ちょっと久々に更新します。
皆様、おばんです~
ワタシ。。。とりあえず生きております。
晩夏の気配がしてきましたね。
またまた真夏は体調がダウンしておりました
去年も調子が悪く北京オリンピックも一秒も見られませんでした。
二年前も倒れていたし
三年前の夏は、髄液採取され、地獄に堕ちてました。
その前も、その前の前も。。。
夏はいつもサイアク
ギラギラ太陽の強烈なエネルギーに負けてしまうのか。
はたまた水分不足による脱水状態に陥るのか
はぁ
終わりなき闘いですね。
今年も夏もすごい速さで走り去ろうとしています。
大事な大事な
時間が過ぎていきますね。。。。。。
思うように動かない身体を抱え
今は「生きる」というお仕事以外は何もできません。
ただただ時間が、季節が
飛ぶように過ぎていきます
なんだかな~
膨らませても膨らませても
いつもどこかから
プシュー
って空気が漏れてる風船みたい
積み上げても積み上げても
すぐ崩されてしまう積み木・・・そんな不条理な世界にいるようです。
疲れるな~
虚しくなるな~
夏の終わりは、かなりメランコリー
そりゃね
この世で起こる事にはすべて意味があり
すべて「いい事」につながっている。。。。
生かされていることに感謝感謝。。。
分かっちゃいるんですけどね。
それにしても
カミサマ~
もうそろそろ許してくれてもいいのではないでしょうか?
私の心と身体は、もう頑張り過ぎて
伸びきったゴムみたいになってますよ~
エリザベス・キューブラー・ロス(精神科医)は、死の受容のプロセスについて次のよう書いています。
① 否認
自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
② 怒り
なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
③取引
なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
④ 抑うつ
なにもできなくなる段階である。
⑤ 受容
最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。
この「死」を「脳脊髄液減少症」と置き換えてみます。
私もまったく同じ過程を踏んできました。
なんで自分が…
何にも悪い事してないのになんで?
なんでここまで…?
でも私が選ばれた事には大きな意味があるのよね。
一旦は「受容」したつもりになっていたのに、症状がすると、すぐに振り出しに戻っちゃいます。
この受容のプロセスは、なかなかゴールが見えない脳脊髄液減少症患者にとっては
一直線には進まないのです。
症状のアップダウンに振り回され、すぐに「怒り」や「抑うつ」に舞い戻ります。
大事な「感謝」の気持ちさえ、薄れてしまいます。
不平不満の塊が押し寄せてきてしまうのです。
ヤバイですね。
いけないいけない
この苦しみを通して、神様は一体私に何を学べと言われているのでしょう。
神様の沈黙が辛いです。
私はアナタが思うほど強くはありません。
どうか、この試練を乗り越えられるだけの
精神力と気力と体力を。。。
どうかそれだけを、与えてくださ~い