MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラルツウ-8-4

2010-06-27 | オリジナル小説



「おい、入ってこいよ。アギュから話は聞いている。」
ガンタはこちらをみている青年にガラス越しに声をかけた。
発泡酒片手の若者はひょいと頭を下げると離れの玄関口に回ったようだ。
すぐに引き戸が開け閉めされ、開いたままの襖の部屋口にひょろりとした小柄な姿が現れた。
「どうも。新入社員の鴉です。」ぺこりとお辞儀してニッと笑った。
「かわいい・・・」大胆気分に占領されたままの香奈恵は思わず呟く。
「まるで兎さん・・小池徹平君みたい。」
「カナエは草食系男子もタイプか。」ユリが呆れる。「ジンとは正反対だぞ。」
「だよね、ジンは肉食系、エグザイル系だもんね。」渡がトラに囁く。
「香奈恵どののストライクゾーンは限り無く広いのぉ」
「おいおい。」それらを圧してガンタの声。「今、なんて言った?新入社員?聞いてないぞ。」
「はい、そういうことで。今日はここにお世話になるつもりです。」
気が付けば鴉はちゃっかりと夕餉の端に座って手を揃えている。
「くわしくは、あなた方の社長さんにお聞きください。」
パカッと開けていた口をガンタは閉じた。そして、又開ける。
「つ、つまり、お前はここに・・・この離れに・・・いや、その前にこの会社に就職したってこと?」
「はい。」鴉はニコニコ笑うとテーブルに置いた発泡酒を口にする。
「正式には東洋圏では明鴉、西欧圏ではルシフェイルと申します。」
「ルシフェル?堕天使、ルシフェル?」香奈恵が黄色い声を上げる。「かっこいい。」
「あ、それはですね。」鴉が慌てて説明する。
「なんだ、同じような奴がたくさんいるんだ。」
「はい。ルシフェィルと言っても別に本当に堕天したわけではありませんので。皆様にご迷惑をかけるような行動を取ったりするわけではありません。以後、よろしくお願いいたします。」
「う、うん。まあ、それならいいけど。」仕方なくガンタは唸る。他に言うことが見つからないのだ。
しかし、そんな明鴉の説明を聞いた後でも香奈恵の目に点灯中のハートマークは消えていない。
「天使ってみんなこんなに可愛いのかしら。ほんと、ィエンゼェルゥって感じ。悪魔も渋くていいけど・・・どっちもいいかも~。」
そんな姿は母親の寿美恵そっくりだ。ガンタがあきれ顔を向けるが気が付かない。
「では、私もご相伴して構いませんか。」
どこから出したのか、もう既に箸を手に持っている。
「どうぞ、どうぞ。鴉さん、取り皿私の使ってください。」香奈恵が皿を回す。
「あれ?鴉って言うのは名字にします?名前でいいんですか。」
「名字にしましょう。」鴉がラップで包んだ手まり寿司を取りながら即答する。
「鴉真一とか言うのはどうですか?今、浮かびました。語呂がいいですから。」
「阿牛蒼一とダブルがのう・・まあ、いいかの。」
「じゃあ、真二でもいいですよ。」いいかげんだ。
「どうしてハネがないんだ?テンシなんだろ?」
「羽はいつも出しているわけではないのですよ、お嬢さん。邪魔になりますからね。」
「鴉さん、天使族ってことは・・・ここにジンさんが泊まってるって知ってるの?悪魔なんだけど・・・大丈夫なの?喧嘩になったりしない?」
「デモンバルグですね。はい、知ってますよ。有名人ですからね。先ほど、ご尊顔を拝して来ましたが、お互い挨拶程度の関係です。天使族も悪魔族も互いに会って喜ぶってわけではありませんが、別に今は敵対しているわけではありません。」
しばし、食卓は物を食む音だけが響く。離れにはテレビがないから仕方がない。旅館の飲み会の声が響いてるのでそれほど気まずくはなかった。
「でさ・・・」渡がドラコを目で捜す。
「今夜って・・・又、寝て待ってればいいのかな。」
「みんな離れで泊まりだ。抜け出せばいいだろ。」
(ドラコがみんなを案内するにょ。みんなワープにょ。)
「ワープ!」渡が破顔する。「すげぇ!SFみたいっ!」
「SF・・・」香奈恵が呟く。「そうかぁ、宇宙人だから・・・私らの知らない科学力とか持ってるわけだ。」どこかまだコメントに現実感がない。
「まあな。」とガンタ。「香奈恵、お前まだ半信半疑なんだろ?」
「うーん。まぁ、それは仕方ないじゃない。」正直に言う。「でも、いいよ。なんでも経験だもんね。みんなも行くんだったら私も行かなきゃ。でも、まだ繋がりがよくわかんないところがあんだけど・・・」
「香奈ねぇ、僕が教えてあげるよ。僕に任して!」渡が張り切って名乗りを上げた。
「ズルいぞ、ワタル!ユリも、ユリもだっ!」
「そうとわかったら、お前らさっさと食べ終えて歯ぁみがいたり、風呂入ったりしとけよ。」ガンタが指示する。「あとちゃんと、宿題もすましとけ。」
「あっ、持って来るの忘れた!」渡が腰を浮かす。
「ガンタ、トラ、手伝ってくれるんだろ、なぁ。」
ユリの期待に満ちた眼をガンタもタトラも即座に黙殺した。
「カナエでもいいんだけど・・」
その香奈恵は超スピードでちゃぶ台の上を片付け始める。
「勉強は自分でやんないと身にならないんだもんね~。どうしても、わかんなかったら教えたげるけどさ。受験生からの教訓よ。」とか言いながら、さりげなく酒の肴にと残り物を鴉の前の皿に移すことは抜かりがない。
「香奈ねぇの受験勉強はどうなってるんだよ。」ズックに足を入れながら渡。
「今日はもういいよ、疲れたもん。オーバーワーク。来年の3月までまだたっぷり時間あるし、後で取り返すからいいの。」「ちぇーっ!」
「いいや、もう。ワタルと力を合わせればなんとかなるだろ。そうだ、そうだぞ、なんとか、なるなる。」ユリはハーっと大きなため息を付いた。


子供らがバタバタとし始めたのを見計らうとガンタは無限に湧き出るかに見える缶からビールを飲む鴉へ体を向けた。
「今、お前は俺には普通に人間に見えてるんだけど。その方法はジンのやり方と一緒なんだろ?」
「ジンのやり方?デモンバルグの?」鴉が首を傾げる。
ガンタは手を伸ばして相手の肩を引き、耳元に口を近づける。
「その辺の人間の体を乗っ取って、支配するんだよ。」
「ああ。」鴉がニッコリと笑う。「デモンバルグはそうやっているんですね。私の場合は、一応天使ですからそういう悪辣で単純なやり方はしません。私はもう既に何千年も人間界に混じっていますからね。少しづつ物理的な姿をこちらの世界に作り上げて来て保存しているんですよ。勿論、生半可に一朝一夕でできることではないのですがね。ものすごい時間と根気、とってもエネルギーのいることです。でもそういうものを用意していると案外、何かあった時は楽なんですよ。人間の歴史に即座に干渉できますから。人間と交わる時の乗り物ってわけですね。」
「ふーん・・・」
ガンタの眼差しは、香奈恵が先ほどガンタを見た時とまったく同じ。ようするに、ジンに注ぐ時とまったく同じ。信じていない。
「方法は天使、魔族によりけりですが。せっかちな奴は夢や目くらましや幻覚とか見せてすましちゃうんですけど。デモンバルグだってやろうと思ったらできるはずですけどね・・・」
「やろうとは思わなかったってわけか。」今晩・・・ジンは適当な体をもうすでに見つけたのだろうかとガンタは考える。「ま、悪魔だしな。」
「はい、彼は恐怖を司る悪魔ですから。人間がなるべく震え上がるような迷惑なやり方で出現しないと。」
鴉が囁く。「ある意味、人間の抱く夢を壊してしまいますから。」
夢ねぇ・・・とガンタは呟いた。


その頃、阿牛家の応接間に見事に復活したデモンバルグの姿があった。
「おぬし、その体はどこから拝借してきたんだ。」
「内緒。」長い手足をソファに投げ出した神興一郎が答える。
「誓って言うさ。どうしようもない性根の腐った人間でさ。居なくなった方が万人がウワッと嬉し泣きしちゃうような奴なんさ。いや、ほんと。」
「信じられぬな。」シドラが入って来た男を睨みながら続ける。「おぬしまで来たか。」
「こんばんわ、ドラゴンレディ。」鴉がジンの前に座る。
「暇ですから。皆さんよりも一足先に見物に来ました。デモンバルグ主催のショーイベントなんて見れる機会はめったにありませんからね。」
「すっこんでろ、小賢しい天使め。」眼をすがめたジンの口元の歯が鋭く細くなる。
ドアを隔てた玄関ホールにはアギュの姿があった。
ホールへ降りて来る階段の下にはレイコの死体が横たえてある。髪の乱れと服の乱れをアギュはそっと手を添えて直す。色を失った白鑞のような肌はとても60数年を越えた死体とは思えなかった。失われたユウリの亡骸もこのような感じだったのかもしれない。面影の残る顔をアギュはジッと見つめる。
落雷のようにホールの床が光った。

「わぁっ!びっくりしたっ!もう終わり?」
着地に失敗した渡はなぜか歯ブラシを手に床にすっ転んでいた。
「あっと言う間過ぎるよ。だって、じゃあ行くよって言われて、僕なんか歯磨き終わったばかりなんだから。構える暇もないじゃないか。」
「終わりだ。こんなもんだ、ワープなんて。」ユリは緊張のあまりそっけない。
香奈恵はあまりに簡単でお気軽に移動できたことに、拍子抜けした感じだった。
「ふーん。これが、ワープ?大した事ない感じ・・・でも、確かにテレポートしたんだわ。」隣のガンタを見上げる。「ねぇ、ほんとに宇宙から来たんだね?」
「まあな。」
「私、取りあえず信じるよ。だって、信じるしかないっしょ。」見下ろす目を捉える。
「取りあえず、ガンタを信じる。それでいいよね。」
「おっけ、おっけ。それでいいよ。」
あまりに軽くガンタが請けあった時、ホールに出て来た上背のある姿に香奈恵の注意はあまりにあっけなく逸れた。
「シドさん!」香奈恵は叫んだ。「シドさん、私も来たよ!」
「香奈恵・・・」シドラは複雑な表情を香奈恵に向けた。
「ガンダルファから、聞いたぞ。我らのこと、知ったのか。」
「ガンダルファ?」
「俺の本名。」香奈恵はあきれ顔を見せつける。
「・・・そっちの方がいいじゃない。なのに、なんでガンタ?お手軽過ぎない?」
「ほっとけ。」
「もともとこやつのネーミングセンスはこんなものなのだから。」とシドラ。
「我らの正体、できれば秘密でいたかったが。」
「し、知っても、わっ私はシドさんのファンですからっ!」
「シドラ、ユリもだぞ!ユリだってどんなに会いたかったかっ!」
香奈恵が歩み寄るとその後ろから、緊張の糸が切れかかったユリがシドラの胸に飛び込んだ。「どうしていいかわかんないぞ。」「ユリ、落ち着け。大丈夫だ。」
シドラが二人を抱きかかえるかっこうになった。よしよしと満足げに顔を埋めた背中を交互に撫でている顔はクリームを舐めた猫そっくり。満足そのものでしかない。
ガンタは目眩を感じ、タトラとやれやれと顔を見合わせた。
「モテモテじゃの。レディキラーじゃ。」
「ねぇ、僕も参加した方がいい?あっ、でももう入るとこないね。」
ポカンとした渡がトラに顔を向けた。
「止めといた方が無難じゃの。」トラが笑う。
「それより男は男同士じゃ、もっといいこと教えてやるかの。ワープはのう渡どの、所謂転送じゃよ。母船から対象をポイントへと移動してもらってるわけじゃ。ほんの一瞬のことじゃが、奥深いものじゃの。」ふむふむとうなづく。
「我々の体を分子に分解してデータとして移動した先で再び組み直してるのじゃ。」
「うえ~っ」渡がゴシゴシと体をこする。「そんな話を聞いたら、ワープしたいなんて言うんじゃなかった。失敗したりとかしないの?」
「まあな。耳が逆に付いていないか確認しとけよって冗談だ。」ガンダルファが笑う。
「そんなお粗末なことは今はあり得ないから大丈夫だ。」それから母船に連絡した時の相手の反応を思い出し肩を竦めた。ゾーゾーの奴め、汗もかかずに母船でのらくらしている癖にどんどん態度がでかくなるなぁ。いくら次元に明るいニュートロンだって、トラを見てみればわかる。悪魔だ天使だって説明してもわっかんねぇよな。苛つくのも無理はないんだけどさ。もうちょっと、余裕と言うか優しさが欲しいもんだよ、まったく。アギュから直接言って来ないのが不満なんだろうけど。
と、目線が下に行って止まった。
「アギュ、それが、例の、渡の・・・」
ユリの親であるユウリ・・・そのユウリの母親・・・複雑な思いでゴクリと唾を飲み込む。いつもオレンジや赤の太陽カラーを身につけていたユウリの顔が過った。
彼女が『殺されたのだ』と告げた母親の死体が目の前にある。
その顔をつくづくとガンタは眺める。
あの魔族の女、美咲が模していたのはこの顔だった。品位のあるなしは雲泥の差だが。どおりで見覚えのある顔だったはずだ。
赤と白の着物姿を遠巻きにして彼等はそれぞれに言葉を失う。
「おおっ、来たか。渡もお転婆も。」
「ユリだ。」ユリとシドラが同時に現れたデモンバルグに声を荒立てる。
「よしっ!いよいよだぞ。」さっきほど天使族に見せた不機嫌とは違い、ご機嫌な笑顔でジンはアギュの横に並んだ。応接間の境のドアからそっと鴉が顔を覗かせている。自分が門外漢である事を知って、奥ゆかしく振る舞おうとはさすが天使である。

「どうするつもりなんですか?」
アギュが静かにジンに顔を向けた。
「さてっ。」ジンは両手を楽し気に組んだり外したりしながら、叫んだ。
「いよいよ、俺様のショーが始まるさね。」

