招かれざる客
牡丹は傘を差してマンションのエントランス前に立っていた。
道路を行き来する人や車、背後を出入りする住人もいたが彼には気付いた様子もない。
エントランスにつけられた監視カメラも彼の姿は写していないはずだ。彼は今、少しだけ現実から斜めにずれた次元にいるのだ。牡丹の視界の先にやがて大きな影が現れた。
公園の茂みを抜け、行き交う車の中を轢かれもせず、平然と歩いてくるのは基成素子のホムンクルスだ。腕に抱くように人間を抱えている。見るからにぐったりとしていた。
「姉さま。」牡丹はニッと笑い声をかける。「ご苦労様です。」
「病気ではない、雨に打たれたせいで熱は高いが・・倒れたのはどちかかというと、空腹だろ。」「それは、腕の見せがいがありそうですね。」料理上手の執事はびしょ濡れの顔を覗き込んだ。「・・・かなり憔悴してますね。思った以上に。いつから気がついていたんですか?」
「不法移民の前から姿をけしたと聞いて時から、気をつけていた。勇二も気づいていたろ。」
「やっぱり。兄さまったら、知らん顔を決め込んでいたんだ。冷たいなぁ」
「扱いに困る客だ。」
「ですね。」牡丹は素子の後をついてマンション内に戻りながら考えている。
二人と女の姿はカメラには残らないだろうが、大理石の白い床には水の跡が点々と筋を残していく。『そんなに面倒な相手なら、いっその事、始末してしまえば早いのに。兄さまも姉さまもわからないなぁ』
そう思う側から弱った体にいいおかゆのレシピを脳のデータからいくつかピックアップする。『まぁ、ぼくは皆様の下僕に過ぎないから、どうでもいいけどね。』
カードは揃った
アギュは再び、非物質世界との間にいる。
もともとのカバナ惑星基地の提督の作戦は、『果ての地球』で騒ぎを起こすことで休戦協定に揺さぶり掛けるだけの目的だったらしい。オメガのDNAをカバナに売った裏切り者の存在、中枢内に疑心暗鬼の種を撒くことだ。それは定期的にカバナ貴族たちに絡んでは囁かれては消える、和平の噂をオリオン側から吹き飛ばすことになるはずだった。
しかしそれは『切り貼り屋』という便利な男がたまたま手に入っていなければ、具体的な計画とはならなかっただろう。
『切り貼り屋』が把握していたニコの最初の計画は、神月の関係者であり外部にいる唯一の鈴木家に近づき馴染みになることだった。鈴木トヨが田町ハヤトを連れて、神月を出入りするようになるように仕向けるのだ。孤児となったハヤトは鈴木夫妻の養子となる。それからおそらく、頃合いを見て鈴木夫妻も排除される。トヨとハヤトを岩田須美恵に引き取らせる為だ。こうしてハヤトは旅館『竹本』の子供として、正式な神月の住人になるのだ。
以降、ハヤトを通して地上軍の動きはカバナ軍に流れることになる。
だが例え『切り貼り屋』が同行することになっても、共に潜入するのがニコであったらば、うまく行かったはずだ。遊民の抜け道を使って『果ての地球』に入ろうとした時点で彼らは確実に拘束されただろう。何しろ、連れの子供達は臨界進化を出した為に封じられたオメガのDNAを持っているのだ。正体が早急に暴かれることなど、提督は承知の上だ。
むしろ、そうなることが前提の計画である。
軍属ニコは確かに『捨て駒』だったのだ。
ところが。誤算が出現する。
潜入用の道具が完成したところで、ガルバと名乗る傀儡ホムンクルスがその計画を乗っ取ってしまったことだ。提督の作戦は、連邦のサポートを得たガルバだからこそ実現できてしまったと言える。だが、軍部にとって嬉しい誤算と素直に喜べるものではない。協力する遊民組織と表立って対立するわけにはいかず、軍属ニコとの交代を許したカバナ軍部は不信感を抱いたはずだ。小惑星帯のオリオン軍が、破壊された囮に気を取られてオメガの遺伝子を見逃したなどと信じられるはずはない。『果ての地球』の守りがガルバに甘かったのは、何か絡繰があるのではとすぐに疑いだしただろう。
表向き、遊民工作員であるガルバが実はカバナ貴族の傀儡であることに気づくのも時間の問題だ。カバナ貴族とオリオン連邦の間で秘密裏の和平工作が行われてることにも。
ガルバ貴族たちは、どんな形であれ『果ての地球』に潜入する口実を模索していた。
地上軍の直属の上司、高官イリト・ヴェガが臨界進化体研究の功績者であること、その現在の研究対象がこの星固有の次元生物であるということまでもが、カバナ・リオンに流されていたからだ。
救いは『その程度』の中枢メンバーがおそらくは、アギュレギオンが『果ての地球』にいることを知らされてないのか、さすがにそれだけは情報として与えなかったということぐらいか。
それでも一部にしか知られていないはずの、最高秘密が・・・・・臨界進化体の現在の身分と居所が・・・・カバナに知られる可能性・・・それが暗示された。
