たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

「脳脊髄液減少症を知っていますか」

2013年02月07日 | 脳脊髄液減少症



「脳脊髄液減少症を知っていますか」


篠永正道著(西村書店)

が、発行されました。

本のタイトルが、そのまんま(笑)で、分かりやすいですね。
さらに内容も。。。
全く、この病気を知らない方でも、スラスラと読める内容となっています。

1章:脳脊髄液減少症とはどのような病気か
2章:脳脊髄液減少症の診断と治療
3章:脳脊髄液減少症の周辺病態
4章:症例集
5章:治療についてのQ&A
6章:現在の問題と今後の課題

付録として、脳脊髄液減少症の治療の可能な医療機関リストも載っています。


「あとがき」に書かれていました。
私も、とても不思議に思っていたことでした。
先生は外来に手術、障害認定や、損保や生保関係の書類、裁判の証人、様々な講演会。。。
ご自身のお時間はあるのだろうか。。。

篠永先生は5年前から、このような分かりやすい本の構想はあったようで、でも。
「月曜日~土曜日まで、連日朝7時から夜9時過ぎまで、休みなく働いてきたため、
本を執筆する時間を見つけるのに苦労しました」
貴重な休日は、ほとんど診断書や裁判所の意見書作成に費やされていらっしゃるとか。。。

しかし、そんな多忙な先生に、神様はひとときの休暇を下さいました。
一昨年、腰痛の悪化のため「腰部背柱管狭窄症」手術での2週間の休暇。
この間に、8割の原稿ができあがりました。
人生に「無駄」な事ってないんですね~~。

原稿の残りの2割は、朝5時起きし、熱海海岸の散歩30分の後の
外来までの45分を執筆の時間にあてたそうです。

ああ~~。やっぱり、すごいお方です。
本の内容ももちろんですが、
私は、このあとがきに、イタク心がしみ入りました。。。

どうか、一人でも多くの方が、この本を手に取って頂きたいと願います。
このような医師が日本にいる事は「宝」だとも思います。

先日、先生がインフルエンザでダウンなさり、多くの患者さんの診察をキャンセルなさいました。
その分、本来の休診日も診察なさるそうですが。。。
どうか、ご無理はなさいませんように。
患者の一人として、心配でなりません。

先生の片腕になられる医師が一人でも多く育ってくれますように。。。


最高裁の決定。。。「同じ空の下」

2013年02月03日 | 脳脊髄液減少症

今朝早く、SNSにて知り合った方が、久々に「日記」を更新なさっていました。
「同じ空の下」脳脊髄液減少症と闘う母娘の記録文芸社刊)の著者でもいらっしゃる、轟(とどろき)さん。


10年前、頭にボールが当たったのが原因で、脳脊髄液減少症を発症したお嬢さん。
当時中学生でした。
その後、後遺症と心の傷に苦しむ娘さんと、お母様が共に病気と学校と司法の壁と闘っていらっしゃいました。
さらに、学校側の隠ぺい工作や、市の教育委員会の心無い対応。。。
轟さん母娘は、「もうこれ以上、悲しむ方を増やしたくない」という一念で、訴え続けて下さいました。
マスコミにも、何度か取り上げられてきました。
2011 922日 脳脊髄液減少症裁判・高裁から棄却されました。

詳しくは、ぜひ上記の「同じ空の下」をお読みください。(まだ在庫はあるようです)

以下、少し長いのですが、その日記を転載させて頂きます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


最高裁判所から次のような決定がありました。

本件を上告審として受理しない。

つまり、最高裁判所が審査するような案件ではないと言う意味です。
皆さんのご協力により、国内や海外からの一万を越える署名も無視し、門前払いです。
日本の司法制度には、血が通っていないことをあらためて思いしらされました。

脳脊髄液減少症と言う病気が確立するような専門医の診断書や意見書には、一切触れません。
一審、二審とも全く公正さに欠ける審議でした。
そこには、損保の強い影響がありました。
昨日、大分県政記者室にて、記者会見をしました。下記の内容です。
テレビや新聞で各社がとりあげてくれました。
世の中の人が、なぜ、こんな判決になるのか?
おかしい。と思っていただければ、次に繋がります。
泣き寝入りをすることなく、減少症患者がいかに不当に扱われているかをこれからも、声をあげていきたいと思います。
以下、記者会見の内容です。