スパイラルツウ-8-3

2010-06-27 | オリジナル小説


「僕も学校で鈴木さんを見たと思ったんだけどなー。」渡がふくれている。
「そうだぞ、それですぐに追いかける手はずだったんだ。」ユリも同じ顔。
「なのに・・・。」
「まあ、あれは乱暴じゃし。間が悪かったのじゃ。」トラさんが2人を慰めた。
実は遅刻の理由として旅館の騒ぎを知っていた学校長が、子供達の行動によく気を配るようにと指示していたのだ。よって休み時間にはクラス担任が職員室の窓からさりげなく目を光らせていた。同級生から離れて隠れるように校舎の裏手へと回って行く3人を久美子先生が見逃すはずはなかった。先生は即座に彼等の後を追ったのだ。
フェンスをよじ登っていたユリと渡は見回りに来た久美子先生に見つかって大層怒られた。渡の『今そこの林で不明者を見たんだけど、絶対にかと言われると~』といった自身無げな証言等、鼻から信用されなかった。良く手入れのされた見通しのいい平和な竹林には見るからにそんな影も気配もなかったから当たり前のことだった。ユリが力説すればするほど、久美子先生は2人が面白半分で脱走をしようとしていたのに違いないと確信してしまう。久美子先生は年に似合わぬ渡の落ち着きには密かに一目置いていたが、反対にいつでも思いつくままに騒がしい阿牛ユリの発言には信をあまり置いていない。この年若く可愛らしい・・とは言っても20代後半なのだがそんな年齢にもとても見えない、少年のような短髪で小柄な・・・本名は中西久美子と言った。小学校の先生らしく地声が大きい教師は終いにはきっぱりと3人に口を閉じて教室に戻るようにと問答無用で命じた。近くにいて止めなかったという理由でトラさんも同罪だった。
話を聞いたガンタは思わずニヤニヤしながら、香奈恵の盛ったご飯茶碗を受け取った。「じゃあ、あぶなかったんだな。」
大盛りに一瞬たじろいだが、すぐに箸を付ける。
「狙われてたんだ、きっと。渡をおびき出すことができたら、本当の囮にする気だったのかもしれないぞ。お前ら、久美子先生に感謝しろよ。」
「それより、おかしいのはジンさんよ。」香奈恵も大きな口で野菜炒めの肉を乗せたご飯を口に運んでいる。よほどお腹が空いてるのか、頬ばったままで箸を伸ばし煮物の里芋にぶすりと刺す。「渡、渡って。鈴木さんだって言ってるのにさ。ドラコが居なきゃ、ガンタも私も鈴木さんだってあそこから帰って来れなかったんだから。もう、全部あいつのせいなんだ・・・」
ユリと渡が顔を見合わせる。「カナエ、ドラコにあったんだっ?見えたんだ!」
うん、うんと芋を口に入れたまま香奈恵がうなづく。
「・・・ジンさん、僕とあのおばさんを見間違えたの?」渡はそこに拘っていた。
小学生から見れば、30過ぎればおばさん扱いは仕方ない。まして主婦で妊婦だ。
「目くらましを食らったんじゃないかの。」トラさんは色々と考え深気だ。
「でもさ。」香奈恵が里芋を飲み下すと行儀悪く、箸を振り回す。「ジンさんて、正真正銘の本物の悪魔なんでしょ?なんで、騙されるの?ちょっと、間抜けじゃない?」
「香奈恵・・・」ガンタの困った顔。タトラと目が合う。
反対に渡とユリは歓声を上げた。
「うおっ、カナエ、マジで言ってる? 確かにジンはアクマなんだっ、比喩でも形容詞でもニックネームでもないぞ!本当にジンの正体をカナエも知ったんだな!すごいな、カナエ!」
「じゃあもう香奈恵ねぇの前でも内緒はなしなんだね!。」
「ガンタ、カンパイだ!メデタイぞ、メデタイ時はカンパイだ、カンパ~イ!」ジュースの壜を持ち上げたユリにとっても面倒くさそうにガンタはウーロン茶の缶を打ち付けた。「俺もビールにすべきだった・・・もしくは、向こうで飲んでるか。」
タトラがゴホゴホと咳き込んだ。
「まあ・・・そういうなよ。タトラ」ガンタが情けなさそうにトラさんを見た。
「仕方ないのう・・・まあ、後は隊長どのがなんというかだの。」
この二人が言ってるのは香奈恵の記憶を消すか、消さないかという話である。当然、
消す事になると思っていた。例外はこれまで通り、渡一人ということで。
「アギュが?アギュならもちろん、大丈夫だ!大丈夫に決まってる!ダメって言うわけない!このユリが言わせないぞ。」ユリが叫ぶ。
「ねぇ、そもそも疑問なんですけど~なんで渡が狙われるの?」
香奈恵が疑問をぶつけてくる。「ジンさんをおびき出すのになんで真っ先に渡?」
「さあ、それは・・・」ガンタが口を濁す。「わからないよ、なあ?」
香奈恵を覗く全員が一応、渡の魂とデモンバルグの関わりを聞いてはいるがその内容を納得しているのはユリぐらいであろうか。ユリは常にデモンバルグから渡を守る保護者と自認しているのだから。しかし、ガンタは魔族自体の存在をやっとついさっき認めたばかり。タトラに至っては今だに魔族自体が懐疑的。二人はデモンバルグが渡を追っているという事実を今ひとつ信じ切れていない。渡の方は自分のことなのであるのだがジンにちゃんと聞く訳にもいかず、自分ではどうしようもないこともあるし、いつもこの話題になるとモジモジと落ち着かなくなる。
「この宿の子供なら誰でも良かったのではないかの。現に香奈恵どのがそこにいたわけだし。」トラが如才なく誤摩化す。あっ、と香奈恵は何かを思い出す気配。
「そういえば・・・混沌とかいうところに落っことされる前にジンさん私を庇ってくれたんだった。」再び。箸を動かす。「なんだ、いいヤツじゃん。悪魔って。世間で言われてるよりもさ。ところで、ジンさんってどうなったの?」
「そうだよ、」渡がバンと箸を置くのをユリがチラッと睨んだ。「ジンさんは今もまだ、その混沌ってとこに閉じ込められているんでしょ?こうしている場合じゃないよ。早く、助けなきゃ。」
「渡にとっては・・・助けなきゃ都合がいいんじゃないか?。」ユリが素っ気なくつぶやいた。「でも、ユリちゃん!ジンさんってさ、そんなにひどい悪魔じゃない気がするんだけど・・」「甘いな、ワタル。アクマはアクマ。何企んでるかわかるもんか。」「あのさ。」香奈恵が口を挟む。
「あの人、本物の悪魔なんでしょ?だったら大丈夫なんじゃない?」
「ああ。」ガンタが口にモノを入れたまま「ジンなら大丈夫だ。もう混沌から脱出したらしい。」「ほんと?!」渡の顔に喜色が浮かぶのをユリは苦々しく見る。
「そうか。良かった・・・なんか、そんな気がしたのよね。」そう言うと香奈恵は意を決したようにガンタを見た。「ねぇ、ジンさんが悪魔だって話はわかったけど・・・わかったというか、まぁ完全に納得したわけじゃないけど。それより、ガンタってさ、いったい何者なの?一緒に連れてたあの・・・ドラコって、いったい何?。ガンタとどういう関係なのよ?。」ガンタは徐に色の薄い目を上げ、黙って香奈恵を見る。・・・二人はしばし見つめ合った。香奈恵はドキリとした。御堂山での記憶がない今、なんだか真剣な顔のガンタを香奈恵は始めて見たと感じた・・・シドさんによく似た顔、それは、シドさんよりも少しだけ濃い深刻な目。
「あのさ。」と渡。「実はユリ達はウチュウジンルイなのだ!」ユリが胸を張った。「ウチュウ・・ジンルイ?」「いや、それは香奈恵どの・・」「聞いて驚けカナエ、ウチュウから来たジンルイなののだっ!」「はいはいはい。」香奈恵は笑って肩を竦める。「私だって地球人。宇宙に生きる宇宙人よ、ってことかしら。」「違うったら。あのさ、本当なんだ、オリオン座のさ、」「渡殿、もうその話は・・・」
「いや、本当さ。」ガンタの声が大きく他を圧して響いた。
「俺たちは遥か宇宙から来たんだ。」ガンタは目を伏せてみそ汁を飲んだ。
「うそだぁ。」「じゃあ、嘘でいいよ。」
投げやりにそう言うと、非難がましい視線を送るトラを見る。
「もう仕方ないと思うよ、トラさん。」どうせ香奈恵の記憶を消すのなら話したって害はないのだし、消さないのならば・・・今更ヘタに隠さない方がいっそいいだろうとガンタは思う。それにガンタにもアギュは、香奈恵が記憶を繋ぐことをもう許すような気がしている。真意を汲み取ったタトラは渋い顔でうなづいた。
「・・・ほんに仕方ないのう。危険が増すかもしれぬのに。」
「えっ?ちょっと待って。トラさんまで?」香奈恵はしばし、笑うのを躊躇した。これって冗談よね。でも・・・。
ちゃぶ台を囲む面々を改めて眺める。全員、真面目な顔だ。特に、渡とユリは何度も自分にうなづきかけている。香奈恵は少し、混乱する。
「でも・・・見た目、私達となんにも変わらないじゃない?。ガンタだって・・・あっ、でもジンさんもだった・・悪魔なのに・・・ってことは・・・?」
「悪魔のことはちょっと置いておこう。」ガンタは言葉を切る。「あのさ、俺たちだけが宇宙から来たって発想とはちょっと違うんだ。お前らの先祖も実は大昔にこの星に宇宙から来た・・・俺とお前は同じご先祖様から続いているって覚えておいて欲しい。」「えっ?つまり・・・私達も他所から来た宇宙人ってこと?」
「おそらく何百万年単位前だ。この星にはまだ生命が産まれてなかったかもしれない。」「そうなの?」
「まっ、それはまだわからんがの。追い追い、我々の調査で判明して行くだろうて。」
「そうなんだ・・・」我ながら間抜けな返事と香奈恵は思う。
「えっ・・っと言う事は・・トラちゃんもなのよね?」
「トラは少し違う。」ガンタはどう説明しようかと迷った風情。でも凄く真面目で真剣なのがわかる。今始めて、ガンタが自分に対して対等な大人の扱いをしてくれていると香奈恵は感じた。
「例えばさ、人類がずっと宇宙で生活して行くとするだろ?すると、無重力の中で過ごすことが多くなる・・・するとどうなる?」
香奈恵はスペースシャトルの乗組員達のこととかを必死に考える。真剣なガンタに応えたかった。「ン・・・っと、そう、筋力とかが衰えるんでしょ?確か。」
「そうなんだ。それなりに気を付けてはいても、宇宙生活が日常的になるに連れてどうしても身体能力に変化が現れてしまう・・・それが何世代も積み重なって・・・一時期、人類は深刻な退化に悩まされるようになったわけだよ。でも、それをそのまま受け止めて進化として捉えて行こうという人類の一部もいてね・・・彼等は宇宙人類と呼ばれるようになっていった。別名、ニュートロンって言うんだけど・・・タトラはその人類。だから、こう見えても随分な大人なんだよ。」
「えっ」香奈恵は小学生にしかみえない正虎をマジマジと見た。ふくふくとしたトラさんは細い目で笑った。「当年とって900歳ぐらいかの。」
「げっ!」渡が小さく声を出す。「そんなにとはしんなかったよ。」
「いいんじゃよ。」トラさんが重々しくうなづく。「適材適所じゃ。」
「で・・・ガンタ達は?あ・・・シドさんも?阿牛さんも?」
ガンタは顔を顰めた。「・・・まあね。俺らは原始星人って呼ばれてるんだ。さっきの話でさ、肉体の衰えや変化を退化と捉えるって話もあっただろ?そういう事態を重くみたまた一方の人類達がさ、俺とお前のご先祖様達にできるだけ近い遺伝子を保存しなければって思ったわけだ。そういうわけで・・・それになるべく近い人類達は宇宙に出ることを禁じられて入植した星の中でずっともう何万年も生活をしてきてるわけ。それが、原始星人なんだよ。」「ユリちゃんは?」ユリが自分を指差してニコッと笑う。「ん~ユリ殿はお母さんが地球人とのハーフだからの。クウォター地球人だの。」「そうだ、ユリはそのクウォターだっ。」「権現山の仙人・・いや、ナグロスって人と神城麗子の間に産まれたのがユリの母親のわけだ。」それが、ユウリ。と、ガンタには感慨深い。「二人が親戚なのは他所では内緒なんだ。」
「ふんふん。」香奈恵はうなづく。かなり話が飲み込めて来た。勿論、この話がただのホラ話ではないとしてだが。
「お前らはさ、かなりそのご先祖様に近い姿を保ってるわけだ。そこで違和感がないようになるべく近い容姿をもった俺やシドラが選ばれてここにいるってわけだ。」
「つまり、調査してるの? それとも・・・監視してるとか?」
「調査と保護だの。監視もあるが・・・」「はい、質問!何から保護してるのよ?」
「おまいらが無茶して滅んじゃったりしないようにな。」
ガンタがフーと伸びをした。重荷を降ろした気分である。
「なんせ、おまえらはあぶなっかしくてしょうがないわけ。ただでさえ、中途半端な科学力を玩んでるしさ。おまけに、変な悪魔だのなんだのが闊歩しちゃってるわけなんだからさ。困っちゃうよ。」
今まで何度も調査員が来ていたのに、気づかなかった・・・やはり、アギュが来た為なんだろうな、とガンタは思った。特別な人類がこの星に来ることになったのは必然的なことだったんだろうか。
「ふーん。で、その、そちらさんは「いつまでその監視とか保護とかするつもりなの?」「まぁ、来るべきときが来るまでだろうな。」ガンタにもその辺はあまり自信がない。「お前らの星からちゃんとした証拠が出て・・・お前らがパニックとか起こさずに受け入れられる社会に育つっていうか・・・自分で宇宙進出とかできるようになったらかな。」ガンタが言葉を切ると一瞬、食卓に空白が産まれた。
(ガンちゃんに聞いても無駄にょーん)唐突にガンタの回りで声がした。(ガンちゃんは所詮、下っ端なのにょ)「あっ、ドラコ!」渡の声に顔をあげた香奈恵は首を傾げる。「ドラコが来てるの?私にはわかんないんだけど。」
「やっぱりな。今は網膜で捉えられないんだな。混沌とかいう場所が特別だったってことなんだよ、香奈恵。」ガンタがうなづく。「んっ・・・」香奈恵は混乱する情報をなんとか咀嚼しようとあがく。「ねぇ、ひょっとしてジンさんを助けたのってドラコなの?」(それは違うのにょら)「違うってさ、香奈ねぇ。」渡が見てるとガンタの後ろの空間の切れ目から上半身をニョロッと現したドラコが顔を香奈恵のすぐ前まで近づけている。「そうか、違うんだ。」さほどがっかりした様子でもない。
(カナエちゃん、やっぱりここではドラコが見えないみたいにょ~。)
「ドラコ・・・確かにいたのに。」見えないというそっちの方が辛かった。
キラキラしたものが付いていた手を広げた。洗ってもそれはおちていないのに。目を細くしたり皿のように見開いたりしていた香奈恵はやがて諦める。
「なんだーもう見えないのかしら。なんとなく気配は分かる気がすんだけど。」
「慣れれば見えるさ。」珍しくガンタが優しいことを言う。「お化けなんかは見え易い人の側にいると見えるようになるっていうだろ。」
(この期に及んでお化けと一緒にするとは失礼にょ!)ドラコが天井一杯の弧を描いて全体を現した。
「かなねぇ、そんなにがっかりすることもないよ。見えないとそれなりに視界が広くていいよ。」と渡。
「そうだぞ、カナエ。この部屋いっぱいにドラコが詰まってて立ち上がると、頭にぶつかるんだからな。避けて歩かなくちゃならないんだぞ。」
(ますます失礼にょ!そんなお邪魔扱いならドラコ、2度と出て来ないにょ!)
「まあまあ。」ぷぅっ!と膨れたドラコをガンタがなだめる。「こいつら、なんせガキなんだからさ。ドラコの方がグッと大人でしょ。」
(にょん。大人の余裕で許してやるしかないのにょ~)お前もワームの中ではまだまだケツの青い子供なんじゃねぇのかとガンタは思う。
(伝令ドラコからのお知らせなのにょ。今晩、阿牛家にて隊長立ち会いのもと悪魔によるユウリ分離実験が行われるのにょ~)
「えっ!ホントか!」ユリが歓喜の声を上げる。
「ユウリって誰?」「ユリの母ちゃんだ。」香奈恵が目を丸くする。
「ユリちゃんのお母さん?あたしだめ、話が見えない。付いて行けないわ・・・」「あのな」とガンタが阿牛家に出るレイコの話から始める。
「そのまたお母ちゃんの魂と一緒になってるらしいんだ。」
「何それ、ややこしい。ようするに、幽霊ってこと?」
「ちょっと違うな・・・」
議論する二人の横でユリがそっと呟く。
「いよいよ、そうか、そうか・・・やっと・・会えるのかな。」
母さんと言う言葉をそっと飲み込んだ。ユリは目が熱くなるのを瞬きで誤摩化す。
「ユリちゃん、アギュさん、帰ってるんだね。」
そんなユリを見つめる渡の目は優しい。
なんとか階段を降りるレイコの話を飲み込んだ香奈恵が阿牛蒼一の帰国の話を耳かじる。考えなくていい楽な話の方へと一気に感心が移った。
「じゃあ、シドさんも帰ってるんでしょ?そうかぁ、シドさんも宇宙人なんだ~!」とは、喜色満面の香奈恵。「シドラが宇宙人ならどうだって言うんだ?」
「宇宙から来たってなんかシドさんに似合う・・・」ちょっと素敵かもと。
「俺が宇宙から来たってのはどうなんだよ。」とはガンタ。
「ちょっと眉唾かな。」「あのな・・・」
「アギュは全部知ってたんだな?」これはユリ。「やっぱり、全部報告済みか・・・」
ガンタが香奈恵を相手にするのを止めて振り返る。
「悪いな、ユリちゃん。俺とトラさんにしたら・・・これだけ話が大きくなるとさ、言わないわけにはいかないじゃない。実はさ、さっきの話だけど・・実は、ジンを混沌から助け出したのはアギュなんだ。」
「そうなんだ。」渡とユリが同時に声をあげるが、二人の表情は嬉と憂と対照的だ。
「なんだか、余計なことをしたな。」とユリは内心ご立腹だ。だからガンダルファとしては、あまり言いたくなかった。できればアギュの口から直接、聞かせたかった。
「う~んなんかそれに・・・」ガンタは更に困りながら、宴会状態の旅館の厨房の方にチラチラと何度か目を走らせた。「アギュは天使族と会ってたみたいでさ・・・なんか、あっちに1人いるらしいし。」
「天使?」「テンシ?」「どこに?」「話をすればの・・・」
渡り廊下を歩いてくる影を窓からみんなが見守る。その姿は捜索隊に加わりに来たついでに飲んで酔っぱらった若者の1人が酔いを冷ます為に彷徨い出たようにしか見えない。「あれが・・・天使なの?」「ハネはどこだ?ないぞ。」
「でも確かに人は良さそうだよ。」
悪魔、宇宙人と来て、今度は天使と来た。香奈恵はもうどうでも良くなって来た。
誰がどうであれ、目の前にいる誰にも自分は嫌悪も違和感も感じない。みんな、よく知ってる、みんな好きだ。渡が自分の従兄弟の渡であるように、幼なじみのユリはユリだし、その友達のトラさんはトラさんでしかない。勿論、ガンタはずっと知ってるあのガンタ以外の何者でもないのだ。納得できない新たな情報が増えたとしてもだ・・・何一つ、変貌したものなどないじゃないの。
もういいじゃない・・・悪魔?おおいに結構!仮に宇宙人だって、天使だって。
香奈恵の中でビックリするほどの大胆な気分が満ちていく。
「ねぇ、こっちに・・・呼んでみたら?」

