たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

聴覚過敏と運動会

2009年09月19日 | 脳脊髄液減少症

今年の秋は実に律儀に訪れましたね。

朝晩はもうめっきり「中秋」の気配です。
ようやく、エアコンをつけたり消したりの、攻防戦から解放されました。

う~~~ん、爽やか~~~

とマッタリしていられるのは、ごくごくわずか。
次なる「敵」がひたひたとやってきました。
秋といえば、食欲の秋、読書の秋、芸術の秋。。。。。
そして、そして、そして「スポーツの秋」

そうそう、そうなんです
運動会の季節なんです。

すがすがしく晴れた空の下で、思い切り身体を動かす
走る、飛ぶ、跳ねる、蹴る、躍る。。。
そんなスポーツの祭典である「運動会」。。。

でも苦手なんです
あの音が。。。

実はね、私の寝室のすぐ隣りには地元の中学校が。。。。
で、
始まっちゃったんですよ。
「運動会の練習」が。。。
早朝から、中学生の歓声が聞こえてくるんです。
それはそれは、とてつもなく元気な声が。。。
クラス対抗の大縄跳びの練習をしている模様

少年少女たちには、ヒジョーに申し訳ないのですが、
脳脊髄液減少症で、聴覚過敏という症状を抱えた身に
この歓声、嬌声は、拷問に近いものがあります。

練習につきものの
ブラバン、行進曲、太鼓、ピストルの爆音、BGM、教師のアナウンス。。。
どれをとっても、身体に響くぅ~~

「聴覚過敏」とは、
他の人にとっては気にならない音がとても不快に感じられるるという現象です。
『ある程度以上に大きな音に対して感受性が異常に高まって
不快を覚える状態』と定義されています。

聴力検査に異常はでなくても、何らかのトラブルによって『聞こえの質が変わってる状態』のようです。
原因が不明なので、
医学書では、聴覚過敏症を心身症や精神的な状態、と捉えている向きもあります。

でも、脳脊髄液減少症から来る「聴覚過敏」は、決して精神的なものなのではなく
身体の構造的なもの、物理的トラブルから来ている。。。
と思います。

耳から入ってくる「音」情報が、脳にダイレクトに届き
ガビンズキンと響く感じ。
数年前の最悪時には、音だけではなく、ちょっとした振動やそよふく風までも
身体の細胞に響き渡り、攻撃されているように感じました。
何より辛かったのが、お皿が触れ合う、あのカチャカチャ音
ドアがパタンと閉まる音と振動。
掃除機のモーター音。
PCのブ~~ンというマシン音
家の前のある機械式駐車場の操作音
電子レンジのドアの開閉音や「ピッピッ」という電子音

などなどなど。。。。

つまり生活音のすべてに、身体がチョー過敏に反応し、攻撃されているかのように
感じてしまっていました。
それはそれは辛い症状です
生きていくこと、それ自体が辛いのですから。
「音」から逃れるためには

無人島で暮らすしか逃れる手立てはないのかな~~
宇宙の果てで、無重力の中で暮らせたらな~
と半分本気で考えたこともあります。
まだ症状が軽かった頃は、耳栓を使って対処していましたが
ひどくなると、耳栓を使うと、脳がさらにグワワ~ンと響き渡り、激悪化するため
使えなくなってしまいました。。。ショボ~ン

この「聴覚過敏」の症状は、脳脊髄液減少症の患者さんの多くが
訴えていらっしゃるようですので、
脳脊髄液の増減と、なんらかの関連があると思うのですが
どうなんでしょうかね~~。
ちなみに、私は、自分の「聴覚過敏」は、耳に関する筋肉の過度な緊張から
きているような気がしています。
顎関節の締め付け感とも連動していますので。
頭蓋の中を覆う硬膜クンと、それにツルンで働いている、神経や筋肉達が
ともに干渉しあって、このようなトラブルを起こしているのでは~
と思っています。
あくまでも、自分の感覚に過ぎませんけどね~。

8月の後半には、選挙カーの騒音に苦しまれた方も多かった事でしょう。
病院周りでは、声のボリュームをしぼるなどの配慮はされていたのでしょうか?
在宅で静養されている方の中にも
私達のように、「音」が症状悪化に繋がる病人は、他にもたくさんいらっしゃるはず。
こんな「弱者」の声に耳を傾け、理解を示し、想いを馳せてくれる社会を
真の意味で「成熟した社会」というのでしょうね。
政権交代にちょっぴり期待したいところです

さてさて
数日前からはじまった
我がお隣り中学校「運動会」の練習
「お騒がせいたします」通知がポストに入っていました
昨年よりも、いくらか身体に優しく聞こえてくるような。。。
これも、年単位に体感できる「改善」なのですかね
まだまだ、若いエネルギーを感じ、雰囲気を楽しむ、とまでとはいきませんが、
「攻撃されるような不快感」からは、解放されているようです。

とはいえ、早く無事に終わって、
いつもの静かな日常がかえってきてほしいものです