MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラル・スリー 第八章-6

2014-03-15 | オリジナル小説

           旅館竹本

 

 

その日の朝、寿美恵は玉に糸を通していた。

昨日になるが、綾子と新宿にでかける前に真珠の首飾りの糸が切れたのだ。

真珠と言っても安い模造真珠である。玩具のようなものだ。

息子からの初めてのプレゼント。

就職して初めてもらったお給料で安くはないブランドものの時計を贈ってくれたし、

それほど華美ではない花を実は毎年、誕生日に送ってくれている。

でも、この安物の首飾りは別な意味で大切なもの。寿美恵にとっては特別なものだ。

息子には会えなかったが、都会に出たついでに天蚕糸を買った。留め金具も新しくした。ネックレスは完成に近づいている。

東京から帰って来たら、旅館の予約が入っていた。常連の釣り客、初見の行楽客が一組づつ。週末は忙しくなるが、今はまだ余裕がある。

香奈恵は友達のあきらともう一泊すると昨夜、電話して来ていた。

神興一郎が戻ってくるのは来月。

来たからってまだ、恋人でもないのに・・・なんだか待ち遠しい。

綾子の息子渡は昨夜から神月に泊まりがてら、遊びに行っている。

清さんと田中さんは休みだし、兄の浩介と祖母父は御堂山の山道の掃除をする為に早くから近所の衆と連れ立って出かけてしまった。

今、この旅館『竹本』にいるのは綾子と寿美恵の2人だけだ。

1階にいるはずの綾子は何をしているのか、一向に上がって来ない。

寿美恵が上でネックレスの修繕をすると言うと、お向かいからおいしいお菓子が手に入ったからお茶をいれてくれると言っていたのに。

 

寿美恵が作業しているのは母屋の2階の自室だ。

こたつに入り、誰にも気兼ねなく裁縫箱やペンチを広げている。

目の前の小さなテレビでは相変わらず、朝から東京の事故現場が映っていた。

有名な霊能者の家が爆発し、死体が見つかっている。行方不明者、2名。事故と事件の両方で捜査中。午前中はずっとこの中継だろうか。

寿美恵は糸をくくりながら、ぼんやりとテレビで観たことのあるその霊能者を思い浮かべた。正否はともかく、キャラとしては嫌いではない。ルックスもあそこまで肥満していなかったなら、整った容貌ではないだろうか。

特にファンといったわけではないが、暇な時にたまたま子供達がその番組を付けていても観るなと命じたりはしない。田中さんはあきらかなファンで清さんは文句たらたらだが必ず手を止めて観ていたりする。

トントントンと階段を上がる音がやっとした。

「綾子さん、おっそ~い!」寿美恵が声を上げると襖が開く。

顔を見た瞬間、何かがあったと思った。

「寿美ちゃん、なんだか警察が来ているの。」

綾子が階下を気にしている。「警察?」

「東京の警視庁だって・・・譲くんのお母さんに話があるって・・」

言葉が終る前に立ち上がっていた。

完成目前だった首飾りがこたつの上でザッと広がった。

 

「高木と言います。」

痩さ型の刑事だった。もう一人の方ががっちりしている。松橋と名乗ったこちらはどういうわけか、群馬県警だという。

この2人から、寿美恵は信じられないような話を聞くことになる。

奥に引っ込もうとした綾子を最初から場に引き止めたのは寿美恵だった。1人で対応したくはなかったのだ。不吉に切れた息子からの首飾り。

予感は的中した。驚いたことに息子の譲が、さっきテレビで観たばかりの霊能者宅にいたのだと言うのだ。警察は充出版の編集長からやっと、未明ようやくそれを聞き出したのだ。発端は鬼来雅己のおじ夫婦の死体発見だった。その時は雅己の居所を知らないと突っぱねていた星崎緋沙子だったが、深夜に入った基成御殿炎上の知らせに態度を急変させる。鬼来雅己は基成勇二が連れ帰った。岩田譲と共に。

「では・・・!」寿美恵は言葉の途中で絶句する。

「では、行方不明者2名というのは・・まさか、違いますよね。」

後を引き取った綾子は確信したかのような口ぶりだったが高木は事態が飲み込めない被害者にありがちな希望的な観測と受け取る。

「ええ、おそらく。不明者は正式には4名だとわかりましたから。」

その一言で安心した寿美恵はへたへたと玄関先に座り込んだ。

綾子がすぐさま側に寄り添う。

「最初亡くなったのは、基成兄弟3人のうちの1人と考えられていたのです。で、残りの2人の所在がわからないものと思われていました。しかし、確認してもらったところ体格が、その・・・4人の誰にも当てはまらないようなので。おそらくは4人とは別にまた、身許不明の人間が現場にいたと思われます。それが今回、遺体となった被害者のようなのですよ。」

「それで、譲は・・!」再び、寿美恵は絶句した。我ながらばかのようだと思ったが言葉がでない。

「譲さんの勤める充出版の編集長・・・星崎緋沙子さんの話では、行方不明の基成勇二さんが充出版で連載を持つことになったのでその仕事の打ち合わせを兼ねて譲さんは昨夜、そこにいたという話です。別の出版社の編集である友人も偶然、そこに居合わせたというわけで・・・もう一人については心当たりがないと。」

綾子と寿美恵の反応をそれとなく観察ししながら、松橋が先を続けた。

「譲さんのご友人は、鬼来雅己という名前の方ですが、お母さんはご存知ですか?」

「いえ・・いいえ。」寿美恵は力なく首を振るばかり。

「刑事さん。」綾子が寿美恵にしっかりと手を回した。

「いったい譲くん達はどこにいったのですか?まさか、何か疑われて・・・?」

さすがに気丈な綾子も寿美恵の前でははばかられて言葉を濁した。

「あっ、いや、事件かどうかはまだはっきりしていないのです。」

人の良さそうな高木はちょっと焦ったようだった。

「亡くなったのはとにかく息子さんでないことは編集長が確認してくれてますし。」

寿美恵はようやくいつの間にか、握りしめていた拳を緩めて息を吐いた。

「でも、行方がわからないのでしょう?」

「彼等の行き先をこちらも知りたいのです。」

 

実は星崎緋沙子は4人が鬼来村に向かった可能性を警察に強く告げてはいない。充出版での脅迫がなければ素直に話したかもしれないが、今まで体験したことのない不可思議に初めて編集長も混乱していた。ただ、雅己くんが郷里に帰るかもしれないと示唆しただけで、それに警察は村には人を常に配しているから大丈夫だと答えている。鬼来光司夫婦の遺体が発見されたことで、基成勇二が警察に無理矢理押し付けた雅己の服に付いていた血痕は俄に注目された。大急ぎでDNA鑑定に回されたことは言うまでもない。しかし、不可解なことが多過ぎた。

首が見つかっていないうえに発見現場がきれい過ぎる。現場は雅己の記憶喪失事件のせいで、昼間の祭壇がそのまま残っている。その応接室で発見された遺体はまるで忽然と出現したとしか言えないのだ。死亡推定時間は霊視の最中か、彼等が家を施錠して病院に向かった時間帯に重なっていた。それなのに損壊の激しい死体の乾燥が激しい。切り口は乾ききり、血液が飛び散った跡がまったくない。しかし殺害現場はそこではないのかというと、運び入れた形跡もない。通報者も判然としなかった。若い男の声。それだけである。血痕から鬼来雅己を容疑者ととりあえず断定するとしても、現場に入っていた人間を全て共犯者とするには乱暴過ぎた。基成3兄弟の話は聞けなかったが、平と星崎の話に齟齬はない。二人や出版社の車からは血痕は見つかっていない。着ていた服や靴からもだ。

彼等が鬼来家にいた証拠の塵や布クズ、使われたお香の成分とかは出ているのに。

そのうえ『呪い』を力説する平の主張は現場をいたずらに混乱させかねなかった。星崎も真面目に超常現象を熱く語り正直、警察は彼等を持て余してしまったのだ。他の編集達からも、オカルト以外のめぼしい情報は出て来ず、結局は遠くに行かないという条件のもと全員解放されるに至る。しかし、緋沙子は事情聴取を終ったその足で平然と平と合流し、東京駅に向かっていた。勿論、鬼来村を目指してだった。

 

そんなことは勿論、その時の高木と松橋は知らない。

鬼来村隣村の駐在から『雅己在らわる』の報告を高木達が受けるのは夕方の話だ。

「そこでこちらに伺った次第なのですが・・・この様子だとお母さん達は何もご存知ないようですね。昨夜でなくても構いませんが、息子さんから何か連絡は?」

寿美恵と綾子は無言で首を振る。

「行きそうな場所の手がかりは? 心当たりが何か、ありませんか?」

これにも2人は首を振るしかなかった。

「あの・・」寿美恵はやっと声を振り絞った。「譲は・・息子は、東京の大学に行って以来・・・就職してからも・・・一度も、ここへは戻ってないんです。だから・・」寿美恵は不意に胸が一杯になった。「お恥ずかしい話ですが・・・だから私は母親ですけど・・・ですけど、息子の交友関係や仕事の付き合いとか何も・・・

何もわからないんです・・・」声は消え入りそうになる。

「それぞれ事情がありますでしょう。こちらも色々あるんです。どこの家庭も同じです。」綾子がやや固い声で「そういうことはよくおわかりでしょう、刑事さん。」

「はい、よくわかりますよ。」松橋が軽く、あまりに軽くいなす。

「実はですね。」高木は一瞬、言おうか言うまいか迷い、相棒とすばやく視線を交わした。「この件は別の行方不明事件と関係しているようなのですよ。」

「高木さん」松橋は押しとどめようとしたが、それを高木は眼で制した。

「まだ、はっきりしたことはここで申し上げられませんが・・・譲さんのご友人の回りの人間が既に何人も行方知れずになっていまして・・・我々は息子さんがその一連の失踪事件に巻き込まれた可能性を危惧しているのです。真剣に案じているわけなのです。」

