MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ完了

2010-07-29 | Weblog


ここまで読んでいただた方、ありがとうございました。
どうにかツウが終わりました。

特に9章はほとんどできたところで
ジンが魂だ魄だ言い出して
書いてる当人も頭がこがかがってしまいまして・・・
大幅に書き直したりしなければならなくなってしまいました。

アップしたあとでも
まだまだ改訂だあるかもしれない・・・と戦く日々です。
なるべく早めに直すように心がける所存でいますので
誤字脱字等、笑ってお見逃しくださいますように。

しばらく間が開いてしまうような感がありますが。

よろしければ、またこの世界にお付き合いくださいますことを願っております。


感謝をこめて。

CAZZ

スパイラルツウ-10-2

2010-07-29 | オリジナル小説



「それではおぬしはだ、悪魔がその辺をウロウロすることを許したというんだな。」
その夜、シドラ・シデンは離れで上司を糾弾していた。
声は押さえているが、気の小さい人間ならば裸足で逃げ出したくなるような怒りのオーラがおどろ線を描いて迫ってくるようだった。
「そうですね。そういうことになりますね。」
そんな迫りくる気の気配を誰よりも感知するはずのアギュレギオンは目を三角にして怒っている部下をちゃぶ台から涼し気に見上げていた。長い足を折り畳んで窮屈そうに座っている。まるでなんで怒ってるかわからないとでも言いたげな小首を傾げたその姿勢は特大のワームドラゴンを背負ったシドラ・シデンに対するには、傍観するガンダルファから見るとなんだか危険な予感がする。シドラの膨らんだ鼻の穴がその前兆の最たるものだと彼は密かにおののいていた。
「悪魔だけじゃない!おのれの采配によるとだ、あの馬鹿天使までも離れに出入りすると言う訳か。」
上司をおのれ呼ばわりするシドラの剣幕にもびくともしない大物ぶり。隣室の境まで後退していたガンダルファとタトラは思わず感心する。
「そういうことになりますね。アケガラスさんは今、イタリアに戻って引っ越しの準備をしてくるようですけど。ナニかモンダイがありますか。」
アチャーとガンダルファは思わず額に手を当てる。
アギュの奴ついに火に油を注いだぞ。思わず襖を閉めかけるタトラを止める。
こんな面白い見せ物は最後まで見るしかない。
当のシドラ・シデンは相手のあまりに無防備な言い草にウッと一瞬声を詰まらせた。上司に向かってあるまじき罵声を浴びせるか、握りしめた拳で殴りつけるか、どちらかを選ぶべきか迷ったあげくにさすがにフリーズしたものとガンダルファは見る。
「まあまあ。」と持ち場を離れずに安全地帯から口を挟んだ。こういう場合、不用意に間に入ったものこそ一番のとばっちりを食うと決まっている。
「きっとさぁシドラ、アギュだって考えもなく決めた訳じゃないと思うよ。」
「当たり前だ!」シドラの押さえに押さえた堰が切れた。
「考えもなく決められてたまるか!わざわざだ、敵を腹中に飼おうっていうんだからな、この元帥様はな!はっ!まったくだ!」しばらく呼吸を整える。
「・・・ちゃんとした考えがあるんなら、ぜひとも聞かせてもらおうじゃないかっ。」
レンガのように言葉をぶつけられたガンダルファは『ほらね、とばっちり』と肩をすくめる。殴られなかっただけでもましか。
足がしびれたわけでもないだろうが、足を引き出して組み直すアギュを見た。
「アギュ、勿論・・・あるんだろ?」
その顔を見て、ガンダルファは突如理解する。
あきらかに彼等の上司は面白がっているだ。
「まあ、そうですね。あるような、ないような。」
案の定、アギュの返事ときたら抑揚のついたふざけたものだった。
命知らず、いや臨海進化体は死なないことになってるからいい気なものだが。
シドラに当たられるこっちがたまらない。
「アギュ~頼むからさ。」ちゃんと応答してよと、泣きが入る。
その前にシドラ・シデンが得意気にアギュに指を突きつけていた。
「ハッ!やっぱりだ。おぬしに考えなんかあるもんか。おぬしはだ、ただ単に面白いから、それだけでやっているのだ。それだけでこの『竹本』を、我々を巻き込んだんだ!そうに決まってる!おぬしはわかっていないんだ。渡に付きまとう悪魔をここに出入りさせるってことはだ、ユリは渡と離れないんだぞ。つまりだ、ユリまで訳のわからない危険にさらされる可能性が高くなるじゃないか!」
「はい・・・わかりました。わかってますよ。」
シドラが一気に捲し立て終わるのを待って、どうしようもない上司は声を上げて笑いだした。
「アナタのおっしゃる通り。面白がってるってところはね。」
かつてアギュレギオンには、ほんの欠片も興味も向けてなかったシドラ・シデンだが、ここのところの上司に対する観察力は必要に迫られて磨きがかかって来ているようだ。
ガンダルファも息を吐き出した。
「なんだ、ちゃんとわかってるんじゃん、シドラもさ。」
「いや、わかってませんね、ガンダルファ。ワタシだってリスクは覚悟の上です。」
アギュは華やいだ笑みを部下達に向けた。
「さあ、タトラ説明してあげてください。」
「うむ。実はじゃの・・」タトラがガンダルファの足下からにじり出ると、ジンがレイコに向かって叫んだ言葉に対する発見を手短に説明した。
「デモンバルグは何らかの取引できる情報を持っておるとみた。わしも奴を手元においておく事に賛成じゃ。」
「なるほど・・・手近で監視しようってことか。」
「フン。監視などと言って・・・馴れ合って、取り込まれることがオチではないか。」シドラがジロリとガンダルファを見る。相手は身じろぎする。
「なんだよ、シドラ。」
「ミイラ取りがミイラにならぬようになって。いいか、我はだ、オヌシだけに言っているのだ。」
「失礼な。相変わらず失礼だなぁ。」頭をかく。
その様子を黙ってみていたアギュの顔からは笑顔が消える。
「オレは、デモンバルグとトリヒキをした。」
「取引?」一人称が変わったことに部下達は少し戸惑う。
「ヤツはかつてこの地にあった古いフネのことを知っていた。」
「まじで?」戸惑いはすぐに消える。「それはすごい・・・認めたんだ。」
「そうだ。このホシの古代には確かにソラに浮かぶ巨大なフネがあったそうだ。」
「わかるもんか。そんな話。」これは、シドラ。「いくらでも言える。」
アギュはシドラをしばし見る。瞳が揺れ、又口調が変化した。
「信憑性は確かめようがありません。でも、手がかりのひとつであることは確か。」
アギュが畳から立ち上がる。
「勿論、ワレ々は独自にも捜し続けます。カレがフネの埋まってる場所を素直に白状するまでは。」
「白状?・・・はぁ、なんだ、すぐに教えてくれるわけじゃないんだ。」
「やっぱりな、嘘に決まってる。」
シドラがこれ以上ないほどに意地悪く呟いたとき、離れのドアが開く音がした。

「嘘と思う奴は思うがいいさ。」
部屋から丸見えの玄関のたたきの上にデモンバルグが芝居がかった仕草で登場した。
「とにかく、俺っちはだ、俺様の要求が入れられるまでは俺の持ってる情報はこれっぽっちもだ、おまえらには教えたりしないってことだ。」
「あのなぁ・・・要求っていったいなんだよ。」
ガンダルファが面倒くさそうにジンを中に誘った。相手はそれを待たずに既に靴を脱ぎ捨てている。軽々と室内のど真ん中に入って来た。それも、シドラの隣だ。
「渡といることさ。俺をここから追い払わないで欲しいんさ。」
「な、なんだって。」シドラが隣で詰め寄るが、ジンはスルリと躱す。逃げられたシドラは自分の上司の方を鋭く睨んだ。
「おぬし、まさか・・本当に悪魔と取引?。悪魔と取引するなど・・・信じられん。」
「まるでファウストじゃの。メフィスト・フェレスじゃ。」
タトラがにんまり笑う。
「まぁ、アギュどのはどう転んでも魂を取られる心配がないから安心じゃの。」
「冗談じゃない、アギュはいいけど僕らが代わりに取られるかもしれないじゃないか。」
シドラはフンと失笑したが、ガンダルファは真剣だ。
「アギュさぁ、こういう未開星の言い伝えとかはさぁ、軽視しない方がいいと思うよ。まちがいなく、不吉なんだって。悪魔なんかと契約したらさ、絶対悪いことが起こるに決まってるじゃないか。」
「それもまた、宇宙人類とは思えぬ発言だがのう。」
ついにタトラも面白がり始めたようである。
「確かにのう、ガンダルファの言うことももっともかも知れんぞ。」
「言ってくれ。我とバラキがこんな奴、この世界から全力で消してやる。やってやる。試させてくれ。一言でいい、我に命令してくれ。」
口々に言い募る部下達を見るアギュの目は誰よりも輝いている。
その目がジンと合った。ジンは眉を上げ、片目をつぶった。
「おまえも大変さね。」
アギュは表情をを引き締めた。デモンバルグを見据えると事務的に口を開く。
「ソチラの言い分ではワタルが成年に達するまでこのままでいたいと。そうでしたね?」回りも言葉を切って注目した。
「ワタルが成年に達したその後に、ワレ々をフネの現在のアリカへと案内すると。」
「そうさね。まぁ、船があるというか・・・かつてあった場所とでもいうのかねぇ。」
デモンバルグは神興一郎の何食わぬ顔で嘯く。
「俺っちも確信があるわけではないけどさ。まぁ、見つけるのはお前らの仕事ってことでさ。」
「ハン!なんともいい加減な話だな。」シドラが我慢しかねて、割って入る。
「こんな山師の適当な話に乗りおっておぬしは貴重な時間を費やするというのか。」
「まぁ、それもいいではないですか。」アギュがやんわりと「時間ならワレ々にだって結構たっぷりあるでしょう?ワタルが大人になるぐらいなら、ほんの数年です。」シドラが更に何かを言おうとするのを手で制す。
「デモンバルグにはワタルが成長する、と言うことがどうやら重要なことらしいのです。興味深いでしょう? 今のところそのことが・・・ワタルのタマシイを追い回してるカレのモクテキにとって、どのようなイミがあるのかまではわかりませんがね・・・」
その探るような鋭い視線をジンは軽く肩を竦めて躱した。
「まあな。別に成人に達しなくてもほんとは俺っちは構わないんだけどさ・・・友好的にやると決めた以上、力ずくでここから今すぐ攫って思い通りにするっていうのもどうかと思ってるわけさ。そんなことをしたって渡の協力が得られなきゃどうしようもないっていうのも正直あるし。」
「なるほど・・アナタの目的にはワタルの協力が不可欠なわけですね。」
又、土壇場で自死されたら敵わんのだとまではさすがにデモンバルグも言えるわけはない。そんなことを知られたら、話がややこしくなるばっかりだ。
特にユリと言う子供とその父親・・・不可思議な人類であるアギュレギオンと普通の子供にしか見えないユリとの親子関係をデモンバルグはすんなりと受け入れたわけではない。今だに懐疑的に思っている。しかし便宜上だとしてもだ・・・悪魔を居心地悪くさせる眼力の持ち主であり、渡の守護者気取りを常に隠さないユリの保護者には・・・言わないが無難だった。
「とにかくだ、パスポートを取って、自分の意志でだ、出歩く自由を手に入れてもらわないことには、どうにもならないってことさね。」
「それは・・・」ガンダルファがその先を続ける。
「船はこの日本にはないってことか?」
「捜したんだろ?お前らも。なかっただろが?」
「つまり。フネの在処にはワタルも連れて行くということですね。」
アギュがさりげなく言った言葉にデモンバルグ以外はハッと息を止める。
「アナタのモクテキと・・ワタルの存在とフネの在処は係わりが深い。」
「まいったな・・・」ジンは眉を上げた。「さすが、進化した人類様だ。」
ニヤニヤ笑いと嫌みには何かを反らす目的があるのだろうか。アギュは悪魔の面の僅かな動きも見逃すまいとしている。それはそこにいるメンバー全員がだったが。
「深いと言ってもだ、行きがかり上とでも言っておくか。」
ジンは涼しい顔でそう言うと踵を返した。
「今のところ、これぐらいで勘弁してもらうさ。これ以上、あんたと顔を突き合わせてるといつの間にか大事な鎧が丸裸って言うのも困るからさ。」
「逃げるのか。」シドラが立ちふさがる。
「逃げないって、ここにずっといてやるってさっきから言ってるだろがネエちゃん。」
「誰がネエちゃんだ。」ガンタに加えてこれ以上、兄弟が増えるのはシドラには我慢ができない。「我はおまえ等、容認するつもりはこれっぽっちもないからな。」
「はいはい。」神興一郎はシドラとしばし、無言で迫り合ったが勝ったのはジンだった。シドラは見かけによらないジンの腕の力に内心の驚きを隠して引き下がった。「・・・バカ力が。」「悪魔の底力をなめちゃいかんよ、ネエちゃん。」後ろ姿で答える。「ネエちゃんはやめろと言ってる!」
「ジン殿。」さっきから黙っていたタトラがふいに口を開いた。
「継承の螺旋とはどういう意味だの?剣を守る盾の巫女とは具体的にどういう役割を持っていたのじゃろ?」
靴を履くジンの動きが止まる。
「この間のジン殿の台詞は、わしは巫女の役割を解消する為の古代のなんらかの呪文のひとつとみたのだがの。」
「こりゃ、驚いた。」そういいつつもジンはけして振り向かない。
「もう、解読したんかい。まったく、油断も隙もないさ。桑原、桑原・・・」
「答えろよ、デモンバルグ。おいジン、お返事は?」ガンダルファが声を強める。
「さあね。どっかで聞きかじったものさ。もう、忘れたさね。」
最後に引き戸に手をかけて振り返った。
ジンの目は奥に立つアギュレギオンの目を捜した。
「というわけでさ。詳しくは後ほどってわけさね。」
「いいでしょう。」アギュも身じろぎもせずに相手を見返した。
「アナタがワタルを連れ出す時、必ずワレ々も同行する・・・そういうことで。」
アギュは他のメンバーに声を低める。
「フン、そんなこと。こやつが実行に移さなかたったら、それまでではないか。」
「大丈夫。」アギュは笑みを含んで悪魔に顎を向ける。
「ワレ々出し抜いて、渡を連れ出すなどと。このワタシの目を盗んでそんなことができるか、どうか。ねぇ、どう思いますか、ジン?」
「ハン、まったくだ!」ジンが肩をすくめる。
「それは、ほんと、この悪魔だって自信がないさね。正直なところさ。」
その答えを引き出したアギュは再び、部下達を見回す。
「そういうわけです。おそらくシドラ・シデンにはもう察しがついていると思いますが・・・。ただひとつ、問題があります。」
「ユリだな。」シドラがうなづく。「ユリが知ったら、絶対に承知はしまい。」
アギュも深くうなづいた。
「この取り決めは、ユリとワタルにはヒミツです。特にユリには知られてはならない、と言うことなのです・・・」
「難しいの。」「まあ、なんとかするしかないか。」
タトラとガンダルファ、シドラ・シデンは渋々うなづく。
「・・・上司の命令なら仕方がない。」
「了解じゃ、隊長殿。素知らぬ振りは得意じゃ。」
「まぁ、バレたらバレたってことで。どっちみち、その時が来たら隠せるとは思えないし。
それまでってことだろ、アギュ?。」
「そう。それまでってことです。」
その時、どういう展開になるのか。今からそれを待ち望む気持ちがある。
どんなことになるのか。何があきらかにあるのか。
それまで、たった8年。
「よっしゃ。」
魔族はそう笑うとガンダルファのリクエストに応える為か背後の闇へと解けるように消えてみせる。
「契約、成立さね!。」
残された声だけが虚空から響いて消えた。

