MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ-3-4

2010-04-23 | オリジナル小説


話を再び、天界を鴉と彷徨うアギュとシドラへと戻そう。

閉じられているとは思えない程に空は青い。
その空に向けて聳える4つの柱。
しかし、柱と見えたのは、流れ落ちる衣服のヒダが直線をより強調している為。
明鴉が4大天使と紹介したモニュメントは向かい合いたたずむ巨大な彫像であった。
見上げてみると、それぞれの彫像は背で折り畳んだ羽を有しているのがボンヤリと伺えた。
『驚いたな・・・これでは・・・会話等、できるのか。こいつも死んでいるんじゃないのか?』シドラが囁く。明鴉に向けたのは不信の眼差しだ。
「・・・死んでいるというのは当てはまりません。ここの天使達は、すべて仮死状態なんです、って言っても死んでるのとあまり変わりませんか・・・彼等は来るべきハゲマゲドンに吹き鳴らされるラッパの音を待っているんです。」
鴉が自信なさげに訂正する。
「ふん、そしたら起きるわけか。」
「まあ、待ってるうちに待ち疲れてしまったわけですね。」
気を取り直すと、アギュを振り返る。
「ここでは仮に4大天使と呼んでいますが・・・別に言えば・・・普賢、文殊、観音、弥勒、4菩薩だと呼ぶ人間達もいるのですよ。この名前はご存知でしょう?」
『今度は仏教と来たか。』
「つまり・・・同じ物だと言うのですね?」アギュは柱をしげしげと見上げた。
「はい、たまたま、あなた方は最初にミカジェルと遭遇したわけで・・・彼はキリスト世界にしか自分を置くことを認めない、そういう奴ですからね・・・その結果、彼のイメージ世界に感応したまんま、ここに入って来たということです。だから今、ここは一見キリスト世界としてあなた方の脳裏に現れているわけです・・・ちょっと良かったら、見方を変えれて見てください。おもしろいですよ。意識して、これは天使だという先入観を捨てて見るわけです。」
そう言ったとたん一瞬、天使であった明鴉は黒い羽を持つ鴉天狗にだぶる。
「この姿の方がお好みでしたなら、こちらをお選び下さい。」優雅に舞ってみせる。
その回りの死んだ天使の群れも、羽衣のような衣装をなびかせたままの眠る迦陵頻迦と天部の梵天の群れと重なった。
「そう・・おもしろいですね。」アギュは感慨深くそれらを見て取った。
「あらゆる信仰の形をあなたがたは具現化させているわけなのですね。見る者によって違うものと写る・・・彼等人間のそれぞれに見たいものを見せる。」
「いわば、商売道具です。」鴉は黒い羽毛に覆われた切れ長の目で笑う。
「この姿で人間の信頼を勝ち取り、最も我々がおいしいと感じる信仰心を捧げさせるわけですから。」
「しかし、あらゆる宗教が一つの姿を持つわけでもない。」
「そうです。ミカジェルのように固定した姿に固執するものも多いですけど。信仰される中心になるものは一定とは限らない。宗教派閥が無数に産まれるわけですよね。4大天使と名乗るものさえ、たくさんいるといいましたよね?。平たく言ってしまえば、望むものを人間から取り出せす為ならば、なんだってありだと言ってもいい。魔族も天使もただの呼び分けだと僕はいいました。魔族と天使がまったく同じ行動をすることもあるのです。」
「デモンバルグのように。」
「そう、デモンバルグなんてその代表例でしょうね。彼は恐怖を好むけれど、自分の求める魂をひたすら守っている。雛を守る親鳥のように。滑稽と言ってもいいくらいだ。」
改めて、アギュは聳える彫像を見上げた。羽ではなく今度は背には光背が見える。
奇妙な事に目線を上に走らせれば走らせるほど、上半身はぼやけ胸や顔に当たる部分は濃い霞が掛かっているように見えた。
「・・・4大天使は会話もできます。あそこへ行けば・・・のはずです。」
「なるほど。そのようですね。」見上げてうなづく。
なぜなら、天使柱が形作る正方型の中心に、一つの次元が作られていることがアギュには感知できたからだった。
像がぼやけて曖昧になっていっている場では、空間が強く内側に凹んでいると強く確信する。「では、行ってきましょう。」
アギュは浮遊すると、鴉を追い抜いて見下ろす。
「あなたは?」
鴉は困ったようにアギュを見上げた。
「僕は・・・遠慮しておきます。用もないし。彼等も僕に関心なんてないでしょうから。僕はきっとはじかれてしまう。でも・・・あなたなら大丈夫だと思いますよ。」暗に4大天使の方でも既にアギュに関心を寄せている可能性を示唆する。
「僕はここであなたのドラゴンレディと待っていますよ。」
「冗談じゃない。」すばやく、怒ったシドラが現れた。
「あなたはどっちが好みです?」明鴉はシドラに問うたが無視された。
『我もおぬしについて行くぞ。危険極まりない。』
「シカシ。」アギュは目をすがめて上空を吟味した。人格が変転する。
「アソコへはバラキでは侵入できない。特殊な場だ、違うか?」
しばらくバラキと会話をしたシドラは、間を置いてから渋々うなづく。
それらを好奇心一杯で見て取った明鴉は嬉しそうにドラゴンの背に近づいた。
「ほら、言ったでしょう。ここで僕と遊んでいましょうよ。」
「やなこった。」「ちょっとだけ、乗ってもいいでしょう。」「なんだと」
鴉とバラキの背に乗ったシドラが言い争ってるのを背後にアギュは上へ上へと自分の存在を引き上げて行く。
その空間は回りの空間を引き込む中心部とは反対に、近づくにつれてその外部輪郭からは侵入を拒むかのように分子が外へ外へとと押し出されている。
流れに逆らうように、体が重く動きが遅くなる。
例えれば、そこは時間というものが更にゆっくりと流れているかのようだった。
時間が負荷に押しつぶされ這いつくばる。
「人工的な次元だ。これが4大天使の力か?」
アギュは自身の存在を巧みに分散することによって複数の空間にぶれさせた。幾重にもぶれたアギュは(それは人の目で見たとしても感知できない)ほとんどの抵抗力を相殺することに成功した。
そしてやがて、その4大天使のプライベート空間とでも言うべき場所に到達する。

はじき出されるように気が付いたら、アギュはその空間に飛び込んでいた。
そして、そこに『それ』はいた。
渦くまる光の粒子の渦。その空間をみっしりと詰めて重く存在する金色の光。
太陽には及ばないが、核融合を繰り返す巨大で圧倒的なエネルギー。
立ち上がる太陽フレアのような4本の角がなければ日輪そのものであった。
その前では、蒼き光のアギュは小さな光に過ぎなかった。
しかし、その光はその場のエネルギーに瞬時に反応しそれらを取り込み、何よりも強く鋭く輝いた。アギュは身の内が溶岩のように滾る熱に満たされるのを感じる。
おそらく、少しでも戦けばその存在に頭から飲まれてしまっただろう・・・生半可な気力ではアギュでさえ光に溶けてしまったかもしれなかった。
胸に輝く低いオレンジの光がアギュの体温を冷やして行く。
アギュはかつて惑星よりも巨大なワームドラゴンと対峙したこともあった。
臆することはない。
「オマエが4大テンシか?!」アギュの口から不遜な高い声が放たれた。
「4人いるっていうのに、4人、いないじゃないか!」
重い空間に鎮座する光はしばし激しく渦巻いた。粒子がぶつかりあう、ゆっくりとしたざわめきと共に光が立ち上がるのがわかる。
『・・・控えろ・・・』と、その存在は濃く重たい意志を伝えて来た。
『・・・我らは4人にして1人・・・1人にして全てのもの・・・』
「フン。気取ってるな、さすがホショクシャどもの親玉だ。」
『・・・宇宙から来しものよ・・・』
ふーん、なるほど。もうアギュ達のことを把握している。明鴉の言った通りだった。
『・・・この星を巡る・・・三千世界において、知ろうとして我らの知らぬことなどないのだ・・・』
ほとんどはあえて知りたくもないことばかりって言いたいようだなとアギュは心のうちで皮肉る。
『・・・天使との争いも・・・すべて見ていた・・・』
『・・・お前が鴉に語った話も・・・ここで聞いていた・・・』
「すべてお見通しってわけか!では、オレが誰だかはもう知っているな?!」
アギュは挑発する。
「オレがどういう存在かってことだ!言ってみるがいい、三千世界の蛙よ!」
『・・・それは・・・わからぬ・・・外世界から来たということだけしか・・・』
挑発をかわし、淡々とそれは己の無知を認めた。『・・・お前は何者だ・・・・』
「オレはニンゲンだ。最高にイカシタ、シンカしたニンゲンだ!」
アギュは誇らし気に叫ぶ。「オレはリンカイシンカ体!。」
思い出したように口から、こう笑が迸った。
「いっとくが、ロードではない。」
それに答えるかのように、金色の粒子が光速で渦巻いた。
「4大天使・・・笑ってやがるのか?」アギュは油断なく身構える。
『・・・なるほど・・・愚かな間違いだったな・・・』
「ロードなど、いないのだろう?」アギュは容赦しない。
「それはオマエ達がニンゲンをホショクする為に、カンリするために作ったゲンソウだろう!? そうやって、人間達を騙してエネルギーを食うわけだ!」
しばし、光は沈黙する。
「ホラ、見ろ!図星だ!オマエらは寄生虫だっ!」
叫ぶと共に、剣のような青い光が渦巻く光に鋭く打ち込まれたが、その先端は金色の密度の濃い粒子と激しくぶつかり火花を散らせた・・っと思う間もなく先端が折られ四方に弾けとんだ。4本の光の角は微動だにしない。
『・・・戦いなど飽いた・・・我らに争いをは無用・・・』
侮りがたい相手であることをアギュは悟り、密かに舌を巻く。
少しはお行儀良くした方が利口なようだ。
光が飽いたのはアギュへの関心でもあったのかも知れない。
誰もいないかのように光が、つぶやく。
『・・・ロード・・・わからない・・・』意識が水面のように揺れる。
「オマエにもわからないのか。オレもわからないがな。」
ふと、アギュも真顔になり、小さくつぶやいた。
対峙する二つの光にしばし時が過ぎたようだ。

『・・・宇宙にも・・・ロードはない・・・』
「知らん。」4大天使が再び呟くと、即座にアギュは吐き捨てた。
「ただ、オレと同じリンカイしたニンゲンはすべてウチュウの果てを目指して消えたと聞く。果てにナニがあるかはわからない。今のところは、誰にもな。」
『・・・宇宙の果て・・・』
「いつか・・・」その時、自分でも思いがけないことをアギュは言う。
「オレも行くがな。」
言ってから思う。果たして、オレは本当にそれを望んでいるんだろうか。
他の人格からの干渉はなかった。彼等は完全に接触を断ち、沈黙している。
自分でもアギュはわからなくなった。
光は再び、アギュの存在を思い出したようだ。
『・・・なぜ、お前は行かない・・・』
今度はアギュの方が答えない。意趣返し、子供のように。
「オマエも・・・おそらく、そこへ行けるんじゃないかな?」
確信は持てないまま、天界とされる空間の薄い膜のことをアギュは考えていた。
「あと何億年か待てば、ここは破れる。銀河の中心を貫く、ワームホールへと投げ出される。オマエらはドコへ行くんだろうな。ウチュウの果てとやらへも自由自在かな。」
アギュの目には押さえがたい憧憬が浮かんでいたのかもしれない。
再度、光が問う。
『・・・なぜ・・・仲間の下へ行かない・・・』
「仲間じゃない。」即答せずにいられない。「オレの仲間はここにいる。」
今はだ。しかし、そしてその後は?。
彼等が短い命を終えた後、アギュはどこにいるのだろうか。
『・・・進化した人間も変わらぬものだな・・・』
アギュは自分の思いがすべて4大天使に伝わっていることに困惑した。かつて上司となった元最高機密研究所の長官、イリト・ヴェガはアギュを憂慮していたのではなかっただろうか?。覆い隠すべき肉体を失った人間、すべての感情がむき出しになったまま生きている存在。見方を変えてみれば、それが臨海進化体なのではないかと。

「そんなことはどうでもいい。」アギュは目的を思い出した。
「オレが聞きたいのは、デモンバルグだ。デモンバルグのことは知っているな?」
『・・・デモン・・・』4大天使は確かに肯定したようだ。
「アイツは何もんなんだ?アイツの追ってる魂のことを知りたい。」
『・・奴は・・不可侵領域・・・』気のせいか、いらだしげに光は瞬いた。
『・・・もうひとつ、ある・・・・』
「?」
『・・・追ってるもの・・・』
「デモンバルグが追ってる魂がもう一つあるのか?」
『・・・追ってはいない・・・対になるものだ・・・』
「渡が持ってる魂と対の魂があるのか?」
『・・・デモンバルグはそれをいつも遠ざけている・・・・』
「自分の追ってる魂からか。」
『・・・デモンバルグの狙いは・・・わからない・・・』
「デモンバルグは有史以前からのただ1人の悪魔だって聞いたが。」
『・・・・おそらく・・・・』
「4大天使のオマエらよりも古いのか?」
『・・・確かめようがない・・・・』
アギュは僅かに舌打ちする。
「ちぇっ!役に立たないな。ならば、それはいい。その対になる魂とやらはどこにあるんだ?」
もったいぶるかのように光が渦巻く。密やかな笑いを秘めて。
「教えろ!」その時、アギュの中から突如、別の人格が浮遊してくる。
「そんな風に彼等にごり押ししてはいけません。」「いいんだ、こいつらは所詮、デモンバルグと変わらないホショクシャだぞ。」「あなたの何倍も生きてこの星の人々の信仰を司って来た方々です。もっと聞き方があるでしょう。」
少し、抵抗があったが交代する。
「申し訳ありません。」アギュは光に許しを請うた。「カレは口の聞き方をしらないものですから。」
『・・・1人ではないのか・・・』
「はい、あなた方と同じです。私は二人、統合人格を入れると3人と言った方がいいかもしれません。」
『・・・似ている・・・』
アギュと変わったのはカプートと呼ばれた418であった。
「実は、私達が複数人格を得たのはある不可抗力なのですが。確かに、肉体を失いつつある私達と、具象化した体とはいえ物理的な姿を捨てて1つに融合したあなた方、4大天使と私達は似ていると言えば言えるでしょうね。」
いつもは滅多に出ては来ない418はついつい饒舌になる。
「ただし、大きな違いがある。私達は連邦からの頸城があるとはいえどの空間にも出入りが自由である・・・しかし、明鴉さんの話によると、魔族も天使族もこの地球の重力から離れることができないそうじゃないですか。あなた方、4大天使もそうなのではありませんか?。あなた方が今の姿を取る事にしたのも、それが大きな要員ではないのですか?」
『・・・よく、しゃべることだ・・・』4大天使の口調に始めて変化が現れた。
『・・・我々は有史より地上を管理していた・・・何の変化もない単調な繰り返しだ・・・人間は増え栄え、たくさんのエネルギーを我々に提供し続けた・・・我々はそれを吸収し淘汰しあい重い巨大なエネルギーとなった・・・しかし、それだけだ・・・終わりがない・・・それに気づいたものがここに来て自分を封印した・・・いつか何らかの変化が現れるまで・・・そう・・・すべてに・・・我々は飽いた・・・今は地上になんの関心もない・・・』
「そうですか・・・」418のトーンも落ちる。
「我々がオリオンからこの地球に来たことで、何らかの変化が起こせればいいのですが・・・」
『・・・期待はしていない・・・』
「我々はここの人類と祖を同じくする人類の末裔です。ここの時間で何千万年も前、祖の人類から別れた一群の人間達が船でこの星に降り立ちました。我々が派遣されて来たオリオン連邦を作ったのはそれ以外の人類です。祖の人類にはあなた方のような天使や悪魔と言う観念があったことが伝わっています。しかし、オリオンの人類にはそのような観念すら失われているのです。しかし、ここの人類達は今だに祖の人類に近い遺伝子を保ち、自覚はないかもしれませんがあなたがたような存在と共にあります・・・それがなぜなのか私は知りたいのです。」
4大天使の光が激しく渦巻き出す。内側で新たなエネルギーを作り始めていることを418は確認する。退屈した彼等の好奇心を刺激し、興味を引く事ができたようだ。
『・・・ドウチ・・・』
「・・・なんですって?」
『・・・思い出した・・・かつて我々は魔族と激しく争った・・・それを調停したのがデモンバルグであった・・・魔族も天使族もかつては同じものであったと奴は言った・・・・争うのは無意味・・・どちらが上か下かもない・・・」
光は記憶をたどるように瞬いた。
「・・・そう、奴は言った・・・ドウチと呼ばれたのだ・・・我々はパートナーソウル・・・それが原型だとデモンバルグは言っていた・・・』
「!」アギュの内も激しく輝く。ついに望む情報を引き出したのだ。
「その時から、彼はその二つの魂のうちの一つを追っていたのですか?」
『・・・そうだ・・・もっとずっと昔から・・・』
418は興奮を抑える事ができなかった。
「そうです!、確かに祖の人類の初期の記録にドウチと言う存在が残っているのです。人々はドウチによって守られていたと。それではひょっとして・・・デモンバルグは遥か人類がここに降り立ったときからの何らかの情報を握っているのに違いありません!。これは私の直感です。直感に過ぎませんが・・・あなた方は変化を待っているといいました。もしかして、その変化に繋がるかもしれないのは・・・デモンバルグなのかもしれません!。彼に会わねばならない・・・」
『・・・奴は一筋縄ではいかぬ・・・それ以上は・・・語らぬ・・・』
「彼の追っている魂と対になるものはどこにあるのです?」
418は頭を下げる。「必要なのです、教えていただかなくてはなりません。」
『・・・60年前までは日本にあった・・お前も知る神月・・』
「神月にあったのですか?!」
『・・・それから後はわからぬ・・・痕跡が消えた・・・・』
「消えたのですか。ほんとに?あなた方でもわからない?」
『・・・わからない・・・』
アギュが落胆しかけた時、光は続けた。
『・・・わからない、が・・・ある・・・』
「何か方法があるのですね?」
『・・・知る方法はある・・・・』
「方法?」
光はものすごい勢いで渦巻き、己の中央に一つの穴をうがいた。
『・・・過去に聞くがいい・・・』
アギュはその竜巻が形どる螺旋の洞窟を半信半疑で見つめる。
粒子の渦巻くその巨大な洞窟は深くえぐるように熱の滾る溶鉱炉へと突き抜けて行るのではあるまいか。蒸気が盛んに吹き付けて来るが、熱さは感じなかった。

「おい、どうした?」再び人格が現れる。「やめとけ、こんなの罠じゃないのか?」
そして、叫ぶ。「ヒカリ、なぜオレ達にそこまでする?」
『・・・信じられぬか・・・ならばそれまで・・・』
「アナタ方は・・・」人格が統合する。「アナタ方も・・・来し方を知りたいのですね。ここに籠ってすべてを遠ざけてはいても本当は、いまだ待っているのです。」
『・・・デモンバルグの秘密を暴き出したものはいない・・・我らもできなかった・・・対になる魂を手に入れ・・・奴の秘密に近づくがいい・・・』
「勿論、あなた方が私を葬る可能性もなくはないが。」
『・・・・無意味・・・・』
418も再び現れる。
「時間と言われるものも不確定な次元の一つと言われています。この宇宙全体よりも大きなものとみられ、解明されていません。宇宙の中では明確な時間の観念がないからです。どうして、時間の密度がところにより濃くも薄くもなるのか?。まったく時間と言うものがない次元も多く存在する。遡るところさえ確認されているんですから。極端に言えば、あってないものとも言えるのです。ただ人間の観念の中に存在する時間という観念に限って言うならば、時間軸は螺旋であるとの考察があります。X軸に対するY軸は平行宇宙の連なりではないかと。時間とはそのX軸を移動する点同士の繋がりで表現されるしかないものなのです。そして、未来に行くのは容易いが、過去に戻るのは難しいと言う話もある・・時間軸は常に先へ先へと進んでいると考えられているから・・・と言うことは、もしも過去に戻れたとしてもです、そこからまたここへと引き返すは容易なはず、となります・・・こんな、チャンスは滅多にありません!。行ってみることに私は賛成します。」
「オレにはそんなに楽観的に思えない・・・このラセンを辿れば、デモンバルグの秘密に近づけるのか?本当にジカンを遡ることができるのか?・・・ヒカリ、騙すんじゃないだろうな!」
『・・・面白い・・・』
光が始めて声をあげて笑う。そこには、複数の響きが混じっていた。
『・・・こんなに面白いことは幾久しい・・・お前という存在が気に入ったと言ってもいい・・・そうだ・・・ここには我らが有史から経験した全ての記録がある・・・我らが見守って来た人類の歴史とやらを辿れば、そこここにデモンバルグの影が浮かぶのがわかるだろう・・・」
アギュは瞬時に心を決めた。
「では・・・行きます。」
アギュの統合人格はあらがううちなるものを押さえこむと、4大天使が開いた螺旋・・・日輪を貫く何処とも知れぬ洞窟へとその身を投げ込んだ。

スパイラルツウ-3-3

2010-04-23 | オリジナル小説

その頃。
城月村の旅館『竹本』では、綾子が眉を潜めていた。
「いやあねぇ、爆弾低気圧かしら?。」
調理場でお盆を胸に抱えたまま、天上に目を走らせる。先ほどから吹き続けた強風の最中、つんざくような雷鳴の音とともに雨が屋根を打つ音が響き出した。
「こいつは、いけねえや。」板さんは9人前の小鉢に手際良く、山菜の和え物を箸で分けながら「こんなの滅多にないですよ、女将さん。通り雨だと思いますがね。」
「今、テレビでやってますよ。」仲居の田中さんがほぼ配膳の終わった客用の高足のお膳を2人前2つ、4人前、お一人様の一膳と積み分けながら隣の居間へ顔を向けた。
「渡坊、天気予報聞かしてくれや。ボリューム上げてもらわんと、最近耳が遠くなってかなわん。」板さんのセイさんの声はマスク越しで籠っている。
「ほんとやんなるねぇ。カッパ着てくりゃよかったわ。10分ぐらいだけど、これじゃビショビショになっちまうわよぉ。」
「おりゃ、バイクだからカッパはいつも持ってるけどよ。」
「帰りも降ってたら、うちの貸してあげるわよ。」
綾子は明るく請け負うと居間へと顔を出す。
「異常気象だってさ。」テレビの前に陣取った渡が振り返る。
「太平洋上で大きな台風が突然、産まれたんだって。」
「ふーん。どうして?」
「さあ。」渡は首を傾げる。「わかんないから、異常気象なんじゃないのかな。」
「この大雨もそれと関係あるの?。」
「さあ。わかんない。」渡は既に天気予報に飽き始めていた。
「関係ないけど、関係あるみたいよ。なんか異常だってお天気の人が騒いでるから。」
「そうなの。」綾子は納得いかない顔でいたが「あれ?ユリちゃんは?トラちゃんは離れにいるの?」
「知らない。」渡は答える。テーブルに広げた分解した古いビデオデッキの部品に既に関心は移っていた。「トラはガンタと一緒だと思うよ。」
「また、呼び捨てなんかして。」綾子が眉を上げる。「年上なんだから、ガンタさん、でしょ?そろそろ、夕飯だから呼んで来といてね。」
「来んじゃない?もう、わかってるし。」
離れと母屋の間は屋根のある飛び石の廊下が付いている。でも、この雨だとずぶ濡れかな。渡がそう思った時。
「あら、香奈恵ちゃんどうしたの?」母の声に顔を上げた。
「あれ、そうだ、忘れてた!上で食べるんじゃなかったの?」
香奈恵は階段を飛び降りるように落ちて来てすごい音を立てて座り込んだ。
「痛たたっ!踵ぶつけたっ」でも、それどころじゃない。
「香奈恵ちゃん、勉強忙しいの?」
「おばさん・・!」やんわりとした綾子に、香奈恵はてんぱった様子で
「ママは、ママはいったい今、どこ!?」
「さあ。」
「寿美恵さんなら、富士の間のお客さんのとこだよ。」
思いがけず、厨房から田中さんの声がかかる。
「富士の間?」渡は手に持ったコードを取り落とした。ハンダが取れてしまう。
「ああ、あなた達が連れて来たお客さんのとこね。」
ジンのとこだ。ジン・・・おばさん、何やってんだ?。
「良い男だからね。」田中さんのクスクス笑いはあまり良い感じではない。寿美恵がしばしば、男の客の部屋に長居することを意味深に当てこすっているわけだ。
香奈恵にもそれはわかった。
いつもなら、ムッとするところだが今日は違う。
「なんだ~、良かった!」と、胸を撫で下ろした。
「何がいいんだよ!」渡の尖った声に「何、カリカリしてんのよ。」と、返す余裕もでる。思わず安心した香奈恵は、目の前のキャンディーに手を伸ばす。いつもはお子ちゃまの食いもんだと馬鹿にしているものだ。
「どうしたの?お客さんのとこにいるのがいいの?」おっとりと促す綾子に慌てて手を振る。「ううん、なんでもないの!もう、いいの。大丈夫だから、おばさん。」
「変な子ね。」綾子は困惑しながらも、厨房に戻っていった。田中さんがお膳を運び始めたからだ。二人掛かりでないと運びきれない。
「あ、手伝おうか?」自分を渡が睨んでるのを感じて飴を口に入れたまま。
「いいわよ、足りてるから。お勉強の続きをなさい。」
「どうせ、手伝う気なんかない癖に!」母親達が遠ざかると渡は機嫌が悪い声を出す。「あるわよ!ありますって。」香奈恵は渡に会心のしかめ面を返す。「ただ、残念なことに私は受験生なもんで~!断られました~っと!」
「僕、もう食べる準備しないと。」渡はおもむろに立ち上がると機材を片付け出す。いつもはやんやと怒られないと始めないことだ。
「なによ、渡、あんたなんで機嫌悪いの?」入れ替わりに上機嫌になった香奈恵。
「ねぇ、あんた達が連れて来た客って、どういう人?どこで会ったの?どこの人よ?雑誌の編集者なんでしょ?譲兄ぃと一緒じゃん、知り合いだったして!独身?」
「いいだろ、どこでも!」
香奈恵が尚も食い下がろうとした時、ユリが弾むように階段を下りて来た。
「ふむふむ。なるほど、そういうコトか。よ~く、わかった!」
ユリは手に持ったノートをしきりに読んでいる。
「これで、ナゾはすべてわかったぞ!」
香奈恵の血が引いた。

