6月なのに。。。まだ6月なのに。。。
台風シスターズ(4号&5号)なんて。。。
早すぎる。
私たち、脳脊髄液減少症の患者にとっては、辛すぎる季節の到来です。
でも、どうしても紹介したい新聞記事があります。
6月19日、朝日新聞の朝刊
「原田正純さんを悼む」という記事です。
原田正純さんは、その医師生命のほとんどを「水俣病」にかけたドクターでした。。。
2012年6月11日、急性骨髄性白血病のため自宅にて死去。77歳でした。
昨日は、台風攻撃に遭い、とても起きていられなかったのですが。
今日は、少しマシになり、新聞記事を読むことができました。
内容は。。。
作家の石牟礼道子さん(熊本県、水俣育ち。「苦海浄土ーわが水俣病」で朝日賞受賞)
の心からの叫びです。
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熊本の天草にいる友人が、原田正純先生の訃報(ふほう)を知って、深いため息とともにつぶやいたという。
「……草も木も、みんな泣きよる……」
私も泣きたくなる。これから先どうして生きてゆこう。人見知りの強い私が、
水俣のことをご相談するのは、限られた患者さんたちと、人の生くべき道を身をもって、
示して下さった原田正純先生だった。
なによりもあの笑顔。。。
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水俣病は、日本において「公害」の先駆けといってもいい、悲惨な病です。
当時、まだ青年医師でいらっしゃった原田医師が、生命をかけて、
行政と海に水銀を垂れ流した企業を相手に、壮絶に闘ってきました。
患者さんには、溢れるばかりの愛と笑顔で接し、支え寄り添われて。。。
50年前。。。
「母親の胎内というものは、侵すべからざる神聖なところで、
外界からの毒物は侵入しないというのが当時の医学的定説であった。
二人の小児患者を持つ母親から『怒られて』胎児性がありうると考えはじめた。。。」
原田医師の笑顔は、限りなく優しい。。。
お会いするだけで安心できる。。。癒される。。。
似ているかもしれない。
脳脊髄液減少症と向き合い闘って下さる先生と。
激務をこなしながら、常に患者さんを支え続けていらっしゃる。。。
穏やかな笑顔と語り口。。。
とてもよく似ている。
でも、そのS医師が、今、この世から消えてしまう。。。なんて
考えた事もないし、考えたくもない、ことでした。
もし、もし、もし、もし、もし、もし、
この十数年もの間、脳脊髄液減少症患者さんの苦しみを支えて下さり、
医師会、法曹界、行政、損保業界と毅然と闘って下さっていらっしゃるドクターに。。。
予期せぬ事態があったとしたら。。。
S医師の強い信念と気概と勇気を受け継げる医師はいらっしゃるのでしょうか。。。
。。。草も木も、みんな泣きよります。。。
。。。草も木も、みんな泣きよります。。。
。。。草も木も、みんな泣きよります。。。
と惜しまれる医師が、今の日本に一体どれほどいらっしゃるのでしょうか。
※ぜひ、ゆめさんのブログを参考になさってください。
(ゆめさん、勝手にリンクさせて頂きました~。。。)
原田先生、ありがとうございました。安らかにお眠りください
水俣病の教訓を、私たち脳脊髄液減少症患者こそがこどもたちへ伝えよう
本日6月19日の朝日新聞文化面に「原田正純さんを悼む」