MONOGATARI  by CAZZ

世紀末までの漫画、アニメ、音楽で育った女性向け
オリジナル小説です。 大人少女妄想童話

スパイラル・スリー 第十二章-4

2014-03-31 | オリジナル小説

         リウゥゥム

 

死体の山の中にただ一人、残された生者は鳳来一人。

そのはずである。しかし。

突如、倒れた鳳来へと歩み寄る女が現れたのだ。

どこから現れたのか、死体の山の中から忽然と立ち上がる。

銀髪であるが、顔は鬼来リサコのそれ。年齢は不詳。

女はしばらくコントロールルームの空間を見渡したが、おもむろに肩を竦めた。

眼球だけを動かして鳳来は女を捉えた。

「・・・生きていたのか?」

「あなたも見た?」

「何をだ・・・何も。」とぼけているのかどうなのか、鳳来は唾を飛ばす。

「見る分けない・・そんなことより、おまえは・・・オリジナルなのか?」

「ええ、当たり前でしょ。わたしはクローンの達人なのよ。」

女は男の体の下に手を入れて体を起こす。鳳来も力を入れてそれに力を貸した。

「傷が開くな・・・」顔を顰めた。「この出血では長くはない。」

「大丈夫、さぁ任せて。」小柄な女は小柄な鳳来を抱き抱えるように司令塔の上に軽々と飛び上がる。「さぁ、ここに横になるの、楽な姿勢で。」

鳳来の体を膝で支え、腕で包み込む。

「やめろ・・・」男は身動きしたが、弱い抵抗であった。

「すると・・・なんだ、あれは・・・あれもクローンだったのか?」

床の上で死んでいるリウゥゥム。同じく鬼来リサコ。

「そうよ。どうせ、あなたは後先も考えずに真っ先に殺すだろうから。普通、予測するでしょ。黙って殺されるバカはいないのよ。あなたに言ってやりたいことは山ほどあるんだから。言わずに死ぬなんて芸当はわたしにはできない。」

覗き込む顔はよく見ると細かい皺が刻まれている。しかし受ける印象は今までのどのクローンよりも若い。「だから隠れて成り行きを見ていたの、ずっと。」

「俺が・・・あいつに殺されたら・・・どうしたんだ?」

「彼はあなたを殺さないわ。だって、ほらあの霊能者が来たじゃない?」

「知ってたのか?」「この船の中の全てをわたしは把握している。あの霊能者、やっぱり連邦の回し者だったじゃない。ドワーフ達にはNASAの関係者だと思わせようとしていたけれど。用心しといて正解だったわ。」

「全部・・・あれは芝居か?」「そう、連邦に見せる為の命がけの芝居。勿論、美豆良や雅己も含めてね。わたし達やあなた達、よね?」

女が床に広がる死体の山にそう呼びかけると床や壁の空間から数はそんなに多くないがドワーフと行方不明の村人達が現れた。

「生き残ったのはこれだけ。」

村人とドワーフ達にマザーが優しく呼びかけると彼等はみなほっとしたようにように膝を折った。

「よくやったわ。さすがわたしとあなたのDNAを持つ者達よ。ほんとうにありがとう。」その言葉で幽鬼のような者達は等しく笑顔を浮かべる。涙を流している者もいた。やり切ったという満足感だ。同じく体を張って演じ切った死者達をねぎらうかのように彼等はそれに触れ、傷だらけの体に口づける。

「なるほど。」今度こそ、苦労する事無く男は笑った。「確かに・・おまえだ。」

「あなたがわたしを捨てて行ってしまった時、どんなに悲しくて寂しかったか。」

本物のオリジナルは愛しそうに男の顔の皺に触れた。

「寂しくて寂しくてクローンをたくさん作ったわ。一人でいるのが辛かったから。おかげでただの素人だったわたしはクローンマシーンの熟練者になってしまった。失敗もたくさんしたけれど、そのおかげでいっぱしの研究者並みにはなれたと思うの。」聞き慣れた低い声を聞きながら鳳来は目を閉じた。

血に染まったもう動かない腕を女はさする。

「作っても作っても・・・あなたとわたししかいなくて。余計にむなしくなったの。」

女は男の頭に自分のそれを寄せた。「だから、子供が欲しかった。」

「・・・子供など・・・」鳳来はつぶやく。「わたし達にはできない・・・与えられない・・」「いいのよ。」女は囁く。「それはもう、いいの。」

言葉は子守唄のように心地よい。

「わたし、クローン技術に精通したって言ったでしょ。わたしね、少しづつ修正するやり方がわかったの。わたし達は男と女のDNAを一つの受精卵で混ぜ合わせて、二つに分けたものでしょ。二つの性をもともと与えた上でホルモンの調整をしたって聞いたわ。少しだけ男よりになるものと、女よりになるものを作ったって。わたしもね、この星の人類のものを利用したわ。かわいそうだったけど・・・何人も殺しちゃった。ドワーフもたくさん産まれてしまった・・・でも、諦めたくなかった。乗りかかった船じゃないの・・・何よりも暇だったしね。そうやって作った卵子と精子、受精卵。それをベースにして・・・とにかく繁殖能力のある体を手に入れたかった・・・それは、叶ったわ。」

「・・・叶っただと?」鳳来の口が驚きで開く。その口元に女も口を寄せる。

「ええ。とうとう子供を作ったの。」「ばかな・・・」「ばかじゃないわ。」

女はいよいよ男を胸に抱き寄せた。「すごく時間はかかったけれど。あなたが殺した鬼来リサコはやっとできた始めての単性の雌・・・美豆良は始めての単性の雄の完全体。その間に大急ぎで子供を作ったの。勿論、自然分娩できる体ではないからその辺の育ちはクローンとおんなじだけど・・・」

リウゥゥムは勝ち誇るように高らかに笑った。

 

 

 

 

 

         離脱

 

「さぁ、行こう。」アギュがドラコを促す。(信じられないにょ!いったい、何人いるのにょ?今度こそ、オリジナルの本物にょ?)「そうです。」アギュはうなづく。

「カレラの終焉はワタシ達が覗き見していいものではない。」

じゃあ、逃げた方は追わなくていいにょ?ドラコなら追ってもいいにょ!きっと気が付かないと思うにょ。)ガンダルファから離れてもお腹が空かない自信なら既にある。「ほっておきましょう。」アギュは興味を無くしたように場をさっさと離脱する。

「ホウチせよ、とはイリトのメイレイなのですから。」

「あとのセキニンはオレ達にはない。」アギュはニヤリとした。「イリト・ヴェガもいささか裏をかかれたな。いや、かかれたこと自体、知っていたのか。食えないオンナだからな。」

「ウラをかかれたのはチュウスウです。イリトはきっとシラを切り通しますからね。」

「シンのメンドクサガリだな。ユカイだ。」

自問自答?を聞きながら、やっぱりアギュはわからない、とドラコは思った。

リウゥゥムの話したことの重要性はよくわからなかったが、このことは後でガンダルファに相談すればいい。アギュも今回は言うなって言ってないし。

契約を守るドラゴン、ご注進にょ!

ドラコはアギュから離れ一路、契約者を目指す。

 

 

           雅己

 

「兄貴、なんだって?」鬼来雅己は信じられない言葉を聞いている。

「なんて言ったの?」鬼来美豆良はその言葉を繰り返すことなく、手にした首を抱え直した。2人は鳳来の通った通路の出口に差し掛かっている。雅己は基成勇二から受け取った毛皮をきつく体に巻いていた。

「それより、この首はもう捨てなくてはならないな。外部に持ち出すことはできない。マザーの為に。」

「兄貴!」美豆良は追いすがる雅己を躱しながら、首を顔の前に掲げる。

「テベレス、さぁ、約束した通り俺の体を使うがいい。」

「いいのか?」魔物は一応、確認する。「いつか意識を食い尽くされるぞ。」

「それでいい。」「良くない。」雅己は食ってかかる。

「もう一度、どういうことか説明しろ!」

「だから。」美豆良は面倒くさそうに繰り返した。

「おまえはリウゥゥムのクローンじゃない。この俺も鳳来の純正クローンではない。おまえの母親のリサコも。おまえは俺とリサコの子供だ。」

 

        この星の子

 

「どうやら・・・行ったようね。」

部屋の中央にリウゥゥムは目を漂わせた。「蒼い光・・何ものなのかしら。」

アギュ、と呼ばれていた。ワームドラゴンもいたようだが、それとは違うらしい。

リウゥゥムの代わりを努めた最も古いクローン体には蒼い光が見えた。鬼来リサコにも。オリジナルであるリウゥゥムには見えはしなかったが、長年の努力の結果かもしれない(鳳来に言わせるとこの星に染まったのだ)何かしらの存在を感じるとる事はできた。そして霊能者の背後に現れたそれ。確かな光。コントロールの空間に生じた熱と圧迫感。そう、まさに次元の中のバグのように。今、それは消えた。

でも、とリウゥゥムは思う。もう、どうでもいいことだ。この星に魔がいてもいなくても、連邦の進化体が新たな進化を獲得したとしても。どっちみち自分達には関係ない。広い宇宙には自分にはまったくあずかり知らぬ存在がいることなど、もう既に知っている。そう例えばワームドラゴンとか・・・そうあと、なんて言ったかしら?人間が最高に進化するとかいう現象だわ・・・そう臨海進化とか言う。ひょっとしてそれかもね?こんな果ての地球に?不思議だけど。

彼女は微笑む。だから、この星に何がいたって不思議はないのよ。

腕の中の男を女は見下ろす。可哀想な人、意固地な人。クローンと言っても、子供達はそれぞれに異なっている。わたしは方向性を出しただけだから、それぞれの思惑が完全には一枚岩にはならなかったように。この人は認めたがらないけれど・・・いわば同じ車を運転している別々の運転手。言われた事だけを忠実にやるロボットではない。あの子達とずっと暮らしていたわたしとこの人はまるで違ってしまったようね。ホムンクルスで兵隊遊びをして王様になっているのがいけなかったのよ。結局、お山の大将で生きることを選択してしまったから脳の刺激が少なかったのかもしれない。頭が固くなるばかり。

見えないもの達をもっと早くに受け入れていたら・・・彼も・・・わたしも何か、運命が変わっていたのかしら?神か悪魔かも知れない・・・先ほど感じた何か。

「そんなことどうでもいいと何度、言わせるんだ。」

何も感じなかった男がじれていた。

「どういうことなんだ?」女は目の前の男だけに気持ちを戻す。

「いい?あの子はほぼ生粋の祖の地球人の子供。」

男は首を振る。「ありえない・・・」

「果てしない遺伝子操作の結果とはいえ、この星の上で産まれた原始人類。」

「両性が・・・あるではないか。」声は弱々しい。

「それはあの子自身もだます為にあえてそうしただけよ。なんの問題も無いわ。2000年のスパンで生きる体なのよ。あれは今も成長段階。25年なんてほんの子供、思春期を過ぎれば次第に片方の性は消えていく。」

 

           憑衣               

 

雅己もまだ受け入れていない。「でも、でも・・・!僕は男で・・・女だろ?」

「マザーはおまえが自分で選べるようにとりあえずそう作った、おまえはな。

俺は女のあそこなんてついていない。」

 

美豆良はもどかし気に追いすがる雅己を押しやる。

「ここを出れば近くに隠れ家がある。そこに最低限の医療設備を移した。そこで男性ホルモンか女性ホルモン、どっちでもいい。過剰に摂取すればどちらかになれる。勿論、そのままでいるのも自由だ。だけど、性が変われば顔も変わるぞ。連邦も簡単には追えなくなる。テベレス、おまえが俺に憑衣すれば俺の顔を替えられるか。」

「雑作もない。」雅己に似る女の顔。その顔に巣食う魔物が請け負う。

「さぁ、もう時間がないぞ。」

雅己が絶句した隙に美豆良は首に口づける。

魔物は素早く美豆良の中へと侵入した。

 

               

      リウゥゥム(オリジナル)

 

「連邦をだますには、まずあなたをだまさなくてはならなかった。」

リウゥゥムはそう微笑んでパートナーの目を覗き込んだ。

 

来るべきものが来るとわかったときから、わたし達は雅己をどうするべきか議論したの。わたしとあなたはいい、もう歳だし2人でした約束を果たして無になる覚悟がある。だからここ200年ばかりは完全クローンは作らなかった。すべてを清算して死ぬのに邪魔ですものね。でも、さすがあなたとわたしのクローンだわ・・・みんなの方から言い出してくれた。連邦に連行されるくらいなら、一緒に滅びたいって。そりゃそうよね。他に選択肢がないんだから。可哀想だけど。でも、心がない実験動物みたいに扱われるよりはずっといいわ。過剰に造られたクローンに人権は認められないのが、今の連邦。一番若かった、鬼来リサコも300年は生きたわ。

まったく新しく産まれたのは美豆良と雅己だけ。

 

「子供こそが・・・最も邪魔なんだ。」鳳来がつぶやく。

「そうね。まったく、その通りだった。」言葉と裏腹にリウゥゥムの目は微笑む。

 

雅己の存在だけが問題だった。

彼を連邦に渡したくなかった。自由にこの星に生きて行って欲しい。わたしとあなたがこの星に降り立った時のように。例え、業を背負ったままでも。自分なりの存在を精一杯生き抜いて欲しいかった。幸せになれるとか、なれないとかではないの。

昔の約束を守ってあなたが『呪い』を遂行し始めた時は嬉しかったわよ。

あなたを利用出来ると思ったからね。連邦への目くらましに。

わたし達も『神月』という土地に部隊がいるとわかってから探りを入れていたの。

あなたもしたようにね。

ナグロスのいる『竹本』がかかわりを持っていることはわかったでしょ。そこの関係者でその土地から離れているのは岩田譲だけだった。

彼に近づくことは雅己に任せたの。

 

「おまえは死にたくないから・・・岩田譲を利用しているのかと思った。」

「それで、怒ったんでしょ?」

「そうだ・・・」鳳来は唇を歪めた。女の手が押さえ続けていた鳳来の傷からは血の流れは止まっている。「何が、なんでも約束を果たさせてやるとな・・・」

「相変わらず、短気なこと。いい、あなたはわたしの手の中で踊っていたの。」

 

魔物に関しては・・・あれはまったくの美豆良の独断。

わたしだってさすがに魔物は半信半疑だったもの。さっき首が話すまでね。

ただ、みんなが感じるというから反対はしなかっただけ。それに信じたい気持ちもあった。だって、面白いじゃないの。

わたし達が選んだこの星がそういう特殊な一面を持ってただなんて。

 

「あなたの側にいつもいるホムンクルスに魔物が憑いていることに最初に気が付いたのは美豆良なのよ。」

「は、・・・魔物とは。」鳳来の土色の唇が歪む。「こりゃ、びっくりだな。」

「美豆良はドワーフと共に神月やあなたの同行を常にさぐっていたわ。雅己のことも心配だったのね。東京にも何度も行っていた。そして魔物を見つけた。」

まだどこかで意地になっている男を女は穏やかにほぐしていく。

「何度か接触して、説得したみたいね。自分の方が優良物件だってね。もうすぐ死んでしまうあなたよりも、自分と契約しないかって。」

「・・・わたしは契約などしとらん。」

「ねぇ、リャーダ」「その名で呼ぶな。淫売宿の源氏名など捨てた。」

女がリウゥゥムという名を捨てないことも男のいらだちの一つだった。

でも、これもこれでわたしには大事な名前・・・と女はいつも笑い返したものだ。

「魔物はね、たぶんあなたが好きだったんじゃないかしら。」女は構わず続ける。

「説得には随分、時間がかかったみたいだもの。」

鳳来の単性クローンである美豆良。その若い面影を宿した美豆良を持ってしても。

「・・・知るか。」苦々し気に男は毒づく。その毒すらも女は懐かしむ。

「無事、契約してからは・・・魔物はわたし達のスパイとなっていたの。」

ねぇ、知らなかったでしょと。

 

魔物のことは美豆良に任せて、わたしは大急ぎで雅己と美豆良のクローンを作ることにしたの。あなたに殺される為だけの不完全なものよ。霊視の後で雅己は入れかわっていたの。岩田譲がずっと一緒にいたからあなたはさぞやりにくかったでしょうね。あなたのことだから面倒で雅己と一緒に彼も殺してしまうんじゃないかという期待が美豆良にはあったみたい。でも、わたしはあなたを信じていたわ。だって、彼を殺せば連邦が介入してきて、あなたはここに来てわたしに『呪い』を遂行できなくなるもの。

それはわたしも、最も喜ばない展開。

でも、連邦の霊能者がうまいことしてくれたわ。

もともと充出版がああいう本を作っているから、霊能者が介入してくることは想定内だったけれど、あんなに優秀だとは思ってなかった。霊能者は『呪い』に担ぎ出されて何も出来ず、雅己がおかしくなったことで手を引くと軽く考えていたの。

そして村人が消えて村が消えて、この『鬼来村』は伝説としてだけ残る。この星の人々の記憶の中だけ・・・それが、わたしの贅沢なシナリオ。

せっかくこの惑星で2000年生きたんだもの。それぐらいは許して欲しいじゃない。

この星に『染まった』のでも『女だから』でもないわ。

わたしはきれいさっぱり、跡形もなくっていうのとはそこが違うのね。

あなたは自分が死んだあとはどうでもいい、そういう人だもの。

 

「雅己ができなければ・・・。」

「そう、最も想定外は雅己。」鳳来の冷え行く体を温め続けているのはリウゥゥムの肉体の熱だ。そのほかの者達はじっとそれぞれにその時を持っている。

「彼を残すことを許して欲しいの・・」

「まったく・・事後承諾じゃないか。」不満げに、しかし鳳来は目を閉じた。

「いい・・仕方がない。」

「良かった。」女もつかの間、目を閉じる。

「では、もうこの船は必要なくなったわ。」

女は自分と男のクローン達に命じる。

「すべて次元防御を100%解除して。この船に繋がったありとあらゆる次元を一気にこのコントロールルームに解放する。」女は彼女が愛した男の耳に再び口を付けた。

コインの表であり裏である。両方を合わせ持ったふたつでひとつ。

「わかるでしょ、次元に生きる微生物達は解放され、この船を保っていたエネルギーの全てが次元と異次元の狭間で行き場を失う。船は耐え切れずに自爆するの。」

「それでいい。」鳳来は女の腕にようやく全体重を預けた。

「・・・おまえの話はいつだって長い・・・」

今、鳳来は女の体温に包まれている。肌も言葉も、吐き出す息、全てから熱を感じていた。鳳来の知らない母親の胎内というものはこのような感じであろうか。

かつて、そこから全力で逃れようとしたのだ。

リウゥゥムという枷から。

しかし。自らを終える今。この時。

「結局・・・ここに戻って来たかったのだな。」

もうひとつの『自分』と死ぬ為に。

つぶやきは微かだった。

すべてが船の立て始めた警告音にかき消される。

 

 

          集約

 

「嘆いてる暇はない。」

魔物は首を捨て、雅己を促した。

「美豆良は私であり、私と共に存在する美豆良になっただけだ。」

「でも・・・」雅己は泣いている。孤独で。押しつぶされそうで震える。

「無駄にするな。」魔物は容赦なく叱咤した。

「美豆良の記憶のすべてを私は手に入れた。なんの為におまえと2人、私と契約させたと思う?おまえのおじ夫婦だけではない、自分の肉体までを私に捧げた。すべておまえの為だ。」

そのすべてを受け取ったテベレスはかつてないほど、巨大になり力に満ちた自分を感じている。今ならそう、さきほどの悪魔にも勝てるかもしれない。

しかし、その時。

「あれもおまえの為だ。」

次元の穴の奥で弾ける膨大なエネルギーの爆発。

「誰も彼もがおまえを逃がす為に捧げた。」

魔物は急ぎ、契約者を胸に抱く。

「その思いを受け取って私と来い!」

熱と破壊。

その第一波が到達する前に魔物はそこから逃れている。


スパイラル・スリー 第十二章-3

2014-03-31 | オリジナル小説

         霊能者再び

 

その時、鼓膜を打つような重い響きが2回。場を揺るがした。

不完全に乱れたままの魔方陣が、とりあえず問題はなく作動し始めたのだ。「?!」

言葉を発するよりも早く、美豆良のからだがはね飛ばされる。

その前に鬼来雅己は首を持ったまま、中空に逃れている。

中心から飛び出したのは、弾力のあるゴムまりのような肉体。

「自分殺しは父親殺しよりも罪が深いのと違うかしら?」

息を切らし、瀕死の鳳来の前に飛び降りたのは基成勇二である。

「この人はもう長くない、死に方は選ばせなさい。」

「霊能者か!」

庇われてプライドが傷ついた鳳来は勇二に一撃を繰り出したが傷つけることはできなかった。鳳来は信じられないものを見るように自らの拳に、目をやる。

鳳来に背を向けたまま、霊能者は美豆良に対峙する。

「あなたが作ったの?勉強したわね!でもこんな古くさい魔方陣、私にかかっちゃ、昔のゲームボーイみたいなものよ。仕組みは簡単、操作はわけもないわ。」

「いつだって科学に対抗するのは魔術なのさ。人の念じる精神波は理屈じゃないからな。」ただし、その魔術も連邦の中枢では解明されているという噂だ。それは封印されていたが・・・なんでも最後の脳波の脳波であるω波というものが?いや、それは今はどうでもいいことだと勇二は振り払う。

「こいつは死んだはずだぞ!首を取られても生きているとは!」雅己の持つ首が叫ぶ。「こいつもホムンクルスなのか!?」

「魔物はそこね!」目をきらめかせると恩知らずの鳳来を見捨て、雅己へと飛翔する。「雅己くん、魔物をよこして!」「ダメです!だって、これはっ!」

相手は後ろに飛び壁を蹴って距離を保つ。「僕が契約したから・・!」

「そんなこと、私に渡せば関係ないわ。解放したげる、契約から。」

「余計なことをするな。」美豆良がその進路に飛び塞がる。首も吠える。

「気を付けろ!NASAの回し者だとさっき死んだもう一人が言っていた!」

「・・・テベレス、NASAじゃない。わかったぞ。霊能者だなんて嘘だな。」

2人は睨み合った。

「どうかしらん?この星の人類もなかなか優秀よ。」

「マザーも怪しんでいたんだ。おまえも連邦の回し者じゃないかと。上陸部隊か。」

「だったらどうすんの?鳳来のクローンさん。」

対応出来るすべての次元に美豆良は自分を解放する。美豆良は今、現実に平行して存在する幾つかの次元にはみ出したのだ。

「あら、さっき死んだクローンよりもあなたは能力があるのね?なぜかしら?精度に差があるみたい・・・」基成勇二も構えてそれに対抗する。

勇二の対応する次元は美豆良より容積が広くそして数が多い。次元にはみ出した質量の差は歴然と美豆良にも伝わり、さすがに顔が引きつった。

「おまえは・・・進化体なのか?」

「ええ、そうよ。始めて対峙するんでしょうね?」基成勇二は油断をせず、次元から間合いを詰めて行く。「本物の宇宙人類とは戦うのは始めて、よね?」

勇二の一撃を美豆良は辛うじて躱した。端で見ていると2人の距離にはなんの変化はない。何が起こっているかは次元に対応出来る者にしかわからないだろう。

「今のはお試し体験コーナーってとこよ。」相手が体勢を立て直すのを待った。

「美豆良、私に任せろ。」雅己の腕の中、首が叫ぶ。

「望む所よ。」勇二は先ほど感じた魔物の質量を思い出し、武者震いする。うまく行けばこの星の次元生物の限界を体で感じる事が出来る。600光年先からしきりに守護天使が警告してきたが勇二の中のイリト・デラは応じない。「見てて・・・どこまでやれるか、私のすべての力で行くわ。確かに次元防御のある船内ではちょっと狭いけど・・・」つぶやいてから美豆良を見る。

「ヘタすると壊れるかもね?古い船だから。」しかし危険はつきものだ。

「美豆良、私とあなたならできる!」哮る首。

「そうだな。」美豆良が首に手を差し出そうとした瞬間、対する基成勇二の背景が変化した。通常の人なら気が付かない変化だろう。でも、次元能力を獲得している美豆良にはわかる。勇二の影がシルエットになった。蒼い光が空間からにじみ出て勇二を背景から照らしたのだ。「!」美豆良は目を細めた。「なんだ?援軍なのか?」基成勇二の質量が2倍にも3倍にも感じられる。『ありがとう、アギュ』勇二に潜むイリト・デラが意識下で囁く。『あの魔物が本気でかかって来たらわたしも自信がないかも。だって正直、魔物との戦い方はまだ、試行錯誤中なんだもん。』

魔物にも勇二の背後の存在が伝わった。「なんだ?あれは・・・天使族?」つい先ほどデモンバルグに圧倒され、鳳来を捨てて逃げたことが脳裏をよぎる。あれが良い縁の切れ目となった。鳳来はどうせ、司令塔ロボットが破壊されたと判断して既に思い出す事もないだろうから。魔なのか、天使なのか。どちらにしても相手の持つメモリーは自分のそれを遥かに凌駕する。「美豆良、やってみなければわからない。」

デモンバルグの圧倒的な重い質量とは毛色が違う。デモンバルグはブラックホールのように一点に凝縮された底が見えないエネルギーだ。デモンバルグがしたようにテベレスが彼に歯を立てたとして、齧り取る事は到底叶わないだろう。そう、瞬時に判断した吸血鬼だったが、今回の蒼い光の場合、質量は重いとも軽いとも取れる。自分よりも上なのか、下なのかやってみなければわからない。

すべては経験。魔物の好奇心は向こうみずをわずかに押さえ込む。ダメなら美豆良と雅己を捨てて、先ほどのように逃げるだけだ。テベレスは契約に厳密に縛られる魔物ではない。

人は知らないが・・・契約を結べば悪魔が自分を守ってくれるだなどとは迷信に過ぎないのだ。すべては長い時間を生きる退屈な悪魔の余興。興にのせられるか、られないか。古代からの物語を信じて、それを律儀に信じる美豆良も愚かものだとテベレスは内心思っている。そこが自分しか信じようとしない用心深い鳳来とは違う。