2005年より、長きに渡り裁判を続け、宙ぶらりんのまま不安定な思いで過ごして参りましたが、結果はどうあれ、
やっとその重圧から開放された思いでおります。
思い返せば、今から10年前、学校事故により脳脊髄液減少症を発症した娘が経験した苦悩を他の誰にも味わって欲しくないという思いで、
泣き寝入りをするのではなく、全てを明らかにすることを選び、宇佐市を相手に提訴しました。

私は裁判と言う道を選んだことに後悔はありません。

それは、大きな2つのことをなし得ることができたからです。

ひとつは、
今、学校内での虐めによる自殺や教師の暴力が明らかになり、その隠蔽体質が問題になっています。
娘が通っていた学校もその例外ではなく、当時の体育教師による職務怠慢ゆえに起きた事故を
ずっと隠蔽していました。
しかし、良心的な先生がたの内部告発により、当時の体育の授業の実態を知ることになり、また法廷では、
複数の同級生たちが授業の実態を生々しく証言してくれたことにより、当時の授業の様子が、白日の元にさらされました。
この娘の事故を教訓に現場の先生がたは、事故後の処理に新たなルールを作ったそうです。
それは、事故報告書を作成するにあたり、怪我した生徒自身が、いつ、どこで、どんな状況のもと、どんな怪我をした、
という内容で書き記し、それをもとに正確な報告書を作成するというものです。
まなさんの事故は、今、生かされています。という暖かい言葉を現役の養護教員からいただきました。
自浄能力に欠けた宇佐市教育委員会に望むことは、虐めや事故などで、保護者からの訴えがあった場合は、
学校と一緒になって隠蔽に走るのではなく、真摯に受け止め、必要な調査を迅速に行い、
適切な指導を行って欲しいと思います。

二つ目は
交通事故やスポーツ事故など、身体への衝撃により発症する脳脊髄液減少症という病は、10年前には、ほとんど知られてはいませんでした。
この病気の治療にあたる少数の良心的な医師たちは、バッシングを受けながらも多くの患者を救ってきました。
医師たちの努力と日本中に存在する患者さんたちの声により、厚生労働相は、研究班を作り、この病気の確立に向けて研究が進められています。
一昨年からは、RI検査に保険適用がなされました。また、現在、治療法であるブラッドパッチに関しても
先進医療という括りの中で保険適用がなされています。このように一歩ずつではありますが、確実に前進しております。

私も微力ではありますが、この裁判を通して世の中に病名を浸透させることができたのではないかと思っております。

残念ながら、裁判所は、娘の学校での事故と脳脊髄液減少症との因果関係を認定することはしませんでした。
しかし、脳脊髄液減少症という病気が存在することは事実で、多くの患者さんが苦しんでいるのも事実です。
そして娘もまた、あの事故により脳脊髄液減少症を発症したことも複数の専門医の診断により、間違いのない事実です。

文部科学相管轄の日本スポーツ振興センターも学校での事故との因果関係を認め後遺障害二級を認定しています。
日本の裁判所が、その事実に目を背け、苦しむ患者を理解できないことは、とても悲しいことです。裁判官こそが、
高くアンテナを立て、新しい情報に目ざとくあって欲しいと思います。
一日も早く、この病気が確立し、大変な苦痛に耐え必死で生きている幼い子供を含む患者さんが、
さらに裁判などというストレスを抱えずに済むような世の中になることを望みます。

最後になりますが、マスコミの皆さまに於かれましては、八年前より脳脊髄液減少症の認知活動にご協力いただきましてありがとうございました。
みなさまのおかげで多くの人の命や人生が救われました。
今後も草の根の活動として、一人でも多くの方に伝えていきたいと思っておりますので今後共、宜しくお願いします
また、上告するにあたり、日本中のみならず、インターネットを通して海外の方にも署名活動に協力していただきましたことを
この場をお借りしてお礼申し上げます。

轟 智恵

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

影ながら応援させて頂いておりましたが、あまりの突然のことで、ショックです
日本の法曹界の無力さ、冷酷さ、理不尽さ。。。
今は、なんといっていいのか。言葉がみつかりません。

とりあえず、転載いたします。

最後に轟さんからのメッセージをお伝えいたします。

☆お願い☆
この日記をコピーして、皆さんの日記やブログ、フェイスブックに掲載していただければ、嬉しいです。

どうか、患者さまやご家族、脳脊髄液減少症に興味を持たれた方は、どうぞよろしくお願いします。