MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラル・スリー 第九章-3

2014-03-17 | オリジナル小説

         ヤクザ達             

 

雪の上を滑るように進む影があった。ひとつ、ふたつ・・・20人から30人はあろうか。先頭を進むひと際でかい影達を除くと後は不揃いな集団だ。

若者から壮年と言える男達。髪を剃ったもの、角刈り、パンチ、茶髪、無造作にムースを付けて流した髪、長髪。所謂ヤクザスーツからチンピラ風、Bボーイ風にロック系というように服装はまちまち。それぞれに獲物らしいモノを手にはしている。ただし、おかしいといえば彼等の姿はこの雪が積もる山間にふさわしいとは必ずしも言えない。寒くないのだろうか。彼等の吐く息が白くもうもうと上がっているが、まばらな街灯の下に差し掛かったときだけそれが目立つ。今夜は月もない。

足下も凍った路面にふさわしいとはいえないのに、誰1人足を滑らせるものがいない。整然と黙々と進む集団は軍隊の行進に似ているが、水を弾く揃った足音と息づかいしかしないのは異様である。見れば彼等は一様に表情がなく、目は開いているが薬を打ち過ぎた時のように瞳孔が開いたまま。まるで死人の行進だ。

村から降りた国道の脇にパトカー2台が停まっている。

先頭の男が手をあげると、音も無く集団が止まった。

何人がそこから離れて歩き出す。足音も無く獣のように。動きは1つの乱れもない。言葉は交わされないが、図ったかのように滑らかに組織的に動く。

パトカーの1台、4WD仕様の方の車のエンジンがかかり、中で話し声がしていたようだが、一瞬のくぐもった叫びの後で途絶えた。

辺りに響いていた無線の音も、ふいに途切れる。回転灯の灯りもエンジン音も消えてしまった。見れば2人の刑事達は胎児のようにを丸められて後部座席に詰め込まれている。眠っているのか、あるいは・・。

辺りの雪は踏みしだかれたが音はやはり、ほとんどしない。

再び、進軍の合図。離れた所にたたずんでいた集団が動き出す。

巨躯の影が警察車両のドアを静かに閉める。それからやや離れたところに停めてあった大きなランドクルーザーに向かう。頑丈な車を軽々と手際よく壊し始める。

エンジンがいじられ、タイヤが外され、ドアがむしり取られるのにも幾らも時間がかからない。集団がパトカーに達する前にそれらはすんでしまった。

破壊を尽くした後。影達と軍団は再び、村を目指した。

4列縦隊が2列になった他は静かに私語もなく。

 

 

         勇二の帰還

 

その集団が通り過ぎて幾らもしない。再び路上に人影が現れた。

 

丸く大きな影である。

月のない夜。街灯もない道路をそれもまた音もなく歩んで来た。

道路の雪は夜になり再び凍り始めている。

その回りをなんであろうか。付き従うように小さな獣の様なこれまた小さい影が跳ね回っていた。跳ねては消え、消えてはまた慕うように。その姿は揺らいだり掠れたりして人の目には定かではない。

それらを従えたくっきりとした大きな影だけが凍った路面を確かな歩みで歩き続けていく。そして、破壊された車の側でしばし立止まった。

「・・・ひどいことをするわね。」

基成勇二の声が深閑とした辺りに響く。「退路を断ったつもりかしら?」

踏み荒らされた雪面をじっくりと検証した。

「ずいぶん、兵隊を連れて来たようね。」

フッと笑い、パトカーに歩み寄ると2人の私服の警官の安否を確認する。

「眠らされているだけか。」トランクを開けるとそこにあった毛布を取り出し、6と9の形に座席に詰め込まれた男達の上を覆うように包み込んだ。そして注意深くドアをしっかりとしめる。

「車はまだ暖かい・・しばらく凍死はないわね。」

歩み寄ったぼんやりとした影が次々に手に触れると順番にその頭を撫でた。

「あなたたち、何人かお願いしてもいい?。死なないように見張っててちょうだい。」

そう命じると幾つかの影が嬉し気に言葉を発するのが聞こえるようだ。

「さあ、準備万端。」

パンと手を打ち鳴らす。

星明かりに大きな黒目が光る。

「あんた達の目的はわかったわ。任しといて。命の恩人だもの、できるかぎり協力するから。」

そう言うと、猛然と巨体を駆使し雪道を上がり始めた。

その後を跳ねるように見え隠れする無数の影も付いて行った。

 

 

        香奈恵も悪魔と共に

 