「ではあれはただの爆発事故ではないのですね。」綾子が切り込む。「その鬼来とかいう友達の周辺が何か関係している、そう警察は思ってらっしゃるのかしら。」

「それはまだ。」仏頂面した松橋。

「先ほども言いましたが単なる事故なのか、何者かが爆発を誘発させた事件なのかはまだ検証中です。誰がいて何が起こったのかも皆目見当が付いていません。」

そういう高木の口調はどことなくこちらを労るようだった。

 

刑事が帰ったあと、しばらく寿美恵は何をしていたかもわからなかった。

綾子は黙って寿美恵を暖かい台所に連れて行き、2人は向かい合ってお茶を飲んだ。土産物のお菓子にはとうとう手は付けなかった。

そんな時だ。電話がなった。

「はい。・・・はい?」綾子が対応しているのを聞くとも無く聞いていた。もめているようだ。「今は出れません。」「私?」寿美恵は聞く。「私になら出るわ。大丈夫。」何かしていないとおかしくなるかも知れない。行方不明の息子のことを考えてしまって。受話器をとると『今、刑事が来ただろう。』男の声がそう言った。

 

 

           鳳来と魔物

 

 

「来ると言っただろう?」男は傍らの魔物に笑みを浮かべた。

「はい、御前。」

「こうも母親とは母性の前に愚かで無防備なものか。」

細められた目は限り無く冷たい。

「あちらの準備も済んだ頃か。」

「兵隊を配置してあります。今夜にも一斉攻撃を。」

「鼠を鼠穴から引きずり出す・・・その前に邪魔を取り除いておきたかったが。」

大きなセダンの外車が国道脇に停められていた。

運転席にいる人相の悪い男は運転する以外は虚ろな目で前を向いている。後部座席の話は何も耳に入ってないようだ。

「どうやら、生け贄どもは全員、村へ入ったようだな。」

「一名、姿がありませんが。」

「ふん、どうせ大したことはできない。どうせ、それもリサコの仕業だ。相変わらずの悪あがきをする。」

「その鬼来リサコ様ですが・・・お怒りを覚悟で申し上げると、御前にしてはいささか対処が甘いような気がいたします。」

「そうか。だとしたら・・・後で何倍にもして返すところを見せてやろう。」

果たして何者なのかは実はまだ魔物にもよくわかっていない。ここ2年あまり、じっくりと時間をかけて鳳来がしきりに干渉している一族がいる。あくまで一撃必殺が方針の鳳来にしては、時間をかけたまどろっこしいやり方だった。その一族のルーツである村の中心人物であるといったことしか知らない。

「この星の習慣でいうところの、元妻といったところだ。」

無造作に投げられた爆弾。これにはさすがの魔物も驚きを隠し切れない。

「妻・・!」130年しか一緒にいなかったのだから。

「臥龍の鳳来に妻がいては不自然か。」

「いえ、しかし・・・その人をどうして?」

「どうして?とは?」

「・・・お子様もおられますようで。」

「子供?」ぞっとするほど残忍な顔。「子供など、おらん。」

理解出来ないという表情を魔物は浮かべた。

「まともな子供はな。」と鳳来は続ける。

「おまえにはわかるわけなどない・・・わたしがことを進め始めたのは連邦からの上陸部隊の存在を確認したからだが。」殲滅された組織を思い、顔を顰める。つまらない小遣い稼ぎ。顕示欲、必要の無い綱渡りの火遊びだった。「なぜか、わかるか?」

「さぁ。」魔物には本気でわからなかった。「この星にいよいよ、駐屯部隊が派遣されているということは、一個中隊がどこかにいるということなのだよ。確実に、この惑星の回りにな。母船がいる。そいつらは、あの不法滞在者・・・。」

「ナグロスです。」魔物には価値をまったく感じさせないただの普通の人間。鳳来とあの冴えない男が同じ宇宙から来たとは未だに信じられなかった。

「そうだ、あいつと接触した。この神月とか言う土地でな。何らかの繋がりがあるとわたしは見ている。おまえも情報は得たはずだ。リサコから助けられ鬼来村から舞い戻ったヤツは未だにこの辺りにいる、なぜか。この辺りに部隊がいるからだ。と、いうことは・・・当然、鬼来村のことも掴んでいる。実際、この神月からリサコのところへ連邦からの使者が来たのだからな。それでリサコはわたしが知ることを承知で逃げ出したわけだが・・・既に、連邦は鳳来の存在も掴んでいるとみてもいい。それもかなり以前にだ。わたしを知っていても泳がせている・・・そんな状態を誰が我慢出来る?そういうことだ。」

「はい。」魔物は理解出来ない言葉の数々を理解しようと努力している振りをした。

「それにしても、リサコのやつ・・・」鳳来の目はしばし足下に落ちた。「ことを急ぐ・・・ということは、いよいよ死期が近いのかもな。」にんまりと笑った。

「これは急いでやらねばならないということだ。」

しばしの熟考か、述懐の後、上げた顔にはもう笑みは片鱗もない。

「いいか、わたしは自分達の後始末は自分で付ける。誰にも邪魔をさせるつもりはない。」

魔物よ、と見やる。本当に魔物がいるのかは知らんがと。

「岩田譲は神月側の手札だ。獲られたからは、こちらは違う手札で介入を阻止する。」

それが、岩田寿美恵だと鳳来は話を打ち切った。

 

 

         岩田寿美恵の冒険

 

 

 

「大丈夫、大丈夫だから。」

綾子を押しとどめるのが大変だった。

自分も一緒に行くと言い張るのを、責任感の強い綾子が火を消したり戸締まりをしている間に申し訳ないと思いつつ逃げるように抜け出ていた。

電話の相手は譲のことで話があると言うのだ。

譲の行方を知りたくないかと。

「さっきの警察の人に電話した方がいい。」そう、綾子が行って置いて行ったばかりの名刺を突き出すのを寿美恵は止めた。

『警察には何も言わない方が利口だ。』そう言ったのだ、相手は。

「譲が・・・事件に関係しているかもっていうの。」

「関係って?」

「爆破した方かもって。」「え?」

「友人と共犯だって言うのよ。」

初めて取り乱していた。「お願い、黙っていて。」

呼び出された先に行って話を聞いてからでも遅くはないと言うと綾子は自分も付いて行くと言い張った。なぜそれを待たなかったのか。

譲が自分の息子だからだ。もしも犯罪だったら。それを思う。旅館『竹本』を巻き込みたくはない。浩介は譲の伯父に過ぎないがただでさえ、迷惑はかかるのだ。

寿美恵は正しい判断力を失っている。

離婚したことで息子が傷ついたであろうことはわかっていた。わかっていたが、大人の事情で仕方がないと寿美恵は強引に自分に言い聞かせていた。取りあえずと兄の家に転がり込んだことで、息子が形見が狭かったこともわかっていたが、あえて無視した。無視した方が都合がいいからだ。香奈恵は幼く、渡は産まれたばかり。やがては慣れて打ち解けるだろうと楽観的に考えて放置した。気が付けば息子との間は次第に気詰まりになった。大家族の中で仕事に紛れていれば2人きりになる機会はあまりなくなる。それに甘えているうちに何も話してくれなくなった息子は何も話さないまま、1人で竹本を出て行ってしまった。

母親を捨てるように東京に。そして6年。

空白の時間。その空白が今になって寿美恵を責める。

 

寿美恵が綾子に気付かれないように旅館の玄関口から忍び出た時、ちょうどこちらへ向かって歩いて来るユリと渡の姿が国道の先に見えた。寿美恵は向きを返ると慌てて反対側へと進み、2軒先の隣人の庭先に回り込んだ。知る人ぞ知る抜け道である。庭を突っ切れば裏通りに出れる。幸いな事に家の住人の姿は庭に面した居間にはない。耳の遠い年寄り夫婦である。

裏通りに出るとさらにもう1本、裏道に入った。用水路の脇を国道と合流する十字路を目指す。その先が電話の相手が指定した場所だ。

国道脇に少し入った自販機の並ぶ一角。通りすがりの運転手がよく車を停めている場所だ。心臓が少し、ドキドキした。裏道からの見通しは良くはない。20坪ほどの土地がブロックで囲まれているからだ。もう営業していないガソリンスタンド。国道に出て念のため、竹本の方を伺がう。カーブに隠れているが綾子も子供の姿も見えない。カーブに建つ雑貨屋の番犬が小屋の前で寝ているのが見えるだけだ。

「岩田寿美恵さんですね?」

急に声をかけられ、前を向いた寿美恵は危うくその相手とぶつかるところだった。

その男は寿美恵に名刺を差し出し、自分は弁護士だと名乗った。 


スパイラル・スリー 第八章-5

2014-03-15 | オリジナル小説

             鬼来本家

 

 

「やだよ、やだよぉ。」冷え冷えした母屋の中で、鬼来雅己がダダをこねている。

「キライ、ここに泊まるのは止めた方がいいって。」

岩田譲は彼を期待を持って見守っている隣村の巡査と警官2人の応援を頼みに雅己を説得している真っ最中だった。

「そうですよ、雅己君。」駐在も声に力を込める。

「念のため、下の村の宿屋に泊まった方が好いですよ。」

「だいたい、ここで何があったのかまだ、全然わからないんですから。」

「記憶を取り戻す為っとおっしゃるならば明日、明るいうちにじっくりと中を確認すればいいじゃないですか。」群馬警察トリオは口々に畳み掛けるのだが、無邪気な中にも一抹のひたむきさを隠して鬼来雅己も一歩も引かない。

