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ちゃちゃ・ざ・わぁるど

日記と言うよりは”自分の中身”の記録です。
両親の闘病・介護顛末記、やめられないマンガのお話、創作小説などなど。

柴山和彦さん⑩~言行録

2012年02月24日 22時36分42秒 | KAZZあれやこれや
昔むかし、いつどこで見たか聞いたかわからないけど、わかるのもあるけど
どこかでカズさんが言ってた語録・・・順不同でお知らせします。
また、誰かがカズさんを語ったみなさんの言葉の数々も・・・。
出典はラジオが大半です。

行間からその人となりを読み取れたら幸いでござります。
正確な言葉はごめんなさい、わからないけど
こういうようなことを言ってました、てことでご容赦を。


―――井上堯之バンドからオールウェイズに変わった頃のことを思って
「俺なんか井上さんの後だからどうしても(井上さんを)意識するわけよ。
どう転んだって『良くなった』とは言われないだろうって。
だから俺にできることを必死にやろうって。」


―――ジュリーの『Free Free Night』という歌のアレンジを頼まれた時のこと。
その歌のタイトルはてっきり『おめでたい男』だと思っていたバンドメンバーの皆に
ジュリーが「コンセプトはね。」と答えた時にカズさんいわく
「それでね、(ディレクターが)『CHI SEI(キ・セイ=ロシア語で作られた別のジュリーの歌)』は
ケンさん(EXOTICSのリーダー)に(アレンジを頼んで)、
で、『おめでたい男』は俺にって(笑)言ってんのよ。」
ケンさん「これはもうミスキャストじゃないって(一同爆)」
カズさん「まあ・・・あたっているといえばあたってるけど。」


―――ジュリーへの誕生日メッセージにいわく
「もっともっとがんばって、ジュリーの誕生日が国民の祝日になるように!」
ジュリー答えていわく「カズは何をゆうとるんや!(苦笑) 
国民の祝日て・・・んなわけないやろ!!」


―――ラジオドラマをやった後の感想
「前(にゲスト出演した時)はこう・・・台本がなかって、結構緊張したけど、
今回は台本があって・・・その分・・・緊張しなかったね。」
ケンさん「(めっちゃ呆れて)してたじゃないよ~!!」
カズさん「まあ、してたけど!!!!!!!!!」


―――大沢さんのラジオ番組にジュリーがゲスト出演したときの話で
女子アナ「その・・・カズさんというのは(どなた)?」
大沢さん「EXOTICSのギタリストで。なかなか、ひょうきんな人ですよ。」
ジュリー「はい、楽しい人です(笑)」


―――ラジオでホストの井上鑑さんがゲストのジュリーに尋ねて
アキラさん「柴山和彦選手、この人はどういう人ですか?」
ジュリー「この人は・・・とにかく頑張りマンですね。絶対にできないとは言わない人です。
だから・・・たとえばコーラスのところとか僕は演奏のことなんか考えずに歌うから、
そしたら彼はなんかこう結構難しいことやりながらコーラスつけてるわけですよ。
でも・・・ちゃんとやれてしまうんやね。最初からできなくても。
アキラさん「ギターを弾きながら、コーラスも一手に引き受けて・・・」
ジュリー「そう、引き受けて・・・。だから絶対できないとは言わない人ですよ、
真面目ですよ、すごい。努力家です。」
アキラさん「キリッとした感じなんですよね。」


―――好きな海外のミュージシャンは? と聞かれて
カズさん「もう解散したんだけど、ザ・バンドっていうバンドがあって・・・」
ジュリー「ミュージシャンで好きな人結構多いよね」
カズさん「そう! でね、ギターのロビー・ロバートソンっていう人が大好きでね
一時『俺のことロビーって呼んでくれ』って(笑)
『ロビー柴山って呼んでくれ』って言ってたりした」


―――ジュリーファンからの質問で「学生時代モテたんじゃないですか?」に答えていわく
「『何組の誰それさんが~柴山のこと好きだよ』なんて話は山のようにあったけど~・・・!」
やっさんの冷やかしツッコミ「お~お~!」
「あったけど~! 実態は・・・つかめなかったね。だから・・・
言うほどモテてないんじゃないかと思いますね。」
ジュリーはマジで「あっそう・・・。そうかねえ?」と答えてました・・・。