スパイラルツウ-10-1

2010-07-29 | オリジナル小説


10・悪魔との契約



アギュは静かに己の胸に手を置いていた。
『果ての地球』の空は薔薇色に染まっている。縁が黒くなりつつある山の稜線に向かって枯れた原がどこまでも続くようだ。その枯れ野も一程の夕日に一面に染められている。その情景を背後から突出した峰が見下ろしていた。
夕日を背負って振り向けば、360度の視界のすべて何もかもがクッキリと浮きあがるようだった。風はとても冷たく強い。しかし、それさえも草原全体を常に匿わしうねらせ、躍動的な美しさを演出している。まるで、自分がその波が奏でる指揮者であるかのような錯覚。アギュはここへ来て同じく始めて目にした海を思い出す。あの時は水。今は植物。ススキを始めとする絡まりあった秋草が風にあおられるままに根元から波立つ。その風の音にも負けずにアギュを中心に虫の音が波状に沸き上がり切れ目がない。

ここはアギュが始めてこの『果ての地球』に降り立った場所だ。霊峰と言われる山も赤く染まっている。ここを選んだのは、あの山に惹かれたのかもしれない。それと、軍隊の練習に使われる以外は立ち入りを許されない、どこまでも続く人気ない草むら。
これほどの美しい光景をこれまで見たことがあっただろうか
耐えようもなく美しいとアギュの内が震える。その衝動をここに来てから、ほぼ毎日のように感じ、反芻し噛み締めている。その度にそんな自分に新鮮な驚きを覚え、意外に思いながらも充実した喜びに満たされている。
この星は生きる事を謳歌しているのだと、アギュは実感する。
すべてが生きている。
アギュには暮れ行く空を背景に無数の泡のように生き物達の作り出す次元が浮き上がっては漂い、混じり合いそして消えて行くのがわかる。それはアギュの目にだけに見える風景。風に漂うシャボン玉が光を映し、反射し、花吹雪のように空間全体に吹き乱れる。その荘厳さはアギュにしてもとても語り尽くせなかった。
ここがユウリの愛した故郷と、アギュは呟く。ユウリが自分をここへと導いた。ユウリは自分をここへと導く為に存在し、そして死んだのか。ユウリがあれほど望んだところにユウリがいず、自分がいるということが不思議でならなかった。
二人で帰ろうと誓った場所に、1人で立っている・・・。いや、1人ではない。
アギュの体にはユウリの魂が今は眠っている。勿論、完全ではない。次元に飛び散った幾つかの魂の欠片はもう2度と取り返しは聞かない。それらは宇宙の果てに飛び去り、より大きな混沌の中で再び再生していくのだろうか。
アギュの内部のユウリは語らない。話をすることはできない。
ただ、ここにいる。この手の下、アギュの心臓のあった場所に。
アギュにはユウリが自分の中でいつか目覚めるのではないかという漠然とした根拠のない希望があるだけだ。かつて4年前、アギュレギオンの意識と繋がった渡が見たというアギュの内部で眠る少女。その話に最高に進化した人類、臨海進化体がどれだけ力づけられたか、渡が知る事はない。
アギュと418二人が1つになっていくように、ユウリもその仲間に加わってくれたならば・・・例えこの先、想像もつかないほどの膨大で孤独な時間が自分に架せられているとしてもだ・・・どうにか正気を保っていける自信がある。
そんな儚い希望が叶えられるまで、アギュはいくらでも待つことができる。
この時ばかりは自分に与えられた臨海進化体の呪われた宿命さえも嬉しく思えた。
我ながらご都合主義だなと口を曲げる。
「何を見てるのさ。」
不意に声がした。丈の低い草の上を影が長く伸びていた。
影は自分の影しかない。
「神月にもいないから、捜したさ。まさか富士を挟んでこんなとこにいるとはね。」デモンバルグは影を落とさない姿でいつの間にか隣に並び立っていた。
「ここは・・・美しいですから。」アギュの目は夕日を吸って濃い紫となった。
「そうかい。」デモンバルグは退屈そうに相手が目をやった夕日から目を反らした。
「俺にとっては普通な光景さね。見飽きたさ。」
夕日にひたすら目をそそぎ身じろぎもしないアギュレギオンを盗み見る。
「まるで・・・なんていうか。こういうの、お前らの星にはなかったのかい?」
「ないですね・・・というか。」アギュは深く息を吸って目を細めた。
「ワタシ自身が・・・こういう生きたホシに降りることは始めてなのです。」
「んん?どういうことさ?じゃあ、あんたらの住む星は生きてないのかい?」
「ええ、勿論生きてるホシもありますよ。ただ、ワタシが暮らしていたところは・・・ずっと人工のホシだけでした。一言で言えば、鉱物と鉄のカタマリですよ。」
「まさか、宇宙にはそんな星しかない、なんてことはないんだろ?」
「まさか。」アギュは微笑んだ。「ワタシが特別なんですよ。例えば、ガンダルファとシドラ・シデンの故郷のホシはとても美しいそうですから。ここよりもちょっとだけ乾燥しているみたいですけどね。スナのワクセイですが、内部にミズをためているようです・・・残念なことは、セイブツがここの半分もいないことでしょうね。」
「へぇぇ、そういうもんなのかい?」
「もともと、ワタシ達オリオン人の暮らすほとんどのホシは入植星ですから。ヒトの住めない環境のホシを改造したり、ヒトが生きる為にだけ合わせて環境を変えてしまったホシには・・・このようなセイブツの多様性はあまり見られないのですよ。ヒトに都合の悪いものは淘汰されるのが鉄則ですから。こういう純粋な原始星・・・特に前住生物がいてもジンルイが住んでいないなんてホシ自体・・ワレ々の世界にはもうほとんど残っていないのです。あえて、環境を保存する為に入植を制限するというハナシもワタシは聞いた事がありません。」
「こんだけ広い宇宙の中に?」
デモンバルグは思わず声をあげずにいられない。悪魔にだって細心の天文の知識ぐらいはある。
「おいおい、宇宙は無限に広いんだろ?今だって膨張してるって話だ。 そんなかでのお前らの世界がどんだけ広いのかは確かにしらないがさ。まさかこの太陽系よりは、狭いなんてことはないだろうし?」
「オリオン座を中心に半径ヤク10000光年・・・このホシは端の辺境です。」
デモンバルグは影のないジンの姿を取ったまま、ピューと口笛を吹いた。
「おいおい、そりゃ膨大じゃないか。大帝国だ。そんだけの広さがあるのに? なのに、ほとんどこういう星がないっていうのかい。なんで? やれやれ、嘘だろう?」
アギュは夕日から目を放し、デモンバルグをあえて見返した。
「ヒトは欲張りですから。」
その口調は素っ気なかった。
「ヒトは手に入るものはすべて手にしようとする・・・どのような小さな地面の上にでも己のシルシを残さないではいられない・・・それがニンゲンなのでしょう。宇宙の大自然の全てをもオノレのうちに従わせようとしているんです・・・それがワレ々、オリオン連邦に暮らすジンルイが約1億年もかけてやってきたことなのです。そして・・・それは7分がた達成されつつあります・・・。」
最後にアギュの口の端に残った皮肉な笑いにデモンバルグは気づいている。
「それは・・・その言い方じゃ・・・お前だって・・・確か、自分は人間だって言ってたと思ったがな。それとも、やはり俺と同じようなものなのかな?」
アギュは破顔する。それは泣き笑いとも取れよう。
「そう、確かに。ワタシも人間・・・ジンルイの端くれです。」
「端くれ?」言葉尻を聞き逃さない。
「ワタシは最高に進化したニンゲンと言われています。」
デモンバルグはマジマジと目の前の男を見た。アギュの目だけは今も、何よりも蒼い光を放っている。相手はデモンバルグの前にそっと手を差し伸べた。
その手は見る間に、先端から蒼く光り始めた。肉体が透明に薄くなり、血液と肉の変わりに光が充填されて行くようだった。
そうだった。これが、俺が始めて見た時のこいつ・・・ヒカリの姿だ、とデモンバルグは思う。人ではないデモンバルグの眼差しには普段の阿牛蒼一がいくら眩しいと言っても、こうなった時のヒカリの姿にはやはり遠く及ばない。
アギュの向こうに夕日は沈みつつある。豊穣の月のごとく膨れ、血のように赤く。
回りの光景を蹂躙していた赤色が急速に引き始め、草むらは背後から一気に黒い宵闇がまるで無数の蛇の群が這うごとく進軍していく。
その中に、蒼い炎の柱のようにアギュは燃え立っていた。
消える前の夕日とのその色合いのコントラストは壮絶なまでに美しい。
デモンバルグは今度は目を覆わなかった。その光景を味わっていたからだった。
見飽きた夕日がこうまで新鮮に感じられるとは。驚きを覚える自分に当惑した。
「それが・・・進化なのかい?」息を潜めるようにデモンバルグは尋ねていた。
「それに・・・なんの意味があるのさ。」美しいと言う以外に。
「さあ。」アギュは光の中心で寂し気に微笑んだ。「私にもわからないのですよ。」