「でもここ、僕のうちなんでしょ?僕のうちなんだから、ここに泊まってもいいじゃないかぁ。」

「でも、よりにもよってこの家はダメだよ!」

「そうですよ。ほら雅己君も今、具合が悪い・・・どうやら記憶喪失なわけなんだから、それに明日には専門のお医者さんも来ますから。今、頼んでますからね!」

「そんなの待ってられないよぉ!」

「キライ、ここに泊まったって2週間前のことが思い出せるとは限らないだろ?」

「そんなのわからないじゃないか!記憶なんてほんのちょっとしたことで回復する場合が、ドラマとか映画でもよくあるじゃないか。僕は2週間前、ここに泊まって又、帰ったんだ。その時にみんながいなくなったんなら、僕が思い出すことがすっごく大事だって譲だってわかるじゃないか!」

堂々巡りである。

「譲っちぃ、頼むよぉ。譲っちだけは味方だと思ったのに。ひどいや。」

「そんな、ひどいって言われても・・・」

譲も困り果てる。誰1人いなくなった現在の『怪談幽霊船』と化したこの村になんか、どこの誰が好んで泊まりたがるだろうか。そりゃ、鬼来には気の毒だが・・・頼りの基成勇二がいない今、お巡りさんが言うように明日に伸ばしたところで大した違いはあるまいと思った。

フフッ!と後ろで微かな声がする。

「あっ!妹の象が来たよ!」

驚いたことにその失礼な一言にも、エレファントの顔には笑みらしきものが浮かんでいる。田舎によくあるかなり広めの玄関ではあるが、弟の牡丹まで後から入って来ると一気に狭苦しくなった。

気の毒な警官達は隅に追いつめられ、譲と雅己は自然と靴を脱いで板の間に上がることとなる。譲が信じがたく見つめる笑顔の基成素子に雅己が縋るように聞く。

「ねぇ、僕ここに泊まってもいいよねぇ?」

「・・・泊まりたいの?」しかも優しい口調と来ては思わずぽかんとするしかない。

「泊まりたいんだ!ねぇ、お願いだよ。基成先生だったら絶対、泊まった方がいいって言うよね。」

「そうね。」「姉さま?」

牡丹がどんぐりのような大きな目を見開き、いやいやと警察関係者達が一斉に口を開いた。「うるさい!」エレファントは彼等を一括した。

「ここは電気が来ているんだろ?水は?ガスは?プロパンかい?」

譲がほっとしたことに、いつもの不機嫌な顔のエレファントに戻っている。

その迫力にしぶしぶと黙った警官達に「何も問題はないよ。」と宣言すると、懸命にも口を閉じていた弟を振り返る。

「牡丹、買い物したかいがあるね。」その一言に弾かれたようにうなづく。

「はい。夕飯はお任せ下さい。」見ればいつの間にか、手には車から降ろして来た大きな袋を下げている。「お巡りさん達の分も、作りますよ。」

「いや、我々は・・・」警官達は小声で相談しながら、狭い玄関先へと移動した。

私服警官の1人が悲壮な決断を下したようだ。「・・・では。我々も泊まります。」

「我々の食事は自分達でなんとかしますからお気遣いなく。」

口々に言うと、すぐに顔が引っ込む。食料の調達とか色々あるのだろう。巡査がザクザクと雪を踏み分けて駈けて行った。

「ご勝手に。」エレファントは、靴を脱いで板間に足を乗せた。

すぐに牡丹も続いたので床がミシミシと鳴った。

それを聞き、クスクス笑い出した鬼来に譲は呆れるしかない。

「おい、本当に泊まるのかよ・・・マジかよ。」

「怖いなら、譲っちは宿に泊まってもいいよ。」

「怖くなんかないさ。」譲は嘘を付いた。怖い、怖いのとは違う。とまどっている。

いや、やはり怖い。怖くないわけがあるか。住人喪失の現実さえなければ・・・勿論、趣のある旧い田舎屋の鬼来の実家には泊まってみたい。

でも、何があって住人が消えてしまったのか。皆目見当が付かない。昨日の朝の霊視の時に見たものが頭を過る。住民も違う次元に消えたということなんだったら・・・自分達もバミューダ・トライアングルの中の旅人達のように消失してしまうかもしれない。

それに、昨夜のことも気に係っている。

 

気が付けば鬼来と2人、後部座席でぐっすりと眠りこんでいた。起きた時はもう車は道路を走っており、しかも夜が開けかけていた。牡丹とエレファントしかいないことに戸惑う寝ぼけ眼の2人は一応、説明を求めたのだが結局、今だに詳しい説明もないままだ。基成勇二はちょっと野暮用があり、後から来るとそっけない。高速のSAで顔を洗い、飯を食べた。勇二の姿はないまま、聞くに聞けない雰囲気もあり譲は黙っていたが鬼来は疑問をまったく感じないらしく、ドライブにはしゃぐばかり。ため息を付くしかない。基成先生が来たらきっとくわしく説明してくれるだろう。充出版にも電話を入れたのだが、アナウンスが流れるだけで誰も出ない。なんだか、不安になった。何かあったのだろうか。もともと少ない社員でやりくりすることもある会社だから、誰も出ないものは仕方がないとあきらめるしかない。他の社員や平さんに電話した方がいいのだろうか、早朝すぎるかと迷っている間に素子に急かされ結局、電話はしていない。それにしても編集長の携帯が圏外で沈黙しているのは気にかかる。

そんなこんなするうちに、お昼前には鬼来村に着いていた。

村の入り口で黄色い規制線をくぐって、施錠された家々の回りを歩き回っているところに見張りの巡査がお昼から戻って来た。不法侵入者に血相を変えた巡査に雅己が名乗りを上げると、無線で即座に麓から応援が呼ばれる。

その間に基成姉弟は買い出しに出かけた。

巡査が雅己の実家の鍵を開けてくれ、駆けつけた警官に質問し質問され記憶喪失その他を延々と説明することになり、大変驚かれ本当かと疑われ、さんざん疑われた後でようやく納得したようなしないような状態のまま放置され・・・以後、譲と雅己は基成姉弟と共にここにいる。

 

 

そして今夜、この不気味なミステリーゾーンに泊まるというのだ。

障子と雨戸に覆われたガラス戸に挟まれた長い廊下の暗がりも、年月が染みたような深い色合いの天井も柱も何もかもが寒々として譲には不気味に感じられる。

いきなり鳴り出した時計の音にも内心飛び上がったくらいだ。

エレファントは1階の5つある部屋、客間、仏間、納戸・・・後は妙に片付いたもののない部屋と物置部屋。

部屋を次々と開いて確認すると客間とおぼしい一番大きな和室の電気を付けた。

牡丹は早々に台所らしい土間へと手に提げた荷物を運び込んでいる。

「良かった、冷蔵庫はあるんですね!古いけどガス台もあるし。」

なんだか嬉しそうだ。

鬼来は素子のいる部屋と廊下と和室をを挟んだ部屋の1つに立ち止まる。

殺風景だが片隅に折り畳まれた一組みの布団が置いてあった。小さなタンス。文机の上に水の入ったままのグラスと急須が置いたままになっている。

「病気の人でもいたのか?」「うちに病人なんかいないよ。」

鬼来が明るく答えていると、応接間から素子の声がかかる。

「お前達。」大きな背中をかがみ込んで灯油ストーブを太い指で器用に点火していた。

「2階を見て来てくれ。」「おっけー!」「えっ?僕が?」

鬼来は気安く請け合うが、譲は気が進まない。

「私が行くわけにいかないだろ。」

「そうそう、床が抜けちゃうもんねぇ。」

譲はヒヤリとするが素子の背中は特に腹を立てた雰囲気はない。

火の調整に手間取っているだけと見た。

「確か、あんた達、基成さんとか言ったっけねぇ。」

刑事の1人が戻って来たのは2人が2階に消えた後だった。

「なぁ今、無線で言っていたんだけど・・・東京では偉い霊能力者の家が燃やされたとか・・・基成勇二ってあんた知ってるか?」

「さあ。」向き直ったエレファントは眉ひとつ動かさなかった。

「親戚にはいないね。」

「そうか。」そういうと刑事は又、顔を引っ込める。別の警官と話をすると

「じゃあ明日、東京から担当刑事が来ますから。うちの松橋と確か高木さんとか言う警視庁の人が・・・」それまで目を離すなと言われたのだ。

素子は何事もなかったかのように、台所に向かうと牡丹から水の入った薬缶を受け取りストーブの上にそれを乗せた。


スパイラル・スリー 第八章-4

2014-03-15 | オリジナル小説

          ナグロスの悪夢

 

その頃、ナグロスは夢を見ている。

夢だということははっきりとわかっている。

胸の上には猿が乗っている。大きな猿だ。重い、息がするのもやっとだ。

しかしこんなことは現実であるわけはない。

そのことをナグロスはわかっていた。

原始星で産まれた原始星人ではあるが、最果ての地球への調査員に選ばれた彼だ。

 

原始星人の移動を禁じたオリオン連邦の『原始星政策』は我々には悪法のように感じられるかもしれないが、宇宙に出てみたいという希望を特に持っていない人間にとっては苦痛でもなんでもない。自分の星で自由に暮らせるのだから。移動も恋愛も子づくりも、し放題だ。まったく不自由は無い。たまたま他所の星で産まれた人間との出逢いに恵まれ、愛し合い子供を作りたいと思ったとしたらちょっとやっかいなだけだ。それも別に子供を望まなければそれはそれで問題は無いと言える。連邦が間を引き裂くと言うこともない。子供もDNAが近いものであれば許されることもあった。