イリト・ヴェガは警戒するはずだった。
彼女はまだ知らないが、アギュレギオンが行ったカバナ・リオンへの攻撃が、それに拍車をかけてしまったかもしれない。
軍部と貴族、どちらからでも同じことだ。
カバナ・リオン側が行動を起こせば、アギュが更迭される可能性が増す。
アギュは憂鬱だ。
ガルバの計画は頓挫させたが、その代償は大きかったようだ。
鬼来美豆良とテベレスはイリト・ヴェガが連れ去り、鬼来マサミは基成勇二ことイリト・デラの元へ辿り着いた。
だが、このことは大したカードではない、とアギュと418は互いを慰める。
重要なのは、竹本渡と鈴木トヨ、デモンバルグと巫女、そしてペルセウスまでが揃ったこと。
デモンバルグが隠す古代の秘密が・・・『始祖の人類』をこの『果ての地球』へと運んだ宇宙船の在り処がいよいよわかる時が近づく。そこにある『何か』を連邦が探しているのは、確かだ。『始祖の地球人』がこの地に運んだ、古代兵器、『星殺し』だと言われているが。
果たしてそれだけなのだろうか。
ただ、古代の秘密を解き明かせば『始祖の地球人』たちが自分たちの歴史と記憶、優れた文明、その全てを失って現在に至るその経緯は確実にわかるだろう。
4大天使の記憶でも追えない過去の記録。
カードは揃い、時は満ちる。
いつ更迭が秒読みされ始めるかわからない、アギュの『時』との競争だ。
臨界の頂点に達した今、たやすく拘束されない自信はある。
だが、一体、ここを逃れた自分はどこへと向かうというのか・・・・
「アギュ、果たして」418がアギュの思考を中断させた。
「ペルセウスはなぜ、『切り貼り屋』をカバナに返したのでしょう。もしかすると・・・ステーション提督の目論見を知っていて、渡したとも考えられませんか。我々の暴走はともかくとして。ある程度はこうなることを予想していたということは?」
「ワレ々のリンカイがカンセイすることもフクメテか?」アギュの口調は皮肉を帯びる。
アギュはあたりの空気を嗅いだ。以前は留まるのも苦痛だった空間が今はそれほどでもない。
意識的にそこに自らがにじみ出ていくイメージを抱く。
『グアナク』アギュは試しに呼びかけてみる。
近くにいる気配が強まる・・・いや、ずっとそこにいたのか。
物質世界と非物質世界は常に背中合わせだというのだから。
光が現れた。
『・・・チカクにいるとはイッテいたが・・・ホントウにヨベばすぐにクルほどとは。』
アギュは笑ってしまう。ペルセウス人はこの間よりも輪郭がはっきりしている。
『コダイにペルセウスと接触したミコとは、アーメンナーメンと言うナマエだったのか?』
『 名前は記録にない ペルセウスに 答えは ない 』
今度は言葉として、はっきりと聞こえた。アギュは驚く。
『グアナクなのか?』
『 グアナクではない 別の個体 しかし グアナクと呼ばれても構わない 名前などあってもない 我々は同じもの ペルセウス 』
意を吟味する。『つまり、オマエはグアナクと同じペルセウス人だということだな?』
『 大きな意味では 』
そう答える姿はかつての『輝くナメクジ』を連想させた。滑らかなで肉枠的に見える。
『 ペルセウスはまだ 移行の過程 物質世界と非物質世界 その間にあるものもいる あなたたちと同じだ 』
『・・・常態としてカンゼンリンカイしていないということか。』そうだと場が震える。
『 物質である言葉 操るものとして グアナクでもある より不完全な私 』
ちょっと尊大になる。『では、オマエにキイテもいいんだな』相手の肯定。
『オマエタチがこのホシまで追ってきたナゾはわかったはずだ。ユウミンもジブンのニクタイを取り戻した。オリオンのテンマツを見届けるというグアナクのコトバはどういうことなんだ?』
『 文字どおり 遊民 カバナ 臨界体の噂 見届ける 一興 』
「ああ?オレに対する興味本位ということなのか。フン、野次馬根性とはえらく物質的ではないか。」アギュは呆れ、思わず言葉を吐き出してしまう。相手も笑った。
『 まだ 不完全 確かに 』 ホントだなとアギュ、嫌味。
「私達はこのオリオン連邦で今の所、ただ一人の臨界した人類なのです。」
割り込んだ418はプライドの高いアギュが聞けない質問をする。
「いい機会です。私は自分たちに何が起こっているのか、これから何が起こるのか知りたい。知らなくてはいけないと思っているのです。だからあなた方のことを教えてください。」
『 ペルセウス 何億、何千万をかけ 今の状態 やがて完全に 次の世界 』
「次の世界?非物質界を得て・・・さらにということ?それは果たしてどういう?」
興奮に418の語尾は震える。
「ペルセウスに起こったことを知りたい。それは、私達にも・・・もしかすると、オリオン連邦にも起こることだというのですか?」