スパイラルツウ-9-4

2010-07-29 | オリジナル小説


「さて。」
ガンダルファとシドラが神月の館の同じ部屋にいる。アギュとナグロスの会話は許されて彼等には筒抜けであった。
上の個室では、ナグロスが何十年も捜し続けていた麗子の遺骸に対面している。
彼女をどこにどうやって葬るのかは彼が決めることであった。
二人の話題はそのことではない。
「めんどくさいことになったなぁ。聞いたかい?」
「遊民の件か。」シドラは自分の色の薄い短髪に手を突っ込んでかき混ぜる。二人は小さな個室の応接セットに向かい合って座っている。昔はこのような部屋をシガールームとでも言ったのだろうか。隣は、かつて竹本八十助が作り上げた個人蔵書の納められた図書室の姿をできる限り再現した部屋と繋がっている。
「まずは実体調査だ。しばらく、監視するしかない。」
「でも、仙人の話によるとだ、既にかなり入り込んでるみたいじゃんか。」ためいき。
「混血もしてるみたいだし。全部、引っこ抜いて終了ってわけに行くかなぁ。」
「連邦法では明快だ。」
「明快か。この星を1歩出たらだろ。ここは治外法権だよ?」
「ここだって連邦の勢力圏外だ。連邦は堂々と権利を主張すればいい。」
「あのさ、ここに連邦法を持ち込むとするとだ、ユリちゃんの立場だって危うくなるんだけど。」
「そんなばかな。そんなわけあるか。」シドラが恐ろしい目で睨みつけた。
「ユリに手出しはさせないぞ。」
「まったく。都合良く法律を変え過ぎだよ、シドラ。」
シドラはいつものようにフンと鼻を鳴らしかけたが、唐突に黙った。
目が見開かれる。
「それどころじゃない。ユウリの欠片・・・だ。」
「はい?」ガンダルファが怪訝な顔をする。
「あれだ、アギュがもう1つ手に入れたユウリの欠片。」
「それがどうしたの?めでたかったじゃない。」きょとんとする相手に『この馬鹿が』と言いたげに手を振った。ガンダルファは要点が飲み込めない。
「ええと・・・アギュがあれも飲んじまったと思うけど、何か問題が?」
「バラバラになったユウリの欠片、いわゆる魂とかの欠片なんだろう? アギュが1つにして、それで本当に元通りになったのだろうか、と言ってるんだ!。」
「さあ・・・。」ガンダルファは正直に否定する。
「たぶん、なったんじゃないのかなぁ。」
「ならばどうして、ユウリは目覚めないんだ? だいたい、魂の欠片を集めてユウリは目覚めるのか? 1つになったのに、なぜ、目覚めないんだ?」
「目覚めるって言っても・・・アギュの中だしなぁ。」
ガンダルファの物憂げな呟きに、今度はシドラがハッとする。
「だって、体がないんだぜ。ユウリだって目覚めようがないんじゃないの?」
「・・・新しい体でもあればいいのか。」
「おいおい。」シドラの眉間に寄った皺にガンタが呆れて諭す。
「その発想、デモンバルグと一緒じゃないか。」
「なんだと!」弾けるように顔をあげたシドラの声がでかくなる。
「あいつと一緒にするなっ!」睨みつけられたガンダルファは肩を竦めた。
『ほんと都合良いんだから。』ガンタは心密かにドラコに呟く。
『ちょっくら思考回路が悪魔と似てるんだよな。そう思わない?』
(その考え、ドラコはノーコメントにょ。バラキに聞かれたら最後にょ)
『おそらく、もう聞かれてるんじゃないの?でもバラキも同じように思ってたりしてね。』
(バラキもノーコメントと言ってるにょ)


隣の図書室ではちっとも頭に入って来ない終戦直後の神月に言及している本を前にして、タトラが思いに耽っていた。
『ナグロスどのがいくら記録上は死んだことになっていたとしても、イリト・ヴェガに報告しないわけにはアギュ殿もいかぬだろうて。イリトがどう処理するか・・・おそらく母船にいる者の一部は連邦内部に直接、通じているものも多いはず。対処を謝れば命取りになるの。しかし、ユリ殿の血縁をむざむざ法で裁く為に、中枢にそのまま引き渡すというのも業腹なことじゃ。いっそアギュ殿のわがままの一環としてイリト殿に通してもらった方がいいのかもしれぬの。進言してみるかの。』
それにと。
タトラは既に母船を通して手に入れた、あるデータを既に自らの脳に注入していた。
『わしの脳の記憶分野はもうとっくに飽和状態になってると思っておったが・・・なんのなんの、まだまだ以外にメモリーが入るものじゃて。』
しばし、猫のように目を細めた。
『ジン殿が先ほどレイコどのの精神流体に叫んだ言葉じゃが・・・やはり、祖の人類の用いていた古代語に類似しているように思えるの。』
先ほどからタトラの頭の中ではジンの放った言葉が何度も正確に再生されていた。『繰り返し使われているのは、この巫女という単語、そして、螺旋・・・これはこのまま祖の古代語と共通しておる・・・全訳するには時間がかかるかもしれぬが・・・この『果ての地球』の古代語とも照らし合わせれば意外に早く解けるかもしれぬ。』
タトラは短い足をぶらぶらさせた背の高い椅子の上で居住まいを正した。
『やはりデモンバルグは祖の人類と出会っておると見て間違いない。いずれ奴の正体と目的も必ずや判明できるはずじゃ。』

旅館『竹本』の2階の廊下には渡が香奈恵とともにいる。
「えっ?香奈ねぇのお父さん、謝りに来てるの?」
屋根の定位置に腰を下ろして漫画を読んでた渡は思わず窓敷居に身を振り向ける。
「うん。」香奈恵はそこに顎を乗せたまま、下を指で指した。
「今、台所で大人の話合いしてる。真由美さんが引きずって来たみたい。おやじ、ママリンに土下座すんのかな。」
「ふーん・・・じゃあ、真由美さんってそんなに悪くないんじゃない。」
「そうみたいねぇ。」香奈恵は首を傾げた。「さっき玄関から入って来た時にチラッと見たけど、なんか雰囲気変わったわ。」なんだかキレイになったと感じた。香奈恵は真由美にじきじきお詫びをされ、おやじに頭を下げられ寿美恵に橋渡しを頼まれた。寿美恵や綾子、浩介と祖父が現れたその直後に香奈恵は上に追いやられたのだ。
「盗み聞きしなくていいの?」
「うん。まあだいたい、展開は見えてるしねぇ。お詫び行脚とか言ってたしさ。おやじ、大学の方からもキツく怒られたみたいだし。真由美さんも、しばらく発掘はお休みするって言ってた。世間に迷惑、かけたってね。」
「そうだよ。もうすぐ、赤ちゃん産まれるんだもんね。」
「でもさ。それより、なにより、驚いたのは飯田美咲よ。」
「飯田さん?魔族だった?来てたの?」渡は驚く。「あの人って・・実在したんだ」
「そうなのよ~驚いちゃうわよ!」香奈恵がブンブンと首を振る。
「本当に実在したのよ~一緒に来たのよ、騒ぎを大きくしたお詫びにって。やっぱり真由美さんが引きずって来たみたいなんだけど。だから今、下にいんのよ。ただ、たださ・・・」香奈恵は怪談でもするかのように声を潜めた。
「飯田美咲のさぁ、顔が違うのよ!顔がっ!」「顔?」「そう、まるで別人。なのにおかしなことに誰もそのことを問題にしないんだな、これがさ。」渡は腰を浮かせる。「本当?ちょっと見て来る!」そういうと漫画本を屋根に放り出した。
「行って行って、見て来なよ、早く。驚くよ、ほんと。」
せかされてバタバタと降りて行った渡が戻ってくるにはいくらも時間がかからなかった。廊下ごしに覗いたらしい。大人達に気づかれる前にすばやく撤収したのだろう。「香奈ねぇ!」慌ただしく4本足で階段を駆け上る。
「見た見た!本当だねっ!顔が違うよ!」「でしょ!」香奈恵も即座に応える。
「でしょ~っ!背の高さも違うしさ。ポッチャリしてるは、髪は茶髪だしさ。あの美女はどこに消えたのよ~って思わないぃ? なのに下の大人達は誰一人この矛盾に気が付かないななんて・・・これも魔族の力なのかしら?」
「なんか、面白い話してるじゃないさ。」
その時、渡の後ろから続いて階段を上って来たものがある。
「アクマ?!」「!」渡もびっくりして腹這いのまま振り向いた。

「顔が違うってことは、別人さ。お前らは偽もんを見せられてたってわけさね。」
「ジンさん・・・」渡は慌てて体を廊下に引き上げて座ったまま向き直った。
目が合うとジンがニッと笑う。
「ちょっと!なんでいんのよ。」香奈恵が前に出る。
「悪魔さん、ここはプライベートスペースよ!お客様の入って来るようなとこじゃないんだからね。」
神興一郎は予定を3週間に伸ばし、まだここに泊まっていた。
「まあまあ。」あきれ顔の香奈恵をジンはなだめた。
「こう騒ぎが多くちゃ客だって落ち着かないのさ。おかげで、さっぱりあきないけどね。今、飯田美咲の話をしてただろ?」
「そ、そうなんだよ。別人なんだよ。」渡がすがるようにジンを見る。
「別人なんだったらさ、本物はどうしてたの?ジンさんならわかるよね?」
「ああ、任せろって。簡単なことさね。」ジンは伸びをする。「もともと発掘に参加していた飯田さんって人はここには来てなかったんだと俺は思うね。おそらく、一人暮らしなんじゃないか?当人は部屋を1っ歩も出てないはずさ。名を騙って発掘に来て、みんなに飯田美咲だって思い込ませていた奴は俺と同じ魔族。つまり、別人って単純な話だ。」
「そうか。」香奈恵が何度もうなづく。「顔は渡の巫女のおばさんとよく似てたもんね・・・ジンさんが騙された目くらましと同じなわけだぁ。」
その当てこすりにジンは顔をしかめる。しかし、その暇もなくすぐ横から。
「飯田さんって人はじゃあ、記憶はないってことなの?でも、謝りに来てるよ。」
納得いかなさそうな渡にジンは面倒くさそうに、しかし丁寧に説明する。
「考えても見ろよ。自分以外の他のみんなはさ、当人が来ていたと思い込んでるんだぞ。証言があるわけだし、どっちにしても断れないじゃないのさ・・・自分でも記憶がはっきりしてないんだったら・・そうだったかもなんて思っちまうもんじゃないさ、人間の記憶なんてさ。あいつ・・シセリが実際にどうやったかなんては俺にはわかんないさ。ただ俺だったらさ・・・一人暮らしで後腐れなさそうな相手を狙って入れ替わる・・そいつはその間、ずっと夢現で寝ているわけさ・・・そして夢で何もかもしたかのようにこちらで起きた現実の記憶もおぼろげに残すわけ。俺なら、そうするかな。まっ、納得がいかなきゃ、当人に聞くしかないさ。なんなら、下行って聞いてくれば?」
そう言われると渡はもじもじと「いいよ、それは・・・」という横で香奈恵がじっと考え込んでいる。やがて顔を上げる。
「ふーん。私なんか、わかった気がする。」
じゃこの話はお終い!とジンは渡に言うと顔を向ける。
「それより、香奈恵ちゃんは俺を怖がるのはもう止めたんだね。」
「だって・・怖がったってしょうがないしぃ。」受け入れるしかないじゃんよと。
香奈恵も欠伸しながら、退屈そうに敷居に座り直す。ジンがその側の窓に凭れた。
「俺っちが君の母ちゃんと結婚する時はよろしくね。」香奈恵は悲鳴を上げる。
「いやー!それだけは止めてよ!」「ジン、ジンさんったら!からかわないでよ!」
「おや、渡くん。」嬉しそうに渡に目を移す。「俺は本気なんだけどさ。」
「嘘ばっか。」香奈恵は笑って口を尖らした。「私、若過ぎる父親はいやだもん。譲にぃも怒っちゃうよ。だから、ママリンだってきっと嫌がるよ。」
「そうかな。」と自信ありげなジン。
そうかなと渡も思う。寿美恵おばさんは喜んでお嫁に行っちゃいそうだけど。もしも、ジンさんが香奈ねぇのパパになんかなったらいったいどうなるんだろう?
香奈恵がさっきよりも砕けたものいいでジンを見る。
「それより、いつまで家にいんの?」
「そうさなぁ。」ジンは伸び伸びと腕を上の窓敷居に置く。「ヒカリ、いや阿牛さんじゃないけど、ここは人を惹き付けるもんがあるさね。俺っちもこの辺に家でも捜そうかな。」
「げげぇ!」香奈恵が唸る。
「あっ、じゃあこの間の屋敷なんかいいんじゃない?」思わず、渡が口にする。ユリが側にいたらとてもこんなことは言えない。
「・・・あの家?」
「もしかして、あのお化け屋敷?」
「キレイにしがいがある・・・なんちゃって。」
「おい、渡くんは俺にあの腐りかけた家を買い取れって言っての?しかも他の魔族が巣食ってた場所を?」
「ご、ごめんなさい!」渡は慌てた。「そうだよね、怖い魔物が巣食ってたってガンタが言ってたものね・・・気分悪いよね。」
「あら、ジンさんって他の魔物が住んでた場所は怖いわけ?」
「怖いわけあるかっ!」思わずジンは力んでいた。「俺を誰だと思ってんだ!これだから、色気を知らねぇ女は・・・」
「誰が色気がないって?」
「おまえの母ちゃんとはえらい違いだっての。寿美恵さんはなぁ、よく気が付くし色っぽいし・・・」
香奈恵の表情を見た渡は慌てて話を切り替える。
「いいよ、ジンさん。ちょっと言ってみただけだから。」
「まあ、それもいいわさ。」ジンはたちまち機嫌を直す。「色々、検討してみるさ、それより」渡だけに愛想を振りまくのも不自然だと思ったのだろう、膨れてる香奈恵にもご機嫌を取るように話しかける。「ジンさんていうのは他人行儀じゃないさ?お前らもジンって呼んでくれよ。」
「わかったわ、ジン。」香奈恵がふんぞり返る。渡は咳き込んで「じゃあさ、ジンさんも僕の事、『渡くん』なんて言わないでよ。渡でいいよ。」
「わかったよ。」ジンはついに勝利を勝ち取った。「渡、これからはよろしく頼むさ。」
「ここでは、悪いことはしないでよね。」
「OK、金輪際しやしないって。」
悪魔の満面の笑みを香奈恵はつくづくと観察していた。
『なに?こいつ?デレデレしちゃって・・・気持ち悪い。もともと悪魔なんて得体がしれないけど・・・』
その時、下から香奈恵と渡を呼ぶ声がした。
「おっと、ようやく話し合い終了ってわけさね。」
「なんだか、友好的な雰囲気じゃない?。うまく言ったみたいだね!」
確かに少し前から下から響いて来るのは笑い声ばかりだった。
「真由美さんがうまく謝らせたんじゃないの?」
「やっぱり、飯田さんにちょっと確認してみよう。」
渡がパタパタと階段を降りて行く。
「おもしろいねぇ。」ジンがニヤニヤ呟くのを立ち上がった香奈恵が睨みつける。
「あんたは呼ばれてないから、悪魔・・・じゃなくてジン。」
「いやそうじゃないさね。香奈恵ちゃん、あの真由美さんて人のお腹の子供さ。」
「?」「男か女か、あんたわかるかい?」
「わかるわけないじゃない、そんなの。」
「腹にいるのはさ・・・男の子なんだよね。」
「それがどうしたって言うのよ!私も、もう行くからね。ジンはさ、この辺、ウロウロしないでくんない。私の部屋とか絶対に入んないでよね!入ったらすぐにわかるんだからね。」「絶対に入んねぇって!なんなら、神に誓ってもいいさ!」
「どうだか!」香奈恵が振り向くとイーッとする。
「下着だってあるんだからね!エロ悪魔なんか信じられるもんですか!」
「あのなぁ。俺だって選ぶでしょよ。」
香奈恵の後ろ姿に言うとジンは軽々と窓敷居を跨ぐ。
「渡の部屋ならまだしも。」それは既に細部まで知っている。
渡の座ってた場所に腰を下ろすジンの口が独りでに動いていた。
「しかし・・・まったくさ。同情するさねぇ。盾の魂も気の毒にさ・・あんなとこに60年、混沌から脱出したくてしたくて・・・他に選べなかったんだろうけどさ・・・それにしてもだ。女にしか入らない『盾の巫女』が男の体に入るとはな。いったい、どうなっちゃうんだろうか。こんなことは、前代未聞だぜ。香奈恵の義理の弟になるのかよ・・・渡とあの魂・・・どういう関係を築いていくのかね。俺っちは今まであれとこれを引き離すことにばかり気を配っていたが。案外、それも悪くないかもな。今回はちょっと・・・逆に面白いかもしれないさ。もともと盾と剣は引き合うが結ばれる事は絶対にないわけだし・・・まぁ男同士だから、その心配は今回はもっとも低い確率になるわけだがさ。」
ジンは渡の座っていた屋根の場所に腰を下ろすと置き去りにされていた漫画本をパラパラと捲った。
「ふーん。真言で悪霊退治か・・・こんなの読んでんだ。今の流行かねぇ。」
本を放り出す。「真言なんて、こんなのさっぱり、俺には気かねぇけどな。」
今は誰もいない離れを見下ろした。
目を上げるとまだ空は充分に明るい夕暮れにシルエットとなった神月の山の稜線。目の前の暗い影となった山の中腹に微かな灯りが見えた。
渡がここにいつも座るのはあの灯り・・・神月の灯りを眺める為なのだろう。
ジンでありデモンバルグである男は悟る。
今は蒼い光とユリのいる神月。
不意にジンの形を取った肉体の中のデモンバルグは武者震いに襲われる。
「・・・しかし、おもしろいねぇ。こんなに面白いことは長い事あって始めてさ。あいつらがここに来たからかね。なんだか今までと何もかもが変わってしまいそうさ。」痛快とも言える笑いがこみ上げて来て、たまらず屋根に立ち上がった。
「やつら、本当に宇宙から来たのかな。」
山に向けて吹き上がってくる風にデモンバルグは素直に身をゆだねていた。
「今なら・・・しばらく姿を消しても大丈夫だろうさ。泊まり客の1人が気ままに夕暮れを散歩としゃれ込むってわけだ。」
闇の羽が差し伸ばされ、ジンは虚空に浮き上がる。
「今回は何もかも、始めてずくしだな。俺の正体を知ったうえで付き合いを始めるってのは・・・回り中も俺っちを認識しているなんていうのも始めてさ。」
先ほどの香奈恵とのやり取りを思い返してみたが、不快感はまったくなかった。
「そういうのも中々、悪くないさ。」実はとても楽しかったと悪魔は認める。
その為には・・・あいつとも話を付けなくては。
ジンは身を起こすとフッと闇を纏う。神興一郎の肉体は視界から消えた。物理的肉体をどう処理しているのかはわからないが、アギュレギオンがよく言っている次元のどこかに収容したのだろうか。
人の目には触れない薄い膜の中をデモンバルグはグングンと上昇して行った。
旅館の厨房の灯りが下になり、神月の屋敷の灯りが近づいてくる。
その庇の辺りでジンは『竹本』の灯りをチラリと振り返った。
「待ってろよ、渡。逃げ回っても仕方ない。その為の話し合いさ。今回こそはお互い、長くたのしもうぜ。」思わず押さえ切れない期待に、顔がにやけた。