とにかく、ナグロスが産まれ育った星を出たということは、彼が星を出たいという強い冒険心を抱いていたことに他ならないのだ。そしてその希望が叶えられたのは、新たに発見された地球人達との遺伝上の類似が強いことだけではない。本来は原始星人にはあまり見られない次元への対応性感応性が高いと認められたことが大きい・・・勿論、能力的に宇宙人類、ニュートロンの足下には到底及ばないが・・・つまり、次元から独立して自己を保つ力が強いことが証明されたということなのだ。

だから寝てはいるがナグロスは自分の状態を冷静に判断していた。

飲まれたままでいるわけではない。夢に身を任せ、心地よく漂い流されているときも脳のどこかは常に覚めている。その夢が疲労、疲弊した自分に必要だと感じたときは、治療として積極的に意識を解き放つこともする。だから夢だと感じ、不快だった場合は即座に目覚めることができる。

できるはずだった。

いわば自分が作り出した些末な次元である夢、であるのになぜかその時は体が動かせなかった。回りは闇。光を、と思う。普段の夢ならば、それですぐに光が産まれるはずだった。光は産まれない。自分の中の何かが闇に強く引き込まれることを望んでいるらしい。鬼来リサコと話をしたから思い出したのだ、と自分で判断する。脂汗が額を伝った。これは寝ている体の実際の感覚だ。

ある程度は付き合わなくてはならないだろうとナグロスは意識を猿に戻す。

胸の上にいる猿は老いた猿。いやむしろ、猿のミイラだ。縮んだ小さな骨格模型に毛皮を張った猿の顔の部分だけが人だ。その顔は見覚えがある。今は思い出したくもない男だ。性格の悪そうなじじいが歯を剥き出して笑っている。爛々と赤く光る目。見る間にその血管の浮いた黄ばんだ眼球が体よりもどんどん巨大になって行く。黄ばんだ猿の腕が伸びて来る。その爪は乾いた血で汚れている。

『わたしから逃れられると思うな。』あの時と同じ声が、手が、ナグロスの頭の中、脳の中へとズブズブと入って来る。その感覚はあまりにリアル過ぎる。

『おまえの能力等、大したことはない。どこだ、どこに隠している。』

脳がかき回される痛みで全身がビリビリと引きつった。気管には胃液が競り上がって来る。『何一つ、わたしから隠し通せると思うな。』

あの時は薬品で体と意識の自由を奪われていた。あの男はナグロスの意識をジャックしようとしていたのだ。解放されるまでは長い時間がかかった。

彼が廃人のようになってしまうほどの。

『連邦の上陸部隊は何しに来たのだ?』[知らない・・・!]

『まさか、おまえや私のような脱走者を探しに来ただけではあるまい?』

勿論、あの時点でのナグロスは情報など何も掴んでなかった。しかし、相手はナグロスを信じない。『取引相手の遊民はどうやって死んだのだ?船ごと消えた!誰が殺した?上陸部隊以外には考えられない。なぜ、お前達は接触した?』[たまたま・・・偶然だ!]『そんなはずはない。』記憶の中でのヤツは疑り深く執拗だ。

[知るもんか!自分で探せ!]すると質問が変わる。

『なぜ上陸部隊は神月に固執する?』あの時、鳳来が掴んでなかったはずの問い。『死んだおまえの女と上陸部隊にはなんの関係がある?』ナグロスは自分の闇に落ち込んだのをはっきりと感じる。『おまえの一番、大事なものはなんだ?奪われることがもっとも恐ろしいものは誰だ?』夢だとわかっていてもナグロスは脳裏に浮かびかける少女の面影を必死で封じ込める。相手はそんな彼をあざ笑った。

『まったく無様だな、きさまは!これではこの星の原始人とまったく同じくではないか!連邦人としての勇気も誇りも失った!得たものを失いたくないという負の感情にすっかり支配されたんだよ。思い出せ、産まれた星を出た時のおまえはどうだった?まさに次元を旅する船乗りだ!冷徹な観察者だ!死ぬ事も失うことにも恐れはなかったはず。』[私はもう、連邦調査員ではない!この星に骨を埋めるのだ、今はもうこの星の人間だ!]『ははは、こりゃおかしい。ではこの星の住人らしく喪失を怖れ未来に怯えるがいい!いつか必ず、おまえから大切なものは奪われるんだ。』[おまえに奪えるものなど何もない!誰にもだ!もう、奪わせるものか!]

あの時と同じ。だが、あのときとは別の形でナグロスは戦う。

自らの抱く無意識の恐れに自分の記憶を渡すまいと全力であらがい続ける。

[夢だ、おまえは夢だ!私の中の封印された闇の中へ立ち去れ!]

冷静さがいくらか戻って来た。[現実のおまえはもう歳のはずだ。もうすぐ死ぬ!]

巨大な鳳来の目が弓を描く。

『甘いな。おまえの記憶の中の私は死なない。おまえが封印した過去からいつでもまい戻るぞ・・・』

[麗子!]夢の中で叫ぶ。[私に力をくれ!]

その瞬間、体に強い衝撃を受けた。

唐突に断ち切られた夢にナグロスは混乱する。そして、『それ』に気が付いた。

 

           影との戦い

 

(落ち着け!)

何者かがシドラの脇に現れドワーフのような小人達を片端から振り払った。

『ナグロス?!』「大丈夫ですか?!」見れば太い黒いワイヤーのようなものを振り回している。鞭のように次元を切り分け影を吹き飛ばすのを見てシドラは確信する。彼が手にするはおそらく、ワームの一部。複数の次元に存在できるワームの欠片が次元に潜む敵を引き裂いている。ナグロスは元調査員だが、実戦の心得も勿論ある。武器と素手で見る間にシドラの空間を一掃した。影は二人に距離を置く次元まで後退した。

「バラキさんに叩き起こされましたら、これが」

ナグロスは息を切らし、手にした鞭をしならせた。

「腹に落ちて来ました。後は・・導かれるままです。」

「具現化したワームの髭だ。」巨体の産毛の1本だろう。「どこの毛かはしらんが。」「そんなことが」ナグロスは呼吸を整えた。目には見えないワームをこの世に顕在させる為には毛一本とはいえ、膨大なエネルギーが変換されたはずだ。バラキはシドラの為にそれぐらいは厭わないらしい。

「ワーム全体を我々の世界に出現させることもやればできるのでしょうかね。」

「それは命がけのエネルギーだ。さすがのワームもそんなことするもんか。」

シドラは自分を取り戻して、影達を睨み回す。

『おぬし達はなんだ?ニュートロンではないのか?どうしてこんなにいるんだ?!』次元の狭間で水の中のように揺れる影を見極めるようとするが、影は近づき遠ざかりユラユラと揺れる。原始星人の標準ではあまりにも不揃いな歪んだ骨格。

しかも次元を感知し、その狭間を移動する術にこれだけ長けているということは彼等は皆、宇宙遊民ニュートロンの中でも特に優れた進化体でなくてはならないはずのだ。次元に垣間みえる彼等の姿はどうやら普通の地球人のようにこの星の衣服を纏っているようにも見える。

「鬼来リサコが連れて来た仲間でしょうか?。」ナグロスが武器を構えながら囁く。「地球外で産まれた進化体が宇宙を行き来しないで2000年も生き残れるはずがない。」シドラも意識ではなく言葉で答える。ニュートロンは自然分娩では数が増やせない。精子も卵巣も退化している。なんらかの装置がなければ。『船か?』

いづれにしても捕らえてみればわかる。

しかし、シドラ達が進めば輪は退くその繰り返しでラチがあかない。シドラの逡巡にワームが答えた。(シドラ、突破口、結界だ。)

同時に村全体を覆う結界が粉々に消し飛んでいる。

その衝撃は普通人であっても感じないわけがない。空気が裂け、空間が歪み鼓膜に痛みが走っただろう。頭痛がし、吐き気もしたはずだ。

結界の破壊で保たれていたバランスが壊れる。シドラ達が進化体ではないかと推理した人々に走った動揺は凄まじい。普通人よりも空間の変化に敏感にできているのだ。一斉に金属的な悲鳴をあげ、吸い出され、弾けかれて散り散りに次元のどこかへ消し飛ぶ。

『バラキ!やり過ぎだ!』シドラは1人を掴み損ねて叫んだ。『逃げられたではないか!』(いや、捕まえた1人)嫌な予感がした。バラキが目の前に差し出したものを見てやはりと、ため息をついた。(殺さないで捕まえるのは不可能だ)『わかってる。気にするな。』シドラはバラキのヒレの一撃で凝縮され肉片となった垂れ下がる残骸を見つめる。『これは、アギュにでも持って行ってくれ。母船の奴らが鑑定するだろう。』勿論、嫌がらせだ。

「それより、シドラ。」ナグロスが近くに寄り添う。「様子がおかしい。」

シドラ達は気が付けばかなり村の外れにいた。進化体を追いかけて何百メートルも走った気がしたのだが。結界の中を回っていただけだったのだ。

村は静かだった。

『おかしい・・・あの騒ぎで誰も起きて来ないのは。かなりな衝撃があったはずだ。鋭い人間でなくてもこの村を1000年近く守っていた結界が壊れたんだ。馴染んでいた村人ほど異常に気が付いて、目が覚めるはず・・・』

(シドラ)バラキの声は初めて困惑していた。(村の生体反応が消えている)

『何ぃ?!』ナグロスが手近の家の戸口に駆け寄る。手にしたワームの髭でガラスを割ると手を中に差し入れた。

『バラキ、ひとつ聞く。先ほどまでいた村人、進化体だったかどうかはわかるか。』

(断じて違う。容積からも。さっきの奴らとはエネルギー量も異なる。まちがいなく、おまえと同じ、人類だ。)

