MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラル・フォー-12

2017-08-30 | オリジナル小説

『チチ』の企み

 

 

トヨの家はいつ来ても居心地がいいな、とハヤトは思う。

あの後、トヨが教師に『知らない男に声をかけられた』と伝えるとすぐさま全てが早い速度で回り始めた。警察とトヨの家に連絡、校長が二人に聞き取りをしてる間にも警察とトヨの母が相次いで到着する。久しぶりに見たトヨの母の外見が変わっていたのでハヤトは少し驚く。トヨの母は突き出たお腹をかばうようにして、歩くのが遅かった。

トヨが『しつこくつきまとってきた』と説明した男の特徴は、ハヤトの父親よりもあの変態のものだったことには軽く驚いたがあの変態がトヨのストーカーなのは事実だからまあいいか。

息を整えるトヨの母が、息子を安心させるために取り乱さないように自分を極力抑えているのがよくわかりハヤトは感心する。

当然ながらハヤトの家は電話すら通じない。

「お留守のようですな。」そう言う教師の声は当惑している。問題のある家庭なら当然というか、諦めが滲むというか。母親が心身の不調で現在は働いていないなどの事情は把握しているのだ。

「おかあさん。」と、トヨが母親のマタニティウェアのスカートを軽く引く。

「ハヤトもうちに連れて帰ってよ、いいでしょ。」

トヨの要望は即座に受け入れられた。むしろトヨの母親もそうしようと思っていたようだ。

大人たちはハヤトの複雑な事情を暗黙に了解している。

帰り道、トヨは母に手を引かれハヤトはトヨに手を引かれて帰る。トヨは母に合わせてゆっくりと歩く。ハヤトの家には寄らず、まっすぐに家に向かった。あえて事件の話はしない。

家に着くとトヨの母が飲み物やお菓子を手早く用意し、トヨは慣れた様子でそれを手伝う。ハヤトもぎこちなくお菓子を応接間に運んだ。知識による『お手伝い』とはこういうことかと。

「ハヤトくん、あなたのお母さんに声をかけてくるから待ってて。」

子供たちがそれらを口にして落ち着いたと見るや、トヨの母親はあくまで自然にそう口にして腹をかばいながら立ち上がる。トヨが僕が行くというが、笑ってそれを止める。

「こういうのは大人に任せて。それよりお留守番、おねがい。」

母親を気遣うトヨ、それは母親の太ったことと関係あるのだろう。

「気をつけてね。」トヨが手を振る。

トヨは母が心配だが、僕のためにここに残るのだ。

トヨはハヤトに向かってニコリと笑いソファの隣にポン飛び乗った。

弾みのついたソファに揺られ体をぶつけ合いながらハヤトも笑う。内心覚悟するしかない。

できれば清潔で居心地の良いこの家にずっといたいけれども。

この家は空気からして甘い良い匂いだ。

父親はまだ大学から帰っていない。だけどもそこここに父親のスリッパや上掛けや湯のみ、応接間の本棚にずらりと並んだ書籍や写真立てに気配がちゃんと感じられた。仲良しの家族。

二人は飲み物とお菓子を口にしながら、満ち足りてしばらく無言でいた。

「いいな、お前んち。」言葉が口から飛び出している。

「そうかな。」トヨはストローをくわえる。「普通だよ。」

その普通が僕にはないんだよな、とハヤトは言いたい。もう直ぐこのくつろぎは終わる。

 

何か叫びが聞こえた。それから廊下に乱れた足音。次に起きたことは・・・例えいかなるものに動じない宇宙人類だとしても、誰もが悪夢と感じただろう。ハヤトは迎えには『チチ』が来ると思っていたから、『ハハ』が意味不明な声をあげてすごい勢いで飛び込んできた時に驚き慌ててしまった。乱れた白髪交じりのざんばら髪、組み合わせの色がおかしいくたびれた服。血し走った目と顔色の悪いあれた肌。遺伝子上、彼女とは何の関係もないということをハヤトがこの時ほど嬉しく思ったことはない。しかし曲がりなりにも現在、その息子という立場上、平常心ではとてもいられない。トヨとトヨの素敵な家、その母親の手前。