―――井上堯之さんとの対話(大沢さんバックのメンバー紹介)
井上さん「彼はよく知ってるんだけど、ギターの柴山和彦くん。」
カズさん「どうも、その節(オールウェイズの初めの頃?)はすごくお世話になりました。」
井上さん「そう、俺、お世話したよね~!! うんうん!」
カズさん「・・・・・(苦笑?)」


―――鈴木さえ子さんのコンサートでの自己紹介で
「どうも・・・ギターの柴山です。さえちゃんのコンサート、
すごい盛り上がって・・・すごい楽しいコンサートになればいいなと思ってます。」


―――大沢さんとの対話
カズさん「(ツアーで)青森行ったときの話。板前が泣いて喜んだって言う・・・」
大沢さん「そう! カズさんがね、魚をさばくわけですよ。これが見事でね。」
カズさん「そうそう、目玉なんか舐めながら。」
・・・実話かどうかは不明です(本人に確認したことありますがよくわからなかった)。



エトセトラ、エトセトラ・・・。
また思い出したら続きやります。 
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柴山和彦さん⑨~いろんな人々といっしょ

2011年10月21日 22時16分31秒 | KAZZあれやこれや
まずはさえちゃんといっしょなお話から。

♪すぐおいしい~すごくおいしい~

・・・って、何のCMソングか皆様すぐおわかりですよね?
世界中でもっともよく食べられている某有名インスタントラーメン・・・
て、伏せる必要も無い、日清チキンラーメンの定番CMソングでありますが、
このCMソングを作ったのが鈴木さえ子さんというヒトであります。

我らがカズさん〈久しぶりです、FANの皆様すいません)、
一時このさえちゃんと一緒にお仕事している時期がございました。

さえちゃんの詳しいプロフィールはウィキでご覧あれ。(なんか間違いも多いみたいですけど)

さえちゃんは・・・何でも演奏なさいますが、メインはドラムだと言う話です。
マリンバもピアノもお出来になりますが、ご本人の弁によるとどっちかとうとドラマーだそうで。

当時のダンナ、鈴木慶一さん初めムーンライダーズのメンバーさんたち他と
”緑の法則ツアー”という、アルバム「緑の法則」を中心としたライブツアーをやってたのですが
そこにはピーターパンみたいなカッコしていたカズさんがいたんだよお。1985年です。
ジュリーのバックバンド・EXOTICS(エキゾティクス)1年後ですね。
メンバーの一人・白井良明(りょうめい・本名ではよしあきと読みます)さんとカズさんは何を隠そうマブダチで、
二人で”スタジオブラザーズ”というユニットを組んであちこちでぶいぶい言わしとったそーです。
その辺でさえちゃんのコンサートツアーに参加してたのかな、と。

ちなみにこの時のべーシストはエキゾのリーダーであった吉田建さんです。

私はこのツアーは行ってないのですが、翌年の”ハッピーエンドツアー”と
翌々年の”ステージロマンティストツアー”は見に行きました。
(更に翌年はさえちゃんのツアーがなかったか、あってもカズさんは不参加だったと思います。)
どっちかのステージのインターバルで、カズさんが洒落でドラムを叩いていたのを覚えとりますわ。

1985年から87年ごろと言えばカズさんの活動のメインは大沢誉志幸さんでした。
エキゾ時代は、たまに泉谷しげるさんのコンサートに、建さんやお兄さんの好正さんと一緒に
バックバンド・BANANAのメンバーとして参加する他には
あまりジュリー以外の歌手の演奏をしていなかったそうです。
一説にジュリーの仕事はギャラがいいので他の仕事をたくさんしなくてもよかったとか
・・・ていうかジュリーの仕事がいっぱいで他の仕事をするヒマなんてなかったとか言う話でした。
87年後半でジュリーのバックに復帰するまではいろんな人の演奏をなさってまして、
メインは大沢さんでしたが、次に多かったのがさえちゃんではなかったかな?