「ユ、ユリちゃん・・!?ま、まさかっ、それっ?!」
私の日記?という言葉が出なかった。カッと頭が熱くなり、恥ずかしさ怒り、しばし、口をパクパクする。
「あんたっ、それっ!人のものを勝手に・・・!」
「作戦うまくいったね。」渡の機嫌が直る。「で、なんだって?」
「うん、あのな、カナエのオヤジのな・・・」
「ダメーッ!!!」香奈恵がユリに飛びついてノートを奪い取った瞬間、「あんた達、ここ早く片付けないとダメでしょ。」香奈恵の母、ママリンこと寿美恵が厨房から入って来た。
「どうしたの?」
「どうもしない、どうもしない。」ユリと渡が声を合わせる。
「どうもしないっ!ママ、今までどこにいたのよっ!」

「何よ、すごい剣幕で。」寿美恵おばさんは、まだオバサンぽさの微塵もない顔の目を丸くした。「香奈恵、あんたどうしたの?鬼みたいに真っ赤な顔して、まさか熱でもあんの?勉強のし過ぎてってことだけはないか。」
「富士の間にいたんでしょ?」動揺から立ち直れない香奈恵の代わりに渡が聞く。
「ああ、あの人。」寿美恵は相好を崩す。「面白いわね~あの人!ジンさんって編集さんだけあって、話も面白いしうまいし!ほんと、楽しかったわ。時の立つのも忘れちゃたわよ~!」
「なかなかイケメンだし。」ユリの極自然な指摘に寿美恵はブンブンとうなづく。
「ねぇ~!ユリちゃんもそう思う?ユリちゃんもああいう人ってタイプなの?そうよね~!お父さんで目が肥えてるもんね~!」
「タイプではない。」寿美恵は聞いていない。
ルンルンと鼻歌を歌いながら、二人組のいる客間から戻って来た綾子達の方に向かった。他の客室へのお運びの手伝いをするのだ。足取りは軽い。
「今日は宴会がないから、ちょっと楽できるわね!」
「ビールとか沢山、注文取ってもらわないとなぁ。あれがおっきいんだからよ。」
「大丈夫!富士の間の客は、お酒たっくさん飲むみたいよ~!もう、注文もらってきたから、冷えた壜取りあえず出しといて!後で、あたしが運ぶから!1人で食べるの寂しいから、あたしにお相伴してくれないかだってぇ!」
セイさんに明るく答える寿美恵の声がした。

「サビシイだぁ?アクマがナニ、言ってるんだか。」
ユリがポツリと言った後、子供達3人は互いの顔を伺い黙りこくっていた。
「ちょっと、ユリちゃん!さっきの話だけどっ!」香奈恵は改めて怒りがぶり返す。
「人の日記を勝手に読むなんてそれはないんじゃないのっ!」
「どのオンナだ。オヤジの相手。」
「どのって!?どのって・・・!」香奈恵は言い募ろうとするが、ユリの冷静さに感情が冷えて行くのがわかる。必死に抵抗を試みる。
「関係ないでしょ!あんた達、子供なんかに・・・!」
「カンケイある。カナエが悩んでるとつまらない。それ、リユウ、大きいぞ。それにカナエとは5つしか離れてないぞ。カナエだってまだまだ、コドモじゃないのか。」
「そうだよ。」渡も加わる。「心配だったんだ。」渡の子供にしては落ち着いた真摯な口調に香奈恵は抵抗力があっけなく消えて行くのを感じていた。
「だって・・・」何より、1人で背負ってる重荷が消えて行くのがわかってなんだかほっとしてきた。どうしよう、涙が滲みそうだ。
「だって・・・」ユリが差し出したノートを渡が読み始める。
「話をしてくる。」
「えっ?」香奈恵はほっとしたのもつかの間、冷水を浴びる気分になる。
「・・・待ちなよ、ユリちゃん。」渡がノートをテーブルに置いた。もう、読んだのか。書くのに何時間もかかったのに・・・意味不明の悲哀まで香奈恵を包み込む。
「あの様子じゃ、寿美恵おばさんはその人に気が付いていない公算が高いよ。その人が騒ぎを大きくしたい訳じゃないならそっとしといた方がいいんじゃない?」
でかした、渡!香奈恵は思わず、心の中で叫ぶ。
「そうか、ワタルがそういうなら・・・そうなんだな・・・」
ゆりはがっかりする。よっぽど、4人の女性が泊まってる『梅の間』へと勇ましく乗り込んで行きたかったのだろう。快刀乱麻肉を切らせて骨を断つユリのことだ。
「そうよ。あの人達は大人なんだから、宿がなくて仕方なく泊まってるだけなんだと思うし。」香奈恵はやっと人心地が付いた気分だった。
「それより、カナねぇ。」渡が改まったので、香奈恵の心臓がまた脈打つ。
「ここに書いてある・・・おばさんの再婚の話・・・」
「噂よ、噂。」香奈恵の声は暗い。「でも、本当はわかんない。田中さんはそういう申し込みが確かに向こうからあったって言ってたし。まだ、お見合いまでは進んでないと思うんだけど・・・」
「タナカさんはまったくオンミツだな~」ユリが感心する。
「カセイフは見た!でなくてナカイさんは見ただ!」
「あのさ。」ジッと考え込んでいた渡がふいにニカッと笑った。
「その人、顔いいんだろうか?」香奈恵は当惑する。「ん、さあ?」
「それだ、ソレ!」即座に趣旨を見抜いた、ユリが手を打った。
「不細工だったら、絶対、ナイぞ!そのハナシ!」
「あっ!そうか!そうだね!」寿美恵が男を顔で選ぶ女であることは娘の香奈恵も否定できない事実なのだった。まずは顔、そして経済力があればそこで決まる。
「明日、役場に偵察に行こうよ。」
うんうんうなづく香奈恵。なんと頼もしい従兄弟と幼友達。
「よーし!見合って見合って~ぇ、アシタはおっミアイだ~!」
「見合い?誰の見合いだよ。」
ガンタとトラが足を拭きながら入って来る。
「ちょっと雨、小降りになってきたみたいだの。」
その声を合図に3人は勢いよく夕食の配膳に立ち上がる。家のもの達の食べるおかずは厨房の端に用意ができていた。後は、茶碗や皿を持ち寄って自分達で配膳するのだ。セイさんは一服して、帰り支度を始めようとしていた。
基本的に、客の食事の後の洗い物は板さんの仕事ではないからだ。
「ゲンさんはどこに行ったんかい?渡坊のおやじさんも姿が見えねぇし。」
二人は電話があってどっかへでかけたとビールを取りに来た寿美恵おばさんが答えている。「なんだ、上がる前に一杯やろうと思ったのによぉ。」
「セイさん、バイクでしょ。飲むなら送ってあげるわよ。」綾子が声をかけてまた、廊下を小走りに走っていった。確かに雨の音は小さくなった。雷の音も遠い。

子供達と離れの住人はいつも一緒にみんなで夕飯を食べ始める。
この日はセイさんと田中さんもちょっと一服しながら、話に加わる。
賑やかに食べながらも渡は香奈恵に囁いた。
「カナねぇがこの家を出て行くなんて、絶対阻止するからね。」
子供、子供と馬鹿にしていた渡のこの言葉。ユリちゃんといい、泣かせるではないか。そう思う香奈恵の胸は詰まり、しばし夕飯が喉を通らなかった。香奈恵はテレビ番組を見て笑いながらバクバクと飯を腹に詰め込んでいるガンタを盗み見た。
私がこんなに感極まっているというのに、まったく気が付かない。こっちを見ちゃいない。ガンタなら絶対に私が胸がつぶれる程、悩んでるなんて気が付かないだろう。ほんと、小学校6年生の半分も思いやりがない。
ほんと、食い気ばっかし。
「なんだよ。」香奈恵の強い視線にガンタがその薄い目を始めて向ける。
「ガンタの馬鹿!」
香奈恵は唐突に叫ぶとみそ汁を喉に流し込んだ。


突然、旅館の入り口が騒がしくなった。
入り口の両開きのガラス戸が開く音、雨や車の通る音に混ざって複数の人声が錯綜する。その中に母親の綾子や姿を見なかった祖父と父の声が入ってることを渡は聞き分けた。
「なんだろ?なんの騒ぎ?」食事後の洗った皿を積み上げていた渡は布巾を持ったユリと顔を見合わせた。
「おじさん達、どっか行ってたんだ、帰って来たの?」最期のお皿を軽く降って水気を切ると香奈恵がそれを広いシンクの大きな水切りに乗せる。お客さん用の皿は巨大食器洗浄&乾燥機にまとめて入れている。田中さんが最期の仕事と食事の終わった客から下げてきたものから食器類の油汚れのひどくないものが、既に中にセットされているのだ。まだ、全部は回収し切れていなかった。
「富士の間の客は食事が遅いねぇ。」田中さんがこぼす。
「寿美恵さんがさっさと食べ終わるようにさせればいいのにね。」
「あとはスイッチ入れるだけでしょ。僕らがやるから、帰っていいんじゃない?」
晩酌を我慢していたセイさんがおっとりと廊下へ出て行くのを見送りながら渡が言う。「あら、そう?悪いわねぇ、それじゃあそろそろ失礼させてもらおうかしら?8時になるし。父ちゃんが飲み過ぎちまうから。」「私もマジ、勉強しなきゃ。」
香奈恵がタオルで濡れた手を拭き、田中さんがエプロンを外したその時、玄関から廊下をドヤドヤと近づいて来る複数の足音がする。
「田中さん、なんか、すぐに出せるものある?」
香奈恵に影が薄いと言われた浩介おじさん、渡の父が厨房の暖簾から顔を出す。
「なんですか?お客さんですか?」田中さんも誰もが戸惑う。
「飯はまだあったはずだし、足りないならうどんでもなんでもちょっと茹でてやりゃいいんじゃねぇか。」
「まあ、そんなもんでええやろ。」セイさんが祖父と共に戻ってくる。
「綾子が今、部屋に案内してるから。食事は急がなくていいと思うよ。すぐ、風呂に入ると思うから、びしょ濡れなんだ。浴衣だけじゃ足りないかな?僕のお古がどっかに・・・」
「桔梗の間ですか?」田中さんが確認する。幸いにも開いていた一部屋だ。
「おキャクさんなのか?随分、遅いな。」
「大繁盛だね!ねえ、ねえ、始めて部屋が埋まったんじゃないの?」
「始めてではないわい。」と祖父が相好を崩す。「いくらなんでもや。」
「また、1人増えたの~?」香奈恵がうんざりするポーズ。
「お客じゃないけ。言わば、人命救助、ボランティアってやっちゃ。」
祖父は誇らし気に厨房の椅子に座ると、泥跳ねで汚れた裾を雑巾でゴシゴシこする。
「浩介さんも濡れたもん、着替えたらええ。」
「さっき、駐在さんから電話があったんや。」父が祖父の向かいに腰を下ろすと渡やユリが回りに群れ集まった。香奈恵がすかさず、薬缶の熱いお茶をそそぐ。
鍋を出すセイさんが、エプロンを再び付けようとする田中さんを止めた。
「後はわしとゲンさんがやるけ、帰ってもろうて大丈夫じゃ。」
「おう、後で浩介さんに軽トラで送ってもらうとええぞ。バイクは置いてけや、セイさん。事後承諾やけど、ええやろ?浩介さんな。」
「あ、はい送りますよ。大丈夫。僕は飲みませんから。あと、原付なら荷台に積めばいいんじゃないですかね。」
「そんなことより、ナニがあったんだ?ツヅキだ、ツヅキ!ハヤク、ハヤク!」
ユリがじれて催促すると祖父はお茶を含んでからおもむろに。
「遭難者らしいの。」
「この辺の山でぇ?」渡は驚く。
「山道から落ちたらしい。御堂山のずっと奥に石不動の滝があるじゃろ。山菜採りに行ってた山田の婆様が見つけての。駐在さんと消防の北さんが救助にいっとったんじゃが・・・さっきの雨と風ですっかり弱っちまって・・・旅行者らしいが荷物も金も落としたってゆうて何も持っとらんもんで駐在さんがどうしたもんじゃろってさっき相談してきたんじゃ。」
「留置所に泊めるわけにも行きませんしね。うちで一晩、面倒を看てもらえないかってことなんだよ。」「はあ、それで。」

階段を下りる足音と浴場に案内するらしい綾子の声がしたので、渡はそっと暖簾を分けて廊下を覗いた。すると、すぐ側にユリの頭も続く。
濡れた肩をバスタオルで包んだ白髪まじりの痩せた中年男の後ろ姿が見えた。
寄り添う綾子の後ろから寿美恵おばさんが着替えらしいものを持って付いて行く。
「あれ?」ユリがつぶやく。
「どうかした?」
「あのヒト・・・どっかで見たか?・・ううん、違うか?」
視線を感じて顔を上げると階段の上に神興一郎が立っていた。
渡と目が合うとニヤリと笑う。
渡の動揺に顔を上げたユリが「あ、アクマ!」と声を出す。
ジンは笑いを張り付かせたまま、浴場の入り口に消える新顔の背中に一瞬鋭い視線を走らせた。
「なかなか、ここは賑やかでいいさね。」
鷹揚にそう感想を述べると睨みつけるユリに背中を向けた。

スパイラルツウ-3-2

2010-04-23 | オリジナル小説



ことの始まりは神月の近くで発見された山梨の遺跡だ。
そもそも、私の父親、おやじは発掘をやっていたのはもう書いた。
だから、私の名前が鼎になりかけたわけなのだ。
当時はただの助手だったけど、今では堂々と大学の助教授になっている。
ママリンの話ではオヤジは発掘の手伝いをしている女子大生達に昔から人気があったらしい・・・娘の私にはその魅力のほどがまったくわからないのだけど。
ママリンと離婚する前にも、何度か怪しいことがあったらしいのだ。
それでとうとう、頭にきたママリンはオヤジと離婚することにした。
オヤジはちゃっかり再婚してるのだ・・・その時の相手とね。
私は嫌だったけど、会ったこともある。と言うか、会わされた。
入籍する前だったと思う。まだオヤジに未練があった可愛い娘になんたる仕打ちだ。
尋ねていったらオヤジの部屋にいた。
一緒にご飯も食べた。仕方ないじゃない。偵察もあるし。
ママリンより、若いだけで美人とは言えない。パッとしない普通の平凡な人だと思った。実物を見たら、別に憎くもなくなったくらい。

遺跡の発掘にオヤジが来るらしいって言うのは、私は数ヶ月前から知っていた。メールで知らされた。ママリンが知ってるはずはないと思う。
オヤジが発掘に近くに来る。それはいい。まだ、それはいいのだ。おやじが自分の仕事をしてるだけだ。おやじがうちに顔を出したりしなければ関係ないことだもの。
さすがに、それはなかった、なかったのにだ。
問題は、この辺にあまり宿泊施設がないってことだ。
オヤジの発掘チーム、10人前後らしい。そこの男どもは現場で1週間ほどのキャンプ生活をするらしい。
山を越えれば泊まらなくても入れる温泉とかがあるし、コンビニも国道にあるし、思ったよりも不自由はないみたいだ。
ところが困ったのは、女の方だと言う。そこでだ。
オヤジの馬鹿はだ、この『竹本』にその人員を極秘に送り込んで来やがったわけよ。
今日、泊まる8人のうちの4人が実はそうなわけ。
しかも・・・しかもだ。てっきり全員、学生だと思っていたのに。
そのうちの1人がだ・・・例の再婚相手なわけですよ!。
結婚してからも、ずっとオヤジの発掘の助手をしていたんだと。
奴ら、筋金入りの考古学オタクカップルだよ。
確かに、ママリンはなんで結婚したの?ってくらいに(ママはオヤジの顔と実家の財力に惚れたとかなんとかってまったく、ほんとかよ)化石なんか興味も欠片もないって人だから・・・別れたのも仕方ないんだけど。
さっきちらりとしか、見ていないけどオヤジに聞いた通り、彼女に間違いない。
ママリンはオヤジの浮気相手を見たことはないとは言っていたけど。
それにしてもその無神経。あまりに、あんまりじゃない?。
私は電話でオヤジに抗議した!したけど・・・ママリンは相手を知らないし、名前はありがちな鈴木まゆみだから(私の前の名前は鈴木だったわけ)大丈夫だと来たもんだ。オヤジは発掘となると他の細かいことや感情や機微がまったく目に入らなくなる人なのだ。だから、離婚されるんだよね。


「かなねぇ、なにやってんの?」
そこまで綴った時、香奈恵は死ぬ程びっくりして思わずペンを投げ出していた。
「うわっ!渡!」
「ナンダ、ナンダ?ナニ、書いてる?秘密の文書か?怪しいぞっ!」
飛び込んで来たユリからノートを守るのが精一杯。
「いいからっ!ちょっと、ユリちゃん!勝手に入んないでよっ!」
「なんで?ナニ、隠してる?ナニ?ナニ?ナンダ、ナンダ?」
「かなねぇ、ご飯出来たってさ。」
いつの間にか、外は真っ暗。机の灯りだけが光源になっていた。
ユリと違い部屋の入り口に立つ渡の顔が廊下の灯りを背に受けて影になってる。
「こんな暗いところで1人でなんだ?なんで、シタ来ないんだ?」
香奈恵はユリを迂回し、服の中に隠したノートを押さえながら部屋の灯りを付けた。
「私、勉強があるから。渡、私上で食べるって言って来てよ。」
「ベンキョー?、ベンキョーだってぇ?」ユリは何も乗っていない机を見回す。
しまった、教科書でも開いておくべきだったと香奈恵は内心、舌を打つ。
「いいの!大事なレポート書いてたんだから!いいから、ユリちゃんは邪魔しないでよ!渡もさっさとママリンに言ってきてよ。」
「寿美恵おばさんなら、挨拶に行ってるよ。」こんな時も冷静に渡は答える。
「挨拶って?」
「母さんが厨房で手が放せないから、おばさんが女将ってことで。」
「なんですってぇ!」しまった!なんで?!思わず、声と身ぶりが大きくなった。
「お客さんに挨拶、ママリンが行ってるのっ?」
「うん。」
「宴会場?!、個室?!」
「今日は宴会ないから。・・・客室だよ。」
渡の声も不信な色を持つ。気がつけば、彼も1歩、2歩と部屋に踏み込んでいる。「なんで?4組しかいないんだから。夕飯を出すついでに。いつものことじゃない。」
「ソーダ、ソーダ!おかしいぞ?!カナエ!なんか、あんな?!」
渡とユリの疑惑の集中砲火に香奈恵はもう何も考えられなくなる。
母親と離婚した夫の浮気相手・・・現、元夫の妻。この二人が顔を合わせることになろうとは・・・!
「いいから!出てって!出てけ~!」
香奈恵は叫ぶとユリと渡のペアカードを全力で部屋の外に押し出した。
勢い良く襖を閉めると、廊下に不満の声が満ちる。しばらくボソボソと小声で話し合っていた二人だが、やがて階段を降りて行く音がした。
それを確認するまで襖を手で押さえていた香奈恵だったが、1人になると途端に畳に座り込んでいた。
どうか、ママリンがスズキマユミに気がつきませんように。
香奈恵は一心に祈った。
その時だった。
偶然なのだが、突然、窓が強い風にガタガタとなり出し香奈恵はビクッと身をすくませる。それはものすごい突風だった。電線が木々が、ごうごうと山鳴りがしている。まるで、旅館全体が揺すられるようだ。どこかで何かが倒れる音、飛ばされるた缶の金属音が断続的に響いた。
「なによ、これ?天変地異の前触れ?」
まさかと思う。
余りにタイムリーな気象の変化なので、つい不吉な予感が胸一杯に広がった。
こんなところで籠ってる場合ではないのかもしれない。
慌てて香奈恵は襖を開けると廊下にまろび出た。



その嵐こそがアギュとミカジェルと名乗る天使との争いがもたらしたもの。
バラキが次元に侵入した結果、引き裂かれたこの星の次元の破壊と修復の証。
そしてその頃、アギュと新たな天使、明鴉は天界を目指す。




「じゃあ、行きましょう。」
ルシィフェルこと鴉と名乗った天使はアギュと共に旋回しながら次元を導いて行った。
「ここは正確には本当の深部とは言えないんです。ここよりもっと内側に回り込んだ隠された次元があるんですよ。そこには滅多なものには行けないんですよ。」
「より、情報の濃いものだけが。」
アギュはうなづいた。蒼い光体となった体が通り抜けて行く、地球の持つ次元の重なりが彼の内部に地図のように把握されていった。それは巻貝のように外だけではなく内部へと深く濃くよじれて続いていた。それらのすべてを自覚することが、のちのちデモンバルグを追いつめる時にも必要となるだろう。
宇宙人類であるニュートロン達もすぐれた次元探知能力を持ち、ひとたびボードの前に座れば最低でも10以上の次元を戦闘や航行の為に理解し把握することができる。ニュートロンであるタトラもその力が優れていた。しかし、それはあくまで宇宙空間における巨大な次元においてだけであるらしい。彼等がその生命のほとんどを宇宙空間だけで過ごし、生きた星に降り立ってもその場に長く暮らした事がない為かもしれない。彼等には星々が持つ小さいブレである次元を感知する能力は育たなかったのだろう。
最高に進化したと呼ばれる臨海人類であるアギュレギオンだけが、その両方を瞬時に理解し把握できたのであろうか。
更に空気の密度が濃く重くなり、アギュは空間に切り裂かれた裂け目を通る度にどこか非日常の次元に分け入って行くことを感じていた。
しかし、別空間にあるバラキとシドラも外のワームホールの中を見え隠れしながら、しっかりと重なって付いて来ていた。
「シドラ。」アギュはすぐ隣であっても、遥か彼方で揺らめくワームの背に呼びかけた。「無理して追って来なくてもワタシなら大丈夫だ。」
「無理ではない。この方法ならバラキも付いて来れる。」揺らめく影がつかの間、アギュの肩先に現れ消えた。それは水底から覗くように判然としなくなっていたが、声だけはまだはっきりと届いた。「そちらに突入できるかは、やってみないとわからないがな。バラキの情報はでかすぎる。」
「すごいね。君の連れは。」ルシィフェルは感嘆した。
「彼女もタフだが、あの竜はもっとすごい。しかし、あれでは実体があっては維持できないはずだ。きっと、実体を持たない存在なのでしょうね。彼女も・・・あなたと同じなんですか?。」
「バラキは実体を持たないわけではありません。3次元と呼ばれるこの次元では視現しない・・と言うか、人間の網膜で形として認知できないだけです。シドラはバラキが造る次元によって守られているから生身の人間ながらが、それらを越えたものとして存在できているのですよ。そして、ワタシはかなり特別な人間ですから。」
どこまで説明するべきか迷ったが、この相手にはわかるわからないはさておき、正直に話した方がいいとアギュは直感で思った。
「もともと、ワームドラゴンは宇宙の違う次元を跨いで生きる生物なので、次元が変換されるダメージを受けないのです。それは常に自身の回りに一定の次元を作り出しているからだと言われていますが・・・我々にも理屈はよくわかりません。」
「なるほど、なるほど。」感嘆してルシィフェルはうなづいた。彼の眼は新しい知識を得る喜びに更に輝いていた。
「面白い!。そんな話は地上にいてもなかなか聞けませんからね。僕はそういう話が大好きなんです!。さっき、色々悩んでいたと言ったでしょう?。自分の事だけではない、この世界、宇宙に付いても僕は知りたいんですよ。天使族の中にはなかなかそういう奴はいませんからね。」彼は生き生きとして羽ばたいた。
「さあ、教えてください。あなたの言ったのは、宇宙の次元ってわけですね。ここなんかよりもずっと大きい、それはもっともっと深い濃い次元ってわけなんでしょうね。」
アギュの思った通りの深い洞察力と理解力をこの天使族は示した。
「アナタはこの星の持つ、すべての次元を把握しているわけですか。」
「頭で思ってるだけですよ。所詮、井の中の蛙、井の中の天使です。宇宙のことまではとても付いていけません。僕達はどうしても宇宙には出ていけないのです。試してみましたが・・・なぜだかわかりませんが・・・・ひょっとしたら、人間が宇宙に進出したなら彼等に付いて出て行けるのかもしれないと僕は期待しているんですがね。とにかく、今は天使族は・・・魔族もですがこの地球にガッチリと閉じ込められているんですよ。宇宙のことは人間の著書で勉強したり、自分で推察したりするしかないんです。」
鴉は残念そうに首を何度も振った。
「この星に色々な次元があることは僕達は太古から既に常識として知っていました。その調査の結果を人間の姿を借りて幾つか書き記したこともあるんですよ。眉唾、オカルト作家として軽くあしらわれましたが・・・。」
「古代とはどのくらいなのです?」アギュはさりげなさを装って聞いた。
「B・C20000年程でしょうか。僕が自分を認知した頃はその頃だと思われます。それ以前のことはわからないんですが・・・・その頃は人間も天使も悪魔も、もっと数が少なかったと思います。生き物が増えると同時に次元が次第に増えて行ったのは確かです。特に最近はどんどん複雑になるばかりで・・・正直、地上の状況は僕にも把握しきれないくらいに荒れてしまっているんです。一番の原因は、人類の増加・・・彼等の意識活動がものすごく活発になってることでしょう。おまけに彼等が殺し合ったり大勢で死んだリして色々と歪めてしまったことが最も大きな原因ではないかと考えているのです。」
「人類の意識活動が次元を生み出している・・・」
「ええ。人類の意識と無意識の増大と分化がその原因だと僕は考えているのです。」
明鴉はきっぱりと言葉を切った。
「ところでそろそろ・・・着きますよ。人間の信仰が作り出した天上界とやらに・・・つまり、天界の果てです。」
次元の裂け目に白く輝く雲のようなものがアギュの目にも捕らえられた。


