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映画の撮影がすべて終了するとほとんど同時にブラッキーが逮捕されたというニュースはブライトン・スタジオ全体にかつてない衝撃を与えた。
「信じられないだろ?」マーモットはスタジオの隅に唾を吐いた。
「もっと信じられないのはスポンサーだぜ。戻ってきやがったんだ。自殺騒ぎで一度は降りたくせに・・殺人は良い宣伝になるとさ。」
「若者のカリスマ、ブライトン監督の新作で殺人事件!犯人は主役!話題にならないはずないよ、客の入りは保証されたようなもんだもんね。」
カメラ助手もしたり顔で意見を述べる。
「どっちにしろ、興行先を私達で探す心配はなくなったんでしょ?ばん万歳じゃない。」
レズビアンのメイクはひたすら感謝している。
「教会があーだこーだ言ったって、みんな監督の映画を観たがってる!」口笛が鳴る。
助監督がフランツにもたれかかった。
「やんなっちゃうわよね~ブラッキーのヤツ、やってくれるわ~」
「ところでアイツの家に山ほどヤクがあるって警察に密告したヤツっていったい誰なのかしらね~」
「フランツじゃないことは確かだぜ!」マーモットが釘を刺した。
「心当たりがあるようだな。」俳優の一人が通り掛かりに話しに加わる。
「言っとくけど、俺でもないからな!みんな想像をたくましくするがいいや!」
後は喧々囂々の騒ぎとなる。
その場を抜け出したマーモットをフランツが追い駆けた。
「少しは吹っ切れたのかよ!」呼び止めたマーモットは多少、意地悪だったがフランツの肩を昔のようにぶっただいた。「お前だって心当たりあるんだろ?」
耳に口を寄せて囁く・・顔を赤くする間もなく、フランツは青ざめる。
「まさか・・?」
「あの人以外に考えられるかよ。撮影が終わっちまったらブラッキーに用があるもんか。」
「あの人が自分の側に殺人を犯した人間を置いとくと思うか。監督だってあの子役が降りてどんなに困ったか覚えてるだろ?・・気に入ってたんだから。」
「監督がブラッキーを囲ってるって話は?」フランツが一番、気になってた問題だ。
「ブラッキーは監督のアパートからていよく追い払われたのさ。スポンサー探しに専念するってね。ブラッキーは見栄をはってたが、なんのことはない古巣に舞い戻ってたんだ・・だが、監督ならあいつが麻薬をやってることを知ってても不思議はない。」
フランツは今やすべてを理解した もちろん、すべては憶測の域をでない 真実はあの人、ブライアン・ブライトンの胸の内だ。
あの夜、監督を訪ねてきた少年は何を告げるつもりだったんだろう。監督は眠っていて応対に出たのは、彼にとってまことに運の悪いことにブラッキーだった。
(監督は途中までは本当に眠っていたのだとフランツは思いたい。しかし、ブラッキーが素知らぬ振りで戻ってきた後も監督は本当に気付かなかったのだろうか。少年が発見されたあとですべてを察したのだろうか。)
古巣のぼろアパートを警察に踏み込まれたブラッキーは麻薬の件とは思わず、「あれは事故だったんだ!」と何度も叫び続けたという・・まるで映画のクライマックスの続きのように。
その後、フランツとマーモットはロンドン警視庁につてのある仲間(かつてパクられたことがある)から少年の両親の懇願によって世間には伏せられたブラッキーの供述の一部を聞いた。
少年はブラッキーの秘密を握っていた。楽屋の片隅でブラッキーが彼に何をしたか。
少年がそのことを監督に話すつもりだと知ったブラッキーは彼を階段の下に投げ落としてしまった。なんのためらいもなく。
「二人とも大馬鹿野郎だよ。」
フランツはアーネットのマーマレイドを口一杯にほお張った。
「監督は誰も愛してなんかいないんだから。あの子が監督に何を言いつけたって・・ブ ラッキーにしたって何も変りはしないんだから。」
それはフランツ自身にとっても辛い事実だった・・この間までは?・・フランツは自問しながらさらに自家製のクロワッサンに手をのばした。「殺す必要なんて全然ないんだ。」
マーモットはフランツの食欲をいぶかしげに見つめながら貧乏ゆすりをしていた。
「人騒がせな話だよ。・・まったく、監督はもて過ぎだって。」
フランツのティーカップが音を立てる。
「マーモット、君はブライトン・スタジオを辞めるもかい?」
まっこうから見据えたフランツの視線をマーモットはいくらかたじたじと受け止めた。
「誰が?そんなことを?」しらばっくれる素振り。
「・・色々あったからさ。」
「お前は?フランツ」探るような視線。
「辞めるわけないだろ?」そう、まさか!冗談じゃない!そして、君は?マーモット?
