「それではおぬしはだ、悪魔がその辺をウロウロすることを許したというんだな。」
その夜、シドラ・シデンは離れで上司を糾弾していた。
声は押さえているが、気の小さい人間ならば裸足で逃げ出したくなるような怒りのオーラがおどろ線を描いて迫ってくるようだった。
「そうですね。そういうことになりますね。」
そんな迫りくる気の気配を誰よりも感知するはずのアギュレギオンは目を三角にして怒っている部下をちゃぶ台から涼し気に見上げていた。長い足を折り畳んで窮屈そうに座っている。まるでなんで怒ってるかわからないとでも言いたげな小首を傾げたその姿勢は特大のワームドラゴンを背負ったシドラ・シデンに対するには、傍観するガンダルファから見るとなんだか危険な予感がする。シドラの膨らんだ鼻の穴がその前兆の最たるものだと彼は密かにおののいていた。
「悪魔だけじゃない!おのれの采配によるとだ、あの馬鹿天使までも離れに出入りすると言う訳か。」
上司をおのれ呼ばわりするシドラの剣幕にもびくともしない大物ぶり。隣室の境まで後退していたガンダルファとタトラは思わず感心する。
「そういうことになりますね。アケガラスさんは今、イタリアに戻って引っ越しの準備をしてくるようですけど。ナニかモンダイがありますか。」
アチャーとガンダルファは思わず額に手を当てる。
アギュの奴ついに火に油を注いだぞ。思わず襖を閉めかけるタトラを止める。
こんな面白い見せ物は最後まで見るしかない。
当のシドラ・シデンは相手のあまりに無防備な言い草にウッと一瞬声を詰まらせた。上司に向かってあるまじき罵声を浴びせるか、握りしめた拳で殴りつけるか、どちらかを選ぶべきか迷ったあげくにさすがにフリーズしたものとガンダルファは見る。
「まあまあ。」と持ち場を離れずに安全地帯から口を挟んだ。こういう場合、不用意に間に入ったものこそ一番のとばっちりを食うと決まっている。
「きっとさぁシドラ、アギュだって考えもなく決めた訳じゃないと思うよ。」
「当たり前だ!」シドラの押さえに押さえた堰が切れた。
「考えもなく決められてたまるか!わざわざだ、敵を腹中に飼おうっていうんだからな、この元帥様はな!はっ!まったくだ!」しばらく呼吸を整える。
「・・・ちゃんとした考えがあるんなら、ぜひとも聞かせてもらおうじゃないかっ。」
レンガのように言葉をぶつけられたガンダルファは『ほらね、とばっちり』と肩をすくめる。殴られなかっただけでもましか。
足がしびれたわけでもないだろうが、足を引き出して組み直すアギュを見た。
「アギュ、勿論・・・あるんだろ?」
その顔を見て、ガンダルファは突如理解する。
あきらかに彼等の上司は面白がっているだ。
「まあ、そうですね。あるような、ないような。」
案の定、アギュの返事ときたら抑揚のついたふざけたものだった。
命知らず、いや臨海進化体は死なないことになってるからいい気なものだが。
シドラに当たられるこっちがたまらない。
「アギュ~頼むからさ。」ちゃんと応答してよと、泣きが入る。
その前にシドラ・シデンが得意気にアギュに指を突きつけていた。
「ハッ!やっぱりだ。おぬしに考えなんかあるもんか。おぬしはだ、ただ単に面白いから、それだけでやっているのだ。それだけでこの『竹本』を、我々を巻き込んだんだ!そうに決まってる!おぬしはわかっていないんだ。渡に付きまとう悪魔をここに出入りさせるってことはだ、ユリは渡と離れないんだぞ。つまりだ、ユリまで訳のわからない危険にさらされる可能性が高くなるじゃないか!」
「はい・・・わかりました。わかってますよ。」