「広い・・・」アギュは思わず呟いた。
先程までの狭い、まるで針の穴を通るかのような圧迫感と重圧感がふいになくなった。新たな、そして最期の空間に突入した瞬間、開かれた感覚があった。空間は相変わらず、濃く重かったが視覚が開いた為に驚く程、感覚は変わった。
「驚きますでしょ?僕だって何度来たってそうだ。」明鴉はゆるゆるとアギュの先に翼を使ってその巨大な空のホールとでも言いたげな空間を舞い降りて行く。
地球程もあるかに思われるその空間の真ん中に白い雲で出来た氷山のような大陸が浮かんでいる。その地平線には白い4本の高層ビルのようなものが互いに向かい合って聳えているようだった。しかし、まとわりつく水蒸気が混ざった空気は耐えようもなく重い。「これは・・・水素の雲か。」アギュは身体全体を蒼く燃え立たせながら、ゆっくりと鴉を追って降りて行く。
「これほどの空間がこの星の次元に内包されているとは・・・」
アギュの内部が論争を始める。
「ここはひょっとして・・・人間達の無意識の集合意識の中に構築されているのかもしれませんね。」
「ナンデ、そんなことが言える?。」
「そうじゃないと隠されている訳がわからないからです。ここは信仰の世界ですよ。」「そんなモノか・・・確かに、オレ達が知ってるジゲンとはイロが違うな・・・」
「そうでもしないと、これだけのエネルギーが内部にあることの説明がつかないのです。」
「ホシ全体のエネルギーとそのセイメイの発するエネルギーを足してもあまりあるメモリー数になってしまうわけか。そこまで重いジゲンがウチガワに存在できるわけがない。自体の次元とも生物の醸し出す次元ともソウが違う・・・なるほど。」

『ここはかなり近いぞ』ふいにシドラが半身を現して囁いた。
「宇宙と繋がっているのか?」アギュは素早く返す。
『繋がってはいない。ただ、すごく重なりが薄い。』
「ひょっとしたらあと何億年かでそちらのワームホールと繋がるかもしれないんですね。」アギュは唸った。「それは、どういうことになるのか・・・?」
(人の深層意識が作り上げた世界は宇宙の深部へと繋がっている・・・?)
シドラは思考にふけり出すアギュなど、構いはしない。
『ここなら、バラキを突入させるのも楽かもしれないぞ。』
弾んだ声にはその命令を待ちかねる期待がある。
アギュは名残惜しくも楽しい思索を打ち切った。
「何かあった時は頼みます。」薄い次元の膜が引き裂かれた時、その脆弱な境目に再生能力があるのだろうか。もしもなかった場合、この異質な分子同士で構成された、次元と次元が触れ合った瞬間、何が起こるのかアギュには確信が持てなかった。この空間全体がもっとも濃く重いワームホールの中に一瞬で吸い込まれてバラバラに破壊されてしまうかもしれなかった。もし、ここが本当に人の無意識界を具現化しているのだとすると、人々の深層意識にどういう影響があるのかはアギュの推測の枠を越える。
数億年かかるゆっくりとした段階的な変化が今突然、人々の意識に訪れるなどということが良いこととはとても思えなかった。
「近くにいてください。」
アギュと明鴉に付かず離れず寄り添ったシドラ・・・バラキの影は最終次元の深部へと降下して行く。

落下すると同時に上昇する感覚の中、周辺はアギュの困惑を誘うものへと次第に変わっていった。雲の大陸に近づくにつれ、その雲が雲等ではないことが判明したからだ。それは白い羽が密集してできていた。
「天使ですよ。」明鴉の声は悲し気だった。「みんな眠っています。」
3人は眠る天使で構成された雲の内部へと入って行った。
白い十字架の群れが空間に乱立しているようだった。それらがすべて空中に浮かぶ翼を広げた天使達なのであった。その白い墓標の連なりは行けども行けども終わりがないかと感じられる。
『なぜ、寝ている?』突然、現れたシドラの声に明鴉がため息を付く。
「待ち疲れたんでしょうね。」
『人の信仰を担うおぬしらが何をたわけたことを言うのか。』
「ここにいるのは、セラフィム呼ばれる上級天使達です。」
鴉は360度、墓標を見回す。
「ここまで上がって来れる人の感情は、あまり多くありません。より、深く純粋な思いや願いだけがここまで登ってきます。」
「それを・・・食べるわけですか?」
「ええ、エネルギーですから。芳醇で滋養に満ちた・・・神のミルクですよ。」
鴉はくくっと笑う。「その見返りに願いを聞いてやることもあるってわけです。勿論、雑用をこなすのは下級の天使ですが・・・」
「明鴉、あなたも上級天使だったのではありませんか?」
「いや、僕は。」鴉は墓地の案内人よろしく、墓標の中を案内して行く。
「僕なんかは古いってだけで。この空間は、時間をかけて人間と天使が造ったわけです・・・ここが素晴らしき哉、夢の天界ってやつですよ。」
『話に聞く程、楽しそうではないな。』不謹慎にシドラも笑う。
「僕は最初からここにはノータッチです。僕ははぐれ天使ですから。ミカジェルみたいに兵隊ごっこがしたい天使兵に見つかれば、飽きるまで追い回されるだけです。こういうふらふらしている堕天使は結構、多いですよ。ここにいるよりは楽しいですから。中には、わざわざ天使の記憶を封印して地上に降りて一から人間をやってるやつだっています。」
「なぜなのですか?ここに天使が大量に眠ってることと、それは関係があるのですね?」
「ご明察!」明鴉は悲し気に墓標を見上げ、そして見下ろす。
「さきほどのミカジェルも思えば可哀想なんですよ。あんなに痛めつけなくてもきっと・・・あと数千年でここにその身を晒したことでしょう。」
アギュは一体の天使にまじかに近づく。その瞼は凍り、肌も髪も粉を吹くかのように霜に覆われていた。アギュは静かにその指で大理石のように固い足先に触れる。それは生命の欠片もなく、冷たかった。
『・・・絶望か』シドラの呟きが風のように耳朶を通り過ぎた。
「そうです。」明鴉は声を含んで喉を鳴らす。
「待ち疲れてしまうわけですよ。人間は良い、何度死んでも再び生まれ変わる。新しい細胞が世界に再生されるんです。・・・天使族は違います。死なない・・・再生はなしです。無から産まれて無に消えるんです。勿論、いつの間にか補充されますが・・・」
明鴉は後ろに浮かぶアギュを振り仰いだ。
「見たでしょう?ミカジェルの眷属どもを。あれはミカジェルが作り出した影なのかもしれませんが・・・画一化されているのです。魔族もおそらくそうですが、時が経てば経つほどに・・・ほとんどがパターンの繰り返しになってきてると私は感じているんです。進化がない。」
「それはどういう・・・ことなのでしょう?」
「さあ。」鴉は首を傾げた。
「わかりません。私は今、それを調べています。何か、人の嗜好と関係しているのかもしれない・・・」
まるで墓場のような天使の森を抜けると、また新たな森が現れた。進むに連れて、空へと屹立する4つの柱がよく見えて来る。
それがなんであるか、アギュは確信する。
「彼等が・・・4大天使です。」明鴉の声を聞くまでもなく。

スパイラルツウ-3-1

2010-04-23 | オリジナル小説



   3. 悩める香奈恵が日記を綴る


私は今日から日記をつけることとする。
そうせずにはいられない気分なのだ。

手始めに何を書くべきか。まずは名前だ。自分の為の日記に自己紹介とはおかしいが、将来この日記が出版されるかもしれないから書いておこう。
だいたい、日記を付ける人って絶対それ意識してると思う。
そうじゃなきゃ、日記なんか書く意味ないじゃないか。ねえ。
(この辺、シドさんの口調の真似)

さて、私の名前はカナエと言う。古代の竃の道具のことを差しているらしい。
ちなみに付けたのは父。父親は遺跡の発掘をしている。
漢字で書くと正式には「鼎」と書くのだと教えられた。
まったく、そうと知ってみると変な名前だ。
漢字にしたって難し過ぎる。子供がテストに書くなんてことまったく考えていない。
さすがにこの漢字は母親に却下され、戸籍上は香奈恵になっている。
昔・・・今はもう、母とは離婚している・・・父親に抗議したことがあった。
そうしたら『煮炊きをする為の大切な道具なんだよ』って、オヤジは悲しそうに言い訳したっけ。そんなのできれば、知りたくなかった。
以前、ある小説を読んだ時に、主人公が同じ名前だった。その中に彼女の言葉として女の子だからって台所製品の名前を付けるなんて、セクハラも甚だしいと書いてあったっけ。私もまったく同感である。言語道断と私は思うのだ。

ここまで書いたところで・・・
まったく、なんの騒ぎなんだろう。うるさいったらない。
子供軍団が下の居間で騒いでるみたいだ。
爆裂ユリちゃんの声が一番、大きい。
お客さんを案内して来たみたい。何、営業してんだかね。
連れて来た人を上から見たが中々、かっこいい。こんな時でなければ・・ちょっと嬉しいところなんだけど。私の好みのタイプだ。
宿帳を覗いてきたが、なんか聞いたことない旅雑誌のルポライターだとか。
こんな辺鄙なところに!。信じられない!。ちょっと怪しいかも?
心に悩みがなければ、私だって情報収集にいそしみたい所だ。
いやいや、それはまずいのだ。今日は駄目だ。
今日は客が多くて忙しいんだから。
この『旅館』は一応、情報誌では20人までは泊まれることになってる。
部屋は5部屋、車は6台。(満杯になったことは創業以来ないらしい・・)
でも私としては、9人だって充分許容範囲を越えてると思う。
まあ・・・秋の全国学力試験の塾の勉強があるからって、私は今こうしてここに籠ってるわけだから関係ないっちゃないんだけど。
サボる口実でもあるから、みんながあまりに忙しいと後ろめたくなってしまうじゃない。
母もおばさんも勉強なら仕方ないから気にしなくてもいいと言われてるんだけどさ。そんなわけで私の場合は、公式に認められて手伝わなくていいわけです!。
そうじゃなかったら、今頃賄いだのの手伝いで大変なところだったろう。
宴会のお運びにも借り出されそうだし。あれが一番、嫌だ。花の美空で、2階まで重いビールだ運んでさ。敬語だってうまく使えないし、お客さんに話しかけられたりたらば焦っちゃうじゃない。酔っぱらいの親爺なんて、嫌いですだしさ。
とにかく、私は子供軍団とは立場が違うんですよね。
このお勉強で忙しい私ですら、スリッパはしまったんだからさ。
後は渡がもっと働けばいいんだと思う。ユリちゃんもトラちゃんもいるし。
ガンタだって忙しい時は手伝えばいいんだ。
ほんとにこういう時は受験生はありがたいのだ。
勉強を理由にすれば、大概は思うがままだ~。
ほんとは・・・勉強どころじゃないんだけどさ。
・・・ほんと頭が痛い。
それは・・・今日の泊まり客のせいなんだ。
ほんとにほんと、まじ顔を合わせないで済んで良かったよ。
どんな顔すればいいか、わかんないもん。
まさか、ほんとに来るとはね。
ほんと、おやじの馬鹿たれめが!
もうこうなったら、どうしようもないのはわかっている。
だけど。
母・・・ママリンにも綾子おばさんにも、誰にも会いたくない気分なのだ。
やっぱ決めた!。
情報は明日にでもゆっくり収集しよう。イケメンだって所詮は泊まり客!。
一緒にご飯を食べれるわけじゃなし。
今日はここで夕飯も食べようっと。
後で渡を呼んでそう言おう。そうすればすぐ運んでもらえるはず。

それにしても、下の騒ぎはまだ続いてる。まったく、よく騒げるものだ。若いな~。
2階のこの部屋まで丸聞こえだもの。あれじゃあ、客室のお客さんにまで聞こえてしまうんじゃないの。聞こえてたらどうするんだ。おばさん達、いないのかしら?。
渡が珍しく興奮しているみたい。ユリちゃんは当然、またまた爆裂状態だ。
どうやら・・・いつものメンバーで、例のお化け屋敷を探検に行ったみたいね。
あいかわらず、お子ちゃまなことといったら。
もう私は卒業したんだもんね。そういう面白そうな・・・いや、違う、子供っぽいことはもうやらないのだ。乙女ですもん。
恋だってするし。って言うか、してるし、シドさんに。
女同士ってことは取りあえず、置いといてだ。
他に匹敵するようなかっこいい人、学校にはいないしね。
しかし・・・なになに?。また、何か下で言ってるぞ。
これはあきれた!。どうやら、ガンタまで一緒に行ったらしい。何か、説明してる。新しい客のことかな?。ガンタの知り合いなのかしら?。旅レポーターの知り合いなんているのかしら?。
だいたい、お化けなんか見たがる渡の気がしれないわよね。
じいちゃんの話だとさ、渡は千年に1人と言われた霊能力者の血を引いているわけだ。そんな危険な身の上で何考えてるんだか。
その話を聞いて以来、私は心霊番組だって渡がいる時は見るのを辞めたんだからね。
お化け屋敷なんか行きたくない。絶対、行くもんか。
もしも、もしもよ、そんなとこ行って、才能が開花しちゃったら・・・どうするんだ・・・?!。どうするのよ、渡。霊能力者、竹本渡でテレビにでも出るか?。
あ、でも自分が見えちゃうわけでないなら・・・私がマネージャーになってテレビ局に行ってだ、ジャニーズとかとも会い放題!。それは、それでいいかも~っと!
・・この話も置いといてだ。

それにしても、ガンタときたらあきれる。
子供のやることにまたまた首突っ込んでさ!。
前回、私達と御堂山に登ってさんざんな目にあって、怒られたくせに。
反省してないのかしら。ほんとに、進歩ない。
そんなだから、シドさんと同じ顔してるのに私に恋をしてもらえないのだよ。
ほんとなんでなんだろう。シドさんを見るとドキドキすんのに。
ほとんど顔が同じなのに、まったくときめかないなんて不思議なくらいだ。
シドさん・・・シドさんなら私の悩み・・・シドさんになら相談できるかな。
そうしたら、きっとこんなに悩まないで済むような。
ああ、シドさんがいてくれたなら!。


シドさんと言えば、爆裂ユリちゃんだ・・・。
シドさんはユリちゃんをとっても可愛がっている。ちょっと焼いちゃうくらいだ。
まったく、ゆりちゃんもいけないんだ。渡を引きずりまわしてさ。
冒険だなんて、ユリちゃんが言い出したに決まっている。
いや、いけなくはないんだけどさ。
どうも、ついつい怒ってしまう。遠慮がない。お互いに遠慮がなさ過ぎだ。
ユリちゃんのことが他人の気がしない気がするんだよな。
子供の頃から、お互いにずっと『竹本』にいるせいだろうか。
私のほんとの兄より親しいくらいだ。譲兄ちゃんが東京の大学に行っちゃって随分になるし。どっかの小さい出版社に入ったって聞いたけど。
卒業しても顔も出さないで勝手に就職決めてさ、電話一つ滅多によこさない兄にママリンはいつも腹を立ててる。立ててるけど、もう諦めたみたい。そんなところが、おやじにそっくりならしい。むかつくおやじ。又、思い出しちゃった。
譲兄ちゃんは母と父が離婚したあおりをまともに食らったから、ちょっと屈折してる。私の方はまだ2歳で小さかったから。気がついたらここにいた『竹本』を自分の家のように思ってる私とは、譲兄は違うのだよ。
兄ちゃんはママリンが離婚しておじさんの養子先の旅館を頼ったことが、結構抵抗があったみたい。ここではいつも遠慮してたし。なんだか、いつ見ても居場所がないみたいだった。ない、というか・・・あえて作らなかったんだと思う。おじさんやおばさんに甘えるのを潔しってしなかったんだ。
だから、ママリンがここのじいちゃんから大学のお金を借りようとしてたことも嫌だったんだろう。自力で奨学金を取って、学費もほとんどアルバイトで払ってたみたいだから。ママの送った生活費も働いて返すって意地はってるみたいす。
確かに、私達は浩介おじさんの妹の子供に過ぎないんだよね~。
そして浩介おじさんは、綾子おばさんの旦那さんでこの『竹本』の婿養子。
私もほんとは、この家のじいちゃん達とは血が繋がってないんだよな~。
でも、そんなこと感じさせないくらいよくしてもらってる。じいちゃんにもばあちゃんいも可愛がってもらってる。私は本当の家族だと思ってるよ。
・・・だからもし、ママリンが再婚することになったら私はここを出て行かなくてはならないって考えると気持ちが暗くなる。そのことも、悩みのひとつなんだ。
なんだか、そんな話が密かに進行中らしいのだ。ママリンも綾子おばさんも私が気づいてないと思ってるかもしれないけど。村には既に噂が蔓延している。
そのお見合いの相手は役場の人らしいんだ。そうなったら・・・。
ママリンはこの村に根を降ろして『竹本』に通えることを喜んでいるんだと思う。ただ、私はそうは行かない。今更、『竹本』を出て、母親の新しい旦那さんの家に転がり込んで暮らすなんて冗談じゃない。(今なら、譲兄の気持ちがわかる)
だから、私はがんばって勉強するんだ。
私も大学に進んで、譲兄みたいに都会に出て一人暮らしをするつもりだ。

それにしても、ママリンは阿牛さんのことはもういいんだろうか。
ママリンは阿牛さんの後添いになる為にがんばっていたはずなのに。
ママリンが昔から本気でそう思ってたのは知ってる。だって、そう言ってたから。
『カナエ、阿牛さんが義理のお父さんになるんだったら構わないわよねぇ?』
なんて。
勿論、私は構わなかったから構わないと答えたものだ。
(ところで、話は逸れるけど。綾子おばさんの阿牛さんへの態度も謎だ。綾子おばさんが阿牛さんを悪く言ったことは確かに一度もない・・・でも、微妙なんだけどガンタやシドさんとか、ユリちゃんに対する態度とちょっと違うような感じが私にはするんだ。敬して近寄らずっていうのかな。なんだか、阿牛さんを避けてる気がするって思うのは私だけ???)
ママリンの野望の障害は二つ。
一つは、肝心の阿牛さんがあまりに忙しくてほとんど日本にいないこと。
私の見たところ、脈は薄いと思う。阿牛さんはまだ、ユリちゃんの亡くなったお母さんが忘れられないんじゃないのかしら。
そして、もう一つ。もう一つが重要だ。
それは、シドさん・・・シドさんが阿牛さんの恋人・・・実は内縁の妻ではないかという噂(これも噂だ、狭い村の。)があるのだ。シドさんは強敵だ。
それを知ってママリンはシッポを巻いて、あきらめたのかもしれない。
だってママリンはシドさんのファンでもあるからね~。
ライバルのファンになっちゃ、お終いだよね。
でも、あの二人は、所謂よくいうお付き合いなんかしていないと思うんだけどな。私もママリンには何度もそう言ったんだけど。大人は疑り深いんだよね。
確かに、社長秘書とは言ってもシドさんは社員ぽくない。事実、阿牛さんがシドさんの尻に敷かれてる(なんて表現だ)というきらいは確かにある。あると思う。
でも、私の女の直感では、恋愛とかそんな感じはまったくしない。
シドさんは阿牛さんには恋心はまったく持っていないと感じるのだ。これは、まちがいない!と思う。
ママリンが阿牛さんと再婚するのは構わないが、シドさんが阿牛さんと結婚するのは嫌だなんてね。だって、本当に嫌だもん。私は構う!。声を上げて構う!。
大反対するぞ。勿論、反対する権利はまったくないんだけど。
シドさんには結婚なんてつまらないものして欲しくない!似合わないよ!
あとは爆裂ユリちゃんが爆裂して、拒んでくれればいいんだけどなぁ。


ところで、爆裂ユリちゃんと言うのは私が付けたあだ名だ。本名は阿牛ユリ。
うちの従兄弟の渡と同い年。あれ?そうだよね。うんうん。
とにかく、うるさいのと元気のいいのを絵に描いたような女の子だとは浩介おじさんの言葉だ。おじさんはユリちゃんがお気に入りなんだ。
昔からそうだったわけじゃない・・私が小学生の頃は、もっと大人しい子だった。あの頃は口が聞けなかったせいかもしれないけど。でも、私がアツカワの奴(あっちょの兄だ)とつかみ合いの喧嘩になった時に、アツカワに加勢しようとした男の子を無言で思い切り突き飛ばしたのは、やっぱり、今の片鱗が・・・って???・・あれ?。ちょっと待ってよ。なんだか、変だぞ。
私とユリちゃんが同学年だったはずがない。そうだったら、今ごろ高校生になってるはずだもの。でも、なんだか、同級生だったユリちゃんが想像できてしまう・・おかしな話だ。なんだか私にはその印象が強くあるみたいだぞ。なんでだろう?。
父と母からよく聞かされていたからだろうかな。
まあ、いいや、何かの記憶の混乱に決まってる。
それにしても、なんとなく、ユリちゃんが渡のお母さんに・・・綾子おばさんに顔が似ているような気がするのは私だけなのかしらん?
だから、当然、渡とユリちゃんて似ているというか、同じ系列の顔だと思うぞ。
なんだか、二人で一つのペアのカードみたいだ。
そういう関係ってちょっとうらやましくもある。
大人になって結婚したりしたらほんと、面白いけど。それは浩介おじさんがじいちゃん達と酒の席で言ってた話だ。おじさんはユリちゃんが渡の嫁になってくれたら、さぞかしやり手の女将になるだろうとどっかで期待しているんだろう。綾子おばさんも美人だけど、ユリちゃんだって将来かなり有望だもの。爆裂美人女将誕生だ、笑っちゃう。ぜひ見てみたい気がする。
影が薄い浩介おじさんは、私のみたところ誰よりも旅館経営に闘志を燃やしている。この家が大好きみたいだもん。人前に出ると真っ赤になって何も話せなくなるおじさんだからかもしれない、(家族の間ではそういうことないんだけど)下っ端仕事がほんとに大好きみたい。私にはちょっとわからない。
おじさんのことだ、渡の代になっても旅館『竹本』がますます発展するようにと密かに野望を燃やしているのだろう。
でも、ママりんの話だと渡とユリちゃんは兄弟みたいなもんだからそういう恋愛関係とかはかえって難しいかもって。それって、さっきの阿牛さんとシドさんの関係にも当てはまるんじゃないかな。
友達として仲良過ぎるとお互いに異性とは見れなくなることがあるらしい!。
ママりんはそういう話が大好きだ。

急に、下が静かになった。
渡は何やってるんだろう。
早く、上に上がってこないかしら。もう、6時になる。そろそろ、宴会かな?。
なんだか、お腹も空いて来た。
私が自分の部屋に籠ってるのをみんなまさか知らないのかしら?。
確かに、裏口からこっそりと上がって来たけどさ。
おじさんは見ていたはずだし。
ただ、おじさんがてんぱってる場合は・・・あるか。
また、忙しくて忘れたとか?
まあ、いい。渡さえ上がってくればいいんだから。早く来い、と念力。

私が裏からこっそり入ったのは・・・さっきから思わせぶりに書いてるが、泊まり客に見られない為だ。自分の日記に書くのすら、躊躇われるこれって・・・どうよ。
えーい、でも書いてしまえ!。書いたら、すっきりするかも。
私が上に密かにあがったのは、今日の客の1人に会いたくない為。
チェック・インする客の顔を2階からこっそり見るためだ。
その希望はどちらも叶ったわけだけど。
事実は思ったよりも私を打ちのめした。

スパイラルツウ-2-5

2010-04-19 | オリジナル小説

「放してやんなよ。」
はじかれたように振り向いたアギュはもう一人の天使と対面していた。
「バラキ!」
瞬間、バラキがその天使にかぶさっている。
「食べないでよね。そう言ってやってくれる?」
バラキの口の次元にだぶったまま、落ち着いてその天使はアギュを見て笑った。
「ルシフェル!」ミカジェルが喚く。
「堕天使め、貴様の助けなどいらない!」
「やれやれ。見る影もないねぇ。地上の君のファン達が見たら・・・」
ルシフェルと呼ばれた天使はため息を付いた。
「喧嘩したくないのは、こちらと同じなんだから。」
「シドラ。」アギュは力を抜く。
「コイツは大丈夫みたいだ。食べないでくれ。」
シドラに従うバラキは再び、一瞬で対峙した位置に戻った。
「ありがとう。」
新しい天使はにっこりと微笑む。
「ドラゴンの為にもおそらく良かったよ。なんたって天使なんて、まずいに決まってるからね。」
その言葉にアギュは笑って、思わず力を緩めた。
アギュを振りほどいたミカジェルは逃げるようによじれた空間の残骸の中に瞬く間にまぎれて消えた。あれほどいた、他の天使達も影形もない。

残ったのは、アギュともう一人の新しく現れた天使。
黒い肌と赤みを帯びた白い髪を持ち、黒光りする見事な羽は光によって玉虫色を放つ光の筋が浮かんだ。
「僕はルシィフェル。」
「暁の堕天使・・・光の子、ルシフェルか。」シドラがアギュに重なり呟く。
「そう、でも実はルシフェルと呼ばれる天使は沢山いるんだ。同じように4大天使と自称するものも何人かいるようにね。それらは単なる総称にすぎないんだよ。」
「ふふん。」シドラとバラキは再び離れていった。
「彼女は何?。君の眷属?。彼等のせいでこの僕らの空間が台無しだ。とは言ってももう修復したみたいだけど。」
確かに回りの空間は外から侵入した大きな質量を内包したまま、再び閉じられてしまったようだ。アギュだけはシドラとバラキの実体がこの地球を貫く、大きな次元、ワームホールにもはみ出して存在していることを理解していた。
「ケンゾクというのはドレイのことであろう?。カレラは、ソレには当たらないな。」
アギュは甲高い声で尊大に答えた。
「で、オマエをなんと呼んだらいい?」
「僕は別名、明鴉と呼ばれている。」
瞳は金色だった。