「俺がいなくて現場はどうするんだ?うちみたいな莫利少売の弱小ゲイ・スタジオなん てさ。カメラなんか持った事あるヤツ他にいるもんか。」
その時、台所からお茶を手にしたアーネットが現れる。彼女はいつになく聖母のような微笑みを浮かべている。手がそっとマーモットの肩に置かれる。マーモットは満足そうにその目を見上げる。
「いいや。まださ、フランツ。まだまだ俺には監督が必要なんだ。せいぜい名をあげさ せてもらうさ!。」マーモットは大きく息を吐きだした。
「親父になんだぜ、俺!」とびきりの笑顔だ、とフランツも思う。
「おめでとう、ふたりとも。」フランツは難なく笑って言返す。
彼の中の失われた台所・・・それは少しも傷ついていない。
そのことに自分でも驚きながら。
じゃあ、後でスタジオで。フランツはマーモットに手を振ってアパートを出る。
その日は夕方からの映画の興業決定祝いのパーティの準備があった。
スタッフはそれに担ぎ出されている。もちろん、パーティにはアーネットも来る予定だ。
マーモットが出かけるのを確かめるとフランツは小走りで狭い階段を駆け上がった。
「あら、どうしたの?忘れ物?」再びドアを開けたアーネットはいぶかしげにフランツを見た。フランツにはどうしても、彼女に聞きたいことがあった。
改めてよく見るとアーネットのお腹は人目にも隠せないくらいに大きくせり出していた。
フランツの目は無意識にそのお腹に釘付けになる。
「フランツ?」アーネットは微笑んだ。
「私、仕事は辞めたからずっとアパートにいるけど、気にしないで遊びにきてよね。」
「アーネット・・」
「私、またあなたがマーモットと仲良くしてくれてうれしいのよ。」
「・・ほんとに?」
「マーモットは昔・・お父さんを奪われたと思ったの。でも、まちがい。誰も何も彼から奪ったりはしなかった・・。それが今はよくわかったんだと思うわ。」
アーネットはつぶやいた。「あの人も・・自分で孤独を選んでいたの。あなたみたいに。」
「ねえ。」フランツは思い切って切り出す。
「アーネット。もし、君のお腹の子供が・・僕みたいなゲイになると知ってたら・・
それでも・・君はその子供を産む?」
アーネットの鳶色の瞳が大きく見開かれた。
「ごめん。変な質問して。」フランツは慌てる。
「胎教に悪いよね。でも、僕は・・どうしても・・」
「もちろん、産むわよ。」アーネットは力強くうなづいた。
「ゲイだろうとなんだろうと私の子供だもの。」
「君は、カトリックだろう?」フランツはうつむく。
「僕の死んだ両親もそうだった。」
「カトリックではゲイは・・悪魔とされているよ。」
アーネットは自分のお腹を愛しそうになでた。
「私、思うのよ。こんなこと言うと・・神父様に怒られてしまうだろうけど。
だから、絶対内緒よ。マーモットにもね。」
フランツは顔をあげた。
「神様はね・・この世にあってはならないものは作らなかったと思うの。」
アーネットは自らのお腹に語り聞かせるようにつぶやく。
「悪魔も神様の作ったものなんだから。」
「きっと神様は悪魔を愛していなさると思うのよ。」
ブライアン・ブライトンの新作は各方面の話題を集めながらも諸事情によって公開延期を余儀なくされた。それには映画館に押しかけたカトリック団体の抗議デモとかも含まれている。でもそれでも、なんとかその年末の映画賞の締め切りには間に合った。
前評判の高かったその作品は脚本賞、映像賞等、数々の賞にノミネートされた。
連日続くパーティのその後、ブライアン・ブライトン監督とフランツは騒々しい人々の群れを抜け出すことに成功した。フランツはハンドルを握ると監督を後ろに乗せ車をロンドンの夜にスタートさせる。そんな二人きりの車中でブライアン・ブライトンは顔色も変えずにフランツをベッドに誘ったのだ。
「断られるとは、思っていないよ。」バック・ミラーに写る監督の目はフランツの動揺を楽しむかのように相変わらずの笑みを浮かべている。大胆な、不遜な・・そんなものでは言い表し切れない。
フランツの脳裏にはかつてよく見た夢がちらつく。
それはもはや当てどない悪夢ではない。
「落ち尽くしてしまえばいいんだ・・」フランツはつぶやく。脳裏に浮かぶ彼はいくらか明るいチューブの中を落ちて行く。その底の方は、さらなる光が差しているようだった。「落ちてしまえば・・底があるはずなんだ・・」そう、きっと出口が。
「フランツ、雪だ!雪が降ってきたぞ!」監督が子供のように窓にへばりつく。
自分はこの天才にとっての新しいおもちゃのようなものなのかもしれない。何年か、あるいは何日後にはもう、彼はこの日のこの瞬間を後悔しているかもしれない。
フランツはごったがえす人混みを巧みに避けながら、思わずニッと微笑んだ。。
監督の無邪気さがおかしかったから。
それで?フランツ?
鏡の中の監督の目は疑いすら持っていない。
だから、フランツは声を出して笑うと監督のアパートへと続く道に車を乗り入れたのだった。
by CAZZ SHAKA MOTTO