シドラが一気に捲し立て終わるのを待って、どうしようもない上司は声を上げて笑いだした。
「アナタのおっしゃる通り。面白がってるってところはね。」
かつてアギュレギオンには、ほんの欠片も興味も向けてなかったシドラ・シデンだが、ここのところの上司に対する観察力は必要に迫られて磨きがかかって来ているようだ。
ガンダルファも息を吐き出した。
「なんだ、ちゃんとわかってるんじゃん、シドラもさ。」
「いや、わかってませんね、ガンダルファ。ワタシだってリスクは覚悟の上です。」
アギュは華やいだ笑みを部下達に向けた。
「さあ、タトラ説明してあげてください。」
「うむ。実はじゃの・・」タトラがガンダルファの足下からにじり出ると、ジンがレイコに向かって叫んだ言葉に対する発見を手短に説明した。
「デモンバルグは何らかの取引できる情報を持っておるとみた。わしも奴を手元においておく事に賛成じゃ。」
「なるほど・・・手近で監視しようってことか。」
「フン。監視などと言って・・・馴れ合って、取り込まれることがオチではないか。」シドラがジロリとガンダルファを見る。相手は身じろぎする。
「なんだよ、シドラ。」
「ミイラ取りがミイラにならぬようになって。いいか、我はだ、オヌシだけに言っているのだ。」
「失礼な。相変わらず失礼だなぁ。」頭をかく。
その様子を黙ってみていたアギュの顔からは笑顔が消える。
「オレは、デモンバルグとトリヒキをした。」
「取引?」一人称が変わったことに部下達は少し戸惑う。
「ヤツはかつてこの地にあった古いフネのことを知っていた。」
「まじで?」戸惑いはすぐに消える。「それはすごい・・・認めたんだ。」
「そうだ。このホシの古代には確かにソラに浮かぶ巨大なフネがあったそうだ。」
「わかるもんか。そんな話。」これは、シドラ。「いくらでも言える。」
アギュはシドラをしばし見る。瞳が揺れ、又口調が変化した。
「信憑性は確かめようがありません。でも、手がかりのひとつであることは確か。」
アギュが畳から立ち上がる。
「勿論、ワレ々は独自にも捜し続けます。カレがフネの埋まってる場所を素直に白状するまでは。」
「白状?・・・はぁ、なんだ、すぐに教えてくれるわけじゃないんだ。」
「やっぱりな、嘘に決まってる。」
シドラがこれ以上ないほどに意地悪く呟いたとき、離れのドアが開く音がした。
「嘘と思う奴は思うがいいさ。」
部屋から丸見えの玄関のたたきの上にデモンバルグが芝居がかった仕草で登場した。
「とにかく、俺っちはだ、俺様の要求が入れられるまでは俺の持ってる情報はこれっぽっちもだ、おまえらには教えたりしないってことだ。」
「あのなぁ・・・要求っていったいなんだよ。」
ガンダルファが面倒くさそうにジンを中に誘った。相手はそれを待たずに既に靴を脱ぎ捨てている。軽々と室内のど真ん中に入って来た。それも、シドラの隣だ。
「渡といることさ。俺をここから追い払わないで欲しいんさ。」
「な、なんだって。」シドラが隣で詰め寄るが、ジンはスルリと躱す。逃げられたシドラは自分の上司の方を鋭く睨んだ。
「おぬし、まさか・・本当に悪魔と取引?。悪魔と取引するなど・・・信じられん。」
「まるでファウストじゃの。メフィスト・フェレスじゃ。」
タトラがにんまり笑う。
「まぁ、アギュどのはどう転んでも魂を取られる心配がないから安心じゃの。」
「冗談じゃない、アギュはいいけど僕らが代わりに取られるかもしれないじゃないか。」
シドラはフンと失笑したが、ガンダルファは真剣だ。
「アギュさぁ、こういう未開星の言い伝えとかはさぁ、軽視しない方がいいと思うよ。まちがいなく、不吉なんだって。悪魔なんかと契約したらさ、絶対悪いことが起こるに決まってるじゃないか。」
