MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラル・スリー 第八章-6

2014-03-15 | オリジナル小説

           旅館竹本

 

 

その日の朝、寿美恵は玉に糸を通していた。

昨日になるが、綾子と新宿にでかける前に真珠の首飾りの糸が切れたのだ。

真珠と言っても安い模造真珠である。玩具のようなものだ。

息子からの初めてのプレゼント。

就職して初めてもらったお給料で安くはないブランドものの時計を贈ってくれたし、

それほど華美ではない花を実は毎年、誕生日に送ってくれている。

でも、この安物の首飾りは別な意味で大切なもの。寿美恵にとっては特別なものだ。

息子には会えなかったが、都会に出たついでに天蚕糸を買った。留め金具も新しくした。ネックレスは完成に近づいている。

東京から帰って来たら、旅館の予約が入っていた。常連の釣り客、初見の行楽客が一組づつ。週末は忙しくなるが、今はまだ余裕がある。

香奈恵は友達のあきらともう一泊すると昨夜、電話して来ていた。

神興一郎が戻ってくるのは来月。

来たからってまだ、恋人でもないのに・・・なんだか待ち遠しい。

綾子の息子渡は昨夜から神月に泊まりがてら、遊びに行っている。

清さんと田中さんは休みだし、兄の浩介と祖母父は御堂山の山道の掃除をする為に早くから近所の衆と連れ立って出かけてしまった。

今、この旅館『竹本』にいるのは綾子と寿美恵の2人だけだ。

1階にいるはずの綾子は何をしているのか、一向に上がって来ない。

寿美恵が上でネックレスの修繕をすると言うと、お向かいからおいしいお菓子が手に入ったからお茶をいれてくれると言っていたのに。

 

寿美恵が作業しているのは母屋の2階の自室だ。

こたつに入り、誰にも気兼ねなく裁縫箱やペンチを広げている。

目の前の小さなテレビでは相変わらず、朝から東京の事故現場が映っていた。

有名な霊能者の家が爆発し、死体が見つかっている。行方不明者、2名。事故と事件の両方で捜査中。午前中はずっとこの中継だろうか。

寿美恵は糸をくくりながら、ぼんやりとテレビで観たことのあるその霊能者を思い浮かべた。正否はともかく、キャラとしては嫌いではない。ルックスもあそこまで肥満していなかったなら、整った容貌ではないだろうか。

特にファンといったわけではないが、暇な時にたまたま子供達がその番組を付けていても観るなと命じたりはしない。田中さんはあきらかなファンで清さんは文句たらたらだが必ず手を止めて観ていたりする。

トントントンと階段を上がる音がやっとした。

「綾子さん、おっそ~い!」寿美恵が声を上げると襖が開く。

顔を見た瞬間、何かがあったと思った。

「寿美ちゃん、なんだか警察が来ているの。」

綾子が階下を気にしている。「警察?」

「東京の警視庁だって・・・譲くんのお母さんに話があるって・・」

言葉が終る前に立ち上がっていた。

完成目前だった首飾りがこたつの上でザッと広がった。

 

「高木と言います。」

痩さ型の刑事だった。もう一人の方ががっちりしている。松橋と名乗ったこちらはどういうわけか、群馬県警だという。

この2人から、寿美恵は信じられないような話を聞くことになる。

奥に引っ込もうとした綾子を最初から場に引き止めたのは寿美恵だった。1人で対応したくはなかったのだ。不吉に切れた息子からの首飾り。

予感は的中した。驚いたことに息子の譲が、さっきテレビで観たばかりの霊能者宅にいたのだと言うのだ。警察は充出版の編集長からやっと、未明ようやくそれを聞き出したのだ。発端は鬼来雅己のおじ夫婦の死体発見だった。その時は雅己の居所を知らないと突っぱねていた星崎緋沙子だったが、深夜に入った基成御殿炎上の知らせに態度を急変させる。鬼来雅己は基成勇二が連れ帰った。岩田譲と共に。

「では・・・!」寿美恵は言葉の途中で絶句する。

「では、行方不明者2名というのは・・まさか、違いますよね。」

後を引き取った綾子は確信したかのような口ぶりだったが高木は事態が飲み込めない被害者にありがちな希望的な観測と受け取る。

「ええ、おそらく。不明者は正式には4名だとわかりましたから。」

その一言で安心した寿美恵はへたへたと玄関先に座り込んだ。

綾子がすぐさま側に寄り添う。

「最初亡くなったのは、基成兄弟3人のうちの1人と考えられていたのです。で、残りの2人の所在がわからないものと思われていました。しかし、確認してもらったところ体格が、その・・・4人の誰にも当てはまらないようなので。おそらくは4人とは別にまた、身許不明の人間が現場にいたと思われます。それが今回、遺体となった被害者のようなのですよ。」

「それで、譲は・・!」再び、寿美恵は絶句した。我ながらばかのようだと思ったが言葉がでない。

「譲さんの勤める充出版の編集長・・・星崎緋沙子さんの話では、行方不明の基成勇二さんが充出版で連載を持つことになったのでその仕事の打ち合わせを兼ねて譲さんは昨夜、そこにいたという話です。別の出版社の編集である友人も偶然、そこに居合わせたというわけで・・・もう一人については心当たりがないと。」

綾子と寿美恵の反応をそれとなく観察ししながら、松橋が先を続けた。

「譲さんのご友人は、鬼来雅己という名前の方ですが、お母さんはご存知ですか?」

「いえ・・いいえ。」寿美恵は力なく首を振るばかり。

「刑事さん。」綾子が寿美恵にしっかりと手を回した。

「いったい譲くん達はどこにいったのですか?まさか、何か疑われて・・・?」

さすがに気丈な綾子も寿美恵の前でははばかられて言葉を濁した。

「あっ、いや、事件かどうかはまだはっきりしていないのです。」

人の良さそうな高木はちょっと焦ったようだった。

「亡くなったのはとにかく息子さんでないことは編集長が確認してくれてますし。」

寿美恵はようやくいつの間にか、握りしめていた拳を緩めて息を吐いた。

「でも、行方がわからないのでしょう?」

「彼等の行き先をこちらも知りたいのです。」

 

実は星崎緋沙子は4人が鬼来村に向かった可能性を警察に強く告げてはいない。充出版での脅迫がなければ素直に話したかもしれないが、今まで体験したことのない不可思議に初めて編集長も混乱していた。ただ、雅己くんが郷里に帰るかもしれないと示唆しただけで、それに警察は村には人を常に配しているから大丈夫だと答えている。鬼来光司夫婦の遺体が発見されたことで、基成勇二が警察に無理矢理押し付けた雅己の服に付いていた血痕は俄に注目された。大急ぎでDNA鑑定に回されたことは言うまでもない。しかし、不可解なことが多過ぎた。

首が見つかっていないうえに発見現場がきれい過ぎる。現場は雅己の記憶喪失事件のせいで、昼間の祭壇がそのまま残っている。その応接室で発見された遺体はまるで忽然と出現したとしか言えないのだ。死亡推定時間は霊視の最中か、彼等が家を施錠して病院に向かった時間帯に重なっていた。それなのに損壊の激しい死体の乾燥が激しい。切り口は乾ききり、血液が飛び散った跡がまったくない。しかし殺害現場はそこではないのかというと、運び入れた形跡もない。通報者も判然としなかった。若い男の声。それだけである。血痕から鬼来雅己を容疑者ととりあえず断定するとしても、現場に入っていた人間を全て共犯者とするには乱暴過ぎた。基成3兄弟の話は聞けなかったが、平と星崎の話に齟齬はない。二人や出版社の車からは血痕は見つかっていない。着ていた服や靴からもだ。

彼等が鬼来家にいた証拠の塵や布クズ、使われたお香の成分とかは出ているのに。

そのうえ『呪い』を力説する平の主張は現場をいたずらに混乱させかねなかった。星崎も真面目に超常現象を熱く語り正直、警察は彼等を持て余してしまったのだ。他の編集達からも、オカルト以外のめぼしい情報は出て来ず、結局は遠くに行かないという条件のもと全員解放されるに至る。しかし、緋沙子は事情聴取を終ったその足で平然と平と合流し、東京駅に向かっていた。勿論、鬼来村を目指してだった。

 

そんなことは勿論、その時の高木と松橋は知らない。

鬼来村隣村の駐在から『雅己在らわる』の報告を高木達が受けるのは夕方の話だ。

「そこでこちらに伺った次第なのですが・・・この様子だとお母さん達は何もご存知ないようですね。昨夜でなくても構いませんが、息子さんから何か連絡は?」

寿美恵と綾子は無言で首を振る。

「行きそうな場所の手がかりは? 心当たりが何か、ありませんか?」

これにも2人は首を振るしかなかった。

「あの・・」寿美恵はやっと声を振り絞った。「譲は・・息子は、東京の大学に行って以来・・・就職してからも・・・一度も、ここへは戻ってないんです。だから・・」寿美恵は不意に胸が一杯になった。「お恥ずかしい話ですが・・・だから私は母親ですけど・・・ですけど、息子の交友関係や仕事の付き合いとか何も・・・

何もわからないんです・・・」声は消え入りそうになる。

「それぞれ事情がありますでしょう。こちらも色々あるんです。どこの家庭も同じです。」綾子がやや固い声で「そういうことはよくおわかりでしょう、刑事さん。」

「はい、よくわかりますよ。」松橋が軽く、あまりに軽くいなす。

「実はですね。」高木は一瞬、言おうか言うまいか迷い、相棒とすばやく視線を交わした。「この件は別の行方不明事件と関係しているようなのですよ。」

「高木さん」松橋は押しとどめようとしたが、それを高木は眼で制した。

「まだ、はっきりしたことはここで申し上げられませんが・・・譲さんのご友人の回りの人間が既に何人も行方知れずになっていまして・・・我々は息子さんがその一連の失踪事件に巻き込まれた可能性を危惧しているのです。真剣に案じているわけなのです。」

「ではあれはただの爆発事故ではないのですね。」綾子が切り込む。「その鬼来とかいう友達の周辺が何か関係している、そう警察は思ってらっしゃるのかしら。」

「それはまだ。」仏頂面した松橋。

「先ほども言いましたが単なる事故なのか、何者かが爆発を誘発させた事件なのかはまだ検証中です。誰がいて何が起こったのかも皆目見当が付いていません。」

そういう高木の口調はどことなくこちらを労るようだった。

 

刑事が帰ったあと、しばらく寿美恵は何をしていたかもわからなかった。

綾子は黙って寿美恵を暖かい台所に連れて行き、2人は向かい合ってお茶を飲んだ。土産物のお菓子にはとうとう手は付けなかった。

そんな時だ。電話がなった。

「はい。・・・はい?」綾子が対応しているのを聞くとも無く聞いていた。もめているようだ。「今は出れません。」「私?」寿美恵は聞く。「私になら出るわ。大丈夫。」何かしていないとおかしくなるかも知れない。行方不明の息子のことを考えてしまって。受話器をとると『今、刑事が来ただろう。』男の声がそう言った。

 

 

           鳳来と魔物

 

 

「来ると言っただろう?」男は傍らの魔物に笑みを浮かべた。

「はい、御前。」

「こうも母親とは母性の前に愚かで無防備なものか。」

細められた目は限り無く冷たい。

「あちらの準備も済んだ頃か。」

「兵隊を配置してあります。今夜にも一斉攻撃を。」

「鼠を鼠穴から引きずり出す・・・その前に邪魔を取り除いておきたかったが。」

大きなセダンの外車が国道脇に停められていた。

運転席にいる人相の悪い男は運転する以外は虚ろな目で前を向いている。後部座席の話は何も耳に入ってないようだ。

「どうやら、生け贄どもは全員、村へ入ったようだな。」

「一名、姿がありませんが。」

「ふん、どうせ大したことはできない。どうせ、それもリサコの仕業だ。相変わらずの悪あがきをする。」

「その鬼来リサコ様ですが・・・お怒りを覚悟で申し上げると、御前にしてはいささか対処が甘いような気がいたします。」

「そうか。だとしたら・・・後で何倍にもして返すところを見せてやろう。」

果たして何者なのかは実はまだ魔物にもよくわかっていない。ここ2年あまり、じっくりと時間をかけて鳳来がしきりに干渉している一族がいる。あくまで一撃必殺が方針の鳳来にしては、時間をかけたまどろっこしいやり方だった。その一族のルーツである村の中心人物であるといったことしか知らない。

「この星の習慣でいうところの、元妻といったところだ。」

無造作に投げられた爆弾。これにはさすがの魔物も驚きを隠し切れない。

「妻・・!」130年しか一緒にいなかったのだから。

「臥龍の鳳来に妻がいては不自然か。」

「いえ、しかし・・・その人をどうして?」

「どうして?とは?」

「・・・お子様もおられますようで。」

「子供?」ぞっとするほど残忍な顔。「子供など、おらん。」

理解出来ないという表情を魔物は浮かべた。

「まともな子供はな。」と鳳来は続ける。

「おまえにはわかるわけなどない・・・わたしがことを進め始めたのは連邦からの上陸部隊の存在を確認したからだが。」殲滅された組織を思い、顔を顰める。つまらない小遣い稼ぎ。顕示欲、必要の無い綱渡りの火遊びだった。「なぜか、わかるか?」

「さぁ。」魔物には本気でわからなかった。「この星にいよいよ、駐屯部隊が派遣されているということは、一個中隊がどこかにいるということなのだよ。確実に、この惑星の回りにな。母船がいる。そいつらは、あの不法滞在者・・・。」

「ナグロスです。」魔物には価値をまったく感じさせないただの普通の人間。鳳来とあの冴えない男が同じ宇宙から来たとは未だに信じられなかった。

「そうだ、あいつと接触した。この神月とか言う土地でな。何らかの繋がりがあるとわたしは見ている。おまえも情報は得たはずだ。リサコから助けられ鬼来村から舞い戻ったヤツは未だにこの辺りにいる、なぜか。この辺りに部隊がいるからだ。と、いうことは・・・当然、鬼来村のことも掴んでいる。実際、この神月からリサコのところへ連邦からの使者が来たのだからな。それでリサコはわたしが知ることを承知で逃げ出したわけだが・・・既に、連邦は鳳来の存在も掴んでいるとみてもいい。それもかなり以前にだ。わたしを知っていても泳がせている・・・そんな状態を誰が我慢出来る?そういうことだ。」

「はい。」魔物は理解出来ない言葉の数々を理解しようと努力している振りをした。

「それにしても、リサコのやつ・・・」鳳来の目はしばし足下に落ちた。「ことを急ぐ・・・ということは、いよいよ死期が近いのかもな。」にんまりと笑った。

「これは急いでやらねばならないということだ。」

しばしの熟考か、述懐の後、上げた顔にはもう笑みは片鱗もない。

「いいか、わたしは自分達の後始末は自分で付ける。誰にも邪魔をさせるつもりはない。」

魔物よ、と見やる。本当に魔物がいるのかは知らんがと。

「岩田譲は神月側の手札だ。獲られたからは、こちらは違う手札で介入を阻止する。」

それが、岩田寿美恵だと鳳来は話を打ち切った。

 

 

         岩田寿美恵の冒険

 

 

 

「大丈夫、大丈夫だから。」

綾子を押しとどめるのが大変だった。

自分も一緒に行くと言い張るのを、責任感の強い綾子が火を消したり戸締まりをしている間に申し訳ないと思いつつ逃げるように抜け出ていた。

電話の相手は譲のことで話があると言うのだ。

譲の行方を知りたくないかと。

「さっきの警察の人に電話した方がいい。」そう、綾子が行って置いて行ったばかりの名刺を突き出すのを寿美恵は止めた。

『警察には何も言わない方が利口だ。』そう言ったのだ、相手は。

「譲が・・・事件に関係しているかもっていうの。」

「関係って?」

「爆破した方かもって。」「え?」

「友人と共犯だって言うのよ。」

初めて取り乱していた。「お願い、黙っていて。」

呼び出された先に行って話を聞いてからでも遅くはないと言うと綾子は自分も付いて行くと言い張った。なぜそれを待たなかったのか。

譲が自分の息子だからだ。もしも犯罪だったら。それを思う。旅館『竹本』を巻き込みたくはない。浩介は譲の伯父に過ぎないがただでさえ、迷惑はかかるのだ。

寿美恵は正しい判断力を失っている。

離婚したことで息子が傷ついたであろうことはわかっていた。わかっていたが、大人の事情で仕方がないと寿美恵は強引に自分に言い聞かせていた。取りあえずと兄の家に転がり込んだことで、息子が形見が狭かったこともわかっていたが、あえて無視した。無視した方が都合がいいからだ。香奈恵は幼く、渡は産まれたばかり。やがては慣れて打ち解けるだろうと楽観的に考えて放置した。気が付けば息子との間は次第に気詰まりになった。大家族の中で仕事に紛れていれば2人きりになる機会はあまりなくなる。それに甘えているうちに何も話してくれなくなった息子は何も話さないまま、1人で竹本を出て行ってしまった。

母親を捨てるように東京に。そして6年。

空白の時間。その空白が今になって寿美恵を責める。

 

寿美恵が綾子に気付かれないように旅館の玄関口から忍び出た時、ちょうどこちらへ向かって歩いて来るユリと渡の姿が国道の先に見えた。寿美恵は向きを返ると慌てて反対側へと進み、2軒先の隣人の庭先に回り込んだ。知る人ぞ知る抜け道である。庭を突っ切れば裏通りに出れる。幸いな事に家の住人の姿は庭に面した居間にはない。耳の遠い年寄り夫婦である。

裏通りに出るとさらにもう1本、裏道に入った。用水路の脇を国道と合流する十字路を目指す。その先が電話の相手が指定した場所だ。

国道脇に少し入った自販機の並ぶ一角。通りすがりの運転手がよく車を停めている場所だ。心臓が少し、ドキドキした。裏道からの見通しは良くはない。20坪ほどの土地がブロックで囲まれているからだ。もう営業していないガソリンスタンド。国道に出て念のため、竹本の方を伺がう。カーブに隠れているが綾子も子供の姿も見えない。カーブに建つ雑貨屋の番犬が小屋の前で寝ているのが見えるだけだ。

「岩田寿美恵さんですね?」

急に声をかけられ、前を向いた寿美恵は危うくその相手とぶつかるところだった。

その男は寿美恵に名刺を差し出し、自分は弁護士だと名乗った。 


スパイラル・スリー 第八章-5

2014-03-15 | オリジナル小説

             鬼来本家

 

 

「やだよ、やだよぉ。」冷え冷えした母屋の中で、鬼来雅己がダダをこねている。

「キライ、ここに泊まるのは止めた方がいいって。」

岩田譲は彼を期待を持って見守っている隣村の巡査と警官2人の応援を頼みに雅己を説得している真っ最中だった。

「そうですよ、雅己君。」駐在も声に力を込める。

「念のため、下の村の宿屋に泊まった方が好いですよ。」

「だいたい、ここで何があったのかまだ、全然わからないんですから。」

「記憶を取り戻す為っとおっしゃるならば明日、明るいうちにじっくりと中を確認すればいいじゃないですか。」群馬警察トリオは口々に畳み掛けるのだが、無邪気な中にも一抹のひたむきさを隠して鬼来雅己も一歩も引かない。

「でもここ、僕のうちなんでしょ?僕のうちなんだから、ここに泊まってもいいじゃないかぁ。」

「でも、よりにもよってこの家はダメだよ!」

「そうですよ。ほら雅己君も今、具合が悪い・・・どうやら記憶喪失なわけなんだから、それに明日には専門のお医者さんも来ますから。今、頼んでますからね!」

「そんなの待ってられないよぉ!」

「キライ、ここに泊まったって2週間前のことが思い出せるとは限らないだろ?」

「そんなのわからないじゃないか!記憶なんてほんのちょっとしたことで回復する場合が、ドラマとか映画でもよくあるじゃないか。僕は2週間前、ここに泊まって又、帰ったんだ。その時にみんながいなくなったんなら、僕が思い出すことがすっごく大事だって譲だってわかるじゃないか!」

堂々巡りである。

「譲っちぃ、頼むよぉ。譲っちだけは味方だと思ったのに。ひどいや。」

「そんな、ひどいって言われても・・・」

譲も困り果てる。誰1人いなくなった現在の『怪談幽霊船』と化したこの村になんか、どこの誰が好んで泊まりたがるだろうか。そりゃ、鬼来には気の毒だが・・・頼りの基成勇二がいない今、お巡りさんが言うように明日に伸ばしたところで大した違いはあるまいと思った。

フフッ!と後ろで微かな声がする。

「あっ!妹の象が来たよ!」

驚いたことにその失礼な一言にも、エレファントの顔には笑みらしきものが浮かんでいる。田舎によくあるかなり広めの玄関ではあるが、弟の牡丹まで後から入って来ると一気に狭苦しくなった。

気の毒な警官達は隅に追いつめられ、譲と雅己は自然と靴を脱いで板の間に上がることとなる。譲が信じがたく見つめる笑顔の基成素子に雅己が縋るように聞く。

「ねぇ、僕ここに泊まってもいいよねぇ?」

「・・・泊まりたいの?」しかも優しい口調と来ては思わずぽかんとするしかない。

「泊まりたいんだ!ねぇ、お願いだよ。基成先生だったら絶対、泊まった方がいいって言うよね。」

「そうね。」「姉さま?」

牡丹がどんぐりのような大きな目を見開き、いやいやと警察関係者達が一斉に口を開いた。「うるさい!」エレファントは彼等を一括した。

「ここは電気が来ているんだろ?水は?ガスは?プロパンかい?」

譲がほっとしたことに、いつもの不機嫌な顔のエレファントに戻っている。

その迫力にしぶしぶと黙った警官達に「何も問題はないよ。」と宣言すると、懸命にも口を閉じていた弟を振り返る。

「牡丹、買い物したかいがあるね。」その一言に弾かれたようにうなづく。

「はい。夕飯はお任せ下さい。」見ればいつの間にか、手には車から降ろして来た大きな袋を下げている。「お巡りさん達の分も、作りますよ。」

「いや、我々は・・・」警官達は小声で相談しながら、狭い玄関先へと移動した。

私服警官の1人が悲壮な決断を下したようだ。「・・・では。我々も泊まります。」

「我々の食事は自分達でなんとかしますからお気遣いなく。」

口々に言うと、すぐに顔が引っ込む。食料の調達とか色々あるのだろう。巡査がザクザクと雪を踏み分けて駈けて行った。

「ご勝手に。」エレファントは、靴を脱いで板間に足を乗せた。

すぐに牡丹も続いたので床がミシミシと鳴った。

それを聞き、クスクス笑い出した鬼来に譲は呆れるしかない。

「おい、本当に泊まるのかよ・・・マジかよ。」

「怖いなら、譲っちは宿に泊まってもいいよ。」

「怖くなんかないさ。」譲は嘘を付いた。怖い、怖いのとは違う。とまどっている。

いや、やはり怖い。怖くないわけがあるか。住人喪失の現実さえなければ・・・勿論、趣のある旧い田舎屋の鬼来の実家には泊まってみたい。

でも、何があって住人が消えてしまったのか。皆目見当が付かない。昨日の朝の霊視の時に見たものが頭を過る。住民も違う次元に消えたということなんだったら・・・自分達もバミューダ・トライアングルの中の旅人達のように消失してしまうかもしれない。

それに、昨夜のことも気に係っている。

 

気が付けば鬼来と2人、後部座席でぐっすりと眠りこんでいた。起きた時はもう車は道路を走っており、しかも夜が開けかけていた。牡丹とエレファントしかいないことに戸惑う寝ぼけ眼の2人は一応、説明を求めたのだが結局、今だに詳しい説明もないままだ。基成勇二はちょっと野暮用があり、後から来るとそっけない。高速のSAで顔を洗い、飯を食べた。勇二の姿はないまま、聞くに聞けない雰囲気もあり譲は黙っていたが鬼来は疑問をまったく感じないらしく、ドライブにはしゃぐばかり。ため息を付くしかない。基成先生が来たらきっとくわしく説明してくれるだろう。充出版にも電話を入れたのだが、アナウンスが流れるだけで誰も出ない。なんだか、不安になった。何かあったのだろうか。もともと少ない社員でやりくりすることもある会社だから、誰も出ないものは仕方がないとあきらめるしかない。他の社員や平さんに電話した方がいいのだろうか、早朝すぎるかと迷っている間に素子に急かされ結局、電話はしていない。それにしても編集長の携帯が圏外で沈黙しているのは気にかかる。

そんなこんなするうちに、お昼前には鬼来村に着いていた。

村の入り口で黄色い規制線をくぐって、施錠された家々の回りを歩き回っているところに見張りの巡査がお昼から戻って来た。不法侵入者に血相を変えた巡査に雅己が名乗りを上げると、無線で即座に麓から応援が呼ばれる。

その間に基成姉弟は買い出しに出かけた。

巡査が雅己の実家の鍵を開けてくれ、駆けつけた警官に質問し質問され記憶喪失その他を延々と説明することになり、大変驚かれ本当かと疑われ、さんざん疑われた後でようやく納得したようなしないような状態のまま放置され・・・以後、譲と雅己は基成姉弟と共にここにいる。

