MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

女達1-2

2009-10-29 | オリジナル小説

母さんは仕事帰りの道ばたで死んだ。
誰かが気がついたときは手遅れだったの。
あたしは知らせを受けて、大学から駆けつけた。
自宅のベッドに横たわった母さんはいつもよりも、もっともっと小さく見えた。
どんなにか、無念だっただろう。
あたしが大学を卒業する日をどれだけ楽しみにしていたことか。
それに、残されたあたしのことを思ったら。
かあさんはまだまだ、あたしを一人ぼっちにする気などなかったのだから。
あたしは胸が張り裂けるほど泣きたかったけど、泣いてる場合じゃなかった。
貯金はわずかしかなかったわ。近所のヒスパニックの母さんの元友達が葬儀の手はずを整えてくれた。あたしのことで絶交していた人達だった。黙って黙々と働いてくれたおばさん達に助けられて、簡素ながら母さんを見送ることができたわ。
牧師さんもあたしの喪服姿にも文句ひとつ言わず、努めてくれたし。教会の墓地に母さんは眠っている。物見高い噂好きの集団も来てあたしをジロジロ見たけど、それだって葬儀の後にご近所さん達との会合程あたしを打ちのめさなかった。母さんの友達にはあたしほんと感謝してる、心底ありがたかったのよ。でも、彼らとあたしは相容れなかったの。
あたしがちゃんとした男のかっこに戻って、世間から後ろ指さされないように生きるなら母さんに免じて、大学の教材費や生活費のわずかな援助とか勉強しながらできる仕事とかであたしを助けてあげてもいいと彼らは言ってくれた。でも、あたしはそんな嘘はもう付きたくなかった。だって他ならぬ、母さんの葬儀の後なんだもの。あたしの最高の戦友を裏切ることはできないわ。何より、自分がそんなことはもう嫌だったの。
それで、とうとう大家さんはすまなそうにしながらもはっきりと言ったわ。自分の持ち家たる建物はあたしのようなものにはふさわしくないんだよと。
アパートはなるべく早くでなくてはならなかった。
なのにあたしは家を借りたこともないときた。勿論、働いたことも。
かなり割安にしてもらったとはいえ母さんの葬儀代を支払った後、引っ越して家賃を払ったら貯金が底を付いてしまうことは充分わかってた。大学は奨学金があったからまだ何とかなるけど、生活費の当てはなかった。
つまり、あたしはすぐにでも・・このあたしのままで働ける仕事が必要だった。
あたしは途方にくれてしまったけど、泣き言は言えなかった。
近所の人々もあたしの母さんには借りがあったけど、あたしにはなかった。特に、馬鹿げた女のかっこをやめようともしない息子には関わりを持たないと言った後ではなおさらね。
あたしはいっそ死んじゃおうかと思った。本当よ。その場の勢いってやつよ。
でも、それはそれで母さんが望んではいないような気がしたから。