「それもまた、宇宙人類とは思えぬ発言だがのう。」
ついにタトラも面白がり始めたようである。
「確かにのう、ガンダルファの言うことももっともかも知れんぞ。」
「言ってくれ。我とバラキがこんな奴、この世界から全力で消してやる。やってやる。試させてくれ。一言でいい、我に命令してくれ。」
口々に言い募る部下達を見るアギュの目は誰よりも輝いている。
その目がジンと合った。ジンは眉を上げ、片目をつぶった。
「おまえも大変さね。」
アギュは表情をを引き締めた。デモンバルグを見据えると事務的に口を開く。
「ソチラの言い分ではワタルが成年に達するまでこのままでいたいと。そうでしたね?」回りも言葉を切って注目した。
「ワタルが成年に達したその後に、ワレ々をフネの現在のアリカへと案内すると。」
「そうさね。まぁ、船があるというか・・・かつてあった場所とでもいうのかねぇ。」
デモンバルグは神興一郎の何食わぬ顔で嘯く。
「俺っちも確信があるわけではないけどさ。まぁ、見つけるのはお前らの仕事ってことでさ。」
「ハン!なんともいい加減な話だな。」シドラが我慢しかねて、割って入る。
「こんな山師の適当な話に乗りおっておぬしは貴重な時間を費やするというのか。」
「まぁ、それもいいではないですか。」アギュがやんわりと「時間ならワレ々にだって結構たっぷりあるでしょう?ワタルが大人になるぐらいなら、ほんの数年です。」シドラが更に何かを言おうとするのを手で制す。
「デモンバルグにはワタルが成長する、と言うことがどうやら重要なことらしいのです。興味深いでしょう? 今のところそのことが・・・ワタルのタマシイを追い回してるカレのモクテキにとって、どのようなイミがあるのかまではわかりませんがね・・・」
その探るような鋭い視線をジンは軽く肩を竦めて躱した。
「まあな。別に成人に達しなくてもほんとは俺っちは構わないんだけどさ・・・友好的にやると決めた以上、力ずくでここから今すぐ攫って思い通りにするっていうのもどうかと思ってるわけさ。そんなことをしたって渡の協力が得られなきゃどうしようもないっていうのも正直あるし。」
「なるほど・・アナタの目的にはワタルの協力が不可欠なわけですね。」
又、土壇場で自死されたら敵わんのだとまではさすがにデモンバルグも言えるわけはない。そんなことを知られたら、話がややこしくなるばっかりだ。
特にユリと言う子供とその父親・・・不可思議な人類であるアギュレギオンと普通の子供にしか見えないユリとの親子関係をデモンバルグはすんなりと受け入れたわけではない。今だに懐疑的に思っている。しかし便宜上だとしてもだ・・・悪魔を居心地悪くさせる眼力の持ち主であり、渡の守護者気取りを常に隠さないユリの保護者には・・・言わないが無難だった。
「とにかくだ、パスポートを取って、自分の意志でだ、出歩く自由を手に入れてもらわないことには、どうにもならないってことさね。」
「それは・・・」ガンダルファがその先を続ける。
「船はこの日本にはないってことか?」
「捜したんだろ?お前らも。なかっただろが?」
「つまり。フネの在処にはワタルも連れて行くということですね。」
アギュがさりげなく言った言葉にデモンバルグ以外はハッと息を止める。
「アナタのモクテキと・・ワタルの存在とフネの在処は係わりが深い。」
「まいったな・・・」ジンは眉を上げた。「さすが、進化した人類様だ。」
ニヤニヤ笑いと嫌みには何かを反らす目的があるのだろうか。アギュは悪魔の面の僅かな動きも見逃すまいとしている。それはそこにいるメンバー全員がだったが。