 

 

そして今夜、この不気味なミステリーゾーンに泊まるというのだ。

障子と雨戸に覆われたガラス戸に挟まれた長い廊下の暗がりも、年月が染みたような深い色合いの天井も柱も何もかもが寒々として譲には不気味に感じられる。

いきなり鳴り出した時計の音にも内心飛び上がったくらいだ。

エレファントは1階の5つある部屋、客間、仏間、納戸・・・後は妙に片付いたもののない部屋と物置部屋。

部屋を次々と開いて確認すると客間とおぼしい一番大きな和室の電気を付けた。

牡丹は早々に台所らしい土間へと手に提げた荷物を運び込んでいる。

「良かった、冷蔵庫はあるんですね!古いけどガス台もあるし。」

なんだか嬉しそうだ。

鬼来は素子のいる部屋と廊下と和室をを挟んだ部屋の1つに立ち止まる。

殺風景だが片隅に折り畳まれた一組みの布団が置いてあった。小さなタンス。文机の上に水の入ったままのグラスと急須が置いたままになっている。

「病気の人でもいたのか?」「うちに病人なんかいないよ。」

鬼来が明るく答えていると、応接間から素子の声がかかる。

「お前達。」大きな背中をかがみ込んで灯油ストーブを太い指で器用に点火していた。

「2階を見て来てくれ。」「おっけー!」「えっ?僕が?」

鬼来は気安く請け合うが、譲は気が進まない。

「私が行くわけにいかないだろ。」

「そうそう、床が抜けちゃうもんねぇ。」

譲はヒヤリとするが素子の背中は特に腹を立てた雰囲気はない。

火の調整に手間取っているだけと見た。

「確か、あんた達、基成さんとか言ったっけねぇ。」

刑事の1人が戻って来たのは2人が2階に消えた後だった。

「なぁ今、無線で言っていたんだけど・・・東京では偉い霊能力者の家が燃やされたとか・・・基成勇二ってあんた知ってるか?」

「さあ。」向き直ったエレファントは眉ひとつ動かさなかった。

「親戚にはいないね。」

「そうか。」そういうと刑事は又、顔を引っ込める。別の警官と話をすると

「じゃあ明日、東京から担当刑事が来ますから。うちの松橋と確か高木さんとか言う警視庁の人が・・・」それまで目を離すなと言われたのだ。

素子は何事もなかったかのように、台所に向かうと牡丹から水の入った薬缶を受け取りストーブの上にそれを乗せた。


スパイラル・スリー 第八章-4

2014-03-15 | オリジナル小説

          ナグロスの悪夢

 

その頃、ナグロスは夢を見ている。

夢だということははっきりとわかっている。

胸の上には猿が乗っている。大きな猿だ。重い、息がするのもやっとだ。

しかしこんなことは現実であるわけはない。

そのことをナグロスはわかっていた。

原始星で産まれた原始星人ではあるが、最果ての地球への調査員に選ばれた彼だ。

 

原始星人の移動を禁じたオリオン連邦の『原始星政策』は我々には悪法のように感じられるかもしれないが、宇宙に出てみたいという希望を特に持っていない人間にとっては苦痛でもなんでもない。自分の星で自由に暮らせるのだから。移動も恋愛も子づくりも、し放題だ。まったく不自由は無い。たまたま他所の星で産まれた人間との出逢いに恵まれ、愛し合い子供を作りたいと思ったとしたらちょっとやっかいなだけだ。それも別に子供を望まなければそれはそれで問題は無いと言える。連邦が間を引き裂くと言うこともない。子供もDNAが近いものであれば許されることもあった。

とにかく、ナグロスが産まれ育った星を出たということは、彼が星を出たいという強い冒険心を抱いていたことに他ならないのだ。そしてその希望が叶えられたのは、新たに発見された地球人達との遺伝上の類似が強いことだけではない。本来は原始星人にはあまり見られない次元への対応性感応性が高いと認められたことが大きい・・・勿論、能力的に宇宙人類、ニュートロンの足下には到底及ばないが・・・つまり、次元から独立して自己を保つ力が強いことが証明されたということなのだ。

だから寝てはいるがナグロスは自分の状態を冷静に判断していた。

飲まれたままでいるわけではない。夢に身を任せ、心地よく漂い流されているときも脳のどこかは常に覚めている。その夢が疲労、疲弊した自分に必要だと感じたときは、治療として積極的に意識を解き放つこともする。だから夢だと感じ、不快だった場合は即座に目覚めることができる。

できるはずだった。

いわば自分が作り出した些末な次元である夢、であるのになぜかその時は体が動かせなかった。回りは闇。光を、と思う。普段の夢ならば、それですぐに光が産まれるはずだった。光は産まれない。自分の中の何かが闇に強く引き込まれることを望んでいるらしい。鬼来リサコと話をしたから思い出したのだ、と自分で判断する。脂汗が額を伝った。これは寝ている体の実際の感覚だ。

ある程度は付き合わなくてはならないだろうとナグロスは意識を猿に戻す。

胸の上にいる猿は老いた猿。いやむしろ、猿のミイラだ。縮んだ小さな骨格模型に毛皮を張った猿の顔の部分だけが人だ。その顔は見覚えがある。今は思い出したくもない男だ。性格の悪そうなじじいが歯を剥き出して笑っている。爛々と赤く光る目。見る間にその血管の浮いた黄ばんだ眼球が体よりもどんどん巨大になって行く。黄ばんだ猿の腕が伸びて来る。その爪は乾いた血で汚れている。

『わたしから逃れられると思うな。』あの時と同じ声が、手が、ナグロスの頭の中、脳の中へとズブズブと入って来る。その感覚はあまりにリアル過ぎる。

『おまえの能力等、大したことはない。どこだ、どこに隠している。』

脳がかき回される痛みで全身がビリビリと引きつった。気管には胃液が競り上がって来る。『何一つ、わたしから隠し通せると思うな。』

あの時は薬品で体と意識の自由を奪われていた。あの男はナグロスの意識をジャックしようとしていたのだ。解放されるまでは長い時間がかかった。

彼が廃人のようになってしまうほどの。

『連邦の上陸部隊は何しに来たのだ?』[知らない・・・!]

『まさか、おまえや私のような脱走者を探しに来ただけではあるまい?』

勿論、あの時点でのナグロスは情報など何も掴んでなかった。しかし、相手はナグロスを信じない。『取引相手の遊民はどうやって死んだのだ?船ごと消えた!誰が殺した?上陸部隊以外には考えられない。なぜ、お前達は接触した?』[たまたま・・・偶然だ!]『そんなはずはない。』記憶の中でのヤツは疑り深く執拗だ。

[知るもんか!自分で探せ!]すると質問が変わる。

『なぜ上陸部隊は神月に固執する?』あの時、鳳来が掴んでなかったはずの問い。『死んだおまえの女と上陸部隊にはなんの関係がある?』ナグロスは自分の闇に落ち込んだのをはっきりと感じる。『おまえの一番、大事なものはなんだ?奪われることがもっとも恐ろしいものは誰だ?』夢だとわかっていてもナグロスは脳裏に浮かびかける少女の面影を必死で封じ込める。相手はそんな彼をあざ笑った。

『まったく無様だな、きさまは!これではこの星の原始人とまったく同じくではないか!連邦人としての勇気も誇りも失った!得たものを失いたくないという負の感情にすっかり支配されたんだよ。思い出せ、産まれた星を出た時のおまえはどうだった?まさに次元を旅する船乗りだ!冷徹な観察者だ!死ぬ事も失うことにも恐れはなかったはず。』[私はもう、連邦調査員ではない!この星に骨を埋めるのだ、今はもうこの星の人間だ!]『ははは、こりゃおかしい。ではこの星の住人らしく喪失を怖れ未来に怯えるがいい!いつか必ず、おまえから大切なものは奪われるんだ。』[おまえに奪えるものなど何もない!誰にもだ!もう、奪わせるものか!]

あの時と同じ。だが、あのときとは別の形でナグロスは戦う。

自らの抱く無意識の恐れに自分の記憶を渡すまいと全力であらがい続ける。

[夢だ、おまえは夢だ!私の中の封印された闇の中へ立ち去れ!]

冷静さがいくらか戻って来た。[現実のおまえはもう歳のはずだ。もうすぐ死ぬ!]

巨大な鳳来の目が弓を描く。

『甘いな。おまえの記憶の中の私は死なない。おまえが封印した過去からいつでもまい戻るぞ・・・』

[麗子!]夢の中で叫ぶ。[私に力をくれ!]

その瞬間、体に強い衝撃を受けた。

唐突に断ち切られた夢にナグロスは混乱する。そして、『それ』に気が付いた。

 

           影との戦い

 

(落ち着け!)

何者かがシドラの脇に現れドワーフのような小人達を片端から振り払った。

『ナグロス?!』「大丈夫ですか?!」見れば太い黒いワイヤーのようなものを振り回している。鞭のように次元を切り分け影を吹き飛ばすのを見てシドラは確信する。彼が手にするはおそらく、ワームの一部。複数の次元に存在できるワームの欠片が次元に潜む敵を引き裂いている。ナグロスは元調査員だが、実戦の心得も勿論ある。武器と素手で見る間にシドラの空間を一掃した。影は二人に距離を置く次元まで後退した。

「バラキさんに叩き起こされましたら、これが」

ナグロスは息を切らし、手にした鞭をしならせた。

「腹に落ちて来ました。後は・・導かれるままです。」

「具現化したワームの髭だ。」巨体の産毛の1本だろう。「どこの毛かはしらんが。」「そんなことが」ナグロスは呼吸を整えた。目には見えないワームをこの世に顕在させる為には毛一本とはいえ、膨大なエネルギーが変換されたはずだ。バラキはシドラの為にそれぐらいは厭わないらしい。

「ワーム全体を我々の世界に出現させることもやればできるのでしょうかね。」

「それは命がけのエネルギーだ。さすがのワームもそんなことするもんか。」

シドラは自分を取り戻して、影達を睨み回す。

『おぬし達はなんだ?ニュートロンではないのか?どうしてこんなにいるんだ?!』次元の狭間で水の中のように揺れる影を見極めるようとするが、影は近づき遠ざかりユラユラと揺れる。原始星人の標準ではあまりにも不揃いな歪んだ骨格。

しかも次元を感知し、その狭間を移動する術にこれだけ長けているということは彼等は皆、宇宙遊民ニュートロンの中でも特に優れた進化体でなくてはならないはずのだ。次元に垣間みえる彼等の姿はどうやら普通の地球人のようにこの星の衣服を纏っているようにも見える。

「鬼来リサコが連れて来た仲間でしょうか?。」ナグロスが武器を構えながら囁く。「地球外で産まれた進化体が宇宙を行き来しないで2000年も生き残れるはずがない。」シドラも意識ではなく言葉で答える。ニュートロンは自然分娩では数が増やせない。精子も卵巣も退化している。なんらかの装置がなければ。『船か?』

いづれにしても捕らえてみればわかる。

しかし、シドラ達が進めば輪は退くその繰り返しでラチがあかない。シドラの逡巡にワームが答えた。(シドラ、突破口、結界だ。)

同時に村全体を覆う結界が粉々に消し飛んでいる。

その衝撃は普通人であっても感じないわけがない。空気が裂け、空間が歪み鼓膜に痛みが走っただろう。頭痛がし、吐き気もしたはずだ。

結界の破壊で保たれていたバランスが壊れる。シドラ達が進化体ではないかと推理した人々に走った動揺は凄まじい。普通人よりも空間の変化に敏感にできているのだ。一斉に金属的な悲鳴をあげ、吸い出され、弾けかれて散り散りに次元のどこかへ消し飛ぶ。

『バラキ!やり過ぎだ!』シドラは1人を掴み損ねて叫んだ。『逃げられたではないか!』(いや、捕まえた1人)嫌な予感がした。バラキが目の前に差し出したものを見てやはりと、ため息をついた。(殺さないで捕まえるのは不可能だ)『わかってる。気にするな。』シドラはバラキのヒレの一撃で凝縮され肉片となった垂れ下がる残骸を見つめる。『これは、アギュにでも持って行ってくれ。母船の奴らが鑑定するだろう。』勿論、嫌がらせだ。

「それより、シドラ。」ナグロスが近くに寄り添う。「様子がおかしい。」

シドラ達は気が付けばかなり村の外れにいた。進化体を追いかけて何百メートルも走った気がしたのだが。結界の中を回っていただけだったのだ。

村は静かだった。

『おかしい・・・あの騒ぎで誰も起きて来ないのは。かなりな衝撃があったはずだ。鋭い人間でなくてもこの村を1000年近く守っていた結界が壊れたんだ。馴染んでいた村人ほど異常に気が付いて、目が覚めるはず・・・』

(シドラ)バラキの声は初めて困惑していた。(村の生体反応が消えている)

『何ぃ?!』ナグロスが手近の家の戸口に駆け寄る。手にしたワームの髭でガラスを割ると手を中に差し入れた。

『バラキ、ひとつ聞く。先ほどまでいた村人、進化体だったかどうかはわかるか。』

(断じて違う。容積からも。さっきの奴らとはエネルギー量も異なる。まちがいなく、おまえと同じ、人類だ。)

鍵を開けたガラス戸からナグロスの声が聞こえた。

「シドラ、誰もいない!。」

「どうやら逃げられた。」出て来たナグロスにシドラは苦い笑いを浮かべた。

「あのドワーフどもは目くらましだったようだ。」

ナグロスは直ぐに母屋へと走り出す。

(やつら、鼠穴に消えたようだ)

バラキのうなり声だけが脳裏に轟いた。

(結界は目くらまし・・人為的な穴が四方にあいている・・・辿るのは容易ではない・・・あるいはドラコなら)

「バラキ、私の不覚だ。気にするな。」

まさに鼠だな。巨大なバラキには入れない無数の次元の隙間に潜り込む小人達が浮かぶ。その中には鬼来リサコと共に美豆良も雅己もいる。まだ見ていない村の住民達もいるであろう。穴の前で地団駄を踏むワームドラゴンはまさに、『猫と鼠』の猫であろう。シドラは笑っている自分に気が付いた。

「美豆良の野郎、やりやがったな。」不思議にその言葉が出た。

鬼来リサコがこの出来事の糸を引いてるとはなぜかシドラは思わない。

シドラは今は確信した。あの嫌らしい若造はすべてを承知している。リサコがリウゥゥムであることも己の立場も。そうに決まってる。

あいつはもう1人の初心な若者、鬼来雅己とは役者が違う気がした。

「借りは返すぞ、必ず。」

そう吐き捨てると、ナグロスに続いた。


スパイラル・スリー 第八章-3

2014-03-15 | オリジナル小説

         シドラ(2週間前)

 

 

グーグー寝ていた訳ではない、とシドラ・シデンは何度も思い返す度に忌々しく思っている。根に持っている。

まったく、なんという失礼な言い草だ。

あの時、ドワーフどもさえいなければ。

 

2週間前、鬼来雅己という子供は客間に顔を出して挨拶と簡単に自己紹介した。

彼はシドラがキビキビと尋問(当人はそんなつもりは毛頭ない)する度に飛び上がっては気の毒なほど顔を赤くした。しかし、別にだからと言って異常とも思わない。この星に来て以来、自分に対する男性の特に目下に当たる男の反応は概ねこんな感じであったからだ。敬して遠ざかる。(怯えているとガンダルファなら言うだろうが別に好かれたいとも思わないのでどうでもいい。)高嶺の薔薇を仰ぎ見るようだと、竹本の香奈恵にはよく言われている。

シドラに雅己は苦もなく短時間で情報をひきだされてしまった。(東京の桑聞社に勤めて3年の会社員25歳で、中野のマンションで一人暮らし。マンションは8階の805号室で家賃は12万。兄から母の病の知らせを受けて帰って来たのだと。)

鬼来雅己はなかなか年相応の素直な好感のもてる青年に感じられた。

(美豆良に較べてだが。)

即座にシドラは彼には警戒は必要ないと判断する。その時の判断は今も間違っていたとは思えない。バラキに打診してみても、雅己は1人で立ち寄ったという。同行したものもなく、所持品その他も特に異常はないとの返事であった。

ただ、雅己と美豆良の再会はあまり友好的ではなかったようだとバラキは心証を付け加えた。どの程度に?という質問に、美豆良が不機嫌なオーラを発していただけだとしかバラキには説明できない。シドラはそれでよしとした。美豆良を不機嫌にしたというだけでも雅己という子供には好感が持てるというもの。

しかし、雅己はすぐにあのいけすかない美豆良に呼ばれ、共にどこかに行ってしまった。

念願のお1様が実現したシドラは心置きなくナグロスと不法移民1世との会話に集中することにした。まぁ、一番言いたいことを伝えた後の二人の交わした会話は思い出話がほとんどで目新しいことは特になかったと記憶している。

ナグロスも後にそれを肯定している。

今思えば、美豆良と雅己の動きにもっと注意を払うべきだったのかもしれない。そこはちょっと後悔している。特に、雅己が急遽帰郷した理由もだ。ひょっとしてシドラ達の訪問の通知を鬼来リサコから知った美豆良が雅己を呼び戻したという可能性に思いが至らなかったことは不覚としかいいようがない。

 

不覚はそれだけである。

断じてグーグーなど寝てはいなかったのだ。

ナグロスはわからないが。

勿論、ナグロスは元調査員であって軍人ではないのでそれでいいのだ。

例え、グーグー寝ていても。

 

鬼来リサコとの会見を終えたナグロスが戻ってくると、食事の支度が出来ていると二人は告げられた。病人は一緒に食卓を囲むことはできないので、雅己と言う子供が母親の世話をしていると告げながら美豆良が客間に運んで来た。数は多くないがそれなりに手間もかかりおいしい田舎料理であった。シドラはその食事にも特に異常は感じなかった。

ただ、食卓の会話はシドラなりには盛り上がらなかったがナグロスはこの星が長いことだけはある。山里の暮らしや雪の天候など、シドラにはさっぱり思いつかない話題を見事に繋いでそれなりに美豆良との会話を楽しんだようだった。

美豆良もこの時はさすがに、シドラにいやらしい視線を注いだりはしない。

食事が終る頃に雅己という子供が再び顔を出し、病人の食事が終ったことを告げた。

それを待ちかねたように美豆良は2人に風呂に入るように勧め、シドラは断ったがナグロスは快諾して席を立った。後片付けなど、もとより手伝うつもりもないシドラは雅己に母屋からやや離れた離れに案内された。離れはこぎれいで掃除が行き届いていたし、暖房がしっかりと既に施されていた。

 

使い勝手を説明する間もシドラから無言の観察を続けられた子供が逃げるようにして離れを去った後、シドラは初めて持って来た荷を解きこれまで得た情報をバラキとともに整理した。

 

今回の訪問の目的。対象者である不法移民1世は名前をリウゥゥムと言うらしい。

現在、鬼来リサコという戸籍を使っている女性である。

バラキによるとこの女には次元能力は殆どないと言う。

それは血統からもうなづける。

父親も母親も原始星系の遊民同士。宇宙で暮らし始めてまだ4世代でしかない。先祖は原始星の出身、それも脱走移民であるがそれほど血統がよくはないので見逃されていたらしい。『始祖の人類』の血統から数えると遠い血を持つ星の出身だ。100000番台の血統など惜しまれることはない。その位の血統なら、いくらでもいる。もしも始祖から数えて100番以内の星だったならば、絶対に逃亡したままにされることはかっただろう。現在の原始星政策では住民は星からの移動は許されないのだ。

この星の時間で2000年ほど前、彼女はカバナ系遊民のパートナーと共にこの星に侵入したらしい。当時連邦自体も戦時中であり、この果ての地球の管理は行き届いておらず、侵入は容易だった。以後、2人は別々の道を選ぶまで一緒にいた。この鬼来の地に。

リウゥゥムは1人この地に留まり、子供を産んだと言った。

地球の男と結婚したのだ。そして1000年。代は18に及んでいる。

遊民のパートナーの方は裏家業に身を投じたようだが、それほど頻繁な行き来はないというが、それは本当のことか。

かつてナグロスと色々な行き違いがあったのはこの組織だ。

この組織に関してはリウゥゥムは内容をよく知らないのか、話したくなのか。

組織の大まかな概要はほぼナグロスが知っているので不都合はそれほどない。

以前、御堂山で騒ぎを起こしたケチなギャング達もその仲間であるし、戸籍のない子供を売買していた地球人の闇組織を運営していたヤクザ達も実はその下請けに過ぎない。つまり自分の持つ地元民の組織を遊民ギャングに襲わせたことになる。外宇宙の遊民と直接交流があった組織は事件の後、解体された。そこには事情のわからない地球人しか既に残っていない。連邦の遊民組織の方が追求をかわす為か、カバナシティの浮かぶボイドに一旦撤退した為だ。

勿論、この星の司法の手はそういったからくりは知らず、その大元までは辿る事もない。どうやら政治や司法の分野まで浸食される可能性はかなり小さくなったとシドラは感じた。ただし遊民の経歴の確認は困難を極めるだろう。

リウゥゥムが正直に話していないからだ。(ナグロスが隠している可能性については思い至らない。)

もし、それが障害になるようなら、あの者だけでも中枢に連行しなければならない。本当に死ぬ前にだ。死なせない処置も必要になるだろう。

その事をシドラはバラキを通じてアギュに送った。

アギュからの返事は『ガンダルファを向かわせる』だけだった。

このことにはかなりの不満を感じたシドラであった。アギュなどどうでもいいが、自分が『上司』の一番刀でないということはどうでもよくない。

アギュは何かとガンダルファを贔屓にしてはいないだろうか。

シドラはそう思ったが、自分が贔屓されたところで嬉しいかとバラキに聞かれてさすがに黙る。自分はアギュになど、どう思われたっていいのだった。

1番に思われたかった相手は今はもういない。

その相手が自分よりも選んだという理由でシドラはアギュの下に仕えているのだ。

アギュの中に眠る神代ユウリの魂に。

 

 

シドラが考えに耽っているところにナグロスが風呂から戻って来た。

さっぱりとした顔で寝間着にフカフカしたどてらを羽織って腹立たしいほどに能天気だとシドラは一瞬思った。しかし、まぁ、彼は元調査員であって現在は協力者なのだ。しかも、ユウリの実の父親だ。

ナグロスの過去に犯した罪状に関しては、遥か彼方のオリオン連邦の中枢でアギュの上司である権力者イリト・ヴェガが何をしてくれたのかわからないが・・・もう既に決着がついている。もともと死んだはずの人間であるし、この地球に禁固刑に処すといったところだろうか。更に子供を作ったりしないように、アギュが見張っていればいいというだけのことだ。もとより、ナグロスはもう子供を作るような過ちは犯す気はないだろう。この星に永久追放されたことに至っては当人は本望で孫といられることを感謝している。

シドラはナグロスからの世間話に付き合った。

ナグロスはしきりにユリがどうしているかと気にするようであった。そんな顔は好々爺に片足を突っ込んでいると思ったのでシドラはその点を鋭く注意する。

シドラだってユウリの子供であるユリを愛しく思わなくはないが、そんなだらけた

糸の緩んだような表情はけして自分に許すことはない。

ナグロスは指摘されてかなり恥じ入ったように見えた。

「まったくシドラさんはかなわないなぁ。」などと。

ただそのまったりとしたひと時は、不思議と不愉快ではなかった。ナグロスは壮年であるし体験した苦労も並大抵ではない。すべてを受け入れて流す。柔らかく。

実はシドラはこの村に来て初めて安心感を感じていた。

「あなたは王族出身でしょう。」だからさりげなくナグロスが持ちかけた時もシドラにしては自然に「まあな。」と答えていた。「なぜ、わかった?」

「あなたの出身星ですよ。ジュラの王族の星だ。」それと産まれ持った気品と誇り。

ジュラの王族は産まれ落ちた時から兄弟と結婚していると聞いている。ナグロスはそれを思い出したがただ、静かに「あなたも苦労したんですね。」そう言って話を打ち切った。シドラは腹が立たないのが我ながら不思議だと思った。

「我はいらない王族だった。」気が付くと聞かれもしないことを喋っていた。それはナグロスの娘にしか語ったことはない。「乳母が我を星から逃がしてくれた。ワームが憑かなかったら、どうなっていたか。」

「では、あなたの乳母は。」「死んだ。」

そう言って肩を竦めたシドラも、もう世間話もこれくらいで充分であろうとようやく判断する。しゃべりすぎたかもしれない。そうシドラが自己嫌悪に陥る前に懸命なナグロスは同意を立ち上がることで示した。

そして、ナグロスとは襖を隔てた隣り合った和室で別々に床に付いたのだった。

しかし、シドラは寝た訳ではない。

着替えはしたが寝間着ではなかった。彼女は地球の服を脱ぎ捨てると始めから身に纏っていた薄い装備だけとなり建物の外に出る。

彼女は村の他の住民の動向をさぐり、船を捜すつもりであった。

シドラは雪を分けて進んだ。雪を踏む音はしない。シドラのスーツは闇に溶け込むと同時に寒さから彼女を完全に遮断する。

更にワーム使いシドラは原始星人であったが次元を意識的に操作することができる。

現実から1歩か2歩、薄皮の中に潜って潜航した。

ダッシュ空間と呼ばれる小さな次元だ。雪に足を取られることはない。

シドラにはこの村に付いた時から気になったことがあった。他の村人の姿を見ていない。雪が深いから、室内にこもっているのかもしれないとは思っていた。小さな村だが家と家の間はゆったりとしているから、確かに声は届きにくい。

シドラが鬼来本家の敷地を忍び出て、一番近い隣家に近づくと微かな音が聞こえて来た。音を拡大する。テレビの音のようだった。

『バラキ、家に人間の存在はあるか?』

(生物反応がある。5体だ。)すぐに応答がある。『生体反応にまちがいないか。』(動いている。間違いない)見えないがバラキはシドラにピタリと寄り添っているのだ。シドラは更に奥に、村の東側から次の民家へと回り込んで行く。10軒ほどの家屋の中に20人ほどの人間がいることが確認された。

『これがすべてか?』

(おそらく・・いや)バラキの意識の躊躇いにシドラに不安が過った。『どうした?らしくないぞ。』(もっと小さいものが・・・周辺に・・・気を付けろ!)