母さんの葬儀の次の日、どこをどう歩いたかわからない。
あたしはただひたすら街をさまよい歩いた。日が暮れて寒くて、お腹が減って寂しかった。大好きな母さんがもういない、冷たい土の下にいるなんて。信じられなかったの。それがすべて、2、3日で変わってしまったことが・・・あたしに現実に降り掛かっている運命なんだということがどうしても飲み込めなかった。いえ、飲み込みたくなかったんだと思う。
女のなりでウロウロしているあたしに変な親父が声をかけて来たのはそんな時。
身なりはちゃんとしていたけど、嫌な眼をしていた。あたしは振り切って逃げたんだけど、そいつはしばらく後を付いて来た。あたしを娼婦かなんかと勘違いしてると思ったからあたしは怖かった。だから、広場に出た時巡回している警官がこっちに歩いて来るのが見えた時、そこからも思わずあたしは逃げたの。女の身なりをしていることが警官にわかれば、助けになるどころかもっと不愉快なことになると思ったから。その時は、これ以上もうたくさんだった。
でも入った路地は袋小路だったから、あたしはそこの塀を乗り越えた。
後はどこをどうしたんだか、そんな風に目暗滅法に垣根の穴を通ったり隙間に潜り込んだりしてあたしは逃げた。恐怖で夢中だったの。
気がついたら、どこかの公園のような場所にいた。噴水があって街灯が配置された花壇を中心に、放射状に広がる茂みに薔薇が咲いていた。うっそうとした樫の枝葉があたしを包むように多い隠していた。
そこは本当にとても静かだった。私がさっきまで彷徨っていた同じ街中とは思えないくらい。噴水の小さな水音以外は、風の音もなかった。湿った落ち葉の匂いの中に花の香りが微かにただよっていたわ。
風景が涙で滲んでまるで夢の中にいるみたいだった。
ほっとしたら、すごくお腹が空いたのを覚えている。そして初めてしみじみと母さんのことで心から泣ける気がした。泣いてもいい気がしたの。
そこはほんとうに迷い込んだお伽の国のように美しかったから。
白亜のヴィクトリア調の建物も現実離れして見えたし。月に照らされたその建物は
気持ちのいいくらいに完璧なまでのシンメトリーだった。
あたしはそこのテラスに吸い寄せられるようにフラフラと歩いて行った。
ひどいカッコをしていたと思う。翌朝見たら、スカートはかぎ裂きがあちこちにできてボロボロ、靴もドロドロだった。むき出しの腕や膝も傷だらけ、髪も落ち葉や蜘蛛の巣だらけで爆発したみたいだった。でも、その時はまったく痛みも何も感じなかった。
テラスは暗い灯に照らされて白く輝いていた。あたしはクラリサを始めて見た壇上のステージを思い出して胸が痛くなった。母さんを失った今、あたしの心の支えはクラリサだけになった。でも、ステージに立つクラリサ・デラとあたしの差はあまりにも歴然としていた。クラリサはあたしには遠い星だった。
テラスには大理石のベンチが置いてあった。足下にウサギと花と背にかけて優雅な鹿が彫られたとても凝った彫刻に覆われていてそれは美しいベンチだった。
でも、そこに座るのはためらわれたわ。だって、灯りは一つも付いてなかったけど、人がいるかも知れなかったもの。そしてもしも人がいたら、あたしは絶対に招かざる侵入者以外の何でもないんだから。

あたしはテラスを避けて、窓の下の茂みを目指すことにしたの。露で下着が濡れないようにスカートを巻き付けて、自分の膝を抱え込んだ。それでも露は冷たかった。冷たさが体の隅々に染み渡るまで待って、それから泣いたわ。心行くまで。
母さんを思って。情けない自分を思って。
最初は静かに泣いてたと思うんだけど、気がつくとあたしは押さえきれなくなって嗚咽していたの。
物見高い見物客の前で泣けなかったぶん、あたしは心置
きなく慟哭したわ。



「ボブ?」
そんな時突然、上から声が振って来た。

「ボブ・ギルバート?」
あたしの感覚はまだ麻痺していたから、あたしは呼ばれるままぼうっと涙に曇る眼を上に上げたのを覚えてる。

天使があたしを見下ろしていた。
それはクラリサ・デラだった。
顔は白く青い目は宝石のように煌めいて見えた。
渦巻く金髪が光輪みたい月の光りで輝いていた。
そのとき、彼女は笑っていなかったと思う。
多分、戸惑っていたんじゃないかしら。
でもあたしの目にはクラリサであることしか目に入らなかった。