「すごい戦いだったね。」
天使はちぎれた次元の欠片が自動修復していくのにぼんやりと目をやった。
「こんなのは大昔に魔族と戦になった時、以来だよ。伝説だ。今頃、地上にも影響が出てるかもよ。突風とか雷とか。迷惑な話だと思わないかい?」
それからさりげなく、しっかりと金色の瞳孔がアギュを捕らえた。
「いったい君達はなんなんだい?」

「ワタシはアギュ。そして、ワタシの仲間である、シドラとワームドラゴン、バラキ。」アギュは慎重に言葉を選ぶ。アギュの声が深く低くなった。鴉と呼ばれる天使はそれに気がついただろうか。
「信じられないでしょうが・・・他の星からこの地球に来ました。あるものを捜して。」
天使は首を立てに降り、瞳の金色が増した。
「なるほど。ロードと間違われるわけだ。」
「アナタもロードを待っているのですか?」
「いや。」天使は躊躇った。「僕はあまり信じていない。眉唾だと思っている・・・いれば嬉しいのかどうかも・・・もう、わからない。」
つかの間、瞳は黒い瞼に隠された。
「だから、天使達に堕天使と言われるわけだ。だけど、そもそもね。それは、人間の信仰なんだよ。」
ルシィフェルは苦い笑いを隠そうともしない。
「僕も本物の4大天使達と同じくらいに古い存在ではあるんだけど・・・もともとはそんな話は影形もなかったはずなんだ。なのに、彼等はいつの間にか人間の信仰に自ら取り込まれてしまったわけだ。」
「それは・・・なぜです?」
「その方が、気持ちいいからでしょう?」
天使は声をあげて笑った。
「その方が目的があるから。自分は何者なのか、僕みたいにいつまでも果てしなく悩まなくても済む。賛美は気持ちいいですよ。賛美や信仰はおいしい。だからですよ。」
「なるほど。」アギュは呟いた。「アナタ方は、賛美を食べる?」
「賛美や高尚な誓いや願いとかね。主食は愛ですよ。」フフフと息が漏れた。
「もともと魔族と天使族の違いなんて食べ物の違いに過ぎないんです。波長の低いエネルギーを食べるもの達が魔族と呼ばれるようになり、高い波長の感情から力を得るもの達が天使族と呼ばれるようになって、別れただけなんです。」
「あなた、さっきデモンバルグのことを言っていたでしょう?」
「そんな前から?。では、ミカジェルと出会った頃から?」
「はい、あなた方の会話もすべて最初から立ち聞きしていました。そもそも、あなたに先に注目していたのはミカジェルより早いんです。カリブの夜からですから。」
「ああ、なるほど。」
アギュは解放記念日の夜に執拗に感じた視線を思い出していた。
「あなたは目立つから、どっちにしてもすぐ彼等も気がついたんですけどね。」
「明鴉、とやら・・・ワタシはデモンバルグを捜しているのです。」
天使は驚く。
「さっき探し物をしに来たって言いましたよね?。まさか、デモンバルグを捜す為にこの地球に来たとか?だとしたら、ヤツも有名になったものだ。」
アギュは笑って訂正する。
「それは違います。ワタシ達の捜しているものは遥か古代にワタシ達の星からこの地球に持ち込まれた危険なものです。そのことについてデモンバルグを問いただしたい。カレのことを教えてください。」
「それで、彼に目を付けたとしたら・・・それは正しいですよ。」
ルシィフェルは遠い目をした。
「ヤツは古いです。僕たちの誰よりも・・・そう言われていますから多分、そうなんでしょう。彼は治外法権です。僕らのどちらからも。彼はどちらとも関わらない。自分の獲物と呼んでる、あの魂以外はね。」
「・・・知っています。」アギュは渡を思い浮かべて、慎重に答える。
「そうだ。デモンバルグのことを聞きたいなら、僕よりもピッタリの奴らがいますよ。」ルシィフェルこと鴉は伺い見ることのできない天界をみるように目を細める。
「本当の4大天使達です。会ってみますか?。」
アギュは躊躇した。先ほどのミカジェルの歓迎の仕方を思い出したからだ。
鴉は悟ったようにクスリと笑った。
「大丈夫ですよ。彼等は何事にも無関心だから。」
彼は黒い羽を羽ばたかせた。ちなみに先ほどからアギュと明鴉は空間に浮かんだまま、明鴉などはおおきく羽を広げてはいたのだが、その空間では空気は動かず落ちてる感じも動いてる感覚もないところであった。
「会ってみたいなら、良かったら案内しますよ。僕も暇なんで。」
アギュはシドラ・シデンを捜した。すぐにシドラがバラキの頭に乗ったまま現れた。
「おっと。」と鴉が空間に突出して来たバラキの頭を嬉しそうに避けた。
「触ってもいいですかね。」
「駄目だ。」シドラはにべもない。
「アギュ、タトラがドラコを通じて通信を送って来た。」
シドラの言葉は飲み込まれ、意識だけがアギュに手渡された。
『デモンバルグが神月に現れたらしい。ユリが引き入れてしまったみたいだが・・・どうする?。ガンダルファによると切迫はしていないとか・・・ユウリの解放に力を貸すとか言ってるらしいが。』
アギュは明鴉に目を走らせた。ユウリの名前に心は動揺する。
「切迫していないなら・・・大丈夫でしょう。」
シドラはフンと鼻をならした。
『ほんとに大丈夫なのか?ユリが心配ではないのか?』
シドラの不満は痛い程にわかった。
しかし、アギュの思いは又違う。
アギュは前回の出来事の過程から、ある意味でデモンバルグと言う魔族を信用していた。彼が興味を持っているのはユリではない。彼が真に執着しているの渡だけだった・・・その行動に、アギュには計り知れない裏があるとしてもだ。
デモンが渡を傷つけるつもりなら、そのチャンスは無数にあったのだ。
しかし、彼は渡を守り庇った。それをアギュはこの目で見ている。
渡を守る為にデモンバルグは我が身を盾にする事まで、厭わなかったのだ。
デモンバルグが渡やその家族に正体を隠していたいのならば、神月の人間が他の人間とは違う存在だと・・・もしも、気づいていたとしても・・・その事実を周りに明らかにする等という恐れがあるはずもない。
この取引をデモンバルグは既に了承していると、アギュは確信する。
渡は大丈夫だ。そして、ユリも。ガンダルファもタトラも付いている。
アギュは深く息を吐き出していた。
それを睨むシドラ・シデンは肩を竦めた。
『フン!・・・上司だからな。』
少し離れた空間に浮かんでもいるバラキの頭は静かに別の空間に沈んだ。
「了解した、隊長どの。」皮肉な声音だけを残して。

「何か、込み入った状況でも?」
言葉と意識下で行われたそのやり取りを明鴉は興味深気に見守っていた。
「どうします?。お二人の話し合いは終わりました?。」
「買った土産物を地上に置いて来てしまいましたから。」
彼のからかうような口調にアギュは静かに答える。
「取りに行ってもらいました。」
「なるほどねぇ・・・」
アギュ声にはなんの躊躇いもない。
「行きましょう。案内してください。」

スパイラルツウ-2-4

2010-04-19 | オリジナル小説


「やはり見つかりましたね。見つかると思っていました。」
そう言うと青年は両手を天へと広げその姿を再び、チェンジさせる。彼が空間から求めたのは白い羽だった。無から実体化した羽は彼を覆い隠すと同時に光となって彼を包んだ。
眩しいがアギュの輝きには及ぶべくもない。
そして瞬時に光は弾け、現れたのは左右に均等に伸びた美しい巨大な羽だった。
羽を背にいただいた潤んだ熱っぽい顔は、アギュの目の前にある。

「いえ、見つけていただかなくては。思った通りの方であるならば。」
渦巻く黄金の髪。白磁のような繊細な肌に褐色の長い睫毛に縁取られた紺碧の瞳。
バラ色の唇が蕾のように花開くと象牙のような歯が垣間見えた。
白鳥の羽を思わせる背から伸びる羽は体の左右に3倍はあるだろう。
羽を有した白人種の男は微笑んでいた。媚態に見えなくもない。
「オマエは・・・」
魔族があるのなら、その反対の存在もあるのだろうと予測はしていた。
今更、驚きはしない。しかし、この青年の持つ情熱には困惑させられる。
既にアギュの内面も相手に合わせて、チェンジしていた。
その清らかな信仰の権化のような姿にも油断はしない。
やや甲高い声で問いただす。それはアギュの内側の戦闘モードである。
「・・・オマエがエンジェルか。キリストのカミの眷属。」
「はい、そうですロード。・・・ご存知のように。」目を伏せ、腰を屈める。
「如何様にでもこのミカジェルにお申し付けください。あなた様の望む世界をここに築き上げる為であるのなら、私はどんな苦労も厭いはしませぬ。」
感極まったようにミカジェルの唇から言葉が迸りでる。
「どんなにか、この時を待っていたことか!。ああ、主よ、あなた様にはおわかりにならない?いえ、あなた様ならすべておわかりのはずです。ミカジェルはあなたを待って待って、何万年も恋いこがれておりました。主よ、どうか、主に仕える奴隷のように私をお召使いください。私は意志のないあなたの手足、いえ私自身があなた様の意志になりまする。」

アギュは更に困惑する。
「ロード?なんだ、それは?」「創造主のことですよ。『神』。この世界を作った全知全能の唯一神のことです。」
「ふふん。なるほど。コイツら、勘違いしてやがる。」
アギュの心がおもしろがる。

「悪いがテンシ。」アギュはかしこまる男に目を向けた。
「オレはロードではない。」
「しかし」天使は頑強に拝謁の姿勢を崩さない。「あなた様は天界から来られた。遥か宇宙からこの星、我ら子羊の世界に降臨されたのでしょう。私達、天使族はずっとずっと、この世の在りし日からあなた様を待っておりました。あなた様のおいでを。どうか、私達を召し仕えさせてください。そしてこの地上にあなた様の意志があまねく行き渡ったその時は・・・審判の約束が果たされたその後は、どうか予言の通りに私達を天上界の至福の世界にお連れ下さい。この閉ざされた星から私達をお救い下さい。」
アギュは天使の熱心な嘆願に光の中で顔を顰めた。
「ナニを言ってる?。戯言を、熱に浮かされて冷静な判断ができないのか?。そんなものは譫言にすぐない。オマエらテンシだろう?天上に導かれるのは、オマエらを讃えている下にいるニンゲンのはずだ。オマエらは導く方だ、導かれてどうするんだか?」
「それは真実ではありませんっ!」
ふいに花の唇からヒステリックな言葉がもれた。
「下等な生物が作り上げた勝手な信仰のことなど!。そんな妄想をまともにお取り上げになるなんて!あのようなものは、ご都合主義もいいもんなのです!。ロードならご存知のはずでしょう?!。あれらは我ら天使族の先祖があいつらから糧を取る為に人間の戯言から作り上げたもの、あれこそが戯言だったのですっ!。真実ではありません!なぜ、ロードがそんなことを言うのです!。本当のロードなのなら、あんな汚れた人間どもよりも私達の方があなた様のお造りになったものの中でより優れていることなど明白!。救いようのないひねこびたいじけた人間族のことなどはどうでもいいことなのです!。真実の物語は我々の救済のはずですよ!。」
顔を上げた天使の目に浮かんだものにアギュは心底、驚いた。
それは、増悪。
「人間族なんぞに価値はないのです。あいつらは我々の餌となる為にロードが作り出してくださったもののはずです!。あいつらを繁殖させ、管理する為にあなたが私達をこの星に作り出し据え置いたのでしょう?。あなた様の意志を何万年も果たして来た、我々こそが最も価値のあるものなのですよ!。」

「どういうこった?」アギュの内がささやく。「あの目をごらんなさい。あの目は狂信者の目ですよ。コレはまずいですよ。誤解を解くとしても、まともな会話ができるかどうか。コレは一筋縄では行かなくなってきました。」「ダメなら、破壊してしまうまでだ。どう思う?オレになら、ヤツラを殺ってしまえると思わないか?」「どうやら、人間の信仰とは別の信仰を彼等は作り上げているようです・・・と、いうことは、信仰が彼等を作り出したのではないってことになりますね。」「・・・そういうのはオレはどうでもいい。オレは戦ってみたい。」「ダメです、それは慎重に。」

「ロード。」その熱を帯びた狂った天使の目が迫って来た。
「どうしたんですか?私を救ってくださらないのですか?。私達はこの星の人間達の世話をしてきました。もう何千年も、何万年もうんざりするくらいに。私は、もう嫌なのです。奴らにちやほやされるのも、奴らに助けを請われるのも。こんな下賎のもの達から得られるもので何故、私達、天使族は生きていかねばならないのです・・・?答えてください!お願いです、どうか、ロード!」
天使の手がアギュの方に伸ばされた。飢えた憑かれた目をした者は、もう荘厳な天使などではない。狂った白い猛禽の姿でしかない。
「オレに触るな!」アギュは手を強く払い除けた。
「オマエはわかっていないな。オレはロードではない。オマエは一緒だ。オレから言わせれば、デモンバルグと同じ異次元生物に過ぎない。おそらく、オマエもホショクシャってわけなんだろ?。」
「デモンバルグ!」天使の美しい完璧な顔が歪んだ。
「お前はデモンバルグを知っているのかっ!」
「少なくともオマエよりは先に出会ったな。」
「なんですって!。私よりも先に・・・!デモンバルグと言葉を交わしたと言うのですか!?」
天使は汚れたものから遠ざかるように素早く身を遠ざけた。その仕草はさっきまでの熱狂とは掌を返すかのように極端なものだった。目には先ほどとは又違う形の狂人の光が垣間見えた。
「どうりで!おまえは!」
薔薇の唇には不似合いな耳障りなうなり声をはなった。
「おかしいと思ったんだ!ああ、お前なんぞを私の愛しい方と見間違えるなどとは!。ロード、神よ許し給え!。本当のロードだったら、デモンバルグ等と通じているはずはないのだ!デモンバルグ!あんな騙りと私を一緒にするなんて!あんな魔族の名前をロードが口にするとは!お前はロードではないな!」

「だから。」
アギュの反応は早かった。
「最初からそう言ってる。」
その言葉が終わる前に、アギュを打ち落とす為に伸ばされた羽がソリュートで激しく跳ね上げられていた。羽は固い響きを放ち、火花が散って羽毛が焦げる匂いが満ちた。アギュは伸ばされたかぎ爪を交わし、天使の爪がむなしく空を切るに任せた。
しかし、消極的な仕草とは反対に残酷な喜びと共に更に硬度を増した光と絡み合ったソリュートの剣を羽と羽の合わせ目に打ち込んでいた。
天使は目を見開いて、絶叫した。
白い羽が血飛沫のように吹き出し、落ちる先から実体を失い消えて行く。

アギュの内側は叫んでいた。
『殺せ!殺せ!』
もう片方はその意志にあらがって叫ぶ。
『ダメです!殺してはいけない!』
その2分された心に混乱した、統合された人格は理性を保つ為にできる第3の道を選択する。
羽に塗れたミカジェルをはじき飛ばすと、次元の中へと身を翻した。
「待て!逃げる気か!」

「逃げてどうするというんだ」
内部で不満の声があがる。
「まあ、待ちなさい。逃げたら逃げたで良いことがあります。」
アギュは人格を立て直した。
「ほら見ろ。なんだか、わらわらと湧いて出て来たぞ。」
ミカジェルの悲鳴に共鳴したのであろうか。肩越しに天使達が集まって来るのが見える。彼等は雲霞のように空を覆いつつあった。
「まるで渡りをする時のツルのようだ。」
「ツルにしてはやかましすぎます。」アギュは1人でクスリと笑った。
「ちょうどいいことを思いついたんです。まあ、見ていなさい。」


アギュは逃げると見せかけてある意図を持ってミカジェル達をより深い次元へと導いていった。臨海した肉体を変換しながら、次々と新たな次元を開いて行く。
怒りに目が眩んだミカジェルはそれに気づいてるのかいないのか、躊躇うことなくアギュレギオンの軌跡を的確に追って来る。
「なるほど。」
アギュは1人でしきりに納得していた。先ほどから、満足の笑みが浮かんでいる。デモンバルグでは果たせなかったことをアギュはミカジェルで実践していたのだ。これらの異次元生物がどこまでの次元を把握しているのか。
やがて行き着いたそこは、アギュがその能力で正確に把握している感覚で、この果ての地球に張り巡らされた何層もの次元の最も外側のものと思える空間だった。
「ここまでも来れるのか。星の造る重力で、星は幾層ものぶれた空間を内包している。」もう一人のアギュが問う。
「重複し、複雑に絡み合う・・・まるで、パラレルワールドのようだな。」
「そうです。死んだ星であっても構成する物質によっては磁力によっていくつかの次元にだぶってることがある・・・だけどそれは、おそらくずっと単純な構造なはずです。こういう核活星の場合は星の持つあらゆるエネルギー、生きてるものは当然として生きてはいないがマグマや酸素によって科学反応をし続けている・・・物質と呼ばれるものもすべて含んでです・・・その存在質量と熱によって幾つもの次元を細かく発生させている。」
「まるでドラコの言ったミルフィーユだな。そして、卵の殻のように閉じられてるってわけか。違うか?。ワームホールのように銀河の深部にまで通じるワープ空間とはお話にもならないほど小規模な次元なはずなんだろ?。」
「その通り。次元に関してはアナタの方が先輩ですものね。」
「感覚でわかっていても体系ずけることは苦手だ。オマエに任せる。」

アギュはいましもその次元に飛び込んで来た眷属達を引き連れた天使長を振り返った。
「そう、まさにここは閉じられた次元・・・そして、ここから先は?果たして?」
アギュは卵の殻を割った。
「どこに行った?!」ミカジェルの羽ばたきが止まる。「どこにいる?悪魔め!」
殻を逃れでた為に彼にはアギュが見えなくなったのだった。
「ロードを騙る悪魔、姿を現せ!」
その時、アギュの逃れた外次元の裂け目から巨大な竜が侵入していた。
「バラキ!」シドラ・シデンが叫ぶ。
「殺すな、戯れろとの仰せだ!」
バラキが咆哮し、その次元に溢れ出た体を捩るとジリジリとブレタその鱗に炙られた空間により、はじかれただけで手当たり次第の天使達が一瞬で塵々となった。
「フン!見かけ倒しの烏合の衆か!。弱い、弱い、そんな質量じゃ、バラキの腹の足しにもならん!」
シドラは思わず失笑を漏らす。
その姿は天使長ミカジェルのアギュに較べると色あせた青い目になんと見えたか。
「お前はなんだ!?」
ミカジェルの端正な表が動揺で歪んだ。バラキの侵入により、空間が激しく揺すられ崩壊を始める。崩壊した空間は周辺の次元と混ざり合い、激しく絡み悲鳴をあげた。そしてミカジェルの眷属達もその崩壊に巻き込まれ、蒸気のように音を立てて次々と蒸発していった。
「この!この、汚れたドラゴンめがっ!」
ミカジェルだけはその地震のように激しく揺さぶられ、ぶれて裂ける空間の上で辛うじてバランスを保ち、姿形を維持していたのはさすがと言うべきか。
「これは、まるで!これは、この世の終わりかっ?」
「そう、我は黙示録のドラゴンだ。」
シドラの悪ふざけ。バラキは自分の質量に見合う空間を破壊し尽くすとうねうねと巨大な蜷局を巻いて天使と対峙した。
「そうか!ハルマゲドンっ・・・!いよいよ、来たのか。」
ミカジェルの顔に恍惚の表情が浮かぶ。
「違いますよ。」
いつの間にか舞い戻ったアギュがミカジェルを後ろから拘束していた。
「!」
「残念ながら。」
アギュの手から伸びたソリュートが天使の羽を絡めとる。ミカジェルはアギュに腕を後ろ手に捻られ痛みの声をあげた。
歯を剥き出すその姿は人類の夢見る、天使とはほど遠い。
「さっきも言いましたが、ワタシ達から見ると、アナタもデモンバルグもなんら変わらないのです。興味深い、この星に生息する同じ生物に過ぎない。すべては研究と観察の対象なのです。そういった意味では人類と一緒です。ただし、人類は保護される対象ですから、彼等に害を成せばアナタ達を除かなくてはならない。」
「私を侮辱するな!あんな、魔族や人間と一緒にするな!」
「ワタシも魔族ではない。天使でもない。そして、ワタシはロードではない。ワタシは人間ですが、信じてはもらえないでしょうね。ただ、基本的にワタシ達はアナタと争うつもりはない。何万年も作り出されて来たこの星の秩序なら、それを乱すつもりはない。そのことを納得していただきたい。」
「誰が信じるか!私は4大天使に次ぐ存在なのだ、ロードの降臨までこの地を守り治めるのは私達、天使兵の勤めなのだ!」
アギュはうんざりして来た。
「やはりコイツは狂信者だ。理屈が通じない。」
「しかし、どうしたものか。」
「バラキで始末してしまおう。バラキも乗り気だ。」
シドラ・シデンの顔がつかの間、アギュの肩越しに現れ意見を述べた。シドラもバラキもまったく見えるところから移動していないにも関わらず。混乱した次元の成せる技だ。
その言葉を耳にしたミカジェルが今や、美しい姿をかなぐり捨ててアギュから逃れる為に牙を剥いた。ジクジクと嫌な匂いが回りに満ちる。天使の羽が硫黄の香りで燻っていた。
「放せ!私に手を下せば、全天使を敵に回すぞ!」

スパイラルツウ-2-3

2010-04-19 | オリジナル小説


その頃、遠いアステカにアギュとシドラ・シデンはいた。
古代アステカ文明の首都であったテノチティトラン。現在のメキシコ・シティーでる。現在は雨期であったが、その日はまだ空には雲が多いが降ってはいない。
二人は現地のコーディネーター(言わずと知れたオリオン人の駐在員達)と会った後、ホテルに戻る途中であった。
東洋人に近いメキシコの人々に混ざると彼等は目立った。
しかし、外国人旅行客も多かったので二人が気にすることはない。
通りはかなりの人で溢れていた。活気がある。広い車道の両脇にゆったりとした歩道が続き数々の屋台が店を開いている。
甘酸っぱい食べ物の焦げるような香りが漂っている。英語、スペイン語、笑い声、喧噪が満ちている。
「愚かなものだな。」シドラがブツブツと言葉を濁す。
「この町は滅ぼされた神殿の上に築かれたのだろう?。前時代の文明の価値のわからない侵略者どもがあたら美しい都を破壊し尽くして、自分らの文明の方が優れていると証明しようとしたわけだ。」
この『果ての地球』に降り立って以来、この星の文明にシドラが難癖をつけることは始めてではない。その度に、アギュは面白く思う。
「アナタだって・・・オリオンの文明の方が優れているとでも言いたいのではないですか?。」
「馬鹿言うな!」シドラが遠慮なく上司を罵倒するのもいつものことである。
「おぬしは何を聞いている!。我が言いたいのはだ・・・」眉間に皺が寄る。
「むしろ、文明の質など、たいして変わらんと言いたいぐらいだ。」
「・・・?」アギュはシドラを見る。
「オリオンにも似たようなことがあった。あるというより、いまだにその繰り返しだ。我の故郷、ジュラだってあった。人類って奴は、基本的にとことん愚かなのだ!。」
「何千年経っても変わりませんか・・・」人類は始祖の地球から宇宙空間へと進出してもうすぐで、始祖の地球時間を基本としたオリオン銀河時間で1億年の記念年を迎えようとしている。
「おぬしだってそう、思ってるだろうに。なんだ、中央に行ったら急に政権よりか?良い子ぶりっこだな!かつてのオヌシは違った。反オリオン一辺倒だったくせに。まったくむかつく奴だったが、もう少しは骨がある奴と思っていた!。」
シドラはアギュに噛み付いた。
「おぬしは変わったな!別人みたいだ!」
実は別人なんですよと、アギュも言いたかったが言わなかった。代わりに笑った。
「そう思っていたなら・・・言ってくだされば、良かったのに。」
「・・・言っていたらどうだと言うんだ。」
「励まされました。」
ケッとシドラが顔を背けた。アギュはこう言ったやり取りが嫌いではない。
むしろ、元帥に昇進した自分に歯に衣を着せずに話をするものは・・・臨海進化体として研究所にいた頃も・・・今でもそんなにはいない。
中央も認めるアギュのお気に入り、ガンダルファとシドラ・シデンぐらいである。
(2匹のワーム・ドラゴンは別として。)
二人の会話の間も、物売り達が次々に声をかけて来たが、シドラが前に立ち塞がると慌てて向きを変えるものも多い。それでもしつこく商品を振り回し食い下がるものもいたが、シドラの険しい一瞥によってほとんどが身震いしつつ引き下がった。そんな彼等が離れるとそっと十字を切るのにアギュは気がつく。
シドラは既に気がついていたらしい。
「失礼な。」シドラが鼻を鳴らした。「われをなんだと思っている。」
「ここは大半がローマン・カトリックに改宗してますから。」
アギュはクスッと笑う。「アナタの迫力に圧倒されたのでしょうね。」
シドラはジロリと自分の上司を睨んだ。
「もとはと言えば、おぬしが軟弱な容姿に見えているからいけないのだ。まったく、くだらない土産ばかり買いおって。」シドラはアギュが抱えている包みの数々に露骨に軽蔑を示す。彼女の伸ばした手が近づいて来た新たな物売りの頭上を軽々とかすると、男の帽子が飛んだ。男は帽子を追いかけて拾うと別の獲物、白人の夫婦にターゲットを変更することにした。
シドラはそんな回りの一挙一動には一切構わずに真っすぐに歩みを進める。実際、遮るものがなかったら、彼女の軌跡は完全な直線を描いたことであろう。彼女がしぶしぶ歩みを乱すのは、内心どんくさいと思い始めた上司が面倒ごとに巻き込まれかけたと判断した時だけなのである。再び、シドラはアギュに文句を言い始める。
「だいたい、気にいらん。おぬしは天使で、我は悪魔か。」
「悪魔といえば・・」
「まだ我自身が会った事もないデモンバルグ等という輩のことは言って欲しくはないな。そんなものと一緒にされるのは我は断じて、御免だ。もしもだ、我がそのジンなんたらかんたらとかいう次元生物と遭遇したとしたならだ、」再び、シドラはフンと息を吐く。「我がその喉をギューギュー締め上げて、正体を吐かせてやるからな。」
「そうそう、うまくは行かないと思いますが・・・」
アギュはそう言いかけて言葉を止めた。
それは取り分け人の多いバザーの入り口付近に差し掛かった時だった。
目的地のホテルが通りの向こうに見えて来ていた。