「だめだ・・・時間がない。」美豆良は唇を噛んだ。相手を短時間で倒す事は到底不可能だった。迷いと失望が陽炎のように闘志を鈍らせる。

「何ものなんだ?連邦の霊能者・・・おまえの背景には何がいる?」

「神・・・」勇二は蒼い降臨を背負って微笑む。アギュが苦笑いするのも構わず。「なんてね♡」

「兄貴!」すかさず雅己が叫んだ。「もういい。行こう。」

そして基成勇二にすがるように「ごめんなさい、お願いです。」

「・・・またとないチャンスなのに。見逃せてっていうの?」

基成勇二も迷ったが、美豆良に習いしぶしぶと戦闘態勢を解く。アギュも再び、美豆良と魔物が感知出来ない深部の空間へと身を引いた。

「ありがとうございます。」雅己が頭を下げる。首だけがまだ不満げに唸っている。

「雅己くん、行くの?。」基成勇二は雅己を見つめる。「譲くんが悲しむわよ。」

「彼は・・・彼には・・・」一瞬、苦悶の表情が浮かぶ。「僕を憎むでしょう。」

戦いを諦めた勇二だったが、好奇心は顕在である。

「なぜ、譲くんに近づいたの?利用するためだけだったの?」

「僕は・・・」雅己は一瞬、絶句する。「僕は・・・彼が羨ましかった。」

「あなたは鬼来村しか知らなかったからね。」

「友達がいて仲間がいて・・・上陸部隊の周辺にいる人間を押さえていた方がいいって決めたのはマザーだけど・・・」

「雅己はいつかこうして村を離れる。」

美豆良は勇二の動きに警戒しつつ後ずさると雅己が抱いていた首を受け取る。

「その訓練も必要だったのさ。社会勉強だよ、進化体。岩田融は一人、家族から孤立していた。大学時代から超常現象サークルをやって、充出版に勤めていたから洗脳もし易かったのさ。」

「彼とはすごく話があった。」楽しかったよとつぶやく雅己を美豆良は横目で。

「楽しいだけじゃ、いけなかったんだがな。我々が魔物と契約する近くには譲を置いておく必要が会ったんだ。鳳来を牽制する為に。」

「彼は人質であり、お守りでもあったのね。」基成勇二はうなづく。「でも、あなたはいつも譲くんを殺されるかの命のギリギリに巻き込もうとしていた、違う?」

「鳳来は岩田譲を殺すなと命じていた。」美豆良の腕の中の首が割り込んだ。「殺そうとしたのは私の独断だ。」魔物は笑う。「なんせ、私は血が大好きなんですよ。だから、鳳来といたんですから。」「そして、今は・・・宿主を変えたってわけね。」

魔物が鳳来と別に契約していたわけではないことは勇二は知らない。

「譲に手を出して寝た子を起こすほど鳳来もバカじゃなかった。だけどこいつは人から盗んだ記憶を自分のものと思い始めやがった!」「譲との記憶はそれだけじゃないよ。」雅己が顔を伏せる。「あまりにもこいつが融になびいちまったからな・・・殺されたらそれはそれでもいいと思ったさ。でも、あんたが予想外だったんだ。鳳来のロボットどもを蹴散らし蝕を破っちまった。・・・それでたぶんマザーはあんたに疑いを持ったんだろうよ。」「私を取り込めって?」

「俺が悪いヤツでマザーを助けて!、そんなところだろ?」

部屋の中の空間には複数の鼠穴が開いているのが勇二にはわかった。これは次元防御を施したこの部屋からどこにも通じない穴だ。そこから固唾を飲んでこちらを伺う気配がする。ドワーフ達はずっと重なった空間にいたのだろう。

どうりで他の船内に姿がないはずだ。

彼等は魔物からここに逃げ込んで、ずっとマザーと共にここにいたのだ。

「私もほんと、お人好し。でも、いいわ、騙し騙されはお互い様。私も彼等がドワーフだと100%感じてはいたけれど・・・妖怪の類いだと信じた振りをしてたし。」

勇二は肉の付いた肩を持ち上げた。

「それよりも。ねぇ、聞きたいの。マザーって人はあなた達と共闘していたの?」

「過去形だな。」さすがに勇二は敏感だった。「・・・まさか?」

「当たり前だろ。俺達の」「僕達のマザーです。」雅己が声を合わせる。

「マザーは鳳来とこの星に来たオリジナル・・・すごい人だから。」

「なるほど。では、雅己くんのすり替えも計画のうちってわけね。あんた達が魔物と契約するっていうのも・・・」

「マザーは契約には懐疑的だった。マザーも鳳来と同じでこの星の霊的存在は認知できなかった。ただ、あんたと違うのは」美豆良が口を歪ませてみせる。その鳳来はいまやただの聞き役に回ってしまっていた。ただ死にかけの男の目だけは未だに鋭い。「マザーは自分が感知できない現象についても受け入れるってことができたんだよ。見えない者を信じるってことより、俺達を信じた。」

「ふん・・・この星にまさしく感化されただけだろうが・・・」基成勇二だけがその言葉を聞いた。鳳来の呟きはもう美豆良には届かない。

「契約が完了して始めてマザーは魔物と雅己を一体として受け入れることに同意してくれたんだ。俺からすると雅己のクローンは本来、殺されるだけの役目だった。最終的に散らばったクローンを刈り取りながら、緋色の鳥は村に達する。それが遅いか早いかを調整するだけの存在さ。」「あなたのクローンも?。」

「連邦からの使者が来る事になって、僕達は焦りました・・・」雅己が続ける。

「契約を急いで・・・おじさん達に死んでもらうしかなかった。」

鬼来光司と正子も美豆良と雅己、りウゥゥムと鳳来のクローン。

「そう、契約はなった。鳳来はもう死ぬ。私はラッキーだ、鳳来とまったく同じ体で、より若い体と契約できたのだから。私達には長い未来がある・・・」

「幸運だったのはこっちだ。」美豆良も首を抱きしめる。

「鳳来をさぐっているうちに、やつの側に魔物がいる事に気が付いた時はさすがに驚いた。しかも鳳来にはその存在も幸運もわかってないんだ。俺にはあいつにない能力があることに狂喜したよ・・・悪魔と契約して力を手に入れるっていうのはこの星でしか成立しないことなんだ。」

「その力で・・・雅己くんを守るってことなのね。」

「そう、おまえからも。」美豆良の表情は不敵だ。

「追って来たら今度こそ、魔物と全力で殺すぞ。こいつの力は見ただろう?例え、おまえに神が付いていようと差し違いになっても雅己は逃がす。」

好奇心を満たした基成勇二にはもう、追う気がないことはわかっている。美豆良は身を返し首を抱えたまま、コントロールルームの上空に開いたままの穴に吸い込まれた。りウゥゥムが開けた鳳来の来た道。

「フン、強がっちゃって。試したこともないくせに。・・・でも、もういいわ。」

おもむろに基成勇二は大きな毛皮を脱ぐと雅己に放った。

「雅己くん、服を着ないと風邪引くわよ。体を大事にね。」

毛皮を抱きしめ、泣きそうな顔を一瞬見せたが壁を蹴り、美豆良に続く。

基成勇二が見送るその穴が閉じると同時に魔方陣不気味が鳴動した。きしみ歪む。完璧ではなくなっていた魔方陣に更に亀裂が走った。その亀裂から投げ出されるように死体に着地したのはシドラ・シデンだった。「ああ、面倒くさい!どうなってるんだ!この魔術とやらわ。」「乱暴だわねぇ。」勇二は無理矢理に笑いを浮かべたようだった。「ワームドラゴンの力で無理やり押し入るなんて・・・ほら、次元防御システムが反応して修復を始めちゃったじゃない。」リウゥゥム達が意識的に開いた穴も今は閉じられてしまった。しかし、シドラ・シデンはそれどころではない。

「逃げたのか?美豆良!」そして、八つ当たる。

「アギュ!いるんだろ!おまえが協力すればこんなに手間取りはしなかったんだぞ。」「美豆良には聞きたい事がたくさんあったの。ほら、私達の上司の好奇心っていうものをさ、満足させてあげないと、ね?」

「おまえの守護天使など、くそくらえだ!」

毒づくのももどかしく後を追おうとした。

「ダメ!」基成先生が重さとでかさを無視した信じられない動きで上空に廻りこむ。「もう、追うのは無理よ。ワームが次元防御バリアーに開けた穴は深いわよ。今それは船によって自動的に修復されているけれど、それによってかなりの負荷をこの船は抱え込んだの・・・何度も破壊と修復を繰り替えしたらこの船が自爆しかねない。だから・・・行かせなさいって。」

「行かせるだと!」シドラは激高した。

「それでいいのか!?イリトは、何を考えてる?」

「イリトの考えは・・・」勇二は一瞬、目を閉じた。先ほどは自分から遮断した600光年の声が響いて来る。「・・キメラはいつでも狩り出せる。それよりも今回の後始末を付ける方が大変かもしれない。そう言ってる。方針が変わったようね。」

「後始末?」「この星と住民を守ることが大事。」

2人は同時に振り返り、先ほどから呆然とうずくまる鳳来を見た。鳳来は蒼い光を見たのか、見なかったのか。ワームという言葉は聞こえたのだろうか。

「あれは、範疇外でいいんだな。」そう、確認する。

「好きにさせたげましょ。見ない振りを決め込むつもりだって。下手に保護したりするほうが後々面倒なことになるからってさ。この人達は連邦の基準では誰一人、保護対象にならないんだもの。捕まえてしまったら、相応の処置を加えることになる。どこの世界でも法律っていうのは絶対で面倒なものなの、わかるでしょ?」

「わかるような、わかりたくないような。」シドラ・シデンの顔は苦々しい。

「お優しいことだな。おまえの守護天使は。」

「ええ、『くそくらえ』なんて部下に言われても笑い飛ばせる上司なのよね。」

「フン!」

「そんなことより、村は既に無人になったわ。ドラコからの伝言。アギュも撤退をあなたに命じてる。」

「そうか。」シドラは表情をすばやく消す。「バラキ、急ぎここを離れるぞ。」

即座にワームドラゴンはこれで最後と空間をこじ開け、2人を自分が作り出す次元の中へと連れ去った。幸いなことに今回も自爆は起こらなかった。


スパイラル・スリー 第十二章-2

2014-03-31 | オリジナル小説

                             鳳、来たる

 

「鳳来・・・」

2人の女は立ち上がっている。リウゥゥムは立ち上がる時には手を借りたが、以後は一人で立った。もう一人の女が心配そうに背に手を残した。

コントロールルームと女達が呼んだ部屋の真ん中に開かれた歪んだ穴から人影が現れたのだ。

緋色の鳥と呼ばれた男。老体にもかかわらず、中空から身軽に床へと降り立つ。ドワーフと呼ばれたもの達の死体とクローンの死体の真ん中に。

「ふん。」鳳来がまず目を留めたのは死体を並べ積み上げた頂点に置かれた鬼来雅己と見られる死体だった。これは譲の前で死んだ雅己ではないのだろう。体に損傷がないからだ。その両脇に抱えるように鬼来光司夫婦の首が置いてある。

どこかに警察署から運び去られた体の方もあるのだろうが。

「なぜ、こんながらくたを大事に取っている?リウゥゥム・・・おまえはいつも甘い。」床に放射状に並べられた死体の山。「そして、くだらない。」

「どれひとつでも・・・私の大切な子供ですから。」

「子供?子供だと!・・・夜迷い事を。錯覚するな。」

言い捨てるなり軽々と飛び上がり、りウゥゥムのすぐ隣の雅己の母親役らしい女にの腹に手を当てた。その動きは老人ではない。「ううぐっ!」女は苦痛に呻き、目を見開き悶絶する。鳳来の手は女の腹を服ごと破り肘まで中にある。むなしく掻いた手が鳳来の肩すべり、大量の血が口から吹き出し男の服を汚す。男は手を尚も胸へとえぐってから引き出した。内臓と血が老いた女のすぐ足下に散る。

「オリジナル同士の会見にクローンなど邪魔だ。」

「・・・むごいことを。」

「ふん、昔のおまえはさすがにそんな弱音は吐かなかったな。おまえもこの星の人類の命等、たいして重きを置いていなかった。宇宙人類らしく。」やや高い司令塔から目の光をなくした体をほうり捨てる。死体と死体がぶつかる鈍い音。

「2000年でおまえはこの星に染まり、遊民の気概すら失った。」

「私達は・・・遊民ですらありませんのよ。」

微かにつぶやくと思い出したように宙に影を捜した。蒼い目は厚い層の向こうに見え隠れしている。鳳来にはあれは見えない、見ようとしないのだ・・・。

「おまえのそういうところが我慢ならなかった。この星に染っていくおまえがだ!いったいどうしたと言うんだ、おまえもとうとう・・・見えない化け物でも見えるようになったのか。」最後の言葉は彼の意志に反して低く小さくなる。

「あなた」なぜ、そんなに苛立っているのかと、女はいぶかしい。

「魔はおりますよ・・・」

「いるわけない!わたしは認めん。断じてだ!認めない!おまえはおかしいのだ。」

唐突に叫ぶと乱暴に血だらけの手でリウゥゥムの痩せた骨の細い腕を掴む。

「子供が欲しいだ、家族が欲しいだ、まるでこの星の雌みたいに!ぞっとする。」

「でも、あなたは許してくれた・・・」

「逃れたかったからだ!おまえから!逃れられるなら後は安いものだ!おまえが何をしようが、わたしの知ったことじゃない!そう思っていたからな!」鳳来の手の中で骨が砕けた。女は静かに苦痛を見せない。「子供を欲しがらない女がいますか?」

「ハン!女だと!男でも女でもない、それがわたしとおまえだ。おまえはこの星に来てから妄想に取り憑かれたんだよ。」手が更に上の骨も砕く。老いた女の体はわずかに傾いだ。「ただのキメラの癖して、ずうずうしくこの星の人間と自分を重ねてな。おまえは狂ってるんだ。そうだ、狂ってる!魔がいるなどとほざいて・・・!」

肩の関節はもろく鳳来の手の中でつぶれた。薄い肉が裂け、白い骨が血と共に皮膚を突き破る。それでも女は悲鳴も苦痛も上げなかった。自分と共に遥か昔にこの星に侵入したパートナーの目だけを見つめている。

「では私を捨て自分の求める何かに突き動かされ、この星を彷徨ったあなたは?あなたの衝動は本能・・・あなたは男・・・雄ではありませんの?」

その目に若き日の輝きがある。鳳来は苛立たし気に目を反らす。

「私が殺してやろう、リウゥゥム。約束通りにな。」

「同じ二つから産まれた二つのもの。」老女は媚態を示す。「死ぬ時は一緒です。」

 

 

        甦る古の魔法

 

その一部始終をアギュレギオンは現実の外で傍観していた。女達は彼の存在を忘れてしまったかのようだった。しかし、そんなはずはない。鳳来に告げないだけだ。鳳来との会見に彼の助けは必要とされていないのだろう。そう判断した。

アギュの側にドラコが来る。

召還魔法にょ,魔方陣にょ!

『来るぞ』アギュも唸った。

 

床に描かれた円を光が走る。それは宇宙の術ではない。この星の魔術の極み、死体で描いた魔方陣だ。そんなものを誰が作ったのか。根気と時間をかけ、計算を尽くして。死体で形作られたその図形は光と熱を放ちオーロラが立ち登った。

いましも女の喉を押しつぶそうしていた鳳来も思わず動きを止める。その発光は鳳来の目にも見えた。その一瞬の隙に死体と見られていた鬼来雅己の体がはじかれたように飛び上がり鳳来の脇腹をえぐる。

咄嗟にリウゥゥムの首を折り、雅己を突き飛ばして鳳来は下へ転がるように逃れた。素早く体勢を立て直した鳳来に上から雅己が投げてくる。

ずしりとした何かは鳳来の正面、ドワーフの死体の上にゆっくりと着地した。

「御前。」鬼来光司の首が口を開く。「おまえは。」声は違ってもその呼び方に覚えがある。「あなたは見えないものを信じない。私はあなたと契約したわけではない。」首は混濁した目を開き、口元を歪める。「あなたの周りで流れる血を求めて・・・あなたの側にいたのは単純に私自身の意志だ。」

「魔物だと・・・まだいうか。」鳳来は血が噴き出す傷口を押さえている。痛みを感じる変わりに笑いがこみ上げてきた。「いや、もういい。そうだな、どうやら・・・魔物はいるらしい。」悪魔も天使も霊魂もだ。おかしいったらない。

「この調子なら神とやらもいるのだろう?この星にはな。」

「痛快だな。」死体の山の上にはいつの間にか鬼来美豆良が腰掛けていた。魔方陣によって召還されたのはどうやら魔物と美豆良だったようだ。勿論、シドラの前で死んだ美豆良とは別の美豆良だ。雅己は足下に倒れたままのりウゥゥムを一瞥もせずに美豆良の隣に寄り添った。

「自分のオリジナルに自分で引導を渡すと言うのは。もっと哀れみを感じるものかと思ったがそうでもない。」

並び立つ、かつての若者達。リウゥゥムとリャーダと呼ばれた面影。

それらを脳裏から振り払い、鳳来は唾を吐き出す。

「わたしから作られたものがわたしを越えることなどできない。」

言うなり目の前の首の目に拳を叩き込んだ。鼻と眼球の部分にそれはめり込むが、首はケラケラと笑い声を立てた。脳をえぐり、そのまま渾身の力で投げ捨てる。死体の山を越え、床に落ちて弾みながらも首は笑い続けている。

「御前・・・いや、鳳来。」

雅己が持ち上げた、今度はもう一つの首が口を開く。光司の妻正子。

「ここにいる『あなた』が私の存在を認めた。」やわらかな女の声が艶を含んだ。

「でも、もう遅い。私は契約を結んだ。ここにいるあなた、そして雅己と。」

美豆良は誇らし気に首を雅己から手にする。

「そう、おまえにはない力を俺達は得た。」鳳来は自分のクローンを睨み付ける。

「この星には、別の次元に生きる生物がいる。俺にはそれが見えたんだ。つまり、俺の方が優れている。オリジナルを越えた証だ。」

その首に美豆良は口ずける。女の首の乾いた舌が動き、美豆良の唾液を啜った。

「クローンは進化するんです。」雅己の声は美豆良ほど、はずんではいない。

しかし、その掌は鳳来の血で汚れている。

「そうか。おまえは・・・リウゥゥムの男性を強化させたものだな。」

鳳来は男の外観を持つ雅己の方に視線を移している。

「違うね。」口を放した美豆良。首は唇をなめた。「当たってるけど、違う。」

そういうと首を持たない手で雅己の服の襟を掴み、下に引き裂く。雅己は一切を美豆良にゆだねたまま、鳳来に自らの体を晒した。美豆良の手がその男性器の奥へと差し入れられる。

「この雅己も・・・女のあそこを持っている。」

指が動き、雅己は目を閉じ眉を寄せた。「この魔物とやったのも彼さ。」

雅己の膝が緩み、耐え切れず乳房のない胸に手を回す。

「このキメラが・・・!」鳳来が毒づく。美豆良はやっと執拗な指を引き出し、それを口に含む。隣で雅己は息を乱し膝を折った。「それはお互い様。冥土の土産にあんたにもやらせてやろうか・・・母さんがいくつもいくつも遺伝子を試して、選りすぐった中から彼を仕込んだんだ・・・感度はお墨付きだ。」

差し出された首を性器を晒したまま、雅己は浮けとる。首は雅己の肌を舐めた。

「勿論、俺も女性器も持っている。あんた達と同じにね。」

「ふん、茶番だ。」鳳来は笑った。「わたしとリウゥゥムが茶番ならおまえと雅己も茶番でしかない。いいか、我々は存在すること自体が冗談なんだよ。」

「何が茶番か茶番でないか、何が正しくて正しくないか。おまえにわかるのか。」

美豆良は鳳来に負けずにせせら笑った。その顔は皺の有無を覗けばほぼ同じ。

「自分の痕跡をすべて消そうとなさったのはそれが理由なのですね。」

首が歌う。「そのようにリサコさんとお約束なされたと聞いています。」

鬼来リサコの体は鳳来に突き落とされたカッコのままうずくまり、倒れ伏したリゥゥムはピクリともしない。どちらの体からも血が流れ広がっている。

「さぁ、鳳来を鳳来自身が終らせてやる。年老いたオリジナルが若いクローンを殺すなんて間違っていると思わないか?腐ったオリジナルは滅び、瑞々しいクローンがおまえができなかった新しい時代を築くということだ。」

「もう一度言う、おまえが・・・何をやったってわたしの亡霊から逃れられるはずなどない。」鳳来はおかしくてたまらないように笑った。「魔物の力を借りたってな。」

美豆良は憎々し気に鳳来の冷たい笑いに向き合う。

「それは・・・どうかな。まずは、終らせなくては始まりも無いんだ。」


スパイラル・スリー 第十二章-1

2014-03-31 | オリジナル小説

             12・緋色の鳥

 

 

             600光年の同調

 

ナグロスと香奈恵によって岩田譲が運び出されて行くとガンダルファは渋い顔で無条件に場に存在感を与えている霊能者の死体に歩み寄った。

そこへシドラ・シデンが息を切らせて戻って来る。

「どういうことだ?!あいつ、死んだぞ。」

見上げると美豆良の体、血液や肉片の塊が中心部分へと漂い集まっているのが見えた。「魔物を使って自殺しやがった!」ガンダルファはシドラに向けてため息を付く。「だったら、それはさ・・死んでも良かったってことだろうな。」

「あいつが?どういうことだ。」「死んでも良かった存在、まぁ、死んだというか・・ほんとは死んでいないんだけど。」

「つまり・・・コピーだということか。」

シドラの言葉は重くなる。「だからと言って、軽々しく死んでいいものではない。」

そこで初めてガンダルファは目の前にある大きな肉塊を見下ろした。基成勇二の首はかなり遠くに離れて落ちている。床を滑った血のりが跡を残していた。

「おい・・・だってよ。」そういうとうつぶせの脇腹を軽く蹴る。

「聞いてる?軽々しく死んだりしちゃ、いけないだろが。」

その瞬間、耳がキンとなるような音と共に場がしなった。シドラの眉が寄る。

基成勇二の巨体、それは首と切り離されても巨大であることに変わりはない。その背中にかけて黒い線が入った。見る間にそこがぱっかりと開き、テレビの何も映らない乱れた受信画面、そんな感じの空間が溢れ出た。あきらかに次元っぽい。そこから小さい両手がのびて来た。

「あんたが無茶したところで、彼は助けられなかったじゃないか。」

鬼来雅己の死体をガンダルファは一瞥。「初めて会うね・・・宇宙のお姉さん。」

「いつから、わかった?」開いた基成勇二の体は元どおりに閉じ、小柄な娘は既にその上に腰掛けていた。「ほんと無茶しちゃったわよ。この体に入っているとなんだか無敵な感じがしちゃうのね。だからついつい、やりすぎちゃった。だって、ほんと楽しいのよ。基成勇二ってかわいいし、最高!。」

蜂蜜色の髪と大きな目を持つ娘は陶器のような白い顔をほころばせる。

「そうか、おまえがそうか。」シドラ・シデンは肩の力を抜いた。

「別部隊。」「そうよ。」宇宙のお姉さんはニコニコと体の筋を伸ばし始めた。

「基成勇二もいいんだけど、たまには外に出て活動するのもいいかもねぇ。」

「イリト直属の部隊だな。」ガンダルファが手を貸して大きな背中から彼女を降ろす。

「デモンバルグの話を聞いてイリトがわがままを言い出したんだろ?この目で魔物と言う次元生物が見たい、いや見せろ、見てやろうじゃないか。その結果が君と基成勇二というわけだ・・・そう聞いてる。」

「まぁ、大方そのとおりよ。」お姉さんはシドラに手を差し出した。

「わたしはイリト・アルファ・デラよ。」

「なんと呼べばいい?」シドラは真面目くさってその手を取る。

「リーとかリトとかデラとか、なんでもいいわ。」

「ではデラ、君らがここにたどり着いたのは魔物を追って来たんだよな。」

「そうよ。そうでなきゃ、こんなニアミスは起こらないに決まってるじゃない。あくまでもお互い、世間じゃ無関係なんだから。まぁでも、その魔物にやられちゃったわけだけど・・・天使様はあれでも充分、満足してくれたから良かったわ。」

ガンダルファが部屋の出口を振り返ると待っていたかのように、そこには大きな人影が立っていた。「言ったこっちゃない。」

そういう顔と体格は基成勇二と瓜二つ。着ているものも中のセーターが紫になっている以外は変わっていない。血にまみれたコートとまったく同じ毛皮を羽織っている。ナグロスと香奈恵と入れ替わりにいつの間に来たのか。

「タトラ、遅かったな。」

「なんじゃ、ばれとったか。」そういうと先ほどと同じような肯定を経て寅さんが巨体から飛び落りて来た。

「別部隊にはタトラも一枚、噛んでいるとアギュから聞いてるよ。」

「アギュレギオンはイリトからこの部隊のことをすべて承知しているわ。」

デラがタトラと並んだ。「じゃ、後のことは任せて。」

「何が任せてじゃ、おい、こら!」寅さんがそう言う間にデラは新しい基成勇二の体に吸い込まれるように消えてしまった。基成勇二が再びにっこりと笑い返す。

「それじゃあ、霊能者は魔物を追うわよぉ。」いうなり、巨体は部屋の中心に向かって飛翔した。「今度は無茶しないからね!」そして更に上空に吸い込まれて行く。

「やれやれ。」タトラこと寅さんが嘆いた。

「あれはイリトなんてもんじゃない、相当のじゃじゃ馬じゃぞ。」

「まぁ、イリト・ヴェガも若い頃はあんなだったってことだよな。」

「イリトのコピー・・・クローン体だな。」

「ただのクローンじゃない。30%の感性、特に視覚、聴覚はほぼ100%シンクロさせている。イリト・ヴェガは連邦の中枢を離れられないが、同時にこの『果ての地球』観光を満喫できるってことじゃ。」