他には、白井良明さんと一緒してた関係でか、カズさんは
やはり良明さんと一緒に松尾清憲さんのレコーディングやステージも参加されてました。
尚、このバック演奏にはエキゾでいっしょしたキーボードの西平彰くんも参加してました。
松尾さんはコンサートホールではなくライブハウスが中心で、
ファンとしてはカズさんを間近で見られるのが嬉しかったですね~。
大阪にあったバナナホールというライブハウスに行った時、
アンコールでライトウイスキーのビンをメンバーみんなで振ってたんですが、
私は良明さんの振ったウイスキーのしずくが目に入ってめっちゃ難儀しましたわ。←自慢??
どーせならカズさんに掛けられたかった・・・なんちって。

レコーディングだけなら山下久美子さんや早瀬優香子さん、UP-BEAT、
渡辺満奈代さんやブラックキャッツ、白浜久さんなどの演奏も手がけておられました。
(山下さんは建さん、早瀬さんは彰くんともご一緒です)

当時のちゃちゃめは、レコード屋に行って手当たり次第にジャケ裏のミュージシャン名を確認して、
カズさんの名前があれば買うという暴挙に出ていたものでした。
ジュリーを離れてしまってなかなか逢えなくなったカズさんをそうして探していたわけですわ。
何しろパソコンもケータイも、すなわちネットなんぞ無かった時代ですもん。
恐ろしくアナログな探し方をするしかなかったわけですよ。
ファンしてる全国各地のダチのクチコミ情報と言うのはありましたが。

それから久宝留理子(くぼうるりこ)さんのアルバムは、カズさんがプロデュースを手がけてました。
あ、UP-BEATのデビューアルバムもプロデュースしてはったわ。
当時はレコードからCDへの過渡期でしたが、12インチシングルという
LPレコードと同じ大きさのシングル盤もほん一時でしたがはやってました。
まあ、マキシシングルみたいなもんですわね。
UP-BEATのデビューアルバムがそうでしたな、確か。

だからねえ、ジュリーのバックに帰って来てくれたときは嬉しかったですよ。
それ以来、ずうっとジュリーとともにあの方はいらっしゃるんですねえ。
こうなりゃ死なばもろとも、ですか。(ヘンな言い方ですんません・・・・)
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柴山和彦さん⑧~大沢誉志幸さんといっしょ その3

2011年02月12日 12時53分26秒 | KAZZあれやこれや
え~っと・・・・カズさんファンに捧げる(?)WITH大沢さんの昔話
ちゃんと記事書くために掘り出してまいりました、当時の大沢FC会報を・・・。
ちっちゃな事務所だったのでFCも会報も初めは手作り風(スタッフは半ボランティアだったらしい)
当時出だしたばかりのワープロ打ち風モノクロ会報はさながら同人誌・・・。
少しずつグレードアップして行きまして、そのうち立派な装丁になりましたが。

その会報を元に改めて二人の歴史を振り返ると・・・

大沢さんソロデビューは1983年6月ごろ。
前年秋から83年春にかけてのデビューアルバムレコーディングに
カズさんがエキゾのメンバー・ケンさんユカリさんと参加したのがまあ、初めかと。
その際のバンド名が「オージンズ」で、他のメンバーは
キーボード&コンピュータプログラムに松武秀樹さんと大村雅明さん。
ライブも同じメンバー+サックス矢口博康さんで、ライブハウスに出演してます。

その後一旦カズさんらエキゾメンバーは抜けて、
でも2枚目のアルバムレコーディングには参加。
ライブは84年は「ARABLE」「ARABLEⅡ」と続き
EP「その気×××」LP「CONFUSION」EP「そして僕は途方に暮れる」を順次発売。
この頃に大沢さんも名前が知られて行きました。
「夜のヒットスタジオ」なんかにも出たりして。

で、85年春カズさんが戻って来て「ARABLEⅢ」
ついたバンド名は「MOOCIE BOOMIE」
同年秋~冬のライブツアーは「ARABLE SPCIAL」
バンド名は「ダンドリーズ」(意味不明)
86年夏に球場ライブ「THERE’S ROIT GOING ON」
バンド名「ビア・ガーデンズ」(なんやそら・・・)を2本。

余談ですが、当時大沢さんはアンコールで登場する際いつも缶ビールを一缶持ってきて、
シェイクしまくってからプシュッ!!
泡たれまくりを一口飲んでから歌へ突入していました。(不謹慎??)
でもって、球場ライブの時は「今日のはデカイ・・・」と
一時はやった小ぶりの樽型をオープン!・・してました。
イッキ飲みまではしてませんでしたが、さすがに・・・。