シドラは反射的に宙を舞っていた。シドラがいた場所に何かが四方八方から襲いかかって来る。『ドワーフ?』そう思った瞬間、シドラはその長い足を使って小さな人型を一気に凪ぎ払っていた。群がった人型は一気に散る。シドラはその1方向を追った。『こいつらはどこにいたんだ?!』(時空から湧いて来た)バラキを表立って使役できないのがもどかしい。そんなことをすればこの村自体が焼き払われる。(ダッシュ空間を刺激したことで反応した)

『時空に潜んでいたのか?』シドラは警戒を緩めていた自分を恥じる。『組織の手のものか?』(吾にはわからない)

そうバラキの巨大なメモリーでは細かいものは把握しきれない。バラキの太さはこの『果ての地球』の八分の一ほどもあるのだから。シドラは己の能力の限界まで絞り出し、幾つかの次元にだぶりながら見え隠れする影を追った。

『捕まえるぞ!』(来た)シドラが1方向に向かうと見るや、再び回りにはびっしりと影が追いついてきた。さきほどの非ではない。20、30以上いるかも知れない。大きさも形も様々。その影の方からシドラを捕まえようとするかのように全身に覆い被さって来た。実体の全部が1つの次元にないのでその影はぶよぶよとして全体はつかみ所がない。ただ、シドラのいる次元にチャンネルを合わせた部分だけが・・・例えば手だがそれだけが感覚を伴って縋りついて来る。まるで鼠にたかられた象になった気分だ。降り飛ばそうと身を揺するが離れない。手を振るっても実体の体の方はずれた所にあって、シドラの手は空振りに終ったりする。その間も絶えず小さな手のようなものがたくさん、その手の幾つかは武器のようなものを手にしている。それはシドラのスーツにまったく傷を付ける事はできなかった。出来なかったがあきらめない、全身にまとわりつく手の感触は気味が悪いにも程がある。スーツは肌一枚に等しい感覚なのだ。気色悪さに気が付けば、たまらず喚いていた。『バ、バラキ!なんとかしてくれ!』相手がガンダルファにだったらこんな醜態はさらせない。


スパイラル・スリー 第八章-2

2014-03-15 | オリジナル小説

       8・冬空の下のワルツ

 

 

         ガンダルファ参戦

 

「なんだこりゃぁ・・・」

ガンダルファは思わず呟いている。

寒い。平原である。粉雪がちらほらと降り出している。

ガンダルファはいかにも暖かそうなダウンジャケットと雪用ブーツ、ファーの付いた帽子、手袋、そして旅行者らしく見えるようなリュックを背負っている。

目の前に目指す村らしい集落が見えた。昼間だが曇天の下、風に巻き上げられた雪に数軒の家々が霧に霞んでいる。足跡の連なりがまっすぐにそこへと向かっていた。

「幻覚か・・・?」

もう一度つぶやく。

 

その村と彼の間にある開けた雪原では太った男女が踊っていた。

ラジオだろうか切れ切れのワルツが聞こえてくる。舞い散る粉雪の中、スーツとジャージ姿の男と女がピタリと寄り添い合い、優雅に舞っている。呼吸が合った滑らかな動き、踊り手達のレベルがかなり上級なのは素人にもわかった。

「俺って・・・とうとう気が狂ったのかもな。」

「おぬしが狂っていたとしたら産まれた時からだろう。」

唐突にシドラ・シデンが並び立つ。

「あれって・・・シドラも見えている?」

「我も見ている。安心するといい。」

シドラがうなづくとその隣にナグロスも現れた。腰に鞭のようなものを装備している。シドラがチラリとそれに目をやった。「大丈夫、私も見ています。」心強く。

「じゃあ、あれは現実と認めるして・・彼等はいったいなんなの?」

「鬼来雅己が村に戻って来た。」憮然と続ける。「その連れだ。」

「鬼来雅己・・・そうか、シドラ達が会ったヤツだな。消えた村人の唯一の手がかりか。ひっ捕まえて、泥吐かせてやるかな。」

「村の方で警察の事情聴取を受けてますよ、今。」ナグロスが指摘する。

「遅きにしっしたな。」

「ふぅん。」以外にもガンダルファはシドラの失笑にも動じる気配はない。

「で、僕達はどうすんのさ?」

「住民が消えた時に我達もいたことがわかったら、色々面倒だということは変わらんな。」

「ってことは?」

「我もお前も、引き続き部外者でいるのが望ましい。」

「観光客であり、温泉地の逗留客ってことですね。」

「ちぇ、なんだよそれ。ようするに経過観察してるってだけってこと?いい加減、ふやけちまうよ。事情聴取にも入れないんじゃなぁ。やんなっちゃう、いくらアギュのご指名だと言ったってさ。駆けつけた時には、もう逃げられてんだもん。」

「愚痴はいい。だから・・・ドラコだと言ってる。」

「なるほど。」ガンダルファはドラコを呼び出すと指示を与えた。

「これだけで、いいの?」

「とりあえず、今はな。奴らの消えた先はだいたいわかっている。」

シドラ・シデンは村を背後から守り立つ里山を睨みつけた。

「ただ、目的がわからん。」

時空が開いた為にフワリと空気が動き、ガンダルファ達はアギュの出現を知った。

「最高機密がこんなとこに来て大丈夫なの?」ガンダルファも山を見る。

「こっちの動きを見てるんじゃない?。」

「おぬしは臨海体であることを知られたら面倒なのがわかってて来たのか。」

「ココはバラキがしっかりガードしてますからね。」

アギュは鬼来美豆良の能力を既にある程度、見極めている。その能力の限界も。ドラコしか知らないが。

上司と部下とは思えないやり取りに微笑むナグロスにアギュも笑みを返した。

「イマはがんばってニンゲンらしくしてますし」

確かにしっかりとした肉体を冬装備、分厚いコートに包んでいた。

「そういう普通のカッコをしたアギュを久しぶりに見たな。」

ガンダルファがフワフワしたアギュの蒼い髪が全てコートのフードに納まっているのを確認する。「オーケー、ならいていいよ。」

「なんだ、その物言いは。」シドラがやっと軍事規律を思い出すが既に遅い。

「それはもういいですから。」上司はきっぱりと言いきる。「続けてください。」

ナグロスがその意を汲み取った。

「そう、一番の問題は・・・なぜ、鬼来リサコさんが連邦の使者が来るのをわざわざ待ったかのように、こんな騒ぎを起こしたかってことです。最初から行方をくらますつもりなら、いくらでもチャンスはあったんですから。それには目的があるはずだとシドラさんは言っているわけです。」ナグロスも沈鬱に山を見る。

「本当にリサコなのか?」シドラが憎々し気に「あの美豆良って野郎が裏で糸を引いている可能性だってあるだろ。死にかけの病人よりはずっと妥当だ。」

ナグロスは死にかけ云々は聞かなかった振りをした。

「シドラ、あの時は鬼来雅己が来るのを待っていたと考えられますよ。」

「その雅己ってヤツも、消えていたんだよな?」

「マサミはトウキョウに戻っていたことがわかっています。」

アギュが補足する。「シドラがカレのことをイロイロ、聞き出してくれたので・・・ボセンの方からツイビしてもらいました。こちらはコモリで手一杯ですし。」

「母船か。」彼等の間に一瞬、沈黙がある。

「まぁ、僕達を監視するついでなんだから簡単な仕事だな。」

ガンダルファが肩を竦める。「そうか、鬼来雅己はてっきり一緒に消えたと思ってたけど違ったんだな。なんで、こっちに報告がなかったのさ。」

「カレだけがトウキョウに現れたこともモクテキがあってのことだと思ったのですが・・・キノウまでは特に大きな動きはありませんでしたね。」

アギュは鬼来雅己が戻ってからの2週間を簡単に説明した。

「どうやらカレラのセッショクはかなりイゼンから仕込まれていたことのようです。イワタユズルにはワレワレはノータッチでしたから。そこを狙って来たわけです。それも含めてイロイロ、微妙なモンダイがありますので・・・どのようにタイショすべきか、連邦にいるイリト・ヴェガのハンダンを待っていました。」

アギュは600光年先を思い浮かべている。

「岩田譲、香奈恵の兄だな。取引の手札にでもするつもりか。」

「当然、その鬼来雅己のおじ夫婦の失踪っていうのも関係あるよね。」

「他のオニライ姓のものも大勢、死んでいる。カレラは『ノロイ』と称しています。」

「死んだとされる一族全員が、ここに一緒にいる可能性もありませんか。」

「あるかもしれないな・・・とにかく、現在の状況は、じきにドラコが聞いて来るだろうさ。引き連れている面々が問題だし、慎重にってことなんだろ?」

「カレラはワタシ達にいったい何をさせたいのでしょうか。」

山を見つめるアギュの眼差しは静かだった。

「ワレワレ上陸部隊の第一のモクテキは始祖のジンルイのフネを見付けることです。始祖のジンルイのコンセキを見つけ、チョウサすること。その過程で密航者やその疑いのあるものを見付けたバアイはボセンに報告する義務がある。カレラに対処することは本筋ではないのです。今回はナグロスさんの絡みでワレワレが出て来ただけですから・・・しばらくはボウカンするしかありませんね。」

「ありませんねとは、業腹なことだな。」「まったくだ。」

ガンダルファは苛立ちに鼻の穴を膨らませたシドラを盗み見た。滅多にない好機。

「しかしなぁ、信じられないよね。あんたら2人・・・あんな大事な時にグーグー寝ていたんだからさ。」

ガンダルファは神月に子守りで残された鬱憤を晴らすことにしたらしい。申し訳ないとナグロスは素直に応じたが、シドラ・シデンは思惑通りにいきり立った。

「仕方ないだろうが!我もバラキもそれどころじゃなかったんだ。いいか、この原始星上では我らは万全の装備は許可されていないんだぞ。あのちんけな次元生物なんだかはっきりしない奴らがこの星に生息するれっきとした生物であるのかないのか、外部生物の端くれなのかなんてわかるはずないじゃないか!我らは基本的にこの星の生物には手を出してはならないのだからな。例え、我らがここのやつらにコテンパンにされたとしたってなんだ!こんな理不尽な話があるか、アギュ!」

「兵隊と言うのは補充が利くものですからね。調査員もですが。」

「おい労働条件の不満をさりげなく織り込むなよ、ナグロスも。アギュにもどうしようもないんだから。シドラ、それに『隊長殿』だろ?」

「うるさい、ガンダルファ!おぬしだって『隊長』なんて呼んだことないくせに!我だってわかっているんだが、言わずにはいられるもんか?!だいたいこんな生身に毛が生えたほどの装備でどうやって防げと言うんだ!しかも、我らはだ、喧嘩をしに来たわけじゃない!話し合いをしに来たと言うのにだ!。」

アギュが懸命にも口を挟まなかったので、押さえ込んでいた憤懣が雨霰とガンダルファだけに注がれた。

「わかった、わかった。収監はせずにこの惑星上での保護観察だって話はしたんだよね。」「リサコさんは承知したと口では言ってくれたんですが。」

「ショウダクは、どうやら見せかけだったようですね。・・・パートナーの情報を与えることをケイカイしたのでしょう。」

アギュはナグロスを見た。ナグロスは居心地悪そうにしたが、アギュがうなづいたので気が付いたようであった。二人は互いに連邦に言わない秘密があることを。

「ああいったパートナーの間柄というものは、なかなか我ら他人には伺い知れないものがあるからな。」シドラはどうにか自分を抑えたようだ。

「おっ。シドラ、大人な発言。でも、シドラのパートナーってバラキ・・・。」

シドラがガンダルファの臑を蹴ったようだ。ガンダルファは笑いを引っ込める。

「まさか逃げられるとは思っていなかったが、熟睡していたなどと言われるのは心外だ。」シドラの口調には悔しさが滲む。

「気付かなかったんなら、同じことじゃんかよ。」そして、素早く「だけど、最初から連邦の使者に恥をかかせるつもりの企みだったんじゃ、防ぎようがないよね。うさん臭い美豆良ってヤツと、オリジナルの遊民1世が一枚岩とは限らない場合もあるし。バラキが感知出来なかったってことは、ダッシュの付くような細かい次元を駆使する術に長けたヤツがいるってことだろ。その美豆良ってヤツが子孫じゃなくて(アギュがそこまで警戒するなんてちょっと不思議だけど)オリジナルなのかもしれないし。とにかく、進化体の仕業だってことがまちがいないんだから。生身の僕達じゃワームが付いていたってだ、次元に翻弄されたって仕方がない。シドラやナグロスはともかくだ、バラキまで誤摩化すなんて、並大抵じゃないもんな。」

ガンダルファは一気にそう言うとシドラがよく考えて結局、怒り出す前にまた話を切り替える。

「ところで関係ないけどさ、ナグロス・カミシロって名前、なんだか、怪しくない?。結婚詐欺師みたいなんだけど。ブラジル帰りって触れ込みもどうなんだか。」

ガンダルファはずっと引っかかっていたらしい。

「そんなに変ですか。」「絶対、インチキ臭いって。」

「そんなことはどうでもいい!」さっきの話を反芻したシドラがようやく。

「まったく、おぬしにはバカにされるし。ドワーフどもには逃げられるし。最悪だ。」「バカとは言ってない、油断したって・・・」「ところで、その」

すいませんとガンダルファを遮ったナグロスの顔には隠せない緊張がある。

「ありえるんですか、アギュ。私達が見たその、『ドワーフ』ですか。劣化体にまちがいないんですね・・・連邦ではもう、この目で見ることはできませんから。それがこの『果ての地球』にいるなんて?私がこの村に隠れていた頃はそんなものはいなかったような気がするんですが。勿論、私の能力は限界がありますが。」

しかし、アギュはバラキからもらった肉片を鑑定させたにすぎない。

「あの姿、形はまちがえようがあるか。伝え聞く通りだったろ、ナグロス。」

「ニュートロンには違いないんだよなぁ・・・進化体じゃないの?」

「違う。劣化体だ。」「次元能力があるなら、普通は進化体て言わない?。」

「レッカタイは・・サイボウ自体のモンダイです。・・・サイボウがハカイされキホン的なニンゲンとしてのセッケイズが保てなくなったジョウタイです。」

「惑星上の普通分娩で産まれる確率はほぼゼロですね。」

「ほら。じゃあ、やっぱり進化体じゃん。」

「そう、レンポウでは否定しているがニュートロンだ。カバナリオンではそれはごく普通の宇宙人類の進化形態として容認されている・・・だからレッカタイとはただのブベツ的呼称に過ぎない。」アギュの唇は歪んだ。

「カバナリオンと対抗する政策故にこそ、今の連邦はその存在を認めたくないのだな。同じ人類であることは変わりないのにな、愚かな事だ。」

「姿形が祖の人類とはドンドンかけ離れて行くからね・・・ニュートロンって繁殖能力がほぼないに同然だし、どっちみち進化の袋小路に陥るから連邦は嫌っているんだろうね。それにしても、進化体(ニュートロン)自体、重力変化に対応する能力が低いから惑星では生きれないはずだけど。」

「そう、レッカタイは、このジュウリョクの下では生きられないはずです。」

「確かに。奴らにはこの星の重力に耐性がある。しかも、あれだけの人数・・・」

『ナグロスにも隠していたこと。フネ、ホウライ・・・そして、レッカタイ』

劣化体が侮蔑的呼称であるように最高進化という呼称もそれと大して変わらないとアギュは思う。その秘密をさぐり利用する為に、誤摩化されているだけだ。

静かにアギュは山を見つめ続ける。

キライリサコの秘密は奥が深い。闇に葬り去りたい事情がたくさんあるようだ。

イリト・ヴェガの結論はもう出ている。アギュの結論はまだ出てはいない。

激しくなった雪にシドラ・シデンが目を細める。

「誰かがこの星の上で連邦で生存を認められない劣化体を違法に増やし続けてた・・・連邦保護下のここではそれは重罪だ。目くじら立てる理由に充分だということだな。」

「それが姿をくらました理由かな・・・?」

そう話す4人の姿はいつの間にか雪に紛れて消えていた。

 

           素子と牡丹

 

「姉さま。」牡丹が何度目かのターンの足を止めかける。

「今、あそこに人が。」エレファントは動きを止めない。

「亡霊だろ。」吐き捨てるように唸る。「勇二がいたら喜んだろに。」

「我々の踊りが眠れる霊魂を呼び起こしたってことですかね。」

切れ切れに続いていた音楽がとうとう止んだ。

エレファントがやっと手を離し、雪の上に無造作に置いてあったプレイヤーを拾いに行く。牡丹は大きな肩に積もった雪を払い落とすとため息を付いた。

「・・・兄さまは遅いですね。無事なんでしょうか。」

「基成勇二がやられるわけないよ。」エレファントが小さなデッキをジャージのポケットに突っ込んだ。「連絡もないが、そろそろ追いついて来る頃だろうよ。」

牡丹は先日、御殿を出る直前に兄と慌ただしく交わした会話を思い出す。

 

「村に着いたら、けして譲くんから目を離さないで。」

「兄さま、雅己くんはいいんですか?」

「ひょっとすると、この件のキーマンは譲くんかもしれないわ。」

「え?」

「あの警官達は最初、譲くんを殺そうとしなかった。彼の前で雅己くんを殺さないと言ったのが本当だとしたら・・・彼は偶然に巻き込まれたわけではないのかもしれない。」だから、兄上は何かと岩田譲に関心を示していたのか。

牡丹はそう聞きたかったが、既に兄は車を降りていたし、素子はランドクルーザーのアクセルを踏み込んでいる。

後部座席の雅己と譲は疲れきって眠ったまま、目を覚まさない。

基成勇二が焦っていたのは、襲撃を予期していたからだ。

ただ、一歩間に合わなかった。あの後、車を出す為にガレージのシャッター開け放つと同時に、そこから賊は侵入して来た。

基成勇二は場に残り、敵に立ち向かうことを選択した。

仲間を逃がす為だけではない。

襲わせてその戦いの中で敵を見極めようとした。

敵に自らを晒す事を厭わない。

自らの肌で感じ取ろうとする。

基成勇二はそういう個性。

だから。けして死にはしない。

 

「さあ、もう村に戻ろう。子供達が心細がっている。」

「そうですね。」牡丹も素直に従う。

「村に戻ったことはもう警視庁にも知れたでしょうし。」

「敵にもな。勇二がもし間に合わなかったら・・・あの子達を守るのは私達。」

「わかってます。姉さま。」

2人は雪道を歩き出す。

その手足を交互に踏み出す動きは遠目でも見事に揃っていた。


スパイラル・スリー 第八章-1

2014-03-15 | オリジナル小説

         まずは湯気の中から

 

もうもうとした湯気の中、二つの小山がぼんやりと浮かんでいた。

檜の強い香り。湿気と熱気の中、蒸気の霧でほとんど何も見えない。しかし、その霧の発生源は天井と床の両方に設置された機械からミストとなって意図的に吹き出されている。窓のない狭い閉鎖的な空間で、さっきから二つの小山のひとつから声が発せられていた。『ねぇねぇ、ねえったら。』

少女のように高い声だが、勿論二つの小山以外にそれらしい姿はない。

『意地悪しないでよ。あんたってほんとぉっに、前々から私に意地悪なんだから!。』

甲高い声は湯気の為か湿っている。その声が先ほどから望んでいる返事が一向にないからだ。山は身じろぎもしない。声は更にじれる。

『あんたったら、まさかこの私に喧嘩売ってるわけじゃないわよねぇ?もぉう、絶対に売ってるしぃ!・・私とやるっていうの?やるって言うんなら受けて立つわよ!』

『・・・誰も喧嘩など売ってないわい。』ついに隣の山が動いた。

『おまえの話、熟考しておっただけじゃ。そのべしゃりやめんかい。』

それを受け高い声は俄然、元気になるた。

『そうそう、そういうのが欲しかったのよ。ちゃんとした合いの手。折角さぁ、私が忙しい合間を縫ってこうやって一生懸命、話たわけなんだから。』

『あのな、何も会って話すことはなかったんじゃないかの?こんなとこでわしとサウナに入っているほど暇なのか?今すぐ、後を追った方がいいんじゃないのかのう。』

会話からして甲高い声の主の方が年下と思われるが、2人の外観はあまり差は見られない。見られないどころか、双子のようだ。髪型から顔の造形、その肉体の大きさ。裸体のせいもあるが、まさに彼等は二つの肉の小山だ。

檜のベンチに仲良く並びどちらもタオルを腰に巻いているが、まるで小さなハンケチを乗せてるようにしか見えない。片方がそのタオルを取り上げ、潰すようにしぼる。水が辺りに飛び散り、瞬く間にそれも蒸発した。

『それがさぁ、そうもできない状況がわかったから、こうして来たんじゃないの。』

『ふん。たまたま運動をしたんで、汗を流したかっただけじゃないのかの?』

『まぁ、それもあるけどね・・・ここならヘタな邪魔は入らないし。二人だけの密談ぽくて良くはなぁい?』もやもやとしたミストの中にぼんやりとした影が浮かんでは消える気がしたが、目の錯覚かもしれない。

『で、どうしたいんじゃ?おまえは。この始末をどう付けたいのかの?』

『そうなのよね・・・ねぇ、どうしたらいいと思う?』

『おいおい、ふざけるなと言いたいのはこっちじゃぞ。わざわざ、遠くからこんなとこまで呼び出しておいてだ。しかもまだ夜が開けたばかりじゃぞ。』

『そうそう、アメリカくんだりから上野のサウナまでよねぇ。』

何がおかしいのか、高い声はコロコロと笑っている。

『すごい検体が手に入る!今回は間違いなし!期待してて!とは、おまえの言った台詞じゃ。それを信じてわしはこうして全てを放り出して来たんじゃ。』

『だからさぁ、せっかく来たんじゃないよぉ、知恵を貸してよぉ。』

『その・・おまえのお姉さんはなんと言っとる?ほら、おまえの守護天使じゃ。』

『私の守護天使様はね、あんたのそう言う冷たい態度はほとんど嫉妬だって言ってたわよ。確かに、あんたって本当はすごい目立ちたがりやだもんねぇ。ほんとはこっちの仕事、やりたかったんじゃないのう?』

『何言うとる!誰が目立ちたがりじゃ。おまえだけには言われとうない。ちゃんと仕事しろ。』

『してるわよぉ、してるじゃないよぉ。だから、こんな面倒をしょいこんじゃったんじゃないよぉ?』またひらひらと影が舞った。

『天使様はねぇ・・・善処してみるとは言ってくれたんだけど・・・私じゃあ、確約ができないじゃないの?だからさぁ、心苦しいわけ。とりあえず、あなたから話を通しておくようにって言われたのよ。この子達はさ』揺らぐ影に手を振る。