「さ、寒い!」

香奈恵が助手席で悲鳴を上げている。

「買ってやっただろさ。ダウンジャケットやその他、モロモロ。」

「足りないわよぉ。」ホッカイロに毛糸の手袋をすりつけた。

「セーターだってもう一枚、買っても良かったんじゃない?これと色違いでさ。」

先ほど、国道沿いのドライブインで焼き肉を腹一杯食べたがまたお腹が空いて来たように感じる。夕飯を口にしてからもう2時間以上山道を走っているのだ。

神興一郎は顔を顰めつつ、国道から脇道を捜していた。鬼来村のだいたいの場所はわかった。もうすぐそこと言ってもいいが上がる道が見つからない。

「まったく大した買い物さね。おかげで、えらい時間かかったさ。」

予定外の出費も嵩んだ。

「仕方ないじゃない。ジンだって雪積もってるとは思わなかったんじゃないの。」

同じようなものはジンも着込んでいる。香奈恵のよりは更に高いブランド品だ。

あれやこれや選り好みした香奈恵のことは言えない。

見栄っ張りでお洒落な悪魔はついつい、買い物に熱が入ってしまった。スノーブーツには膝上まで皮が付いているし手袋も靴とお揃いだ。

「おや・・パトカーさね。」

軽自動車は道端の盛り上がった雪に突っ込むように停まる。

「こんなところに?」香奈恵も曇った窓を手で拭いた。ライトがなかったら気が付かなかっただろう。杉の木が生えた林の一部が道路に沿って空き地になっているようだ。

ジンが勢いよく外に出ると足の下で氷がバリバリと鳴った。

2台のパトカーをジンが覗き込んでいるのを見て香奈恵も嫌々、覚悟を決めた。

ドアを開くと冷気が押し寄せて来る。

「ううっ~、さ、寒い!」首に真新しいマフラーをきつく巻き付ける。足下がすべりおぼつかない。車にすがって立ったまま、動けずにいた。ジンは今度はちょと離れた事故に合った後捨てられたように見える廃車を確認している。

「ジン、どうなの~?」

「・・・ここ、みたいさね。」

戻って来たジンの顔がライトに照らされる。瞳が赤く燃える。その表情の厳しさに香奈恵はスッと背筋が寒くなった。

「ここ?」「ここが鬼来村の入り口に当たるみたいさ。」

「なんで?パトカーがあるから?」足下を見ると10センチほどの雪に覆われた空き地の真ん中が盛大に踏み荒らされており、いくつかはっきりと人の足跡とわかるものも幾重に重なりあって残っていた。

「できたばかりさね。」ジンの視線を辿ると足跡は杉林の中に続いている。入り口と思われる所に赤い鳥居が見えた。

「象の団体でも通ったのかもね?」微かな魔力の香りがする。急いだ方がいい。

「く、車では行けないのね。」香奈恵はショックを受けた。「歩き?この雪の中を?しかも夜で山で・・・」悪魔もいるとくる。ジンが車の後ろから大きな懐中電灯を取り出して、辺りを照らす。こんもりと盛り上がった林の上に竹林のようなものが広がっているのが香奈恵にも一瞬見えた。

「行くしかないさ。ここまで来たんだし。」

「そ、そうね。」ジンが車のエンジンを止める。

ライトが消えると寒さが増したように感じた。ジンが2人分の急ごしらえの荷物が入ったリュックを背負うと持っていた懐中電灯を香奈恵に渡した。

「香奈恵ちゃんは俺っちの後ろから照らしてくれ。」

ジンは香奈恵には何も説明しなかったが、パトカーの後部座席で不自然に眠る警官達を見ていた。破壊されたばかりといった感じのランクルも見た。魔物の目には霊能者の家が破壊される直前、走り去った大きな車のナンバーが記憶されている。まちがいはない。そして、今しがたその車を破壊したのはおそらく。

ゆらゆらと小さな影がいくつか視界を横切ったようだが、錯覚だろうか。

足跡から立ちのぼったような魔力の香りは今度はしなかった。

ジンは息を吐き、集中して耳をすましたが半径1キロ以内に他の車の気配はない。6つ子か5つ子か知らないが、やつらはなんで来たのだろう?乗り物が見当たらない。どこかに・・・奴らの乗って来たものがあるはずだが、どうやらかなり遠くに置いて来たと見える。と、言う事は・・・

『上でかなりなことをする覚悟ってことさね。皆殺し的な・・・?まさかね。さすがに警官は殺さなかったってことは・・・やっぱり、兄ちゃんの友達のキライとかいうヤツの拉致が目的なのかな。』

