「おい、入ってこいよ。アギュから話は聞いている。」
ガンタはこちらをみている青年にガラス越しに声をかけた。
発泡酒片手の若者はひょいと頭を下げると離れの玄関口に回ったようだ。
すぐに引き戸が開け閉めされ、開いたままの襖の部屋口にひょろりとした小柄な姿が現れた。
「どうも。新入社員の鴉です。」ぺこりとお辞儀してニッと笑った。
「かわいい・・・」大胆気分に占領されたままの香奈恵は思わず呟く。
「まるで兎さん・・小池徹平君みたい。」
「カナエは草食系男子もタイプか。」ユリが呆れる。「ジンとは正反対だぞ。」
「だよね、ジンは肉食系、エグザイル系だもんね。」渡がトラに囁く。
「香奈恵どののストライクゾーンは限り無く広いのぉ」
「おいおい。」それらを圧してガンタの声。「今、なんて言った?新入社員?聞いてないぞ。」
「はい、そういうことで。今日はここにお世話になるつもりです。」
気が付けば鴉はちゃっかりと夕餉の端に座って手を揃えている。
「くわしくは、あなた方の社長さんにお聞きください。」
パカッと開けていた口をガンタは閉じた。そして、又開ける。
「つ、つまり、お前はここに・・・この離れに・・・いや、その前にこの会社に就職したってこと?」
「はい。」鴉はニコニコ笑うとテーブルに置いた発泡酒を口にする。
「正式には東洋圏では明鴉、西欧圏ではルシフェイルと申します。」
「ルシフェル?堕天使、ルシフェル?」香奈恵が黄色い声を上げる。「かっこいい。」
「あ、それはですね。」鴉が慌てて説明する。
「なんだ、同じような奴がたくさんいるんだ。」
「はい。ルシフェィルと言っても別に本当に堕天したわけではありませんので。皆様にご迷惑をかけるような行動を取ったりするわけではありません。以後、よろしくお願いいたします。」
「う、うん。まあ、それならいいけど。」仕方なくガンタは唸る。他に言うことが見つからないのだ。
しかし、そんな明鴉の説明を聞いた後でも香奈恵の目に点灯中のハートマークは消えていない。
「天使ってみんなこんなに可愛いのかしら。ほんと、ィエンゼェルゥって感じ。悪魔も渋くていいけど・・・どっちもいいかも~。」
そんな姿は母親の寿美恵そっくりだ。ガンタがあきれ顔を向けるが気が付かない。
「では、私もご相伴して構いませんか。」
どこから出したのか、もう既に箸を手に持っている。
「どうぞ、どうぞ。鴉さん、取り皿私の使ってください。」香奈恵が皿を回す。
「あれ?鴉って言うのは名字にします?名前でいいんですか。」
「名字にしましょう。」鴉がラップで包んだ手まり寿司を取りながら即答する。
「鴉真一とか言うのはどうですか?今、浮かびました。語呂がいいですから。」
「阿牛蒼一とダブルがのう・・まあ、いいかの。」
「じゃあ、真二でもいいですよ。」いいかげんだ。
「どうしてハネがないんだ?テンシなんだろ?」
「羽はいつも出しているわけではないのですよ、お嬢さん。邪魔になりますからね。」
「鴉さん、天使族ってことは・・・ここにジンさんが泊まってるって知ってるの?悪魔なんだけど・・・大丈夫なの?喧嘩になったりしない?」
「デモンバルグですね。はい、知ってますよ。有名人ですからね。先ほど、ご尊顔を拝して来ましたが、お互い挨拶程度の関係です。天使族も悪魔族も互いに会って喜ぶってわけではありませんが、別に今は敵対しているわけではありません。」
しばし、食卓は物を食む音だけが響く。離れにはテレビがないから仕方がない。旅館の飲み会の声が響いてるのでそれほど気まずくはなかった。
「でさ・・・」渡がドラコを目で捜す。
「今夜って・・・又、寝て待ってればいいのかな。」
「みんな離れで泊まりだ。抜け出せばいいだろ。」
(ドラコがみんなを案内するにょ。みんなワープにょ。)
「ワープ!」渡が破顔する。「すげぇ!SFみたいっ!」
「SF・・・」香奈恵が呟く。「そうかぁ、宇宙人だから・・・私らの知らない科学力とか持ってるわけだ。」どこかまだコメントに現実感がない。
「まあな。」とガンタ。「香奈恵、お前まだ半信半疑なんだろ?」
「うーん。まぁ、それは仕方ないじゃない。」正直に言う。「でも、いいよ。なんでも経験だもんね。みんなも行くんだったら私も行かなきゃ。でも、まだ繋がりがよくわかんないところがあんだけど・・・」
「香奈ねぇ、僕が教えてあげるよ。僕に任して!」渡が張り切って名乗りを上げた。