ああ、なんて美しいんだろう。
クラリサの存在があたしのヒビだらけの心に
しみ込んでいくのがわかった。


この時のことをなんと言ったらいいんだろう?
あたしは一生、忘れないだろうと思うの。

神様っているのかもしれないって初めて思ったこと。
もし、神様でないとしたら
きっと母さんがあたしを守ってくれているんだって。


あたしは呆然と彼女を見上げていたの。
暗闇の中のあたしの天使。
それはもう、馬鹿みたいに口を開けて。

女達-1

2009-10-29 | オリジナル小説

朝になれば日が昇る だから泣くな女達   bay.CAZZ



            あたしの最愛の戦友の話


人はみな、生きて行く間にどれだけの悲しみに耐えなくてはならないのかしら?
あたし、ボブ・ギルバート・コバヤシ・テイラーは神様なんか信じなかった。なぜなら、あたしを男の体に閉じ込めてこの星に産まれさせたから。
教会が長いこと・・・今でもゲイを憎んでいるから。
だけど、あたしをこの世に産んでくれたお母さんは素晴らしい人だった。お母さんはあたしとほぼ同じ歳で日本からお嫁に来た。あたしのおばあさんにあたる人から貰った懐剣を携えて、米兵だった父のもとにたった一人で太平洋を越えて来た。
母さんはいわゆるいい家の娘だっただけではない。勇気のある娘だった。侍だったおじいさんは戦後すぐにアメリカ兵と恋仲になった娘を我手にかけようかとも思ったらしい。母さんはいつもちょっとおかしそうにその話をする。なんでおじいさんが母さんを腹切りしなかったのかとあたしが尋ねると、それは娘を愛していたからですよと、そんな時の母さんは笑顔でも眼が悲しそうに曇ってしまう。おじいさんは娘の結婚を許す代わりに、親子の縁を切ると言った。それであたしのお父さんは産まれて初めて靴を脱いで上がった家で、なれないお辞儀を深々として母さんを連れてそこを出たのだという。
「私、震えていたんですよ。」母さんは言った。「まだ、二十歳前だったしその頃は日本の女の子はみんなウブだったからね。」そんな母さんを父さんはありったけ愛情で慰めてくれたのだという。父さんの話せる日本語はほとんど数語しかなかったけど、そういう時はボビーや、愛し合う人ができればお前にもわかると思うけど、言葉が通じなくても愛にはなんの問題もないんですよと、ここからはいつも二人のおのろけ話になってしまう。
その日から、母さんはおじいさんに会うことは2度となかった。おばあさんだけは母が出航する前の日に会いに来てくれた。父さんは除隊の為に先に出国していたから、父さんから貰った3等旅券を胸に母は一人で横浜のホテルにいた。おばあさんは自分と一緒に家に帰ろうと娘に迫ったが、母さんが首を立てに振らないとわかると自分が婚礼する時におばあさんがその母親・・・あたしの曾祖母から授かった懐剣を母に手渡した。おばあさんも母もそれは盛大に泣いたらしい。別れ際におばあさんは母に言った「二夫に交えず。もしもの時はこの刀で自害しなさい」。これは日本の女の人は生涯、一人の男の人と添い遂げるのが理想だったからだとかあさんは言う。そして夫が先に死んだ後は、その菩提を弔って一生を終えるのが貞女の鏡なのだと。あたしがそんなのナンセンスだと言うと、母さんも自分もそう思うと言ったっけ。
だけど、あたしが産まれて父さんが家を出て行ってしまっても母さんは結局、最後まで2度と誰とも結婚をしなかった。なんでと聞くと、まだ父さんを愛しているからと言うから、じゃあなんで二人は別れたのとあたしは遠慮なく踏み込んだ。父さんには、母さんよりも好きな女の人ができてしまったんだと母さんはとても残念そうに言ったわ。日本人と違って、他の人に心が移るとこっちの人は隠せないのよねと母さんは悲しそうに笑った。だけど愛情がなくなったのに心を偽って母さんと一緒に暮らすことは、母さんに対してもとても罪深いことなんだからこれで良かったんですよと。あたしには、よくわからない。あたしなら父さんを黙って出て行かせたりしない、愛してたならなぜ父さんにしがみついて引き止めてはいてはいけないの?。あたしが憤慨すると母さんは涼しい顔で今にきっとわかりますよと声をあげて笑った。そして、大げさに涙を拭くふりをしながらあたしにウィンクした。今に必ず、おまえも誰かを本気で好きになる、そんな日が来るんだからねと。
