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MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラル・スリー 第三章-7

2014-02-26 | オリジナル小説

                勇二

 

 

勝算などなかった。ただその足運びは恐ろしく早い。体の大きさや重さからは想像もできないほどの素早さだ。ただし、追う警官も並ではない。2名とも跳ね飛ばされた壁にタッチ&ゴーですぐに体勢を立て直し後を追う。その反射能力は獣に近い。

そして相変わらず表情も言葉もない。驚いたことに足音もなかった。通路一杯を占めて全力疾走する霊能者の足音とその反響だけが辺りに響き渡る。おかしなことはそれ以外にも。時が止まったようにそのマンション8階で誰も何も動かない。

『やはり、蝕が始まっている。』基成勇二はただエレベーターから追っ手を引き離すことだけを考えている。後は野となれ山となれだ。とりあえず、ホールとは真逆の非常階段を目指す。しかし、その変化はすぐに突然に来た。

霊能者の前方の空間がグンニャリと歪む。実はもう追っ手はすぐ真後ろに迫っている。床が沈み込むような感覚、耳鳴りと目眩が襲って霊能者の膝はかくんと抜け落ちそうになる。『?!』現実に被さり、視界が360度に開いていく。耳元でグッと唸るような音がしたと思ったら、毛皮の裾が激しく引っ張られた。たたらを踏む巨体はそれでも寸でのところで踏みとどまる。裾を振り払うように大きく振り返ると霊能力者に負けず劣らずの大きな警官達がむき出しのコンクリートの上に二人転がっていた。

その体に子供が群がっていた。『何?何事?!』とまどいまくる勇二の目には毛皮を掴んだ警官の手がスローモーションのように複数の小さな手に引きはがされるのが映る。おそらく警官達には子供が見えないのだ。霊能者が怪し気な技でも使ったとでも思ったのかもしれない。凶暴な眼差しで勇二を貫いたまま、バタバタと床を蹴り転がり回っている。でも立ち上がることはできない。2重3重に小さな体が上に折り重なっているからだ。力任せに振り回された腕にその体ははね飛ばされ、壁や天井に容赦なくぶち当たる。小さな口からは血反吐が飛んだ。何人かは勢いで手摺を越え吹き抜けの空間を落下する。それでも動きを止めるものはいない。再び巨人2体にむしゃぶりついて行く。

気が付けば勇二はその幻の子供達に手を引かれ背中を押され、まるで運ばれるようにと非常階段へとたどり着いていた。『いったい何人いるの?あなた達は?20か30、それ以上?』そこで子供の気配が消えた。現実の視界が戻って来る。

「どうして私に力を貸してくれるの?逃げろってことなの?」

たまらずに空間に問いかけると小さな顔がつかの間、過って消えた。

それは子供の顔ではない。皺のよったしぼんだ顔。90歳と言ってもいいような年寄りだった。構わず行けと言うように階段を指差して、消えた。

『どういうこと?彼等は・・・私の味方?。いや、そんなはずはない・・・雅己くんの味方なの?』逡巡は一時。勇二は猛然と鉄の螺旋階段を駆け下り始めた。一足飛びに足を踏み鳴らし。耳も割れんばかりの騒音を起こしながら。途中に落ちていた金属のような塊を咄嗟に拾うと階段を取り巻く手摺にあらん限りに叩き付けた。

『蝕を破らなきゃ!』霊能者の本能が命ずる。子供、いや小人達。

『彼等があぶないんだわ!』

8階から地上へ続く非常階段をぐるぐると駆け下りる基成先生はただただ、音をまき散らすことに専念する。

 

 

                

 

一階のエントランスホールに飛び出す前からその騒ぎには気が付いていた。

「いったいなんなの?!」基成先生に何かが起こっているのか。譲も心が焦る。

「うるさいよぉ。」雅己が耳を押さえ「頭に響くよ、これ。」

中庭にエレファントが腕組みをして空を見上げていた。

「先生は?!」駆け寄る3人に指を上に差す。「非常階段だ。」

あちこちでドアの開く音や怒号が聞こえ始めていた。

「あれ、もとなり先生だよぉ!降りて来る!」

「素子さん、センセは追われているの!?」素子はゆっくりと首を振った。

「蝕だ。」

「しょく?」切れ長の目が譲を見る。「おまえと雅己がここに着いた時から変じゃなかったか?もっとも、このマンションの空間がバランスを崩していることがその根本原因なんだがな。」今度は星崎に「妙に静か過ぎなかったか。こんな時は騒いでも喚いても誰も気が付かない。まるで現実からエアスポットに落ちたみたいにな。」「そう言えば・・」雅己達が通路で助けを求めても誰も出て来てはくれなかった。しかし、今はどうだ。中庭を見下ろす通路に大勢の人間が現れ、騒音の発生源に対して大声で罵声を浴びせている。

「勇二は蝕を破った。」

中庭の奥にある非常階段の中を音を上げてせわしなく回る影。

「蝕はいたる所にある現実のズレだ。その隙間に入り込んだものは不慮の死を遂げ易い。魔物はそこに自らの獲物を追い込む。狩る為にな。」

「でも、あれは・・・上にいたんですよ。警官が。」

「知っているわ。」星崎がエントランスの奥の車止めにチラリと目をやる。パトカーらしき車が停まっているのが見えた。

「コンビニからここに戻った時に表に停まっていたの。降りた時は刑事さん達の車はもうなかったのに。それを見たら基成センセが騒ぎ出したんで、さすがのあたしも焦ったわよぉ。言ってることは半分もわからなかったし。」

「じゃあ、あれは・・本物の警官なんですか?」隣で雅己がうそだぁとつぶやく。

「車を停める場所には手間取ったが、必要な情報は手に入れた。一応、ナンバーはここの署に登録されている。だからと言って乗っている人間が本物どうかまではな。例え本物でも警官がすべて正義の味方とは限らない。操られている可能性もある。」

「まさか・・魔物とか言いませんよね?」素子はむっつりと肩を竦めた。

「勘のいい犯罪者も無意識に蝕の瞬間を感じ取り犯罪を実行する。邪魔は入らず、目撃者もゼロ。完全犯罪が成立しやすい。」

基成先生が非常階段の一階に到達し、騒音は唐突に止んだ。しかし、反響はしばらく残っていた。そして修まらない人々もまだ到底修まらず、自らの感じたままの言葉を中庭に投げ落とすのに余念がない。

駆け寄ろうとする3人を妹は制し、むしろエントランスへと追いやる。

「他人の振りをした方がいい。」罵詈雑言が飛び交っているのだ、依存はない。

捨て台詞を残して部屋に引き上げるものもいる中、「あれ、あれって。あの霊能者じゃない?!」そんな声も聞こえて来る。「マジかよ。なんでここにいるんだ。」

降って来る野次馬の声の中、霊能者がほんの気持ち程度に作られた花壇から何かを拾いあげるのが見えた。「・・ってことはよ、まさかここなんか出るのか?」

「いやだ!やめてよ、バカ。」笑い声と共に状況はようやく修まりつつあるようだ。

勇二は面が晒されるのも構わずしばらく上を見上げていた。譲も首を伸ばして見る。まだこちらを見ている者もいたが、8階から見下ろしている顔までは確認できない。反射的にエレベーターホールを振り返るがエレベーターはドアが開いたまま。まだ彼等が降りた階にある。脇にある階段と共にホールは静まり返っている。

「もう疲れたわよ、さんざんだわよ。」

基成勇二がエントランスに入って来た。

「素人ってこわいわねぇ。携帯で写真撮られちゃったしさ。ネットとかに流されちゃうんだわ、きっと。霊能者基成勇二、中野のマンションで大暴れとかってさぁ。」

手に持っていたものを素子に手渡す。大型の南京錠がふたつ。ひとつは傷だらけだった。「これで叩いて降りたのか。」素子が初めて笑みらしき物を浮かべた。

「もう、手が痛いったらないわよぉ~!。」先生は口を尖らせた。無意識にそれを受け取った譲はその鉄の塊の重さに驚く。「あの非常階段ってさぁ、通常は上も下も各階ごとに施錠されているんじゃないの?」「う~ん。ちょっとわかんない。」雅己が首を傾げると先生はお手上げと言った風情で両手を上げた。

「まぁ、いいわ。そのおかげで蝕が破れたんだし。きっと誰かが私の為に鍵を開けておいてくれたってことにしておきましょ。」

「どういうことだ?」即座に反応したエレファントに勇二が手を振り回す。

「捨てる神、あれば拾う神ありよ。あながち味方が皆無ってわけではないかも。」

怪訝な顔の素子から鍵を押し付けられた形になった譲はひたすら持て余していた。

「あの~これはどうしましょう?」星崎が無責任に。

「エントランスの郵便受けの上に置いとけばいいわ。誰か、気が付くでしょ。」

「・・・警官、どこかに消えたんですかね。」

「まだ、上にいるんじゃないかしら。」

「ええぇ、怖いよぉ~。あいつらちょぉ乱暴だったんだからぁ。」

「ほんとやばいったらないわ。誰かが警察に通報したかもしれない。そしたらまたまた警官三昧よぉ。さすがの制服フェチでも今日はもうお腹一杯って言うわよね!逃げるが勝ちって言葉、みんな知ってる?」「車、とってくる。」

エレファントがいち早く、外に向かう。譲と星崎も、足を速めた。

霊能力者はやれやれと言った風情でこの騒ぎの当事者に振り返る。

「さぁ、今度こそ高輪に行くわ。みんな揃ってね。いいわね、雅己くん。」

今度ばかりは鬼来雅己もコクンとうなづいた。


スパイラル・スリー 第三章-6

2014-02-26 | オリジナル小説

               警官達

 

新たな事件を手みやげに基成先生と星崎編集長はマンションを引き上げて行った。

高輪の家にみんなで行くことを鬼来雅己が固辞したからだ。「やだよ。ここぼくのうちだもん。どこにも行かない。」「それはお利口でないわ。」

基成勇二は噛んで含めるように言聞かせたのだが雅己は頑固だった。

「ここはなんだか、よくないわ。私が思うように守ることができないし。」

「やだもん!やだやだやだやだ・・・!」このままでは拉致が開かないとみた譲が部屋から連れ出そうとするが雅己はドアの枠を両手で掴んで抵抗した。「なんだよ、やだって言ってるのに!譲っちのばかぁ!裏切り者!お化けが恐い弱虫のくせに!バカ、バカ!あほんだらぁ!」仕舞いには泣き出す始末。

「雅己、ちょっと頭を冷やせって!」星崎も加勢に乗り出す。

「雅己くん、センセの家はおっきなシャンデリアがあるのよ、スポーカーだって何台もあるんだから、ね?見たくなぁい。見たいでしょ?」「やだったらやだぁ!」

「わかった。もういいわ。」

霊能者がとうとう折れて首を振った。「そこまで嫌がるんじゃ、仕方がないわね。」

「でも、センセェ。群馬の方でも人が消えてるのに、大丈夫なんですか?」

「それはわからないけど・・・とにかく、緋沙子ちゃん。一旦、引き上げて準備を整えてここに戻るしかないわね。」「えっ?、戻って来るんですか?」

「明日、迎えに来る手間も省きたいし。念の為に私達が付いていた方がいいと思うのよ。素子と高輪に戻って牡丹を連れて来るわ。」

床に置かれたデジタル時計を持ち上げる。今は午後6時。3月だから外は真っ暗だが夜としてはまだ浅い時間帯だ。時計を置くと譲を見る。

「ほんの1、2時間だから。少なくとも譲くんがいるから・・・大丈夫じゃないかしら。」「はあ。僕で・・・大丈夫でしょうか。」

「雅己くんをしっかり見張っているのよ。」

「外に出さないようにね。」「あの~コンビニもダメ?ですか。」

「さっき結界を張ったから。目に見えないモノに対しては大丈夫。」「はあ。」

「あたしも社に顔を出さなくちゃならないから、高輪にはお邪魔しないわ。天下の基成御殿をテレビじゃなく、この目で拝見したいのはやまやまだけど。センセをお見送りしてから、何か買いだしして戻って来てあげるわ。それから編集部に帰ってぇ、また明日の朝、出発する頃に戻って来ることにする。」

俄然、張り切っている。「その為にも残った仕事を片付けたり、割り振っておかなくちゃね!」

引き上げて行く基成勇二と編集長を見送った譲は自分が不安でいることに気が付く。

霊能者を心から頼りにしかけている自分には思わず苦笑いするしかない。

星崎が言う霊能者の『手』に既にはまりかけているのかもしれなかった。

 

「おまえがわがままいうからとんだことになったぞ。」

譲は見つけたチョコレートスナックで空腹を満たしながらぼやいている。

「どんなこと?」その横から雅己の手も伸びる。

「こんなとこにあの3人が来てみろよ。暑苦しいにも程があるじゃないか?今すぐ全力で掃除して片付けないと納まらないぞ。でも、俺は嫌だからな。」

「大丈夫。きっとエレファントが片付けてくれるよ。あと、あの牡丹って人も。」

「おまえなぁ。」涙の乾いた雅己の笑顔にどこかふてぶてしいものを感じた。

「確信犯か?」「なんのことぉ?」「先生達を追い払ったのかよ?」

「まさかぁ。」小動物のように菓子を前歯で噛み砕く。

「なんか、ここを離れたくなかっただけ。なんだか離れちゃいけないような気がしたんだ・・・あれ?どうしてだろ?」「あきれた。」お手上げだ。

「まったく、コンビニにも行けないしよ。」

「星崎さんがなんか買って来てくれるって言ったじゃない。あっぼく、カレーライスがいいなぁ。ねぇ譲っちぃ、電話してよぉ。おでんも欲しいよぉ。」

「ほんととんだまったくだよ・・・」携帯に手を伸ばした時だ。

呼び鈴が鳴る。エントランスではない、各部屋の玄関に直接付いている方だ。

「誰?」「忘れ物かな。」インターフォンに映った姿は制服警官だった。先ほど室内に入らなかったが警官がいたことを記憶していたこともある。既にエントランス内に立ち入っていることを一瞬、怪訝に思ったが警戒心はわかなかった。

「雅己さんにお伝え忘れていたことがありましたので・・・中でお話できませんでしょうか。」「お巡りさんだ。」「さっきのヒト?」「いや、刑事さんじゃない。」

譲は玄関に向かい、鍵を開けた。

油断していた。ドアが開くやいなや踏み込んで来た警官に譲は突き飛ばされた。仰向けに廊下に転がる。後頭部が床に当たり、一瞬火花が散った。すぐに男が股がり何かを口に押し付けて来た。革手袋の匂いとは別の覚えのない匂い。嗅いじゃいけない!そう思ったが、既に少し吸い込んでいた。意識が遠のく。

キライ、逃げろ・・・・。

 

                 雅己

 

「ねぇ、どうしたの?」

鬼来雅己は能天気なようでいて、彼なりにいらだってはいた。

自分はどうしたのだろう?自分としては自覚はない。だけど、親友の譲は上司は星崎は自分を変わったと言う。特に副編集長の平に至ってははっきり変だと言う。

それが理解できない。

『ぼくは確かにここ数日の記憶がないけど・・・ゆずるっちのテストだってちゃんとクリアしたじゃぁないか。いったい、ぼくの何がどうしたっていうんだ。』

今もお菓子を食いながら、足下に広がる家財道具を漠然と見下ろしていた。

『どうして、こんなことしたんだろ。ぼくの大切な思い出の品をなんで捨てたんだろ?ぼくってまさか・・・もう、ここに帰らないつもりだったとか?』

足下にぽっかり穴が開いたように無性に怖くなって来る。この場所を離れたくないのは唯一、この場所が自分と以前の自分とやらをつないでいるからだ。

就職した時から暮らしているこの場所と岩田譲が。

そう言えば、大学時代に暮らしたというおじさんおばさんの家には特に感慨はないなぁ、と雅己は首を傾げた。譲は雅己が淡白なことを不審がっていたが・・・かわいがってもらった記憶は確かにあるのだが、なぜかそんなに親しみも感じなかった。

そうか、こういうところが変だというのだな。

廊下で大きな音がしたが特に気にしなかった。漠然と色々なことを考えていると部屋に人の気配がした。「警官なんだって?」

顔を上げると目の前に大きな警官が二人いた。

警官達は帽子を深く被り目元は唾で影になっている。影になってはいたが覗いている部分はごつごつとして無骨な感じがする。制服の下でも胸や腕の筋肉が盛り上がっているのがわかる。そんな体格も含めてお寺の山門の前で『あ』とか『ん』とか言ってポーズをしている仁王像のようだった。要するに警官にしては人相が悪い。「あっ、譲っちは?」ポカンと開けた口から菓子がこぼれ落ちたが拾っている場合ではない気がした。目の前の男が口を開く。

ますます仁王様みたいだと雅己はおかしくなる。仁王様がしゃっべるとこんな声だろう、うなるような太く低い声。ただ感情があまりないのが不気味だが、警官なんてみんなこんな話し方になるのかな?

「鬼来雅己さん、血液の鑑定結果が出ました。あなたのDNAと一致しました。おじさんとおばさん殺しの容疑者として署まで御同行願います。」

「はぁっ?」息が抜けた。「そんなはずないよ。そんなはずあるもんか。だって、だって譲っちが・・・」融の姿が見えないのが気になる。「譲ぅ?譲っち?!」

警官が手を伸ばして来る。無意識にそれをはらった。

「おかしいよ!そんなに早く結果は出ないってみんな、言ってたもん。せんせいだって・・・!」警官の手が肩を掴む。雅己は抵抗する。体が椅子からずり落ちた。

もう一人の警官が目に入る。「双子?」思わず、声が出た。

「この人達、双子なんだ!?譲!譲ぅ!」どこだ?どうしたんだ?

床で足をばたつかせた雅己の髪を仁王その1が掴み、立ち上がらせようとする。痛くて涙が滲む。「やめろ!放せよぉ!」その時、その2が無言で歩み寄った。雅己は足で蹴ろうとするがそれを払われ・・・いきなり腹を踏まれた。

うぐっと声が出て菓子の残りかすが口から飛ぶ。その男は無言で雅己を見下ろした。

山門で仁王像に睨まれたってこんな気持ちになったことはない。ぞっとするような冷たい目だ。感情がわからない。その感情のない顔のままで男がなおも雅己を殴りつけた。髪を掴まれているので痛さで自然に悲鳴が上がった。

「わかった、わかったよ。」抵抗を止めた雅己は引きずり起こされ、二人の巨漢に軽々と連れ出される。廊下に倒れている譲が目に入った。

「ゆずるぅ!」顔を覆うようにした譲はピクリとも動かない。

「何をしたんだぁ!」俄然、腹が立つ。「生きてるのかっ!譲!起きろ!起きろって!譲っちに何したんだよぉ。」二人の警官は問答無用で雅己を持ち上げるように譲の体を乗り越えさせた。素足が当たるが横たわった体はピクリともしない。

相手の体は厚く鉄のように固い。玄関ドアで抵抗するが万力のような手はびくともせず、ドアの桟にしがみついた指もなんなく剥がされてしまう。

後はもう泣こうが喚こうが雅己はただ引きずられ連れ去られるままだ。

奇妙なことに助けを求める声が中庭にこだまするように反響しても、ドアや窓が開く音がいっこもしない。灯りの点いた窓、夕飯の香り、家族の団欒。

そのどれも雅己の声に気が付かないか、共有部分での騒ぎを無視しているとしか思えないのだった。

 

 

                 

 

遠くで声がした。騒がしい気配が一瞬、したような。でもそれもすぐに遠さかって行った。あ~動かなきゃとクラクラする頭の芯に浮かぶが、ずぶずぶと靄に沈んで行く。それが心地よい。しかし。

開いたドアから何かがドヤドヤと侵入して来たようだ。けっかいがぁやぶれぇたぞ、

とうるさい、起きろ起きろと口々に言ってくる。何かが自分を揺すっていた。

様々な声、甲高い。子供?

待て待てと誰かが言っている。その場を仕切るもののような雰囲気だ。回りが静まると何かが譲の耳に触れた。ふいに冷たい液体?風のようなものが耳から入って来た。その冷たさに思わず全身が震える。震えると共にかかっていた靄が突然に晴れ渡った。「何?」呻きながら、譲は重い瞼を持ち上げようとした。体を起こそうともがく。その手を誰かが・・・いや、大勢の小さな手が掴んで一気に上体が起きた。

あぶないぞ、あぶないぞと急かす。まさみがあぶないよと。

ふいにハッと全てがクリアになる。

誰もいない。玄関ドアも閉まっている。

融は立ち上がった。ちょっとふらつくがすぐに立て直す。頭がすっきりしている。

迷うことなくドアに飛びつくと通路に出た。

雅己の悲鳴がマンション中にこだましていた。エレベーターホールへと曲がる角に大きな影とバタバタする足が見えた。「誰か!誰か助けて!」融も大声で叫びながら、廊下を突進する。「待て!キライをどこに連れて行く!」エレベーターの前で追いついた、息を正す暇もなく「あんた達、本当に警官なのか!」問いただすが、距離をとることは忘れない。「違うんだろ?キライを放せ!」「譲っちぃ!」雅己が助けを得て警官の肩を叩きまくる。相手はハエほどにも気にしてないようだったが、譲には顔を向けた。はっきりと顔を見た。180は越える見上げるような大きな男達が2体、間にジタバタする雅己を抱えている。エレベーターがゆっくりと上がって来る。岩のようなごつごつした造作がホールの電灯が作るつばの影に半分沈んでいる。無表情のその顔は二つともまったく同じ。「えっ、双子か?」奇しくも雅己と同じ感想が口を付いて出る。

『まさか、こんなに早く回復するとは。』『バカな奴だ』頭の中で声が囁く。

『せっかく助けてやろうと思ったのに。』その声を聞けば聞くほど頭が痛くなっていく。「誰だ?・・・あんた達がしゃべってるのかっ!」

気持ち悪さと恐ろしさに毛穴から汗が噴き出した。「答えろ!警官じゃないんだろ?

なんのつもりなんだっ!どこにキライを連れて行くつもりなんだ?」

『おまえの為だよ。』声があざ笑う。目の前の男達の口はうごいていないのに。

「ゆずるぅ、気を付けろ!こいつら、凶暴だぞ!」間で雅己が身を捩る。

『おまえのいないところでこいつを始末してやろうと思ったのにな。』

「!?」雅己にはこの声が聞こえてないことに気が付く。

『残念だが・・・仕方がない・・』

片方の警官が雅己から手を放すとゆっくりと警棒に手をやる。「融、気をつけて!」

もう一人に簡単に両腕を掴まれた雅己が叫んだ。

その警官の背後のエレベターの階数表示がどんどんと上がって来るのが見えた。

「我々がここに来た時、おまえはこの友人に殺されていた。そして犯人は・・・我々に射殺される。」警官が融には初めて口を開き、ドスの利いた声で見えない台詞を読み上げる。「おまえの友人は自分のおじとおばを殺し、それに気付いたおまえの口を封じた。」背中ではエレベーターを目で指し示して雅己がしきりに体を振る。譲に合図しているのだ。ひょっとして星崎が戻ってきたのだろうか。もしそうだとしたら編集長もあぶない・・・混乱する頭。男が警棒を振りかぶる。体はちゃんと動くだろうか。筋書きを読み上げる男の声は止まらない。

「・・なぜならば鬼来雅己はサイコキラーだったからだ。」

エレベーターの到達音。振り上げられた警棒は避けた譲の肩先に当たった。激しい痛みが広がる。避け損なったのは譲が見ていたからだった。エレベーターの箱の中、ガラス窓いっぱいに広がる黒い塊。みっしりと箱に詰まったつややかな毛玉。

「基成先生!」床に転がるのと同時にドアから基成先生が勢い良く飛び出し、まず目の前の警官を弾き飛ばした。

「譲くん、こっち!」

そういいざま、先生は警棒を振り下ろす二人目の警官を真横から襲撃した。

先生の手に捕まれ譲はエレベーター前へゴロゴロと投げ出された。

「早く!」身を乗り出していたのは星崎だ。

雅己の体は既に引き込んでいる。譲が床に転がり込むと『閉』ボタンを連打した。

星崎の目には壁に叩き付けられる警官と床から跳ね起きる警官。それを再び体重で突き飛ばすなり、廊下へと身を翻す基成先生の勇姿が焼き付けられる。

ドアが閉まり、箱は下降を始めた。

「ほっしざきさ~ん!こわかったよぉぉぉ!」雅己が編集長に飛びついた。星崎は雅己ごと床にへなへなと崩れ落ちながら荒く息をしている。

「雅己くん、殴られたの?譲くんは大丈夫?」痛む肩を押さえたが、笑顔に安堵感がわきあがった。まだ不可解な展開からの状況がわからなかったが。

「編集長・・・あの、基成先生は・・・帰ったんじゃなかったんですか。」

肩に触ると腫れているのがわかる。手にも擦り傷て血がにじんでいる。

「うん、そのはずだったんだけどね・・・いざ、コンビニで降ろしてもらおうとしたらさ、センセが何かおかしい。不安だ不吉な予感がするって言い出してさ。それで結局、ここへ戻ることになったのよ。」自分自身を落ち着かせるように肩を竦めた。

「まさか、あたしもこんなことになっているとは思わなかったんだけど・・・あんた達があぶないって言うから。あたしは言われた通りにしただけ。襲われたのね?」

「はい。」「ぼくをどっかに連れて行こうとしたんだ。もう拉致だよ。強制連行だよぉ!譲は廊下に倒れてるしぃ!」雅己はもう泣いてはいない、プンプンと怒っている。「だいたいさぁあいつらほんとに警官なの?」「偽物だと思うんですけど。」「なんで中に入れたのよ。」「いや、それは・・・制服だったし。」「手帳持ってたの?。」「手帳・・」そう言えば見た覚えがない。制服だけで信用してしまった。「偽物に決まってるよ!あんな暴力警官!譲っちは・・・譲っちは何かされたの?」

「いや、何かを嗅がされて・・・」譲は恥じ入る。「クロロフォルムかなんかね!」

「はい、たぶん・・・それで、意識を失って」失って?譲は顔を顰めた。誰かが起こしてくれたような・・・耳の奥の冷たい感覚。子供の手。ブルブルと首を振った。夢だ、夢。「まぁ、仕方ないわね。今更。」それを見て星崎は軟化した。

「中に誰も入れるなとは、基成先生も言っていなかったしねぇ。」

「そうだよ!悪いのは先生だよ!譲っちはちっとも悪くない。」それで思い出す。

「あの・・・基成先生は大丈夫なんでしょうか。」

「どうかしら。」星崎は順調に降りていく箱の暗い窓を見上げた。「たぶん、勝算があるんだとは思うんだけど。」もうすぐ1階に達しようとしていた。


スパイラル・スリー 第三章-5

2014-02-26 | オリジナル小説

               刑事達

 