しかし、必要があれば邪魔になるものは容赦なく殺すだろう。霊能者の家を最終的に容赦なく燃やしたように。何人だかしらないが、自らの兄弟すら切り捨てる奴らなのだ。

ジンは香奈恵の兄が心配になって来た。

もはや説得などというまどろっこしいことはする暇はないかもしれない。

「それにしても、なんでパトカーがあるのかしらね?」

香奈恵は危なっかしく雪面をあるきながら暢気な事を言っている。

「キライとかいう友達がさ、何かやらかしたってあの弁護士野郎が言ってただろ。」

「ああ、それで?納得。」

「事件があったって話は確かみたいさね。」

「何をやったのかしら?まさか、殺人?とかじゃないよね。兄貴、大丈夫なのかな?ねぇジンさん、悪魔の第六感とかでさ、ズバッとわからないの?」

「人間になってる時はそんなに自由はきかないさ。」

「まったくもう・・使えないわね!」

「おい、こら。使えないって言うなよ。いくら温厚な悪魔でも終いに怒るさ。」

香奈恵はジンが崩した雪の上をなぞるように踏みながら「その友達、本当に譲兄のお友達なのかしら!いったい何をやらかしたのよ!警察沙汰なんてさ、まったく!ママリンには教えられないわ!」ブツブツ言う香奈恵を律儀に気遣いながらもジンは前方に注意を集中して進んだ。鳥居をくぐり林の中に入ると思ったよりも足下に雪がない。杉の葉が柔らかに積もっていてよく手入れされた林に思えた。

その地面が乱れている。杉林はやがて竹林へと続く。

今しもその先で何かが起ころうとしているのだ。

背後の香奈恵を守りつつ、その兄を連れ出さなくてはならない。

急がねば。いや、急ぐ事もあるまい。

連れもいる。急ぎ過ぎるとかえって危険だ。

状況をよく見定める為には事が始まって・・・その混乱のどさくさに紛れるのがもっとも安全だ。『生きててくれよ・・・香奈恵の兄ちゃんよ。』

高みの見物はその後。


スパイラル・スリー 第九章-2

2014-03-17 | オリジナル小説

                             雅己の実家

 

 

おっかなびっくり譲は鬼来に腕を引かれて廊下の外れの急な階段を登っていた。

「ぼくの部屋は2階だよ。わぁ、何年ぶりだろ。6年ぶりぐらいじゃないのかなぁ。」「卒業後、一旦家に帰ったんじゃなかったか?」

「あれ?そうだっけ?」雅己が真剣に首を傾げる。「そんな記憶ないなぁ・・・そのまま就職した気がするけど。」「でも、おまえは確か・・・一度は家業を継ぐって言って田舎に帰ったはずだ。その後、俺にも内緒でこっちに出て来てたんだろ?2年前に、歌舞伎町で再会したときはもう、桑聞社に勤めてたんだからさ。あの時はほんとびっくりしたよ。」

階段も廊下も盛大にギシギシと鳴る。確かに素子達が上がったらこんなものでは済まされない。「ああ、そうか!」雅己が急に大きくうなづいた。「なんだろう?そのことすっかり忘れてたよ。そうだ、そうだ、確かにそうだよね。」「大丈夫か・・・キライ。」譲は雅己の記憶の曖昧な部分がとても心配になる。記憶喪失は実はさらに深刻で、失われた箇所が斑だったりするのだろうか。まぁ、明日は専門医に診てもらえるようだから。

「それにしても広いな。おまえんちってお金持ちだよな。」

「いや、それはないよぉ。お金があったとしても昔の話だよぉ。広いったってもう古いだけだしさぁ。」

雨戸が閉じられている2階は薄暗い電灯に照らされた廊下の両側に部屋が4つずつ並んでいた。彼等は端からひとつひとつ開けていった。

「ここが、ぼくの部屋だよ。」古道具が詰め込まれ見るからに使われた形跡がない部屋が二つ続いた後の3番目の部屋だ。

「岩田譲さま、ごしょうた~い!ほんとはこんな時じゃなくて正式に遊びに来て欲しかったけどね。」雅己は勇んで譲を引き込んだ。

「なんだ、見るからにオタク部屋じゃないか。」譲はそう言うがじっくり見たいようなものが溢れていることはもうすぐに気が付いている。本と漫画とDVDとCD。マンションにあったものより多い。そして溢れかえってはいるがキチンと棚やプラスチックBOXなどに収納され並んでいる。壁にはホラーとSF映画のポスターがズラリ。かがみ込む譲をおいて、鬼来は部屋の中央で立ち尽くした。

「なんだろ・・・」

「どうした?記憶と違っているとこでもあるのか?」

「・・・わかんない。変な感じ。」

譲は勉強机に近づいた。机は鬼来が子供の時に貼ったのだろう、漫画やアニメのシールだらけ、ボールペンの落書きや傷もついたままだ。引き出しの中は古びた文具やノート、漫画や雑誌の切り抜きで乱雑に溢れている。