さて86年冬~87年春にかけてのツアーは「SOCK IT TO ME」
バンド名は「エルタバスコス」
・・・この「エルタバスコス」はメンバーを多少変えながらけっこ長く続きました。
イヤ、続いたのはバンド名が、ですけど。
87年秋のツアーは「SOCK IT TO MEⅡ」
88年前半はライブは単発的でツアーはなく、秋に学園祭めぐり。
ワタシも大阪の梅花女子大に行った記憶があります。
で、89年発売のアルバム「Serious Barbarian」シリーズ3部作、
同名のコンサートツアーを敢行。

それから・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・


すんまっせーん・・・・・・・・・・・・・
ウチにわかるのはココまでです。

そっからは自分の生活がめっちゃ大変で
大沢さんにしろジュリーにしろコンサートに行ってるバヤイではなくなっちゃって・・・。

そして気がつけばそれから20年よ・・・・・。

どっひゃ~~~~~~~~~~~でございますわ。

それはともかく。
大沢さんの会報は大沢さん自身が記事に積極的に参加していて
バンドのメンバーもたびたび登場します。それも「原稿執筆」のカタチで・・・。
多かったのがメンバーの「コメント記述」。
ファン垂涎の「直筆コメント記事」や「楽屋裏写真」がしょっちゅう載っている。
自己紹介もメンバーが変わるたびに掲載されていて・・・

そして何と言っても「大沢さん&カズさんスペシャル対談」・・・!!
大沢さんは結構ハッキリものを言うタイプで、本人曰く(ほんまかどうかは不明ですが)
「ワタシは今まで本気で他人にアタマを下げたことがありません」なヤツ・・・
でも、カズさん相手には一目も二目も置いていたみたいです。
一時期ラジオのレギュラー番組も持っていて・・・「サウンズ・ウィズ・コーク」という番組ですが、
カズさんがゲストで出たときはずいぶん神妙だった気がします。
ジュリーがゲストで出たときと同じくらい。(ジュリーにも一目二目置いてたみたいです。


たとえば大沢さん直筆「カズさんてどんな人?」と聞かれて書いた

・・・・なるほど・・・


1986年冬。カズさん、タバコ持ってますがカッコつけてるだけです。(前列左から二人目)
カズさんはタバコはもとからまったくお吸いになりません。


ナナメってしまいましてすんません。1987年
質問は
①近頃、夢中になってるもの②最近の得意ワザ、プレイ③健康状態
④今、欲しいモノ⑤大沢さんの「」が好き⑥大沢さんにやめてほしい事
⑦30才になる大沢さんに贈る言葉⑧個人的なプロモーションをどうぞ
です。


これは・・・1988年夏・・・かな・・・
一般のファンも参加して(もち有料)香港にツアーしたときの、
戦場・・・じゃなくて船上ライブでのツーショット。
あくまでFC主催のファンサービス旅行であって、ライブツアーではないので
バンドメンバーで参加したのはカズさんだけです。
ビデオもファン限定発売版があったんですがね・・・(もう持ってない・・・

最後につまらんものをついでにアップ・・・
当時投稿して載せられちゃったちゃちゃめ作品です

葉書に描いて出したのをめっちゃ縮小印刷されたのをまた拡大したのでブレてます・・・。
左から松武さん、カズさん、誉っちゃん、ぐっちゃん〈矢口さん)です。似てねー


最近というか、ちょっと前に大澤さんのバックをカズさんがつとめたという話を聞きましたが、
直近ではどうも一緒にはやってらっしゃらないみたいですね・・・


・・・というわけで、大沢さんとのお話はひとまずこれまで。
大澤さんオフィシャルHPはこちら。
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柴山和彦さん⑦~大沢誉志幸さんといっしょ その2

2011年02月09日 22時07分56秒 | KAZZあれやこれや
カズさんが、ジュリーつながりの縁で大沢さんのバックをやるようになったのは1985年ごろ。
当時大沢さんはARABLE(アラブル・荒ぶる)と名づけたコンサートツアーをされてました。
メインメンバーは同じ系統のオトモダチ、ホッピー神山さん率いるPINKというバンドのメンバー。
そこにカズさんが加わって・・・よりロックっぽい、ソウルフルなサウンドに。