つまり・・ものすごく恥ずかしかったのだ。

そんな子供の葛藤も知らない『ハハ』はソファにトヨと並んで座るハヤトを見つける。悲鳴にも似た声(どうやら名前らしい)とともに突進してきた。テーブルにぶつかりソーダのコップが倒れ、お菓子の皿が床に落ちて割れる。ハヤトは穴があれば隠れてしまいたい。伸びてきたシミの浮いた手を子供は反射的にかわしてしまう。ストローをくわえてびっくりして固まってるトヨの後ろへと彼は逃げこんだ。『ハハ』の手が上着を掴み引きずり出そうとする。

「ハヤトくんのお母さん落ち着いて!」

後ろから追ってきたらしいトヨの母親は息を切らしている。

「田町さん!」「おばさん」トヨの声。ハヤトはトヨの背中でそれを聞く。

「大丈夫だよ、心配しないでいいよ。」すごく静かな声。

『ハハ』の手の力が抜ける。ハヤトは身を起こし、おっかなびっくり顔を向ける。

驚いたことにトヨは『ハハ』の腕に手を重ねていた。生理的にハヤトが避けた汗ばんだ肌。

「おばさん・・・もう、怖わくないよ。ハヤトはここにいるからね。」

『ハハ』は僕しか見ていない。いやでも目が合う。腫れ上がり、涙に埋もれた目だ。

そして母の方から視線を外し、その場にストンと腰が落ちる。

「ハヤト、ごめんなさい、ハヤト、ママを許して」

トヨとトヨの家族の素敵な応接間の床で、何を言い出すのかとハヤトは恐れる。

「もう、いいよ。」思えば直接、ハヤトが『ハハ』に声をかけるのは始めてかもしれない。

「ママは悪くない、僕は何ともないから。」

笛のように喉が鳴り、顔を覆い泣き出した。「やめてよ。」ハヤトは『チチ』を恨む。

『ハハ』を送り込んだ『チチ』を。

「田町さん」トヨの母が後ろから『ハハ』の体に手を置く。

「ハヤトくんもうちのトヨも無事なんです。何事もなくてよかったんです。」

『ハハ』の匂いに気づかれるのではないかとハヤトは顔を伏せてしまう。

「どうしたんだ?」男の人の戸惑った声。「これは、どういう騒ぎなんだ?」

研究室から帰ってきたトヨの父が入り口に立っていた。

 

ハヤトは『ハハ』の手をとれなかった。服の袖を掴んで我が家に向かう。トヨの父が付き添ってきた。家の玄関に『チチ』が立っている。ハヤトは思い切り睨みつけてやったが無視される。

「わざわざ、すいません。」涼しい顔でホムンクルスがトヨの父に頭を下げている。

「奥に入ってなさい。」『チチ』が『ハハ』からハヤトを助ける気がないことがはっきりわかった。渋々、ハヤトは『ハハ』とともに屋内に入る。玄関ドアが閉められた。表でトヨの父と低い声で話をしている。「私も今、帰りまして。」などと嘘をついている。「ああ、私もなんですよ。」疑うことを知らなそうなトヨの父はゆったりと喋る。「お互い何もなくてよかったですな。」

そっちが気になったが、『ハハ』が縋りついてくる。

「おかあさん。」ハヤトは仕方なく話しかけた。ハヤトの中にはトヨの話し方が、『ハハ』への扱いがある。優しくしようと務めている自分を自覚した。

「もう、いいから。僕に済まないとか、悪いとか、もう考えないで。」

『ハハ』の目が見開かれた。充血していなかったらきれいな目なんだろうと思う。

「おかあさんは僕に何にもしていない。」実際、『僕』には何もしていない。

それにもうハヤトは確信していた。『ハヤト』を殺したのは屋敷政則、本物の父親だ。

「僕にはわかってるから。」おそらく『ハハ』は埋められるハヤトを見ていただけ。

「こうして生きているんだから。」

そのセリフを最後まで言う前に『ハハ』に体は包み込まれていた。

「ごめんなさい・・」謝るのをやめさせるのは不可能だと悟る。

「・・・ごめんなさい」それでも『ハハ』の涙はこれまでよりもずっと静かになった。

これまでも何度か書いたがハヤトは触れられることに慣れていない。だからハヤトは体を硬くして我慢して抱かれていた。『ハハ』の汗の匂いと共に遠慮がちに背中のランドセルに指を置くその体の震えが伝わってくる。ハヤトは『ハハ』の背中をその頭越しに見下ろし、ハッとする。トヨの母と比べてこの『ハハ』の体の薄さにだ。