「雅己くん、いいかしら?」

困惑した星崎の後ろにやや貧相な中年男が二人モニターに映し出されている。

「鬼来さん?鬼来雅己さん、ですか?」くすんだ色の背広だが、身なりはキチンとしている。もしかして・・と思う前に胸元から手帳を出した。「警察のものです。少し、お話を伺いたいのですが?」

「上に上がらないとくわしく話せないっていうから、お願い。」

「警察だって。」もう血液の分析結果が出たのだろうか。

「え~、今からぁ。」ブツブツ言う雅己を無視しオートロックを解除する。

床にあるものを脇に積み上げて、椅子二つを中央に移動させる。テーブルを動かす暇はない。。「おい、手伝えよ。」雅己がようやくポテチを置いて手を貸した時にはもう玄関のインターホンが鳴っていた。基成先生は寝室の前に自分のスペースを作り腰を降ろしている。

「中野署の高木といいます。」刑事は二人、制服警官が一人だ。なんだかでかそうな警官は、屋内には入らなかった。刑事だけが星崎と共にリビングに招き入れられる。

「お引っ越しですか?」高木が室内を見るなり「いや、それが。」

星崎も戸惑いを口にしながらもどうにか基成勇二を見つけそこを目指そうとする。

「ぼく、覚えてないんだよね。」

「あなたが鬼来雅己さん?こちらは?」「あっ、僕は友人で仕事仲間で、岩田と言います。」「先ほど言いましたが、うちの出版社の社員です。」編集長は基成先生に手を貸してもらってどうにか寝室の前に陣取った。「こちらは、霊能者の基成勇二先生。」

二人の警察官はあきらかに動揺した。

「ほほぅ・・あの、テレビに出ている?霊能者、ですか?」

「はい、その当人ですぅ。」

譲は警官達に椅子を勧めてステレオのスピーカーに座る。

雅己はテーブルに座る。まだポテチを持っている。

「あの・・・できれば関係のない方々は席をはずしていただけるといいのですが・・」「全員、関係者なんですの!」星崎が叫ぶ。

「しかし・・・マスコミ関係は・・」と口を濁す高木に隣の刑事が肩を竦めてみせた。「まぁ、もう今更隠しても」などと、短い二人のやり取りの後、

「私は群馬県警の松橋と言います。」もう一人の刑事が名乗った。

「群馬県警?」「彼はちょっと事件がありまして、こちらに出向しているわけでして。」丁寧な口調で高木刑事。「事件?群馬で、ですか?」譲はハッとする。

「まさか、鬼来の実家で・・・何か?」

二人の刑事はポテチを食べ終わって指をなめている雅己をしばらく見つめ、また顔を見合わせた。「先ほど、病院の方へ伺ったんですが。」高木刑事がゆっくりと「あなたがたはもう病院を出られた後でしたので。担当の先生から少しだけお話を伺ってきたのですけれど・・雅己さんは、ご病気とか?」

「あ、いや病気ってわけではないんですが。」

「医者の守秘義務とやらで我々もはっきりとはお答いただけなかったのですが・・・色々と推察したことを繋ぎ合わせてみますとどうやら・・・記憶喪失なんですか?」

「はぁ、まあ。」譲も曖昧にうなづく。「そうみたいなんですよ。」

それを聞いた松橋刑事がため息を付いた。「そうですか。それは、残念です。」

肩が下がっている。「どのくらい前から記憶がないのか、わかりますか?」

高木刑事は相棒の落胆にもめげる様子もなく前向きだ。

「あっ、ここ1ヶ月ぐらいだと・・・そうだよな、キライ?」

「う~ん、ぼく、よくわかんないよ。そんぐらいじゃないのぉ?」

「例えば18日前、あなたはご実家の鬼来村に帰られましたよね?最寄り駅からタクシーに乗られてますが、その辺りは?」

「わかんないよぉ~そんなのぉ!」

「あっ、その記憶はないみたいですので。」駄々をこねる雅己に代わり譲。

「わかりました。もうその辺で。」高木が見かねたのか口を挟む。

「雅己さんが記憶をなくされたのは、降霊会でだとか。」霊能者を横目で捕らえる。

「降霊会っていうか・・霊視の最中・・まぁ、降霊会か。基成先生に失踪したこいつのおじさんとおばさんの行方を視てもらっていたんですよ。」

細かい説明はどうせ信じまい。「そこで突然、倒れて。」

「ふむ、我々が署で聞いたことと概ね一緒ですな。」

なんだ、知ってるんじゃん。「新しい手がかりとかは出て来ていませんか?」

「そうですね・・・失踪の件は言うなれば、こう着状態です。」

「もう少しすれば本格的な事件として捜査することになるかもしれませんよ。」

脇からの刑事がやけに熱心に口を挟んだ。「事件性があると認識されたのですか?」

「いや、それはまだ。待っていただかないと」なんだか思わせぶりだ。

「それにしても霊能者に依頼されるとは。警察が頼りにならない証みたいで、申し訳ないですな。料金もお高いでしょうに。」

星崎が鼻を鳴らした。融の返事も素っ気ない。

「いや、そういう取材とかが・・たまたま僕や鬼来の仕事だっただけです。」

「すいませんね。色々と試すようなことを言って。我々もこれが仕事なものですから。」高木も頭を下げるのが慣れているようだ。

「とにかく、雅己さんのおじさんとおばさんの件も引き続き、調査中です。ただ、それとの関係は確定できないのですが、緊急に新しい事態が発生しましたもので。そっちの件も含めてこうしてお話を伺いに来た次第なんです。」

「ふ~ん。」雅己がどうでもいいような声を出す。「それが、群馬なわけ?」

「えっと、そう、そうですよ。こいつの実家で何か起こったってことですよね?。」

高木刑事が松橋刑事を見た。

「雅己さんには、大変ショックなことと思いますが実は。」松橋が背筋を伸ばす。

「鬼来村でも失踪事件が発生していたことが、この度判明しまして。」

「えっ?」声を失う譲とは正反対に雅己はどこか人ごとだ。

「もしかして、まさか母さんとかぁ?」

「鬼来リサコさんだけではありません。」高木が深刻な声を出す。

「村人全員が消えたんです。」

 

             第2の事件 

 

『なるほどね。』という基成勇二の声は刑事達には聞こえなかった。

物問いた気に見上げた星崎にはそっと首を振る。

「これはまだ正式発表はされていませんが。」

松橋の話を要約するとこういうことだ。

それはおそらく1週間から2週間前の出来事と思われる。

最初に気が付いたのは郵便配達員だったらしい。1週間ほど前から人を見かけなくなったとは思っていた。12軒しかない山の中腹にある小規模な村落だ。もともとその村の住人はあまり社交的ではなかったと言う。たまたまタイミングが合わなくて、家の中に籠っているんだろうぐらいに軽く考えていた。

それに当時は、その地方にはかなりの雪が降り積もり続けていた。配達も毎日というわけには行かない。村に出入りする為だけの幅の狭い生活道路に除雪車がでないことには村の近くまで行くことも叶わないのだ。それでも雪が途絶えたわずかな晴れ間に配達員はたまった郵便物の配達に出かけた。ハンコが必要な小包があった為だ。雪は膝丈を少し越えていたが、大型の4WDを麓の交番の駐在員が出してくれた。彼も電話もないその村の住民の安否が気になり出していた。村の入り口に当たる竹やぶの前には大きな雪だまりができていたので、そこからは雪を掻き分け苦労してやっとたどり着いた。その一番近い家の玄関で住人を呼ばわったが応答がなかった・・・その集落では誰も鍵なんかかけない・・・そこで二人は家に入っていった。しかし、人気がまったくなかった。駐在員は始めからなんだかおかしいと思ってはいたという。いくら雪が降り続いているとはいえ、まったく雪かきした形跡が村にはなかったからだ。出入りする人間の足跡もない。

どの家にも行ってもすべて同じだった。

「2週間前・・・」譲は呟く。おじ夫婦が失踪したのも同じ頃。当事者であるはずの雅己はさっきからあからさまにポカンとしている。状況が飲み込めないのだろうか。

「そうです。」高木が融にうなづいている。後を松橋が続ける。

「何が起こったかまったくわかっていません。普通に生活していた人間全員が忽然と消えてしまったわけです・・・自ら出て行ったのだとしたら雪が降り出す前、約2週間前ということになります。その場合、無理矢理連れ去られた可能性はないものと思われます・・・何故かというと、抵抗したような痕跡がまったくないからです。家の中はまるで、ちょっと席を外してすぐに帰るつもりだったかのような状況です。用意された食事、これはさすがに腐ってはいませんでしたが乾燥し切って固くなっていました・・・読みかけの本やゲーム・・・テレビも電気も付けっぱなしでした。現金も貴重品も手つかずで、車も車庫に入ったまま・・・」

思わず譲は編集長を振り返っている。星崎は緊張した面持ちだが、その目はキラキラと輝いていた。基成先生もクリームを舐めているネコのようだ。

雅己は口を締め忘れたまま、ここに至っても一言も発していない。

「つまり、東京で起こった鬼来夫婦の場合と大変似通っているわけです。」

高木刑事が声を張り、やや引きつった笑いを浮かべた。松橋は背筋を伸ばした。

「心当たりをあたっていますが・・・16名もの人間がいなくなったのにその所在がまったく確認できない状況です。村から通じる道は1本ですから、必ず麓の村を通過するはずなのですが。そこを含め近隣の目撃者はゼロという有様で・・・ただ、特記すべきこととしては猫と犬が数匹とあと鶏も飼われていたはずですが・・・それらのペットや家畜の類いは今年になってすべて他村の第三者に譲渡されているようなので・・・彼等が自分の意志で姿を隠したという可能性もあくまで否定できないわけなのですよ。何らかの事情で住人達が率先して山に入ったと言う可能性も出てくるわけです。出来る範囲内で山狩りとかもしていますが・・・なにせ山の方は雪が深いもので。本格的な捜索は雪解けを待たなくてはなりません。ヘリによる上空からの捜査ではなんの痕跡も今は見つかっていません。」

「皆さんが自ら山に入る事情を何かご存知ではありませんか?」

鬼来雅己はご存知ではなかった。刑事二人は、重いため息を付いた。

「ところで。」ふいに基成勇二が手を挙げて割り込む。

「事情と言えば、その鬼来村の伝説を警察ではご存知ないのかしらん?」

「伝説?」「鬼来家の呪いのことですか?」「呪い?」「そっちじゃないわよ、ほら、緋沙子ちゃん!」「あっ、死人帰りですね。」星崎緋沙子がいきいきとした。

「死人帰り?」

刑事達は先ほどから何を言うのかというばかりに単語だけを繰り返している。

「刑事さん達はご存知ありませんね。あの、柳田邦男の遠野物語にもある死んだ人間が村に戻って来て一緒に暮らすという話です。」

「はぁ、それが何か?」「つまりもともとそういう場所なんですよ。」

「他にも隠れ里伝説とかあるんです。鬼来村はね、他所から来た人間がなかなか見付けられない、そういう所と言われていたこともあるんです。ねぇ、譲くん。」

「あっそう言えば。」譲も思い出す。「あった、あった。でもキライが話してくれたのはもう桑聞社に入った後だったな。大学時代に知ってたら、絶対おまえの田舎にフィールドワークに行ったのによ。」「だって、村から離れたくて東京に出て来たのになんでわざわざ戻るわけないじゃんよぉ」

「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ!」高木がたまらず声を出す。

「鬼来村の伝説は確かにあります、私も小耳に挟んだことぐらいはありますよ。」松橋がため息を突く。「でもですね、それとこの今度の事件は関係ないでしょう?」「あら、そうかしら?」ここぞと基成勇二が身を乗り出した。

「そういう不可思議な場所であるということなんですよ。そういうところは次元が何かしら歪んだり裂け目があったりしています。人ぐらい消えても不思議はないんです。」「しかしですね、警察ではそういう方面からは・・」

「ええ、そうでしょう。わかっておりますって。ただ、こういう話も念頭においていただければと。捜査の幅も広がるし山狩りの経費も削減できるんじゃないかしら。」

「あっ、はいはい。承りました。」高木が収束をはかりたがっているのは明白だった。

「まっ、それはあちらにも伝えておくこととしまして。ですね、松橋刑事。」

「あっ、はい。そうですね。」松橋の顔も引きつっている。

「ええと群馬県警では・・・身内同士の関係とか事情とかを、近隣地域まで範囲を広げ・・何らかのトラブルとかそういうことを全力で探っている最中なわけです。実態がつかめないだけにとにかく、今はデリケートなんですわ。」

視線が改めて寝室の入り口に向けられる。

「あなた方はマスコミの関係者ですから、特にお願いしたいわけです。」

卑屈なほどの低姿勢は先ほどの話の効果か。

「マスコミって言ったって、月刊誌ですから。」星崎が肩を竦める。

「大丈夫、依頼人の秘密を守ることは慣れてますから。私の口は堅いですわよ。」

霊能者のウィンクに刑事達は引きつった苦笑いを浮かべるしかできない。

「ま、まあ。発表されてしまったら・・これは仕方がないわけですが。まだ数日中は他言無用に願います。」

「はい、もうそれは、もうぉぉ。」星崎の答えは不自然に高い。

「あの~ぉ」ここでやっと鬼来雅己が声を出す。「それって・・・ぼくの母さんも行方不明ってころなんですかぁ?」『そう言ってるだろ』と言いかけて譲は雅己の表情を見て引っ込めた。「残念ながら、そう言うことです。」刑事がうなづく。

「あの、兄貴も・・・?」一瞬、刑事達も首を傾げるがすぐに思い至ったらしい。

「ああ、同居されてる、鬼来美豆良さん?でしたっけ?その方もです。」

「そんなぁ!」雅己が激しく泣きじゃくり出す。「兄貴がいなくなるなんてぇ、そんなはずないよう!だって、兄貴は・・・兄貴は、強いんだもん!」

「キライ?」母親のことよりも兄貴がいなくなったことの方がショックだったのか。

星崎が物につまずきながら駆け寄り雅己の肩を抱いた。涙を拭いてやる。

「大丈夫、大丈夫よ。雅己くん。」

 

               次なる展開

 

 

刑事達が引き上げたと見るや、基成勇二が声を上げた。

「はいはい、なるほどそういうことねぇ~」

「センセ、すごい展開ですわよっ!」

星崎は雅己を気にしながらも、興奮を隠せない。「編集長、不謹慎ですよ。」

「わかってるわよ、だけど考えなさいよ!あんたもマスコミの端くれでしょが。」

鬼来雅己はもう泣くのは止めたが、時々鼻を啜っている。

譲は星崎に代わって雅己に寄り添い、その肩に手を置いた。

「キライ、耐えろ。この職業に就いたからには諦めるんだ。」

「・・・譲っちぃ」「どうした?」「・・・ポテチ、まだない?」

涙を拭く手にお菓子を渡した。「これって塩味じゃん。コンソメじゃないよぉ。」「贅沢言うな、こんな時に。」呆れた。ほんとただの子供だ。

「いいっ?譲くん!つまり何もかもがっ・・・2週間前からってことなのよぉ!。」

「??何があったっけ?」サクッとポテチが割れる。

「あのな!おまえのおじさんとおばさんが失踪したんだろが。それでもって同じ頃に、鬼来村でも人が消えていたってことなんだよ。」

譲もようやくあきらめの境地に達した。それに正直に言うと少し怖い。

目は無意識に基成勇二を捜している。

「どういうことなんでしょう?失踪と呪いは確かに繋がっっていたってことですかね。」投げやりでもある。「もう、一緒に解決しちゃっていいんじゃね?」

霊能者が重々しくうなづく。「勿論、一緒にやるしかないでしょ。」でもね。「関係性はまだキチンとわかってない。整理もついてないけどね。」

「センセ!これぞ、基成勇二ファン待望の表舞台ですわよ!刑事事件なんですから。これをサクッと解決しちゃったとしたら、もう基成先生最大の事件と世間が呼んでもてはやしても過言じゃありませんってことです!」

星崎の頭にあるのは連載枠、ひたすら拡大。

ポテチを投げ出し、「なんなんだよぉ、もう~ぅぅぅ!」雅己がとうとう奇声を上げた。「もうわけがわかんないよ!もう、どうでもいい!」

「雅己くん。とにかく、鬼来村に行きましょ。」霊能力者は唐突だった。

「へっ?なんで?」「行きましょう!センセ、あたしもお供しますわ!」

「今日はもう暗いから、行くなら明日、朝一ね。」「行きましょ、行きましょ!」

「ちょっと、待ってください。」自分のアパートにすら帰ってないのに更にこのまま、群馬行きなんですか。「なんでそんな急ぐんです?」

「それにはちゃんと理由があるの。これは霊視じゃなくて推理だけどね。」

おもむろに寝室を指差す。

「雅己くん、あなたはね。最近、兄貴という人に会っているのよ。」

「兄貴?」「鬼来美豆良さんですか?」それもまた唐突な。

「あなたが田舎に帰る前に・・・2週間前ぐらいにその人はここに泊まったはず。」

「・・・そうなの?でも、そんなはずないよ。だって兄貴は一度も群馬から他所へ出たことがないんだもの。」「そうなのか?」「確かなの?」「うん・・」雅己の眉が曇る。譲は基成先生に向き直る。「どうして先生はそう思うんです?」

「譲くんが雅己くんから聞いたお母さんの結婚話よ。電話もない携帯電波も届かない田舎からあなたはどうやってそれを知ったの?」「手紙とか・・・電報?」

「じゃ手紙、捜して。」

譲と星崎は整理された床の山からそれらしきものを捜した。山はそれぞれ整理分類されているのでそんなに難しくはない・・・はずだったが。譲は先ほどの違和感の正体に気が付いた。「う~ん、これってどういうこと?」星崎も気が付いた。部屋はリビングと寝室しかない。玄関、廊下、ユニットバスと洗面所には既に物が何もないのだ。「えっと・・・手紙の類いがありません。」手紙だけではない。雅己の生活の匂いがする私物や書類の類い、メモ帳や覚え書きに類するもの。保古、ゴミそれらは全て処分されたとしか思えない。

「写真はどう?」基成先生は携帯で外のエレファントに何やら色々指示しながら。「個人的な思い出にかかわるものは?」

なかった。床に積み上げられているのはあくまでも生活雑貨や必要品だけなのだ。

「サークルのアルバムもない・・・大学の卒業アルバムも。なぁ、あったよな?」

「あったっけ?」雅己は投げ出したポテチを拾うのも忘れて考える。「だよねぇ?」

霊能者は携帯をモコモコした毛皮の中にしまった。

「電報については素子に裏を取らせる。」

その方法は聞かないでと。

「雅己くん。私がこの場から読み取ったものは(勿論、推理したことも含めてよ)あなたが田舎に帰る2週間前にここに鬼来美豆良さんがいたの。そしてどういう意図があるかわからないけれど、あなたは、もしくは二人はこの部屋を整理し物を処分した。それからあなたは充出版に出かけ融くんと話をし、その後で美豆良さんと一緒に田舎へ帰ったんだわ。そして帰って来てからおじさん達の失踪を発見したの。私はそう確信している。」

先生はジッと雅己を見た。

「あなたの回りに私に匹敵するぐらい力のある人間がいるとしたら誰を思い浮かべる?」「霊能力ってことですか?」譲は息が止まりそうになる。だとしたら、それはもう。「兄貴はUFOを呼ぶんだったよな。」

「お化けも見るよ。」瞬間、雅己の顔は誇らしさにはち切れんばかりになった。

「色んなこと知ってるし。先生に匹敵するかはわからないけど・・・でも。」

なにか含んだ霊能者の眼差しにやっと気が付いたのか、声が小さくなった。

「でも・・・霊能者じゃないよ。」

「それはね、お仕事にしてないって差だけかもしれないでしょ?」

基成勇二がにんまりした。雅己の高揚はたちまちしぼんだ。

「あの・・・それって。」星崎が用心深く切り出した。「以前、センセがおっしゃっていた呪いから守る為におじさん達を隠したのは・・・その兄貴って人だってことになるんですか?」「かも、しれない。って言うか、私はそう確信してるってこと。」

勇二は目を細めた。

『守るため?果たしてそうなのかしら?』それはまだ確信が持てなかった。

『ここでも痕跡をぬぐい去った・・・何の為にこんなことをしたのか。』

『結果として、おじさん達は命を失って雅己くんは記憶を失った。』

『村の住民が消えたのはどうしてなの?鬼来美豆良は今どこにいるのよ?』

霊能者の背中をブルブルと震えが突き抜ける。予定外の武者震いである。

『魔物だけじゃない、すごい奴がまだまだ、いるんじゃない。この世界に。』

「とにかく、鬼来村に行くわ。あなたの兄貴に会いたい。雅己くん、あなたも一緒。」

「我々もお供します!」星崎の視線はガッチリ譲をロックオン。

ここで断ることなどできなさそうもない。群馬行き、決定か。やはりアパートには帰れないみたいだ。もう永遠に帰れなかったりして・・・。


スパイラル・スリー 第三章-4

2014-02-26 | オリジナル小説

               影達

 

鬼来雅己が借りていたマンションは中野駅から少し離れていた。商店街がそろそろなくなる辺りの路地に面している白いビルだ。部屋は8階にあった。

早くから始まった今日という日だったが、予定外の展開で病院を経て今ではすっかり暗くなり始めている。自分の部屋でなくても一段落だ。

基成先生はどういうわけか、鬼来雅己の部屋を一目見たがった。

エレファントは肩を竦めた。兄のわがままに耐えるのはいつものことだとでも言いたげに。狭くなるからと言う先生の現実的な理由で二人は一足先にエレベーターで上に向かう。

「狭いっていうかぁ、センセイ一人だけでも鳴っちゃいそうだよねぇ!ブーッって。」ドアが閉まり、妹と打ち合わせをしている勇二の耳には聞こえなくなると雅己がクスクス笑い出す。

「そんなことよりキライ、おまえが大学で宿坊に泊まった女の子の名前、覚えてるか?あの東北のカッパの出る寺。」上昇するエレベターの中で融は腕を組んだ。

ドアが開く度に夕餉の香りが漂って来る。

「何ぃ?クイズぅ?」雅己が階のボタンを全部、押してしまったので定期的に、『閉』ボタンを押しながらだ。「いいよぉ、やるよぉ。」即答した名前は正解だ。

「ミカちゃん、本田美花さんだよね。」目が輝いている。「当たり、だろ?」

「じゃあ、最初に行った廃墟ツアーの場所は?」

「伊豆だよ。熱海のホテルさ・・・落書きがすごかったよね。もおさ、引くぐらい。」

「第2回肝試し大会は?」

「秋川のキャンプ場!」

「そこでビビって丸太橋から川に落ちたのは・・・」

「そりゃ、譲っちでしょ!」

「その時、高橋君が作った伝説のカレーは?」

「竹輪銀杏カレー!」

人が走ったり話し声はするが、乗って来る人はいない。とうとう譲の腹がなる。

「もう、ほんっと譲っちってすぐ腹ならすよね!」雅己が声を上げて笑った。

「最初の講義で隣になった時からさぁ、こんなに腹が鳴るヤツって珍しくてさ。もう

笑いが止まらなかったよぉ。」

「それで二人、教授に怒られたんだよな。」譲も思い出して笑う。

「・・・どうやら、過去の記憶は正確なようだな。」

「そう言ってるだろぉ?」

「ちょっとおまえは変わったけど・・・大丈夫だ。きっとすぐ戻る。」

譲は自分にも言聞かせる。それを聞く雅己の顔に初めて皺が寄る。

「でもさ・・・なんていうかさぁ。」言葉を捜す。

「覚えているんだけど、なんか実感がないというかさぁ。」

「実感?」

「年表を見ているみたいなんだよ。まるで・・人の記憶みたい。」

「なんだ・・・それ?」

「臨場感がないっていうの?」

「臨場感?」首の後ろの本人も知らない小さいホクロ。

「自分が実際にそこにいたって実感っていうんだよ。」

今度は雅己が『閉』ボタンを押す。手の甲にある馴染みの小さな傷。大学3年の夏、ゼミ合宿。キャンプ場で酔った鬼来がバンガローから飛び降りて、その傷を作った時、譲は彼の間近にいた。一緒に飛び降りた自分が鬼来の上に落ち、積んであった薪が崩れたのだ。2人は軽い怪我をした。譲の傷はすぐに直ったが、割れた木の角でえぐったらしい鬼来の手の甲にはいまもその跡が残っている。ちなみにその時、雅己が叫んだのは『チュバカブラ!』譲は『アダムスキー降臨!』であった。二人とも馬鹿である。譲は笑った。

「大丈夫、おまえはキライだ。」そうだ、間違いない。

「ちょっと子供帰りしただけのな。」

「子供って言うなぁ。」これは自分のよく知っている鬼来雅己。

「知らないのか?子供ほど、そう言うんだぜ。」

「えっ、じゃあ、もう言わない。子供でいい~」

大事なものをなくした。

基成先生はそう言う。そのなくしたものは取り戻せるのだろうか。

「取り戻すさ。」つぶやいていた。「必ず。」そうだ、取り戻せばいい。

「ん?」無邪気な笑顔で雅己がこちらを見る。

エレベーターがやっと8階にたどり着く。常夜灯が既に灯っていた。

扉から出ると、バタバタと複数の音が響いた。視界に入らない通路の角から全速力で駆け出す音だ。それも大人ではない、子供の足音だ。エレベーターホールから角を曲がる吹き抜けの通路には誰の姿もなかった。ドアが閉まる音がしたような気がする。部屋に入ったのだ。聞こえた音の長さからすると子供が駆け込んだとしたら丁度、この角から4戸目辺り?・・・ちょうど雅己のアパートの前。

「キライ、おまえの部屋の隣って確か空き部屋じゃなかったっけ?」

「そうだっけ?どっち?右隣は女子大生だよ。彼氏と同棲中ぅ。」

子供のようにスキップしだす。「よせよ、うるさいだろ。」

同棲中ぅ、ダンスだよぉ~と雅己、譲は追いかける。

『キライの留守中に子供のいる家族が越して来たのかもな。』

二人とも随分、ねぐらを開けていたのだから。

バックの中から部屋の鍵を捜すのに雅己は少し手間取った。

「どこにしまったんだよ、なかったら洒落になんないぞ。」中身を通路に広げていると、視線。膝を突いて這いつくばってた譲の視界に右隣のドアが少し、開いている。

「あっ、すいません。こいつ、鍵なくしちゃって・・」見上げて言葉が止まる。

隙間からのぞいていたのは女子大生ではない。チラリと見えた顔はしなびたおっさんだった。ドアが閉まる。音もなく。そして左隣からは複数の子供の笑い声。

「譲っち、あったよ。鍵ぃ!」何毎も気付かなかった雅巳が鍵をぶら下げて立ち上がった。「どうしたの?」「あっ、う~ん。」譲は顔を顰めている。

「なぁ、おまえの隣の女子大生の同棲してるのっておっさんか?」

「いやぁ、大学生だよ。」「今、おっさんがいたぞ。」

「付き合う相手変わったのかなぁ?話した感じは純情そうないい子だったけど。」

「相変わらず手が早い。」

「そんなんじゃないよぉ。それよか、お父さんが泊まりに来てるんじゃないの。」

「どうしたの?」基成勇二が通路の先に姿を現した。

「鍵がなくなったの?」

「あっ、大丈夫ありました!」

勇二は大股でずんずんと進んで来た。一人だけなのにRPGとかの迫り来る壁みたいな迫力。譲は先ほどの形の付かない不安を忘れる。

「もしなかったらね、素子、あいつが得意よ。鍵、開けるの。どんな鍵だって開けられるから、言ってね。」「はぁ。」それって犯罪では・・と譲が考えてる間に雅己が鍵を差し込んでいた。「たっだいま~!」

