たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

脳脊髄液減少症は命にかかわらない。。。

2009年05月26日 | 脳脊髄液減少症

先日、たまたま整形外科医の知人から電話がありまして。
別件での話の合間に、思い切って聞いてみました。

「脳脊髄液減少症をどう思う?」

彼は、私への遠慮からか、一瞬言葉につまり、オブラートに包むかのように
整形外科医としての本音を、つらつらと話してくれました

要約するとですね。。。

◆整形外科の世界では、脳脊髄液減少症は一般的ではない
(←つまり認めていないし、認める方向でもないらしい)
「脳脊髄液減少症」という病名、最近では脳外科・ペインクリニック・神経内科
などでは、かなりポピュラーになりつつあるようですが。
整形外科が、なんとも頑ななようです

◆整形外科のお仕事は、毎日非常に忙しい。
骨折など、重篤な患者の治療にあたるだけで精一杯。
数値や画像に異常がないのに、えんえんと症状を訴える患者にのんびり向き合う暇はない

◆脳脊髄液減少症という、ある意味「異端」な説を支持する事は、
かなりのリスクを伴う。
今の職を失う覚悟がいるので、なかなか難しい

ふ~~ん
やっぱりね

現場の医師の本音はそんなものなのでしょうかね~
(もちろん、これは、あくまでも知人の一意見で、すべての整形外科医の意見ではありません。念のため)
まあ、確かに、オーバーワークで過労死なさる医師もいらっしゃるし
ご自分の身体や生活が大事なのも分る気もします、、、が。。。
なんか、医師としてのキホンがずれてるような。

そして、締めの決まり文句、トドメノ一句

「別に命にかかわる病気じゃないからな~」

そう、結局これなんです!
別に命に別状ないから。。。
放置されてしまう
後回しにされてしまう
軽く見られてしまう

もっともっと、大変な病気はたくさんあるんだよ。
どうしてもそっちを優先するのは当たり前だろう。
自分の病気だけが苦しい、と思わないでほしい。

つまり、こんな風な事をやんわり、遠回しに言われた訳です

「別に命にかかわるワケじゃないじゃん」
脳脊髄液減少症を患ってから、ドンダケ言われたフレーズでしょう。
おそらく、私を安心させるため、励ましてくれるために
かけてくれた言葉なのでしょうが。

でもでもでもサ
「別に命にかかわるワケじゃないし~~」
で医師界も研究班も周りも放置しちゃだめなんです
軽く流しちゃだめなんです
無きものにしちゃだめなんです

脳脊髄液減少症は命にかかわる病です。

少なくとも私は、
腰椎穿刺で脳脊髄液がドバッと漏れた時
死と直面しました。
脈拍にも血圧にもその他の検査にも異常がなくても
「死ぬ~死ぬ~」とマジで思いました。
その後も、えんえんと生死をさ迷いましたし(自覚症状だけですが
毎日が救急車日和でした
(ER搬送されても、「異常なし」で返されてしまうのがオチ、じっと家で我慢我慢です

これが、決して大げさな表現ではないのは
この病を経験し、何年も異常なし!怠け者!と放置されてきた患者さんや、
周りで我が事のように苦しみ支え続けていらっしゃた方には
よく理解して頂ける、と思います。

脳脊髄液減少症は命にかかわる病です。

どうかどうか
今、苦しみの中にいる患者さん!
改善途中の患者さん!
そして、その患者さんを支えるご家族の方!
もっと遠慮しないで声を上げてほしいです。
医学や行政の現場の状況は
我々、現役の患者が訴えないと、どうにもならないところまで来ているのです。

先日、警察庁が平成20度の自殺者の概要を発表しました。
総数約3万2000人のうち、1万5000人ほどが、
その原因・動機に「健康問題」をあげています
約半数です。
「うつ」もかなりの割合。

この中に
脳脊髄液減少症の方が、どれほど入っていたのでしょう
そして。
子どもの患者さんの中には
「いじめを苦に」などという動機にされてしまった子も相当数いるのでは
と思っています。

脳脊髄液減少症は命にかかわる病なんです

ってば。


矢舞い?