『私を見込んでくれてるの。もしも、手伝ってくれたらね。私達にも協力してもいいって言うの。何もかも話す、証言してもいいってそこまで言ってくれてるのよ。』

『・・・なるほどのう。』と鼻からの息。『そういうことかい。』

にしても、ここすんごく熱いわねぇ、と息を整えた。

『お願い。』その声にそれまでの甲高さは押さえられている。

『頼むわよ。こっちも犠牲はなるべく最小限にしたいもの。』

『それはのう・・・難しいところだのう。おまえの守護天使をもってしてもの。』

吹き出た汗の玉がどちらの顎にもラインに沿うように幾つもぶら下がっていた。

身動きする度にそれらが辺りにしたたり落ちて板に吸い込まれ消える。

『どっちにしても。おまえはとにかく、ただでさえ目立ち過ぎだ。くれぐれも油断せんことじゃぞ。』再び、もうもうと湯気が立ちのぼり視界が遮られた。

『わかったわよ。結局、なんのアドバイスもいただけなかったってことで・・・適当に流れに任せてやってみるから、もういいわよ。』

『嫌みじゃのう。こっちとてフォローせんとは言うておるまい。』

ようやくどちらかが身を動かし、木が軋む音が薄暗い柔らかい照明の室内に響く。

『・・・経緯はざっくりとじゃがわかったからの。とにかく何が出来るか・・・上に話を通して万全の援護体勢を整えておくことだけは確約する。』

『あっそう。私はできる範囲で最善の努力をするわ。私達の最初の目的である検体も手に入れられるチャンスがあれば逃さないつもりよ。』

『とにかく・・・検体はいるんじゃな?』『私の勘では必ず。』

『わかった、無理はするな。助けがいる時は遠慮なく呼べ。』

『あなたはしばらくはここにいるってことね。まったく、頼りになるわ。』

この時、熱と圧力に凝縮された部屋の空気が激しく動いた。

サウナルームの重い扉が開いたのだ。木製の二重ドアを開けて入って来た2人連れの男性客が室内に鎮座する二つの肉体に驚いて入り口で躊躇するのが湯気越しにも伝わった。すかさず、片方がタオルを手にする。

『ならばこれで。おまえも遊んでる場合じゃないじゃろ。』

『そうね、私も行くわ。これから一仕事も二仕事も待ってるんだから。』

大きな二つの小山は段差の付いたベンチを横滑りに降り始めた。

見え隠れしていた影達はこの時は既に消えている。


スパイラル・スリー 第七章-5

2014-03-12 | オリジナル小説

              ジンの反撃

 

「さて、じゃあ・・・その村に行くとか行かないとかは、完全に俺達の自由意志で決められるわけさね。」そう言うと「ひとまず、このドアを開けてもらおうか。」

前席が凍り付くがジンは動じない。

「そうか、まさか、ロックはしてないさね。」自分で納得すると無造作にドアを開く。

「まあ、神さん・・・ちょっと、せっかくお互いこうやってしりあえたんですから」

弁護士が腰を浮かせるが天井に頭を打つ。

「先ほどは警察の案件だっていうことなんで、善良な市民の義務としてこの車に乗せさしてもらったさ。」強制だったけどなと。

素早く体を降ろすと香奈恵とあきらを急がせる。

運転席の警官が恐ろしい目でこちらを見ている。明確な殺意だ。

「だけど、考えてみて欲しいさ。こっちにだって都合があるのさ。俺っちだって母親から頼まれた保護者としての義務があるわけさ。」助手席の窓に顔を寄せた。

「しかし、神さん、ちょっと待ってください。譲さんが、お兄さんが・・・」

「いや、待てないね。」ジンは娘2人の腕を取り自分の後ろに、なるべく車から遠ざけた。「譲くんのことはさ、やっぱり確認を取らないと。母親に連絡をして相談してからさ。」「それは、ご心配をおかけしてはと・・・」はっ!とジンは笑う。丁寧な口調と目が釣り合わなくなってきていた。この男も昨夜、あそこにいたのかも。

「この娘達はつい3月まで高校生だったのさ、だからまだ未成年なわけさね。今日は実家に帰る予定なんだし、それをこのまま本当だかなんだかもわからない話でさ、はいさいでとあんた達に預けたりしたらばさ、俺っちは何を言われるかわからないわけさね。それじゃあ、俺っちを信頼してくれたこの子達の親に合わせる顔がないでしょが。」

「だからその場合は神さんもご一緒に、ですね・・・」

「それこそ俺にだって予定ってもんがあるのさ。」神は香奈恵とあきらを後ろにじりじりと後ろに下がった。弁護士の顔しか見えないがその顔と隠れた運転席からの不穏な気配が高まっていくからだ。辺りはさっきからの公園だ。向こう側に停まった灰色の車から2人の男が降りて来たのが見える。ただし、こちらにも通行人がいる。

公園の中には犬を連れた老人が歩いている。事故現場の見学に飽きたのか、戻って来る野次馬らしい人達の姿も見られる。ありがたい事に前よりも人目は増えていた。

弁護士が車を降りる。運転席のドアからも警官が降りて来る。

殺意が渦を巻いて押し寄せて来るようだ。

俺を叩きのめして香奈恵を連れ去るってわけかい?

弁護士が口の端で笑いを浮かべている。視線はジンを突き刺す。

「神さん・・大変残念です。」

「なに。この子の母親と相談して許しが降りた場合はまた、協力させてもらうさ。俺の名刺に電話してくれ。この子の連絡先だと思って。」

そして言わずにはいられなかった。弁護士だけに聞こえるように

「ひょっとして・・・この間の見かけた社長もこの村の出身と違うのい?。GR企画の社長は確か鳳来とか言うんじゃなかったかね。鳳来、そして鬼来さ。」

瞬間、鋼鉄のような固い殺気がジンに弾けるように叩き付けらた。これまでの殺意など、これに較べれば大したものではない。シラをきればいいものを不意を突かれて言葉を失ったらしい。地雷を踏んだのだ。そう確信したジンは焼けただれた溶岩のように怒気と殺気を放つ男の真っ正面に立ち、瞬き1つしなかった。

男の口がわずかに開いた。

「あなたには・・・好奇心は身を滅ぼすと忠告しておきますよ、神興一郎さん。つまらないことを嗅ぎ回ると命がなくなりますからね・・・」

後ろの警官が怪訝な顔をしている。

黒い服装の2人連れが公園を横切りあきらかに早足になって近づいて来る。

「神さん!」「あれも仲間と違う?同じ顔だもん!」あきらと手を握る香奈恵の声がぶれる。「大丈夫だ。俺から離れるな。」2人に囁いた。

ジンは高揚している。昨夜のこいつらの力は既に見ていた。

美しいダンス、俺っちだってあのデブに負けず劣らず踊ってみせるさ。

しかし、劇的に盛り上がった弁護士の殺意は急激にしぼんでしまった。

背後の事故現場から救急車が近づいて来たのだ。消防署に帰るのだろう。

他にも報道の人間らしい男が数人、歩いて来るとこちらをチラリと見てからトイレに駆け込んだ。残りは携帯で話し出す。

それらに眼を走らせた吉井が手を上げるとこちらに向かっていた2人は公園の中程でピタリと動きを止めた。

大きな車と大きな2人の男、しかも双子。更に24つ子ともなればとても目につく。

ジンはちょっとがっかりしつつも、ここが潮時と判断するしかない。

「では・・・また。連絡するさ。」その返事に帰って来たのは無言。

そう言うと両手で抱えるように2人の娘の向きを変えた。

「そこ、道渡ってすぐに左に曲がる。」香奈恵の背中を押した。

「曲がったら走るぞ、いいさ。」娘達はうなづく。

焼け付くような男達の視線はしんがりのジンの背中がすべて引き受けた。

魔族ではないただの人間の殺気などいくらでも大した事はない。

救急車を止めるように道路に踏み出すとその影に隠れて道を渡る。

人心地付いたのはずいぶんと走った後だった。

 

「おい、こっちさ。」

ジンは尾行がないことを確認すると近場のコンビニの駐車場にと香奈恵達を導いた。

「待って・・息が切れて・・」

「これが俺っちの車さ、乗るさ。」

「ジンさんの車?」

都心にしては広めのコンビニの駐車場の隅に銀色の軽自動車が止まっていた。

「なんだ軽じゃないのよ・・・悪魔なのにさぁ。」

香奈恵はバットマンカーみたいなのを思い浮かべていた。

その根拠はなんなんだと「俺っちは目立つのは好きじゃないのさ。」素っ気なく、細身のパンツのポケットからジンは車のキーを取り出す。

「フン、悪魔って普段、ゴキブリみたいに息を潜めてるわけか。」

「んなわけあるかい。派手なのも持ってるさ。持ってるけど、爆発事故現場にふさわしくないだろが。ここいらに長く停めることになるだろうと思ってのことさ。目立たない方がいいっていうお子ちゃまにはわからない深い考えがあるんさね。」

「ふうぅん。」香奈恵は無造作にあきらと後部座席に乗り込む。

先ほどの車と違って躊躇いもない乗りっぷりだった。

「朝来て現場から少し遠いけど、ここに停めておいたのさ。」それが幸いした。

「へえぇえ、信じられない。計算高いのは知ってるけど、悪魔って野次馬なんだ?」

「まあな。マスコミ並みさね。」腹を立てる様子もない。

「ジンさんってライターさんですものね。」あきらが見かねてフォローに入った。

ところで『アクマ』ってなんなのよ、とその目が語るので香奈恵は少し態度を改める。「小さいけど、奇麗にしてるじゃない。趣味はまあ、悪くはないか。」

車内は清潔で黒で統一されていた。座席カバーも張り替えたのだろう。上質な皮が軽自動車には不釣り合いなほど高級だった。

ゴミ箱やテッシュなど物は少ないが、無駄なものはない。

控えめな柑橘系がベースの香水の香りが漂っている。髑髏とかコウモリとか、息がつまるほどの嫌らしいムスク系の香りとかが漂っていた方がらしいのになぁと香奈恵は少しがっかりした。断りもなく身を乗り出して、ダッシュボードも開ける。

「おい、勝手にあちこち見るなよ。行儀悪いぞ。」

CDの類いも悪魔系メタルかポジパンかと思えば、クラッシックの名盤ばかりだ。

「ジンさんの車って・・・なんだか、普通の独身男性の車じゃん。」

更に後ろのトランク部分までジロジロと覗き込み香奈恵が遠慮なくチェックするのにあきらはハラハラした。『ちょっと香奈ちゃん、やめなさいよぉ』

ジンは気が付かない振りでエンジンをかけ、空調を調整した。

「おまいら・・・何んか、飲むものとか買うなら行って来ていいぞ。送るから。」

「送るってどこによ?」

「おまえらの宿、もしくは山梨まで。」

「えっ!なんで!帰んないわよ私。」

思った通りの反応ではあったが、ジンは首を回すとこ生意気な顔を睨みつけた。

「おい・・・そりゃいったいどういうことさね?」

「当たり前じゃないの。」香奈恵も負けずに睨み返す。

「寝ぼけてるのはどっちよね。私の実の兄貴のピンチなの!そうでしょ?!その鬼来村って言うとこに行こうじゃないの!」

「あのさぁ。」ジンはどうしようかと頭を巡らした。香奈恵が付いて来ると言い出すのは想定のうちではあったが一応、説得したという状況が寿美恵やアギュ達への言い訳として欲しかった。

「その鬼来村っていうとこにはさ、お前らを安全なところに届けた後でな・・必ず、俺っちが責任持って行くからさ。だからとりあえず・・・」

「嫌よ!冗談じゃない!だってジンさんだけじゃ、譲兄ぃの顔とかわかんないじゃない。」

「そんなのは・・・なんとかなるんだって。」だって俺っちは悪魔だし。

「ならないわよ!」香奈恵は一歩も引かない。その様子にジンも考える。

確かに兄貴というのに出会った時は香奈恵がいた方が遥かに都合が良いだろう。何より、さっきの奴らよりも先に香奈恵の兄には会わなくてはならない。それから兄貴と香奈恵をその友人から切り離せばなんの問題もないだろう。2人を山梨に返した後で高みの見物と洒落込めば労せずに6つ子どもの目的も鳳来との関係もわかるはずだ。ヒカリにも渡にも、更に寿美恵にも知られないですむ。

「確かにこのまんまじゃ不完全燃焼だけどな。」

隣のあきらもとまどいつつもうなづいている。

「香奈ちゃん、さっきの人達も怖かったけど・・・お兄ちゃんのお友達が本当に頭がおかしくて凶暴だったりする可能性もあるよ。危ないかもしれない。大丈夫かなぁ・・・」ありがたいことにこっちは少し、腰が引けているようだ。

「大丈夫、ジンさんが付いてるもんね!でしょ?」

それはそうだが。2人も守るのは悪魔とて面倒くさい。

そこでジンはチラリとあきらに目をやる。

 

途端にあきらは全身に電気が走ったかのようにフリーズした。

「あきらちゃん?!」香奈恵はびっくりする。

「ちょっと!あきらちゃんに何したの!」

「ちょっと眠ってもらっただけさ。」

目を見開いたままで固まった肩を揺さぶる香奈恵を制する。

「止せって。そんなことしたって覚めるもんか。おい、こら、鳥屋さんだっけ?」

ジンは運転席から香奈恵の友達の目を覗き込んだ。

隣でカッカする香奈恵は無視。

「いいかい、あんたは家に帰るといいのさ。」

「あら、帰らないわよ、今夜も従姉妹さんの家に泊まるって許しは得たんだもの。」「そりゃ、都合がいいさ。考えても見ろよ、おまえさんはいいさね。実の兄貴の為に親に嘘を付いてまで鬼来村に行ったって。でもあんたのお友達のこの子はそこまでの義理はないんだろ。危険な目に合わせていいのかい。この子だってこの間、ずっと行きたかった大学に入学したばかりなんだろが?」

香奈恵は黙った。怒りはしぼむ。

しかし、素直に頬のふくらみを引っ込めるのも悔しい。

「・・・わかったよ。あきらを巻き込むのは・・・ちょと違うと私も思てった・・・でも、危険な目ってどうしてわかるの?兄貴の友達がおかしいって信じてるの?」

「鬼来とか言う友人はどうか知らんが・・・さっきの奴ら、俺が言うのもなんだが・・・甘くみちゃエラい目に合うぞ。あいつらと鬼来村とやらで鉢合わせでもしたら・・・俺っちにもちょっとあんたを守りきれるかどうか。」

臥龍の鳳来と魔族らしい小人や霊能者の件は言うに及ばずだ。それはまだ未知数。

脅すように付け加え、ジンはカーナビに村の名前を入力する。

「群馬県か・・・ちょっとあるが、今日中に向こうに着けるな。」

「ねぇ、」ちょっと大人しくなった香奈恵もその画面を覗き込んだ。

「あいつらって、なんなの?」

「筋金入りの悪さね。ヤクザものだ。悪魔の保証付きさ。なんせ、俺っちは昨日からさっきの現場にいたんだぜ。」

「それってどういう結論よ?」

「さっきの霊能者の家、あの家をあんな風にしたのはあいつらだってことさ。」

香奈恵はさすがに絶句した。

「・・・な、なんで?なんで言わないの?!警察に!・・あっそうか!ジンさん、悪魔だし!それにあいつ、あいつは警察だって?!・・本物?!」

「それがさ、残念なことに本当なのさね。だから話がややこしいの。」

「そう言えばジンさぁ・・あの弁護士とも以前、会ったことあるみたいだったよね。」

「それはまた、別口さ。偶然さね、俺を轢きそうになったから文句言っただけだ。」

なるべく軽く付け加える。

「あいつの背景、GR企画っていうのはマジでやばい。正真正銘のヤクザ屋なんさ。」「ヤクザぁ。」もれなく魔族付きだ。

香奈恵がゆっくりと首を降り始める。

「まったく嘘でしょ、ヤクザなんて・・・あきれちゃう。でも、確かにその説明、あいつらの雰囲気にピッタリだよ。・・・譲兄ったら、なんでまた。」

「どうしたい?怖くなったかい?あんたも家に帰るって言うなら俺っちは歓迎するけどさ。」そんなことにはまずならないだろう。

「とんでもないわ!」忌々しいバカ兄貴め!血管に闘志が投入される。

香奈恵は拳を固く握りしめた。

「譲兄ぃったら、まったく!あんだけ親不孝して、ママリンに心配かけたあげくさ!なんだって?どうして?いったい、何に巻き込まれてんのよぉ!」

「だから・・・それがこれからわかるってわけさ。」

ジンは改めてあきらに向けて暗示を与え直す。

「いいか、あんたはその従姉妹さんの家に今夜は泊まるがいいさ。香奈恵のことはとりあえず内緒だ。ことが大事になったらおまいさんの判断で言ってもいいさ。従姉妹さんには先に帰ったとでも言っておきなよ。もし寿美恵さんから電話が来たら・・今晩はなんとか誤摩化すんさ。いいさね、これで決まりだ。」

そう言って指を鳴らすとあきらの体は再び、ブルッと震えて表情が動く。

「あっ」

「じゃあ、あきらちゃんを送って行くってことでいいさね。」

「うん。」あきらは素直にうなづくと香奈恵を見た。

「ごめん、あたし意気地なしだ。でも、ピアノ弾けなくなるのは嫌。指に怪我するのが怖い・・。でも、香奈恵ちゃんのことはうまく誤摩化すから安心して。」

「う、うん。」香奈恵は後ろめたい思いでうなづく。

「こっちこそごめんね、ショッピングに付き合えなくて・・・あっ、私の荷物だけど・・」

「うん、大丈夫。明日、帰る時に一緒に家に送っとくから。気にしないで。それより、譲お兄ちゃんにしっかり会って無実だって確認してきてよね。応援してるから。」

あっけらかんとしたあきら笑顔に対比して、今までの半分も楽観できなくなっている自分に香奈恵は気が付いている。でも兄貴の為だ。

私がやらねばならない。

『まったく兄貴のバカ、悪魔のバカ・・・』

覚悟ができた為か冷静な判断もできるようになった。

確かにこのあきらまで巻き込む所だったと思うとちょっと背中が寒くなる。もし、本当に爆破事件の犯人だったとしたら・・・あいつらがそんなに危険な男達だとも知らずに、あの車に乗った自分はものすごくバカだった。そんな車に乗せられるままに、わけのわからない村に連れて行かれなくて本当に良かった。

そのことは同時にジンに出会ったことを深く感謝しなくてはならないのだが。

それはまだ、口が裂けても言いたくない・・・。

そんな気持ちを見透かすようにジンがニヤニヤした。

「香奈恵ちゃんも俺っちに会って本当に良かったさね。」

「うるさい。悪魔は黙って運転しなさいよね。」

「少しは感謝して欲しいさね。」

そんなやり取りにとうとう我慢出来ずにあきらが聞く。

「あの・・・さっきからその、アクマって・・?気になってるんですけど。」

「勿論、俺っちは筋金入りの悪魔ってわけさね!」

ジンが高らかに宣言したので今度は香奈恵が焦る。

「あきらちゃん、こいつのはただのニックネームだからね!」

「ああ。わかった!わかってるって。」

訳知り顔にあきらが破顔する。

「香奈ちゃんにとっては・・・大好きなママを奪うジンさんは悪魔ってことだよね!」

「あっ、あのねぇ!あきらちゃん・・!」

赤くなって唾を飛ばす香奈恵をジンは運転席で声を殺して笑い飛ばした。

「お嬢ちゃん達、ラッキーさね。正真正銘の『悪魔とドライブ』なんてめったに体験できないんだからさ!」

アクセルを踏み込んだ。


スパイラル・スリー 第七章-4

2014-03-12 | オリジナル小説

           臥龍との繋がり

 

「おや、この名前、見覚えがある。」そう言ったジンは胸ポケットから名刺入れを取り出した。「あんたの名刺は既にいただいていたみたいさね。」

同じ名刺が二つ。昨日、新宿の路上。臥龍の鳳来の相談役から。

相手も一瞬、呼吸を止めた。「ああ!」すぐに大げさに微笑む。

「あの時の・・・あの時は失礼しました。」

これが今朝、ジンが彼等が覆面を取った時に最も驚愕した理由。

それ故にジンはここに留まり今に至る。

 

香奈恵が問いた気な視線を送っていたが無視した。

「俺っちは・・・こういうものさね。」

ジンは名刺入れからしわくちゃの名刺を取り出す。

フリー・ルポライターの神興一郎と印刷されている。

「おや、やっと・・・お名前をお教えいただけましたね。」

どうやらこいつはあの時の相談役に間違いはなさそうだ。

昨日の邂逅の後、ジンは尾行をさっさと撒いて姿をくらましていた。あの時の下っ端2人はきつい叱りを受けたはずだ。昨日の今日でそういう相手を簡単に忘れるだろうか。あの時ジンの関心はほぼ100%鳳来に向かっていた。ジンは、疑いを捨て切れなかった。同じ顔をした5つ子だか6つ子だかしらないが、既に一組みが入れ替わっているのだ。まったくややこしいったらない。

弁護士の吉井の意識は、固い磁気のようにつるつるとして中が伺い知れない。

「ほう、旅行専門ですか・・・うらやましい。」

などと、ひとつもうらやましくない顔で言う。

「で、お仕事先はどういうところで?差し支えなければ・・・」

無言の圧力にもジンは2、3の出版社の名を自然体で告げる。

もしも裏取りをされたとしても実際に過去、仕事をやっているからなんら問題はない。ただどうして、この男に仕事を依頼することになったかと編集長なりが聞かれたらば、あいまいな記憶しかないということになるだろうが。

いつの間にか、最初にこの車を運転して来た男は皮のジャケットを羽織り腕章を付けて巨大な背を向け現場へと戻り出している。下は同じような黒装束だから見分けは付かない。『やはりな。入れ替わっても現場の他の警官は気が付くまいさ。こいつも鳳来の相談役とは限らない。ほんの2週間前に顔を突き合わせて力較べをした俺を言われるまで気が付かなかった。しかし、すぐに話を合わせてきた。念波で話すぐらいだから、記憶の共有があるんだろう。何が目的なんだ。』鳳来は関係あるのか。「さっきから気になってるんだけどさ・・・あんたたち、まさか、3つ子なわけ?」「これは驚かせてしまいましたね。」弁護士は横顔で笑った。「わたくしたち3つ子ではありません、5つ子なんですよ、これで。」

「5つ子!」香奈恵とあきらが同時に叫ぶ。「すごいですね。」

「でしょう?こういうといつも驚かれます。」

5つ子。昨夜、確かに1人死んだはずなのに5つ子。魔族ならば死んだ後で同じようなのが際限なく現れたって不思議はないのだが。こいつらは人間のはすだ。

同じ顔をした人間がたくさんどこかにストックされていて、スペアがすぐに補充される・・・そんなことをふと思い描いてジンは首をひねる。

夕べもそうだったが、彼等の思考はなかなか鮮明に捕らえられない。そもそも悪魔は人の頭の中が常に好き勝手に覗けるわけではない。眠ったりリラックスしまくっていてもまったくの努力もせずにという意味だ。すべてをさらけ出している隙だらけの人間など意外に少ないものなのだ。一つの思いに常に囚われ、それが自分でも気が付かずに辺りにこぼれ出しているような人間もいるが。

先ほどから、ジンが読み取れるのは彼等から纏う気のようなものだけ。それですら読み取れない代表がアギュやガンダルファ達、宇宙人類と称するもの達だ。そして、確かに鳳来にもそれを感じた。だが、まったく意識に近寄れないほどの人間も過去に何人かいた。鳳来が宇宙人類かもしれないことはこれからの検証次第だが・・・そこまで深入りするのはジンの仕事ではない。

ヒカリ達にこそ、教えてやるべきかもしれなかった。

渡といる彼等に恩を売る為に。

ジンがぼっとしているので、痺れを切らした香奈恵が割り込んだ。

「あの、私達、ここで降りなくていいんですか。」

「ええ。あなた方にはこれから一緒に行ってもらいたいところがあるんですよ。そこにおそらく岩田譲さんもいるはずです。」

「譲兄ぃが?」

「ん?どこだって?」ジン、再戦。

「その前にあんたはどういう資格でここにいるのか聞かしてもらいたいね。」

あんたは鳳来の相談役のはずだ。

「あんたんとこの社長はどこにいるんだ。」GR臥龍企画と書かれた名刺を突き出す。

「社長は・・・」吉井弁護士がわずかに怯む。「この件には、関係ありません。」

居住まいを正す様子がちょっとわざらしい。

「これは・・これは私のプライベートの仕事でして。別件の。」

「なるほど。あんたにも他におまんまの種があると。」

「おわかりいただけますでしょう?。これはまったく違う仕事です。私は・・・今回はGR企画とは無関係で活動しています。譲さんの友人の鬼来雅己君を捜しているのです。彼の事実上の保護者から依頼されましてね。いわば・・鬼来家の顧問弁護士という立場と思って下さい。」

「鬼来雅己・・?」ジンが娘達を見る。2人は同時に首を振った。

鬼来、そして鳳来。その類似は偶然だろうか。

「ご存知ありませんか? 譲さんの大学時代の友人ですよ。」

「兄貴の大学でのことは・・・私もママリンも全然、わからないんだ。」

「とにかく。」弁護士というよりはレスラーのような上背と逆3角形の逞しい肩と腕。3人並んだ後部座席から見ても、同じ双子が並んで座る前座席が狭苦しく見えて仕方がない。運転席にいる私服警察官が前を向いたままハンドルに手をやることもせず腕を組んでいるのが場の空気を弁護士がどうフレンドリーにあがいても固くしている。

「私どもはこの件に関しては警察というよりは探偵のような関わり方だと思って下さい。彼も・・・」と隣の兄弟を示す。

「公務と言うよりは私事の件で関わっています。先ほどは、警察官の身分を使ってあなた方をここへ誘導したことは謝ります。どうか、ご容赦ください。」

香奈恵とあきらはあからさまな不快感を言葉で示したが、ジンはそれどころではない。ヤクザの相談役に警察官。兄弟で・・正規の採用ではあり得ないはずだ。それに香奈恵とあきらは自分達を連れて来た男と今運転席に座る男が入れ替わったことを知らない、ジンだけがそれに気が付いている。今は野次馬の見張りに戻った男が本物の警官かどうかはもはや確かめようがない(ジンは違うと思っている)が、今前に座るその男は確かに警察官であって、そこに嘘はない。誤謬は正された。

ただし、それは昨夜からジンがずっと見張っていた男なのだ。

「で・・・あんた達は、警察とは関係ない。警官はいるが、正式な警察の仕事ではない・・・と言うわけさね。」

鬼が出るか蛇が出るか、その嘘に付き合ってみるしか仕方があるまい。

「それで・・・いったいどういう訳で、この妹と友人を巻き込んだわけだ?