基成勇二は二人を先に入れるとしきりにキョロキョロと首を傾げた。

 

               勇二

 

『あの家といい、ここも・・・変な空間だわねぇ。もともと?それとも最近・・・変になったのかしらん?』

集中する。すぐに通常の視界とは違う光景が重なって見え始める。

『鬼来家の住んだところがみんなこんな風になるのならば、確かに呪いのせいなのかもしれないわね・・・それとも、そう言った血を我知らず持っているのかも?』

そんなわけないか。雅己を押して目の前の廊下を行く譲の背中がぼやけて行く。

あれはいい若者だ、と霊能者は思う。不器用で真っすぐで友情に熱い。

一番最後に入った霊能者は慎重に玄関の鍵をかけた。

『私にわかるのは主に空間の歪みとか、場に焼き付いたあるべきじゃない光景とか。そんなもんなんだけど・・・自慢じゃないけどそれだけは確実よ。死んだ人間の声なんかほとんど聞こえやしない。生きてる人間ならまだ思考が読めるけど。でも、それだけで充分営業して行けるんだから、ちょろいっちゃちょろいわね。』

そう自嘲しながら、脳が受け取る映像の片割れに目を凝らす。その部屋は両脇から圧迫を受けたようにいびつに凹んでいる。『なんだか両方の部屋から押しつぶされたように見えるけれど・・・違うわね。こっちが先、この部屋が先につぶれたの。でもまるで穿たれたように見える・・・嫌んなるわ、又、穴と来た。』

そのせいでマンション全体のバランスすら崩れていると霊能者は判断する。大気に溢れ出たマイナスのエネルギーが凹んだ穴に流れ込んでいるのだ。それだけじゃない、この亀裂を目指し地上から冷たいものまでが這い登って来ている。

霊能者は左右をすばやく睨むように視た。

『両脇の部屋にたまっているわね・・・人間?いえ、次元を自在に行き来するのだから・・・人ではないものに決まっている。でもまだ、気にするほどのものではないわ。』

先程、吸い込んだ冷たい外気。沈む太陽の残照の残る赤黒い空。その天空に輝く、白過ぎる月。今も霊能者の目には天井の上にその月が視える。2重の視界で観たその月にわずかな斜がかかり初めている。良い兆候ではない。

『問題は・・・この時間帯。黄昏時ってやつ。』

つかの間、目を閉じた。『蝕が始まる・・・?』

目に見えない空間が更に膨張し、場の凹んだこの部屋へと侵入しようとするのか。

もう、失敗をするわけにはいかない。

『念の為、結界。』霊能者は自分のやり方でその部屋を守る技を施している。

 

                

 

「あれ?」先に立ってリビングのドアを開けた譲は違和感を覚えていた。

「おまえ、これ・・・おまえの部屋ってこんなだったっけ?」

何度も遊びに来た部屋だ。でも、何かがおかしい。

本は本に、CDはCDに。DVDはDVD。これではまるで分類だ。収まっていた棚ではなく床に山に積み上げられていた。棚は壁際に寄せてある。

テーブルも椅子も何もかも。部屋の一方に集められていた。生活感を演出していた小物や雑貨、超常現象グッズやフィギュアなどは全部床に広げられている。

「う~ん、若い男の部屋にしては斬新というか。色気が微塵もないわねぇ。」

基成先生は床に展開する物を踏むのを怖れて室内に入りかねている。

「・・・これ?おまえがやったのか?」おじさんの家に行く前に?。実家に帰る前に?」「雅己くん、群馬に帰ったわけね。」「あっ編集長から聞きました?」

「実家?僕、実家に帰ったの?」雅己の反応に譲は天井を仰ぐ。

「ほら、君のお母さんがさぁ・・・」声が小さくなる。「言ったじゃないか、結婚するとかしないとか。」「えっ?あっ!ほんと!?とうとう兄貴と再婚するんだ?」

「再婚?お兄さん?お母さんが?」

「あっ、違いますよ。本当の兄貴じゃない人ですから。」

先生の勘違いに譲は慌てて説明する。基成先生は相好を崩した。

「まぁっ、おめでっとうぅぅ~!それにしても、40代?雅己くんのお母さんって、すっごいわねぇぇ!。それで10も年下の若い男のハートを射止めるなんてさぁ、まったくうらやましいわぁ。」

視線が譲に注がれるが気付かない振りをする。

「私も希望を持っていいってことよね、譲くぅん?」

「まっ、人それぞれですから。」

「これ、全部ぼくがしたのかな?」雅己は首を傾げている。

「そうね。」基成勇二は気を取り直し、クンクンと空気を嗅いだ。先生は隅に寄せた椅子によじ登る雅己に視線を送った。

「ここを片付けたのは雅己くん、あなたで間違いないようだわね。」

「なんでこんなことしたのかはわからないんですか?」

「あのね、霊能力者はね万能でもないし超能力者でもないの。」譲が急ごしらえで物を寄せた床の道を静々と先生は進む。

「霊視っていたって、全部の人の考えが私にわかるわけじゃないしね。ガードされていたら、まずわからないし。しかも雅己くんと来たらさ、過去とはあまりにばっさり切り離されているんだもの。」

譲はLDKの隅、シンクと並んだ冷蔵庫に向かうが食器棚から外に並べ出されていた食器類を迂回しなくてはならなかった。幸い、雅己は料理とかしなかったので調理器具や調味料などは必要最低限より少ない。それらも床に分類されている。

「おい・・・電源が切ってあるぞ。」冷蔵庫を開け、途方にくれた。

「もともと何も入ってなかったから、別に構わないんじゃない?」

「先生は何か、召し上がりますか?」「何が、あるの?」

「ぬるいミネラルウォーターとコーラとビールです。」

「水でいいわ。」先生は巨体を乗せる物を捜しあぐねて立っている。

「ぼくはビールにしようかな。融もビールにしなよ。」

雅己が床にあった水とビールを差し出した。

その横にはインスタント食品の類がこれまた分類するように並べられている。

「電気代を節約することにしたのかなぁ?、ぼく」「おそらく、そうね。」

居心地が悪い。基成先生は自分で物をどけた床の上に、二人は部屋の隅の椅子に、並んで座わった。

「どうしてかなぁ?長期間、家を留守にするつもりだったから?」

譲は床の上に展開する家財道具の海を見渡した。微かな違和感がある。

「いや、これは・・・なんだかまるで引っ越し前の整理整頓?みたいな感じじゃないですか?」空きっ腹にビールだ。春先だからか思ったよりも緩くはない。

基成先生はしきりに見回すだけで何も答えない。第6感を行使しているみたいなのでほおっておくことにする。譲は床からポテトチップを拾い上げた。

「はっきりさせよう。」

「おまえがどこから覚えていないのか。」

「それ、重要?」基成先生を横目で見ながら雅己も手を伸ばしてくる。

「うん。たぶん・・・そんな気がする。」

以前の雅己が何を考えていたのか、知らなくてはいけないような。

「ぼく、そんなのどうでもいいけどなぁ。」そう面倒くさそうに「あっ、寝室がどうなってるかみないとね。譲っち、今日はここに泊まって行ってくれるんでしょ。」「そのつもりだけど・・・」星崎に雅己から目を離すなと言われている。正直、家を空けていたのは譲も一緒だから小平にある安アパートが恋しくないわけではない。でもとりあえずの着替えや仕事道具は床に降ろしたリュックで今の所こと足りているのでよしとするしかない。

「あとで、先生を送りがてらコンビニに買い出しに行こう。」星崎も顔を出すだろう。

ポテチを持って寝室に向かう。霊能者も緩慢に立ち上がり後を追った。雅己は床の物を踏んでも蹴散らしても自分の物だから遠慮はない。遠慮のある譲は物を壊したり崩したりしないようにしている。その足場を、基成勇二が続く。まるで登山のようだが、実は巨体の霊能者の方が動きに無駄がなく優雅ですらあった。

「こっちはそんなにでもないよ。」

10畳のリビングダイニングの横に寝室とバスルーム。ベットの配置は変わってない。くくり付けのクローゼットはリビングと同じ状況。洋服ケースは積み上げられ、服が全部出されている。鞄は鞄、靴は靴、帽子は帽子。時計やアクセサリー類も床の上だ。何も置かれていないスペースにはベッドと並べて布団が敷かれていた。その布団一式は誰かが寝て起きたかのように乱れていた。

「ぼく・・・どっちで寝ていたのかな???」「床だろ、たぶん。だって、ベッドにマットしかないし。」

「誰か、泊まりに来てたのよ。」勇二の顔にうっすらと笑みが浮かんだ。

「女か?」「・・・記憶にないねぇ。」「都合よく記憶喪失利用すんなよ。」

譲は勇二の腕を掴む。

「基成先生、こういう時こそ霊視ですよ!どんな女が泊まりに来たのか、バッチリ霊視してやってください。」「やめろよぉ!個人情報だろぉ!」

「う~む。」霊能者は唸っていた。

『ここも痕跡が消されているなんてこと、あるのかしら。』第6感の目には何もかも洗い流されたような光景しか視えない。何もかもが、染み付いた思い出や生活の跡が・・すべて押し流されその先は・・・ぽかりと開いた暗黒へと落ちていた。

霊能者が笑顔を引っ込めたので譲は不安になった。「どうしたんですか?」

「これって、あれだ。予知だよ。譲が今日、泊まりに来ることをぼくが実は予知していたってわけ、ない?」

「ないない。」先生が考え込んでいるので、譲は寝室から踵を返す。

「あきらかに誰かがこの布団、もう使ってるし。」

「なんだよぉ、わからないだろぉ!その時の記憶がないんだから!それより、ぼくにもポテチ!それ、ぼくのポテチだぞぉ!」

二人で袋を奪い合う形になった時だ。チャイムが鳴り響いた。顔を見合わせる。

「・・・誰だろ?」「たぶん、編集長だ。」

「編集長だけではないわね。」霊能者が寝室から声を出す。

譲はカメラ付きインターホンに向かった。

星崎だけではなかった。


スパイラル・スリー 第三章-3

2014-02-26 | オリジナル小説

          譲・・・現在

 

病院での鬼来雅己の診断は『一時的な記憶の喪失』だ。基成勇二は数分間と言っていたが、医師の行った診察では事態はもっと深刻だった。『霊視』前後だけではない。なんと、おじとおばの失踪に関する記憶もすべて失われていた。

ほぼ、2、3週間。その辺りからはスルッと抜け落ちていることが判明したのだ。

それより前の記憶、編集者として働いていたことや大学時代に関する記憶には欠損は見られないようだった。

勿論、性格の変化に付いての確たる診断は受けられなかった。医者には雅己の以前の情報がない。自覚のない当人と回りの証言だけではなんとも言えまい。

『降霊会』という非日常的現場における強い心理的ストレスに晒されたヒステリーの一種。脳が混乱したことによって人格が一時的に喪失、乖離、あるいは退行した適応障害ではないのか。時間経過によって回復する可能性もあり。

よって、引き続き、様子を見ることしかあるまいとの結論だ。

何しろ当人が、暴れたり混乱したり記憶が取り戻せなくて困って焦っているというわけでは全然ない。当人は見たところ、むしろのほほんと落ち着いて安定している。

当惑しているのは完全に回りの人間達だけなのである。

今はどうにもこうにも手の打ちようがないということであろうか。

 

譲は雅己を中野の自宅マンションに病院から送って行くことになった。

これまで二人が帰ることを願いおじとおばの家に仮住まいしていた二人であったが・・・あのようなことの起こった家に再び戻ることは・・躊躇われる。

すっかり変貌した鬼来雅己のふにゃふにゃぶりは編集として仕事に復帰できるのかどうかも危ぶまれるのだが・・・とりあえずは家に帰るしかあるまい。

何より当人が、それを願っていた。おじとおばの失踪を改めて知らせても「ふ~ん、

そうなの?」だけであった。まるで興味がないようなのだ。以前の雅己とは180度も変わってしまっている。「そのうち、無事に帰って来るんじゃないのぉ?二人ともいい大人なんだしぃ。心配したって仕方がないよ。ええぇ、霊能者まで雇ったのぉ?記事にする為にぃ?ほっし崎さんって、ひっまぁなんだぁ。呪い?あるわけないじゃんよぉ。」これには編集長も絶句だった。「おいおい、キライよぉ。」

以前なら当人の頭を叩くぐらいはしたかもしれない上司の平も二の句が継げない。「参ったなぁ~調子狂っちまうよな。」

その上、雅己は病院にいる間中「ぼく、もう家に帰りたいよぉぉ」と駄々をこねまくったのである。「まぁまぁ、もう少しだからさ。」とお守りをし続けたのは何を隠そう譲である。とりあえず、譲のことはよく覚えているらしく言うことは聞く。

しかしもはや今日は取材の続行は不可能となったと判断した星崎が結論する。

「雅己くんを連れて帰って見張ってなさい。」

待合室で編集長が買い与えた菓子パンと牛乳を雅己はむさぼっている。

「あたしも一旦、編集部に帰ってから後で顔を出すから。」

そう囁くと、痛まし気に雅己を一瞥。

「子供みたいでかわいいんだけどねぇ。今なら触りたい放題、嫌がりもしないし。」

「編集長。」不謹慎だと睨むと肩を竦めた。

「まぁでも・・・ある意味、この展開も記事としていいかもしれないわ。医者はまだ彼の深刻さがわかってないみたいだから、我が社の取材を優先させるけどね。」

「まだあきらめてないんですか。編集長、いますっごく悪い顔していますよ。」

そう言う譲の頭に指輪の石が激突した。

「痛ってぇ。」だがまだ手加減されてる。

「キライがあれじゃ、当人の掲載許可降りてたって後味悪くないですか?保護者とか後見人とか必要な感じじゃないですか。」

「余計な心配しないでいいの。名は伏せるし、顔も出さないもの。まだ法的に認定されたわけじゃないでしょ。彼は二十歳過ぎてるの。医者だって普通にしてろって言ったじゃない?上司もいるし、雅己くんの許可はね、まだ有効なの!。」

編集長は諦める気ゼロである。譲は気になっていることを上司に聞いた。

「・・・編集長もなんか見たんですか?」「見たって何よ?」

星崎緋沙子は構えた。「いや、その・・・蛸の足みたいな?」

「見たわ。なんか異常っぽいもんをね。」鼻から息を抜き、足を組む。

「譲くんはさぁ、いったい何を見たの?気を失っている間によ。」「それは・・・」

「あのさ、あんたはあの霊能者を信じるの?それともあんたの上司、この星崎を信じているの?」猫なで声で霊能者に語っていた時とは態度が大いに違う。

「えっ、じゃあ・・・編集長は基成先生を信じてはいないんですか?」

「あんたにはうちで働く時に口を酸っぱくなるほど言ったはずよ。怪異に飲まれたら終わりだって、言ったでしょ!」切れ長の目が譲を射抜く。

「そうなったらば、もうお終いよ!我が社の編集としてはね。」

「でも、あれは・・・」

「譲くん、集団催眠ってもんもあるのよ。」

虚を突かれた。

「あたしはその可能性だって疑っている。あんたが意識がない間に見た夢だってね、事後催眠ってものもあんだからね。予め、あんたに接触した時に仕込んでおくことだって可能なの。勿論、あんたにはそんな記憶は一切ないってわけ。」

「なるほど・・・」これほど星崎が頼もしく思えたことはない。

人知を越えた経験をしたのかも、と戦いていた譲の不安が消え去っていく。

「さすが、星崎編集長!疑い深さに頭が下がります。」

「ふん。怖れいったか。いったなら、さっさと見たものを報告しなさい!」

譲は気を失った間に見たことを簡単に説明した。雅己がおじ夫婦を殺したかもしれないという話になるとさすがに滑舌が鈍る。

「あの・・・まさか、そんなこと・・・絶対にないですよね。」

「勿論。証明なんかできないし、現実とすると矛盾がある。」星崎は考え込んだ。

「ただ・・・雅己くんの服に付いた血はネックになりそうだわね。」

「こんなことで、あのこれ、記事になりますんでしょうか?」

そっちが限り無く不安だ。編集長は頼もしく顔を振り上げる。

「勿論よ。インチキでも幻覚でもいいに決まってるでしょ。本当のことを全部、書く必要はないんだから。読者の喜びそうなところをチョイスして、チョイスしてマズいところは隠す。それで御の字なの。とにかく、あんたは雅己くんに張り付いて記事になりそうなところをしっかりレポートする!いいわね、情けは無用!これお仕事!」勢いよく、そう言い切ったとき携帯を仕舞いながら平が戻って来た。

「いや~、鬼来のやつ!おかげで往生しましたわ。」ぼやいている。

あちこちに電話をかけ、とりあえず鬼来雅己の病休を勝ち取ることに成功したようだ。「これで2週間は大丈夫でっせ。まっとりあえず、俺も社に帰りますわ。プライベート中といえ、上の上にも話を通しておかないとやばいっしょ。」

「わかったわ。」星崎は軽く了解する。

「星崎さんも知ってるっしょ?なんせ、鬼来は会長のお墨付きで就職したやつだから。」「ああ、そういえば・・・確か、そうだったわね?」

物問いた気な星崎の視線に譲もしぶしぶとうなづいた。

「鬼来の母親に会長が恩があるとかないとか、そんな噂ですわ。」

中途採用の未経験者がいきなり編集者に正式採用されたことで色々、言われているのだ。中には聞くに耐えない内容のものもある。

「ふーん。別に、そういうのってこの世界でもよくあるから、あたしは気にしないけどね。」興味なさそうに肩を竦めた。

「まぁ、単に会長が星崎さんとおんなじ美少年趣味なだけかもしれませんがね。」

「もう、いいから。早く、行ったら!」星崎が睨んでも平気の平座。

がははと笑い「じゃあ、またな!」と手を振り、「帰るのぉ?」と顔を上げた雅己から食べ終わったゴミを受け取ると、ゴミ箱に捨て足早に自動扉を抜けて行く。なんだ、いい人じゃん。目で追う譲に星崎が体を寄せて来る。

「あのさ、雅己くんの症状も催眠の影響だとしたら・・もうすぐ元に戻るとあたしは思う。症状を持続させるメリットは基成先生にはないもの。でも、もしも・・あれが霊視とはまったく別の要因で起こっているんだとしたら・・・そうね、例えばそうね、2週間経ってもさ、その・・・あのままだった場合よ。」

食べ終わり手持ちぶさたな感じの雅己はキョロキョロと辺りを見回している。長椅子の端に尻を乗せて体を揺すり、見るからに子供じみた様子だった。

「仕事復帰に支障を来すかもしれない・・・そうなったらいくらなんでも、彼の郷里に連絡を取らなきゃいけないわ。その役、頼むわよ。」

星崎も外道ではないと言うことか。一応、深刻に考えている部分もあるらしい。

「構いませんけど・・・ただ」住所だけは知っている。「キライの実家っていうか、住んでる集落って電話ないみたいなんですよね。ネットも繋がってないし、携帯の電波も届かないって聞いていますけど。」

「なんですってぇ!どんだけ、田舎なのよ!」

声が響き渡り、待合室のお年寄り連がこっちを見る。さすがの星崎も口を押さえた。

「なになに?何が田舎なのぉ?」

平と別れた雅己が椅子を尻で移動してきた。

「おまえの実家だよ。」「そりゃそうだよ、山の中だし。山しかないもんね、っと。あっ、でも狐とタヌキならいっぱいいるんだよん!」きゃははと笑う。

「・・主な通信手段は何があるのよ?」「郵便ですかね。」

「違うよぉ、いざとなったら、伝書鳩ならぬ伝書たぬき!かわいいよぉ、きっと!」

「とりあえず今週中に・・・あんまり心配ない感じで手紙書いといてちょうだい。」

星崎が頭を抱えた。「いきなり電報じゃさすがに驚くでしょ。字数も限られるし。」

 

             霊能者達

 

 

そんな上司と別れた譲達だったが、を駐車場で大きなランドクルーザーが待っていた。

「乗りな。」運転席のドアを開けながら言ったのはエレファントである。

「中野まで送ってく。」

霊能者達は話がややこしくなることを怖れてか院内に入ることはなかったのだが、どうやら、診察が終るのを待っていてくれたようだ。

断る理由もなかったので「どうも」と言って譲ははしゃぐ雅己を座席に引っ張り上げた。「わーい、でかい車!たっかーい、景色、いいっー!救急車もいいけど、こういうのも乗りたかったんだよね!」

そして奥の席を独占している巨体にまたもや目を輝かせた。

「やぁ!トトロ!久しぶり?」

「あのねぇ、何度も言うけどさ。私はトトロじゃ、ないのよぉ。」基成先生は大げさに口を尖らせた。「もとなりセンセって呼びなさい。」「りょうかい!」

車内は暖かく、ゆったりとしている。テレビもあるし、電話もある。後部座席には冷蔵庫らしきものまで備えられていた。待つのは苦痛でなかったと見られる。

「牡丹さんは?」広い前部席に譲は雅己と座る。

「先に帰したわ。撤収した荷物もあるし。」もう一台のバンタイプの車でだろう。

「高輪の家にね。」基成先生も白装束を着替え、再び黒い毛皮を纏っている。

その下は着物でもなく、目にも鮮やかなピンクのモヘヤのセーターだった。

エレファントが軽快に運転席に乗り込み、ギアをドライブにする。

「まだ今回の件は継続中だし。ちょっと気になることもあったからね。」

先生は頭を乗り出して融に直接、囁く。「答え合わせもあるしね。」

「はあ・・・。」融の気が重くなる。星崎に催眠の入れ知恵をされていた後だ。

あの時、見たと思ったことはまるで遠い夢のようにしか思えなくなっていた。

「あの血液ね、一応、警察に鑑定してもらうことにしたから。」

「えっ!」大きな声を出した譲に雅己が無邪気に問う。「どうしたの、譲っち。」

「ほらほら、雅己くん。反対車線にスポーツカー来るわよぉ。」

「わおっ!フェアレディZじゃん!」雅己は運転手に張り付く。

「しかもまっ赤だよ~!」

「どうして、そんな余計なことを?」星崎も血液の件だけは説明がつかないようだった。もしも、あれが万にひとつでもおじ夫婦の血液と一致したりしたら・・・雅己はどうなるのだろう?。基成勇二にはマイナスはないのだろうか?

「ってことは、譲くんもあの血はおじさん夫婦のものじゃないかとどこかで思ってるってことなのよね?」疑惑と疑問一杯の譲の頭の中とは違い、基成先生は自信に満ちあふれている。「そんなはず・・・ないですよね・・?」言葉に詰まる。

「そう、だから。」基成先生の大きな手が後ろから譲の肩の上に置かれる。

「疑いは晴らさなきゃ、よ。どうせ、現実じゃないんだから、ねぇ?」

「本当に現実じゃないんですか?」また不安になる。「大丈夫でしょうか?キライ。」

これではあっちへこっちへと心が流されているだけだ。星崎ほど譲は思い切れない。我ながら情けなかった。

隣で雅己はエレファントにしきりに話しかけている。

それで譲は気が付く。エレファントの雅己に対する態度は邪険ではなく、どちらかと言うと優しい。

「意外に、素子って子供好きなの。」譲の思考を読むように先生が続ける。

「あのさ、譲くん。もし仮にあの血液が夫婦のものだったとしても・・・霊視中に瞬間移動した際に体に付いただなんて、我ら3次元の警察が認めると思う?彼が私達の前から姿を消していたのはほんの数分なのよ。まぁ、私達が全員偽証していたとしたって、あの家のどこにそんな大量の血があるの?何も発見できやしないわよ。」

「あの・・あの家と重なっているとかいう次元は・・どうなんです?」

「まだ、あのままだと思うわ。私達が出た後、自然に閉じたから。異質なもの同士だから勝手に混ざり合ったりはしないのよ。だから誰かがまた開いてあそこから出さない限り、おじさんとおばさんもあのまんまでしょうね。ちなみに私は、出す気はないわよ。」ふふん、と霊能者は笑った。

「そんなことして、ほんとにあの二人が死んでいたら・・・私は亡くなったと確信しているけど。感じていた生命エネルギーが完全に途絶えたからね。箱から死体を手品みたいに取り出したりなんかすれば、真っ先に私が容疑者にされるに決まってるじゃないの。」「基成先生の名声は上がりますよ。」「ふん!名声?そんなもの私、悪いけどもう充分持ってるから。これ以上は動きが取れなくなるばっかり、いいことなんかあるもんですか。」先生は八つ手のような手を振った。

「あの日、私達が霊視を行うことは、充出版から警察に事前に伝えてあったの。なのに思った通りよ、誰も立ち会いにだって来やしなかったじゃない?。さっき、警察署で雅己くんの衣服を持ち込んで説明した時なんてさ・・・まったく関わりになりたくないって感じがもう、ビンビンとしたんだからね。真剣に調べてくれるかも怪しいもんよ。たださ、」ため息が雅己の後ろ髪を揺らす。

「知りたいじゃないの、私達はさ。あれを見ちゃったものとして。」

譲もしぶしぶとうなづいく。

「確かに・・あの血が・・・そうだったら。」ゴクリと唾を飲む。

星崎の言う、催眠だという疑いは晴れてしまうのかも。

譲が基成勇二と見たあれが現実だったということになってしまったら・・

そうなったら果たして自分は・・そして星崎はそれで納得できるのか。

この取材は続行可能なのだろうか?ヘタしたらお蔵入だ。

しかし、そうなったとしてもとりあえず進むしかない。

譲はゴソゴソと落ち着きなく動く雅己の体温を嫌というほどに感じていた。

「こいつがああなった原因は・・・」

原因はあの時しかありえないということになってしまう。

記事にならないからと見捨てることなどできないのだ。

結果はどうあれ基成勇二の持つという『力』に頼るしかない。

「もっとスピード出してよ、エレファントぉ!」

雅己は『まっはゴーゴーゴー』と口ずさんでいた。

 

「そうね。原因はあそこで彼が体験したこと。」

基成勇二もゆっくりとうなづき返している。

「その可能性が今の所、一番有力よ。」

「先生が言ってた・・・あいつがなくした大事な物って・・・?」

顔を振り向けようとすると大きな横顔がすぐ側に、それも背もたれの上に乗っていたので「うおっ」と、ちょっと引いたが、相手の方はそんなことは気にする素振りもなかった。その背景に車の後ろへと夕暮れの町並みが流れ去る。

「誰かが誰かであるための大切なもの・・・目には見えないけれど・・・なんて言うのかしら。そうね、なんか、大事な強いものよ。魂魄の魂がなくなって、残ったのは無邪気な魄だけ・・・いわば人の基本、土台たる子供の魂よ。」

譲にはいまいち、よくわからないことだった。気付いたのかフッと肩頬が笑い、目が譲を通り越して鬼来雅己に留まった。

「成長すると共に・・・積み重ねて来た自我、とでも言うのかしらね。」


スパイラル・スリー 第三章-2

2014-02-26 | オリジナル小説

             3・猟犬達

 

           過去・・失踪事件前夜

 

「譲はさぁ・・・もし、お母さんが再婚すると言ったらどうする?」

おじ夫婦が失踪する数日前、大学時代からの友人である鬼来雅己が岩田譲に尋ねた。場所は充出版だが、桑聞社の威を借りた形になる鬼来は星崎に愛されていることもあり、なんだかんだと自分の会社のように出入りしている。

「どう思う?賛成?反対?」

「さぁ。」と譲は言った。果たして自分はどう思うだろうか?