「ジンと渡、最強のコンビになるぜ、きっと。」

スパイラルツウ-9-3

2010-07-29 | オリジナル小説


男は長い眠りからやっと目を覚ました。
まず目に写ったのは見知らぬ天井。次に清潔な寝具に自分が挟まれていることを知る。ここはあの旅館か?。しかし落ち着いた和洋折衷の調度が配列された室内と自分が横たわっている寝台は旅館ではなかった。丈の長いカーテンに覆われた窓もあきらかに違う。
ドアの開く音がした。体全体がダルかった。重い頭を少し巡らすと、音の方に目だけを動かした。
「・・・おまえは・・・」見覚えのある少女が、用心深くポットと簡素な食事らしきものの乗ったトレイを運んで近づいて来る。
「目覚めましたね。」若い声がした。少女の後ろから現れたのは見知らぬ男であった。
その間に少女はベッドの枕元のテーブルにトレイを置いて、困ったように横たわる男と入って来た男を交互に見た。そして困ったように手を組むと顔を伏せた。
「ここは・・・」
「ここは神月です。アナタは阿牛家にいるんですよ。ワタシはアギュ。」
言葉を切ると男の目を見る。アギュ?記憶のどこかが刺激される。
「アナタはナグロスですね。ナグロス・ユンファ・バキラ。始祖の人類から16番目に近い遺伝子を持つとされるピグ-γD星系、第4惑星の出身。かつて連邦の調査員として112年前からこの果ての地球にいました。」
そう語りかける、年若い男の目は蒼かった。ちょっとやそっとではない。その目の蒼さも忘れたはずの何かを刺激する。
「そして、アナタは・・・カミシロユウリのチチオヤですね。」
男の目が見開かれる。「アギュ・・・そうか、では・・・あんたが・・・」
「アギュレギオンといいます。そう呼ばれる前の名前はただのアギュでした・・・」
その頃は父親も母親もいたはずだ。その親の名・・・ファミリーネームをアギュは最早忘れていた。臨海した自分の為に研究材料とされ既に死んだか、仮に生きていたとしても死んだも同然の存在となっている親達。それは、銀河時間で500年以上前のことだ。この『果ての地球』の時間では1000年は越えているだろう。しかし記録は、オリオン連邦の中枢には確実に残されている。元帥になったアギュには、いや元帥でなくともだ・・・知りたければ雑作もない。しかし、アギュは改めて思い出す必要をもはや感じなかった。臨海する前の自分は臨海した後の自分とはまったく違う。臨海した歳に5歳の時に、ただのアギュだった子供は確実に死んだのだ。
「アギュレギオン・・・そうか。あなたが・・・」
ナグロスと呼ばれた男には、かつて権現山の仙人と呼ばれた時にあったピリピリしたものは今は微塵もない。本名を呼ばれ、あきらかにほっとした様子だった。
「しかし・・・?」
男はゴクリと唾を飲み込むと半身を起こしてアギュの全身に思わず視線を走らせる。
その彼の当惑をやんわりと受け止める寛容を今のアギュは身につけている。
「ワタシは・・・ジブン自身で臨海を調整しています。かつては臨海を遅らせる為にはジブンに閉じこもるしか思いつかなかった・・・だから、ミナサンに本当に迷惑をかけました。特にアナタのムスメであるユウリには・・・。今は・・・こういうこともジブンで、できるようになりました。こうしていると、普通のジンルイとなんら変わりはありませんでしょう?。」
悲し気に微笑む臨海進化体をユウリの父親は見つめる。その父親の顔色からは押し隠された感情は伺いしれない。間があった。
やっと、ナグロスは重い口を開いた。
「こんなところで相見えようとは・・・あなたが、この辺境にいることは知らなかった。」ナグロスは視線を落とした。「・・・ユウリがお世話になりました。」
「いえ!」アギュは強く否定せずに居られなかった。
「ユウリが命を落とした経緯はもうよくご存知なのではないでしょうか。ワタシがカノジョを殺したのです。」
そう強く首を振ったアギュの目にまぎれもない蒼い光が滲む。自分の前に成す術もなく頭を垂れた臨海進化体に父親はしばらく無言でいた。
それからようやく、アギュの後ろに立ち尽くす少女に改めて目を移した。
それまでユリは青ざめた緊張した顔でジッと固まっていた。普段のユリを知ってるものには、この娘がこれほど静かにしていられることに驚いたかもしれない。
しかしその眉の下の目は強い。男と目が合うと少女はやっと息を吐き出した。
「お願いだ・・・アギュを責めないでくれ・・・」
レイコに、そしてユウリに似通った面差しから掠れた声が絞り出される。紛れもない遺伝子の繋がり。しかし、この娘にはユウリの持っていた弱さは微塵も感じられないとナグロスは思った。哀願の目、しかし挑む目でもある。震える口元は固く引き結ばれている。どちらかと言うと、レイコに近い気質なのだろうか。そう思うとふいに愛しさが募った。後悔も。その強さ故に危うい存在であるレイコを・・・自分は守り切れなかった。アギュは娘のユウリを殺したのかもしれない、しかし自分もユウリの母親の死に責任がないと言い切れるのか。
そう逡巡するナグロスは宇宙人類の基準から、実は少し外れていた。
宇宙人類は人の生き死にどころか、自分自身の生き死にすら軽く捉える傾向が実際にはとても強いのだ。勿論、原始人類と呼ばれる者達・・・ナグロス初めガンダルファ、シドラ・シデン、アギュレギオン達は進化体ニュートロン達・・・例えばタトラ、連邦にいる上司イリト・ヴェガや母船に待機するゾーゾーを始めとするメンバー達等と較べたらその傾向はいくらか薄い。薄いがそれでも、この『果ての地球』の人類達の常識からはやはりかなりクールというか、かけ離れているだろう。
同じように胎内受胎や出産が原始星の上でしか見られなくなった為に、父親や母親、血の繋がりを重視しない。クローン体を簡単に増発できる宇宙人類には、失われた身内の命に対する執着も薄い。誰かが死ねば、ただ残念だと思うだけだ。それは一から再び関係を作らなくてはならないというだけの意味に過ぎない。
それも脳が無傷で残っていた場合や記憶の保存がされていた場合、その辻褄合わせも限り無く小さくなる。
おそらく、ナグロスはこの星に心を寄せ過ぎた為にそのような強い制御不能の感情に襲われたのだろう。アギュの丁重な詫びも、ユリの前であることや彼自身の強い後悔がなかったとしたら・・ナグロスが『果ての人類』化しているだろうということを見越したものと理解できる。ユウリを愛し、ユウリの故郷を強く愛することになったアギュ。同じく『果ての地球』を愛し、この星の精神背景を強く持った麗子を愛したナグロス。「では・・・」押さえようとしてもナグロスの声は高ぶり、乱れた。「では、この娘は・・・私の・・・?」
「このコは、ユリは・・・チチオヤは正確にはワタシのクローン体ですが、ユウリとワタシの遺伝子を継いでいます。この地の呼び方に習うならば・・・アナタのマゴということになります。」
「そうか・・・始めて会った時から・・・竹本の血筋故と思ったが・・・。」
祖父に見つめられ、ぎこちなくユリは口をすぼめた。
「似ているはずだ・・・ユウリとあなたの娘か・・・それならば・・・私の娘の思いはいくらかは遂げられたのですね。」ナグロスは悲し気に微笑んだ。
「ユウリがあなたに恋していたことは知っていました。・・・親ですから。ユウリは私に隠さなかった。私に送られる便りにはいつもあなたのことが語られていた・・」
「いえ・・・それは・・・」アギュは躊躇った。アギュの内部も。臨海進化体アギュレギオンとそのクローン体であったカプートと呼ばれたアギュレギオン418・・二人のアギュを巡ったユウリの迷いを今や誰が知ろう。そして今、その二人が1つの体の中にあって共に融合し、共に臨海しつつあろうとは。
「ワタシが愚かであったが為に、ユウリは死にました。そのことをワタシはアナタに償う術を持たない。でも、アナタが死んでいなくて本当に良かったと思います。今、こうしてアナタに謝ることができる・・・謝ることしかできないが・・・」
「そのことは・・・」ナグロスはユリの緊張した顔に微笑んでみせた。「私には責める資格などない・・・ユウリは自分で自分の運命を選び取ったのだし。そのことは覚悟の上でした。あの子を連邦に連れ出せば存在してはいけない遺伝子として隔離されるとわかっていながら・・・この星に捨て去る勇気がなかった私の弱さが・・・いや、そもそもレイコと結ばれた私が・・・・いけないのだから。」
「・・・いけないのか?」ユリが不意に言葉を挟んだ。「ユリの・・・ユリのハハは・・では、ユリは存在してはいけない?」
「そんなことはない!」アギュが激しく返す。ユウリがユリがいけないのなら、母星1つ道ずれにした自分こそ存在することなど許されようか。
「ユリ。」ナグロスはユウリを枕もとに手招く。「例え、全オリオン連邦が否と言ったとしてもユウリは・・・お前の母は、私と麗子のすべてだ。そして、ユウリが存在した証は・・・今はユリ、お前だけなのだ。連邦の誰が許さなくてもお前に非など一辺もない。それはただ、ちっぽけな人類の一部が作ったルールに過ぎないんだ・・・それだけの話だ。お前が気に病む話ではないよ。」ナグロスはゆっくりと近づいて来た、自分の孫であるユリの掌にそっと手を置いた。「そのくだらないルールの中で、ユウリはこの星で生きるべき子供だった・・・というだけのことなんだ。それにその勝手なルールを歪めたのは私だ。ユウリの娘であるお前もこの星の娘なのだよ。お前を生かす為にアギュがお前をここに連れて来たことはわかるね?」アギュは向かい合い見つめ合う祖父と孫を見守った。ユリの強い目が今は潤んでナグロスを見ている。ユリはうなづく。
「そうだ。この星の上で幸せに生きるんだよ、
ユリ。ここではお前は自由に生きて行ける。それをユウリも麗子も・・・私もアギュも願っているんだ。」
祖父は孫から手を離すとアギュの方に肩を動かす。
「それよりも。あなたは、私に聞きたいことがあるのではないですか。アギュレギオン。あなたがここにいると言うことは・・・この星の駐留部隊の総括はあなたでしょう?」
「そうです。」アギュは静かにうなづく。「聞かねばならないこと、と言った方がいいですね。あなたがどうしてここにいるのか・・・とか。ここでどうしていたのかとか。」気が進まぬことであった。
「私は侵入者です。第一級犯罪者の罪を再び上塗りしましたからね。」
「連邦では・・・あなたは死んだことになっています。」
「・・・私はどうしてももう一度、ここに戻りたかったのです。終戦前・・・この神月の混乱はひどいものだった。麗子は特高警察の呼び出しに応じず、姿を消してしまったと言われた、だけど。あなたは不思議に思うかもしれないが・・・私には麗子が死んだということだけがわかったのです。なぜ、わかったかと言うと・・・わかったとしかいいようがない。信じてもらえないでしょうが・・麗子が私に啓示してくれたのです。虫の知らせとか夢とか・・・幽霊などと言うものをかつての私はこの星に来て麗子に出会う前は、まったく信じていなかったが・・・麗子と知り合ってからは次第に不思議な世界があることを信じるように私はなっていた。あなたに気違いだと笑われても仕方がない・・・」
「アナタを信じますよ。」アギュは先ほどのデモンバルグのショーをこの目で見ていた。同じく、魔族や天使やもろもろを。すべてはアギュの中では次元の問題として処理されている。「そういうセカイが実在しても不思議ではない。」
ナグロスは小さく首を振り、モゴモゴと感謝の言葉を付け足した。
そして再び話し出す。