反対に机の上にキチンと並んだ切り抜き帳やファイルには、UFOや怪奇関連の記事などが丹念に切り抜かれて見やすく配列されていた。子供の頃の宝物だ。

「・・・わかんなくなった。」ふいに鬼来から言葉が漏れた。

「ぼく、これを知っている・・」

「知ってて当たり前だろ。」しかし、雅己は首を振るばかり。

「知っている・・・知ってなきゃいけないんだ。でも・・譲っち」

鬼来が顔を上げると目は涙で一杯になっていた。

「なんだか、前も言ったと思うけど・・・自分の記憶じゃないみたいなんだ。そう言った意味じゃ、まだ思い出せない・・ぼくは・・そんな感じ。」

「それって・・・つまり、分離している感じなのか?」

雅己がうなづく。「確か、離魂病とか・・あったよな。」譲は知識を振り絞る。

「キライ、おまえはそれかもしれない。でも。」友人の涙を見ないようにして襖を開いた。押し入れの湿気た布団やもう着ない服のカビ臭い匂いが鼻腔を突く。段ボールや茶箱、行李。グローブやバット、クラッシックギターもある。

キライは降霊会で記憶を喪失したが、精神の病も発祥したのかもしれない。いや、それも基成先生の分野だろうか。いつ追いついて来てくれるのだろう。

携帯を見るが圏外なのは変わらない。改めて編集長に連絡を取りたかった。

譲達に置いてけぼりにされて、怒ったんじゃないだろうか。いや、そんな子供っぽい性格ではない。あきらかに異常だ。

雅己が涙を拭っているのを感じる。「大丈夫だ、キライ。」

今度はしっかりと雅己を見る。「時間が経てば、回復する。」

「そだね。」

2人は残った部屋を見て回わった。隣は客を泊める為の部屋のようであった。その隣が雅己の兄貴の部屋であるらしい。大人の男性の部屋である雰囲気。ただ、ものは少なく質素だった。一番、奥が母親の部屋だという。キチンと片付いたベッドには使われた感じがない。後は洋服ダンスとドレッサーしかない。

確認すると下に降り、居間にいたエレファントに誰もいなかったと報告する。

素子は牡丹が容れたらしい薬缶のお茶をテーブルの上の二つ湯のみに注いだ。下の村で買ってきた、手作りの酒まんじゅうもそっと添える。

エレファントって確かに妙にキライに優しいよな。譲は無言でそのお茶を飲む。やけるように熱い茶は胃に染みて行った。

外には闇が訪れようとしていた。

牡丹がいる台所からは良い匂いが漂い始めている。

時計が7時を打つ頃、彼等は並んで牡丹が精魂込めた食事を囲んでいた。驚いた事に見事な和食だった。炊飯器で米を炊き、大きな鍋に様々な野菜と肉を味噌で煮込み、タレに付け込んだ魚を焼いた。警官達は麓で買って来た弁当を食うと言い張ったが、結局鍋を突く事となる。

「静かだねぇ。」話が途切れた時、鬼来がしげしげと呟いた。

「まったくだ。」と譲。「テレビもないしパソコンもない、携帯も通じないと来た。」

「ここはさぁ、陸の孤島だものよ。」巡査が笑う。「この村はさぁ、昔から人付き合いしねぇもんな。だろ?」雅己もうなづく。

「出不精の集団だよね。」

「今時、こういう村があるとはなぁ。」と、譲。

「まったくですよ。電話は麓の村で借りるんだから、畏れ入ったもんだ。デジタル放送の騒ぎの時も自分達で建てるから補助金はいらないって言って、結局、アンテナなんていまだ建ててねぇだろ?」街から来た警官達も感じ入るようだ。

「へぇ、念が入ってる。あくまで世間から隔離したいみたいだ。」

「ほら、にいちゃん。名前さぁ。この村は、鬼が来るって書くだろい。」

髪が白くなりかけた巡査は皺も深い。

「少し前まではおらんとこの村ども、ここは付き合いがなかったんだ。鬼の村、忌み村じゃて、言うてよ。」

「回りから疎まれていたってわけだ。」エレファントがボツリと。

「んだ。」巡査の言葉に警官事達もうなづく。

「ここは死人帰りの村だからよぉ。だから、鬼来村なんだよ。」

「その死人帰りですけれど」牡丹が台所から居間に這い登って来る。「具体的にはどういう伝承なんでしょう?」牡丹の目はキラキラと巡査を見つめている。

「あんた、興味あんのか?」「そういう話を集めているんです。」

「どういうの?ぼく、聞いたことあるかなぁ?」

「おまえの村の話だろ?それも記憶喪失か?」「かもねぇぇ。」

「江戸時代から、死んだものが帰って来るという話はあったんだよ。」

巡査は今いる本家の裏、トイレの方を指差した。外には村が抱かれている山がある。

「周辺の野山には子鬼が出るって噂も昔からあったしな。荷負いも物売りも嫌がったんじゃ。鬼来の方からは物を仕入れに来たし、農作物や織った絹を売りに来たもんだけどよ。働きにも来た。嫁に来たもんもおる。だけど、おらが聞いたんは戦前の話だよ。おらのばあさんの隣のじいさんの嫁さんがこの村の出身だそうでの。法事に帰った時に死んだはずのこの村の人間を見たという話じゃ。」声を潜める。