いよいよ、その辺を聞かしてもらおうか。」

「昨夜、この場所に岩田譲さんと友人がいたことは間違いがありません。」

「ほう、本当に?・・どういう根拠で?」

「ここに入る事を我々の仲間が目撃しましたんですよ。」

「あんた達は・・その友人とやらを尾行していたわけか。」

「はい。どういう意図かわかりませんが、あの有名な霊能者、基成勇二がここに連れて来たわけです。ここにはあと2人、助手である妹と弟がいたはずなんですがね。」

「で・・・死んだのは誰だ?」ジンは弁護士の後頭部に目をこらし、いかなる思いも捕らえそこなうまいとする。しかし相変わらず、何も捕らえられない。

「さあ。」と盛り上がったスーツの肩を竦めただけだった。「それは今、本職の警察の方が全力で捜査していることでしょう。じきに知れるんじゃないですか。」

「あんた達は死体が兄貴ではないとこの子に言ったそうだが・・・」

香奈恵が高速でうなづく。「その根拠は?」

「体格ですよ。」しれっと言う。動揺も悲しみもない。運転席も。

「見つかった遺体は180センチはある大柄だそうですから。岩田譲さんにも鬼来雅己にも当てはまりません。消去法です。」

「・・・まるであんた達みたいな大柄だな。」ジンは言わずにはいられない。しかし。

「本当にそうですね。」と笑い返されただけだ。

「おそらく基成兄弟の誰かではないですか。」

よく言うよとさすが世間では厚顔邪悪と言われ久しい魔族も呆れるしかない。

「で?岩田の兄貴が昨夜、ここにいたらしいってこととあんた達が俺達にそういう理由はわかった。でも、なんでこの妹を騙してまで連れて来たかはまだ聞いていないさね。違うかい?」何かに利用するはずであるはずだ。

「これから、岩田譲さんがいるはずの所に同道していただく為です。」

「なんでさ?」

「説得が必要になる場合が予想されるからですよ。」

「どうして?」香奈恵が我慢出来ずに「なんで、譲兄ぃを説得するのよ?」

「岩田譲さんは友人の鬼来雅己の正体を知りません。彼を友人と信じて彼の言う事を丸呑みにしている可能性がありますから。」

「さっきから言う、その鬼来とかいう友人ってのは・・・なんなのさ。いったいどういうわけであんた達は彼を追っているんだい。彼を捕まえるつもりらしいが。」

「保護と思っていただきたい。」弁護士は狭い座席からこちらに身をよじる。

「私達の依頼者は大変、心配しています。彼は正気ではないのです。」

「その依頼者っていうのが・・・鬼来雅己の保護者ってわけなのかい。」

鳳来じゃないのか。昨夜の死闘。

あんた達の正気も疑うがとジンは思う。

聞きたかった。昨夜の様子ではジン以外誰も見ていない小人のこと。

下手すると俺の正気の方が怪しいってことになるが。

それでジンはつい笑ってしまった。突然、へらへら笑いだしたジンに香奈恵の視線が厳しい。バックミラーで警官は後部座席をずっと観察しているが、弁護士はこちらを見ていないので気が付かない。笑いをやっとこらえる。

「その名前を聞かしちゃもらえないか。」「聞いてもご存じないと思いますが。」

「ご存じなくてもだ、参考までに頭に入れて置きたいのさ。」

「鬼来美豆良さんとおっしゃる方です。」

「で、俺達はここからどこへ行くんだって?」

「群馬県の鬼来村というところまでです。」

「鬼来村?そこはそのご友人の故郷と違うのかい?」

「ええ、そうです。だから、危険なのですよ。彼は正気を失っている。おそらく記憶も失っている可能性がある・・・自分がその村で2週間前に何をしたかも。岩田譲さんにも危険が及ぶ可能性が充分にあります。」

「そいつはいったい、その村で2週間前に何をしたんだ?」

「そこは・・・おいおいお話できる範囲でお話いたします。今はとりあえず・・」

「それは警察に話すようなことではないのかい。犯罪じゃないのか?」

「この件はまだ一切、警察の知るところではありません。鬼来家の家庭内の話です。」

「それは、まずいんと違うかい。」ジンは身を乗り出して運転席の男の肩を叩く。

「えっ、あんたはそれで済ましていいのかい。」

「プライベートだ。」男は微動だにしない。ミラーに写る目はジンから離れない。

「事件性はない。」

愛想がないにもほどがある。鬼来雅己が昨夜ここにいて彼が危険だというのなら、事件性はなくても報告義務はあるのではないか。


スパイラル・スリー 第七章-3

2014-03-12 | オリジナル小説

          物見高き悪魔

 

その頃、ジンはいまだ己の好奇心の真っ最中である。

昨夜からここに残った男が警察官だということはもうわかった。

到着したパトカーから降りてきた警官達に、何食わぬ顔で手帳を示し「警視庁豊島署の吉井武彦だ。」そう名乗ったのも聞いている。

たまたま近くを車で通りかかり現場に遭遇したという話をし、野次馬の整備を自らかって出て大変ありがたがれていたことも。

現在、男は私服に警官の腕章を付けて任務に就いている。老人に後ろから何かしきりに話しかけられているが左右に広げた腕で仁王像のように野次馬を阻んだまま微動だにしない。と、不意にその体が動いた。胸ポケットから携帯を取り出す。老人はあきらめたように離れていた。それにしても一睡もしていないだろうと気遣われてもいるが、憔悴した様子は微塵もない。一睡どころか、昨夜は霊能者基成勇二(行方不明)を相手に死闘を繰り広げていたのだからタフだなんてものではない。意識も強靭さも魅力。まるですべてを切り替えたように何もかも他人事。

死んだ兄弟のことは脳裏にも浮かばない様子にジンの興味も深まるばかりだ。

そのもの好きぶりは一端、ねぐらに帰り肉体を纏って再び現場に舞い戻って来たほどである。業者には自由に出入りしてもらうように手を打つことも忘れなかった。

手回りの荷物はすべて車のトランクに押し込んだ。その車も近くに停めてある。

そうしてまで朝から爆発炎上、身許不明死者一名、不明者3名の現場を見学しているのだ。相変わらず、魔術の行われた痕跡、同類の悪魔も天使も関わった気配すらないのは言うまでもない。

消えた霊能者の手がかりも、目撃した小人の痕跡も勿論ない。

 

ジンは携帯の会話を盗み聞くことも怠りない。

声の波長は同じ、兄弟だろうと辺りを付けた。

『・・連れてくるそうだ。』「対象か?」『いや、違うが使えるかもしれない。』

「わかった。」

電話を切った私服警官は持ち場を離れ、人をかき分けた。

同僚にはトイレに行くと言って代わってもらうのを聞く。見張られているとも知らず、ジンの脇を抜けて行く。ジンも即座に後を追った。

人混みを後ろに残し、どんどん人気が少なくなる公園の方へと歩いて行くようだ。

辺りには警官が溢れていたが、腕の腕章がなければ私服の彼はもうただの私人としか見えないだろう。確かに彼が向かう公園にはトイレがある。しかし、彼はそんなものには目もくれない。人が待っていたからだ。

吉井警官は電話の相手と合流する。予想通り相手は今朝方別れた同じ顔の兄弟だった。向かい合う3名はみな同じ顔だ。

『犯人が現場に戻るって言うのは本当さね。それも雁首揃えてずうずうしいこった。』

昨夜の共犯同士。打ち合わや、口裏会わせ色々やることもあるだろう。

しかし、彼等が待っているのがどうやら誰かを連れて来るというもう一人の兄弟らしいのを知ったジンは呆れた。

『なんだ、こいつら。いったい何人いるんだか。』ジンは4つの同じ顔を遠くから眺めて首を傾げた。『こいつらには魔術の香りはない。と、言うことはだ・・昨日死んだヤツも入れて5つ子としてだ・・・まだ、他に兄弟がいるのかね。多産系犯罪者一家か。家族ぐるみの犯罪とはまったく恐れ入るさ?あとはあっちとの関連さね』意味深な笑いである。『案外、俺の予想通りだったりしてね。』ジンは何を知っているのであろう?

4人のうちの2人がその場を離れ近くの公園の中へと入って行く。彼等は公園を通り抜け、その場に停めてあった灰色のカローラに乗り込んだ。

同時に残った2人にも黒い大きなランドクルーザーが近づく。

顔を出したのも同じ顔。

「おいおい、嘘だろう?」

『昨夜、1人死んだはず・・・ってことは6つ子なのかい?!』

さすがにジンですら人間の一卵性の6つ子が大変珍しいことはわかる。

そしてさらに降りた男にうながされて・・・

車から降りて来たのは岩田香奈恵だった。

 

 

           ジンと香奈恵

 

「ジンさん?」

車から降りた香奈恵は走りよって来た男の顔を見てあっけにとられた。

突然自分達の後ろから現れたジンに警官と男は憮然とする。

私服警官が腕章を付けた腕で香奈恵に近づくジンを手で制した。

「なんだ、お前。関係者以外は入ってくるんじゃない。」

「こ、この人、関係者です!。」考えるより先に香奈恵は叫んでいた。

「この人は、ぎ、義理の父になる予定の人なんですからっ!」

さすがのジンも喜びよりも先に言葉に詰まった。

おい、それでいいのか?その顔にはそんな表情が浮ぶ。それを見た香奈恵も『仕方ないでしょ!今から口裏を併せてよね!』と表情で返した。『本気じゃないから後でいい気にならないでよね!』と。

それはわかったとうなづくとジンは成り行きまかせに同意する。

「えっとまぁ・・・そういうわけで関係者さね。」

ジンは警官の腕を軽く押しやり香奈恵へと近づく。後ろから現れた鳥屋あきらが目をまん丸くしてジンを見ているのに軽く会釈するのも忘れなかった。

「いやぁまったく!偶然さねー。香奈恵ちゃん元気そうでなによりさぁ。寿美恵ちゃんが心配してさ、暇があったら様子見てくれなんて言われてたんだけどさ。」

ここまで言うと覚悟を決め、振り返って警官ともう一人を交互に見た。

「勿論、のこのこ顔出して娘ッ子2人の仲良しお友達旅行を邪魔するなんて野暮はしないわけさね。」向かい合う男達はニコリともしない。無言の彼等を前にしてただ一人、何ベラベラしゃべってんのと言う顔の香奈恵を今度は見た。「ただ、まぁ、着かず離れずって胸中はさ、そういう気持ちはそこはかとなくこっちにいても持ってたりしたわけでさ。したら、まあ、夕べの大騒ぎさ。うちのヒルズマンションからも炎が見えたわけさ。これはいったい何事が起こったのかとまぁ、起きるとすぐ駆けつけて見たわけよ。そしたらばだ、俺っちの日頃の思いが天に通じた訳かここで偶然、おっかさんから託されていた2人を見かけたってわけさ。こりゃ驚いたのなんのって!。まったくなんだ、香奈恵ちゃんも野次馬ってわけさね。こりゃ、俺達、未来の親子としてはすっごく気が合うんじゃねぇかと今は俺は思っているわけさ。」

香奈恵の目だけでなく口元もどんどん不機嫌になって行くがジンはここぞとばかり、並んだ同じ顔に協調する。そのどちらの顔に変化が現れないことを確認する。

「そういうわけで、長々と説明したわけだけども俺っちはこの娘達の保護者ってわけさ。以後、お見知り置きを。どういう事情かどうかわからないけどさ、以後この娘達への話は俺を通してってことで。お話は一緒にうかがおうってことなわけさね。」

3人の男が目を合わせた。

『どうする?』そんな困惑とジンへのぶっそうな思惑に感情が押しつ戻されるのが手に取るようにわかる。人目は少ないとは言え、白昼の公共の場で強硬なことはできまいとジンは計算している。

そして、彼等があることに気付いていないということが、先ほどからのジンが思わせぶりに自身につぶやいている疑惑が今や確信に変わりつつあった。

「わかりました。では、どうぞ。」

あきら、香奈恵、ジンが後部座席に乗り込むと男達はしばし3人で何かを話し合っているようだ。それは車内には聞こえて来ない。ジンも耳をすます余裕は今はない。

「ちょっとぉ。」香奈恵が詰め寄ってきたからだ。「あんまし調子に乗んないでよね。」

「わかってるってさ。」ジンは目を細め、香奈恵を見る。

「あんた、あいつらが怖かったんだろ?国家権力だけどなんだか剣呑な相手さね。」なにせ、昨夜の事件の犯人なんだから。

「うん。そうなのよ。」香奈恵は思わず素直にうなづいていた。

「なんだか、おかしいんだ。最初はここに譲兄ぃ・・・ジンさんは会ったことないけどママリンからは聞いてるでしょ?私の兄貴。その譲兄ぃがさ、行方不明だっていうから仕方なく付いて来たんだけど・・・。この事件のまるで犯人みたいなことも言うし。譲兄ぃは友人にそそのかされただけだとか、その友人に拉致されたとか・・わけわかんない。だから、まだ山梨には電話させないとか。でも、そんなことってある?そもそも、兄貴がこの爆発事件の犯人だなんてありまず得ないわけだし。」

「それは絶対にありえないさね。」ジンは力強く請け合う。

「犯人は別の人間に決まっているから、安心しているがいいさ。」

兄貴の、友人?また登場人物が増えたらしい。いささか悪魔ですら当惑する。

「あの・・・」あきらが香奈恵の前に身を乗り出した。「ジンさんですよね、寿美恵さんの彼氏の。」香奈恵が脇腹を突くがあきらは応えない。「私、鳥屋です、鳥屋亜綺羅。」「おうさ、初めましてさね。香奈恵ちゃんをよろしくさね。」「んもう!」

今朝からの心労に加えてあっちを付いたり、こっちをついたりして香奈恵は疲れ果てててしまいそうだ。

「ねぇ、見てよ!」あきらが素っ頓狂な声を出す。

「よく見るとあの警官とあいつ、同じ顔じゃん!」

「げっ、本当だ!もう一人の背広のやつも!いったいどういうことよ?」

「ふん、3つ子ってことさね。」ジンは鼻の頭をかく。6つ子らしいとは言わない。

「それよりも、あの皮を着た男は警官なんさね。あんた達を連れて来たやつも警官なんだって・・・そう、言ったんかい?」

「うん。そう言ってたけど・・・」「怪しいもんさ。」ジンは考え込む。

6つ子のうちの2人がなんて出来過ぎも出来過ぎ。仲間内で話題にならない方がおかしいが、他の警官は知らないようだった。それにこの間のこともある。

最初の警官の電話の相手、2人目のビシッとした背広に身を包んだ男が近づいて来た。昨夜からの警官とは別にジンが先ほどから注目しているのはこの男だ。残る2人は更に密談を続けている。「あっ、乗って来るよ。」

「どうも。初めまして。」既に見飽きた悪相がにこやかに助手席に滑り込む。

「わたくし、弁護士の吉井と申します。」

大きな体を捩るように小さな名刺を保護者であるジンに向け差し出す。滑らかな喋り方だが、無口な兄弟と同じ顔と体格。しかしその顔には確かな知性が感じられるので他の兄弟とは印象がかなり違う。声も他の兄弟よりも明瞭で美声だ。

ジンはわざとらしく首を傾げつつ、心底それを面倒くさそうに受け取り読み上げた。

「吉井隼人・・」いつの間にか、運転席には別の男が乗り込んで来ている。

『こいつ・・・』ジンは名刺に目はやったまま、そちらに咄嗟に集中する。

こちらの目を盗んで上着を取り替えたのだろうが、ジンにはその男が昨夜、1人だけこの場に残った男。最初から自分が見張っていた警官だとすぐにわかった。


スパイラル・スリー 第七章-2

2014-03-12 | オリジナル小説

          岩田香奈恵の冒険

 

 

その未明から数時間後。高輪からかなり離れた小平。

『なんだかなぁ』と香奈恵は呟いていた。

「香奈ちゃんの兄ちゃんて、ずいぶん古いアパートに住んでんだね。」

隣に立つあきらちゃんが香奈恵を浮き立たせようとテンションを上げたのがわかる。

「なんつぅか、趣があるよ。そう、趣!4丁目の夕日みたいなさ、昭和の香り。ほらほら、猫が寝てるし・・・可愛い・・あっ、」一階の張り出しに寝ていたその白猫は香奈恵達の立てたガンガンという足音にさっさと逃げて行った。

古い割りには手入れが行き届いてる感じがあるのがまだマシだと香奈恵は気を取り直した。隣の住人が二階廊下に並べた鉢植えも枯れたものはひとつもない。ただ、時期的に花がなく、葉も残念ながらやや紅葉?している。枯れてはいない。

「・・・一番、奥みたいね。」部屋番号を確認しながら香奈恵は昨夜泊めてもらったあきらちゃんの従姉妹さんのマンションを思い返した。あれぞスタイリッシュ、あこがれの東京ライフだってーの。高層マンションの12階だけど夜景の眺めは充分に素晴らしかった。従姉妹さんの手料理を食べながら、ちょっとばかりシャンパンなんぞを1杯だけ貰ったりして。手に持って窓に凭れた姿をお互いに携帯で取り合った。お風呂あがりに用意して貰ったガウンを羽織って髪もアップにしたりして。手料理もおいしかった。ビシソワーズなるものを作れるのだあきらの従姉妹は。メインは子羊のなんたら。温野菜のサラダにソースをかけて。デザートは青山の有名店のケーキ。素晴らしかった。従姉妹さんの仕事の話なんぞを聞きながら食事をし大画面でゲームをし(テレビでよく観るだれそれ先生と能登半島の旅取材に行った話とか。旅行社のパーティに韓流スターが来た時の写真だのを拝見しつつだ)従姉妹さんがし残した仕事を片付けると仕事部屋に引っ込んだ後はふかふかの羽布団で従姉妹さんが普段使ってないと言う物置部屋(とんでもブランド部屋だっていうの)の床で2人寝たけれど気分は最高のままだった。最高のまま目覚めた2人は、従姉妹さんの出社を見送ると昨日行ったディズニー関係の土産物を荷造りし、それを一足先にコンビニで発送した。実は従姉妹さんからはもう1泊してもいいよと誘われていたのだ。そこでその旨を早速、昨夜母親の携帯に送りつけると迷惑をかけるんじゃないよとの了承を受けた。吉祥寺に行くか下北に行くか、恵比寿かそれとも秋葉原かと寝る前に散々迷ったあげく・・・香奈恵はひっそりと心に思っていた計画を実行したいとあきらに告げたのであった。

ずっと会っていない兄に自分は会うということだ。

兄が大学に入ってから6年間、母とすら電話で数語しかやり取りをしない兄であったから、香奈恵も気恥ずかしくて電話で長々と話すと言うことは少ない。一方的に香奈恵が近況を話すのを兄はうんうんと聞いている。もともと歳が離れていたこともあるので、特に仲が良いという感じでもない。自分がもの心ついた頃には兄は既に高校生で大人で勉強と称してその頃空き家だった離れに引きこもりがちで何を考えているかさっぱりわからなかった。笑顔を見せてくれることも滅多になく、ついつい、いつも話しかけるタイミングを逸してしまうのだ。年賀状だけは欠かさず香奈恵は送り続けたが、忙しいらしい兄からはお返し年賀が松の内を過ぎてやっと届くのが常だった。これじゃ完全に妹の方からの片思いだ。

ただ、昨年の暮れのいつもの電話で香奈恵は大学受験の不安を相談した。その時、兄は割と親身になって様々なアドバイスをしてくれた。

そのことに勇気を得て香奈恵は今回、兄に会おうと思い切った決心したのだった。自分も大学に入学が決まった・・成長したと言うことを見せたい気持ちがある。出版社に入った兄がどんな大人になったかも見てみたい。そして少しだけ、なじりたい気持ちも。私はいいさ、だけど、もうちょっとお母さんに顔見せなさいよ、お母さんだって寂しがってるんだからさぁとか。言ってみたりして。

そして。

あとさ、お母さんがもしかして再婚とかするとしたら譲兄ぃはどう思う?どう、思うのよ。いったい私は、どうしたらいいんでしょう?だって。

だって、相手は悪魔なんですけど・・・って。

これはさすがに仲良しのあきらにも言っていない。言えるわけがない。ただ、あきらもというか村中の誰もが母の寿美恵のいる『竹本』に来る客のことを知っている。

その客は何度も来ていて長く逗留する。そして連泊している間、必ず寿美恵とスナックで飲んだり歌ったり、昼間はあちらこちらに仲良く『観光』とやらをしている。これで話題にならないわけなどなかった。

その辺はあきらにも興味津々で散々聞かれているのだが、自分は2人の再婚には断固反対なんだとしか香奈恵は言えない。

あきらには『香奈ちゃんってファザコンだったの?子供なんだね。』と笑われてしまった。

香奈恵が東京の本命志望大学に落ちた後に浪人を拒否し、神奈川の大学に妥協したことすらも『もしかして家から通ってお母さんと神さんの恋愛を邪魔するつもりなんでしょ?!』とまで言われたが香奈恵は言い返せなかった。実際の主な理由は経済的事情や、はやく仕事に付きたい気持ちなのだが、あきらの揶揄も半分は当たっていたからだ。

香奈恵は真剣そのものなのだ。母親が正真正銘の悪魔なんぞと結婚することを誰が祝福できるだろうか。例え、その悪魔が無害だとしてもだ。無理を承知でその辺りをどうにか兄の譲に相談したいと言う気持ちが大変大きい。あんなマニアックな本(いつも伯父さんに大月で買って来てもらう)を作ってる兄なのだから、案外話は通じるかも知れず、つうじなくてもだ、兄の勤めている怪し気な出版社ならその辺の何か良いアィデアとかあるんじゃないだろうか、

兄に会いに行きたい、だから別行動をと言い出した香奈恵にあきらが予想外の反応を見せる。

「譲にいちゃん!?もしかして、私も会ってみたい!」そう、あきらははしゃいだのだ。「だって、香奈ちゃんの兄ちゃんってかっこ良かったじゃない!憧れていた子、結構いたんだよ。すぐ大学行っちゃったからさ、みんな諦めたけどね。」

「えっ?そうなの!」

面食いの香奈恵も自分の身内にはレーダーが働いていなかったものと思える。

香奈恵はかなり驚いたが、かなり安心した。1人で従姉妹さんのマンションのある三軒茶屋から新宿へ行き西武新宿駅まで歌舞伎町を歩き西武線に乗り替えて小平なる所まで行くのが心細かったのだ。

 

そして今、香奈恵は譲兄のアパートの前にいるわけだ。

従姉妹さんのマンションとはなんたる差だろうと嘆きつつ。

こ奇麗な古い趣のあるアパートなら東京までわざわざ行かなくたって山梨にだっていっぱいあるだろう。

東京に来てまで何もわざわざこんな庶民的な所に住まなくても。

兄の経済状態がちょっと気になる。連絡を取らなかったんじゃなくて生活が苦しくて取れなかっただけだったりして。

まだ、伯父さんに大学費用を律儀に返済しているって聞いているし。

「兄ちゃん、いるかな。」あきらにせっつかれて覚悟を決めてブザーを押した。

昨夜から密かに何度も譲の家や携帯に電話していたのだがさっぱり応答がないのだ。通勤前にいきなり行って驚かせるっていうのもいいかと思って来てしまったのだが。

「ひょっとして留守だったりして。」

時計を見る。午前7時だ。

駅から少し迷ったし、駅に向かう勤め人達ともたくさん行き違った。兄は行き違いにもう家を出てしまったのだろうか。

兄の仕事先に電話するのはさすがにはばかれたが・・・これでダメなら連絡するしかないだろう。何度も押す度に兄がいないという確信が深まり、ため息が出た。

今回は会えないのかな。

その時。

「あんたら、岩田さんの知り合いか?」

低い高圧的な声がした。振り向くとアパートの庭にいつの間にか人が立っている。

でっかいヒト。笑顔が取って付けたようだ。あきらが不安そうに香奈恵の腕に触れる。なにせ相手はこちらが引くぐらいガタイが良い。その上、人相があまり良くないと香奈恵は思う。『なんだか、この人って狛犬に似ている?』