鍵を開けたガラス戸からナグロスの声が聞こえた。

「シドラ、誰もいない!。」

「どうやら逃げられた。」出て来たナグロスにシドラは苦い笑いを浮かべた。

「あのドワーフどもは目くらましだったようだ。」

ナグロスは直ぐに母屋へと走り出す。

(やつら、鼠穴に消えたようだ)

バラキのうなり声だけが脳裏に轟いた。

(結界は目くらまし・・人為的な穴が四方にあいている・・・辿るのは容易ではない・・・あるいはドラコなら)

「バラキ、私の不覚だ。気にするな。」

まさに鼠だな。巨大なバラキには入れない無数の次元の隙間に潜り込む小人達が浮かぶ。その中には鬼来リサコと共に美豆良も雅己もいる。まだ見ていない村の住民達もいるであろう。穴の前で地団駄を踏むワームドラゴンはまさに、『猫と鼠』の猫であろう。シドラは笑っている自分に気が付いた。

「美豆良の野郎、やりやがったな。」不思議にその言葉が出た。

鬼来リサコがこの出来事の糸を引いてるとはなぜかシドラは思わない。

シドラは今は確信した。あの嫌らしい若造はすべてを承知している。リサコがリウゥゥムであることも己の立場も。そうに決まってる。

あいつはもう1人の初心な若者、鬼来雅己とは役者が違う気がした。

「借りは返すぞ、必ず。」

そう吐き捨てると、ナグロスに続いた。


スパイラル・スリー 第八章-3

2014-03-15 | オリジナル小説

         シドラ(2週間前)

 

 

グーグー寝ていた訳ではない、とシドラ・シデンは何度も思い返す度に忌々しく思っている。根に持っている。

まったく、なんという失礼な言い草だ。

あの時、ドワーフどもさえいなければ。

 

2週間前、鬼来雅己という子供は客間に顔を出して挨拶と簡単に自己紹介した。

彼はシドラがキビキビと尋問(当人はそんなつもりは毛頭ない)する度に飛び上がっては気の毒なほど顔を赤くした。しかし、別にだからと言って異常とも思わない。この星に来て以来、自分に対する男性の特に目下に当たる男の反応は概ねこんな感じであったからだ。敬して遠ざかる。(怯えているとガンダルファなら言うだろうが別に好かれたいとも思わないのでどうでもいい。)高嶺の薔薇を仰ぎ見るようだと、竹本の香奈恵にはよく言われている。

シドラに雅己は苦もなく短時間で情報をひきだされてしまった。(東京の桑聞社に勤めて3年の会社員25歳で、中野のマンションで一人暮らし。マンションは8階の805号室で家賃は12万。兄から母の病の知らせを受けて帰って来たのだと。)

鬼来雅己はなかなか年相応の素直な好感のもてる青年に感じられた。

(美豆良に較べてだが。)

即座にシドラは彼には警戒は必要ないと判断する。その時の判断は今も間違っていたとは思えない。バラキに打診してみても、雅己は1人で立ち寄ったという。同行したものもなく、所持品その他も特に異常はないとの返事であった。

ただ、雅己と美豆良の再会はあまり友好的ではなかったようだとバラキは心証を付け加えた。どの程度に?という質問に、美豆良が不機嫌なオーラを発していただけだとしかバラキには説明できない。シドラはそれでよしとした。美豆良を不機嫌にしたというだけでも雅己という子供には好感が持てるというもの。

しかし、雅己はすぐにあのいけすかない美豆良に呼ばれ、共にどこかに行ってしまった。

念願のお1様が実現したシドラは心置きなくナグロスと不法移民1世との会話に集中することにした。まぁ、一番言いたいことを伝えた後の二人の交わした会話は思い出話がほとんどで目新しいことは特になかったと記憶している。

ナグロスも後にそれを肯定している。

今思えば、美豆良と雅己の動きにもっと注意を払うべきだったのかもしれない。そこはちょっと後悔している。特に、雅己が急遽帰郷した理由もだ。ひょっとしてシドラ達の訪問の通知を鬼来リサコから知った美豆良が雅己を呼び戻したという可能性に思いが至らなかったことは不覚としかいいようがない。

 

不覚はそれだけである。

断じてグーグーなど寝てはいなかったのだ。

ナグロスはわからないが。

勿論、ナグロスは元調査員であって軍人ではないのでそれでいいのだ。

例え、グーグー寝ていても。

 

鬼来リサコとの会見を終えたナグロスが戻ってくると、食事の支度が出来ていると二人は告げられた。病人は一緒に食卓を囲むことはできないので、雅己と言う子供が母親の世話をしていると告げながら美豆良が客間に運んで来た。数は多くないがそれなりに手間もかかりおいしい田舎料理であった。シドラはその食事にも特に異常は感じなかった。

ただ、食卓の会話はシドラなりには盛り上がらなかったがナグロスはこの星が長いことだけはある。山里の暮らしや雪の天候など、シドラにはさっぱり思いつかない話題を見事に繋いでそれなりに美豆良との会話を楽しんだようだった。

美豆良もこの時はさすがに、シドラにいやらしい視線を注いだりはしない。

食事が終る頃に雅己という子供が再び顔を出し、病人の食事が終ったことを告げた。

それを待ちかねたように美豆良は2人に風呂に入るように勧め、シドラは断ったがナグロスは快諾して席を立った。後片付けなど、もとより手伝うつもりもないシドラは雅己に母屋からやや離れた離れに案内された。離れはこぎれいで掃除が行き届いていたし、暖房がしっかりと既に施されていた。

 

使い勝手を説明する間もシドラから無言の観察を続けられた子供が逃げるようにして離れを去った後、シドラは初めて持って来た荷を解きこれまで得た情報をバラキとともに整理した。

 

今回の訪問の目的。対象者である不法移民1世は名前をリウゥゥムと言うらしい。

現在、鬼来リサコという戸籍を使っている女性である。

バラキによるとこの女には次元能力は殆どないと言う。

それは血統からもうなづける。

父親も母親も原始星系の遊民同士。宇宙で暮らし始めてまだ4世代でしかない。先祖は原始星の出身、それも脱走移民であるがそれほど血統がよくはないので見逃されていたらしい。『始祖の人類』の血統から数えると遠い血を持つ星の出身だ。100000番台の血統など惜しまれることはない。その位の血統なら、いくらでもいる。もしも始祖から数えて100番以内の星だったならば、絶対に逃亡したままにされることはかっただろう。現在の原始星政策では住民は星からの移動は許されないのだ。

この星の時間で2000年ほど前、彼女はカバナ系遊民のパートナーと共にこの星に侵入したらしい。当時連邦自体も戦時中であり、この果ての地球の管理は行き届いておらず、侵入は容易だった。以後、2人は別々の道を選ぶまで一緒にいた。この鬼来の地に。

リウゥゥムは1人この地に留まり、子供を産んだと言った。

地球の男と結婚したのだ。そして1000年。代は18に及んでいる。

遊民のパートナーの方は裏家業に身を投じたようだが、それほど頻繁な行き来はないというが、それは本当のことか。

かつてナグロスと色々な行き違いがあったのはこの組織だ。

この組織に関してはリウゥゥムは内容をよく知らないのか、話したくなのか。

組織の大まかな概要はほぼナグロスが知っているので不都合はそれほどない。

以前、御堂山で騒ぎを起こしたケチなギャング達もその仲間であるし、戸籍のない子供を売買していた地球人の闇組織を運営していたヤクザ達も実はその下請けに過ぎない。つまり自分の持つ地元民の組織を遊民ギャングに襲わせたことになる。外宇宙の遊民と直接交流があった組織は事件の後、解体された。そこには事情のわからない地球人しか既に残っていない。連邦の遊民組織の方が追求をかわす為か、カバナシティの浮かぶボイドに一旦撤退した為だ。

勿論、この星の司法の手はそういったからくりは知らず、その大元までは辿る事もない。どうやら政治や司法の分野まで浸食される可能性はかなり小さくなったとシドラは感じた。ただし遊民の経歴の確認は困難を極めるだろう。

リウゥゥムが正直に話していないからだ。(ナグロスが隠している可能性については思い至らない。)

もし、それが障害になるようなら、あの者だけでも中枢に連行しなければならない。本当に死ぬ前にだ。死なせない処置も必要になるだろう。

その事をシドラはバラキを通じてアギュに送った。

アギュからの返事は『ガンダルファを向かわせる』だけだった。

このことにはかなりの不満を感じたシドラであった。アギュなどどうでもいいが、自分が『上司』の一番刀でないということはどうでもよくない。

アギュは何かとガンダルファを贔屓にしてはいないだろうか。

シドラはそう思ったが、自分が贔屓されたところで嬉しいかとバラキに聞かれてさすがに黙る。自分はアギュになど、どう思われたっていいのだった。

1番に思われたかった相手は今はもういない。

その相手が自分よりも選んだという理由でシドラはアギュの下に仕えているのだ。

アギュの中に眠る神代ユウリの魂に。

 

 

シドラが考えに耽っているところにナグロスが風呂から戻って来た。

さっぱりとした顔で寝間着にフカフカしたどてらを羽織って腹立たしいほどに能天気だとシドラは一瞬思った。しかし、まぁ、彼は元調査員であって現在は協力者なのだ。しかも、ユウリの実の父親だ。

ナグロスの過去に犯した罪状に関しては、遥か彼方のオリオン連邦の中枢でアギュの上司である権力者イリト・ヴェガが何をしてくれたのかわからないが・・・もう既に決着がついている。もともと死んだはずの人間であるし、この地球に禁固刑に処すといったところだろうか。更に子供を作ったりしないように、アギュが見張っていればいいというだけのことだ。もとより、ナグロスはもう子供を作るような過ちは犯す気はないだろう。この星に永久追放されたことに至っては当人は本望で孫といられることを感謝している。

