ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

ジュリー・ラテライブ・ランダム再生①

2016年07月23日 23時52分06秒 | ジュリー・・・思い出SONGSあれやこれや
はい、お待たせいたしましたでしょうかどうでしょうか?
コンサートライブのセトリ紹介に続きましてはこれですよ。
勝手に名付けてラテライブ・ランダム再生!

カフェラテとは関係ございません。
ラテ=ラジオ&テレビ。

広告業界では新聞のラジオ・テレビ番組表の面を「ラテ面」と申します。
朝日新聞の最後の面は”テ”だけですけど。
関係ないけど、ラテ面の中に(特に記事の中に)四角い枠囲みの広告が載ってることがありますが
あれを「ラテ中(なか)」と申します。記事本文の中は「記事中(きじなか)」。まんまですが。

てな話は置いといて。すぐ横道逸れる。

で、思いつくままなので時系列には並びません。だからランダム再生です。


では、まずその筋では(たぶん)伝説と化している(ような気がする)
テレビスタジオでのワンマンライブ「セブンスターショー」のセトリ紹介から参ります!

放送は1976年2月15日
「TBSサンデースペシャル・セブンスターショー 沢田研二特集」
たった一度の放映で、DVD化もされていない、
当時ビデオデッキ持ってた人はお金持ち?! 
だってビデオデッキが一般的になり始めたのは1980年ごろで
それもVHSモノラルにもかかわらず30万円したもの!!
こうゆうのするのはTBSで久世光彦(くぜてるひこ)プロデューサーを置いて他にいない!
セブンスターとは7人のスターが順繰りで毎週取り上げられた、ていうのも確かですが
もともとはたばこのセブンスターを指す。それにひっかけた企画と言うわけです。
要はスポンサーが煙草屋さん、当時の日本専売公社。つか、専売公社って番組のスポンサーになれたの?!
・・・・なれたんやろうなあ、だからこんなタイトルの番組が存在した。(だったと思う。)

ジュリーはその第1回目に取り上げられたわけです。他の6名の話は割愛、失礼!

じゃあ、セトリ行きます。
何しろ一回しか放映されていないし、だから記憶は超絶曖昧。
でもフル録音はありますとも!・・・長いこと聞いてないけど^^;
ただ、何年もたってからどこかで誰かにビデオ映像見せてもらって再確認した覚えがある。
それもかなり昔のことなので、やはりよくわかりません。DVD化望む声多数!!
もう貸してくれた人とも疎遠になってて再見不可能。何故ダビングしなかった・・・


1.ジーザスクライスト・スーパースター
1977年のライブアルバム「ハムレット・イン・ジュリー」でも歌われた歌からスタート。
ほんまにうろ覚えですが、たしか体中?黒く塗った(濃い色のドーラン?)ジュリーが
クレーンの上に乗って高い場所で歌ってた・・・と思います。
ジーザスクライスト、もちろんイエス・キリストのことです。
2.立ちどまるなふりむくな

阿久悠・大野克夫コンビのちょっと地味だがそこそこ名曲。ジャケもそこそこかっこいい。
3.フランチェスカの鐘
よう知らんのですが二葉あき子さんという人が1948年に歌った歌らしい。
戦前から戦後にかけての大スターのお一人だとか。知らなくてすいません。
1948年てジュリーが生まれた年ですね。広島の原爆投下へのレクイエムだそうです。
4.モナリザの微笑

言わずと知れたザ・タイガースの大ヒット曲。3枚目のシングルでした。
これロックバンドか?・・・・番長グループの三羽ガラスといわれた不良少年が・・・
と思わせるには十分なジャケットやな・・・。
余談ですが、この頃ジュリーの母校・鴨沂高校で先生がジュリーのことを指して
「こんな生き方もある」と生徒たちに称賛してみせたのだそうだ。
5.絆(HALLYDAY)
資料が散逸してしまい、詳細がわかりません。ええ歌ですが。
原曲はフランス語の歌=シャンソンで、全然違う意味の歌詞だったのではと思われます。
訳詞・・・ていうか日本語詞は竜真知子さん。HALLYDAYとはジョニー・アリディのことではないかと。
つまり元はジョニー・アリディの歌なんでしょう、きっと。
すっごく簡単に歌詞の内容を紹介すると
女に振られて落ち込みまくっている親友を大げさなまでに励まし
「俺はお前を信じている!立て!お前の力でまた前に進むんだ!」と絶叫する、的な
・・・結構恥ずい歌だったりする・・・ややオーバーアクション気味で。
イヤ、メロディーラインとかは中々にカッケーんですけどさ。今、真剣に聞くとやっぱちょい恥ずい・・・
6.スティングのテーマ
古き良き映画「スティング」のメインテーマです。
これはハッキリ映像を覚えている。何と言って、まずピアノの鍵盤に置かれた手のアップから始まる。
で、ぐっとカメラが引くと、なんとなんと、大野克夫さんのアップではないか!!
当時めちゃめちゃファンだった(子供のくせに生意気にオトナのファンだった)ちゃちゃは
テレビの前でひっくり返りかけた。この時ほどビデオがあればと思った時はなかった。
(「お前がパラダイス」のカズさんの時も思ったけど、これはのちに入手したので満足。)
ホンキートンク・ピアノと言うものを知ったのもこの時です。
そしてこのピアノを耳コピで弾いた。ただしうちにあったのはエレクトーン。
7.月光値千金
もともとアメリカのポップスらしいけど、日本でも日本語の歌詞をつけて親しまれた名曲らしい。
それも戦前のことだそうで、あの榎本健一さんが歌ったりもしたそうで。
戦後はアメリカでナッキン・コールが歌って大ヒットしたとのことで。全部ウィキ調べですんません。
8.銀河のロマンス