「最近、会ってないしね。でも・・・反対する理由はないな。」

「離婚した時は複雑だったんだろ?」

「まあね。」まだ小学生だった融には世界が一度、壊れたように感じられた。譲は父親が好きだったからだ。あまり家に居なかったが、居る時は譲にいつも発掘や遺跡、古代からの歴史やわくわくするような不思議な出来事を話した。超自然やUFOが好きになったのはこの影響がとても強い。近所に暮らしていた父方の祖父と祖母も初孫の譲をとても可愛がってくれた。

それらすべてと別れることになるということは最初はわからなかった。

母親の兄である伯父さんの家族は気さくでいい人達で譲を歓迎してくれたが・・・それらと馴染むことはなんだか父親や祖父母への裏切りのような気がした。

今ならわかる自分はただの「子供だったからなぁ。」ため息をついた。

譲はその時、春先に出る心霊写真集(その写真集は別名行楽特集と呼ばれている。目撃マップを手にマニア達が車で回れるように各地の名産や土産物、観光名所も押さえているからだ。譲の発案により心霊だけではなく妖怪やUFO目撃例、伝説や伝承も押さえた見所満載のドライブマップになった為か売り上げは大変良かった)・・その本に使用する数年にわたるよりすぐった投稿体験やそれよりやや上の提供者達からの写真リスト等を選別していた。

今回、鬼来はその本の編集を手伝うというよりは現在は傍観者、むしろ応援に近い。

入って来て差し入れを渡すなりの最初の一言だった。

「それにしてもなんだよ、急に。」そういうのは薮から棒と言うのだと返す。薮から棒って言うのは面白いなと鬼来は続ける。その棒ってちょっとサスペンスな香りがしないか。

芥川龍之介の薮の中みたいだ。

「いや、そんなことはいい。」応援というよりはやはり邪魔であろうかと譲は考え直す。しかし、鬼来は差し入れのコーヒーとドーナッツを持参して来ていた。その良い香りはなかなか邪険にはできない。

しかも鬼来はそのスタバのコーヒーをこれ見よがしに譲の近くに置いている。

これもまた作業スペースに近過ぎて邪魔な場所だ。

「あのさ、なんなんだよ。」とうとう根負けして譲は写真の束を投げ出した。

「ちょっと実家に帰らなきゃならなくなった。」

ちょっと深刻な雰囲気が漂ったので、万が一の時の為に譲はコーヒーを安全圏に置き直した。

「いったい、どうしたんだ?何かあった?」

鬼来雅己がいよいよ意を決したように「兄貴がさ・・・いよいよお袋と・・・」そう言い出した瞬間、「まじかよ。」譲は完全にディスクから向き直った。

「本当に?」うなづく笑顔は少しだけいびつになる。

「まったくおめでたいよね。」

「・・・めでたいんだろうか。」コーヒーに手を伸ばした。

「君の兄貴って人が・・・義理の父親になるんだろ。」

「戸籍上の話だけだけどね。僕はもう独立しているんだから。」

鬼来は肩を竦めた。

幼い頃から同居していた遠縁の若者。10歳ほど年下の鬼来とは実の兄弟のように育った。母親は確か40代の後半、『兄貴』は35か、36歳のはず。

「ただ・・・なんだか面倒くさいよね?僕の事はいっそのことほっておいてくれたらいいのにって思うよ。でも一度はちゃんと向き合って祝福するところはしておかないと・・・後で絶対、後悔すると思うから。いいチャンスかなって。」

「偉いなぁ。」心から出た言葉だ。

父親の再婚にも譲は電話でおめでとうと言っただけ。今だに母親とはわだかまりがある。離婚する前とその直後、母親は父親を批判ばかりしていた。譲の父親像はズタズタになったと言ってもいい。妹は幼かったから知らないのだが、母親の中途半端な相談役にされた譲は母の前で父の話をしてはいけないのだと悟った。融の好きだった父を母は嫌っていた。中学にあがったばかりの頃、その母が何気なく『あんたの声はあの人にそっくりになったわね。そういえば、顔も。』その後で母は『まぁ血が繋がってるから仕方がないか。』とサバサバしていたのだが・・・譲にはその真意は伝わらなかった。それ以来、譲は母親の前で話ができなくなった。母親の大嫌いな声で話しかけることができなかった。今でもなんとなく自分の声と顔があまり好きになれない。それがつまづきとなって実の妹ともなんとなく溝を作ってしまっていた。雅己はそんな譲の物思いを他所に話し続けている。

「でも・・なんかどういう顔していいかわからないだろ?。だから、もし暇だったらさ。譲も一緒にとか思ったんだけど。忙しそうだね。」

「忙しいよ、残念ながら。」熱いコーヒーを飲みながら即答。「しかし・・・それはそれで俺は邪魔だろ?、普通。微妙だと思うぞ。」

「まぁ、応援団というか・・・緩和剤だと思ったんだけど。」

「悪いけど・・暇だとしても、どんな顔してその場にいたらいいかわからない。」

「・・・そう言われれば、確かにそうだ。悪かった。」

一人で立ち向かわないといけないのにまったく弱いよなと鬼来はため息を付いた。

「まあ・・よく考えて見ればさ、死んだ親父なんてもう顔だってよく覚えていない。遊んでもらった記憶もない。だから僕は母親も兄貴もさ、嫌ったり憎んだりなんてとてもできそうもないんだ。2人とも大好きだからさ。前向きに思えばだ・・もともと大好きな2人が一緒になって幸せになるって思えばほんといい話しなんだよね、これはさ。」鬼来はバリバリと持参したドーナッツの袋を破る。

「ただ、どうしてもさ・・僕はさいわゆる、所詮お邪魔虫だろ。それが実際一番つらいところでさ。向こうがいいって言ったってさ、もう一緒には暮らせないってことなんだよね。」大学時代、譲も実家に帰らなかったが、雅己が一度も帰らなかった理由がこれだ。一旦実家に帰った鬼来が結局また故郷を出た理由も。

母親が彼の就職の為にコネを駆使した理由。「向こうは帰って来いって言ってるのかい?」「母がさ、『鬼来家の呪い』を心配している。」

「まさか。」「大丈夫、呪いなんか平気さ。」力強くドーナッツに噛み付く。

「お祝いを言ったらすぐに戻るよ。おじさん達も今度の週末ご飯、食べに来いって言ってるからね。」「ほんと・・・忙しくなかったらな。」それにしても鬼来雅己の郷里がこういう仕事をしていると度々名前のあがるあの『鬼来村』であるとわかった時、一度取材の計画が充出版でもちあがったはずなのだが、あの企画はどうしてしまったのだろう。いつの間にか、譲も星崎もみんな忘れてしまっている。譲は首を傾げた。なんだか収まりの悪い不可解な気持ち。しかしそれは、どこか寂しそうな、心細そうな雅己の表情を見ているうちにいつの間にか霧散してしまった。

行った方がいいのかもしれない、漠然と思ったがこう締め切りを控えていては到底無理だ。気を取り直し、再び譲は心霊写真の束に向ったのだった。


スパイラル・スリー 第三章-1

2014-02-26 | オリジナル小説

               悪魔達

 

 

魔物は今日も目の前に居る年老いた宿主を見つめていた。

「どうした?なかなか死なないのが不思議なのか?」

魔物の思いを読んだのか男が珍しく口元を歪めた。

「わたしが死んだらどうする?自由に生きてみるか?」

「まるで御前があなたの所有物にそれを許すとでも言うようですが?」

魔物の冷たい頬にも皺が寄る。「そんなわけはありますまい。」

主は満足そうに低く笑う。

「果たして、わたしがそれを許すだろうか?おまえはどう思う?」

「いいえ。」即座に答える。「あなたはけしてそれを認めない。認めたら即座に私を壊しているはず。」

「そうだ。」残忍な笑みが皺に過る。その影の形をどんなに愛したか。

「わたしはけして許さないだろう。おまえは、ただの物であったのだからな。おまえは埋葬品だ。覚悟をしておくがいい。」

「御意。」魔物は膝まづく。その魔物に珍しく目を注いで、老いた男はしばし考えにふけるようであった。

「・・・そうだな、憑物神とかいうものがいたな。器物にも百年たてば魂が宿るとこの星の人間は信じているようだ。」

「そのようなお考えならば、まだ御前にも受け入れることができましょうか?」

「わたしがこの星の人間ではないという大きな問題があることを忘れている。すんなりとは腹に落とすわけにはいかないな。」

相変わらず、その部屋は暗かった。重い緞帳に覆われている窓は塞がれたも同然。手元のわずかな灯りに映し出される内装は豪華だがその華美を誇るにはやはり暗過ぎる。中にいるものは昼か夜かもわからない。室内には時計も見当たらない。でもそこにいる一人とひとでないものには相変わらず気にはならない。

男は興に乗ったようだ。「前にドラゴンの話をしたろう?宇宙のワームホールという異次元に存在するという生物だ。思い出したが、そのドラゴンが一度だけ、具現化したことがあったらしい。嘘か真か、そのドラゴンと戦ったとかいう与太話すらある。」

「御前がですか?」

「まさか。戦ったのは船乗りだ。海賊、宙賊と言った方がいいか。我々の政府の輸送船団を襲ったのだよ。そういう船には必ず護衛が付いているものだ。そのドラゴンもそのひとつだったらしい。どうやら人ではないドラゴンを操る者がその船にはいたのだろう。300からなる部隊が全滅したと聞いた。生き残ったのは、ただ2人。わたしに話をしたのはそのうちの一人だとそいつは嘯いていたが本当かどうかはわからん。その時のわたしは枕もとのおとぎ話だと思ったものだ。」

「ではもし、本当なのならば・・・そのドラゴンは非現実から現実に実体を現したということなのですか。」

「ふん、あくまでも与太話だ。この目で見ることができていたなら、わたしもそのドラゴンの存在を信じているだろうということだ。」

「普段は人間の目には見えないドラゴンということですよね?」

「赤外線でも紫外線でもこの世界にあるレーダーには映らない。最近の高性能の次元探査レーダーですら、情報量が巨大過ぎて把握するまでに至っていない。考えて見るがいい、そんなものが物理的存在へと変換されるエネルギーとはどれほどのものか。」そういうと男は口元を歪めて魔物をまっすぐに見つめた。

「おまえも取り憑くだけではなく、実体化するなんて洒落たことはできないのか。」

「もっと・・・力の強いものならば。」魔物は肩をすくめるしかなかった。「4大悪魔とでも呼ばれる魔物達でしたら、おそらく。」その答えは男を多いに笑わせた。

「ならば、その悪魔とやらをわたしの前に連れて来ることだ。そうしたら、この星に存在する魔族とやらをわたしも認めることができるだろう。」

魔物は悔し気に唇をそっと噛む。笑い声が収まるのを待つと「そのドラゴンとやらですが・・・戦った後はいったいどうなったのでしょう?」

「知らんな。300もの戦闘船とやりあって無傷だったとも思えんが。どこかへ消えてしまったようだから、また次元にでも帰ったのであろうよ。」

魔物は自分を嬲ることで男が上機嫌になったことを感じた。

「ところで話は変わりますが・・・」そう魔物が続けるのを相手は待たなかった。

「やはり、全員が姿を消したか。」「はい。」

「生体エネルギーにたいした変化は見られなかった。おまえでも気づくのが遅れるとはな。」非難めいた響きには動じない。

「その状態に、今も変化は見られないのですが。」

「ならばまだ、そこにいる。」宿主は枯れた指を折り曲げた。

「隠れているのだ。あの夫婦と同じに。」

「あの夫婦は死んだと思われます。エネルギーが途絶えました。」

「なぜだ?誰が入った?」眉が皺と共に持ち上がった。

「おそらく、あの霊能者が。」

「ふん、それでどうして死ぬ?」

「自害かもしれません。」魔物の目は床に注がれる。

「表に引き出されるのを畏れたのでしょう。」

「まさか。」声が揺れた。笑っている。

「このわたしに殺されることを拒んだというのか?じわじわと包囲が狭まって行くことに耐えられずに、観念して命を自ら絶ったと?。」

「はい。」魔物の視線はまだ床の上だ。

「まぁ、いい。・・そういうことにしておこう。その方がお互い退屈しない。」

「『呪い』とは『約束』と同義でございます。」魔物の視線が持ち上がる。

「約束を守らないものには死あるのみ。御前はかつてそうおっしゃられた。」

視線が合ったのは一瞬。魔物の方が視線を外している。

「そうだ。おまえも忘れるな。『緋色の鳥』との約束は絶対と言うことをな。」

「では・・・出動しますか。」

「そうさな、いったい何を企んでいるのか。私から逃げられると思っているのか。あの夫婦が死んだとなると・・これ見よがしに置かれた贄をまずは取りに行って見るとするかな。」

老いた男は椅子に深く沈み込んだ。 


スパイラル・スリー 第二章-4

2014-02-23 | オリジナル小説

              そして現実

 

走馬灯のように駆け巡っていたキライとの思い出は中断される。

『譲くん!』

誰かが呼んでいた。

『起きなさい!』

『これは業務命令よ!』

(ああ、編集長だ・・・)

譲は認識する。(と、言うことは・・・ここは仕事場か?)

フワフワとしていた意識が急激に降下。

(もしかして・・・仕事中に俺、寝てた?!)

焦りと共に目を開けた。

「ああ~!良かったぁ」

目の前の編集長の顔は心なしか、アイラインが滲んでいる。まさか涙?

「・・・鬼の目に涙?」思わず口にした譲の頬に星崎の緩いパンチが当たった。

「誰が鬼だって?!」指輪も当たらない、かなりな手加減パンチ。

「譲くぅん、目が覚めたのねぇぇ?」

突然、背景が白一色になる。基成勇二だった。こちらは本当に涙ぐんでいる。

「良かったぁ、あなた達に何かあったら、もうぅぅ責任感じちゃうわぁ」

笑顔がくしゃくしゃになった。

申し訳なかったが、それを見ないように譲は頭を上げた。

記憶が戻る。先ほどまでいた家の和室の隣。応接間であるとわかった。そのゆったりした独り掛けソファに抱かれるように座らされていた。着ていたダウンが膝にかけてある。テーブルが取り払われて膝元に編集長、その側に霊能者が座っていた。

その肩越しにタキシード姿の弟子その2がグラスを手に覗き込んでいる。

「岩田様、どうかこれをお召し上がり下さい。気付になりますから。」

差し出されたコップには蜜のような液体が少量入っていた。蜜、夢で見た何かが頭を過ると、腹が盛大になった。「もう、譲くんたら。」編集長が呆れる。

「牡丹、すぐ何か食べ物を。」霊能者が涙を拭き言いつけると弟子その2はそそくさとその場を離れた。「はい、兄様。ただいま。」

改めてお腹が空いたことを実感した譲はグラスをしっかりと抱え込む。

匂いを嗅ぐとアルコールだとわかる。

「すごく高いお酒よ。飲んどきなさい。」

空きっ腹に酒は躊躇いがあるが、編集長命令では仕方がない。しかし、口に入れたブランデーは甘露のようにまろやかで鼻に抜ける匂いも心地良い。確かに初めて味わう。桁違いに高級な酒に違いない。雅己のおじさんの酒だろう。

もったいなくも飲み下すと確かに人心地付いた。牡丹が皿にサンドイッチを乗せて来た。それを一口、二口とあっという間に平らげる。おいしかった。

基成勇二の体が動くと目の前の長ソファに鬼来雅己が寝かされているのが目に入った。平編集が足下に座っている。「うまいか、岩田。」珍しく顔が素面だ。

「良かったな、こっちはまだこんなだ。」

「キライ?」譲は思い出した。

「キライ!そうだ、あの時!蛸の足がっ、足が!」

「もうまったくねぇ、びっくりしたわよぉ。」星崎編集長の顔がさすがに引きつる。

「センセィは倒れちゃうし、譲くんは意識失うし・・・鬼来くんはさ・・・廊下に倒れているんだもの。」

え?!「廊下に????」

「そう、突然、消えちゃったのよ。」

「瞬間移動でんな。」重々しく平がうなづく。「ほんと、すんごい体験だよ。」

「そんな?えっ?」ますます混乱する。「そんなのって・・・あり?」

「あるのよぉ。」霊能者が新たな涙を総シルクのストールで拭き拭き吠える。

「そういうこともぉ、ときたまあるのよぉ。こういう仕事してるとぉ。」

「あんたの失策だ。」勇二の後ろに弟子その1が歩み寄る。

もうこの態度はあきらかに弟子のそれではない。

「姉さま、兄さまのせいじゃありませんっ。あれは不可抗力ですっ!。」

弟子その2が長兄を庇立てすると、その長兄は更に白絹を目に押し当てた。

「いいえぇ、牡丹。私が悪いのぉ。エレファントが言うのは正しいのよぉ!悪いのは私!相手があんなにずる賢いとは思わなかった私のせいなのぉぉぉ。」

なんだ、この兄妹弟トリオ。芝居がかっている。

「あんたが次元を開くのを待っていたんだろ。」

「相手を侮るから痛い目に合うんだ。」

「客を守り切れない、危険な目に合わせた。あんたはもう二流だ。これからは看板にそう書いとけ。」エレファントは容赦なかった。

ますます、基成勇二は泣き崩れる。

「わかったわよっ!いじわる!そう書きなさいよっ、書けばいいでしょ!」

「えっと・・・?」譲は兄妹喧嘩の合間を計り、どうにか編集長に尋ねる。

「キライは大丈夫なんですか?」

向かい合わせに寝ている雅己の顔はこれまで見たことがないほど蒼白で目は閉じたままだ。ただし、息をしているのはわかる。その状況にまた譲の記憶は刺激される。

星崎は痛ましそうにそちらに目をやると「たぶん、譲くんと同じで少し、気を失っているだけだと思うの。念の為、救急車も呼んでいるけど・・・」

「大げさだけどなぁ。」平が油の浮いた自分の髪をかき混ぜる。

「岩田と鬼来が倒れていたのってよ、ほんの10分も経ってないしよ。岩田が倒れて、基成先生が息を吹き返してよ。それから、慌てて雅己のやつをみんなで捜しに廊下に出たからな。ただよ、星崎さんがどうしても心配だからってな。」

「瞬間移動は普通じゃない。」エレファントが平を仁王立ちで見下ろす。その威圧感は半端ない。平すら目を反らし肩を竦めた。

「そうです。念のため、診てもらった方がいいのです。」牡丹がうなづく。

「何かあったらぁ、私がぁ、みんな責任取るからあぁぁ。」勇二の頭が膝に押し付けられたので譲は立ち上がるに立ち上がれない。

「基成先生、いったいキライに何があったんですか。」譲は巨体を起こそうとするが、重くて手には負えない。仕方なく霊能者を励ますしかなかった。

「言ったでしょ!相手が一枚も二枚も上手だったのよぉ」勇二は涙を拭いた。

「きっと最初からこの家に潜んでいたんだわ。なのに私はちっとも気配に気がつかなかったのよ。エネルギーの残像を消したのだって、あいつかもしれない。」

「センセ、さっきから言ってるあいつって誰なんですか。」

緋沙子が霊能者の背中に手を当てた。「この家に重なる次元を作った犯人は人間だってセンセはおっしゃったじゃないですか?それと、同じあいてなんですの?」

「・・・違うわ。」憮然と厚い口を尖らす。

「あれとは違う。こっちはたぶん、魔物・・・みたいなもんよ。おそらく。」

魔物・・・基成勇二の言う違う次元で見た影。あれが「鬼来家の呪い・・・」

譲はスヤスヤと眠っているかのような雅己を見る。

「センセのおっしゃっていた呪いの正体ですね!いよいよ、魔物がその全貌を現すと解釈してよろしいのかしら?」

「全貌ではないわ。まだその片鱗。こっちはその影をチラリと見た程度に過ぎない。」

そういう霊能者の目の涙はいつの間にか乾いていた。

「すべてはこれから。これからが勝負よ。」そういうとエレファントと顔を見合わせた。普段仏頂面の基成素子だが、なんだか顔が緊張している。緊張だけではない。兄と同様、勝負師が勝負の前に見せるような高揚がある。「いよいよですね、兄様。」牡丹が二人に近づく、その顔もなにやら神妙な面持ちだ。

「待ちに待った時が来たわ。」基成先生、押さえ切れないガッツポーズ。

譲は密かに驚く。ほんとにこの人達、魔物を捜していたんだ。本当に狩人だったのね?。本気で?それはなんだか、落ち着かない気持ちだ。岩田譲は今、この瞬間だけでも小平にある自分のアパートに逃げ帰りたい気持ちになった。正直、これ以上この人達にかかわりあいにならない方がいいのでは?。

星崎に助けを求めるが、編集長は相変わらずビジネスライクな視線しか寄越さない。

その時、平が立ち上がった。「見ろよ、岩田。」

副編集長の体に隠されていた雅己の下半身が露になる。細身のジーンズの腿から下にかけて黒ずんでいた。譲の記憶が完全に覚醒する。

振り下ろされる鉈、血まみれのキライ。

それでも「・・・怪我してるんですか?」あえて押さえ込んだが、声は震えた。

「いんや!」平がきっぱりと首を振る。「俺が確かめたが、傷一つ負ってねぇよ。これは鬼来の血じゃねぇんだ。」

「血だとは思うんだけど・・・誰の血かはさっぱりわからないの。」そう言う星崎の目は隠し切れない興奮にきらめいている。

「不可思議だけど・・・病院に行けばわかると思うわ。」それもあって呼んだのか。

「・・・鬼来のおじさんとおばさんは?」譲の声は必要以上に低くなったのかもしれない。視界に霊能者の大きな顔が割り込んで来た。

「譲くん、あなた姉に会ったでしょ?」

「姉?」「私のシスターよ。霊感の源泉、うるわしのプリンセス。」

目と目があって譲は口をつぐんだ。あの子供?まさか。やっぱりあれってUFO?

「え~嘘、可愛かったのに・・」

「失礼ね!」軽く膝を抓られる。「どうせ、私と姉は似てないわよ。向こうが子猫なら私はドラ猫。向こうがゴマちゃんなら、私はトドだってぇの!」先生は吠えた。

「でもね、譲くんを助けるように姉に頼んだのは私なんだからねぇ!」

譲は肯定も反論も出来ずに言葉に詰まる。先生はちょっとむくれた。

「私はあいつにはじかれちゃって譲くんとはぐれちゃうしさ・・・私、かばったのよ、譲くんをぉ!ちょっとは感謝していくれてもいいんじゃない?もとはと言えば譲くんがうるさいから相手に気付かれたんだから!」

「どうしたの?何があったの?」「意識がない間、何を見たんだよ。言えよ、岩田!」

「いやいや」譲は上司達を取りなしながら、霊能者に頭を下げるので精一杯だ。

「それにしても、今までも直に力を貸してくれることはあったけど・・・自分から人前に姿を現すなんてねぇ。ふふん!たぶん姉も、譲くんが気に入ったんだと思うわ。やはり、双子よね。趣味が一致するのよねぇ。」変なところで納得している。

「あの・・・」そんなことより。基成先生のお姉さんに会ったっていうのが本当なのだとしたら・・・その前に見たものも?基成先生、本当に僕といた?