香奈恵は寿美恵譲りの筋金入りの面食いだ。

『わざとらしいから笑わないで欲しいんだけどな。』

そうだ、だって狛犬は可愛いのだ。香奈恵はあきらの手をギュッと握り返す。

『どちらかというと、この人はお寺の山門にいる仁王像の方だ。』

男がのしのしと歩いて階段に近づいて来るのを見ながら香奈恵はあきらと顔を見合わせた。あきらの目は警戒心と不安が浮かんでいる。それは自分も同じだろう。男が階段を上がってくる。退路は断たれた。

「話を合わせて。」「ええっ!?香奈ちゃん」「しっ!」

香奈恵は我知らず心持ち腰を落とし構える。

「私達、あの・・・」香奈恵は取って付けたような笑みを浮かべる。

「『聖書研究会』から来たものです。」あきらが香奈恵の後ろに身を寄せた。

「先日、岩田さんがご興味を持たれたようですので・・」

「ほう?」重量感を持った足運びで近づいて来ていた男が立ち止まった。

「お留守のようですので、私達はこれで・・・」

香奈恵はあきらの腕を強く引き、男の脇を通り抜けようと断固とした足取りで近づいた。男が心持ち身を引き、通路を開ける。笑みを保ち男を顔を見上げないようにするのには大きな努力が行った。あきらも足を速めて続く。

「失礼します。」男の横を通り過ぎた瞬間。

「あんた、岩田譲が昨夜から行方不明なのを知っているか?」

「?!」足が止まってしまった。あきらも香奈恵の腕を強く引く。

「行方不明?」思わず、振り向き男の顔を見る。

「あんた・・」骨格のしっかりした顔だ。「岩田譲によく似てるな。妹か?」

ハンサムではないが印象に残るだろう。しかしなんだろう、どこか品がない。

よって残念ながら、娘2人には悪相にしか見えない。

「・・・行方不明ってどういうことですか?」香奈恵は警戒を解かない。

「あなた、誰?どういうつもりでそんなこと言ってるの?」身構えながらあきらを階段の方に押しやる。『あきらちゃん、携帯』いざとなったら逃がす用意だ。

あきらもすばやく携帯を構え後ずさった。「警察、呼びますよ。」

「・・・俺が警察だ。」

「嘘!」

男はジャケットから黒い手帳を取り出し金色の印の付いた面を見せる。

「中も見せて。」香奈恵が言うと、フフンと口の端で笑い開いた。確かに目の前にある悪相と同じ顔写真がそこにある。

「・・・納得したか?」

「どういうことですか?」どこかで納得はしていない。全面的にこの男を信じる気にはまだなれなかった。「説明してください。」

「あんたは岩田譲の妹だな。」高圧的な言い方にしぶしぶうなづく。「名前は?」

「・・・岩田香奈恵です。」男があきらの方に顎をしゃくる。

「友人です。」香奈恵は言い、あきらも「鳥屋です。」と小さい声で名乗った。

男が無言で近づくと香奈恵はあきらの方に後ずさり2人は階段へと近づく。

「兄が行方不明って・・いったいどういうことなんですか?」

「説明するから、車に乗れ。」

自分の容姿がこの2人の少女に無条件で恐怖感を与えていることが嬉しいのだろうか。何がおかしいのか、男は笑みを浮かべている。目は笑っていない。

「・・・どこへ連れて行くんですか?」香奈恵は逃げるようにあきらと階段を先に降りるが男もピタリと付いて来た。

「そこの路地だ。」道路側とは反対側に細い路地があり、その先に黒い大きな車が停まっているのが見えた。来た時に気が付かなかったが、そこからアパートを監視していたのだろう。

「覆面?」パトカーでないことに違和感を覚える。「張り込み?」

「偶然、通りかかった。」男は唸るように言い、2人を車の方に行くしかないように道路側に立ちふさがる。「乗れ。」

「・・・なんで1人なの?」

香奈恵はフィルムを張った中が見えない車に乗るのが嫌だ。

「普通、2人で行動するんじゃないの?」テレビドラマの知識だ。

「夕べ、高輪で爆発事故があった。」

2人がなかなか動かないので観念したのか、唐突に説明を始める。

「あった?」「ああそう言えば・・・」あきらが香奈恵の袖をつ突く。

「鏡子ちゃんがそんなこと言ってたかも・・・」香奈恵の表情を見て付け加えた。「でも、それって霊能者の基成勇二の家だったはず・・そんな大物霊能者、譲兄ちゃんとは縁がないよね?」

「その現場に岩田譲がいた。」

「えっ!」「譲兄ちゃんがっ!?なんで?!」

男はそれだけ言うと黒い車に歩み寄り後部座席のドアを開く。

「さあ、乗れ。」

「母に電話させてください。」

「それはまだ早い。」男は石のように無表情を向ける。

「死者は一人。まだ身許は不明だ。岩田譲の可能性は低い。余計な心配はさせない方がいいんじゃないのか。」

香奈恵とあきらは顔を見合わせる。

「あんたの兄は友人と逃亡した。」

香奈恵の背中に震えが走る。「逃亡?兄が何をしたって言うんですか?警察は?!」

知らず声がでかくなる。「大声を出すな。困るのはあんただ。」

目の前の警官はしれっと「だから、車に乗れと言っている。」

そして付け加えた。

「まだ、容疑は決まったわけではない。被害者も行方不明だからな。」

「どうした?先が知りたくないか?」

「じゃあ、ちょっと電話させてください。親にはしませんから。」

香奈恵は今まで躊躇っていた譲の仕事先の番号を押した。しかし、呼び出し音が際限なく続くだけで誰も出なかった。

「充出版か?」男がせせら笑う。「出やしない。そこの編集長も事情聴取の真っ最中だからな。」

「あきらちゃん・・」香奈恵の表情を読んだあきらが強く叫んだ。「あたしも行く。」

あの男の乗る車にあきらまで乗せたくはなかったが、1人ではもっと怖い。

「どうだ、決心がついたか。」

「・・・わかりました。」

男は2人の顔色をうかがうようにじっと見ていた。

「乗ったら・・・説明してくれるんですね。」

うなづく男に香奈恵は覚悟を決める。

手を握り合った2人が乗り込む。

男はドアを閉め、ゆっくりと運転席へと回り乗り込む。

エンジンがかけられた。


スパイラル・スリー 第七章-1

2014-03-12 | オリジナル小説

         7・悪魔とドライブ

 

 

デモンバルグであるジンは目の前の燻る廃墟を眺めていた。

本当は眺めているふりをしているだけだったが。

興味があるのは、目の前のただ1人だけだったからだ。

規制線のあちらとこちら辺りは警官と消防隊員と野次馬で足の踏み場もない有様だ。

救急車のフロント硝子にビルの隙間からやっと上がって来たばかりの朝日が反射している。回りの人々の息が白い。ジンもジャケットのポケットに手を突っ込み、これ見よがし白い息を吐いてみせた。暖かい缶コーヒーのアイテムだって持ってもみせよう。でもジン自体は最も古い悪魔と言われるデモンバルグだから本当はちっとも寒くなんかなかった。ただ、回りの人目と仮身の肉体を気遣っているにすぎない。

昨夜深夜、ジンが肉ならぬ身でここに駆けつけた時にここで死闘が繰り広げられていたことを誰が知ろう。

 

 

            伏魔殿の死闘

 

 

その鬼気迫る気配は数十キロ離れたジンのねぐらでも感じ取れた。

人間界でできる限りの豪奢と贅沢を詰め込んでいた部屋だが(勿論、悪魔はこの部屋の家賃をきちんと払っている)もはや捨てることになんの未練も浮かばないデモンバルグは引っ越しの算段をし終わった後だった。算段と言っても殆ど捨てて行くようなものだが、神興一郎名義で借りている以上、最低限の手配は必要であった。解約や査定、廃棄の手続き。仮の人の身をまとったからには色々な面倒くさい人の生業もついて回るのは仕方がないことだった。梱包された外国製の家具は明日にも運び出されるばかりになっている。ジンとしては豪華な巨大ベッドも別に本当に眠るわけではないので構わなかったのだが、購買業者の不信を煽らない為にそれだけをそのままにしてもらっている。おかしくない程度の引っ越し荷物は殆どのものは買い替えなくてはならなかった。ルポライターの身分にしては豪華過ぎたからだ。

新しい住処のおおよその当たりはついている。渡が以前に勧めた幽霊屋敷ではない。

ほどよく離れた土地の売りに出された別荘を手に入れる予定だった。

明日、神月に行ったら契約をしようと思っている。ジンとしては今夜がこのねぐらの最後の夜になるはずだったのだ。

深夜、11時。窓辺に立ち1人グラスを傾けていたジンであったが、ふとした折りに空中に放たれ空を走った尋常でない気の乱れを察知するやすぐさま、好奇心で一杯になり悪魔である本体1つ、虚空からその身を踊らせた。

続けざまに発せられる闘気に導かれるまま、場所はすぐにわかる。

そこはジンのいるヒルズからほど近い高輪である。

ジンは緑深い界隈の空中からそこをしばし、注視した。

その発信地もちょっと普通の屋敷ではなかったからだ。

人の目には見えない薄い膜が、ぼんやりと建物を覆っている。

『フン、なんだこれは?かなりきちんとした結界が張ってあるなんて堅気の家じゃなさそうさね。』電気を帯びた薄いシールドに覆われた先をフフンと見下ろした。

『大方、ヤクザか神経質な金持ちか、雇った坊さんにでもやってもらったってところか。相当、力のあるヤツだってことは認めてやるけど・・あいにく、俺っちには露程の効果もないって。残念ながら。これじゃサウナか炭酸水の温泉にでも行った方がましさね。その方がまだ、お肌の刺激になるってもんだ。』

悪魔は苦もなくその網目をかいくぐる。その間も心が逸る。

ただならぬ争いの気配にこそ、魔物の心臓はときめき続けるのだ。

肉塊を捨て去った最古の魔物デモンバルグ、ジンこと神興一郎は人と人の発する荒ぶる殺気の渦を手に取るように見もし、全身で感じ味わってもいる。

それは意識の奥の苗床、誰もが持つ暗黒意識から咲き誇る血の色をした華麗な赤い花。もしもワームドラゴン、ドラコやバラキだったらそう感じ、きっとそう表現したことだろう。アギュレギオンだったらどういうだろうかと、ジンは考える。

それもこれも屋根の明かり取りから、滑り込んだリングにすべて忘れ去った。

戦いは1対5。5人は巨人。

孤軍奮闘する1人もそれに勝るとも劣らぬ巨漢というか・・・巨大なデブだったのだ。しかもその巨大なデブが5人を相手に一歩も引いていない。

デモンはその戦場と化した地下1階を見下ろす特等席に陣取った。

その戦いは見た所、ほとんど無言で行われていた。黒装束に覆面の5人の男達は一言も発することはない。渾身の力で腕を振るう時の気合いの声も、相手にそれを躱され、あべこべに横腹に一撃を打ち込まれた時ですらも悲鳴もうめき声さえもない。ただただ、そこにはひたすら肉を打つ音と彼等敵味方6人の乱れた荒い息づかい、飛ばされた体が床に叩き付けられる音と音、弾かれた手刀が勢い余って柱を撃つ音、広いガレージの中の備品、工具、オイル缶、タイヤ等が倒れ散らばり壊れる音ばかり。それだけでも大した騒ぎでもあった。しかも、高級車のフロント硝子が卵の殻のように盛大にひび割れ、天井がひしゃげる。ミラーが折れて飛ぶ。カーマニアならギャアと泣き叫ぶような、かなりなもったいない有様が展開している。

その度にそれらのすべての動きがもたらす風に吹き抜けに下がったシャンデリアがシャンシャンと華麗な伴奏を奏でていた。

しかも。

ジンが見ているとそのデブの動きは5人の動きを封じる為のものであることが次第にわかってきた。巨人のうちの誰かが戸外の夜の闇へ、半分開け放たれたガレージのシャッターから外へと抜け出ようとするなり、たちまち他の4人を軽々と振り切ってそのデブはその退路を断つのだった。

「相手はわたし!」ようやく発せられた一言は息の乱れもない。その太い腕は軽々と相手を弾き飛ばす。「忘れないで!」

今の所、戦いの最中にデブが口にしたのはその2言のみ。

ジンは自分がちょうどこの建物に着いた時に入れ違うように、このガレージから走り去ったRV車のことを思い出す。

『あれがどうやら・・このおデブさんの逃がした仲間ってことらしいさね。』

ジンは吹き抜けに下がったシャンデリアの上でひとり、合点する。

外に発せられていた微量の電気はその中空の巨大な硝子と鉄の塊から放たれていた。

『この家の結界の発生源はこの電飾からか。どういう仕組みか、初めて見る面白い装置だな。これは硝子と鉄のただの飾りじゃない。ガラスに見せかけているがすべて曇りのない水晶だし、鉄も純度の高い銀と金とでメッキされてる。しかも外側からはわからないが内部には回転する仕掛けがあるようだ・・・強力な磁場を発生させる仕組みみたいだな。呪術と科学の複合ってことか。これを作ったのは・・・あのおデブさんなのかね?』

丸々と太った男が完全にこの場に馴染み、更に落ち着き払っているように見えるからだった。いわばホームの余裕のようなものが感じられる。対する5巨人はアウェイなのだろう。なぜなら、彼等の持つカラーがこの馬鹿でかいが華麗で繊細な邸宅にはまったく似合わない。そういったそぐわなさをジンは一目で見て取った。

ただアウェイ戦をものともともせず、次々と波のように果敢に躍りかかる巨人達は並の使い手ではなかった。少なくとも空手、柔道、キックボクシング等など、複数の武道の有段者のはずだとジンは考える。

自らの拳を凶器としてあくまでも無言で挑む男達の隙のない凶暴な動き。

それに対するおデブさん一人。これはいかなる体術であろうか・・相手のその拳を跳ね上げ、膝で蹴り上げ腹ではね飛ばし、肉を盾としてそれを打たせても、なんらたじろぐところがこの巨大なデブにはなかった。その豊満な肉体を独楽のように絶えず回転させ、休みなく形を変えて自由自在に跳ね回わる。バランス感覚は抜群でいかなる動きをとっても肉体の中心の軸がけしてずれてはいない。おそらく毛ほどのダメージも受けてはいないだろう。

それは優美でさえあり、まるで目に心地よい舞踏を見るようだ。

5人のパートナー達の群舞も少しも引けを取ってはいない。

ただし、彼等の発する波動はいずれも鋼のように黒く鋭く研ぎすまされ重い。

隠すこともないひたすらに混じりけのない殺意。血のように赤い花を散らす踊り。

それはドロドロとした暗黒舞踏だった。

発する波動もデブは違う。ジンが彼から感じるのは、限り無く雑念のない透明なクリスタル『無』の境地。彼の唯一の雑念は、極力相手に致命傷を負わせないようにすることだけのようだ。

『こいつはすげぇ!』ジンは目の前に展開するすべての動きに魅せられた。

『最近のアラブ成金の闇マーケットだってここまではいかないさ。ありゃ、ただのつまらない殺し合いだもんな。はるか古代、中国やインドにはこういうすげぇ武人がいて一生に一度見れるかっていう対決をしたもんさ。オリンピックなんかじゃ、けっして見れない、命がけの対人試合さね。そのレベルさ、これは。』

すさかず、特等席で舌なめずりをしていた。

『デブさんよ、手加減していちゃ、いつまでも力は拮抗するだけだぜ、これじゃあ決着が付きそうにねぇだろさ。果たしていつまで続けるつもりなんだか。』

シャンデリアの上から盗み見られていることを彼等が気付くことはない。

『だが、5対1であることは残念な事実さね。あの5人はさしずめアサシンってところか。殺しのプロの持つ気配と身のこなしさね。いづれも無尽蔵のエネルギーの持ち主らしいっていうのが気がかりっちゃあ、俺っちには気がかりさね。』

いつの間にかジンは戦いの片方に肩入れしているようだ。

『あのデブちんのスタミナがそれに匹敵していることを祈るだけさね。』

ジンが憂慮する状態に既に5人の男も気が付いたのであろう。

以心伝心、5人が瞬時に手にした刃物がまだ割れてなかった灯りにキラリと光った。

その動きの揃った不気味さ。

『さあ、どうする、デブちん?』

そういいつつ、気が付けばジンはシャンデリアの根元に軽く手を当てていた。

『俺っちの手助けなんぞ、いらないか?それとも・・・』

刃を見た一瞬のうちにデブの体は横に飛翔し、シャンデリアにずっしりと体重がかかる。見えざるジンの遥か真下をデブの指が掴んだ。その意図をジンは読み取る。刃を手にした5人の男達が競うように吹き抜けに身を投じるのと合わせてすかさず、ジンがその支えのワイヤーを全てを切り払っていた。

轟音とともにシャンデリアは市松模様のフロアーに落下する。

巻き込まれた何人かが身を捩り這い出すところを、空から巨体が襲う。

その有様にジンは宙を飛び、歓声を上げ、やんやと喝采を送った。

あろうことかデブの視線がふと上に流れた。

『そうだ、あいつ!』ジンはその顔に見覚えがあった。『テレビで拝謁したさ。ありゃ、確か霊能力者じゃないか。』ひょっと口笛を吹く。

『なるほどね、それでこんな豪勢な結界なんてものがあったわけだ。』

気になる何かが記憶の隅を過ったがすぐ消える。

つかの間、デブの動きが止まってしまった。その体重でもがく3人を押さえつけたまま、ぼんやりと頭の上の薄暗い闇に目を凝らしている。ジンが見えるのか?。

ジンは身を隠す手間を惜しんで空中からわざわざせせら笑って見せた。

『おい、俺っちの姿が見えればあんたは正真正銘の本物さ!俺っちの正体がわかったならば、聖ヨハネ級の予言者様にだってなれるだろうよ!』

霊能力者の注意がそれた間に、落下を間逃れた2人が掴まっていた手摺から身を翻していた。2人とも筋肉隆々の肉体。ガレージに並ぶ半壊した高級車の中から一番軽いミニ・クーパーに襲いかかった。ガソリンを注ぐ蓋を引きちぎり、その車体を軽々と手摺に抱え上げる。

ジンは天井から下がるきちぎれた電線を見た。いまだ通電し、露出した先から微かに火花が散っている。

「おい、デブちん!気をつけろ!こいつら、ガソリンに引火させる気さね!」

男が頭上に掲げたミニ・クーパーを玩具のように吹き抜けの下に投げ落とす。

デブは咄嗟に下敷きにしていた男のうちの2人を両手に抱えて転がる。ジンの目の前に今度は紅蓮の炎の花が咲く。空中で燃え上がった小型車がたちまち火だるまとなり、尾を引きつつ床に激突。第一の爆破がここで起こる。

『おいおい驚いたさね、容赦ない。仲間も道連れかい。』

その所業には悪魔も舌を巻くばかりだ。

ジンは一拍遅れの爆風から身をかわす。炎がガレージまで吹き上がり、その華麗な花弁以外、ほとんど何も見えなくなった。

しかしその時、炎の花弁の隙間から辛うじてジンは見た。

ジンだからこそ気が付いたのかも知れない。

炎に蹂躙された最下層の床の片隅に立つ小人。

小人と言っても背広を着たややくたびれた平均的な成人男性を1/5スケールで縮小したようなのっぺりとした平凡な顔だ。小人は眉間に皺を刻んだだけの表情の乏しい顔で上を見上げ、ついと後ろの壁に下り・・なんと、消えた。

ジンは我目を疑う。即座に地階に飛び降りる。その消えた壁へ。

『なんだ、今のは?!魔物なのか?!』

魔に属するモノならば、自分が何も感じ取れないはず等ない。

しかしその場の空気にも、勿論その壁にもなんの痕跡もなかった。

よく見れば、あのデブの姿も消えているではないか。ジンは呆然として炎の舌に嬲られた後の床に立ち尽くす。華麗だった室内の片隅でソファとグランドピアノが燃え、ひしゃげた車の残骸がキャンプファイヤーのように燻っていた。どこか遠くで火災警報のベルがなっている。

記憶の残滓が囁く。そうだ『魔族ハンター』。今流行のあの霊能者は確かそう称していたはずだ。大北組の幹部に身をゆだねた小悪魔はそんなことを言ってなかったか。

ジンはシャンデリアの残骸を見下ろす。回転する装置の中には空洞。磁場に覆われた牢屋だ。本気で魔物を捕らえておく仕組みなのか?大物は無理だが、小物なら一時的に閉じ込めることもできるのかも。

だが、この出来事とそれは関係あるのか。

 

 

           消えた霊能者

 

床には逃げ遅れた5人組の1人と見られる人間がまるでロウソクの芯のように燃えていた。顔を覆った布が焼け落ち、爛れた素顔が露になった。しかしそれが発する意識には恐怖も驚愕もない。闘争の最中に命を落とすのだと言う悔やみも。燃える男が死に至るまで辺りに発散し続けていたのは、敵を探し求めその血を願う純粋な闘争心だけ。果たして、そんな人間がいるのだろうか。妄執と言うか執念というか、腐敗した意識。ジンですら食あたりしそうだ。好むものではない。食えないにも程がある。

小人、消えたデブ、霊能者。ジンの困惑を更に深めた男の顔はやがて炎に飲み込まれ、体も次第に動かなくなった。その場にガソリンと人体が燃える匂いが充満しているのに、見降ろす男らは鼻を覆う素振りもない。

(消えた!)(俺の後ろにいたはずだ!)

生き残った3人はただ狂ったように消えたデブを捜しているのだ。そのあられもなく突出した意識が初めてジンに捕らえることができた。

『こいつらは互いに頭の中で会話をしていたってわけかい?』首を傾げる。『いったいどういう集団なのか?互いの放つ気の色が驚くほど似通っている。さしずめ同じ宗派か、常に行動を共にする部隊・・・それでもここまで阿吽の呼吸に至ることは難しいさね。』

(逃げ道は階段以外にない。エレベーターは封鎖してある。)(階段を使えば上にすぐにわかる。)(・・・まさか、瞬間移動?)

ジンは彼等の間に飛び交う会話・・念話にじっと集中する。

(バカな)(そんなことができるか!)

(しかしあいつは霊能者だ)(馬鹿らしい、まさか。霊能力などというものがあるわけなどない。)(そうだ、あいつはエセのはず。)(しかし・・)

ついに上に残った男達が諦めて手を振る。

(もういい!)(撤収だ。)

2人は即座に反応し手摺を猿のように這い登った。

あっと言う間に頂上に達する。仲間の死体には一瞥もくれない。

見送ったジンだけが、今だに魔術の痕跡を見いだせず踏ん切りが付けられない。

と、上からつぎつぎと車が降って来るではないか。

灯油やガソリンの缶までもが降り注いだ。

『こいつら、跡形もなくここを吹き飛ばすつもりだ。』

ようやくジンも撤退を決める。

安全圏にジンが脱出するのと同時に邸宅の地下では大きな爆発が次々に起こり、そして4人の男達が戸外へと走り出るのが見えた。

この時にはさすがに、隣家の窓が次々に開き住人が外へと出て来初めている。消防車やパトカーのサイレンもどんどん近づいて来る。

すばやく顔を覆う布をむしり取ると駆けつけたばかりの野次馬を装う4人の男。

その顔を見て着かず離れず付いて来ていたジンは驚く。

悪魔にしても、かなりな衝撃だった。

同じ顔が4つ。

そして、やっと納得する。

『こいつら、兄弟・・・5つ子だったのか。いや、それだけではないな・・』

阿吽の呼吸のことは説明が付いた。

『テレパシストの5つ子ちゃんか・・・ますますSFめいてきたもんだ。』おかしくて笑い出すが勿論、その笑いが地上に届く事はない。

『やれやれ・・せっかく不可侵を決めた俺だが・・乗りかかった船とも言うさ。神月に行くのも大事だが・・・今少し、付き合ってみるとするか。渡にゃぁ、ヒカリが付いていることだしな。俺よりは劣るがしっかり守ってくれていることだろうさ。』

そう言う間にも地上の4人は素早く一瞥をくれあうと1人をその場に残して散って行った。ジンは迷ったが結局、その場に残った男に着いて行くことを選んだ。

『どうせ兄弟ならまた、合流するのはたかがしれてる。気が進まないし面倒くさいしな。あっちを尾行するくらいならば、生きているのかどこにいるのか・・・本当は一番にあのデブちんを選びたいところだが。後を追おうにも・・・小人とともに消えちまったわけだから・・・しばらく、ここの顛末を見させてもらうとするか。面白くなりそうじゃないか・・・』

残った男も考えを堂々と露呈するタイプではなさそうだった。ただ、落ち着気払っているその気は感じる。死闘を演じ、兄弟の1人を失ったばかりだと言うのに。その点では申し分のない好奇心の対象だった。しばらく辺りをうかがうと男は近くに停まっていた車に歩み寄る。キーを取り出すと、運転席から皮のロングジャケットを引っ張り出して黒装束の上に羽織った。皮のスポーツバックも手にすると再び施錠した。そうするとその姿はその場にそれほどの違和感もなくなった。ジャケットから金色のエンブレムのついた黒い手帳を取り出すのを確認したデモンバルグは自分の選択が間違ってはいなかったことを知る。

『そうこなきゃ。こりゃ、面白くなってきたってもんだ。』

男は到着したばかりのパトカーに向い、急ぎ足で歩き出した。


スパイラル・スリー 第六章-4

2014-03-08 | オリジナル小説

           神月に戻って

 

さっきのはなんだったのかにゃ)ドラコは足早に駅方向へと歩き去るデモンバルグを見下ろす。アギュの指示により、今度はかなりの距離を取っている。

やくざものが二人、後を追って行くがあまりうまくはない。

(あのおじいちゃん、デモンバルグを掴えたみたいなのにょ。でもすぐ、放したにょ。これはどういうことにょ?あのじいちゃん、何者にょ?