ハヤトは思わず手を肩に置く・・・突き出た肩の骨。ハヤトの肩に置かれた母の尖った顎の骨。

不意に『ハハ』が弱い、おそらく自分よりもとても弱い存在であるという感情が湧きあがった。トヨと肌が触れ合った時の不思議な気持ちとは違う・・・あの時の胸の内が熱いような思いとは。ハヤトの力が抜けると同時に、背後のドアが開く。

「女、子供を放せ。」

冷たく見下ろす『チチ』の視線が背後からでもわかる。

『ハハ』が体を離そうとしないのでハヤトは自分で引き剥がそうと力を入れる。その方が『ハハ』にとって安全なんだと伝えたかった。「大丈夫、離れて。」

『ハハ』の目にうなづく。『チチ』に気づかれないように。

『ハハ』はおとなしく体を引いて離れ、目を伏せた。

そんな二人の様子に『チチ』がじっと目を注いでるのが痛いほどわかる。

「いつの間に・・うまくしつけたな。」

「別に。しつけたわけじゃない。」ハヤトは乱暴に靴を脱いで廊下に上がる。

「来てくれなかったじゃないか。」「当たり前だ。」『チチ』が笑う。

「女、お前も上にあがれ。ハヤトのメシとやらを作れ。」『ハハ』がのろのろと廊下を歩き出す。「・・実の父親だった。」小声に『チチ』が首をかしげる。「ハヤトの・・・僕の。」

「それがなんだ?。」ああ、こいつは僕を監視してたんだったとハヤトは苦く。

「・・彼、ハヤトと僕がわからなかった。ハヤトを殺してたのは奴だった。」『ハハ』の記憶は違っている。「私は、最初から人の記憶など全面の信用は置いいてなどいない。まして狂った女の記憶など。ただでさえ、人間は簡単に自分の都合で記憶を書き換える。宇宙人類だろうが原始人類だろうと同じだ。完全に抽出するには殺さないとな。」『チチ』の目が『ハハ』から移動する。「ただ、今回は狂っている方が都合が良かった。あの女の実態をあの家族に見せることも計算のうちだからな。」『チチ』がハヤトに自分の計画をベラベラと喋ることなど珍しいことだった。自分を『選民』とする宇宙人類もさすがに退屈の極みに達したのか。

ハヤトはそんなことを考えた。「ふぅん。」ハヤトはランドゼル越しに『チチ』を振り返る。

「うまくいったぞ。」確かに『チチ』は己の手腕に悦に入っていた。

「お前を神月に招待させた。」「何のこと?」

「あの父親にお願いしたのさ。俺はお前の実の父親ではないからな。実の母親は頭がおかしい。もう直ぐ、『入院』することになる。さしあたってお前の精神状態が心配だとか、何とかな。鈴木トヨの父親はいたく同情した。GW、息子を神月に預ける予定だから、お前も一緒にどうかと言いださせた。」

急展開に僕はついていけない。「そうなの?」あと2週間もない。

「母親が腹の子を分娩する間だ。」「そうか。あのお腹・・・」

子供がいるんだ?トヨみたいな?あっいや、あそこまでは大きくないか。頭の中のこの星の常識をかき集める。見たことはない、小さな弱々しい赤ん坊という存在。

「お前とあの特殊能力者の子供とはすでに充分な信頼関係ができたようだ。夫婦は揃ってお人好しだ、二人は息子の友達であるお前のことを自分の家族の延長線上のように心配するようになるだろう。」「そういうもの・・なの?。」

「そういうものだ。だが、安心するのは早い。神月に行ってからが正念場だ。」

「あなた、ハヤトをどこにやるの?」怒りのこもった強い言葉。僕は飛び上がった。いつの間にか『ハハ』がすぐそばに戻っていた。

「ハヤトをどうしようというの?」『ハハ』は僕に手をまわす。

「この子はどこにもやらない、どこにもやるもんですか!」

『チチ』が『ハハ』の反抗に驚いたのだとしても外面には何の影響もでなかった。

「黙れ、女。」そう言って伸ばした指が『ハハ』に伸ばされる。『ハハ』は逃げなかったが、習慣的に視線をそらした。眉間に火花が散り、『ハハ』は震え頽れた。

「・・・何をしたの?」ハヤトは声がかすれた。

「ちょっとショックを与えただけだ。上書きした記憶が溶けてきたようだからな。脳に信号を送り初期化する必要もあるかもしれない。」『チチ』が覆いかぶさるように見下ろす。