「神月では麗子が殺されたとの噂が流れましたが誰も確証はなかったのです・・・麗子の実の父親である八十助ですら手出しができなかった。彼は特高に拘束されてしまっていたし。彼女は見つからなかった。特高警察は彼女の消息に関して頑として応じなかった。彼等は麗子の夫である私のことは軍事忌避者として捜していた・・・尋問の果てに殺すことが目的だったのです。ユウリを人質にしようともしていた。ユウリを逃がしたのは、旅館『竹本』の先代です。彼は私とユウリを匿ってくれましたが、次第に隠しきれる状況ではなくなっていった・・・だから、私はこの地域から自分とユウリの記憶と記録を消すしかなかったのです。その為には1人で行動しきれなかった。私の当時の同僚達はその為には力を貸してくれましたが、私を見逃してはくれなかった。当たり前ですね・・・そんなことをしたら彼等自身が罪に問われてしまう。だから私は、最終的に召還命令に従うことに同意したんです。ただ・・・娘のことはどうしたらいいかわからなかった。」
淡々とした独白をユリとアギュは身動きひとつしないで聞いていた。
「私はあの時代の人間達が自分だけの保身に走る姿にほとほと嫌気が差していました。・・・幼いユウリを誰かに託して、ここに残すには危険過ぎると感じてました・・・もうこの国には・・・いや、この星には安全な場所等ないと思ってしまったんです。すべてを承知で連邦の召還に応じました。私の規律違反を既に連邦は知っていたんです。同僚達にはユウリを置いて行けば大した罪にはならないとも説得されたのですが・・・そんなことはもうできなかった。麗子が生きていたなら、ともかく。」
ナグロスは小さく笑った。
「刑期を終えて故郷に帰った私は・・・どうしても、麗子の死の謎を追いたかった。あの時、夢に現れた麗子も自分がどこにいるのかは確信がないようだった・・・それきり、宇宙に戻ってからは彼女との繋がりが切れてしまったと感じていました。もう、麗子は夢にも現れてくれなくなった・・・だから、自分の死を偽装してでもここに戻らねばと思ったのです。その為に、ある遊民達の力を借りました。」
「それは・・4年前に御堂山にいた侵入者達のことですか。」
「それとはまた、別の力です。辛うじて合法的な仕事をしている遊民達とでも言っておきます。彼等のことは・・・詳しくは話すつもりはありません。世話になりましたからね。彼等だって最初は危険は侵したがらなかった・・・正直に言うと、その為に私は財産のすべてと死んだユウリからもらった臨海進化体の情報を売ったんですよ。だから、あなたの罪悪感とはトントンかもしれませんね。」
アギュは自分に仇なすはずのその話に、大して心を動かされなかった。
「勿論、大した情報じゃありません。あなたが小柄で端からは子供のように見えるとか・・・蒼い目をして蒼い髪で全身から蒼い光を放っているとか・・・ユウリは実の親だからと言って機密をベラベラ話す子供ではなかったです。勿論、情報のやり取りは検閲されていますからね。検閲が許すような程度の話、子供が学校の話を親に伝えるだけの世間話ですよ。でも・・・この程度でも、欲しいところでは金に換算される情報となるのです・・・」
「では、4年前にここにいた者達とはどこで?」
「先ほどの遊民から非合法なことをするギャング達に渡りを付けてもらったのです。彼等にはこの星に滑り込む手配を頼んだのですが・・・この星に居座られることになるとはとんだ誤算です。縁が切れて良かったとしかいえない・・・」
「で・・?」アギュは先ほどからユリに席を外すように促していたのだが、この頑固な娘は動こうとしなかった。仕方なくアギュはもっともしたくなかった質問をした。
「御堂山から姿を消してから、この4年間・・・どこにいたのです?そこでアナタに何があったのです?」
ナグロスの顔から表情が消えた。「それは・・・」
アギュは再び、ユリに促す。しかし、ユリは逆にアギュを睨みつけた。
「センニンを虐めるな。」
「センニン?」
「アナタはここの子供達に『権現山の仙人』と呼ばれて人気があるのです。」
「それは知らなかった・・・」ナグロスは低く笑った。
「ありがとう、ユリ。気にかけてくれて私は嬉しい。」
ユリは肩から力を抜くと黙ってドアの方に体の向きを変えた。
「いや、行かなくていい。」ナグロスが怪訝な顔のアギュに顔を向ける。
「私はユリに話せないようなことがあってはいけないと思う。責めがあれば、喜んで受けよう。」
そして何かを決心したように堰を切った。
「アギュレギオン、この星には既に遊民の一部が住民として入り込んでいるのです。私はそこに身を寄せていたこともある・・・しかし、この間の遊民ギャング達がおそらく・・・あなた達によって断罪されたと推察した奴らが・・・私を拘束した。しかし、あの時には今いる連邦の駐留部隊に対する情報は私はまったく持っていなかった・・・だから、結局は解放されたのですが。ただ、追求は厳しかった・・・かなり堪えました。自分の肉体が衰えたことを悟ったんですよ。私はまだ、死にたくなかった。その時から死ぬ前に麗子を見つけなくてはとただもう、そのことだけを考えるようになっていきました。」
ナグロスの皺を刻んだ顔が歪んだ。
「その遊民達は・・・組織ですか。」
「組織です。」
「その素性は話してもらえるのですか?」
「・・・はい。彼等にはもう義理は果たしたと思いますから。ただ、彼等の中にもただ平和にこの地で暮らしたいと思っている者達もいます。彼等は拠り所のないさすらい生活からただ、安定した環境を求めてこの世界に溶け込んでいる・・・勿論、勝手に入植することは犯罪なのですが。彼等の多くは個人ですから、組織の脅威に晒されているのです。彼等のことは私は話したくない。彼等を守ってくださるというのなら別ですが・・・」
「それは。」アギュは考え込む。「今、私の一存でいうことはできません。・・必要があれば聞かなかったふりはできる。その組織を一掃した後ならば。」
「・・・恩にきます。ただ・・充分に気をつけた方がいい。」
ナグロスの顔に影が差す。「あなたが・・・臨海進化体がここにいることは今は誰もしらない。おそらく・・・でも、もしも彼等のどこかにでも知られたら・・・この星にとってあなたは脅威になる。」
「確かに。」その展開は既に予想済みだった。
「彼等は遊民のネットワークから完全にはずれたわけではない。歳を取って宇宙暮らしについて行けなくなった仲間を受け入れる場としてこの星を利用してもいる。あなたの存在が感知されたら・・・リオン・ボイドから一切にカバナ人達が押し寄せるだろう。カバナ・リオンの正規の軍隊が。休戦協定など問題にならない。私はそれを畏れるのです・・・」
「わかりました。充分に、充分過ぎるほどに注意してことにあたりましょう。」
アギュはベッドから出ようともがくナグロスを手で制した。
「ユリ、手伝ってあげてください。隣の部屋にアナタに見せたいものがありますから。」
「見せたいもの?」
「会わせたいものと言った方がいいかもしれないですね。」
「?」ナグロスの目がユリと合う。
「アナタの捜していたものです。ワタシ達が見つけました。」
「私の・・・まさか・・?」
ユリが遠慮がちにそっと笑った。
「えっと・・・センニンじゃなくて、ジィちゃん・・?」
「・・・ユリ,ナグロスでいいですよ。オジイちゃんと呼ばれのはちょっと・・ね。」
仙人はいささか照れながら答える。
「じゃ、ナグロス。待ってるのは・・・レイコだ、レイコの体。死んでるけど・・」
「後はアナタの葬りたいようにしてください。」
「・・・!」
疲れ果てていた宇宙原始人類の顔に朱が登った。
「それでは・・・やはり、彼女は私に会いに来てくれたのか?夢だと思っていたのに。」
「それは」アギュ口を挟まざるを得ない。
「あなたが・・混沌に沈められる前に・・もしも、レイコに会ったのだとしたら・・・それはおそらく錯覚です。あの場が・・・あの屋敷の悪い磁場があなたの幻覚を増長させたのだと思いますよ。」
「混沌?磁場?幻覚・・・」ナグロスはきょとんとした。次に目が遠いものを見るように淀んだ。「確かに・・・あの屋敷はおかしかった。私がおかしかったのかもしれないが・・声が囁いて来て・・・私は麗子に頼まれて・・・誰かを攫った?いや、そうじゃない・・運んだんだ、女性を・・・妊婦だった・・・おかしな話だ。その後は海の中に私はいた、漂って・・・でも、その時に話をした麗子は・・・あれは・・すごく、長い夢を見ていたような気がする。・・・思い出すと、すごく疲れる・・・」
ナグロスはこめかみに手をやる。アギュは痛ましい思いで彼を見守る。彼が落ちついたら・・・彼が知らなかったこの星の特殊な存在達のことを、どこまで受け入れられるかわからないが・・・話さなくてはなるまい。しかし、今はそっとしておいてやりたい。
同じく心配そうにナグロスを見ていたユリの視線を捉えてうながす。
ユリもすぐに察し、うなづくと甘えた口調でナグロスの顔を覗き込んだ。
「なぁなぁ、今はレイコが先だぞ。」自らの祖父に当たる男の背中をポンと叩く。
「すぐ隣にいるんだから。レイコはユリのオバアちゃんなんだろ?」
それに励まされた男はようやく顔を上げた。「おばあちゃん・・か。レイコも呼ばれたがらないかもしれないけどな。」自分の醜態を恥じて、誤摩化すように笑った。
「オバアちゃんもダメか?」「そうだな、ユリ。さっきのように、レイコと呼んだ方がずっといい。」
彼の足にも思わず力が入る。「さあ、案内してくれ。今はレイコが一番だ。」
嬉々としてユリは手を掴むと、男をぐいぐいとドアへと引っ張って行く。
「ずっと、捜していた・・・もう、私には見つけることはできないと思っていた。」
「そうだ、レイコもきっと喜んでる。ユリにはわかるぞ。きっとナグロスと同じだ、ずっと長い間、待ってたんだ。」
最初のうちはもつれた足を動かしユリに助けられていたナグロスだが、気がせくままにドアを出てからはまったく違った。もどかしいように隣の部屋の中に突進していった自らの祖父にあたる男をユリは肩すかしを食った形で廊下で見送った。室内から出て来たアギュと目を合わせると、おかしくて仕方がないかのように肩を竦めてみせた。アギュも笑ってうなづき返した。
ナグロスはいざとなったら誰の助けも必要としなかったのだ。彼はやんわりと、しかし確固とした態度でユリの助けの手を退けた。今や待ちわびた恋人しか目にはいらなくなった若者のように、先頭に立ちしっかりと歩いて飛び込んで行ったのだ。猫背だった彼の背筋は伸び、顔は10歳は若返ったようだった。
その部屋のドアをそっと閉じると、ユリはちょっと唇を噛んだ。
押し殺した声が愛したものの名を呼び、くぐもった声は慟哭へと変わる。アギュもユリも長い間引き離されていた、二人の再会の邪魔をするつもりはない。
躊躇いながらも子供は、アギュを振り返る。
「なぁ、アギュ・・・ユウリ・・・には、まだ会えないのかな。」
ユリはレイコからユウリの欠片を分離すれば、自分の母親と会えると思っていたのだ。その予想が外れたことで少し、気落ちしていた。
「大丈夫。」アギュは微笑み返す。
「ユウリはここにいます。」体から透けるオレンジの光。
「ここにいるのは確かですから・・・いつか必ず、会えますよ。」
できれば、会わせてやりたい。ユリが生きているうちに。アギュの顔に僅かに苦痛が過った。切望といってもいい。
その気配に気づいたユリは背を伸ばすとアギュに寄り添う。アギュが手を回し、ユリは抱き上げられるままにその胸に顔を埋めた。
アギュの心臓の場所で脈打つ、小さな太陽のぬくもりをその頬で感じる為に。