「その為に作られたってわけ?つくづく中枢って自分達には甘いよね。」

「同調クローンは確かに禁為じゃ。」タトラもうなづいた。

「ただし同意があれば・・」

「そもそも同意しなかったら、そのクローン体は始末されちゃうんじゃないのさ?」

「それがのぅ、大概のクローン体は喜んで同意するようじゃの。まぁ、イリトの場合は特にオリジナルと同じ思考と性格が強いってことじゃろが。最初から問題はなかった。」「ものはいいようだ。」ガンダルファは首を竦めた。

「クローンは親をオリジナルに求めることが多いから。それを利用しているのさ。」

「かもしれぬ。」

「だが。」シドラは基成勇二の消えた上空を見上げた。「それが彼等の幸せかもしれない。」そういうと床を蹴った。「我は補佐するぞ。死なせない、殺させない。」

「頼んだよ。」ガンダルファは見送った。

「タトラはどうするの?」

「神月に帰って、渡やユリどのを迎えるように言われとるよ。」

タトラはアクション担当ではないのだ。「寿美恵どのも無事だったし。」

「じゃ、俺は鬼来村で辻褄合わせだな。」

こうしてガンダルファは村へ、寅さんは神月へと別れたのだった。


スパイラル・スリー 第十一章-4

2014-03-28 | オリジナル小説

         鬼来村深夜

 

 

踏まれ乱れた雪道を上がって来た警官達が当惑したことといったら。

フラフラしたヤクザ達は村を襲った理由をさっぱり覚えていなかったのだ。

「こいつらは・・・あれだ、鴬谷とかに事務所のある・・・。」東京から来た刑事2人は地元の刑事2人にこそこそと囁いている。「下町のヤクザがどうしてここに?」

もの問いた気な高木と目が合った基成素子は大きな肩を揺すった。

「私達にわかるわけ、ないだろ。」

「襲われたから反撃しただけですぅ。私達は、自己防衛ですぅ。」

姉に似ていないドングリ目をくりくりさせた弟が目を潤ませて情けない声を出す。

「それは本当だと思います。僕達がここに来たときにはもう、あのヤクザさん達がこの家を取り囲んで暴れていたんですから。バッチリ、保証しますって。」

旅行者然とした3人組を刑事達はうさん臭気に見つめる。

「で、あんた達は・・・岩田譲さんの妹さんの・・・お友達?」

「はい、旅館『竹本』の離れに事務所を借りている会社の社員です。香奈恵さんのお母さん達には常日頃からお世話になっているものですから。」

ハーフらしい男は物怖じしない堂々としたもの言いと態度である。

「輸入業者です。主に南米やアフリカの家具と雑貨を取り扱っています。」

差し出された名刺を刑事達は回し見た。今の所、特に怪しむところはない。

最初は一番、後ろに控えていた編集2人が隙を見つつ、じりじりと玄関に入って来た。期待していた基成勇二の姿が見えないので当惑している。

「勇二は雅己くんを探しに行って戻っていない。」

星崎の問いに素子が小声で応えた。

庭では足下のおぼつかない十数人のヤクザ達を地元の警官達がまとめていた。下のパトカー内で人事付随になっていた2人は既に救急搬送されている。警官2人を襲ったのもどうやらこの場にいるヤクザ達らしいのだが・・・容疑者の誰もがはっきりしたことが言えないでいる。署に連れて行って薬物検査をする必要もあった。下で何があったのかの詳細は病院の2人が正気になるのを待つしかない。

数が多いチンピラを護送する為に応援要請もされていた。近隣の警官は非番のものも含めて夜中に呼び出されて大迷惑だろう。

「探しにって、雅己くん・・・どこに行ったの?」星崎も声を潜める。

「どうやら、あっちの世界。」「あっち?」「異次元。」素子は首を竦める。

「警察には山に向かったことにしている。」

絶句するが、既に不可思議を体験した星崎はどうやら過去の星崎ではないらしい。

「そう。わかったわ。」平然と、妙に納得している自分がおかしい。

「で、雅己くんはわかったけど・・融君は?」

「星崎さん、岩田はこっちだよ。」いつの間にか平は室内に上がっていた。

星崎と素子がいる玄関土間から襖が外された室内が丸見えになっている。家具が片付けられた客間の中央に岩田譲が布団に寝かされている。

枕元には見慣れない少女が当然のような顔で座っていた。

「こちらは妹さんだそうだ。」隣で平が手招くので融の上司は慌てて靴を脱ぐ。

「妹の岩田香奈恵です。兄がいつもお世話になっています。」

頭を下げる妹と寝ている兄。2人の面差しはよく似ており血の繋がりはあきらかだ。

「ええと・・・充出版、編集長の星崎緋沙子です。こちらこそ、初めまして。あの、融君には、ほんとうによくやって・・・こんな危険な目に合わせてしまって。」

「いいんです。兄が自分で選んだんですから。」妹はサバサバしている。

それでも頭を下げる星崎であったが、どうして譲の妹がこの鬼来村にいるのか判然としなかった。その他にも星崎には見慣れない男が2人。

譲の横には、麓の村の巡査も布団の上で眠っていた。

「水に催眠薬が混ぜてあったみたいなんですぅ。」と牡丹と名乗った男が説明している。「睡眠薬?」星崎と平は耳をそばだてる。何が起こっていたのか。

「私達は飲まなかったんですけど、2人が飲んでしまって。あっ、このお茶は大丈夫ですよ。持って来たミネラルウォーターですから。ほんとはお茶出しにはむかないんですけど・・・ブツブツ」巨体に似合わぬ身軽さで牡丹はお茶をついで回っている。正直、誰もがそのお茶の暖かさでどうにかやっと人心地つくことになる。

熱いお茶を一気に飲んだ高木が玄関から続く板の間で中断した質問の続きを始めた。

「で、今回、お二人・・ガンタさんとナグロスさんは・・・東京で偶然会った香奈恵さんに頼まれてここまで一緒に来た、と。」

「偽警官に脅されたって言ったでしょ!」妹が気色ばんで客間から拳を振り回した。

「騙されかけたんです。東京の友人にも聞いてください、一緒にいたんだから!この人達に助けて貰わなかったら私達、この村に拉致されてました!」

「偽警官?!」『内部犯行』星崎と平が顔を見合わせてから、同時に高木達を見る。

「偽警官!」警官達全員は苦虫を噛み潰したような顔になる。

「でっかくて、人相が悪くて仁王像みたいなヤツよ!」反応の悪い刑事達に香奈恵はイライラしたようだ。「しかもそいつ、5つ子なんですって!」

思い当たった刑事達がざわめきだすとエレファントが更にダメ押し。

「吉井ってヤツだと思うんだけどね。うちを襲ったのも5人いたから。」

「その話、あとでくわしく聞かせてね。」星崎は妹に素早く囁き、常に持ち歩いている録音機を鞄の中でこっそりと作動する。平は台所の牡丹に酒はないのか聞きに向かう。その声が響く中、今や刑事達は全員押し黙ってしまった。

「どうやら心当たりがあるようじゃないか。偽警官とやらに。」

最初からペラペラとしゃべっている目の色の薄い男が彼等を見まわした。

「まぁ、真面目にやっている全国の大多数のお巡りさんがどんだけ迷惑しているか、お察ししていますよ。大丈夫ですって、あなた方がそいつらと一緒だなんて金輪際思ってませんから。それに、外部のものにはどうしたって話せないことってありますよね~。」

「彼もあなたの連れ?」香奈恵が困ったようにうなづく。確かガンタとか、名字はなんなんだろう。岩田香奈恵の彼氏かしらん。エキゾチックないい男でないのと星崎。

部外者のもう一人は開け放たれた土間続きの台所で基成姉弟の弟の側に腰掛けてこれもまた静かに茶を口にしていた。年配の男性で、同情するように警官達にうなづいてみせる。ついに高木は肩を落とすと共に陥落した。

 

実は消えた死体は鬼来光司と正子だけではなかったのだ。

星崎と平が道々、聞かされたこと以上の異常な事が実際は起こっている。

基成御殿の焼け跡から見つかった遺体。それも消えていた。データ保存されていたDNAや解剖結果も一緒に。その時点で警官の吉井と連絡が付かなくなっていたこともあり、体格の類似から関与が疑われていたことも部外者には話せなかったことである。しかも吉井が事件の朝、所轄の警官よりも先に現場にいたことは既に確認されているのだ。ひょっとして?まさか。

身内を庇い合いたい警察のこと・・・その件は今の今まで保留にされていた。されてはいたが、吉井武彦警官を始め他の兄弟とも未だに連絡がつかず、全員所在不明だったこともある・・・高木と松橋が応援2人と急遽鬼来村に向かったのはそのことも踏まえた上であった。もしかしたら吉井も村にいるのではないかとの恐れを抱いてのことだ。基成勇二と吉井兄弟との間に何らかの怨恨関係はなかったのかと。

しかし、村に吉井兄弟はいなかった。

解せない・・・まさに解せない現象の連続に刑事達の神経も限界に近づきつつあったのだろう。告白した高木を責めるのは酷というものだ。

(勿論、11体積み上げられていた死体はどういうわけか既にその場のどこにもない)

 

「とにかく、車を手配していますので・・・全員、いったんこの村を離れてください。」高木を止める気力を失っていた松橋が力なく言う。「県警本部の方で事情聴取を行いたいと思います。」我々が話した事はくれぐれに内密にと。

「はいよ。」妙に素直に基成姉が応じた。「牡丹、荷物をまとめといて。」

「警官が犯人かも知れないってことはこの先、隠蔽って可能性もありますやねぇ。」料理用のワインを手に戻って来た平もさすがに声を潜めた。「星崎さん、我々ってとんでもないでかい山に首を突っ込んじまったってことじゃないすかね。」

星崎も頭を抱えている。「どこからどこまで・・・記事にできるのかが問題だわ。」

「基成勇二目線から書きゃ、何書いたって大丈夫ですって。どうせ眉唾、眉唾!」

それから満足そうに平は付け加えた。「いや~ほんと星崎さんに付いて来てほんと良かった。」警官達の非難の眼差しもなんのその、面白すぎる!と笑い飛ばした。

「聞いたか、香奈恵。いったん、ここを離れるぞ。」

そんな編集2人を横目にガンダルファが兄に付き添う妹に身を寄せた。

「でも、シドさんは?」不満そうな顔だ。

ガンダルファは天井を見透かすかのように目を細めた。その方向には里山があることは香奈恵も知っている。山に隠された船。そしてこの空間のどこかにガンダルファの相棒、ドラコもいることを香奈恵は知っているし、感じてもいる。

「・・・できるだけ早く、この村を離れた方がいいんだ。」

「それ、ドラコがそう言ってんの?」

「いや。」ガンダルファは首を振った。「アギュからの伝言だとさ。」


スパイラル・スリー 第十一章-3

2014-03-28 | オリジナル小説

         脱走者達

 

 

鬼来リサコことリウゥゥムは現の夢の中にいる。

『あなたは・・・?』いつの間にか現れた蒼い人影に彼女は問う。

『お迎えかしら?だとしたら、もうしばらくの猶予をいただきたいけれど。』

人影は暗い蒼の中に沈み込んでいる。そして静かに話し始めた。

「ワタシ達は・・・アナタがなぜオリオンレンポウのカンリ下に置かれ生きながらえることをこんなにも拒むのかをずっと考えていました・・・」

『あなたは・・・連邦の使者?』老いた女は驚きを飲み込んだ。

『どうやってここに・・・いえ、あなたは・・・オリオン人?だとしたら・・・

連邦の進化はたいしたものだわ・・・』無視して声は続いている。

「・・・おのずとわかってきたことがあります・・・もともとアナタ達、アナタとアナタのパートナーはリダツユウミンだと思われていましたが・・・実際はレンポウのユウミンではないのではないのかと。」

自らの放った質問の答えを忘れ、女はいつの間にか聞き入っていった。

「そうレンポウではない・・・ではカバナボイドのユウミンなのかと言うとそれも正確には違う。おそらく・・・アナタ達は・・・カバナシティから来た。おそらく、カバナボヘミアン達に造られたキメラではないのか・・・?」

『あなたも・・・そうではないのかしら?』女は口元を歪める。

『ただのニュートロンに・・・次元からの侵入を防ぐ磁場シールドを突き抜ける能力はないはず・・・いくら次元感知能力が高くても・・・古い船とは言ってもそこだけはしっかりしてる・・このコントロールルームだけは侵入することなんて不可能よ。あなたが特別に能力を特化された人類でなければ。連邦の目を逃れた一部の遊民社会とは違ってね。それらの技術は禁為として封印されて久しい・・・だけど、中枢ではまだそれは生きている・・そういうことは私だって聞いたことがあるわ・・・』

アギュはその質問の答えは哀しみを込めて見下ろすだけに留めた。

沈黙に女は自分で答えを見いだしたようだ。

『そうね・・・確かにそんな話を聞いてからも・・・長い時間が過ぎたわ。私達が得ていた常識等もう黴が生えてしまったのかもしれない。手に入れられる情報には限りがあるもの・・・実際、私は彼とは違い、外宇宙からこの村を遮断して生きて来たのだもの・・・宇宙人類ニュートロン自体が進化していてもなんら不思議はない。所詮私達などは連邦の敵ですらないのだ・・・そういうことかしら。』しかしアギュは既にもう目を反らし、告げるべきことだけを告げる作業を再開している。

「・・・ジンルイ回帰運動、『祖のジンルイ』への崇拝のまっただ中にある今のオリオンレンポウとは違い、カバナシティのボヘミアン達はレンポウとは真逆のミチを突き進んでいる・・ウチュウでのシンカを恐れず、受け入れるミチ。祖のジンルイがウチュウに散って二手に分かれた時は・・・おそらく祖のチキュウジン達のDNAを保持していたカズはどちらもたいして変わらなかった。ただ、祖のジンルイにイデン的に近いものをユウイとする連邦とはカバナは違っていた。カバナではソセンのDNAなどはあまり価値を顧み折られていない、違いますか?」

「その通りよ。」ついにリウゥゥムは重い口を開いた。

「動物園的価値しかない。私達はそのDNAで造られたの。・・・見せ物としてね。」

「マザー?」側に付いていた女が驚いて顔を上げた。リウゥゥムが見つめる空間を見て、つかの間ぶれた視線が一点に集中する。陽炎のように次元の厚い層を通して、女の目はまっすぐにアギュを見た。現と夢の狭間にいるはずのアギュレギオンを蒼い光として。女は目を細め、仰ぎ見るように白い手を額に当てる。

「あなたは・・・人ならざるもの・・・なのですか?」

歳は40代と見た。振り返った顔は横たわる女から皺をすべて取り去ったらそっくりだろう。狭間からはっきりと目覚めたリウゥゥムの方も目を見開いてアギュを探す。「そこにいるのですか?気配は感じます。」老女は側にいた鬼来リサコの腕を掴んだ。「マザー・・・あれは誰ですか?光が見えます。」

「アナタはワタシが見える。」アギュは静かにそれを確認する。

「この星で産まれ育ったものは、この星でしか見えないものが視えるのです。私も最初は何も感じなかった。信じなかったから・・・この子達が回りに産まれて来て、いつも私といてくれるようになってから・・・少しづつ、感じられるようになってきました。あなたの姿はさきほどまでの夢ほどには見えませんが・・・声は感じ取れます。」横たわる女は微笑む。「これが星の与える特性っていうことなのね・・・クローンも進化する。」アギュは緊張に固まる付き添いの女を見る。

「アナタもリウゥゥム。つまり、鬼来リサコなのですね。」

「はい、彼女のクローンの一人です。」最初の動揺を乗り越え、声は落ち着いてきた。

「キライマサミの母親として、ナグロスと面会したのはアナタですか。」

「ええ・・・そうです。」女はやっと緊張を解いた。

「戦時中に会ったのも、私です。」リウゥゥムの腕をリサコの手がさする。

「あなたを神かなんかと思いました。この人は宇宙から来たのですか?」オリジナルがうなづいた。「では、ナグロスよりも上位の使者なのですね。」

そう言うとあきらめを帯びた目を伏せた。

「カノジョ、アナタ方をそう呼んでいいのかどうかもわかりませんが。」

「そこまでわかっていらっしゃるのね。」

「もう、あまり時間がありません。あなたの知りたがっていることを教えてあげます。」リウゥゥムは意を決した。

「私と緋色の鳥のことです。」

「ホウライと名乗っているカレですね。」

「私達は二つのものから造られた同一のもの。」

年老いた女が微笑むと嫣然とした面影が浮かび上がる。

それにつられるようにもう一人も。アギュは理解した。

「・・・リョウセイを与えられたのですね。」

 

・・・セックス・ドールってわかるでしょうか?セックスをしなくなった人類にとっては性行為はただの怖いもの見たさの見せ物でしかないのは知ってますね。

その傾向は宇宙空間で暮らすしかないカバナの人類にはより顕著なのですよ。

彼等にとっては遥か昔に手放してしまった習慣、でも興味だけはある。

私とパートナーはその為に作り出されたのです。つまりその為だけのもの、性の感度だけを出来る限り強化させて繁殖能力は持たない人類。大勢の観客の前で古代の蛮習、セックスを実践して見せる為だけのショードールなの。この星でもいう人権というようなものがあるかというと、それはありません。だって、動物園の動物に権利を認めたらそれは成り立たちませんものね。

 

リウゥゥムは淡々と語り、リサコもうつむいてその話に聞き入った。

 

男でもあり、時に女にもなれる。相手を変えてつがい合う為だけのものなのです。

大勢いました。それぞれ単性のドールも。様々な形で繋がって見せる為だけに。

私達は興行をする為に船を渡り歩きました、幼体の頃からそれはもうたくさん。その中には話の種に見よう見真似で疑似体験をしたがる遊民と寝る事も含まれていました。

勿論、実際に性行為ができるわけではないけれど・・・彼等は私達の体の細部をくわしく見たがりました。自分達にはもう退化してしまった部分だから興味深かったんでしょうね。あきずに通って来る常連は多くて興行は繁盛していた。

興行主が祖の人類のDNAを分けてもらう為に支払った賄賂はそんなに高くはなかったと聞いています。子供が獲れないから、遺伝子を細工しクローンを量産しました。私と彼はそんな興行主が所有する最初のオリジナルのつがいでした。だから他のドールより大切にされていたのです。最低限の教育も望めば受けることができた。猿に知能を授ける実験の延長のようなものだったけれど、自分達の立場を認識するにはそれで充分でした。認識できてからは・・・私達は自分達が解放される道をいつも探すようになりました。

カバナの遊民船は連邦のとはかなり違います。登録も管理もされてないし、秩序もない。限り無く自由だけど、それぞれが隙を見せればすぐに海賊船に変わるような荒っぽい連中でした。

遊民船同士の交戦の最中に興行主を殺して私達はこの船を奪ったんですよ。

勿論、逃亡がばれないように母船も吹き飛ばした。そうやって自由になったのです。

私達がそんなことをしようと思ったのは、常連の船乗りからこの地球の噂を聞いたから。当時は連邦の管理も甘くていくらでも侵入できた・・・祖の人類に近い私達は、きっとうまく紛れ込めるだろうと思ったんです。本当にその通りでした。

その時は本当に嬉しかった。私達は学んだり、あちこち回ったり人々に混ざり触れ合ってしたかったことをしました。それでも最初は目立たないように用心していましたけれど。私達が長生きし過ぎて怪しまれても、まだ人の目に触れられないような土地はいくらもありましたから。色々の大陸を回ってこの島にたどり着いたのは1000年ほど前です。その時に私はパートナーと別れました。

この星に違法に忍び込んだもの達も随所にいましたし、パートナーはそちらと行動を共にすることを選んだのです。その時に船をもらいました。私が寂しくないように自分のクローンを作ることを許してくれたわけではありませんが、黙認してくれたようです。

 

「パートナーはそれほどアナタを愛していた・・・」

「・・いえ、それは愛ではない。呪いです。」女の瞳が熱を持つ。

「彼と私の絆は特別なのです。」

 

その頃には連邦の調査員もたくさん入って来ていました。彼等は不法滞在者に対してまだ寛大でした。こちらからの情報を獲りたがっていたのでむしろそれは、友好な関係だったと思います。勿論、そうしながら彼等はこの星にいる他星人を割り出してリスト化していったのですけれど。私も彼等に協力しながら、引き換えに連邦の情報を得ていました。

正規の上陸部隊がいつ来るのか・・・それが知りたかったのです。

ナグロスと出会った時も、私はあまり悲観をしていませんでした。でもパートナーは危機感を持ったみたいですね・・・。彼はその頃にはたまに帰ってくることもあったんですよ。彼がどこで何をしているかは、私達はくわしくは知りません。ただ、彼は連邦よりもカバナとのルートに接近することを次第に好んで、積極的に彼等の便宜を図るようになっていました。おそらく彼がしていることが非合法だったからでしょう。安定よりも危険を好む性癖はより彼に片寄って与えられていたのです。自分のその傾向を憎みながらもそれに逆らえなかったのだと思います・・・

2年前、彼がナグロスを痛めつけることがあってから・・・いよいよ連邦の方針が決まったことを彼も私も理解し覚悟しました。この星の管理と干渉が始まることをです。この星域は連邦の対カバナリオン防衛線の一端に組み込まれるのだと。

 

「連邦がこれだけ時間をかけたのは・・・この星の人類がオリオン人の血だけを引いているわけではないことが原因ですよね?」

老いた女の口調はこの時は鋭くなる。

「そうです。」アギュは重大な機密をさもなんでもないこととして話す。

「このホシのジンルイはオリオンとカバナのコンケツ種です。だから」

少し若い女は少しだけ悲しそうな顔をした。

「アナタ方にも残るミチはあるはずです。」イリト・ヴェガはそのことで協力すると誓っていた。彼等はキメラ。いわば加工品。生粋の古代オリオン人類ではない。

「クローンのリョウサンやそのケッカのレッカ体もジュウザイではありますが、レンポウ法でまったくヌケミチがないと言うまでのキジュンにはいたらない。」

この星の人類が古代オリオン人類だけから続く純血種だったらもっと早くことは動いていただろう。不法滞在者も観光客も調査員ですら許されない。この星はすぐにオリオンの直接統治下に置かれ、その住民は本人達が何もわからぬうちに中枢のどこかへ移住させられたはずだ。密かに冷凍保存されて未来永劫眠ることもありえた。

「このホシは重要ですが、カバナリオンに取られさえしなければいい。そういうことです。だからこそ、オトシドコロはあるのです。」

「連邦の申し出・・・いづれも大変な好意であることは・・・わかってます。」

「ただ、もうイマでは遅いと?」アギュは相変わらず現実の外から彼等を傍観している。彼等にすべてを見せるつもりはない。

「もとから決めているんです・・・私達。その決心を尊重してもらうわけにはいきませんか。」横臥する女がさする女の手を取り、そっと握った。

「私とパートナー。リウゥゥムとリャーダム。」

「ホウライ、緋色の鳥。」年齢の離れた同じ女達は声を揃える。

「彼はもうすぐ私を殺しに来る。それを待ちます。」

「なぜ、カレはジブンとアナタのクローンを殺し始めたのですか?」

「上陸部隊が来たことを知ったときから彼はやるべきことを始めただけ。」

「自分と同じものがこの世にある、ということが許せないのです。」

簡単に作られるキメラやクローンであるからこそ、とこの時のリウゥゥムの顔はマザーそのものになる。「この世にただひとつという存在、自分をそう思えないから。

私達は常に妬ましい。自分が去るとなったら、余計に消し去りたいのですよ。」

「このキライ村にはアナタとカレのクローンしかいないということですよね・・・このムラから無事に出て行ったモノ達はアナタ達のクローンではなかった。」

「私達が拾い育てた孤児達です。近隣から見つけて連れ帰って来ました。そういう子供達を育てて、世の中に送り出すことも楽しみだったのです。それも・・・戦後、少し緩みましたが。村から出たがるもの達を私は止められなかった・・・」

それが『鬼来家の呪い』。見せしめのように鳳来が始末した結果だ。

「アナタはこの地でアナタとカレのクローンを作りに造った・・・だから、シビトが帰るムラ、そういうウワサが広がったんですね。」

「それからは少し注意しました。遺伝子を少しづつ、傷つけて変異させたり・・・専門家ではありませんから、なかなかうまく行きませんでした。」

「そのケッカがあのオオゼイのヒト達なのですね。」失敗作とはアギュには言えない。「カレラも基本的にはアナタ方のクローンなのですね。アナタはカレラも殺すことはできなかった・・・」

この星の世の中に出すことはできない。この船に閉じ込めて生かすしかない。それでも生きる方がマシであったのか。その判断はアギュにはできない。ドワーフと呼ばれた人々、一人一人にしか。

「幸い、彼等は私達よりも次元能力が高かったんです。だから、隠れる術には優れていました。そんなに遠くでなければ出歩くことも自由です。ただ、あの子達も人間の前には出たがらなかった・・・自分達の姿形が違うことをわかっていたのでしょう。労しいことですが。彼等が、ずっとこの村を守る手伝いをしてくれていた・・・捨てられた子供達を見つけて連れて帰って来たのも彼等です・・・」

リウゥゥムは少しだけ、言い訳する。

「それに少しは影響のことを考えなかったわけではありませんのよ。この星に我々の遺体やDNAが残ることは後々、連邦やカバナにとって良いことではありません。

そうでしょう?まだ、時期ではないのです。それはわかっていました。」

「私達は、この星では混じり合わない遺伝子です。」鬼来リサコが口を挟んだ。

「血を汚すことはありませんが・・・存在してはいけないのでしょうね?」

泣いているのだろうか?老女の手がうつむく女の頬にのびる。

「でも、クローンであるこの子達がこれまで見たことも無い宇宙に連れて行かれて尋問され、実験動物にされるなんて考えただけでも耐えられない。私だって死ぬことも許されずどこかの牢屋で、再び誰かに『飼われる』のはもっともっと嫌です。」

アギュにはもう軽はずみなことは言えなかった。遺伝子を操作したという言葉を聞いた今は。連邦の対処はイリト・ヴェガの楽観を越えるだろう。貴重な古代種のキメラであるリウゥゥムと鳳来の遺伝子だけを提供すれば済むという話ではなくなった。その遺伝子のどこをどう傷つけてどのような結果がもたらされたのか、その過程の全てを中枢は欲しがるだろう。この星にドワーフを含めた彼等が留まれる可能性は限り無くゼロに近づいてしまった。後はイリトの政治力だけにかかってくるが・・・果たして。

