ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

KAIGO.介護 巻の百七十四 介護な日々のその後な日々

2013年09月24日 21時47分46秒 | 介護な日々
2010年12月5日 

母が亡くなって、いわば四十九日に当たる頃。ていうかジャスト49日目の日。
実家に身内を集めてごくごく内輪で忍ぶ会を行ないました。
何しろ無宗教ですから、お兄のご挨拶と、みなのお焼香お参りくらいが儀式で、
あとはちい兄監督・製作の母の思い出スライド上映会です。
・・・なんか大学の講義みたいですね、
スクリーンとプロジェクターを用意して講義しながらスライドを見せる、なんて。

余談になりますがお兄のところには男子が3名おりまして
長男がそういう関係の仕事をしています。
だから次男三男の結婚式で上映された、新婚カップルの生い立ちと出会いからのラブ・ストーリーは
長男が鋭意製作したもので、中々のできばえでした。ちゃんとウケも狙ってたりして。
なんというか、多少芸術関連の「何か」を創ることに関しては
マメな一族なんでしょうかねえ~・・・

母もまさかこんなところで一代記を上映されるとは思わなかったでしょう。

それから、いろんな方にご協力を頂いて解き明かした?系図も配り
みんなで会食しながらああだったこうだった、と思い出を語り合うこと数時間。
お葬式に続いてこれまた手作りの「四十九日」の一日を過ごしました。
上映された写真を文章とともにちい兄がまとめた
「S代さん(母の名)のアルバム」も後日印刷して皆様にお送りしました。




それからの数日は事務的ないろんな手続きやお世話になった方々へのご挨拶、
しばし連絡をとっていなかった母ゆかりの皆様にも連絡をとり、
そんなこんなでいつの間にやら年を越し・・・時は経ち・・・



2011年6月29日

この日、母の遺骨と、神棚にずっとお祭りしてあった父の遺骨をともに
母が非常にお気に入りであった場所である真田山の一角のあるお寺に埋葬しました。
無宗教でも関係なく入れるお寺さんで、とても閑静で訪問しやすい場所です。
真田山というのは、戦国武将真田幸村ゆかりの、あの!真田山です。
われわれ親子にも馴染みの土地でもありますので親しみもあり、
ここならきっと母も喜んでくれていると思います。
・・・父は・・・
正直どこというこだわりはあるのかないのか、よく分からなかったんですが
おそらく死ぬまで母のことを心配していたので、
一緒ならきっとそれだけでいいと思ってくれていると・・・
勝手に思っております。(おいおい・・・)いや、ほんまに。

ともかくお兄夫婦、ちい兄、私と私の長女の5人で納骨。


後日、前からあった神棚をリフォーム(?)
無宗教でも思いがあればお祀りもできますとも。
直系だけでなく、おじやおばなど一族で亡くなった方々皆様の遺影や、
幼くして亡くなったため遺影のない子どもたち、
あるいは流産等で生まれなかった子どもたちは
ちい兄と私でイメージ画を描いて、遺影代わりに並べました。
お供え物を置くお皿と線香立てを置くとオリジナル祭壇の出来上がり。
今も朝に夕に・・・・思い立ったらお参りをしております。


2011年8月16・17日

かなり以前に当ブログで紹介しましたが、母の故郷・和歌山県日高町を
母に代わって訪ねました。
この時の記事をちい兄が加筆修正して印刷し
また母方の親戚一同にお配りしました。





亡くなってから、日はどんどん経っていきますが
やることはまだまだありそうです。
たとえば?・・・「暗号の解読」とか。

母が晩年書いたメモの解読です。これが結構ムズカシイ。
コメント
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