「ズルいぞ、ワタル!ユリも、ユリもだっ!」
「そうとわかったら、お前らさっさと食べ終えて歯ぁみがいたり、風呂入ったりしとけよ。」ガンタが指示する。「あとちゃんと、宿題もすましとけ。」
「あっ、持って来るの忘れた!」渡が腰を浮かす。
「ガンタ、トラ、手伝ってくれるんだろ、なぁ。」
ユリの期待に満ちた眼をガンタもタトラも即座に黙殺した。
「カナエでもいいんだけど・・」
その香奈恵は超スピードでちゃぶ台の上を片付け始める。
「勉強は自分でやんないと身にならないんだもんね~。どうしても、わかんなかったら教えたげるけどさ。受験生からの教訓よ。」とか言いながら、さりげなく酒の肴にと残り物を鴉の前の皿に移すことは抜かりがない。
「香奈ねぇの受験勉強はどうなってるんだよ。」ズックに足を入れながら渡。
「今日はもういいよ、疲れたもん。オーバーワーク。来年の3月までまだたっぷり時間あるし、後で取り返すからいいの。」「ちぇーっ!」
「いいや、もう。ワタルと力を合わせればなんとかなるだろ。そうだ、そうだぞ、なんとか、なるなる。」ユリはハーっと大きなため息を付いた。
子供らがバタバタとし始めたのを見計らうとガンタは無限に湧き出るかに見える缶からビールを飲む鴉へ体を向けた。
「今、お前は俺には普通に人間に見えてるんだけど。その方法はジンのやり方と一緒なんだろ?」
「ジンのやり方?デモンバルグの?」鴉が首を傾げる。
ガンタは手を伸ばして相手の肩を引き、耳元に口を近づける。
「その辺の人間の体を乗っ取って、支配するんだよ。」
「ああ。」鴉がニッコリと笑う。「デモンバルグはそうやっているんですね。私の場合は、一応天使ですからそういう悪辣で単純なやり方はしません。私はもう既に何千年も人間界に混じっていますからね。少しづつ物理的な姿をこちらの世界に作り上げて来て保存しているんですよ。勿論、生半可に一朝一夕でできることではないのですがね。ものすごい時間と根気、とってもエネルギーのいることです。でもそういうものを用意していると案外、何かあった時は楽なんですよ。人間の歴史に即座に干渉できますから。人間と交わる時の乗り物ってわけですね。」
「ふーん・・・」
ガンタの眼差しは、香奈恵が先ほどガンタを見た時とまったく同じ。ようするに、ジンに注ぐ時とまったく同じ。信じていない。
「方法は天使、魔族によりけりですが。せっかちな奴は夢や目くらましや幻覚とか見せてすましちゃうんですけど。デモンバルグだってやろうと思ったらできるはずですけどね・・・」
「やろうとは思わなかったってわけか。」今晩・・・ジンは適当な体をもうすでに見つけたのだろうかとガンタは考える。「ま、悪魔だしな。」
「はい、彼は恐怖を司る悪魔ですから。人間がなるべく震え上がるような迷惑なやり方で出現しないと。」
鴉が囁く。「ある意味、人間の抱く夢を壊してしまいますから。」
夢ねぇ・・・とガンタは呟いた。
その頃、阿牛家の応接間に見事に復活したデモンバルグの姿があった。
「おぬし、その体はどこから拝借してきたんだ。」
「内緒。」長い手足をソファに投げ出した神興一郎が答える。
「誓って言うさ。どうしようもない性根の腐った人間でさ。居なくなった方が万人がウワッと嬉し泣きしちゃうような奴なんさ。いや、ほんと。」
「信じられぬな。」シドラが入って来た男を睨みながら続ける。「おぬしまで来たか。」
「こんばんわ、ドラゴンレディ。」鴉がジンの前に座る。
「暇ですから。皆さんよりも一足先に見物に来ました。デモンバルグ主催のショーイベントなんて見れる機会はめったにありませんからね。」
「すっこんでろ、小賢しい天使め。」眼をすがめたジンの口元の歯が鋭く細くなる。
ドアを隔てた玄関ホールにはアギュの姿があった。
ホールへ降りて来る階段の下にはレイコの死体が横たえてある。髪の乱れと服の乱れをアギュはそっと手を添えて直す。色を失った白鑞のような肌はとても60数年を越えた死体とは思えなかった。失われたユウリの亡骸もこのような感じだったのかもしれない。面影の残る顔をアギュはジッと見つめる。
落雷のようにホールの床が光った。
「わぁっ!びっくりしたっ!もう終わり?」
着地に失敗した渡はなぜか歯ブラシを手に床にすっ転んでいた。
「あっと言う間過ぎるよ。だって、じゃあ行くよって言われて、僕なんか歯磨き終わったばかりなんだから。構える暇もないじゃないか。」