だけどあたしには、今もそんな母さんの態度が・・・父さんを恨む気持ちにならない気持ちが不思議でならない。それは、きっと・・・あたしにはまだそんな日が来ていないからだろうけど。そんな日が来たら・・・あたしだったら?
いえいえ、やっぱりまだあたしにはわからないわ。
だって考えてもみてよ、捨てられた母さんとあたしはどうなるというの?。父さんはあたしが10歳になるまで、4年間だけ養育費を送ってきたけどそれっきりだった。今は生きているのかもわからない。
だけど、あたしは父さんを捜したいとは思わない。だって、何度も言うけどあたしのお母さんは素晴らしい人であたしはそれさえあればOKだったから。
父さんを失った後、英語が片言の母さんはとても苦労した。母さんは子供だったあたしから、言葉を教わったようなもんだといつも言っていた。だから、特別にあたしが誇らしくてたまらない日(あたしが作文でAを取ったとか、ロースクールで学年の主席になったとかすると)、あたしをマイ・ティーチャーと呼んだ。
母さんとあたしはとても仲良しだったから、あたしがヒラヒラしたスカートをはきたいと思った時、あたしはなんのためらいもなくそれを言えた。
その時、あたしはまだ8つになるかならないかだったが、欲しいものは歴然としており、近所の男の子が欲しがるような野球のミットやインディアンの羽飾りなんか、あたしはちっとも欲しくなかった。あたしがクリスマスに欲しがったのは華やかなバービー人形だった。もっとも、小さい頃からあたしは男の子にしては過剰なくらい縫いぐるみやふわふわした柔らかいもの可愛いものが大好きで、服とか靴とかを選ぶ時も青や緑は選ばず、選ぶのは必ず赤やピンクだったと母さんは言っていた。ご近所の助け合いファミリーからのお下がりもあたしが喜んで着る色を優先させていたら、必然的に女の子のものが増えてしまっていたらしい。
(でも、さすがにまだスカートはなかったけど。)
だからバービーを欲しがった時にも、驚きながらも母さんにはいくらかの心の準備があったのかもしれない。(この時、母さんはバービーは贅沢品だからとあたしにあきらめさせて、様々なキャンディが詰まった奇麗な紙の箱を買ってくれた。)
それにしたってまさかと思いつつも、とうとうあたしがスカートを要求した時の母さんの驚きはいくばくだったかと思う。でも母さんは、あたしがいけないことを口にしたとはその時は一言も悟らせなかった。ただ、このことは二人だけの秘密にしましょうねとさりげなく約束させた。母さんはあたしが家の中だけで着られるようにと、自分の古い着物を仕立て直してくれた。それは美しいスカートだった。目を閉じれば今もあたしはその鮮やかな柄を眼の前に浮かべることができる。バラのような赤い花が薄紫のグラデーションにいくつもこぼれていた。(今ではすっかり色あせてしまったけど・・その花は椿と言って生地の色は藤色と言うのだともうあたしは知っている。それは母さんが家から持って出た数少ない、若い頃の着物の一つだった。)母さんはあたしが雑誌から切り抜いた女優さんのあこがれのドレスの特徴をできる限り、それに取り入れてくれた。
(母さんはあたしの小さい頃はレストランの掃除婦をしていたのだけど、この頃は自分の洋裁の腕一本で食いつないでいた。母さんの洋裁はとても評判になったの。)「よく、似合うよ。」あたしはそう言われる度にいつもよりも多めにくるくると回ってみせたものだったわ。裾にまとわりつく生地の感じがその時、最高だと思ったの。そうやっていつも、母さんはあたしを喜ばせてくれたっけ。お化粧を教えてくれたのも母さんだったわ。そうすると、鏡の中のあたしは最高のガールになった。
「なんて奇麗なの。ボビーは母さんの誇りだよ。」
鏡の前に座ると、母さんのキラキラした声が今も聞こえて来る気がするのよ。