物問いた気な視線に基成先生の目が少しマジになる。

「まぁ、全部、異次元の話だからねぇ。あくまでこちらでは現実のような、夢のような出来事でしかないわけよ・・・」

霊能者の意味深な眼差し。その目には共犯者的な光り。

「だから・・もしもよ。もし譲くんがあちらの現実・・・こっちの世界では所詮、夢よね。そう、例えどんな夢を見たんだとしてもよ・・・今は、滅多なことは言わない方がいいと思うの。あとでゆっくり答え合わせしましょ。二人きりでね。」

思わず引き込まれるように、ついコクンとうなづいてしまった。

「えっ!何?ずるいわよ。」星崎編集長。

「何か見たんなら、あたしにも話しなさいよ。それこそ、業務命令よ!」

「俺だって雅己の上司だい。こいつが何か仕出かしたってんなら、知る義務がある。だろ、だろぉ?岩田よぉ!」

「勿論、答え合わせの後でお二方にお話した方がいいと判断したら、譲くんではなく私から発表するつもりだから。待っててよ、緋沙子ちゃん。平さんもね。雅己くんのプライバシーに触れることだし。雑誌に載せるかどうかの判断はお任せしますから。」

「うぅん、もうぉ!雅己くんのプライベートだからこそ、知りたいんでしょうが!」

「だったら、今すぐ答え合わせしてこいよ、岩田。ぼさっとしてないでよ!」

チシャ猫のように知らを切る霊能者の防波堤のごとく吊るし上げられる譲だ。

「え~とっ・・・」

 

その時、う~んと声を上げ鬼来雅己が身じろぎした。

「ふわぁぁぁ~」鼻から妙な息を吐き出してパチリと目を開く。

「キライ!」「うおっ、雅己!」「雅己くぅん、目を開けたぁ!」

ナイスキライ!救われた譲であった。

注目の中で、鬼来雅己はソファからむくりと半身を起こす。その動作は自然だ。

「雅己くん?」基成勇二が人垣を割って前に移動したので、譲もやっと立ち上がることができた。「キライ、大丈夫か?」

「あっ・・・」雅己の目が譲を捕らえた。「譲っちぃ!」エクボが浮かぶ。

「どこも痛くないの?」星崎が膝を折る。「おい、雅己、いったい何があったんだ。」

「ん~?」雅己が首を傾げる。「ほっし崎さん・・・それに平さんも・・・どうしたの?」「はぁ?!どうしたのじゃ、ねぇよ!」

最初の一声から譲は違和感に気が付いている。何かがおかしい。『譲っち』という呼び方も大学時代にサークル内で呼んでいただけで、社会人になってから・・まして仕事関係では雅己が使うことはなかったニックネームだ。

「雅己くん、ちょっといいかしら。」そう言って雅己の前に陣取ろうとした基成勇二を見た鬼来雅己の目はまん丸に見開かれた。「・・・トトロ?」

「な何、言ってんだよキライ。」「譲っち、トトロがいるよぉ。」

「ま、雅己くん。」星崎の口もまん丸に開く。「ま、まさか・・・基成先生よ。覚えてないの?」「もとなり?・・・トトロじゃないの?」

譲に向けられた雅己の目はあくまで無邪気だ。

「こんにちわ。初めまして、ではないんだけど。」霊能者は気にせず座り込んだ。

「霊能者の基成勇二よ。雅己くん、あなた記憶をなくしたのね。」

「記憶喪失?!」譲の口もパカッと開いたままになる。「まさかっ?」

場は息を飲む人々の沈黙で満ちる。

「記憶ぅ?」鬼来雅己のもともと高い声はより無惨に子供っぽく感じられた。

「ぼく、記憶なくしたの?でも、譲も・・・星崎さんも平さんもわかるよ。」

「なくしたのは・・・ほんの数分間の記憶。」

基成先生の笑顔は幼子を諭す大人のそれだ。

「記憶喪失・・・ううん。それじゃ、正確じゃないわね。」

先生は視線を落とした。

「雅己くん、あなた・・・大事なものを失ったわね。」

「大事なもの?」

「あなたがあなたたる大事なもの・・・」

「センセ!それってどういうことなんですかっ!」星崎編集長の動揺は傍目にも顕著である。「雅己くんは雅己くんですよね!」

「譲くん、あなたにはわかるでしょ?」

霊能者が茫然自失の譲を振り返る。「彼が今までと違うって。」

「えっ?あっ?」譲も内心の動揺は激しかったが、どうにか踏ん張った。

「僕にははっきりとは・・・でも、なんとなく。」

「ちょっとひどいよぉ、譲ったら。ぼくはぼくじゃない?変わってなんかあるもんか。」いや、変わった。確かに。譲はどうしようもなくつぶやいている。

「変わったのよ、雅己くん。」

基成勇二の大きな掌が雅己の髪をなでなでした。子供にするように。

「あなた・・・そうね・・・まるでからっぽ。そうよ、一回全部リセットされてしまったのね。」霊能者の声も哀しそうで、まるで噛み締めるようにそれを口にした。

 

「からっぽのからっぽよ。」


スパイラル・スリー 第二章-3

2014-02-23 | オリジナル小説

              譲の見たお月様

 

まだ、夢の続きなんだろうか。

譲はぼんやりと目を開けた。眩しかった。どこだろう。

先ほどまでの闇ではない。背中に床らしいものがあるからだ。上と下がある。

すぐ隣に雅己が倒れているのがわかった。

『キライ?おまえがおじさんとおばさんを殺すわけがない。』

譲は雅己のうつぶせの背中に言い聞かせる。

『キライ・・・生きているのか?まさか・・・?』

あの不吉な影。その音が与えた苦痛。どこかから響いて来た声。

まさか、あの影に何かされたのか。傷つけられたのか。そう思うが体が動かない。

雅己以外には、おじもおばも棺も何も見えない。『基成先生は・・・?』

とにかく眩しい。眩しいという以外には何も見えないとすら言っても良かった。

いや、違う。驚いたことに、すぐ近くに顔があった。

今まで気が付かなかったのが不思議だ。

子供・・・それも女の子だった。譲の頭の後ろにしゃがんでいる。

12歳ぐらいだろうか・・肌が白い。白いなんてもんじゃない、艶のある陶器で出来ているようだ。それに目がとても大きい。

こんなに大きな目の人間を見るのは譲は初めてだった。

目は蕩けるような小麦色・・金色だった。溶けたキャラメルのように深い。なんだか暖かい、優しい気持ちになる。奇麗な長い睫毛に縁取られている。その睫毛も濃い金色だった。小さな頭にベリーショート。額からピッタリと撫で付けたように両脇に分けられた髪も金色だ。奇妙だが、だからと言っていわゆる『金髪』というのではない。とにかく蜜のようでいて深い透明感のある色なのだ。なんだかとてもお腹が空く色だと思う。おいしそうとまで譲は思ってしまった。

仏壇のある部屋で食事してから、いったいどのくらい経ったんだろう。

それよりもっと大事なこと・・蛸の足・・何かもっと恐ろしいことを見聞きしたような?頭の芯がしびれてどうでもよくなる。まあ、嫌なことは忘れるに限る。

それより、女の子はあきらかに自分を覗き込んでいた。

細い白い首が華奢な肩へと続いていた。

とにかく、小さくてすごく可愛い・・・。

まるで精巧な人形だ。

人形ではない証、目が合うとその子は笑った。目に較べてやや小さ過ぎるような珊瑚色の唇がニッと開く。『・・・生きてる。』自分のことかと思ったが女の子が目を向けたので鬼来雅己のことらしかった。女の子が立ち上がったので着ているのがシミューズのような膝丈の薄い服なのがわかる。白くて、これも光沢のあるプラスティックのような譲が初めて見る不思議な素材だ。足下は見えない。なんだか下着が見えそうで譲は慌てて目を上に反らす。

女の子も首を上に上げた。

そこで譲も更にその上を・・目線を上に上げた。

するとさっきまでの灯りが急激に上に上昇して・・・

応接間の大きな電灯のようだ。大きくて丸くて平たいような光?遠のいたのに眩しさはちっとも変わらない。不思議なことに上から照らされているはずの女の子には影ができていない。記憶が刺激された譲は眼球を動かせる範囲で回りを見わたす。横たわる鬼来の体が白く浮き上がっている。

それ以外の場所は黒々と闇に沈んで見える。

これって・・・鬼来が『兄貴』とかつて見た・・・UFOって奴じゃないのかな。

しばし、唖然としていると再び女の子が視界に身を乗り出して来た。

偶然見えたシミューズの中はタイツのようだったのでホッとする。

再び目が合った。

女の子の大きな目がお月様の三日月になった。

笑い声は鈴のように澄んでいた。

 

       雅己が見たお月様?と大学時代の女の子達

 

譲が鬼来から聞いた『兄貴』の話で最も印象に残っているのはUFOの話である。

鬼来の『兄貴』は本当の血の繋がった兄ではない。幼い頃から同居している親戚の若者のことである。鬼来とは10歳ほど歳が離れていたはずだ。

この『兄貴』が所謂、身内の中でも特に霊感が強い子供だったようで幼かった鬼来に多大なる影響を与えた。

『兄貴』は見えないものが見え、聞こえないものが聞こえるだけではない。

なんとUFOを呼ぶこともできるのだと鬼来は言う。

そもそも鬼来雅己が産まれて初めてUFOを見た時、『兄貴』はそこに共にいた。

「小学校の頃、夕方に家の近くで兄貴と花火してたら急に上が明るくなってさ。見上げたらいたってわけだ。」どや顔でビールを得々と煽る顔を譲は覚えている。

「いた?いたって何がだよ?」UFOを見たことがない譲は悔しくてシラを切った。

先ほどとは違うサークルを結成た時の伝説の飲み会だ。

参加者は譲と鬼来とまだ数人。

譲のやっかみなど、何処吹く風で鬼来はどこか遠くを見る。彼の田舎の夜空だ。

「でっかい明り。だけど、なんだか眩しくはないんだ。」

それを目の前に見ているかのように彼の眼はトロンとにじむ。

「ねぇ、それってどのくらいの大きさなの?」

少し離れたところにいた鬼来目当ての女子が尋ねた。

「こ~んぐらい、かな?」居酒屋全体を覆うように大げさに手を振り回した。

「子供だったからさ、やけに大きく感じたよ。」

「真上にいたんか?背面はどうなってた?色は?距離は?」突っ込んだ質問が飛ぶ。

「構造はわかんない、色は白一色。頭の上、正確じゃないけど10メートルぐらいは離れていたんじゃないかな。不思議なのは隣の兄貴の顔は灯りに照らされて見えるのに、足下の地面がちっとも明るく見えないんだ。足下も地面も真っ暗なまま。これってちょっと面白いだろ?」

「確かにそれは普通じゃないな。」ふむふむと譲も思わず身を乗り出す。

「それで鬼来はどうしたんだ。」

「しばらく2人でぼけっと見上げていたんだけど、兄貴が急に花火に火を点けてさ。そしたら・・・信じられないよ。それをUFOに打ち込んだんだ!」

「まさか?!」全員が歓声をあげた。

「まじかよ。」

譲はビールから口を放した。

「まったくだよ。兄貴ときたら『あっちに行け!』って叫んで、『雅己、打ち込むんだ!』っていうんだから!」得意そうに胸を張る。

「信じられねぇ。」

「そんなの相手にとっちゃ屁でもないだろ?」

「危険じゃないのかしら?ねぇ?」

「キライ、それはネタじゃないのかよ。本当の話?」こう言ったのは譲だ。

大学時代を通して融の雅己の『兄貴』への思いは常にこうして単純に嫉妬だった。

「本当なんだって、これは!もう僕だって怖いから、打ち上げじゃない奴も投げつけてさ。逆に次から次へってどんどん、じゃんじゃんありったけの花火を打ってたらさ、参ったと思ったのかね。突然、パッとどっか消えちゃった!そしたら」

鬼来はアハハと声をあげる。

「消えた後の方が急に真っ暗で静かでさ。そっちの方が怖かった。花火の残像が目に焼き付いちゃってたから尚更かな。」

「ふううん。ってことはUFOの残像は残らなかったってわけか。」

疑いを解き、譲は顎に手をやる。

「網膜に焼き付かない光ってことかな・・・ひかりだけど普通の光じゃないのか。」

「とにかく。」鬼来は再びどや顔。

「僕達はUFOを追い払ったってわけだよ。」

のちにそれはその『兄貴』が呼んだUFOなのかと問うと鬼来は首を傾げたものだ。

「わかんない。でも兄貴がUFOを呼べるようになったのはそれからなんだ。」

よく聞けば呼ぶというのは大げさだった。

『兄貴』はUFOが飛んでいるのがわかると言った方がいいだろう。

『兄貴』が鬼来に今、飛んでるから外に出てどこそこの方角を見てみろというと、必ずそこには光ったり黒かったり浮かんでたり消えたりとあり得ない動きをする未確認飛行物体があったのだと言うのだ。

譲と鬼来の立ち上げた『超常現象研究会』は、怪しい映画や芝居を見に行くことは勿論、UFO目撃登山だの妖怪の出る寺に一泊だの日本のピラミッドを見に行こうとか、心霊写真撮影会、廃墟見学ツアーやカッパ伝説を尋ねる等などマニアックかつ穏当な企画で次第に会員を増やしていった。特に鬼来目当ての新入生の女子が大勢詰めかけた。

しかし。譲が大学4年間で行った観察の結果によると、4月キラキラした目で鬼来を見つめていた新入生達は早くも最初の学期の終わり頃には夢から覚め始めるのだ。

『鬼来君は顔がいいだけに残念だ。』『マニアにも程がある。』『声が顔にあわない。』

等々。そういった女子達はもっと妥当な野外活動サークルに移るか『超研』のほどほどの男子と妥協して付き合うことで落ち着いていく。

他の男性会員に取ってはチョウチンアンコウの灯りのようにありがたくも貴重な存在と鬼来は見なされて行くこととなる。それを惜しむでもからかうでも威張るでもない鬼来という男はつくづく希有な存在と言えた。だから、もて男であっても鬼来は同性からまったく反感を持たれない。そんなカップルが『超研』にはゴロゴロといたのだから尚更だ。譲自身もその恩恵に浴した1人であったことは否定しない。勿論、そんな刹那的関係が長く続くはずもなかったが。それにしてもなんというか鬼来の興味は常に不可思議な現象に向いていて、懐に飛び込んで来る女を成り行きで右から左にこなしているとしか譲には思えなかった。

ある女子学生などは、本心嫌だったのだが鬼来の希望で妖怪が出るという寺の宿坊に泊まったのだという。宿坊の部屋は奇麗で彼女の行きたかった温泉宿とまではいかなかったが、まあ我慢できるなかなかのものだった。精進料理もおいしかった。ただ、大浴場がひとつしかなく部屋ごとに時間制で区切られていることと、トイレが部屋になく古くて男女共用であることが問題といえば問題だった。

真夜中、その女の子は1人でトイレに行くのが怖いからついて来て欲しいと可愛く涙目で鬼来に懇願したのだという。しかし、鬼来は何が気に入らないのかそれを断固として断った。

仕方なく1人でそして本心では密かに鬼来に腹を立てつつもトイレへと向かった彼女であった。そして彼女がたった1つの個室和式トイレにこわごわと股がった瞬間! 冷たい何かがペタリと尻を撫でたのだという。その時の彼女の全身全力であげた悲鳴が真夜中に響いたこと響いた事。寺の住職や修行僧、他の宿泊客までもを巻き込み、それは大した騒ぎであった。激しく泣きじゃくり、彼女は卒倒寸前。『妖怪が出た』と泣き叫んだ。そんな彼女を端からは微笑ましく優しく介抱した鬼来であったという。しかし。噂にたがわぬ怖い展開に大満足した客達がそれぞれ部屋へと引き取るなり、自慢げに全ての絡繰りをいけしゃあしゃあと白状したのも鬼来であった。なんのことはない、起きる気配もなく眠た気に布団に籠っていた鬼来は彼女がトイレへと向かうが早くむくりと起き上がり、窓から外へはだしで出るとあらかじめ鍵を外してあった個室の吐き出し窓から白いすべらかな尻へと手をぺたりと当てただけだったのだ。あきれ果て逆上する女の子に対して終始一貫鬼来は謝る事を拒否し続ける。

『だって、でもさ、君だって面白かっただろう?』

大笑いした鬼来が彼女へと向けた発言の中で最もの謝罪の言葉に近いものがこれであった。

ちなみにその寺に出るという噂の妖怪とは『河童』である。

それがきっかけで鬼来と別れた彼女当人から、譲はその話を聞いている。

 

どうして付き合った女の子達をひどい目に遭わせるのかと鬼来に聞いたこともある。鬼来雅己は心底驚いたような心外な顔をした。

「そうかなぁ、そんなひどい目にあわせてるかい。」

「だって、ほら・・・廃墟に置き去りにした話とか。」

「置き去りにはしてない!ちょっと隠れただけだ。」

「でも、相手にしてみれば振り返ったらいきなりいないなんてびっくりするじゃないか。しかも、かなり長い間ほっといたって聞いたぜ。あれじゃぁ、怒るよ。」

「僕なりのユーモアなんですけど。」鬼来は口を尖らせる。

「だいたい、廃墟の雰囲気ってのを楽しむ気概が全然ないんだよ。廃墟ってさぁ、なんかこう胸をキュンとさせるところがあるじゃんか。」

「ああ、そうだよな。過去に想い馳せるとな・・昔、住んでた人達の夢の跡とかだろ?おまえ、よく言うもんな。」思わず譲は同意していた。

超研の廃墟巡りは肝試しとは一線を画している。だから、夜中に行ったりはしない。

譲は鬼来と巡った数々の廃墟を想い返す。勿論、中には昼なお暗い不気味な所もあったが、日差しにあからさまに照らし出された廃墟は不思議な美しさに満ちていた。人間のかつての存在をぬぐい去るかのように蔓延る草や木は青々と美しく力強さを感じさせる。もしも人類が滅んだら、すぐさま世界はこんな風になるのだろうと。それを想像すると悲しいような、嬉しいような、なんとも言えない気分になったものだ。

譲のアルバムには2人で、仲間内で撮りまくったそんな写真がいっぱいだ。

「そういうのをさ、」鬼来は憂鬱に続ける。「僕はしみじみ味わいたいわけ。なのに、女ったら『やだここ、怖いわ~』とかいってべたべたくっついて来てさ。デートのシュチュエーションのひとつとしか思ってないんだ。廃墟への尊敬とか、憧憬とか歴史への想像力がないわけよ。どうせ人気ないとこでチューでもしようとか思ってるんだろなんて考えが透けて見えたりしたらげんなりなんだ。」

「まぁ・・その辺りわからなくないけど。でも、そういうベタベタしたデートだってたまにはあっていいんじゃないか。」

「僕はいやなこった。」鬼来は女の子のようなすべすべの額に皺を寄せる。

「だったら、僕は1人で行きたい。どうしても行きたい、廃墟が好きだって言うから連れて行ったのに。ああいう、興味本位のやつはほんと腹立つんだ。譲っちが女でないのがほんと残念だよ。」「おいおい。」「譲っちが女の子なら絶対付き合うのにな。」「俺が女だったらお前とは付きあわネェよ」譲は即答する。

「やっぱ怪奇スポットや廃墟は男同士がベストだね。本心は妖怪もUFOも好きじゃなくて、興味もないくせにこっちに合わせて付き合うなんて最悪。ほんと女って面倒くさい。」「女の子でも本当に廃墟とかが好きな子だっているだろ。」

譲はそう言って何人かの『超研』の女子の名前を挙げた。その中には鬼来と例の旅館に泊まった女の子の名前もある。鬼来の顔に一瞬寂しそうな影が走った。

「だから尚更さ。」無言の問いかけに「あの宿坊の時には一緒に笑って欲しかったな。」雅己はすぐに気を取り直しクスクス笑いだす。

「だって、暗がりで尻にペタッだぜ。前に合宿で男子にやった時はほんとおもしろかったな。」「確かに。」譲も吹き出す。「俺なんて3mは飛びあがった気がしたもんな。」「譲っちはほんと恐がりだよね。」「驚いただけだって。」

「便器に片足落とした奴もいたし。しかもボットントイレに。携帯落とした奴なんて最悪、ほんと泣いてたもんな。」

二人は声を揃えて爆笑した。

「僕はもう当分、女はいいよ。男同士でミッションした方が楽しいからさ。」

そういうのは女に不自由しない身分が言うことだと譲が言うと憎たらしい友人はずうずうしくもうなづいた。

「ちぇ!俺の方がずっと声はいいのにな・・・」

「でもさ。」男にしては甲高い声でモテ男は言う。

「女の子よりも、UFOの方が絶対に面白いって!」

それが大学時代の鬼来雅己の口癖だった。

彼のホラー好きが高じて始めた体験型お化け屋敷のアルバイトの件もある。今も後輩達の語りぐさになっているらしい。人を怖がらせる、驚かすことに研究に研究を重ねた鬼来演じる怨霊の怖さに1度物見遊山に出かけた譲は行ったことをその日の夜から深く後悔し2度と行かないと心に誓った・・・


スパイラル・スリー 第二章-2

2014-02-23 | オリジナル小説

          譲・・・夢と現実の狭間

 

夢なのかもしれない。

譲にはわからない。

鬼来雅己を追っている。黒い触覚に雅己は絡めとられた。咄嗟に伸ばした手は振り払われた。しかし、そこから伸びた一本の金色の糸を譲は見逃さなかった。

その糸に導かれ譲は雅己を追っている。

回りは薄暗い。見通しの悪い砂嵐のような空間が視界全体を覆っている。これは本当に現実なのか?見えるのは自分の手と繰り出す足。その手元から糸だけがはっきりとキラキラと伸びている。そもそも足下に地面があるのかもわからない。感覚がないからだ。音も匂いもしない。ただ、糸の先に微かに見える黒い渦をひたすら追っている。海中を泳ぎ去る蛸のように広がっていた触覚がひとつになり渦を巻いている。グルグルと回転する真っ黒な渦は進んでいるのか、進んでいないのか。本体の大きさは人の倍かまたその倍か。雅己の姿は内部に囚われているのかもはやまったく見えない。わかっているのはあの渦を追いかけないと鬼来雅己には2度と会えないのかもしれないということ。その不吉な予感だけが譲の足をひたすら動かしていた。それ以外のことは今はあえて考えないようにしよう・・・そう思ってはいる。しかしそれでも納得できないことはある・・・どういうわけか譲の手には糸巻きがしっかりと握られていることだ。

「なぜ、いつの間に糸巻き?」疑問が思わず口を付いて出た。

「具体的な視覚の方が譲くんにはわかり易いと思ったのよ」

「基成先生ッ?」思いがけず返事があって、驚いて辺りを見渡す。

声はすごく近い、なのに姿は見えない。

「どこにいるんですか?!」

「捜したってダメよ。私今、意識だけだもの、ほら、驚かない。見失っちゃうわよ。」

慌てて視線を戻す。長い糸の先にうごめく渦を認めほっとする。

譲のすぐ側から、霊能者の声が再び聞こえた。

「あれは無機質ではないのね・・生きて熱を持ったものだから。ここでは目立つの。」

「あの、そもそもここはどこなんですか?キライはどこへ?あの蛸の足みたいなのは???」

「質問、ばっかりねぇ。折角、二人だけになれたって言うのに。」

「そういう状況じゃないでしょ!」そう言いながらもどこかホッとしている。

「先生はいったいどこにいるんですか?意識だけって???」

「あのねぇ、私達が見たあれ・・・ちなみにあれも譲くんの心が納得出来る形に見えているだけなんだけどね・・・つまり、あそこにある渦巻き。蛸の足よ、あれがさ突然、襲って来たじゃない?・・・だから私、自分の体から急いで離れたのね。あなた達を守る為に。でも間に合わなかった・・・雅己くんにマーキングするのが精一杯だったわ。」

「マーキング?」「それよ。」糸巻きとそこから伸びる糸。

「それもいわばあなたに見せる為の私の意識の具象化・・・みたいなもの。」「具象化?・・・えっ、これが基成先生なんですか?」「の、ようなものよ。別に譲くんに一目でわかるように私の姿で現れても良かったんだけど・・そうしたらちょっと狭苦しくないかと思って。」「確かに」「今、確かにって言ったわね。」「・・すいません。」「とにかくぅ、それがある限り雅己くんを見失う心配はないってわけ。」「ほんとに?」それが本当ならばすごい。

「やるじゃないですか!本物だったんですね、基成勇二って!。・・勿論、これがただの夢じゃなければですけど。」

「ほんっと、疑り深いわねぇ!譲くんなんか捨てておけば良かったわ。」

声は恨めし気に今度は鼓膜の中で振動した。

「別に譲くんなんかいなくたってさ、私だけだって雅己くんを捜せたんだからね・・

やつが雅己くんを連れて行こうとしたでしょ。彼が引き込まれた時、譲くんたら一緒に同調しちゃったじゃない。だから意識を持って行かれたの。私これでも、あなたが元の世界に戻れなかったら大変だと思って・・・こうして君といるのに。まったく、人の気も知らないでぇ・・・」

じゃあ、僕も意識・・・霊体だけなんだろうか。確認するのが怖い。なんだかわからないが、ここは謝った方が良さそうだった。

「ごめんなさい、先生。ほんと、僕がわるかったです。」素直に謝る。「疑り深いのは産まれ付きなんです。これからは態度を改めますから・・」

「そうよね。あなたもこれまで色々と気を使って行きて来たんだものね・・」

一瞬、途絶えると「ふ~ん、まだ若いのに、自分の顔と声が嫌いだなんて。かっこいいのに、もったいないわ。お母さんのせいなの?」

譲は焦った。「ぼ、僕の霊視はいいですから!」それは絶対に遠慮したい。

「それより、何があったのか僕にもわかるように教えて下さいよ。」

「そうね、いいわ。仲直りしましょ。まず私が色々邪魔なものを取りのけたじゃない?。ここはさ、そうしてやっと開いた穴の中なわけ。いわば、あの家に被って存在していた別の次元。でも・・・あいつはそこにいたんじゃないと思うの。」霊能者の声が緊張する。「いい?やつは私が開ける瞬間を待ち構えていたんだと思うの。」「待ち構えてた・・・どこで?」「私達のいたあの家!まったく不覚をとったわよ!」声は悲鳴だ。「基成先生ですら気が付かなかったってことですか?」「そう。私、譲くんに謝らなくちゃならないわ。前に『呪い』と失踪は別物だって編集部で言ったけれど・・あれってやっぱり、互いに関係しているかもしれないわね。」「えっ?じゃあ、あれ・・蛸の足が?」譲は蠢く影を血が引く思いで見つめる。あれが『鬼来家の呪い』の本体?「私にはその関係が掴めなかっただけかもしれないの。悔しいけれど・・それだけ、相手が上手ってことよ。私が今、怖れているのがなんだかわかる?。おじさん達を隠したのが実は『呪い』から守る力・・・もしかしたらおじさん達自身か彼等の守り手があえて姿を隠したんではないかということ。」「まさか、そんな力・・・誰が持っているんです?あるわけないですよ、おじさん達に。」ふと鬼来雅己の『兄貴』のことが頭を過った。あの兄貴なら・・・?いや、雅己の『兄貴』は霊能者ではない。そんな力があるわけない。譲は振り払い、忘れる。

基成勇二もそんな可能性は考えたくないようだった。

「そう、まさかよね。知らずに私がやつに手を貸してしまったんなら悔やんでも悔やみ切れないものぉ~。」観念上の声なのに湿って聞こえて来る。

「そんなことありませんよ。」自信などない。「あの呪いを追いかけて止めれば・・」

「勿論、追いかけるわよ・・・でももう、着いたみたい。というか、最初から着いてたんだけどね。だってもともとここは時間がないんだもの。ただ私達が納得する時間ぽいものがこの会話の間に意識下で処理されただけってことなんだけど・・・」それはもし譲が一人であったならば到底、この状態を理解出来ず納得することもできないままに無限に雅己を追う感覚を味わうことになっていただろう、ということだったがその言葉は飲み込んだ。「・・・まぁわからなきゃ、気にしないでいいわよ。ほっといて次ぎ、行きましょ。」「はい、そうします。」そんなことは知らない譲は同意して前を見る事に専念する。

上も下もわからない空間の遥か先に巨大な黒い箱が浮かんでいた。

「なんですか、あれ。」まるで宇宙空間に浮かぶ四角い惑星だ。光を吸い取るような黒の4面の壁。そこへ着陸する宇宙船のように渦が突き刺さっていく。箱は歪み、まるで生き物が苦悶するかのようにその表面がまくりあがった。箱が穿かれている。「さあ、私達も・・・行くわよ!」「うわっ!」

スピードが上がる。もの凄い勢いで糸巻きが回転した。自分が縦に長く長く、引き延ばされて行く。しかし、その感覚も観念上のものなのだろう。

二人はたちまち渦のすぐ後、幾層も重なった箱の中へと突入した。

小さくなった声が囁く。

「あのね。さっきは譲くんは余計だみたいなこと言っちゃったけど。私だけだったらこんなに早く正確に追えなかったかも・・」

体が小さく小さく縮んで行く。視界がどんどん狭くなり自分の手足も見えなくなる。何かに押し込められていく。

「・・譲くんが雅己くんを捜そうとする気持ち、実はそれが羅針盤だったの。同じように、雅己くんも一瞬、君に助けを求めた。そういうこと。ああっ、妬けるわね。いいわ、若いってさ。男の友情・・・青春だわ・・・」

「そ、そんなことはどうでもいいですからっ・・・!」

確かに、あの恐怖の瞬間。譲は自分よりも無意識に雅己の方を案じていたのだろう。自分に危険が及ぶんじゃないかと思う前に勝手に手は伸びていた。

「いい?私と同じように譲くんも今、肉体はないわ。」えっ、やっぱりぃ?