人ごみの中から自分に注がれる視線をアギュは感じていた。
視線・・・思いと言うべきだろうか。アギュはできる範囲で意識を切り替える。臨海進化体が持つ、次元を感知する探査モードだった。
すると目の前にある光景は視界の中で、色とりどりのもやもやとした光の渦や色彩の霧に覆われた世界にたちまち姿を変える。
立ち登る人々の吐き出すエネルギーの奔流。話す度、笑う度、怒るもの争うものすべての口元から鮮やかなエネルギーが吐き出されている。その筋がいくつも彼等自身が放っている熱の中に吸い込まれて消えて行く。存在するものは存在するが故にその空間を少しだけ歪ませている。藁に身を寄せる牛や馬がその体の形に藁を窪ませるように。草も花も、全ての動力、車や機械。人の手によって積み上げられた建造物の一つ一つまでもが、そういった質量とエネルギーを空間に影響を与えていた。そうしてその通り自体、バザーが作り出す熱量は、その町、メキシコシティー全体が生命と非生物の躍動とそれらが創造する熱に上空で吸収されて一つの厚い層となり、結界のように町全体を覆っている。
先ほど、話にあったようにこの町は地下と地上との波動が違う。その地下から立ちのぼるのは冷たく暗い波動だった。生きて動くものを羨み、憎むかのように鋭く無数の槍が地上に伸ばされてくるのだ。その槍が人々を時々、貫く。それを感じる者も感じない者もなんらかの影響を受けている可能性はある。失われた過去というモノもなんらかのエネルギーを常に発していることを、アギュはここで知る。その過去と現在、プラスとマイナスが打ち消し合って大地が何重にもぶれているのだ。
臨海した自分には、とても居心地が悪い。
アギュはそんな次元の荒れ狂う渦の中で神経を研ぎし続ける。
それはまるで荒海で行う、波乗りのように極めて難しいものだった。
完全に臨海した姿を今ここで晒すことができたなら雑作もないことなのであろうが、このオリオン人の存在も臨海した人類のことも、何も知らない異星の人々の中ではそれは叶うはずなどない。
そんなアギュを周りから庇いながら立つ、シドラ・シデンの顔にも不安そうな影が浮かぶ。お連れは気分が悪いのかと親切に声をかけて来た旅行者を手の一振りで追い払ってしまう。旅行者はショックを受け、気分を害したまま離れて行く。
アギュは尚も集中する。その甲斐あって、彼等を取り巻く熱量の奔流・・・その中にほんのわずか・・・自分に向かって寄せられてくる流れをキャッチすることができる。それは奇麗な同心円の渦を画くその場の空間を少しだけ凹ませて、歪ませている。アギュの意識はその匂いというか、味というか感覚に、色々と思い出すことがあった。
それはかつて初めてイタリアに行った時から。バチカンからだった。
その時は深く気にしなかったのだが。
そしてこの間のカリブの夜。あの時も急用があって、正体を追求する暇がなかった。
同じものだろうか。何かが自分を追っているのか。
アギュは傍らのシドラ・シデンを見た。
シドラにそんな話をしても剣呑なだけである。
しかし、シドラはすぐに気がつく。
「カリブと同じか?」アギュは黙って首を傾げた。人差し指を前に出す。
「しばらくヒトリになりたい。」案の定、シドラ・シデンは眉を潜める。
「大丈夫なのか、それで?」
「危険はない。」ちょっと考えてアギュはすぐに言葉を続けた。「・・・と思う。」
「できればバラキと近くで待機していてください。」
なぜ?と言う言葉をシドラは飲み込む。
こういう時は彼女の鋭さが助けになる。
バラキから何かの忠告を受けたのかもしれない。
「我は退場する。」シドラはアギュより歩調を遅らせながら声を潜めた。
「なるべく近くにいる。」遠ざかる。
「くれぐれも近づき過ぎないように。」
用心に越したことはない。急速にシドラはアギュから離脱する。バラキが近づけるギリギリの空間の隔てたところへと、シドラは人混みに吸い飲まれるように消えた。
アギュは今や1人になり、通りの喧噪に包まれていた。
しかし、声をかけてくるものはなくなる。アギュが僅かに自分のいる空間をずらしたからだ。人々の視界から消えたわけではないが、彼等のほとんどはアギュをはっきりと自覚することはできなくなった。何となくの影、そう言えば誰かいたようなと後々人が語るそういう状態だ。
そのアギュの移動した薄皮一枚で隔てられる別の空間(ダッシュ空間レベル1と呼ばれる)が次第に緊張に満ちて行くのがわかる。アギュはゆっくりと歩く。人の流れに沿って、人々に合わせるように。子供を胸に抱いた父親はそうとは気づかず、アギュを押しのけて通る。彼はアギュに目を向けることもなく走り去る。胸の子供だけが不思議そうに振り返るが、その姿も人の中に消える。大声で叫ぶ売り子達と同じような大声で叫び返す、豊満な主婦達の群れが行く手を阻むが、アギュはゆっくりと平気でそれらの真ん中を進んで行く。人々は顔の前の蠅を払うような仕草をしたり、顔をしかめるがアギュには気がつかず唾を飛ばして値引きの交渉を続ける。
すでに目的のホテルの前を行き過ぎていた。
アギュは入り口を大きく迂回し、脇からバザーが開かれている広場へと入っていった。通り過ぎた、屋台の横の椅子では子供と猫が騒音をものともせず眠っていた。
猫の耳だけがピクリと動いた。

そして、彼に向けられてくる、そのわずかな波動にも変化が現れた。
近い。とても近い。
接触してくるつもりか。おそらくは。
アギュはふいに歩みを止めた。
ふいにそのモノと視線を合わせていることに気がついたのだ。

それは、小さな子供に見えた。男の子か女の子かは咄嗟にはわからない。そこら辺にたむろする子供の1人となんら変わったようには見えなかった。
黒い巻き毛に褐色の肌になんの変哲もない汚れたTシャツとジーパンを履いていた。
子供はアギュと目を合わせた瞬間から固まったように動かなかった。
整った顔立ちは幼いがその眼差しは子供の目はではないとアギュは見抜く。
その目に宿るものは少なくとも悪意とか恐怖ではない。
しいて言うならば、驚愕とでもいうのだろうか。
アギュは自分が必要以上に落ち着いているのを確認する。
微笑みかけると、子供の顔の緊張がほぐれた。
やはりこの子供だったのか。
アギュは子供のすぐ傍らに立ち止まった。
「やはり・・・」子供の口からか細い声が漏れた。
「わかるのですね。私のことが・・・」アギュは黙って小首を傾げてみせた。
「私待ってました・・・ずっとずっと・・・」
思いがけず子供の目から涙がこぼれ落ちた。
子供はアギュの前に膝を折り、うつむく。その光景に目を留めるものはいない。
「お待ちしておりました・・・マイ・ロード」
顔を上げた時、その子供の姿は白い衣を纏う、金髪碧眼の青年へと変わっていた。
そしてそれと同時に現実から僅かに剥離していたアギュの次元が、もっと深い他次元へと移行するのがわかる。アギュはその青年から押し寄せる波に押し流されるようにして、そこへ移動させられた。
人ごみは遠のく。それらは今や、画かれたぼやけた絵でしかない。
それらは、二人の遥か足の下に移動していた。
この者も次元能力を持つ。デモンバルグと同じく。
アギュは緊張を持って、目の前の何か言いたげな青年の言葉を待った。

スパイラルツウ-2-2

2010-04-19 | オリジナル小説



デモンバルグを実際に目にした後の黒皇女の心境は劇的に変わりつつあった。
シセリもそれを感じ取った。
そんな黒皇女へのシセリの奉仕は半端なものには終わらない。
互いにあらゆる手管を用いて二つの裸体は混じり合う。
荒い息と共に。シセリは思考を吐き出す。

しかし、デモンバルグが本当に一番古い悪魔だなんて信じられる?
あいつは本当に4大悪魔よりも強いのかしら?
デモンバルグよりも恐怖や絶望感をむさぼる悪魔ならいくらでもいるわ。
バゼルブルなんてあたいみたいな半端な魔族でも腰が引けちゃうぐらい・・そこまでやっちゃう~?ぐらいの容赦ない食欲魔人じゃない?
あいつなんて日がな一日、あの魂を追いかけて合間に食べてるのなんて大した恐怖に思えないくらいの淡白な代物じゃないの?
あんな低カロリー食で飢えを満たしてるような奴が世界最古の悪魔だなんてあたいは最近実は、ちょっと信じられなくなってきてるのよね。
(でも、シセリ、あんたはあいつの信望者じゃないのかい?)
確かに過去何度か、あいつに協力したことはあるわ。でも、その代わりにあたいが得られたものなんか一個もなかった・・・あいつはあの魂にしか興味ないのよ。あたいとこうして交わって何か分けてくれることもないし。正直、あたいに指一本だって触れたことないのよ、屈辱だったらありゃしない。あたいらにとって交わることは挨拶じゃないの?。まったく、心底ケチ野郎だと思ったわ。
あたいはね、デモンバルグが、世界で一番古い悪魔だっていうからちょっと興味があっただけなのよ、なのに。
あいつはさ、いつ見ても世界の動向なんか興味ないって感じで1人で忙しくしてるじゃない?・・あのときはケチな食欲よりも自分の主義主張にひたすら生きてる姿が、あたいにはかっこよく思えちゃったわけなのよ。どうせ、喧嘩売ったってきっと、あたいなんかが及ばないくらいに強いんだと思ったしね。ヘタに怒らせて食われちゃったりしたら、たまらないもの。だったら、媚を売る方が利口じゃない?
興味もあったから・・・こちらから、モーションをかけ始めたわけなのよ。
(デモンバルグが世界で一番古い悪魔だって話は、おそらく本当だよ。私より古い4 代悪魔からも聞いたことがあるからね。)
本当?信じられない。
(確かに今の体たらくじゃね。だけど、ご覧・・・4大悪魔もあいつには手を出さないだろう?あいつは不可侵領域なんだとさ。・・・デモンバルグはこの世界が何度か滅びる度に生き残って来た・・・あいつは仲間の魔族の恐怖をむざぼり食って生きながらえて来たんだって・・・あいつにどんな力があるのか知ってる奴で生き残ってる奴はいないのさ。)
だったら・・・だったらもっとさあ・・・もっと、それらしくしてくれればいいのに。あたいらみたいに・・・他の悪魔みたいに人間共を震え上がらせてさ・・・あのドイツ人達の脳裏に巣食って世界大戦を仕組んだのだってあいつじゃなかったじゃない・・・
(あれは4大悪魔や私ら全部が協力したのさ。おかげで末端のものまで充分に潤ったもんだろう。)
そうよね。天使達だってね。くすくす。
皇女様も何かしたんでしょう?
(私はこの日本でね・・・色々とね。仕込んで、軍国主義者達相手に吹き込んで回ったもんさ。面白いように人間達は私の手の平で踊ったものさ。肉親同士、疑心暗鬼になって憎み合ったり、あげくに殺し合ったり・・・殺しても罰されない魂はその罪の重さに潰されて弾ける前にほんとにいい味を出したもんさ。・・・勿論、私の企み・・・そんなものにはまったく動かされない奴もいたけど。そういう奴がいるからこそやりがいがあるってもんだ。透明な魂を持ったものの絶望や恐怖はたまらなくおいしいからね。)

満ち足りたシセリの寝息に耳を立てながらも、皇女はまさぐりつぶやき続けた。





彼は目を覚ました。寒い。突き刺すような早朝の空気が夏を忘れさせる。
いつの間にか、寝袋から上半身がはみ出ていた。肩が冷えてしまっている。彼はバックからシミだらけのバスタオルを取り出すと肩を覆い、固くなってしまった筋肉をほぐす為に思い切り体を伸ばした。
手を伸ばしランプを消す。線香の灰が白くこぼれている。
朝日が埃で曇った窓を向かいの山の端から照らしている。天上の蜘蛛の巣が光っている。大きな蛾や小さな蛾が飾りのように窓の枠に止まっている。暗い時は見えなくなる雨水の染みた跡とカビが壁に滝のように線をつけている。朝日に洗われてそんなものさえ、描き込まれた壁紙の模様のようだった。
それらをぼんやり眺めた跡、彼は軽い驚きと共に起き上がった。
一晩中、『声』がしなかった。こんな夜は始めてだったことに気がついたから。
『声』は最初の夜からランプが照らす灯りの端を巡るように、クローゼットの影や木が割った窓の外、開いたままのドアの向こうに長く続く廊下からいつも彼向かって囁やいてきたのだ。彼を深く眠らせないように。
そして次第に昼も囁くようになった。片時も彼を安らがせないかのように。

『声』がなかったおかげで、彼は久方ぶりによく眠った気がする。夢も見なかった。
だが、我が身に安楽を許したことで、逆にそのことは彼をいたたまれなくした。
自分はもっと罰されなくてはならないのではないか。
彼は頭を振った。ここへ来たのはそんなことではない。いつまでも癒されない心の傷を癒す為ではない。もしろ、それをさらに押し広げるため。
失われた過去。失われた彼女を見つけ出すため。
彼女はどこにいるのか。あの時に見つけられなかったものが、時を経て今更見つけられるとも思わないが、彼は探さずにはいられない。
見つけなくては。
今日はあの『声』もしない。自分の精神が狂ったのかと戦くこともない。
彼は立ち上がった。何日かぶりに服を着替えよう。出かける為に。
今日は御堂山を越えた先まで行ってみようか。どこかに彼女の残した印があるかもしれない。自分への彼女のメッセージが残されているかもしれない。
彼女を捜しに行こう。
しかし、割れた鏡でヒゲをそり落としながらも彼の心に浮かんだのはウキウキとした気持ちとは正反対のものだった。
崩壊しかけた階段は足を乗せるポイントが決まっている。埃臭い薄暗いエントランスを抜けて、割れた窓を塞いだ板をどかした。
外の空気は深閑としている。谷底の屋敷は未だ、日影に没している。巨大な樫の枝がザワザワとなった。
屋敷の階段を降りながらも彼の気は晴れなかった。
どうしてだろうか。彼は唖然とする。
『声』のせいだった。
『声』がしないことが、かえって不吉な予感がするのだ。
彼は自分のこういった勘をかなりの確率で信じていたから。
何かが自分の乗っている表面の足下の奥で爪をといでいるような感覚。
まるで、厄災の前兆のようにだ。
彼は身震いした。







黒皇女は水底のような己の作り上げた空間の歪みの中から人影のしんがりを歩み去る男を見つめていた。
再び、時間がビデオのように巻き戻された映像。
井戸の底のような穴蔵から魚眼レンズで歪む現実界。
ここは皇女が自ら作り上げた次元。地底界。
黒皇女のむき出しの肌には汗が滴り落ちている。皇女は白い骨の床に引かれた黒いベルベットのシーツに直に腰を下ろしていた。何も纏ってはいない。その黒い磨き上げられた肌が暗い炎に照らされ浮かび上がっている。
その傍らには自慢の大きな鍋が置かれている。鍋の下の骨が燻されている竃の火は消えることなく、今もチロチロと瞬いている。熱を持たない楝獄の炎のように。今は戯れの情事の相手、シセリの姿はなかった。
「デモンバルグ・・・」静かに怨を含んで、皇女の口が開らかれる。
黒皇女はかつてこの世で一番、古い悪魔と称するデモンバルグと争ったことがある。
それは彼が今も血眼になって追っている魂に関わることであった。
結果、皇女は2度とデモンバルグとその獲物には関わるまいと誓っていた。
その誓いはかつて1度も破られたことはない。
黒皇女は意を決して立ち上がると60余年感、端正して世話を焼いてきた愛する大鍋の元に歩み寄った。その壷鍋も現実にある鍋ではない。皇女の霊力とでもいえばいいのだろうか。皇女が集めに集めた人間達の残留エネルギーを持ちえる限りの自分の精神エネルギーといったもので練り上げられることによって、始めて世界に実体化しうるものだとでも言えばいいか。
言わば、皇女にとって居心地のよいこの穴蔵のような場所は皇女が作り出した歪んだ次元の狭間。
黒皇女は自分の背丈の半分以上はある巨大な鍋の上に身を乗り出した。
2度と放すまいかのように鍋の淵を固く掴み、中でドロドロと煮られている混沌の中をジッと目を凝らして見つめた。
悪臭と腐臭の中に、けして混じることなく今もその光は漂っていた。
皇女は手を伸ばしかけて止める。忌々しい光。忌々しい魂め。
その光に触れることは魔物たる自分の肉を焼く事だったということを彼女はかろうじて想い出したのだった。鍋の底に満たされた混沌ですら自分には直接触る事は短時間が限界だ。だが、デモンバルグならば耐えることができるのだろうか。
ここにこの光があることをもしも、デモンバルグが知ったとしたら。
どうするだろうか?
黒皇女は一人、片手の指を噛む。
これはあいつの追ってる何かとは違う。
デモンバルグが追っているものがあの魂自体ではなく、魂の持つ秘密なのではないかと言うところまでは、前回の争いの時に皇女は看破していた。
皇女があの魂に似た、その光を見つけた時にどうしてもそれを手に入れたいと思い強引に手に入れたのはその為だった。
しかし皇女はただこうして持っていただけであって、デモンバルグが追っているその秘密のことは今だに検討も付かない。
あいつは皇女と違ってこんなものは欲しがらないかもしれない。
デモンバルグの追ってるものとただ性質が似ているだけのものなのだから。
しかし、これがまったく無関係であるとも皇女には思えなかった。
これがここにあることをデモンバルグは知らない。
知らせる気もなかったのだが。
ひょっとして、うまく使えば・・・恨みを晴らす為に利用できるかもしれない。
シセリの為などではなかった。
黒皇女にとって同じ魔族の女であるシセリはそんなに魅力のある女ではない。
皇女の好むのは人間の女。
それも汚しがいのある女がいい。
たゆとう光のように。
皇女は眩し気に目を細める。


この光はかつてこの地で皇女が手にかけたあの女が持っていたものだ。
その女の事を思い返すと今でも体がうずいた。
あの女を汚すことはついに叶わなかった。
あの女に情欲で身を焼かせ、自らの手で己の乳房をもみしだかせることができたなら。そのあられもない姿がどんなにか見たかったことか。
あの女が私の前に膝を屈っしていれば。
皇女はその女のすべてを手に入れただろうに。
その芯を心行くまで味わうことができたのだ。

黒皇女は自分と寝た特高の男を思い出そうとした。
利用した駒の一つ。しゃぶりつくして捨てた。
あの女に較べたらなんと大味で詰まらない男だったことか。
栄養状態が悪い体、骨張ってしゃぶるべき肉もない。
芋と雑穀で作られた体だ。
ここでは特権を持たされたものでさえ、たいした食事などできなかったのだ。
特権を振りかざして、一番いいものをいの一番に人々から巻き上げていたはずなのに。
名前など覚えていない。

しかし、あの男の精神は見事に歪んでいた。
疑心と不信を自らの心から覆い尽くす為に極限まで高められた恐怖。それはおいしくない肉体を補ってあまりあった。自己欺瞞から来る狂信的な盲目。卑屈さと高慢を限り無く併せ持つ自己愛と歪み切った忠誠心。邪な肉欲と嫉妬心。
口で言う愛国心等と言うものは微塵もなかった。
自分では気がついていなかったが。あの頃はそんな人間でいっぱい溢れていた。
あの男が精神を病んで命を絶ったのも無理もない。勿論、そうなるように仕向けたのは自分だ。甘美なデザート。たかが、デザートでしかなかったが。
戦後の時代に生き残れるほど、したたかに胆が据わっていたらメイン・ディッシュにも慣れたのに。
それほどの男だったなら、自分が妻の座に座り世間を操るのも面白かっただろう。かつてローマや中国でしたように。自分にふさわしい人間の男を生きながらえさせもっともっと地獄を作り出す器へと導いてやるのだ。
そして勿論、最期には・・・そうやって太らせた獲物を料理するのだ。
とびきり、残酷に容赦なく。

皇女はふと、物思いを断ち切る。
映像が終わり、誰もいなくなった窓の現実界を上目遣いに見上げる目はギラギラと燃え上がっていた。

「あんたが悪いんだよ、デモンバルグ。」
ついに、皇女はつぶやいていた。
「あんたの方が私の餌場に踏み込んできたんだからね。」

スパイラルツウ-2-1

2010-04-19 | オリジナル小説
スパイラルツウ



     2.厄災は目覚め 天使は暁に舞う



薄暗い穴蔵の片隅にぐらぐらと鍋が煮立っていた。
髪の長い女がその火を管理している。
炎が照り帰る黒い肌と黒い髪。女は細身で上背があった。
「そこにいるのはわかってるよ。」
唐突に女は背後の暗闇に言葉を投げた。
「シセリ、あんただろう?」
「鋭いわね。相変わらず。」闇を二つに分けて豊満な白い肌の女が歩み出た。全裸であった。果実のような丸みと下腹の茂みを隠すこともない。
そして長い腕を伸ばして黒い女を包容した。
女も口を開き親鳥がヒナに口移しで物を与えるかのように相手の唇に舌を差し込んだ。しばらく、一つになった影。銀髪と黒い髪が混じり合う。
「お久しぶり、黒皇女様。」
シセリはようやく女から口を放して口の片側だけで笑った。
黒皇女と呼ばれた女は無表情にシセリの闇に染まる瞳を見つめ返す。
「・・・腹でも空かしたのかい?」
相手はプッ吹き出した。「その通りよ。あたい、お裾分けでもいただこうかしら?」
「ここは私の縄張りだよ。」皇女の声は低く、甘みもない。
「知ってる。」シセリはつまらなそうに体を放す。
「相変わらず、いい餌場を見つけるわね。」
回りの闇を見回した。「熟成されているようね。60年ってところかしら。」
「苦労したんだ。色々、繋げてね。」皇女は背を向けて鍋の中に何かを無造作に入れ始めた。腐った屍肉の腐臭が漂っている。シセリはその匂いに顔を顰めた。
「あたい、腐った肉は嫌い。」皇女は相手をしない。
「終戦がここのピークさ、戦後いっきに熟したわ。」空中に漂う何かを捕まえる仕草。
よく見ると朦朧とした煙のようなものや、腐臭が形を取った霧が鍋の回りに満ちていた。その捕まえた何かを皇女は躊躇いもなく口に放りこんだ。
口の中で反芻しながらけだる気にシセリを見る。
「荒らさないでおくれよ。荒らしたら、いくらあんたでも私は報復するよ。」
「まさか。あたいがあんたの縄張りを?よして、荒らすわけないでしょ。」
シセリは面倒くさそうにしながらも手を伸ばし、何かをほおばる。
「あたい、目的は他にあんの。」
「そうだろうよ。」皇女は足下から棒を拾い、鍋をかけ回し始めた。その棒は人間の足の骨であった。鍋を置く為に床から積み上げられているものは沢山の燻された人の骨だった。「そうでもなきゃ、あんたが私のところに来るもんか。」
「あら、えらくご謙遜ね。」
「あんたが古い悪魔に入れ込みっぱなしなのは誰もが知ってる。」
「それなら話が早いわ。」シセリが距離を測るかのような態度をかなぐり捨てた。
「手伝って欲しいの。」
黒皇女は手を休めないで鼻で笑う。「なんで、私が。」
「ここに来てるのよ。」鍋の動きが止まった。
「・・・デモンがかい?」
「そうなの。相変わらず、変な魂を追いかけてるのよ。食べもせずにさ。」
「ふうん。」皇女は再び手を動かす。「私やあんたが産まれる前から、あいつはずっとそうだったよ。あいつは・・・」
黒皇女の瞳孔の闇が渦巻いた。シセリにその動揺を感じ取らせない為か、手の動きは早くなった。
「なんで・・・あんたはデモンバルグになんて固執してるんだい?」
「あら、だってあたいらだって産まれたり滅んだり出入りが激しいじゃない?油断してたら、すぐに強い奴に食われてしまうし。なのに、有史以前から存在する悪魔なんてすごすぎるじゃないのさ。あたい、嫌でも気になっちゃうわよ。どうやって存在を維持して来たのかと思うと気になっちゃって。何か普通じゃないすごい力を持っているのかと思ってるわけ。なのにさ、あいつときたらどんなにくっついてもそんな力を見せてくれりゃしない。他の魔族を狩ることもしないし、やってることと言ったらさ、なんだかわからないあの魂のひたすらお守りだけ!。ああ、あいつがその気になればむかつく天使族なんて滅ぼして、人間を独り占めにできるのよ!この三千世界の王様にだってなれる力があるのに!」
シセリは話しながら感極まってか、つま先でクルクルと回りだした。美しい裸体に銀色にも見える金髪がまとわりつく。皇女はその姿にチラリと視線を走らせただけだった。手を休めて鍋の中を覗き込む。
その時、ふと美しい頭だけが体を裏切り、皇女の方へと止まる。「そう言えば」
「皇女様も古き悪魔の1人じゃぁなかった?」
「有史後だけどね。」フンと、皇女は再び手を動かす。
「いいかい、あいつより古い悪魔はみんな死に絶えたんだよ。」
「・・・!何、それ?」
シセリはすごい勢いで皇女の腕に自分の腕をに絡み付かせた。
「どうしてそんな大事なこと、黙ってたのよ。」
「・・・別に特に話すことじゃないだろ?私ぐらいのものならとっくに知ってることだからね。」
「それにしたって!」シセリの指が腕を縫うように皇女の乳房に伸ばされる。
「いったい何があったの?」
「わからない・・」黒皇女は唇を噛んだ。
「何か、恐ろしいことだよ。とても、恐ろしい。魔族が滅びる程のね。」
「天使族は?やつらはどうなったの?」シセリは勢い混む。
「4大天使以外は全部死に絶えた・・・」
「すごい・・・!」興奮でシセリの体臭が強く濃く匂い立つ。
その女の月経の香りを皇女も馥郁と鼻腔に深く吸い込んだ。
チリチリと下腹部に火が付いて行くのを感じる。
「そう・・・」皇女は黒い瞼を閉じた。
「そうだよ。それは何か、恐ろしいことなんだ・・・私達が死に絶えて・・・デモンバルグだけが生き残るような、」皇女は1人で何度もうなづく。
「・・・恐怖を司るデモンバルグだけがね。」
「あいつはあたいたちの恐怖も食べたってことだね。」
シセリの指は皇女の紫色の乳首をそっと摘む。
「・・・あんただってそれを知りたくないの?」
「何か絡繰りがあるんだよ、それはわかっている。」
皇女はシセリの手に自分の手を添えた。
「私もそれを追ったことがあった・・・」
「で、結果は?その結果はどうなの?皇女様?」
黒皇女は肩をすくめ、シセリは皇女の乳房を愛撫を続けた。
「あいつの秘密・・・あたい、それを暴いてやりたいの。」
「・・・やめときな。」
「でも、デモンバルグはもうあんたの縄張りに入ってるよ。」
シセリの言葉に皇女の欲情がわずかににぶった。
「どいときな。」おもむろにシセリの手を振り払い、軽々と巨大な鍋を傾ける。
黒い渦のような物が腐臭と共に床に流れ出た。それは石と骨が敷き詰められた穴蔵の床を伝い、二人を包み込むどこまで続くともわからない深い闇の中に溶け込んで行く。闇がさらに粘っこく深まったようだ。漂う霧も押し殺すような青い燐光を放ち始める。びっしりと満ちた腐臭は手で触れそうなほど濃い。
「さあ。」黒皇女が声をかけるとそんな漂う闇の表面がブツブツと泡立ち始める。ゆっくりと渦巻き、苦し気に身を捩りのたうち始めた。ドロドロと迫り来る闇を見つけるシセリの顔からは最早、嫌悪の表情はない。それは陶酔。
赤い口を半ば開くと舌を覗かせる。溜まった唾がその先からしたたり落ちた。
「ここはなかなか良い猟場だよ。あと百年は枯れないね。」
皇女は誇らし気にシセリの腰に手を回した。
闇にボコボコと浮かんでは消える無数の泡の数々。
よく見ると泡のひとつひとつに苦悶に満ちた女の顔が浮かんで弾けては消えて行く。
シセリはそれにうっとり目を据えたまま舌なめずりをしていたが、皇女はシセリの腰を抱いたままで考え込んでいるようだった。