スパイラルツウ-8-2

2010-06-27 | オリジナル小説
その言葉を聞いたデモンバルグの顔の部分に一瞬、用心深い表情が浮かんだ。
アギュは見逃さなかった。
「・・・なんだって?」
「ドウチですよ。」
「へ~ん・・・なんだそれは?なんのことだか・・・聞いた事がないな。」
「アナタがかつて・・・天使族と悪魔族の争いの時に・・」
「ああ~その話か。まったく四つ子天使どもめ、ペラペラと余計な事を言いやがる。」人を象った暗黒は顔を背けると向きを変えた。しかし、変えた先にはシドラ・シデンがいたのでよろしくはない。「一度あいつらとは、ガツンと話を決めた方がいい。」
「ドウチとは・・・」アギュは涼し気な顔で続ける。
「実は、ワタシ達にも聞き覚えがある言葉なのです。パートナル・ソウル・・・ですか?。その意味するところとは微妙に違う気がするのですが・・・ワタシ達の記憶の中では・・・」言葉を切る。
背を向けた暗黒には前も後ろもあるまいが、シドラ・シデンが緊張を深めているのがわかる。彼女の肩の辺りが重く渦巻いているのはバラキが外次元から圧力を与えているのである。天界でデモンバルグが見たバラキはワームホールから突出していた頭部の極一部に過ぎない。特に感想を漏らしたわけではないが、その大きさとパワーの程は先ほど、黒皇女の作ったプライベート空間をいとも感嘆に噛み潰す寸前だったことからも容易に推察しているはずだ。シドラの肩口に巨大なエネルギーが潜んでいることはデモンバルグにもヒシヒシと伝わっているはずだった。
「それは・・・その意味するところはです・・・」
アギュは言うか、言うまいか迷った風情を見せつつ口を開いた。
「それは・・・人工生命。」
そんなものはポーズだろう、お見通しだと相手は肩を竦める。
と言っても、真っ黒な暗黒がなのだが。
「ふん。それは俺の知ってる意味とは違うな。」
アギュはわざとらしく、息を吐きだした。
「詳しく言いますと・・・と、言ってもその辺のキロクが軒並み凍結されているので閲覧はできないのですが・・・人工生命というよりは・・・」
後ろと思っていた暗黒の背中に目が現れる。「よりは?」
「人工精神流体・・・つまり作られたタマシイなのです。」
「魂・・・?」暗黒の語尾が上がった。「はぁ?魂なんか、人間の手で作れる訳ないだろうが・・・つまり。」デモンバルグ、ジンの顔が続いて現れる。
「お前ら、宇宙人の科学力ではそんなもんも作れるってことかぁ。」
「限り無くそれに近いものです。」
アギュの上司、イリト・ヴェガがいたオリオン連邦の中枢の研究統括局では禁為の技術の眠る首都のどこかに、精神流体とも呼ばれる『魂』の成分表があると噂されていたという。本当かどうかは今や誰もわからない。
アギュは意味深に沈黙した。デモンバルグに喋らせる為だ。
「信じられないな・・・なんにしても、違うな。俺の知っている『ドウチ』という言葉とは中身が違うさ。」
「おぬしの意味するところはなんだというのだ?」
じれたようにシドラが口を挟んだ。正直、シドラ・シデンも『ドウチ』などと言う言葉はよくわからない。実際、興味もないのだが、上司が何も言わなくなったのでじれったくて参加したのだ。すると今度はもう1つ、顔がシドラの方にも現れた。
「パートナーソウル、文字通りさ。」
「フン。ペットみたいなものか。」
「ペットじゃねーよ。」軽口に暗黒は機嫌を損ねたようだ。「人生の相棒だ。」
我とバラキのようにか?と、シドラは言葉を飲み込む。それはつまり・・・?
「デモンバルグ、渡にはもう説明したのですが・・・ワタシ達とこの星のセンゾは同じなのです。」「ふん、その話はもうお転婆から聞いたな。」デモンバルグがボソリと興味がなさそうに返す。「嘘くさい話さね。」
「そうですか。ならば話が早い。」「どうやら・・渡もその話を信じてるようだな。」
「はい、概ね。カレが今、理解できる範囲で。」
もともとデモンバルグは自分がつぶさに見てきた人間の歴史自体など、興味がなかった。自分に有利に利用できるか、出来ないかしかない。それから、渡の運命にそれがどう影響するか、読み解く為以外には。まして自分の預かり知らぬ、有史以前・・・古代よりも更に昔のことなど尚更に。
「そのセンゾ達ですが・・・彼等がドウチを作り出し、使役していたらしいのです。具体的にどのような使い方をしていたかはわかりません。カレラがこのホシにやって来る時にドウチも連れて来たんではないでしょうか。そこで・・・教えて欲しいのですよ。アナタの知っていた過去・・・古代のジンルイの生活はどんなだったのですか?アナタは・・・かつて『ドウチ』だったのでは?」
「さあな。忘れた。」暗黒は頭の両方に顔を付けたまま、身を揺すっていた。表情には苛立ちが強い。「もういいだろ。俺は新しい体を捜さなきゃならないんだ。」
そして二つのジンの顔は暗黒に消えて、声だけが空間に響く。
「俺はさ、お前の娘のお転婆との契約があんだ。さっさと済ましてしまいたいのさ。お前の家にいる巫女さんのとこに行かなきゃならないからな。」
「アナタに聞きたいことはまだまだあるのですよ。」
「ヒカリ、後にしてくれ。」暗黒は翼を生やす。シドラ・シデンがバラキを使おうとするのをアギュは止める。
「後で『竹本』に顔を出すさ。」
暗黒は空気を渦巻かせながら室内から飛び去っていった。

アギュは上げた手を降ろすと、不満顔のシドラ・シデンに視線を移した。
「大丈夫ですよ。カレはこの約束は守る。」
「フン。そうだといいな。それより、」シドラはアギュを見た。
「なんなんだ?いきなり、ドウチなどと言い出して。しかもあやつに。あやつがドウチだなどと・・・あんなものはおとぎ話だろう?」
「あがなち、そうは言い切れないと思いますよ。」
アギュは先に立って歩き出す。
「アナタも今は実際にデモンバルグを見たわけじゃないですか。天界を実感したことや、バラキの力とかもあってアナタ自身の次元知覚能力が鍛えられたのでしょうか・・・デモンバルグが無意識に我々の感知する空間により近づいたような気がします。彼は自分でそういった複数の次元をコントロールしながら移動しているという自覚はないみたいですが。とにかく。」アギュはシドラと目を合わせる。
「魔族だの天使だのがこの星を闊歩していることは事実なのですから・・・」
「・・・そうだな。」シドラは明鴉のことを思い出す。
「確かに。あのバカもいた事だし。ところであいつはどこへ行ったんだ?」
「ルシフェイルのことでしたら・・・」アギュは苦もなくドアを開くと外に歩み出る。「今は竹本にいると思いますがね。そこで待ってるように言いました。」
「なんだって!」額に手をやる。「面倒くさいヤツばかり集まるじゃないか。いったいなんで・・・なんでおぬしはそんなことを言ったんだ!」
「どうしても、ワタシ達と来たいと言うものですから。」
傾きかけた陽射しの中でアギュはクスクス笑っていた。
「賑やかなことです。」
「フン!まったく、フンだ。」
「しかし、シドラ。」アギュが真顔になる。
「ちょっと考えてみてください。テンシとアクマ・・・2種類のジゲンセイブツです。デモンバルグも加えると3種類です。もしも、カレラが祖のジンルイがかつて作り出し、この星に連れてきたドウチ達の成れの果てだとしたら?何らかの理由でジンルイから離れたドウチ達が自然繁殖した姿だとしたらどうです?これも1つの祖のジンルイがこのホシに残した痕跡、証拠です。イリト・ヴェガが喜ぶ、立派な調査対象でしょう?」
「まったく・・・ほんとにふざけたモノを生み出してくれたものだな!面倒臭いったらない!やはり大昔から今だに、人類は馬鹿なんだ!大馬鹿のままだ。我も馬鹿の一員だと思うとまったく腹立たしい!」
シドラも続けて歩み出たが、ふと顔が素に戻る。
「それより、我らがいきなり帰国している事実・・・どう説明する?」
アギュの笑顔が止まる。「メキシコのホテル・・・チエック・アウトもしていませんね。出入国の方はタトラに頼むとしますか。」
「ちょっと行って我がチエック・アウトしておく。バラキなら一瞬で戻って来れる。我もユウリの母親の顛末には立ち会いたいからな。無事にユウリの魂とやらが分離できればいいのだがな。さっきのあれがデモンバルグの奴の正体なんだろう?あんな炭団みたいな真っ黒なヤツが信用できるものか。」
シドラが素早く室内に身を返した。
「あ、シドラ!」アギュが笑顔で引き止める。
「ホテルに置いてきた土産物の方、忘れないでくださいね。」
フン!という音がダブルで虚空から聞こえた。




「なんだよ、それ~つまんない。」渡がごねている。
「ホントだ、そんなの裏切りだろが!ズルい、ズルいぞ、ガンタのバカ!」
旅館『竹本』は大騒ぎだった。しかし、帰り支度を始めた人々の顔は明るい。行方不明の妊婦がひょっこりと発掘場所で留守番をしていた学生の前に現れたという知らせに一時は大混乱だった。鈴木教授率いる学生達が挨拶もそこそこに大騒ぎで車で帰って行った後、一緒に付いて行った警官から折り返し不明者本人と確認したという電話が県警の警部の携帯に入り、ようやく苦笑いも軽口も出始めた。
妊婦は疲れているが特に怪我もなさそうで、当人は望んでないが念のためこれから警察車両で最寄りの病院に連れて行くと言う。
「まったく人騒がせな話だべや。」祖父とセイさんは早々と晩酌の支度を始めている。
「ヒッチハイクで行ったってことかい?」
「どうですかね。」浩介はほっとして愛情のある視線をお給仕して回っている笑顔満面の妹の寿美恵に注いだ。「なんだか、当人はよく覚えてないらしいですよ。」
「記憶喪失だっていってんのかい?便利な病気やな、まったく。」
毒づきながらも祖父の顔にも安堵の色が濃い。
「おっちょこちょいの教授の野郎、ここに頭下げに来るのが先だろが。寿美ちゃんにもよ。まったく、ちゃんとした詫びもしないで帰りやがってよ。あれが大学の偉い先生だっていうんだからあきれちまうよ。」セイさんだけが憤懣やる方ないようだ。さっきから、手伝いに来ていた奥さんになだめられている。
「誠二さんは、来ないでしょね。」
浩介が肩を竦めた。義理の弟だった頃の誠二の性格を考えている。
「なんやて。」
「だって、どの面下げてここの敷居が跨げるんです?寿美恵に言ったことだってもう取り消しが聞きませんよ。僕だって許しませんし。」
「そやかて、それじゃあ道理が通らんやろが。」
「寿美ちゃんが名誉毀損で訴えてやればいいんだ。」そういうことをしたがる妹ではないことをよく知っている浩介は、まあ一件落着だからいいかとビールをおいしく飲み干した。こんだけ大騒ぎして相手だって大学に知れないわけではないんだし。
回りでは警官達が帰る前にと女達に炊き出しやお茶でねぎらわれている。朝から捜索隊に加わってた消防団と近所の親父達は厨房に居座ってそのまま宴会になりそうな気配。仕事が終わって捜索隊に加わろうと思ってきたがそのまま飲んでいる若者達も多数。
そんな騒ぎの中、子供達は今日は離れで夕食をとることになった。シドラが留守の間は、ガンタがすべての責任者である離れは現在子供とガンタしかいない。
祖母も綾子も寿美恵もみんな大人達の世話に大忙しだ。自分達で手分けして運んで来た料理をちゃぶ台に並べる。お給仕は香奈恵がやると言ってきかない。ガンタのご飯が山盛りにされる。香奈恵もかなりの盛りだ。
ひょっとしたら風呂も離れで入ることになるかもしれない。下手したら寝るのも離れでいいじゃないかと、渡と香奈恵は大喜びである。
そして冒険の顛末が、一部はしょりつつも語られたのだ。


スパイラルツウ-8-1

2010-06-27 | オリジナル小説



 8・魔族対堕天使?助太刀は宇宙人?