「霊体だけだけど、慣れないから体のある感覚からまだ離れられないだけ。でも大丈夫、私といれば・・・」「あの・・・これってまたもとに戻れるんでしょうね?」近くに基成勇二がピッタリと寄り添っているのがわかった。本来は不本意なはずのそれも、今はそれだけが拠り所だ。ぼんやりと思う。

『これが・・基成先生の言っていた箱ってことですよね?和紙で幾重にもしまわれた・・じゃあ、中にいるのって・・・』

人為的な空間だと。いったい誰がどうやって作ったというのだろうか。

『これも箱に見えるけど本当の箱ではないの。』先生の声はどんどん小さくなり『箱をイメージして作られたからよ。』譲の中で反響し出す。

『観念で箱と言う方向性を与えたから・・だから箱として私達は感知するわけ』

とうとう譲と声は完全に一つになる。きっとそのせいだからだろう。箱の底に達したのが譲にもわかった。丸く視界が開ける。目がないのに見えるというのは変だと思うが・・・これも霊能者のいう観念の視界なのだろう。

二つの大きな細長い箱が見えた。

「さぁ、とうとう・・・見つけたわよ。」

自分がいる勇二の中で?いや、自分の中で?勇二が唸る。

細長い箱の側には人影があった。服装と背格好に見覚えがある。

「キライッ!」譲は叫ぶ。しかし、実感はあるのだが自分の耳には何も届かない。

立ち尽くす鬼来雅己にもおそらく届いてはいないのだろう。

足下にある箱からの白い光に雅己の顔は照らされている。

ややうつむき加減で、その面には表情がまったくない。

「黙って」霊能者が囁いた。「やつに気付かれる」

やつ?黒い渦巻き?箱を挟んでもうひとつ長く伸びた人影があった。

無音の中の一つの音。「壊せ。」それは振動として譲を打つ。

大きく真っ黒で、時々歪みぶれる。そして又人の形を取る闇だ。

「それで契約はなる。」譲の全身に痛みが走った。

勇二と共にいなければ、とても耐えられなかっただろう。

箱の回りにはいつの間にか、もやもやと小さな影のようなものが無数に陽炎のように揺らいでいた。底面からわき出したそれは、人のようにも動物のようにも見える。

霊能者は気配を消している。譲も必死に息を殺した。

 

『そうだ。それでいい。』誰かがつぶやいてくる。

基成勇二ではない。雅己の声でもない。

どこから聞こえるのか、皆目見当が付かない。この世界の外から響いて来るようであった。それは、先ほどのような譲に苦痛を与える音ではない。

安心感を与える人間の声である。男の声だ。聞き覚えがあるような、ないような。この声は彼や影にも届いているのだろうか。

いつの間にか、二つの箱は開かれている。

雅己のおじとおばがいる。鬼来光司とその妻、正子。

二人は死んでいるようには見えない。血色が良く、生々しい。胸が上下している。眠っているのだ。それぞれ棺の中で。男は寝間着にガウン、女はエプロンを付けたままの家事をするかっこうだった。男は壮年にしては若々しく細面。女の面差しは雅己に驚くほどよく似ている。

 

雅己が、ゆっくりと足を踏み出した。

相変わらず、何の表情もなく。「雅己、何を?」

手にしているものがなんだかわかった。

鉈のように見える。刃物だ。

嫌な予感に譲はもっと近づきたかった。しかし、近づくことはできない。

見ているしかない。その間もしきりに、世界の外から声が響いて来る。

『・・・力を手に入れろ』

『・・・どのような敵にも対抗しうる力』

「本当に・・うまくいくだろうか」眼下に見える雅己の口が初めて開く。

『・・この世界で生き抜くには契約するしかない』声が笑う。

『・・・そう決めた』

応答するように回りの影がさんざめく。

正面に対する影は微動だにしない。

真っ赤な石炭のように人型の中で目が燃えていた。

おじの入った棺に雅己は腕を降りあげる。

「ああ、でも・・・」凶器はためらいもなく振り下ろされた。

『・・・選択した』

『・・・貫け』

刃物が体に吸い込まれた瞬間、反動からくの字になり直ぐに弓なりに反りかえった。目が見開かれ、口から血が溢れ生きた人間がされる。

真っ赤な目はそれを見ている。声もどんどんと囁いて来る。

『・・・急げ、急げ』

『・・・時間稼ぎだ』

首を掻き切る。

雅己の腕の手慣れたなめらかな動き。顔だけが動きと、分離していている。

『・・・我々は』

『・・・あがく』

かつて見知った男の首は完全に体から離れる。

雅己はもう一つの棺に。

完全に麻痺したまま、譲はそれを見ている。これが現実であるもんか。

再び、凶器が振り下ろされ、女の体が棺の縁に乗り上げる。

滴った血が、床に吸い込まれ消えていく。まったく同じ作業が単調に反復された。

最後に。雅己は自身によく似たその首を手にする。

まるで重みを確かめるかのように髪を掴んでゆっくりと持ち上げた。

それを目の前の影に差し出す。噴出した血がその体と足を赤く染める。

「契約はなった。」

火が瞬いた。笑いの形を取った口は溶岩のように燃えたぎっている。形がグニョグニョと崩れ、広がる。女の首から滴る血がその触手に注がれる。

そして首を掲げ鬼来雅己は微笑む。譲が初めて見る、媚を含んだ淫らな笑み。

床に置かれた首に二つの遺骸に黒い靄は渦を巻いた。それを確認し雅己は服を脱ぎ捨てた。露になる白い肌は光に照らされ寒々しい。震えながらもまるで誘うような一瞥を送る雅己は躊躇いも無く腹這いになる。すると渦巻く黒い影は見る見る縮み、人の男となった。それが雅己へと重なる。

「な・・・っ?」無いと言われた体に譲の血が逆流する。

男は背後から雅己の肩を床に押し付ける。

「やめろぉぉぉ!」怒り。

「ダメっ!」基成勇二が鋭く警告を発するが、遅い。

男の背から無意識に跳ね上がった触覚は、金色の糸を断ち切っている。

譲の意識は急速にその場から弾き飛ばされた。

気が付けば360度、流れる砂のような空間。「基成先生!」箱もなく音もない。

「はぐれてしまった・・・?」もう戻れないと言う恐怖が突き上げて来る。

「キライ・・・」でも、これ現実じゃないよな?。

絶望にのみこまれて譲は消えた。

 

               雅己

 

「どうしたの?」雅己は喘いでいる。苦痛と快感その狭間で。

「霊能者だ。」雅己の体を支配するものが答える。語る音そのものものである人型は喘ぎもせず氷のように冷えきっている。そして情け容赦なく、下に従えた体を攻め苛む。「ハエにすぎない。」

肉体が引き裂かれ、瞬間意識は爆発する。貫かれ、炎に炙られる肉の塊でしか雅己はなくなる。凍った闇の中で燃える、煮えたぎる溶岩。体中の穴という穴からその熱いものが無理矢理注ぎこまれ、たちまちすべての穴から溢れ出ていく。

その繰り返しが永遠とも続く。

陵辱のすべてを小さな陽炎達は見守っている。

哀しいのか喜びなのか、血と遺体で満たされた棺の回りを・・雅己が犯されるその回りを狂ったように跳ね回る。

発狂寸前の意識の隅。その冷えた片隅に外からの声が雅己にも響いてくる。

『霊能者は・・思ったよりも役に立ちそうだ・・・岩田譲よりも・・・』

『いや、彼は・・・彼もまだ・・・』途切れ途切れに反駁する。

『すべての哀れみなど捨てるとおまえも誓った・・・そうだろ?』

『そう、僕は選んだ。それは・・・変わらない。』

外からの声を受信するのがどんどん難しくなる。

『大丈夫だよ、兄貴・・』ついに体内の血液が沸騰した。

雅己は肉体から切り離され意識そのものとなる。

『だって、僕は贄だから。』


スパイラル・スリー 第二章-1

2014-02-23 | オリジナル小説

          2・雅己と譲

 

             過去・・・大学時代

 

譲は納得がいかなかった。

「だいたい・・UFOや宇宙人とかとさ、幽霊と妖怪を一緒くたにするってのが・・よく、俺にはわかんないっていうか、理解できないんだよ。まったく違うものだと思うんだけど・・」もう、5年前にもなる学生時代の飲み会である。

多少ムキになっていたと思う。嫉妬と言ってもいい。

「そっかぁ。」ムキになって反論するかと思いきや、鬼来雅己は神妙にうなづく。

「そう思うのは、仕方ないかもな。」

考え深気な陰を顔に浮かべると、一口またビールを飲み下した。

「いや、なんかさ・・これって正直、霊感が強くてUFOも見る兄貴の側にいた僕の・・・あくまでも自分の感覚でしかないんだけど・・僕には、重なる部分があるような気がしてしょうがないんだ。」

「おまえの兄貴はその件についてなんて言ってるんだよ?幽霊見る人間はUFOを見る確率が高いって説には?」このときの譲は純粋にうらやましくて仕方がなかった。

「わらってただけ。自分にも、よくわからないって。」

「・・・当事者がわからないっていうんじゃなぁ。」

「そう、証拠はないんだ。統計もない。UFOとかを見る人とお化けとかを見る人が完全にイコールではないとは僕も認めざるを得ない、でも。」

鬼来は遠くを見るように目を細めた。

「UFOも宇宙人もさぁ・・現実っていうか僕らのいるところからなんだかずっと隠れてるじゃないか。UFOだって見ている目の前からフッと消えてしまうわけだし。幽霊だって見える人から言うとずっとそこにいたりする。でも見えない人にはまったく見えない。勿論、見えていても突然消えたりもするわけだよ・・・」

「それってさ。」譲も思い付いた事を自分でも半信半疑で口にした。

「ようするに、鬼来のいいたいのは・・・4次元とか異次元とかってことかい。」

「そう、それ、それ!」雅己が勢いを得て手を叩く。

「そうなんだよ!。UFOも幽霊もなんらかの方法で僕らのいる次元とは違うところにいつも普段は潜んでいるんだ・・・そして、そこから意識的にか無意識的にか・・きっとその両方なんだろうけども・・・この現実にやってくるに違いないんだ!。さすが譲っち、僕の言いたい事によく気が付いてくれた!」

いやいやそれほどではと自賛しつつ、「ふぅむ。それって、それは面白いなぁ。」

思わず唸っていた。「その考えはすごいと思うよ、ほんと。」

「そうか、すごい?」

「うん、すごい、すごい。」

「やっぱりねぇ!。」雅己も激しくうなづく。

「これ思いついた時、自分でも天才だってつくづく思ったんだ。」

「いや、それは。」前言撤回、慌てて首を振る。「それほどではないよ。」

2人は同時に吹き出した。


スパイラル・スリー 第一章-4

2014-02-20 | オリジナル小説

            過去・・・ハンター達

 

「そう確かに、一連の出来事の裏には一つの力が働いているわね。」

先日編集部で大まかな事件の概要を説明した時に霊能者はそう言っただけだった。

基成勇二は女性的な(あくまで太ったおっさんであるが)仕草で指をかわいく立ててそう言った。その指は手入れが行き届いてどれもピンクに塗ってあり、小指だけにキラキラした小さなデコ薔薇が付いている。その薔薇から目を引きはがすのが譲には難しい。「一つの力と言いますと?それが『呪い』だということですか。」

「呪い・・・そうねぇ。」勇二はものうげにうなる。どこか上の空である。

その日は弟子は『妹』一人だけだったが、エレベーターのない充出版の狭い階段を4階まで上がってきたのは勇二だけであった。初対面で意外に身軽であることに譲は驚かされる。弟子の方は面倒くさいからと駐車場のベンツから一歩も出ることなかった。

「呪いっていうのはね・・相手あってのものであることはなんとなくわかるわよね?自分が呪われていることを知らせることが何より大事なの。それによって呪いはより効果を増すわけ。所謂、呪いのフラシーボ効果ってやつよ。」

その手に詳しい星崎と譲は揃ってうんうんとうなづいく。

編集部には他に社員は2人しかいない。その2人は取材で不在であった。

「勿論、相手が知らない場合でも効果を発するものもあるわ・・・これは送り手の念の強さや技量が大きいの。古代から現在まで日本でも方法は様々あるんだけど・・いずれも、生半可な意志の力ではできないことよ。ただ、今回の場合は・・・」

霊能者は息を吐き、それからおもむろに首を傾げる。

「そもそも呪った相手が古過ぎて明確でないでしょ?呪い手が不明な上にそのエネルギーだけが一人歩きするなんて。呪い手が既にこの世からいなくなったのに、そんなに何十年も力が持続するわけはないと私は考えるの。だからちょっと私にも・・げせないわけ。特にまぁ、雅己くんのおじさん達が村を出てから30年も経ってからっていうのは・・・あちら(霊)の世界ではこちらと時間の流れが違うから、まったくあり得ないことではないんだけど。それでも急に思い出したように発動するなんて・・なんだかちょっと・・違和感があるのよ、私にはね。」

「それでは呪いと今回の雅己くんのおじさん達の失踪は関係ないってことですの?」

「だからぁ、結論急ぎ過ぎよ、緋沙子ちゃぁん。」

勇二はフンと鼻を鳴らした。

そもそもこの男はそんなに親しくなくても気に入った女性をちゃん付けで呼ぶのである。なぜかそれで嫌われないのだった。

「関係あるかないかはまだこれから霊視してみないと私にだってわかるもんですか。いいこと?緋沙子ちゃん。私はね、この一件だけが生死がはっきりしないっていうのは一連の呪いの中でも違和感があるって言ってるだけなの。行方不明だなんてさ・・・呪いからしたら、殺す方が簡単じゃないの。現に今までは全て死を持って完結しているわけなんだから。今までの『呪い』が不可能な偶然を操っているのだとしたらよ・・・こっちの方は、単純過ぎて全然超自然ではないわけ。」

3人掛け応接セットの椅子を一人で占領した霊能者の弁舌が弾む。

「それにしても鬼来村ねぇ。」「先生もご存知なんですか?」星崎がうなづく。

「当たり前ですね、神話伝承の類いを検索すれば必ず名前の上がる村ですもの。」

「そうなのよ、『鬼来家の呪い』って言うのは・・・すべてがまったくの偶然でないとすればよ、格段に力が上に感じない?。同じ霊的パワーだとしても根本の質が・・な~んか、違う気がするのよねぇ。それも親と子、師匠と弟子、玄人と素人ぐらいのレベル差よ。」「そうなると相手はセンセに匹敵するぐらいの霊能者ってことになるってことですか?」みえみえ中尾みえの星崎のお世辞。以外にも霊能者は顔をしかめた。

「あのね緋沙子ちゃん、私はね、そもそも『鬼来家の呪い』は人間レベルじゃないって言いたいわけって言うか、そう言ってるのね。」

「はぁ。」星崎は鼻白む。「そうなんですか・・・と、言いますと?」

「人間じゃない、つまり・・・魔物。」出しっ放しのお茶を思い出したようにズズッと啜った。「それも待ちに待った大物の予感よ。」

「はぁ・・・魔物ですかぁ。」星崎は用心深く続ける。

「そういえば、センセは『魔物ハンター』を自認してらっしゃるのでしたよね。」

「まっ、そう言ったってわからない人にはわからないのよね。」基成勇二自身、諦めたように肩を竦めた。「だけど、あなた達は一般人じゃなかったはずだわよねぇ。一応、怪異を専門にした本を出版しているエキスパートなんだからさぁ、わからないってだけで済ましてはいけないと私は思うわけ。えぇそう思わない?どうよ?」

「・・・センセのライフワークだということはあたし自身は認識しておりますわ。」と、答えをそらしつつ真面目くさる星崎。

「そう、まさにライフワーク!『魔物狩り』!まさにその通り。」

俄然、先生の舌が回り出す。

「だいたい魔物っていうのはね、目に見えない架空のものではないわけ、いい?。私の兄弟にはね、アメリカのNASAでUFOや心霊の研究に携わっているのがいるけれどさ。」「基成先生ってまだ兄弟がいらせられるのですか!」星崎が驚く。

「そう、兄がね。とにかくその兄は超常現象に深くかかわっているのよ。」(UFOという言葉を聞いてから譲の瞳はずっと輝いている。できればそっちに取材したかったのだ。)「彼の長年の研究によると、魔物って呼ばれる特殊な生物は・・・そう生物ってここでは言わせてもらうわよ・・現実にね、実態を持って我々人間のすぐ側にすべりこんでいたりするの。それは憑衣なんて生易しいものではないんだからね。ほんとに血と肉を持つ、人間そのものに化けていたりするわけなの。そうやって、私達が気が付かないうちに世の中に干渉して来ている。殺伐とした事件や事故の回りには必ずやつらが群がってくるというわけなの。勿論、奴ら自身がそういった事例を率先して起こすように仕向けている場合もあるってこと。あなた達だって人間として許せないでしょ?見逃せなくない?だからぁ!それを捕まえる為にぃ!私達兄妹弟はこの仕事をしていると言っても過言ではないのよぉ。だってこう言った商売ってさ、さまざまな怪しい事例や事象に出会うにもってこいじゃない?」

「あの、では・・」

星崎は話の切れ目に切り込もうと咳払いを何度も繰り返している。

「センセはこれまでに魔物を掴まえたことがあるんですか?」

「ええ、小モノを何体か。」「えっ!マジですか!」見して見してと譲。ただ基成勇二のテンションは下がる。「でも、ダメだったわ。すぐ、死んじゃったの。飼育の方法がまだ確率できないのよね。人間のエネルギーの特定の一部が餌にだってことは推察できるんだけど・・・それの取り出し方とか、保存とか、与える方法もねぇ。試行錯誤の連続だものよ。仕方がないでしょ?」

「では、せっかく捕らえたその魔物は?」

「そうね。結局、時間が経ったら霧になったり塵になったりして・・・跡形も残らなく消えちゃったわね。」そこでたまらず譲が身を乗り出す。

「魔物の小モノって・・それ、どういうものなんですか?子泣きじじぃみたいな?」

「あのね若者、それは妖怪!あんたはゲゲゲの鬼太郎の見過ぎよ!妖怪と魔物は違うのね。わかる?妖怪は主に人型とは限らないし、会話も成り立つとは限らない。かかわり方が即物的っていうか一方的。魔物って言うのはさ、知性があるのよ。さらにもう、悪魔とか魔族と呼ばれる相手なんていったら人間よりも格段の知識を持っていたりするんだから。」

子泣きじじぃだって知性的じゃんと譲はむくれる。星崎がたまらず軌道修正。

「その実態があるのに死体として残らないようなものをですよ。いったいどうやって捕まえると言うんですか?」「大半は観念よね。相手を捕らえるイメージが主流。だから私のような強い精神力がないとだめだわね。あとはそれを電気的な磁場で覆った箱に閉じ込めるの・・・そこまではうまくいったんだけど。」ふぅと息を吐く。

「やはり小モノだからかしら?知性もないし意志の疎通がうまく行かなかったの。ちょっと芸の出来る動物みたいな感じだったわ。あんなんじゃ、妖怪に毛が生えたみたいなもんでしかないわねぇ。ああ、もっと大物に巡り会いたい!」

先生は編集部の限られた狭い空間を両手でかき回す。

「魔物っていうか、高等悪魔!そう言うのだったら餌だって自己調達できるだろうし、取引だって可能なんじゃない?勿論、危険は承知よ!でもさ!そういうのと丁々発止のやり取りをして、戦って勝つってすごいことじゃないの!囚われたケダモノみたいなんじゃない、知性ある魔物を目の前に膝まづかせられたらもう霊能力者冥利に尽きるってもんじゃない?それでこそ魔物ハンターの面目躍如よ!メフィストフェレスみたいな大物と私が契約してもいいかもしれないわ!研究の為ならなんでもできるってもんよ!」

相手のあまりの酔いっぷりに譲と星崎は質問や突っ込む言葉を、やや見失う。

その沈黙に吾に返ったのか「まっ、こちらの話だからどちらかと言うと聞き流して。」基成先生はややはにかんで口を閉じた。

「それって・・・先生の『宇宙のお姉さん』も同じなんですか?」

あえて意地悪な質問を譲はしたくなった。「お姉さんも魔物狩りが使命?」

「勿論そうよ、私と姉の目的は一致してるに決まってるでしょ。」動じることなく。

「むしろあっちの方が・・・魔物って向こうにいないから興味深々かもしれないわ。」

「はぁ、そうですか・・それにしても」隣から星崎がしきりに目配せをしてくる。

「『鬼来家の呪い』が魔物の仕業とは。僕の友人の鬼来雅己もビックリすること請け合いですよ。」もうそのぐらいにしておけと言っているのだ。

機嫌を損ねて連載が保古になったらどうするんだと思っているのだろう。

「譲くん?岩田譲くぅん、だったわね。」ふいに名前を確認された。

「まぁ、いいわ。君に何を言われてもいまは仕方がないとする。でも見てなさいよ、この夫婦はきっと生きているから。私にはそんな気がする。私はね、自分の長年の勘を信じるわ。とにかく、その失踪事件の方を先に解決した後でその『呪い』方はゆっくり解明させてもらいたいの。私の好きなように料理させてもらえないかしら。とにかく大物を捕まえるんだから、準備も覚悟も並以上に必要なわけ。その猶予が必須条件。だって私は『魔物ハンター』なんですもの。いいわね?緋沙子ちゃん。そうでなければ、私はこの件を引き受けない。他所に頼んでちょうだい。その代わり他所に頼んだとしても、あなた達の取材とは関係なく勝手にやらせてもらうから。その場合、後からの取材は一切受け付けないんだから。」

「ええ。勿論!それでもって結構ですわ」承諾がおそろしく素早い。

「考えて見れば、失踪と呪いで記事の柱が2本になるんですから。しかも、いよいよセンセファン待望の『魔物』の正体に鋭く迫るとなれば、当方として依存はまったくございません。でしょ、譲くん。もうこれ以上、余計なことは言わないでよ。」

霊能者が帰った後で譲は星崎から小言をくらった。

「しかし。だって編集長。」譲も抵抗を試みる。

「だいたい、そもそも大真面目に『魔物』なんているんですかね?!」

「いいのよ、いたっていなくったって!」編集長はできたばかりの新刊を振り回す。

「究極、『君の心の中にいる』ってオチだって、なんだっていいのよ。本が売れればね!」「そりゃそうですけど・・あまりに荒唐無稽では読者だってあきれませんかね?」「譲くん、我が社が業界からなんて呼ばれているか知ってるわね。」

「・・・ホラー界の『東スポ』ですか。」しぶしぶと口にした。

「そうよ。それコミで月刊『怪奇奇談』の読者は毎月、本を買うの。乱暴に言っちゃうと、むしろ質のいいホラ話を読みたいってな気持ちもあるってわけ。」

ホラ話って、自分から言っちゃう?

「だから、気にしなくてもいいのよっ。」勢い良く事務椅子に身を落とす。

「だけどですよ、今回は鬼来の身内がかかわっているんですから・・・慎重に配慮しないと彼が傷つくかもしれませんよ。」譲は緋沙子の下心に訴える。

「ああっ!わかってるわよ!」緋沙子は新刊を机に放り出す。

「でも、このおいしそうなネタ!しかもまだ手垢が付いていない旬のネタなのよ!しかも当事者が一般人でなく、同じ出版界の人間!めったにないわ!いい?警察が解決できそうもない謎の失踪事件を今まさにイケイケの霊能者に解決させる!しかも呪い付き!群馬の旧家に代々祟る呪い絡みなのよ!こんな誘惑、他にあるもんですか、でもぉ!」

編集長は急に女の顔になり身悶えた。

「ああっ、!ほんとにマジ、かわいい鬼来くん!罪な緋沙子を許して!」

しかし、すぐに素面になりケロッと舌を出した。

「まっ、でも、息子みたいなもんだしね。」実は星崎緋沙子が女手ひとつで育てた娘は既に嫁に行っていた。「どうせ私のもんになるわけじゃなし。いつかどこかの若い女に捕られるんだもの。その前にしっかり我が社と御学友の君の役に立ってもらわなきゃ、ねぇ?。」

「編集長・・・その言い方」外道では?

「いいのよ!当人が了承したんだから。失踪したのだって・・・いくら世話になったんだとしても親じゃなくて、お母さんの従兄弟とかハトコとか、遠い親戚でしょ?