「まさか、お前・・この星でいう『情』とかいうものが湧いたわけではないな。」「まさか。」

「お前には『父』も『母』もない。お前は寄せ集めからつくられた、ただの『木偶』だ。この『星』とも、この『女』とも何の関係もない。」

「わかってる。当たり前だろ。」「安心しろ。この女も、もういらなくなる。」

ハヤトの目が黒々となる。

「大切な『親友』には父親もなく、母親もいなくなった方がいい。内縁の夫にすぎない俺はお前の引き取りを拒否し姿を消す。あの父親によるとだいぶ前から、あの子供はお前を神月に誘ってくれたら嬉しいと言ってたらしいぞ。行き場がなくなったお前をあの夫婦は引き取りたいと必ず言い出すだろう。いや、言いだすのさ。そういう風に持って行く。」

自分の体が唾をに見込むのをハヤトは感じる。

「そうか。うまくいくといいね。」

「うまくいくさ。お前の役目を、うまくやれ。普通に振舞うだけだ、誰だってできる。余計なことは何もしなくていい、簡単な仕事だ。」誰だってできる仕事、僕でなくても。

ハヤトはもう『ハハ』を見ない。早足で遠ざかる。後ろから声が追った。

「あの子供の友達として、できるだけいろいろなところを見るんだ。そこにいる人間と会え。私に情報を渡す、ただそれだけだ。ただし、決して疑われるな。そんなことすら・・・できなければ、わかるな?」

返事はしなかった。痛いほど、わかってる。

そのために作られた。トヨの家族に取り入り、神月に近づく。

だけども。だけどもだ。

たとえドギーバッグに戻されるとしても。

『チチ』にこころの動きを悟られても構わない。

ハヤトは、自分の役目がすごく嫌になってきている。

 

リビングのドアが閉まった。『チチ』は足元の『ハハ』を見る。

その目は細められ、さらに冷たくなる。

「女、起きろ。」『ハハ』の目が開かれる。頭が持ち上がる。

視界は膜が覆ったようにぼんやりとし、ロボットのようなぎこちない動きだ。

「よく聞くがいい。今日、ハヤトに近づいた男は、屋敷政則だ。」

「・・・屋敷!」目の焦点が合って行く。

「そうだ。ハヤトの実の父親だ。お前の前でハヤトを殺し、ハヤトを埋め、ついさっきまでハヤトが死んだと安心仕きっていた男だ。そいつが今はハヤトが生きていることを知ってしまった。さて、どうなると思う?」

「あの人が・・・!」『ハハ』は両手を強く揉みしだいた。「なんで!・・・なんで、今更?」

自分と子供への恐怖を思い出し、心配と苦悩で。「あの人、またハヤトに?!」

「そうだ、また殴る。お前とハヤトを殴るために戻ってくるぞ。今度こそ、失敗しないためにだ。屋敷政則はハヤトを、殺すために戻ってくる。」

『苦悩』が『ハハ』の顔を歪ませ、歯をむき出しにする。

「そんなことさせない!」歯噛みする口元から漏れるヒステリックな唸り。

「そんなこと・・・2度とさせない・・・!させるもんかっ!」

「殺せ。」『チチ』が『ハハ』の目を捉えるとゆっくりと言葉を繰り返す。

「いいか。屋敷政則がハヤトを殺す前に女、お前が殺せ。それしか、お前がハヤトを救う道はない。わかったか。」「殺すしか・・・道はない。」

『ハハ』はうなづき、ギラついた目は再びどんよりと曇っていく。

言葉が『ハハ』の脳にゆっくりとしみ込んでいく証拠だ。

「さぁ、ハヤトの飯を作れ。」その言葉に答え、『ハハ』が立ち上がる。

それを背後から凝視する『チチ』は思案気だ。

「もともと提督が考えた、くだらない簡単な作戦だ。私に言わせれば造作もない。あともう少しだというのにだ。もともと信頼などはしていないが・・・用心することに越したことはない。原始人どもは私の理解を超える。」

ホムンクルスの中での『チチ』の思考がどこかへと放たれる。

「念のためだ。いつでも稼動できるように、スペアも用意する。」


スパイらる・フォー-11

2017-08-27 | オリジナル小説

弁護士の企み

 

 

 

屋敷政則はハヤトの家の前にいた。別れた妻に譲ったかつての自分の家。煤けたブロックと錆びた鉄の門。狭い玄関前は殺風景でドアの横のポストからダイレクトメールや差し込み広告が崩れ落ちている。表札は『田町』だけで男も子供の気配はない。