皇女の耳に歌うようなシセリの声が響く。
「沸いといで。あたいの好きな憎しみよ。大好きな妬みよ。」シセリは喉を鳴らす。
「卑屈な自己憐憫。自虐の喜びよ。」
「愚かな女のなめる苦渋は、どう?。愚かさにも気づかない傲慢な女の身を焦がす嫉妬は?」黒皇女も静かに声を合わせる。
「ああ、それもおいしいわ。あたい、どちらもいける口。」
「それはあんたに残らずやってもいいよ。おもてなしにね。」
「愛してるわ、皇女様。」
弾ける泡の表面に一瞬、古びた衣服を纏った女工の疲れた姿が、身をひさぐ淫売宿の女の姿、病に犯されながら医者にも看取られることなく1人横たわる姿、工場主に淫売宿の女将にと激しく折檻される姿が次々に浮かんでは消える。
「出るわ、出るわ。」シセリが興奮して叫ぶ。
「ここは女の因縁のたまり場さ。」黒皇女は満足のため息を付いた。

しかし、シセリは様々な痛みを味わいながらも皇女がどこかうわの空であることに気がついていた。再び置かれた大鍋の方にチラリと視線を走らせたのを。
満腹になっても気が緩んだりはしない、したたかな魔族の女だった。
シセリが密かに観察したところ、それは魔族の女が・・・特に西洋で産まれた魔女達が用いるありふれた魔力で作られた鍋にみえる。皇女の鍋の底にはどこに続いてるのか、どこまでも深い闇があるはずだった。特に黒皇女と呼ばれるほどの女であるならば、その闇はどこまでも深いはずだとシセリは考えている。
確かに皇女の鍋は深い。しかし、シセリも知らないことがあった。
皇女が作り上げた練りに練ったマイナスのエネルギー。それが床にこぼされたその下にそれらの不吉な素材をぐつぐつと真に煮え立たせるものがある。流れ出ることのない虚ろに満たされた異次元。それは『混沌』と呼ばれる何かである。
その皇女の鍋から覗ける『混沌』の中には一つだけ白い輝きがあった。さっきから皇女の視線が気にしているのはその光である。それは、闇にもまれながら飲まれず、星のような輝きを失わずに水面にたゆとう月のように今も鍋の中空に浮かんでいた。
その光のことを皇女はシセリには告げるつもりはなかった。
シセリが肩越しに近づくと皇女は黙ってその視界を遮った。
「何よ。何か隠してるの?。」
「デモンバルグだけど・・・」皇女は冷たい声で続けた。
「私じゃ役に立たない。関わるのはごめんだね。」



暗い廃屋の中で男はじっと息を潜めていた。
再び表に帰って来た子供達は大人と一緒になったようだ。
彼は身を竦めて窓際から遠ざかった。彼等に見つかりたくはなかった。
やがてもう1人の声が加わり、何かつかの間、もめてる雰囲気だったが。
しかし、もう声は遠ざかって久しい。
カビ臭い湿った部屋の中はいよいよ、じっとりと闇が充填されつつある。
割れた硝子の隙間の形に壁にポツリと浮かんだ濃い赤い光ももうすぐ消えてしまうだろう。そうしたら、この山間の谷の底の放棄された屋敷の中はどこよりも一足先に夜となる。
もう誰も来るはずはない。
去って行ったもの達も戻っては来ないだろう。
このところ、夜中に肝試しと称してやってくる若者達だけが彼の心配の種だった。
滅多には来ない。しかし、すでに2回ほど彼は肝を冷やされていた。
最初の男女の集団は屋敷の前でコソコソと話をするだけですぐに帰っていったが、2回目の奴らはしつこかった。彼等はうるさいバイク数台を山道に乗り入れて大騒ぎでやって来た。空元気の若造共が1階の正面の窓を壊して侵入して来たとき、彼は慌てて荷物をまとめて屋根裏に逃げ込まなくてはならなかった。しかし、その時に彼が立てた足音が耳に届いたらしい。急に怯え上がった彼等はあっと言う間に戦意を喪失した。それでも時々、思い出したように奇声を発していたが、上まで上がる勇気はなかったらしい。そのうち階段をウロウロしている間に何かに驚いたらしく、突然盛大な悲鳴と足音と共に退散していった。バイクの爆音の中にもどこかの木立に突っ込んだり転んだりしている気配や悲鳴が混じり、来た時よりも騒がしかったくらいだった。
彼等の音がまったく途絶えた時は寂しくすらあった。
そうだ。今、思い返せば、彼等は口々に叫んでいたのだった。
『声がした!』『声がしたっ』と。
声?。
男は体を寄りかかっていた窓際からゆっくりと身を起こす。
寝袋の床に置いてある辺りを手探りして石油ランプを見つけた。
まだ、灯油は残っている。ライターで灯を灯す。家具も何もない暗い室内が照らし出された。作りつけのクローゼットは木のドアが片方だけしかない。
そのがらんどうの穴の奥に不穏な闇がちら付いているのが見えた。
部屋の隅はまだ薄暗い。しかし、彼の寝床の辺りは充分に明るくなった。
本も読めるくらいだ。彼が持ち込んだ傷だらけの黒い大きな革製の開いた鞄の中から数冊の本が覗いている。ここに来る途中のゴミ捨て場で拾ったものだ。
燃え残りの蚊取り線香の灰が床の上に円を描いている。
気楽な廃屋暮らしだったが、虫の攻撃だけは今だに慣れなかった。
これの残りもまだ充分にある。
彼は両手でランプを胸の上に抱くようにして横たわった。
蚊は防げても灯りによってくる虫はあまり防げない。彼は虫が炎に焼かれる音が嫌いだった。
しかし、この灯りが付いている間はあの『声』はしないのだ。
夜はなるべく眠りたかった。
例え悲しい夢しか見ないとしても。
しんしんと迫る静寂は物思いで嫌でも彼を苦しめる。
もう自分が彼女に会えるのは夢の中でしかないのだから。
彼はランプを両手でそっと枕元に置く。
ここに来るべきではなかった。
何より戻って来るべきではなかったのだが。

スパイラルツウ-1-5

2010-04-14 | オリジナル小説


困惑はガンダルファも一緒である。
「あー!?ああー!?」しかも、間抜けにも口をパカッと開けてしまった。
「お久しぶりっさ。」パクパクしてる間もなく、ジンはニヤニヤと畳み掛ける。
「お互い、元気そうで何よりさね。あんの時は色々あったさ、お世話になったさ。ってかさ、お世話してやったって感じもあるよさ?」
「ねぇ!ガンタもその人と知り合いなの?」あっちょが振り返る。
「いやね・・」ガンタは困った。タトラと目が合う。覚悟を決めた。振り返る。
「お前ら、先に家に帰ってろ。」渡とユリがすばやくうなづく。「トラキチもだ。」
正虎は用心深く、ジンを追い越すと一瞥をくれ(それは子供の目ではなかった)5人の子供達は言葉少なく足早に山道を登って行く。日は既に山陰に沈んでいたが、空だけが明るく遠くの山が鮮やかだった。ジンの顔は半分、影になっている。ちょっと薄気味悪い思いをガンタは押さえつける。ガンタだって連邦人類の端くれである。正体がわかってるものを恐れはしない。ただ、未知の存在だけが警戒心を呼び覚ますのだ。
ガンタは背後の幽霊屋敷とやらにチラリと目を走らせた。つかの間、二階の割れた窓に痩せこけた男の白い顔が覗いた気がしてゾッとする。
こんな銀河の端まで来て、幽霊なんて。かつて見た、亡霊だと思い恐怖したものは眠った子供達から彷徨い出たエネルギー体だった。
すべては手品のように説明がつくはずだ。

「おい、おまえ!ちょっと来い!」知らずにやや声がうわずった。ガンタはジンの腕を乱暴に掴んだ。ちょっとおっかなびっくりだったかもしれない。「なんだ、ちゃんとした腕じゃん。」相手が掴んだら霧となって霧散するとでも思っていたかもしれない。
「なんだい、お兄さん。」
「俺はお前のお兄さんじゃない。ガンタだ。」背はわずかにガンタが高い。「余計なことは言うなよ。おまえ・・・人間なのか?」ジンは笑って肩をすくめた。
「人間だったろ?御堂山ではさ・・」
「おまえは死んだはずだ。」
「俺じゃないさ。」
「そうだ、死体を見たんだ。あれはおまえじゃなかった。」
「見間違いさ?まだ、あそこには他の人間がいたんさ。死んでたのはそいつだ。」
「おまえって・・・」ガンタの目が好奇心で膨れ上がって行く様をジンはおかしく感じた。
おやおや、本当にこいつは俺を怖れてはいないらしい。
「おまえって、所謂、悪魔って言う奴なの?」すごく真面目な質問だった。片方の手で確かめるようにジンの背中をガンガン叩く。「おいおい、そんなに叩くなよ。」
「痛いのかい?痛いって感覚はあるんだ。おかしいなあ。どうなってるのこれ?どういう仕組み?どうみても、これ肉体だよな。悪魔って、実体ないんじゃないの?」
「・・・だったらどうよ。」ガンタはジンをなで回すのを止め、手を放した。
「いや、珍しいなって思って。」これにはジンがあきれる。
「珍しい?」「どういう生物なのかなって。」
「要するに珍獣ってわけか。」怒る気にもなれない。「失礼さね。」
「申し訳ない。」ガンタ口先だけ。「でも、どういうものかよく知らないから興味があるわけだ。だって、こうしてても人間とどこが違うのかわからないからさ。その違いを知りたいのは当然でしょ。」
「お前らの星にはいなかったのか?」「!」ガンタは言葉に詰まる。
「あれさ?殴るさ?それとも殺そうかなっとか、思ってる?」再び伸ばされた手にジンはせせら笑う。ガンタは咄嗟にジンを逃がすまいと引き寄せる。
「殴ったって手が痛くなるだけだろ。なんでそんなこと言うんだよ。おまえ、神興一郎とか言ったよな。」ジンのニヤニヤ笑いは今や顔全体に及んでいた。
「阿牛蒼一は人間じゃない。」「やめろ。」「奴は青い光だ。」「やめろって。」
「奴は宇宙から来たんだろう?お前らも仲間だ。トラもユリって子供も。」
ガンダルファはため息を付いた。
「アギュをさ・・人間じゃないとか言うなよ。頼むからさ、社長悲しむから。」
「そっちかい。」ジンは呆れる。
これがガンタではなく、タトラかシドラであったならけしてなれ合ったり、まして気取られるようなことは言わなかっただろう。もっとうまく言い抜けたし、絶対に認めたりはしなかったはずだ。
シドラ・シデンだったら嬉々としてバラキをけしかけてみたかもしれない。異次元での戦闘。お手のものだ。
ガンダルファの肩口には興味津々のドラコが覗いていたがジンは気がつかなかった。
「とにかく。お前は帰れ。帰るとこあるんだろ?地獄の釜の底とかさ。」
ガンタは歩き出す。ジンは当然のごとく付いて来た。
「あんたは悪魔をなんだと思ってるんさ?俺は石川五右衛門か?」
「誰だよ、それ?知らねえよ。」
「俺はさ、ここでは帰るとこはないんさ。今日はそうさなぁ、竹本にでも泊まるつもりさ。」
「残念ながら、満杯だよ。」
「シーズンオフでなくたって満杯なんてことはありえないさ。」
「まったく・・・残念ながら、その通りだ。」
ガンタのしかめっ面を尻目に、ジンは素早く周りに目を配った。
「そうと決まったら、こんなとこは早く出るに限るさ。」ジンはガンタをせかす。
「ここはあまりいい場所じゃないからさ。悪い場所だ。」
「やめろよ。そういうの、ずるいぞ。」思い当たるガンタは微かに身震いした。
「悪魔が太鼓判押すってことは確実だ。」
「やめろって。」
「それに、俺はユリって子と約束したんさ。」
「約束?何?なんだよ、そんなのキャンセルだ!俺は保護者代理だぞ。」
「死んだ人を救い出す約束さ。」
「死んだ人?」ガンタの動きが止まる。
「どこかの空間に囚われた魂のことらしいのさ。」
ガンタはしばらく、動かなかった。追いついたジンがずるそうに顔を覗き込む。
「おや、あんたも心当たりがあるみたいさね。」
「・・・来い。」ガンタにはそういうのがやっとだった。


遠ざかるその姿を魚眼レンズのような穴の底から女達が見ていた。
「デモンバルグ・・・」片方の女が低く呟く。
「よりにもよって。どうしてここへ。」
「だから言ったじゃない。」もう一人の女が白い柔らかい裸体を押し付けてくる。
「もう、彼はあんたの縄張りに入ってるって。」
「信じなかった・・・」女は唇を噛み、赤い血が一筋その黒い肌に流れ落ちた。
「で、どうするのさ?。」白い裸体は絹と繻子に覆われた黒い体にまとわりつく。
「あたいに協力してくれるの?」
女は片方の黒いまなこを動かした。「・・・何が望みだい?」
「そうねさね、」白い体は肌を離すと横たわり、相手によく見えるようにその体を開いた。乳房を両手で高々と持ち上げる。視界の先に尖った乳首が屹立した。
「あたいの望みはね・・・」
相手はおもむろに両肩から服を滑り落とすと床の裸体に自らの裸体を重ねる。
白い肌に映える赤い唇が相手の磨きこまれたブロンズのような耳朶を噛みながらから囁
く。

「デモンバルグの・・・吠え面かしら。」

スパイラルツウ-1-4

2010-04-14 | オリジナル小説
暗かった。
「大丈夫かよ。」目が慣れて来るとそこは建物の中に見えた。ツタに覆われた割れた窓ガラスの間から、夕日が痛い程橙に差し込んでいた。所々壊れ腐った木の作業台が建物内に延々に続いている。その間に放置された何の機械か、埃に覆われ錆びて禍々しくさえ見える。
「ジン・・・」渡はつぶやく。神興一郎がそこにいた。
渡は呆然とするが、すぐにたいして自分が驚いていないことに気づいた。ジンがいつ現れても不思議はないことはなんとなくわかっていたから。むしろ、やっと現れたのかと
渡はほっとして懐かしく感じた。3年前、夢の片隅で聞かされたアギュの言葉。
色んなことでアギュやガンタを質問攻めにした渡は彼等がどの辺からここにやってきたのかとか、大まかな連邦の話とかを半信半疑ながら把握はしている。(この目で確認できたらもっと信じただろう。)しかし、なんとなくジンに付いては触れるのが躊躇われた。
アギュさんもジンの存在については自分もわからないと明言していたこともあるが。
ジンは渡を追って来た。渡の魂を。その荒唐無稽な話は渡にはどこかですんなり受け止めてしまっていた。どこかにそんな記憶が眠っているのかもしれなかった。
いざ面と向かってジンに会ってみると、ずっと心に反芻していた色々と聞きたいこともたくさんあったのだが、どう口にしていいやら。
なんだか気恥ずかしく、渡はジンを食い入るように見つめるだけだった。
「まったく、手がかかるさね。おまえもそこのお転婆もさ。」
ジンは渡の困惑に一瞬、不思議な顔をしたがすぐに嬉しそうにニコニコした。
こうして見ると、人のいいお兄さんにしか見えない。本当に悪魔なの?。
その声に隣に倒れていたユリがもぞもぞと身を起こした。
「オマエ!」ユリは目を丸くする。「また、現れたな。」
「おっと!お礼はいいさ。どうせ感謝はされないもんね。」
「・・・感謝してるよ。」渡は判然としないまま、口を開く。
「今の・・今のも、ジンが助けてくれたわけ・・なの?」
「ほらね。やっぱり!わかってないんじゃん。」ジンはため息を付いてみせる。
「勿論、俺様が助けたに決まってるでしょさ。」
「何から?」ユリが鋭く口を開く。
「あのねぇ・・あの化け物からに決まってるでしょ。からかわれたんだよ。悪いお化けに。まさか本当に命は取られなかったかもしれないけど、俺にだってそりゃわかんないしさ。あぶなかったんだからさ。2人してあんな危険な所にどんどん迷い込んで、無鉄砲と言うかなんと言うか、戻れなくなったらどうするんさ?」
「・・・!、バケモノか?!あれが、バケモノなのか?ゾンビだった、ゾンビ!」
「ゾンビねえ。そう、まあ確かにそうとかとか言うのかね。」
「それに、あの女はなんだ?なんなんだ?あの場を仕切っていたぞ。」
「女ねぇ・・・」
ジンは考え深気に顎をかいた。ジンにとってはよくある、日常的に見かける吹きだまりのひとつにすぎない。たとえば、よく知らない蜘蛛さんが餌を獲る為に張った罠、蜘蛛の巣のようなもの。どんな蜘蛛がいるのかいちいち掘り下げてみる気にはならない。
問題にはしていられない。彼にとっての一番の問題は今目の前にいるのだから。
「その女、石炭みたいに真っ黒なんだ!目まで真っ黒!真っ黒お化けか?」
「黒い女か・・・」ジンは反芻する。何か、思い当たることでもあるのか。
「そうなんだ、ゴーゴンみたいな奴だよ。」渡も一瞬、こだわりを忘れる。
「でも、着物着た人は最期ちょっと変わったよね?。ちょっとユリちゃんに似ていなかった?その前になんとか、なんか言ってたから・・・?」
矢継ぎ早に喋ろうとした渡の足にユリの蹴りが炸裂した。
「似てない!似るわけないだろ!」
渡は足をさすった。ユリの機嫌が悪くなったのを見てとる。
「そうだ、そういえばオマエだって似たようなもんだろ?」
ユリがジンを睨みつける。
「おおーい!」
外で声がした。
「渡?ユリちゃん?」
「あっちょだ。」渡は起き上がるとすばやく声のする方に走り出す。ユリの機嫌を損ねたこともあるし、ジンを見てるとどうしていいかわからなくなるからだ。ジンは人間じゃないのだろうか?。そんなジンが付きまとってるらしい、僕ってどういう存在なんだろう?。
僕は竹本の父さんと母さんの子供だ。それは揺るぎないことなんだけど、なんだかそれ以上のことを知るのが怖かった。これ以上は頭がパンクしそうだ。
ただでさえ、アギュさん達の話を飲み込むのは渡なりに手がかかったのだ。
アギュさん達が宇宙から来た人類、オリオン人だってわかった今、このうえ何を聞かされても今更驚かないとはどこかで思うんだけども。
でも、そんなに急いで知りたいわけではないし。
いったい、どうしたらいいんだろう。僕はジンさんにどういう態度を取ればいいんだ?。悪いヤツじゃないみたいんだけど。アギュさんがいてくれれば心強いのに。
渡は背を向け、走り去る。

ユリとジンが後に残された。
「オマエ、ワタルに付きまとうな。」ユリがドスの利いた声を放つ。
「オマエ、悪魔だろ?悪魔は悪者だ。害虫だ。」
「助けてあげたじゃん。」ジンが涼しい声で答える。「誤解しちゃ困るよ。俺はずっと味方さ?思い返してみろよ。なあ、宇宙のお嬢ちゃん。あの君のオヤジの蒼い光はお元気なのかな。ふーん、あんた成長始めたんさね。」
ユリは黙って睨みつけた。
「俺が来なきゃ、あんたと渡はあの変な空間に閉じられたままになる所だったんさ。感謝して欲しいもんさね。悪魔に対してだってさ、それが人の道だろさ?」
「・・・閉じられた空間?あそこのことか?あれはなんなんだ?こことは違うのか?違うってことは、あそこは何かの次元なのか?なんの次元なんだ?」
「次元?まあ、そうも言うかな。」ジンは朽ちかけた工場内を見渡した。「ほら、こっちとそっち。ここはそんな空間が繋がっているんだよ。で、死んだ奴らがゾロゾロと永遠に歩き続けてるって場所だ。」「永遠に・・?」ユリの表情がわずかに陰った。
「自然に産まれる場合もあるし。俺みたいなご同様がわざわざ作り出すこともある・・」
しばし、デモンバルグとしてのジンは辺りの空気の匂いを嗅ぐ。ここは誰か、知らない魔族の縄張りなのかもしれない。知らない間に、縄張り荒らしをしてしまったのかもしれなかった。できるだけ早く退散するに限る。(しかし、俺と知って面倒を起こすヤツもいないだろうさ。俺は有名人だしさね。)ジンは説明を急ぐ。
「よくさ、人間の霊媒師とかがテレビで言うだろさ?霊道が通ってるとか、いないとかなんだか。俺にもよくはわからんけどさ。人間にはもっとわからないだろうけどさ、昔からそういう場所は確かに存在するんさ。俺には当たり前のことだけどさ。俺らはそういう場所を見つけるのに何の苦労もないしさ。利用させてもらってるし。そういうのはそこここに普通にあるんさと思っていた方がいいさ、なあ、宇宙のお嬢ちゃん。気を付けて歩けってこった。」
「ユリ!」渡の声が反響する。「こっちに出口があるみたい!みんな外にいるよ!」
「さあ、行きな。」
「どこに行く?」「俺はお邪魔だからさ。また、会おうさ。」
「ジン!」ユリは真剣な目をする。「よくワタシはわかんない。わかんないんだけど、死んだタマシイはずっとそこにあるのか?そこから出れないのか?どうしたら、そこから出せるんだ?救い出すにはどうしたらいいんだ?」
ジンは立ち止まったまま、困ったようにユリを見た。
「お前、そんなこと聞いてどうするんだ?」チラリと視線を走らせる。渡が外の仲間と苦労して壁の穴を広げてるようだった。いつになく真剣な表情の少女の瞳を見つめていたのは数秒に過ぎなかった。ジンは悪魔一世一代の大博打を打つこととする。
「もし・・・俺を追い払ったり、あの光に言いつけたりしないなら・・・教えてやらなくもないぜ。」「本当か?」しばし、躊躇いの色が過る。しかし、「わかった。」こっちの決断も早い。「教えてくれ。ジン、ここのそういう世界、誰もわからないんだ。」
「契約成立。」ジンはニヤリと笑う。「悪魔との契約。これは高くつくぜ。」
「いくらぐらいか?」ジンは高らかに笑う。「じゃ、行くか。」