融くんだって、呪いが今度は雅己くんに降り掛かったらどうするのさ?雅己くんが心配じゃないの?だいたい、経費は全部こっち持ちよ、文句ある?!譲くんはとにかく、明々後日の準備を怠りなくすること、いいわね!」

譲の奥の手は不発に終った。

 

 

                再び譲

 

今、譲はその時のことを思い出していた。

もしも人間を異次元に拉致して監禁し、その痕跡を消したのだとしたら確かに呪いとしては手はかかり過ぎている。身内を悲しませる為にはそれでも充分だろうが、呪われた当人はどこかで生きてピンピンしているのであるのだから・・わざわざそうする目的は不明になる。むしろそれでは呪いによる『死』から遠ざけているかのようではないか。

しかし。そんな風に人をどこかに痕跡もなく隠すということだって・・・考えて見れば充分にすごいことだ・・・それを人間業としてしまっていいのだろうか。それが先生の言う通り、生身の霊能者の仕業だということであるのなら・・・目の前にいるこの男、基成勇二にも同じことができるということになる。

譲達には怪異に飲まれまいと思うあまり、つい霊能者のまき散らす言葉を軽く聞き流す癖が付いてしまっている。どうみても通常ではないことでも慌てず騒がず冷静に事務的に対処しようとするあまりスルーさせてしまうことが多い。結果かえって、感覚が普通人とずれてしまっていることが度々ある。夫婦の失踪・・・誰がそれを行ったのかは今のところは不明だ。果たして霊能者には心当たりがあるのか、ないのか。そして霊能者には格段の力の差を感じさせるという『鬼来家の呪い』。

『呪い』はどうして突然、発動したのだろう。

編集長は読者の食いつきさえ良ければ、ことの真偽などはどうでも良いと思っているのはあきらかだ。もともと信憑性などどれも証明する手だてなどないが、記事にするのならばある程度の筋の通る説明は欲しかった。

そして今、観客の配置は大きく変わっている。

相変わらずの仏間であるが仏壇の前には霊能者しかいない。

仏壇には雅己のおじさんとおばさんの写真が相変わらず置かれている。

ただ、今までと違うのは仏壇の前には急ごしらえの白木の祭壇が設置されてあり、酒や米、小麦の束と榊、水晶玉、小振りの刃物、鏡や水などが並べてある。

霊能者は毛皮を脱いで、白絹の着物と袴、羽織りに着替えている。履いている足袋にしたって、どれもこれもキングサイズだ。紫水晶の数珠を首に、撫で付けた髪にも絹のストールをグルリと巻いている。

観客は大きく下がって壁際に張り付くように星崎と鬼来雅己、譲と平が並んで座る。先ほど譲は霊能者基成勇二をフラッシュを焚いて何枚か撮影した。

二人の助手は隣の応接間との境にかしこまっている。

バタバタとした模様替えの途中、11時を前にして執事姿の助手からサンドイッチと紅茶の差し入れがあり、ようやく譲の小腹は満たされている。

ちなみに末の『弟』であるらしいこの助手の名は『牡丹』という。

妹である『エレファント』の本名は素子というらしい。『牡丹』が本名かどうかはわからない。アメリカにいるという上の兄はなんと呼ばれているのだろうか。

「それにしてもですよ、いったい誰様なんですかねぇ。次元に穴開けて、生身の人間を二人も隠しちまうなんてよ。こりゃ、ホラーというよりSF でっしゃろ。」

まったく同感だった。「まずいですよ、平さん。」譲は小声で諭す。シッと星崎が雅己ごしに合図してくる。俺に言われても。

「また、一枚外したわ。」霊能者が大げさに肩で息をする。外すと言う作業は観客には目に見えようがない、基成勇二の中の世界、観念によって行われているらしいのだ。「あと一枚・・・最後のを外したら、いよいよ穴を開けるから・・・」白い絹で汗を拭う仕草をする。

「勿論、それですぐに雅己くんのおじさんおばさんが出て来るわけではないと思うけれど・・・あの日に何が起こったのかは格段に辿り易くなると思うわ。ただ、どんなことが起こるかわからないから注意して欲しいのよね。」

「注意って?」こらえ切れずに譲。

「何が起こっても気を強く持つってことよ。」あ、そんだけ?

星崎が譲に再び『カメラ、カメラ』と手で示す。録音機が動いていることを何度も確認している。ジャージに身を包んだ助手は立ち上がり、霊能者と観客の間に壁になるかのように座った。執事の助手も応接間との境の襖の前に立ち塞がる。こちらの手にはいつの間にか日本刀のようなものが握られていた。

タキシードに抜き身の刀。ミスマッチのようで妙な迫力がある。

演出だとはわかってはいるのだが、なんだかまるでこれから大変なことが起こるような気分になって来るではないか。ポーズをとる助手達を何枚かカメラに収めた。

高まる緊張と期待感に雅己がチラリと再び席に戻った融に視線を送る。

譲もうなづき返す。行方不明の二人を実際に見知っているのはこの二人しかいない。本当に何かが起こるとは譲は信じてはいないが、一縷の望みは繋ぎたかった。

何らかの真相。警察に告げて捜査に繋がるような真実の暴露だ。

鬼来雅己も心からそれを望んでいるのだ。

「ラスト、OK。」息を吐き出し汗を拭う。

「さぁ、いよいよ・・・鬼が出るか、蛇が出るかよ。」

霊能者は身を丸めるようにして経文か、何かの呪文を唱え始めた。

口の中で唸るように音が反響しどんどん大きく広がっていく。それと共に祭壇に置かれた供え物がカタカタと振動し始めたように感じたのは気のせいだろうか。

 

岩田譲は自らは霊感などはないと固く信じている。

産まれてから25年、一度も霊やお化けの類いなど見たことがないからだ。

超常現象が好きで大学で出会った鬼来雅己とサークルを作ってはいたが、どちらかと言うとUFOや超能力、人体消失などの不可思議現象の方が自分の領分であると思っている。勿論、霊感がないということでは鬼来雅己も甲乙つけがたいはず。

月刊『怪奇奇談』を発行する星崎緋沙子編集長にしたって霊が見えて見えて困るという人種でないことは冒頭の台詞からして確かだ。

平編集に至っては語るまでもない。

ようするに超常現象サークルにしてもそういったマニア本にしても、よく言えば半信半疑、悪く言えば信じていないからより求める・・・そう言った人種でなければ到底かかわり切れないのかもしれない。参加者や読者にしてもである。そういったものが日常生活を阻害するほど見えてしまうような人間があえてそんな場所に近寄寄って来るわけがない。危険なものに惹かれる、そういった人の性はある。

しかし基本、危うきには近寄らず。これは人の動物としての本能ではないだろうか。

霊能者と名高い基成勇二がいよいよ『穴を開ける』とかなんとかかんとか、常人にはまったく検証することができない発言をした直後。

譲はこれまでの人生で初めての出来事に遭遇することとなる。

 

蛸壺というものをご存知だろうか。

所謂海にいる軟体生物の蛸(タコ)が入った壷、まんまである。その壷からタコが出たり入ったりするのをテレビで見た人もいるだろう。しかし、それを直にしかも蛸の口が見える視点から見たという人はそんなにはいないだろう。

勿論、岩田譲がその幸運な一人であったというのがこの話のテーマではない。

目の前に座ったでっかい男。

霊能者、基成勇二の前にはもう朝からうんざりする程、譲が眺めていた仏壇があることはもう言ったと思う。時間は真っ昼間、誰もが油断して仕方がない。

しかし、ひょっとして霊能者とその助手1と2ぐらいは予測していていたかもしれない。いや絶対に予測していて欲しかった。そう譲は後あと恨めしく思ったものだ。

とにかく、蛸壺だ。

そう見えた。

霊能者の頭のわずか上に黒い点が現れた・・・と見る間にそれは基成勇二の頭ぐらいになりシルエットと重なった。そして蛸の触手、のように見えるもの。黒いもやもやとした何かがそこから放射状に出て来た。

真摯に祈りや取材に集中するものは、気が付かなかった。

だから、気が付いたのは譲。そして平である。

「なんじゃい、ありゃ?」平という男は遠慮も会釈もない。

譲が目を凝らしてあれは錯覚なのか現実なのか、背中に冷や汗を浮かせながら、必死に抵抗を・・・判断を付きかねているうちからズンッと横っ腹に肘を打ち込んで来た。

「おおい、岩田よぅ、あれ、見えてるんかいよぉ?」その語尾は震えていた。

それで譲もそれが自分だけの錯覚でないことを知った。

「編集長!」慌てて、そう言った譲の口調にもただ事でない緊張感がみなぎる。

星崎も雅己も弾けるように頭を上げた。

ひっ!と息を飲んだ緋沙子の手からは不覚にも録音機が落ちて床を転がった。

しかし、雅己は目の前の霊能者と立ち上がった助手が邪魔だった。

「譲、どうかした?」間延びした口調で顔を向ける。

「まずい。」譲の視線を遮った弟子その1がつぶやいたのは誰にも届かなかっただろう。まして弟子その2が驚くほどのまんまるの目を見開いて日本刀を手にただ、ただ突っ立っていただけだったことも。

「勇二!」

弟子1が霊能者の肩に触れる、と見る間にその大きな体が傾いで大きな音を立ててひっくり返った。そちらに気を取られたもの達は幸いだった。

蛸壺の次の展開を目にすることなかったからだ。

そのおかげで彼等は助かった。

目の前の遮蔽物が消えて視界が開き、真っ向からそれと向き合うこととなったのは鬼来雅己であった。雅己は声をあげなかった。

惹き込まれるように黒い触手を見つめ動かない。

偶然、一つの触手の動きを見ていた譲だけがそれに気が付く。

今やうごめくヘビとなったものが雅己の方へと意志を持って伸びた。

『キライ!』声にならない声を譲は上げる。

咄嗟に腕を伸ばした。

何が起きたかははっきりしない。

譲は意識を失い、畳の上に昏倒した。

 

そして。

鬼来雅己はその場から忽然と姿を消す。


スパイラル・スリー 第一章-3

2014-02-20 | オリジナル小説

               発端

 

それにしても。

このような怪しい一行がこの家に入るきっかけ。

それは2週間前に起こった失踪事件である。

この家に住んでいた夫婦が忽然と消えた。鬼来光司とその妻、正子。

二人は雅己の親戚に当たる二人である。彼等には子供はいない。

その子供の代わりとして可愛がられていたのが鬼来雅己だったのだ。

彼は大学時代、この家に寄宿していた。今でも週末になると仕事場近くに借りた都内のマンションから二人と飯を食べることが習慣になっていた。

しかしその週は、有休を消化した反動でたまっていた仕事の締め切りに追われて、雅己は会社に泊まり込むはめに陥ってしまったのだ。

どうにか仕事を片付けた雅己は仕事場からこの家へと直行することにした。

夜のことである。雨戸は閉ざされ、門扉の灯が灯されていた。インターホンに何の応答もなかったが、さして不安も感じなかった雅己は自分の合鍵で中に入った。靴脱ぎからすぐの台所には誰もいなかったが、直前まで正子が料理をしていた痕跡があった。そこで雅己はつづく食堂に入る。テーブルの上に食べるばかりの夕飯がセッティングされている。二人分だけだったが、特になんとも思わない。桑聞社に入って以来、ドタキャンは何度かあった。しかしいつどんな時でも雅己が行けば、正子はいつもすぐさま雅己の分も用意してくれた。

うまそうな肉料理はまだ湯気が立っている。テレビの音に導かれ雅己は廊下を挟んだ応接間に進む。おじがよく見るニュース番組が付いたままだ。ソファのクッションには誰かが座っていた凹んだ跡。その前のテーブルには開げられた夕刊紙。

荷物を下ろすと、雅己はおじとおばを呼んだ。家のどこかにいる二人に自分が帰宅したことを告げる為。しかし、返事はない。

しばらくぼうっと画面を眺めていたが、なんとなく落ち着かない。そこで二人を捜しに行く。まず1階を見て回る。仏間、トイレ、洗面所にも誰もいない。ただ、風呂がわいていたのでやはり二人はどこかにいるのだろうと確信した。2階の明りは消えている。具合が悪いのかもしれない。名を呼びながら二人の寝室をノックした。開ける。二人はいない。納戸、それから自分が与えられていた客室にも入る。部屋は今も雅己の部屋だ。いつでも使えるようにしてある。施錠された窓を開け、ベランダにも出た。月光に照らされた広い庭。黒々と枯れた庭木の影が茶色い芝生に落ちているだけだ。再び下に降り、台所。急用が出来て、どこかにでかけたのだろうか。冷蔵庫からビールを出し飲む。鍋の煮物とフライパンに残っていた肉をつまみに、しばらくそこで待った。1時間経ち、風呂を止めると外のガレージを見に行く。おじの車はそこにあった。エンジンは冷えきっている。物置の中も覗く。ようやくおかしいと雅己は思い始める。ニュースがおばの大好きなドラマに変わり2時間が過ぎた頃、雅己は融に電話をした。

帰宅途中だった譲は遊び気分でやって来る。

その時の雅己の顔はなんだか心細い子供めいた表情になっていた。

「どうしよう?」動き回る雅己に「まぁ、落ち着け。」と譲は言った。

大学時代に何回か、この家に遊びに来たことがある。既に3時間は過ぎていた。話を聞く限り、こんな風に家を空ける夫婦ではないとは思う。しかし、雅己が来ることは確信していなかったのだから「まだ、何か急用があって家を空けた可能性は否定出来ないだろ。」「そんな・・・」雅己は承服しかねるようだったが頭から否定はしなかった。譲が来て少し安心したのだろう。

「近くに付き合いのある親戚とか、知り合いとかいないのか?」

「さぁ。」と雅己は首を振った。「聞いたこと、ないからなぁ。」

去年、退職したおじは最近、特に付き合いもなかったはずだった。最近、引き続いた不幸のせいで行き来のある親戚は群馬を除けばもう雅己しか残っていない。

さすが近所に聞くことは深夜でばかられ、特にやることもなく譲と雅己はただ二人を待った。「大丈夫、そのうち電話ぐらいあるさ。大人なんだし。」

「おじさんの携帯、おきっぱなしだよ。おばさんは持ってない。」雅己は暗い顔だ。

「僕だって・・・風呂が付けっぱなしだったことさえなければ。」

「忘れることはあるよ。おまえが帰って来て良かったじゃん。火事になんなくて。」

譲はビールを飲む。特に心配はしていないので、沸いていた風呂にも入った。

夕食はすっかり冷たくなってしまった。雅己はそれらにラップをかけた。彼は風呂には入らない。夜中の12時を回り、譲は雅己の部屋で眠りについた。

雅己はずっと応接間だ。心配で休むことができない。ソファに横になり、うたた寝する。朝6時、雅己は重い頭を抱え譲を起こした。

夫婦はとうとう帰って来なかった。電話もない。

雅己は警察に電話をした。警官が二人来て二人の話を聞き屋内を見て回るが、事件性があるのかは今は判断できないと言われた。成人の家出である可能性もあるという見解は納得しかねるが、警官の言う通り数日様子を見ることにする。隣近所の聞き込みをしてくれることは約束してくれた。ただ、その成果は上がらなかったが。

その日から、二人は夫婦の家の留守を守り、帰りを待ち続けた。

1週間待って、雅己は捜索願を出し受理された。

以来、さしたる手がかりはない。これが概要だ。

そして、実は。

この件が現実の失踪事件としてだけでなく、こうしたオカルト雑誌の取材を受けることとなったのにはもう一つの理由がある。

先ほど、鬼来雅己の親戚に不幸が重なっていたと言った。それが問題だった。

先祖から代々伝わる、呪い。『鬼来家の呪い』だ。

その話題は超常現象サークルにのめり込んだ大学時代から、譲と雅己の冗談の種だった。群馬県の山奥に鬼来姓の住民、12軒の鬼来村がある。村と言うよりは郷というべきか。その里には様々なしきたりや風習があり、その中に住人は里を出てはならないと言うものがある。女は外に嫁に行っても構わない、しかし男はいけない。鬼来の姓を名乗る男は村を離れてはならない。それを破ったものには災いがあると古くから言い伝えられていた。

その為か昭和、それも戦後となるまで村を離れるものはほとんどいなかったらしい。戦後60数年、ようやく村の外で暮らす鬼来姓のものが次第に増えて来た。とはいえ、全部合わせても6軒に足らずと言うのはこの近代では珍しいだろう。

当時、雅己も呪いの効力はないと言っていた。

しかし、ここに来て突然、その呪いが発動し始めたのだ。

ここ2年余りである。村を離れた鬼来の姓を持つもの達が次々に亡くなっている。病死、事故死、過失火事、自殺・・・死亡状況は様々だった。通り魔に刺されたというものもある。犯人は精神病者で不起訴になった。

他府県出身の配偶者はいずれも無事。子供はどの家庭もいなかった。

村外に6軒あった親戚はあっと言う間に、鬼来雅己とおじ夫婦だけになってしまったのだ。そして、2週間前、おじ夫婦も消えた。残るは雅己のみ。

 

              霊能者達

 

「あのねぇ。」

霊能者が突然、声を出した時、譲は何度目かの欠伸を噛殺していた。

「この夫婦がどこにいるかわかったような気がするわ・・・。そう、姉と私の意見は一致している・・・。」

「センセの霊力の源泉ですわね。」嫌みではなく、真面目に星崎が応じる。

二人の写真が畳の上に戻された。「近いっちゃ近いわね。」

「それは、いったいどこなんです?近所?近所のどこなんでしょう?僕と譲も自分達なりにこの辺りは一応、捜したんですけど。警察の話では近所の人が怪しいことに気が付いたことはなかったし、誰も目撃してないって言うんですけれど。」

「いや、それは正確じゃない。確か、キライ、怪しい男達がいたって話があったじゃないか。」正確を記する譲が口を挟むが、雅己は反論する。

「大型バンに乗った男達だろ?時間的にはもう譲がいた頃だし、あれは無関係だよ。」

そう言い放ち即座に質問を再開しようとするが、基成勇二はそれを封じるように両手を広げた。

「待って、今、整理するから。そうね・・・近いわ。近いんだけど、ちょっと説明が難しいの。」

「なんでも結構ですから。」編集長が小型レコーダーのスイッチを押す。

「先生の感じたことなら。どんな荒唐無稽なことだってOKです!」

「荒唐無稽なら荒唐無稽なほど、記事になるってもんでさ。」

編集者達の本音が満ち溢れる室内に譲はため息を殺す。雅己だけが隣の霊能者を見ていた。ただ、目の光は強い。

「たぶん、ここ。」勇二はオールバックに撫で付けた短い髪を掌で叩く。

「ここ?」

「ここって・・・ここ?」

「そう、この家。」

全員が、言葉を失う。一瞬後、全員が声を揃えた。

「この家ですかっ?!」

「そんな馬鹿な!」譲の声がひときわ大きい。「この家の中は、僕とキライが何度も捜したんですよ!」

「おい、ほんとによく捜したのかよ、キライよぉ。」

「はい、そのはずです。」青ざめた雅己が平に返す。「警察にも見てもらったんです。屋根裏も床下も。車もガレージも、庭先だって・・・」

そうだ。まるで埋められた死体を捜すかのように庭を点検する警官達に譲はたまらなく不快になったのだ。しかしその結果は、『異常なし』だった。

「この家だけはありえない。」

「なんなら、また俺達で捜すか?」平の提案にはうんざりして口を開き変けた時、大きな音が室内に響いた。譲はすっかり存在を忘れていた助手を振り返る。

フンとでも言いたげに女は再び、今度は小さく手を叩いた。

「その必要はないわ。」

騒ぎの間、静かに思いに耽っていた兄が手を挙げ場を制する。

「説明が難しいっていったでしょ?それはね、ここはここでも次元が違うわけよ。」

「次元・・・?」

「譲くん、次元ってわかる?」譲をからかうようにチラリと見た。

大きな目だけに睫毛が長い。媚態のような妙な視線が気色悪かった。

「馬鹿にしないでください。次元ぐらい理解できます。」

「異次元ってことですよね?」またもや、星崎は興味津々。

「そうね。そう言うのが一番、分かり易いわね。」

「つまり、この家と重なった違う次元のどこかに二人はいるということですか。」

雅己はあくまで冷静だ。「だから僕達には見付けられない・・・。」

「そんな馬鹿な。」大学時代はそう言った話が文句なく大好きだった譲だが、怪しい話が生業になってからは懐疑的になりつつある。

「でも、譲。」雅己が振り返った。

「あの時のあの感じはさ、なんだかバミューダ消失事件みたいだったじゃないか。」「現代の幽霊船か。」譲にも確かにその片鱗は感じられた。

「現代の幽霊船!いいじゃない、そのタイトル、譲くん。」星崎編集長が指を振る。

「普通の家庭から突然、人間が消失する!それは怖いわ!読者の注意を引くわよぉ。」

「何者かに寄る拉致、異次元への失踪!確かに。受けること間違いなしでっさ!」

平はくやしそうに続ける。なんで桑聞社はこういう一般大衆受けする話題がタブーなんだよと身悶えする。できれば自分の本のネタにしたかったのだろう。

ああもう、この編集達と来たら。話が進まないではないか。

「先生、続きをお願いします。」いつの間にか、当事者の雅己が仕切っていた。

「じゃあ、続けるわね。」

基成勇二もさるもので、観客をけして急かしたりはしない。

「まずね、誰かがこの家の空間に穴を開けたわけ。」

「穴・・ですか。」「分かり易く言うとね。」霊能者は笑みを浮かべた。

「その穴で私達の今いるこの次元とどこかの次元を繋げたわけね。」

「・・いったい誰が?」

「どうして二人はその穴に入ってしまったんです?。」

「まぁ、それはおいおい。」霊能者は観客に背中を向けている。顔が見えない。

「とにかくぅ、そこに二人はいるようなのよね。たぶん、眠っているんだと思う。眠らされたのか、自発的なのかはわからないけど。こことは違う空間だから・・防御本能から自然に眠ったのかも。それからその穴だけど・・・その上からねぇ、なんて言うの?色々な空間・・・空間って言うか霊道って言った方が私的にはふさわしいかしらね。そういうのを寄せ集めて覆っちゃったって感じよ。そうだ、ねぇエレファント。」ふいに譲の後ろに顔を向けた。

エレファントと呼ばれた妹が即答する。あだ名らしい。

「この家の北には何があるかしら?」

「A神社だ。」

「東は?ちょっと誤差はあるだろうけど、塚かなんかない?」

「古戦場。首塚だね。」

「反対側には墓地?」

「D寺がある。」そうやって兄の質問を次々とクリアして行く。

勿論、地図を手にしているわけではない。この助手はこの家の周辺の図面をすべて頭に入れているのだ。つまりこれらはすべて霊能者、基成勇二ご一行のパフォーマンスの一つだと言うこと。そう譲は確信する。

「先生、ご説明を。」頃合いを計るように絶妙の合いの手を星崎緋沙子が入れた。

「つまりね、この土地にはもともと色々な霊道や次元の歪みがあったわけ。勿論、この家の近くを走っていたりこの家に影響を与えていたものも当然あるわ。そういうのをね、引き寄せて穴を塞いだんだと思うの。」

「誰が?」だから、誰が。その質問にはやはり霊能者はまだ答えない。

「だから私はね、これからそれを一枚、一枚引っぱがしていこうと思うわけ。」

あまりにもさりげなくそう言っただけであった。

「引っぱがした後で、どうするんでしゃろ。」

平編集が鼻毛を抜きながら譲に訪ねる。

それより、譲は『鬼来家の呪い』の方が気になっている。

その関連性に付いても、未だに霊能者はこの場でくわしく言及していない。


スパイラル・スリー 第一章-2

2014-02-20 | オリジナル小説

        1.霊能者御一行様

 

                 

 

            怪異に飲まれてはいけない。

         怪異に飲まれてはおまんまは食えない。

         それは星崎編集長のいつもの口癖だ。

 

 

岩田譲はその台詞を改めて今、自分に言い聞かせている。

言い聞かせながら・・・10畳はある仏間を用心深く見渡している。

そこは田畑が残る郊外の一軒家。新宿から伸びる私鉄が開通し延長されるに伴い開かれていった土地である。以来数十年、今や成熟したかつての区画分譲地は世間からは高級住宅地と呼ばれている。なんと言っても庭が広い。これは現在の建て売りではまずありえない。よく手入れをされた建物同様、やや古びた昭和の感じが高級感に更なる憧憬をプラスしている。

彼のいる和室は、庭に面した広い応接間に隣接し、白かった壁は落ち着いたクリーム色になって黒光する柱と馴染んでいる。仏壇を挟むように天井から床まで藍染めのタペストリーが2枚。それらを中心にすべての家具が低めに配置されていた。

生活感がありながらも落ち着いた空間だ。

しかし今は、住人の都会的な趣味の良さに目を向ける余裕などはない。

何もかもが薄暗く思わせぶりに感じられ、なんとなく不気味にさえ見える。

そこで改めて下腹に力を入れて息を吐き、譲は不安と期待を同時に押さえ付けた。

タペストリーと仏壇による縦のライン。低い家具の中にあって、目の前の仏壇だけが細長く背が高い。黒を基調にした開かれた観音扉の中、赤と銀の金箔の縁取りが鮮やかに目につく、雲と蓮の彫刻の飾り段は四段。その上部にはある古びた位牌。掠れた金箔の文字は『鬼来家先祖代々』と読める。埃ひとつなかった仏壇は今ではうっすらと白くなっている。下段の陶器の三角錐の黒い香炉からは薄紫の線香の煙が立ち上がっていた。

その香炉の前には壮年の夫婦の写真が置いてあった。寄り添って笑う二人。それを見る度に譲は混乱する。自分の身内ではない。だが、まったくの見知らぬ他人でもない。その写真は今は観客からは見えない。見えないが、おそらくふっとい2本の指に挟まれ、これまた規格外に大きな額の真ん中に押し当てられているはずだった。

譲の真ん前、仏壇の正面に鎮座している大きな人間のその額だ。さきほどから、譲はこんもりと盛り上がったその背中をずっと凝視しているのだ。背後から見るとまるで横幅と座高が巨大な三角形のお握りのようだった。色が黒い所がまた、海苔を張り付けたそれに似ている。

もうすぐ午前10時。もう既に小1時間ほどが過ぎていた。

今朝は忙し過ぎて、コンビニのお握りを2個しか食べられなかった。

腹が鳴る音が響き渡るのだけはなんとしても阻止したい。再び気合いを腹に込める。

晴れているとはいえ、まだ3月末。暖房はついていない。譲はダウンジャケットを着たまま室内にいた。他の観客も同様。実は目の前にある大きな山を覆っているのも、ツヤツヤの毛皮だった。一財産はしそうな豪華な毛皮のコート。

いったいミンクを何匹殺せばこんな巨大な毛皮になるのだろう。美しい毛並みには罪もなく殺された動物達の怨念が詰まっているような気がしてくる。しかしそんな怨念などは・・それを着ている女、ではない男・・いや、おっさんだ・・・には屁でもなんでもないのだろう。なにせ彼は霊能者なのだから。

 

一時間前。

「ダメだわ~。コンタクトが取れない。」

仏壇の前に座り込んでいた霊能者が開口一番、首を傾げながらこう言った。

「まあ~ぁ!、センセったら。」

それでは記事にならないので編集長が泣きを入れる。

「センセィほどのぉ、お方でもぉ、そういうことあるんですのぉ。」

「あるんですのぉよぅ。」

霊能者、基成勇二はでかい。すべての部品がでかい。

そのでかい頭を乗せているのも見たことないほど太い首だ。

「私ほどの霊能者では、滅多にないけれことだけどねぇ・・・まぁ、それが栄えある今回ってことになるのかもしれない。どうしょお、緋沙子ちゃん?。」

おいおい、まさか、これで霊視終了?と声に出さずに譲。

「あの~ですねぇ・・・それでは困るんですのよ、センセィ。何か、感じることとかありませんか。なんでもいいから・・・どんなことでもいいから、ありません?」

それはなんでもいいから適当に創作せよということではないよな、と譲は眉を潜める。焦る編集長は目の前の青年の背中に手を伸ばし、柔らかくつっ突いた。

「ほら、雅己くんからも。なんか、お願いして。」

雅己と呼ばれた青年はハッと背筋を伸ばした。霊能者はその青年へと顔を向けた。

「あのねぇ、雅己くん。あなたのおじさんとおばさんは確かに生きてはいるわ。でもそれはねぇ・・・こんな言い方をすると悪いけど・・・辛うじて死んではいないっていうような状態なの。ごめんなさいね、デリカシーがない言い方で。とにかく、見えているけどコンタクトが取れないって言うのが近いかしらね。まるで箱に丁寧に仕舞われたような状態よ。それも和紙で幾重にも包んでさぁ。」