黒皇女は苛立っていた。
沸き上がる不安を押さえようがない。
あれはなんだったのか。シセリが誘惑にも殺害にも失敗した男と混沌に沈めたはずの娘を一瞬で連れ去った何か。皇女の目には巨大な大蛇のごときものに映った。
古代神話の蛇神であろうか。となれば、それは混沌から出て来たもの。混沌に住まう神か。
「馬鹿らしい。」皇女は自らの作り上げた空間を油断なくその身に纏いながら毒づいた。「神などという輩はありえない。」所詮人間達が神とあがめ奉って来たものは敵対する天使族か、自分と同じ魔族のどちらかにすぎないのだ。黒皇女自身も一神教が押し寄せる前の遥か北欧で神として奉られていたことがかつてある。透き通るような白い肌と黄金色の髪を持つ処女達を巫女として侍らせて。あの時代は良かった。ローマから来た者達に石を持て追われるまでは。皇女にとってはその時から人類、特にキリスト教徒達が積年の敵であった。デモンバルグに対しては一度は黙って苦渋を飲み込んだ黒皇女であったが、受けた屈辱はけして忘れることはなかった。シセリにそそのかされたとはいえ、そのデモンバルグを混沌に沈めた今、やっと腹の底に溜めてきたすべての重荷が降ろされた気分であった。しかし。
矛先の納まりの悪さを皇女は感じていた。かつて60余年前に神代レイコを混沌に沈めた後で起こった不可解な出来事・・・人々の頭の中からレイコの夫と子供の記憶が欠落している事実に遭遇した時のような不気味さ。
「ひょっとして・・・混沌に住む生き物がいるのかもしれないね。」
呟くと自身が作り上げた混沌への窓、大鍋の縁から中を覗いた。
「シセリ・・・溶けちまったのかい。デモンバルグと共になら本望だろうね?」
渦巻く混沌の水面には何も見えなかった。
「あの男もいない・・・? まさか、底に沈んじまったのか? 無様に生にしがみついていたのに・・・死ぬ根性があいつに残っていたとはね。」
光を妊婦へと移したことにより、レイコの体も既に沈んでしまった。いつの間にかレイコの体とあの光はひとつのものとして皇女は考えるようになっていた。シセリにそそのかされ宿敵デモンバルグを撃つためとはいえ、光を失ったことが腹立たしくもある。60年以上もいつも眺めて来たあの光がないことが物足りなかった。
「それとも、あの光・・・やはり・・・すべてはあれがもたらしたのか。」
妊婦の胎内に入った光が蛇神となって我が結界を破って飛び立って行ったのか。その考えは皇女にはおおいに気に入った。
ただし、そうなると。
光を失ったことが再び、惜しくなる。欲しい、もう一度あの光が。
「デモンバルグが欲していたのはそういうわけか。混沌を突破する程のあの力?」
皇女は決意する。
「・・・奴はもういない。」
デモンバルグは、混沌に溶けた。デモンバルグの獲物を守護するものは誰もいない。
「あの小僧を殺して、私があれを手にするとするか。」あれは私のもの・・・。
皇女がにんまりと笑ってデモンバルグが固執している少年の華奢な体を思い浮かべてた時、皇女は自らの空間に異常を感じる。
はっと気を抜いた瞬間、一気に空間が歪んだ。同じ魔族のシセリの目にも無限の闇が広がっていたかのようだった空間が外部からのなんらかの力で鷲掴みにされたのだ。皇女の自慢の空間がみるみる凝縮されて行く。まるで膨らんだ風船が外から圧迫されるように。闇の密度が張りつめ、このままではそれこそ張りつめた風船のように裂けて弾けてしまうかもしれなかった。
「!」皇女は慌てて、鍋のある洞窟を自らの精神力で魔力の固い殻で固く覆おった。『なんだ?何が起こっているんだい?』口を開く暇も窓を開いて外を伺う余裕もなかった。何かが皇女が丹精して作り上げた異空間を丸ごとすっぽりと覆っている。まるで巨大な生物の口の中で咀嚼されるかのように。
かつて一度もこんなことが起こったことはなかった。これはあまりに強大な力。黒皇女のエネルギーを凌駕するほどの大きな力が外部から襲って来ていた。
『いったい・・・どういうことなんだい?!』
皇女の額にふつふつと汗の玉が浮かんだ。片時も気を抜くとこができない。
『すごい圧力だよ。でもここにある鍋は混沌と繋がっている。どんなやつだって混沌ごと押し潰せるわけがない。』
自身が混沌と空間に挟まれて押しつぶされる可能性等は勿論、念頭になかった。
突然、ふっと圧力が緩む。
皇女の力はつっかえ棒を外されるようにたたらを踏んだ。
行き場をなくし思わず空を切る。
その弛緩して希薄になった意識の先端に割れ目が生じる。
そこから滲むように何かが・・・蒼いものがしみ出して来た。
『いったいなんなんだい?!光?!ってことは・・・』皇女は自ら、抵抗を止める。
たちまち、光は割れ目をこじ開け大きく広がって行く。光は皇女の目を焼いた。
視界が奪われた瞬間、声がした。

「なるほどな。」声はうなづく。「汚いところだ。不潔でゾッとする。」
「誰だい?失礼なことを言うじゃないか!」皇女は耐えきれずに目を覆った。
「天使族かい!?」
このような強大な力は4大天使と呼ばれる古い力以外にはあるまいと皇女は計算していた。4大天使が自分に何の用があるのかは別として。勿論、戦いを挑まれた場合、自分に勝ち目があると思うほど皇女は初心ではない。4大天使と渡り合うには4大悪魔並みの有史以前から培ったほどの力とメモリー量がなくては。
ただ・・・天界で眠りについたとの噂がもうかれこれ100年以上に渡って流れている皇族天使がなぜ自分に会う必要があるのか。
皇女が抵抗を止めたことにより、皇女の空間は隅々まで光に満たされる。光は闇を駆逐し、皇女の満たした居心地の良い洞窟内部は白く焼かれたちまち蒸発していく。
「やめとくれ。私の縄張りを荒らすのはよしとくれ。」
皇女は媚びを含んだ哀れっぽい悲鳴をあげた。「天使様が私に何の用があるんだい。」
「本当に汚ねぇ場所さねぇ。」すぐ耳元で聞き覚えのある声がした。
「まったく同じ魔族としては恥ずかしい話さね。」
皇女は驚愕した。「デモンバルグ!?」蒼い光の中に立ち上がる暗黒があった。夜よりも闇よりも黒々と深い黒。目が眩んでいる皇女は気が付かなかったのだ。
「生きていたのかいっ!?」
「よう。」気が付くと目の前に顔がある。「ご存知、デモンバルグさまさ。」

皇女は弾けるようにデモンバルグの爪から逃れた。追うとも追わないとも玩ぶようにデモンバルグはユラリと丈長く皇女の頭上へと伸びて行く。その影の中で引きつった魔物の顔は眼とまくれ上がった牙だけが二人を照らすアギュには映る。
「ちきしょう!」牙が上唇を切り裂き滝のように鮮血が流れ落ちた。その血が闇に黒く焼かれた床に落ちるなり、床全体がスクリーンのように渦巻く。
「ここは私が何年も、何年もずっと守って来たんだ!これ以上、荒らさせはしないよっ!見ておいでっ!」
その声が終わらぬ前に、床がボコボコと沸騰し始める。
「さあ、私の可愛い女達!散々可愛がってやった恩を今こそ返しておくれ!お前達を地獄に突き落としたにっくい男の片割れが来たんだ!今こそ、お前達の積年の恨みをはらすがいいっ!」
見る間に足下には渡り廊下で繋がった工場のバラックが立ち上がる。そこは渡とユリがゾンビを目撃した舞台であったがアギュとデモンバルグは知らない。そしてその背後には今は神月に形もない、娼館が立ち上がる。
デモンバルグが霊道と呼んだものによって異空間と異空間が次々と繋がって行く。
そして、そこここに吹きだまっていた荒んだ女達のダブった映像が次々と吸い出されて、みるみるうちに背景を飲み込み膨れ上がる醜い瘡となるやその巨大な人面瘡がパックリと口を開いた。その汚い傷口から堰を切ったように湧き出る女達の群れ。腐りかけた肉とむき出しの骨を動かすのは負のエネルギー。娼婦、女工、あらゆる職種、妻、娘、嫁と姑、様々に虐げられた女達が溢れ崩れては又、1つの大きな塊となって暗黒の更に上へと立ち上がった。その怨念の壁からは、すさまじいまでの悪臭が吹き付けて来ているはずなのだがデモンバルグもアギュレギオンもその表情は毛1つの乱れもない。
「へっ!まるで泥人形さ!まだ、こんな幼稚なことをやっているのか。」
デモンバルグがせせら笑うと
「コレはオレが遊んでも構わないなっ!」叫ぶなりアギュの体が動く。アギュが手にする竜骨、古代魔法生物の骨で出来た楽器。ユウリから受け継がれたそれは今はアギュを所有者と認めて従っていた。竜骨で作られたソリュートは瞬時に望ましい姿、今は禍しい長く細い鎌となった。魂を刈り取る死神の牙となったソリュートがその肉泥の壁に眼にも止まらぬ素早さで幾度と差し込まれる。アギュの抱く破壊の衝動に身をゆだねた竜骨。その場にふさわしい波長を選び取るなり、その振動を奏で光速で増幅させる。たちまち灼熱に達した刃先により、焼かれ千切られた女達の塊は次々に蒸発しながら回りへと飛び散っていった。口々に声なき悲鳴を上げたまま、融解した塊達は消えて行く。その飛沫から身を躱しながら。
「ハンッ!ばっちいたらないぞ、アクマ!オマエ達、魔族の趣味の悪さときたら!」「言っとくがヒカリ、俺とこんな奴らを一緒にして欲しくはないさね。」
崩れ立ち上がり、次々と向かって来る腐敗した幽鬼の群れを死神の鎌がたちどころに掬い取り引き裂き空中に蒸気にして散らして行く。アギュの蒼い光りを映したソリュート。その奏でる波動によって、分解された霊魂達は白い煙となり、その蒸発した煙がもうもうと上空に満ちて行く。
沸き上がる霧でデモンバルグは目の前の敵も見えなくなる。
その間もアギュの快感に反応する竜骨は歓喜に似た音を発し続けていた。
「ハッ!成仏!これじゃまるで、成仏だ!オマエ、これでやっと解放ってわけだ!」
「余計な事をするな!こんな腐った魂に成仏なんかないさ!こいつらには魄がないんだ。魄を失った魂は所詮、魔族の奴隷でしかないさ。人扱いするだけ無駄ってわけさ!」
そう言うなり、まるでアギュと競うかのようにデモンバルグも蠢く女達の一つ一つを叩き潰して行った。巨大なかぎ爪を伸ばすとその泥を引きむしり、こね回し次々に混沌の入り口へとねじ込んでいく。
「いじけ切った女どもめ、先のない恨みなんか忘れるがいい!一から生まれ変わるには混沌ほど、ふさわしい場所はないのさ!感謝しろ!」
そして、肉の海を舳先で割るように標的に、後ずさる黒皇女に近づいて行った。
皇女が丹精した怨念の糠床も、たった60年の容量とみれば底が知れている。
乾き切った瘡をデモンバルグがその足で簡単に踏み砕くのをみて皇女は自分の逃げ道が尽きたことを知る。
窮鼠、猫を噛む。持てる力をかき集め、皇女はデモンバルグの喉元へと銃弾のように自分を撃ち込んだ、とその体は脇から伸びた灼熱の鎌によって弾き飛ばされる。
「余計な助太刀だ!」デモンバルグはアギュを睨みつけると巨大な獣の姿となり一足飛びに先に落ちた皇女へと覆い被さった。
黒皇女は咄嗟に身を返して逃れでたと思う。
しかし既に覆いかぶさる獣の体から暗黒の鉤が皇女の中に無数に打ち込まれている。その先端は捩じれながら皇女の体を穿ち、皇女の内部を吸い出そうとする。
皇女も獣も一瞬で物理的肉体を崩し捨てさった。大きく広がった渦巻く闇と重く深い暗黒が絡み合い、もつれ合う。
糸を引きながらも黒皇女はどうにか逃れる。が、かぎ爪の幾つかは今だに打ち込まれたままだ。闇に浮かぶ黒い表が叫ぶ。
「デモンバルグッ!忌々しい、お前ときたら!やっと殺したと思ったのに!どうやって混沌から出て来れたんだいっ!」
「このヒトは堕テンシだそうですから。」上から涼しい声が答えた。眩し過ぎてその姿は皇女には見いだせない。「アナタ方、マゾクとは基本的に違うんだそうですよ。」
すでに溢れていた女達の怨念は跡形もなく蒸発している。
高温に白くやけた床からの照り返しが皇女の眼を強く焼く。助太刀は1人ではない、と皇女は理解する。
「ヒカリ、余計なべしゃりはいらん。」
最早、デモンバルグの暗黒の鉤は今も床を這って逃げようとしている皇女へと自らを、その質量で皇女の空間を破壊しながら引き寄せていく。
目が痛いほどの黒、その暗黒の真ん中にジンの目だけが浮かんでいる。
床に打ち込まれたソリュートにその闇の背が当たった時、皇女は自分の負けをやっと認めたのだ。そして、薄笑いを浮かべるとジンの目を見上げる。
「命ごいは聞かないみたいね。私を滅するってことだね。」漆黒の表が真上に動く。
「それでっ?天使が堕天使に加勢するってことかい。お前は4大天使の誰かなんだろう?デモンバルグを混沌から助け出したのはお前らってわけか!」
自分を始末する為に、4大天使のうちの何人かがわざわざ出向いたとあれば皇女を名乗る魔族にとっては誉れなことであろうか。しかし、皇族天使とデモンバルグの関係が見えなかった。
アギュは誤解を解く必要を感じない。その沈黙をも許さず、ジンの顔が吠える。
「俺は堕天使ではないっ!」苛立った暗黒の腕が巨大な掌で皇女の表ごと闇を掴んだ。闇から伸びた牙が幾本もその指を噛んだがいかほどの反撃であるか
「俺は恐怖を司る悪魔だっ!」呻きと悲鳴を上げた闇が握りつぶされた指の間からうにょうにょと押し出される。その闇は皇女の覚悟に反して今だ最後の逃げ道を求め、地を這い蠢いた。
「ちっ!しぶとい奴さね。」デモンバルグは舌打ち1つ、握りつぶした闇をそれら千切れた闇の手足に押し付けると1つにした団子ごと、それらも混沌の鍋へと片っ端から叩き込んだ。
「今度こそ最後の最後だ!」混沌の面が割れ、飛沫が飛ぶ。その飛沫の1つが恨みがましい女の顔となってデモンバルグに歯を立てた。
「おのれぇぇ、デモンバルグゥ!」
それを見たジンは思わず吹き出す。「シセリ。いいカッコじゃないか!」
体から千切れ崩れかけた魔物の顔のそこここに口が開き、口々に罵った。
「デモンバルグ、覚えておき!あたいはまた甦ってお前に必ず復讐するよっt!」
「面白い!やってもらおうじゃないか!」
せせら笑う暗黒はまるで野生の獣が体からノミでも取るかのように自らの一部ごとシセリを掻き取るとそれもまた、混沌に叩き込んだ。
首のない溶けかけたシセリと、滲んだ闇が拡散しつつある黒皇女。
二人の女が・・・すでにもう女とも言えない崩れたモンスター同士が牙を剥き爪を立てて、互いの肉を引きちぎり喰らい合いながら混沌の中へと沈んで行く。
デモンバルグはそれすら、見るのも不愉快とばかりに両の腕で鍋の口を捻り上げた。
「こんなモノは塞いでしまえっ!」引き結んだジンの口から唸りを立てて、あらん限りの力で押しつぶす。鍋は黒い炎を上げたが、暗黒は異に解さない。やがて握りしめられた拳の中で黒い煙が上がり、煤のような塊が下に落ちて行った。
「お見事。」光度を落とした光はアギュとなって暗黒の前にいた。皇女の作り上げた洞窟はもうない。二人が浮かんでいるのは宇宙空間のような黒い闇・・・と思う間もなくそれは退き二人はあの屋敷の玄関ホールに立っていた。
壊れた階段の上に立っているのはシドラ・シデン。
「シドラ、バラキをねぎらってやってくれ。」
「ワームドラゴンの口の中で一騒ぎやらかすとは無茶なことを。」
シドラが軽々と飛ぶと床に降り立つ。
「バラキがうっかりあの女の次元ごと飲み込んでしまったら、どうなっていたやら。」
「うっかりするなんて、アナタのバラキにはあり得ないでしょう。」
「まあな。」
「デモンバルグの話によると紀元前から生きているあのマゾクが作り出した異次元ですから。自主的に開けさせるのでなければ侵入することはいささか手間がかかったことでしょうね。一刻も惜しむ今、ワームドラゴンの力を借りなければ早い解決はあり得ませんでした。無駄な時間を費やす手間が随分、省けました。」
「こやつにも感謝して欲しいものだがな。」
シドラはこいつだけは飲んじまえば良かったんだとでも言いたげに暗黒が人の形を取ったデモンバルグに目を走らせた。
コンパクトな姿に戻った暗黒は自らの密度と重さでまるで硬く固まってしまっているようだ。両の手を胸の前に結んだまま、微動だにしない。
アギュが歩み寄る。今だに固く固く握りしめられた拳。シドラの不安顔に構わず、それに指を伸ばす。
「終わりましたよ。」アギュの指がこじ開けるように指を開く。さらさらと砂のようなものが掌から流れ落ちる。「アナタの怒りが収まらないのはもっともですが。」
デモンバルグは硬く閉じていた両の目を開いてアギュを認めた。
「お前は俺に触れてもなんともないのか。」
「そうですね・・・」アギュはうっすらと微笑む。「ワタシはアナタの知っている人間とは違う。この星の外から来たジンルイですから。」
「なるほどな。普通の人間ならば・・この姿の俺に直接、触って平気なはずはない。
俺ももとは・・・人と共にいたのだが。悪い気を食べ過ぎてるからな。」
「・・・ドウチですか?」