スパイラルツウ-9-2

2010-07-29 | オリジナル小説


「かえる・・そのまえにすべきことがある・・・」霊弧は階段の影を見据える。
「このものがみこをついだときから、わたしはこのものをえらび、ともにあゆんだ。このもののたましいがとてもつよく、ただしくあろうとしていたからだ。わたしはこのものにまもられていのちをつないだ・・このもののたましいはすでにおおきなながれにたびだっている・・・」
「そうそう。」ジンがつぶやく。「だから、残りかすなんさ。」
途中で立ちすくんだ透けた影は霊弧から吹き出す息吹に散らされるかとみえたが、今は逆に吸い寄せられるように霊弧の方にたなびいて、ロウソクの炎のように細く揺らいでいた。惹かれつつ、躊躇うかのように。
「なぜ、こころのこりがここにいつまでもさまよっているのか・・・つよきこころをもったれいこにしてはおかしなこと・・・つよさをあいしたこのものにとっては・・よわきこころがここにやきつけられていることはさぞやふほんいなこととおもう・・・このもののためによわさをぬぐいさることがわたしにできるさいごのれいとなろう・・れいこよ、やみにまどうおまえにつげよう・・・」
名前を呼ばれてレイコの姿は風に遊びじゃれるように、自らの抜け殻の方へとさらに細く長く傾いで行った。金色の糸がしっかりとまつわりついたまま。
「しっかりするがよい・・おまえのさがすものはここにいる。」
霊弧の指がユリを指差す。身じろぎするユリをレイコの虚ろな影が認めたように思えた。
アギュは首を傾げる。今のユリはレイコと別れた時のユウリより歳が倍も上のはずだ。60年もの年月が経過したことを知らないレイコの目に、果たしてユリは成長した娘そのものと映るのだろうか。ユウリの娘であることをレイコは理解するのだろうか。レイコの虚ろな顔はユラユラと揺れるだけであった。
「・・・ちがうのか・・・おまえのこころのこりは・・・ならば、いとしきおとこか・・・」
霊弧の声も揺らぐ。
「このよにいまだとどまり、さまようことをのぞむのならば・・わたしにはこれをむしりとってぬぐいさることはできない・・・」
大きな目を見開いたユリと全員が固唾を飲んだ。
思わずユリはシドラの手を振りほどいてジンに歩み寄り、その腕を引いていた。
「ほんとか、ダメなのか?カミさんが言った通りなのか?あの中には母さんもいるんだろう?」その目は必死にアギュを見る。
「あのオレンジの光か?あれが母さんの魂の欠片なんだろ?アギュはそう言った、言ったはず。なんで、助けられない?なぜ、切り離せないんだ?」
アギュは困り果ててユリを見る事しかできない。オレンジの光の糸は象徴としてそう見えているが、実際はもっと複雑に流体が絡み合っているのだろう。あぎゅには策はない。分ける方法ななど思い当たらなかった。
ユリの怒った顔をジンはしばし見下ろしていた。
真っ黒な両目からは、デモンバルグへの怒りがレーザーのように大量放出されていた。しかしそれも、怒りだけではないとジンにはわかる。それは、嘆願。
「ほんとに何もできないのか?アクマ、アクマなのに?アクマなら、なんかもっとすごいワザとかあるんじゃないか?できるって言っただろが?だから、約束したのに。できもしないのに、嘘付いたのか?大口叩いたのか?なぁ、なぁ!」
「さすがに、こんな展開になるとはさ、確約はしてないはずだぜ。」
「なんだと。」シドラが一歩足を前に出す。「ユリ、そいつから離れろ。」
「このまま、ずっとさまようなんてバアちゃんだって可哀想だ。なんとかしてくれよ。なんとかできるって言ったんだ、アクマ!お願いだ!」
言ったかねぇ、何も確約したはずはないんだが。
仕方がないとでも言うようにようやくジンが頭を掻く。
「・・・そうさね、お転婆。なんとかしてやりたいが、お前の婆ちゃんの心残りはたぶん・・・ちょっと特別なんさよ。」
「アギュ、そいつを我に任せろ。ギタギタにしてやる!」
「シドラ、落ち着けよ。」「そうじゃ、ジン殿はまだ答え終わってない。」
外野の騒ぎを撫でるように視線を走らせることでアギュはなだめ、鎮める。
「ジン、できるんですか?それとも、できないんですか?」
この時、アギュがジンに注いだ視線は大変鋭かった。
「いや、心当たりがない・・・ことはないさね。」
霊弧も期待するようにジンを見る。
「しぜんのことわりにさからってそんざいするのがまぞくとてんし・・・なんらかのさくがあろう」
その神の言葉をアギュは心に留める。自然の理に反するとは?。
しばらくの躊躇いの後にジンことデモンバルグは覚悟を決めた。
ユリの視線に押し切られた形だ。
「まあ・・見よう見真似でやってみるけどさ。うまく行ったら御喝采ってさ。」

息を深く吸い、身を正し唐突にジンは叫ぶ。
「剣を守りたる盾の巫女よ!」
目を閉じ、片手をレイコの影へと差し向け、反対の手は胸に当てた。黒く長いストレートな髪と黒い衣装に包まれたその姿は異国の神に仕える僧侶のようであった。
朗々としたジンの声は低く深く、辺りを制して響き渡る。
「なんじ今、巫女たる任は解かれた。永遠に巡るべき継承の螺旋を降り、自らを待つ行くべきところへ還ることを許す!」我らの頭上高き白き船の舳先に刻まれし、統括者ギオルの名のもとに。最後に続く言葉をジンは飲み込む。
ジンであるデモンバルグの声は遥か彼方、古代の神殿で叫ばれた響きを耳元でありありと再現していた。その言葉が古代ヘブライ語に似通うことを誰が知ろう。
巫女を巫女たらしめる『盾の魂』は特別な『魄』であったのだ。
命を終えることによって巫女達は、次の巫女へと『魄』を受け継いで行く。しかし、その役目を終えた肉体に残された『魂』の為に、代替わりの度に古代の神官達は必ずこの儀式を取り行った。死せる巫女に。これを行わない限り、先代の巫女は安らかに死ねず、新しく生まれ変わることができないと言われていたからだ。あの時はもう既に、すべては伝承の中に埋もれていた。その儀式の始まった意味を知り得る神官は果たして残っていたのだろうか。実際に、儀式を執り行われなかった巫女がどうなったのかは誰もわからなかった。しかし、神官達は粛々とその儀式を行い続けていた。
そして、ジンの知る最後の『巫女』はその任を解かれることは永久になかった。
その巫女は、巫女の役目を解かれる事のないままに死んだ。
『盾の魂』が『剣の魂』と共に大気を巡っていたことからもそれは間違いはない。
今まで、ジンはその末路を確かめようとしたこともなかった。
その呪文を吐き出す間、ジンの胸中に果たして最後の『盾の巫女』の魂はどうなったのだろうという思いが始めて過った。神城麗子によく似たあの巫女。麗子とあれほど酷似しているからには、なんらかの魂の繋がりがあるのだろうか。完全な生まれ変わりなどというものはデモンバルグは見たことはなかったが。
最後の巫女の名前などは忘れた・・・確か、アーメン???。あの女の心残りもこうして麗子のように、どこかをいまだに彷徨っているのだろうか。もしそうであるならば、『盾の魂』が転生した数だけレイコのような魂の片割れが彷徨っているのだろう。罪作りな『盾の魂』・・・すっぱりと何もかも捨て去って飛び去る『剣の魂』に較べて。それは、なぜどうしてなのだろうか。始めてジンはその疑問を持った。
ジンの言葉が終わった瞬間。
レイコを映した朧な影は霊弧が宿る自らの体へと静かに吸い込まれていった。
深い安堵の息と共に、ユリはよろめいて再びシドラの腕に抱えられた。
「何、今の?ジンさん、何語をじゃべったの?」渡がガンタに囁く。
ガンダルファは顔を顰めたまま肩を上げた。タトラはジンの発した言葉を記憶する。
一仕事終えたかのようなジンの澄ました横顔をアギュは黙って見つめていた。
ジンの台詞がなんらかの力を持つことはわかった。
きっと古代の言葉、始祖の人類の言葉であるはずだと。

広げられた巫女の両腕が降ろされ、それは胸の前で固く組まれる。
風を放つ炎の揺らぎは更に大きくなった。
「たしかにさまざまなさくをもつものだ。」霊狐は眼を閉じた。「うけとった・・・このもののこころのこり・・・おんなであるよりははであるよりもいまだみこのさだめにしばられていたとは・・・このさまようこころのこりはわたしがともにつれてさろう・・・わたしとともにやまのいのちのひとつとなることだろう。」
「そのマエに。」アギュの声が高くなる。人格が変わったことを察知したジンがアギュをチラリと盗み見た。「カミとやら、ヨケイなものを返してくれ。」
「なるほど。」霊弧が微笑む。こちらも違和感を覚えたのかもしれない。
「このだいちのそとからきたひとよ、はやくもかりがかえせるようだ。」
霊狐が差し出した金色の糸は巫女の手の中で緩み、水のように窪みに溜まっていた。それを遠目に見るガンダルファはかつて手の中をすり抜けたその金色を思い出して胸が痛くなる。シドラは今回は目を反らす事はしなかった。
背後のユリをジンは振り返る。その背中で緊張したシドラの顔も。
「なるほど・・・次元に囚われた魂ってヤツだ。囚われのお姫様・・ 違うか?」
この時ばかりは、ユリは憎い悪魔に思わず素直にうなづいていた。
「・・・ありがと・・・」掠れた声でユリは答えた。
ジンは前を向くと背中越しに手をヒラヒラさせた。
「俺は約束を果たしたって、そういうことでいいさね。2度と、嘘つきとか役立たずとか言ってくうれるなよ、なあ。」
「わかった。」神妙にうなづいたユリの更に背後で香奈恵は訳がわからず目を白黒していた。「良かったね、ユリちゃん!」と渡が小さい声でつぶやいた。