2009年05月17日 | つれづれに

このところ、
不安定なお天気に翻弄されています
冷たい雨が降って、冬に逆戻り?
と思ったら、いきなり真夏の暑さに・・・
そしてまたまた

参っちゃいますね~~。

以前、私は「雨の日」が好きでした。
嵐の日も、意味もなくワクワクしてました。

だけど、今は。。。
気圧の変化にどうにも、ついていけない。。。

あぁ、元気なときは、こんなことなかったのになぁ~
と思わずこぼしてしまったら。。。

「病(やまい)」を「矢舞い」と書き換えてみたら。。。
とある方に言われました。
矢舞い?

人はみんな、舞える「矢」を持っているそうです。
健康な時は動かないけれど、ちょっとした風に反応して舞い始める「矢」
風車のように、くるりくるりひらりひらり
その風が強ければ強いほど。
その矢は派手に大きく舞いまくります。

澄んだ青空に
くるりくるり
ひらりひらり

真っ白な矢が舞っている。。。
美しい情景です


イキなりの突風ではるか上空まで舞い上がってしまった、私の中の「矢」
ぐるぐるぐるぐる舞いながら、あまりに遠くまで流されてしまい
今では、元いた場所さえ見えなくなってしまいました。
でもその「舞い」に目や身体が慣れてくると
同じように、舞っている矢がたくさんある事に気がつきました。
それは、様々な「病」を抱えながら、それでも懸命に必死に乗り越えようとしている方々の、素敵な姿です

今まで
私は、なんとしてでも
「元の健康な身体にもどりたい!」
と執着し、焦っていました。
発症する前のように、元気に動け、飛びはね、
普通の生活を営める日常をとりもどしたい。。。と

でも、もう「元の場所」には帰れない。
決してネガティブな意味じゃなくて
いい意味で
もう「元の場所」に戻る必要はないんです。
もし、また何ごともなかったかのように、元に戻ってしまったとしたら
「脳脊髄液減少症」という、医学界に認められない病と出会い、
宇宙の中を舞い迷い、
死ぬほど苦しんだ意味がなくなります。

もちろん
身体の痛みや辛さからは、一刻も早く解放されたい。
これは本音のホンネ
でも
この「矢舞い」のお陰で、思わね出会いがあったり
普通なら絶対行けない所に行けたり、会えないはずのお方とお会いできたり
秘密の場所が垣間見えたり。
これは、決して負け惜しみでなく、選ばれた者だけの特権であり貴重な体験です。


くるりくるり
ひらりひらり

あぁ
病気との闘いって
アートなんだな~~

皆さん、実に見事に病と向き合って、
素晴らしく日々を綴って、表現なさっているでしょ。
病人は、みんなアスリートで、アーティストなんですね
(ひいき目かもしれませんが、脳脊髄液減少症の患者さんて
感受性が豊かで、表現力が優れている方が多いと感じます。。。)

舞ってる矢は、どこで、どのように着地するか、
なんて誰にも分からないし、決められません。
人智を超えているんです。
大事なのは、着地する場所ではなく
「舞い方」なのだと思います。

くるりくるり
ひらりひらり

どこに舞い下りようが
もう、元の健康な時の私ではありません。
人を外面だけで評価する私ではありません。
病気で苦しむ人に対して「病は気からよ」などという
軽々しい言葉で更に追い込むような私ではありません。
人からの目や評価を何より気にする私ではありません。
簡単に人を裁くようなごう慢な私でもありません。
物欲に振り回される私でもありません。

どこで着地しようとも
何段階もランクアップした私になっているはずです

その日が来るまで

くるりくるり
ひらりひらり

この「矢舞い」のショータイムを楽しんでいたい、と思っています。