スパイラルツウ-7-4

2010-06-05 | オリジナル小説

ガンダルファは目の前に迫った女の唇を咄嗟に避けていた。
「おい!よせよ。」思わず絡み付く腕を引きはがす。
「何、考えてんだ?こんな時に。」
「だって、怖いんだもの。」髪の隙間から女が口を尖らせるのが見える。
「あたいにもっと優しくしてくれたっていいじゃないの。」
「自分で歩け。」閉口するガンタは女を下に降ろそうとした。何かが変だった。しかし女は肩に縋る腕を解こうとしない。
「変な人・・・ひょっとして、女には興味ないの?」
「あのなぁ、」ガンタは苛立つ。「状況を考えろって言ってんの!」女の肩を両手で掴んで引き離そうとした時、薄明かりの中で髪の間から女の顔が覗いた。
「あれっ?お前って、飯田さんだよな。」ユウリに似通った顔立ちにドキリとした。
ユウリ?いや、ユウリというか・・・誰だ?。ガンタの思考はしばし静止する。
すると、女の方は男の目の中にようやく望む表情を見いだしたと思い違いをしたらしい。肩から腕へと手を滑らし、婉然とシナを作って微笑みかけた。
「そうよ。あたいが・・・飯田美咲。麗子とも呼ばれけどね。」『レイコ?』どこかで聞いた名前・・・ガンタの頭の中で声がする。
(ガンちゃん、にやけてる場合じゃないにょ!)『ドラコ、どこにいるんだ?!』
(その姉ちゃんは危険にょ!目くらましを仕掛けてるのにょ!気を付けるにょ!)『目くらまし・・くそっ、そうか、ユウリの母親の名前だっ?!』
ガンタはまるで毒を持った蛇から身を避けるように、自分でも思いがけない力で女の体を振り払っていた。上背はあるが男よりは所詮華奢な美咲の体は勢いよく投げ出され、壁に激突した。
「あ、まずい!」さすがにハッとする。「ごめん、つい。」距離を保ったまま伺う。
女は起き上がる気配がない。仕方なく用心しつつ、ガンタは距離を詰めた。
「大丈夫?」と身を屈めかけた時。
(がんちゃん!)ドラコの警告。
辛うじてガンタは喉元を狙った美咲の口の攻撃を躱す事ができた。
「うわっ!怖ぇっ!」「バカ男!また避けたわね!」
後ろに素早くのけぞった男の喉笛を切り裂こうとした歯を唾を飛ばしながら、美咲はむき出しにする。反転し、足で床を蹴りさらにガンタを追うが、ガンタも負けてはいない。人にしては常人でない素早さで右に左に上に下へとすべてを躱した。突っ込んで来る女の体を避けると、その体の背中の急所を突く。まともな体ならこれでしばらく動けなくなるはずだった。女の肉体にマジな腕力など振るいたくはなかったからだ。美咲の体は一瞬、痙攣し動きやむかと見えたがそうはならなかった。肉体へのダメージなどものともしない。立て直すと、尚も遅いかかる。
(ガンちゃん、ソイツは人間じゃないにょ!遠慮は無用にょ!)
その声にガンタは相手の体の下に身を滑り込ませると、下から美咲の腹を足で思い切り蹴り上げた。その反動を利用し、自身は部屋の隅へと後退した。うめき声をあげ美咲は、こちらも壁を蹴ってくるりと回るとそのまま4つ足で着地した。
「おまえはなんだい?!人間じゃないのか?」
憎々し気にガンタを睨みつける充血した目はまなじりが切れ上がり、歯をむき出した口からは顎へと涎が伝う。ガンタは人間ではないと言われた時のアギュの気持ちってこんな感じか?と思う。いや、こんなもんじゃないよな。隙が産まれる。
女の動きは獣のように素早い。浴衣がはだけ下着が覗く。それに気を取られたわけではないが、男の喉に牙が迫る。ハッとしたガンダルファは腕で防いだ。男の腕に女の歯が食い込む。女は腕を噛みちぎろうとギリギリと顎を動かす。手首に巻いた腕時計の皮バンドが噛み切られたが、何故か腕を噛み切ることができない。涼しい顔の男は自由になる方の腕で女の額の真ん中に静かに指を当てる・・・と、その瞬間、女の額がスパークし女は悲鳴を上げて後方に飛びずさった。
その理由はガンタが生身ではないということなのだが、それはこの『果ての地球』に住む人類や魔族には到底預かり知らぬこと。オリオン人達は生身のように見えるが、皮膚のように薄いスーツを着ているとでも言えばいいだろうか。皮膚呼吸もできるこの薄皮一枚が時に温度変化から体を調整し、時空や磁力、精神攻撃から守り(ある程度の限界はある)その他、あらゆる物理的衝撃から人体を守っている。髪の毛一本から覆われているのである。(抜け毛を防いでくれるのかまではさだかではない。)彼等のこめかみにこの星の銃器を当ててぶっ放したとしても彼等は無傷でいられる、ということなのである。場所によっては、多少の衝撃は受けたとしても痣になることもあるまい。
強度や深度も自身が意識で調整している。重力に対しても。それがガンタの目を見張る動きの答えである。人体が追い込まれた時に脳によって開かれる時空における滞時空時間にもそれは強い優位性を与えている。
そして軽度であるが、この薄皮はバッテリーの役目も持つ。触れ合う肌同士の摩擦や体を動かすことによって蓄積されたエネルギーを使って、攻撃する要素も。
床にもんどり打って転がった女はしばし顔を激しくこするような動きを繰り返した。
その間にガンタは入り口のドアまで走る。
「あっ、あたいの顔を焼いたねぇっ!」
玄関ドアは固く閉ざされている。ガンタは自身の出せる力を増幅させてそれをこじ開けようとした。しかし、それは開かない。
『なんだ?なんで開かない?』
(ガンちゃん、それは次元の力がかかっているにょ。そのドアはガンちゃんのいる時空に乗ってないのにょ。微妙にずれてるにょ、力任せじゃダメにょ!)
『なんだって?それじゃあ、やっぱりこの女って本当に人間じゃないんだ?!』
(さっき、そう言ったにょ?がんちゃん、お待ちかねの魔族なのにょ)
ガンタはドアを背にして改めて女を見た。女は再び獣のように立ち上がっている。その顔は爛れた皮膚が垂れ下がり、そこから見た事のない顔が覗いていた。
『ひいぃ!ほんとだ!』とはガンダルファの心の悲鳴。
「お前はなんなんだい?あたいの知らない魔族?天使?どっちなんだい?デモンバルグの仲間なのかい?」
「そうだなあ・・」ガンタは言葉を濁した。「俺は人間なんだけど・・君は飯田美咲じゃないんだよな?麗子さんでもない・・・」始めての魔族の女。嘘くさいデモンバルグとは違う、ほんまもんのホラー。感動さえ覚える。「お名前を教えてよ。」
「あたいはシセリ。知る人は知る、大淫婦さ。お前はなんだぁ!?」
「俺はガンタって言うんだ。」困る。期待には答えられそうもない。「人間だ。」
その答えにシセリはいきり立つ。あたいをバカにしやがって!
「ガンタァ!」名を呼ぶなり、その体は壁に垂直に取り付き、そのまま4つ足で天井へと駆け上がる。ガンタは髪が逆立つ程の興奮を覚える。
「すげぇ!これってドラコ、俺って肉眼で見てるの?!」
「ふざけるなぁ!!!」
シセリは絶叫し天井を蹴った。
ガンタは脳で時空を開く。遅くなった時間の中で、真上からかぶさって来る体に拳を叩き込む。これでもかと叩く、叩く。出せる限りのパワーを使用すると、さすがに魔族の女も体を翻弄されながら絶叫を迸らせた。
(ガンちゃん、下にょ!)
なんだこれは。巨大な鍋の口の上空にガンタはいる。重力が失なわれる感覚。
(もう1人、魔族が潜んでいるのにょ。そいつがここにだぶったもう1つの次元を管理していたのにょ。)『だぶった次元?』(これってその女が作った次元なのにょ。だからそいつが開いてくれないとドラコにもどうしようもなかったのにょ。でも、これで大丈夫にょ!思い通りの展開にょ!)『これでお前のいるところと繋がったってことか?』(まだまだにょ!もう一踏ん張りにょ~!)
目も止まらぬ早さでシセリに鉄拳を叩き込みつつも、ガンダルファは目の隅に黒い存在を認めた。その口が開くとモクモクと黄色い毒の鱗粉のように瘴気が渦巻く。饐えた匂い。「シセリと共にお前も混沌に落ちて死ね!」黒皇女がこう笑を上げる。
(ガンちゃんが殴ってる魔族を下敷きにするのにょ!その女で脱出口を開いて欲しいのにょ!)
ガンタが用いている時空は黒皇女には感知できなかった。それは黒皇女の作ったこの時空と同じ、ガンタ自身のものだからだ。その異時間をフルに活用する余裕がガンタにはある。鍋へと突入するたかだか2mの間にもどれほどのことができることか。浮かしたシセリの体を引き寄せ、しがみつくなりくるりと身を返す。魔族の体を墜落への盾としたのだ。足先から混沌に突入したシセリの体が、混沌を引裂く。その瞬間、混沌の表に刺さったその体を伝わり、ワームドラゴンが脱出して来た。
シセリと引き換えに。魔族の体は混沌に沈む。絶叫と共に跳ね上がり、蝦のように反る体を力づくで押し込んだ。
(掴まるにょ!)「ガンタ!」「香奈恵?!」状況が読み込めないまましがみつくなり、ドラコは全身をバネにして上へと跳ねあがる。
縋り付くかぎ爪をヒレが容赦なく払い落とした。むなしく腕を空に切る、のたうつ女の体がすぐ真下のべとつく水面の底へと沈んで行くのを見たような気がする。
『なんだ?何が起こった?』黒皇女にも掴めない。人型を失いかけたシセリの姿が混沌に落ちるのは確認した。しかし、混沌から何かが出現し男を上に連れ去ったことしかわからない。デモンバルグと一緒に混沌に投げ込んだシセリのお気に入りの女子高生と光の容れ物にした鈴木真由美の姿も一瞬垣間見えた気がする。あの娘に何が?なんの力が?あの女だ!やはりデモンバルグの追っていた光とそっくりのあの光の力に違いない。混沌から自力で脱出するなどと!
慌てた皇女は追っ手を放つ。
しかしドラコは気にもしない。マイペースで次元を変換して進んで行く。ワームドラゴンの作り出す時空に守られた3人の乗り手達にはなんの影響もない。それでもドラコは注意深く、御堂山を巡る自然や環境が幾重にも作り上げた次元の重なり合う隙間を選んで、それらを見極めるように捥ぐって行く。
香奈恵とガンタは離脱するドラコを追った闇が壁のように追撃して来るのを見たが、ドラコが次元を切り替えていくその早さに付いて行けなかったのか気が付けば回りには何もなくなった。ドラコは闇を退けたのだ。
(これで追跡は不可能にょ!)ドラコは内心、得意満面だ。(我ながらドラコはできるのにょ。やれるドラゴンなのにょ~)
「ガンタ!」目の前に香奈恵の顔がある。なんとも言えない複雑な表情を浮かべていた。「香奈恵、やっぱここにいたんだな。」ガンタは安堵の声をあげる。「それに・・妊婦さんも?」
(ドラコが二人を救い出したのにょ!今はガンちゃんも救って3人にょ~)
足下に見知った竹本の屋根が近づいて来た。ガンタは足を伸ばすと引き寄せるようにそこに降りた。香奈恵が降りるのにも手を貸す。
(まだ、ここはダッシュ空間にょ。レベル1ぐらいにょ。変換するにょ?)
「とりあえず、妊婦さんを降ろさなきゃ。」ガンタは香奈恵を屋根に座らせると鈴木真由美の体をドラコのヒレから受け取り瓦に横たえた。
「しかし・・・この人をどうやって返すのがいいんだろうなぁ。」
「ガンタ・・・」香奈恵は屋根の上を見回す。何かが変だった。まるで耳の中に何かが詰まったような感じだ。その感じはさっきまでいた混沌の中に似てなくもない。
旅館の入り口からわらわらと人が出入りしているのが見えるが声がまったくしない。誰も屋根の上を見上げない。屋根の上にいる彼等に誰も気が付かないかのようだ。
「これって・・どういうこと?」
ガンタは黙って2階の廊下の窓を外側から開けた。
「香奈恵、今ならここから部屋に戻れるぞ。」香奈恵が始めて見る真剣なガンタの表情だった。「そして、寝ろ。何もかも忘れて。これは夢なんだから。」
香奈恵はガンタを見つめる。とぼけたドラゴンもこちらを見守っている。
数分が過ぎた。「嘘。」香奈恵はゆっくりと首を振った。
「これは夢じゃないもの。ね?ドラコ。」
(ドラコに聞かれてもにょ~ノ~コメントにょ~)
「ずるいわ。」香奈恵はちょとだけ笑う。泣きそうになる。
「さっきまでは夢だと思っちゃいけないって言ったじゃない。さっきは夢じゃなくて、ここからは夢だなんて。」
(確かにご都合主義なのにゃ~でも得てして人間の人生はそういうものにょ?)
「それは、いいから・・」と言いかけるガンタに香奈恵は真っ正面から向き合う。
「これは夢じゃない。ガンタは知ってるのね。ねぇ、ちゃんと話してよ?」
「う・・・」一瞬詰まった。すばやく、頭を巡らす。
「ああ、わかった。わかった、後でちゃんと説明するから取りあえずは大人しく戻ってくれ。」(がんちゃん心にもないこと言ってるにょ)『黙れ。』
香奈恵はしばし黙って涙の滲んだ目でガンダルファを見つめた。
「ガンタ・・・ほんとよ。嘘つかないで。」香奈恵の顔が妙に大人びて映る。
「私、ガンタを信じるからね。」目を反らしもしないその真っすぐな視線。思わず、ガンタはドキリとした。
『なんだよ・・ガキのくせに。なんて目をしやがる・・・これってもう女の目じゃないかよ・・・困ったな・・・』
「約束よ。」後ろめたさを隠して、無意識にガンタはうなづく。勿論、ほとぼりが済めば記憶を消してしまえばいいと考えていたのだ。
「あのさ・・・私、部屋に戻るけど寝たりしないからね。」香奈恵はそう言うと窓枠に足を乗せた。「あ、そうだ。真由美さんもどうせなら、ここに降ろしたら?私が発見したことにするからさ。」
「そんなことしたら・・・みんな怒るだろ? 飯田美咲は恥をかくだろうけど。」
でも、とガンタは思う。飯田美咲、あいつは本当に実在したのか。4つん這いで壁に取り付く姿といい。ユウリに似た割れた顔から覗いた野生動物のように美しいが歯を剥いた獰猛な顔。凶相と言える。そして、本当に魔族の女であるならば。あの鍋の底に落ちて、あいつはどうなった?。早くあそこに戻らなくては。
「ねぇ、ガンタ・・・あの人も現実?」香奈恵がポツリと呟く。
「あいつは・・ジンと同じ魔族の1人だ。心配すんな。」
「あの人、悪魔なの?」既に驚きも覚えない自分が不思議だった。
「じゃあ、人間じゃなかったのね・・・」
香奈恵の中でパズルのパーツがカチリと嵌った。それだけで美咲との色々なことに安堵するなんて・・・我ながらご都合主義だと思う。
香奈恵の顔も曇ってるのを見て、慌てて話を反らした。
「まあ、あの女のことはいいよ。お互いに忘れよう。忘れた方がいい。あいつはまともじゃないから。」
この状況もまともじゃないけどと、香奈恵は思う。ガンタは続ける。
「だってだ、香奈恵。考えても見ろよ。竹本で鈴木さんが発見なんかされたら、下手したら、旅館が非難されるかもしれないぞ。よく捜さなかったって。」
「じゃあ、じゃあさ。」香奈恵はペロッと舌を出す。「親父の車にでも入れちまえば?」「・・・!そんなことしたら、お前の親父の立場がないだろ?」
「いいよ、もう。」香奈恵はふて腐れる。「親父なんか罰が当たればいいんだ。」
(じゃあにょ、親父さんが恋しくて帰ったことにすればいいのにょ)
「帰ったって・・・?」「あっ、発掘現場に入れ違いってこと?」香奈恵が手を叩く。
「ドラコ、それグットアィデァかも!ママを悪し様にののしった、親父の面目も適当につぶれるし。」
「わかった。」ガンタもニヤリとする。「山梨の遺跡だっけな?」
「場所わかるの?」
(親父さんの意識を逆に辿れば大丈夫にょ。追跡機能つきにょ。ドラゴンは便利なのにょ)
「じゃあ・・じゃあな香奈恵。」ガンタは香奈恵の問題を後回しにできることにほっとすると妊婦を再び抱き上げる。「ドラコちょっくら、行ってくるか。」
(任せるにょ)