呼び鈴を押そうとしてためらった。

その時、「屋敷さん、それはやめた方がいい。」声をかけられた。

「お前・・・!」

振り向くと立っていたのは何時ぞやの気に触る弁護士だった。

「なんでここに」「さぁ、こっちへ。」

弁護士は呼び鈴を押すために掲げられた屋敷の手を掴んで引く。「ゆっくり話しましょうや。」

「何の用だ!お前とはもうないはずだ。」ハイハイと腹の立つ弁護士はいなす。

「あなたの奥さん、いやもう今は『元奥さん』になりましたことをご報告に。無事に滞りなく、すべての手続きが完了しましたと、ね?そしたら今度はあなたが『前の前の奥さん』と『その内縁の旦那さん』に対して、どう見ても騒ぎを起こそうとしている現場に遭遇したわけですから。」

「うるさい!」ふざけた言い方に血が一気に逆流する。「お前には関係ないだろ!失せろ!」

しかし、掴まれた腕は離れず体は捻られたまま引きずられる。顔に登った血の行き場がない。

「このやろう!俺がおとなしく黙ってれば!」

「ほら、お隣さんが見てますよ。あの人、あなたの顔を知ってるんじゃないですか。」

隣の玄関から見覚えのある主婦の顔が覗いていた。好奇心いっぱいの目で。

「ババァ!何を見ている!」いつもいつもあの女は俺の家を監視していた。俺が窓を割った時に、警察に電話されたこともある。俺がDVだと近所に言いふらしやがって・・・!

「見るんじゃねぇ、ぶっ殺すぞ!」

彼が吠えると主婦は慌てて奥に引っ込んだ。

「物騒ですねぇ。」道の角に黒塗りピカピカの車が停めてあった。弁護士はその車に彼をぐいぐいと押し込む。

「いいから、私の話を聞いといた方がいいですよ。」

「俺に偉そうにするな!」そう叫んだ屋敷だが、中にいた女に目を止めることは忘れなかった。

「どうぞ、屋敷さん。」女がそう言って彼を招き入れたからなおさらだ。冷たい手が触れてくる。「隣へ。」

目があうと微笑む。彼の熱が一気に下がった。

女が彼の好みだったからだ。目があった瞬間、体の別のところが熱くなるような。

もごもごと言いながら屋敷は結局後ろの座席、女の隣に入り込んだ。

弁護士が運転席に滑り込む。

「いったい・・・」屋敷は女の顔から目を放し、むき出しの女の足に目を滑らせる。白い足だ、締まるところは締まったしなやかな長い足。目が離せなくなる。「なんだって言うんだ。」

「まぁ、ビジネスですよ。」「ビジネス?あいつとの仕事はもう終わったんだろ。」

「『前の奥さん』ですか?」「その言い方はやめろ。」

「だから、新しい仕事ですよ。」車が動き出す。「ご自宅までお送りしますよ。その間にお話しましょう。」「新しいビジネス・・・?」彼がかつて暮らした家が隣の主婦とともに遠ざかっていく。「私はですね、受け持った仕事のことで気になることがあると調べるんです。」

「調べる?」「あなたのこともいろいろと調べてみたんですよ。」

彼は再び、怒ろうとしたが隣に座る女が距離を詰めてきたので集中できなかった。

女の手が膝に触れてくる。

「・・・なんだって、そんなことを・・・するんだ?」白い膝が彼のズボンの生地に触れる。「さぁ、趣味、ですかねぇ。人は弁護士に依頼しますが、人はね、いろいろと隠してるもんなんですよ。自分に不利なことをね。それを包み隠さず話してもらわないと、弁護はできないというのにね。」女の手が自分の手を掴んだので、屋敷はビクリとした。

顔を見ると女は彼の目を覗き込むように見ていた。

改めていい女じゃないか、顔立ちが整ってるだけじゃない。露出の過度な服を着ているにもかかわらず、どことなく品がある。それなのにそれを裏切っているのはその目だった。微妙に焦点が合わない眼差し、まるで絶頂に達した時のような。そのちぐはぐな視線が乱れた前髪から覗いている・・・形の良い口元は緩んでいる。誘っているのか、俺を。わかりやすく。