そんな母さんと空手の先生のことは話しておかなくちゃいけないわね。2人のことは今でもあたしは残念に思う。てっきり彼が新しいお父さんになってくれるとあたしは思っていたから。異国で子供を抱えて、言葉の壁と慣れない仕事と貧乏から母さんとあたしを救ってくれると本気で願ってたの。王子様としてはちょっといかつい顔だったし背丈も既に12歳の子供のあたしに辛怖じて頭一つ出るくらいに低くかったけど母さんよりは高いし、体格はがっちりしていて見るからに強そうに見えたから。それに特記すべきことは、手の指とかほんと太くて、ペプシの瓶を栓抜きなしで開けてしまうのとか見る度にあたしは密かに父と呼ぶならこの人だと思っていた。
空手の先生はうちの近所にたった1人だけいた唯一の日本人で・・・もともとバックパッカーが居着いてしまったという話だった。彼は片言の英語をジェスチャーと交えてコミカルに使いこなし、「空手使い」と言う評判でであっと言う間に町に溶け込んでしまっていた。今、思うと彼が本当に空手の達人だったのかはちょっとあたしも疑問なんだけど。
あたしの子供の頃はアメリカ人の大半は日本人と聞くと空手が使えると半ば信じてた時代だったの。近所の子供やちょっと頭の弱い、喧嘩が強くなりたい若者を集めて彼が空手を教えていたのはそんな時代。
あたしは今でも、彼に教えてもらった空手の型は全部覚えてる。だけど彼の空手の腕がどうであれ、この程度の修行で瓦や板があたしに割れるとはとても思えないわ。

とにかく最初は先生の方からダウンタウンのもう一人の日本人・・・捨てられた戦争花嫁である母を捜してやってきたんだと記憶している。先生は寂しかったんだと思う。そして、まだ自分のマイノリティに付いて自分探しの真っ最中だったあたしは、その場の成り行きで空手を習うことになってしまったの。空手の授業はとても楽しかったわ。そろそろあたしは女の子と混ざるには目立ち始めていたし、男の子とは話が合わず明確に敬遠され始めていた。スカートを履きたがる12歳の悩める男の子として回りの誰とも違うことは痛い程感じていたから、これでいくらか回りから馬鹿にされないくらい、男らしくなれるのかもって健気にもどこかで期待していたりした。だけど、先生はそんなあたしを見抜いていたんだと思う。
それはいつだったか・・・確か、先生がいた最期の夏だったと思う。(先生があたし達の生活の中にいたのはたった3年間だった)一通りの訓練が終わって、あたしは先生と一緒に母さんがビル清掃の仕事を終えて迎えに来るのを待っていた。
そこは小さな汚いビルのワンフロアで先生は空手にかぶれた誰かの好意でそこに住んでいた。住んでるところと空手を教えるところ、何もかもが一緒くたでトイレとバスしかなかった。食事を作るところがなかったのを覚えてる。だから、先生はあたしと一緒に母さんの手料理をよく食べに来た。最初、食事に誘ったのは母さんだったと思う。だけど、どんなに遅くなっても先生がうちに泊まることはなかった。
だから、2人が本当にいわゆる付き合っていたのかどうか・・・深い関係だったのかどうかはあたしには今もってわからない。
先生はいつも母さんに礼儀正しかった。ただ、2人だけが通じる母国語を2人で話してる時、先生の母さんを見る目がとても優しくて、あたしは先生がそんな目で母さんを見るのを意識するたびにロマンチックな気分になった。
母さんが先生を見る目も、そうだったとあたしは思う。