「終わりだ。こんなもんだ、ワープなんて。」ユリは緊張のあまりそっけない。
香奈恵はあまりに簡単でお気軽に移動できたことに、拍子抜けした感じだった。
「ふーん。これが、ワープ?大した事ない感じ・・・でも、確かにテレポートしたんだわ。」隣のガンタを見上げる。「ねぇ、ほんとに宇宙から来たんだね?」
「まあな。」
「私、取りあえず信じるよ。だって、信じるしかないっしょ。」見下ろす目を捉える。
「取りあえず、ガンタを信じる。それでいいよね。」
「おっけ、おっけ。それでいいよ。」
あまりに軽くガンタが請けあった時、ホールに出て来た上背のある姿に香奈恵の注意はあまりにあっけなく逸れた。
「シドさん!」香奈恵は叫んだ。「シドさん、私も来たよ!」
「香奈恵・・・」シドラは複雑な表情を香奈恵に向けた。
「ガンダルファから、聞いたぞ。我らのこと、知ったのか。」
「ガンダルファ?」
「俺の本名。」香奈恵はあきれ顔を見せつける。
「・・・そっちの方がいいじゃない。なのに、なんでガンタ?お手軽過ぎない?」
「ほっとけ。」
「もともとこやつのネーミングセンスはこんなものなのだから。」とシドラ。
「我らの正体、できれば秘密でいたかったが。」
「し、知っても、わっ私はシドさんのファンですからっ!」
「シドラ、ユリもだぞ!ユリだってどんなに会いたかったかっ!」
香奈恵が歩み寄るとその後ろから、緊張の糸が切れかかったユリがシドラの胸に飛び込んだ。「どうしていいかわかんないぞ。」「ユリ、落ち着け。大丈夫だ。」
シドラが二人を抱きかかえるかっこうになった。よしよしと満足げに顔を埋めた背中を交互に撫でている顔はクリームを舐めた猫そっくり。満足そのものでしかない。
ガンタは目眩を感じ、タトラとやれやれと顔を見合わせた。
「モテモテじゃの。レディキラーじゃ。」
「ねぇ、僕も参加した方がいい?あっ、でももう入るとこないね。」
ポカンとした渡がトラに顔を向けた。
「止めといた方が無難じゃの。」トラが笑う。
「それより男は男同士じゃ、もっといいこと教えてやるかの。ワープはのう渡どの、所謂転送じゃよ。母船から対象をポイントへと移動してもらってるわけじゃ。ほんの一瞬のことじゃが、奥深いものじゃの。」ふむふむとうなづく。
「我々の体を分子に分解してデータとして移動した先で再び組み直してるのじゃ。」
「うえ~っ」渡がゴシゴシと体をこする。「そんな話を聞いたら、ワープしたいなんて言うんじゃなかった。失敗したりとかしないの?」
「まあな。耳が逆に付いていないか確認しとけよって冗談だ。」ガンダルファが笑う。
「そんなお粗末なことは今はあり得ないから大丈夫だ。」それから母船に連絡した時の相手の反応を思い出し肩を竦めた。ゾーゾーの奴め、汗もかかずに母船でのらくらしている癖にどんどん態度がでかくなるなぁ。いくら次元に明るいニュートロンだって、トラを見てみればわかる。悪魔だ天使だって説明してもわっかんねぇよな。苛つくのも無理はないんだけどさ。もうちょっと、余裕と言うか優しさが欲しいもんだよ、まったく。アギュから直接言って来ないのが不満なんだろうけど。
と、目線が下に行って止まった。
「アギュ、それが、例の、渡の・・・」
ユリの親であるユウリ・・・そのユウリの母親・・・複雑な思いでゴクリと唾を飲み込む。いつもオレンジや赤の太陽カラーを身につけていたユウリの顔が過った。
彼女が『殺されたのだ』と告げた母親の死体が目の前にある。
その顔をつくづくとガンタは眺める。
あの魔族の女、美咲が模していたのはこの顔だった。品位のあるなしは雲泥の差だが。どおりで見覚えのある顔だったはずだ。
赤と白の着物姿を遠巻きにして彼等はそれぞれに言葉を失う。
「おおっ、来たか。渡もお転婆も。」
「ユリだ。」ユリとシドラが同時に現れたデモンバルグに声を荒立てる。
「よしっ!いよいよだぞ。」さっきほど天使族に見せた不機嫌とは違い、ご機嫌な笑顔でジンはアギュの横に並んだ。応接間の境のドアからそっと鴉が顔を覗かせている。自分が門外漢である事を知って、奥ゆかしく振る舞おうとはさすが天使である。
「どうするつもりなんですか?」
アギュが静かにジンに顔を向けた。
「さてっ。」ジンは両手を楽し気に組んだり外したりしながら、叫んだ。
「いよいよ、俺様のショーが始まるさね。」