「私が悪かったの・・・この子達には罪が無い。」老女は娘のようなクローンの頭を下から抱く。「みんな、連れて行きます。」

「それがアナタの・・・鳳来を待つ理由なのですね。」

約束は呪い。

「彼と別れる時に、そう誓ったの。」

晴れ晴れと笑う老女の顔は艶やかな女の顔となる。老いても尚、美しかった。

「一緒に産まれた私達は・・・死ぬときも一緒です。」

2人で決めた。自分の遺伝子をひとつひとつずべて消して行く。

生きて存在した、すべての痕跡を。

か細い手をリサコの手と添えて、目の前のただ一つの空間を女は開いた。

それは鳳来だけに通じる道。

緋色の鳥が彼等を殺しに来る。


スパイラル・スリー 第十一章-2

2014-03-28 | オリジナル小説

          ドラコ働く

 

ドラコは退屈していた。

アギュから頼まれたガンダルファから頼まれた、お仕事にである。

対象は動かないどころか、ほとんど横になっている。死んでるのかにゃ~そうも思ったが、付き添いの女が一人、水を口元に当てたり体の向きを直したりしているのでまだ生きているらしい。

そこは村の後方80度、約300m上空の次元層に隠された船の中。現実からダッシュ空間にして15000レベル、探知するには深く攻撃するには浅すぎる。

だけどこんなとこでも、いきなり引き抜いたり、出港したりしたらいくらか表にはダメージが残るのにゃ。この船の質量はかなりなものにょ。

昔の船は特殊な素材で作られている。以前、御堂山上空に出現した船と同じ。

微生物が寄生する岩石に近いものだ。

小惑星帯の母船が緻密サーチをしても岩盤と見分けが付きづらだろう。

ただし今回のように地上部隊がピンポイントでサーチすれば見付けることは容易い。

いわば、篭城の構えであった。

その船自体は、最新鋭のものとは違い次元からの侵入や干渉からの防備はまだ低い。ドラコの侵入は容易であった。ドワーフとシドラ・シデンが呼んだ者達やシドラが敵愾心を燃やしている美豆良と呼ばれる男性の出入りもあったから、その時に開かれた穴を利用する。ほぼ、苦労もなく数日に至る。

彼等は次元探査能力に優れた進化体のことは当然、知っているだろう。警戒もしている。ただし次元生物ワームドラゴンの存在はおそらく、知らない。彼等の感知できる次元を質量で刺激することなく、より深部から正確に容易に侵入してくる存在を知らないのだ。

勿論、デカイだけのバラキにはできないお仕事なのにょ~

そう思って張り切ったドラコであったがすぐに飽きてしまった。

不法移民のリーダーとされる、鬼来村の村長、鬼来リサコはほとんど動かなかったからだ。言葉も発しない。

横たわる女と世話をする女にはドワーフと呼ばれる小さな人々がそれはもうかいがいしく仕えている。ドラコがその様を報告するとまるで巫女に仕える信者達のようだなとガンダルファは言った。「マザーと呼んでるってか。」(そうなのにょ。)「まるで聖母だな。信仰の対象なのか。中にさ・・・」説明した。「・・・と、いったような機械はない?機械っていうか、設備、システムっていうか・・・」

ガンちゃんの七面倒くさい説明じゃ、よくわからないにょ~

そう言いつつも、隠密ドラコは暗躍し船内の見取り図が作られた。

「行方不明と言われている村の人達はどうしている?」

村人らしき人間達はいた。マザーと呼ばれる女のいる部屋を守るように数人。部屋に入るのは付き添いの女とドワーフだけだが、その女に食べ物を渡したり、色々な雑用をしている。しかし、それは6人だけで残りはしかるべき機関の中で眠っているようだった。

それにドワーフって人達、なんだか日に日に数が減って行くのにょ。

それは目にもわかりやすい。広い空間の中央、女が寝かされている場所はやや高い。おそらくかつての指令塔ブースであろう。そこから見下ろせる円形の床の表は横たわったもので日に日に塞がって行く。こっちは完全に死んでるのにょ~

ドワーフだけではない。なんといっても首だけが並べてああったりする。きれいなものから焼けただれたものや傷口を縫い合わせたらしいもの。勿論、小さなもの達の体、これが圧倒的に数が多い。数百年に渉る墓場ではないのかとドラコは疑っている。今日もドワーフの仲間が抱えてきて、どういう法則に基づくのか律儀に並べて行った。一部は死体が壁のように何段も積み上げられている。同心円状に重ね組み上げられた、その一番上には死体が安置されている。

どういう美的感覚によるものなのかにゃ?

ドラコは不思議がった。法則性は感じられるが、なんの法則かはわからない。かつてのコントロールルームらしき空間は広大なカタコンベだ。ただし、腐臭や死臭はない。

船の中では腐敗が進行しないのにゃ、換気設備もあるのかにゃ?

見たままを詳しく話すと、ガンダルファの隣にいたアギュは険しい顔をした。

「かと言って、手出ししてもなぁ。」ガンダルファも困ったようだった。

「カレラは・・・このホシの固有のセイブツではありませんしね。」

「助けたところで連邦で生かされる可能性は低いわな。」

ガンちゃんのため息をドラコは聞いた。ドワーフさん達は劣化した人類なのにょ・・

『そうさ、ドラコ。始祖の人類の遺伝子を一番としてそれを保存することを命題としている今の連邦では、そういう風に位置ずけられてるんだ。カバナリオンとは正反対でむしろ抹殺の対象さ。僕達がいた研究所でもそういう受精細胞は誕生する前に真っ先に取り除かれていた。だから誰も目にすることがなかったってわけ。』

『ガンダルファ、ことはそうカンタンではありません。』アギュが意識下で加わった。

『レッカ体は長年に渉るウチュウ生活のムジュウリョクやウチュウ線の影響だけでタンジョウするとは限らない。サイボウのコピーを繰り返すことで起こるサイボウハカイの方がよりシンコクで根が深いんです。レンポウはそちらをより重く罰しています。だって、それは完全なジンイ的なものなのですから。』

『つまり』ガンダルファは唸った。『ここの奴らは正式な劣化体ですらないってこと?それって・・・ひどくない?そんな惨いことをなんだって・・・。』

アギュレギオンは横たわる老いた鬼来リサコの白い顔を思い返した。

「クローンのシッパイ。無ケイカクにリョウサンした、そのケッカ。」

冷たい口調が混じる。

「間違いなくあのオンナがそれを行ったんだ。」

 

 

     悪魔名乗りをあげる

 

「おまえはあの時の」鳳来の目が細められている。銃を持つ手を掴むジンに老人とは思えない力で対抗していた。「大人げない真似はやめるさ。大物らしくない、みっともないさ。」鳳来の額には汗が浮かぶ。「偉ぶった口を利いたことを後悔するぞ。」

引き金が弾かれ銃弾が子供達に向けて放たれた、と見るやジンが銃口を下向きに体で覆っている。

「何してるんですか!。」

鴉が非難がましく足下の土に刺さった銃弾を掘り出す為に屈んだ。

「貫通したじゃないですか、まったくもう。危ないことしないでくださいよ。」

「誰にも当たらなかったんだから、御の字とするさ。」

投げられた銃弾をもう片方の手で受ける。

「ホラよ。」表には出さないが、おそらく内心では唖然としている鳳来の前にそれを差し出した。「体に穴が開いちまったな。」

ジンはジャケットを開いてわざわざ自分の胸を披露する。黒い穴が穿かれているが、血は流れていない。

「覗いてみるかい?向こう側が見えるかもしれない。」あの世ってやつかもと笑った。

「ジン、大丈夫なの?」渡の声に「これぐらいなんともないさ!」ジンは返す。

「これってどういうことか、わかるかい?鳳来の旦那。」

鳳来はジッと目を合わせた後、「なるほど。」と片頬で笑った。

「おまえは・・・どうやら人間ではないってことかな。サイボーグか?」

「まっさか!」笑い飛ばす。「鳳来の旦那、あんたは見えるものしか信じないっていう手合いらしいな。だから、あんたには俺っちの正体は到底、受け入れがたいだろうよ。」

もう、いいでしょうジン!と鴉が背で急かした。痩せた体に似合わず軽々と寿美恵を背負ったままで、鳳来にも一言いわずにいられなかった。

「私達はこのご婦人と子供達を引き取りに来ただけですから、あなたのお邪魔はしませんよ。」

「・・・おまえ達は連邦の使者なのか?」「はっはぁ、またもやはっずれだぁ!」

己が知らないということを認め、尋ねることも鳳来としては認めたくない敗北感であろうのにジンは平気でかぶせてかかる。

「わかりっこないって!なんたって、俺っちはあんたの絶対に認めない存在だもの。」

そう言う側からジンの肉体から一気に何かがはみ出して来る。黒い渦、それにともなく鳳来の芯すら冷たくするエネルギー。鳳来はその圧力に脅威を感じ本能的に無言でジンの体に当てられたままの銃を続け様に撃ち込んだ。撃ちきる。

「だから、無駄なんだって!」「もう、止めて下さいよ。」

子供達を庇い押しやった鴉が呆れた。

「その方、相当の負けず嫌いですかね。」「おうよ、そうらしいな。」

弾丸が切れた後も引き金は何回も弾かれ、そうしてやっと鳳来は動きを止めた。もはやジンの体から飛び出した本体はギラギラとした目で蛹から出た蝶のように真上から男を見下ろしていた。

「悪魔、鳳来を殺すなよ。」ユリがどなった。「殺すかい。」ジンは言い返す。

「悪魔・・・だと?」

「初めまして鳳来の旦那。あんたがいるわけないと言っていた悪魔ってヤツが俺さ。」

ジンはやっと鳳来の手を放した。放された腕は服が裂け、鳳来の腕には赤いケロイドが刻みこまれている。鳳来はブスブスと燻るその腕を見つめた。「悪魔・・・?」

「それだけじゃないぜ、ほら、天使おまえも見せてやれ。」

「ええっ、巻き込まないで下さいよ。」

「おまえだって俺達を幻覚だ、妄想だとコケにする、この宇宙の旦那に俺らの存在を

見せ付けてやりたくはないのかい?天使には気概ってもんがないのかよ。」

「・・・面倒くさいですねぇ。」そう言いながらも鴉の背中からは目に痛いほどの巨大な輝く翼が現れた。「どうも、天使です。」後ろ姿でちょこっと会釈をすると「さぁ、もういいでしょう?私達、これ以上の仕事は頼まれていないんですから。」

「奇麗だな!」「さすが天使だ!」子供達の簡単の声に鴉の気も晴れた。

「あなたも来てくれないと、運転するのがまた渡になってしまいますよ。」

「わかってるって!」そう返すと「じゃあな、鳳来の旦那。自分の足下に魔物が群がってることも、これからがあったら少しは気にするこった。」

その声を聞きながら瞬きをすると、その場に一人でいる自分を鳳来は見いだすこととなる。「悪魔だと?」ほの明るい上空から冷えた空気が降りて来る。それは微かに金属の香りがした。「天使だ?」鳳来は再び、瞬きを繰り返した。

「異次元の幻覚どもが。」しかし今度は何も変わらなかった。「ばかを言ってくれるじゃないか。」しかし、声はいくらか勢いがない。

そしてついに、役に立たない拳銃を力任せに足下に投げ捨てていた。

 

 

      始まって以来の大失態

 

星崎と平は警察車両に同乗していた。隣には高木刑事、前の助手席には松橋。運転しているのは県警の警官だ。

星崎達は昼過ぎには群馬に到着していたのだが、鈍行を乗り継いで一番近い駅までたどり着いた頃には既に辺りはすっかり薄暗くなっていた。そこからタクシーに乗ったものの鬼来村は知らない、聞いたことはあるがそこへは行きたくないと言う運転手達に大苦戦。ようやく一日貸し切り料金で一台確保したものの麓の村へ到着した途端、こんな夜中になったら村にはやっぱり行きたくないとごね出されてしまった。説得に応じない運転手にあやうく道端に下ろされそうになっていたおり、そこを通りかかったのがサイレンを鳴らしたパトカー3台である。

めざとく刑事達を見つけた星崎がヒッチハイクよろしく手を振り回し、まんまと鬼来村まで一緒に連れて行ってもらうことに成功したと言うわけだった。

「しかし、あなた方はやっぱり何か隠していたんじゃないですか。」

松橋は機嫌が悪い。

「あら、別に隠してませんでしょ?」星崎はすましたもの。「ひょっとしたら、雅己くんが故郷が帰るかもってちゃんと言ったじゃないですか。」

「しかし・・・基成兄弟も一緒だった。あの姉と弟らしき人間も村にいることが先ほどになってやっとわかったんです。」

発見が遅れたのはエレファントが知らを切って名乗らなかったせいである。ようやく6時の報告で2人の人となりを聞いた県警が慌てて東京に打診したという顛末。(『ものすごいデブなら2人いるけど』と現地の警官達は言ったと言う。)

「星崎さん達はあの3人と2人が最初から一緒に行動していることはご存知だったんじゃないですかね。」さすがに温厚な高木も非難がましい。

「あら、そうなんですかぁ?基成先生達もここへ?じゃあ、無事だったんですね。良かったわぁ。」「だから、あっしはあの3人が死ぬわけないって言ったんですよ。勿論、鬼来と岩田もですがね。」平副編集長はご機嫌である。あまりの寒さにあおったカップ酒が利いている。

「なんたって基成勇二大先生は稀代の霊能者ですからねぇ!あんな大火事の中でも死ぬわけありませんや、例えあの2人とはぐれたとしたってですよぉ!あの先生には千里眼がある、と来たもんだ。責任感の強いあの先生がねぇ、若者2人をほって自分だけ助かりましたなんてとおめおめと出て来るわけはないでしょうが。先生のことだ、ちゃんと2人を捜し出したに違いねぇんですって!ねぇ、その通りだったでしょう?鬼来と岩田の行く先なんて探り出すのはお易い御用だったてわけですや!」(そういう話は後にも先にも聞いてませんけど、と高木)

「あら、早合点しちゃダメよ平さん。確認しなきゃ。あの~、あの2人がいるってことは、先生も勿論一緒にいるんでしょうね?」

「今の所、2人としか報告はありませんが・・・たぶん、いるんでしょうよ。」

煙に巻きまくる平と星崎に憮然とする刑事達。その後の定時報告が途絶えたこともあって、こうして向かっているとはさすがに言わない。

しかし、星崎が怪しんだのは別の方向だ。

「それにしても、私達はともかくですよ。なんで東京にいた高木さんと松橋さんが明日も待たずにこんな真夜中に鬼来村に向かっているんですか?」

「いや、私達は岩田譲くんの実家の方にですね・・・」刑事が急に身じろぎし出す。

まぁ、山梨は空振りでしたがと歯切れが悪い。

「ひょっとして、基成先生が提出した雅己くんの服の鑑定が終ったんですか?」

「やっぱり、あいつが容疑者になったんですかい?」平が俄然、声を張る。「しかし、それは無理ってもんですや。そうでがしょう?!我々が目を離したのはほんの10分ほどなんですしぃ、あの家はシラミつぶしに確認してあって(お巡りさん達も前に捜したでしょが)死体なんかどこも隠してなかったってのは確認済みってなわけですよ。もし仮に、もしもですよぉ100歩譲ってあいつがおじさん達を殺したとしたってです、そいつは神隠しの最中ってことになるわけなんですからね!その証明が出来ない限り、記憶喪失のあいつに罪をなすり付けることなんてできるわけないんですや!ええ、もう、法治国家ってヤツが許すわけありませんですよぉ!」

「わかりました、お説ごもっともですって!。」平の大声に高木が対抗する。もはやパトカー内は怒鳴りあいだ。「雅己くんはまだ容疑者ってわけではありませんがね。」

「ねぇ、DNA鑑定って出たんですよね。」星崎が再びしつこく聞くが、今度は不自然な沈黙が車内に落ちた。「・・・どうしたんですか?」

「実はですね・・・」高木がため息を付き、松橋が後部座席に背を向ける。

「あの服ですが・・・消えたんです。」

「消えたぁ?」「証拠物件が?まさか、紛失したってことでっか!」

「違います!」松橋が真っ赤な顔で振り向く。

「断じて紛失したわけではありません!」

「消えたんです。」高木が声を潜めた。「鑑定しようとした間際に科捜研の部屋から。」「・・・それって、どういう・・・?」

「あなた方は専門家ですからねぇ・・・」高木の口調はやけくそな気配が漂う。

「これから話すことはどうか内密にお願いしたい。いいですか、本にしたら・・・」

「本にしたら?」と、編集2人。「逮捕します、ありとあらゆる埃をたたき出して、絶対に逮捕してやる。いいですか?」「・・・はい。」

温厚な高木の突然の剣幕には編集魂はとりあえず納めるしかない。

「実は、死体も消えたんです。」「はい?」

「消えたんですよ。鬼来家から見つかった肝心の死体。光司さんと正子さんのご遺体ですよ。」さすがの星崎と平も口をあんぐりと開けてしまった。

「・・・盗まれたってわけでは」「それはありません。」「・・ですよね。」

「警察の死体安置所から消えたんです。解剖寸前に、です。」高木は首を振る振る。

「勿論、見張りは幾重にもありました。監視カメラだって・・・なのに、忽然と消えたんですよ!こんなことってあります?警察、始まって以来ですよ。」

「オカルトだねぇ・・・うん、これぞオカルトだ。」平が繰り返す。「いや、オカルトっていうよりも宇宙人とかの仕業かもしれませんや、ねぇ?星崎さん。」

「さぁ、私にも・・・なんと言ったらいいか。」

「そうじゃないとなると後は、こりゃ内部犯行ってことですかねぇ。」

平の不謹慎なでかい呟きは警官達を悪戯に刺激しているようだ。車内に反感がみなぎるのが目に見えるようだった。

しかし星崎は平が宇宙人と口にしたことで、充出版で起こったことや『宇宙のお姉さん』のことを漠然と考えていた。「そうだ。そうよ、基成先生なら・・・先生なら何か、わかるかもしれない。先生に会わなきゃダメよ。」

「我々もぜひ、天下の基成勇二先生のご意見をお聞きしたいものですなぁ。」松橋は居直りきったようだ。「鬼来村の村人失踪事件だけでもこちらは手に余っているっていうのに、まったくですよ。」

東京になんか行くんじゃなかったと思っているのだろう。

「もう、我々にもわけがわかりません。とりあえず、雅己さんの安全ぐらいは確認しませんとねぇ。」高木も妙な事件を担当する羽目になった自分を呪っている。

急に口を閉じた星崎緋沙子はどうやって記事にしようか、密かに算段を始めていた。平は大声出したせいで眠気が襲ってきたようだった。

時間は12時。パトカーは鬼来村の入り口のすぐ側まで近づいていた。

勿論、その頃にはジンと香奈恵の乗って来た車は何処かに消えているはずだ。


スパイラル・スリー 第十一章-1

2014-03-28 | オリジナル小説

       11・連邦の脱走者

 

 

         戦いの舞

 

息1つ、乱さずに美豆良と勇二は拳を交えている。相手に打たせてその隙に相手にもダメージを与える戦法は変わらない。付いては離れ、離れては突き。二人は舞った。周りを取り巻く影達はいつの間にか互いの争いを忘れ、手に汗を握りそれを見詰める。子供らしい容姿の者がいる、老人の顔の者もいる。男とも女とも付かぬもの。肉体のバランスがおかしいもの。手足が異常に長い蜘蛛のようなもの、逆に手足や体の境目がはっきりとしない肉塊のように丸いもの。戦いの最中、それらをはっきりと勇二の意識は捉えている。

「切りがない。」

観衆を蹴り飛ばすように美豆良は動きを止め、対峙した。

「あんたには俺を殺す意志がない。」

「まあぁね。」勇二も瞼を閉じたまま動きを止める。二人は宙に浮いていた。

「あんたはこの空間でも躊躇がないようだ。さすが、稀代の霊能者と言ってやろうか。」「そりゃ、どうも。」勇二の眉間に皺が寄る。相手の思惑に気を巡らせているのだ。「あんたのことはただの変態インチキ野郎だと思っていたんだけどな。すごい対応能力だ。ただの人間じゃないだろ?」

基成勇二はそれには答えない。「いや、特別な訓練を受けている・・・ひょっとして、アメリカの国防総省とNASAが作ったと言う極秘対応プロジェクトチームか。」

「なんのことやら。」勇二の口元には笑いが浮かんだ。

「あそこには地球外生命体対策部門があるはずだ。他にも色々、研究しているらしいな。さしずめ、あんたはオカルト部門、担当か?」「・・ださいネーミングねぇ。」

笑いを浮かべたまま、勇二は周りを警戒する。何かが近づいてくる?

「あんた、確か魔物ハンターなんだよな?」美豆良の顔が突然悪魔的になる。

「会わせてやろうか?あんたの捜している・・・その魔物に。」

勇二の浮かぶ空間を内側からえぐり取るように、場を引き裂いて何かが出現する。しかし、それを勇二は既に察知していた。基成勇二はまるでツバメのように軽々と反転して一気に空中を数十m後退した。その代わり、避け切れなかった小さな人達がその存在に押しつぶされた。ドワーフと呼ばれる生き残ったもの達は争いも忘れて次元の穴に慌てて潜り込む。巨大な黒い渦。蛸壺から四方に腕が広がった腕によって逃げそびれたドワーフが叩き潰される。その質量に空間が歪む。

「紹介しよう、『怠惰の王だ』。」

「へぇぇ・・怠惰な割には働き者じゃない?」勇二は肩で息していた。

地に押し付けて来る重い波長のエネルギーだ。意識一つで垣間みた時とは肌で受ける感覚が桁違いだった。気圧が低下し体温までがそれに引きずられる。場が歪んだことによる目眩と耳鳴り、観念で見ている目すら視界が激しくぶれる。脳裏で捉えているそれは触手から更にウニのような黒いトゲを交互に繰り出しているようだ。

吸引力がある中心部に引きずり込まれないように先生はエネルギー風に晒された体を意識ごと踏ん張る。『来たわよぉぉ!これが魔物ぉぉ!』狂喜とは反対に額には冷たい汗が滝のように流れ落ちた。

『まちがいない、鬼来光司の家で見たのはこいつだわ。』

感慨というか、感動に近い武者震いも勇二の全身を深部から駆け巡る。

『待ちに待った、大物中の大物!』

中心にある目、魔物の意識のようなものが勇二を捉えようとしている。勇二は動けない、いや動こうとしない。戦いあぐねていると言っても良かった。物理的ダメージはおそらく与えられないはず。有効な手段は観念しかないが、相手のエネルギーはあまりに巨大で未知数だった。先生は既に覚悟を決めている。

『いちかばちか、相手の懐に入ってみるというのもありかも。私が内側から食いやぶってやるわ!』一人では捕獲は難しいと思われる。今こそ外部へ、のろしをあげる時だと勇二は思い、意識の一部が外へと発せられる。それを感知したのか、

美豆良はその場で基成勇二のとどめを差そうとしない。それどころか戦いさえ、中断する。「来い。」突然、魔物に呼びかけ身を翻す。

「悪いが、あんたよりも先に片付けることができたようだ。」

巨大な渦が見る間に美豆良の手の内に吸い込まれる。「待ちなさい!」

勇二も自発的金縛りを瞬時に解き後を追う。

 

 

         雅己の最後

 

譲の頭が床に達する前に体は後ろから抱き取られていた。

長く伸びた凶器が宙を舞う雅己の体を横に裂くのを見ていたその後に。

「大丈夫か。」背後から聞き覚えのない声。

誰かが、譲の傍らから宙へ飛んで行く。「美豆良!」美豆良の笑みは嬉々として不自然に歪む。「ああっ、レィディ!」振り向いた雅己の兄貴はその喜悦とは対照的に、凶器を振るう。彼の攻撃のすべてを軽々と避ける・・あれは女性?

「あぶない!」思わず口にすると、傍らの声が耳元に寄った。

「大丈夫だ。彼女にはワームが付いている。魔物なんか屁でもないさ。」

薄い水色の目がこちらを覗き込んでいる。「・・・誰?」魔物?雅己の兄貴のこと?

「香奈恵に頼まれたんだよ。」男は肩を竦めた。「無事、確保だな。」屈託のない笑顔。

香奈恵?なぜ、ずっと会っていない妹の名前がここで?とりあえずの疑問は保留として再び忙しく視線を戻す。美豆良と呼ばれた男と勇ましい女は命のやり取りを続けながら既に遥か機関の上まで遠ざかっている。二人ともすごいスピードだ。どうやら兄貴の武器は女には、なかなか当たらないらしい。

譲は背中にいる男に助けられてようやく身を起こす。そして大事なことを思い出した。「キライ・・・キライは?」

そのキライは数mほど前方に倒れていた。靴の底が見えた。

「見ない方がいい・・・だけど、やっぱり見たい?。そりゃ、やっぱ見るよねぇ。」

結局、男は譲を止めなかった。融は駆け寄る。ゼリーの中を泳ぐように体がフラフラした。体のそばに倒れ込む。事態が飲み込めない。

雅己は目を見開いていた。開いた口は、血にまみれている。一目で死んでいることがわかった。なぜなら・・・腰のところで体が横に裂かれていたから。えぐり飛ばされた内臓のあった場所はぽっかりと開いていて、背骨の折れた白い断面が露出していた。飛び散ったはずの内臓や血液が見当たらない。死体は奇麗だった。なんだか模型じみていると思った。これは造りものではないのか。ハリウッド映画とかであるような特殊な模型。本物の鬼来雅己自身とどこかで入れ替わったのではないか。現実感がまるで湧かない。湧かないままに譲は思わず、雅己のむき出しの手に触れた。暖かい、肉の感触。ということは・・・これは人形ではない?。

「キライ?ほんとに?・・・なんで?なんで・・・?」

狼狽し困り果て、子供のように途方に暮れて唯一その場にいる男を振り返った。男は肯定も否定もせず、肩を持ち上げる。その背景には大きな黒い山。

霊能者の巨体が遠くに伏せている。そうだ、基成先生も?死んだ?