シドラはナグロスからの世間話に付き合った。

ナグロスはしきりにユリがどうしているかと気にするようであった。そんな顔は好々爺に片足を突っ込んでいると思ったのでシドラはその点を鋭く注意する。

シドラだってユウリの子供であるユリを愛しく思わなくはないが、そんなだらけた

糸の緩んだような表情はけして自分に許すことはない。

ナグロスは指摘されてかなり恥じ入ったように見えた。

「まったくシドラさんはかなわないなぁ。」などと。

ただそのまったりとしたひと時は、不思議と不愉快ではなかった。ナグロスは壮年であるし体験した苦労も並大抵ではない。すべてを受け入れて流す。柔らかく。

実はシドラはこの村に来て初めて安心感を感じていた。

「あなたは王族出身でしょう。」だからさりげなくナグロスが持ちかけた時もシドラにしては自然に「まあな。」と答えていた。「なぜ、わかった?」

「あなたの出身星ですよ。ジュラの王族の星だ。」それと産まれ持った気品と誇り。

ジュラの王族は産まれ落ちた時から兄弟と結婚していると聞いている。ナグロスはそれを思い出したがただ、静かに「あなたも苦労したんですね。」そう言って話を打ち切った。シドラは腹が立たないのが我ながら不思議だと思った。

「我はいらない王族だった。」気が付くと聞かれもしないことを喋っていた。それはナグロスの娘にしか語ったことはない。「乳母が我を星から逃がしてくれた。ワームが憑かなかったら、どうなっていたか。」

「では、あなたの乳母は。」「死んだ。」

そう言って肩を竦めたシドラも、もう世間話もこれくらいで充分であろうとようやく判断する。しゃべりすぎたかもしれない。そうシドラが自己嫌悪に陥る前に懸命なナグロスは同意を立ち上がることで示した。

そして、ナグロスとは襖を隔てた隣り合った和室で別々に床に付いたのだった。

しかし、シドラは寝た訳ではない。

着替えはしたが寝間着ではなかった。彼女は地球の服を脱ぎ捨てると始めから身に纏っていた薄い装備だけとなり建物の外に出る。

彼女は村の他の住民の動向をさぐり、船を捜すつもりであった。

シドラは雪を分けて進んだ。雪を踏む音はしない。シドラのスーツは闇に溶け込むと同時に寒さから彼女を完全に遮断する。

更にワーム使いシドラは原始星人であったが次元を意識的に操作することができる。

現実から1歩か2歩、薄皮の中に潜って潜航した。

ダッシュ空間と呼ばれる小さな次元だ。雪に足を取られることはない。

シドラにはこの村に付いた時から気になったことがあった。他の村人の姿を見ていない。雪が深いから、室内にこもっているのかもしれないとは思っていた。小さな村だが家と家の間はゆったりとしているから、確かに声は届きにくい。

シドラが鬼来本家の敷地を忍び出て、一番近い隣家に近づくと微かな音が聞こえて来た。音を拡大する。テレビの音のようだった。

『バラキ、家に人間の存在はあるか?』

(生物反応がある。5体だ。)すぐに応答がある。『生体反応にまちがいないか。』(動いている。間違いない)見えないがバラキはシドラにピタリと寄り添っているのだ。シドラは更に奥に、村の東側から次の民家へと回り込んで行く。10軒ほどの家屋の中に20人ほどの人間がいることが確認された。

『これがすべてか?』

(おそらく・・いや)バラキの意識の躊躇いにシドラに不安が過った。『どうした?らしくないぞ。』(もっと小さいものが・・・周辺に・・・気を付けろ!)

シドラは反射的に宙を舞っていた。シドラがいた場所に何かが四方八方から襲いかかって来る。『ドワーフ?』そう思った瞬間、シドラはその長い足を使って小さな人型を一気に凪ぎ払っていた。群がった人型は一気に散る。シドラはその1方向を追った。『こいつらはどこにいたんだ?!』(時空から湧いて来た)バラキを表立って使役できないのがもどかしい。そんなことをすればこの村自体が焼き払われる。(ダッシュ空間を刺激したことで反応した)

『時空に潜んでいたのか?』シドラは警戒を緩めていた自分を恥じる。『組織の手のものか?』(吾にはわからない)

そうバラキの巨大なメモリーでは細かいものは把握しきれない。バラキの太さはこの『果ての地球』の八分の一ほどもあるのだから。シドラは己の能力の限界まで絞り出し、幾つかの次元にだぶりながら見え隠れする影を追った。

『捕まえるぞ!』(来た)シドラが1方向に向かうと見るや、再び回りにはびっしりと影が追いついてきた。さきほどの非ではない。20、30以上いるかも知れない。大きさも形も様々。その影の方からシドラを捕まえようとするかのように全身に覆い被さって来た。実体の全部が1つの次元にないのでその影はぶよぶよとして全体はつかみ所がない。ただ、シドラのいる次元にチャンネルを合わせた部分だけが・・・例えば手だがそれだけが感覚を伴って縋りついて来る。まるで鼠にたかられた象になった気分だ。降り飛ばそうと身を揺するが離れない。手を振るっても実体の体の方はずれた所にあって、シドラの手は空振りに終ったりする。その間も絶えず小さな手のようなものがたくさん、その手の幾つかは武器のようなものを手にしている。それはシドラのスーツにまったく傷を付ける事はできなかった。出来なかったがあきらめない、全身にまとわりつく手の感触は気味が悪いにも程がある。スーツは肌一枚に等しい感覚なのだ。気色悪さに気が付けば、たまらず喚いていた。『バ、バラキ!なんとかしてくれ!』相手がガンダルファにだったらこんな醜態はさらせない。


スパイラル・スリー 第八章-2

2014-03-15 | オリジナル小説

       8・冬空の下のワルツ

 

 

         ガンダルファ参戦

 

「なんだこりゃぁ・・・」

ガンダルファは思わず呟いている。

寒い。平原である。粉雪がちらほらと降り出している。

ガンダルファはいかにも暖かそうなダウンジャケットと雪用ブーツ、ファーの付いた帽子、手袋、そして旅行者らしく見えるようなリュックを背負っている。

目の前に目指す村らしい集落が見えた。昼間だが曇天の下、風に巻き上げられた雪に数軒の家々が霧に霞んでいる。足跡の連なりがまっすぐにそこへと向かっていた。

「幻覚か・・・?」

もう一度つぶやく。

 

その村と彼の間にある開けた雪原では太った男女が踊っていた。

ラジオだろうか切れ切れのワルツが聞こえてくる。舞い散る粉雪の中、スーツとジャージ姿の男と女がピタリと寄り添い合い、優雅に舞っている。呼吸が合った滑らかな動き、踊り手達のレベルがかなり上級なのは素人にもわかった。

「俺って・・・とうとう気が狂ったのかもな。」

「おぬしが狂っていたとしたら産まれた時からだろう。」

唐突にシドラ・シデンが並び立つ。

「あれって・・・シドラも見えている?」

「我も見ている。安心するといい。」

シドラがうなづくとその隣にナグロスも現れた。腰に鞭のようなものを装備している。シドラがチラリとそれに目をやった。「大丈夫、私も見ています。」心強く。

「じゃあ、あれは現実と認めるして・・彼等はいったいなんなの?」

「鬼来雅己が村に戻って来た。」憮然と続ける。「その連れだ。」

「鬼来雅己・・・そうか、シドラ達が会ったヤツだな。消えた村人の唯一の手がかりか。ひっ捕まえて、泥吐かせてやるかな。」

「村の方で警察の事情聴取を受けてますよ、今。」ナグロスが指摘する。

「遅きにしっしたな。」

「ふぅん。」以外にもガンダルファはシドラの失笑にも動じる気配はない。

「で、僕達はどうすんのさ?」

「住民が消えた時に我達もいたことがわかったら、色々面倒だということは変わらんな。」

「ってことは?」

「我もお前も、引き続き部外者でいるのが望ましい。」

「観光客であり、温泉地の逗留客ってことですね。」

「ちぇ、なんだよそれ。ようするに経過観察してるってだけってこと?いい加減、ふやけちまうよ。事情聴取にも入れないんじゃなぁ。やんなっちゃう、いくらアギュのご指名だと言ったってさ。駆けつけた時には、もう逃げられてんだもん。」

「愚痴はいい。だから・・・ドラコだと言ってる。」

「なるほど。」ガンダルファはドラコを呼び出すと指示を与えた。

「これだけで、いいの?」

「とりあえず、今はな。奴らの消えた先はだいたいわかっている。」

シドラ・シデンは村を背後から守り立つ里山を睨みつけた。

「ただ、目的がわからん。」

時空が開いた為にフワリと空気が動き、ガンダルファ達はアギュの出現を知った。

「最高機密がこんなとこに来て大丈夫なの?」ガンダルファも山を見る。

「こっちの動きを見てるんじゃない?。」

「おぬしは臨海体であることを知られたら面倒なのがわかってて来たのか。」

「ココはバラキがしっかりガードしてますからね。」

アギュは鬼来美豆良の能力を既にある程度、見極めている。その能力の限界も。ドラコしか知らないが。

上司と部下とは思えないやり取りに微笑むナグロスにアギュも笑みを返した。

「イマはがんばってニンゲンらしくしてますし」

確かにしっかりとした肉体を冬装備、分厚いコートに包んでいた。

「そういう普通のカッコをしたアギュを久しぶりに見たな。」

ガンダルファがフワフワしたアギュの蒼い髪が全てコートのフードに納まっているのを確認する。「オーケー、ならいていいよ。」

「なんだ、その物言いは。」シドラがやっと軍事規律を思い出すが既に遅い。

「それはもういいですから。」上司はきっぱりと言いきる。「続けてください。」

ナグロスがその意を汲み取った。

「そう、一番の問題は・・・なぜ、鬼来リサコさんが連邦の使者が来るのをわざわざ待ったかのように、こんな騒ぎを起こしたかってことです。最初から行方をくらますつもりなら、いくらでもチャンスはあったんですから。それには目的があるはずだとシドラさんは言っているわけです。」ナグロスも沈鬱に山を見る。