アギュは深刻な顔で考え込んでいる風情だった。

なるほど・・・]アギュはつぶやた。[なるほど]もう一人も言った。

ガリュウのホウライと言いましたか。][聞きオボエがあるな。][はい。

霊能者かなんかにょ?)ドラコの問いにアギュはうわの空のようだった。

ウラ世界のフィクサーってとこですよ。]それでも一人が説明してあげる。[クロマク。たいては悪いヤツです。](ふ~にゅ。)ドラコはパチパチと瞬きした。(アギュは知っているのにょ~そのこと、ドラコに言っていいか迷ってるにょ?聞いてもいいのかにゃ?

ああ・・・]どちらかのアギュがやっと気が付いたみたいに[ボセンの方に、ここにいるチョウサインから要チュウイ人物とホウコクされていたヤツだ。表にナマエが出て来たのはここ60年ぐらいだが。どうやらナグロスが会ったことがあるらしいぞ。

ってことは密航者なのにょ?)[かもな。

面倒くさいヤツが面倒なヤツとセッショクした。こっちはオレ達の担当ではないはずだっていうのに。][狭いホシの上ですからね。]アギュレギオンのため息を聞きながらドラコは状況を自分なりに整理しようとする。これは母船の担当ってことはガンちゃんがあれこれ頭を悩ますことにはならないってことにゃ。でもデモンバルグはアギュの担当だから・・・ひょっとするとひょっとするにゃ?ガンちゃん待望のきな臭い話とアクション担当大活躍の予感にょ!

[もういいですか、ドラコ。」唐突にアギュが切り替える。

「・・・ジンはジタクとやらがあったとしてもまっすぐ帰るかわかりませんし・・・オタク訪問はまた今度にしましょう。]ドラコも気持ちを切り返す。

処理すべき情報が多過ぎる。何も見なかった、聞かなかったことにしようっと。

(ドラコ、悪魔が昼寝したりテレビみたりしてるのとっても見たかったのにょ・・・すんごく残念なのにょ~)

そう未練を滲ませるドラコを促すとアギュは新宿の上空から後退する。

ドラコもそれに従った。

 

 

アギュとドラコ。2人は神月の屋敷に戻った。実際、アギュは疲れていた、自身がいくらかやつれたようにさえ感じる。ドラコの言う、お腹の空いた状態なのかもしれない。ドラコの方は今だに空いてなさそうだが。

(今度は香奈恵ちゃんの様子を覗きに行くのはどうにょ?)

飽くことないドラコにアギュは首を振った。

[それは・・どうでしょう。若いお嬢さん達が親元を離れて自由奔放な振る舞いに及んでる所業を覗き見てもねぇ・・・なんだか、マナー違反な感じがしませんか。嫌らしいスケベゴコロからだと誤解されかねませんし。]

(確かにのにょ~。ガンちゃんに知れたら怒られるのにょ。香奈恵ちゃんに知れたら殺されるのにょ~。それにジンと違って確かに刺激がないにょ。基本、竹本にいるのと変わらないに決まってるのにょ。)よく考えたらあまり旨味もなかった。

[では、私は・・部屋に戻ります。この間もですが、ユリは直感でワタシが何かおかしいのをさっしている気がします。それにあんまり頻繁に自分を拡散していたらそのうち、カラスやタトラにまで気付かれるかもしれません。]

そしてもっと面倒なものにもだ。小惑星帯にいる母船。先ほどから話に出ている母船の部隊は筋金入りのニュートロン達であり、アギュよりは下位にあるがイリト・ヴェガ直属の指揮下にある。すなわち、アギュ達上陸部隊の監督者だった。

(わかったにょ。ほんのちょっとでも隠密潜航作戦は楽しいにょ。今回もガンちゃんには秘密なのにょ。アギュが、試したくなった時はガンちゃんからも付かず離れずにドラコがお供できるのにょ。)

[またお願いしますよ。お互い釣り合った丁度良いメモリーみたいですから。仲良く、訓練しましょうね。]

(この次こそ、デモンバルグの裏の私生活を暴くのにょ!楽しみにょ。)

あくまでガンちゃんとの契約の範囲内でと思いつつも、ドラコはほくそ笑んだ。

(だけどにょ、アギュがガンちゃんに悪いことしたらすぐに通報するのにょ。その辺は容赦ないのにょ。それは言っとくのにょ。)

[・・オレがガンダルファに言いつけるって可能性もあるぞ。]

意地悪そうな顔のアギュがベッドの上で物理的肉体と密度を濃くして行く。

(にょ?)それを見守り、ドラコは再び首を傾げていた。

(やっぱり、アギュはちょっと捕らえ所がないのにょ~)

 

ガンダルファは自分の相棒がのそのそと意識の隅を横切るのを感じた。

『おい、遅いご出勤だな。』

(にょ~)ドラコは洗濯機にタオルを入れていたガンダルファの肩の後ろから出現する。子供達は既に洗面所から服が乾くまでと台所に向かって姿がない。お菓子と飲み物をあさるつもりなのだ。

天使とタトラが引率していくのをガンタは見送ったばかりだった。

『いつまで寝てんだよ』(寝る子は育つと言うにょ?)

『おい、アギュはどうしてる?』(どう?どうって、ドラコ知らないのにゃ)

『じゃあ、そろそろ起こして来いよ。』ガンダルファは蓋を締めスイッチを押す。

『いい加減、ガキンチョの相手をしてもらわないと。オレらばかりこき使われてさ。』

(そうにょ~)『なんだよ、早く行けよ。』

(もう、アギュは来ると思うのにゃ。たぶんにょ、きっと来るにょ。)

『起こして来いって言ってるだろが。天使の野郎がしきりにまた、アギュを気にしているってタトラが意識下で言うんだよ。面倒くさいから起こして来い。』

(言わなくても来るって言ってるのにょ~)

なんだか、後ろめたいドラコであった。

確かに上で床が軋む気配がする。『起きたのかな。』ガンタが天井を見上げる。

(起きたのにょ。だからもういいにょ~?)

いそいそと消えるシッポをガンタはブスッとして見守った。

なんだ、あいつ。アギュを起こしたくないのか。まぁ、アギュが好きってわけでもないだろうからな、でも。なんか変だと思ったがすぐに忘れる。

台所から聞こえて来る騒がしさの方が気になる。食器がまとめて落ちて割れたようだ。なんだあいつら、またなんかやらかしたのか。まったく、なんて目の放せない手間のかかるガキどもだ。天使とタトラじゃ、手に負えないのかよ。俺がいないとダメか? まったく、休ませて欲しいよな。お手軽な任務のシドラがうらやましぜ、ほんと。温泉なんか枯れちまうといいのに。

そうブツクサ言いながら廊下で足を速めた。

 

 

           アギュと418

 

アギュはベッドの中で自分の重さを感じながら目を開いていた。

壁の時計に目をやる。1分、いやおそらく1秒も変わってはない。この方法にはまだまだ、慣れが必要そうだった。それにしても。

アギュは身を起こす。先ほどの意地悪な影が少しその頬にある。

「ジンはほって置いて大丈夫だ。」

「大丈夫でしょう。」すぐにもう一人のアギュが答える。アギュの中に解け合ったカプートと呼ばれたアギュレギオン418。ユリの本当の実の父親である。

「ジャマにはならない。」とアギュも確認するようにつぶやく。「の、はずだ。」

「カレはまだ、ワタシ達のハアクできる範囲内にいますから。例え、何かあってもタイショできますよ、イマは。」

そうだな・・・とアギュは眉を寄せた。

「テンシも同じです。カワイソウに一生懸命、毎日毎晩ワタシ達を見張ってて。カワイイものじゃないですか。」床に足を降ろす。

「それよりも、問題はキライムラの方か。」

「ムラビトが隠れているバショはシドラ・シデンにも既に見当がついていますが・・・」

「・・・ガリュウのホウライか。ホウライはおそらくシンカタイ。」肉体が見を起こす。「ムラとは深いカンケイがあるようだな。」

「そう、ホウライとキライリサコ。ホウライは近いうちに、ボセンからハイジョされるはずだ。」

「そしてミズラ。」アギュは早口になる。

「そうミズラ、アイツだ。村の方はあのワカゾウが指揮をとっている。もしも本当にヤツもシンカタイだとしたら・・・」

「ウチュウクウカンではなく、ワクセイ上で産まれた始めてのジレイということになりますかね。」

「ヤツがケイショウシャではなく、オリジナルであるというカノウセイもな。」

「疑うんですか?」

「オマエらしくもない・・・ケンショウもせずにアタマから信用しようなどど。単純なガンダルファと一緒じゃないか。」

「いいじゃないですか。もしそうならば、ダイハッケンですよ。おマツリです。もし、ワレラの偉大なる上司、イリト・ヴェガがあのワカモノの存在を知ったとしたらフフフ、感謝感激、泣いちゃうかも・・・報告しますよね?。」

「ふん。」アギュは鼻で笑った。「オレがわざわざすることない。もうそろそろ、知ってるんじゃないのかな?」

「600光年の同調・・・知ってますかね。」

「さあな。とにかくあのムラビトがボケツを掘ったのはマチガイない。こうなったらダレもカレも捕まえシダイ、ケンサ対象だ。レンポウのケンキュウジョに送り込んでやる。」

もう一人は目に見えて逡巡する。「そんな・・・それをワタシ達がするのですか?

ケンキュウタイショウでしかないワタシ達が。」

「ジョウダンだ、418。」

アギュは滑るようにドアへと向かった。

「オレがそんなことすると思うか?レンポウなどクソくらえだ。」

「ただ、そのことをカレラに伝えるスベはありませんね。」

アギュはため息を付いた。

「もうやめましょう。ガンダルファはユリ達に手を焼いてるし、ワタシ達を呼んでいる・・・」

「オレに子守りをしろってか。冗談きついぜ418、オマエに任せる。」

「わかりました。フロントマンは、ほぼワタシですから。」

しかし、ドアを開いたアギュの手はなぜか止まったままだった。

「ガンダルファ・・・ですか?」

418の問いにうなづく。

「ダメだ、やはりあのワカゾウ・・・シドラとナグロスだけじゃ手に余るヨカンがする。」

「それでは、ますます。」アギュが肩頬で微笑む。

「ベビーシッターがいりますね。」

「抜かせ。」アギュもガンダルファを追うように階下へと向かった。


スパイラル・スリー 第六章-3

2014-03-08 | オリジナル小説

           神興一郎始動

 

気が付けば、デモンバルグはその後を全力で追いかけている。それは轢かれかけた男が腹を立てて追いかけてきたと見えたことだろう。デモンバルグがあと100mほどに迫ったところで運転席と後ろのドアが開き物騒な雰囲気の男達が3人、飛び出して来た。大声で威嚇しハエでも追うように両手を開き、接近を阻止するように体を低くして突進してくる。もう一人も銃でも隠しているのかスーツの懐に手を入れたまま身を低くしドスの利いた声を響かせる。「なんじゃぁ、おまえはぁ!」その間にデモンは突進して来た男の肩を蹴るなり、その反動で飛び上がった。軽々と男を飛び越えたところで問答無用に繰り出された拳をいくつかかいくぐったが、すぐに後ろから羽交い締めにされた。

やり過ぎては元も子もないことをデモンバルグは知っていた。押さえられた男を引きずり、車に迫るが足に体にもう一人の蹴りが立て続けに入りデモンバルグは膝を折る。しかしその前にデモンはしっかりと車内を確認している。車の硝子は中が見えないように黒いフィルムが貼ってあるのだが、デモンにはすべてがクリアに見透せた。車内後部座席に残った男の白髪の後頭部。髪は後ろに撫で付けられ一筋も乱れがない。微動だにしない姿勢の良さが伺えた。あれが鳳来か。

デモンはもはや自分を取り押さえるというよりは躍起になって痛めつけようとしている2人の男の攻撃に耐え続けていた。この2人はかなりの使い手と見えたが、デモンバルグ自身に深い傷を付けることなど到底できない。ただ仮身の肉体のダメージは感じるので見栄えが悪いが相手を振りほどき、地面に転がった。顔の前で腕を組み、蹴りを防ぎ隙があればすかさず足で蹴り返す。事務所のドアが開き、新手が5、6人飛び出て来るのがわかった。入り口に隠しカメラがついているのだ。

「どうしたんですかい!」

その中には先ほどデモンバルグと言葉を交わした幹部の姿もある。

時間にすると5分も経ってはいない。

助手席のドアが開き、ちょっとタイプの違う男が降りて来た。

「おまえら、いい加減にしないか!」

低い声で一括する。デモンバルグを責めていた2人が渋々と動きを止める。

男が声の波長を上げた。「・・・と、ボスが申しておりますよ。」

「先生、もめごとですかい?」例の幹部がその男ににじり寄った。

その目がデモンバルグと合い、微かにうなづいたのがわかった。デモンバルグはすばやく立ち上がる。鳳来の後ろ姿は今だにピクリともしない。

「この男が何か?」幹部の男がおもねるように前に出て来る。

「いえ。うちの車がこの方に失礼をしましてね。」

そうにこやかに笑い返す背広の男はデモンバルグよりも背が高い。ラグビー選手のような鍛え上げた体をしている。男は息を切らす芝居をするデモンバルグへ向き直った。「お怪我はありませんでしたか?」

「先ほどはないが、今は怪我したかもな。」デモンバルグも不適な笑みで返す。

「私はこういうもので・・こちらのトラブルバスターをしております。」

それから後ろに視線をやり、打って再び変わった低い声でどなりつける。

「お前達ボサッとしてないで、さっさとボスを案内しないか?!」

飛び上がったのは大北組の舎弟達であろう、3人の用心棒も慌てて車に駆け戻る。先ほどからの騒ぎで、道を通る人もいない。みな、遠くでこちらを伺うと引き返すか、脇道に逸れてしまう。デモンバルグは浮け取ったその名刺を見ながら、一連の騒ぎの間焦ることもなく車内で傍観していたであろうその男の降り立つ姿に全神経を集中した。確かになんの感情も読み取れない、そのことを確認する為に。

鳳来に探りを入れた。入れ過ぎたのかも知れない。

油断した、っと思ったら既に引き込まれていた。しかし、咄嗟に逆らわなかったのは鋭い判断だった。

 

 

枯れた木のような男が立っている。骸骨を覆うように日焼けした痩せた皮が覆っている。拭けば飛ぶような骨格だとデモンは思ったが、それをさせない何かがある。それは、その目だ。ここは鳳来という男の意識の中なのだ、その空間では男の姿はエネルギーに対比して歪んでいる。頭の半分を占めるほどに、巨大になった目が炯々として鋭かった。

『ほう・・ここに引き込まれても尚、自我があるとはな・・』

珍しい展開ではない。

人間の中の一握り・・・優れた能力者、霊能者や超能力者と呼ばれているような人間だったならばこれぐらいのことを容易く出来ても不思議ではない。自分の意識を飛ばすこと。そして、それができる人間だったならその意識で相手の意識の一部、時にはそのほとんどすら捕らえ、自分に読み込む事も雑作もないのだ。そうやって相手に悟られずに、相手を探るのだ。

だから、デモンは少しも動揺はしなかった。

神興一郎の肉を纏ったデモンバルグの放つ気は普段は人間そのものと言ってもいい。大北組に巣食う魔族が神興一郎を魔族のデモンバルグと知っているのは過去にあった経緯の中での偶然のことだ。デモンバルグ自らが正体を語らなければ、今も知りはしなかっただろう。鳳来は自分が意識で捕らえた男が人間でないなどとは一瞬でも思いはしないだろう。しかし、用心に越した事はなかった。

『意識して探るものよ。何が目的だ。』

ここはこの男の完全なるホームグラウンド、いわば仮出張所のように自我から外へ肥大した意識である。この風貌は彼が自分に見せたいもの。本来の男の人相とは違うものであろう。相手が完全にリラックスしこの展開を楽しんでいるのがデモンには伝わる。上機嫌だぜ、鳳来の旦那。

「・・・驚いたぜ。」デモンバルグはなるべく本心から言ったと相手が感ずるように努力した。「あんたこそ、大した力だ。」

『霊能者か・・・』巨大な目の下の微かな切り込み、その口元が軽蔑に歪んだ。

『どこの組織から頼まれた?』

「頼まれはしない。」デモンは自分の意識を更に人間らしく偽造する為に努力する。

「俺はちょっと興味を持っただけさ。鳳来を人間じゃない、まるで本物の悪魔のようだなんて言う奴がいたんでね。あくまで噂話さね・・・それは本当なのかと思ってね。」男が不機嫌になった。

『ハッ!このわたしが悪魔風情だと?この鳳来が?・・それはいい。くだらなさの極みだ。悪魔などと言うものは霊と同じように人間の意識界が作り出す妄想に過ぎない。迷走する脳の作り出す単なるバグだ。わたしは人間だよ。確かに残酷さでは悪魔に匹敵すると言われたことはあるが。単なる例え話に過ぎない。フン、かなりな能力者かと思ったのだが、そんな戯れ言を間に受けるとはな・・・過大評価だった。』

デモンに対する評価は地に落ちたようだった。目と頭がどんどん大きくなり、反対に体はさらに小さく枯れ枝のようになっていく。

『散れ。この非礼は忘れてやる。記憶を奪われたいか。』

「あんたが引き込んだんだろ。俺にはどうしようもない。退散できるなら、こっちも願ったりかなったりさね。」

デモン自身よりも大きくなった両眼に戦く振りもだんだん疲れて来た。

「こっちも謝るさね。悪かった、命だけは助けてくれ。俺はちょっとした力があるだけの人間だ。そうさね・・あんたの否定する、まるで悪魔のようにね。」

恫喝され腰の引けた人間の姿に鳳来はやっと満足したようだ。

『仕える気があれば、使ってやる。』「それは結構。」

『自分を大事にしろ。この次は、ない。うるさいハエは潰されるだけだ。』

 

 

瞬間、ジンは自分の纏う肉の中にいた。名刺を見ている。

時間にして一秒の何分の一ぐらいの時間だったのだ。

鳳来がこちらに頭を振り向けるのがわかる。それはデモンにというよりは、目の前の男に一瞥をくれるような仕草だ。

目の前の自らをトラブルバスターと名乗った男がそれに応えるようにうなづく。

気は従順、服従。それを確認したかのように鳳来は痩せた体を先ほどの2人の用心棒の間に埋もれるようにして入り口へと進む。デモンには最後まで一瞥もない。

確かに現実でも鳳来は小柄だった。意識で形作る姿を見ていなければ、拍子が抜けるくらいの老人だ。背筋はまっすぐ伸び、歪みのない体はしっかりとした力強い足取り。年齢を感じさせない精悍な禿鷹のような風貌をデモンバルグは心に刻む。その目は普通サイズでも威力は変わらないだろう。

鳳来の背後を固めるように男達が追従していく。

『どうしたんですかい?鳳来の迫力に圧倒されたって顔ですぜ。』魔族にも先ほどのデモンバルグと鳳来の邂逅はわからなかったようだ。

ちくしょうがとデモンバルグは舌打ちし、名刺からやっと顔をあげた。

今や車の側に残ったのは名刺の男と大北組の幹部だけであったが、それも「お構いなく、こちらで話をつけますから。」と断固として言われて離れて行くしかない。

『その男も・・・鳳来の相談役だが・・食えない野郎ですさ。あんたならもう、既にわかったでしょうけどね・・・』クフフと言う笑いがデモンの頭に響き遠ざかった。

「で・・?」デモンバルグは舌打ちをして名刺を仕舞った。

鳳来の相談役も意識が読めない。

「あなたもなかなかのものとお見受けしました。」

ごつい顔とアメフトのような体格に似合わず、相手の言葉は丁寧で滑らかだ。表情に知性が感じられる。

「そちらのお名前を伺ってもよろしいですか?」

「ふん。もう、どうでもいいさ。」

正直、鳳来に肩すかしを食った気分だった。戯れに摘まれポイと捨てられた、それこそいらない名刺のように。

デモンはビルの入り口に未練げに視線を走らせる。

大北組の若いチンピラが立ってこちらを見ていた。門番と車係り、下っ端だ。

デモンは少々、わざとらしかったが咳払いをした。

「つまりだ・・・俺とした事が熱くなっちまったってわけだ。もう少しでひき殺されるところだったからよ。」

「その不愉快な思い・・・おいくらで忘れていただけますか?」

男は笑いながら、懐から分厚い財布を取り出す。

「いらないさ。」デモンはそれを押しとどめた。「しかし、」「それよりあんた達は、ヤクザってヤツなのかい?」デモンバルグはさりげなく「さっきの大将が、あんたらのボス、組長ってことかい。」「私どもはヤクザとは違います。」

今度は目が笑うが前よりも剣呑な雰囲気がジワリと立ちのぼった。

怒り特有の酸性の香りだ。意識は読めないが気が熱く吹き付けて来る。

「社長は公正な会社を運営しております。」

「公正ねぇ・・」風俗ビルを振り返った。

その仕草を見守る相談役の男は更にすっかい香りを全身から出し始める。

デモンバルグはその香りを吸い込んだが、味わう気にはまったくなれなかった。

「まあ、いいさ。俺も熱くなって悪かったってことでチャラにしてくれ。」

「それはまあ、それとして・・・あなたさまこそ、どういうご職業で?」

「マスコミの端くれさね。」「・・・マスコミですか。」

「じゃ、またもめないうちにさっさと行かしてもらおうかね。」

肩を押さえに伸びた腕を早さに勝ったデモンバルグが逆に押さえ返す。万力のような指の力だが、互いに負けてはいない。無言での力と力の押し合いがしばらく続いた。額に汗を浮かべた相談役が声を下げた。

「あとあと問題を蒸し返されると困るのですよ。そちらのお名前をお教え頂くか、お詫び金だけでも受け取っていただけるとこちらはありがたいのですが・・・」

「しつこいな。」デモンバルグは汗1つ浮かせていない。最後の力で相手の腕を弾き返す。腕を押さえた相手に「そんなことは誓ってしないさ。神かけて、いいや悪魔に誓ってもいいぐらいさね。」捨て台詞を吐きかけ背を向けた。

一瞬、相手の殺気が盛り上がり押し寄せてきたが・・・結局、攻撃はなかった。

しばらくデモンの後ろ姿を睨みつけた後で相談役が鳳来の後を追って行くのをデモンバルグは遠ざかる背中で全て見ている。

下っ端の2人が後をつけるように仰せつかったのだろう。尾行を始めたようだ。

正体を突き止めるつもりだろうし、あるいはどこかで痛めつけるようにとでも指令をだしたのだろう。撒くのも返り討ちにするのもデモンバルグには雑作もない。よってまったく気にしなかった。

「臥龍の鳳来か・・・」呟く。

鳳来こそが、その気になればすごい霊能力者としてあがめられ教祖になることも簡単だろう。パワーで言えばその辺のケチな占い師などとても勝負にならない。あの相談役自体もそれなりの力がありそうだ。おそらく、鳳来の組織の回りにはあいつの信じていない魔族どもが何人も潜んでいても不思議がない。

大北の幹部だけではない、鳳来とその組織が放つ暗い波長に惹かれ、禄を食む為に。自分の足下に悪魔が群がり、エサをたかってるというのにそういった観念がない鳳来はまったく気が付いていないらしい。当然、デモンバルグにも気が付かない。

大陸ではかなりなことを成してきたのだろう。

老いたりとは言え、まだ70前後だろうとデモンバルグは推察した。(デモンバルグにすらそういった個人情報を獲ることはできなかった!)鳳来がちょっとその力を使うだけでこんな小さな国の政治だったら思うがままに動かせる。

それが表に出ないでヤクザを操って遊んでいるとはもったいない話だ。

優雅な引退生活? それは果たして本当なんだろうか。

隠遁先になぜこの日本を選んだのか?。

「ちょっと様子を見てみるか。いや・・」しばらく考えたがすぐに首を振った。

「俺とした事が・・・どっちにしろこっちにゃ関係ない話じゃないか。人間界がどんなに乱れようが、死のうが神月が先だっての。」

渡に会う事がかなわなかった以前ならば、退屈しのぎに喜んで鳳来のもとに身を寄せたことだろう。そんなかつてとは事情が違っている。

やはり竹本渡が最優先のデモンバルグでなのであった。


スパイラル・スリー 第六章-2

2014-03-08 | オリジナル小説

         アギュ再び潜行する

 

その頃、神月ではアギュレギオンがドラコと2回目の潜航に挑んでいる。

話は2週間前から現在に戻った。

 

(今度はジンはどうにょ?)ドラコがワクワクとその名を口にした。

[ジンですか・・・]

(ジンは今、神月にいないにょ。家に戻るって言ってたにょ?それは本当なのかにゃ~ドラコ、悪魔の生活が見たいのにょ~)

[なるほど・・・]アギュはこの『果ての地球で出会った、ワームや自分にかなり近い生物であるデモンバルグのことを考える。

[それはいい。]2週間前のようにアギュの手触りがまた変わる。蒼く。

蒼は冷たくて、とても鋭い。真夏だったら心地よいのにとドラコは思った。

[面白いことを思いついた、ドラコ。アイツのシセイカツを覗き見してやろう。]

アギュはニヤリとするなり、すごいスピードで自分を変換しだした。慌てたドラコはこの前とは一変し付いて行くのがやっとだった。

油断したにょ。2週間で進化したのかにゃ?これがアギュの本当の実力にょ?能ある鷹は爪を隠すっていうやつにょ!懸命にヒレを動かす。ワームとしてもアギュは一級の素早さにょ!