夢だよな。先生の首が・・・。

そう思ったら急に目眩がした。足が手が自分のものでないように動くことを拒む。『嘘だ、嘘だ・・・嘘に決まってる・・・』頭も体の芯も急激に冷たくなって行く。

とうとう闇が落ちて来た。待ち望んだ闇だ。救われたと感じる自分がいた。

もしも、これが現実であるならば。逃れる為には、なんでもしよう。

ふいに、ずっと会っていない母親の顔が浮かぶ。

「あああ、言わんこっちゃない。ほんとは、見ない方が良かったんだけどなぁ。」

闇の中で男の声。

「でも、ここまで来たらどうしたって見ないと納得いかないもんな、普通。」

『譲兄ぃ』どこかで妹の声も聞こえたような。

 

 

 

        美豆良の死

 

美豆良は悟る。この女はこの間とは違う。

リサコ達を船に隠す間、ドワーフに迫られてオタオタしていた時とは雲泥の戦闘能力。それはシドラ・シデンがドワーフと呼ばれる人々を出来る限り傷つけまいとしていたからだということが美豆良には理解出来ない。美豆良にとっては劣化体呼ばわりされる彼等は、ただのゴミ、せいぜい役に立っても消耗品に過ぎない。

魔物は驚いている。この女は何かに守られている。

近くにいても魔物の攻撃は当たらない。感じるほど近くにいるのに同時に遠くにいる。瞬時にその場にいなくなる。いや『いる』のだ。

『いる』のに『いない』。

わかることは、『いない』という状態にこの女は存在を変えることができるということ。それはいったいどういう技であるのか。かつて魔物が御前と呼んだ男が語った言葉が浮かぶ。『私は宇宙から来た』。この美豆良も雅己も彼に語った。『自分達は宇宙人の末裔だ』と。どうでもいいと思った。信じなかった。しかし、俄にその言葉が信憑性を帯びる。

人間のいる空間とは紙1枚、2枚の薄い次元を次元とも意識せず移動する魔物には、デモンバルグ同様はっきりとした次元移動の感覚はない。

次元生物ワームドラゴンに守られ、その力を駆使して無限の次元移動能力を発揮するシドラ・シデンは彼等の常識の範疇にはなかった。

美豆良自身、自分が宇宙から来た人類の血を産まれ持っていることは知っていても、その宇宙で何世代も血を繋いだ宇宙人類の次元探知能力がどれほどのものかはわかっていない。

そして、それよりも更に上を行く、ワームの使役者のことなどはまるで知らない。

ただ、一筋縄ではいかない相手だということしかわからない。

基成勇二との1対1の戦いは決着が着かなかったが、魔物の力を借りることでなんとか退けることができた。しかし、魔物の力を持ってしても両者の力は拮抗している。らちがあかないどころかむしろ押されている。女は魔物の目にも止まらぬ早さで肉体の内側から攻撃を仕掛けてこれるのだ。内臓を直接、打撃してくる。防ぐのがむずかしい。内臓は筋肉ではない、鍛えられないからだ。内臓を破裂させるような致命的な事はしない。少しづつ、確実に痛め付けていく。魔物には利かないが、肉体には効果覿面だった。美豆良の笑いも余裕を失なう。

シドラは魔物も気が付かないうちに特定の袋小路に彼等を追い込もうとしているのだ。バラキが自らの胎内に作り出す牢屋へ。

そしてようやく美豆良も自らのホームである船とは違う毛色の空間に追い込まれていることを余裕を失っていた探知能力で察知する。

「もう、時間がない!」美豆良は自らが手にした武器となった魔物に命じる。

「行け!真の契約者のところへ!」

真の契約者?それは美豆良ではなかったのか?

シドラ・シデンが悩むより早い、魔物は美豆良を襲う。

「やめろ!」その現実にシドラが完全に重なった時、美豆良の体はズタズタに裂かれ筋となった魔物は針よりも狭められた出口を抜け出ている。

 

       鳳来、悪魔を知る

 

 

「ふむ。どうやら・・・」

鳳来がふいに足を止めた。「おまえの息子は奴らの手に落ちたらしい。」

ぼおっと足を進めていた寿美恵はビクッとなった。

「奴ら?奴らってなんのこと?」この男に話しかけることは死ぬほど怖かったが譲への思いがそれを押さえつけた。「手に落ちたってどういう・・・」

ユリは懸命にも口をつぐんでいる。その手は寿美恵の手を強く握る。

そこは土壁と言うよりは闇のようなものが渦巻く暗い穴から明るい先へと続いている場所。冷たい白々とした光が前方から射している。

「気の毒だが・・・おまえには一緒に来てもらおう。」

鳳来の視線に強く射られて寿美恵は縮み上がった。

「譲は・・・息子は・・・無事なんですか?」

細い細い糸で辛うじて保っていた神経が今にも切れてしまいそうだった。

「さあな。私が目的を遂げるまで手出しはさせたくない。来るがいい。」

ユリを見る。「おまえは帰ってもいいぞ。止めはしない。一人で帰れるか、おまえの運を試してみるか。」

「なぁ、鳳来。」ユリは寿美恵が腰から砕けるに任せた。「寿美恵は置いて行った方がいいぞ。一人で歩けない。鳳来が背負うか?」

「何、歩かせるさ。」鳳来は上着から拳銃を取り出す。「息子の命には替えられまい?」「ユリが行く。寿美恵はここに置いて行け。」

「指を吹き飛ばせば、正気に返るだろう。」一歩、進む。

「どけ、ユリ。代わりに撃たれるか?それでも私は構わない。その女がシャッキッとするのならな。」構えた銃はユリの眉間に置かれる。ユリは身じろぎもしなかった。「鳳来、寿美恵には無理だ。」

「おまえは・・・バカなのか?」鳳来は今やはっきりと苛立つ。

「どけ!。」ユリに気を取られていた鳳来は闇からのびて来た腕が銃を掴もうとした瞬間にハッと我に返った。引き金を引くのと手が銃を掴み、跳ね上げるのとほぼ同時であった。「ひいぃ!」寿美恵はその音に一遍は目を見開いたが、すぐにクタクタと今度は完全に気を失ってしまった。

ユリの方はいつの間にか、しゃがんで耳を塞いでいる。

それでも、鼓膜が痛くて目を固くつむった。

「あんたこそ、子供相手に何をしてるんさ。」

「ジン。」耳を覆ったままそう言ったユリの顔は露骨に迷惑そうだ。ただ、背後で「ユリちゃん!」という元気のいい呼びかけがしたのでゆっくり振り返る。

「渡、来たか。」耳が痛かったので笑顔はしかめ面になった。

『アギュは?』『来てるよ』無言の会話。

「おまえ・・・!」男二人は銃を間に力比べの真っ最中。「放せ!どこから!?」

「こんな物騒なものは仕舞うに限るさ。」

そうも言ってる間にも、もう一人、これは鴉がうずくまる寿美恵を抱き上げている。

「さぁ、帰りますよ。」


スパイラル・スリー 第十章-4

2014-03-21 | オリジナル小説

                             補充機関

 

譲は雅己の手を引いて逃げている。

混乱の中、基成先生に逃げろと言われた。咄嗟に譲は集中する。『逃げ道』そう念じて心を澄ませた時、確かに行くべき方向がわかった。うまくは説明出来ない。ただ、浮かんだとしか言いようがない。目を閉じたまま譲は足を踏み出した。

「キライ、こっちだ!」迷わず、そう言うことができた。

兄貴と言う人と小さな人達の間での小競り合いはとうとう力のぶつかり合いになった。小さな人達同士の争いもある。ドワーフと呼ばれた人達は兄貴の振るう暴力にひとたまりもなかった。争い合うもの達に均等に容赦なくその力は振るわれる。

「なぜ、殺すの!」基成勇二はそれを阻む。この中の片方は美豆良の協力者とやらではなかったのか。「利用しただけだ!もともと生きる価値もない!」

その言葉に光の中は勇二と兄貴の一騎打ちの戦闘になる。

そんな中、譲はまっすぐに進み、とうとう何かの入り口を通り抜けたのだ。

まぶたを真っ白に満たしていた光が唐突に消える。

恐る恐る目を開くと見たことのないシルエットの機械が聳えた部屋。こんな大きな部屋に部屋いっぱいを満たす機械。大きな木に似た中心部は部屋の中央に浮かんでいる。そこから手が縦横無尽に伸びる。部屋自体が四角や球形ではなく複雑な形をしているようだった。果樹のように大きなシリンダー?が浮かんでいる。シンプルだがよく見ると複雑な構造をしているようだった。その機械の中心部からの柔らかい光がその空間を満たしている。譲の目の痛みが急速に和らいだ。冷えた金属のような香りが漂って来る。2人の他に生命の感じられない、灰色と銀色の無機的な場所。「ここは・・・どこなんだ?村の後ろだよな?洞窟なのか?」

「ここは、船だよ。」雅己がクスリと笑った。「君の大好きなUFO。」

「まじで?」譲はリアクションに困った。

以前、サークルの合宿をした蓼科でそれらしき星を見た時の方があまりに嬉しくてかけ回ったほどだったのだが。「そう言われても・・・実感がなぁ。」

「ごめんね。」雅己が静かに「ずっと騙していて。」

「えっ、じゃあ、じゃあ、もういいよ、それは。いや、それよりは、なんで。」言葉に詰まる。「なんで、おまえは・・・超常現象サークルなんかに入ったんだよ・・・!?だって、おまえは宇宙人で・・」「正確には宇宙人の子孫。」

「そう、そうだとすると、おかしいだろ?だって、UFOなんてずっと知ってたんだろ・・・そうだよ、そう知ってた?」一瞬、錯乱する。「知ってたのか?

キライ、おまえは本当に?おい、本当に・・・これは現実か?」

「譲と一緒にいて楽しかった・・・」雅己は譲から目を反らす。

「僕は君と親しくならなくてはならなかったんだ。君がある人達と繋がりがあるから・・・そことの交渉を有利にする為に。」

「繋がり?なんだよ?そんなものないぞ?」離婚した父か?あとは旅館ぐらいしか。

「でも・・・緋色の鳥が・・・つまり、『呪い』だよね。それが発動を初めて色々と急がなくてはならなかった・・・僕の母さんも・・・母さんこそが宇宙人なんだよね・・・もう2000年は生きてる。だからもう具合が悪くて。間に合わなくて・・・

兄貴も普段はあんなじゃないんだ。兄貴は僕を守ろうとして焦ってるんだ。」

譲にはその話のほとんどが頭に入ってこない。。

「じゃあ、じゃあ!・・・おまえは最初から意図的に俺に近づいたってこと・・・なのか?キライ?」

「・・・歌舞伎町での出逢い。あれは偶然じゃない。」雅己は融の目を見ない。

「母さんのコネを使って、桑聞社に入った。あそこの会長は戦時中、この村に身を寄せていたことがあったからね・・・すごく簡単だった。」

「俺は・・・そんなこととは知らずに。」

「でも、わかって欲しいんだ。」雅己が顔を上げる。

「僕はずっと・・・この村から出たことなくて。義務教育は下の学校で受けたけど鬼来の村の者は嫌われてて。祟りがあるからって言われて虐められはしないけれど、誰も話しかけない。ずっと友達なんかできなかった。譲は僕が外に出て、初めて出来た友達なんだ。」

二人の目が合って、譲の心のさっき出来たばかりの塊はあっけなく解けて行った。

「ほんと・・・楽しかった。」ポツリと言った言葉が真実なのがわかったから。

「キライ・・・」なんだよ、もっと早く言ってくれれば。譲は涙が滲みそうになる。

「俺だってUFO大好きなんだから・・・ちゃんと話してくれれば・・・友達やめたりしないぞ。」雅己は譲の目をジッと見る。

「譲ならそう言ってくれると思った。」うなづくと、目が潤んでいた。

「だって・・・すごいじゃないか。」譲も泣きそうになったが、それを隠そうと興奮を抑えかねないふりをして、UFOの中をグルグルと見渡した。「これが本当にUFOならば・・・その中に俺はいま、いるんだろう?夢だとしたって嬉しいと思うよ。違うんならば・・・なんで教えてくれなかったんだってことだけだよ。」

「あっ、そうだ。この部屋はね。」笑う。「UFOならではなんだよ。部屋の上とか下とか考えちゃいけないんだ。ほら、見なよ。」そういうと雅己は見えない階段を登るように宙に歩み出す。

「二次重力があの装置の中心に設定されているんだって。やってみな。」

「よ、よっし!」腹を決めた譲は足を踏み出す。「力まないで。いつものようになんでもない階段を登るんだって思うのがコツだよ。」

2回、空を掻いた後、行けそうな感じがした。譲はついに宙に浮いた。

「うわっ!すごい。」調子に乗って駆け上がる。

「降りたい時は普通に降りていけばいい。急におっこったりしないからね。」

二人は上に上に伸びる機械の中心に向かって歩いたり走ったりした。回転しても気持ちが悪くはならないのが不思議だ。横になって泳ぐようなそぶりもする。クロールで進みながら『無重力ってこんな感じなのかな。』と譲は思う。想像する無重力よりも自由自在な感じがする。動きが抑制できる。「こんなことしてていいのかな。」

「譲、見てごらん。」幹のところどころに瘤のようなドームがあった。雅己はその側で中を覗き込んでいた。ガラスのように中が見えるところがあるようだ。

「なに?これ?」覗いた譲は当惑した。中にいるのは人型の胎児のように見えた。

眠っている成人の人間もいる。若い娘がいて裸だったのでドキリとして目を反らす。

何人かは、雅己によく似ていた。

「これはね、村の人達・・・命を再生しているんだよ。いらなくなった体を分解してまた作るんだって・・・そうやって新しい命が帰って来るんだよ。この村に・・・」

ドロドロとした赤い液体が回りを渦巻いている中に浮いている小さな肉塊を差し示した。「昔の船はね、乗員を補充するこういう設備が必ず付いていたらしいんだ。」

「どういうことだよ。」

「村の人も、あの小さな人達もこうやって産まれたってこと。」

「それって・・・つまり?」

「あの人達だけじゃない。少しやり方は違うけど、僕や兄貴だってもともとは・・」

そこまで言った時だった。

「雅己ぃ!」部屋の空気が破れた。疾風、切り裂くように何かが突き刺さる。譲には円形に飛び散った血液しか見えなかった。

「ペラペラとしゃべりやがって!ほんとにおまえはバカかっ!」

それから起こったことはあまりにも立て続けだった。「譲!」そう叫んだ口のままの雅己が大きく弧を描く、弾き飛ばした男の腕が振り回した棒のようなものが融の頬を掠めそこから血が噴き出す。痛みを感じる暇はなかった。しかしすぐに大きな塊、つまり基成勇二が男に追いすがり譲を太い腕で下に弾き落とす。

譲はゆっくりと下に落ちて行く。

兄貴と呼ばれていたらしい人間は基成勇二には目もくれず雅己を追う。雅己は腕で顔を庇う。その上に鞭のようなしなる棒が振り下ろされる。基成先生がものすごい素早さで間に割り込む。男は棒を持ち替えた。今度は剣のように真っすぐに突き立てる。棒が基成先生の腹に突き刺さった。男の拳まで深々と。

先生は声を上げなかった。上げたのは背後に庇われたはずの雅己だ。

どういう武器かはわからない、霊能者の体を貫いたそれは雅己をも貫いたのだとは落ちて行く譲はまだ知らない。ただ、男が腕を引きワイヤーが引き出されると、伝いしたたり落ちる血液がスローモーションのように弧を描くのが見えた。それ自体が新しく誕生したワイヤーであるかのように跳ね出された先がクルクルと円を舞う。血と共に黒い霧が渦巻いた。雅己が頭を下にして回転し落ちて行くのが見える。血のバネはその後を追う。基成先生の巨体は引き抜かれた凶器によってバネのように軽々と上へと跳ね上げられた。しかし先生はその間も兄貴に腕と足を繰り出すのをやめない。

兄貴が尚も凶器を振るい、腕が足が体から切り離される。それが舞った。

冷たい金属の香りにむっとする血の香り。猛々しい生命の華が咲き誇る。

「先生ぇ!」絶叫する譲が床に到達する間際、基成勇二の首が胴体から飛んだ。


スパイラル・スリー 第十章-3

2014-03-21 | オリジナル小説

          闇を歩く

 

現実とは違う次元の中を鳳来が歩いている。

そのすぐ後ろからユリを連れた寿美恵が付いて行く。寿美恵の手は守るようにユリの手をしっかりと握っている。でも既に寿美恵自身、実際は自分がこの12歳の少女によって鳳来から守られていることを痛いほどに感じていた。

だから、黙って・・・余計な口はつぐんでユリの側に寄り添っている。

もう一人。相談役の姿がない。弁護士は車と共にどこかに残った。夜の雪道に降ろされてどこをどうやってここに至ったのか、寿美恵にはよくわからなかった。

『普通じゃないわよ、こんなの。』それだけはわかる。譲は・・・息子はしばらく見ない間に、いったい何者とかかわってしまったのだろうか。

ユリがぎゅっと手先に力を入れ握り返した。

「なぁ、鳳来。」ユリの声には怯えも甘えもない。「あの男は人間なのか?」

置いて来た弁護士の事を匂わすと前を行く老人は喉の奥でクッと笑ったようだ。

「わかったか。」ユリの指摘に満足したかのようだった。

「あれはロボットだ。」

「ロボットには見えない。」

「生体ロボットというのだ。」

「生体・・」ユリは反芻しながら考える。寿美恵には勿論、なんのことかもわからない。だから黙って聞いている。正直、ユリの度胸には驚嘆するしかない。

「金属ではないものでロボットが作れるのか。」

「ああ、造れるとも。生身よりはな、少しまずいらしいが。」遠い昔、シベリアでのことだ。巨大なトラは農奴達をむさぼったが、ホムンクルスは結局、食べ残した・・・そのことを思い返して薄く笑った。「ユリと言ったか・・・おまえの思いもよらない世界の話だ。そこでも禁じられた技術だったが・・・わたしの知ったことではない。ここへ来た時に30体ほど持ち込んだ。」

「30人もあれと同じ男がいるってことか?」淡々と少女は質問する。

「必要になるだろうと思ったからな。あればあるだけ便利だ。さるところからまとめて盗んで来たわけだが・・・われながら派手に使ったものだ。もう残りは11体ほどか・・それも今晩で使い尽くすつもりだ。」

その声にはユリの知らない過ぎた日々を思う感慨深さがあった。

「そしたら、鳳来は一人か。」

「もとから一人だよ。」籠った笑い。

「でも、あの男は他とちょっと違うんだろう。」

「そうだ、司令塔ロボットだ。」その問いは予見していたようだ。「全てを統括して動かす役目さ。いわば、データの集積庫だ。」

「あれも捨てるのか?」

「最後の一仕事だ。追って来た者のことは察しがついている。いくらかでも、時間を稼いでくれるだろうよ。わたしのかつていた世界ではあれはそういう存在だ。使い捨て・・・わかるか?壊れても直さない、回収しない。見捨てる、見殺す、場合によっては殺すことを前提に使うものだ。」そう言ってから少女の反応を伺うかのように顔を向けた。

「殺す・・・でも、ロボットなんだろう?」ユリの表に動揺はない。

「命はあるのか?」

「命ってなんだと思う?」

鳳来の酷薄な笑みにユリは首を傾げた。

「電気信号だ。ただのな。あとはアミノ酸、有機物質、水の寄せ集めが電気で動いている。脳みそもな所詮、システムとして作り上げられている。方向性を与えるミクロチップさえ埋め込めばいい。だから、生体ロボットも作れるのだ。」

「魂はどうなるんだ?」ユリは鳳来を見上げた。「ロボットに魂はあるのか?」

ユリはアギュの心臓の上で瞬いているオレンジ色の光を思っている。あれはユリの母であるユウリの魂。「魂はあるぞ、鳳来。」

「まさか。」鳳来の蔑む視線は怯え切った寿美恵を掠めて背後に飛んだ。

「奴らは何体あっても一体でしかない。精神流体・・魂などというものは・・・もしあったとしても所詮、使い回しの共有財産でしかない。」

「でも、あれは・・・鳳来の思うものとちょっと違うと思うぞ。」

ユリも背後に視線を送った。鳳来の意識は再びユリに戻る。

「鳳来、あれには何かある。魂のようなものだ。憑いているような気がする。」

自分は魔物と語ったホムンクルスの事が浮かんだ。ばからしい。「おそらく、魔だ。」

今も鳳来は笑い飛ばす。鳳来には自覚はないが、もはやそれはもうおかしなことを言い出した司令塔ロボットへの意地なのかもしれない。

「フン、見所があると思ったが、まだまだ子供だな。魔物だのそんなものはいない。おのれの脳の中の錯覚だよ。」「魔物は次元に生きる生物だ。迷信とは違う。」

受け売りだったがユリは大真面目だった。「魔物等いない。悪魔も神も存在しない。」

もしもそういったものが・・・例えば神と呼ばれる者がもしも存在していたのならば・・自分の生は少しはマシになったのだろうか。そんな脳の隅に湧いた迷い、弱さを鳳来は瞬時に抹殺した。

「あれは・・・30体すべてを1つにするものだ。例え末端が100でも200でも全ての本質は変わらない。ようするにメインコンピューターだよ、おまえの世界でいうな。」

「司令塔が壊れたら、別のものが司令塔になるんだろう。任意のものが自動的に決まる仕組みなのか。」「理解が早い。」鳳来は機嫌を直す。

「おまえは私を愉快にさせている。」

しばらくは沈黙のまま歩んだ。

 

         吸血鬼

 

近づいて来る車に尋常ならざるものを感じた。

司令塔ロボットに取り憑いた魔物は身構えている。

『同じ魔物か?何者だ?』

車が停まる前にフロントを破るように黒い渦巻くエネルギーが飛び出して来た。

咄嗟に人体を離れた魔物はそれを躱す。

「よう、誰かと思ったら黴臭い吸血鬼か。」

「おまえは・・・?!」

圧倒的な質量の差が押し寄せて来る。まずい!魔物は不用意に後退することも出来ず、辛うじて踏みとどまる。エネルギーのいくらかがえぐり獲られた。魔物の支配を逃れた肉体が停車した車へと走り出す。理性を外された野生。『その身の血と肉をもって鳳来の敵を殲滅せよ!』ご主人様の指令が電気の支配する脳髄に谺していた。渡がドアを開けるのを天使が止めた。デモンバルグの気がそちらに逸れる。手を伸ばすとその人型の胴体を引っ掴んだ。

「なにくそがっ!」デモンの怒りが全て腕に注ぎ込まれる。人体は爆発した。

 

「ああ、なんてことを。」天使は咄嗟に渡の目を覆っている。仁王像にも称されたロボットの体は引きちぎられ、血と内臓が辺りに飛び散り、車を汚した。

「まぁ、あれはロボットですから。」アギュは後部座席から外に滑り出ている。

「でも。大丈夫とは言ってみたものの、血と肉で作られていますから・・・見て気持ちがいいものではありませんね、普通は。どっちにしても連邦の遺物ですから、放置するわけにも行きませんし。これは母船に掃除の依頼をしなくては。」

空を見上げた。

「ロボットだと?」デモンバルグが消え、反対の座席からジンが降りて来る。

「マジかよ。人間と変わらない断末魔だったぞ。」ダンマツマってなんだ?と渡は考えている。助手席側にあるらしい死体を見てみたい気もするが、前方のライトに照らされた雪の上の血飛沫を見て思いとどまった。それにフロントガラスにも何やらこびりついているし。

アギュは前方に停められた大型セダンを伺っている。「逃げられましたね。」

「ああ、魔物な。こいつに取り憑いていたんだろ。いいな、こういうのがあったら人体を搾取する手間が省ける。」サクシュかぁ、なんか悪いことなんだろうなと渡。

「知り合いですか?」「直接は知らん。ヤツの断片を少し味わっただけだ。」

「ジン、そんなもの食べてお腹こわさないの?」運転席から降りて来た渡を天使は死体から距離をとらせることに余念がない。こういうところが天使は悪魔と違うのだ。「大丈夫ですよ、どうせ悪魔は悪食ですからね。」「誰が悪食だ。俺っちだって食って楽しいわけじゃない。」アギュに向きあう。「テベレスと呼ばれる、悪魔だ。大陸に巣食う吸血鬼らしいな。別名、『怠惰の王』とか名乗って悦にいってたようだけど。」得意げに「俺っちの敵じゃなかった。」と付け加える。

アギュは追って来た車に歩み寄った。肉体はちゃんとあるが、その動きはすべるように早い。ハンドルに凭れるように意識を失っている若者を見る。

「きっと、気が付いたら逃げるでしょう。」追いついて来るもの達を振り返る。

「その鳳来とやらを追います。」「おい、渡も行くのかよ。」「ジン、当然付いて来てくれるんでしょ?」渡は背後の車の方を見ないように努力している。

「ここから先は母船からサポートできません。おそらく相手の船の中に入りますから。ユリと寿美恵さんを取り戻したら。」渡がその言葉に強くうなづく。

「ジンは3人を連れてなるべく早く神月に戻っていただきたい。」

「帰りも運転してもいい?」「ダメだ!」ジンが唸る。「寿美恵さんがいるだろ。」

「ちえ!残念だなあ。」「あっ、そう言えば、香奈恵もいたんだな。香奈恵はどうするんさ。」「えっ、香奈ねぇも来てるの!どこ?」「どこでもいい!」

「そっちはガンダルファに任せてあります。」

アギュは闇に沈む山頂方向を見上げた。

「ここはちょうど山を挟んで鬼来村の反対側にあたりますね。」

一車線の県道は谷側も山側も大きな木に覆い被さられている。セダン車が停められていたのはすれ違う為に設けられていた回避スペースだった。

「この辺りから道を繋げてあるのでしょう。村に侵入する為の道か・・・あるいは船。」アギュはこともなげに手を広げるように空間を探るとおもむろに開き始める。

そこは先ほど鳳来が開いた次元の穴。それを見てジンは微かに苛立つ。

どうやらこの鬼来村とやらは、既に宇宙人類達の手の内にあるらしい。まだ教えられていない情報が腐るほどあるようだ。腹立たしい。しかし、渡を守るのが第一だと思う気持ちが勝っている。ジンは腹いせにアギュに噛み付く。