それは、そんな熱い夏の夕方だった。
あたしは虫に刺された足を無意識にボリボリかいていたから。先生もよく刺されたけど、先生は蚊に刺されるよりももっと気にかかる何かがあるようだった。
「君、なかなか筋がいい。」先生は虫をパチンと潰しながら、片言の英語であたしに話しかけていた。
グッド、グッド、ベリーグッド。
「バーッド。」
ふいに、となりに座ったあたしの目を覗き込んだ。
2人は何もない床に座っていたからその時、視線はほとんど一緒だったと思う。
「ボビー、君、嘘はいけない。」先生は似合わない顎ヒゲに太い指をしきりにこすり付け始めた。「嘘?」あたしはわけがわからなかった。
「そう。嘘。嘘はダメ。」先生は視線を前に戻した。
そこにはクタクタになった洗濯物やピザを食べた後の空っぽの箱とかその他のゴミが床からうずたかく積んであった。
「一番、いけない嘘。自分につく嘘。」先生は何度も繰り返した。
「ボビー、自分に嘘を付いてはいけない。それはダメ、ダメ。」
目の前のゴミにジッと目を止めて、それに語るようだった。
「その嘘は自分を殺す。とても悪い嘘。」先生はため息を付いた。
「そしてそれはとても難しい。」
「ぼく、嘘を付いてるの?」
先生はニヤッと笑ってあたしの髪をくしゃくしゃにしてそれで話を終わりした。
2人は膝を抱えて同じかっこうで母さんがくるまで、黙ってそこに座っていた。
あたしは、そのことをしばらく考えてみた。
勿論、その時、あたしは意識をしなくても実際は嘘を付いていたのだった。あたしはだって、世間で言う男の子らしい、普通の男の子になろうとしていたんだもの。先生の言おうとしたこと・・・先生は『ぼく』の中の本当の『あたし』に気がついていた最初の他人だったんだと思う。
そんな感じで先生のことあるごとの精神論はうなづけることも、うなづけないこともあった。難しすぎて子供のあたしにはわからなかったことが今思うととても残念。
だけど、一番記憶に残ってる話は無駄にはなっていない。自分に嘘をつくことはいけないってことと、自分の信じる「道」というものに命をかけるという部分は今でもあたしの中に生きていると思うの。

それから母さんと先生の間にどんなやりとりがあったのかは正確にはわからない。ただ、先生はお父さんが亡くなって日本に帰国することになったけど・・・結局、母さんは付いて行かなかったってこと。
それとなく、話を向けてもその話はずっとはぐらかされてしまったわ。
きっと、母さんは日本にはもう帰れない、帰らないって決めていたんじゃないかと思う。自分の親を捨てて来たんだから。それとも・・・ひょっとしてやっぱり「二夫に交えず」なのかしら? 。あたしが会ったこともない、そして多分会うこともないあたしのおばあちゃんの・・・侍の花嫁としての教え。
なんだかんだ言っても、アメリカに来て10年以上とはいえ、母さんは古風な日本の女のままだったのかもしれないわね。
その先生との出来事があたしが記憶する、母さんの唯一のロマンス。あたしと母さんの運命が変わるとしたらそれが最期のチャンスだったと思うのよね。
でもそれで良かったんだと、運命だったんだと今ではあたしは思っている。



先生がいなくなって母さんが本心は寂しかったのかどうかはわからない。
母さんはそんなこと、おくびにも出す人じゃないし、いつもくるくると働いていた。貧乏でもあたし達、2人とっても幸せな日々だった。
そんな母さんのおかげであたしはなんなく大学に進んだわ。
奨学金がいくらか取れたし。
あたしは結構、優秀だったの。
その頃にはいくら秘密にしてもあたしのことを奇異に思う人はもういたのよね。母さんは知らなかったとあたしは思っていたんだけど。
学校でもなよなよしてるとか、気持ち悪いとか言われてたし。言葉遣いもあたし、なるべくテレビで見たハリウッドの女優さんみたいに振る舞ったから。
面と向かってひどく虐められたりはしなかったけど、当然というか友達はいなかったわ。当てこすりやクスクス笑いはあたしにいつも付いて回る日常のこと。
でも別に気にしなかった。
だってあたしには母さんという、最高の親友がいたんだもの。