ところで・・ジュリーの話になりますが、ジュリーのバックでギターを弾いていた
初めはザ・タイガースのトッポこと加橋かつみさん、森本太郎さん
それから井上堯之バンドの井上さんに速水クン、
みなさんロックサウンドといえばロックに違いないのですが、
カズさんの音を聴いたとき、これは今までのギタリストの皆さんと
全然違うな、と思いました。
ワタクシあんまそーゆー”音”に詳しくはないんで、
個人的な印象でしかお話できないんですが、
とにかくカズさんの音はそれまでの”マジメで大人しい”音と違って
”ギンギン!””ハード”というイメージに聴こえたのです・・・。
ただ、ジュリーのバックでは、まだ品行方正な感じでありましたが・・・
大沢さんのバックではエンジン全開という感じで・・・

・・・・わからんて???

すんません、音のイメージを説明するのは難しい。

ともかく、カズさんの音はそれまでのジュリーにはちょっとない音だなと感じたのです。

ジュリーはどっちかというとご本人はロック派でいらっしゃいました。
で、大沢さんはR&Bとかソウルの方がお好きでいらっしゃるようです。
ジュリーはビートルズやローリングストーンズが好き、
カバーした洋楽もロッド・スチュワートとか、ビリー・ジョエルとか。
大沢さんは大のソウルファン、大好きなアーティストは
ダリル・ホールやソウル・チルドレン、プリンスなどなど・・・。

そして、話を聴いているとカズさんもどっちかというとソウル寄りみたいですね。
大沢さんのライブではやりたい放題気味で、
ジュリーのライブではゼッタイやりそうにないヘビーな弾き方・・・たとえば
”ギターを背中に回して弾く”とか”歯で弾く”なんて神技(?)も披露。
・・・つか、これ世界的ギタリストの
ジミー・ヘンドリックス(通称ジミヘン)のマネらしーですわ。
・・・そう、カズさんて結構ミーハーなとこあるんですよね~。
伝説的ロックバンドの「ザ・バンド」というバンドの大ファンで、
なかでもギタリストのロビー・ロバートソンが大好き。
だから「ロビー柴山って呼んでくれ」と周囲に言ってたとかいう話もあります。(本人談)


さて、1986年ARABLEコンサートツアー4シリーズが終わって
1987年からはSOCK IT TO MEコンサートツアーシリーズへ。
大沢さんのバックはバックバンドと言うよりはそのたびごとにメンバーを集めて
セッションをする形式でした。ですので、キホン毎回バンド名が変わる。
でも、1985年以来バンドは変われどカズさんは常にメンバーに。

いっときアニメ・シティーハンターのOPで使われた 「ゴーゴー・ヘブン」という歌があります。
そのPVがありましたんですが・・・・・・・・・・・・・・・・・・
著作権の関係で現物をお見せすることができないので説明しにくいんですが
なんか・・・・ひときわへんな人が映ってるんですよ。
へんな顔色(土気色)でへんなメタボ体型(おなかに何か入れているらしい)で
へんな髪型(たとえて言えば「となりのトトロ」のメイちゃん)で
へんな動き(めっさガニ股で闊歩する)でへんな服装(表現不可能)で
へんな表情(歯をむき出したり噛み付くような顔をしたり)で
へんなアピール(椅子に乗って両手を突き上げる)をしている人が・・・。

なにやってんでしょう・・・・カズさん・・・・なんなの?
・・・・そーゆう面もある人なんですわ、ひょうきんつーか、なんつーか・・・。

ほんまはごっつ美形やったんですよ???
ほら、これ! 銀色夏生さん作詞大沢さん作曲のこのジュリーのシングルジャケ、
エキゾが写ってますやん、そのど真ん中がカズさんね。(1983年夏)
帽子を目深にかぶってるのがジュリーですよ。カズさんの方が目立ってます。


で・・・
なかなかカズさんと大沢さんの詳報が書けない・・・
今回も長くなったので、この辺で・・・まだまだ続く・・・です。
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柴山和彦さん⑥~大沢誉志幸さんといっしょ その1

2011年02月08日 21時39分00秒 | KAZZあれやこれや
まず・・・大沢誉志幸とは誰ぞや??