すぐにデモンバルグが遠く真下に見えだした。デモンバルグは人間ではないが、仮の肉体を纏う今はその存在の仕方は人と変わらない。ただ、よく意識の触手を伸ばして探れば人としての仮のエネルギーの端が重く黒ずんでるのがわかるはずだ。ただ、そんなことをすればおそらく100%気付かれてしまうだろう。

(こんなに近くて大丈夫にょ? デモンバルグはドラコの気配わかるのにょ!)

言わんこっちゃない、神興一郎が上に目をあげる。眩しそうに。

しかし、そのジンの視線はすぐに下に戻ってしまった。

顔には不愉快そうな影が浮かんでいる。何かをブツブツと口は動かしているが歩みは止めない。ジンの回りの景色が流れるように後ろに流れて行く。

人混みのようだ。人間が現れては消えて行く。誰もジンを見ていない。

[コイツにはある程度ジゲンカンチ能力があるんだ・・・だけどコイツは自覚してジゲンを探ることはできやしない。意識してジゲンを切り返しているわけではないからな。]ドラコの見守る端からアギュが又、目まぐるしく変化する。

[・・・テンシ族とアクマ族の上にいるデモンバルグはおそらくシンカタイと匹敵するほどのカンドを持っているとワタシには思われますが・・・タダそういうジゲンへの自覚がない・・・そのチカラはいまだ目覚めてはいない状態なのです。ワームドラゴンの気配を感じとれるように、なんらかの気配を感じるテイドでしょうよ。こちらがカレのカンチするハンイに近づかなければカレには絶対にわかりません。]

アギュはここで言葉を切った。[でも・・・この間のあのキライミズラはまったく違う、8ぐらいのダッシュ空間を素早く切り返してオレを探知してきやがった・・・]

(あの時のアギュはすごい早かったのにょ。今回はそれ以上だったにょ)

慰めようと言葉をかけたが、アギュの方は既にジンのいる環境の方に興味を絞っていた。どらこは目をパチパチする。

(ここ、どこにょ?)

[さあな・・・]

意識的に対象を限定して次元を引き寄せると最初にはその対象しか捉えられず、それ以外の対象周辺は後からゆっくりと把握されていく。ジンの回りにわずかに見えていた光景がじわじわと広がり認識する対象の中に入って来た。

デモンバルグこと神興一郎が急ぎ足で歩いているのは巨大な繁華街のようだった。

(大勢、群れ集まっているにょ。なんで人間はこういうのが好きなのにょ?宇宙にもあったにょ。ガンちゃんはこういうとこいっぱい一杯、行ったにょ。寂しがりやにょ、ここってお姉ちゃんがいるとこにょ?寂しがりやが行くところにょ。)

[人のサガっていうのでしょうね。ドラコはワームだからわからないかもしれませんが](わかった方がいいと思うにょ?)[いいえ。]

そう言う間にも歩くジンの側には入れ替わり立ち代わり色々な男達が寄っては離れて行く。中にはアギュ達にもわかる剣呑な雰囲気を持つものもいた。

[ヨビコミっていうよりは・・・]アギュが感じたままを解説する。[ナカマって感じですね。顔見知り・・・マゾクもいるようですよ。]

(ふにょ~ん、結構魔族がいるのにょ?ここは人間の住処ではないのにょ?)

[こういう所はマゾクのエサになるようなイシキエネルギーがたくさん集まるんでしょう。]

アギュは探査モードを変えて見る方法を伝授する。ドラコにはすぐできた。

(これは・・・よくいう、オーラってやつなのにょ?通行している人達が出しているのは宝石箱みたいで色とりどりですごくキレイにょ。でも・・・場所によっては土留め色にょ。汚ったなくさい人間が溜まったところはちょっと嫌にょね~。)

ジンは躊躇いもなく、どんどん歩いて行く。よく知った場所なのだ。

(ジンの頭の中をちょっと覗いて見たらどうにょ?)

[それは容認できません・・・]

一瞬の空白。アギュはせせら笑っている。

[フン、今、回りのヤツラのシコウを読んだぞ。カブキチョウ・・・シンジュクだな。](にょ!あこがれにょ!目をギョロギョロさせるにょ?テレビで見たにょ!)

[ニホンのデントウゲイノウをやる人とはカンケイありません。ムカシはカンケイがあったバショかもしれませんが・・・いわゆるサカリバですね。]

優しい口調とぶっきらぼうな口調が入り交じる。

[トウキョウはジンが住んでると言いはってるバショだ。ロッポンギからは離れているがアイツには大した距離じゃない。大方暇つぶしか、メシ時なんだろうよ。アクマの日常なんてこんなもんだ。所詮、マゾクなどはジンルイの出すエネルギー、ハイセツブツを食べるようなソンザイなんだからな。所詮、とるにたらないヤツ、オレ達が見るカチなんてないってわけか。]

[でもデモンバルグは他のマゾクとは違うはずです。]

アギュの中のもう1人が抗議する。

[さっきも言いましたが、カレのジゲン能力はまだ未知数です。もしかしたらカレはワタシやワームに近いソンザイなのかもしれないのですよ・・・]

[フン。もしも、デモンバルグがオレの考えてる通りの存在だとしたら、ヤツには限界があるはずだ。オマエもわかるだろう?やつはココからどうあがいてもソトには出れない。大きなジゲンに出る能力などは到底ないはずだ。]

[でも、本当にそうでしょうか。][そうに決まってる。]

[でもまだわからないでしょう?もしかしたら・・・]

[もしかしたら・・・ヤツはウチュウクウカンにも出て行けると?]

[そう、ひょっとすると・・ウチュウジゲンに]ワレワレと共に。

そんなバカな、と思いつつアギュの心はかなり動いている。

それが期待とか希望とか言ったものに限り無く近いと感じて1人は動揺し、もう一人は声を出さずに笑った。

そこで初めて、ドラコが好奇心旺盛に自分を見ていることにやっと気が付く。

照れ隠しに、アギュは大げさにため息を付いて見せた。

 

 

          大悪魔と小悪魔

 

そんなこととも知らず、デモンバルグこと神興一郎は落ち着かなかった。

先ほど、心が泡立ったのだ。

仮に顕微鏡で覗き込まれた虫とかになったとしたら、その状態があんな感じだろうかと反芻する。それは自分でもよくわからない。その状態は一瞬で過ぎてしまったからだ。しいて言うならば・・・それは創造主、ロードが自分を見ている、そんな感じだ。そう思う側から否定している。そんなバカな。せいぜい、暇な大天使とかだろう。しかし、そう思うと余計に腹が立った。何見てるんだ!見るんじゃねぇ。そんな毒をしばらく回りにまき散らしてもみたが、当然返事などはどこからも帰ってない。いったい何を自分は警戒しているのだろうか。ジンは歩きながらしきりに首を傾げた。ざっと回りを探っても怪しいことなどない。

デモンバルグとあろうものが、ヤキが回ったもんだとも思う。

何しろ最近は悪魔たる自分ですら把握できない現象がてんこもりなのだから仕方があるまい。悪魔は気を取り直すと立ち止まった。

目の前に建つ雑居ビルに眉を寄せると、つくづくと眺める。

上から下まで。何度見ても風俗店が地下から6階までぎっしりと詰まったビルだ。

ビルのオーナーは所謂、その筋の人間。ほど近いビルの最上階に確か事務所があったはず。振り返ると500mほど離れたところにそのビルが見える。

デモンバルグが東京に居を定めたのは、彼の長年の獲物である『盾の魂』・・・その魂を持つ竹本渡という少年がこの日本に生を受けてからであるから・・・12年にしかならない。魂を狩って過ごして来た何千年、いや何万年にも当たるのかは当の悪魔しか知らないが、その年月から較べれば1ミリ程度の時間である。それでもデモンバルグにとってはつくづく退屈な12年であったことは事実。考えて見れば、デモンバルグがこの東洋の小国に居を定めたのが初めてであったということの方が不思議だった。それはこれまで彼の獲物がこの地に産まれたことがなかったということを示している。

そんな行きがかり上、仕方なく馴染んだ日本であり、東京であり・・・新宿歌舞伎町であった。もとよりこの界隈に巣食っていた魔族達にとっては魔族界の有名人、変人でも知れた『ご存知デモンバルグ』様が自分達の縄張りに出入りするなどは迷惑以外の何者でもなかったはずだ。この悪魔はつるむことを嫌い、同族に対して情け容赦ないことで有名でだった。ついこの間も、戦後からこの地に巣食っていた女悪魔『黒皇女』を同じく名の知れた大淫婦『シセリ』共々、葬り去ったことは魔族達の情報網によってあっと言う間に知れ渡ったばかりだ。

そしてその時に彼の『獲物』竹本渡の住む神月に暮らすという許可を渡の生活圏に偶然?居座った蒼きヒカリ『アギュレギオン』から、彼の知る古代の情報をやがて教えることと引き変えにして、やっとこさ手に入れたばかり。

悪魔としてはそこへ生活を移す為の人としてのアリバイ作りの為だけに一旦、神月を離れただけであった。今日、この新宿あたりを徘徊していたのは彼としては『見納め』のつもりのパトロールででもあったのだろう。

戯れにこの街の様々な恐怖を演出する側に手を貸しもし、それを味わったことも敢えて久しいデモンバルグであるが、懐かしいというような感慨はない。

寄せていた眉が更に険悪に寄せられた。

いつ来たのか、周到に距離をとった影が遠くから囁いて来たからだ。

『クフフ・・・あんたさんも暇つぶしにどうですかい?お一つ・・・中じゃ真っ昼間から騙されて面接に来た生娘を味見とやらの真っ最中・・・なんせ相手は4人だ、裂けたあそこの痛みと我が身の不幸に盛大に怯えてまくってる。4階の店ですぜ。』

「はん?なんだと」デモンは斜に構えた。「俺ともなると自分の食い物くらいは選べるのさ。おまえと違ってそこまで暇じゃないからな。おまえは確か・・・お忙しいヤクザの幹部様こそ何、昼間っからなに遊んでるんだ。」

『クフ・・幹部とは仮の姿で・・・それは、あんたさんと一緒だ。おれはただ、色々とおいしい思いができればいいだけなんでさ。』

「おまえと一緒にされたくはないさね。」

さっきから眺めていたビルを顎で示す。

「おい、勢力が、変わってないか。おまえのとこの大北組の持ち主だったはずだ。」

この影との付き合いは短い。デモンは名前すら覚えていないし、最初から覚えようともしていない。もっとも相手もそんな期待は最初からしていない。退屈しのぎの日々の手慰みに手を貸した悪事の数々。その幾つかがこの影と交差しただけのこと。

『色々ありましてね・・・』影は近くに寄ったが、警戒は解いていない。

「もっとすごいヤツが現れまして・・・前の組長はそっちの勢力下に入ったというわけでして・・・クフフフ」男は顔に傷があるわかり易い角刈りの中年男の姿を取った。体はガッチリとして筋肉質で目つきは下品で鋭い。冬でも開いた胸元から入れ墨の端が覗いている。デモンバルグは自分が神月に入り浸った日々を数えた。

「ふん、4ヶ月かそこらでか。そいつはすごいな。」

「外国勢力ですよ。ほら今飛ぶ鳥を落とす勢いの・・その、お隣のね。」

「大陸で巨大な利益を上げているやつらが、その旨味を捨てて、何が悲しくてこんなちんけな島国にまで手を伸ばすっていうんだ。」

「右腕に跡目を譲って、この国で新規蒔き直しって話だが、なんのことはない。どうやらもともと、そこの頭は日本人だったって噂ですや。ヤクザは引退しても悪戯が止められねぇってことで・・・玩具を手に入れて2、3年前から遊んでやすよ、この国でね。小さく手堅く年金代わりって感じだが・・・」

「故郷に錦を飾った勢いでここを遊び場にしちまおうってか。そんな奴にコケにされておまえんのとこの頭は黙ってみてたってわけか? シッポを振ってすり寄るとはな。任侠の意地はどうしたんだ、金で頬を叩かれて売り渡したか?」

「なにせ、そろそろ歳だしね。若いときは誰よりも勢いがあったが・・」

影は小さくため息を付いた。その男に惚れていたのかもしれない。

「ダメですや、もうからきし意気地がねぇ。穏便に息子にシマを譲りたいんでしょうよ。でも息子はとてもじゃないが、上に立つ器量じゃない。そこまで見越してるのはさすがだが・・・何、もうすぐ死にますよ、フフフ。」

「その跡目をおまえが継ぐはずじゃなかったのか。そりゃ、残念だったな。」

「とんでもない。」いまや影はデモンと並び立ち、得意げに首を左右に振っている。

「おれは強くて残忍なヤツについてその分け前を受け取りたいだけですや・・・」

「宿主を変えるってわけか。そりゃ、結構な話じゃねぇか。」

デモンは素早く鋭い一瞥をくれる。それだけで相手は顔を弾かれたようにのけぞらせた。「したが、なんでそんな話を俺にするってわけだ?」

相手の頬の傷の上に交差して鞭で打ったかのような筋が浮き上がったが、それを拭いもせず続けたのはさすが魔族だ。

「恐ろしいからですよ。」と囁いた。「新手のボスは・・・容赦がねぇ。」

「フン。恐ろしければ恐ろしいほどそりゃ、結構じゃねぇのか。おまえも魔族の端くれなら良心の欠片もないなど構うこっちゃあるまい?喜ばしくないのか。」

「躊躇いがなさ過ぎて、食い出がないわけでっさ。」

男は退場の時期を計るかのように後ろに下がる。

「あんたさんにわざわざこんなことを言うのは・・・臥龍の鳳来って男には要注意ってことなんでさ。こいつがこっちにきて真っ先に始めたことは・・・あんたも聞いたことがあるはずだ、ほら例のこの間摘発された臓器売買組織なんだが・・・実はその裏でもっとえげつないこともやっているんでさ。死体ビジネスだっていうから、おっかねぇやな。その全貌は俺にだって掴めやしねぇ。きっともうすぐ、何か大きなことをやらかすんじゃないかと期待しているんですや。ただし俺達が潤うかどうかは皆目予想がつきませんがね。大きい割りにはもったいないことをしそうなヤツでしてね・・・さっきも言ったようにまだ小遣い稼ぎのようなことしかやってないがね。勿論、あんたさんみたいな大悪魔には余計なお世話かもしれないけどね・・・アイツは俺ですら別の意味で恐ろしいってわけで。なんだか感情が俺にもてんで掴めない。予想がつかないんですや。まるで人間じゃないみたいなんでさぁ・・・」ようやく最後の言葉がデモンバルグの注意を引いた。

「人間じゃない?おい、そりゃどういうわけだ。」しかし、男は既にただの薄い影にもどりつつある。「そいつは・・・まさか。」

つかの間、デモンバルグは躊躇った。

「ひょっとして・・・地球人じゃないとかか? そいつは宇宙から来たとか言うんじゃあるまいな?」

『クフフ・・そんな、まさか! 宇宙人のわけないでしょが。宇宙人なんていませんや。いたところで俺達には関係ない・・・まさかあんたさんは、被れた人間どもの言うこととやらを頭から信じてるじゃありますまいね? それが恐怖に変われば別だが・・・そっちはどちらかと言うとまだ天使どもの両分でしょうよ。』

あからさまな侮蔑にデモンバルグが人であったら耐え切れずに顔を赤らたところだろう。しかし、デモンバルグは既にヒカリの存在を知っている。

相手を引き裂く事もできたがどうにかこらえた。

『クフフフ、さすがあんたさんは面白いことを言う。どこかの魂をずっと追いかけ回しているということだけはある・・・最近、追いかけ回していないようだが・・・』

「うるさい!余計な事はいい!さっさと答えろ!」

透明に近くなった影はしばし何かを考えているであった。

「宇宙人ってわけじゃありませんがね。もしかして・・そう言うあんたなら・・・最近、流行の魔族狩りなんて噂を聞いた事はありませんかね。」

「魔族狩り?なんだそりゃ。」

「・・・すごい霊能者がいるとかいないとか。」「いったい、どっちなんだ。」

「うちの組が錆びれたのはそのせいも多少・・・怖じ気を振るった下っ端が逃げちまったんでさ。おかげで残った奴らは正気に戻っちまったってわけ。魔族が憑衣していないヤクザはいざって時にからきし意気地がねぇからね。」

「もういい。霊能力者の話なんか知るか。」

霊能力者など、所詮ただの人間に過ぎないではないか。ついに堪忍袋が切れかけ、デモンバルグは声を荒げる。「そんなことより、その鳳来って奴のことだ。」

『クフフフ、そんなに怒らないでくださいよ。今度、顔を合わせた時に頭からパックリはなしですぜ。あんたが宇宙人なんて言うから悪いんだ・・・・鳳来は人ですって・・人間には違いありやせん・・・ありやせんが、人でない俺がこんなことをいうのもおかしいが・・・やることなすことが、血が通ってないみたいなんです・・・こっちが味わう暇もなく殺しちまうんでさ・・・いたぶるのも殺すのも決断が恐ろしく早いんでさ・・鳳来に付いて行けるのはあんたさんぐらいの度量じゃないかと僭越ながら俺は思ったというわけですよ・・・俺はもうちょっとは今の頭についてはみますが・・・はて、どうするか・・』

「それで、その鳳来ってヤツはどこにいるんだ?」

『クフフ、ほら、そこに来ますよ・・・では、俺は失礼して戻らせてもらいますか』

影が後方のヤクザ事務所の方に吸い込まれるのと同時にデモンバルグの側を黒塗りの車がかするようにして通り過ぎる。

デモンバルグはわずかに体を動かしなんなく避けたが、それは相手がただの人間だたらそのまま引っ掛けていたようなスピードだ。その車はデモンが避けた後も減速すらせず気付かないかのように、更にスピードを上げ走り去った。そして何事もなかったかのように先ほど見ていたヤクザの事務所の前で急停車する。


スパイラル・スリー 第六章-1

2014-03-08 | オリジナル小説

          6・戯れに悪魔を

 

              悪魔達

 

魔物にとって人間達がわずかな命にしがみつく姿はいつ見ても滑稽で謎である。

そういうところが目の前にいう男と相性がいいのであろう。この男は自分と同じ同胞の命をなんとも思っていないようだが、実は自分の命に対しても執着をあまり感じさせない。実際その気質が数々の戦いを制し彼を闇の力を持つ、フィクサーへと押し上げたのだ。そして今、その同じ執着のなさから大陸で脈々と築いて来た利権を惜しげも無く捨ててここにいる。他人よりも長く生きる眠らない男はだいたい50年を区切りとして全世界でその動きを繰り返しているようだ。名前と場所を変えて。疑いを抱いたものは即座に排除して。

許されているのは彼の所有物である魔物だけ。

「霊能者め・・・」男の唇が不愉快そうに歪んだ。

「あそこまで邪魔な存在だったとは。」

「どうやって我々の動きを封じたのか、いまだに皆目見当が尽きません。おかげで危うく予定外のものまで殺してしまうところでした。」

「殺したなら殺したでどうにかしておったわ。余計な心配だ。」珍しく声が荒れた。「結果的に殺さなくて良かったのでは?」

「次はそうはいかない。」男は座ったままでギリリと唇を噛んだ。

「もういい、忌々しい霊能者ごと、すべて処分してしまえ。」

「わかりました・・・霊能者の能力は未知数ですが。なんとか、やってみましょう。」

「霊能者などすべてがペテンだ。恐るるに足らない!くだらないことをいうと容赦せんぞ。」はい、と言って背中を向けた魔物は油断していた。

「基成勇二、彼は本物なのかもしれませんが。」

「本物等いるか!」あるいは男を試そうとしたのか。

「そうですね。御前は霊などは認めないわけですから・・・当然、霊能者などは認められるものではないのでしょうね。」魔物の言葉は一人ごとであったのかもしれない。しかしそれは男の逆鱗に触れた。

「黙れ!この役ただずが!」目にも止まらぬ早さで男の体が跳ね上がり、魔物の体は壁に吹っ飛ぶ。狂ったように暴力が振るわれている間、魔物はその水晶体を通して老人の顔を見上げ続けていた。魔物の好きな顔、愛する顔だ。

男と初めて出会ったときのことをを魔物は思い出している。

シベリアのツンドラ地帯。雪に覆われた凍土全体に革命の狂気が満ちあふれていた。農奴であった兵士達は森林の奥深くで貴族達を虐殺した。そしてその死体から取り出した肝臓を火に炙って食ったのだ。魔物もその匂いと血を味わった。その時、突然あの男が現れたのだ。小柄だった。雪の中でも驚く程の軽装だった。なのに震えてもいなかった。粗野で凶暴な農奴達がその男に気が付き銃を構える。濁った声で何か言うなり、既に発砲している。弾は一つも当たらなかった。近づいて来る男の唇は笑っている。自分に銃を向ける相手をひたと見つめる目は魔物ですら胆が冷えるほど鋭い。しかし兵士達が悲鳴をあげたのは、男の後から現れたもののせいでもある。それは巨大なシベリアン・タイガーだ。頭からシッポの先までゆうに3mはあっただろう。成熟した雄と見られた。その猛獣は目の前を悠然と歩く男を獲物にしようかどうか迷いながら付いて来た、といった感じに魔物には感じられた。獣の口回りは血で汚れている。どこかで何かを食い殺したばかりのようであり、まだ充分に興奮していた。

兵士達が再び、発砲するがそれは恐怖のあまりの盲滅法だ。大きく唸ったトラは軽々と男を飛び越えて兵隊達に襲いかかる。悲鳴が森林に谺する間、現れた男の方は木に寄りかかりタバコを吸っていた。無礼を働いた農奴の行く末には興味をまったく失ったらしく、まだ息のある人間をトラが咀嚼する間も一瞥もしなかった。

そしておもむろに自分が来た方向を見る。トラが現れた茂みの雪を分け、ゆったりと現れたのは・・・今魔物が宿る肉体である。トラに引き裂かれた仲間を無造作に抱えていた。男がパイプを仕舞い合図を送ると、続いて現れた2列縦隊の集団が静かにトラのいる進行方向の進路を変える。トラのむさぼる食卓に死体を加え、迂回して進み始めた。ロシア帝国軍の兵服を纏い銃を背負ったその動きは乱れなく揃っている。まるで玩具の兵隊の行進だ。男は木から離れ、30体ほどの集団の先頭を歩き始める。トラは食べるのに夢中でそちらを見ることはない。男も進むべき道の先だけを見つめ、彼等の距離はみるみる開いて行く。

その瞬間に魔物は彼等の中に紛れ込んだ。躊躇いも無く。

今よりもほんの少し若かった男の顔。

ついこの間も会った若い男のことも魔物は思い浮かべる。同じ目をしていた。

まだまだ未熟だが、全身で力を欲している若者。背後には未来が見えた。

それはまだたった4週間前のこと。

「死んだのかな。」

その声で魔物は我に帰る。魔物の肉体は首が切れておびただしい血が床を汚している。手も足も動かない。腹から胸が陥没したように凹み、内臓がつぶれていた。

声帯を震わそうとしたが、空気が漏れただけである。

「壊してしまったか。」その様子を確認した男はたいして残念そうでもなく電話に向かう。内線を押し、何かを誰かに命じた。

数分後、ドアがノックされる。「入れ。」

その声に扉を開けて入って来たのも魔物である。

「御前、戯れがすぎますよ。」魔物は新しい体に入って緩やかに言葉を発する。

後ろには数日前に見た光景とまったく同じ手下の者達を従えている。

男はフンと肩を竦めただけであった。さっさとやれというように手を上げると椅子にまた沈み込む。男は魔物が再生したことすら気に留めてはいない。

「床の血を洗い流せ。跡が残らぬようにだ。」

魔物は先ほどまで自分が宿っていた体を片付けるように命じる。