「その頃、この村はあまり人が来ねぇことをいいことに戦争忌避者を匿っていたらしいし。」「ああ、その話は聞いた事、あるな。」警官の一人がうなづく。

「その為にそういう寄り付かれないような噂を流したんじゃないのかい。」

「さあな、もう昔の話じゃもの。おらのばあさまの時代じゃから。みな、祟りが怖くて薄々知ってたども、当局に密告するやつもいなかったらしい。」

「祟ったの?」今度は鬼来が身を乗り出す。

「祟ったんじゃと。」これでは孫に昔話をせがまれるおじいちゃんだ。「密告しようとしたおらの村の村長一家が亡くなったんだと。」

「それ本当に祟りですか?事件じゃなくて?」うどんを啜る警官。

「1人は途中で谷に落ちて・・その死体を引き上げて村に帰ったら落雷で家が焼けてじいさんばあさんと子供らが死んで、それを見た息子は頓死した。」

「すさまじいですね。」驚きつつも、譲の好奇心が動く。

「それじゃあ、確かに祟りってことにもなりますね。」

「んじゃろ?」鍋に暖まった巡査が赤い顔をほころばす。

「さあさあ。」ふいにエレファントが声を上げた。

「昔話はもういいから。今夜はもう寝る用意をしな。」

ただの時計と化したテーブルの上の携帯を譲は見る。いつのまにか8時50分を表示しようとしているではないか。そういえば夢中で食べてる間に8時の時計の打つ音を聞いたような。

「ええーっ、もっと話を聞きたいよぉ。」雅己がごねる。しかし。

「おおっ、もうこんな時間か。」刑事達も慌てて汁を啜ると「ごちそうさまでした。」とそれぞれに椀を置いた。「では、おら、いや我々も。本部に報告しませんと・・」巡査が席を立った。「私が車まで行って来ますよ。」「いや、それじゃぁ悪い。」

「いやいや、雪道は慣れてますから。」そう言い合ってるのを背中に譲も箸を置く。

「ねぇ、どこに寝るの?ここにみんなで?」牡丹が片付けを始めた。

片付けを手伝う横で雅己はまだうどんをお替わりしようとしている。

「あなたはねぇ。」またエレファントの声が優しくなる。

「上で譲くんと休みなさい。自分の部屋で。」

「えっ。」「やだよぉ!」それは譲もだった。

「みんなと一緒に寝たいよぉ。」さすがに声を合わせるのは控えたが。

「自分の部屋で寝た方が、休まるでしょ。」そう言うと、譲に「あんたも雅己ちゃんの部屋に一緒に寝るといい。」雅己ちゃん?。

「譲と一緒ならいいよ。」雅己がニコニコと「ねぇ、一緒に寝ようよぉ」なんだか、誤解を産みそうな台詞だ。1人だけ基成姉弟に挟まれて寝るのは譲もごめんである。かと言って上で雅己の隣の部屋で1人で寝るのも怖い。

「素子さんと牡丹さんは?」素子は応接間に続いている和室を見る。

「私達はここにでも寝ようかね。」

「じゃあ、お巡りさん達は廊下を挟んだ方の部屋ですね。」牡丹が応じた。

「さっき確認しましたが、この家布団ならたっぷりありますよ。」

この姉と弟だったら布団だって、一枚や二枚では足りまい。

警官達は3人で一旦外に出たようだった。一番、年かさの巡査が戻って来る。

「お巡りさ~ん、さっきの話の続きを聞かしてよ。」

「んん、後でな。まずはしょんべんさせてくれや。」

「仲良しになっちゃいましたね。」牡丹が台所に消える。

老人と孫は廊下の奥に消えて行く。

その様子を見ていた譲の耳に素子の呟きが聞こえた。

「・・・寝れたらいいが。」

エレファントの言葉に譲も思わずうなづいたのだが、後で思えばそれはその言葉の意味をはき違えていたのだった。


スパイラル・スリー 第九章-1

2014-03-17 | オリジナル小説

    9・なにもかもが村を目指す

 

           阿牛ユリ

 

 

迷った末に覚悟を決めた寿美恵が大きな車に乗りこんだ後から乗り込んで来たのはユリだった。寿美恵の一挙一動に神経を集中していた男は足音を殺して近づいて来た子供にまったく気が付かなかった。ドアを閉めようとする男の腕の下をかいくぐって当然のように現れるまで。男は動揺してドアから腕を放した。