『 オリオン まだ理解できない ペルセウス 理解し受け入れるまで 時がいった 』
仮称グアナクは語る。
自分たちがかつて今のオリオン連邦人のように惑星を開拓し、惑星連邦を作り上げたことを。やがて徐々に細部から個体の臨界が始まった。その混乱が集団に広がり、全体へと収束するまでにはあらゆる争いや抗いがあり、やがて諦めと受け入れが生まれていく。
『 今 ペルセウス腕 全体統治する 形ある生物 いない 開拓星 長い時を得て 野生の惑星へ 戻る 移行する 最後の心残り 』
沈黙していたアギュの脳裏に理解が閃く。
「・・・・レンポウにもカバナにもワタシたくないとイウことか。」
『 程なく 整理がつけば 完全に 移行する 』
「つまり・・・このままではいつかペルセウスが吹っ切った時点で、ペルセウス腕の星々は、カバナ・リオンかオリオン連邦が自由にすることになる、そういうことですね。」
オリオン連邦では今や野生の惑星はほとんど存在していない。
人が入植するにあたって全ての惑星は開発管理され、改造された。人類に脅威に当たると判断されたものは全て排除、改良されたのだ。よって、人類が生息する星の共存生物はとても少ない。環境が変わったことでほとんどのものは野生では生きられなくなった。それらは(細菌に至るまで)連邦で研究され尽くされ、データ化されている。死んだものは標本化され、そうでないものは選別され凍結保存(スリープ)された。脅威に当たらないとされたもののいくつかは、資料展示惑星(動物園のようなもの)で観察することができる。研究者専用の惑星から、子供から大人まで庶民が見物する人気の観光コースまで段階化していた。
オリオン人がペルセウス腕に侵入することはそういうことを表す。
おそらくペルセウスの管理方法と全く違う、相容れないと言いたいのだろう。
「愛着のある惑星が蹂躙される、それが最後の気がかりということですか。」
「ソウカ、そういうことか。」418の静かな言葉にアギュも続ける。
「ペルセウスはオリオン人たちがジブンたちとオナジウンメイをたどるのかどうかカクシンがホシイんだな。カプート、オマエと同様にだ。」思わず、418の名前を呼んでいた。「オマエのヨミも当たっているのかもな。カバナがオリオンにチョッカイをかけようとしているトキに、キリバリヤをカバナでカイホウしたことだ。」
『 遊民 知識 体験 噂 豊富 』
「オリオンとカバナも、同じく、ナガイネンゲツをかけてヒブッシツカイへとイコウするソンザイなのか、カクニンしておきたかったんだろう。だから、オレたちにチュウモクしたんだ。それが、ペルセウスのようにやがてゼンタイのチョウコウなるのか。」
『 カバナ人 臨界 秘密 探る 』
「臨界化は現在はオリオンの原始星人で7人目でしかありませんが・・・やがて、カバナ人やオリオンの遊民、ニュートロンたちにも広がるのでしょうか?」
418のつぶやき。ペルセウスはランプのように輝き、肯定も否定もしない。
オリオンがどのような肯定をたどるのかは、彼らにもわからないのだろう。
物質界から退場しようとしている彼らはもう主体的主役ではない、ただ見守るだけの存在なのだ。「そもそも・・・なぜ、臨界は起こるのですか?」
『 おそらく 』ペルセウスの言葉も速度を落とす。『 必然 』
「必然・・・防ぎようのない?・・・進化ではなく、行程?」418は思考し、沈黙する。
しばしの沈黙の後、アギュの言葉も重い。
『ペルセウス人、オレはまだオリオンからトウボウするにはヤリノコシタことがある。もしペルセウスがカンゼンにイコウするトキに間に合えば、オレらもそのドコカヘいけるのだろうか。』
『 望むなら 受け入れれば 』
「ウケイレル?まだ、トウブン、ムリそうだな。オレは」やっとアギュは笑えた。晴れ晴れと。
「オレらがトウボウできたトキに、まだペルセウスが残っていればシメタものだ。」
『 ペルセウス 拒みはしない 』
「デモンバルグと古代の関わりを解いた後でだ。」
『 解くがよい 』
『 時間 その時は 無限 』
謎のような言葉を残し、ペルセウスの気配は去った。
だけども彼らが常に側にいる。
アギュを、オリオンの顛末を見届ける為に。
『やはり、オレたちは導かれているのか、操られているのか?』
アギュは次元の高みから降下を始める。
『私は操られててもいいです。人類の未踏の世界に行けるのならば。』
『スベテは・・・コレカラだ。』
「解けるだろうか」口に出した疑問は荒い粒子に削り取られ言葉にならない。
『解くしかない』思考は光となりアギュの中で輝く。
向かう神月にはまだ鈴木トヨがいるだろう。
『なによりも、知りたい。』
「ジブンが解きたいのだ」
スパイラル・フォー 完