得意顔のジンに苦笑いしながら、アギュは震える指を霊狐へと伸ばしていた。
その数秒が何分にも思える。
「・・・カンシャだ、カミ。」
人格の変転は霊弧には隠せなかっただろう。しかし、人ならぬ神は何も告げない。
アギュの持つユウリのタマシイと対になる、それがユウリの『魂』なのか『魄』なのか・・・待ち望んだユウリの欠片がアギュの手の中に落ちて行った。
ユリが食い入るようにそれを見守っていた。あれがハハ・・・なのかと。
ガンタとシドラが同時に深い安堵の息をもらした。タトラは話には聞いていたから二人に習うがこれは浅い。これはイリト・ヴェガに報告するべきことだろうかとタトラは悩んでいる。これはあくまでアギュの個人的な話である。しかし、臨海進化体にプライベートなど存在しないことも事実だった。報告するべきだろう。
霊弧はゆっくりと手の平を閉じた。
「では、ゆく。」そういうと、抜け殻となった死体は風の中でゆっくりと頽れるように倒れた。代わりに立ちあがった激しい風は、しばし名残を惜しむように吹きすさぶ。そのあまりの強さに人間達は耐えられず思わず目を手で押さえた。手を離すと既に風は消え去り、濃い森の香りだけがそこに残されていた。


混沌の揺らぎの中で男は夢を見ていた。
「俺は死んだのか・・・死んでないのか・・・」
夢見ながら男の口が無意識に動いている。
「俺は・・・どうしたらいい?」
『ナグロス・・・ユンファ・・・』誰かが男の真の名を呼ぶ。
「麗子・・・」
かつてよく知る愛しい声。乾いた喉が捜す水のように、何年も探し求めた声。
『ユンファ・・・バカねぇ、あんたなら大丈夫でしょ。手も足もちゃんと付いてるし、どこも取れちゃいないじゃあないの。大丈夫、ちゃあんと生きていますって。あんたはマレビトでしょ?しかもそんじょそこらのマレビトじゃあない。広い宇宙から来たんじゃあないの。それなのに、おかしいったらないわ。ほんと心配症なこと・・・そんなに弱い男じゃなかったのに・・あなたはほんとはもっともっと強い男なのよ?。ユウリを守る為に歯を食いしばってここを離れて・・・降り掛かった懲罰も甘んじて受けて・・・故郷に帰るなりあなたの世界の政府の裏をかいて、みんな騙し抜いてまたここに戻って来たんじゃないの。そうよ、私はみんな知っているのよ。ここに来てからだって、強く自分を貫いて生きていたはず。なのに・・・ちょっとしたことで・・・心が萎えてしまったのね? だから、私の声がますます聞こえなくなってしまったんだわ。わたしはいつも答えていたのに。ほんと男ってダメね。宇宙から来たって男はあんまし変わりゃあしないのね。ほんとにおかしなこと・・・私とユウリが死んだのがそんなに辛かった?・・・』
声はフフフと笑う。男がよく知っている笑い方。
「麗子、その言い草はひどいよ。だって・・・仕方がないじゃないか。」男は重い口を動かす。「おまえが消えてしまったんだから・・・俺達の力でも見つけられないなんて。ここに帰ればおまえがいると思ったのに。なんで・・・」しゃべるのがおっくで仕方がなかったが彼は力を振り絞る。「なんで、会いに来てくれなかったんだ?答えてくれてたって言うけど・・・何度、呼んでも俺には聞こえなかったよ・・」
最初は気ぐらいの高い、気難しい娘と思った。しかしやがて男はそれがまったく違うことを知る。気取っている、おつにすましていると村人から陰で噂されていたその下には、女らしい思いやりと細やかな愛情に溢れていた。
『ねえ、知ってる?感じてなかったの?私はいつも・・いつだってあなたと一緒にいたのよ・・・でもそうね、確かにあなたが宇宙に帰ってからは波長が合わなくなってしまった気がしたわ・・・あなたは自分では意識してなかっただろうけど、あなたは自分の慣れ親しんだ常識の中にあっさり戻ってしまったから・・・そのせいじゃないかしらね。でもね、私はいつだってあなたとユウリを見守っていたのよ・・・・。でもそれもそろそろ、終わり。私もいつまもこうしてはいられないの・・・私をここに引き止めていた錨もめでたく、なくなったことだしね・・・これからはそうそう頻繁には会いにこれないと思うけど・・・・』
「そんなやっと・・・やっと会えたのに・・・」
『でも、大丈夫。あなたはもう1人じゃないもの・・・時が動き出したの。時は動き出すの・・・ユウリが『あの人』に出会った時、『あの人』を見て私はわかったのよ・・・私が産まれたわけ、いえ産まれる前のこともすべて。私があなたと出会って、あなたに一目で惹かれたわけも・・・』
「あの人?・・おい、そいつは誰だ?ユウリが誰と会ったって?あの人って誰なんだ?お前はそいつをどこで見たんだ?!」
『あら、妬かないでよ。ふふ、でも嬉しいこと。あなたに焼きもちをやかれるなんて何十年ぶりかしらね。心配しないで,心配する事なんて何もないから。すぐにあなたにもわかるはずだから。そうよ、もうすぐよユンファ・・』
「また、予言かい?もう、予言にはうんざりだよ。」
『本当にそうね。でももう、わたしは予言することはないのよ。しなくていいの・・・そのことが本当に嬉しいのよ、ユンファ。巫女の任が解かれたから・・」
「わからない、わからないよ、麗子。前みたいに、はっきり教えてくれ・・・」
しかしもう、答えはなかった。

スパイラルツウ-9-1

2010-07-29 | オリジナル小説



9・様々な輪が繋がって


「あの人・・・誰?」
香奈恵が押し殺した声で囁いた。
その声でアギュは振り返る。
「この姿で会うのは始めてですね、香奈恵。」
「アギュだ。」シドラが咳払いをした。
「阿牛さんだよ。」「ええっ?」
香奈恵はしばし声を詰まらせ、マジマジと神興一郎と並び立つ背の高い痩せた姿を見つめた。うちから光るような蒼いガウンのようなものを纏っている。
そのシルエットは、中世の貴婦人のマントのようにも見えた。渦巻く髪は・・・床まで届きそうだ・・・蒼味がかった銀色だった。肌は抜けるほど白い、こちらもどちらかと言えば青みがかって白過ぎるくらいだ。普通なら顔色が悪いと取られるところだが、どういうわけかそういう感じはまったくしない。
なんて言うか・・・と、香奈恵は感じるままに思う。サナトリウムとかにいそうな・・・多分、唇の色が薄いからだろうな。例えるなら、輝くほどの美人だ。サナトリウムなのに輝くほどとはまったく矛盾なんだけど・・・だけど、本当にうちから光が射すような感じなんだもの。姿はすんなりとして華奢で・・だけど、表情は柔らかく、雰囲気はやさしく明るい。勿論、病気っぽい感じは微塵もない。
それに・・・ビックリするほど、目が蒼い。
「阿牛・・・さん?ユリちゃんのお父さんの・・・?」
何より、ユリちゃんに似ていないと香奈恵は戸惑う。床に横たわるレイコさんとユリちゃんの関係は似ているからすぐにうなづけたけど。この人はどちらかと言うと、父というよりは・・・。かといって母親には到底見えない。香奈恵の感覚ではまだはっきりとした言葉にはなっていなかったが、それは肉体の持つ生々しいものが皆無だということに尽きただろう。
プロポーションだけならシドさんの方が確かに女だとうなづける。だけど、その精神が醸し出す強さならばシドさんの方が圧倒的に男らしい、男っぽいと言えるだろう。思わず見比べたシドラの側に寄り添うユリと目が合う。ユリの肌は健康的に日焼けした小麦色、目は黒々と黒い。「チチだ、カナエ。」
香奈恵の戸惑いを理解したかのように、ユリが緊張を少し解くと笑ってうなづいた。
「えっ!ええーっ!だって、阿牛のおじさんって・・・!」おっさんだったのに。
「き、奇麗な人・・・。」
「その基準がどうも、我には納得いかんのだがな。」シドラが聞いて顔を顰めた。
恐るべき面食いの遺伝子、とガンダルファと渡が共犯者的に声を殺して笑い合う。
阿牛さんはさっき香奈恵に声をかけただけで、すぐに隣の悪魔の方に顔を向けてしまった。その僅かに見える後ろからの眺めを香奈恵は混乱しつつ見ている。
なによ、これ。宇宙人って美形ぞろいなわけ?。シドさんといい、ガンタだって顔だけはいいし。それを言ったら、宇宙人だけじゃない、悪魔も天使もなんだけど
さ・・・・香奈恵の脳裏にはパラダイスって言葉が先ほどから、ヒラヒラと飛び回っている。もしも、ママリンが知ったらさぞや悔しがるだろうなぁ。
「アギュどのはこの地では年齢相応な姿を演出していたわけなんじゃ。それはの、香奈恵殿達の網膜に直接働きかける方法での・・・年に数回、まとめて母船からの・・これは、ユリ殿の年齢とかを誤摩化す方法と同じでの・・・種を撒いておいてだ、それに、そのアンテナと言えるモノにだの・・・なんたらかんたらの、電波というかそういったものを・・・シャワーのようにこの一帯にだの・・・」
なにやら難しい専門的なうんちくをかましているトラをチラリと見た。
回りで真剣に耳を傾けているのは渡ぐらいだ。理解できないくせに、目が真剣で顔がすごく楽しそうに輝いていた。
それを見ていたら、香奈恵の理性がどうにかだんだんと戻ってくる。
『まあ、宇宙人が・・・美形ばかりってわけじゃ・・・なかったわね。信じられないけど本当はおじいちゃんなくせにこういうかわいいっていうか、どうみてもショタっぽいっていうか、その、豆大福みたいなタイプもいるわけだし。ドラコだって・・どうみても両生類ぽかったもんね。でもまぁ、その方がより現実的かあ。』
トラは香奈恵がさっぱり説明を聞いていないのにやっと気が付いた。聞いていない割にはやけにマジマジと自分の顔を見つめている。
「香奈恵どの・・・先ほどから、なんじゃの?」
「ううん、なんでもない。」慌てて首を振る。「トラさん、説明をありがとう。」
「僕、よくわからなかったけどぉすっごく面白かったよ!」
渡がニコニコしているのでどうにかタトラも面目が立った感じだ。
「又、もっとくわしく教えてよ。お願いだよ、トラさん。」
そう言われてやっとトラにも笑顔が戻った。
香奈恵の失礼な物思いは到底、トラの理解の範疇を越えている。