言わずと知れたザ・タイガースの名曲、同名映画の主題歌でもありますが・・・・
ご存知の通りこの歌のB面はタイガース最大のヒット曲「花の首飾り」。
月刊明星の企画で一般公募した歌詞を元に作られた歌で、トッポこと加橋かつみさんが歌った。
それがA面を超えるヒットになったため、両A面とみなされるようになり
本来タイガースのリードボーカルであるジュリーは相当悔しい思いをしたようです。
プライドがいたく傷ついたというのもあったでしょうしね。そらそうやんな~・・・。
それが元でかつみと関係がぎくしゃくした部分もあったし、正直嫉妬心も感じたそうですし、
ジュリー自身もこのことは一生トラウマとなるとどこかで語っていたそうです。
きっと今でも事実トラウマとして残ってるんじゃないですかね。
9.時の過ぎゆくままに
今聴いてもよいですなあ、改めて、この歌は。
冒頭でジュリーが主演したTVドラマ「悪魔のようなあいつ」主人公の可門良の格好で
「可門良、28歳、職業、3億円事件、犯人」と言うセリフを言います。
三億円事件の犯人てジョブではないよね・・・。
放映された75年当時「時過ぎ」歌う前によく「可門良、27歳」と言ってました。
原作の設定ではずっと27歳だったのですが番組中誕生日を迎えます。
その日が8月15日、終戦記念日で、可門良がラジオかなんか聞いてて
「今日は終戦記念日です」と言うのに対して
「終戦? 敗戦と言え、敗戦と!」と吐き捨てるように言ってから
「あ・・・誕生日だ、俺の・・・」とつぶやく。・・・おい。
それ以降、ジュリーは「時過ぎ」の前振りのセリフを「28歳」に改めました。律儀?
10.危険なふたり。
11.お前は魔法使い
12.気になるお前
もうこの辺はカイセツ不要でしょ。
13.悪い予感
この時期のコンサートでもよく歌っていたミシェル・サルドゥの歌。
14.懺悔の値打もない
これは北原ミレイさんのデビュー曲ですがな。だいぶアレンジは変えてますけど。
阿久悠さんなんですね、作詞。すごいな、あの人は、何でも書いている。
この歌って、ここでのジュリーもオリジナルのミレイさんも通常4コーラス歌ってますが
実はそれ、1、2、3、5番の歌詞で、他に幻の4番が存在したのです。
あまりに暗い歌詞なのでカットされたとか理由ははっきりしませんが
3番の歌詞でナイフを握り憎い男に向かって行った主人公が
どうやら鉄格子の中にいるような歌詞(しかもまだハタチ)でした。
阿久悠さんが亡くなった後、ミレイさんがフルコーラスで歌ってはります。
今ならググれば映像が見られる。名曲ですね。カラオケにはあったかな~?
15.朝日のあたる家
これぞ名曲中の名曲!とちゃちゃは思う。好きです。
子ども心に、英語の歌ってすごいかっこいいと思わせたスタンダードナンバーの一つ。
アメリカンフォークで古くから歌い継がれた曲で、作者は不明なんですと。
やっぱボブ・ディランバージョンが日本では有名でしょうかね。
1970年代前半の日本のフォーク歌手はみな彼に影響されたと言いますしね。
このギター伴奏が実にカッケーっすね。コピったわ、ちゃちゃも、アコギで。
殆ど意味もわからんと歌った、歌本に載ってた・・・アニマルズバージョンで。ディランちゃうんかい。
てか、ジュリーの話せいや?? 。。。井上堯之さんのギターがカッケーかったです。はい。
16.許されない愛
これももはや言うことはないわ!
17.DIO COME TI AMO(ディオ・コメ・ティ・アモ)~愛は限りなく
ジリオラ・チェンクティーというイタリア人女性歌手の歌らしいです。
それを日本では伊東ゆかりさんが歌った。訳したのは「あらかはひろし」さんと言う人。
ていっても実はこれって架空の人物らしい。レコード会社とかのチームの名前とか
訳詞や作詞を本来の生業としていない人がペンネーム的に使ったとか何とか。
実は特撮ヒーロー物やアニメの原作者でもようある話です。
この歌はしっとり系のバラードですが、確かスタジオ内で”雨”を降らせて
その雨に打たれながら歌った映像を記憶しております。
18.いくつかの場面
ラストは当時ジュリーとジュリーのファンを泣かせたこの歌・・・コチラをご参照ください。
コチラに書いたのでここでは端折りますが、ホンマジュリー泣かせのええ歌です。
最後はエンディングにエンドロールがかかりつつジュリーのアップで終わります。

それにしても、です!
さすが久世さんの演出です、見事な映像でした、なぜDVD化せんのだ!
そして、これは加瀬さんの意見もかなり入っているはずですよね、
選曲が凄すぎます。特にカバー曲の選曲が。これは会場コンサートではありえない。
まさにテレビだからこそできたことではないでしょうか。
そしてジュリーを愛してやまない(変な意味ではない)久世さんだからこそできたのでしょう。
・・・まあ・・・久世さんの場合変な意味もあったんだけど。ホンマは。マジで。
(変と言ってはいけないか、昨今。)


ま、そんなこんなで今回これまで。毎度、お粗末!

で、・・・・次回予告。
1975年頃のFM大阪(FM東京とも言う)で放送されたやつでもあげようかと。
なんつーたかな、確か「サウンドアプローチ」。

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