虚空に消えるドラコとガンタを香奈恵は見送った。窓枠を乗り越え、廊下に足を置いた瞬間。ブワッっと回りが押し寄せる。音が、色が、匂いが。現実に帰ったのだ。
香奈恵は実感する。ほっと息を吐く。腕を抓る、頬を叩く。窓の外には最早、ドラゴンの痕跡すらない。傾きかけた陽射しが屋根を三角に切り取って染めているだけだ。風がここちよい。離れの裏の竹やぶがサワサワと音を立てている。階下からは相変わらずの人声。出入りする人達の気配。車の音に香奈恵は窓から身を乗り出した。軽トラが裏から入り、離れの前に止まった。珍しいことに綾子おばさんが運転席のドアを開けている。渡やユリの声もする。ちょうど学校から帰って来たところのようだ。送り迎えをしていることを除けば、いつもとなんら変わりがない。
本当にあれは夢だったように思えてくる。長い夢から覚めた時とあまりに感じが似通っている。ふと指先に目が止まる。キラキラしたものが爪の間に挟まっている。これは・・・ドラゴン、ドラコの鱗からはがれた何かだろうか。自分がどんだけ強くしがみついていたかを思い出す。爪を立てて必死に。このキラキラだけがその証拠といえるのだろうか。そのあまりに微量な痕跡をジッと見つめたのは数分。香奈恵は耐えきれず、厨房から漂ってくる煮物の匂いを思いきり吸い込んだ。雨が降ろうが槍が降ろうが、客が行方不明になろうが寿美恵や綾子は自分達の為に、毎日ご飯を作ってくれるのだ。それがとてもありがたかった。腹がグーグーと鳴る。
難しいことはいい。後で悩もう。飯田美咲の事はひとまずキレイさっぱり、香奈恵の脳裏から消えている。勿論、ジンのこともだ。
香奈恵は幸せだった。真由美さんは無事。ママリンはもう大丈夫。『竹本』も責任を免れる。親父にはまもなく罰が当たる予定だ。何もかも一安心。

ああ、思い切りご飯が食べたい。
心の底からそう思うと香奈恵は階段を弾む足取りで降りて行った。

スパイラルツウ-7-3

2010-06-05 | オリジナル小説


「遅い!何をやっているんだ。」
天界の天使の墓標のはずれ。4代天使のそびえ立つ像の真ん中でシドラ・シデンが苛立っていた。シドラがもう何度目かの鼻を鳴らすと並んだ鴉がニヤリとする。
「でも、まだ地上の時間で20分も経ってませんよ。」
「20分だと?嘘を付け。」
(嘘ではない)天界に突き出たバラキの頭が振動する。
(アギュはずっとあそこの結界の中にいるぞ・・・一歩も動いていない)
「ふうん。それはあなたの・・・ドラゴンの感覚ですか?」
「バラキの次元探知能力だ。」シドラは胸を反らす。「しかし、あそこで何が行われているかはおぬしでもわからないのだな・・・」
(あまりにも密度が濃すぎて伺い知ることもできない・・・小さいが内側には無限と言えるほどのデータが圧縮されている・・・)
「まるでブラックホールだな。」
「ブラックホールですか。」明鴉はうっとりと上空を見上げる。「入ってみたいような
入ってみたくないような。」
「おぬしも行けば良かったんだ。」
「言ったじゃないですか・・・許しがなければ入れませんて。あっちが僕と会いたがる理由がありません。それに僕も・・・」
「会いたくないと。」
鴉はうなづいた。「会いたいと思う理由が僕にもありません。」
「フン、明快な理由だな。」
(シドラ)割れ鐘のようなバラキの声が吠える。(出て来るぞ)
二人はハッと身を引き締めて、上に目を凝らした。
つかの間、何もないように見えた上空に巨大な渦に覆われた繭のような空間が現れ消えた。「まるで蜃気楼だ。」鴉が感嘆して呟く。「あれが4大天使の聖域ですね。」
宙空の真ん中に鮮やかな蒼の光がポツリと現れた。
それはグングンと下降してきて・・・すぐに姿が見えて来る。
「ああ!?なんだ?」シドラは声を放つ。アギュが1人でなかった為だ。
「あれぇ」鴉も目をこすった。「あれはまぎれもなく・・・」

「・・・デモンバルグ」
鴉の呟きにシドラは石と化す。
羽の生えた黒き獣と化したデモンバルグはジンの顔で鴉を認めた。
「おまえは・・確か、不良天使の1人さね。一度、会ったことがあったか?」
「その女は誰なんです。」明鴉がデモンバルグが肩に担ぐ巫女に目を留めたが返事はなかった。隣に立ちすくんでいたシドラ(おそらくバラキも?)は打たれたように正気に戻った。
「デモンバルグだと?!」叫びと共にバラキの頭が射程の標準を合わせるかのようにすばやく動く。それを見たアギュは仙人を抱いたまま、両者の間に割って入った。
「理由があって行動を共にしているのです。攻撃はなりません。」
「どうして?!」
鴉もシドラもそしておそらくバラキもそう叫んでいたことだろう。
「いったいどうして、4大天使の聖域からデモンバルグが一緒に出て来るんです?」
それを聞くデモンバルグの顔に浮かんだのは耐え難い苦笑だった。



レイコの体に入ったデモンバルグが4大天使が自らの体に穿いた過去へのトンネルからアギュに抱かれて現れた時、何事にも無関心だった天使達の驚きも並大抵ではなかった。
『こりゃ、驚いた!思わぬ珍客!』『魔族との聖戦以来、2000年ぶりであるか。』
天使達のまどろむようだった口調がいっぺんに消し飛んでいた。そして、聖域に満ちた濃い次元が噴火する火口のごとく溢れ出る無限のざわめきで振動する。一つになっていた4大天使達の爆笑かもしれなかった。
『その姿、見違えたぞ・・・!』『目の保養とはこのこと!』
『コスプレ姿のオマエを見るとは、長生きはするものである・・・!』
「うるさい!」
巫女姿のデモンバルグは思わず叫んでいた。
「好きでしてるんでないさ!」
可憐な美女の白い頬が赤らんでいるのもまた一興である。

