実した教員生活から一転、
人生の奈落に叩き落された腰塚勇人氏。

一時は自殺まで考えたという。。。
どうやったら死ねるのだろう。。。
身体の動かない身で、できるのは「舌を噛み切る」こと。。。
でも、痛くて途中でやめてしまった。。。

・・・・死ねなかった・・・・・・・・

本当は
生きていたかった。。。
でも生き方がわからなかった。。。。

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泣くだけ泣いた次の朝、目が覚めると
ベッドサイドに飾られていたお見舞いの花がふっと目に入りました。

その時思ったんです。

「せめて花みたいに生きることはできないかな」。

手足は動かないけど、顔は動きます。
だったらできるだけ笑顔でいよう。

口も動くんだから、できる限り「ありがとう」って言おう。

心も使えるんだから、周りの人がきょう一日元気に、
笑顔で過ごせますようにと願おうって。

そう決意したら、いろんなものがどんどん変わっていった。

ドクターとも、看護師さんとも、リハビリの先生とも、
凄く仲良くなって、毎日が楽しくって。

首の神経が全て切れていなかったのも幸いして、
3週間後には奇跡的に車椅子に移ることができた。

事故に遭ったという事実は変わりません。

でも起こったことの見方、捉え方は変えることができるんです。

そして生き方を「常勝」から「常笑」に切り替えて、
いつも笑顔でいよう、いつも感謝をしよう、

周りの人々の幸せを願おうと決意したら、
毎日の小さな幸せに気づけるようになった。

自分がいかに周りの人たちから
助けていただいているかが実感できるようになった。

本当にたくさんの方々に助けていただいて、いまがあるんです。

自分の可能性を信じて夢を実現しようとする時、
それを認めて寄り添ってくれたり、応援してくれたりする人がいます。

あの時から僕はそんな人のことを「ドリー夢メーカー」と呼んでいる。

そして今度は僕がドリー夢メーカーになろうと決意した。

具体的には、この助けてもらった命が喜ぶ生き方をしよう。
それは自分の命に対しても、他人様の命に対してもです。

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それを実践するために立てたのが「五つの誓い」でした。

その五つの誓いとは


口は人を励ます言葉や感謝の言葉を言うために使おう

耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう

目は人のよいところを見るために使おう

手足は人を助けるために使おう

心は人の痛みがわかるために使おう




ジーンとしますね。。。
どん底まで堕ちたことがない方には、分からない心境かもしれませんが。。。

実は、私も。。。。。。


強く共感いたしますぅ~
もう一つ、付け加えさせてもらえれば
「脳脊髄液減少症」の実態、症状、悲惨さ、過酷さ。。。
医師会、法曹界、行政に対する理不尽さ。。を伝え続けたい。

そして私も、その「五つの誓い」は、忘れたくない。。。。。。。。。。。。
いくら、今後、元気になっても忘れたくない。忘れちゃいけない。。。

「私」という存在は、自分の為ではなく「人様の為」に生かされている。。。

だから。。。
花のように。野草のように。。。