「なんだ、誰だ?どこから来た?」

「ああっ???ユリちゃん?なんで???」寿美恵も驚愕した。

さっき国道でユリと渡を見かけた。うまく撒いたと思っていたが、後をつけてきたのだろうか。渡の姿を捜したが駐車場にそれらしい人影はない。

「私も行く。」ユリは寿美恵に寄り添うように座席に座り頑固に頬を膨らませた。

「降りろ。」

「いやだ。」

汗が出て来た。「ユリちゃん。」寿美恵は取り乱しかける自分を必死で押さえる。ユリは他所様の子なのだ。連れて行くわけには絶対にいかない。

「いいじゃないか。」

当惑とは別に奥の座席から抑揚のない低い声がかかった。

「面白いガキだ。おまえが気配に気が付かないとは。」

奥の革張りの赤いソファを独占しているのは銀髪の老人だ。

老人?顔に確かに皺が刻まれている。しかし、その眼は老人の眼ではない。

その眼をまともに捕らえて見返す子供の姿を上から下まで眼が薙ぎった。

寿美恵は震え上がったが、ユリはニッと笑う。まるで共犯者みたいに。

「いいだろう。乗せたところで大した違いはない。」

「しかし。」弁護士は舌打ちした。「子供は話が大きくなります。」

「代価は自分で払うんだ。」わかっているのかこれに、ユリは大きくうなづく。

「あんたの子ではないな。誰だ?」これは寿美恵に。

「ユリだ。」ユリが答える。「寿美恵は渡のおばさんだ。寿美恵がいなくなったら渡は悲しむ。綾子おばさんも心配する。探しまわるだろう。だから、ユリが付いて行く。」

「ふん。」老人の目が再びシゲシゲと見る。ユリも遠慮なくジロジロと見返す。

「おまえが付いて行ったからと言ってどうにもなるまい。」

「見定める。」ユリは口を引き結んだ。「そして必ず、連れて帰る。」

「ほほぉ?」老人の息に微かにあざけりが混じる。

ユリの顎は怯まずにツンと上がった。

「ユリは名を言った。人に名を問うたら自分も名乗るのが礼儀だと教わっている。」

「このガキ。」弁護士が伸ばした手を払って寿美恵がユリを庇った。

「触らないで。乱暴するなら、私は降りる。」

「そんなことをしたら、息子さんの行方がわからなくなりますよ。」

寿美恵は唇を噛んだ。しかし、ユリを抱き寄せた腕は緩めない。

体が震える。しかし、ユリがここまで頑張っているのだ、寿美恵にも意地はある。

「もういい、面倒臭い。」老人が場を仕切る。

「子供は連れて行く。」弁護士に命じるとユリに目を戻す。

「利口なのか、バカなのか。おまえに口の聞き方を教えてやろうか?」

「まだ名を聞いていない。おまえは誰だ?」

ユリは頑固に繰り返した。

弁護士が呆れたように肩を竦め、スゥイング・ドアを施錠し助手席へと回った。

向かい合った座席で二人は謎の老人と対峙するしかない。

「子供、わたしの名前を知ったら2度と帰れなくなるかもしれないぞ。」

「ユリちゃん・・・!」寿美恵の息が震えた。ユリを止めようとする。

しかし、なんだろう。

ユリはこの老人が少しも怖くはなかった。勿論、この男に本当に自分を傷つけることができるとは思ってはいない。例え何処にいたとしても、ユリが一言呼ばなくてもアギュレギオンが駆けつける。今でもどこかで見ているはずだ。ユリに対するどんなことも、暴力も死も、アギュが決して自分に許さないだろうとユリは知っている。でも、それだけではないのだ。

デモンバルグですら嗅ぎ取ることができなかった目の前の男から発せられている何かをユリは感知している。それが告げる。

挑発しろ、それが鍵だと。

「それでも、聞く。」ユリの本能は綱渡りのように相手の自尊心のバランスの上を渡る。「私は聞きたい。聞かせてくれ。」緊張が目で見えるようで寿美恵はユリの肩を更に強く抱く。凝りもせず折れない相手に男は口元を緩めた。

「わたしは鳳来。」

「ホーライ・・・」ユリはつぶやく。

「それだけか。」

「それだけで充分だ。」老人の頬にはもはやはっきりとした笑みが浮かんだ。

「わたしは記号だ。」

ユリはそのことをしばらく考えた。「なるほど、記号か。」

「満足か。」鳳来が眼だけを細めるとユリはコクンとうなづいた。

「満足した。」

ハラハラした寿美恵を他所に視線をほぐした2人は向かい合わせに笑みを浮かべる。ただ1人、前席にいる男は今だにユリを大人げなく睨んでいた。

『このガキ、何者だ?』プライドを傷付けられた相手が許しがたかった。

「何をしている。」それに気が付いた鳳来が笑みを消す。「早く、出せ。」

エンジンがかかり、車が動き出した。

 

            綾子の決意

 

 