そんなデモンバルグは脇に押しやられ、巨大な天使達は思いつくままに口々に騒ぎ、おかげで気が付けば4つに別れてしまった程だった。4つとなった目映い光がアギュとレイコの回りをしきりに早く激しく回った後に、おそらくはアギュの記憶を読み取ったのだろう、再び天使達は大いに笑った。
『久しぶりだなデモンバルグ。何世紀ぶりにか、たっぷりと楽しませてもらった。』
小さく毒づいた巫女姿は何も発言したくない様子だ。
反対に4大天使達の方は、生き生きとした声と動き回るそのスピードに一つの巨大な光としての怠惰であった時の面影はまったくなかった。
声それぞれの個性も感じられ始める。
『なんと、我らの記憶の底は混沌に通じておったか。』『さもありなん。すべての生物が産まれた太古の海だ。天使や悪魔も同様であろう。』『しかし、驚いた、まったく驚いた。デモンバルグともあろうものが、女に油断して混沌に落とされたとは。』『いや、ほんに、デモンバルグといえども油断大敵ということじゃな。』『なになに、魔族とはいえ、少しは抜けたところもないと詰まらん。人気ナンバーワンの悪魔殿のことだ、これぐらいはご愛嬌さ。完璧な悪魔など憎々しすぎて、我々から見たら可愛げがないではないか。』『大方大切にしているあの魂と見間違えたのであろうよ。見え透いた簡単な目くらましであっても、愛しいものの前では隙が産まれるのも道理。』『その通り。このデモンバルグにとってあの魂はアキレス腱。その大切な魂と同一のものがあると言ったのは本当であっただろう?。』『真に本当であったな。悪魔も見違えるくらいじゃ。』『しかも神月にあると言ったのも、本当であったな。』
一つの光がアギュの前に止まる。
『どうやら・・・ちゃんと見つけることができたようだな。』
「はい、おかげ様で。」口々に渦巻く後ろの声にもアギュは丁重に頭を下げる。
「まだ、詳細はわかりませんが。」その魂は今は鈴木真由美の胎内にある。
入れ替わりに違うやや赤みを帯びた光が来る。光それぞれの色の差もあきらかに顕著になっていた。
『その手に抱いている生きた男の方は・・・この星の人間ではない。おまえと同じ出身の人間だな。脳の波長が少し違う。』
アギュはデモンバルグが入ったレイコの体を空間に降ろし、権現山の仙人と呼ばれた男を再び肩に担ぎ上げた。
「はい。この人も見つけることができました。これで・・・なんとかなりそうです。」
『では・・・もう、行くか』『うまくいくといいな』『この星の未来も動くかもしれない。面白くなりそうだ。』『まだ、我々が眠りに付く時ではないかもしれぬ。』
「はい。あなた方も眠りにつくなどとは言わずに、どうかもう少しご辛抱くださいませんか。地上はあなた方の救いをまだまだ待っている人間が大勢いるのです。あなた方の信仰を生きる糧にしている者達の為にも・・・」
『信仰を争いの種にする者達も大勢いるだろう』黄身を帯びた光のうんざりした声。
『我々はそれらを調整することにももはや疲れていたのだ。』
「もういいだろう!うるさいぞ、ウリエル!。おまえら、無駄話もいい加減にするさ。」腕組みした巫女が仏頂面で口を挟んだ。「さっさと出るぞ!こんなところ。」
『それにしても・・・デモンバルグよ・・・』
まだ4つに別れたままの天使達の矛先が向く。
『魔族でありながら、天界の我らの聖域にいてもなんともないとは、さすがだのう。』
『これだけの濃い空間に存在するだけでも腹の減る・・力のいることであろうに。』
『見やれ、汗ひとつかいていない。満腹のようじゃ。涼しい顔ではないか。』
『しかも、それだけではない。』『万物が産まれいずる混沌に落とされて傷ひとつないのだ。』『そうだ。それならばこの聖域ぐらいはものともせぬな。』『混沌とはおそらく、全てを飲み込むもの。元素まで分解し、熟成させて再構築させる絶対神のスープのようなものと我らは考察しているのだが。』『おそらくは、4大天使と呼ばれる我らであっても無傷ではいられまいに。』『生まれ変わる為ならいいかもしれぬぞ』『しかし問題があるだろう』『己の意識の底の底に横たわるのなら、おいそれと行くことも叶わぬな。』『なに、万物の底辺に流れるものだ。行こうと思えば、どこからでもいけるはずだ。私はまだ行きたくはないが・・・これから先が見たくなった。』
『そう、それに地上には、デモンバルグが落とされた入り口があるではないか。』
巫女の顔が更にまた赤くなった。天使達は今度はアギュに向く。
『デモンバルグを見るが良い。奴は高い波長も低い波長も意に介さないようだ。他星からの訪問者よ。』光の一つがアギュのすぐ前に来る。
『ということはだ。おそらく・・・彼は天使でもあるということなのだよ。』
『うるさい!ガブリエル!俺が弱ってると思って、いい気になるなよ!』
たまらず、デモンバルグが声を荒げる。
「俺は天使なんかではない!俺は恐怖を司るデモンバルグさ!」
ガブリエルと呼ばれた天使はその言葉を一切無視する。
『奴はおそらく・・高い波長も吸収することができるのだと思う・・・好んで恐怖を食べているだけで。』
他の光もアギュに群がり口々に囁く。
『だから・・・飢えることはなく、死ぬ事はないのかもしれない。』
『これはすごいことなのだよ。さすが最古の存在と自分を言うだけのことはある。悪魔と天使に分かれる前の特徴なのだろうな。』
『なぜなら、並の悪魔は高い波長は受け付けられぬ。弱い魔物なら死んでしまうよ。』
『逆に天使族も低いものは吸収すらできない。これも又生き残ることはできない。』
『デモンバルグを魔族と言うことは語弊がある。奴は純粋な魔族ではないのだ。』
『そうだ、悪魔というよりは天使に近い・・・堕天使というのが最も適当であろう。』
『奴の真実は聖と魔を併せ持つ、本物の堕天使なのだ、おそらくな。』
デモンバルグはそれら無責任な天使達のおしゃべりを口を固く結んで聞いて聞かないふりをしていた。ただし、彼の宿っている滑らかで美しい額に不快を示す皺が刻まれている。あきらかにいらだちはピークに達しているはずだった。
しかし、さすがに人の信仰の最高峰にある天使達である。デモンバルグを畏れることも臆する様子も微塵もない。光達がようやく言いたい事を尽くして、再び一つにまとまるまでは長い時間が掛かった。
ただそのまとまった内部の活動はかつてとは違っている。始めてあった時とは較べようもなくその内部が活発に動いていることが外観からも伺われた。
溌剌とした声がアギュに向けて発せられる。それぞれの楽し気な声。
『お前がここに来たおかげで早速、デモンバルグの秘密が一つ我らにもわかった』
『しばらく退屈はするまいよ』
『好きな時にここに遊びに来るがいい』
『我らはお前に深く感謝する・・・』
それら言葉に対して、アギュも4つの光に向かって心からの謝意を告げる。
「あなた方の推察こそ私にとっても大変興味深い話です。お礼を言うのはこちらの方です。」「けっ!」という呟きが聞こえて来たのは言うまでもなかった。


デモンバルグはどんだけ恥ずかしかったか。
「覚えてろよ、ちくしょう。恥じ掻かせやがって。」
聖域から出た瞬間、レイコの体から離れ本来の姿を取り戻したデモンバルグはアギュに怒りをぶちまけた。
「オレの言った通りだろ?オマエにとっても、始めての経験なはずだって。」
一瞬現れたアギュは相手にしないですぐに引っ込む。
「さあ、急いで神月に戻りましょう。」無表情に戻ったアギュレギオンをデモンバルグは尚も睨みつけた。「俺は遠慮するぜ。別の体を見つけないと竹本には戻れない。」
「じゃあ、さっさと見つけてください。ナグロスはダメですからね。」
アギュの腕には意識がない権現山の仙人が、遺体に戻ったレイコの体はデモンバルグの腕にある。
「なんなら、そこのミコの体をまた借りればいいんじゃないか。」
「粗略に扱われて破損したらどうするんです。」418が声を上げた。「これまでこの人が拝借していた神興一郎の肉体が毎度どんな羽目に陥ったか、あなた忘れたんですか。ユウリのお母さんの肉体に何かあったら、下手したらユウリは戻って来ないかもしれませんよ。」アギュはぐうの音も出なかったらしい。デモンバルグは内心、ざまみろと舌を出す。
「心配しなくても、俺っちもその体にはあまり入りたくはないさね。その体には何かが封印されているからさ。」
「封印?」「気づかなかったみたいだな。」相手の困惑に得意げに口が笑う。
「たぶん、その女を殺してあそこへ沈めた奴も気が付かなかったんだろうさ。」
あの魔族の女は盾の魂に気を取られて見逃したのだろうとジンは考えた。
「何が封印されていると言うんですか?」
「さあな。」ジンは目を細める。「お前の家にいる巫女の魂の前にでも連れて行けばわかるんじゃないか。封じたのはおそらく、あの巫女さね。」
デモンバルグは細い首にうっすらと残る細いヒモの後に目をやった。巫女は半死半生で混沌に沈められたのだろう。彼女が息を引き取ったのは混沌の中であったはずだ。魔族の女が盾の魂を手に入れる為にはそれしかあり得ない。巫女が先に死んでいれば、魂は渡の前世と同じように即座に新しい依り代を求めて肉体を離れたはずだからだ。
混沌を飲み込みながら意識を失う寸前、つまりはその命を失う寸前で咄嗟に自らの体に封印を施したのだろう。おそるべき精神力。さすが盾の魂の依り代となっただけのことはある。
「それならなおさら。」
アギュの声のトーンは低くクールになり、傍らを飛ぶデモンバルグに向く。
「アナタにも戻ってもらわないと。アナタは自分を陥れた敵にシッポを見せるつもりはないですよね。まさか、アナタとあろうものがあのままやられっぱなしで?」
そう言われてジンの顔は怒りに歪んだ。様々の屈辱が甦る(その中には先ほどの4大天使の前での赤っ恥の記憶も加わっている)。
「ちくしょう。ならば、このままでいい。あいつら・・・ぶっ殺してやる!」

スパイラルツウ-7-2

2010-06-05 | オリジナル小説


ガンダルファは唖然とした。
「ジン?」姿は忽然と消えている。
薄暗い玄関ホールは不気味さも荒れた感じも昨日となんら変わりはない。
足を出す度に床がギシギシ鳴ることもまったく一緒である。
ガンダルファことガンタは首を傾げた。
子供の声どころか、ほんの一瞬前に飛び込んだはずのジンも悲鳴を聞いたはずの香奈恵の姿もまったくなかった。
ガンタといえども、警戒のレベルが上がるのは仕方がない。
『ドラコ?ドラコ・・・』相棒ともコンタクトが取れなかった。アギュ、アギュがいてくれたら。シドラでもいい。おっきくて空間に納まらなくてもバラキが付いていれば心強い。タトラでもいい。
ガンタは階段ホールの方に首を回す。誰かが倒れていた。
女性だ。しかも、見覚えのある浴衣を着ている。
「ひょっとして・・・鈴木さん?」前に投げ出された白い手首におっかなびっくり手を触れる。暖かい。脈も確かめる。顔を近づけて伺うと相手が呼吸をしているのがわかった。「良かった・・・死体じゃなくて。」
体に手を回しうつぶせになっている体を仰向けにした。手に当たる長い髪は湿気を帯びて冷たく重い、その冷たい感触が生々しかった。男なら誰でも生唾を飲みかねないその着乱れた姿も、残念ながら警戒したガンダルファにはさっぱり通じなかったようだ。手にまとわりつく髪の感触を薄気味悪く覚えたガンタが思わず、「ワカメみてぇ」と、色気のない感想を漏らしたところで相手の口からうめき声が漏れ始める。その顔をまじまじと見る。
「あれ?なんだ、行方不明の人じゃないの?・・・そうだ、確か、この人は・・・飯田美咲・・さんだっけ?」
ガンタは薄暗いホールから彼女を抱え出そうと腕に力を入れた。
もっとよく顔を確認したい。まずは、それからだ。
『ちっ!妊婦さんはどこにいるんだろ。それにしてもこの人、なんでこんなとこにいるんだ?竹本にいるはずなのに。それにジンはどこにいったんだ?ドラコまで・・』
耳に微かな声が捕らえられる。「・・・痛い・・・」女が意識を取り戻したようだ。
「気が付いたかい?」ガンタは腕の中に目を移した。
「君は飯田さんだよね?いったいどうして、こんなところにいるんだ。」
腕の中の美咲はまるで男に見せるように仰のけた顔を左右に振った。
「誰かに・・・殴られて・・・頭が痛いわ・・とても」
しかも、耳を寄せないと聞き取れないくらいにか細い声だ。
このままじゃラチがあかんと、腕に女を抱えたガンタはよっこらせと立ち上がる。「とりあえず、外に出るからね。」
女の軽さにさすがに保護者意識に囚われて、注意が逸れる。数歩戻った玄関ホールの暗さに気が付いた時、ガンタもさすがに戸惑った。開け放しだったドアが閉まっていたのだ。
「いったい・・・誰が閉めたんだ?」
呆然とするガンタの肩に飯田美咲の震える手が縋るように回された。
「怖い、助けて。助けて欲しいの。」
「いったいここで、何があったんです?」警戒レベルが高まって行く。でもその警戒はあくまで周囲に向けられている。ここにはまだ他に誰かがいるのだろうか。
「飯田さんはジンを・・・宿に泊まってる人です。見ませんでしたか?ここに入っていったはずなのに。」美咲はガンタの肩で首を振った。ガンタは油断なく辺りに目を配りながらホールの真ん中をドアに向かって歩いた。
「香奈恵も・・・宿の娘ですけど。見ませんでしたよね。声がしたと思ったんだけど。」確信がない香奈恵はともかく、ジンの奴はいったいどこへ消えたのか。
「あっ」とガンタ。消えるって・・消えてみせろって自分が言ったからなのか?。
悪魔である証明に。「いやいやいや。」自分ですぐに否定。
「それじゃあ訳がわからないだろ。」
「・・・なんの意味がわからないの?。」気が付くと女の唇がすぐ側にあった。

スパイラルツウ-7-1

2010-06-05 | オリジナル小説


         7・混沌の海を越えて


香奈恵はドラコにしがみついたまま、手を伸ばした。
「ジンさん!」
(ダメにょ!精一杯にょ!)
ドラコはにべもない。(デモンバルグは大丈夫に決まってるのにょ)
ドラコはヒレで意識のない鈴木真由美を支えている。
(それににょ、この場所の底に沈むのは危険だとドラコは思うにょ。とりあえず、上に上がるのがいいにょ!)
「上に上がったって、どうなるのよ?」
(窓から脱出するにょ)
「あの穴?、変な女が見張ってたじゃない!」
(ドラコには~どうにかなると思うのにょ~)