「それで、おまえはどうするんだ?そのまま、行くのか?」

ゾロゾロと?「いいえ。」興味津々で見つめている天使をアギュは見た。

「オレとカラスはサポートに回る。」口調が変わっていた。「逃げるなよ、アクマ。」

 

 

 

     基成姉弟と上陸部隊

 

「岩田譲の妹で、香奈恵と言います。」香奈恵はぺこんと頭を下げた。

「兄を捜しに来ました。兄はどこにいます?」

「ふん、似てるね。」そう言われたのはこれで2回目だ。「まちがいない。」

基成素子はドアが外された玄関の上がりかまちに腰を降ろしている。玄関の回りには2、30人の男達が呻いたりのたうったりしていた。そのうちの何人かを無傷な年配のヤクザが起こしたり、ゆさぶたったりして介抱している。

玄関脇に積み上げられているあきらかな死体の山を牡丹がその体で辛うじて隠していた。あえて知ってか知らずか、最初から岩田香奈恵はそちらを一瞥もしない。

「で、あんた達は?」

戦闘があらかた終った頃、突然、雪を踏み分けて現れた集団をエレファントはうさん臭そうに見つめた。殺気は感じなかったから攻撃対象にはしていない。しかし、この状況を見てもまったく落ち着き払ったこの様子はどうだ?。

「香奈恵さんの実家で仕事をさせていただいているものです。我々」

ガンダルファはシドラとナグロスを示した。「3人は。」

「私が連れて来てきてって頼んだんです。」香奈恵が切実な声をあげる。

「変な警官達に脅されて・・・譲兄が犯罪に巻き込まれたとか、犯人だとか、人質だとか言われて、わけわかんなくて。友達と東京から無理矢理連れて来られそうな所を・・・偶然、助けて貰ったんです。おかげで警官は偽警官だってわかったんですけど・・でも、そうなると余計に兄のことが気にかかってしまったんで。」

ジンをガンタに置き換えれば話は簡単だった。

「近くに行ったら様子を見てくれとお母さんの寿美恵さんに頼まれていたものですから。」ガンタも真面目くさった顔。

「やばそうだったので、仲間に声をかけてみんなで来ました。」

警官うんぬんの話の辺りで牡丹の挙動がややおかしくなった。背後の死体が気になるらしい。「なるほど。」エレファントはうなづくと土間からのしっと上がる。

「譲と雅己はこの中にいたんだが、姿が見えないんだ。捜すから手伝ってくれ。」

「えええっ。」香奈恵は慌てて玄関に駆け込む。ブーツを脱ぐのに手間取りそうだった。「この家から一歩も出てないはずなんだが・・・あんた達はこの村の失踪事件を知っているのか?」「えっ?なんですか、それ!」香奈恵のリアクションは素だ。

「警官が来ていただろう。」「あっ、あのパトカー?」

「そう言えば、中で警官が眠らされてましたね。」ガンダルファはブーツのジッパーを下ろして軽々と板間に上がった。「えっ、そうなの?」と香奈恵。中を覗き込んでいたジンの様子を思い出す。自分は寒くてそれどころではなかったのだ。

シドラが続ける。

「その近くで真新しいランドクルーザーが破壊されていたな。」

「あきらかに乗れなくするのが目的ですね。ひどいもんです。」

「ええっ!それ、うちの車ですよぉ」牡丹が悲痛な声を出す。

「ますます普通でないと思ったんですよ・・・だからしばらく、その竹やぶでさっきから様子を見ていたというわけです。」

「で、片がついた所でお出ましってわけか。」

「手助けしなくて申し訳ありませんでした。でも、事情がわからなかったもので。」

「私達が危険だとは思わなかったのか?」

ガンタは肩を竦めて散らばっている集団を見回した。「どうみてもあなた達の方が堅気に見えるし・・・どうやら、正当防衛かなと。」

「あいつは?」頭や腕をさすりながら幹部の回りに集まった10人ほどの男達はあきらかに動揺しキョロキョロしている。遠くで微かにサイレンが聞こえて来た。

「下で会ったんですよ。仲間が拉致されたんでを追って来たとか。」

「あっそうそう、そう言えば。先ほどついでに通報しておきました。」

ガンタがニッコリすると正気になったやくざ達がその一言で慌て出す。

ナグロスが幹部にジンの車のキーを投げた。

「助かるぜ。」傷の付いた頬で笑うと幹部は舎弟達をせき立てる。軽自動車では半分しか乗れないがないよりはマシだろう。パトカーを奪うほどの度胸はあるまい。

「かなり離れた所に乗って来たマイクロバスが隠してあるんだ。それに乗ってずらかるからよ。この車はそこに追いておく。デモンの旦那ならわかるだろうよ。よろしく伝えてくれや。」

支え合って竹やぶを急ぎ足で下る薄着の集団を牡丹は気の毒そうに見送った。

「風邪・・・引かなきゃいいんですがね。」

「大人しく捕まった方が今日の処遇は良いだろうな。」

まだ呻いている残りの男達を見回した。シドラ・シデンが倒れている男の一人を足で蹴って起こす。男は呻いたが起き上がれない。

「通報しなくても定時連絡が途絶えたからどっちみちこちらには来たと思いますよ。」

場を離れたいが離れられないでいる牡丹にナグロスとシドラがそっと近づく。

既に香奈恵とガンタの姿は素子と共に室内に消えている。

「我たちがそれを隠すのを手伝おう。」

「・・・いいんですか。」牡丹の顔がこの男にしては精一杯緊張している。

「どうせ、人間じゃないんだろう?」「?!」「だって同じ顔じゃないですか。」

ナグロスの笑みはガンダルファの言う怪しい名前とは相反して思わず人を信頼させるものだ。「いくらなんでも、11人も同じ人間がいたら尋常じゃない。」

「任せておけ。」

「あっ、はい・・・はい、じゃあ。」

催眠術にかかったように牡丹は身を動かしている。

「私はこれから・・皆様の分も暖かいお茶、入れさせていただきますね。」

 

         ユリの疑惑

 

いつの間にか、トンネルのような薄い暗がりを歩いている。地面はなくなり、アスファルトでもない、固くも柔らかくもない不思議な足触りだ。

「なぁ、鳳来。」急にユリが声を潜めた。

「鳳来は死にたがっているのか。」寿美恵が耳を疑う。鳳来はフッと息を吐く。

「なぜそんなことを?」

「わからない・・・そう思った。さっきから・・違うな。初めて会った時からだ。」

ユリが捕らえていたのはそれだった。「思ってないなら謝る。」

「そうだな・・」鳳来は言葉を選ぶかのように沈黙した。

「死にたがっているわけではない・・・だが、誰にも往生際っていうものがあるだろう?。わたしも年老いた。充分なくらいに。おまえは私が幾つだと思う?」

ユリは傍らの男をジッと見上げる。「竹本のじいちゃんよりは歳上だな?」

「もっともっと歳上だ。」鳳来の声には誇らし気な響きがある。「おまえが思う以上にな。わたしが本当の歳を言ってもおまえには信じられまい。」

「そうなのか。」

「わたしは死にたいわけではないが・・・決着を付けておきたいことはある。わかるか?」

「身辺整理か・・・」ユリはつぶやく。「そんなに大事なことか。」

「ああ、そうだ。自分が生きて来た年月と同じぐらいに重い。」鳳来はうなづく。

「裏切りは許さないと言うことだよ。同じように約束は守る、この鳳来はな。」


スパイラル・スリー 第十章-2

2014-03-21 | オリジナル小説

        悩める悪魔

 

 

「どうするの?どうするのっ!?」

香奈恵が背中にこびりついて激しく囁いていた。

「そうだなぁ。」ジンは目の前の戦いを静観しながら「登場の仕方を悩むさね。」顎をかいた。「そういう問題じゃないでしょ!け、警察に連絡できないんだとしても、あ、あの人達、助けなくていいの?」30人ほどの人間がたった2人の人間を取り巻いている。香奈恵は既に自分なりの判断を下していた。「私はあの太った人達は悪くない気がする!だって、あとはみんなチンピラじゃない!」足下にはジンが倒した一人が倒れている。これは先ほど、一斉攻撃の前に竹やぶに潜んでいた集団の一人をジンが引き抜いて来たものだ。

「あいつほどじゃないがなかなかやるな。霊能者の仲間か。」

足下の男が呻いた。「やだっ!目覚めたわよ、ジン!」

「大北組の幹部さんよ。」ジンは角刈りの頭に手を当てている中年男に声をかけた。

「なんの趣向だい?風邪、引くぞ。」「これは、これは・・・旦那」見るからに品の悪い男だったが声がいくらか知的だったので香奈恵はちょっと安心する。

「・・・やられちまいましたよ。」ジンは相手を下に見て嘲るように「操られていたみたいじゃないか、あんたとあろうものが。」「ちげぇねぇ。まいったね。」

「魔がいんのか。鳳来の手下には。」「いますねぇ。」男は顔を顰めジンの隣に身を引きずり起した。ジャンパーを羽織っているが下は雪山に来るようなカッコではない。黒の3ピースとマフラー、エナメルの尖った靴先が雪にまみれ寒そうだった。

「きっとあいつですさ、あの相談役に決まってる。魔物の匂いがしねぇから、すっかり油断していたのが運の尽きですさ・・・仕事があるってかき集められて酒飲んでたんですが、途中から意識がなくなったねぇ。あそこにいる人間はどうやら、うちの組だけじゃないですぜ。」

「おじさん、仲間なら助けないの?」「あんな状態じゃあねぇ。正気になったら連れ帰ろうってもんだが。」香奈恵の存在を得に気にするでもなかった。

「なんせ、死なれちまったらうちの組もいよいよ人がいなくなっちまう。」

「殺意が感じられない。あのデブさん達は殺す気はなさそうだ。」

「譲にぃはどこにいるのかしら。」

「中にいると思うよ。」不意に現れたガンダルファに香奈恵は死ぬほどビックリした。

「!!!」幹部も度肝を抜かれたようだったが、ジンは驚かない。

「ふぅん、あんたらがいるってことは・・・ここが例の村か。」

「ナグロスが世話になった村だ。」

「シドさん!」香奈恵はシドラ・シデンに抱きついている。「じゃあ、シドさん達が仕事で行くっていってた村ってここなの?!」

「あんた達、どこから?」ヤクザの幹部である魔物が身構える暇もなかったのだ。

「あ、敵じゃないから。魔物さん。」ガンダルファはこともなげに「だろ?ジンとご同類だ。」「同じにすんな。」「こ、この人達は人間なんですかい?」

「確かに人間だが、魔物みたいなもんだ。気にすんな。」ジンは面倒くさそうに「香奈恵の兄ちゃんはほんとに無事なのか?」「おそらくな。」

「ジン、ここは任せてあっちに行け。」ガンダルファがジンに身を寄せた。「アギュが渡を連れて来た。」「なんだと!」ジンはカッとなる。「なんだってこんなところに?!どこだ?」「君にならわかるっしょ。」「デモンバルグ、俺は?」

ヤクザが情けない声を出す。「知るか!好きにしろ!」

香奈恵も驚いたことにジンは跳ねるように闇に消えてしまった。

「ちょっとぉ、ジンさん、どこに行くのよ!」シドラが口の端を曲げる。

「ほっておけ。我らがいる。」「そうそう。」ガンダルファは素早く身を起こした。

「さぁ、香奈恵ちゃんが来たから正面から堂々と行くか。」

「そうですね。」これもまたいつの間にか、ナグロスもいる。ジンが消え、一緒に消えるか人として逃げるべきか決めかねていたヤクザにガンダルファは手を伸ばす。

「あんたも手を貸してよ。あの人達が正気に戻ったら連れて帰ってもらわないと。」

相手もさすが魔物だ。すぐに腹を決めた。

「やばくなったら、俺はいつでもこの体を捨てて逃げやすぜ。」「御随に。」

『俺はまだうちの組長に未練があるやしいや。』大北組の幹部である魔物は考えた。

『くたばるまではついててやるか。そうなると舎弟は見捨てるわけにはいかねぇな。』

 

        宇宙人の末裔

 

譲が初めて異常に気が付いた時、見た事もない場所にいた。

なんらかの室内であることはわかる。一番、近いのはテレビで見る手術室であろうか。何よりも感じる異常さはその眩しさ。

暗いトンネルから出たせいもあるだろうが白い、眩し過ぎる。目が開けていられない。しかも譲にはいつトンネルを出たのかも判然としない。

突然、気が付けば鬼来雅己に手を引かれてここにいたとしかいいようがない。

「キライ・・」譲は親友の振りほどく。「ここはどこなんだ?」遠のいた現実が戻って来る。「基成さん達はどうなったんだ?俺達、何してんだ?」

「譲っち、どうやら」振り払った手は再び繋がれる。「ここは宇宙船の中らしいんだ。」「宇宙船?」

「うん、よく言う。UFOってやつさ。」

「はぁぁん?」譲は目の前にかざした手をどけて鬼来の顔を見ようとするが、すぐ側にいる友人の顔すらよく見えない。目が痛くなってくる。

光は床から差しているのだろうか?それとも室内の中央からか?光源がわからない。あえて言うならば、目の前にある空間、空気そのものが発光しているとしか思えなかった。「何、言ってるんだ?UFO?なんでだよ。そんなばかなことあるか。」

「バカじゃないよ。僕も最初は驚いたけどね。」近くから鬼来の声が聞こえてくる。

「僕はさ・・・なんと宇宙人の末裔だったんだ。」

「なぁ?なんだって?末裔?」あまりに荒唐無稽な展開だ。

「ふざけんなよ、こんな時に。そりゃ宇宙人っちゃ、僕もキライも宇宙人てことだろうけどな。」

「あのさ、信じたくない気持ちはよくわかるよ。僕も最初から納得していたわけじゃないし。とにかく、信じて欲しいのは、そう言うよくあるオチとかじゃないってことなんだ。」知性を取り戻した雅己の声には微かな苛立ちが混ざった。

「そんなこと言われても。」これのどこからどこまでが現実なんだ?

「・・・詳しく言うとさ、僕のご先祖様が宇宙から来た人類だったってこと。」

「天神降臨伝説、今度はそれかよ。まぁ、そういう伝説が確かに残っているところはあるけどさ・・・それにしたって、なんなんだよこの光。」

涙が出て来た。譲は目をとじた。「眩し過ぎるよ、ここ。」まともに考えられそうもない環境だ。「そうやって人を洗脳するってか。おまえ、実は変な宗教でもやってたんか。」「譲、信じて欲しい。そうじゃないと・・・僕は君を」

「待て、待て。待てってキライ。よく考えよう・・・これは、夢か?」

「・・・」

「うん、夢だな。そうだ、そうに違いないぞ。」

譲が一人で自分を納得させている間、鬼来はずっと黙ったままだったがその体がビクリと震えたのがわかった。夢にしてはリアル過ぎる・・・

 

 

「なんでそんな余計なことを話すんだ。」聞いた事のない声がした。

「兄貴・・」鬼来が自分の後ろに移動したのがわかる。目を薄く開けるが相変わらず、何も見えない。涙が次々と流れて来る。

「そいつは何も知る必要はない。それも二人で決めたはず。」

「キライ?」譲は友人の肩に手を置く。その肩が小さく震えていた。

「知ったからには、始末されるぞ。俺達か、それとも。」

「そんなことはさせない。」答えは早い、しかしすぐに「ごめんなさい。」

友人の声は自身を裏切る。譲の思考は完全にフリーズしている。夢?夢だろ?。

「譲に覚えていて欲しかった・・本当の僕のこと。」

「フッ、甘いな。そしてわがままだ。それでお友達の命を危うくさせるんだから。それがおまえの友情だと?おまえはいつだって浅はかで自分本位なんだよ。」

「記憶を消してもいいから・・!」

「消すくせに、記憶させたいとは・・・矛盾だな。矛盾の塊だ、愚かな雅己。」

相手が笑う。それは凍り付くくらい冷たい。

「おまえはデータのなんたるかをちっともわかっていない。データは命だ。しかるべき時にしかるべく所に保管する。それが後々で効力を発揮するように配置していくんだよ。おまえのやっていることはただの甘ったれた感傷だ。そんなもので貴重なデータを無意味に無作為にばらまく。それはまったくの無駄だ。わかるだろう?、無駄はいらない。もっとも合理的な解決方法は個体ごと消してしまうことだ。その方が余計な手間がかからない。おまえは俺にそれをやらせたいんだな。」

「ダメ・・・!」

「そうするとおまえもいらないものと判断するしかない。そうされたいか、雅己。」

「・・お願いだよ、兄貴。」

鬼来の小柄な体が今度は前に回る。髪の毛に混ざる汗の匂いを譲は嗅ぐ。

「譲を殺さないで。そんなことしたら大騒ぎになるよ・・・外の人達が覚えてる。」

「なら、あれも消せばいい。」まるで雑作もないことのようだ。

「予定外に割り込んで来たあいつらが悪いんだ。怪我の巧妙か、かなり時間は稼げたが。でもだからって、感謝することはない。もともと無駄なんだからな。」

「そんな・・」

「好きなんだろう?雅己、おまえの好きなミステリーがまた1つ、この世に増える。」

「兄貴!」怯えたように鬼来の背中が譲の体に触れる。

これは実際はものすごく、怖い状況なのだろうか?でも譲には臨場感がまるでない。こんな時に編集長がいてくれたら。基成先生でもいい!

「そんなミステリー、まったく面白くもないわね。」

聞いたことのある声。待ち望んだ『基成先生?』

声が唸る。「おまえ!どこから?!」

同時に目の前が大きな影に包まれた。それだけではない、回りが喧噪に包まれたように感じる。まるで大勢の人間が入って来たように。

「基成先生!」夢なんだろうけど、ものすごく安堵する。この間の降霊会のように。

目を開けると眩しいは眩しいのだが大きなコートに包まれた基成勇二らしい男の輪郭が見えた。自分が掴んでいる鬼来の肩と背中もぼんやりと。しかし、対峙する兄貴とやらもそれ以外は相変わらずわからない。

「譲くん。」大きな背中が名前を呼ぶ。「目で見ようとしてはダメよ。ここでは目ではなくて全身で感じるの。この光に同調しようとすればあなたにもわかるはず。」

「わかるものか!」嘲る声。

「あら、譲くんにだってできるわよ。あなたや雅己くんにできるんだから。」

「ふざけるな!そいつに、たかが普通の人間にできるはずない!」

「あなたがどれほど特別だというの?」そう言いながら基成先生は雅己と譲を背中に

静かに後ろに下がる。その3人を掠め流れのように何かが前に入れ替わっていく。

木が軋むようなかすかなざわめき。

譲は暖かい毛皮に身をあずけ、目を閉じたままじっとしている。言われたことはよくわからなかったが、わからないながらも耳をすまして全神経を集中させた。すると驚くことに・・・次第にざわめきが意味を持ったものとして聞こえ始めた。

ざわめきに遠のいた兄貴の声。

「黙れ、この裏切り者達が。」

「低能のドワーフどもが!できそこないが!」

「悪口はやめて。この子達を責めるのはとんだお門違いでしょ。」

先生の声は大きな肉体を楽器のように鳴らし、のんびりと落ち着いている。

「この子達はマザーという人の言いつけを律儀に守っただけよ。」

『・・・裏切ったのは・・・先・・』甲高い小さなきしみ。

『・・・マザーは誰も殺させるなと言った・・・』

「おまえらの仲間にも協力者がいたんだぞ。」せせら笑う。「おまえらだって、一枚岩じゃない。俺の言葉にほいほい付いて来たくせに!何が、マザーに忠誠だ。」

『・・・確かに我々も怯えた・・迷った・・・一枚ではない・・・』

声が口々に被さり出す。

『・・・しかし、根は一つだ・・・マザーの為・・』

『・・・犠牲は最小限・・・』

『・・・マザーが犠牲になることはどうしても嫌・・・』

『・・・我々を分裂させるためのおまえの計算・・・』

『・・・美豆良は信用できない・・・雅己ならまだ・・』

『・・・一人だけ・・・助かろうとしているに決まっている・・・』

『・・・おまえに協力した事は後悔・・・』

「ふん、バカどもが!。マザーの本当の思惑も知らぬくせに!」

「あなたは何を知っているというの?」

基成勇二の冷静な問いに美豆良はあざけりの視線を投げた。「なにもかもさ!」

そして回りに光の煮こごりのように固まって来たドワーフ達を力任せに払いのけた。

「それでもお優しいマザー様を慕っていけるのかよ!」

ざわついた乱れた気配がすっと一つになったのが譲にもわかった。

『・・・やっと、われわれはわかった・・・』

『・・・それでもいい・・・』

『・・・共にする・・・』

『・・・しかし、美豆良は許すわけにはいかない・・・』

「ねぇ、ひょっとして・・・これって、その・・・宇宙人?」

鬼来に囁く。

「同じ人間よ。」基成先生が付け加えた。声が後ろに向く。

「・・・鬼来雅己君ね。」

「はい・・・おそらく。」おそらく?

声に籠る自信のなさが譲には不思議だった。

 

        鳳来は悪魔と共に

 

「尾行されてます。」

車の中で相談役がつぶやいた。

「そうだな。」鳳来は動じない。「何者か?」相談役の男は一瞬、黙り集中する様子を見せた。

「・・・・子供?」信じられないというように首を傾げる。

「そのようだな・・・あとは一人か、二人。」

ユリは後ろを振り返る。曇ったガラスの奥、闇のなかに見え隠れに追随するライトが確認できた。寿美恵も落ち着かない様子でそれを見る。『渡だ。』それとアギュ。

 

「あああ、うますぎるんですよ。運転が。」天使が嘆いた。

「尾行する車にすぐ追いついちゃって。いくらなんでも気付かれますよって。山の中の一本道なんですから。」

「気付かれてもいいんですよ。」阿牛蒼一は涼しい顔だ。

「あおっちゃおうか?」渡は上機嫌だ。「それぐらい、すぐできるよ。」

「相手が魔物なら、逆に乗り込まれますよ。」

「させるか。」アギュがニンマリとする。「それにほら、ちょうどよく悪魔が来るぞ。」

「これで、乗員は目一杯ですね。」「はい?」アギュの一人対話に天使がきょとんとする間に車内に怒りを持った塊が爆発的に出現した。

「アギュ、てめぇ」「ジン!」「遅かったですね。」「なんで、渡を連れて来た!」デモンバルグは吠えた。天使が耳を覆う。「おやまあ。」

アギュは後部座席で悪魔と対峙していた。

「ガンダルファから聞きましたか?」

「聞きましたかじゃねぇ!」「僕が来たいって言ったんだ!」渡は急カーブを次々に切った。天使が手を伸ばして渡を支える。「さすがに立ちっぱなしじゃ疲れたでしょ。」「おい!それに、運転なんかさせて!保護者失格だ、てめぇは!」

ハハハとアギュも機嫌良く笑う。「確かに。」そしていたずらっぽく「だから、もっとちゃんとした保護者のいるところに連れて来たんです。」会いたかったでしょ、と目が語る。「綾子さんの許可は取ってあります。なにせ、連れ去られたのは寿美恵さんとユリですから。大事にならないように今晩はうまくやってくれるそうです。」

『なんてこった!バカ親にバカ母か!』しかしさすがに渡の前で母親のことは言わない。「けっ!」それにデモンバルグの機嫌はかなり直っていた。

渡が今の所、元気いっぱいで運転が楽しくてたまらない様子だったからだ。

「なんだ、どうしたんだ?社長さん。あんたこそヒカリのくせに人間ごっこか。」

痩せぎすの体にスーツを着込みしっかりと肉体の濃度を保っているアギュのことを差したこれは嫌みである。

「そう言えば、デモンバルグこそ・・・肉体はどうしたんです?」

「その辺に捨てて来た。」

「すぐに拾って来てください。」と、人使いが荒い。

「あなたには渡の保護者をやってもらわなきゃなりませんからね。」


スパイラル・スリー 第十章-1

2014-03-21 | オリジナル小説

     10・すべて鏡の中の世界

 

 

          雅己の記憶

 

鬼来雅己は眠られずにいた。

隣では岩田譲が枕に頭を乗せるなりあっという間に眠ってしまっている。

『なんだよ。こんな家じゃ怖くて寝られないだなんだ、さんざん言ってさ。』

雅己は上半身を起こした。上から下がった蛍光灯は一番小さい電球だけが点いている。

『ぼくを残して先に寝ないで』とさんざん哀願したのに、まったく譲っちたら。

譲が疲れた顔で鼾をかいているのでさすがにちょっと申し訳なく思った。

「ごめんね、譲っち。」囁いた。

どうせ寝れないのなら、と布団から抜け出る。下でエレファントや牡丹といた方がましかもしれない。巡査のおじいちゃんももう寝ただろうか。定時報告に行った2人は雅己と譲が2階に上がった時もまだ戻っていなかった。時計の針は10時。さすがにもう戻って来ただろう。でも、そんな気配はあっただろうか。

雅己達は寝間着には着替えてはいない。何があるかわからないからと素子に言われたのだ。何かあったら、すぐに逃げ出せるかっこでいろと。いったい何があるというんだろうか。嫌な感じがする。

でもあの2人は頼りになる。信頼していいい気がする。

でも・・・先生はどこにいるんだろう。

心細い。偽警官に連れ出されそうになった時はもうダメだと思った。ぼくを殺すつもりだ、なんて。どうして?ぼくが何をしたの?。

呪い・・これが『鬼来家の呪い』なのかな。そうなると、あの半分偽警官達は・・・人間みたいだけど、死神なのかな?先生が言ってた魔物に支配されているんだろうか。ぼくの一族に降り掛かって来ているんじゃ、どうしようもないや。ぼくが東京から引き上げてずっともうここにいるって決心したら『呪い』は発動を止めるんだろうか。自分が自分じゃないみたいだし、ぼくが出版社で働いてたっていうのも嘘みたいな気がする。もう、編集なんてできそうもないしやめてもいいかな。

