たとえば脳脊髄液減少症・・・・・・

ある日、ソレは突然やってきたかにみえました。
30年前の交通事故の記憶がよみがえる・・・・・・

赤福と賞味期限とワタシ

2007年10月28日 | つれづれに

またまた久しぶりの更新となってしまいました。
訪問して下さっていた方々、ごめんなさい。
体調が優れなかった亊もあるのですが、

あの日、髄液を抜かれた日、そして翌日、
自分に起こった出来事が脳の中でフィルターがかかったようで、
よく思い出せないのです。
脳の襞の奥の奥にしまわれている、あの日の記憶を引き出す作業は
殊の外、苦痛を伴いました。

でも今キチンと記録しておかなくては……。
近いうちにアップしようと思っています。
もう少し時間が必要なようです。
読んで下さっている方、申し訳ありません。

今日は話題はがらっと変えて、最近感じたことなどから。

たとえば赤福の事件。
食品の使いまわしや改ざんに関しては、
ここで何も言うつもりはありません。

ことの是非はともかく、コレなんか変って思う。
そもそも賞味期限とか消費期限が厳しく規制されるようになったの
はいつからでしたっけ。
私がまだ小さい時は、消費期限は牛乳くらいにしかなかったように思います。
他は製造日が記載されていただけだったような。
豆腐はお豆腐屋さんから購入していたから、それもなかったし。

つまり賞味期限はそれぞれの家庭で決めていたのです。
鼻と舌と眼で識別していたはずです。
ウチでは納豆は一週間、豆腐は2日、牛乳は開けたら3日みたいな。
そのルールは各家庭で微妙に違っていたけれど
結構正確だったように思います。
それでお腹をこわした、という話はあまり聞いた覚えがありません。

人間には、外界を感知するために
また自分の身体を守るためのセンサー機能が本来備わっています。
それは五感と言われているもんで。
視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚・・・。そして第六感。

それがどうも最近、鈍ってきたのでは?
と思えて仕方がありません。
携帯電話の普及で、電話番号を覚える能力が退化したように。
車の普及で足腰が弱くなってきたように。
TVの普及でイマジネーションが乏しくなってきたように。

使わないと、折角備わっている能力も衰えます。
見事にどんどん衰えてきます。

いつの間にか、人は数字にしばられ、
数字だけしか信じられなくなってきていたのです。

「この納豆は色も匂いも味も変じゃないけど、
期限過ぎてるから捨てちゃおう~~」みたいに。
自分の五感よりも、数字を信じるようになってしまった。

数字の呪縛。。。。。。

そうです。私も長年これにとらわれ、苦しめられてきました。

「数値上異常なし」

自分の五感も体性感覚も平衡感覚も
思い切り「異常あり」なのに
医師の「異常なし」の言葉を鵜呑みにし、
「自律神経失調症」というファジーな病名とも言えない病名を
自分の疾患名だと信じ込み、服薬や運動療法に走り
どんどん悪化の一途をたどってきたように思います。

今では、自分の身体が発していたメッセージ、
体性感覚が鋭く感知していた感覚は
かなり正確だった、と思えます。

私のこの症状は「気のせい」や「性格のせい」ではなく
身体のどこかに器質的な異常が発生している。
内服薬やカウンセリングなんかじゃなく、外科的措置が必要!

と身体のセンサーはちゃんと感知し、訴えていたのです。

数字の呪縛は
食品業界だけではなく医学界にも侵食してきています。
患者を診ずに「数字」と「画像」だけを見る、今の現代医学。

こんなに医療精密機器が進歩する前は
医師も、もっともっと患者の顔色を診て、状態とか訴えとかも
キチンと聴いていたはずでしょう!

数字・数値・画像……。
それを盲信することで、本来、医師なら当然備わっていなくてはならないはずの、
五感・第六感が著しく鈍ってきている、と感じます。
使わないと、何でも衰えます。
どんなに優れた能力でも衰えます。

数字を過信することで、「数字」に縛られ、裏切られる日がきっと来る。
赤福事件の報道を聞きながら
そんなことを、つれづれに考えていました。


病名を探して~(6)

2007年10月04日 | 病名を探して…

~運命の日~髄液を抜かれる(2)~

私は幼い時から我慢強い子だと言われてきました。
ころんでも泣かない「イイ子」ちゃん、
なぜか親や周囲の頭にそうすり込まれていて
私はその期待に背かぬよう、
ちょっとした身体の痛みや心の傷や悲しみ、怒りを
素直に「痛いよぉ!」と言えない子供として育ちました。

学生時代、スキーで複雑骨折を負い
固定のために巻かれたギプスをはずす時に
電気ノコギリでギプスだけでなく生身の脚まで切られた時も
じっと堪えていました。
(なんで痛いといわないの?とナースに責められた)

出産の時も、極めて落ち着き、慌てず騒がず。
助産婦さんに
「模範的な産婦さんだわ!」と誉められました。

その我慢強い私が、冷静沈着なはずの私が
今まで「痛い!」と言わなかった私が
生まれて初めて

辛すぎる!
生命の危機だ!
気が狂いそう!

と思いました。そして助けを求めました。
私が助けを求める、という事は
よっぽどのことです。
それを私だけは知っている。
つまり私以外の人は知らないのです。
思い知らされました。

心無いナースの言葉で。

私は,努めて冷静に、今の自分の状況を訴えました。
「身体の全てが異常です。
身体は震えているし、脈も速すぎる、脂汗も出て、ふらつきもすごいです・・・
頭がグアングアンしているんです!」

顔がずれていることは、敢えて言いませんでした。
ひかれるかも・・・・・。
と考えたからです。
体力・気力は限界に近づいてきていましたが
理性だけは、かろうじて残っていました。

「今、先生はいません。朝まで来ません。
大丈夫、ちゃんと喋れているし、脈も飛んでません。
気のせいでしょ?あなた、神経質?」

気のせい?
このすごい症状が気のせい?だって?
そんなわけないじゃない。

せめて点滴を!と哀願しましたが
あっさり断られました。

…………放置です。

髄液採取から8時間が経っていました。

この時、私の身体では、とんでもない事態が起っていたはずです。
腰椎に刺した針は硬膜に穴をあけ。脊髄液がじゃんじゃん漏れていたのです。
ついには脳の中の脊髄液ががくんと減り、小脳が徐々に下垂……。
無数の脳神経や身体中の筋肉が異常に緊張を起こし、
「ありえない」症状の数々が起こっていた、と思われます。

この状態でさらに数時間、放置されました。
お昼近くになってやっと来た医師は、さらに信じられない言葉を吐きました。
「あなたの症状は、脳外科の範疇ではないよ。うちでやれる事はない。
髄液検査とは無関係。」

こいつは人間じゃない!殺人鬼だ!
私は決して気がおかしくなっているわけじゃない。
身体が尋常でないだけなのに…。

もう限界だ!
この病院にいたら殺される!

「救急車を呼んで下さい!」
もう体裁を繕っている余裕はありませんでした。
なんとか、この病院を逃げ出さなくては…。

もうろうとする頭で、何とか助かるスベを探っていました。
人間って不思議です。
どんな苦境にあっても、助かろうという本能が働くのです。
この時、まさに本能だけが機能していたと思います。

この平成の時代に、命を助けてくれるはずの、現代医療の現場が
殺人鬼が棲む「殺人の館」になりえるなんて

この時まで知りませんでした。

(さらにつづく)