「深いと言ってもだ、行きがかり上とでも言っておくか。」
ジンは涼しい顔でそう言うと踵を返した。
「今のところ、これぐらいで勘弁してもらうさ。これ以上、あんたと顔を突き合わせてるといつの間にか大事な鎧が丸裸って言うのも困るからさ。」
「逃げるのか。」シドラが立ちふさがる。
「逃げないって、ここにずっといてやるってさっきから言ってるだろがネエちゃん。」
「誰がネエちゃんだ。」ガンタに加えてこれ以上、兄弟が増えるのはシドラには我慢ができない。「我はおまえ等、容認するつもりはこれっぽっちもないからな。」
「はいはい。」神興一郎はシドラとしばし、無言で迫り合ったが勝ったのはジンだった。シドラは見かけによらないジンの腕の力に内心の驚きを隠して引き下がった。「・・・バカ力が。」「悪魔の底力をなめちゃいかんよ、ネエちゃん。」後ろ姿で答える。「ネエちゃんはやめろと言ってる!」
「ジン殿。」さっきから黙っていたタトラがふいに口を開いた。
「継承の螺旋とはどういう意味だの?剣を守る盾の巫女とは具体的にどういう役割を持っていたのじゃろ?」
靴を履くジンの動きが止まる。
「この間のジン殿の台詞は、わしは巫女の役割を解消する為の古代のなんらかの呪文のひとつとみたのだがの。」
「こりゃ、驚いた。」そういいつつもジンはけして振り向かない。
「もう、解読したんかい。まったく、油断も隙もないさ。桑原、桑原・・・」
「答えろよ、デモンバルグ。おいジン、お返事は?」ガンダルファが声を強める。
「さあね。どっかで聞きかじったものさ。もう、忘れたさね。」
最後に引き戸に手をかけて振り返った。
ジンの目は奥に立つアギュレギオンの目を捜した。
「というわけでさ。詳しくは後ほどってわけさね。」
「いいでしょう。」アギュも身じろぎもせずに相手を見返した。
「アナタがワタルを連れ出す時、必ずワレ々も同行する・・・そういうことで。」
アギュは他のメンバーに声を低める。
「フン、そんなこと。こやつが実行に移さなかたったら、それまでではないか。」
「大丈夫。」アギュは笑みを含んで悪魔に顎を向ける。
「ワレ々出し抜いて、渡を連れ出すなどと。このワタシの目を盗んでそんなことができるか、どうか。ねぇ、どう思いますか、ジン?」
「ハン、まったくだ!」ジンが肩をすくめる。
「それは、ほんと、この悪魔だって自信がないさね。正直なところさ。」
その答えを引き出したアギュは再び、部下達を見回す。
「そういうわけです。おそらくシドラ・シデンにはもう察しがついていると思いますが・・・。ただひとつ、問題があります。」
「ユリだな。」シドラがうなづく。「ユリが知ったら、絶対に承知はしまい。」
アギュも深くうなづいた。
「この取り決めは、ユリとワタルにはヒミツです。特にユリには知られてはならない、と言うことなのです・・・」
「難しいの。」「まあ、なんとかするしかないか。」
タトラとガンダルファ、シドラ・シデンは渋々うなづく。
「・・・上司の命令なら仕方がない。」
「了解じゃ、隊長殿。素知らぬ振りは得意じゃ。」
「まぁ、バレたらバレたってことで。どっちみち、その時が来たら隠せるとは思えないし。
それまでってことだろ、アギュ?。」
「そう。それまでってことです。」
その時、どういう展開になるのか。今からそれを待ち望む気持ちがある。
どんなことになるのか。何があきらかにあるのか。
それまで、たった8年。
「よっしゃ。」
魔族はそう笑うとガンダルファのリクエストに応える為か背後の闇へと解けるように消えてみせる。
「契約、成立さね!。」
残された声だけが虚空から響いて消えた。