デモンバルグは遠ざかるドラゴンを見上げていた。
ドラゴンに掴まる香奈恵の姿がどんどん遠ざかって行く。ジンの目には真由美の膨らんだ腹部が光り輝くのが見える。今はあそこにある、似たような魂。
光は遠ざかって行く。まんまと騙された。ジンの唇が笑う。
そして反対にジンの体は沈んで行く。
『ちくしょう、俺としたことが!』何一つ、触るものもない無限の混沌が重く暗く広がっている。目に入るものもなくなった、無限の闇。
(混沌に溶けて消えるがいい!)黒皇女のあざけるような声が頭に響いてくる。
『冗談じゃない!』ジンはそれを振り払う。
『溶けてたまるか!俺は天下のデモンバルグさ!世界の創世から生き残って来た魔族さ。剣と盾を併せ持つドウチなんさ!』
おそらく、この死んだ肉体に入っている限りはデモンバルグの意識が混沌に流れ出す、それはありえない。黒皇女の言葉が正しければだ。
「肉を持たぬものが溶ける混沌だとっ、くそっ!」思わず叫ぶ。「そんな馬鹿な!」
この肉を捨て去れば、ひょっとして活路が開ける可能性はある。
しかし。
この重く淀んだ混沌と呼ばれるものが、自分にどういう作用を及ぼすかはデモンバルグにも自信がなかった。『ゼリーいや、融かした片栗粉のようなものか。熱くも寒くもない・・・でも、あの魔族の女は焼かれて半死半生になったんだった・・・酸に溶かされたみたいになってさ・・・どういう理屈なんだか。まったく、陰気くさい場所だぜ。」しかしそうなると、うかつに外へ出るわけにはいかなくなる・・・と、いうことは嫌な予感が浮かんだ。この肉に永久に閉じ込められたままになってしまうというのか。重い死人の肉は下へ下へと沈んで行く。
浮上することは叶いそうもない。
沈むとともに水圧のように更に重い空間が回りから迫ってくる。肉が回りから圧迫されてしまっていくのを感じた。骨がギシギシとなる音を聞きながら、デモンバルグは絶望的な予想を巡らせた。まさかこのまま、押しつぶされて行くのか?
彼を乗せた肉の船は終いには圧縮された肉の塊に成り果てる可能性が過った。
すると死体のではない悪魔の目に真下の方から見覚えのある装束を纏った人体が漂うように近づいて来るのが見えた。「こんなところにひとがた?女か?」
圧縮されてないということは生きた人体なのか。ジンが近づこうと努力するまでもなく、ジンの乗った肉塊はなんなく側へと落ちて行った。
やがて、広がった髪の中に仰向いた白い顔が見える。
それを見た瞬間、デモンバルグは電撃に打たれた思いがした。
「盾の巫女・・・!?」
いや、そんなはずはなかった。これは・・・すぐに合点する。
色のない混沌のなかでは濃淡にしかわからないが、女の纏っている衣装はおそらく白い着物に緋の袴。巫女の装束に間違いない。
「あはは、なるほどこりゃね。巫女は巫女でも・・・」
ジンは縮んで行く肉の船の上で、混沌を飲み込みながらもむせび笑った。痙攣に似た衝動がデモンバルグをジンの肉体と微妙にぶれさせた。
「こんなところにあったとはな。見つからないはずだ。」
はみ出した悪魔の本体は尚も船にしがみつきながらも、声を詰まらせる。
「これが・・渡の大大叔母さんの遺体ってわけだ・・!なるほどさね・・・盾の魂を持っていたのがこの叔母さんだったと。遺体はここに、混沌に沈められていた・・・だから、魂魄の片方が彷徨っていたってことなのか・・・剣の魂が竹本の血縁に惹かれたってのも・・・あがなちあの蒼い光のせいだけじゃなかったってわけさね・・・こりゃ、おかしいや!」
はみ出した本体の口から、声を放つと多数の泡と共に血のようにエネルギーが溢れ出る。しまった、早くまた肉体に入らなくては。しかし、随分と縮んだ肉塊はデモンバルグ自体の容積を超えてしまいそうだ。デモンバルグは小さく潜り込んで尚も肉塊にとどまろうと試みる。俺も溶けてしまうのだろうか。次第に意識がぼんやりとして来るのを叱るように引き締める。自分と言う認識がぼやけ、輪郭を失い丸くなって行くようだ。そこは自分がかつていた場所。遥か、遥か古代のどこかで・・・自分が産声を上げた場所なのか。聳える輝きわたる塔。白い船。
走馬灯のように過去が頭に溢れるのは人間だけではないのか。
『ちくしょう・・・まさか・・・いや、一か八かさっ!』
デモンバルグは追い越しざまに大大叔母の身体に飛び移った。
ジンの面影を失い、人体の形も崩れつつある醜い塊が真下へと落ちて消えた。
「この叔母さんは沈まないし、縮まないみたいさね・・・?なんでなんだろう・・・盾の魂が入っていた容れ物だ・・・丈夫らしいさ。」
デモンは居心地悪く、女の身体に潜り込んだ。
『なんだ?この違和感は・・・』
悪魔たるもの女の体に入ったことがないわけはない。正確には彼等には性別などない、と言うのが基本である。男悪魔であったり女悪魔であったりすることは、完全にそれぞれの嗜好が関係している。この世界への出現の仕方というならば魔族や天使族の親から産まれ落ちるというものは少ない。突如、意識を持ってこの世界に存在していたことを認識するのだとでも言えばいいだろうか。勿論その瞬間は彼等は無性であり、同時に両性でもあると言えるのがこの『果ての地球』独自の次元生物であるとアギュレギオンが推定している彼等だった。
デモンバルグは細心の注意力で自分が仮宿として選んだ体を内側から探っていった。
そして今は冷たく凍えた子宮の片隅に遂にその違和感の原因を発見した。
しばしジンはその固いしこりを当惑を持っていじくり回していた。
『なるほどさぁね・・・。』結果、それがパンドラの箱であるのかもしれないとデモンバルグは結論ずける。『この体が沈みもせず、混沌に壊されもしない理由がわかったぜ。盾の魂が鈴木真由美の胎児に移った後なのにさ。この巫女の女はすげぇな。寛大と言うか、本家の盾の巫女にも匹敵するお人好しぶりさね・・・こんなものまで内に飼っていたとは。こいつは・・・・こいつがこの体を守っていたわけか。』
寝た子は起こすな。ましてこの狭い体の中でこいつと共存するなんて言うのはまっぴら御免だった。デモンバルグはその存在は無視を決め込むことにする。
生きた細胞であったならデモンバルグのエネルギーに感応させて彼の思いのままに配列を変えることもできる。そうやって今まで彼は神興一郎というアジア人を作り出してきた。しかし、細胞のひとつ1つが呼吸を止めた死体では外観を選ぶ事などはできない。この巫女の外観のままでいるしかなかった。
『まったく因縁話だぜ。俺も忘れかけたぐらいの古代に・・・盾の巫女の自滅を静観していた俺がさ・・あの巫女に酷似したさ、こんな体に押し込められるとは。しかも、ありがたくもない居候がいるときた・・・』
デモンバルグには己の膨大な過去を振り返る時間が今やたっぷりある。
無限といってもよい。そのことはさすがにデモンバルグを少し落ち込ませた。
その時だった。レイコと呼ばれた肉体を纏ったばかりのデモンバルグであったが、彼の超魔族としてのアンテナが遥か下から浮上してくる何かを認識し始める。
『まさかな・・・遥か底まで溶け出した俺の意識が俺に何かを伝えようとしている・・・なんてわけはあるまいが・・・こんなところに何がいるっていうのか?。今度こそ・・・敵か味方か・・・一難さってまた一難さね。』
そう思うと、デモンバルグは広がる黒髪を両手で分けて見開いた巫女の目をきびしく凝らした。しかし、暗闇があるばかりで何も視界には写らなかった。随分と。悪魔にとっても随分と長い時間が経過したように感じられた。
やがてやっと、揺れる不透明なうねりの底が微かに判別できるようになり辺りがぼんやりとわずかに蒼く光り始めた。その光は次第に強くなっていく。
悪魔に動悸があるとしたらその心臓はそれは激しく振動していたことだろう。
『あの屋敷に入った瞬間から、俺の感覚は狂わされていたみたいだが・・・まだ、戻らないのか? そんな・・まさか・・・この気配・・・?』
デモンバルグは近づいて来るものが蒼い光体であることを認めた。
自分が深く安堵したことに思わず、デモンは笑っている。
『さっきからまったくさ・・・まさか、まさかの連続さねぇ。こんなに生きているっていうのに・・まったく退屈しないさね。だから悪魔は辞められないってかさ。』
ほどなくデモンバルグの意識は巫女の肉体ごと蒼い光に包まれていた。

「これは、これは。」
アギュレギオンの口調はひどく驚いた為におどけた口調になってしまった。
「デモンバルグ・・・ですよね。そんな身体で・・・どうしてここにいるのです? その姿は、いつもよりは趣味がいいですね。」
アギュはかつて知る面影に似通うレイコの顔を複雑な気持ちで見下ろす。
「・・・おまえこそ、なんでここに。」
レイコの肉体は戸惑いを隠すこともできずにアギュを見上げた。
二人の視線が再び合致する。
いまや巫女の体はアギュの腕にしっかりと抱かれている。その体と放つ光にしっかりと包まれた安心感、凍えた死体の中に納まった悪魔の体をも暖める体温をジンは触れた掌から感じている。癒されたなどとは口が裂けても言えない。
ジンは色の褪せた唇を噛み、切れ長の瞳で睨みつけた。
「俺だって好きでこんな身体に入ってる訳じゃないんさ。」
「じゃあ、どういうわけで?」
ジンはその質問は無視した。悪魔にも言いたくない、恥ずかしい時もあるのだ。
「そんなことより、蒼い光野郎。お前は宇宙人なんだろうが?。それが、どうしてここにいるんだ? まず、それを答えろ。」
「それがあまりにも荒唐無稽で・・・話しても到底信じてもらえるかどうか。」
アギュはジンとの顔の近さに閉口していた。愛するユウリに酷似する顔。かつて知る顔よりは老成し、揺るぎのない意志を刻んでいるがまだ若々しく美しい。
小柄ではあったが、子供を産んだことのある成熟した豊満な肉体は薄い夏物の着物一枚に包まれてアギュの体に密着しているのだ。
ジンも状況に苛立っている。なんだよ、これ。傍目には恋人同士の抱擁じゃないか?。ジンの口調は思わず噛み付くようになる。
「お前さ、ここが『混沌』だと知っているんだろうな?!」
アギュの口調が変わる。
「フン!今、オマエの記憶を読んだぞ。」口元はバカにしたように歪んだ。
「ムカシのオンナに足下をすくわれたな。黒幕はもう一人のマゾクのオンナだな。戦前からこの辺りに巣食っていたマモノだ。ソイツの陰険なやり口はじっくりと拝見してきたぞ。手出しができないことがはがゆいばかりだ。」アギュの蒼い瞳が暗い深みを増す。「ソイツがナグロスとレイコを陥れたヤツだ。」
デモンバルグはよくわからず沈黙していたのだが、驚いたことに別の声が答えた。
「それよりもです、ここは混沌と呼ばれるのですか・・・興味深いところですね。あまり健康に良さそうな場所ではないけれど。・・・ああ、カナエもここにいるんですか。でも、ドラコが付いてるから大丈夫でしょう。アトで見つけに行きましょう。それとも、もう脱出しましたか?・・」「うまく脱出したようだな。」「それは良かったです。ここでは肉体が容れ物として機能しているようですからね、もう一人の女性もおそらく後遺症はないのでしょうね。ただ・・・戦前からここにいるというその魔族の女が今だに上で見張ってるとしたら・・・結構、やっかいなことになっている可能性があります。加勢にいかなくては・・・ですね?。」
「すぐに引き返して、オレが助けにいくさ。」アギュは息を吐いた。
「おまえは・・・おまえはいったい・・・なんなんだ?」
アギュに包まれ支えられた今、すべてを言い当てられたデモンバルグは少し、本来の不遜な態度を失ったようだ。しかも、その言葉を放つのは今は流れる黒髪も美しい、たおやかな巫女姿なのだからまったく迫力がない。
恐怖を司るデモンバルグとしては、面目丸つぶれの思いだった。
「ここはさ・・万物が産まれ来る場所、混沌なんさ。まず普通に来れる場所ではないはずなんだが。いったい、あんたはどこから来たのさ?」
「フフン、これもジゲンの一種だからな。」アギュは嘯く。「イマは見つけられなくてもオレのリンカイが進めば、いずれはジリキで探知したはずだ。このホシのジンルイ達の集合意識が作り上げたジゲンのソコがここだ。ここは一番波長の低い、ソコの方に当たるな。」
底?デモンは内心当惑する。自分は確かに上から沈んで来たのではないのか?
アギュよりも、もうちょっとだけ親切な418が説明を始める。たとえ相手がデモンバルグであってもかつて愛した相手の親の肉体に入ったからには,邪見にできないらしい。
「私達は過去から来たんですよ。60年前の記憶から。渡の大大叔母さんの死体がここにあるのがわかったんで回収に来たんです。これがあれば、彷徨う叔母さんの魂を分離できるんじゃないかと思いましたんで。」カプートと呼ばれた418が微笑む。
「ここが混沌と呼ばれることは始めて知りました。」4大天使の記憶が最終的にここに繋がっていたとは彼としても驚きであった。彼等、天使達にとってもここは産まれいずる場所なのだろうか。
「まあ、そんなわけでずっと・・・色んな過去を見て来たわけです・・・」
デモンバルグの歴史をというところは割愛した。
「さすがにちょっと疲れましたけどね。」
「そうか?オレは全然、疲れてないぞ。」アギュが口を挟んだ。「疲れたなら奥で寝ていろ。外へ出たら、何かありそうだからな、オマエだって感じるだろ、もめ事の気配だ。そのマゾクとかいう奴らをぶっ飛ばせばすべて解決するじゃないか。ワクワクするぞ。」
腕の中のレイコの身体をぐっと引き寄せる。
「気色悪いけど、オマエも助けてやる。レイコの体に入ってるから、仕方なくだ。恩に着ろ、アクマ。」
「おまえは・・・光・・」デモンは確信した。「やっぱり1人じゃないんだな。」
「今頃、わかったか。バカめ、ニブいアクマだ。テンシの方がずっとものわかりが良かったぞ。」
「天使?」ハッとした。「まさか、おまえら天使にあったのか?・・・4大天使か?」
「まあな。」
「はあ、なるほど。過去を司る奴ら・・・ってか。あいつらいつの間にそんな力を得たのか。」
「何千年も高カロリー食を食べたからじゃないですかね。」
「引っ込んでろ、カプート。」
再びデモンバルグにはあずかり知らぬ名前を口にする。
アギュはレイコの肉体を抱えて上昇を・・・いや、底に向かっての下降なのかどちらかを始める。
「見ろ、ナグロスがいるぞ。」
「権現山の仙人さ・・・。ナグロスというのか・・と、言うことはこいつもやっぱり宇宙人なんさな・・・」レイコが呟く。かつて御堂山で遊民ギャングに宇宙人呼ばわりされた時に仙人は無言でいたが、あえて否定しなかったことを思い出す。
「こいつまでここに沈んでいたとは。」
「生きてる体はそんなに沈まないんだな。」
アギュは取り合わず、無造作に身体を引き寄せた。
「壊れることもない。レイコとナグロス。本物の恋人同士だ。」
仙人と呼ばれた男の目はもはや虚ろであり、蒼白の顔色は土気色に近い。
死体の方がまだ生きがいいとジンは顔を顰めレイコの体を仙人から遠ざけた。それに構わないアギュは男の体も抱えるとやつれた顔をしげしげと眺めた。
「老けたな。」アギュが容赦なく断定する。
「さっきまで若いのを見てたから余計に感じるんですよ。」
「仕方ないだろ。人間は年を取るんだ。」自分でも思いがけず、デモンが反論した。「すぐ、死んじまうんだから仕方ないさ。」
「・・・ホントにそうだな。」
アギュが大きなため息を付いたので、デモンバルグはレイコの口をつぐんだ。
哀しみが籠っていたからだ。臨海進化体の事情を悪魔は知らない。
「とりあえず、コレも連れて行くか。」
「おい、どっちに行くんさ?」悪魔ですらぐるぐると感覚が麻痺して来る。
「上がってるのか、下がってるのか、今はいったいどっちなんだ?俺にも頭がこんがらがって来たさ。」
アギュレギオンは仙人とレイコの体をまとめてグイと引き上げる。仙人のひげ面とと肌が触れ合ったデモンバルグはレイコの体の中であがいた。
「もっと丁寧に扱え!」
「お前らは元フウフだ。引き裂かれたフタリがキセキの再開だ。仲良く、大人しくくっついてろ。」
「冗談じゃないぞ! こいつ、髭をちゃんと剃ってないじゃないか!」
「スコシのアイダぐらい我慢しろ!」
デモンバルグが抗議するが、それに構わずアギュは光度をあげる。混沌のうねりが潮流のように流れる以外は何も見えない、感じられなくなる。
「面倒くさいモノを二つも抱えて、悶着はごめんだ。」
アギュがデモンバルグに聞かせるでもなく言葉を吐く。
「オマエは知っているか?この中はジカンが流れてないんだ。」
動いている実感はほとんどない。しかし、混沌は次第に澄み色が変わって行く。それと半比例するように辺りには、何かわからない金属音が高まっていった。テープの早回しのように流れて行くものは音であるのか、映像であるのか。辺りはどんどん騒がしくなり、手に触れられそうなほど濃い密度の喧噪がいくつも現れもつれ、解けるように渦巻いてあっと言う間に後方に遠ざかって行く。
「アクマ、面白いものを見せてやる。オマエが落ちたとこに戻るのも楽しいが、もっともっと面白いデグチがあるぞ。多分、いくら長生きのオマエでも始めてのケイケンだろうよ。楽しみだな。オレに感謝するがいい。」
アギュは呵々かと笑ったが、その声は音の洪水の中で悪魔の地獄耳でも聞き取るのがやっとだった。