でも、そうしたら・・・譲にはもう滅多に会えなくなるのかな。一緒に仕事したのは本当に楽しかった。でも、もうしかたがないかも。

雅己は深いため息を突き譲の寝顔を見た。開きっぱなしの口ってなんか入れたくなっちゃうよね。でも、我慢しよう。

それにしても・・・ぼくが当事者じゃなければ、これってすごい話だよね。読者だったら先が読みたくなること間違いない。自分のことだと思うと・・・知りたくないや。怖すぎるよ。

そう言えば、編集長は元気だろうか。

電話が通じないって譲が言ってたけど、それはこんなに山奥だから仕方がないよね。ぼくもずっと電話が欲しかったけどここでは我慢するしかなかった・・・。

でも、なんでなんだろ。電話線は来ているって誰かが・・・『兄貴』かな、言ってたような気がする。来てるけど繋がないって・・・ほんとに必要ないんだろうか。

ああ、いけない。考えがそれちゃったな。

とにかく、ぼくはあの大きなドラエモンみたいな基成先生が大好きだ。基成先生達と一緒にいると、なんだかとってもほっとする・・・怖いものがなくなった気がして安心出来るんだ。ぼくがいま怖いのは・・・この家でも他人のような気がする自分と、自分のものではないようなぼくの記憶だ。

服のまま襖を閉めて電球の点いた廊下に出た雅己はふいに耐え切れないほどに哀しくなってしまった。

必死に涙をこらえる。

どうして。

どうしてこんなことになったんだろう。

ぼくの記憶は『ある』けど、『ない』なんだ・・・。

足が1階に向かなかったのかは大した理由はない。わざわざ、涙を見せにいくこともないと思ったからだ。なんとなく、足は二階の奥に向かった。

母親の顔が浮かぶ。でも・・・優しかったんだろうか?怒られたんだろうか?浮かぶのは『兄貴』美豆良の顔ばかり。

彼は父親代わりで母親代わりでもあったはずだ。記憶はそう告げている。

母の部屋へは行かず、美豆良の部屋を開けた。

美豆良の部屋は好きだった。好きだったはず。モノトーンで統一されていて、無駄なものがなくて、でもあるものはすべて機能的。部屋は兄貴そのもの。

子供だった頃からそうだ。美豆良はずっと頼もしかった。

どこに行ってしまったんだろう?みんな・・・ぼくを置いて。

黒いシーツが張られた美豆良のベッドに腰を下ろす。シーツが冷たい。

変わってない・・・変わってないよね。

大きな広いベッドに身を横たえると、隣の部屋との間の襖が目に入った。

何気なくそこに手を開ける。

続きになった母親の部屋からは甘い匂いが入ってきた。母のベッドが目の前にある。襖を挟んで並んでいる。この意味をかつての雅己は考えたくなかった。

母と美豆良。手を伸ばすと母親のベッドのシーツは白いシルクでやはり冷たい感触だ。

稲妻のように映像が浮かんだ。

母と美豆良。絡み合う2人。そして・・・

自分と美豆良。それを母が。

 

頭がズキンと痛んだ。鼓動が乱れ、汗が噴き出す。ガバリと起き上がり頭を振り、その映像を払おうとしたがもう手遅れだった。

美豆良に組み敷かれた自分はまだ幼い。痛みをこらえ激しく拒むが美豆良が許さない。押さえつけた手はびくともしない。

嘘、ありえない。次に浮かんだのは美豆良の体の下でやはり喘いでいる少し成長した自分。美豆良は自分の上に股がり腰を動かしている。と、隣で見ていた母が立ち上がり美豆良の上に股がる。3人は同じリズムで体を動かし続けている・・・次は、見知らぬ子供、いや知っている。この村に住む幼なじみだ。幼い娘と美豆良。母と若い娘と美豆良。母ともう若くない娘と美豆良。美豆良が別の男と絡み合う姿。あれは向かいに住むおじさん。年上の従兄弟もいる・・・他にも他にも、見知った顔が次々と・・美豆良を中心に・・・美豆良と母を中心にして次々と浮かぶ。

これはなんだ。なんなんだ。現実?記憶?それとも・・・妄想?

ぼくは発狂したのか?????

押さえた髪の間から次々と流れ落ちる汗で体がどんどん冷えて行った。

吐き気がこみ上げ過呼吸で、息が苦しい。頭が割れるように痛い。

「消去に時間をかけなかったから、封印がとけてしまったということか。」

突然、後ろで声がした。

雅己はゆっくりと顔を上げた。

「兄貴・・・」

乾いた唇がその名を呟くと切れてしまった。

目の前が紗が掛かったように霞んでいる。

「おまえがちゃんと殺されていれば・・・岩田譲は必要なくなっていたんだぞ。」

「兄貴・・・?。」口に血の味がする。

「もしも・・・岩田譲が巻き込まれて殺されてしまっていたとしてもだ、それはそれでまた別の使い道があった。すべてはあの霊能者と母さんが台無しにしてしまったけどな。まぁ、いいさ。先が読めない楽しさは認めよう。」

美豆良は肩を竦めた。

「こうなったらここで岩田譲が殺されることにかけてみるか?ここまでたどり着けたのはおまえにしては上出来だったと言ってやってもいい。どうやら餌の食いつきが早まったからね。だけど、あのデブどもまでが付いて来るとはな。まったく余計だったよ。面倒くさいから『緋色の鳥』がまとめて始末してくれることを祈るとするか。」

口調が優しく変化した。それは彼が幼い頃から知っている声ではないのか?。

「もういい、おまえにはわかりっこない。わからなくていいんだ。」

そう言うと相手は冷たい指を雅己の首に伸ばす。

冷たい指がためらいのない現実となって首筋に食い込む。しかし雅己は相手の顔に魅了されたようにあらがう事もしなかった。

「なぁおまえ、わかっているだろ?」

耳元に熱い息がかかる。

「・・愛しているんだ。」

気が付けば涙を際限なく流していた。

『・・・ぼくも・・・』そうだ、ずっと昔から。

美豆良の笑顔が目の前で薄らいで行く。          

  

        

     基成姉弟覚悟を決める

 

外では闇が渦巻いている。

殺気と言うものが静かに数を重ね、積み上がって行くようだ。

「準備はいいかい?」

「はい、姉さま。」

牡丹は意識を失った巡査を中身を出した押し入れの天袋に隠している。

老人の胸が規則正しく上下し、息の乱れがないことは既に確かめてある。定年まじかの巡査の顔は満腹感と心地よい疲労と牡丹がお茶に入れて飲ませた薬で幸せそうだった。上段の襖が閉められると巡査の姿は封印される。

「2階は死守するよ。それと断じて火はかけさせない。いいね。」

「はい。」そう答えた牡丹はいつもの燕尾服ではない。エレファントと同じく動き易いジャージを纏っている。おなじ装束に身を包んだ2人は確かに同じ血の繋がりを感じさせた。

「勇二がすぐそこまで来ている。」

そう言うと、エレファントは玄関の戸に手をかけた。

「はい、それまで耐え忍べば勝ちですね。」牡丹は廊下に仁王立ちになる。

姉はその姿を背中で感じた。

「いくよ。」

 

           

        逃亡する二人

 

 

「譲っち、起きて!起きてくれ。」

頬を誰かに激しく叩かれ、譲は心地よい夢から叩き起こされた。

「な、なんだよ。」

「何かが、起こってるみたいだ。早く、逃げないと!」

「えっ?」慌てて布団を除ける。確かに、家が騒がしい。家と言うか、建物全体がガンガンと揺れている。屋根の上を何かが走る音と共に雨戸全体に衝撃と木の割れる音がして譲は跳ね起きた。何かが外で暴れている。暴れまくっている。壊れる音、割れる音、音の大合奏だ。慌てて廊下から出る。

「あなた方はそちらにいて下さい!」

階段の降りた先には、詰まった肉塊。立ちふさがるように立つ牡丹。前方に何か大きなものを構えている。何かの得物?

「襲われてるんです!私達でなんとかしますから!」

「なんとかって!?」警官か?あの警官?本物の警官達はどこに?

「とにかく、あなた達は奥にいて下さい。兄さまもすぐそこに来てますから!」

「いったい、誰が襲っているんだ?」

「宇宙人に決まっているだろ?」雅己が譲を引っ張った。

「僕ら、宇宙人に襲われてんだよ!」

「何、言ってんだよ。」

しかし、正体のわからない敵を確かめに行く勇気はなかった。階段は牡丹によって完全に塞がれている。雨戸とガラス窓を開けるのは得策でなさそうだ。雨戸の前・・見えない戸外ではどうやら何らかの激しい戦闘が行われているらしい。何しろ、家が揺れる、揺れる。灯りが消えた。

「大丈夫か、この家、壊れないよな?」

「壊れないよ。」雅己は譲を引きずって母親の部屋に入る。「押し入れに隠れようよ。」

真っ暗な中、どこかに潜り込んだ。

「頭、気を付けて。」遅い。ガンと火花が散る。土臭い匂いがした。

土?「こっち、こっち。」手を引かれて進んだ。「えっ?」ここは押し入れだろ?靴下越しに冷たい湿った感触が・・・「おいっ」たまらず、雅己を引き止めた。

「ここ、押し入れだろ?なんでこんなに奥がある。まるで・・」まるで何かのトンネルのような。「抜け道だよ。」雅己は再び手を強く引いた。

あれほど騒がしかった戦いの喧噪が遠のいて行く。

手で探るとむき出しの土壁に触れた。「抜け道って・・・なんでこんなもんが?」「僕の家は戦時中、戦争忌避者を匿っていたろ。だから、こういうトンネルを掘らせたって話。」滑らかに説明する、その間も歩みを止めない。

「大丈夫なのか?この道、どっかへ通じるのか。」

「目隠ししてでも歩けるよ。小さい頃から、よく遊んだから。」

土の匂いがどんどん濃くなると辺りは音1つしないどころか自分の息づかいさえ、吸い込まれて行くようだった。

前を行く相手はキビキビ溌剌と返事をしつつ、手を強く握り返してくる。暖かい手。「ひょっとして・・キライ。まさか、」子供っぽさが消えている。

「大丈夫だよ。僕、なんだか頭がすごくはっきりした。記憶も戻ったみたい。」

「キライ・・・」ほっとして思わず目頭が熱くなった。

その瞬間、疑問を譲はすべて忘れている。

今、自分達の為に闘っている素子と牡丹のこと。

襲っているという敵の正体。

譲は思い出さない。

村の背後には確かに山があった。

しかし、村の中心に建っていた鬼来本家の2階からいったいどうやってまっすぐに抜け道を掘る事ができるのだろう。そんなものがあったなら、警察にだって隠せはしない。基成姉弟や譲だってその可能性に気が付く。

この道は存在しない空間に浮いていることになる。

それはいったいどこへ続いているというか。

 

        勇二到着

 

「生きてたと思ったよ。」

さすがに息を切らした基成素子は2階の屋根を一掃し、落ちた敵の1人の首をあり得ないほどに曲げて立ち上がった男に入り口から呼びかけた。

「エレファント、こいつらは殺しても構わないみたいよ。」

ピンクのマニキュアの指で可愛らしく微笑んでみせる。

雪の上に立ち上がったのは黒服面の男は3人、起き上がらないものは2人。

「こいつらはねぇ・・・どうやら」

すぐに3人は勇二を中心に距離を置いて構える。

「人間じゃないみたいなの。ホムンクルスかしら。」

円陣は一気に襲いかかろうとするができなかった。

小さな影が次々と彼等の手や足にまとわりついたからだ。

影達は果敢に男達の動きを邪魔するが、はね飛ばされたり一撃で吹き飛んだりして効果はけして大きくない。しかしそれでも怯む様子が両者にはまったくなかった。

シドラ・シデンが散々に手こずったものだが、その再現といって良い。

彼等はいまや、基成勇二の為に闘っていた。

「まさか。」エレファントは玄関から庭に走り出た。「人造人間か。」

その間にも兄を囲む一人に襲いかかる。基成勇二はレスラーのような男達を一人づつ的確に仕留めて行く。大きな腕で首と頭を押さえて脊髄を破壊する。普段の彼からは想像もつかないような荒っぽいやり方。

彼の顔には迷いはない、やらねばならないことをやる・・・滑らかな額には害虫を殺すときのようなそんな覚悟が刻まれているだけだ。

「姉さま、大変です!」牡丹が玄関ドアを突き破らんばかりに転び出た。

「子供達がいないようです!」そして、兄に気が付き破顔した。

「ああ~っ!兄さま~やっと・・・!」ほっとしすぎて目頭を押さえた。

「お帰りなさいましですぅ!」

基成勇二は最後の男の息の根を止めるときびしい顔で振り向いた。

「すぐ、後を追うわ。」

「追えるかい?」

「今ならおそらく。」勇二は直ぐに旋風のように家の中に向う。

「この子達が案内してくれるから。」

小鬼のような影がまつわりついて続くのを牡丹は心底不思議そうに見送った。

ガラス戸や廊下の板がガタピシと激しく鳴り遠ざかる。

勇二に指示されたのか、影の半数ほどが加勢の為か戻って来るのをエレファントは確認し、玄関先の雪を立てかけてあった竹箒で扇型に寄せた。影の小さい手が加わり、玄関先は戦い易いように開けた。

「以外に役に立つじゃないか。」喜ぶ影達に顔をしかめて見せる。

「すごい・・・初めて見ました。」

牡丹はにっこりすると小さい者達に順次に手を差し伸べた。ハイタッチ。

「よろしくね。同じ人間なんですから、頼みますよ。」

その一言に再び、影達は振るい立った。

エレファントは放置されていた5つ子の死体を鬼来家の入り口にに積み上げる。どうやらバリケードにするらしい。覆面が取れた死に顔はどれも同じ。

「牡丹、第二波が来る。」

「第二波?・・はあ、なるほど。」

村の下側、奥の竹やぶがザワザワと揺れるのが見えた。

「移動速度に差があるんですね。そういうことですか。」

「勇二が言ってたろ。遠慮はいらない。」素子の武器は二つの大きな拳だ。

空き地を次々とこちらに向かって走って来る。さっき見たような粒の揃った影。

それは先ほど積み上げたバリケードと体格が変わらない。覆面の下は・・・?

「たぶん、残りはあと5、6体だろう。一緒に来るものは殺してはダメだ。」

跡から不揃いな人影が続く。手に手に獲物を持って整然と進んで来る。

「わかりました。」

牡丹は遠慮なくと言って立てかけたあった農具を両脇に挟んでに構えた。

「効率よく行きましょう。殺すのは姉さま。私は残りを気絶させます。」


スパイラル・スリー 第九章-3

2014-03-17 | オリジナル小説

         ヤクザ達             

 

雪の上を滑るように進む影があった。ひとつ、ふたつ・・・20人から30人はあろうか。先頭を進むひと際でかい影達を除くと後は不揃いな集団だ。

若者から壮年と言える男達。髪を剃ったもの、角刈り、パンチ、茶髪、無造作にムースを付けて流した髪、長髪。所謂ヤクザスーツからチンピラ風、Bボーイ風にロック系というように服装はまちまち。それぞれに獲物らしいモノを手にはしている。ただし、おかしいといえば彼等の姿はこの雪が積もる山間にふさわしいとは必ずしも言えない。寒くないのだろうか。彼等の吐く息が白くもうもうと上がっているが、まばらな街灯の下に差し掛かったときだけそれが目立つ。今夜は月もない。

足下も凍った路面にふさわしいとはいえないのに、誰1人足を滑らせるものがいない。整然と黙々と進む集団は軍隊の行進に似ているが、水を弾く揃った足音と息づかいしかしないのは異様である。見れば彼等は一様に表情がなく、目は開いているが薬を打ち過ぎた時のように瞳孔が開いたまま。まるで死人の行進だ。

村から降りた国道の脇にパトカー2台が停まっている。

先頭の男が手をあげると、音も無く集団が止まった。

何人がそこから離れて歩き出す。足音も無く獣のように。動きは1つの乱れもない。言葉は交わされないが、図ったかのように滑らかに組織的に動く。

パトカーの1台、4WD仕様の方の車のエンジンがかかり、中で話し声がしていたようだが、一瞬のくぐもった叫びの後で途絶えた。

辺りに響いていた無線の音も、ふいに途切れる。回転灯の灯りもエンジン音も消えてしまった。見れば2人の刑事達は胎児のようにを丸められて後部座席に詰め込まれている。眠っているのか、あるいは・・。

辺りの雪は踏みしだかれたが音はやはり、ほとんどしない。

再び、進軍の合図。離れた所にたたずんでいた集団が動き出す。

巨躯の影が警察車両のドアを静かに閉める。それからやや離れたところに停めてあった大きなランドクルーザーに向かう。頑丈な車を軽々と手際よく壊し始める。

エンジンがいじられ、タイヤが外され、ドアがむしり取られるのにも幾らも時間がかからない。集団がパトカーに達する前にそれらはすんでしまった。

破壊を尽くした後。影達と軍団は再び、村を目指した。

4列縦隊が2列になった他は静かに私語もなく。

 

 

         勇二の帰還

 

その集団が通り過ぎて幾らもしない。再び路上に人影が現れた。

 

丸く大きな影である。

月のない夜。街灯もない道路をそれもまた音もなく歩んで来た。

道路の雪は夜になり再び凍り始めている。

その回りをなんであろうか。付き従うように小さな獣の様なこれまた小さい影が跳ね回っていた。跳ねては消え、消えてはまた慕うように。その姿は揺らいだり掠れたりして人の目には定かではない。

それらを従えたくっきりとした大きな影だけが凍った路面を確かな歩みで歩き続けていく。そして、破壊された車の側でしばし立止まった。

「・・・ひどいことをするわね。」

基成勇二の声が深閑とした辺りに響く。「退路を断ったつもりかしら?」

踏み荒らされた雪面をじっくりと検証した。

「ずいぶん、兵隊を連れて来たようね。」

フッと笑い、パトカーに歩み寄ると2人の私服の警官の安否を確認する。

「眠らされているだけか。」トランクを開けるとそこにあった毛布を取り出し、6と9の形に座席に詰め込まれた男達の上を覆うように包み込んだ。そして注意深くドアをしっかりとしめる。

「車はまだ暖かい・・しばらく凍死はないわね。」

歩み寄ったぼんやりとした影が次々に手に触れると順番にその頭を撫でた。

「あなたたち、何人かお願いしてもいい?。死なないように見張っててちょうだい。」

そう命じると幾つかの影が嬉し気に言葉を発するのが聞こえるようだ。

「さあ、準備万端。」

パンと手を打ち鳴らす。

星明かりに大きな黒目が光る。

「あんた達の目的はわかったわ。任しといて。命の恩人だもの、できるかぎり協力するから。」

そう言うと、猛然と巨体を駆使し雪道を上がり始めた。

その後を跳ねるように見え隠れする無数の影も付いて行った。

 

 

        香奈恵も悪魔と共に

 

「さ、寒い!」

香奈恵が助手席で悲鳴を上げている。

「買ってやっただろさ。ダウンジャケットやその他、モロモロ。」

「足りないわよぉ。」ホッカイロに毛糸の手袋をすりつけた。

「セーターだってもう一枚、買っても良かったんじゃない?これと色違いでさ。」

先ほど、国道沿いのドライブインで焼き肉を腹一杯食べたがまたお腹が空いて来たように感じる。夕飯を口にしてからもう2時間以上山道を走っているのだ。

神興一郎は顔を顰めつつ、国道から脇道を捜していた。鬼来村のだいたいの場所はわかった。もうすぐそこと言ってもいいが上がる道が見つからない。

「まったく大した買い物さね。おかげで、えらい時間かかったさ。」

予定外の出費も嵩んだ。

「仕方ないじゃない。ジンだって雪積もってるとは思わなかったんじゃないの。」

同じようなものはジンも着込んでいる。香奈恵のよりは更に高いブランド品だ。

あれやこれや選り好みした香奈恵のことは言えない。

見栄っ張りでお洒落な悪魔はついつい、買い物に熱が入ってしまった。スノーブーツには膝上まで皮が付いているし手袋も靴とお揃いだ。

「おや・・パトカーさね。」

軽自動車は道端の盛り上がった雪に突っ込むように停まる。

「こんなところに?」香奈恵も曇った窓を手で拭いた。ライトがなかったら気が付かなかっただろう。杉の木が生えた林の一部が道路に沿って空き地になっているようだ。

ジンが勢いよく外に出ると足の下で氷がバリバリと鳴った。

2台のパトカーをジンが覗き込んでいるのを見て香奈恵も嫌々、覚悟を決めた。

ドアを開くと冷気が押し寄せて来る。

「ううっ~、さ、寒い!」首に真新しいマフラーをきつく巻き付ける。足下がすべりおぼつかない。車にすがって立ったまま、動けずにいた。ジンは今度はちょと離れた事故に合った後捨てられたように見える廃車を確認している。

「ジン、どうなの~?」

「・・・ここ、みたいさね。」

戻って来たジンの顔がライトに照らされる。瞳が赤く燃える。その表情の厳しさに香奈恵はスッと背筋が寒くなった。

「ここ?」「ここが鬼来村の入り口に当たるみたいさ。」

「なんで?パトカーがあるから?」足下を見ると10センチほどの雪に覆われた空き地の真ん中が盛大に踏み荒らされており、いくつかはっきりと人の足跡とわかるものも幾重に重なりあって残っていた。

「できたばかりさね。」ジンの視線を辿ると足跡は杉林の中に続いている。入り口と思われる所に赤い鳥居が見えた。

「象の団体でも通ったのかもね?」微かな魔力の香りがする。急いだ方がいい。

「く、車では行けないのね。」香奈恵はショックを受けた。「歩き?この雪の中を?しかも夜で山で・・・」悪魔もいるとくる。ジンが車の後ろから大きな懐中電灯を取り出して、辺りを照らす。こんもりと盛り上がった林の上に竹林のようなものが広がっているのが香奈恵にも一瞬見えた。

「行くしかないさ。ここまで来たんだし。」

「そ、そうね。」ジンが車のエンジンを止める。

ライトが消えると寒さが増したように感じた。ジンが2人分の急ごしらえの荷物が入ったリュックを背負うと持っていた懐中電灯を香奈恵に渡した。

「香奈恵ちゃんは俺っちの後ろから照らしてくれ。」

ジンは香奈恵には何も説明しなかったが、パトカーの後部座席で不自然に眠る警官達を見ていた。破壊されたばかりといった感じのランクルも見た。魔物の目には霊能者の家が破壊される直前、走り去った大きな車のナンバーが記憶されている。まちがいはない。そして、今しがたその車を破壊したのはおそらく。

ゆらゆらと小さな影がいくつか視界を横切ったようだが、錯覚だろうか。

足跡から立ちのぼったような魔力の香りは今度はしなかった。

ジンは息を吐き、集中して耳をすましたが半径1キロ以内に他の車の気配はない。6つ子か5つ子か知らないが、やつらはなんで来たのだろう?乗り物が見当たらない。どこかに・・・奴らの乗って来たものがあるはずだが、どうやらかなり遠くに置いて来たと見える。と、言う事は・・・

『上でかなりなことをする覚悟ってことさね。皆殺し的な・・・?まさかね。さすがに警官は殺さなかったってことは・・・やっぱり、兄ちゃんの友達のキライとかいうヤツの拉致が目的なのかな。』

しかし、必要があれば邪魔になるものは容赦なく殺すだろう。霊能者の家を最終的に容赦なく燃やしたように。何人だかしらないが、自らの兄弟すら切り捨てる奴らなのだ。

ジンは香奈恵の兄が心配になって来た。

もはや説得などというまどろっこしいことはする暇はないかもしれない。

「それにしても、なんでパトカーがあるのかしらね?」

香奈恵は危なっかしく雪面をあるきながら暢気な事を言っている。

「キライとかいう友達がさ、何かやらかしたってあの弁護士野郎が言ってただろ。」

「ああ、それで?納得。」

「事件があったって話は確かみたいさね。」

「何をやったのかしら?まさか、殺人?とかじゃないよね。兄貴、大丈夫なのかな?ねぇジンさん、悪魔の第六感とかでさ、ズバッとわからないの?」

「人間になってる時はそんなに自由はきかないさ。」

「まったくもう・・使えないわね!」

「おい、こら。使えないって言うなよ。いくら温厚な悪魔でも終いに怒るさ。」

香奈恵はジンが崩した雪の上をなぞるように踏みながら「その友達、本当に譲兄のお友達なのかしら!いったい何をやらかしたのよ!警察沙汰なんてさ、まったく!ママリンには教えられないわ!」ブツブツ言う香奈恵を律儀に気遣いながらもジンは前方に注意を集中して進んだ。鳥居をくぐり林の中に入ると思ったよりも足下に雪がない。杉の葉が柔らかに積もっていてよく手入れされた林に思えた。

その地面が乱れている。杉林はやがて竹林へと続く。

今しもその先で何かが起ころうとしているのだ。

背後の香奈恵を守りつつ、その兄を連れ出さなくてはならない。

急がねば。いや、急ぐ事もあるまい。

連れもいる。急ぎ過ぎるとかえって危険だ。

状況をよく見定める為には事が始まって・・・その混乱のどさくさに紛れるのがもっとも安全だ。『生きててくれよ・・・香奈恵の兄ちゃんよ。』

高みの見物はその後。


スパイラル・スリー 第九章-2

2014-03-17 | オリジナル小説

                             雅己の実家

 

 

おっかなびっくり譲は鬼来に腕を引かれて廊下の外れの急な階段を登っていた。

「ぼくの部屋は2階だよ。わぁ、何年ぶりだろ。6年ぶりぐらいじゃないのかなぁ。」「卒業後、一旦家に帰ったんじゃなかったか?」

「あれ?そうだっけ?」雅己が真剣に首を傾げる。「そんな記憶ないなぁ・・・そのまま就職した気がするけど。」「でも、おまえは確か・・・一度は家業を継ぐって言って田舎に帰ったはずだ。その後、俺にも内緒でこっちに出て来てたんだろ?2年前に、歌舞伎町で再会したときはもう、桑聞社に勤めてたんだからさ。あの時はほんとびっくりしたよ。」