そんなものはAVでしか見たことがない。その上、こんな色っぽい上玉は自分には生涯、縁がないと思っていた。現実で、生でか?。思わずゴクリと喉が動いた。

手が男のジッパーに触れてきた。下半身が硬くなる。

彼の手のひらも短いスカートから生えた女の白い膝に置かれた。無意識に手が動き出した。

「それで色々と探りだすんですよ。彼女の手を借りて。」「あんたの・・?」屋敷の目は女の目から離れない、手の動きは止まらなくなる。「探偵なのか?」

「・・・そのようなものよ。」女の唇が開いて白い歯が覗いた。少し不揃いな前歯を舌がなぞる。声は低く囁きに近い。女の手も動き続けている。

「依頼人を調べて・・・何を?・・・ビジネスって、つまり」屋敷の息が荒くなるのを弁護士は気づかないふりをする。「ダメですよ。素直に話さない人は。だから、私に達に付け込まれるわけです。」「俺は・・・依頼者じゃない・・」「でも、秘密がある。調べてみたら怪しさ満載だ。」「・・・恐喝か。」弁護士はハンドルを動かしながら肩をすくめる。車は高速の入り口にさしかかっている。女の手は確実に仕事を進め、屋敷政則の手は女の下着の中に入っていく。

「あなた、子供、殺しましたね。」

一瞬で屋敷は萎えた。手が止まった。

「違いますか?」

「・・・何を言う・・・」

屋敷は女の中から手を引き出そうとするが女がさせない。

素早く耳を寄せてきた。

「・・・仕方がなかったのよね?不慮の事故だった、違う?」

「・・・そうだ・・・」「子供を山に埋めた。これ、『前の前の奥さん』がカウンセラーで話した内容ですよ。さぁ、そのカウンセラーも半信半疑だったようですが、実際に家まで行ったそうですよ。でも、そうしたら子供がいたんで嘘だとわかってとりあえず安心したと。さっきのあのハヤトくんです。守秘義務?さぁ、カウンセラーと言っても人間ですからね。しかも、患者に手を出してましたからね、薬を飲ませて。そのあたりで取引に応じるってこともあるんじゃないですかね。」

「だけど、死んでなかった、見ただろ?そのカウンセラーだって嘘だとわかったと。」

「さぁ、それはその、あれですけど・・・さっきの子、本当にハヤトくんでした?」

「何、言ってるんだ?」

「あなた本当は子供の顔、ろくに覚えてないでしょ。」

屋敷政則は言葉に詰まった。別れた頃、4歳だった息子は実年齢よりも小さくしなびていて父親の前でいつも顔を伏せていた。最後に見た息子、穴の中に横たえた子供の顔は青黒く膨れ上がっていて・・・父親は目を背けてその顔からまっ先に土をかけたのだ。

黙りこくった屋敷に焦れた女が囁く。「続けて。」

屋敷の手は動かない。

「あの子供、内縁の男が連れてきたんじゃないですかね。」

弁護士がハイウェイを飛ばしながら朗らかに声を発する。

「そうなると、どういうことかわかりますか?あなた慰謝料払いましたよね、あの家だ。養育費も払い続けている。決して安くない金を。」

「・・・俺が騙されてるって言いたいのか?」

「不思議に思わなかったんですか?いつまでも息子の不在がバレないことに。あなた、『前の前の奥さん』がいつまでも隠しきれないことを知っていた。あの精神状態ですからね。保育園や幼稚園は隠し通せても、さすがに小学校に上がる時になればどっちみちダメなはずだと。そうなった時に金を払い続けていたことは、あなたが子供の件を知らなかった証拠になる。その為の養育費だったんじゃないですか。」

「だったらどうなんだ。」顔を埋めようとした女の髪を荒くつかむ。髪が抜ける感触。無防備な白い喉元が露わになり、襟ぐりの広いシャツから谷間が覗く。女はブラジャーをつけていない。屋敷の下半身は再びどうしようもなく熱くなる。

「何が欲しいんだ?金か、こんな売女までつぎ込んで!」男は女の首に手をかけて吠える。

「誤解しないでくださいよ。」窓を流れる光景のように弁護士の声は滑らかだ。

「私たちが金にしようとしてるのはあなたじゃない。あの内縁の男ですよ。あなたに求めているのは協力です。」「協力?」無抵抗の女の細い首、屋敷政則の手は緩む。その隙に女の頭はもう一度、沈んでいく。「私たちに力を貸してください。」