正虎ことタトラは渡とユリと共に現れたジンを見て驚愕した。
先ほど、突然姿が見えなくなった2人に狼狽した彼は慌てて子供達と合流し探しまわっていたのである。「こいつはまったく面妖な。」
トラの強い呼びかけにより即座に現れたお腹の減ったドラコは詳細に報告を受けて姿を消したばかりだ。おそらく、さして時間をおかずガンダルファが駆けつけることは予想ずみであった。だが、この登場はまったくの予想外である。
老成した冷静なニュートロンの顔にも動揺が浮かんだのも無理はなかった。
しかし懸命にも不用意な言葉を飲み込んだのはさすがと言う他はない。なぜなら、あっちょとシンタニにはジンの記憶がなかったからだ。
彼はポカンと口を開けた小学生の群れになんの不自然もなく混ざる事に成功したのだ。
「・・・誰?それ・・・」
「ジンだよ、みんな。」渡はしれっと言ってのける。あっと思ったのはその後だ。
「コイツ、ジンって言うんだって。コイツ、コイツえ~っと、助けてくれたんだ、え~とこの人が、この人がいなきゃ今頃、僕ら。」
ユリもそのことを想い出して慌てる。
「オバケだ、変なオバケが出て来たんだ。ゾロゾロだぞ、気味悪いオバサンが追いかけてくるし、グルグル回らされて終わりなくてだ、ほんとあぶなかったんだ、そしたらジンがバビューンと現れて、ジンのおかげで逃げ出せたんだ、ワタルだけじゃないぞ。ユリもあぶなかったんだから。」最期の言葉はジンを睨んでるトラに向けた牽制だった。
「ようさ!相変わらず、仲良しだね。元気そうで良かったさ。」
あっちょとシンタニはジンの馴れ馴れしさに戸惑い、無意識に後ずさる。
意味不明のユリの説明にも、そんなその場の空気にもジンはどこ吹く風だ。
なんの躊躇もなく、2人の努力を無駄にしようとする。
「なんだ?覚えてないのか?恩人のジンさんをさ?一緒にUFOを見ただろが?」
あーっと思わず、渡が奇声を上げる。
「あ、ワタルがおかしくなった!ワタル、アタマ痛いか?痛いか?すぐに、家に帰ろう。帰らなきゃ、ワタルが死ぬ!死んじゃうぞ!」渡と団子になったユリが強引に子供達との間に割り込み朽ちた門扉の方へと全員を押しやった。
「なんだよ、あいつ知り合い?変な大人?」「いかれてるんですか?」
囁く2人に渡がすばやく「そうなんだ。」「行こう、行こう。」
4人は潮が引くように遠ざかった。
「・・・どなたか、存じませんがの。」トラが後を引き継いだ。「今は取り込み中じゃ。」
「トラちゃん。トラちゃんまで知らないふりするわけ?トラちゃんは知らないふりしなくてもいいんじゃないかい?」
タトラの目が細くなる。「あいつらと一緒に記憶がなくなったわけじゃないだろ?」
「おまえは・・・」タトラの声が低くなった。


「おーい!」ガサガサと音が近づく。
「おや、いつぞやのお兄さんかな?」
ジンはニヤニヤと笑うとトラを置きざりに、足を急がす。

スパイラルツウ-1-3

2010-04-14 | オリジナル小説


子供達が遠ざかる声を暗い室内から彼は黙って聞いていた。
その時、身を隠した窓脇の割れた硝子の隙間からもヒューヒューと風が吹き込んできた。その空気は冷たく新鮮な香りがした。彼は救われたように、その空気を淀んだ自分の肺に思い切り吸い込んだ。
僅かながらも、その部屋にこもったカビと埃の匂いが薄れた気がする。
『なんで戻って来たのさ』
薄暗い部屋のさらに暗い暗がりから黒い女が囁いた。
『探してるのかい?見つからないのに。』
その女が囁くのはこの家に入ってから始めてではなかった。
何日になるだろう。彼にもはっきりともう言えない気がする。床に置かれた食料の減り具合からすると5日ぐらいだろうか。閉ざされたこの廃屋の中では昼と夜の狭間がはっきりとしなかった。彼は傷を癒す為にひたすら眠り、目が覚めた時に僅かな食料をむさぼると言う繰り返し以外はぼおっとして夢現でいた。わかっているのは、この家に忍び込んだその最初の夜から女は彼に囁き始めたということだけだった。
確かに女だと言う事は声と微かな甘い匂い・・・身動きする度にする衣擦れの音、長い髪を床に引きずるような音でわかった。
『いじましいねえ。愛しい女を追いかけてこんなところまで』
男はしばし固まったように女の声に耳を傾けていた。
ひょっとして・・・と男は嫌々考えた。
いよいよ俺は気が狂ったのかもしれない、と。
男の故郷には脳裏に語りかけて来る女の魔物の伝説があった。
『そりゃ、そうだ、確かに狂ったのかもしれないねぇ』
黒い女は歯を見せずに笑ったようだ。空気の震えが伝わった。
男は疲れたように膝を折ると汚れた寝袋と毛布の上に投げやりに体を投げ出した。
そのまま剥き出しの床に頭を乗せる。気のせいか、室内の暗闇がさらに力を増したように感じられる。そっと用心深く近づいて来る足音が微かに床を軋ませた。
男は無意識に固く目を閉じ、冷たい両の拳を口の前に当てがう。額にびっしりと汗が浮き出るのを感じる。自分の上にかがみ込む、女の気配を確かに彼は感じる。
冷たい髪の先が薄い布を通して肩先に触れるのもわかった。
『絶望?』女の吐く息が聞こえた。
『おいしいねぇ。絶望は・・・それをもう一度、味わう為に・・・』
意を決して男は、一瞬で飛び起きた。自らの足が床を打ち鳴らす音が洞窟のような虚ろな空間に響き渡たり、埃が振動と共に僅かな外光の中に舞い上がらせた。
誰もいなかった。



子供達は今や一塊になって進んでいた。
崩れた廃墟の群れに近づいて行くと、ウワンウワンとした音が大きくなって行く。
「なんだろ?誰かいるね。」最初、ユリも渡も怖さは感じなかった。壊れた建物は草木に覆い隠されているが内部にかなりの空間があるようだ。声は反響してよく聞き取れない。
トラは腕組みをし、無言で2人の後に続いていた。
「なるほど、ひどい有様じゃ。これらは紡績工場の後なんじゃの?」1人観察には余念がない。眼が細くなっている。「こんなところに人が住んでるとは思えんの。わしには人の気配など残念ながら、感じられんが。2人には声が聞こえるとはどういうことか・・・。」
念のために警戒だけは怠ってはならんぞと自分に言い聞かせる。意識の特定の隅(宇宙人類達が感知領域と呼んでる場所だった)でドラコを意識した。
場合に寄っては出動じゃぞ。
3人は歩ける所を選んで廃屋を回り込もうと崩れた建物と建物の間に入り込んで行った。「止めようよ。」「もう、帰りましょうよ。」同級生達の細い声が遠くから聞こえた。
心なしか、薄暗さが増していくようだ。腐った落ち葉の匂いがする。それ以外にも腐食した金属のようなものも混ざっている。
「戻った方がよいのではないかの。」トラの声も草と笹薮を踏み分ける音にかき消された。「だって、なんだかおかしいもん。確かめたいの!トラは黙ってて!トラは付いてくればいいの!」
ユリは半場意地のように突き進み、渡もそれに魅せられたように続いた。なんだか、次第に辺りは夢の中にいるようにぼやけていくようだった。ぼやけて歪んで行く。目を思わずこすったが、見失わないようにユリのシャツの裾をそっと指で掴んだ。回りがぼやけるのと反比例に耳に聞こえる音、不信なざわめきは次第に大きくなって行く。いつの間にか寄り添う2人の回りを轟々とトンネルの中の反響のように取り囲んでいた。おまけにいつからか暗く寒くなり、さらに強い風が吹きすさんでそれはやがて進むのも困難なぐらいになっていった。渡は不安になって、ユリの裾を握る手に力を込めた。
それでもユリは歩みを止めなかった。(これはなんなんだろう?ドコへ続いてるんだ?)怖くはなかった。持ち前の強い好奇心がユリを突き動かしていた。それは湧き出るようにユリの内側を満たして行く、尽きない泉だからだ。
(この先にナニがあるか、アタシは知りたいんだ。絶対、知ってやるんだから。)
遥か先にトンネルの出口のように何か風景が見えて来た。近づくにつれてそれは大きくはっきりして来た。それはさっきまでいた工場跡の続きのようだった。気がつけば2人は先ほどまでの草に覆われた建物の脇を枯れ葉を踏みしめながら歩いていた。

嘘のようにざわめきは遠のき、音一つしない。枯れ葉を踏む音さえしないことに渡は気がついた時、初めてちょっと怖くなった。木の影は覆い隠すようにそびえ、空は真っ黒だった。いつの間にか夜になったのか?それにしては地上の物がはっきりくっきりと見えるのはどうしてなのか?
突然、2人は古びた大きな二つの建物同士を繋ぐ渡り廊下の前に立っていた。廊下には屋根が渡され、床に簀の子が引き詰められている。そしてそこを何かが左右に移動していた。渡が思わずユリの手を掴むと、ユリも握り返す。2人は同じ物を見ている事を確認したのだ。
動いているのは人のようであった。その姿は不思議なことに白黒で荒い粒子の画面を見ているように感じられた。顔は伏せられ、背を丸めて腕が今にも地面に付きそうだ。もどかしいはっきりしない暗い映像なのに、女達が一様に同じような後ろに纏めた髪型をしていること、その髪が乱れたり崩れたりしていること、薄汚れた古ぼけた制服を纏っていることはわかる。なんだか、誰もがひどく疲れていることが感じ取れた。彼等は互い違いに右へ左へとヨロヨロと歩いていくのだが、時々ビデオが空回りするように映像は揺れてぶれた。特に互いが重なる瞬間に画像は一旦止まり撹拌された。鮮明な周りの背景の中で、それはすごく異様だった。
「どうしたんだ?みんな、どうかしたのか?」ユリが怖れげもなく大声をあげた。
しかし、顔を上げるものは誰もいない。
「おい!みんな!聞こえないのか?おい!おいってば!」
「やめよう!ゆりちゃん、この人達にはきっと聞こえないんだよ。」
気がつくと渡はひどく焦っていた。はっきりとした理由はないが何かが渡に警告する。
「この人達、どうしたの?ゾンビみたい。そうだゾンビだ、ゾンビ!ゾンビ、ゾンビ!」
「そんなこと言っちゃダメだよ!引き返そう。」困惑がじわじわと恐怖に変わりつつある。
「あ、でも、おかしいよワタル、道がない!」ユリの声に振り返るとそれは本当だった。
来たはずの道はいつの間にか木々に覆い隠されている。
「あれ、変だよね?ワタル、確かにユリとワタルこっちから来たよね?あれ、トラもいない?!トラ!トラ~!」
「トラさん!」渡も夢中で叫んだ。声だけがくぐもったようにむなしく回りに吸い込まれて行く。2人は声をからして仲間の名前を順番に叫び続けた。
その間も2人の後ろでは不気味な女達の行進が耐える事なく続いている。
渡は今パニックになりそうな所をぐっと押さえつけていた。押さえつけないとユリと共にどうしようもない混乱に落ち込むことがわかっていた。
ユリもギリギリであった。ユリの声が次第にわずかな震えをおびていったからだ。
渡は自分でも渾身の気力を振り絞ってユリをその場から引き離した。
「ワタルゥ!」二人にはお互いの体温だけが拠り所なのだった。
「いいから、振り向いちゃだめだよ。」ユリの肩をグッと力を入れて掴む。
二人は急ぎ足で来たと思われる方向に引き返えそうと試みたが道がなかったので下生えの草に踏み込むしかなかった。渡が低い草を二つに分ける。
「ここ・・・音がしない。」ユリがぐっと耳を寄せた。それは渡も既に気がついていたことだ。二人はかなりな勢いで草を払い、茎や枝を踏んでるはずなのにだ。聞こえるのはお互いの息づかいだけであった。更に付け加えると、草や落ち葉もなんの匂いもしなかった。空気すら動いていないようだった。
「次元じゃないのかな。」ユリが続ける。「アギュやドラコがよく言ってるどっかの次元だと思う・・・あたしたち・・・迷い込んだのかな?」
「だとしたら」渡は息を継いだ。「どこかに出口があるんじゃない?探そうよ。」
突然、前が開けた。二人は石を敷き詰めた地面の上に転がり出る。
「あの家!」ユリが渡の腕をつよく引く。
それはついさっき、彼等が探索していたあの大きな別荘だった。
しかし、庭の樫の木に登ったりしていた時、それは荒れ果て朽ちかけていたはずだ。
目の前にあるその家には廃墟めいた感じは微塵もなかった。
どろのような黒い空を背景にさえしていなかったらば、それはのどかな美しい光景だったかもしれない。庭の石像は一つも倒れてはいず、草も生えていない。花壇には色とりどりの花が咲き乱れていたし、割れた窓も一つもなかった。玄関前の悪趣味なヌードの石像もそのままだった。重厚な石造りの壁と木目の浮き出たドア。
心なしか黄ばんだようなセピア色に映像は彩られている。
あちこちに生え放題だった桑が一本もないことと、ユリが登った樫の木がまだ細いことも渡は見て取った。「ここは・・・昔なんじゃないの?」


すると、突然、彼らの声に答えるように声が降って来た。
「ねぇ、あなた達はどうしてここにいるの?」
その声に2人は文字通り飛び上がった。振り向くと目の前に、1人の女が立っていた。
「おい、どこから、来たんだ?このヒト?」ユリが渡に囁く。「地から湧いたか?空から落ちたか?」
渡はその疑問に答える余裕がない。その女を必死で観察していた。
女はかなり若い年齢と思われた。黒い紋付の着物を着ていて、家のアルバムに貼った曾祖母の写真のような古い身なりをしていた。黒々とした髪はうずたかく上に巻き上げて簪で止めているのも昔の装束のようだった。しかし、女の笑顔は背後の家と同じようにどこか黄ばんだ印象があった。
心なしか渡は力を抜いていたらしい。ユリの肘が激しく脇腹に当たった。
「怖がらなくていいのよ。」よく見ると、女は色黒だったが奇麗で優しい顔をしていた。
それはどこかほっとさせるような気さくな表情だった。渡は目でユリをなだめるように牽制する。この人は大丈夫なんじゃないかな。渡は口を開こうとした。
「あの・・・ぼくらは」
「ダメ!」しかし、ユリが激しく叫ぶと女を睨みつけた。
「こっち来るな!」渡の服を掴み、引きずるように後ずさる。女は婉然と微笑んだ。

「おやおや。」今度は背後から声がした。驚いて振り向くといつのまにか背後の屋敷の玄関ドアが開いて女が階段を下りて来ていた。同じ女だった。しかし、長い裾の広がった黒いドレスを着ている。開いた襟元からつやつやと輝く浅黒い果実のような胸乳が覗いている。伸ばしたままの渦巻く髪は風もないのに踵まで扇のように広がっていた。
「お嬢ちゃんは疑り深い子供さんだねぇ。」
渡は背後を振り返って肝を冷やす。セピアに揺らめく着物の女は今だにそこにいた。


怖いような笑顔に二人は挟まれていた。後退ができないと悟ったユリは二人の女を結ぶ線上から横に進み始める。渡とぴったりと身を寄せて、二人からは一時も目を離さない。女達との距離をできるだけ作ろうとしているのだ。
「この人達、双子かも・・・」渡はまだ迷っていたが、ユリに逆らわなかった。
「まったく困ったこと。ボクちゃんも私よりもそのお嬢さんを信じるのだねぇ。」
洋装の女があざけるように短く笑うと、その声は次第に冷えて行く。
着物の女も同じように口を開く。「お嬢ちゃんみたいな子供は嫌いだねぇ・・・」
「嫌だ、嫌だ、恐怖に屈しない、鉄のように強い意志・・憎たらしいねぇ」
「揺るぎない自分への自信と信頼なんざ・・・まったく、どっちも吐き気がするよ。」
「昔、そういう嫌ぁな女がいたけど・・・お嬢ちゃんはちょっと似てるかもねぇ・・・」
言葉を放つ度にその姿は陽炎のように薄っぺらに捩れて溶けて行くようだ。
それを見る渡の膚に鳥肌が立った。「この人達・・・双子じゃないかもね・・」
女達は口を覆い、お互いにけたたましく笑い始めた。
「私の力が通じないなんて憎らしいガキどもだこと!。」
そう叫んでキッと顔を上げた着物の女の面影は今までと違っていた。一時、その色黒だった顔は白い面をさらす。毅然とした品のある女。その眼差しは確かに誰かに似ている。
ユリの目を絡めとったまま、その姿は陽炎のように背後の闇に吸い込まれた。
渡の手をユリがギュッと強く掴んだ。
そして、洋装の女の容貌も崩れ始める。ほどけていた髪が意志を持つかのように一つの縄目へと変貌する。それはゆっくりと後ずさるする二人へと向かってくる。
蠢く黒い蛇。肌は真っ黒に血がにじむように変わって行き、目も白目が見る間に黒目と混濁し、口とともに裂ける程につり上がった。
渡は大声を出そうとしたが、出せなかった。ユリに見せてはいけない、見てはいけないと本能が激しく囁きかけたが女から目が離せなかった。ユリを連れて逃げなくてはと心は焦るのだが、麻痺したように足も動かなかった。
「それじゃあ、2人ともここから返すわけに行かないわねぇ。」
ギラギラとした金色の光が真っ黒な眼球に宿り、とうとう女が白い牙を晒し感極まったように叫んだ瞬間、できる限りの距離を開いていたユリは渡の腕を掴んだまま無言で身を翻した。「逃げろ!」ユリがいなかったら渡は逃げ出せなかっただろう。
闇雲に声が出た。声が出せたら、足が全力で動くようになっていた。ユリは韋駄天のように1歩前を走って行く。ユリに手を引かれ渡も走る。それはもう、夢中だった。ほとんどわけもわからない。行く手が阻まれても道がなくてもユリはためらうそぶりもない。突然の壁や、木や草が行く手を阻むように多いかぶさる度に「どけ!」と、ユリは腹の底から声を放つ。と、それらはその度にひび割れて崩れて地面に崩れ折れた。そうだ、やっぱり、これは映像だ。ユリは確信する。これはアギュがいう次元が脳に作り上げる幻に過ぎないのだ。
しかし、女の笑い声は追って来る。この女は幻ではない。そんな気がする。
魔族か?次元生物。逃げなくてはならない。
ユリは渡の言葉を思い出す。どこかに出口がある。しかし、どこに?。
こわしてもこわしても映像は立ち上がって来る。どこに向かって逃げているのか?それともどこにも逃げていないのか?。確かなのは握ってる渡の腕。二人支え合って折り重なるように走っている、お互いの体温、息づかいと鼓動。しかしそれもいつまで持つのか。いつまで続ければいいのか。どこまでもどこまでも終わりがない。
「ユリちゃん!」渡も同じ事を感じていた。恐怖が爆発しそうだった。

「こっち、こっち。」
声がする。
「!」
渡はユリの手を逆に引っ張ると一直線にその声の方に飛び込んだ。

スパイラルツウ-1-2

2010-04-14 | オリジナル小説



高校3年生になった香奈恵が馬鹿にして、今年の始めに名付けた「子供軍団」は熱さよけの帽子とタオルを首に離れを出発した。
ペットボトルもしっかりといつの間にか離れの冷蔵庫から貰って来ている。
今年も9月はまだ残暑が厳しい。こんな時は、否が応でも渡は3年前の夏のことを思い出さずにいられない。あの時はまだ夏休み前だったが。
この日、泊り客が3組、合計8人の予約が入っている『竹本』は母と伯母さん達が午前中から掃除や仕込みで大忙しだった。渡も学校から帰ってみんなが来るまで下駄箱の拭き掃除と玄関の掃き掃除をさせられたばかりだ。2階廊下の窓の外、瓦屋根の日向にスリッパもキチンと並べて干さなくてはならなかったのだが、取り込むのは後で高校から帰った香奈恵がやってくれてもいいはずだと渡は自分なりに解釈した。
母屋は台所の方から夕飯の下準備の声が微かに聞こえてくる以外はしんとしている。
勝手口の前には板さんが乗って来た原付バイクが止まっている。父は朝早くから祖父と川の堰に鮎を分けてもらいに行ったので部屋で休んでるはずだ。
離れから裏山へと抜ける木戸までの周辺には人影はない。
渡たちが心持ち声を潜めて裏手から出て行っても誰にも見咎められなかった。


国道を渡れば、もう神月は目の前だ。とは言っても、丘のような低い山を中腹まで登らねばならない。まるで距離を錯覚させるかのようににユリの家の屋根が近くに見えている。実際、そこに至るまでにはうっそうとした薮やくねくねとした道が阻んで簡単には辿りつけない。一面に勢いよく生い茂る雑草が子供らの低い視界を遮っていることもある。壮大な草むらの真ん中に獣道の様に舗装された細い道が続いていた。
「しかしよ。」あっちょが足を止める。
「ユリちゃんの親父もさ、なんだってこんなとこに家を買ったんだろ?。ここだって神月の中でも寂れてない?ずっと誰も住んでないところじゃん。」
「今更、怖じ気づくのはなしですよ。」「違うよ。うちの親とかがよく不思議がってたんだよ。ガンタだってユリちゃんだって、渡んちにいるのは結局その方が便利だからだろ?」
「ガッコウに行くのは確かにベンリだっ!うちからじゃ、遠い。トオイ、ツカレル、シンドイ!」ユリが草を振り回しながら、歌う。「タケモト、ラクチン、ラックチン!」

「ユリちゃんちって、もともとは渡の家の本家ですよね?」シンタニが横に並ぶ。
「新谷の家もうちと親戚だろ。」「すごく遠いらしいですけど。」
それをいうならば、村のほとんどはなんらかの血縁関係があるのだった。
「うん。」渡も立ち止まる。背の高い草がザワザワと鳴った。風が出てきた。心地よい。
「ひい婆ちゃんの兄弟がお嫁に行った先らしいよね。今、ユリちゃんが住んでる家はうちのお爺ちゃんの・・・お父さんの兄弟が住んでたんだ、確か。」
「ほんと、ややこしいのう。」
「確か誰か、自殺したとか。」あっちょがおどける。「かあちゃんが言ってたぜ。」
「あそこで自殺したわけじゃないよ。」渡は反論する。
「死んでないもん。」ユリがむきになる。「アツカワ、いいかげんなヤツ!ワタルもバカ」
あっちょがすばやく舌をだすと、薮に続く道に足を踏み入れた。シンタニも続く。
トラと渡だけになるとユリが小さく言う。
「死んでない、まだいるの。」困惑顔の渡を置いてそそくさとトラも消える。
渡は少しだけ背中がゾクゾクした。「それって・・やっぱり?」
「違う!幽霊じゃない。ユーレイ、違う。ユーレイなんか、信じない。ユーレイなんかいない!」渡を見るユリの目は真剣だった。
「うちにいるのは・・・ユーレイじゃないの。・・・ジゲンってあるでしょ?ジゲン・・ジゲンの話なの。」そこから先がうまく説明できなくて、ユリは唇を噛んだ。
「ワタル、信じて!いつか、ちゃんと見せるから。見せてあげるっ!」
そういうとユリはマテェーと気勢を上げながら、皆を追って走しり出した。
「待ってよ!」慌てて渡も後を追う。
謎ばかりだ。ユリの話は。
この小さな宇宙人(渡は今でも時々信じられない)の子供は4年前まで口が利けなかった。実は成長もしていなかった。ユリが人工的に作られた生命であり、その成長の仕方がよりクローン体に近かったがためにユリの細胞は成長を強いられた負荷から守られる必要があった。しかし、本当は臨海進化体、アギュレギオンの意向が深く反影していたことはいなめない。
アギュはどこかでユリの成長を畏れていたのだろう。
日々成長し、過去を呼び覚ます忘れがたい面影に次第に似通って行くユリを。
そんなわけで、ユリはずっと9歳のまま、10年近く竹本の日常にいたのである。
記憶は年ごとにオリオン人達によって、辻褄を合わせた新たな記憶が脳の記憶野に更新されていた。いわば、偽のデータを上書きされていたわけで・・・誰もがその偽の記憶を信じていた。その及ぼす範囲は村全体に及んでいたことを思えば、なんと手間隙をかけ面倒な大掛かりな作業を毎年していたものである。
正虎ことタトラがガンタことガンダルファにこぼすことしきりだったと言う。
そして、ようやくアギュは3年前にユリの成長の封印を解いた。
ユリは渡と共に成長することを選んだ。ユリが話し出したことはそれとは関係ない。
関係ないが、しゃべりだしてからは進化が著しい。最近では喋り過ぎるくらいだ。
渡には要点が掴めないことが多い。
ジゲン。次元って阿牛さん、アギュさんがよく口にするやつだよな・・・難し過ぎる。