「母さん、あそこ。」

渡の指が痛いぐらいに腕に食い込むが綾子は1歩も動けなかった。

「ほら、車が動き出した!行っちゃうよ!」

渡が引く腕を逆に掴み引き止めた。

『あそこへ行ってはいけない』本能がそう告げている。表に立つあの男を見た時からだ。『あれは人ではない。』綾子は思った。あれは、鬼。恐ろしいもの。

その鬼が寿美恵とユリを外車に乗せ連れ去ったのに綾子の足は一歩も動けなかった。

「阿牛さんに・・・!」動かせるのは口だけだ。その口が無意識に叫んでいた。

「阿牛さんに知らせなくてはいけない。」

「アギュさんに?」

なぜ、そう言ったのかはわからない。確かにユリの父親ではある。

警察よりも夫や父親よりも、第一に阿牛蒼一に知らせることだと綾子は言ったのだ。

「アギュさんなら・・・」渡は心で念じる。「すぐ・・来るよ。」

「来ました。」後ろから声がした。渡は驚いて振り向くが直ぐに満面の笑みになる。

振り返った綾子の顔もなぜか驚きはなく、不安の色が表から消えないだけだ。

「寿美恵さんとユリちゃんが・・・あの車に」指差す先に遥かに遠ざかる車がある。

「わかっています。」阿牛蒼一は細い首を傾げ眼を細めた。その青い眼には遠ざかる黒塗りの車が確かに映っている。ちなみに綾子と渡が見ている男の姿は同一ではないはずだったのだが。綾子は見慣れた中年男の姿の下に12年前に初めて見た時の若い細身の青年の姿を重ね合わせても別段、もう動揺はしなかった。綾子も千年に1人と呼ばれた霊能者、神代麗子の血を引いている。その血は勿論、渡にもユリにも流れていた。「あれは、魔です。」

不思議に思わなかったわけではないが、単純にそれどころではなかったのだ。今最も気にかけるべき優先権は寿美恵とユリ。

「人ではないの。だから、きっと警察には止められない。」

その言葉が口に出て初めて、綾子にはわかった。

ああ、だから自分はこの人にまず助けを求めなくてはと思ったのだ。

目の前の男の蒼い眼をたじろぐことなく見つめる。

「あなたにしかできないわ。そうでしょ?どうか、寿美恵さんを助けて。」

「わかりました。」アギュは即答した。

「安心してください。」

「アギュさんなら、大丈夫だよ。母さん。」渡も請け負う。

「寿美恵おばさんもユリちゃんもちゃんと連れて帰れってくれるよ。」

ええ、と綾子はうなづいた。

「あなたなら、きっと。」

「いつから・・・知っていました?」アギュが聞く。これは自分のことである。

綾子の網膜はいわばこれまでハッキングを受けていたはずなのだ。

綾子は自問自答する。

「たぶん・・・初めて会った時から。」

初めてアギュを見た時の恐怖を思い出していた。それはまだ、渡がお腹にいた時。あの時は恐怖でしかなかった。未知の存在だったから。今は違う。視覚を操作されていたとはいえ、渡が産まれてからの年月がある。

「少しづつ、すり替えられた視覚が緩んでいたんですね。それはあなたの能力かも。」

アギュは呟いた。その眼は蒼い。燃えるように蒼い。

綾子は自分の眼に反射するその光を感じて不思議と微笑んでいた。

「あなたは鬼ではないわ。」今はわかる。

後ろから車が走って来た。通り越して急停車する。これは普段はガンダルファが乗っているものだ。窓が開いた。

「いきなり、消えるからもう。」鴉が顔を出す。

「社長、どっか行くんでしょ?グズグズしてていいんですか?」

「これはまた手際がいい。気が利きますね。」アギュはそういうと綾子を見た。

「あなたは?」

「浩介さんやお父さん達には気が付かせられないわ。きっと卒倒しちゃう。寿美恵さんはあなた達と遊びに行ったことにした方がいいと思うの。」

「母さん、僕も行く。」アギュがきっぱり「それはダメです。」鴉も口を揃える。

「なんか知らないけど、渡くんはお母さんと家に帰るのがいいんじゃないですか?」「嫌だ!絶対!さっきだってユリちゃんに母さんを呼んで来いって頼まれたから仕方なく戻っただけなんだよ!そうでなきゃとっくに一緒に乗り込んでいたはずなんだ・・・!」やり取りを綾子は見ていた。

「アギュさん、この子もよろしくお願いします。」そう聞くと、アギュ達だけでなく渡も驚いた。「母さん?マジ?!」「いいんですか。」

「はい。」綾子は一人息子の顔にしばし眼を注いだ。

綾子にも既にわかっている。自分の血を分けた息子。渡は普通ではない。母親には隠し切れない小さな能力。機械との相性。それを自然なこととして扱い、人に疑問を抱かせない為に綾子なりに密かに心を砕いていた。その力・・・今はなんの意味があるのか、将来どうなるのかもわからない。何か大きな業のようなものを背負っていると感じる。その業を果たす為に?・・いつかそれと対決し向き合う為に・・渡は出来る限り成長しなければいけないのだ。・・・ありとあやゆる経験。それしか、この子を救う道はない。そう確信しつつも、ともすれば沸き上がる心配で鼓動は跳ね上がろうとする。離れたくない。放したくはない。しかし。綾子はそれを押さえつけるように必死で微笑む。