「本当にリサコなのか?」シドラが憎々し気に「あの美豆良って野郎が裏で糸を引いている可能性だってあるだろ。死にかけの病人よりはずっと妥当だ。」

ナグロスは死にかけ云々は聞かなかった振りをした。

「シドラ、あの時は鬼来雅己が来るのを待っていたと考えられますよ。」

「その雅己ってヤツも、消えていたんだよな?」

「マサミはトウキョウに戻っていたことがわかっています。」

アギュが補足する。「シドラがカレのことをイロイロ、聞き出してくれたので・・・ボセンの方からツイビしてもらいました。こちらはコモリで手一杯ですし。」

「母船か。」彼等の間に一瞬、沈黙がある。

「まぁ、僕達を監視するついでなんだから簡単な仕事だな。」

ガンダルファが肩を竦める。「そうか、鬼来雅己はてっきり一緒に消えたと思ってたけど違ったんだな。なんで、こっちに報告がなかったのさ。」

「カレだけがトウキョウに現れたこともモクテキがあってのことだと思ったのですが・・・キノウまでは特に大きな動きはありませんでしたね。」

アギュは鬼来雅己が戻ってからの2週間を簡単に説明した。

「どうやらカレラのセッショクはかなりイゼンから仕込まれていたことのようです。イワタユズルにはワレワレはノータッチでしたから。そこを狙って来たわけです。それも含めてイロイロ、微妙なモンダイがありますので・・・どのようにタイショすべきか、連邦にいるイリト・ヴェガのハンダンを待っていました。」

アギュは600光年先を思い浮かべている。

「岩田譲、香奈恵の兄だな。取引の手札にでもするつもりか。」

「当然、その鬼来雅己のおじ夫婦の失踪っていうのも関係あるよね。」

「他のオニライ姓のものも大勢、死んでいる。カレラは『ノロイ』と称しています。」

「死んだとされる一族全員が、ここに一緒にいる可能性もありませんか。」

「あるかもしれないな・・・とにかく、現在の状況は、じきにドラコが聞いて来るだろうさ。引き連れている面々が問題だし、慎重にってことなんだろ?」

「カレラはワタシ達にいったい何をさせたいのでしょうか。」

山を見つめるアギュの眼差しは静かだった。

「ワレワレ上陸部隊の第一のモクテキは始祖のジンルイのフネを見付けることです。始祖のジンルイのコンセキを見つけ、チョウサすること。その過程で密航者やその疑いのあるものを見付けたバアイはボセンに報告する義務がある。カレラに対処することは本筋ではないのです。今回はナグロスさんの絡みでワレワレが出て来ただけですから・・・しばらくはボウカンするしかありませんね。」

「ありませんねとは、業腹なことだな。」「まったくだ。」

ガンダルファは苛立ちに鼻の穴を膨らませたシドラを盗み見た。滅多にない好機。

「しかしなぁ、信じられないよね。あんたら2人・・・あんな大事な時にグーグー寝ていたんだからさ。」

ガンダルファは神月に子守りで残された鬱憤を晴らすことにしたらしい。申し訳ないとナグロスは素直に応じたが、シドラ・シデンは思惑通りにいきり立った。

「仕方ないだろうが!我もバラキもそれどころじゃなかったんだ。いいか、この原始星上では我らは万全の装備は許可されていないんだぞ。あのちんけな次元生物なんだかはっきりしない奴らがこの星に生息するれっきとした生物であるのかないのか、外部生物の端くれなのかなんてわかるはずないじゃないか!我らは基本的にこの星の生物には手を出してはならないのだからな。例え、我らがここのやつらにコテンパンにされたとしたってなんだ!こんな理不尽な話があるか、アギュ!」

「兵隊と言うのは補充が利くものですからね。調査員もですが。」

「おい労働条件の不満をさりげなく織り込むなよ、ナグロスも。アギュにもどうしようもないんだから。シドラ、それに『隊長殿』だろ?」

「うるさい、ガンダルファ!おぬしだって『隊長』なんて呼んだことないくせに!我だってわかっているんだが、言わずにはいられるもんか?!だいたいこんな生身に毛が生えたほどの装備でどうやって防げと言うんだ!しかも、我らはだ、喧嘩をしに来たわけじゃない!話し合いをしに来たと言うのにだ!。」

アギュが懸命にも口を挟まなかったので、押さえ込んでいた憤懣が雨霰とガンダルファだけに注がれた。

「わかった、わかった。収監はせずにこの惑星上での保護観察だって話はしたんだよね。」「リサコさんは承知したと口では言ってくれたんですが。」

「ショウダクは、どうやら見せかけだったようですね。・・・パートナーの情報を与えることをケイカイしたのでしょう。」

アギュはナグロスを見た。ナグロスは居心地悪そうにしたが、アギュがうなづいたので気が付いたようであった。二人は互いに連邦に言わない秘密があることを。

「ああいったパートナーの間柄というものは、なかなか我ら他人には伺い知れないものがあるからな。」シドラはどうにか自分を抑えたようだ。

「おっ。シドラ、大人な発言。でも、シドラのパートナーってバラキ・・・。」

シドラがガンダルファの臑を蹴ったようだ。ガンダルファは笑いを引っ込める。

「まさか逃げられるとは思っていなかったが、熟睡していたなどと言われるのは心外だ。」シドラの口調には悔しさが滲む。

「気付かなかったんなら、同じことじゃんかよ。」そして、素早く「だけど、最初から連邦の使者に恥をかかせるつもりの企みだったんじゃ、防ぎようがないよね。うさん臭い美豆良ってヤツと、オリジナルの遊民1世が一枚岩とは限らない場合もあるし。バラキが感知出来なかったってことは、ダッシュの付くような細かい次元を駆使する術に長けたヤツがいるってことだろ。その美豆良ってヤツが子孫じゃなくて(アギュがそこまで警戒するなんてちょっと不思議だけど)オリジナルなのかもしれないし。とにかく、進化体の仕業だってことがまちがいないんだから。生身の僕達じゃワームが付いていたってだ、次元に翻弄されたって仕方がない。シドラやナグロスはともかくだ、バラキまで誤摩化すなんて、並大抵じゃないもんな。」

ガンダルファは一気にそう言うとシドラがよく考えて結局、怒り出す前にまた話を切り替える。

「ところで関係ないけどさ、ナグロス・カミシロって名前、なんだか、怪しくない?。結婚詐欺師みたいなんだけど。ブラジル帰りって触れ込みもどうなんだか。」

ガンダルファはずっと引っかかっていたらしい。

「そんなに変ですか。」「絶対、インチキ臭いって。」

「そんなことはどうでもいい!」さっきの話を反芻したシドラがようやく。

「まったく、おぬしにはバカにされるし。ドワーフどもには逃げられるし。最悪だ。」「バカとは言ってない、油断したって・・・」「ところで、その」

すいませんとガンダルファを遮ったナグロスの顔には隠せない緊張がある。

「ありえるんですか、アギュ。私達が見たその、『ドワーフ』ですか。劣化体にまちがいないんですね・・・連邦ではもう、この目で見ることはできませんから。それがこの『果ての地球』にいるなんて?私がこの村に隠れていた頃はそんなものはいなかったような気がするんですが。勿論、私の能力は限界がありますが。」

しかし、アギュはバラキからもらった肉片を鑑定させたにすぎない。

「あの姿、形はまちがえようがあるか。伝え聞く通りだったろ、ナグロス。」

「ニュートロンには違いないんだよなぁ・・・進化体じゃないの?」

「違う。劣化体だ。」「次元能力があるなら、普通は進化体て言わない?。」

「レッカタイは・・サイボウ自体のモンダイです。・・・サイボウがハカイされキホン的なニンゲンとしてのセッケイズが保てなくなったジョウタイです。」

「惑星上の普通分娩で産まれる確率はほぼゼロですね。」

「ほら。じゃあ、やっぱり進化体じゃん。」

「そう、レンポウでは否定しているがニュートロンだ。カバナリオンではそれはごく普通の宇宙人類の進化形態として容認されている・・・だからレッカタイとはただのブベツ的呼称に過ぎない。」アギュの唇は歪んだ。

「カバナリオンと対抗する政策故にこそ、今の連邦はその存在を認めたくないのだな。同じ人類であることは変わりないのにな、愚かな事だ。」

「姿形が祖の人類とはドンドンかけ離れて行くからね・・・ニュートロンって繁殖能力がほぼないに同然だし、どっちみち進化の袋小路に陥るから連邦は嫌っているんだろうね。それにしても、進化体(ニュートロン)自体、重力変化に対応する能力が低いから惑星では生きれないはずだけど。」

「そう、レッカタイは、このジュウリョクの下では生きられないはずです。」

「確かに。奴らにはこの星の重力に耐性がある。しかも、あれだけの人数・・・」

『ナグロスにも隠していたこと。フネ、ホウライ・・・そして、レッカタイ』

劣化体が侮蔑的呼称であるように最高進化という呼称もそれと大して変わらないとアギュは思う。その秘密をさぐり利用する為に、誤摩化されているだけだ。

静かにアギュは山を見つめ続ける。

キライリサコの秘密は奥が深い。闇に葬り去りたい事情がたくさんあるようだ。

イリト・ヴェガの結論はもう出ている。アギュの結論はまだ出てはいない。

激しくなった雪にシドラ・シデンが目を細める。

「誰かがこの星の上で連邦で生存を認められない劣化体を違法に増やし続けてた・・・連邦保護下のここではそれは重罪だ。目くじら立てる理由に充分だということだな。」

「それが姿をくらました理由かな・・・?」

そう話す4人の姿はいつの間にか雪に紛れて消えていた。

 