だけど大学に入学したその日、もう一つの人生の転機があたしを待っていたの。

そう。あたしは初めてクラリサ・デラを見たの。
あたしは初めて自分が何を目指しているかがわかった気がした。
それは本当にすごい衝撃だったわ。
だから帰ったその足で、あたしは母さんに世間に嘘を付くのはもう嫌だと宣言してしまったの。母さんがすぐに何も言わなかったから、あたしは母さんが困っていると思ってしまった。
「あたしはあたしのままに生きたいの。だけど、母さんに恥ずかしい思いをさせたくはないの。だから、もしかあさんが嫌なら・・」
母さんは全部を言わせなかった。母さんはあたしを力一杯、抱きしめた。
「ボビー、自分のままに生きなさい。」前にも言ったけど、母さんは背の小さい人だった。
ハイ・スクールに入ってからニョキニョキ背が伸びたあたしの半分しかなかった。
「覚悟はできてるよ。いつかこの日が来るとわかっていたからね。私もお前と一緒に戦うよ。なに、母さんはそんなに弱い女じゃないよ、今だっておまえを守ることだってまだまだできるんだからね。」
母さんは泣いてなかった。あたしにウィンクをした母さんの黒いキラキラした眼にはあたしが小さく映っていたと思う。母さんは慈しむようにちょうど手の届く範囲、あたしの背中と腰を撫でさすった。
「あんなに小さかった息子が今じゃこんなに大きくなって!立派になって!。世の中の女は一人っ子だと息子か娘しか持てないけど、私にはこんな奇麗な娘も持てた!お前を誇りに思うよ。私の大事なボビー!。何があったって、いつだって私はお前の味方だよ。それを忘れないでおくれよ、マイティーチャー。」
そして次の日から、あたしは晴れて念願の女子大生となったわけ。
そりゃあもう、最初は大変だったけどね。

母さんが死んで初めて、母さんがあたしのしらないところでどれだけ戦っていたのかをあたしは知った。大家はあたしがいることでネチネチとかあさんに部屋を出て行くように迫っていた。近所でも行きつけの店でもあたしのような息子を育てたことで、からかいの種にされたり白い眼で見られていたのよ。そんな目に遭いながらもかあさんはあたしのかっこや生活態度をなんとかさせたいおせっかいな人々を手荒く生活から追い出した。そのことでかなりの恨みも買っていたと思う。かあさんはいつもあたしの為に戦っていた。あたしに対するどんな悪口、陰口も許さなかった。かあさんは教会も行かなくなっていた。(何、もともと仏教徒だからね。)洋裁の仕事も減っていた。(最近、遠視がひどくなったからちょうどいいよ。)
それであたしの学費を払うために、かあさんは又清掃の仕事を始めていた。(座り仕事ばかりだからさ、足腰もよわっちゃったんだよ。それに下腹にも肉が付いちゃっただろ?、気になって仕方がないんだよ。なに、運動のためにね。外で働くのも気持ちがいいよ。だから、おまえはなんにも心配しないでいいんだよ。しっかり勉強しとくれ。いいかい、大学は絶対やめちゃいけないよ。)
そして、ある日突然、かあさんの心臓は悲鳴をあげた。
あたしは子供だった、馬鹿だった。何も気がつかなかったのよ。
今でも本当に本当に悔やまれるわ。



ライン上の出来事

2009-10-26 | Weblog


イラストと言うよりはカットです。


もう一つの大きなドツボの方を
日々手を入れています。
しかしこれも又、途中なんですが
(なんでこうあっちこっち手を出すのか)
近日中にお目にかけられると思います・・・