「・・・こんな手で・・俺を買おうっていうのか?」

「もちろん。報酬もたっぷり払いますよ。あなた、これから別口の養育費もかかりますからね。でも今、払ってる額がなくなれば・・・そっちに回せる。」

屋敷政則はうなづくのが精一杯だ。

「ああ、それでその報酬ですが。それは、ほんの手付けですよ、お近づきのしるし。後でもっとたくさんお払いします。あなたが『前の前の奥さん』にこれまでに支払った分が取り戻せるぐらいはたっぷりと。」

我慢の限界が近づき、弁護士は唸り声を漏らす男の姿に目を走らせた。

「だって、あなたは色々と鬱憤もたまっているでしょ。奥さんたちともしばらくお見限りだし。好きにしていいんですよ。乱暴にされると、彼女興奮するんですって。」

ついに獣のように声を上げた屋敷政則は女を後部座席に荒々しく押し倒す。

それを背中で感じ、弁護士は上機嫌だ。

「どうぞ、ご存分に。高速を降りて、また乗ってもいいですし。」

 

 

「私より良かったですか?」

満足しきった表情で自宅に向かって歩いていく男を運転席から見送った弁護士が黒い透明フィルムで窓が覆われた後部座席に笑いかける。乱暴にテッシュの箱を戻しながら女は肩をすくめた。

「・・・いいわけないか。」

前を向いたままの弁護士は笑い、女は乱れた衣服をゆっくりと整える。座席の下の冷蔵庫からおしぼりを出し、炭酸を口に含んだ。

「これでいいのか。」

「充分ですよ。屋敷政則はもうあなたの虜です。きっと、協力を惜しまないでしょう。」

「だといいな。」女は体を広い後部座席に横たえた。「しかし・・・しつこい。」

「後で忘れさせてあげますよ。」「言うか。」

弁護士は男が家の中に消えるのを待ってブレーキから足を離す。

「うまくいって、あとはホムンクルスが・・・田町裕子の家から出てくればいいな。」

「あの家は思った以上に呪術的に守られていましたからね。」

「呪術・・・」女は苦笑する。「と、いうよりは『次元』的にって言った方がいい。」

弁護士は横目で女をねめつける。「その方が宇宙的だとしても、私は魔族ですからね。」

「テベレス。」女は笑いをかみ殺し、先ほど眺めた『田町邸』を思い返す。

「・・・少なくとも、あの家は三つの違う次元がかかっているよ。」

そのためにあの家は周りから空間が重くなって、少し沈み込んでいるように見えた。

「おそらく・・・鬼来の村と同じく、どこかへ通じている。」

「はん。次元、次元などというとどこかの霊能者みたいじゃないか、マサミ。」

「そう、まるで基成先生みたいだね。」マサミの表情にかつてあった活力と精気がつかの間宿る。「あのことがあって以来、なんかそういうことに敏感になったみたいで・・・色々と、わかるようになったよ。」

「・・敏感になったのはそこだけですか?」

「馬鹿か。」マサミの足が運転席のヘッドレスを蹴ったが、魔族の運転操作はビクともしなかった。「それより、大丈夫なのか?。」

「・・・大丈夫とは?」

「何か、企んでる。白状しろ。」「さあて。」弁護士は老獪な笑みを浮かべる。

「まさか・・・最初から殺す気か。それに、子供の方は殺せとは言われてない。」

「どっちにしても、ホムンクルスの方は無害化して引き渡しますよ。生きてても、死んでても。あと、依頼者は子供には興味ないようでしたけどね。」「子供は殺すな。」

「相変わらず、マサミは甘い。」だけど私は魔族だ。正直、人の生き死になど興味はない。

「まぁ、善処します。これでいいですか?ホムンクルスの中身の方は・・・相手次第ですかね。」

「まさか、丸腰で出てくるとでも思っているのか?どのような能力や科学技術を持っているかわからないのに?」科学?魔物がせせら笑う。もっとも軽蔑する言葉だ。

「どっちにしろ、あの家の中にいる限りどのような攻撃も、こちらは仕掛けようがない。だけど・・・出てきてしまえば・・・果たしてどのような力があるのかな。楽しみなことだ。」

うっすらと魔族の笑みが肉体から透けて見えるようだ。

「勝てるのかい?」どっちでもいいような言い方だった。

「勝つ気があるなら・・・最初に次元を塞がないと。」

「逃げ道と援軍を断つってことですか?。ふふん、大丈夫。ダメなら深追いはしませんよ。」

(何を企んでいるのかは知らないが・・・)

信用ならないテベレスの笑みをマサミは胡散臭そうに見つめる。

(そう、それでいいんです、マサミ。疑うがいい、だって)