階段も廊下も盛大にギシギシと鳴る。確かに素子達が上がったらこんなものでは済まされない。「ああ、そうか!」雅己が急に大きくうなづいた。「なんだろう?そのことすっかり忘れてたよ。そうだ、そうだ、確かにそうだよね。」「大丈夫か・・・キライ。」譲は雅己の記憶の曖昧な部分がとても心配になる。記憶喪失は実はさらに深刻で、失われた箇所が斑だったりするのだろうか。まぁ、明日は専門医に診てもらえるようだから。

「それにしても広いな。おまえんちってお金持ちだよな。」

「いや、それはないよぉ。お金があったとしても昔の話だよぉ。広いったってもう古いだけだしさぁ。」

雨戸が閉じられている2階は薄暗い電灯に照らされた廊下の両側に部屋が4つずつ並んでいた。彼等は端からひとつひとつ開けていった。

「ここが、ぼくの部屋だよ。」古道具が詰め込まれ見るからに使われた形跡がない部屋が二つ続いた後の3番目の部屋だ。

「岩田譲さま、ごしょうた~い!ほんとはこんな時じゃなくて正式に遊びに来て欲しかったけどね。」雅己は勇んで譲を引き込んだ。

「なんだ、見るからにオタク部屋じゃないか。」譲はそう言うがじっくり見たいようなものが溢れていることはもうすぐに気が付いている。本と漫画とDVDとCD。マンションにあったものより多い。そして溢れかえってはいるがキチンと棚やプラスチックBOXなどに収納され並んでいる。壁にはホラーとSF映画のポスターがズラリ。かがみ込む譲をおいて、鬼来は部屋の中央で立ち尽くした。

「なんだろ・・・」

「どうした?記憶と違っているとこでもあるのか?」

「・・・わかんない。変な感じ。」

譲は勉強机に近づいた。机は鬼来が子供の時に貼ったのだろう、漫画やアニメのシールだらけ、ボールペンの落書きや傷もついたままだ。引き出しの中は古びた文具やノート、漫画や雑誌の切り抜きで乱雑に溢れている。

反対に机の上にキチンと並んだ切り抜き帳やファイルには、UFOや怪奇関連の記事などが丹念に切り抜かれて見やすく配列されていた。子供の頃の宝物だ。

「・・・わかんなくなった。」ふいに鬼来から言葉が漏れた。

「ぼく、これを知っている・・」

「知ってて当たり前だろ。」しかし、雅己は首を振るばかり。

「知っている・・・知ってなきゃいけないんだ。でも・・譲っち」

鬼来が顔を上げると目は涙で一杯になっていた。

「なんだか、前も言ったと思うけど・・・自分の記憶じゃないみたいなんだ。そう言った意味じゃ、まだ思い出せない・・ぼくは・・そんな感じ。」

「それって・・・つまり、分離している感じなのか?」

雅己がうなづく。「確か、離魂病とか・・あったよな。」譲は知識を振り絞る。

「キライ、おまえはそれかもしれない。でも。」友人の涙を見ないようにして襖を開いた。押し入れの湿気た布団やもう着ない服のカビ臭い匂いが鼻腔を突く。段ボールや茶箱、行李。グローブやバット、クラッシックギターもある。

キライは降霊会で記憶を喪失したが、精神の病も発祥したのかもしれない。いや、それも基成先生の分野だろうか。いつ追いついて来てくれるのだろう。

携帯を見るが圏外なのは変わらない。改めて編集長に連絡を取りたかった。

譲達に置いてけぼりにされて、怒ったんじゃないだろうか。いや、そんな子供っぽい性格ではない。あきらかに異常だ。

雅己が涙を拭っているのを感じる。「大丈夫だ、キライ。」

今度はしっかりと雅己を見る。「時間が経てば、回復する。」

「そだね。」

2人は残った部屋を見て回わった。隣は客を泊める為の部屋のようであった。その隣が雅己の兄貴の部屋であるらしい。大人の男性の部屋である雰囲気。ただ、ものは少なく質素だった。一番、奥が母親の部屋だという。キチンと片付いたベッドには使われた感じがない。後は洋服ダンスとドレッサーしかない。

確認すると下に降り、居間にいたエレファントに誰もいなかったと報告する。

素子は牡丹が容れたらしい薬缶のお茶をテーブルの上の二つ湯のみに注いだ。下の村で買ってきた、手作りの酒まんじゅうもそっと添える。

エレファントって確かに妙にキライに優しいよな。譲は無言でそのお茶を飲む。やけるように熱い茶は胃に染みて行った。

外には闇が訪れようとしていた。

牡丹がいる台所からは良い匂いが漂い始めている。

時計が7時を打つ頃、彼等は並んで牡丹が精魂込めた食事を囲んでいた。驚いた事に見事な和食だった。炊飯器で米を炊き、大きな鍋に様々な野菜と肉を味噌で煮込み、タレに付け込んだ魚を焼いた。警官達は麓で買って来た弁当を食うと言い張ったが、結局鍋を突く事となる。

「静かだねぇ。」話が途切れた時、鬼来がしげしげと呟いた。

「まったくだ。」と譲。「テレビもないしパソコンもない、携帯も通じないと来た。」

「ここはさぁ、陸の孤島だものよ。」巡査が笑う。「この村はさぁ、昔から人付き合いしねぇもんな。だろ?」雅己もうなづく。

「出不精の集団だよね。」

「今時、こういう村があるとはなぁ。」と、譲。

「まったくですよ。電話は麓の村で借りるんだから、畏れ入ったもんだ。デジタル放送の騒ぎの時も自分達で建てるから補助金はいらないって言って、結局、アンテナなんていまだ建ててねぇだろ?」街から来た警官達も感じ入るようだ。

「へぇ、念が入ってる。あくまで世間から隔離したいみたいだ。」

「ほら、にいちゃん。名前さぁ。この村は、鬼が来るって書くだろい。」

髪が白くなりかけた巡査は皺も深い。

「少し前まではおらんとこの村ども、ここは付き合いがなかったんだ。鬼の村、忌み村じゃて、言うてよ。」

「回りから疎まれていたってわけだ。」エレファントがボツリと。

「んだ。」巡査の言葉に警官事達もうなづく。

「ここは死人帰りの村だからよぉ。だから、鬼来村なんだよ。」

「その死人帰りですけれど」牡丹が台所から居間に這い登って来る。「具体的にはどういう伝承なんでしょう?」牡丹の目はキラキラと巡査を見つめている。

「あんた、興味あんのか?」「そういう話を集めているんです。」

「どういうの?ぼく、聞いたことあるかなぁ?」

「おまえの村の話だろ?それも記憶喪失か?」「かもねぇぇ。」

「江戸時代から、死んだものが帰って来るという話はあったんだよ。」

巡査は今いる本家の裏、トイレの方を指差した。外には村が抱かれている山がある。

「周辺の野山には子鬼が出るって噂も昔からあったしな。荷負いも物売りも嫌がったんじゃ。鬼来の方からは物を仕入れに来たし、農作物や織った絹を売りに来たもんだけどよ。働きにも来た。嫁に来たもんもおる。だけど、おらが聞いたんは戦前の話だよ。おらのばあさんの隣のじいさんの嫁さんがこの村の出身だそうでの。法事に帰った時に死んだはずのこの村の人間を見たという話じゃ。」声を潜める。

「その頃、この村はあまり人が来ねぇことをいいことに戦争忌避者を匿っていたらしいし。」「ああ、その話は聞いた事、あるな。」警官の一人がうなづく。

「その為にそういう寄り付かれないような噂を流したんじゃないのかい。」

「さあな、もう昔の話じゃもの。おらのばあさまの時代じゃから。みな、祟りが怖くて薄々知ってたども、当局に密告するやつもいなかったらしい。」

「祟ったの?」今度は鬼来が身を乗り出す。

「祟ったんじゃと。」これでは孫に昔話をせがまれるおじいちゃんだ。「密告しようとしたおらの村の村長一家が亡くなったんだと。」

「それ本当に祟りですか?事件じゃなくて?」うどんを啜る警官。

「1人は途中で谷に落ちて・・その死体を引き上げて村に帰ったら落雷で家が焼けてじいさんばあさんと子供らが死んで、それを見た息子は頓死した。」

「すさまじいですね。」驚きつつも、譲の好奇心が動く。

「それじゃあ、確かに祟りってことにもなりますね。」

「んじゃろ?」鍋に暖まった巡査が赤い顔をほころばす。

「さあさあ。」ふいにエレファントが声を上げた。

「昔話はもういいから。今夜はもう寝る用意をしな。」

ただの時計と化したテーブルの上の携帯を譲は見る。いつのまにか8時50分を表示しようとしているではないか。そういえば夢中で食べてる間に8時の時計の打つ音を聞いたような。

「ええーっ、もっと話を聞きたいよぉ。」雅己がごねる。しかし。

「おおっ、もうこんな時間か。」刑事達も慌てて汁を啜ると「ごちそうさまでした。」とそれぞれに椀を置いた。「では、おら、いや我々も。本部に報告しませんと・・」巡査が席を立った。「私が車まで行って来ますよ。」「いや、それじゃぁ悪い。」

「いやいや、雪道は慣れてますから。」そう言い合ってるのを背中に譲も箸を置く。

「ねぇ、どこに寝るの?ここにみんなで?」牡丹が片付けを始めた。

片付けを手伝う横で雅己はまだうどんをお替わりしようとしている。

「あなたはねぇ。」またエレファントの声が優しくなる。

「上で譲くんと休みなさい。自分の部屋で。」

「えっ。」「やだよぉ!」それは譲もだった。

「みんなと一緒に寝たいよぉ。」さすがに声を合わせるのは控えたが。

「自分の部屋で寝た方が、休まるでしょ。」そう言うと、譲に「あんたも雅己ちゃんの部屋に一緒に寝るといい。」雅己ちゃん?。

「譲と一緒ならいいよ。」雅己がニコニコと「ねぇ、一緒に寝ようよぉ」なんだか、誤解を産みそうな台詞だ。1人だけ基成姉弟に挟まれて寝るのは譲もごめんである。かと言って上で雅己の隣の部屋で1人で寝るのも怖い。

「素子さんと牡丹さんは?」素子は応接間に続いている和室を見る。

「私達はここにでも寝ようかね。」

「じゃあ、お巡りさん達は廊下を挟んだ方の部屋ですね。」牡丹が応じた。

「さっき確認しましたが、この家布団ならたっぷりありますよ。」

この姉と弟だったら布団だって、一枚や二枚では足りまい。

警官達は3人で一旦外に出たようだった。一番、年かさの巡査が戻って来る。

「お巡りさ~ん、さっきの話の続きを聞かしてよ。」

「んん、後でな。まずはしょんべんさせてくれや。」

「仲良しになっちゃいましたね。」牡丹が台所に消える。

老人と孫は廊下の奥に消えて行く。

その様子を見ていた譲の耳に素子の呟きが聞こえた。

「・・・寝れたらいいが。」

エレファントの言葉に譲も思わずうなづいたのだが、後で思えばそれはその言葉の意味をはき違えていたのだった。


スパイラル・スリー 第九章-1

2014-03-17 | オリジナル小説

    9・なにもかもが村を目指す

 

           阿牛ユリ

 

 

迷った末に覚悟を決めた寿美恵が大きな車に乗りこんだ後から乗り込んで来たのはユリだった。寿美恵の一挙一動に神経を集中していた男は足音を殺して近づいて来た子供にまったく気が付かなかった。ドアを閉めようとする男の腕の下をかいくぐって当然のように現れるまで。男は動揺してドアから腕を放した。

「なんだ、誰だ?どこから来た?」

「ああっ???ユリちゃん?なんで???」寿美恵も驚愕した。

さっき国道でユリと渡を見かけた。うまく撒いたと思っていたが、後をつけてきたのだろうか。渡の姿を捜したが駐車場にそれらしい人影はない。

「私も行く。」ユリは寿美恵に寄り添うように座席に座り頑固に頬を膨らませた。

「降りろ。」

「いやだ。」

汗が出て来た。「ユリちゃん。」寿美恵は取り乱しかける自分を必死で押さえる。ユリは他所様の子なのだ。連れて行くわけには絶対にいかない。

「いいじゃないか。」

当惑とは別に奥の座席から抑揚のない低い声がかかった。

「面白いガキだ。おまえが気配に気が付かないとは。」

奥の革張りの赤いソファを独占しているのは銀髪の老人だ。

老人?顔に確かに皺が刻まれている。しかし、その眼は老人の眼ではない。

その眼をまともに捕らえて見返す子供の姿を上から下まで眼が薙ぎった。

寿美恵は震え上がったが、ユリはニッと笑う。まるで共犯者みたいに。

「いいだろう。乗せたところで大した違いはない。」

「しかし。」弁護士は舌打ちした。「子供は話が大きくなります。」

「代価は自分で払うんだ。」わかっているのかこれに、ユリは大きくうなづく。

「あんたの子ではないな。誰だ?」これは寿美恵に。

「ユリだ。」ユリが答える。「寿美恵は渡のおばさんだ。寿美恵がいなくなったら渡は悲しむ。綾子おばさんも心配する。探しまわるだろう。だから、ユリが付いて行く。」

「ふん。」老人の目が再びシゲシゲと見る。ユリも遠慮なくジロジロと見返す。

「おまえが付いて行ったからと言ってどうにもなるまい。」

「見定める。」ユリは口を引き結んだ。「そして必ず、連れて帰る。」

「ほほぉ?」老人の息に微かにあざけりが混じる。

ユリの顎は怯まずにツンと上がった。

「ユリは名を言った。人に名を問うたら自分も名乗るのが礼儀だと教わっている。」

「このガキ。」弁護士が伸ばした手を払って寿美恵がユリを庇った。

「触らないで。乱暴するなら、私は降りる。」

「そんなことをしたら、息子さんの行方がわからなくなりますよ。」

寿美恵は唇を噛んだ。しかし、ユリを抱き寄せた腕は緩めない。

体が震える。しかし、ユリがここまで頑張っているのだ、寿美恵にも意地はある。

「もういい、面倒臭い。」老人が場を仕切る。

「子供は連れて行く。」弁護士に命じるとユリに目を戻す。

「利口なのか、バカなのか。おまえに口の聞き方を教えてやろうか?」

「まだ名を聞いていない。おまえは誰だ?」

ユリは頑固に繰り返した。

弁護士が呆れたように肩を竦め、スゥイング・ドアを施錠し助手席へと回った。

向かい合った座席で二人は謎の老人と対峙するしかない。

「子供、わたしの名前を知ったら2度と帰れなくなるかもしれないぞ。」

「ユリちゃん・・・!」寿美恵の息が震えた。ユリを止めようとする。

しかし、なんだろう。

ユリはこの老人が少しも怖くはなかった。勿論、この男に本当に自分を傷つけることができるとは思ってはいない。例え何処にいたとしても、ユリが一言呼ばなくてもアギュレギオンが駆けつける。今でもどこかで見ているはずだ。ユリに対するどんなことも、暴力も死も、アギュが決して自分に許さないだろうとユリは知っている。でも、それだけではないのだ。

デモンバルグですら嗅ぎ取ることができなかった目の前の男から発せられている何かをユリは感知している。それが告げる。

挑発しろ、それが鍵だと。

「それでも、聞く。」ユリの本能は綱渡りのように相手の自尊心のバランスの上を渡る。「私は聞きたい。聞かせてくれ。」緊張が目で見えるようで寿美恵はユリの肩を更に強く抱く。凝りもせず折れない相手に男は口元を緩めた。

「わたしは鳳来。」

「ホーライ・・・」ユリはつぶやく。

「それだけか。」

「それだけで充分だ。」老人の頬にはもはやはっきりとした笑みが浮かんだ。

「わたしは記号だ。」

ユリはそのことをしばらく考えた。「なるほど、記号か。」

「満足か。」鳳来が眼だけを細めるとユリはコクンとうなづいた。

「満足した。」

ハラハラした寿美恵を他所に視線をほぐした2人は向かい合わせに笑みを浮かべる。ただ1人、前席にいる男は今だにユリを大人げなく睨んでいた。

『このガキ、何者だ?』プライドを傷付けられた相手が許しがたかった。

「何をしている。」それに気が付いた鳳来が笑みを消す。「早く、出せ。」

エンジンがかかり、車が動き出した。

 

            綾子の決意

 

 

「母さん、あそこ。」

渡の指が痛いぐらいに腕に食い込むが綾子は1歩も動けなかった。

「ほら、車が動き出した!行っちゃうよ!」

渡が引く腕を逆に掴み引き止めた。

『あそこへ行ってはいけない』本能がそう告げている。表に立つあの男を見た時からだ。『あれは人ではない。』綾子は思った。あれは、鬼。恐ろしいもの。

その鬼が寿美恵とユリを外車に乗せ連れ去ったのに綾子の足は一歩も動けなかった。

「阿牛さんに・・・!」動かせるのは口だけだ。その口が無意識に叫んでいた。

「阿牛さんに知らせなくてはいけない。」

「アギュさんに?」

なぜ、そう言ったのかはわからない。確かにユリの父親ではある。

警察よりも夫や父親よりも、第一に阿牛蒼一に知らせることだと綾子は言ったのだ。

「アギュさんなら・・・」渡は心で念じる。「すぐ・・来るよ。」

「来ました。」後ろから声がした。渡は驚いて振り向くが直ぐに満面の笑みになる。

振り返った綾子の顔もなぜか驚きはなく、不安の色が表から消えないだけだ。

「寿美恵さんとユリちゃんが・・・あの車に」指差す先に遥かに遠ざかる車がある。

「わかっています。」阿牛蒼一は細い首を傾げ眼を細めた。その青い眼には遠ざかる黒塗りの車が確かに映っている。ちなみに綾子と渡が見ている男の姿は同一ではないはずだったのだが。綾子は見慣れた中年男の姿の下に12年前に初めて見た時の若い細身の青年の姿を重ね合わせても別段、もう動揺はしなかった。綾子も千年に1人と呼ばれた霊能者、神代麗子の血を引いている。その血は勿論、渡にもユリにも流れていた。「あれは、魔です。」

不思議に思わなかったわけではないが、単純にそれどころではなかったのだ。今最も気にかけるべき優先権は寿美恵とユリ。

「人ではないの。だから、きっと警察には止められない。」

その言葉が口に出て初めて、綾子にはわかった。

ああ、だから自分はこの人にまず助けを求めなくてはと思ったのだ。

目の前の男の蒼い眼をたじろぐことなく見つめる。

「あなたにしかできないわ。そうでしょ?どうか、寿美恵さんを助けて。」

「わかりました。」アギュは即答した。

「安心してください。」

「アギュさんなら、大丈夫だよ。母さん。」渡も請け負う。

「寿美恵おばさんもユリちゃんもちゃんと連れて帰れってくれるよ。」

ええ、と綾子はうなづいた。

「あなたなら、きっと。」

「いつから・・・知っていました?」アギュが聞く。これは自分のことである。

綾子の網膜はいわばこれまでハッキングを受けていたはずなのだ。

綾子は自問自答する。

「たぶん・・・初めて会った時から。」

初めてアギュを見た時の恐怖を思い出していた。それはまだ、渡がお腹にいた時。あの時は恐怖でしかなかった。未知の存在だったから。今は違う。視覚を操作されていたとはいえ、渡が産まれてからの年月がある。

「少しづつ、すり替えられた視覚が緩んでいたんですね。それはあなたの能力かも。」

アギュは呟いた。その眼は蒼い。燃えるように蒼い。

綾子は自分の眼に反射するその光を感じて不思議と微笑んでいた。

「あなたは鬼ではないわ。」今はわかる。

後ろから車が走って来た。通り越して急停車する。これは普段はガンダルファが乗っているものだ。窓が開いた。

「いきなり、消えるからもう。」鴉が顔を出す。

「社長、どっか行くんでしょ?グズグズしてていいんですか?」

「これはまた手際がいい。気が利きますね。」アギュはそういうと綾子を見た。

「あなたは?」

「浩介さんやお父さん達には気が付かせられないわ。きっと卒倒しちゃう。寿美恵さんはあなた達と遊びに行ったことにした方がいいと思うの。」

「母さん、僕も行く。」アギュがきっぱり「それはダメです。」鴉も口を揃える。

「なんか知らないけど、渡くんはお母さんと家に帰るのがいいんじゃないですか?」「嫌だ!絶対!さっきだってユリちゃんに母さんを呼んで来いって頼まれたから仕方なく戻っただけなんだよ!そうでなきゃとっくに一緒に乗り込んでいたはずなんだ・・・!」やり取りを綾子は見ていた。

「アギュさん、この子もよろしくお願いします。」そう聞くと、アギュ達だけでなく渡も驚いた。「母さん?マジ?!」「いいんですか。」

「はい。」綾子は一人息子の顔にしばし眼を注いだ。

綾子にも既にわかっている。自分の血を分けた息子。渡は普通ではない。母親には隠し切れない小さな能力。機械との相性。それを自然なこととして扱い、人に疑問を抱かせない為に綾子なりに密かに心を砕いていた。その力・・・今はなんの意味があるのか、将来どうなるのかもわからない。何か大きな業のようなものを背負っていると感じる。その業を果たす為に?・・いつかそれと対決し向き合う為に・・渡は出来る限り成長しなければいけないのだ。・・・ありとあやゆる経験。それしか、この子を救う道はない。そう確信しつつも、ともすれば沸き上がる心配で鼓動は跳ね上がろうとする。離れたくない。放したくはない。しかし。綾子はそれを押さえつけるように必死で微笑む。

「あなたが家にいるのにユリちゃん達と寿美恵さんだけじゃ、お父さんもお祖父ちゃんもなんだかおかしいなって思うわ、きっと。」

そう言い終る前に渡を抱き寄せハグをしていた。

「迷惑かけちゃだめよ。」

アギュを仰ぎ見る。「お願いします。」

「わかりました。」話が早い。

乗り込んだシルバーブルーの車は瞬く間に寿美恵とユリの乗った車を追って走り去った。

それを見送り、思ったよりも心配していない自分に綾子は驚いている。

阿牛蒼一が何者なのかは綾子には正確にはわからない。霊能者、超能力者、なんにせよなんらかの力のある人間だということ以外は。

そんな不確かな相手に大事な一人息子を預けるなど、自分は気が狂ったのかもしれない。でも、綾子は自分の直感を信じた。

ふいに、綾子は自分の傍らに立つ超自然の存在を感じる。

自分の大叔母である神代麗子であろうか。

『案ずる事は何もない・・・』

その言葉が祈りのように綾子の胸に響き全身に広がり暖かく満たして行った。

そう言えば、神月のもう一人の子供トラさんの姿がなかったようだが・・後部座席にでも乗っていたのだろうか。そんなことをチラリと思ったが綾子の傍らの守護天使はただ微笑んでいるだけだ。心配することは何もないと。

そこで綾子は踵を返して、旅館『竹本』へと帰る足を踏み出す。

もうすぐ、年老いた父と母が作業から帰ってくる。昼食の用意をしておかなくてはならない。なんら変わりない日常を演出しなくては。

 

綾子は知らなかったが、見送った数分後に車は国道のカーブで急停車していた。

鴉が減速を怠って対向車線に飛び出したからだ。幸い、対向車はいなかったのだが慌てた急ブレーキに車は激しくスピンして停まってしまった。

「鴉さんのへたくそ!」アギュの上に転がった渡は叫んでいた。

「運転、したことないの?!」

「免許はあるんですよね?」アギュの問いに鴉はそろそろと車の方向を立て直す。

「持ってません。」渡が何か言う前に「だって私、天使ですからね。でも、こんなもの見よう見真似でどうにかなると思いませんか。だってほら、真っすぐだったら走れていたでしょ?」「カーブの度に停まってたら、追いかけられないよ!」譲は喚く。「そうだ、アギュは?アギュはどうなの、運転だよ!」

アギュレギオンも首を降る。臨海進化体には車の免許など必要ない。自分だけならどこにでもいける。「それに、ガンダルファやシドラみたいに知識を直接、脳に入れることは私にはできませんしね。」落ちた座席の隙間であがく渡の体を助け起こした。「だから渡、どうです?」「いいの?!」渡の目が輝いた。

「何、言ってるんです?アギュレギオン。」その意図を察した鴉。どうにか車は自分の車線に戻ったが、激しいクラクションと共に後続車に抜かれたところだ。

「まさか、未成年者に運転させるつもりですか?」

「いけませんか?」しれっと答えた。「渡は誰よりも運転が得意だと思いますよ。」

鴉はしぶしぶ助手席に移動した。譲は背もたれを乗り越えて前に移動している。

「知りませんよ、捕まったらどうするんです?免許誰ももってないんですから。」

「その時は、それ、天使の出番じゃないですか?」

「捕まらないように努力しますけど・・子供が運転してたら通報されませんか。」

「もともとあなたが車を出して来るからこうなったんです。それもそちらの非合法な技でどうにか・・・お願いします。」「気が利くって言ったくせに。」

アギュは鴉の肩に手を置いた。「私達がどこで何をするか知りたくないんですか。」

勿論、アギュは前方の車の行く先は見当が付いている。

二人の会話をハンドルに触った渡はもう聞いていない。エンジンの鼓動が体に同化する。全ての動力がエネルギーに満たされているのがわかる。それはとても満ち足りた感覚で、渡にはこの車の設計図、動く仕組みが全て頭の中に浮かび上がってきた。座ることはできないので立ったままだ。鴉が座席を渡に合わせて下げた。譲はエンジンブレーキをはずし、アクセルにそっと足を載せる。『さぁ、行くよ。』囁くと滑らかに車体が動き始めた。道に合わせて意志を持ってタイヤが動く。機械全体が走ることの喜びに震えている。それが渡と一つになっていた。

右に左にハンドルを切り、制限時速を越えて走り始めた車はまったく熟練のわざとしか鴉には思えない。

「彼、まさか・・・免許もってませんよね。」思わず、後ろに問いかけた。

アギュは夢中でハンドルと格闘している子供を見た。彼が中学生となるのは来月だ。

綾子も渡が無免許運転をするとまでは思っていまい。

さすがに笑うしかなかった。「まさか・・・持ってるはず、ないでしょ。」