「あなたが家にいるのにユリちゃん達と寿美恵さんだけじゃ、お父さんもお祖父ちゃんもなんだかおかしいなって思うわ、きっと。」

そう言い終る前に渡を抱き寄せハグをしていた。

「迷惑かけちゃだめよ。」

アギュを仰ぎ見る。「お願いします。」

「わかりました。」話が早い。

乗り込んだシルバーブルーの車は瞬く間に寿美恵とユリの乗った車を追って走り去った。

それを見送り、思ったよりも心配していない自分に綾子は驚いている。

阿牛蒼一が何者なのかは綾子には正確にはわからない。霊能者、超能力者、なんにせよなんらかの力のある人間だということ以外は。

そんな不確かな相手に大事な一人息子を預けるなど、自分は気が狂ったのかもしれない。でも、綾子は自分の直感を信じた。

ふいに、綾子は自分の傍らに立つ超自然の存在を感じる。

自分の大叔母である神代麗子であろうか。

『案ずる事は何もない・・・』

その言葉が祈りのように綾子の胸に響き全身に広がり暖かく満たして行った。

そう言えば、神月のもう一人の子供トラさんの姿がなかったようだが・・後部座席にでも乗っていたのだろうか。そんなことをチラリと思ったが綾子の傍らの守護天使はただ微笑んでいるだけだ。心配することは何もないと。

そこで綾子は踵を返して、旅館『竹本』へと帰る足を踏み出す。

もうすぐ、年老いた父と母が作業から帰ってくる。昼食の用意をしておかなくてはならない。なんら変わりない日常を演出しなくては。

 

綾子は知らなかったが、見送った数分後に車は国道のカーブで急停車していた。

鴉が減速を怠って対向車線に飛び出したからだ。幸い、対向車はいなかったのだが慌てた急ブレーキに車は激しくスピンして停まってしまった。

「鴉さんのへたくそ!」アギュの上に転がった渡は叫んでいた。

「運転、したことないの?!」

「免許はあるんですよね?」アギュの問いに鴉はそろそろと車の方向を立て直す。

「持ってません。」渡が何か言う前に「だって私、天使ですからね。でも、こんなもの見よう見真似でどうにかなると思いませんか。だってほら、真っすぐだったら走れていたでしょ?」「カーブの度に停まってたら、追いかけられないよ!」譲は喚く。「そうだ、アギュは?アギュはどうなの、運転だよ!」

アギュレギオンも首を降る。臨海進化体には車の免許など必要ない。自分だけならどこにでもいける。「それに、ガンダルファやシドラみたいに知識を直接、脳に入れることは私にはできませんしね。」落ちた座席の隙間であがく渡の体を助け起こした。「だから渡、どうです?」「いいの?!」渡の目が輝いた。

「何、言ってるんです?アギュレギオン。」その意図を察した鴉。どうにか車は自分の車線に戻ったが、激しいクラクションと共に後続車に抜かれたところだ。

「まさか、未成年者に運転させるつもりですか?」

「いけませんか?」しれっと答えた。「渡は誰よりも運転が得意だと思いますよ。」

鴉はしぶしぶ助手席に移動した。譲は背もたれを乗り越えて前に移動している。

「知りませんよ、捕まったらどうするんです?免許誰ももってないんですから。」

「その時は、それ、天使の出番じゃないですか?」

「捕まらないように努力しますけど・・子供が運転してたら通報されませんか。」

「もともとあなたが車を出して来るからこうなったんです。それもそちらの非合法な技でどうにか・・・お願いします。」「気が利くって言ったくせに。」

アギュは鴉の肩に手を置いた。「私達がどこで何をするか知りたくないんですか。」

勿論、アギュは前方の車の行く先は見当が付いている。

二人の会話をハンドルに触った渡はもう聞いていない。エンジンの鼓動が体に同化する。全ての動力がエネルギーに満たされているのがわかる。それはとても満ち足りた感覚で、渡にはこの車の設計図、動く仕組みが全て頭の中に浮かび上がってきた。座ることはできないので立ったままだ。鴉が座席を渡に合わせて下げた。譲はエンジンブレーキをはずし、アクセルにそっと足を載せる。『さぁ、行くよ。』囁くと滑らかに車体が動き始めた。道に合わせて意志を持ってタイヤが動く。機械全体が走ることの喜びに震えている。それが渡と一つになっていた。

右に左にハンドルを切り、制限時速を越えて走り始めた車はまったく熟練のわざとしか鴉には思えない。

「彼、まさか・・・免許もってませんよね。」思わず、後ろに問いかけた。

アギュは夢中でハンドルと格闘している子供を見た。彼が中学生となるのは来月だ。

綾子も渡が無免許運転をするとまでは思っていまい。

さすがに笑うしかなかった。「まさか・・・持ってるはず、ないでしょ。」