           素子と牡丹

 

「姉さま。」牡丹が何度目かのターンの足を止めかける。

「今、あそこに人が。」エレファントは動きを止めない。

「亡霊だろ。」吐き捨てるように唸る。「勇二がいたら喜んだろに。」

「我々の踊りが眠れる霊魂を呼び起こしたってことですかね。」

切れ切れに続いていた音楽がとうとう止んだ。

エレファントがやっと手を離し、雪の上に無造作に置いてあったプレイヤーを拾いに行く。牡丹は大きな肩に積もった雪を払い落とすとため息を付いた。

「・・・兄さまは遅いですね。無事なんでしょうか。」

「基成勇二がやられるわけないよ。」エレファントが小さなデッキをジャージのポケットに突っ込んだ。「連絡もないが、そろそろ追いついて来る頃だろうよ。」

牡丹は先日、御殿を出る直前に兄と慌ただしく交わした会話を思い出す。

 

「村に着いたら、けして譲くんから目を離さないで。」

「兄さま、雅己くんはいいんですか?」

「ひょっとすると、この件のキーマンは譲くんかもしれないわ。」

「え?」

「あの警官達は最初、譲くんを殺そうとしなかった。彼の前で雅己くんを殺さないと言ったのが本当だとしたら・・・彼は偶然に巻き込まれたわけではないのかもしれない。」だから、兄上は何かと岩田譲に関心を示していたのか。

牡丹はそう聞きたかったが、既に兄は車を降りていたし、素子はランドクルーザーのアクセルを踏み込んでいる。

後部座席の雅己と譲は疲れきって眠ったまま、目を覚まさない。

基成勇二が焦っていたのは、襲撃を予期していたからだ。

ただ、一歩間に合わなかった。あの後、車を出す為にガレージのシャッター開け放つと同時に、そこから賊は侵入して来た。

基成勇二は場に残り、敵に立ち向かうことを選択した。

仲間を逃がす為だけではない。

襲わせてその戦いの中で敵を見極めようとした。

敵に自らを晒す事を厭わない。

自らの肌で感じ取ろうとする。

基成勇二はそういう個性。

だから。けして死にはしない。

 

「さあ、もう村に戻ろう。子供達が心細がっている。」

「そうですね。」牡丹も素直に従う。

「村に戻ったことはもう警視庁にも知れたでしょうし。」

「敵にもな。勇二がもし間に合わなかったら・・・あの子達を守るのは私達。」

「わかってます。姉さま。」

2人は雪道を歩き出す。

その手足を交互に踏み出す動きは遠目でも見事に揃っていた。


スパイラル・スリー 第八章-1

2014-03-15 | オリジナル小説

         まずは湯気の中から

 

もうもうとした湯気の中、二つの小山がぼんやりと浮かんでいた。

檜の強い香り。湿気と熱気の中、蒸気の霧でほとんど何も見えない。しかし、その霧の発生源は天井と床の両方に設置された機械からミストとなって意図的に吹き出されている。窓のない狭い閉鎖的な空間で、さっきから二つの小山のひとつから声が発せられていた。『ねぇねぇ、ねえったら。』

少女のように高い声だが、勿論二つの小山以外にそれらしい姿はない。

『意地悪しないでよ。あんたってほんとぉっに、前々から私に意地悪なんだから!。』

甲高い声は湯気の為か湿っている。その声が先ほどから望んでいる返事が一向にないからだ。山は身じろぎもしない。声は更にじれる。

『あんたったら、まさかこの私に喧嘩売ってるわけじゃないわよねぇ?もぉう、絶対に売ってるしぃ!・・私とやるっていうの?やるって言うんなら受けて立つわよ!』

『・・・誰も喧嘩など売ってないわい。』ついに隣の山が動いた。

『おまえの話、熟考しておっただけじゃ。そのべしゃりやめんかい。』

それを受け高い声は俄然、元気になるた。

『そうそう、そういうのが欲しかったのよ。ちゃんとした合いの手。折角さぁ、私が忙しい合間を縫ってこうやって一生懸命、話たわけなんだから。』

『あのな、何も会って話すことはなかったんじゃないかの?こんなとこでわしとサウナに入っているほど暇なのか?今すぐ、後を追った方がいいんじゃないのかのう。』

会話からして甲高い声の主の方が年下と思われるが、2人の外観はあまり差は見られない。見られないどころか、双子のようだ。髪型から顔の造形、その肉体の大きさ。裸体のせいもあるが、まさに彼等は二つの肉の小山だ。

檜のベンチに仲良く並びどちらもタオルを腰に巻いているが、まるで小さなハンケチを乗せてるようにしか見えない。片方がそのタオルを取り上げ、潰すようにしぼる。水が辺りに飛び散り、瞬く間にそれも蒸発した。

『それがさぁ、そうもできない状況がわかったから、こうして来たんじゃないの。』

『ふん。たまたま運動をしたんで、汗を流したかっただけじゃないのかの?』

『まぁ、それもあるけどね・・・ここならヘタな邪魔は入らないし。二人だけの密談ぽくて良くはなぁい?』もやもやとしたミストの中にぼんやりとした影が浮かんでは消える気がしたが、目の錯覚かもしれない。

『で、どうしたいんじゃ?おまえは。この始末をどう付けたいのかの?』

『そうなのよね・・・ねぇ、どうしたらいいと思う?』

『おいおい、ふざけるなと言いたいのはこっちじゃぞ。わざわざ、遠くからこんなとこまで呼び出しておいてだ。しかもまだ夜が開けたばかりじゃぞ。』

『そうそう、アメリカくんだりから上野のサウナまでよねぇ。』

何がおかしいのか、高い声はコロコロと笑っている。

『すごい検体が手に入る!今回は間違いなし!期待してて!とは、おまえの言った台詞じゃ。それを信じてわしはこうして全てを放り出して来たんじゃ。』

『だからさぁ、せっかく来たんじゃないよぉ、知恵を貸してよぉ。』

『その・・おまえのお姉さんはなんと言っとる?ほら、おまえの守護天使じゃ。』

『私の守護天使様はね、あんたのそう言う冷たい態度はほとんど嫉妬だって言ってたわよ。確かに、あんたって本当はすごい目立ちたがりやだもんねぇ。ほんとはこっちの仕事、やりたかったんじゃないのう?』

『何言うとる!誰が目立ちたがりじゃ。おまえだけには言われとうない。ちゃんと仕事しろ。』

『してるわよぉ、してるじゃないよぉ。だから、こんな面倒をしょいこんじゃったんじゃないよぉ?』またひらひらと影が舞った。

『天使様はねぇ・・・善処してみるとは言ってくれたんだけど・・・私じゃあ、確約ができないじゃないの?だからさぁ、心苦しいわけ。とりあえず、あなたから話を通しておくようにって言われたのよ。この子達はさ』揺らぐ影に手を振る。

『私を見込んでくれてるの。もしも、手伝ってくれたらね。私達にも協力してもいいって言うの。何もかも話す、証言してもいいってそこまで言ってくれてるのよ。』

『・・・なるほどのう。』と鼻からの息。『そういうことかい。』

にしても、ここすんごく熱いわねぇ、と息を整えた。

『お願い。』その声にそれまでの甲高さは押さえられている。

『頼むわよ。こっちも犠牲はなるべく最小限にしたいもの。』

『それはのう・・・難しいところだのう。おまえの守護天使をもってしてもの。』

吹き出た汗の玉がどちらの顎にもラインに沿うように幾つもぶら下がっていた。

身動きする度にそれらが辺りにしたたり落ちて板に吸い込まれ消える。

『どっちにしても。おまえはとにかく、ただでさえ目立ち過ぎだ。くれぐれも油断せんことじゃぞ。』再び、もうもうと湯気が立ちのぼり視界が遮られた。

『わかったわよ。結局、なんのアドバイスもいただけなかったってことで・・・適当に流れに任せてやってみるから、もういいわよ。』

『嫌みじゃのう。こっちとてフォローせんとは言うておるまい。』

ようやくどちらかが身を動かし、木が軋む音が薄暗い柔らかい照明の室内に響く。

『・・・経緯はざっくりとじゃがわかったからの。とにかく何が出来るか・・・上に話を通して万全の援護体勢を整えておくことだけは確約する。』

『あっそう。私はできる範囲で最善の努力をするわ。私達の最初の目的である検体も手に入れられるチャンスがあれば逃さないつもりよ。』

『とにかく・・・検体はいるんじゃな?』『私の勘では必ず。』

『わかった、無理はするな。助けがいる時は遠慮なく呼べ。』

『あなたはしばらくはここにいるってことね。まったく、頼りになるわ。』

この時、熱と圧力に凝縮された部屋の空気が激しく動いた。

サウナルームの重い扉が開いたのだ。木製の二重ドアを開けて入って来た2人連れの男性客が室内に鎮座する二つの肉体に驚いて入り口で躊躇するのが湯気越しにも伝わった。すかさず、片方がタオルを手にする。

『ならばこれで。おまえも遊んでる場合じゃないじゃろ。』

『そうね、私も行くわ。これから一仕事も二仕事も待ってるんだから。』

大きな二つの小山は段差の付いたベンチを横滑りに降り始めた。

見え隠れしていた影達はこの時は既に消えている。