大沢誉志幸(おおさわよしゆき)さん。歌手、作曲家。
日本のロック系といえばロック系ですが、ご本人はソウル、
R&B(リズム&ブルース)を自負していたようで。


その筋では結構有名ですが、あまりメジャーな感じの人ではないかもです。

でも、一般のヒトビトも、説明されたらお分かりいただける・・・というか、
「ああ、あの・・・」と思い出されるかも。

もう30年近く前になりますか、資生堂のCMソングとして
結構しょっちゅうオンエアされました「その気×××(mistake)」
それから、日清カップヌードルのCMソングとして使われた
「そして僕は途方に暮れる」


それから、アニメ「シティーハンター」の主題歌のひとつだった
「ゴーゴー・ヘブン」・・・ ・・・などなど、
それらを作曲して歌っていたのが大沢さんでした。

それとも・・・ジュリーの方から話したほうが早いですかね、
沢田研二さんの1982年のヒット曲「おまえにチェックイン」
同じく1983年「晴れのちBLUE BOY」の作曲者でもあります。

吉川晃司さんの「ラヴィアンローズ」とか
山下久美子さんの「こっちをお向きよソフィア」とか
そうそう、中森明菜さんの「1/2の神話」もそうでした。
結構いろんな人に曲を提供していた、その人が大沢さんなわけで。

で・・・カズさんはその大沢さんのバックも長年やっておられたわけで。

大沢さんのデビューは1981年。
もともとは大学時代に結成したロックバンド「クラウディスカイ」のボーカルで、
関東地方のオーディションやコンテストで優勝しまくっていた実力派。
で、卒業後とりあえずはバンドごとデビューしました。
(ウィキなどには「卒業後」となっていますが、
ワタシの知るところでは確か4年中退だったと思うのですが・・・
すいません、ちょっとどっちかわかんないです。)

その後「クラウディスカイ」はシングル2枚アルバム1枚だけ出して解散、
大沢さんはしばしのブランクの後ソロデビューすることになって
ナベプロの下部組織である音楽事務所「NON STOP」から
シングル「彼女には判らない」&アルバム「まずいリズムでベルが鳴る」でデビューしています。

1999年に一旦歌手活動を休止しましたが、その後2003年に復活、
その際名前の字の「沢」を「澤」にかえ、現在は「大澤誉志幸」の名前で活動されています。


もともとのレコード会社はエピックソニーで、
ソロデビュー時はエピックのディレクターに見出されて、ということらしいですが、
ナベプロも目をかけていたとみえ、初期の4枚のアルバムについては
ナベプロ所属で、長いことジュリーのプロデュースを手がけていた
木崎賢治さんという人が担当しています。
ちゃちゃめは木崎さん大好きでした~。いいアルバムお作りになるんですわ~。

大沢さんはソロデビュー以来、ジュリーのような専属のバックバンドはあるようでなかった。
ライブ活動がメインでしたが、たとえば同じセトリ(セットリスト)で活動する間は
同じメンバーで各地を回っていましたが、
それが終わってまた次のアイブツアーに出るときはメンバーが違っているのが普通でした。
バンド名が同じでもメンバーは多少入れ替わっており、
それも一度抜けると何故かなかなか復活しない。

デビュー当時はナベプロのバックアップがあったのか、
赤坂での初ライブのバックはなんとほとんどEXOTICSでありました
確かカズさん、ケンさん、ユカリにアキラ・・・・やっさんがいないだけ。
(うろ覚えです、違ったらゴメンナサイ)
付いたバンド名が「オージンズ」・・・意味不明・・・。

その後は別のエピック系のバンド「PINK」のメンバーが中心になって
バックアップしていましたが
EXOTICSが1984年に解散(というか消滅)した直後から
カズさんが本格的に大沢さんのバックに参加し始めました。

1982年にジュリーに楽曲を提供したのが、他の人に作曲した一番最初だったそうですが、
その後もジュリーに誰よりも多く提供していて、レコーディング現場にも一緒してたそうです。
その辺の縁・・・ですかね。「ウマがあったね」とカズさんご自身がおっしゃってました。
余談ですが、ジュリーの「おまえにチェックイン」のバックコーラスで
チュルルル チュッチュッチュ チュ~ヤ~・・・というところ、
参加者はジュリー本人、大沢さんと、
歌手・佐野元春さん、作編曲家兼ギタリスト伊藤銀次さんの4人だそうで。
機会がございますれば、ぜひ耳をすませてお聞きあさあせ~。


・・・で、長くなったので続く・・・です。
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