スパイラルの方はパズルがいまだ
バラバラの状態で・・・
当分、完成しないだろうと。
今は昔の絵でお茶を濁している日々なのでした。



故影山民夫さんの『トラブルバスター』シリーズの
4巻目が出ていたことを最近知り
捜したら徳間文庫では廃刊みたいでした。
でもなんとか
アマゾンで中古を手に入れることができました。
面白いのに廃刊なんですね。
中古通販の味をしめて
皆川博子さんの『二人阿国』も
探し出すことができました。
あとなんとか同作家の短編集で
お稚児の話が入ったヤツを手にいれたいのです。
タイトルから『骨笛』かと思ったら
入っていませんでした。
図書館で捜そうと思っても
横浜の時と違って使い勝手が悪くて・・・
(さりげなく批判?)
『瀧夜叉』『戦国幻野』『笑い姫』等々は
私のお勧めです。


無重力ピエロ

2009-10-24 | Weblog



原作が素晴らしい
映画って大概がっかりなんですよね。

サウスバウンドも
チームバチスタも。

見るのが怖い。
見たいけど。

レンタル待ちです。

プリマヴェーラ

2009-10-21 | Weblog

ボッチチエリが好きでした。
なんとなくルネサンス絵画風の
女性が書きたかったのです。

再び豊穣の秋

2009-10-19 | Weblog


なんのことはない
ワインのことであります。
今年も勝沼のフジッコワイナリーの
『蔵の音』が楽しみなのであります。
デラウェアもおいしいけれど
マスカットが一番好み。。。
ブドウの蔓は甘いらしくて
うちのポメラニアン
ごんちちゴン日記も
蔓をかじるのを楽しみにしています。

秋の終わり

2009-10-12 | Weblog


ようやく陽射しが入ってきました。
山肌に張り付く我が家であります。
冬が少しづつ近づく気配が
確実にしています。
ただし、今年もカマキリの卵が
低い位置にあるので
雪は昨年並み、もしくはすくないものと
予想されます。
カメムシもあまりいません。
山間からのご報告です。

シャンソン

2009-10-08 | Weblog
   海がシャンソンを歌った




海が・・・

海がやさしく
よせてはかえす

・・・愛してる 愛してる 愛してる・・・


海が・・・

海がやさしく
あなたもやさしい

・・・いかないで いかないで いかないで・・・


海は囁く
・・・はるかな夢・・・

海は煌めく
・・・はるかな光・・・

海は陽炎う
・・・はるかな影を・・・


海は微笑む

・・・こいびとたち・・・



ああ
もっと

もっと やさしく

やさしく 愛して

愛してと


海が・・・

海がやさしく
よせてはかえす





。。。。。。。。。。。。。。。。。
くさいですね。
自分でも。
しつこいし。
こんな女(男でも)
熱海の海岸で足蹴にしてやるのが
お似合いでしょう。

でもギガ大甘な感じも
シャンソンってことで許してください。

いやいや
シャンソンだって甘いだけじゃないですけど。
海だって穏やかさと裏腹に
無情で容赦なく荒れ狂う面もある。
現に今は
台風で荒れ狂っているはず?

これはそんな気まぐれな海が
つかの間のうららかな日々につい
思わずうっかり歌ってしまった
そんなシャンソンってことで
よろしくお願いします。。。。。。。。。

祈り

2009-10-02 | Weblog
  祈り


 
思い出す杉林
ためらいもない
まっすぐの国

いつか許されたら
そこへ帰りたい

生きていたら
幸せだったら

旅情風

2009-10-01 | Weblog
    旅情風



風の響きが 違うものなら
私も少しは 違うのかしら
それとも
まったく 同じなのかしら

私 東の風に乗って
私 南の風に乗って

やって来たの
この土地に


気候は合わないかも
しれない
天候は雨ばかりかも
しれない

だって
あいにくと
今日も
曇り空

暗く 低く 
たれ込めるだけで
夏の姿だけが
重く揺れます



私は来ました

何を告げるわけでも
何をもたらすわけでも
ないのだけれど

ただ
風だけをたよりに






。。。。。。。。。。
最近、秋晴れが恋しいものです。
イラストは詩に関係ありません・・・