さて、その間にも。ジンは横たわるレイコに近づいて、手を伸ばす。
ユリがうっと呻いて一歩前に出ようとするのをアギュが制した。
「大丈夫さ、お転婆。お前の婆ちゃんの体には何もしやしない。」
ジンは片頬で笑うと伸ばした手をそっと緋色の袴の帯に置く。
その手を探るように降ろすと、下腹で手を止めた。
「言ったろ、ヒカリ。ここに封印がある。」
ジンの念。アギュの眼にはジンの手から黒い帯が巫女の体の中に差しいるのがわかる。暗黒の黒い腕。それが、冷えきった子宮の中の何かをグッと握りしめた。
「うん!」ジンの眉間に皺が寄った。何かが弾ける感覚がある。
わずかに空間に満ちた空気を震わせるのをアギュは感じる。すると・・・・
「はぁ・・・」微かな風が巫女の閉ざされた唇を通り抜けた。
「うわっ!」ガンタの渡の肩に置いた手に力が入る。「まさか、今、息が?」
「生き返ったの?」渡が呟くと香奈恵が慌てて頭を振る。
だって・・60年前の人でしょ?生き返るわけないじやん???
シドラとタトラは言葉もない。鴉は気配をすっかり消している。
「いや、生き返ったわけじゃないさ。」ジンがやっと体から手を放した。
「封印された奴を解放しただけだ。魂魄は体を離れている。この体はとことん死んでいるんさね。」「コンパクとは?」
アギュがユリを残して歩み寄る。
「人が人たるのに必要な二つのものさ。いや、二つ以上かもしれないな。」
ジンが顔を巡らすと、思いに耽るアギュレギオンの顔があった。
「ヒトがソノヒトであるために必要なもの・・・タマシイでしょうか。」
自分もかつては魂・・・宇宙では精神流体と呼ばれるもの・・・それがあったのだろうか。アギュは自身を振り返る。そして今、肉体と精神が融合しつつある臨海進化体となった自分に魂とはどういう存在に形を変えているのだろうかと。この身はひとつ。融合しつつある肉体と精神・・・おそらく魂とやらも。アギュは自身の胸にそっと手を置く。自身とは異なる唯一の異物。ユウリの魂の欠片がそこに・・心臓があった場所に息づいている。そのオレンジの光は手の中に安らぐ蛍のようにアギュの掌を透かせて瞬く。
それには気が付かず、隣ではデモンバルグが得意げに話を続けている。
「魂のない俺っちにはよくわからないのさね・・・だけど人間と付き合いの長い、俺のこれまでの経験によると・・・肉体に宿るタマシイと呼ばれるものは最低でも2つ以上のものでできているみたいなのさね。いくつにも分かれる場合も俺はみたぜ。大抵は2つってのが多いのさ。そいで、人が死ぬとこれらは全部、別々になるんさ。」ジンは横たわる妊婦を顎で示した。
「例えばさ、封印されていたこれも魂魄の『魄』のひとつと数えてもいいはずさね。」
「スズキマユミ・・あのニンプに入ったものは、ドッチなんですか?」
アギュの声は低い。悪魔にしか聞こえないはずだ。
「まあ・・どっちでもいいが。仮に・・それも『魄』とでもしておくさ。」
ジンの声も低くなり、アギュにしか聞こえなくなる。
「では・・・かつてワタルに入ったものも同じ『モノ』なのですね。」
「・・・そうさね。」
アギュが聞こうとしていることを即座にジンは悟る。デモンバルグが追って来たもの・・・デモンバルグが『剣の魂』と呼んでいるモノを仮に『魄』と名付けるとする。飛来したその『魄』は死んだ胎児の渡の中に入り、そこにあった渡の『魂』と結ばれた。現在、竹本渡としてここに存在する少年の持つタマシイ、彼の肉体を所有している『魂魄』は過去に存在した誰かの単なるコピーではなく、基本的には渡自身のオリジナルなのかということをアギュは渡の為に確認したいのだろう。
「俺っちには難しいことはわからないさ。ただ・・・人が死んで片方か、いくつかは飛び立つ。それは、確かだ。」
何万年も。嫌というほど、体験した。しかし、とジンは言葉を飲み込む。
この『盾』と『剣』を象徴するものはちょっと普通と違うのだ。無意識にジンは顔を顰めている。なぜなら、どういう仕組みでそれらが違うのかはジンにはわからなかったからだ。ジンが意識を持った時には既に、すべてはそのようになっていたのだ。
「アナタが追いかけている・・・モノは常に同一なんですか。」
ジンのしかめ面を探るようにアギュが見る。
「そうさな・・・俺が追ってるのはいつも同じモノさね。」
そのことの不思議を今更、ジンは実感する。言葉を慎重に選んだ。
「普通、飛び去った魂は・・・どこか彼方へ飛び去ってしまうもの以外は、この世界の大気の中をグルグルと巡っているのさね。その間に魔族や天使に食われたり、削られたり混ざったりしてしまう。そうして別の欠片同士が結びついたものが・・・たぶん熟成するとか時期が来たらだと思うんだが、又人の元へと戻って行くのさ。」
ジンはアギュと目を合わせる。恐ろしく蒼い目は悪魔さえ、不安にさせる。
「俺の追ってるヤツはだ・・・他の魔族共が手を出さないように俺っちが目を光らせているせいかもしれないが、もう何万年もまったく変わりがないさ。さっきみたところじゃ、もう1つの魂のクオリティの質もどうやら遜色がないように見えたから・・・ひょっとして、俺が苦労していた手間暇はあまり意味がなかったのかもそれないさね。」
ジンは肩を竦め、あからさまにため息を付いてみせた。
しかし、アギュはだまされない。アギュはジンがすべてをわかっているわけではないことを知らない。当然その特別な『魂』のルーツ、その特別さの秘密を誰よりも知っているのはデモンバルグ以外はありえないと考えていた。
「魂魄の・・・死んだ肉体の方に残されたモノ・・・仮に『コン』はどうなるのですか?」その秘密の一旦でもいいからなんとか口を割らせたかった。
「色々さね。さっき言ったみたいに飛び去ったものと同じく、天に昇るものもあったし。もともとそれは、体内で受精した時から持っていたものだと思うが・・・だからかね、大方は肉体にそのまま留まったままさ・・・地上にというべきかね・・そしてまぁ、それもいつの間にか、消えてしまうみたいさね・・・どこかへ消えるとしても、所謂成仏とかをするのかは知らん。この死体に残ったものを食べる奴らもいるし・・・」「マゾクがですか?」
「魔族だけじゃないさ。」ジンがニンヤリ笑う。
「お優しい天使族だって死体からも食べるのさね。」
物陰のカラスへと視線を走らせる。「おいっ、聞いてんじゃないぜ。」
悪魔だけでなく、天使も地獄耳であるのか。
気配を消した鴉は扉の影で笑って肩を竦めた。魔族も天使も同じ物とはいえ、屍鬼の真似をするものは天使とは鴉は認めたくはなかった。

二人だけの会話を低く続けながらも、アギュとジンの視線は床の巫女からは離れない。
封印が解けたとジンが言う巫女の体から、徐々に渦を巻きながら何か風のようなものが放出されて行くのを感じているからだ。巫女の口は僅かに開いている。
二人の後ろ、遠巻きにした観客達も我慢できずに身を乗り出した。
「アギュ!」遂にガンダルファが小さく叫ぶ。「下がった方がいいんじゃないか?」
巫女の瞼がわずかに開かれた。ジンは落ち着いてどよめく観客を押さえた。
「この体は・・・取り付かれたものによって動かされているのさ。だけど、大丈夫。危険なものじゃない。なにせ、渡の大大叔母さんが大事に体に入れていたものさ。」
「そんなの、当たり前じゃん!だって・・・私のオバアちゃんでもあるんだもん。」
ユリが我慢できずに小さく付け加えた。
「おい、立ち上がれるか?」ジンが横たわる体に声をかけた。
すると驚いたことに巫女はフワリと、まさに体重を感じさせない動きで立ち上がった。関節が1つも曲げられなかったと言っておこう。そこには風の柱がある。その中心で身長150センチのレイコの小柄な肉体は木の葉のようにクルクルと回り始める。黒髪は上に立ち上がり白い衣の袖と緋の袴の裾が花のように広がった。
アギュとジン以外の人間達は後ずさった。香奈恵がユリを抱き寄せたことは言うまでもない。その二人を更に守ろうとシドラが立ちふさがる。
「どういうことなんだ?」ユリが大きな眼で睨むようにジンに聞くと、ジンは肩をすくめた。「俺っちにもわかんね。」
アギュもバレーを踊るかのように緩やかに回転する巫女の体をジッと見つめた。
『魂魄』の『魄』・・・。
腹から目覚めた何かは今は女の抜け殻全体に広がり肉体の輪郭をぼんやりと光らせていた。その光が炎のように伸び縮みする度に風のような、風とも違う柔らかな空気がそこに吹きだまっていった。匂いが・・・新緑の森に分け入った時に足下から立ちのぼるってくる匂いだと渡は思う。
「話せますか?」
アギュはジンに尋ねたのだが、突然、半眼を開けた女の口がパクリと開いた。
「ひうぅぅ・・・えあうぅ・・・」歌うようなさえずりのような音が絞り出される。
「こいつは・・・いわゆる、自然のものさね。おそらく。」
ジンが声に補うように話しかける。これは魔族とも天使とも違う。勿論、天使達が持ち望む万物の創造主、ロードとはまったく別の『神』である。
アギュがこの星に降り立って以来、日々目にする自然のエネルギー。この星の生けるモノすべてが作り出す熱と意識の無数の小さな次元。その膨大な次元が似た波動を持った物同士、より集まって一塊のやや大きなエネルギー体を形作っているとする。その寄り集まったモノが人間という個体の意識に干渉する必要を感じて歩み寄った時に・・・(あるいは人の側から交渉したいと切望した時)・・・象徴として現れる無数の意識が形作る、人間が認識できる一定の姿。それを『自然神』と呼び分けることとしよう。
「この巫女さんが奉っていたのか・・・産まれた時から既に一緒にいたのか・・・」
ちなみに自らを魔族と主張しているデモンバルグ、ジンはこれらの自然神達が苦手であった。ほとんど100%、没交渉と言ってもいい。
こいつらとはなんとなく肌合いが違うっていうか、言葉が通じないと言うか・・・なじめないんだよなと、同族意識からついうっかり天使族に目を走らせてしまった。するとやはり、鴉もドアの隙間から複雑に顔をしかめて、さえずる麗子の遺骸を見つめていた。天使と目が合う前に、ジンは急いで目を戻す。
小鳥のようだったさえずりは幾度か変調し、聞き易くなり次第に人の声へと近づいて行く。それはレイコの肉体に宿り巫女の声帯を使っているのだからだろう。最終的には落ち着いた女の声へと目まぐるしく変わって行った。ソプラノの歌うような歌詞のない祝詞のような歌はやがて次第にトーンが下がり、穏やかで優しいアルトの声となる。
そして、今世紀最大の巫女と呼ばれたレイコにふさわしい深い声音でついに言葉を発した。
「・・・わたしは・・・れいこ・・・」
死体の開かれた硝子のようにどんよりした瞳に金色の光が宿った。
見る間に表情が変わる。
切れ長の目は更につり上がり、唇も弧を描く。しかし、それは美しい笑みだ。
青白い白鑞の肌にはほのかな色が刺すと、風の中で巫女は舞うように腕を開いた。
「神城麗子か。」「違う。霊狐だ。」アギュの言葉をジンが鋭く訂正する。
「おそらく・・・この巫女が仕えていた神社のご神体だろうさ。」
「あっ、権現山の!」「神代神社だ!。」渡と香奈恵が声を上げる。
「ご神体とはなんじゃの?」当惑のタトラ。「神様だよ。」と、ガンタ。
「今度は神と来たか。」シドラがフンと鼻を鳴らす。

「来た、来た、来た!」ユリが階段の上を指差す。
その場にいたすべての者が今回はそれを目撃することができた。霊弧の成す技であろうか。霊弧が彷徨う霊魂との間のフィルターとなって、虚ろな巫女の姿を彼等の網膜にはっきりと映し出したのかもしれなかった。
ガンタもシドラも、ニュートロンであるタトラまでもが息を詰める。
眼の前の死体にそっくりな女がそこに立っていた。
その体はジン以外の眼には、死体のレイコに較べると色彩が鈍く、輪郭が不鮮明に映っていた。そしてジンの目には相変わらず鮮明に、記憶を掻きむしる映像として。
透けた体を斜めに走るのは、眼に痛いほどの金色の光。帯となって虚ろな体にまつわり付いているのがそれだけは、誰も目にもはっきりと見えた。
粒子の薄いその女はいつもの行動をなぞるように階段に足を降ろし始める。
巫女の体に宿った霊狐の回転が止まった。同時に吹きすさぶような霊弧からの息吹が更に強くなったが、髪を嬲られているユリも微動だにしない。
「なにこれ?これが、幽霊なの?」香奈恵がつぶやく。「ユリちゃんのお母さん・・幽霊・・始めて見ちゃった・・・」思ったより怖くない、普通の人みたいと思う。
「香奈ねぇ、これはまだ違うんだ。伯母さんの方。」と渡も囁く。
「ややこしい・・・」ため息を付いて、従兄弟に寄り添った。

「この麗子の影は魂魄の残りの魂なのですか。」アギュがつぶやく。
「まあ、魄といえば魄だが。」ジンは麗子の亡骸と肉を持たぬ麗子を見比べた。
「これはどちらかと言うと・・・残りかすさね。」残りかす?。
影の歩みが止まった。
霊弧がその歩む動線上に立ちふさがっていたからだ。
放たれる風の中で虚ろなレイコは戸惑うように揺らいだ。
その表情は拭き寄せる風の中ではっきりとしない。
霊弧は影を見据えたままに、静かに話し出す。
その姿は在りし日の巫女、神城麗子がこうであっただろうと観客に感じさせた。

「わたしはいのち。わたしはこのちをすべるやまやまのいのちそのもの。にせんねんとすこしまえ、わたしはただしきにんげんにこわれてかみしろのみやへとくだったしかし、それも、もうおわってしまった。いまやみこのかけいはたえ、わたしとみやをつなぐいとはすでにきれている。わたしはふたたびやまのいのちへともどる。わたしのいないあいだにやまのいのちはすさんでしまったようだ。わたしはこれから、それをたださなくてはならぬだろう。わたしをここによびだしてくれたおまえたちにはかんしゃをしている。おまえたちがわたしのたすけをひつようとするときはそれをえられるだろう・・・」
アギュとジンに霊弧の視線が移る。
「あくま、ちをはうどくむしよ、そしてそとからきたもの、このほしのものとはちがうひとよ・・わたしをひつようとしないものたち・・・しかし・・わたしはかりはかならずかえす。」
「はは、毒虫にまでとは、ありがたくて涙がでるさね。」ジンがアギュを肘で付いた。
「お前達のこともお見通しとは、さすが神様だ。」
そのアギュの脳裏ではレイコの姿が真っ白な九尾の狐へと変貌している。
霊狐が自分に見せていることをアギュは理解する。象徴。
「ありがとうございます。必ず、覚えておきます。」
風にアギュの髪が揺れて蒼い光が散った。
「アナタがヤマヤマのイノチであり、マモリであることとトモに。」