「・・・この星の未来など、私にはあまり興味がない。」


スパイらる・フォー-10

2017-08-26 | オリジナル小説

ハヤトの父

 

 

 

 

「ハヤト」

僕は気がつかなかったんだ。後ろから声をかけられた時は我ながら心臓が止まるかと思ったよ。スキンカッターが丹精込めて作ってくれた特別な僕の心臓がだ。

「生きていたんだな。」そう言って掴まれた僕の腕は痛みに軋んだ。その男から逃げようと身をよじったからだ。その顔は実際に会ったことはないけど、僕の脳に流し込まれた基礎データにあるハヤトの父親。屋敷政則、正真正銘のハヤトの遺伝子上の『父親』だった。

「離して」口は動いたが、声が出ない。大人の男には6歳の身体と力は無抵抗に等しい。

隣でトヨが目を丸くしてもみ合う僕らを見て立ち尽くしている。

学校からの帰り道。校門から歩いていくらもたっていない。頼みの『チチ』がいる我が家からはまだだいぶ距離がある。もちろん、僕は監視されているんだ。僕に何があったのかはすぐに、既に『チチ』にもわかってるはず。しかし、奴がホムンクルスに乗り込んで駆けつけるまでどのくらいの時間がかかるのか僕にはわからなかった。 だいたい、助けに来るのかも。

 

突然、手が離れた。

「イテッ!」屋敷が叫んでいる。

「このガキ!」

トヨが後ろから思いっきり足首を蹴ったんだ。「俺はハヤトの父親だぞ。」

男の体がゆっくり反転する。

知ったことかとその腕をかいくぐり、トヨは僕の手を掴み走る。僕もすぐに全力で走った。

家とは真逆、学校の方向だ。下校してくる子供らが慌てて僕らを避ける。

トヨの考えはわかった。校門まで戻れば見守りの先生がまだいるかもしれない。

追ってくるかと思ったが、後ろから聞こえる声も足音はなかった。

200メートルを突っ走って、校門に飛び込んだ。教師はもういなかったが、ここには入って来れないはずだ。息を切らしながらトヨが校門から首をひょいっと出す。「大丈夫、もういない。」

父は他の児童にブザーを鳴らされる前に逃げたようだ。

「あれ、君のほんとのお父さん?」

「そぉだけど・・・そんないいもんじゃないよ。」僕は膝をしゃがみこんだ。

「DV親父だもの。」心臓がまだバクバクいっていた。

「そうか、そんな感じだったよね・・・」息を整えながら隣に座ったトヨを見る。

「トヨはなんで僕を助けたの?」実の父親と名乗る男から。

「勇気あんね、大人相手に。怖くないの?」君も殴られたかもしれないのに。

「なんか・・・」トヨも息を整えた。「いやな感じしかなかった、ハヤト嫌がってたし。あと・・・ハヤトには悪いけど。」

「悪くないよ。」一滴も血が繋がってないから。

『チチ』が聞いているかと思うと、これは口に出せない。

それにしても『チチ』の気配は全くない。ことの顛末を見ての傍観だろうか。

「なんかあの人も・・・あいつと同じ匂いがした。」「あいつ?」「あの変態。」

ああ、「トヨのストーカーか。」「血の匂い。」

それで全てが・・・わかった気がした。

あいつは僕に『生きていた』そう言ったんだ。

屋敷政則はハヤトが死んだことを知っているか、死んだと思っていたということ。

それっていったい、どういうこと?

基礎データは『ハハ』の記憶がベースだと聞いている。

二人には記憶の認識の違いがあるってこと。

ハヤトは育児放棄で死んで『ハハ』に埋められたんじゃないってことなの?

もしかすると、埋めたのは父親なのか?。そして・・・殺したのも?

『ハハ』の狂った記憶。そこに何か齟齬があったことは僕にもわかった。

当然、『チチ』にだってだ。帰ったら『チチ』に確認しなければ。

「僕の家に行こう。」トヨが言ってる。「今はハヤトは家には帰らない方がいいよ。」

「・・・そうだね。」僕はゆっくりと立ち上がった。

相変わらず『チチ』の姿はない。トヨの家に行くことでいいのだろう。

「先生に言って母さんに迎えに来てもらおう。」

トヨがそう言って歩き出すのと、ちょうど見守り役の教師が早足で校舎から戻って来る姿がハヤトの視線に重なった。