息を切らして全力疾走で子供達はユリの家の門前を走り抜けた。ユリの家は今は無人である。
ユリの父親の阿牛さんは今も秘書のシドさんことシドラ・シデンと外国に行っている。
シドさんはスタイル抜群の美女で優秀だが、秘書にしては強面で横柄だとの評判が高い。村の男達は片端から肘鉄を食らいまくって、最早手を出す独身男はいないとの話だ。
シドさんがいたら、幽霊も裸足で逃げ出すに決まってる。
渡はチラリと2階の窓を見上げた。あの窓に幽霊が見えるという噂は以前は確かにあった。今は、板の香も新しく落ち着いたクリーム色の塗料が塗られ、噂の窓も光を反射して明るく何も見えない。建物自体以前は廃墟だったとはとても思えない、全体的に瀟洒なたたずまいで、そんな怪しい雰囲気はもはや微塵も感じられない。
今では数えきれないくらいに建物に中に入ったことがあるが、やはりそれは噂だとしか渡には思えなかった。
ただ、遠くを小さく今では先頭を走っているユリの言葉だけが引っかかるだけだ。
へばったトラとシンタニを渡は追い抜いた。
「後から来なよ。」そう言って尚も鬼のように走る、あっちょとユリを追いかける。
1本道は峠を境に舗装を解かれ、後は細い下りの山道に戻る。
月城村の農家がやっている椎茸栽培の覆いの脇をどんどん降りて行く。しばらく行くと狭い平地が現れた。そこでユリとあっちょが座り込んでいた。
「こっち、こっち。」あっちょがグッタリと手を振る。
渡もバクバクする心臓をなだめようと倒れ込む。
「ユリちゃん、場所も知らないくせにどんどん先行くんだもんよ。」
「ワカル。このミチ以外、ない。」さすがにユリも息が荒い。「ドコがある?」
3人でぜーぜー言ってると、かなり経ってからトラとシンタニが追いついて来た。
「ほら・・水です。」2人が差し出す水をゴクゴク飲む。
「あそこですよ。」シンタニが指差す方向で渡はその存在に気づく。暗い木に埋もれたシルエットがあった。「随分なお屋敷ではないかの。」トラが一人ごちる。
「確かに大きいね。」渡も立ち上がる。草を分けてそちらに回り込んで行くと、突然石畳が現れ足下がいくらか歩き易くなった。しかし、石畳は石の継ぎ目から草を吹いている。その先に崩れた門扉が錆びたままに放置されていた。しかし、誰かが定期的に草を刈っているのか思ったよりはひどくない。どうにか通れそうだ。
シロやんもここからなんなく侵入できたのだろう。
「うーん。」ユリが唸る。「なんだか、うちの前の姿みたい。」
「ゆりちゃんちも、昔はボロくて悲惨に荒れ果ててたもんなぁ。」
失礼なあっちょにもユリは今は怒る気力がないようだ。
母屋と見られる大きな建物は所謂、日本的洋館であったのだろう。まだ昔の豪華な面影を留めている。ただし、元は白かったらしい漆喰とのレンガの痛みが激しい。土台は石積みで苔むしている。腐った木の欄干から塗料がはげ落ち、外壁には雨の後が黒く線を描いていてすさまじかった。ズングリムックリした、ちょとなんだかわからないポーズの女の彫刻が玄関脇に付いている。成金ぽくて、センスがないと渡は思う。女の人が裸でちょっと恥ずかしい。へたくそでリアルじゃないからまだいいけどユリの手前、男の子達はなるべく注視しないようにする。
「さすが、渡と新谷の親戚、趣味わり~!」あっちょが渡を突つく。
「この像、デブだね。デブ、デブ、デ~ブ!」ユリが軽く蹴りを入れると興味を失って踵をかえす。すかさず、あっちょも蹴りを入れる。「この像、持田先生に似てる!」持田先生とは校長先生である。男の人だ。「確かに、そっくりだの。」トラさんも笑う。
石畳のエントランスから回り込んで庭が続き、さらに裏庭に続いているようだ。奥の方にかなり原型を留めていない建物がいくつか見える。奉公人の家や、物置か家畜でも飼っていたのだろうか。それにしてはかなりの大きさであった。

「あれが例の工場後らしいです。」シンタニが指差す。
「ここは工場跡地の一部を切り取って建てたわけじゃの。」
「工場って紡績の?」
「そうだろ。ここの昔の特産品じゃん?授業でやったよ。」
「クワ、クワ、クワ!ここいらはクワの木だらけ~」
ユリが言うように近場にあるのは桑の木が多い。おっと思うような丈の高い大木になってるものもある。それはここに限らず、月城村全般に言えたがこことは違い手が入ってる分だけ丈が小さく揃っていた。
「あっちが例の腐った別荘群ってやつかの?」トラさんは更下った先に見え隠れしている建造物の名残というような一群を見回した。
「強者共の夢の跡じゃのう。」

「そこの裏庭にある木が例の虫の集まる木らしいですよ。」
シンタニの説明で彼らはおっかなびっくり、草の蔓を切りながら裏庭に分け入った。庭は明るいレンガが敷き詰められていた。石のベンチと何か動物(玄関先の彫刻と同じ作者らしくずんぐりしている)の彫刻が何体か、ちょっと洗練された感じの日時計。茫々と雑草が吹き出す中、すべてがご丁寧になぎ倒されている。
「何も全部、倒さなくてもの。」トラさんが高い声で感想を述べた。
「しかし、大きな木だのう。」
古びた家に後ろから寄り添うように特大の巨木と言っていい木が立っていた。神社のご神木級だ。山の上の視界からこの家を覆い隠していたのはこの巨木の膨大な枝葉だったのだ。
太い枝が割れた硝子を散りばめた窓の二階の庇を壊しているのがわかる。割れた硝子が空を写してキラリと光った。
「不気味な家。」渡が思わずボソリとつぶやく。
「あ、今、誰かいた!」ユリが叫ぶ。「あそこ!あの窓だ!」「えっ、ど、どこに?!」
「バッカが見る~!」ビビったシンタニをあっちょがどつく。
一緒に笑った渡だったが、ユリが笑わなかったことに気がついた。
「どうしたの?」
ユリは首を傾げる。
「なんでもない。」ムキになって打ち消すと、木に向かって勢い良く歩き出す。
「気のせいだ!木のせい!せい、せいっ!」
近づけば近づくほど視界はその木しか入らなくなる。
「樫の木じゃの。」「カシの木?」「お菓子の木なんちゃってね。」
「うるさい、アツカワ。カシはカシでもカシワ持ちだっ!」
ユリはシュタッと根元に走りよると、太い幹を見上げた。
日陰にすっぽり包まれると日中でも薄暗くなり、かなり涼しい。
渡とあっちょもすぐ後に続きながら汗を腕で拭いた。
「ちょっと怖ぇえな、これ。妖怪みてぇ。」ゴツゴツと突き出て変形し大小のウロに覆われた木の幹をおっかなびっくり眺める。「聞きしに勝るって奴だ。」
「日が傾いてきたの。」トラさんは日影には入らず、シンタニと仲良く並んで空を仰いだ。
「やっぱり、朝早く来ないとダメですよね?」文科系コンビの誕生。「常識じゃ。」
渡達は夢中で木の回りを覗き込んで幹に手をかけたりしている。
「ほらほら、ミテミテ、あそこ。」すばやく途中まで足をかけたユリが指を指した。2メートルほど頭上に樹液が広範囲に染み出てる場所があった。
「あ、いるじゃん!クワガタ」あっちょが歓声を上げる。
「あれは、小さいよ。」3センチぐらいの小型が樹液の側の木のウロの入り口付近に止まっている。話にならないと渡は眼をこらしながら思う。最低でも8センチは欲しい。
「穴の中とか探してみろよ。」
その時、急に強い風が吹き出した。瞬く間に日が陰り出す。さっきまでの気持ちのいい風どころじゃない。木全体が雄叫びを上げるように身を捩り枝と葉を鳴らす。
渡はちょっと撤退したくなる。木に止まってるユリとあっちょの背中に呼びかける。
ユリはさすがにスカートではなかった。赤いパンツのポケットがピンクで縁取られているのに初めて渡は気がついた。
「網がないと話にならないよ。」
「そうだね!」ユリが勢い良く、飛び降りて来た。
続けてあちょも墜落してくる。「上にでっかいウロが開いてる!あそこに絶対、なんかいるよ!」
「明日の朝、出直したらどうだろ?」
シンタニのか細い声が風に吹き飛ばされそうだ。
外野2人は早くも撤収したい気運。

「人がいる。」
ふいに、ユリが声を出した。ユリは風に吹き晒されながら、奥の崩れた建物をじっと見つめていた。「やっぱ、誰かいるよ、ここ。」
木々ざわめきにかき消されながらも、微かな音が聞こえたような。
「さっきもそんな気がした。」「さっきって・・・窓の時?」
「ええっ!あれは、嘘でしょ。」
「あれは・・・気のせいかもしれない。」ユリは1歩2歩、木から離れる。
「うん。確かに。」渡もうなづく。「話し声がする。」
「本当に?」あっちょは顔をしかめ、トラさんとシンタニは首を傾げる。
「わしには聞こえんがの。」
「あ、でも・・・するよ。」シンタニが不安そうにトラを振り返る。
「俺は何も聞こえないって、絶対。」あっちょがトラの後ろに入りながら頑固に言い張った。「なぁ、トラキチ?。」「風が出て来たようじゃから・・・。」
「ユリ!」スタスタと躊躇いもなくその方向に歩き出す少女を追って、渡が慌てて走りだす。正虎も続く。シンタニとあっちょはそれぞれ取り残されて彼らを見送ったが、心細くなり木の下で合流する。それからしぶしぶ、距離を置いて付いて行った。
子供達は木から離れて行った。

スパイラルツウ-1-1

2010-04-14 | オリジナル小説
スパイラルツウ       



1.樫は菓子でも柏餅


お化けが出るらしい。
渡はフーンと思った。顔に出たらしい。
「怖くないのかよ。相変わらず無感動だな渡は。」あっちょが不満そうに言う。
「あんまし。だって、前もUFO騒動とかあったしさ。」
「ありゃ、もう昔のことだろ。」あっちょが力む。
昔って言っても3年前なんだけどねと、渡は思う。なんだか、遠い記憶だ。
まあ、小学生にとっては3年も一昔かもしれない。
「確かに御堂山にUFO基地はありませんでしたけど!」シンタニは言葉を切る。
「実際に空飛ぶ円盤は見たじゃないですか? あれは当たらずとも遠からずだったんです。ここに偵察に来てたってことですから!」
「そうだよ。みんな、大騒ぎだったじゃん?」
「まあね。」しぶしぶ認める。「でも、あれってプラズマ現象なんでしょ?なんとか教授がテレビで言っていたじゃん。」
「あれは絶対、UFOなんです!どんなに偉い教授だってまちがうことはあるって、阿牛さんが言ってたじゃないですか!」
「プラズマだって、関係ねぇよ。あれ、良かったじゃん?」あっちょが伸びをする。
「誘拐されたのはちょっと怖かったけど・・・」シンタニが思い出す目をして身震いする。
「そう?おれさ、あんまし、覚えてないんだよね。なんか、すんごくコーフンしたことしか。あいつらの顔ももう忘れちゃったし。」
「アツカワ君は・・・きっと怖くて気絶していたから覚えてないんです。」
あっちょは恨めし気なシンカワの台詞が聞こえなかったように、渡に向きを変える。
「渡だって、あん時は随分興奮したくせに。UFOに攫われたとかなんか言っちゃって。」
「そうそう、渡君は興奮し過ぎて寝込んだんですよね。」
気を取り直したシンタニがニヤリと鼻にずれた眼鏡を押し戻す。自分が眼鏡を掛けていることから、ゲームから真似し始めたお気に入りのポーズだ。
「・・・その時の話はしないでくれ。」渡は歯の間から唸った。「熱に浮かされたんだ。」
「それにしたって、俺らが探検に出かけてさ、その日偶然にそんな騒ぎが起こるなんてその方がすごくねぇ?。そういうのってシンクロって言うんだよな、なあ、シンタニ?すごいとか、大冒険再びっ!とかさー、思わないのかよ、渡は!」
「・・・さんざん、怒られたからね。」

UFO事件も実は色々あったのだが、あっちょとシンタニはその時の記憶がない。
危うく宇宙人・・・宇宙遊民ギャングの兄弟にUFOに連れ込まれた渡にとってはあんまり思い出したくない嫌な出来事なのだが、あくまで冒険活劇大興奮、幸せロマンな記憶の彼らとはいかんせん埋めがたい溝がある。
「渡はまったく、ロマンとかないよな~つまんない男子は女子にもてないぞ。」
「渡君、今回は絶対、まちがいなしの鳥肌もんの冒険なんですよ。魔除けの真言だってサンデーでばっちり覚えましたから大丈夫ですって!」シンタニが目を輝かせる。
「なんだって、その目で見た人がいるんですから~目撃者語るですよ。」
シンタニこと新谷君が興奮しているのには理由がある。彼は最近、結界を造ったり妖怪と戦ったりする漫画にはまっている。今日も週刊誌の漫画を持っている。
「目撃者って、誰がなの?」
「隣の組のシロやんです。他にも大人がたくさん・・」
「志郎君って最近休んでない?」シロやんの名前は竹本志郎という。親戚の1人だ。
渡は最近、頼まれてノートとプリントを届けたのだ。学年は違うけど、シロやんの家は渡の向い隣だったからの体の良い使い走りだった。
ほうら!と鬼の首を取ったようにあっちょが奇声を発した。
「お化け見て次の日俺のとこきたんだよ。近所じゃん?すげぇ、ぶるってたぞ~その夜から、熱が下がんないんだってさあ~!」
「神月のお化け屋敷はまちがいなしっ!太鼓判ですよ!」

「コラコラコラ!」突然の大声に3人は飛び上がった。「チョットチョット、うちのドコガお化け屋敷だっていう!」離れの真ん中にちゃぶ台の上のお菓子が転がる。「シンタニタロウザエモン!勝手な事言うの許さない!」気がつけば、色んな物を蹴散らして竜巻のように突然現れた金太郎がシンタニ君に詰め寄っていた。
「ユ、ユリちゃん!」シンタニの喉が甲高くヒッと鳴る。「ぼ、ぼくは太郎ざえもんなんて名前じゃないですからっ!」
「シンタニなんかザエモンで充分で、充分!なんで、ひどいコト言う?」
「言わない、言わない。」あちょが慌てて間に入る。「事実だから。」
「ジジツゥ?ジジツだぁ~?」ユリは掴んでたシンタニの襟を放すが、そのでかい切れ長の目でこんどはあちょを思い切り睨みつけた。「なに、ジジツなんて言う!そんなの嘘!嘘つきだアツカワ!アツカワのバカ、タコ!」
「ユリちゃん、まず落ち着こうよ。」渡が慌てて間に入った。
よく見ると、金太郎はおかっぱの目鼻立ちのはっきりした大変きれいな女の子であった。
「そうですよ!、だいたいお化け屋敷はユリちゃんの家じゃありませんからっ!」
「ほら、違うんだってさ。」
「当たり前です!」シンタニの声が裏返る。「神月は神月でも、他にも家があるでしょ。」
「アー」ユリが力を抜く。「アー、ソッチの方かぁ。ソーカ、ソーカならあるか?」
「神月に他にそんなに家なんかあったっけ?」
「アッタ、アッタ、アル、アル。失礼なワタル!」ユリがニコニコうなづく。
「別荘ですよ。」とシンタニ。「昔は別荘地だったんですって。」

ここで神月と呼ばれる土地に付いて説明しよう。一口に神月と言ってもその番地で呼ばれる地域は意外に広い。もともとこの月城川の下流の地域は江戸時代から養蚕が盛んな土地だった。戦前に生糸産業で財を成した竹本八十助という男が川を遡るその地に広大な屋敷と工場を建てたのが始まりであった。言わずと知れた、旅館「竹本」の祖先である。
八十助は渡の曾曾祖父に当たる。
そこで、村で「神月」と言えばかつては竹本総本家の代名詞として使われ、今では「阿牛家」を指すのが通例になっていた。
なぜなら、戦時中のモロモロの後に本家は神月を離れてしまった。親戚達のほとんども製糸産業の衰退と共に借財を背負い散り散りとなった。八十助の末っ子で9男であった曾祖父が神月から下った宿場町月城村の旅籠であった分家の養子に入り、今に至っている。渡の祖父の父親である。竹本ではこの祖父以外は男はみんな養子である。渡の父親もそうだ。したがって、やや影が薄い。竹本は女の天下と言える。
そんな全盛の頃の月城村には旅籠や楼館、紡績の工場や女工達の寮、神月にはそれらに関係する様々な財閥の別荘や別宅が多数作られ、竹本の一族の屋敷もそれなりに点在していた。それらは、戦後人手に渡ったり取り壊されて、もはや残ってはいない。月城村も当時の面影は微塵もない寂れた村に変わっている。人口は当時の5分の1以下まで減った。まして広い神月地域に至っては現在も人が住んでいるのは10軒にも満たないだろう。
その大半はユリの家よりも月城村に下った国道の反対側に密集している。
山の中には無惨な廃屋となった家々がまだ残されているし、女工達が暮らした名残の建物もそこには併設されていた。

「でも、そのシロやんが見たっていうのは人が住まなくなって、まだ新しい方のだよ。」
ねぇと、あっちょがユリに代わりに説明する。
「新しいってどんぐらい?」
「ユリちゃんの家よりは後?なのかなぁ?」シンタニが首を傾げる。
「もと別荘とか。工場の跡地に建てたんだけど、なんか事件があって人が住まなくなったらしいじゃん?」
「事件?」「サツジンジケンか?サツジンジケンならすごいぞ!まだサツジンジケンの現場は見たことない!みたい!」
「確か、殺人じゃなかったはず・・」シンタニの声は小さい。
「詐欺とかじゃなかったかなぁ。」それも渡には初耳だった。
ユリが『ジケン』に興味を持ったとみたあっちょは俄然、力を込める。
「そうだよ。とにかく、呪われた家なんだって。すごいだろう!」
「スゴイ、スゴイ!でかしたぞっ、アツカワ!」何がでかしたんだか。
「ユリちゃんの家のちょうど山の反対の方だよ。神月の峠を越えると、すぐのはず。」
「椎茸栽培とかがいっぱいある方ですよ。あそこを抜けた先です。」
「あーそう言えば、あの辺ほだ木が沢山ならんでたな。」渡も記憶をたどる。
「神月の奥の沢まで下ると腐った別荘が沢山ならんでたでしょ。不気味な場所ですよ!」
「つまりユリちゃんの家のことではないってことだね。」
「フーン。それは、わかった、わかった。」ユリは機嫌を直すが、怪訝な顔をする。
「だけどだいたい、なんで、シロやん神月へなんか行く?。」
あっちょとシンタニの態度はさっきからえらく改まっている。
シンタニなんか正座だもんな~と渡はあきれる。
「ユリちゃん。」あっちょはすごく嬉しそうだ。大人の真似をして咳払いをする。
「シロやんが学校一の虫オタクなのは知ってるよね?あいつはこの辺一体の虫の分布にはとってもくわしいんだよ。」
「神月の奥地にはブナ林とか多いじゃないですか。志郎君は夏中、あそこでカブトムシとクワガタ捕ってたんですよ。」「売るんだよな。」とあっちょが口を挟む。
「リカーショップ林のオヤジが8センチ以上のは300円で買ってくれるんだ。」
「何でも屋が買ってくれるのか?」村で一軒の酒屋の名前にユリが目を丸くする。
「ハヤシはそんなものまで、売るか?」リカーショップ林は食料品や肌着も売っていた。
「林の親父は甲府とかのペットショップに高く売りつけるらしいよ。」
「そうか、それでシロやんたら小遣いかせぎしてたのか。」と渡は急にうらやましくなる。
大人の科学の模型付録が欲しいのだが、月500円のお小遣いでは到底間に合わない。
次回は人工知能が付いた組み立てロボットなのだ。
「それで、それで?」ユリが先をうながす。「アツカワ早く!」
「あのお化け屋敷の庭にはさ、色んな虫が集まる木があるんだって。」
「ほんとうかい、それ?」
「クワガタとか、でかいカブトとか・・プラモみたいなカミキリムシもいるんだ。」
「カミキリは全長15センチ以上で500円だったそうです。」
「ほんと?僕も行かなきゃ!」俄然やる気の渡。「捕まえて、ハヤシに売ろう!」
「ワタルもムシ、欲しいのか?」ユリが顔を向ける。
「ワタルが欲しいなら、ユリも取る!行こう!すぐ、すぐ行こう!」
「お化けの話はいいんですか?」シンタニ、残念そう。
「いいよ。僕は虫が欲しいんだけだもん。」
「オバケなんてヘーキ、ヘーキ!シンタニ、やっつけるよね。」
ユリの笑顔にはシンタニもテンションがあがるらしい。
「まかしてください。」と跳ね起きて胸を反らした。その手には漫画本。
シンタニの知識の源。
まかしてくださいって・・・と、ちょっと渡は不安が過る。
「だて、虫を取るだけだもんね。」自分に言い聞かせる。

「あ、ガンタ!行こう!行こう!」ユリが入り口に現れた人影に向かって叫んだ。
「あい?行くってどこへよ?」のそりと鴨居に背を丸めてガンタが入って来る。
ガンタは背が高い。姉のシドさんと同じくらいだ。でかい姉弟。
眠そうにあくびを噛殺す。「おれはどこにも行かないよ。」

彼が入って来たのは、言わずと知れた渡の家の離れである。渡の家は古い旅館であったが、母屋は渡が産まれた時に建て直して、ペンション風おしゃれ旅館になった。離れまで立て替える金はなかった。4部屋もあるこの離れは客用には使われないまま、今はユリの父親の会社が社員用に借りている。
阿牛蒼一ことアギュレギオンはここでは貿易会社の社長ということになっている。その彼がふらりとこの土地に来て、渡の家の本家が建っていた土地を買い取ったというのがこれまでの経過だ。
それが旅館「竹本」建て替えの軍資金になったのは月城村の誰もが周知の事実。
しかしその離れが、大半は子供達の秘密基地と化しているとは渡の母も知らない話だ。

「行くとは大方、今話題のお化け屋敷のことであろうの。」後ろから正虎が付いて来た。
トラさんは小さい。6年生になって背が伸びてきたあっちょ達や渡に較べると3年生の時から全然、伸びた様子がない。しかし、そのご隠居さん的風貌と博識は今もクラスを凌駕し続けている。トラを除く、他の4人の中でユリが頭ひとつ分だけ背が高かった。
「トラさんも、知ってるんだ。」渡は自分が知らなかったことよりトラさんが知ってたことに改めて尊敬の念を抱く。「渡は相変わらず、乗り遅れとるのう。」
トラさんはあっちょと謎の複雑なハイ・タッチをしてシンタニの隣に腰を下ろした。
「神月の奥の院と呼ばれてた場所らしいぞ。」
「相変わらずどこからそういう知識を見つけてくるんだか。」ガンタが小さくため息をつくと襖を開けて隣の雑然とした部屋に入っていった。背中から黒いリュックを開いたままの押し入れの布団の上に投げ込む。普通の布団では背が高いこの姉弟は足が出てしまうと言って特注した一品らしい。もっとも姉の方はベッドで寝ているらしいが。4つあるうちのこの部屋は主にガンタが私室に使っているものだ。隣には姉のシドラの部屋もあるが、人徳からか怖いからか留守中は誰も入らない。積み上げた本の塔の間から拾い上げたTシャツに着替えるガンタの背中にトラが声を返す。
「図書館でこの辺の歴史を読んだんじゃよ。神月と言っても広いからの。お化け屋敷はもとは渡とシンタニの先祖に当たる八十助が持ってた土地らしいの。おそらく当時は親戚が住んでたんじゃないかの。」
「ガンタ!行こう!ワタルはムシが欲しいんだよ!ムシ、取りに行こう!ハヤシに売ろう!オヤジが買うんだぞ!」
(虫って言葉は嫌いにょ)渡の腕に何かがニョロリと巻き付く。ドラコだ。ガンタが首を振りながら軽く睨んで、ドラコを制する。渡は撫でようとしかけた手を思わず止めた。ユリと目が合う。あっちょとシンタニはドラコが見えない。ドラコの事は当然、秘密だ。
秘密が多すぎるよね、ユリちゃんと密かにため息を付く。ユリがうなづく。
「なあ、ガンタ行こう!カネ、欲しくないか?カネ、カネ、カネだぞ!」
「いらん。嫌なこった。」と着替えたガンタはみんなのいる居間に入ってくるとそのまま縁側に置かれたデスクに向かう。「こっちだって忙しいんだから。仕事あんだぜ。」引き出しからノート・パソコンを取り出した。「おまいらだけで行って小遣い稼ぎしてくればいいだろ。」
「ガンタはオバケが恐いのか?怖いんだな!」とユリ。「そこはオバケだって出るんだぞ!」あっちょとシンタニがすかさずうなづく。
「コドモだけじゃキケンだろ?キケンな時はガンタは付いて来なくちゃダメだ!用心棒なんだから!ヨウジンボウ!」
「あんな~」ガンタはうんざりとした顔をしながら電源を入れ、画面を立ち上げる。
「俺だって、子守りばかりはしてられないのよ。」
なんで、どうしてと今度は渡も含め口々に不満の声が上がる。普通子供は大人が付いて来るのを好まないはずなのだが、ガンタは別ものだ。ガンタの子供達の評価は高い。
かつて渡達が誘拐事件に巻き込まれた時のガンタの根拠のない八面六臂の活躍?は何故か子供達の間では伝説になっている。ガンタは怪人、『権現山の仙人』の超人的な力を借りてと共に悪人達から渡達を救い出した・・・そういう話だ。
ユリのひと際、高い声が他を圧して響き渡る。
「やっぱりガンタ、オバケ怖いんだ!そうだ、そうに決まってる!」
「違うってのよ。」
「わしが付き合おうかの。」トラさんがチラリと渡を見る。
「それなら、ガンタも安心じゃないかの。」
「トラキチが付いて来るなら、百人力だよ。ねえ、ユリちゃん。」渡はユリを見た。
ユリはガンタに舌を出す。「ガンタ、バカ、ケチ!オクビョウモノ!」
あっちょとシンタニはいち早く、正虎歓迎を表明する。
「恐がりのガンタさんは置いて行きましょう。」二人は早速、虫と漫画の知識をトラと競い出す。「トラキチがいるなら、心強いぜ。」
「ガンタ、ヨワムシ!」
ユリは捨て台詞と共に体を返し、つむじ風のように退室して行った。それを追うように子供達は次々と渡を残して姿を消した。正虎も含めて。
ガンタだけがユリの置き土産の言葉に苦笑していた。
「ちっきしょー、しゃべりだしたら悪い言葉ばかり覚えやがって。頼むぜ、渡。アギュからも頼まれてるんだからさ、まったく。」
ため息を付きつつもキーボードから顔を上げなかった。
「ドラコはどうするの?」コソリと腕に呟くと「留守番。」とガンタがすかさず呟く。
(そういうことにょ。ドラコはガンちゃんから長い事離れるとお腹空いちゃうのにょ)
「そうか、残念。」(時々、偵察に行くにょ。)
渡が部屋から出て行くとさっそくガンタは愚痴りだす。
「・・・ユリってさ、あの子ってどっちかと言うと昔のアギュにそっくりだよね。ユウリとアギュの遺伝子から造られたから仕方ないか・・・できれば、クローンにして欲しかったよなー。」
(環境が悪いのにょ)
「それって、どういう環境だよ?この離れの事か?ここで育ったら、ユウリの完全体クローンだとしてもああなったってこと?」
(ドラコは、そう思うにょ!)
「んな、まっさか。おれは信じないぞ。やだやだ、そんなの。」
(人は環境で造られるのにょ)
まあ確かに、それは一理あるんだけどなと言いながら、ガンダルファは納得いかない物思いに入って行った。