霊能者は暖房もない室内でうっすらと汗でもかいているのか、しきりにハンケチで額を拭う。その白い布は豪華な刺繍で縁取りされている。

「それにしても、変な空間よね、ここって。そう、この家の中よ。たぶん、そのせいかしらね・・・こちらからは何も働きかけることができない・・。空間が捩じれまくってるの、あなた達は感じない?。」

もちろん、まったく感じない人々はしばし顔を見合わせた。

ようやく、霊能者の横に座った青年が思い切って口を開く。

「あの・・それって?いったい、どういうことなんでしょうか?」

青年の声は掠れ、横顔は疲労を隠せない。

「でも・・・間違いなく、生きてはいるんですよね?」

確認を取るとやっと笑顔らしきものが唇の端にこぼれた。「良かった・・・」

その様子を苦々しく譲は見守る。

「それが・・・そう、良くもないのよねぇ。」

霊能者はソーセージのような太い指で耳の穴をぐりぐりと掻き回した。

「あの先生、僕達にもちゃんとわかるように説明して欲しいんですけど。」

つい、たまらず口を挟んでしまった。生きていたと言われただけで、目の前の青年があっさりと安堵してしまったようなのがは気に入らなかったのだ。

「いったい、どこにいるんですか?何があったんですか?それが知りたいから・・・こうしてお願いしているわけじゃないですか。」

「まぁまぁ、そう焦らないの。」霊能者は不信感丸出しの矛先を軽く交わすかと思いきや・・「まったく、譲くぅんてばぁ。いかがわしい霊能者の言うことなんか、頭っから信じないって姿勢なんだからぁ。」

あろう事かギシギシと畳を言わせながら体を180度、譲に向かって回転を始めたではないか。「編集部で初めて会った時からずっとそうよね、緋沙子ちゃん。」

譲の目は黒目のデカイ大きな瞳にロックオンされていた。

「冷たい視線に冷たい言葉なんだからぁ。私、ほんとに哀しいわん。」

「まぁ~、センセイったらぁ!そんなこと、絶対、あるはずありませんことよぉ。」

編集長からの露骨な肘鉄。『仕事なんだから、我慢するの!』そんな声が聞こえて来そうだ。「さぁ、謝って。譲君からもお願いするのよ!」

「すいません。」譲は仕方なく頭を下げた。顔を上げると福猫のようにふくふくとした男の顔が目の前に・・・それもすっごく目の前にあった。

「良かったぁ。私、譲くんに嫌われているかと思ったぁ。」

キラキラした瞳の巨漢に見つめられることほど居心地の悪いものはない。この男にはその手の噂はないが、自分は自称少女なのだとのたまわっていることはもう業界では有名な話なのだ。『前世は姫だった』それも『地球とは違う星の双子の姫だった』とか『自分は死んで生まれ変わったが、片割れはまだ生きている』『その片割れが私に遠い宇宙から霊波を送って来る』そんな不思議かわいいキャラがまずはテレビで話題になった。そして実は、姫発言に較べるとあまり注目されていないが『魔物は身近に存在する』『自分は魔物ハンターだ』とか、検証不可能な発言の数々もある。いわゆる不思議系霊能者としてマスコミには分類されている。しかし、その実力は馬鹿にできない、霊視がなかなか当たると評判を呼んでいるのだ。

会社での初対面で譲はその不思議ちゃんに『ズバリ、私のストライク!』そう言われてしまった。そう言われて譲が張り付いた笑顔以外、浮かべることができなかったのは仕方があるまい。ひょっとして霊能者全般が信じられないのではなくて、この男だからか。ついつい不信感が先に立ってしまうのだ。

そんな胸の内を知ってか、知らずか「じゃあ、私、がんばっちゃうわね。」

目の前のでかい男は再びその体重で畳を軋ませ始める。

「ええ!もうほんっと、よろしくお願いしますわ、センセ!さぁ、あんたもよ。」

譲は再び畳に頭を押し付けられた。もう顔が擦り付くほどだ。編集長だったら、会社の為に社員の一人や二人、売り飛ばすことなど厭わないだろう。そう思うと背筋がまた違う方向から寒くなって来る。

「とにかくぅ。」前を向いた霊能者は嬉々として話を続けている。

「お二人がこの家から消えたことは確かなんだから、ね?普通はそこから・・例えコンタクトが取れなくてもよ、場に刷り込まれた残留エネルギーを読み取っていけばおのずと真相は見えて来る・・・そのはずなんだけど。」

「はずじゃないってことは、いったい全体どういうこってすか?」

別隣から大きな音量のガヤが入るが霊能者は一人、考え込んでいた。

「おかしいの。空間が歪んでいるだけじゃない・・最初はそのせいで読みにくいのかとも思ったんだけど。でもこれは違うような気がする。どちらかというと・・何も残ってない、辿れないっていうのが正しいのかも。なんだか・・・何もかも消されている感じ。きれいさっぱりとクリーニングされたみたい。ね、おかしいでしょ?」

「消されているって・・・誰がどうやって痕跡を消したと?」

ね?と言われて同意出来るわけはないのだが、記事にならなくては編集長は困るのだ。

「まさか。それって・・・つまり超自然的なものですか?。センセのよくおっしゃる『魔物』?それとも、人為的な?どっちなんでしょうか?」

「そうねぇ。」額に入った当事者二人の写真を持ち改めて直す。つくづく眺めた後。

「そう、これは霊的だけども・・結局は人為的なものだわね。」ついに断定した。

この決定は既に聞いていたものとなんら変わりはなかったのでため息を吐く。そんな譲を事情をしらされていない雅己が不思議そうに振り返る。

「私の姉もそう言っている。」

出たよ。『姉』という言葉に思わず譲は現実の『妹』である弟子を振り返ってしまった。あぐらをくずして腕を組んでいた弟子は仏頂面で指を上に付き出す。『宇宙のだよ』とでも言ってるらしい。それにしてもこの小馬鹿にした態度は弟子らしくないような。その後ろで『私と匹敵するぐらいの霊能者の仕業』と霊能者がつぶやいていた。

ここぞとばかりに編集長とその隣が膝を乗り出す。「人為的ぃ!?」

「相手は何者ですの?稀代の霊能者基成勇二VSいったい誰なんです?」

期待で声まで裏返っている。

「ひょっとして、サイキックウォ~ズでっか!こりゃ、巻頭見開きから話題騒然!、完売間違いありませんでぇっ!」

ダミ声はひたすら無責任にその場を盛り上げる。

日本や世界で名のある霊能者の名が幾つか飛び交かった。勿論、それはオフレコだ。

正直、編集としては面白くなりそうな予感に譲だって興奮したいところだ。つまり、当事者は無視して無責任にと言うことなら。おそらくもう編集長は、見出しのあおり文句をいくつも物色しているだろう。

「あらあらぁ。」さすがに霊能者の巨体も身じろぎした。苦笑いでもしたのだろう。

「平さんも緋沙子ちゃんも、それはまだまだ、早急過ぎるってもんよぉ。」

「でもでも、センセ~」と『緋沙子ちゃん』の声がすがりつく。

「なんとか、お願いしますわぁ。この件はまとまり次第、さ来月の巻頭でどかんと掲載する予定を実はもう立てているんですの。勿論、センセの写真は見開きアップです。表紙に名前をドーンとブチ抜きで入れようと思ってますしぃ。内容が1回で収まらないならば、2回、いえセンセのエッセイとは別にしてもう、連載にしたってぇ、構わないと思ってるんですから。とにかく、センセィは人気があるんですの!どうにかこうにか、もっともっと面白そうなっていうか、(ごめんね、雅己くん)センセーショナルな霊視をお願いいたしたいというのが我が社の正直なところなんですの。」平と呼ばれた男もだみ声を重ねて来た。

「とにかく霊能者、基成勇二ファンのハートをグッと掴む内容でお願いしまっせ!そうなりゃ、どうしたってこうしたって、こりゃもう売り上げ倍増、間違いなしでしょ!うちの雅己だってそうなりゃ、編集者の端くれっす。こうして自らネタとなって、表舞台に立ったかいもあるってもんだ。な、雅己?とにかく本が売れてなんぼなんですっから!編集者面目躍如ってやつですわ!そうだろ、おい?」

謝られ相づちを迫られ忙しい雅己だが、特にどちらも気にする様子もなく淡々とした会釈を肩越しに二人に返す。それから改めて霊能者に向かって深々と頭を下げた。「基成先生、僕からもよろしくお願いします。」

こういうところが自分が彼にはかなわないところなのだとは譲自身も自覚している。

「どうか真相を。」そう真相を。この霊能者にもし、できるものなら。

譲もそう心から願う。

「わかったわぁ。」目の前の肉の山は演出感たっぷりにため息を吐いた。

「なんだか、時間がかかりそうだけど・・・もう少し、やってみるわね。」

そう言うとでかい手に合わせた特注のでかい数珠を手に、再び仏壇に向かう。

「譲くんのためにもね♡」

それは言わなくてもいい一言だろ。

 

 

               編集者達

 

それからの小一時間である。

その結果が現在の譲の足の痺れと空腹であった。

もじもじと足を崩し手元に持っていたデジカメをダウンのポケットにしまう。

最初に活躍して以来、しばらくは出番はなさそうだと判断したからだ。

融のすぐ右隣に座っているのは譲の上司である星崎緋沙子。

『緋沙子ちゃぁん』である。

微動だにしないのはさすが。取材現場における姿勢が違う。

星崎は南新宿にある鉛筆ビルの1階から4階を占領する充出版で、月刊『怪奇奇談』の編集長をしている。『怪奇奇談』はタイトルから察するようにマニアックな月刊誌だ。正確にいえば、売り上げは悪くないが発行部数から言えば同人誌に毛が生えた程度。しかし毎月、ほぼ同じ部数が確実にはける本だ。

黒に近い濃紫のガリアーニのパンツスーツと同色のマニキュアが施こされた手。

譲は見るともなしに視線を移す。いつもよりは数少なく地味だが大きな石の指輪がはまった指。その拳で殴られれば、立派な凶器と化す。手は女性の年齢を現すと言うが・・骨張っているが染みや皺はまったく見られない。ただし、仕事柄爪は短かい。編集長は譲の母親よりはやや歳上、おそらく50代ではないかと思われる。はっきりとは知らない。正直、知りたくもない。しかし、星崎のバイタリティは20代の譲をしばしば軽く凌駕するのだ。細面の痩せた外観からは想像もできないことに、内側に強靭な骨を秘めた女傑であるのだ。

とにかく夜に滅法強く、酒も強い。仕事も飲み会も接待だってなんのその。

星崎の横、右隣に座っているのは飯田橋にある出版社、桑聞社に勤める平副編集長。

先ほどのだみ声の主だ。頭が不自然に下がっている。まさか、寝ているんじゃないだろうな。派手なのか地味なのかよくわからないテカテカした素材の臙脂色の背広姿。ネクタイは金色だ。思わず、あんたはルパン三世かと突っ込みたくなる。

彼が何故この場にしゃしゃりでているのかは譲にはよくわからない。いる必要があるのだろうか。あえて理由を捜せば彼はさきほど雅己と呼ばれた、この一件の中心人物の上司であり、仏壇に向かってさっきからずっとお経か呪文か知らないが、何かを唱えている霊能者を紹介した張本人であること。そして彼はちょっと大きな仕事が一段落したばかりで暇であり、好奇心旺盛で部下思いというか世話を焼いては嫌がられるタイプで、社内でも有名な出たがりのしきりやで有名無名を問わず作家の引っ越しから記者発表に授賞式、果ては個別のパーティや飲み会まで、とにかく色んなとこに顔を出すのが大好きな人種だというのが思い当たる。

平と雅己の勤める桑聞社は充出版とは較べようもない大手出版社で、そもそも根本から違う格調高い科学雑誌を出している。例えば同じUFOをひとつとっても内容は雲泥の差となる。霊能者などという怪し気な存在を真っ正面から取り上げるなどということは、絶対にありえない。もしもそんな企画を編集者が編集会議に出してみたとしても、まず相手にされない。最悪、一蹴りされたあげく、編集長からお小言の1つや2つくらいかねない。そういうわけで平副編集長の手には余るような企画・・自社では利用出来ないが一般受けしそうな怪しいネタは、当然のごとくいつも星崎のもとへともたらされる。

(星崎から平へのキャッシュバックもあると譲は睨んでいる。)

更に充出版は桑聞社の下請け編集社のひとつでもあった。それ故、両社のパイプは世間で知られているよりも格段に太い。その編プロとしての収入は本来の出版収入と比較して馬鹿にできないのだとは、酔った編集長からよく聞かされる話だ。

平が仲介したこの霊能者に支払われる金額はおそらく一件、30万。モロモロ合わせて30万とかではない、個々の相談一件につきキッチリ30万ずつというのが世間での噂だ。到底、そんな大金が弱小出版に払えるわけなどないのだが・・・星崎は人気霊能者の長期連載という、いわば効果無限の宣伝掲載で相殺していた。税金対策からか、相手の方も謝礼ではなく原稿料という形を快諾したらしい。

さすが星崎緋沙子、やり手である。

譲の斜め左後ろには霊能者の助手と称する女が座っている。助手は2人いるが、もう一人の助手は隣の応接間に視界には入らないが直立不動の姿勢でいるはずだ。

この二人、あまりにも霊能者本人に似ているので星崎にこっそり聞いてみたら、やはり兄妹弟であった。妹の方は無愛想で目つきが悪く、まげのようなヘアスタイルからどう見ても相撲取りが黒いジャージを着込んだ姿にしか見えない。毛皮を着込んだ兄に較べて、えらい軽装だが寒くはないらしい。反対に弟はつぶらな瞳で愛想が良過ぎる上に・・・日本のどの一般家屋にもまったく不釣り合いな5Lの黒い燕尾服をびっしっと着込んでいる。霊能者の秘書兼執事なのだという。

いずれにせよ、話題性が命の業界。霊能者と瓜3つ。エキセントリックな輩達としか言いようがない。

霊能者の隣、譲の斜め右前に座っているのが鬼来雅己だ。

先ほどから雅己と呼ばれていた若者である。

平副編集長の直属の部下であり、そして星崎緋沙子からは絶対なる愛と信頼を捧げられている若者である。端正な横顔は大学時代、サークルの下級生からキャーキャー言われていた頃のそのままだ。譲と雅己は大学時代からの同窓の友人なのだ。そして現在は同業者。

雅己の方はまだ足は痺れていないようだった。柔らかい色素の薄い髪が額に伸び、うつむいたままの顔色は相変わらず白鑞のように白い。ただし、最初の頃のような憔悴はもう見られなかった。ここに来てなんだか、胆が座ったような気がする。

疲労は隠せないが、むしろこの状況を楽しんでいるようにさえ見えなくもない。

誰にも遠慮なく譲は右に左にと首を傾向けた。キョロキョロする譲に、後ろの弟子の無遠慮な視線が先ほどから注がれていたが、譲はまったく気が付かない。

雅己も星崎も神妙に目を閉じ、霊能者に習っている。平はおそらく寝ている。

なので譲は音を立てずに欠伸をし、こっそり痺れた足も前に伸ばす。

身内の不幸が面白おかしく騒がれるのはいったいどういう気持ちであろうか。

いい気持ちではあるまい。編集者という己の職業を呪いたい気持ちも湧いたのではないだろうか。

とにかく、よくも悪くも今日この日を迎えることができたのは星崎緋沙子、編集長のおかげである。

星崎の強い意志。なんだかんだ言っても真相は雅己を案ずるあまりの愛である。

ただし、愛していても算盤を弾いてしまうのが女編集長の悲しい性であるが。

例えこの後、どう転んだとしても霊能者の法外な諸費用は充出版が全額持つ。

それだけは雅己にとってせめてもの幸いであった。


スパイラル・スリー 第一章-1

2014-02-20 | オリジナル小説

             悪魔達

 

赤い水滴が落ちて来る。

水滴は床に置いてあるバケツの中で規則的に粘り気のある音を立てている。

バケツにたまっているのはどす黒くなりつつある血液だ。

天井から吊るされた人間を男は無表情に見つめていた。

さっきまで瀕死で逆さまにつられ呻いていた人間はもう何も発しなくなっている。

切り裂かれた首の頸動脈から吹き出した血はバケツを3つ汚した。

「血とはなんだ?」誰ともなくつぶやく。

「このわたしにも流れている血とは・・・いったい何ものなのか。」

男が見つめているのは滴り落ちる血だ。

「命とはなんだ?何の意味がある?」

その男を先ほどから魔物が見つめている。ただ男だけを。天井から鉤でぶら下がっているものには一瞥もくれない。

最初、部屋に籠っていたむせ返るような生臭い香りは今はもうしない。

鮮血の放つ御しがたいエネルギーを魔物がじっくりと味わったからかもしれない。機械的に魔物は問うた。「御前、どのように始末しましょうか?」

(つり下げることや受け皿の用意、後始末はいつも魔物の仕事だ)

「死体ビジネスの組織が壊滅したことは痛とうございました。大陸の組織は既にこちら手を離れておりますから・・・御前が最近、手になさったこの国の組織にやらせるしかありませんが。それでよろしゅうございますか、ご指示を。」

「死体洗いに鎮めておくがいい。」『御前』と呼ばれた男はよくよく見れば老人である。しかし、陽にやけた浅黒い肌にはあまり皺がない。鷲に似た堂々とした風貌の持ち主で豊かな銀髪を広い額から後ろに撫で付けている。

「薬品で有機的に分解し、焼却してしまえば完璧だが。もうそんな時間もないか。」

老人と呼ぶには鋭すぎる目をしている。先ほど獲物の首を素手で切り裂いたその力も見れば、年寄りと呼ぶにふさわしいかどうか。

「だが・・・あの病院もそろそろ手放した方がよい頃か。」

「2年前に買収した那須高原の療養所でございますね。検体に紛れ込ませた死体ごと、高く売れる病院ですから売却に関しての心配はいりませんでしょう。では、こちらの死体はいかように?」

男の不興を買った運の悪い死体を見上げた。足首に刺さった鉤が揺れている。

「わたしが死んだ後であれば洪水になったところで知ったことか、そう言ったのは果たして誰だったかな?」円熟した声帯が張りのある声を放つ。

「御意。」魔物は礼儀正しく片足を折った。「山奥にでも捨てさせます。地の深くに。」

「それでいい。」

男はそれきり吊るされた死体への興味を失ったようだ。

「もうあのバケツも処分してよろしいですか?」魔物は自らが味わった残骸となった血液に目を移す。「御前は、血を見るのが何よりもお好きなようですから。」

男の機嫌が俄に曇ったようだ。「余計な感想などいらぬ。木偶の分際で。」

「ですぎたことを申したようです。」魔物は恐れずに続ける。

「木偶は木偶でも、私はちょっと違うという話は何度も申し上げたはずです。」

「減らず口を叩くその頭、もぎ取ってやろうか。」

「御随に。私にはなんのダメージもありません。しかし、御前にとってはこの体、貴重な一体なのではありませんか。」

「おかしな誤作動を繰り返す木偶ならば、惜しくはないだろう。」

魔物は密かにため息を付いた。この手の会話はもう何度も繰り返している。

「悪いがわたしは自分の目で確認できたことしか、信じないことにしている。」

それももう何度も聞いている。

「この世界に魔族、などというものがいるなどとは認めるわけにはいかんのだ。」

老人はニヤリと凄みを見せて笑う。機嫌が直ったと魔物は感じる。

「貴様とて、わたしが宇宙から来たなどとは信じていまい?お互い様だ。」

「私にとって・・・宇宙などは今の所、活動の範疇ではありませんので。」

「そうだろう。宇宙自体が強大な魔であり、神であるのだ。」

男はそう言って悦に入った。「こんなちっぽけな詰まらない星に巣食う魔など・・・存在したとしていかほどの価値がある?確かに、宇宙には別次元に生きる生命体がいるらしいが。それとて、宇宙と言う神の手の内の存在だ。そのドラゴンとかいうものをわたし自身が信じているわけではない。ただ、船乗り達の常識だというので敬意を払っているだけのことだ。」

男の視線はどこか遠くを見る。その脳裏に映るものに魔物は嫉妬する。

「膨大な宇宙にはわたしの常識を遥かに越えた様々なものがあることをわたしは認める。現実と隣り合う大きな次元の存在だって感じたことがある。しかし、この惑星のごとき矮小なものはどうだ?魔物なるものがいるとしたら、それはどこにだ?わたしには見えないし、感じられない。今まで誰からも報告がないということはありえないのだ。それは魔物が所詮、この星の人類の幻覚であるからだ。共有意識から立ち登った幻でしかない。よって、考えるだに馬鹿らしいということだ。」

魔物と呼ばれるものはそう話す男の顔をじっと見つめ続けている。

薄暗い室内だ。灯りは極端に落としてある。しかし、男にも魔物にも不自由は無い。

この男は眠らないのだ。魔物が男を知ったとき、眠らない人間というは初めてだった。人間が眠らないでいられるわけなどない。しかし、まぎれもなく男は人間だった。大海原を泳ぎ暮らすマグロのように脳の一部をきっと交代で休ませているのだとその人間は嘯いたものだ。はっきりした自覚はないのだがなと。男は定期的に人前から姿を消し、アルコールと共に椅子に納まり時間を費やした。そうしないと奇異の目で見られるからだと言った。タバコをくゆらし琥珀の液体を喉に静かに流し込む・・余興に人の命をついばむ。例え何もせず何も語らず、魔物とそこに居るだけであっても確かに男は眠らなかった。人間には睡眠障害というものがある。眠らない病を抱えた人間は、まず間違いなく短命に終る。だが、魔物の知る限り・・・互いが出会ってから既に130数年を経る。その頃から既に男は年老いてはいた。そして今もそのままだ。あまりにも様子に変化がない。もうすぐ死ぬ、死ぬと言うが未だに死なないのだ。

そして時々先ほどのように、気まぐれに男は自分の記憶を語る。

話しているのはおそらく自分自身に向けてなのだろう。ナポレオンを見たとか、ヒトラーに会ったことがあるとか。魔物にはその真偽はわからない。人間の時代の英雄にもあまり興味がなかった。難しいことや様々な体験も魔物にはほとんど理解できない。正直、男が語ることが嘘でも真実でもどっちでも構わなかった。

もともと『なぜ』『どうして』ということに魔物は関心がない。

同じように眠りを持たない魔物にとっては、願ってもないパートナーであるということだけが重要なのだ。男が特殊で特別な人間なのだということが。

「では御前、あなたの目の前にいる私をいったいなんだと思ってられるのですか?」

男の笑みは残酷で嗜虐的になった。

「貴様などは古い玩具に取り憑いたバグに過ぎないと、いつも言っているだろう。」

そんな笑みを見ると魔物はたちまち焦燥を忘れる。

この笑みを目にした人間・・・それは今も天井から下がっている、ただの肉の塊。魔物の餌でしかない人間達・・・泣きわめき、怖れ哀願し、失禁する。逃れられないとわかった時の絶望は自失状態から苦痛と表裏一体の恍惚へと変わって行く。そのすべてを含めて魔物はむさぼり食らう。立ち登る、恐怖で一気に饐えるエネルギー。ざらざらとした苦みと酸味に溢れた極上の『ワイン』。

魔物は人間達の間では長年にわたり、『吸血鬼』とも呼ばれていた。

「取り憑く『何か』があることは信じられるのに?」

「人工知能というものは学習能力があるのだよ・・・妄想や狂気というものを産み出さないとも限らない。この星の人類の常識や感情パターンを取り込み続けた結果だ。しかし残念ながら、わたしはそういうものを研究するような学者ではない。あいにくだが研究過程だったおまえを強奪しただけだ。便利だったからな。」

「では、恐怖の存在も否定なさる?」

魔物は『血』と『恐怖』を愛している。

これにも男もせせら笑う。

「おまえに恐怖の何がわかる?」

ピリピリした怒りの香り。「人は殺す価値がある。殺す価値だけがあると言ってもいい。おまえにはない。殺す価値も無いもないがらくただ。」

男こそ、けして恐怖を覚えたことがないようだった。

この男の回りには常に『恐怖』が絶えることがないのに。

魔物はふと思い出す。

自分と同じように『恐怖』を愛した悪魔がいたな。会ったことはないが、古くから存在する有名なヤツだ。噂では何百年も前から誰からも競争相手とされなくなったと言う。特定の魂にかかずらわって、その魂の『守護霊』にまで身を落としたとか。『なんと愚かしい』魔物は軽蔑しつつも目の前にいる男を改めて見つめ直し『特定の相手への執着はわからくもない』と思った。だが、自分はそれに囚われたりはしないだろう。相手が死んだ後までも、追いかけ回すなどありえない。

この自称宇宙人との関係も男が死ぬまでのこと。

魔物はいつものように手順に従い、男の支配下にある階下にいる人間達を呼ぶ。

慣れた様子で死体を処理する間も手下達はけして分厚いカーテンに閉ざされた窓際に座る男の方は見ない。死体の事も必要以上には見ようとしない。彼等が内心、男を極度に恐れていることが魔物を酔わせる。歯触りの良い恐怖。

「では、片付けて参ります。」魔物は一礼し、男だけを一人室内に残す。一人になっても眠らない男には何の危険もないだろう。自分の身は自分で守る以上のことができる男なのだ。魔物はしばしこうやって男の側を留守にする。

ブルーシートに包まれた肉体と血の入ったバケツを下げた手下達の動きは慣れたと言ってもどこかぎこちない。魔物はその背後から長い階段を降りて行く。彼等が自分のことも恐れていることも魔物には心地が良い。

「急げ。」マニュアルに任せて口を動かす体。その肉体から黒い煙のように渦が溢れ出す。例え背中を向けていなくても手下達は気付きもしないだろう。この建物にいる人間の中でそれを見ることも感じることもできるものは誰もいないと魔物は知っている。霧のように渦巻いた魔物の本体は現実とは別の次元へとにじみ出て行く。残された体は決められた動作とふさわしい台詞を如才なくこなしながら配下のもの達をせき立て建物の地下の駐車場へと入って行った。

魔物には男にも告げていない、別の仕事がある。